大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 中堂寺の町筋へ来ると、その晩は残(のこ)んの月が鮮かでありました。が、天地は屋の棟が下るほどの熟睡の境から、まだ覚めきってはいない。一貫町から松原通りへ出るあたりの町角に、またちょっと立ちどまって、仔細らしく思案の頭をひねっている時、後ろからこっそりと忍び寄った、別にまた一つの物影がありました。
「へえ――お淋(さび)しくっていらっしゃいましょう」
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
 前なる人から誰何(すいか)されたので、後ろなる忍び足が直ちに答えました。
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、角屋(すみや)さんの方から、たった今、これこれのお客様がお帰りになるから、おそそうのないようにお宿もとまでお送り申せと、こう言いつけられたものでござんすから、それで、おあとを慕って……」
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「廓(くるわ)からついて来たのか」
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
 ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
 見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の股引(ももひき)腹がけで、麻裏草履をはいて片膝を端折(はしょ)っている。抜け目がない体勢ではある。
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
 少々仰山な驚きかたをして見せたが、それ以上、火花も散らず、ともかくも、形は送りつ送られつの形で、道はようやく木津屋橋まで差しかかった時分、
「いったい、お宿もとはどちら様でござんしたかなあ――どちら様へお越し?」
 送り狼もどきの頬かむりが、改めてここでお宿もと、お宿もととつきとめにかかるのが、うさんで、しつこく、からむようにも聞きなされるが、前のはいっこう平気で、
「こちらの宿もとをたずねるより、お前の方で名乗るがいい、何のなにがしと名乗ってみろ」
「何のなにがしと名乗るような、気の利いた奴(やっこ)ではございませんが、轟(とどろき)の源松と申しまして、東路(あずまじ)から渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」
 轟の源松、聞いたような名だ。おお、それそれ、御老中差廻しの手利きだと言った、長浜の町で、宇治山田の米友を捕り上げた男。あれが、やがて、農奴として曝(さら)しにかかって、草津の追分につながれた時分、往来の道俗の中から、がんりきの百を見出して、こいつ怪しいと捉まえにかかったが、それは片腕のないためと、両足の有り過ぎるために、おぞくも取逃した、あの有名な捕方の名に相違ない。有名といったからとて、この冊子に於ての相当の有名だけであって、ここで、フリの客に、轟の源松と名乗りかけたからとても、誰でもそれと知っている名前ではない。
「ナニ、目明しの文吉――というのがお前の名か」
と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、
「いいえ、目あかしの文吉じゃございません、轟の源松と申しまして、渡り者のケチな野郎でございます」
「ははあ、轟の源松」
 その名を繰返しながら、二人は見た目には主従の形で、すれつもつれつ前へと歩みます。

         三十

 轟の源松なるものは、手の利(き)いた岡っ引である。江州長浜の夜で、宇治山田の米友を相手に、あれほどの活劇を見せたが、本来、この辺の地廻りではない。特に天下の老中差廻しで、お膝元の大江戸から派遣せられたものであってみれば、草津や長浜の町が、その腕の見せ場ではないはず。米友やがんりきだけが当の相手ではあるまい。あれらは、ほんの道中の道草の小手調べ。されば、あれから農奴が膳所藩(ぜぜはん)の曝し場から、なんらかの手によって奪われて行方不明になったにしてからが、また、その曝しの現場を見て、挙動不審で拘引を試みようと思った旅のやくざ者を、上手の手から洩(も)らして、ちょっと歯噛みをさせられたにしてからが、その執念のために、京都から進入して、もっぱらこれが追跡に当るほどのことは想像されない。
 何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
 この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、捕縄(とりなわ)に物を言わせる凄味(すごみ)の相手であることは、つい今頃、送られる身になって、ぴーんと来ていない限りはないのだが、草津の駅でがんりきを咎(とが)めたように、頭ごなしに咎められない。がんりきを引捕ろうとするような、待ったなしの出足では近寄れない、相手が違う、ということは、近寄る方でも、最初からその勘にあることです。ですから、この芝居は、最初から双方の腹が読めきってやっている芝居で、自然、その渡りゼリフも、双方ともに一物あっての受け渡しなのですから、両方ともに相当の凄味が、底を割ってしまっていて、表面だけはしらばっくれた外交辞令になっている、というのだけのものだから、見ていても存外白ける。これが七兵衛あたりの役者になると、同じ狸同士でも、そこにはまた相当のコクもあろうというものだが、最初から芝居がかりがお客に見えたのでは、芝居にならない。素(もと)と素とがカチ合っているようなものです。そこで、おたがいが兼合いながらの問答であります。
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
 またしても、お宿もと、お宿もと、そう露出(むきだし)に鎌を振り廻さなくとも、身分素姓が知りたいならば、もう少し婉曲(えんきょく)な言い廻しもあろうものを、いったい、最初からセリフが無器用だ。そうそう繰返して、詮索めかして出られると、憤(おこ)らない相手をも憤らせてしまうではないか。ところが今日の相手は存外淡泊で、
「そのお宿もとがないのだよ――実はな、拙者も久しぶりで京の地へ足を入れた最初の晩がこれなんだ。そうさなあ、もう何年の昔になるかなあ、たった一晩、島原で遊んだ風味が忘れられないで、京へ着くと第一の夜が、それあの里さ。尤(もっと)も、おれが好んで第一にあの里へ足を入れたというわけではない、途中、要らざる出しゃばり者が出て来て、おれをあの里へつれ込んだ、下地は好きなり御意はよし、というところかも知れない。その出しゃばり者とは、まず旧友といったようなところかな、そいつが二人も出て来て、そぞろ心のついている拙者を、あの里へ引張り込んだはいいが、おれを真暗な行燈部屋(あんどんべや)、ではない、御簾(みす)の間(ま)といって、相当時代のついた別座敷へ、おれを抛(ほう)り込んで置いたまま、その二人の奴が容易に戻って来ない、いやに旧友ぶりをして見せはしたが、実は薄情極まるものだ。だがまた、一概に薄情呼ばわりもきつい、あいつらも皆、今日あって明日の知れない命を持っている奴等だから、おれをあそこへ案内して置いて、久しぶりで大いに遊ばせようと思って、外へ所用を済ませに出たのが、万一、その途中、不慮のことでも起って……まあ、そんなことを思いやって、ひとり真暗な御簾の間にくすぶっていたが、宵(よい)が過ぎると、この通りの追払われもの、振られて帰るという里の合言葉があるそうだが、追われて帰るんだ。だが、追われるはいいが、その帰り先がわからん、心細い次第のものだ」
 さらさらと、少しかすれた声で淀(よど)みなく言ってのけて、自ら嘲るようにも聞えたから、轟の源松が、
「いえ、どう致しまして、追い立てるなんて、そんな失礼なことを致す里の習いではございません、おそそうがあってはいけないから、お宿もとまで確(しか)とお送り申し上げろと、わざわざわっしを、あとからせき立てて、よこしましたくらいなんですから」
「いずれにしても御苦労な話だが、御苦労ついでに、その拙者のお宿もとというやつをひとつ心配してくれないか、わしは今晩ドコへ行って宿(とま)ったらいいか」
「御冗談じゃございません、おれの行くところはどこだと交番でお聞きになるは、篠山(ささやま)の杢兵衛(もくべえ)さんに限ったものです、あなた様などの御身分で、めっそうもない」
「何はともあれ、島原は源平藤橘を嫌わないところだ、金さえあれば、王侯も、乞食も、同じ扱いをする里で、追い払われた身は行くところがないじゃないか――お前、親切で送ってくれるのだから、親切ついでに、わしを送り込む宿所まで見つけてくれるのが、本当の親切だ」
「恐れ入りました、左様の御冗談をおっしゃらずに、どうか、お行先をおっしゃっていただきます、暁方とは申せ、まだ先が長うございます、どれ、この辺でひとつ提灯(ちょうちん)に火を入れさせていただきまして」
 轟の源松は、腰に下げていた小田原提灯を取り出して、燧(ひうち)をカチカチと切って、それに火を入れたのは、とある橋の袂(たもと)でありました。

         三十一

「ここは三条大橋でございます、この辺で、お宿許を教えていただかないことには、あとは東海道筋百二十二里……あ、提灯の蝋燭(ろうそく)も寿命が尽きたかい」
 せっかく火を入れた小田原提灯が、もう少し前から消滅してしまっている。送ってくれと頼んだわけでも、頼まれたわけでもないから、不平を言うべき筋はあり得ないのだが、京の町を、てんから無目的で際限なく引張り廻された日にはやりきれない。それを、相手方はむしろ気の毒とでも思ったか、素直に受入れて、
「では、芹沢(せりざわ)がところまで送ってもらおうか」
「芹沢様とおっしゃいますのは」
「芹沢鴨、いま名うての新撰組では隊長だ」
「ああ、その芹沢先生ならば……」
 轟の源松は、仰山らしく声を上げて、
「芹沢先生は、お気の毒なことに殺されました」
「殺(や)られたか」
「ええ、まことにお気の毒なことで、あの剛勇無双な先生でも、災難というものは致し方がございません」
「いったい、芹沢は誰に殺(や)られたのだ」
「それがその――隊の方の評判によりますると、長州の者だろうとのことでございますが、なあに、そうではございません。では何者だとお聞きになると困りますが、薩摩でも、長州でもございません、ちゃあんと犯人はわかっているのでございますが、申し上げられません」
「お梅はどうした」
「ああ、あの女は――美(い)い女でございましたが、芹沢先生と一緒に殺されましたよ」
「人の女房を奪ったのだそうだな」
「女房ではございませんそうで、菱屋太兵衛のお妾(めかけ)だそうです、太兵衛に代って掛金の催促に来たのを芹沢先生が、いやおういわさず、ものにされてしまったというが本当らしいのでございます――芹沢先生と、あの美い女と、二人寝ているところをやられました、その場の有様というものは、いやもう、目も当てられぬ無惨なものでございまして」
 彼は、自分が親しく見たわけではあるまいが、人伝(ひとづて)にしても、手に取るようにその現場の状況を聞いて知っているらしい。そこで、所望によっては、そのくわしい物語をも演じ兼ねない様子に見えたが、聞き手はそういうことに深い興味を持たない人らしく、或いはそんなことは疾(と)うの昔に知っているかの如く、
「では、やむを得ない」
 その芹沢に厄介になろうという希望も撤回せざるを得ないと、あきらめるより仕方がない。さりとて、それに代るべき候補宿を提案する心当りもないらしい。そこで、今度は轟の源松の方から、鎌をかけて、
「では、近藤先生のお宅はいかがで、木津屋橋の近藤先生のお仮宅(かりたく)ならば、わたしがくわしく存じております」
「近藤は虫が好かん」
と覆面が言いました。
「では」
 轟の源松が、いいかげんテレきった表情を見て、長身の人が、ついに決然と最後の決答を与えました、
「高台寺の月心院へ届けてくれ」
「高台寺の月心院、心得ました」
 ここで、無目的の目的が出来た。指して行くあたりの壺がすっかりついたのだから、源松も勇みをなして、再び提灯に火を入れようとする途端に、何か物の気に感得してしまいました。
 こういうやからは、道によって敏感である。まして送り狼の役をつとめてみると、送る方も、送られる方も、あやまてば食われるのだから、寸分も神経の休養が許されない。
 轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと見込みました。
 前に言う通り、残(のこ)んの月夜のことですから、川霧の立てこむる鴨川の河原が絵のように見えます。その河原の中を走る二筋のせせらぎを、今、徒渉(かちわた)りしている物影を、この橋の上から認めたからであります。

         三十二

 橋の上からは、物の二町とは隔らない川下を、かち渡りしている二つの人影は、ここから見当をつけても、そう危険性なものではないらしい。
 本来、この時分に、天下の公橋を渡るさえ二の足が踏まれるのに、河原の真中を横に歩くようなやからが、尋常のやからでないことはわかっている。だが、轟の源松の物に慣れた眼で見て取ったところでは、特に危険性のないものであることは、一眼で明らかになりました。危険性というのは、つまり人命に関することで、最近、この辺のところは、足利三代の木像首をはじめとして、幾多人間の生首や、片腕や、生きざらしなどの行われた地点であるから、かりそめの人影の動揺にも、油断のならないのが当然でありますが、それとこれとは別、ただいまあなたにうごめく人影は、左様な危険性を帯びないものであることを、轟の源松が認めたのです。
 それは、どこにもあるお菰(こも)さんであります。乞食種族に属する者であることが月明で見てよくわかります。つまり、乞食の川渡りなのですから、一度は耳と目を拡張して見ましたけれど、その点を見届けて安心したというものです。
 乞食というものは天下の遊民であって、天下大いに治まる時は、三日でもって人生の味を嘗(な)めつくしてしまって、天下が麻の如く乱れようとも、現状以下に落つるの憂いのない代物(しろもの)である。持てる者がみな狼狽焦心する時に、乞食種族だけは、悠々自適の生活を転移する必要を認めない現状維持派であります。今、日本の天下は、王政の古(いにし)えにかえるか、徳川の幕府につながるかという瀬戸際に於て、王城の地はその鼎沸(ていふつ)の中心に置かれても、乞食となってみると、一向その冷熱には感覚がないのです。かくてこの無感覚種族は、いかなる乱世にも存在の余地を保留していると見えて、今の京都の天地にも、相応に棲息し、横行倒行している。今晩も、ここで、物騒な京都の夜を、平々かんかんとして川渡りを試みらるる自由は、またこのやからの有する特権でなければならぬ。住所なきところが即ち住所である。河西の水草に見切りをつけたから、明日は河東の水草に稼(かせ)ごうとして、その勤務先の異動を企てているまでです。前の方は少し背が高い。前の背の高いののわかるのは、後ろのが、それよりやや劣るからである。といっても、前後の比例が桁外(けたはず)れなること、道庵先生と米友公の如きではなく、先なるは人並よりやや優れた体格であって、後ろのは世間並みという程度のものだ。
 しばらくその菰かぶりの川渡りを遠目にながめていた轟の源松は、自然提灯に火を入れる手の方がお留守になる。
「あ、旦那、済みませんが、少しの間、ここに待って、ここに待っていていただくわけには参りますまいか――ちょっと見届けて参るものがございます」
と言って、送りの客を顧みましたが、この時、提灯は抛り出してしまって、懐ろへ手を差し入れたのは、火打道具を取り出さんがためではありません――一張の捕縄(とりなわ)です。
 その時の源松の気勢は、変っておりました。職務の遂行のためには死をだも辞せずという、一種の張りきった気合が充ち満ちたかと見ると、件(くだん)の長身覆面の客から物の三間ばかり離れて、橋板の上へ飛びのいて、足踏み締めて、身を沈めて、捕縄の一端を口に銜(くわ)えて、見得(みえ)をきってしごいたのは、かの長浜の一夜で、米友に向って施したのとまさに同じ仕草です。
 だが、今晩のは、捕手の中心がよく定まらないようです。ここで、自分の送り狼を捕ろうとするのか、或いはまた、一旦は天下御免の遊民と見て安心した下流の川渡りに、再吟味するまでもなく、なんらかの不安を感じたために、それを捕りに行くための身構えか、二つの目標が同時に現われたものですから、源松の着眼が乱視的で、これだけの仕草ではよくわからないのです。
 だが、送られて来た覆面の遊客は、こころもち移動して、橋の欄干を背後にしたことによって、この気合を感得したものらしい。ただ、それだけで、柄に手をかけるのでもなく、刀を抜こうでもないが、その身そのままが構えになっている。
 源松に於ては、依然として三間ばかりを遠のいた地点にいて、あえてそれより遊客に近づいては来ないのです。源松の眼を見ると、二つの眼を、二つに使い分けをしていることがわかる。すなわち一つはこの橋上の送り狼に、もう一つは川下をわたる二人の乞食に、双方に眼を配って、一本の捕縄をしごいて、空しく立っているらしい。
 それはそのはずで、優れた猟師といえども、方向の違った二つの兎を同時に追うことはできない。まして、相手は兎ではなくて狼である。
 このきわどい場合にも、さすがに源松は打算をしました。そこで、がらりと気分を崩して、あわただしく、いったん取り上げた捕縄を再び懐中にねじ込んでしまって、
「いや、どうも、川下に変な奴が川を渡っておりまするでな、ひとつ様子を見届けて参りたいと存じますが、その間、相済みませんが、ここで暫くお待ちを願いたいのでございます、なあに、直ぐ戻って参ります、どうか、暫くの間、ここのところで」
 妥協を申し入れるような口ぶりで、急に折れて来たのは、つまり、ヒットラーではないが、同時に二つの敵を相手にすることは、戦略から言っても、外交から見ても、策の得たるものでないことがわかるから、そこで、前門の狼とは暫く妥協を試みて置いて、下流の乞食から退治にかかろうとする魂胆であるらしい。
 そう言いっぱなしにして、相手の返答は聞かず、早くも橋の袂(たもと)をめぐって、河原をひた走りに走りました。もちろん、めざすところの目的は、月夜のお菰(こも)の川渡りであります。彼等の二個のお菰は、斯様(かよう)な鼻利きのすばらしい猟犬に嗅ぎつけられた運命のほどを知るや知らずや、悠々閑々として、月夜に布袋(ほてい)の川渡りを試みて、誰はばかろうとはしていない。いい度胸です。でなければのほほんの無神経です。
 且つまた、橋の上に取残された狼にしてからが、頼みも頼まれもしない藪(やぶ)から棒の送り狼に、待っていてくれと注文されて、その注文どおり、馬鹿な面をして待っていてやる義務もあるまいではないか。

         三十三

 一方、視野を転換して、のんきな月夜の川渡りの二人のお菰さんの身の上に及ぶ。
 二人とも、いい図体をした屈強の男ざかりでありながら、ドコぞ箍(たが)がゆるんでいればこそ、今日こうして菰をまとっている。
「いい心持だなあ、月夜の川渡り」
「ほんとにいい心持だよう、月夜の布袋(ほてい)の川渡り」
「月夜に釜を抜かれるということがあるが、その解釈を知っているか」
「知らん――いろはガルタには、わかったようでわからんのが幾つもある、我々いい年をしながら、いろはさえ充分にはわかっとらん」
「況(いわ)んや天下国家のことや」
「なんにしても、月夜の布袋の川渡りはいい」
 しきりにこの二人が布袋の川渡り、布袋の川渡りということを口にしているのは、自分たちが菰を被(かぶ)っている頭の上に、身上道具の一切合財(いっさいがっさい)をいただいているからであろうとは思われる。身上道具の一切合財といっても、鍋釜で尽きているらしい。鍋釜を所有していれば、中に入れるものは、今日は今日、明日は明日で、絶対他力まかせになっているところに彼等の身上がある。そこで、月夜に釜を抜かれるという「いろはガルタ」が不意に飛び出したのも、つまり、頭上にいただく鍋釜から起った聯想らしい。
「乞食を三日すれば忘れられん――というが、まさに正真の体験だ」
「そうだ、この趣味がわかると全く、人間並み生活などはばからしくて出来るものではない、ただ人間並みを廃業して、ここまで来る試験地獄がつらい、ここへ来てしまえば、何という清浄にして広大なる天地だろう」
「まあ、あんまり惜しいから、そう川渡り急ぐなよ、ゆっくり月をながめながら川を渡ろうではないか、この良夜をいかんせんというところだ」
「月は天にあり、水は川にあり、いい心持だ」
 名は高いけれども、鴨川は大河ではない。ちょろちょろ水を渡る程度の川渡りも、今晩は無下(むげ)に渡りきるのが惜しくてたまらないらしい。そこで、中流というとすばらしいが、飛べば一ハネの川の真中で、わざと二人は歩みを止めてしまい、空の大月を打仰いで、
「清風明月一銭の買うを須(もち)いず――と、たぶん李白の詩にあったけな、一銭のお手の中を頂くにも、人間となると浅ましい思いをするが、この良夜を無代価に恵与する天然の贅沢(ぜいたく)はすばらしいものだ」
「その天然の贅沢を、無条件で受入れ得る我々の贅沢さは、また格別だなあ、事実、乞食にならんと、本当の贅沢はできんものだなあ」
「そうよ、うんと欲張って我が物にしたければ、袋を空にして置くに限るよ、物があると誰も入れてくれねえ、天下将相になって見給え、志士仁人になって見給え、夜の目もロクロク眠れずに、やれ国のためだ、人のためだと血眼(ちまなこ)になっている、この天与の恩恵豊かなる清風明月が来(きた)りめぐっても、火の車を見るようにしか受取れない奴等こそ憫(あわ)れむべきものだ」
「大燈とか、大応とかいう坊主が、そこらの橋の下に穴を掘って、そこを宿として園林堂閣へ帰りたがらなかったというが、それはわれとスネたんではないな、そういう生活がむしろ自然なんだから、彼等はそれを貪(むさぼ)り好んで生きている、世間の馬鹿共が見ると、それが、大徳の、達観のと渇仰(かつごう)する、見方が違っているんだ」
「そうだ、トモカク坊主でも大物になると横着千万なものでな、自分は楽をしていながら、世間からは難行苦行の大徳であり、人生の享楽を抛棄(ほうき)した悟道人のように見えるが、ありゃみんな道楽だね」
「まず、そんなもんじゃ、乞食の六という奴の詩に有名なのがある」
「そうだそうだ、畸人伝かなにかにあったっけ、あれだけの詩を作れるくせに乞食している横着者、まさに三十棒に価する、その詩を一つ……」
 一人が、そこで、詩を吟じ出してしまいました。
一鉢千家飯
孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
 これを、高らかに和吟して、「一鉢千家の飯(いひ)、孤身幾度の秋、空(くう)ならず又色(しき)ならず、無楽還(また)無憂、日は暖かなり堤頭の草、風は涼し橋下の流、人若(も)しこの六を問はば、明月水中に浮ぶ」と吟じ了(おわ)ってから、この六なるものの事蹟に就いて語り合いました。
 これは昔、この川の岸に一人の乞食の行斃(ゆきだお)れがあったから、それを水葬してやろうと、ある坊さんが抱き起して見たら、乞食の懐ろの中に、この詩が書いて入れてあったということ。
 なるほど、遠目で見たのでは、単なる求食人種の移動に過ぎないが、ここでこの話しぶりを聞いていると、以ての外。こいつらも世を欺く横着もの、大応大徳のそれに匹敵すべきか、乞食の六や桃水尊者(とうすいそんじゃ)と比ぶべきや否やは知らないが、トニカク、乞食を生きるものでなくて、少なくとも乞食を楽しむことを解している。それもどうやら、今日昨日の附焼刃らしいが、それでも楽しむことを知ることに於て、一応筋は立った話をしている。これを遠目に睨(にら)んだだけで、直ちにうさんと眼をつけた源松の眼も高いと言わなければならない。
 これ別人ならず、よく見れば、前なる背の高い方のが南条力、後ろのやや低い方のが五十嵐甲子雄――毎々お馴染(なじみ)の二人の成れの果て――果てというにはまだ間もありそうだが、二人の変形であることは疑いがないのです。

         三十四

 この南条、五十嵐の両壮士が、ある時は志士の如く、ある時は説客の如く、ある時はスパイの如く、ある時は第五部隊の如く、全国的に要所要害を経歴して来たことは、ほぼ今までのところに隠見している。
 ついさき程は叡山四明ヶ岳の上で、大いに時事を論じていたと見たが、もう京洛(けいらく)の真中へ入り込んで、こんな行動をとっている。また油断も隙(すき)もならぬ者共です。
 しかし、今晩のような夜空に、こんな風(なり)をして、ここらを彷徨(ほうこう)するということは大なる抜かりで、早くも轟(とどろき)の源松の注視を受けたということは、大なる不覚と言わなければなりません。
 こうして二人は河原を三条の橋の橋詰まで来ましたが、橋に近くなると、彼等もズルイ、急に沈黙を守り出して、木と、茅(かや)と、石と水との中に没入し、人をしてその痕跡を認めしめない芸当は心得ていたようです。
 揚雲雀(あげひばり)というものは、中空高く囀(さえず)りつつ舞っているが、己(おの)れの巣へ降り立とうとする時は、その巣より遥かに離れた地点へ着陸して来て、そこから麦の株や、畦(あぜ)の間を、若干距離のあいだ潜行して来て、はじめて己れの巣にありつくものだが、この二人の壮士も、その鳥跡に学ぶところあって、川渡りの地点は巣に遥かに遠いところであったが、そこから橋の袂の元巣までたどりついた間の行動は誰にもわかりません。
 しかしまた、上手な雲雀取りは、右の雲雀の着陸点をまず認めておいて、そのあとをひそかに追ったり、前路を考えて、これを要したりすることもあるように、轟の源松も、いったんは橋から河原へ飛び下りたが、それより後の行動は、月にも水にも知らせません。しかし、程経て、二人の壮士は橋の袂の穴っ子へ到着しました。
 その橋の袂の穴っ子こそ、彼等の住所であって、その先祖をたずぬると、大燈国師伝以来の由緒のあるところです。二人がこの穴っ子へトヤについてしまった頃を見計らい、外でそろそろと網を張っているものがあります。言わずと知れた轟の源松で、もうこうなればこっちのものと、網を張りながら、ニタリと笑って橋の上を見上げました。
 橋の上の一方に待たして置いた送り狼は、いかにと見上げたものでしょうが、前に言う通り、この男の要求通りに、馬鹿な面(かお)をして、橋の上に待っていなければならない義務も責任もないことは、先方よりこちらがわかっているから、二兎を追うことはできない道理だから、一方は一方で一時は取逃がしても、やむを得ない。比べてみると、こちらの番(つが)いの獲物(えもの)の方が実入(みい)りがありそうだ。あれはあれで、出直して突留める分には、相手が不自由な身だから手間ヒマはいらないはずだが、芹沢鴨を名指したり、伊東や近藤とも相当面馴染(かおなじみ)があるらしいところを以て見ると、ただの鼠ではないが、新撰組や御陵士頭に属するほどの者でないことは、その言語挙動でわかりきっている。当座の口実に、新撰組や御陵士頭の名を仮りてみるだけのもので、最後に突きつめたお宿許の名乗りに、高台寺月心院の名を指したが、それとても、果して月心院で受けつけられるかどうかわかったものではない。とにかく、島原の行動と言い、その後の応対と言い、捉まえどころが有るようで全くない。これまた近ごろの珍しい獲物だと、源松はほほ笑みながら、近いうちに手の内を見せてやると、いささかの得意で橋の上を見上げると、どうでしょう、命じて置いた通りの地点、欄干を背にしたところに、たしかに待っている。よもやと眼を拭って見直したが、間違いがない。
 やあ、やっぱり、世界には馬鹿正直な奴がある。源松を源松とちゃんと心得ているはずなのに、馬鹿な面をして、ああしておれの帰るのを待っている。呆(あき)れたものだと、源松も口をあいてしまいました。
 だが、待てよ、一概に馬鹿正直扱いもできますまい。真実あれは眼が見えないのだから、意地と場合で島原をひとり抜けをして出て来たが、出てみれば、西も東も動きの取れない身なのだ。そこへ、おれがぶっつかったものだから、しらをきって挨拶をしながらも、実はおれを頼りにして、引廻されるふりをして引廻すつもりで来たのかも知れない。送り狼と知りつつ、送らせるところまで駕籠賃(かごちん)なしで送らせて、どろんと消えるつもりか知らん。一枚上を行った図々しさだか、また事実、ひとりでは動きが取れないから、ああしてこの源松の帰りを待っているのか、なんにしても微苦笑ものだと源松は呆れたのだが、こうなってみると、自分もまた、悧口(りこう)なようで、なんだか馬鹿にされている、上手な猟師のつもりで、一方の兎を思いきって、一方だけ確実に手に入れる策戦に出でたことの思いきりを、我ながら腕前と信じていたのが、ここへ来て見ると、獲物はやっぱり二つで、猟師は自分一人だ、獲物をせしめたと思った猟師が、かえって獲物にせしめられているような感じがしないでもない。
 そこで、源松としては、またしても、橋上と橋下と二つの方面に、一つの注意を張らなければならない。ロシヤと手を握って英国に当る策戦の裏をかかれたような気持がしないでもない。
 そこで、張網の地点から、二つの方面に注意を向けていると、またも意外、こちらはいま巣へもぐり込んだばっかりの二人のお菰(こも)が、相変らず剣菱(けんびし)の正装で、のこのこと這(は)い出して来ました。

         三十五

 おやおやと見ているうちに、頭にいただく鍋釜は穴の中に安置して置いたと覚しく、手ぶらで、第一公式のお菰をひらつかせて、のっしのっしと這い出して来たが、ドコへ行くかと見ると、橋杭(はしぐい)の太いのにとっつかまり、それを、なかなかの手練で攀(よ)じ上って、橋の上へ出ようとする。
 逃げ出したのではない、轟(とどろき)の源松これにありと知って、風を喰(くら)って逃出しにかかったのでないことは、その気分ではっきりわかる。つまり、あいつらは、この老練な猟師が網を張っているということを少しも知らない。ちょっと何か用達しに出かけて、やがてまたこの巣へ舞い戻って来るのだという気分は、源松にもはっきりと受取れるが、さりとて、舞い戻るまで、空巣へ網を張って株を守るの愚を為(な)すべきではない。源松も、急に手近な柳の木へ上手に攀じ上って、彼等の行動を注意して見ると、橋杭から橋板の上まで攀じ上った二人のお菰は、橋の東詰の程よいところまで来るとしめし合わせて、一方は橋の南端へ、一方はその北端へ居を占めて、そこの橋の上に横になって、お菰をさし繰り上げて自分の身体(からだ)を覆い、そこに平べったくなって寝込んでしまったのです。
 ははあ、こいつら、穴の中よりも板の上が寝心がいいと見えて、お寝間直しと洒落(しゃれ)こんだな、とにかく安心、橋上と橋下とは彼等にとって本宅と別邸との相違だ、どのみち、自分の縄張りを出ないのだから安心なものだ、どれ、この間に一番、空巣狙いと出かけて、この穴屋敷の中を取調べてくれよう、と源松はそろそろと柳から下りて、彼等がたった今、もぬけの殻とした穴っ子の中へ潜入して見ました。
 この忙しい折柄に、轟の源松は、燧(ひうち)をきってかがやかし、穴っ子の中を一通りのぞいて見たが、穴っ子の空巣である以外に別段に異状はない。天井も相当雨漏りと土落ちに備えてある。中には藁(わら)とむしろとが敷かれてある。その天井の上に仕掛けもありそうなことはなし、むしろの下にも特別に隠された物件はありそうもなし、ただ多少気にかかるのは、その敷物の真中に置き据(す)えられてある鍋釜だけのものです。いと古びた三升焚きの釜と、それに釣合いとしては小さきに過ぐる割れ鍋が安置してあるだけのものでしたが、源松は、まず釜の方の蓋(ふた)を取って見ますと、今時の乞食にしては贅沢千万、外米入らず、手の切れるような未炊の白米が八分目ばかり。手を入れてみたが、ザックという手ざわりのほかには異状がない。連合いの方はと、とじ蓋をとって見ると、割れ鍋の中に竹皮包の生々しい一塊、これも味噌以外のものでありようはない。この忙がしい折柄に一応、穴っ子の中へ眼を通すだけは通しておいて、次の瞬間に、源松は外へ飛び出し、再び橋上の職場へ取って返し、さて、仕事はこれからと、勇み足を踏みしめた途端、橋の上で突然、人をばかにしたような声が起りました、
「おいおい、吉田氏、竜太郎どの、何をそんなところで、うろうろしているのだ、気のきいた幽霊は引込む時分だ」
 その男は、菊桐の御紋章の提灯を提(さ)げていたのが、これも少々酔っていると見えて、声は大きいけれども、うつろです。呼びかけた相手の主は、誰か知らないが、ほかにそれと覚しい人もないから、多分自分が置きっぱなしにして来た送り狼のその当人だろうと思って、踏みとどまってみていると、果して、
「斎藤だよ、斎藤一だよ、一足違いで君に逢えなかった、君を御簾(みす)の間(ま)へ残して置いたのは、こういう時の頼みのためなんだ、君という男も、前には芹沢で立後(たちおく)れ、今は伊東でまた後手に廻る、仕様がないなあ、ともかく、これから月心院へ引上げよう」
 菊桐の紋のついたのがこう言って、忙がわしく橋桁(はしげた)の方へ近寄って、送り狼の身にからみつくようにした時、またもや橋上がにわかに物騒がしくなりました。
 人が来る、しかも、夥(おびただ)しい人数が来る、粛々として殺気を帯びて来る。殺気を帯びた人数の出動することは、このごろの京の天地に於ては物珍しとはしないが、時が時であって、源松の六感を震動させたのは、その一隊が手に手に武器を携えて、一方には夥しい提灯をかざして来る事の体(てい)というものが、普通の巡邏(じゅんら)とは巡邏のおもむきを異にし、いわば、うちいりを済ました後の赤穂浪人――或いはこれから吉良邸を襲いにかかろうとする赤穂の浪人が、まさに両国橋を渡りにかかった事の体なのであります。彼等は抜身の槍の光を月にかがやかしている、鞘走る刀のかがりを指で押えている。その一行が無慮数十人。粛々として橋板を踏み鳴らして来かかったものですから、さすがの源松も、これにはおどろかざるを得ません。しかも、その数十人の手に携えた提灯というものは、前に斎藤一と名乗る男が手にしていた御紋章の提灯とは事変り、「誠」の一字が楷書で、遠く離れていても歴々(ありあり)と読み取り得られるほどに鮮かに記されてあることです。
「誠」の一字の提灯は、新撰組の一手のほかのものでありようはずはない。
 かくて轟の源松が再び橋上に戻った時分には、自分が残して行ったつもりの人影はありません。
 新撰組の一行が粛々として三条大橋を西に向って渡り去った、その後ろ影を、はるかにながめやるばかりでありました。

         三十六

 月心院の一間で、机竜之助が、頭巾も取り、被布も取払って、真白な木綿の着衣一枚になって、大きな獅噛火鉢(しがみひばち)の縁に両肱(りょうひじ)を置いて、岩永左衛門が阿古屋(あこや)の琴を聞くような形をして、黙然としている。
 それと向き合って、火鉢とはかなり離れたところに敷きのべた大蒲団の上へ、これも白衣一枚で寝まき姿で、斎藤一が無雑作に坐り込んで、しきりに竜之助に向って話をしかけている。二人ともに、この寺院の荒涼たる広間で、白衣を着て対坐したところが、行者か亡者かみたようだが、事実は、寺院備えつけの納所(なっしょ)の坊主の着用を一時借用に及んだものらしい。
 今、二人ともに、これから寝に就こうとして、その寝つき端(ばな)をまだ話が持てているらしいのです。会話といううちに、お喋(しゃべ)りの斎藤が一人で持ちきっているようなもので、
「ねえ君、ぜひ一度、近藤に会って見給えよ、君が毛嫌いをするような男ではない、世間が誤解している如く、君もまた誤解している、一度、近藤に会ったものは、必ず認識を改めるのを例としているのだ、彼を以て殺伐一方の、血も涙もない殺人鬼の変形のように見るのは当らない。まあ、この一軸を見給え。見給えと言ったところで、君には馬念に過ぎないが――」
 ここに斎藤が馬念と言ったのは「馬の耳に念仏」という諺(ことわざ)の略語だと思われる。つまり眼の見えない机竜之助に掛物を見ろというのが失当であることを、その瞬間に気がついての駄目なのだが、それでも壁にかけた一軸を指した指は撤回しない。
「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」
と斎藤は婆心を加えた。読めと言うのは無理だが、聞けと言うのに無理はない。そこで斎藤は、壁にかけた唐紙半切(とうしはんせつ)の二行の文字を読みました。
百行所依孝与忠  取之無失果英雄
英雄縦不吾曹事  豈抱赤心願此躬
「百行依ルトコロ孝ト忠、之(これ)ヲ取ツテ失フ無キハ果シテ英雄、英雄ハタトヘ吾曹(わがそう)ノ事ニアラズトスルモ、豈(あに)赤心ヲ抱イテ此ノ躬(み)ヲ願ハンヤ――」
と吟じ了(おわ)って斎藤が、附け加えて言う、
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。この詩は彼が先頃、養父近藤周斎の病を聞いて心痛のあまり、幾度か養父の病気を見舞わんがために東(あずま)へ下ることを願ったが聞き入れられない、今のところ、この京都のお膝元から、近藤に離れられたのでは代るものがない、たとえ親の病気といえども、朝幕に於て今の近藤を放せないというのは無理がない、よって近藤が悲しみを抑えて詠んだ詩がこれなんだ。いいか、もう一ぺん読むから、よく聞いて居給えよ」
 斎藤一は感慨に満ちた声で、右の近藤の詩を再吟した上、
「詩だって君、詩人の詩というわけにはいかないが、ちゃあんと一東(いっとう)の韻(いん)を踏んでいるし、行の字を転換すれば、平仄(ひょうそく)もほぼ合っているそうだ、無茶なことはしておらんそうだ。しかし、我々は詩を取るのではない、志を取るのだ、これの解釈をしてみると、人間百行のもとは忠と孝だ、忠と孝を離れて、行もなければ、道もない、真の英雄というものは、この道を取って失わざるものをいうのだ、そこで、転句に至って、わが身を謙遜して言うことには、我々は決して英雄でもなければ、英雄を気取るものでもないが、この赤心を抱いて、この躬(み)を尽そうと思う精神だけは英雄に譲らない、とこう言うのだ。立派な精神ではないか、立派な覚悟ではないか、近藤の鬼手(きしゅ)に泣かないものも、この詩には泣くよ、泣かざるを得ないよ。あの時に、この詩を示された時に、鬼のような隊中の荒武者がみんな泣いたぜ、おれも泣いたよ。彼のは嘘じゃないのだ、言葉を飾って、忠孝を衒(てら)うような男ではないのだ。その彼が、この詩を詠じた心胸には泣かざるを得ん――」
 斎藤一は、感情の高い男と見えて、その当時を回想すると共に、声を放って泣き出してしまいました。

         三十七

「世間は彼を誤解している、彼の如く精神の高爽にして、志気の明快な男を見たことがない、英雄たとえわが事にあらずとも、と言っているが、彼もまた一個の英雄だよ。時勢に逆行する頑冥者、血を見て飽くことを知らざる悪鬼の如く喧伝するやからは別だ、僕の見るところでは、彼ほど大義を知り、彼ほど人情を解し、しかしてまた彼ほど果敢の英雄的気魄を有している男はまず見ない」
 斎藤一は、声涙共に下って、近藤崇拝の讃美をやめることができない。彼は心から近藤を尊敬していると共に、世間の彼に対する誤解を憤り、その誤解を憤るよりは、彼の長所を没却して、それを誤解せしめんとする浮浪のやからを憤っている。そこで、余憤の迸(ほとばし)るところ、前に人を見ないように、意気が揚って来るのみである。
「養父の周斎には僕は会ったことはないが、勇(いさみ)のそれに対する孝心というものは、それは実に他の見る眼もいじらしいくらいで、事あれば必ず江戸に残した父に報ずる、立身したからと言っては父に、功名したからと言っては父に――それから、己(おの)れの仕給せらるる手当は割(さ)いて以て父に奉ずる。周斎老人は江戸に於ても、おれは勇が孝行によって、この通り何千石の旗本も及ばぬ楽隠居の身分に暮している、一にも二にも悴(せがれ)のおかげだと言って喜んでいるのが江戸では評判で、それを見聞きするほどのものが、ゆかしがらぬ者はないという。事実その通りなんだ、彼は親に孝たるべき所以(ゆえん)を知り、且つこれを稀有(けう)なる純情を以て実行している、況(いわ)んや朝廷を尊ぶべき大義を知り、為政者としての幕府を重んずべき所以を知っている、彼の手紙を読んで見給え、ドコを見ても尽忠報国の血に染(にじ)んでいないところはない。しかるに彼を、血も涙もない殺人鬼の如く取沙汰(とりざた)するやからは何者だ、たとえ反対側に立つの浪士共といえども、彼を知っている者である限り、彼の心情を諒とせざるはない、彼の刀剣を怖るることを知って、その心情を解するもののなきこそ、遺憾千万だ。見給え、彼は必ず成功するよ、新撰組の実権が一枚上席であった芹沢に帰せずして、近藤に帰したというのも、策ではない、徳だよ、おのずから人望が帰すべき道理あって帰したのだ、伊東甲子太郎の一派があれほどの後援をもちながら、近藤一派の手に殪(たお)されたのも、暴が正を制したとは言いきれない、近藤のために死ぬものと、伊東のために死ぬものとの、意気と意気との勝敗なのだ、意気と意気との戦いなのだ、意気が意気を圧倒したのだ、『人生意気ニ感ズ』というのが本当だな、人が一命を捧げて悔いない場合はただ意気あるのみだ、近藤勇は意気の男だ、彼は徹骨徹髄、意気を以てうずめている、名利それ何するところぞ!」
 斎藤一は極端なる近藤讃美から、腕を扼(やく)して悲歌慷慨の自家昂奮に堪えやらず、滔々(とうとう)としてまくし立てる。ここに至ると、眼に相手を見ざること対談者と変らない。
「忠と孝とは冷やかな名分だ、ここに意気に殉ずる血脈が加わればこそ、冷やかなる忠と孝との名分が生きて来る、意気のない忠が何だ、意気のない孝が何だ」
 彼は最初に涙を下した忠孝の名分のおごそかなるをも、ここに至って、冷やかなる一片の名分と見なして、意気の讃美論に転換してしまった。
「当代、意気に生きているものは近藤勇だ、彼は鬼ではない、男児の生命たる意気に生きている男だ、彼を鬼と見る奴は眼のない奴だ、天下は盲(めくら)千人の世の中だ、やあ失敬失敬、君に当てつけて言ったわけではないから、悪くとってくれるなよ」
と、ここに斎藤もわずかに余裕を得て、いささか弁解に落つるの変通を示すことができたのは、眼のない奴とか、盲千人とか言ったが、偶然にも、最初から、前にいて神妙な聞き役となって、自分が昂奮しても昂奮せず、悲憤しても悲憤せず、最初の通りに、唐金(からかね)の獅噛火鉢(しがみひばち)の縁に両肱(りょうひじ)を置いて、岩永左衛門が阿古屋の琴を聞いている時と同様の姿勢を崩さない当の談敵(はなしがたき)が、眼前に眼をなくしていることに、ふいと気がついたものだから失笑し、たあいなく釈明に落ちてしまったが、また猛然として気焔が盛り返して来て、
「それはまだいい方なのだ、一層下等な奴になると、彼が金銭のために働いている、利禄に目がくらんで盲動しとる――」
 またしても目前、盲動と言い、差合いが眼前にあることに今度は気がつかず、躍起となって、近藤のために多々益々(たたますます)弁ずるという次第であります。

         三十八

「なるほど、今日の近藤勇と、昨日の近藤勇とを比べて見ることしか知らぬやからは、彼が、さも過分の立身出世でもしたかの如く唇を翻す、将来もまた、彼がこの名聞利得(みょうもんりとく)の野心のために――殺人業を請負っているかの如く曲解したがる奴があるが、なるほど、彼は武州府中在の土民で、主人から禄をもらって養われたさむらいという階級の出身でないことは勿論、その表看板の剣術にしてからが、天然理心流の一派の家元といえば武芸流祖録には出ているが、柳生だの、心陰だの、一刀流だのと比べては比較にならぬ田舎剣術、いわばなんらの氏も素姓もないところから、飛入りで、今は徳川直轄の扱い、旗本のいいところ、今日では若年寄の待遇になって、諸侯と同じ威勢で京の天地に風を切っている。事実、京都に於ての彼の勢力は、かいなでの大名では歯が立たない、大諸侯といえども彼の勢力を憚(はばか)らずしては事がなせない。いずれは関東に於て、甲府百万石を賜わって国主になるなんぞと、もてはやすものもあるが、まんざらの誇張とも思われぬ。事実、彼が戦国時代に生れていたら、当然、一国一城の主になれる身だ、人殺しをするが天職、殺人業の元兇などとホザく奴の口の端(は)を裂いてやりたい、いずれ元亀天正以来の大名小名で、この殺人業をやらなかった奴が幾人ある、槍先の功名というやつが即ちそれなんだ、何をひとり近藤勇のみそれを責める」
 斎藤一の口吻は、近藤勇の崇拝にはじまり、讃美に進み、その弁妄(べんぼう)となり、釈明となり、ついには相手かまわずの八つ当りとなってしまいました。
 こうなって来ると、衾(ふすま)の上に就眠の体勢にこそついたが、眠れなんぞされるわけのものではない。いよいよ昂奮しきってしまって、斎藤は罵(ののし)るべきを罵って快なりとしている。
 だが、程経て、これは、ひとり気焔を揚げているべき場合ではない、話の最初は、自分の相手方になって、自分の昂奮を冷然として倦(う)まず引受けているその相手方に向って、近藤勇に会え、と簡単に勧誘を試みたことから出立しているのだと反省してみると、そこで昂奮がおのずから静まり、
「とにかく、そういうわけだから、君も食わず嫌いを避けて、一度近藤勇に会って見給え。君を近藤に会わせたからとて、一味に懐柔しようということではない、また懐柔されるような相手でもなし、懐柔したところで結局、こっちが厄介者――ただ、世間の奴等の誤解と、誤解を誤解として放任するのみか、その誤解説の伝播宣伝を目的とするやからが横行しているから、それが残念で、誰でもいいから、一人でも認識を新たにする奴が出て来れば、こっちの腹が癒(い)えるというものだ。どうだ、ひとつ会ってみないか」
 ここで、話は緒(いとぐち)に戻ったのである。すべては無頓着に受けていても、こういう単純明白な勧誘には、否とか、応とか、簡単でよろしいから挨拶を与うべき義務がある。ところが、会おうとも、会うまいとも答えないで、
「近藤は何を用いている、刀は何を好んで使っている」
 あらぬ方へ話頭を持ち出したが、それも全然つかぬことではないから、斎藤は不承不承に答えて言った、
「虎徹(こてつ)だよ――刀は虎徹に限ると言っている、近藤は虎徹が好きらしい、虎徹もまた近藤に好かれそうな刀だ」
「近藤の虎徹も古いものだが、あれは偽物(にせもの)だと言うじゃないか」
「偽物説――それも聞いたよ、江戸を立つ時に、ぜひ性のいい虎徹が欲しいと苦心した末に、ようやく手に入れたのだが、あれは偽物、あまり虎徹虎徹とせがまれるので、刀屋が偽銘の虎徹をこしらえて、近藤に売りつけた、それと知らず秘蔵名代の虎徹にしてしまった近藤の甘さ加減を、あとで刀屋が舌を出して笑ったという話は聞いているが、その噂(うわさ)の真偽のほどは知らない、いい刀はいい刀だ、拙者は確実に虎徹と信じている、よし虎徹でないまでも、近藤が虎徹と信じて買入れるほどの刀だ、まして、近藤自身の手にかけて、その切れ味を保証した刀だ、もし虎徹でないとすれば、虎徹以上の刀だと言ってよろしい。実際、虎徹もその人を得ざれば猫徹(ねこてつ)となり、猫徹も近藤に持たせれば虎徹(とらてつ)となる、猫めが――」
 近藤勇と虎猫があやになって、少しこんがらかって来る。ちょうどそこへ、庫裡(くり)の方から猫が一匹出て来たからです。寺院に猫はふさわしいようでふさわしくない、ふさわしからぬようでふさわしい、白猫が一匹出て来て、左見右見(とみこうみ)、天井の方を向いて前足をのしたかと思うと、竜之助の方へ向って、のそのそと歩いて来るのを見たから、それをカセに斎藤が、話の中へ猫を織り交ぜてみたのか、猫を織り交ぜる途端に猫が出現したのか、どちらも偶然にして因縁事がありそうに思われる。今いう通り、寺院に猫――寺院というものは葷肉(くんにく)を断つことを原則としているのだから、寺院の庫裡に養われる猫は営養が不良でなければなるまい。何を食って生きている。斎藤はこの偶然を奇なり奇なりと感じたらしく、
「貴様、猫か、猫ではあるまい、化け物だろう」
と言って、猿臂(えんぴ)をのばしてその猫をかいつかんで、己(おの)れが膝の上に掻(か)きのせたままで、
「近藤に虎徹は、猫に鰹節(かつぶし)のようなものだ」
 あんまり適切でもない苦しい譬喩(ひゆ)を口走っている時に、竜之助が、
「拙者も、刀が欲しい。拙者はあまり作に頓着しない方なんだが、やっぱりいい刀は持ちたいよ。それ以来、旅から旅で、腰のものにさえ定まる縁がないのだ。一本、何か周旋してくれないか、古刀には望みがない、新刀のめざましいところを一本、世話をしてくれないか」
と、人の勧誘はそっちのけにしてしまって、自分勝手の註文を持ち出したが、斎藤も好きな道と見えて、
「よろしい、何か一つ探してみよう。清麿(きよまろ)はどうだな、山浦の清麿――つまり四ツ谷正宗」
と、猫のうしなっこぞを持って宙につるしながら、こう言い出したところへ、遥かに次の間から、猫よりもっと不思議な生物(せいぶつ)が一つ現われました。

         三十九

「モシ、こちらのお座敷へ玉(たま)が参りませんでしたか」
「あ」
と斎藤がふるえ上って、思わず手にした猫を振り放してしまった。
「おお、玉や、玉や、ここにいたかい」
 入って来たものは、何とも言いようのないしなやかな美人でした。それが、寝まき姿のしどけない風(なり)をして、不意にこの場へ現われて呼びかけたのは、人でなくして獣(けもの)でありました。
 獣のうちの最も人に愛せらるる獣にして、且つ最も小なるもの、この獣を玉と言い、この美人の愛猫でありました。
 愛は怖ろしいものです。婦人として、他人には見せてならない寝巻の姿のまんまで、そうして進んではならない他人の室へ、女として無断に入り込んだのも愛すればこそです。人を愛するのではない、猫を愛すればこそでありました。
「あ、ここに来とりました、お持ち帰り下さい」
 血を見ては怖れない新撰組のつわものの一人で、さる者ありと知られたる斎藤一も、この深夜の美人の突然の来襲には、いたく肝を抜かれたと見えまして、さも自分が猫を盗み出してでも連れ来(きた)って、申しわけのないような口吻(くちぶり)であやまるのが笑止千万。
「まあ、何という失礼ななりで、ごめん遊ばしませ、玉や」
 猫におわびをしているのだか、人間におわびをしたのだかわからないほどに挨拶をして、足もとへ寄って来た猫を拾い上げると同時に、頬へ押当てて頬摺(ほおず)りをしながら、逃げるように出て行ってしまいました。それだけです。だが、それだけの出入りが、この部屋の空気を震動させたこと容易なるものではありません。震動ではない、ほとんど一変させてしまいました。
 今は近藤勇も、虎徹も、清麿も、いずれへか影をひそめてしまって、残るものは、今の女性が残して行った雰囲気の動揺だけであります。眼の見えない方は、さのみ動揺はしなかったのかも知れないが、眼の見える斎藤は、美人の夜襲に心身を悩乱せしめられたと見えて、
「あれだよ、君、一件の女は、ああ、見ようとする時には見られずに、意外の時に、正体を、あのしどけない姿は、お釈迦様でも拝めまい、ああ、千載の一遇だ」
と言って、とってもつかぬ長大息をしたので、相手の竜之助が、
「美(い)い女だったな」
と言いました。
「美い女――君にはどうして、いい女か、醜(わる)い女か、それがわかる、まあ、いいや、勘でわかるとして置いて、事実、女もああなると凄(すご)いね」
「まだ若いな」
「若いにも、まだ嫁入り前なんだ、しかも、たまらぬ由緒のある女なんだ、あれを今晩、この座敷で拝もうとは思わなかった――しかも、あのしどけない寝巻姿の艶なるを見給え、迷うよ、仏でも迷うのは無理がないなあ」
 斎藤一が、二たび、三たび浩歎して、続いて物語るよう、
「君、実際あの女は、仏を迷わした女なんだが、いいか、まあ、さしさわりのないその辺の京都名代の大寺の住職に毒水禅師というのがあったと思い給え、これは近代の名宗匠(めいしゅうしょう)で、会下(えげ)に掛錫(かしゃく)する幾万の雲衲(うんのう)を猫の子扱い、機鋒辛辣(しんらつ)にして行持(ぎょうじ)綿密、その門下には天下知名の豪傑が群がって来る、その大和尚がとうとう君、あの女にやられてしまったんだぜ」
「いったい何者なのだ、処女か、玄人(くろうと)か、商売人か――」
「何者でもない、単にその寺の門番の娘に過ぎないのだ。門番といっても、もとはしかるべきさむらいなんだそうだ。ところで、その毒水禅師というのが、修行者の間には悪辣なる大羅漢だが、一般の善男善女の前には生仏(いきぼとけ)と渇仰される生仏だから、仏の一種に相違あるまい、その仏を迷わせて地獄に堕(おと)したのが、今のあの手弱女(たおやめ)だ。と言えば、今の女が相当の妖婦ででもあって、手腕(てくだ)にかけて禅師を迷わしたものでもあるかに受取れるが、事実は、妖婦でも淫婦でもなんでもない、尋常の門番の、尋常の娘で、ただ、世間並みよりは容貌が美しかったというに止まる、それを七十を越した禅師が、ものにしてしまったのだ、どうした間違いか、七十を越した禅師がむりやりにその蕾(つぼみ)の花を落花狼藉とやらかしたんだ。それが問題になって、毒水禅師は、あの大寺から辺隅の寺へ隠居、これが出家でなかったら、また世間普通の生臭御前(なまぐさごぜん)であったなら、なんら問題になりはせんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、聖道(しょうどう)は畢竟(ひっきょう)魔行に勝てない、あの禅師が、あの歳でさえあれだから、世に清僧というものほど当てにならぬはない――世間の信仰をすっかり落した責めは大きい、人一人に止まらず、僧全体の責任、仏教そのものの信仰にまで動揺を与える、その責めに禅師が自覚して身を引いたのだ。隠居して謹慎謝罪の意を表した、その噂は一時、その方面にパッとひろがって、よけいなお節介は、その娘はどうした、行きどころがなければ、おれがその将来を見てもいいなんぞと、垢(あか)つきの希望者もうようよ出たそうだが、本人杳(よう)として行方知れず、そのうちふと、この院内に、それらしい女の隠れ姿を見たと言い触らした奴があったが、それもなんらつかまえどころのない蔭口――ところが、現在ただいま、この拙者というものが確実にその正体を掴(つか)んでしまった! 嗚呼(ああ)、これぞ由なきものを見てしまったわい! あんなのは見ない方がよかった! 春信(はるのぶ)の浮世絵から抜け出したその姿をよ、まさに時の不祥! 七里(しちり)けっぱい!」
 この男の一面は、意気だの情だのと言っては、溺れ易(やす)い感激性が多分に備えられていると見える。それが今晩、ことさらに昂奮と激情のみ打ちつづく晩だ。
 かくの如く、斎藤一が昂奮につぐに昂奮を以てするにかかわらず、机竜之助は冷洒(れいしゃ)につづく冷洒を以てして、いちいち、その言うところを受けている。
 つい近いところの知恩院の鐘が鳴りました。幾つの時を報じたのか、時の観念を喪失してしまっているこの二人にはわからないが、どのみち、もう夜明けに近かろう。夜が明けてはじめて寝に就くというようなことになりました。
 果してその翌日、机竜之助が目ざめたのは正午に近い時で、気がついて見ると、またしても斎藤一がいない。島原でも出し抜かれ、ここでもまた置去りを食ったことに苦笑いをしながら、竜之助は枕をもたげて、何をか思案しました。

         四十

 斎藤がいないことを知っただけで、竜之助はそのまま起き上ろうともせず、再び寝込んで眠りに取られてしまいました。それからまた眼が覚めた時は、もう暗くなっておりました。
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