大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

 前後不覚に酔いしれていると思うと、なんでも知っているらしい。知ってそうしてワザとこだわるのか、知らずして無心に発する囈語の連続、とにかく、イヤな相手である、振り切って退散するに如(し)かずと、村正氏は兵をまとめにかかると、爛酔の客は、すさまじい笑いを発しました。
「は、は、は、逃げるな、逃げるとは卑怯だよ、さだめし貴殿は、これがあるから、これが目ざわりで、子供たちを遠のける、こんなものは――」
と言って、今まで押えつけたように仰向けの姿勢を崩さなかったのが、急にその頸にしていた一方の手を引抜いて、枕頭の大小の下げ緒を引いたと見ると、それを無雑作(むぞうさ)に引寄せて、カラリと一方の方に投げ出してしまいました。
「子供と遊ぶに、こんなものは要らぬ、さあ、どちらへでもこれはお片づけ下さい、こうして席を広くして、子供を存分にこれで遊ばせて下さい」
「いや、その儀にも及び申さぬて」
 村正氏は、つかぬ事を言って、とにかく引上げが肝腎だと思うが、無気味なことには、動けないのであります。別段、そくいづけを食っているわけではなし、抱きすくめられているわけでもなし、衣の裾の一方を押えられているわけでもないのに、動こうとして動けない、立直ろうとして、いよいよ足がすくむ思いがする。
 というのは、こう、しゅうねくからんで来られる客の意志を、無下(むげ)に振り切ると必ず反動がある、相手が相手だけにその反動が、またどんな騒動を呼び起すまいものでもない。この手の客はトカクはなれていけず、ついていれば御意の召すまで引きつけられてしまう。簡単な相手のようでかえってうるさい――村正氏は、ようやく何かにからみつかれる思いをしました。
 だが、一方の爛酔の客は、ちっともその座を動くのではない。今の先、両刀を投げ出してみたばっかりで、忽(たちま)ちまた以前のように仰向けの不動の姿勢になり、その両掌をぼんの凹(くぼ)で組合わせていることはかわりません。
 この酔客は前に言う通り、酔って紅くなる酔客ではない、酔ってますます蒼(あお)くなる性質の飲み手であることはわかっているが、すべての応対のうち、一度も眼を開かないということが一つの不愉快だと思いました。いかに爛酔の客といえども、これだけに筋の立った発言ができるのである、いかに酔眼とは言いながら、これだけの物を言う間には、一眼ぐらいは、ちらとでも開いて、そうして、相手の方面を、たとえ上眼づかいになりとも見やって置いて、それから舌なめずりでもして物を言うのが、生態上しかくあるべきはずなのに、この人は、ちっとも眼を開かないで、こっちを見ないで、こっちを相手にしている。いわば眼中に置かぬあしらい方であることが不愉快だと、村正氏もその途端に相応にそれに悪感(おかん)を催したのです。
「では、少々御免を蒙(こうむ)って、お邪魔いたすとしようかな、皆の者も、ここでしばらく遊んで行きな」
 切上げようとして、かえって深間へ入り込んで来たのは通人に似合わぬ不覚でした。
 村正氏を先に立てて、一隊十余人の雛妓(こども)は、有無なくこの一間に進入して、そうして、これから遊ぼうという、全く遊びたくない気分で遊ばなければならない。
 雛妓たちは、舞をする手ぶり足ぶりで、一種無気味な気持と好奇とを持って、早くもこの一間の中に充ち満ちて来て、
「おじさん、これから何をして遊ぶの」

         二十六

 この一間へ招き入れたと見ると、爛酔(らんすい)の客は、急に身を引きずって、自分で自分の頭を持って引摺って行くかとばかり、ずっと壁際の方に身を寄せてしまいました。
 壁際に身を引きずると共に、仕掛物ででもあるように、さきに投げ出した大小も、同じようについて行ったのみならず、その頭の下に敷いていたらしい黒い頭巾(ずきん)と、藍(あい)の合羽様のものをも、共に引きずって、そうして壁際にピタリと身を置いたかと思うと、今度は横向きに頬杖をして、以前の身構えで、長くすんなりと身を横たえたままで、こちらを向いているのです。
 多分、気を利かして、席を広くしてやったつもりでもあり、同時に、席を広くしてやって、充分に相手を遊ばせ、自分は長身(ながみ)の見物と洒落(しゃれ)のめそうとしてみたかも知れないが、やっぱりキザなのは、それらの挙動の間、少しも眼を開かないのです。蒼白(あおじろ)い面(かお)にしてからが、爛酔の気分は充分だから、わざと生酔いの擬勢をして見せるのではなく、当人は昏々(こんこん)として夢かうつつかの境にいるらしいが、それにしても、眼をつぶったきりで、こちらを眼中に置かないのが、やっぱりキザであり、癪(しゃく)であると村正さんも、きわどい間に始終それを気にしておりました。
 さて、こうなってみると、遊ばざるを得ない。こうあしらわれてみると、イヤでもここで遊ばせざるを得ないことに立ちいたりましたが、そこは、村正どんも一種の通客だから、このまま遊ぶのは遊ばれるようなもので、見たところ、喧嘩の相手にはしたくない代物(しろもの)だが、遊びながらからかってやる分には、どうしようもあるまい、また、そうでもして、こいつを少しムセっぽい思いでもさせてやらないことには腹が癒(い)えない。村正どんも、そんなような仕返し気分がやや働いたものですから、舞子たちに集まれの令を下して、
「さあ、これから一遊び、みんな思いきって面白く遊ぶのだよ、それには、こうしていては遊べないから、みんなして寝ながら遊ぶのだ、女中さんに頼んで、ここへお蒲団(ふとん)を敷いておもらい」
「ここへ寝(やす)むの?」
「みんな一緒に?」
「ああ、雑魚寝(ざこね)よ」
「雑魚寝って?」
 このやからも雑魚寝を知らないはずはあるまい。だが、遊ぶことは好きだし、ひどい骨折りをせずに寝て遊ぶように教育される雛妓は、寝ることを怖れずに喜んでいるらしい。
 まもなく、仲居おちょぼ連の活躍がはじまり、幾枚かの夜具がこの座敷へ持込まれると、さきの爛酔の客のまわりだけを少々残して、ほとんどこの座敷いっぱいの面積に夜具が展開されました。
 そうすると村正どんが、仲居のねえはんを呼んで、
「大儀だが、肴(さかな)をこれへひとつ運んでもらいたい。肴といっても、飲み手はいないから、甘いものをおごってくれ、ようかん、餅菓子、今川焼、ぼったら焼、今坂、お薯(いも)、何でもよろしい、山の如く甘いものを買い集めて、これへ持参するように」
と言いつけました。
 この景物は、よほど一座の人気を呼んだらしい。さすがに手を出してガツガツはしないが、みんな面を見合わせて嬉しそうな色を見せる。
 それをみると、村正どんは寝巻に着替えもせずに、ごろりと夜具の真中に横になって、
「おじさんは男だから、身ぐるみこのままで寝るが、お前たちは襦袢(じゅばん)一枚になって、ここへおじさんを真中にして、仲よく枕を並べてお寝み――」
「はい、お寝みなさい」
「お寝みなさい」
 言われた通りに彼等は、きゃっきゃっと言いながら帯をとり、上着をとって、襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている。
 この連中は、ある程度までは客の言うなり次第になるべく仕込まれてもいるし、また、身の防衛本能から言っても、命から二代目の衣装飾りというものを犠牲にして、ゴロ寝をするようなぶしつけはない。
 割信夫(わりしのぶ)、針打(はりうち)、花簪(はなかんざし)の舞子はん十何人、厚板、金入り繻珍(しゅちん)の帯を外(はず)し、大振袖の友禅を脱いで、真赤な襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている光景は、立田の秋の錦と言おうか、吉野の花の筏(いかだ)と言おうか、見た目もあやに、高嶺(たかね)の花とは違ったながめがある。
 さすがに村正(むらまさ)どん、その風情(ふぜい)を興がって、眼を細くして、前の酔客の形を真似(まね)でもしたように仰向けになってながめ廻していたが、さて、どんなものだと、壁際へ避けた件(くだん)の酔客の姿を見ると、相変らず長身を延ばしたっきり、肱杖(ひじづえ)をついて、じっとこっちを見ているにはいるが、眼を開いていないこと前に同じ。
 やっぱり気取っていやがるな、眼をあいて見い、眼をあいて、この未開紅の花を前後左右に置き並べて、色気なしに眠ろうとする、おれの風流をちっと見習え――こうでも言ってやりたいくらいだが、眼のあかない奴には手がつけられない、とテレ加減のところへ、
「お待遠さま」
 そこへ、山の如く甘いもの、フカシたての薩摩芋、京焼、蒸羊羹(むしようかん)、七色菓子、きんつば、今川焼、ぼったら等々の数を尽して持込まれる。
 それから暫く、眼を見合わせて遠慮をしている時間を除いて、やがて、甘いものに蟻がつき出すと、みるみる餅菓子の堤がくずれて、お薩の川が流れ、無性(むしょう)によろこび頬ばる色消しは、色気より食い気ざかりで是非もないことです。

         二十七

 食い気の半ばに村正どんは、次のような話をしました。
「昔々、京の三条の提灯屋(ちょうちんや)へ提灯を買いに行きましたとさ、提灯を一張買って壱両小判を出しましたが、番頭さんがおつりをくれません、もしもし番頭さん、おつりはどうしたと言えば、番頭さんが言うことには、提灯に釣がねえ」
 だが、この落ちは、舞子たちにあんまり受けませんでした。というのは、かんじんの、釣がねえのねえは、江戸方面の訛(なま)りで、関西では同様の格に用いない。
 そこで、まず御座つきは終った、それからあとが大変なのです。
 十余人の舞子部隊に命令一下すると、「くすぐり合い」の乱闘がはじまったのは――
 甲は乙、乙は甲の、丙は丁の、咽喉の下、脇の下、こめかみ、足のひら、全身のドコと嫌わずくすぐって、くすぐって、くすぐり立てる。甲からくすぐられた乙は、甲へやり返すと共に、丙の襲撃に備えなければならぬ。丙は乙に当ると共に、丁戊(ていぼ)の側面攻撃を防禦しなければならぬ。己(き)と戊(ぼ)とが張り合っている横合いから丁が差手をする。そう当ると庚(こう)と辛(しん)とが、間道づたいに奇襲を試みる。甲と丙とは、自分の身をすくめながら両面攻撃をやり出すと、丁と己とは、その後部背面を衝こうとする――いや、十余人が入り乱れて、くすぐり立て、くすぐり立て、その度毎に上げる喊声(かんせい)、叫撃、笑撃、怨撃は容易なものではない。千匹猿を啀(か)み合わせたように、キャッキャッと、目も当てられぬ乱軍であります。
 御大将の村正どん、無論、総勢を引受けて、ひるまず応戦すると共に、折々奇兵を放って、道具外れの意外の進撃をするものですから、そのたびに抗議が出たり、復讐戦が行われたり、その揚句は計らずも聯合軍の結成を誘致してしまいました。唯一の大人、大人のくせに卑怯な振舞をする、乱軍の虚を狙(ねら)っては道具外れ、くすぐるべき急所でないところをくすぐるのは国際法に反している、こんな卑怯な大人からやっつけなければ、正しい戦争はできない、そういう不平が勃発して、そこで、同志討ちの戦闘が一時中止されて、聯合軍の成立を見ました。
「やっつけちゃいなさいよ」
「こんな卑怯な村正て、ありゃしない」
「油断してるところをね」
「ばかにしてるわよ」
「大人から、やっつけちゃいなさいよ」
「村正を切っちゃいなさいよ」
「打っておやりよ、くすぐるだけじゃ仕置にならないわ」
「癖が悪いわ」
「抓(つね)っておやりよ」
「こいつめ、こいつめ」
「村正のなまくらめ」
「のしちゃいなさいよ」
 聯合軍が同盟して、激烈な包囲攻撃やら、爆弾投下まではじめたものですから、たまり兼ねた村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
 白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
 そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」
「では捕虜なのよ、捕虜はここで、これを持って、おとなしく見ていらっしゃい」
と言って、一人が有合わした雪洞(ぼんぼり)を取って、長柄の銚子を持たせるように、しかと両の手にあてがったのは、捕虜としての当座の手錠の意味でしょう。
 無惨にも捕虜の待遇を受けた村正どん、命ぜられるままに、柄香炉(えこうろ)を持つような恰好(かっこう)をして、神妙に坐り込んでいると、そこで、聯合軍がまた解けて、同志討ちの大乱闘をつづけてしまいました。
 その騒々しさ、以前に輪をかけたように猛烈なものになって、子供とは思われない悪戯(いたずら)の発展。
 この騒動で、すっかり忘れられていたさいぜんの蒼白(あおじろ)い爛酔の客。
 騒がしいとも言わず、面白いとも言わず、静まり返って、以前のままの姿勢。長々と壁によって、肱枕(ひじまくら)で、こちらへ向いてはいるが、相変らずちっとも眼を開いて見ようとしない。
 この、いよいよ嵩(こう)じ行く乱闘の半ばで、不意に燈火が消えました。雪洞(ぼんぼり)から丸行燈にうつした唯一の明りがパッと消えると、乱闘が一時に止まる。
「わーっ」
という一種異様な合唱があって、
「あら、怖(こわ)いわ、早く燈(あかり)をつけてよう」
「怖いわ」
「あら、村正の奴、いたずらをしたんだわ」
「卑怯な奴、暗いもんだから」
「あら、村正が逃げるわよ」
「逃げ出したわよ」
「逃がすものか」
「捕虜の奴、逃がすものか」
 暗に乗じて、捕虜が逃走を企てたことは確実で、それを気取(けど)った一同は、同じく暗の中を手さぐりで、捕虜を追いかけると同時に、この室を退散。
 そうして、最初に計画を立てた明るい広間の中に乱軍が引上げて見ると、村正どんは、もうすました面(かお)で床柱にもたれて、長煙管(ながぎせる)でヤニさがっている。

         二十八

 燈(あかり)の不意に消えたことは、乱軍の休戦ラッパとなり、同時にまた、あの強(こわ)もてのような、変な空気ではじめた余興の見事な引上げぶりに終りました。
 いい汐合(しおあ)いに引上げたものだ、まさに甲賀流の極意! 村正どんは床の間へ帰って、長煙管でヤニさがって、それから腮(あご)を撫でていると、あとからあとからと、創痍満身(そういまんしん)の姿で聯合軍が引上げて来る。そのあとから仲どんが、衣裳と帯とを揃えて持って来る。
 みんな疲れ果てて、もう愚痴も我慢も出ない。せいせいと息をきって、眼を見合わせて、息をついているばかりだが、それでも皆、昂奮しきって、愉快な色が面に現われている。
 村正どんもまた、花合戦よりも蕾合戦(つぼみがっせん)のことだと内心得意がって、この清興(?)を我ながら風流事(こと)極(きわ)まれりと納まっている。子供を相手に、こういう無邪気(?)な色気抜きの遊びに限る、こういう遊びぶりこそは、色も恋も卒業した通の通でなければやれない、という面つきをして得意満々の体に見えたが、しかし、もう時刻もだいぶおそい、この辺で、この清興に疲れた可憐の子供たちを解放して、塒(ねぐら)につかせてやるのが、また通人の情け、無邪気というものも程度を知ることが、また通人の通人たる所以(ゆえん)でなければならないという面をして、
「どうだ、面白かったか」
「ほんとに面白かったわ」
「ずいぶん面白かったわ」
「でも、わたし苦しかったわ」
「負傷者は出なかったね、怪我をした者がないのが何より。さあ、この辺で、みんな引取って家へ帰って、お母さんのお乳を飲んでお寝み――」
 そこで、みんな衣裳髪かたちを一通り整えて、本当の安息の時間へ急ごうとして、なお余勇がべちべちゃと、あれよあれよと取噪(とりさわ)いでいるうちに、なんとなく物足りない気がしたと見えて、その中の誰言うとなく、
「朝ちゃんは――」
「朝霧さんがいないわ」
「おや」
「お手水(ちょうず)じゃないの?」
「さっきから見えないわ」
「どうしたんでしょう」
「朝霧さん」
「朝子ちゃん」
 一人が言い出すと、みんなが言い合わせたように呼びかけたが、その求める人の返事がない。村正どんも、さすがにそれが気にかかって、
「一人でも討死をさしては、大将の面目が立たない」
 そこで改めて簡閲点呼を試みたが、真実、その朝ちゃんだけがいないのです。呼んでも返事がないのです。
 はっ! と何かに打たれたように、村正氏は慌(あわただ)しく、以前のぼんぼりに火を入れさせて、わざと騒がぬ体にして、
「おじさんが探して来るから、みんな安心して待っておいで」
 一人で、その雪洞を持って、また廊下を引返して来たのは、今の乱闘の現場――御簾(みす)の間(ま)――そこへ、二の足をしながら、雪洞をさし入れて見ると、座敷いっぱいに敷きのべた古戦場のあとはそのまま。はっ! と再び動顛してまず眼についたは、かの壁の一隅、まだ人はいる。以前の長身白顔の爛酔客が、あちら向きになってうめいている。しかも、その壁に押しつけられたところは、大蛇(おろち)が兎を捕えたように、可憐の獲物を抱きすくめて、放すまじと、それにわだかまっている。獲物は、声も揚げない、叫びも立てない、死んだもののようになっている。死んでいるのかも知れない。大蛇は静かに蠕動(ぜんどう)して、そうして確かに生きている。
 はっ! と、村正氏はついに雪洞を取落してしまいました。
 四方はまたまっくらやみ。

         二十九

 その日、大びけ過ぎといった時刻の暁方、追い立てられるように、島原の大門を出た、たった一人の客がありました。
 追い立てられるというのは、ホンの形容で、事実、誰も追う人はなし、追わるるような弱味の体勢にはなっていないが、時が時であって、四方が四方でしたから、引窓の中から抜け出して、朝霧の中へ消えて行くような感じで大門を出たが、足どりは寛(ゆる)やかで、時々町筋に留まっては、前後を思案するような気配がある。黒い頭巾をかぶって、着ていたのが合羽(かっぱ)ではない、被布(ひふ)であるらしい。下着は白地で、大小を落し目に差しこんでいるが、伊達の落し差しではない。スワ! と言わないまでも、いつ何時でも鞘走(さやばし)るような体勢で、それでもって、はなはだ落着いて、静かに地上を漂うが如く忍んで行く。
 ははあ、これだな、先刻、御簾の間の、闇にひとりぽっちの爛酔(らんすい)の客、しきりに囈語(うわごと)を吐いて後に、小兎一匹を虜(とりこ)にしてとぐろを巻いて蠕動(ぜんどう)していた客。
 中堂寺の町筋へ来ると、その晩は残(のこ)んの月が鮮かでありました。が、天地は屋の棟が下るほどの熟睡の境から、まだ覚めきってはいない。一貫町から松原通りへ出るあたりの町角に、またちょっと立ちどまって、仔細らしく思案の頭をひねっている時、後ろからこっそりと忍び寄った、別にまた一つの物影がありました。
「へえ――お淋(さび)しくっていらっしゃいましょう」
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
 前なる人から誰何(すいか)されたので、後ろなる忍び足が直ちに答えました。
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、角屋(すみや)さんの方から、たった今、これこれのお客様がお帰りになるから、おそそうのないようにお宿もとまでお送り申せと、こう言いつけられたものでござんすから、それで、おあとを慕って……」
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「廓(くるわ)からついて来たのか」
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
 ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
 見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の股引(ももひき)腹がけで、麻裏草履をはいて片膝を端折(はしょ)っている。抜け目がない体勢ではある。
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
 少々仰山な驚きかたをして見せたが、それ以上、火花も散らず、ともかくも、形は送りつ送られつの形で、道はようやく木津屋橋まで差しかかった時分、
「いったい、お宿もとはどちら様でござんしたかなあ――どちら様へお越し?」
 送り狼もどきの頬かむりが、改めてここでお宿もと、お宿もととつきとめにかかるのが、うさんで、しつこく、からむようにも聞きなされるが、前のはいっこう平気で、
「こちらの宿もとをたずねるより、お前の方で名乗るがいい、何のなにがしと名乗ってみろ」
「何のなにがしと名乗るような、気の利いた奴(やっこ)ではございませんが、轟(とどろき)の源松と申しまして、東路(あずまじ)から渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」
 轟の源松、聞いたような名だ。おお、それそれ、御老中差廻しの手利きだと言った、長浜の町で、宇治山田の米友を捕り上げた男。あれが、やがて、農奴として曝(さら)しにかかって、草津の追分につながれた時分、往来の道俗の中から、がんりきの百を見出して、こいつ怪しいと捉まえにかかったが、それは片腕のないためと、両足の有り過ぎるために、おぞくも取逃した、あの有名な捕方の名に相違ない。有名といったからとて、この冊子に於ての相当の有名だけであって、ここで、フリの客に、轟の源松と名乗りかけたからとても、誰でもそれと知っている名前ではない。
「ナニ、目明しの文吉――というのがお前の名か」
と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、
「いいえ、目あかしの文吉じゃございません、轟の源松と申しまして、渡り者のケチな野郎でございます」
「ははあ、轟の源松」
 その名を繰返しながら、二人は見た目には主従の形で、すれつもつれつ前へと歩みます。

         三十

 轟の源松なるものは、手の利(き)いた岡っ引である。江州長浜の夜で、宇治山田の米友を相手に、あれほどの活劇を見せたが、本来、この辺の地廻りではない。特に天下の老中差廻しで、お膝元の大江戸から派遣せられたものであってみれば、草津や長浜の町が、その腕の見せ場ではないはず。米友やがんりきだけが当の相手ではあるまい。あれらは、ほんの道中の道草の小手調べ。されば、あれから農奴が膳所藩(ぜぜはん)の曝し場から、なんらかの手によって奪われて行方不明になったにしてからが、また、その曝しの現場を見て、挙動不審で拘引を試みようと思った旅のやくざ者を、上手の手から洩(も)らして、ちょっと歯噛みをさせられたにしてからが、その執念のために、京都から進入して、もっぱらこれが追跡に当るほどのことは想像されない。
 何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
 この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、捕縄(とりなわ)に物を言わせる凄味(すごみ)の相手であることは、つい今頃、送られる身になって、ぴーんと来ていない限りはないのだが、草津の駅でがんりきを咎(とが)めたように、頭ごなしに咎められない。がんりきを引捕ろうとするような、待ったなしの出足では近寄れない、相手が違う、ということは、近寄る方でも、最初からその勘にあることです。ですから、この芝居は、最初から双方の腹が読めきってやっている芝居で、自然、その渡りゼリフも、双方ともに一物あっての受け渡しなのですから、両方ともに相当の凄味が、底を割ってしまっていて、表面だけはしらばっくれた外交辞令になっている、というのだけのものだから、見ていても存外白ける。これが七兵衛あたりの役者になると、同じ狸同士でも、そこにはまた相当のコクもあろうというものだが、最初から芝居がかりがお客に見えたのでは、芝居にならない。素(もと)と素とがカチ合っているようなものです。そこで、おたがいが兼合いながらの問答であります。
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
 またしても、お宿もと、お宿もと、そう露出(むきだし)に鎌を振り廻さなくとも、身分素姓が知りたいならば、もう少し婉曲(えんきょく)な言い廻しもあろうものを、いったい、最初からセリフが無器用だ。そうそう繰返して、詮索めかして出られると、憤(おこ)らない相手をも憤らせてしまうではないか。ところが今日の相手は存外淡泊で、
「そのお宿もとがないのだよ――実はな、拙者も久しぶりで京の地へ足を入れた最初の晩がこれなんだ。そうさなあ、もう何年の昔になるかなあ、たった一晩、島原で遊んだ風味が忘れられないで、京へ着くと第一の夜が、それあの里さ。尤(もっと)も、おれが好んで第一にあの里へ足を入れたというわけではない、途中、要らざる出しゃばり者が出て来て、おれをあの里へつれ込んだ、下地は好きなり御意はよし、というところかも知れない。その出しゃばり者とは、まず旧友といったようなところかな、そいつが二人も出て来て、そぞろ心のついている拙者を、あの里へ引張り込んだはいいが、おれを真暗な行燈部屋(あんどんべや)、ではない、御簾(みす)の間(ま)といって、相当時代のついた別座敷へ、おれを抛(ほう)り込んで置いたまま、その二人の奴が容易に戻って来ない、いやに旧友ぶりをして見せはしたが、実は薄情極まるものだ。だがまた、一概に薄情呼ばわりもきつい、あいつらも皆、今日あって明日の知れない命を持っている奴等だから、おれをあそこへ案内して置いて、久しぶりで大いに遊ばせようと思って、外へ所用を済ませに出たのが、万一、その途中、不慮のことでも起って……まあ、そんなことを思いやって、ひとり真暗な御簾の間にくすぶっていたが、宵(よい)が過ぎると、この通りの追払われもの、振られて帰るという里の合言葉があるそうだが、追われて帰るんだ。だが、追われるはいいが、その帰り先がわからん、心細い次第のものだ」
 さらさらと、少しかすれた声で淀(よど)みなく言ってのけて、自ら嘲るようにも聞えたから、轟の源松が、
「いえ、どう致しまして、追い立てるなんて、そんな失礼なことを致す里の習いではございません、おそそうがあってはいけないから、お宿もとまで確(しか)とお送り申し上げろと、わざわざわっしを、あとからせき立てて、よこしましたくらいなんですから」
「いずれにしても御苦労な話だが、御苦労ついでに、その拙者のお宿もとというやつをひとつ心配してくれないか、わしは今晩ドコへ行って宿(とま)ったらいいか」
「御冗談じゃございません、おれの行くところはどこだと交番でお聞きになるは、篠山(ささやま)の杢兵衛(もくべえ)さんに限ったものです、あなた様などの御身分で、めっそうもない」
「何はともあれ、島原は源平藤橘を嫌わないところだ、金さえあれば、王侯も、乞食も、同じ扱いをする里で、追い払われた身は行くところがないじゃないか――お前、親切で送ってくれるのだから、親切ついでに、わしを送り込む宿所まで見つけてくれるのが、本当の親切だ」
「恐れ入りました、左様の御冗談をおっしゃらずに、どうか、お行先をおっしゃっていただきます、暁方とは申せ、まだ先が長うございます、どれ、この辺でひとつ提灯(ちょうちん)に火を入れさせていただきまして」
 轟の源松は、腰に下げていた小田原提灯を取り出して、燧(ひうち)をカチカチと切って、それに火を入れたのは、とある橋の袂(たもと)でありました。

         三十一

「ここは三条大橋でございます、この辺で、お宿許を教えていただかないことには、あとは東海道筋百二十二里……あ、提灯の蝋燭(ろうそく)も寿命が尽きたかい」
 せっかく火を入れた小田原提灯が、もう少し前から消滅してしまっている。送ってくれと頼んだわけでも、頼まれたわけでもないから、不平を言うべき筋はあり得ないのだが、京の町を、てんから無目的で際限なく引張り廻された日にはやりきれない。それを、相手方はむしろ気の毒とでも思ったか、素直に受入れて、
「では、芹沢(せりざわ)がところまで送ってもらおうか」
「芹沢様とおっしゃいますのは」
「芹沢鴨、いま名うての新撰組では隊長だ」
「ああ、その芹沢先生ならば……」
 轟の源松は、仰山らしく声を上げて、
「芹沢先生は、お気の毒なことに殺されました」
「殺(や)られたか」
「ええ、まことにお気の毒なことで、あの剛勇無双な先生でも、災難というものは致し方がございません」
「いったい、芹沢は誰に殺(や)られたのだ」
「それがその――隊の方の評判によりますると、長州の者だろうとのことでございますが、なあに、そうではございません。では何者だとお聞きになると困りますが、薩摩でも、長州でもございません、ちゃあんと犯人はわかっているのでございますが、申し上げられません」
「お梅はどうした」
「ああ、あの女は――美(い)い女でございましたが、芹沢先生と一緒に殺されましたよ」
「人の女房を奪ったのだそうだな」
「女房ではございませんそうで、菱屋太兵衛のお妾(めかけ)だそうです、太兵衛に代って掛金の催促に来たのを芹沢先生が、いやおういわさず、ものにされてしまったというが本当らしいのでございます――芹沢先生と、あの美い女と、二人寝ているところをやられました、その場の有様というものは、いやもう、目も当てられぬ無惨なものでございまして」
 彼は、自分が親しく見たわけではあるまいが、人伝(ひとづて)にしても、手に取るようにその現場の状況を聞いて知っているらしい。そこで、所望によっては、そのくわしい物語をも演じ兼ねない様子に見えたが、聞き手はそういうことに深い興味を持たない人らしく、或いはそんなことは疾(と)うの昔に知っているかの如く、
「では、やむを得ない」
 その芹沢に厄介になろうという希望も撤回せざるを得ないと、あきらめるより仕方がない。さりとて、それに代るべき候補宿を提案する心当りもないらしい。そこで、今度は轟の源松の方から、鎌をかけて、
「では、近藤先生のお宅はいかがで、木津屋橋の近藤先生のお仮宅(かりたく)ならば、わたしがくわしく存じております」
「近藤は虫が好かん」
と覆面が言いました。
「では」
 轟の源松が、いいかげんテレきった表情を見て、長身の人が、ついに決然と最後の決答を与えました、
「高台寺の月心院へ届けてくれ」
「高台寺の月心院、心得ました」
 ここで、無目的の目的が出来た。指して行くあたりの壺がすっかりついたのだから、源松も勇みをなして、再び提灯に火を入れようとする途端に、何か物の気に感得してしまいました。
 こういうやからは、道によって敏感である。まして送り狼の役をつとめてみると、送る方も、送られる方も、あやまてば食われるのだから、寸分も神経の休養が許されない。
 轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと見込みました。
 前に言う通り、残(のこ)んの月夜のことですから、川霧の立てこむる鴨川の河原が絵のように見えます。その河原の中を走る二筋のせせらぎを、今、徒渉(かちわた)りしている物影を、この橋の上から認めたからであります。

         三十二

 橋の上からは、物の二町とは隔らない川下を、かち渡りしている二つの人影は、ここから見当をつけても、そう危険性なものではないらしい。
 本来、この時分に、天下の公橋を渡るさえ二の足が踏まれるのに、河原の真中を横に歩くようなやからが、尋常のやからでないことはわかっている。だが、轟の源松の物に慣れた眼で見て取ったところでは、特に危険性のないものであることは、一眼で明らかになりました。危険性というのは、つまり人命に関することで、最近、この辺のところは、足利三代の木像首をはじめとして、幾多人間の生首や、片腕や、生きざらしなどの行われた地点であるから、かりそめの人影の動揺にも、油断のならないのが当然でありますが、それとこれとは別、ただいまあなたにうごめく人影は、左様な危険性を帯びないものであることを、轟の源松が認めたのです。
 それは、どこにもあるお菰(こも)さんであります。乞食種族に属する者であることが月明で見てよくわかります。つまり、乞食の川渡りなのですから、一度は耳と目を拡張して見ましたけれど、その点を見届けて安心したというものです。
 乞食というものは天下の遊民であって、天下大いに治まる時は、三日でもって人生の味を嘗(な)めつくしてしまって、天下が麻の如く乱れようとも、現状以下に落つるの憂いのない代物(しろもの)である。持てる者がみな狼狽焦心する時に、乞食種族だけは、悠々自適の生活を転移する必要を認めない現状維持派であります。今、日本の天下は、王政の古(いにし)えにかえるか、徳川の幕府につながるかという瀬戸際に於て、王城の地はその鼎沸(ていふつ)の中心に置かれても、乞食となってみると、一向その冷熱には感覚がないのです。かくてこの無感覚種族は、いかなる乱世にも存在の余地を保留していると見えて、今の京都の天地にも、相応に棲息し、横行倒行している。今晩も、ここで、物騒な京都の夜を、平々かんかんとして川渡りを試みらるる自由は、またこのやからの有する特権でなければならぬ。住所なきところが即ち住所である。河西の水草に見切りをつけたから、明日は河東の水草に稼(かせ)ごうとして、その勤務先の異動を企てているまでです。前の方は少し背が高い。前の背の高いののわかるのは、後ろのが、それよりやや劣るからである。といっても、前後の比例が桁外(けたはず)れなること、道庵先生と米友公の如きではなく、先なるは人並よりやや優れた体格であって、後ろのは世間並みという程度のものだ。
 しばらくその菰かぶりの川渡りを遠目にながめていた轟の源松は、自然提灯に火を入れる手の方がお留守になる。
「あ、旦那、済みませんが、少しの間、ここに待って、ここに待っていていただくわけには参りますまいか――ちょっと見届けて参るものがございます」
と言って、送りの客を顧みましたが、この時、提灯は抛り出してしまって、懐ろへ手を差し入れたのは、火打道具を取り出さんがためではありません――一張の捕縄(とりなわ)です。
 その時の源松の気勢は、変っておりました。職務の遂行のためには死をだも辞せずという、一種の張りきった気合が充ち満ちたかと見ると、件(くだん)の長身覆面の客から物の三間ばかり離れて、橋板の上へ飛びのいて、足踏み締めて、身を沈めて、捕縄の一端を口に銜(くわ)えて、見得(みえ)をきってしごいたのは、かの長浜の一夜で、米友に向って施したのとまさに同じ仕草です。
 だが、今晩のは、捕手の中心がよく定まらないようです。ここで、自分の送り狼を捕ろうとするのか、或いはまた、一旦は天下御免の遊民と見て安心した下流の川渡りに、再吟味するまでもなく、なんらかの不安を感じたために、それを捕りに行くための身構えか、二つの目標が同時に現われたものですから、源松の着眼が乱視的で、これだけの仕草ではよくわからないのです。
 だが、送られて来た覆面の遊客は、こころもち移動して、橋の欄干を背後にしたことによって、この気合を感得したものらしい。ただ、それだけで、柄に手をかけるのでもなく、刀を抜こうでもないが、その身そのままが構えになっている。
 源松に於ては、依然として三間ばかりを遠のいた地点にいて、あえてそれより遊客に近づいては来ないのです。源松の眼を見ると、二つの眼を、二つに使い分けをしていることがわかる。すなわち一つはこの橋上の送り狼に、もう一つは川下をわたる二人の乞食に、双方に眼を配って、一本の捕縄をしごいて、空しく立っているらしい。
 それはそのはずで、優れた猟師といえども、方向の違った二つの兎を同時に追うことはできない。まして、相手は兎ではなくて狼である。
 このきわどい場合にも、さすがに源松は打算をしました。そこで、がらりと気分を崩して、あわただしく、いったん取り上げた捕縄を再び懐中にねじ込んでしまって、
「いや、どうも、川下に変な奴が川を渡っておりまするでな、ひとつ様子を見届けて参りたいと存じますが、その間、相済みませんが、ここで暫くお待ちを願いたいのでございます、なあに、直ぐ戻って参ります、どうか、暫くの間、ここのところで」
 妥協を申し入れるような口ぶりで、急に折れて来たのは、つまり、ヒットラーではないが、同時に二つの敵を相手にすることは、戦略から言っても、外交から見ても、策の得たるものでないことがわかるから、そこで、前門の狼とは暫く妥協を試みて置いて、下流の乞食から退治にかかろうとする魂胆であるらしい。
 そう言いっぱなしにして、相手の返答は聞かず、早くも橋の袂(たもと)をめぐって、河原をひた走りに走りました。もちろん、めざすところの目的は、月夜のお菰(こも)の川渡りであります。彼等の二個のお菰は、斯様(かよう)な鼻利きのすばらしい猟犬に嗅ぎつけられた運命のほどを知るや知らずや、悠々閑々として、月夜に布袋(ほてい)の川渡りを試みて、誰はばかろうとはしていない。いい度胸です。でなければのほほんの無神経です。
 且つまた、橋の上に取残された狼にしてからが、頼みも頼まれもしない藪(やぶ)から棒の送り狼に、待っていてくれと注文されて、その注文どおり、馬鹿な面をして待っていてやる義務もあるまいではないか。

         三十三

 一方、視野を転換して、のんきな月夜の川渡りの二人のお菰さんの身の上に及ぶ。
 二人とも、いい図体をした屈強の男ざかりでありながら、ドコぞ箍(たが)がゆるんでいればこそ、今日こうして菰をまとっている。
「いい心持だなあ、月夜の川渡り」
「ほんとにいい心持だよう、月夜の布袋(ほてい)の川渡り」
「月夜に釜を抜かれるということがあるが、その解釈を知っているか」
「知らん――いろはガルタには、わかったようでわからんのが幾つもある、我々いい年をしながら、いろはさえ充分にはわかっとらん」
「況(いわ)んや天下国家のことや」
「なんにしても、月夜の布袋の川渡りはいい」
 しきりにこの二人が布袋の川渡り、布袋の川渡りということを口にしているのは、自分たちが菰を被(かぶ)っている頭の上に、身上道具の一切合財(いっさいがっさい)をいただいているからであろうとは思われる。身上道具の一切合財といっても、鍋釜で尽きているらしい。鍋釜を所有していれば、中に入れるものは、今日は今日、明日は明日で、絶対他力まかせになっているところに彼等の身上がある。そこで、月夜に釜を抜かれるという「いろはガルタ」が不意に飛び出したのも、つまり、頭上にいただく鍋釜から起った聯想らしい。
「乞食を三日すれば忘れられん――というが、まさに正真の体験だ」
「そうだ、この趣味がわかると全く、人間並み生活などはばからしくて出来るものではない、ただ人間並みを廃業して、ここまで来る試験地獄がつらい、ここへ来てしまえば、何という清浄にして広大なる天地だろう」
「まあ、あんまり惜しいから、そう川渡り急ぐなよ、ゆっくり月をながめながら川を渡ろうではないか、この良夜をいかんせんというところだ」
「月は天にあり、水は川にあり、いい心持だ」
 名は高いけれども、鴨川は大河ではない。ちょろちょろ水を渡る程度の川渡りも、今晩は無下(むげ)に渡りきるのが惜しくてたまらないらしい。そこで、中流というとすばらしいが、飛べば一ハネの川の真中で、わざと二人は歩みを止めてしまい、空の大月を打仰いで、
「清風明月一銭の買うを須(もち)いず――と、たぶん李白の詩にあったけな、一銭のお手の中を頂くにも、人間となると浅ましい思いをするが、この良夜を無代価に恵与する天然の贅沢(ぜいたく)はすばらしいものだ」
「その天然の贅沢を、無条件で受入れ得る我々の贅沢さは、また格別だなあ、事実、乞食にならんと、本当の贅沢はできんものだなあ」
「そうよ、うんと欲張って我が物にしたければ、袋を空にして置くに限るよ、物があると誰も入れてくれねえ、天下将相になって見給え、志士仁人になって見給え、夜の目もロクロク眠れずに、やれ国のためだ、人のためだと血眼(ちまなこ)になっている、この天与の恩恵豊かなる清風明月が来(きた)りめぐっても、火の車を見るようにしか受取れない奴等こそ憫(あわ)れむべきものだ」
「大燈とか、大応とかいう坊主が、そこらの橋の下に穴を掘って、そこを宿として園林堂閣へ帰りたがらなかったというが、それはわれとスネたんではないな、そういう生活がむしろ自然なんだから、彼等はそれを貪(むさぼ)り好んで生きている、世間の馬鹿共が見ると、それが、大徳の、達観のと渇仰(かつごう)する、見方が違っているんだ」
「そうだ、トモカク坊主でも大物になると横着千万なものでな、自分は楽をしていながら、世間からは難行苦行の大徳であり、人生の享楽を抛棄(ほうき)した悟道人のように見えるが、ありゃみんな道楽だね」
「まず、そんなもんじゃ、乞食の六という奴の詩に有名なのがある」
「そうだそうだ、畸人伝かなにかにあったっけ、あれだけの詩を作れるくせに乞食している横着者、まさに三十棒に価する、その詩を一つ……」
 一人が、そこで、詩を吟じ出してしまいました。
一鉢千家飯
孤身幾度秋
不空又不色
無楽還無憂
日暖堤頭草
風涼橋下流
人若問此六
明月浮水中
 これを、高らかに和吟して、「一鉢千家の飯(いひ)、孤身幾度の秋、空(くう)ならず又色(しき)ならず、無楽還(また)無憂、日は暖かなり堤頭の草、風は涼し橋下の流、人若(も)しこの六を問はば、明月水中に浮ぶ」と吟じ了(おわ)ってから、この六なるものの事蹟に就いて語り合いました。
 これは昔、この川の岸に一人の乞食の行斃(ゆきだお)れがあったから、それを水葬してやろうと、ある坊さんが抱き起して見たら、乞食の懐ろの中に、この詩が書いて入れてあったということ。
 なるほど、遠目で見たのでは、単なる求食人種の移動に過ぎないが、ここでこの話しぶりを聞いていると、以ての外。こいつらも世を欺く横着もの、大応大徳のそれに匹敵すべきか、乞食の六や桃水尊者(とうすいそんじゃ)と比ぶべきや否やは知らないが、トニカク、乞食を生きるものでなくて、少なくとも乞食を楽しむことを解している。それもどうやら、今日昨日の附焼刃らしいが、それでも楽しむことを知ることに於て、一応筋は立った話をしている。これを遠目に睨(にら)んだだけで、直ちにうさんと眼をつけた源松の眼も高いと言わなければならない。
 これ別人ならず、よく見れば、前なる背の高い方のが南条力、後ろのやや低い方のが五十嵐甲子雄――毎々お馴染(なじみ)の二人の成れの果て――果てというにはまだ間もありそうだが、二人の変形であることは疑いがないのです。

         三十四

 この南条、五十嵐の両壮士が、ある時は志士の如く、ある時は説客の如く、ある時はスパイの如く、ある時は第五部隊の如く、全国的に要所要害を経歴して来たことは、ほぼ今までのところに隠見している。
 ついさき程は叡山四明ヶ岳の上で、大いに時事を論じていたと見たが、もう京洛(けいらく)の真中へ入り込んで、こんな行動をとっている。また油断も隙(すき)もならぬ者共です。
 しかし、今晩のような夜空に、こんな風(なり)をして、ここらを彷徨(ほうこう)するということは大なる抜かりで、早くも轟(とどろき)の源松の注視を受けたということは、大なる不覚と言わなければなりません。
 こうして二人は河原を三条の橋の橋詰まで来ましたが、橋に近くなると、彼等もズルイ、急に沈黙を守り出して、木と、茅(かや)と、石と水との中に没入し、人をしてその痕跡を認めしめない芸当は心得ていたようです。
 揚雲雀(あげひばり)というものは、中空高く囀(さえず)りつつ舞っているが、己(おの)れの巣へ降り立とうとする時は、その巣より遥かに離れた地点へ着陸して来て、そこから麦の株や、畦(あぜ)の間を、若干距離のあいだ潜行して来て、はじめて己れの巣にありつくものだが、この二人の壮士も、その鳥跡に学ぶところあって、川渡りの地点は巣に遥かに遠いところであったが、そこから橋の袂の元巣までたどりついた間の行動は誰にもわかりません。
 しかしまた、上手な雲雀取りは、右の雲雀の着陸点をまず認めておいて、そのあとをひそかに追ったり、前路を考えて、これを要したりすることもあるように、轟の源松も、いったんは橋から河原へ飛び下りたが、それより後の行動は、月にも水にも知らせません。しかし、程経て、二人の壮士は橋の袂の穴っ子へ到着しました。
 その橋の袂の穴っ子こそ、彼等の住所であって、その先祖をたずぬると、大燈国師伝以来の由緒のあるところです。二人がこの穴っ子へトヤについてしまった頃を見計らい、外でそろそろと網を張っているものがあります。言わずと知れた轟の源松で、もうこうなればこっちのものと、網を張りながら、ニタリと笑って橋の上を見上げました。
 橋の上の一方に待たして置いた送り狼は、いかにと見上げたものでしょうが、前に言う通り、この男の要求通りに、馬鹿な面(かお)をして、橋の上に待っていなければならない義務も責任もないことは、先方よりこちらがわかっているから、二兎を追うことはできない道理だから、一方は一方で一時は取逃がしても、やむを得ない。比べてみると、こちらの番(つが)いの獲物(えもの)の方が実入(みい)りがありそうだ。あれはあれで、出直して突留める分には、相手が不自由な身だから手間ヒマはいらないはずだが、芹沢鴨を名指したり、伊東や近藤とも相当面馴染(かおなじみ)があるらしいところを以て見ると、ただの鼠ではないが、新撰組や御陵士頭に属するほどの者でないことは、その言語挙動でわかりきっている。当座の口実に、新撰組や御陵士頭の名を仮りてみるだけのもので、最後に突きつめたお宿許の名乗りに、高台寺月心院の名を指したが、それとても、果して月心院で受けつけられるかどうかわかったものではない。とにかく、島原の行動と言い、その後の応対と言い、捉まえどころが有るようで全くない。これまた近ごろの珍しい獲物だと、源松はほほ笑みながら、近いうちに手の内を見せてやると、いささかの得意で橋の上を見上げると、どうでしょう、命じて置いた通りの地点、欄干を背にしたところに、たしかに待っている。よもやと眼を拭って見直したが、間違いがない。
 やあ、やっぱり、世界には馬鹿正直な奴がある。源松を源松とちゃんと心得ているはずなのに、馬鹿な面をして、ああしておれの帰るのを待っている。呆(あき)れたものだと、源松も口をあいてしまいました。
 だが、待てよ、一概に馬鹿正直扱いもできますまい。真実あれは眼が見えないのだから、意地と場合で島原をひとり抜けをして出て来たが、出てみれば、西も東も動きの取れない身なのだ。そこへ、おれがぶっつかったものだから、しらをきって挨拶をしながらも、実はおれを頼りにして、引廻されるふりをして引廻すつもりで来たのかも知れない。送り狼と知りつつ、送らせるところまで駕籠賃(かごちん)なしで送らせて、どろんと消えるつもりか知らん。一枚上を行った図々しさだか、また事実、ひとりでは動きが取れないから、ああしてこの源松の帰りを待っているのか、なんにしても微苦笑ものだと源松は呆れたのだが、こうなってみると、自分もまた、悧口(りこう)なようで、なんだか馬鹿にされている、上手な猟師のつもりで、一方の兎を思いきって、一方だけ確実に手に入れる策戦に出でたことの思いきりを、我ながら腕前と信じていたのが、ここへ来て見ると、獲物はやっぱり二つで、猟師は自分一人だ、獲物をせしめたと思った猟師が、かえって獲物にせしめられているような感じがしないでもない。
 そこで、源松としては、またしても、橋上と橋下と二つの方面に、一つの注意を張らなければならない。ロシヤと手を握って英国に当る策戦の裏をかかれたような気持がしないでもない。
 そこで、張網の地点から、二つの方面に注意を向けていると、またも意外、こちらはいま巣へもぐり込んだばっかりの二人のお菰(こも)が、相変らず剣菱(けんびし)の正装で、のこのこと這(は)い出して来ました。

         三十五

 おやおやと見ているうちに、頭にいただく鍋釜は穴の中に安置して置いたと覚しく、手ぶらで、第一公式のお菰をひらつかせて、のっしのっしと這い出して来たが、ドコへ行くかと見ると、橋杭(はしぐい)の太いのにとっつかまり、それを、なかなかの手練で攀(よ)じ上って、橋の上へ出ようとする。
 逃げ出したのではない、轟(とどろき)の源松これにありと知って、風を喰(くら)って逃出しにかかったのでないことは、その気分ではっきりわかる。つまり、あいつらは、この老練な猟師が網を張っているということを少しも知らない。ちょっと何か用達しに出かけて、やがてまたこの巣へ舞い戻って来るのだという気分は、源松にもはっきりと受取れるが、さりとて、舞い戻るまで、空巣へ網を張って株を守るの愚を為(な)すべきではない。源松も、急に手近な柳の木へ上手に攀じ上って、彼等の行動を注意して見ると、橋杭から橋板の上まで攀じ上った二人のお菰は、橋の東詰の程よいところまで来るとしめし合わせて、一方は橋の南端へ、一方はその北端へ居を占めて、そこの橋の上に横になって、お菰をさし繰り上げて自分の身体(からだ)を覆い、そこに平べったくなって寝込んでしまったのです。
 ははあ、こいつら、穴の中よりも板の上が寝心がいいと見えて、お寝間直しと洒落(しゃれ)こんだな、とにかく安心、橋上と橋下とは彼等にとって本宅と別邸との相違だ、どのみち、自分の縄張りを出ないのだから安心なものだ、どれ、この間に一番、空巣狙いと出かけて、この穴屋敷の中を取調べてくれよう、と源松はそろそろと柳から下りて、彼等がたった今、もぬけの殻とした穴っ子の中へ潜入して見ました。
 この忙しい折柄に、轟の源松は、燧(ひうち)をきってかがやかし、穴っ子の中を一通りのぞいて見たが、穴っ子の空巣である以外に別段に異状はない。天井も相当雨漏りと土落ちに備えてある。中には藁(わら)とむしろとが敷かれてある。その天井の上に仕掛けもありそうなことはなし、むしろの下にも特別に隠された物件はありそうもなし、ただ多少気にかかるのは、その敷物の真中に置き据(す)えられてある鍋釜だけのものです。いと古びた三升焚きの釜と、それに釣合いとしては小さきに過ぐる割れ鍋が安置してあるだけのものでしたが、源松は、まず釜の方の蓋(ふた)を取って見ますと、今時の乞食にしては贅沢千万、外米入らず、手の切れるような未炊の白米が八分目ばかり。手を入れてみたが、ザックという手ざわりのほかには異状がない。連合いの方はと、とじ蓋をとって見ると、割れ鍋の中に竹皮包の生々しい一塊、これも味噌以外のものでありようはない。この忙がしい折柄に一応、穴っ子の中へ眼を通すだけは通しておいて、次の瞬間に、源松は外へ飛び出し、再び橋上の職場へ取って返し、さて、仕事はこれからと、勇み足を踏みしめた途端、橋の上で突然、人をばかにしたような声が起りました、
「おいおい、吉田氏、竜太郎どの、何をそんなところで、うろうろしているのだ、気のきいた幽霊は引込む時分だ」
 その男は、菊桐の御紋章の提灯を提(さ)げていたのが、これも少々酔っていると見えて、声は大きいけれども、うつろです。呼びかけた相手の主は、誰か知らないが、ほかにそれと覚しい人もないから、多分自分が置きっぱなしにして来た送り狼のその当人だろうと思って、踏みとどまってみていると、果して、
「斎藤だよ、斎藤一だよ、一足違いで君に逢えなかった、君を御簾(みす)の間(ま)へ残して置いたのは、こういう時の頼みのためなんだ、君という男も、前には芹沢で立後(たちおく)れ、今は伊東でまた後手に廻る、仕様がないなあ、ともかく、これから月心院へ引上げよう」
 菊桐の紋のついたのがこう言って、忙がわしく橋桁(はしげた)の方へ近寄って、送り狼の身にからみつくようにした時、またもや橋上がにわかに物騒がしくなりました。
 人が来る、しかも、夥(おびただ)しい人数が来る、粛々として殺気を帯びて来る。殺気を帯びた人数の出動することは、このごろの京の天地に於ては物珍しとはしないが、時が時であって、源松の六感を震動させたのは、その一隊が手に手に武器を携えて、一方には夥しい提灯をかざして来る事の体(てい)というものが、普通の巡邏(じゅんら)とは巡邏のおもむきを異にし、いわば、うちいりを済ました後の赤穂浪人――或いはこれから吉良邸を襲いにかかろうとする赤穂の浪人が、まさに両国橋を渡りにかかった事の体なのであります。彼等は抜身の槍の光を月にかがやかしている、鞘走る刀のかがりを指で押えている。その一行が無慮数十人。粛々として橋板を踏み鳴らして来かかったものですから、さすがの源松も、これにはおどろかざるを得ません。しかも、その数十人の手に携えた提灯というものは、前に斎藤一と名乗る男が手にしていた御紋章の提灯とは事変り、「誠」の一字が楷書で、遠く離れていても歴々(ありあり)と読み取り得られるほどに鮮かに記されてあることです。
「誠」の一字の提灯は、新撰組の一手のほかのものでありようはずはない。
 かくて轟の源松が再び橋上に戻った時分には、自分が残して行ったつもりの人影はありません。
 新撰組の一行が粛々として三条大橋を西に向って渡り去った、その後ろ影を、はるかにながめやるばかりでありました。

         三十六

 月心院の一間で、机竜之助が、頭巾も取り、被布も取払って、真白な木綿の着衣一枚になって、大きな獅噛火鉢(しがみひばち)の縁に両肱(りょうひじ)を置いて、岩永左衛門が阿古屋(あこや)の琴を聞くような形をして、黙然としている。
 それと向き合って、火鉢とはかなり離れたところに敷きのべた大蒲団の上へ、これも白衣一枚で寝まき姿で、斎藤一が無雑作に坐り込んで、しきりに竜之助に向って話をしかけている。二人ともに、この寺院の荒涼たる広間で、白衣を着て対坐したところが、行者か亡者かみたようだが、事実は、寺院備えつけの納所(なっしょ)の坊主の着用を一時借用に及んだものらしい。
 今、二人ともに、これから寝に就こうとして、その寝つき端(ばな)をまだ話が持てているらしいのです。会話といううちに、お喋(しゃべ)りの斎藤が一人で持ちきっているようなもので、
「ねえ君、ぜひ一度、近藤に会って見給えよ、君が毛嫌いをするような男ではない、世間が誤解している如く、君もまた誤解している、一度、近藤に会ったものは、必ず認識を改めるのを例としているのだ、彼を以て殺伐一方の、血も涙もない殺人鬼の変形のように見るのは当らない。まあ、この一軸を見給え。見給えと言ったところで、君には馬念に過ぎないが――」
 ここに斎藤が馬念と言ったのは「馬の耳に念仏」という諺(ことわざ)の略語だと思われる。つまり眼の見えない机竜之助に掛物を見ろというのが失当であることを、その瞬間に気がついての駄目なのだが、それでも壁にかけた一軸を指した指は撤回しない。
「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」
と斎藤は婆心を加えた。読めと言うのは無理だが、聞けと言うのに無理はない。そこで斎藤は、壁にかけた唐紙半切(とうしはんせつ)の二行の文字を読みました。
百行所依孝与忠  取之無失果英雄
英雄縦不吾曹事  豈抱赤心願此躬
「百行依ルトコロ孝ト忠、之(これ)ヲ取ツテ失フ無キハ果シテ英雄、英雄ハタトヘ吾曹(わがそう)ノ事ニアラズトスルモ、豈(あに)赤心ヲ抱イテ此ノ躬(み)ヲ願ハンヤ――」
と吟じ了(おわ)って斎藤が、附け加えて言う、
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:393 KB

担当:undef