大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 お銀様から冷然として言い放されると、水死人は躍起となって、
「それを言われると、わたしの五体が裂けます、お豊もお豊です、わたしを水の底へ追い込んで置いて、自分は立戻って好きな男と勝手な真似(まね)をした女――ですから、あれの末期(まつご)をごらんなさい、鳥は古巣へ帰れども、往きて帰らぬ死出の旅――おっつけ、わたしのあとを追って地獄へ来るあの女の面(かお)が見てやりたい。いいえ、こちらへ来たら、また私は可愛がってやります。お豊、おいで、わたしはお前を憎めない」
「おやおや、たいそう甘いんですね、ですが、その通り、あの人なんぞは本当に哀れむべき人で、憎むべき人ではありませんよ」
「よくおっしゃって下さいました、お豊は憎い女じゃありませんね」
「憎いものですか、あなたのために死んで上げたのも嘘じゃないのです、一人は死に、一人は助かったのも当人の了見じゃありません、運命のいたずらというものです」
「そうかも知れません、人間の力ではどうにもならない――まして、あの気の弱いお豊さんの力などで、この運命の大きな力というものがどうなるものですか、お豊を憎むことは、やめましょう」
「それがよろしいです、あの人は憎める人ではありません、憎むとすれば、憎んでも憎み切れない人が、まだほかにいくらもあるはずです」
「誰を憎んだらいいでしょうね」
「まず運命のいたずらを憎みなさい」
「憎みます」
「その次には、大和の国の三輪の大明神のいたずらを憎みなさい」
「え」
「三輪の大明神の神杉が、お豊さんをあやまりました」
「滅相な、神様を恨むと罰(ばち)が当ります」
「それでは机竜之助を憎んでおやりなさい」
「憎みます、憎んでも憎み足りないと思いますが、残念ながら、今のところは歯が立たないのです」
「植田丹後守を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「薬屋源太郎を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「みそぎの滝の行者を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「竜神八所の人を憎んでおやりなさい」
「憎みます、一人残らず憎みます、まして、あの藍玉屋(あいだまや)の金蔵という奴、室町屋という温泉宿を開いておりましたあいつを最も憎んでやりたい、あいつが、お豊をいいように致しました」
「いいえ、あの男も、それほど憎むべき男じゃないのです、かえって哀れむべき男なのです、最も同情すべき好人物なのですよ。幽霊の戸惑いは落語にもなりませんから、恨むにしろ、憎むにしろ、よく気をつけてしないといけません」
「憎い、憎い、誰もが憎い、お豊の身体(からだ)と魂とを、わたしの手から奪い取って、再び世間のなぶりものにした、すべての人を憎みます、呪(のろ)います、恨みます」
「そう言うお前さんは、真三郎さんという優男(やさおとこ)の本色を失って、どうやら、金蔵さんとやらの不良が乗りうつっているようです」
「そんなはずはございません」
「それでもそうとしか見えません、致されるものが致されてしまいました、人を呪わば穴二つということがそれなんです、あんまり強く人を恨んで人につきたがるものですから、かえって、お前さんが人につかれてしまいました。今のお前さんの狂態痴態というものを見ていると、京の六条でうたわれた大家の坊(ぼん)ち真三郎はんの本色は少しもなく、あの三輪の里の不良少年が、そっくり乗りうつりの形になっておりますよ、お気をおつけなさい」
「左様でございましたか、つい、とりのぼせましたために、見苦しいところをごらんに入れて、まことに相済みません、改めて自省を致します」
「殊勝なことです、そういう和(やわ)らいだ気持になることが自分を救います、同時に人を救うわけになるのですね、憎み、恨み、呪うことによって、決して、自分も、人も、救われるということはありませんからね」
「有難うございます」
「昔の真さんにおかえりなさい」
「そう致しましょう」
「真さん」
「はい」
「京の六条の蔦屋(つたや)の坊(ぼん)ちの色男の真三郎さんは、あなたですか」
「はい」
「人を憎むことをやめて、人を愛しましょうよ」
「はい」
「そんなに、しゃちょこばらないで、こっちへいらっしゃいよ」
「はい」
「わたしも淋(さび)しいんです、秋の夜長でしょう、小町塚でしょう」
「はい」
「卒都婆小町、関寺小町はあんまり寂しいねえ」
「はい」
「少しは察して頂戴な――お前さんのような優男をお伽(とぎ)にして、このながながし夜を一人ならず明かしてみたい、弁慶と小町は馬鹿だと言いました」
「はい」
「まあ、可愛らしいこと、身じまいを直しているところが何という頼もしいんでしょう、そうして身なりをきちんとし、髪を取上げたところは、どう見ても水の垂れる色男――お豊さんとやらが惚(ほ)れるも無理はない」
「はい」
「お豊さんのためには死んで上げたけれども、わたしのためにはどうして下さるの」
「…………」
「そんなに、もじもじしないで、こっちへお入りなさい、誰も取って食おうとは言いませんよ」
「…………」
「そんな気の弱い、それは意気地無しというものです、女が許してお伽を命ずるのに、それを聞かない男がありますか」
「…………」
「どうしたのです、その突っころばしは、あんまり骨がないので歯が痒(かゆ)い」
 焦(じ)れ立ったお銀様は、もう経机の前に経かたびらを装うて、算木(さんぎ)筮竹(ぜいちく)を弄(ろう)している女易者の自分でなく、深々と旅寝の夜具に埋もれて所在のない寝姿を、われと我が身に輾転してみるお銀様でありました。
 お銀様から迫られた色男の真三郎は、もじもじして一方に固まっていたが、急にふるえ上って、
「もし……念のために伺いますが、ここはあの吉田御殿とやらではございませぬかいのう」
「何を言っているのです、吉田がどうしました、御殿がどうしました、近江の国は長等山(ながらやま)の麓(ふもと)、長安寺の境内(けいだい)、小町塚の庵(いおり)がここなんですよ」
 それが耳に入らないと見えて、真三郎は立ち上って、
「そうして、あなた様は、その吉田御殿におすまいになる千姫様ではござりますまいか、もしや……」
「まだ何か言っている、千姫がどうしたというのですよ」
 お銀様自身が荒っぽく寝返りを打ったのは、身体(からだ)が熱く溶け出して来たようで、どうにもたまらなくなったからです。
「講釈に承りますると、参州の吉田御殿というお城の上の高い櫓(やぐら)から、千姫様が東海道を通る男という男をごらんになって、お気が向いた男はみんな召上げてお伽(とぎ)になさるということでござんす」
「そんな話もありましたね、そういう事実も、まるっきり跡形なしのことではありますまいよ」
「わたしも、実はあの時、千姫様のお目にとまった一人なんでございまして」
「おやおや、それはお安くない、千姫様のお目に留まって、さだめて、たんまりと可愛がられたことであろうのう」
「御免下さい」
「逃げるのですか」
「怖(こわ)くなりました」
「意気地なし、幽霊のくせに、人間を怖がって逃げる奴があるものですか」
「でも、怖くなりましたから、これで御免を蒙(こうむ)ります」
「逃げるとは卑怯です、逃がしません」
「お豊に申しわけがない」
「何を言っているの、お豊はお前に反(そむ)いた女じゃないか」
「でも、お豊に済みません」
「済むも済まないもあったことじゃない、お前のようないい男は、女に弄(もてあそ)ばれなければならない運命に置かれてあるのですよ」
「なぶり殺しでございますか、もうたくさんでございます、吉田御殿の裏井戸には、千姫様に弄ばれた男の骸骨でいっぱいでございました、わたしは怖い」
「意気地なし」
「逃がして下さい」
「逃がさない」
「罪です」
「罪なんぞ知らない」
 かわいそうに、迷って出るにところを欠き、とりつくに人を欠いて、偶然にも暴女王の前へ出現したばっかりに、可憐(かれん)な色男は逆に取って押えられてしまいました。幽霊が人間の手につかまって、じたばたして悲鳴をあげる醜態、見られたものではありません。一方、傲然として圧服的にのしかかる女王様――閑寂なる秋の夜が、人間性の争闘の血みどろな戦場に変りつつある。あまりの騒々しさに、
「大分お騒がしいことですね、もう夜が明けますよ」
 衝立(ついたて)の後ろから、ぬっと面(おもて)を現わして、にたにたと笑っているのは、しょうづかの婆(ばば)に紛らわしいあの晩年の小野の小町の成れの果ての木像の精が、生きて抜け出して物を言っているのです。

         十六

 お銀様も小町にこうして出られてみると、さすがに面はゆいものがある、大いにテレて力が弛(ゆる)む隙を、得たりと振りもぎって前にのがれようとしたが、真三郎が何に怖れたか、急に方向を転じて、後ろへ逃げて、かえってお銀様の夜具の裾へ隠れるという窮態になってしまいました。
「あんまり弱い者いじめをしないがいいぜ、ことに女が男を脅迫するなんぞは、見て見いい図ではないぜ」
 衝立の後ろから半身を現わして、二度目にこう言ったのは関寺小町ではなくて、顔色の蒼白(そうはく)な、月代(さかやき)の長い机竜之助でありました。小町に向っては悪いところを見られたとテレきったお銀様も、竜之助に対しては少しも引け目を感じません。
「あんまりいい図でないところを見せて、お気の毒さま、あなたこそ、いったい何だって、こんなバツの悪いところへ出しゃばるのですか」
「琵琶湖の舟遊びに行った帰り途、つい何だかここが物騒がしいから、のぞいて見る気になったのだよ」
 竜之助も人を食った返答なのですが、お銀様はやっぱり逆襲的に、
「人のことを気に病むより、自分の脚下(あしもと)にお気をつけなさい、いったい、あなたは誰とどこへ行っていたのです」
「そう来るだろうと思っていた、どうもつい遊び過ぎて申しわけがない」
 竜之助が人を食った調子で、わびごとのような言葉で頭をかくと、不意にその足許から、
「わあっ」
と泣き伏した者があります。お銀様もちょっとこれには驚かされたが、すぐに冷静を取戻して、
「お雪さんだね、泣かなくてもいいでしょう」
「お嬢様、御免下さいませ、先生を連れ出したのは、わたくしでございます」
「そうさ、小娘と小袋は油断がならないと昔からきまっている、そんなこと、疾(と)うから、こっちは感づいているのですよ」
「あんまり月がよかったものですから、鬱屈(うっくつ)してらっしゃる先生に湖上の月をお見せ申して、慰めて上げたいと思ったばっかりに……」
「お雪さんらしくもない、そらぞらしい申しわけ、目の悪い人に月が見せられますか」
「申しわけがございません」
「でも、よく帰って来てくれましたね」
「面目次第もございません」
「面白かったでしょう、相合舟(あいあいぶね)で、夜もすがら湖の月を二人占めにするなんて、王侯もこれを為(な)し難い風流なんですね、わたしなんぞも一生に一度、そんな思いをしてみたい」
 お銀様が針を含んで突っかかるのを、竜之助がとりなして、
「いや味を言うなよ、本来、お雪ちゃんにちっとも罪はないんだ、この人は一種のロマンチストで、自由行動が罪であっても罪にならない無邪気な少女なんだ、もし誤っているとすれば、誤らせた誰かが悪いので、世人は憎むべきじゃない、かんべんしてやってくれ」
「いいです、わたしは、ちっとも人を責める気なんぞはありゃしませんよ、今も二人の心中者が来ましてね、憎むの、恨むのと口説(くど)いているから、わたしが説法をして上げたところなんです。でも、あなた方は湖中で心中をしなくてようござんした、わたしは、あの勢いでは、お前さん方も、前に来た人たちと同じように、湖水の中へ、おっこちるんじゃないかとタカを括(くく)っていましたが、まだ死んでしまいもせず、生恥も曝(さら)さず、どうやらここまで戻って来てくれたことだけでも、わたしは嬉しいと思いますよ。お雪さん、泣かないで、こっちへお入り」
「お嬢様に合わせる面(かお)がございません」
「だって、いつまでも、そうして泣き伏しているわけにはゆきますまい、こっちへお入りなさい、みんなして仲よく秋の夜話をしましょうよ」
「そうおっしゃっていただくと、なおさら面目がございません、わたくしは、このまま消えてなくなります」
「おや、消えてなくなるとは凄(すご)いですね、せっかく、助かって戻ってくれたのを喜んで上げるのに、消えてなくなるなんぞとはえんぎが悪いのねえ」
「御機嫌にさわって重々申しわけがございませんが、消えてなくなると申しましたのは、また死を急いで死にに行くという意味ではございません、わたくしは、このままお許しをいただいて、もうどなたにも面を合わせずに、ひとり大阪の親戚へ帰ってしまうつもりでございます」
「おや、お雪さんには大阪に御親戚がありましたの」
「はい」
「そこで、音なしの先生は、これからどうあそばしますつもり?」
 お銀様から反問的に問いかけられて竜之助が、所在なさそうに、
「拙者は、ついこの近いところの大谷風呂というのへ暫く逗留させられることになったから、そこで当分養生をしようと思っているのだ、近いところだから、話しにおいでなさい、いつでも風呂が沸いているし、お肴(さかな)もあるし、別嬪(べっぴん)もいる」
「有難う、では、近いうちにお伺い致しましょう。おや、もうお帰りなの?」
「夜が明けそうだから」
「夜が明けては悪いのか知ら」
「でも、お雪ちゃんがかわいそうで、なるべく人目にかけないように落してやりたいからな」
「なるほど、その心づかいも悪くありません、人目にかけないようにして、行きたいというところへ行かしておやりなさい」
「お嬢様、有難うございます、それでは、わたくしはこれで失礼をさせていただきます」
「大事にしていらっしゃい」
「御免下さいまし、永々、お世話さまになりました」
「お雪さん、なんぼなんでも、それほどに面目ながらなくてもいいじゃありませんか、せめて面だけは一目見せて行って頂戴な」
「いいえ、わたくしは、このままおゆるしを願いたいのでございます」
 お雪ちゃんは、しおらしくあやまりながら、一方、頑(がん)として泣き伏した面をあげないままで暇乞(いとまご)いをします。
「そんなら、みんなして追分まで送ろうじゃありませんか」
「そうしましょう、それがいいです」
「さあ、皆さん、お雪さんが大阪へ帰るそうですから、みんなして追分まで送るんですよ」
「拙者は御免蒙ろう」
と竜之助が言うと、お銀様が興ざめた面で、
「どうしてですか、あなただけ」
「あの追分はうるさいんだ、薩摩の野郎かなんかが出て来て、喧嘩を売りかけたりなんぞしてうるさいから、刀の手前、今度は遠慮をした方がいいと思っている」
 そこで鶏の鳴く音が聞える。
「ああ、夜が明けます、明けないうちに」
「では、行って参ります」
「お大切に……ですが、お雪さん、わたしが注意をして上げて置きたいことはね」
 お銀様は、言葉を改めてお雪ちゃんに向い、次のような餞別(せんべつ)の言葉を与えました。
「大阪にお帰りなら、一筋に間違いなく大阪へお帰りなさいよ、途中で魔がさすといけませんからね、間違って三輪の里へなんぞ踏み込もうものなら、今度こそ取返しがつきませんよ、それは申して置きます」
「はい、有難うございます」
 その時にまたしても鶏の鳴く音――
 お銀様の夢が本当に破れました。無論、夢中に現われた人の一人もそこにあるはずはなく、衝立(ついたて)はあるが、その後ろから正銘のここの雇い婆さんが現われて、
「お目ざめでございますか。昨晩は、たいそうお疲れのようで、よくお休みになりました。今日は雨もすっかり上りました、お天気は大丈夫でございます。それそれ、昨晩お使がございまして、この上の大谷風呂から、あなた様へこのお手紙でございました」
 一封の書状を取って、お銀様の枕許(まくらもと)に置く。

         十七

 逢坂山(おうさかやま)の大谷風呂を根拠地とした不破の関守氏は、その翌日はまた飄然(ひょうぜん)として、山科から京洛を歩いて、夕方、宿へ戻りました。
「お帰りやす、どちらを歩いておいでやした」
 お宮さんが迎える。
「行き当りばったりで、古物買いをやって来た」
と言って、不破の関守氏は風呂敷包から、そのいわゆる古物の数々を取り出して、お宮さんに見せました。
 古ぼけた木像だの、巻物の片っぱしだの、短い刀だの、笄(こうがい)、小柄(こづか)といったようなものが出ました。好きな道で、暇に任せて、古物すなわちこっとう漁(あさ)りをやって来たものらしい。
「この紙きれは、これは確かに奈良朝ものですよ、古手屋の屏風(びょうぶ)の破れにほの見えたのを、そのまま引っぺがさせて持って来たのだ」
「えろう古いもんでおますな」
「それから、この金仏様(かなぶつさま)――これが奈良朝よりもう少し古い、飛鳥時代(あすかじだい)から白鳳(はくほう)という代物(しろもの)なのだ、これは四条の道具店の隅っこで見つけました」
「よろしい人相してまんな」
「こっちを見給え、ずっと新しく、これがそれ大津絵の初版物なんだ」
「大津絵どすか」
「大津絵といえば、藤娘、ひょうたん鯰(なまず)、鬼の念仏、弁慶、やっこ、矢の根、座頭(ざとう)、そんなようなものに限られていると思うのは後世の誤り、初代の大津絵は皆このような仏画なのだ」
「そうどすか」
「それから、ズッと近代に砕けて、これが正銘の珊瑚(さんご)の五分玉、店主はまがい物と心得て十把一(じっぱひと)からげにしてあったのを拙者が見出して来た、欲しかったら、お宮さん、君に上げましょう」
「まあ、有難うございます」
といったようなあんばいで、暇つぶしに彼は、山科から京都くんだりを遊んで来たもののようだが、必ずしも、そうばかりではないらしくもある。
 その翌日もまた宿を出かけて、同じような時刻に帰って来て、またこっとう物を懐ろから引張り出して、お宮さん相手に説明する。お宮さん、白鳳期がどうの、弘仁がああのと言ってもよくわからないが、そこは商売柄、いいかげんに調子を合わせると、不破の関守氏も、いい気になって、次から次へでくの坊を引っぱり出して悦に入るが、どうかすると、こっとう以外の珍物を引っぱり出して、よろしかったらこれはお土産(みやげ)として君に上げようと来るものだから、お宮さんは、思いがけない珊瑚の五分玉だの、たいまいの櫛(くし)だのというものにありつけるので嬉しがる。
「そないにこっとうばかりあつめて、どないになさいますの、小間物屋さんでもおはじめなさる?」
とお宮さんが呆(あき)れるほど、毎日毎日、がらくたを掻(か)き集めて来る。ある時は脱線して、
「お宮さん、これはダイヤモンドの指輪です、その当時は三百円もしましたよ、よろしかったら君に上げよう」
「まあ、三百円のダイヤモンドだっか」
「今時は、三百円のダイヤなどは誰も振向いても見ないが、その当時はこれが幾つもの人間の運命を左右するほどの魅力があったものだ、今日にすると十倍以上だろうな」
「では、三千円だっか」
「それ以上はするだろう」
「本物だっか」
「はは、それが、お宮さんの魅力となって、貫一の一生を誤らせたというわけなんです、実は……」
 この分だと、貫一の着た高等学校の制服だの、赤樫(あかがし)の持った鰐皮(わにがわ)のカバンまで探して来るかも知れない。閑話休題としても、当人は閑人気分(ひまじんきぶん)が充分で、一人で出かけることもあれば、一僕を召しつれて出て戻って来ることもある。
 こっとうが飛び出さない時は、地所家屋のこのごろの相場のことなどが口に出るものですから、風呂の者は、この人はこっとう屋を営み、その掘出しかたがた、地所家屋の売買の周旋もする人だろうぐらいに見ておりました。
 なるほど、外出先を推想してみると、この男はこっとうあさりばかりではない、相当の地所家屋を見つけながら歩いて来るものらしい。現に問題となっている山科の光悦屋敷の如きは、一僕を指図して縄張りまで張って、半日をその測量に費したような形跡もあります。

         十八

 三日目の午後、今日は早帰りをして、風呂につかっていると、三助が一人やって来て、
「お流し致しましょう」
「済まない」
 手拭を渡して不破の関守氏が、背中を向けると、その三助の流しぶりが変っているのに気がつきます。この三助は、背中を流すに片手をつかっている、左手だけしか使わない、最初のうちは勝手だろうと考えていたが、変ですから、不破の関守氏が気をつけて見ると、手んぼうなんです。わざと気取って片手あしらいをして見せるのではない、片手しかないから、そのある方の手だけで働いているのだと認めました。
 しかし、人の不具を認めたからといって、必要なきに注視するのも心なき業だ。片手であろうとも、両手であろうとも、職務そのことだけがつとまりさえすれば何も言うことはない。ところで、その職務が、片手あしらいで両手の持つ働き以上の働きをする器用さに、不破の関守氏が内心舌を捲きました。
「いや、どうも有難う」
 一通りの三助のすることを手際よくやってのけた上に、上り湯を二三ばいたっぷりとかけてくれて、肩をとんとんと三つばかり叩いた気持などというものも、相当にあざやかなもので、なお一杯をなみなみと汲み置きをして、
「ごゆっくり」
と言って、その片手の三助が退却してしまったあと、不破の関守氏は、おあつらえ通り、ゆっくりと湯につかって、さて上りとなって脱衣場へ来て着物を引っかけようとすると胴巻がない。
「やあ――」
と関守氏が、げんなりしたのは、たしかにしてやられたと感じたからです。やられたのは出遊の途中でやられたのか、或いは途中で落してつい知らずここまで来て、いま気がついたのか、その辺に抜かりのある関守氏ではない。たったいま風呂にはいる前に、脱衣ともろともにここへ押し込んで置いた胴巻が今なくなっているのですから、その点に問題はない。しかし、あえて声を高くして盗難を呼ぶ関守氏ではありませんでした。かつまた、かりそめながらこの辺へ、そう貴重品をむやみに持ち込む関守氏でもない。胴巻とは言いながら、小出しの胴巻に過ぎないので、被害は案外軽少であったために音(ね)を上げなかったのかも知れない。
 とにかく、的確にこの場で胴巻が紛失したのだが、関守氏は何食わぬ面(かお)ではない、何盗まれぬ面つきをして、自分の部屋へ戻って来ました。
 部屋へ戻っても、あえて人を呼んで帳場へかけ合うでもなく、全く以て、あきらめてしまっているらしい。
 そこへ、お宮さんが熱いお酒を一本持って来ました。今日も出歩きの道中を少々物語ってから、お宮さんのお酌(しゃく)で一ぱいを傾けながら、不破の関守氏が、
「お宮さん、ここの風呂場の若衆(わかいしゅ)は、ちょっと乙な男だね」
「三蔵はんどすか」
「三蔵というのかね、名前はまだ知らないが、なかなか如才なくて、第一腕が器用だ」
「三蔵はん、このごろおいでやはったが、取廻しがよろしいので、なかなか評判ようおます、腕が器用とおっしゃいますが、あんた、あの片一方でな、米搗(こめつ)きから、風呂焚き、流し、剃刀使いまで細(こま)やかになさりますから、みんな感心しておりますのや」
「ははあ、器用な男もあったもんだ、ありゃあれで、なかなか苦労人だよ」
「はい、それに、なかなか気前がようおまして……」
「だから、女に相当騒がれるだろう、あぶないものだぜ、お宮さん」
 冗談半分に、女中を相手に関守氏が聞き得たところによると、右の手なしの番公は、最近ここへ雇われて来た男ではあるが、早くも女中たちの人気を取っているらしい。相当にこの道で苦労した肌合いが、女中連を騒がせていることをも知りました。
 関守氏は、一応お宮さんをからかった末に、こう言いました、
「あの若衆に一ぱいあげたいから、手隙(てすき)になったらここへ来るように言っておくれ」
 そう言っている口の下に、外の縁側から声がかかって、
「少々御免下さいまし、先刻お風呂の旦那様のお座敷は、こちら様でございましたか、三助でございますが、お忘れ物を持って参上いたしました」
「え、なに、忘れ物を持って来てくれたのかい」
 関守氏がなんだか先手を打たれたような気分で、こちらが少々あわて気味です。

         十九

 その翌日、ここへ来てから第四日目――
 今日は関守氏が、逢坂山の裏手から細道伝いに、大谷風呂の裏口へ下りて来て見ますと、小屋があって、その中で、地がらの米を舂(つ)いているのが例の三助の三蔵でありましたから、言葉をかけました、
「三蔵どん、御精が出るね」
「はい、有難うございます」
 野郎は頬かむりをして、しきりに地がらを踏んでいましたが、本来この小屋の一方には、渓流を利用して小さくとも水車が仕掛けてあって、一本ながら立杵(たてぎね)が備わっている。水力でやりさえすれば足で踏まなくともいいことになっているのに、わざわざ時間と労力を空費しているとしか見られないものですから、不破の関守氏がたずねました、
「どうして水車を利用しないんだね、万力(まんりき)で搗(つ)けば早いだろうに」
「それが、旦那、そういかないわけがあるんでござんしてな」
「車がこわれたのかい」
「そうじゃございません」
「当時流行の渇水というやつかな」
「なぁーにごらんの通り一本杵(いっぽんぎね)を落すだけの水はたっぷりあるんでございますがね」
「じゃ、どうして水車をつかわないんだね」
「まあ、聞いておくんなさいまし、水車があっても、水車を使ってはならない、水車御法度(ごはっと)というお触れが出たんでござんしてね、それで、利用のできる器械を廃(すた)らせたままで、わざわざこうして足搗(あしづ)きをやらなきぁならねえ世界になったんでございます」
「とは、またどういういきさつで」
「こういうわけなんでございますよ」
 三助の米搗が説明するところによると、以前は、やっぱりこの地方で、米搗きが頼まれて越後の方からやって来たものだが、近頃になってこの藤尾村というのへ、善造と五兵衛という二人の者が水車を仕掛けた、なにぶん、水車が出来ると、人間の労力より安くて早いこと夥(おびただ)しい。そこで善造と五兵衛がはじめた水車が、みるみる繁昌して、ここへ籾(もみ)を持ち込むものが多くなり、その結果、市中の搗米屋(つきごめや)と米踏人(こめふみにん)が恐慌を来たして、我々共の職業が干上るから、水車を禁止してもらいたいと其筋に願い出た。そこで水車が禁止されることになった。せっかくの文明の利器がかえって忌(い)まれて、人間労力の徒費に逆転することになったというわけになるのだが、もう一つ水車禁止の理由には、ここの水車へ持ち込んで米を精(しら)げることの口実で、実は京都へ向けて米の密輸出を企てるものがある。いったい京都の米は近江の一手輸入になっている。一年中この近江から京都へ供給する米が、豊年に於ては七十五万俵、凶年には四十万俵、平均のところ無慮五十万俵の数になっていて、米を京都に入れるにはいちいち上(かみ)の番所の検閲を受けて、切手口銭を納めるということになっている。ところがこの藤尾村に水車が出来てから、前記の如く、ここへ持ち込んで米を精(しら)げてもらうという口実の下に、京都へ米を密輸入して、切手口銭のかすりを取るというやからが出て来た。その取締りのために、水車禁止の別の有力な理由が出て来たのである。その上に俵物はいっさい小関越えをしてはならないということになった――そのとばっちりで、ここでも水車を仕かけるには仕かけたが、それを遊ばして置いて、こうしてわざわざ足踏ロールに逆転しているのだという説明を、三蔵から聞いて、不破の関守氏は、
「なるほど、それは機械文明に反抗する人間労力の逆転というものだ」
とひとり合点をしました。
 それから二人の会話が少し途絶(とだ)えていると、その時、不意に腰障子の外から、
「三ちゃん、いる、お茶うけよ」
 姿は見えないで、窓の外から、そっと言葉をかけると同時に、お盆へ何かのせたものを突き出したので、米を搗(つ)いていた三蔵が、やや狼狽気味(うろたえぎみ)で、
「いけねえ、いけねえ、お客様だよ」
 そうすると、何かのせたお盆を中へ突込んで置いて、姿を見せず、何とも言わずに、あたふたと行ってしまう。残る足音を聞いて、三蔵がテレきったのを、不破の関守氏が、ちょっと苦笑いをして、
「何か、御馳走が来たようだね」
「へえ、どうも」
と米搗きが、また一方ならずテレている。
「御馳走が来たら、ついでに、いただいて行こうじゃないか」
 関守氏は人が悪い、炉辺へ侵入して来て、
「三ちゃん、お茶をいれないか、わしが代って米の方を受持ってやる」
「いや、どうも、恐縮でげす」
「遠慮することはないよ、せっかくお茶うけが来たんだから、お茶をいれな、米はわしが搗いてやるよ」
と関守氏が、臼(うす)の方へちかよって促すものだから三公も、
「じゃ、お茶を一ついれますかな」
「そうしなさい、拙者もこれで米搗きは苦労したものだよ、昔取った杵柄(きねづか)だよ」
と言いながら、三公の踏み捨てた地がらへ乗りかかって踏みかけると、その調子が板についている。
「うまいものですな、旦那」
 三公から賞(ほ)められて、不破の関守氏が、
「君よりうまいだろう、さっきから見ていると、君のはものになっていないよ、わしなんぞは書生時代からこれで勉強したもんだ」
「へえ、そうですかね」
「君ぁ、流しをさせちゃうまい、剃刀を使わせても一人前だが、米搗きはまずいよ、生れは越後じゃあるまいな」
「恐れ入りますねえ――どうも場違いなものでござんして、米搗きの方はさっぱりいけません」
「そうだろう、君は関東もんだろう、へたをすると江戸っ児だ、頼まれても江戸からは米搗きは来ないはずだ」
「冷かしちゃいけません、旦那」
「どうして、お前、こんなところで米搗きなんぞをやるようになったのだ」
「旦那、まあ、お茶を一つおあがんなさい」
 三公が炉の鉄瓶を卸して、番茶をいれてすすめましたから、不破の関守氏も地がらから下りて、ふたり炉辺に物語りをはじめ出しました。

         二十

「三ちゃん、このお茶うけはうまいねえ」
「これが海道名代、走餅(はしりもち)というやつなんでござんして」
「ははあ、これが走餅か。この間、名所の走井(はしりい)を見ようとしてたずねてみたら、もう人の垣根の中に囲われてしまっていたっけ、走餅はないかと聞いてみると、本家は大津浜の方へ引越したということで、とうとう名物の旨(うま)いのを食いそこねたが、ここでめぐり会ったのは有難い」
「どうぞ、たくさんおあがりになって」
「うまいなア」
「自慢でござんしてな」
「自慢はいいが、盗み食いはいけねえぞ、三公」
と不破の関守氏の言うこと、いささか刺(とげ)があったので、三公が仰山らしくあわてて、
「飛んでもねえ、盗み食いなんぞするんじゃございませんよ、ふ、ふ、ふ」
と含み笑いをしました。
「穏かでないぞ」
 関守氏からたしなめられて、三公は、
「だって旦那、据膳(すえぜん)を食べたからといって、盗み食いとは言えますまい、ねえ、先様御持参の御馳走をいただく分には、罪にはならねえと思うんですが、どんなものでしょう、一つ御賞翫(ごしょうがん)なすってみていただきてえ」
と言ってにやにやしながら、関守氏にお盆の走餅をすすめます。
 関守氏は、その走餅の箸を取らずに、いささかくすぐったいような面(かお)をしてながめているだけです。今、お盆をつき出してくれた女の子は、面を見ないから誰それとは言えないが、ここに群がっている丸髷(まるまげ)のうちのどれか一つに相違ない。この野郎、昨日今日ここへ雇われたと言いながら、もうそのうちの一人をものにしている、度すべからざる白徒(しれもの)だという面をして、三公と、お盆の餅とを見比べていたが、この野郎はお先へ御免を蒙(こうむ)ってしまって、走餅を一つ抓(つま)んであんぐりと自分の口中へほうり込み、
「うめえ、うめえ、走餅ぁうめえ、腹のすいた時にゃ何でもござれだ」
 とんちんかんなことを口走り出した。時に関守氏、
「三公、貴様は怪しからん奴だ、餅どころか、人間まで甘く見ている」
「どう致しまして」
「昨日、あの風呂場で拙者の胴巻をちょろまかした上に、それをぬけぬけとまた、お忘れ物だと言っておれの眼の前へ持って来やがった、いけ図々しいにも程のあったものだ、人を食った振舞とはそういうのを言うのだ」
「へ、へ、へ、へ、人を食った覚えなんぞはございません、餅を食っているんでげすよ」
 三公は、今となっては決して悪怯(わるび)れていない。人を食ったのはこっちではない、かえってこの人に臓腑の底まで見破られてしまったから、破れかぶれという気分でもあるようです。関守氏は少々油を絞り加減に、
「なぜ、あんなツマらないことをしたのだ、盗むくらいなら盗み了(おお)せたらいいだろう、わざわざ人の前へ持って来て吐き出して見せるなんぞは、憎い仕業だ」
「いや、そんなわけなんじゃございませんよ、実はねえ、旦那だから申しますがねえ、わっしも本来は箸にも棒にもかからねえやくざ野郎なんでして、事情があってこのところへ閉門を仰せつけられたんでございますが、どうにも動きが取れねえから、こうやって米なんぞを搗(つ)いてるんですが、もうやりきれません、逃げ出しちゃおうと思ったんですが、逆さに振っても血も出ねえ昨日今日、当座のお小遣(こづかい)として、あなた様の胴巻をそっくりお借り申すつもりで、三日前からちゃあんと睨(にら)んでいたんですが、隙がございません、そうこうしているうちに、昨日お風呂にお入りのあの時、この時なんめりと首尾よく頂戴に及んだんですが、当事(あてごと)がすっかり外れちゃいましてな」
「思ったより少なかったか、路用の足しにもならんと、手に入れてみてはじめて呆(あき)れたか」
「そうじゃございません、あれだけあれば当座の路用には充分でござんすが、相手が少々悪いと思いました」
「相手というのは?」
「お風呂からお上りの、早速、紛失物がある、拙者のここへ差置いた胴巻がない、金子が見えぬ――なんぞと大さわぎがおっぱじまると待構えておりましてな、そうおいでなすった時にはザマあ見やがれと、この尻を引っからげて、片手六法かなんかで花道を引っこみの寸法で、仕組んで置いた芝居なんでございますが、相手がそう受けてくれません、本舞台の方でウンともスンとも文句が起らねえから、揚幕の引込みがつかねえ、こいつぁ相手が悪いなあと思いましたよ」
「ふーん、こっちが騒がなかったら、かえって首尾がいいとは思わなかったか」
「ところが違います、いけねえ、こいつは出直しと思いました」
「貴様は、なかなかくろうとだ」
「へ、へ、へ、どうか先生、お弟子にしておくんなさいまし、わしゃ実は、甲州無宿でござんして、がんりきの百蔵とやらいうしがねえやくざ野郎の成れの果て――と言いてえが、まだ果てまではちっと間のある、中ぶらりんのケチな野郎でござんすが、なにぶんお見知り置かれまして」
 変な言いぶりになってきた、漫然お茶らかしているものとも見えない。いったい、不破の関守氏をこの野郎は何と見て、こんなに、上ったり下ったりしているのか、次第によっては下へさがって本式やくざ附合いの作法によって、親分子分の盃でも受け兼ねまじき真剣さも見て見られようというものです。関守氏はこいつ只の鼠ではないと、しょてから睨んでいたに相違ないが、さりとて大鼠と怖れてもいないらしい。

         二十一

 その翌日になって、米搗きが急に昇格して、関守氏附きの直参(じきさん)となりました。
 不破の関守氏は、この新たに得た鶏鳴狗盗(けいめいくとう)を引きつれて早朝に宿を出たが、どこをどううろついて来たか、午後になって立戻ると早々、また風呂へ飛び込んで、こんどは水入らずにこの男に流させもし、同浴もしながら、主従仲のいい問答をはじめました。
「がんちゃん――」
 不破の関守氏は、三公とも、百どんとも言わず、改めてがんちゃんの名を与えて、この従者を呼ぶのです。
「何ですか、旦那様」
と、がんちゃんが抜からぬ面(かお)で答える。
「貴様は手の方も長いが、足の速いにも驚いたよ」
「御冗談を……手なんぞは長いにもなんにも有りませんよ、とうの昔にブチ切られちまったんですから」
「でも、胴巻を見ると長くなる」
「旦那、皮肉をおっしゃっちゃいけません」
「それから、女を見るとまた長くなる」
「旦那、そう、いつまでもいじめるもんじゃございませんよ、全く、旦那にかかっちゃ、手も足も出ねえ」
「それはそうと、がん公、お前の手の長い方はもう御免だが、足の速い方を見込んで一つ頼みがあるんだが」
「水臭いことをおっしゃっちゃいけません、頼みがあるのなんの、こうなってみりゃ、主従の間柄じゃございませんか、旦那がやれとおっしゃれば、火水の中へでも飛び込んでお目にかけますよ」
とがんりきの百が、相変らず人を食った面で答えました。返事をしながらも、その一本の腕をもって、不破の関守氏の背中を流すことは器用を極めている。
「そう言ってくれるのが頼もしい、では、一つ命令を下すぞよ。但し、ここでは下せないから、風呂から上って、ゆっくり下すから、ひとつ、この命令によって、お前、その足に馬力をかけてやってみてくれ」
「合点(がってん)でございます、がんちゃんの足を見込んでお頼みとありゃ、後へは引きません」
「よし、では上ろう、御苦労御苦労」
 かくてこの主従は風呂から上って、自分の部屋へ帰りました。
 不破の関守氏は、部屋へどっかと安坐すると、がんりきの百蔵を前に坐らせて、自分は床の間から行李(こうり)を引寄せながら、
「時にがんりき――」
 どうも、呼び名がまちまちで困る。がんちゃんと和(やわ)らげてみたり、がん公と角(かど)ばったり、またがんりきと本格に呼びかけたりするので、かなりめまぐろしいが、
「旦那、御用向のほどを承りましょう」
 しかるに、がんりきの方の尊称は旦那で統制されている。この男が、関守氏を先生とも呼ばず、親分とも言わず、旦那で立てていることが、かえって空々しいくらいのものだが、この際、この人柄では、旦那呼ばわりが、まず適当というところであろう。そこで関守氏も旦那らしく砕けて、
「実は、がんちゃん、君にひとつ、湖水めぐりをやってもらいたいのだ」
「湖水めぐりですか、洒落(しゃれ)てますね、どうも、がんちゃん儀、めまぐろしい旅ばかりやりつけているものですから、つい八景めぐりなんぞというゆとりがございませんでした、それを旦那が目をかけて、がんりきを遊ばせて下さる寸法なんですか、有難い仕合せ、持つべきものは親分でございますよ」
「そんな暢気(のんき)な話ではない、君もこのごろの、湖上湖辺の物騒さ加減を知っているだろう」
「百姓一揆(ひゃくしょういっき)とか、検地騒動とかで、えらく騒いでいるようすじゃございませんか」
「だいぶ民衆が騒いで、一帯に不穏を極めているが、ひとつその空気の中をその足で突破してみてもらいたいんだ」
「トッパヒヒヤロでござんすか、この騒ぎの中で、何か踊りをおどれとおっしゃるんでございますか」
「いや、あの中を突破して、向う岸の胆吹山まで行ってもらえばいいのだ、今、絵図面を見せるから」
と言って、不破の関守氏は行李の中から一枚の滋賀県地図――ではない、近江一国の絵図面を取り出してひろげ、それをがんりきの眼の前に置いて見せました。
「それ、これを見な、ここが逢坂山の大谷で、ここが大津だ、大津から粟津、瀬田の唐橋(からはし)を渡って草津、守山、野洲(やす)、近江八幡から安土、能登川、彦根、磨針(すりはり)峠を越えて、番場、醒(さめ)ヶ井(い)、柏原――それから左へ、海道筋をそれて見上げたところの、そらこの大きな山が胆吹山だ、つまり、これからこれまでの間を、お前に突破してみてもらいたいんだ」
「そう致しますと、つまりこの逢坂山から出立して、湖水の南の岸をめぐって、胆吹山まで歩いてみろ、とおっしゃるんでございますな」
「そうだ」
 不破の関守氏は、がんりきの百蔵に向って胆吹マラソンのコースをまず説明して置いて、それから使命の内容をおもむろに次の如く述べました。
「いいか、君のその早足で、この間を突き抜けて通りさえすればいいようなものだが、通りがけに、できるだけ沿岸の観察をしてもらいたい。観察といっても風景や人情を見ろというのではない、昨今の民衆の暴動がドノ程度までに立至っているか、百姓一揆共が、ドノ方面に向って行動し、ドノ方向に向って合流しているか、また主力はドノ地点に根拠を置いて群がっているか、その辺を見届けられる限り見届けて、深入りをする必要はないぞ、通りいっぺんでよろしいからそれを偵察しながら胆吹山まで行ってもらうのだ。その他、何に限らず、途中で眼の届く限りは見届けるがよろしい、たとえば、一揆(いっき)の首を振っているのはどんな人物で、役人たちが一揆の食止めの手配、そんなこともわかればわかるだけ見て置いて、そうして胆吹山まで、なるべく早く到着してもらいたい。見るには、いくら細かに見てもいいが、深入りは断じていけない」
「合点でございます、つっ走るだけの御用なら、当時、がんちゃんに限りますよ」
と、がんりきの百蔵は、いささか鼻を白(しら)ませてせせら笑いました。
 字を書けの、歌を詠(よ)めのと言われては、がんちゃんもいささか凹(へこ)むだろうが、歩けと言われる分には本職です。それを特に鼻にかけてせせら笑ったのは、せっかくがんちゃんを見立てた御用としてはおやすきに過ぐると軽蔑したわけではないので、実はこの使命の中には、相当危険状態が含まれていることを、がんりきはいささか予想したものですから、それで、われと我が身をせせら笑ってみたもので、不破の関守氏にはどうもその内容がよくわからないから、
「何事にせよ、事を侮(あなど)ってかかってはいかん、この時節だから用心はドコまでも用心をして……」
 関守氏から本格的に戒められて、がんりきがまたテレました。がんりきがたった今、危険状態を予想してせせら笑ったというのは、それは、自分が兇状持ちだという思い入れがあったからです。しかし、この野郎の兇状持ちは今に始まったことでない、海道という海道を食い詰めている金箔附きなので、いまさら、無宿を鼻にかけてみたってはじまらないのであるが、ごく最近に於て、このコースで生新しい負傷をしている、指のことは問題外としても、草津の宿で、轟(とどろき)の源松(げんまつ)という腕利(うでき)きの岡っ引に少々胆(きも)を冷やされているところがある。お角さんの厠(かわや)まで逃げ込み、なおまた大谷風呂の風呂番にまで窮命させられているのは、つまりその祟(たた)りである。そのことを思い出してみると、自分ながらくすぐったいから、それで、おのずから鼻が白まざるを得ない。これから再び取って返して、あのコースを行くのは、轟の源松の縄張中へ、わざわざ、からかいに出直すようなものであってみると、「なあに、タカの知れた田舎岡っ引に、がんりきの年貢を納めるにゃ、まだちっとばかり早えやい」というつまらない鼻っぱりが出て、それでいささかむず痒(がゆ)くなって、せせら笑ってみたまでのことです。
 そんなことを知らない不破の関守氏から、まともに戒められて、がんりきが、
「時に旦那、御注意万端ありがたいことでござんすが、突走れ、突走れとばかりおっしゃって、かんじんの御用向のほどが、まだ承ってございませんでしたね。いったい、胆吹山へ行って、誰に会って何をするんでござんすか、ただ湖岸(うみぎし)を突走って、胆吹山へ行きつきばったりに、艾(もぐさ)でも取ってけえりゃいいんでござんすか」
「そこだ」
と不破の関守氏が少しはずんで、
「いいか、胆吹山へ着いたら上平館(かみひらやかた)というのをたずねて行くんだ、そこに青嵐(あおあらし)という親分がいる」
「ははあ――青嵐、山嵐じゃないんですね」
「よけいなことを言うな。青嵐と言えばわかる、その青嵐という親分にお目にかかって、この手紙を渡すのだ、委細はこれに書いてある、そうして、その親分に向って、君が途中見聞したことの一切を報告するんだ、いま言ったような百姓一揆の動静だの、役人方の鎮圧ぶりだの、見たままの人気をすっかり青嵐親分に話して聞かせろ、つまり、それだけの役目なのだ」
「わかりました、よくわかりました」
「わかった以上は、事はなるべく急なるを要するから、これから直ぐに出立してもらいたい」
「合点でござんす」
「さあ、これを持って行き給え、己(おの)れに出で、己れに帰るというやつだ」
と言って、不破の関守氏は、因縁つきの胴巻を引きずり出して、そっくりがんりきに授けたものですから、またしてもがんりきをテレさせてしまいました。
「恐縮でげす」
「それから、旅の装いとしては、拙者のものをそっくり着用して行ったらいいだろう、この脚絆(きゃはん)なんぞも銭屋で新調したばっかりのものだ、ソレ、手甲、それ、わらじがけ、それ、笠の台――ソレ、風呂敷、ソレ、手形、こいつを大切に持って行きな」
 こうして不破の関守氏は、その夜にまぎれて、がんりきの百蔵を胆吹山に向って追い立ててしまいました。

         二十二

 がんりきを追い立てたその翌日、不破の関守氏は、明日、客をするからと言って、大谷風呂の奥の一棟をその用意にかからせたのです。不破の関守氏が肝煎(きもいり)となって、何か相当の客をこの一棟へ招くらしい。しかも、その前準備の忙がしいにかかわらず、たいした団体の客を迎えるというわけではなく、ほんの少数の客で、しかも密談――という申入れなのでありました。
 それでも、奥の一棟を借りきって、しかも、なおさら宿の者をてんてこまいさせたというものは、明日乗込んで来るといったその客が、その晩おそくなって、ここに御入来ということになったからです。
 その晩、お客は到着したに相違ない。けれども、そのお客の何ものであったかということは、誰もほとんど気がついたものはありません。その客にはお供が二三ついて来たけれど、本客というのは、もう相当の年配で、しかるべき大家(たいけ)の大旦那の風格を備えたお人であったということは、女中たちも言うのです。
 問題の、奥の間の床柱に座を占めた招待の客というものを見ると、さまで怪しむべきものではない、これぞお銀様の父、すなわち藤原の伊太夫でありました。附いて来たのは、番頭の藤七たった一人でした。
 だが、ほどなく、これに追いついてやって来た人は、宿の者皆の注意を引かずには置きません――それは、お角さんが至極めかし込んで、上方風の長衣裳で、駕籠(かご)から出て、いささか上気した意気込みで、
「あの、不破の関守さんとおっしゃるお方を訪ねて参りました」
「はい、お待兼ねでいらっしゃいます、どうぞ、こちらへ」
 お角さんは、案内につれて、おめず臆(おく)せず送り込まれたのは、伊太夫の座敷でなく、不破の関守氏の部屋なのでした。
 多分、不破の関守氏とお角さんとは、初対面のはずです。
 すべての事態を総合して見ますと、伊太夫お角さんの一行は、昨日あたり竹生島から帰りついたに相違ない。昨日の外出で、不破の関守氏は本陣をたずねて、伊太夫が立帰ったことをたしかめた上で、改めて来意を述べたものらしい。
 その結果として、お銀様が本陣を訪問するのも人目に立ち過ぎるし、かつまた、本人そのものが容易なところでは承引(うけひ)くまいし、そうかといって、父伊太夫が、小町庵の娘をたずねるのも順序が間違っている。関守氏とお角さんとが談合の上、幸い、物静かなこの逢坂山の大谷風呂の奥の間が、親子会見の席にふさわしかろうと、そういう取計らいで、会見の場がここときまったものらしい。
 それで、一通りの役者はここへ揃(そろ)ったわけなのですが、かんじんの女王様が見えた様子がないけれど、これも案ずるほどのことはあるまい、すでに御納得があって、胆吹山からここまで動座をされているくらいだから、ここらで異変の起る憂えはない。まず伊太夫を座に招いて置いて、しかるべきバツを合わせて、お銀様をここへ迎える、これは多分、明日のことになるだろうと思います。
 その間は、関守氏と、お角さんとが、まずまあ腕比べまたは舞台廻しというようなわけで、二人は夜の更くるも知らず、何かひそひそと話し合っておりましたが、伊太夫主従は、着早々、一風呂浴びると共に寝(しん)に就いてしまいました。
 それにも拘らず、関守氏の座敷ではまだ燈火(あかり)がして、お角さんが、寝ようとも休もうとも言わない、やっぱり、ひそひそと話し合っている様子でしたが、
「では」
と言って、お角さんが立ち上って、その隣の間の薄暗い座敷を怖る怖るあけた隙間(すきま)から見ると、その隣の間の正座に、意外にも覆面の人が一人、端坐していました。
 正面の覆面の客というのは、まごう方なきお銀様でありました。してみると問題のお銀様はいつのまにか、ここに安着していたのです。父に先んじて来たか、後(おく)れたか、いずれにしても、ここに安坐して二人の謀議を聞いている。事がここまで運んだ以上は、絶えて久しい父子の対面は無事に実現するにきまっているが、問題は、会見そのことよりは、会見して以後にあるのです。
 これからが関守氏とお角さんの、本当の腕の見せどころと言わなければなりません。

         二十三

 女王と総理とが出動した後の胆吹王国に、留守師団長をつとめたところの人は、前に申す通り青嵐居士(せいらんこじ)でありました。
 この人は、不破の関守氏とは話は合うが、その性格に至って大いに相違した点があると見なければなりません。
 すなわち、不破の関守氏は、一種の詩人でもあり、空想家でもあり、また相当の野心家でもあり、策士でもあるのですが、青嵐居士に至っては、もっとずっと着実家なのであります。
 釣に隠れているところを見ると、一個の風流人でもあり、ひとかどの曲者が世に韜晦(とうかい)しているようでもあるけれども、事実、この人は風流によって釣をしているのではない、好きだから釣に出るまでで、それに浪人をしていると暇が自由に取れるから、自然、好きな釣の道に出遊する機会が多いというだけのものです。ことに湖辺に住むと、地理に於て最も釣に恵まれているという条件もあります。かつまた、非常に話好きではあるけれども、その語るところをよく聞いていると、不破の関守氏のように空想的にあらずして、民生そのものに密接した点がある。野心家、或いは策士としての性格を多分に持ち合わせている不破の関守氏と比べると、一方は釣して網せず、一方は網して釣せずの性格の相違があるのであります。今、胆吹王国の留守師団長を引受けたからといって、創造者連の理想や野心に共鳴して然(しか)るのではなく、最近ちかづきになったよしみで、頼まれてみると、自分も相当の興味を以て、快く当分の留守を引受けてみたまでです。
 着任すると匆々(そうそう)、この人はまず胆吹王国の全体の人を見渡しました。
 規模と目的はすでに前人によって定められてあるのですから、それをいまさら検討して、革新の、改善のということは自分の権内ではない。その辺には少しも触れないで、現状を最もよく管理することが自分の任務だと思いました。
 そこで、自分として主力を置くべきものは、領土でなく、経営でなく、専(もっぱ)ら人事であるとの見地から、この王国に集まるところの人間の研究から取りかかりました。研究はどうしても科学的でなければならぬ、ローマン的であってはいけないという出立から、まずこの王国に現在集まっているところの人種を、次のように大別してみました。
甲種―胆吹王国の主義理想に共鳴して、これと終始を共にせんとする真剣の同志
乙種―現在は、まだ充分の理解者とは言い難いが、やがてその可能性ある、いわば準同志
丙種―主義理想には無頓着、ただ開墾労働者として日給をもらって働いている人
丁種―食い詰めて、ころがり込んで、働かせられている人
戊種(ぼしゅ)―好奇で腰をかけている人
 だいたい、この五種に分けてみました。頭数はすべてで約五十名ある。それをこの五つの中に部分けをして編入を試みようと、しきりにその性格や、労働の研究を進めておりました。
 そうしてみると、甲種と乙種に編入すべき人種の極めて少ないこと、全部でどうしても十名以上を数えることはできない。丙種、すなわち日給をもらってただ単に働く人は二十人以上あって、これは比較的最も多数だが、最も無色なのもこのやからであることを知りました。すなわち、近在の百姓連が、農事の暇を見ては賃銭稼ぎに来るだけのもので、なんらの熱情はないが、平明忠実によく働くことは働きます。
 丁種、すなわち食詰め者に至っては、頭数に於て右の丙種に次ぐものであって、十数名はたしかにいるが、これが最も王国民の中の難物だと思いました。監督している間は働きぶりを見せるけれども、眼が離れると、油を売り、蔭口を叩くのはこの連中であって、これを見のがしていると、その風が、他の人種に伝染するおそれがあることを青嵐居士が見てとって、どうしても監督の中心は、この丁種へ置かなければならないことに着眼しました。
 戊種に至っては、これは十名足らずの最も僅少な人数に過ぎないし、若年者が多く、本来は無邪気で、好意で参加しているだけに、教育すれば大いに収穫ともなるが、失望すると翻すやからである。その流動性を誘導して、本物に鍛錬してやることが任務だと青嵐居士が見て取りました。
 だいたい、胆吹王国に身を寄せる人種は右のような人別(にんべつ)になりますけれども、右の人別のいずれへも入らない存在を、炯眼(けいがん)なる青嵐居士が早くも見て取りました。たいていは以上の五種類の中へ編入してできないという人種はないが、ただ二人だけ、どうも青嵐居士の頭をひねった人種が存在するのです。青嵐居士は早くも、この二人はスパイだなと見て取ってしまいました。
 スパイというのは、つまり、このところに変てこな団体が巣を食いはじめた、表面は開墾だが、何か特別の危険思想なり、行動なりの卵ではないか、或いはまた大本教や、ひとのみちの二の舞ではない――一の舞ではないかというような懸念から、藤沼正兵衛あたりによってさし廻された偵察者である。それが同志、或いは労働者をよそおって、この王国中へ潜入しているのが、たしかに二人はあると睨(にら)んだのが、さすがに青嵐居士の炯眼です。不破の関守氏は、そういう科学的分析も、人種的検討もしませんでした。
 もとより当初は、来(きた)る者拒まず、という解放主義でなければ人が集まらないという理由の下に、人を入れに入れたものですから、そういう検討をする遑(いとま)がなかった。雑多な人が来て、雑多な性格をぶちまけることを、大まかに容認していたのですから、不破の関守氏は大体をおさめるに急で、個々の分析には及ばなかったのも道理です。
 さて、そういうふうに青嵐居士は、胆吹王国の人種を分類してみましたけれども、その分類によって、処分に手をつけようというのではないのです。それはそのまま単に研究とし、参考の資料として扱いながら、その範囲に於て監督もし、働かせもしているのです。
 そうしてこれらの人種に対して、淡々として一視同仁に眼をかけるものだから、特にこの人を崇拝するという信者も出ない代り、不服や反抗の色を現わすものは一人もありませんでした。
 かくて青嵐居士は、毎朝毎日、王国内を巡視しては、極めて心やすく国民に向って呼びかける、評判はなかなか悪くないのです。

         二十四

 ある日、青嵐居士が、炭焼の釜出し勤務を見廻っていると、一人の青年がたいへん丁寧に挨拶をする途端に、ふところから転がり出して地上に落ちたものがありました。
「何か落ちたぜ、君」
 青嵐居士から注意を受けて、
「はい、どうも済みません」
 この青年は、あわただしく、落ちたものを拾い取って、またふところへ捻(ね)じ込んで仕事にかかるのを、青嵐居士が見のがさず、
「そりゃ、何の本だい、君」
と言ってたずねますと、
「いいえ、なあに、何でもありません」
「見せ給え」
 そう言われて青年も、拒むわけにはゆかないで、いったんふところへ捻じ込んだ小冊子を、また取り出して、青嵐居士の前へ提出しました。
「ははあ、君は蘭学をやってるんだな、感心だね」
「相済みません」
と言って、青年が頭を掻(か)きました。蘭学をやることが別に相済まぬことになるはずはないが、これはこの青年の口癖でしょう。青嵐居士は、それ以上にはなんらの追究することもなく、右の冊子を青年のふところに押戻してやりながら、
「今晩、話しに来給え、上平館の時習室へ話しに来給え」
と言い捨てて、次の職場の方に巡視にまわりました。
 この青年は、かねて青嵐居士が分類に於て、戊種の方へ編入して置いた一人でありました。戊種というのは、つまり、好奇でここへ参加して来ている人種をいうのです。好奇性もあり、煩悶性(はんもんせい)もあって、一燈園なり、大本教へなりへ走って行ってみる、そこで教育もされたり、失望もしたりして帰って来る、一種の流行性を帯びた人種である。
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