大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

 不破の関守氏が、よけいなことまで口に出して聞いてみたのは、樫本寒雪といえば当時、聞えたる有名の画家であって、絵の方に於ても一代の名家だが、貨殖も相当なもので、なかなかに豪奢(ごうしゃ)な生活を営んでいるということも聞き及んでいる。到るところに幾つもの別荘を構えていて、この別荘の如きは、ホンの小附(こづけ)の一つに過ぎまいと思われる。関守氏は走井のほかには、家の建前や庭のこしらえなどにはあまり心をひかれなかったものと見えて、そのまま辞して、早くも大谷風呂の前まで到着しました。
 だらだら坂を少し上って行くと、門があり、植込がある。玄関へかかって、
「頼もう、旅のものでござるが、一風呂浴びさせていただきたい」
 しばらくは返答もなかったが、ややあって、
「お越しやす」
 ようよう現われたのは、やはり女で、しかも今度のは丸髷(まるまげ)のすごいような大年増、玄関に現われるや否や、不破の関守氏と面(かお)を合わせて、
「あら――関守の先生でいらっしゃるわ」
「やあ、これはこれはお宮さん、珍しいところでお目にかかりましたな」
 不破の関守氏が、熱海海岸の場の貫一さんのような発言をして、さすがの策士も、ちょっと度胆(どぎも)を抜かれたようでしたが、先方も相当、心臓を動揺させたと見えて、
「どうしてまあ、関守の先生、いつごろ、こんなところへ――何はともあれお上りやして……」
 十二分の面見知(かおみし)りであるらしい相手で、すっかり納まり込んだ関守氏は、玄関に腰うちかけていい気持で草鞋(わらじ)の紐(ひも)を解く。
 それにしても、今日は関守氏、ことのほか艶福の日と見えて、走井の水をたずねた時は花売りの乙女――寒雪画伯の別荘で名所を見せてくれたのが極めて尋常ながら、これも年に於ては不足のない妙齢の処女、こんどこのところへ来て見ると、現われたお宮さんがすごいような丸髷の大年増ときている。しかも、それも双方相当の前知ということであってみると、穏かでない。だがしかしここに現われたお宮さんは、富山家(とみやまけ)の令夫人としては少々凄味が勝ち過ぎているし、ここを訪うて来た関守氏は、貫一君としては少し白髪が有り過ぎる。まずまあ、これも安心して置いてよろしい。

         十一

 長安寺の小町塚の庵(いおり)に残されたお銀様は、決して、しかく緩慢にして悠長なものではありません。お銀様は憤(いきどお)っている、いかにして何物を憤っているかということは、前巻の終りに次のように記されてあったはずです。

「胆吹の御殿ではお銀様が憤っている。
 お銀様は絶えず憤っている人である。その人が、憤りの上にまた一つの憤りを加えた。
 何を憤っている。
 お雪ちゃんという子が、恩を忘れて裏切りの冒涜(ぼうとく)の行動をしている、それを憤っているのか。そうではない。
 竜之助という男が、無制限の放縦と、貪婪(どんらん)と、虚無に盲進する、それを憤っているのか。そうでもない。そんなことはこの暴女王にとっては、憤慨ではなくて、むしろ興味である。
 そもそも、この暴女王が今日に及んで、かくも深く憤りを発しているという所以(ゆえん)のものは、己(おの)れの夢想する王国が、土台からグラつき出したから、それを見せつけられるがために憤っているのに相違ない。
 人間というやつは度し難いものだ、人間というやつは救うよりは殺した方が慈悲だ、とさえ、ややもすれば観念せしめられることの由を如何(いかん)ともし難い。
 ナゼならば、彼女は己れの強力を傾注して、有象無象をよく生かしてやらんがために事を企てているが、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴はない! いや、ここに来る奴、集まる奴にロクな奴がないのではない、およそ生きんことを欲する人間にロクな奴がない! という断案を得ようとして、それを得させまいがために、自ら苦心、焦慮、憤慨しているのである。
 もし、こういう論理を許すとすれば、自分の王国主義を、甘んじて虚無主義に屈服せしむる結果となる、それでは絶滅の使徒、虚無の盲人に笑われるばかりだ。生の哲学から、死の哲学に降服を余儀なくされるばかりだ。
 彼女は、ここに働く人間共の表裏を見せつけられる。人間は働きたいが本能でなく、なまけたいのが本能だ。生をぬすまんがために、表面追従するだけで、生の拡大と鞏固(きょうこ)とを欣求(ごんぐ)するような英雄は一人も来やしない。彼等の蔭口を聞いていると、この王国を愚弄(ぐろう)し、わが暴女王の甘きにタカるあぶら虫のような奴等ばかりだ。こんな連中に世話を焼いてやるべきものではない。残らず叩き出して出直させるに越したことはない! とさえ、この女王を思い迫らせる。
 王国の門を鎖(とざ)し、垣を高くして、いま来ている奴等を残らず叩き出して、新たに出直さす――と言ったところで、彼等をどこへ、どう叩き出して、どこから出直させる。所詮、母の胎内へ押戻して、再び産み直させるよりほかに道はない。
 お銀様は、この深い憤りを抑(おさ)えて、御殿の一間から琵琶の湖前をながめている。
 憤っているのは、お銀様ばかりではない。道庵というような出しゃばり者を別にしては、誰も彼もが、みんな憤っている――ように見える。およそ今の時勢に、笑ってなんぞいられる奴はない。
 お銀様が、これを深く憤っている時に、城下――御殿下とか、屋敷下とかいうよりは、ここからは城下といった方がふさわしい、胆吹御殿の城下がにわかに物騒がしくなりました。春照、弥高の里で、早鐘が鳴り出しました。
『一揆(いっき)が来るぞ!』
『百姓一揆が押して来たアー』
 どこからともなく響く号叫」

 これが大菩薩峠第十八巻「農奴の巻」の終りの一章でありました。
 お銀様はこの一室に納まって見ると、かなり閑雅で、小町の名を冒(おか)して恥かしからぬ古色もあるにはあります。床の間には掛軸があって、長押(なげし)には額面がある。書架があり、経机があって、一通りの調度がととのっている。茶の間には茶道具一式があり、行燈(あんどん)もあり、火鉢もある。お銀様が来ても、そこへ坐りさえすれば、あとはもう召使を呼ぶだけになっている。これはあながちこの女王様を迎えんがために、調度を急いだというわけではなく、前住者がついこの間まで居抜いたものを、そっくり置き据(す)えただけのものであります。
 床の間の掛軸の、懐紙風(かいしふう)に認(したた)められた和歌の一首――
花のいろは
 うつりにけりな
   いたつらに
  わか身世にふる
    なかめせしまに
 ここにあるべくしてある文字で、かえって当然過ぎる嫌いはあるが、さりとて、侮るべき筆蹟ではない。筆札(ひっさつ)に志あるお銀様が見ても、心憎いほどの筆づかいであったのは、それは名家の筆蹟を憎むのではない、どうやらこの文字の主(ぬし)が、やっぱり女であると思われることから、お銀様の心を幾分いらだたしめました。
「わたしにも、このくらいに書けるか知ら」
 書いた主は何人(なんぴと)だかわからないが、女の筆のあとと見込んだばっかりに、お銀様が嫉妬心を起したのも、この人としては珍しくありません。ことに行成(こうぜい)を品隲(ひんしつ)し、世尊寺をあげつらうほどの娘ですから、女にしてこれだけの文字が書けるということ、そのことにある嫉(ねた)みを感じ、同時に自分もこのくらいに書けるか知らと僻(ひが)んでみたまでなのです。床の間の傍らに、仏壇とも袋戸棚ともつかない一間があって、そこに一体の古びきった彫刻が控えているということは、この室へ入った最初の印象で受取りきっていましたから、今更どうのというわけではありませんが、あれが小町の本当の姿か知らんとお銀様は、その瞬間に感じていたのです。
 その彫刻は二尺ばかりの木彫の坐像で、一見しょうづかの婆(ばば)とも見える姿をした女性が立膝を構えている。おどろにかぶった白髪と、人を呑みそうな険悪な人相と、露(あら)わにした胸に並んで見える肋骨の併列と、布子(ぬのこ)ともかたびらともつかない広袖の一枚を打ちかけた姿と言い、誰が見ても三途(さんず)の川に頑張って、亡者の着物を剥(は)ぐお婆さんとしか見えないのでありますが、辛うじてそれがしょうづかの婆さんでないことから救われているのは、片手には筆を持って、垂直に穂先を下に向けた一方の手は薄い板っぺらのような物を持添えて立膝の上に置いてある。その薄っぺらな板のようなものが短冊(たんざく)というものであることを認めることによって、このお婆さんが亡者の衣服を剥ぐことを商売とする人でなく、短冊に対して優にやさしい水茎のあとを走らせることを知る風流の心を持ち得る人種であるということがわかるだけのものです。
 しかし、それほどに、小町というものの通俗にうたわれた容姿風采とは趣を異にしているけれども、彫刻そのものが凡作でない証拠には、この年になっても、どこやらに人に迫るものがある。古(いにし)えは美で人を悩殺したが、今は鬼気を以て人を襲うという凄味があるのは、小町その人の生霊(いきりょう)が籠(こも)るというよりも、彫刻師その人の非凡がさせる業に相違ない。眼の高いお銀様は、早くもこの彫刻の非凡さを見て取って、しかしてこれが小町であることに大なる共鳴を感じました。美人としての小町なんぞは語るに足らない、鬼女としての小町、小町としての本性格は、これでなければならないと、お銀様は入室の最初からその木像を愛しました。
 ただ、気に入らないのは、床の間の一方に、算木(さんぎ)や、筮竹(ぜいちく)や、天眼鏡(てんがんきょう)といったようなものが置き散らされてあることで、これとても、この室の調子を破るというほどではないが、算木とか筮竹とかいうようなものが、お銀様は嫌いなのです。人間の運命を、人間以外の者に向って伺いを立てるというような不見識が、お銀様の常日頃からのお気に召さないのです。
 ようやく、机によって、間近な書架から書を取って検閲をはじめました。読む気ではない、検閲をしてやるつもりなのです。つまり、今までの前住者が、どれほどの教養があった人か、少なくとも、あの木像を守り、あの歌をかけて置くほどのものが、キングや文芸春秋ばかり読んでもおられまい。古えの小町の名を辱(はずか)しめぬぐらいの読書はあってよかりそうなもの、なくてはならぬはずのものと、お銀様は、前住者の器量を見抜くつもりで、書架の書を取って見ると、第一に手に触れた「三世相」――部厚に於ては群を抜いているけれども、これがお銀様の軽蔑を買うには充分の代物(しろもの)でありました。取って投げ出すように「三世相」を下に置いて、次の大判の唐本仕立てなるを取って見ると「周易経伝(しゅうえきけいでん)」――
 お銀様は「三世相」の余憤を以て、そこにも若干の軽蔑を施しつつ、でも、これは一概に投げ出すようなことをせずして、不承不承に丁(ちょう)を繰りながら読み下してみました。
「乾 元亨利貞 初九潜竜勿用 九二見竜在田 利見大人」
 何のことかさっぱりわからない。お銀様の学力を以てすれば、文字だけを読み砕くには何の不足もないが、こればかりは文字あるところに直ちに意味が附着して来るのではない。お銀様は何かしら憤りをこらえて、なお読み進んで行くと、
「九三君子終日乾乾夕□若□无咎 九四或躍在淵无咎九五飛竜在天利見大人」
 いよいよ読み進んで、いよいよ何のことかわからなくなる。
 お銀様は憤りました。

         十二

 易(えき)を読んで、お銀様が腹を立つ、それは立つ方のお銀様が無理です。孔夫子でさえも、五十初めて学ぶという易を、女王様風情で物にしようというのが大ベラボウのもとなんですが、傲慢(ごうまん)と、呪詛(じゅそ)と、増長で持ちきっているこの女には、その分別がつかないのです。
 事実、わかるわからないは別として、現在お銀様には歯が立たないのです。立たないのがあたりまえなのですが、それをそうと素直に受けることのできないことが、この女の持つ重大なる不幸でもあり、生存の根拠でもありましたのです。同時に、この女王はこの書物を征服しなければならないという憤りを発しました。この人は早くから世をすねている、人に面(かお)を合わせることを憎んでいる生活が内面に向って、書を読むことは読みました。おそらく、お銀様ほどの年頃で、お銀様ぐらいの読書家はなく、そうしてその読書の範囲に於ては、曲りなりにも自分の見識の立たなかった書物というものは、まず今までになかったのです。四書五経の如きも一度は目を通したことがあるに相違ないのですが、今日ここで単独につきつけられてみると、ほとんど歯が立たない、というよりも、手も足も出ないのです。文字そのものが異った国の文字であるならばとにかく、文字そのものだけは、立派に読みこなすことができて、意味らしいものが、どうにもこうにも掴(つか)めないことをお銀様は憤激しました。
 この憤激がお銀様を、無二無三に易伝の中へ突入させましたけれども、いよいよ進んで、いよいよ相手にされない。相手にされないだけならまだしも、相手を征服できないことは、同時に自分が征服されるという意地であってみると、もはや我慢ができない。お銀様は易を読みながら創痍満身(そういまんしん)になりました。
「ああ、これは読み直さなければならない、今日まで人間の力で読みこなした人がある以上は、わたしにだって読みこなせないはずはない、もしまた本来、何もわからない出鱈目(でたらめ)が書いてあるものとすれば、これが千年も二千年も世の中に残っているはずはないから、この中にはきっと、人間の中の千人に一人か、万人に一人でなければ理解のできない奥深い真理が籠(こも)っているに相違ない、もしそうだとすれば、自分もその千人に一人か、万人に一人の人になってみなければならない――」
 易(えき)にぶっつかって創痍満身のお銀様が、辛(から)くもここまで反省したことは、さすがでありました。難解には難解に相違ない、いま読んで今わかるという本でないことはわかっている、だが、時日を与えれば、自分もこれをわかってみせる――という持久心を取戻したことが、お銀様のさすがでありました。
 そこで、お銀様は「周易経伝」の巻を伏せて、その一部四冊だけを別にこっちの経机の上に取って置いてから、次へと書棚の検討をつづけました。
 その次に触れたのが「古今集」――これは歯に立つも立たぬもない、自分の家の中庭の花園へ分け入るようなものである。ただ見返しに誌(しる)された、このぬしの墨書(すみがき)が、なかなかに見事で、しかも女の手、そうして、どうやら床の間の「花の色は」の筆蹟と似通っていることだけです。
 どうも女文字ばかり多いが、ことによるとこの庵の前住者というのが、やっぱり女ではなかったのか、そこへお銀様がふと気を廻してみました。そういうふうに気を廻して見れば見るほど、その気分が全体ににじんで来る。そこへちょうど婆やが別棟からお茶を持って参りました。
「婆や、前にここにいらしった方はどんなお方でした」
「はい、あなた様と同じような女子(おなご)のお方でいらせられました」
「ああ、そうですか、で、この御本は皆そのお方がごらんになったのですか」
「左様でございます、書物をごらんになり、お歌をお作りになって、よくこの町の娘衆などにも添削(てんさく)をしておやりになりました」
「そうでしたか、それでは、なかなか学問がお出来になるお方でしたね」
「はい、お身分もすぐれていらしったそうでございますが、学問の方も大したお方で、和歌や文事(ふみごと)のほかに、易をごらんになりました」
「易というのは、あの身の上判断やなにかのことですか」
「はい、易経と申しまするものは、なかなか身の上判断などに使うべきものではない、貴い書物だとおっしゃりながら、それでも、町の人たちが困ってお頼みにおいでになる時などは、あの算木(さんぎ)筮竹(ぜいちく)で易を立てて、噛んで含めるように、ていねいにお諭(さと)しをしておやりになりましたものですから、それがために救われたものも多分にございました」
「易を立てて、身の上判断をして、それで暮しを立てていたのですか」
「いいえ、左様ではございません、お礼物(れいもつ)などは決してお受けになりませんでした、ただ人の気を休めるために筮竹を取るのだとおっしゃいました。お礼などをお受けにならないでも、立派に御身分のあるお方でございまして、大僧正様なども、どうかするとお見えになりましたが、大僧正様と易経のお話をなさいましたことを、わたくしは蔭ながら伺っていたことがございますが、その時におっしゃったお言葉と、身の上判断を頼みに来る人に向ってあそばす易経のお諭(さと)しとは、全く違った見識のもののように承っておりました」
 婆やから、こう言って説明されると、お銀様の心がまた穏かならぬものになりました。
 自分で見ては歯の立たないものを、ここの前住の女庵主は、立派に消化しきっているように思われたのが、お銀様の心を少なからずいらだたしめたもののようです。
 こうして書物の検討をしている間に、夕方から雨が降り出しました。

         十三

 小町塚の雨の第一夜を、お銀様は、しめやかな気分のうちに眠りに就きましたが、お銀様としては、こと珍しい環境のうちに、珍しい夢を見るの一夜であります。
 胆吹御殿の上平館の一室も、静かな一室であることに於ては、ここに譲りません。あるいはここよりも一層、懸絶し、沈静している胆吹御殿の女王の一室ではありましたけれど、女王としての権式を以て寝ね、女王としての支配を以て起きるのですから、放たれたる夢を結ぶということは、まずないことでした。
 しかるに、今晩という今晩は、境(きょう)が変れば心が変るのであって、夢が現実から古昔に向って放たれました。関ヶ原以来、歴史にさかのぼった夢を見ることは稀れでありましたのです。
 まず、夢に入り来るところの人は小町でありました。最初の印象の壇の上の、しょうづかの婆さんに紛らわしい関寺小町(せきでらこまち)が、壇の上から徐(おもむ)ろに下りて来ました。
「どうです、一枚お書きなさいな、あなたもあのくらいに書ける手じゃありませんか、書いてごらんなさいましな」
 自分の片膝に持添えていた短冊と、右の手に七三に下向きに持っていた筆を取添えて、お銀様の前へ突きつけるのであります。そうして、あなたもあのくらいに書ける手じゃありませんか、とそそのかして、ふいと床の間を振向いたところには、やはり夜前、つくづくと見て、心憎さを感じたところの懐紙風のかけものが、そのまままざまざと浮き出している。
花のいろは
 うつりにけりな
   いたつらに
  わか身世にふる
    なかめせしまに
 そう言われると、お銀様にも軽快な競争心といったようなものが動きそめたと見えて、関寺小町のつきつけた筆と色紙(しきし)とに、手をのべて受取ると、いつのまにか受身が受けられるような立場となって、関寺小町の姿は消えたが、「花の色は」の大懐紙の前に、美しい有髪(うはつ)の尼さんが一人、綸子(りんず)の着物に色袈裟(いろげさ)をかけて、経机に向って、いま卒都婆小町(そとばこまち)が授けた短冊に向って歌を案じている。気品も充分だし、尼さんとしては艶色(えんしょく)したたるばかりと見られるばかりであります。
 お銀様は夢のうちにも、その尼さんの姿を、やはり心憎いものだと見ました。どこの何という人か知らないが、その美色はとにかく、気品としては、尼宮様と言っても恥かしからぬ高貴の人のようにも思われるが、短冊を取り上げて、和歌を打吟じ打吟じているかと見ているうちに、その手に持つ筆が、いつしか筮竹と変じ、その膝に当てた短冊が算木となって机の上に置かれてある。
「ああ、前住居の女易者――」
 むらむらと、そんなような気分になると同時に、主観と、客観とが、お銀様の夢の中で混合してしまって、夢を見ているのが自分でなくなって、夢に見られているのが自分でもあるように混化してしまいました。
 お銀様自身が、算木筮竹を持って思案する身になってみると、眼前に現われて、しきりに我を悩ますものは、やはり前夜、これにぶっつかって悩まされた易経の中の卦画(けかく)と、その難解の文章でありました。
 易者としてのお銀様は、算木筮竹をもって吉凶と未来とを占(うらな)っているのではないのです。
 この難解の文字を打砕かんとして苦闘をつづけているのですが、こればっかりは現実で歯が立たなかったように、夢になっても歯が立ちません。
 そうして、現実の時に反抗したと同様の弾力を以て、夢で易経と取組んで、これに悩まされている自分を如何ともすることができません。
 その時、庵外の夜に人のおとなうものがあって、ホトホトと柴折戸(しおりど)を打叩いている。
 はて、深夜にここまで自分を訪ねて来る人はないはずだ、あるにしても、昨晩からここに宿を求め得たということは、自分も予期してはいなかったし、ここへ着いてはじめて不破の関守氏の肝煎(きもい)りの結果なのだから、いずれのところからも、深夜に使者の立つ心当りはないのです。取合わないがよろしいと、お銀様も思案をきめまして、そのまま、また卦面(けめん)に眼を落していると、
「もしもし、女易者様のお住居(すまい)は、こちら様でございましたか、夜分、まことに恐れ入りますが、思案に余りましたことがございまして、お伺い致しました」
 外でするのは、まだ若々しい男の声に相違ないが、その声音(こわね)によって見ると、いかにもしおらしい、死出の旅からでもさまよい出して来たもののような、すさまじさが籠(こも)るので、お銀様の心も妙にめいりました。だが、滅多に返事を与うべきものではない。そこで、返事がないことを、外ではもどかしがっていると見えて、
「もし、後生一生のお頼みでございます、人の魂二つが、生きようか、死のうか、迷い抜いての上のお訪ねでございます、御庵主様にお願いがあって打ちつれて参りました」
 そう言うのは、こんどは、うら若い女の声でしたから、お銀様の胸が安くありません。
 前の声は、まだ若い男の声で、こんどのは同じほどの女の声。その世にも哀れに打叩く声音というものは、全く血を吐くような切羽(せっぱ)のうめきがあることを、聞きのがすわけにはゆきません。
 それでもお銀様は、なおなんらの応対の返事を与えないでおりましたが、お銀様自身よりも、たまり兼ねたものは別室の婆やでありまして、
「どなた様ですか――何の御用でござりましたか知ら」
と言って、起き上った様子です。
 婆やが立ってくれれば、何とか取仕切って帰してしまうだろう。こういう頼みの客に対しては、易者の玄関番としての日頃の商売柄、うまく扱ってなだめて帰すことには慣れているはずだ。お銀様はこちらにあって、そのことを心恃(こころだの)みにしていると、しばらくあって、畳ざわりの音が軽いながら入乱れて、どやどやと、この座敷めがけて続いて来る。
「おや――」
と思っているうちに、隔ての襖がサラリとあいて、次の間に手をつかえているのは案内の婆やと、その後ろの暗がりに白く浮いて見えるのは、たしかに若い男女の者の二人。
 おやおや、たのみ甲斐(がい)もない、うまく扱って帰してしまってくれるとばっかり思っていたのに、その頼みきった婆やが、こちらの一応の内意も聞くことをせずに、先に立って引きつれて来てしまったのでは話にならないではないか。
 だが、つれて来てしまったものは仕方がない、女だてらに声を荒らげて叱り帰すわけにもゆくまいではないか、お銀様も呆(あき)れて襖の向うを見渡していると、白く浮いた二人の男女のうちの一人が、
「お初(はつ)にお目にかかりまする、わたくしが真三郎でござります」
「わたくしは豊と申しまする」
 許されない先に入り来(きた)った男女の者は、問われない先に、自分の名を名乗ってしまいました。

         十四

「こちらへお入りなさい」
 名乗りまでしかけて来られてみると、お銀様もぜひなく、こちらへ招じ入れないわけにはゆきません。招ぜられて二人は、辞することなく、するすると座敷へ通って程よく並んだと見ると、もう案内の婆やの姿は掻(か)き消されてしまって、行燈(あんどん)の下に、しょんぼりと坐っている男女の姿のみを見るのであります。
「夜分、こんなにおそく、恐れ入りましてございますが、七ツの鐘が六つ鳴りまして、あとのもう一つがこの世の聞納めの切ない末期(まつご)に立到りました故に、どうでもお訪ねを致さねば済まないことになりまして」
 二人はこう言って、行燈の下に、お銀様の前に向って、さめざめと泣くのでありました。
「まあ、何はともあれ、心を安めなくてはなりません、わたしで御相談に乗れますことか、どうか、そのことはわかりませんが、せっかくのことに、お話を伺うだけは伺って置きましょう」
 お銀様はこう、二人の気休めに言います。二人は、なげきのうちにもよろこびました。
「御親切のお言葉、何よりの力でございます、そうして、こんなに夜更けて推参を致しましたのは、二人の狭い胸では、どうしても理解の届かないものがございますので、あらたかな御庵主様の御易面(ごえきめん)から見て、御判断を賜わりたいのでございます」
 二人が、また声を合わせてかく言う。そこでお銀様が、ははあ、ではこの男女は、わたしを女易者だと信じてやって来たのだな、若い分別の二人の狭い胸では解釈のしきれない迷路に立って、易者の門を叩くということは有りそうなことだ、だが、戸惑いにも程があるという気位になって、お銀様が夢の中にも笑止の思いを致しました。
「わたしには、易はわかりません、易によって判断などは思いもよらないことで、本来、易というものは、人間の身の上判断をするように出来ている文字ではないのです」
とお銀様の言うことは、理に落ちているんだが、二人はそういう理解を聞きに来たものではないのです。
「お聞き下さいませ、わたくしたち二人の者の身の上と申しまするのは……」
 ここで二人の身の上話を話し出されてはたまらない、というような気分にお銀様が促されまして、
「お身の上をお聞き申すには及びませぬ、現在のあなた方の立場と、本心の暗示とを承ればそれでよろしいのです」
 お銀様にこう言われて、若い男女はたしなめられでもしたように感じたと見えて、
「恐れ入りました、現在のわたしたち二人は、死ぬよりほかに道のない二人でございます、ねえ、豊さん、そうではありませんか」
「あい、わたしは、お前を生かして上げたいけれども、こうなっては、お前の心にまかせるほかはありませぬ」
と女から言われて、男はかえって勇み立ち、
「嬉しい!」
 それを女はまたさしとめて、
「まあ、待って下さい」
「いまさら待てとは」
「ねえ、真さん、死ぬと心がきまったら、心静かに落着いて、もう一ぺん考え直してみようではありませんか」
「ああ、お前は、わたしと一緒に死ぬと誓いを立てながら、その口の下から、もうあんなことを言う」
「いいえ、死ぬのは、いつでも死ねますから、死ぬ前に申し残したいことはないか、それをもう一ぺん、思い返して下さい」
「そういう心の隙間(すきま)が、もうわたしは怨(うら)みです、申し残したいことがあれば、どうなるのですか、わたしはもう、この世に於ての未練は少しもありませぬ、片時(かたとき)も早く死出の旅路に出たい」
「それでも、もし、思い残したことが一つでもあっては、その冥路(よみじ)のさわりとやらになるではありませんか」
「もう知らない、もう頼まない、思い直せの、考え直せのと、ゆとりがあるほど、この世に未練があって、死出のあこがれがないのです、そんな水臭い人、もう頼みませぬ」
「聞きわけのない、真さん、たとえ一つでもわたしが姉、目上の言うことは聞かなければなりませぬ」
「いいえ、年がたった一つ上だとて、夫婦(めおと)の固めをした上は、お前は女房で、夫はわたし、女房というものは、身も心も、みんな夫に任せなければなりませぬ、わしが死ぬというからには、お前も死んでくれるのはあたりまえ」
「真さん、お前と、わたしと、いつ夫婦(ふうふ)の固めをしましたか」
「あれ、まだあんなこと、たった今、お前の命をわしにくれると言うたことを、もう忘れて」
「それは違います、真さん、わたしはお前を好きには好きだけれど、わたしの夫と定めた人は別にあることを、お前の方が忘れている、わたしは、定められた許婚(いいなずけ)の人を嫌って、お前といたずらをしたのです」
「それほどお前、いたずらがいやなら、その定められたお方の方へ行っておしまい、その了見なら、少しも一緒に死んでもらいたくない、一人で死にます、お前の真実心を思うから、死ぬ前に一度会いたいと、ここまで来たのは、わたしの愚痴でした」
「それでも、お前一人が死ぬというものを、わたしが見殺しにできましょうか、昔のことを考えてみて下さい、ねえ、真さん」
「それは、わしの方で言うことです、昔のことを考えれば、いまさらお前が、定まった夫の、許婚のと言われた義理ではありますまい」
「ああ言えばこう言う、お前の片意地――もう聞いて上げませぬ、おたがいにいさかいをするのはもうやめましょうね、こっちへいらっしゃい、黙って死んで上げますから」
「わしも、もう恨みつらみは言い飽きた、黙って死のう、黙って死なして、ね、豊さん、わたしの大好きなお豊さん」
「よう言うてくれました、わたしの大好きな大好きな真さん、さあ、こっちへいらっしゃい、一緒に死んで上げるから」
「わしがお前を先に死なそうか、お前がわしを一思いに殺してたもるか」
「後先を言うのが水臭い、いっしょに死ぬのではありませんか」
「ああ、嬉しい」
「お前、ホンまに嬉しいか」
「離れまいぞ」
「離れまじ」
「未来までも」
「七生までも」
「さあ、お前、これでも生きたいと言わしゃるか」
「ああ、死にたい」
「あれ、真さん、そこは深い」
「深いところがいいの」
「お前ばかり先に深いところへいって、わたしだけが残されるようで、いや、いや」
「そんなら、お前、先にお進みなさい」
「後先を言うのではないはず、後へ引こうにも、先へ行こうにも、二人の身体(からだ)は、この通り結えてあります、動けるなら動いてごらん」
「こうなっても、いやならいやと言うてごらん」
「もう知らない」
「嬉しい、く、く、苦しい」
「わたしも苦しい、水――」
「水――」
「二人は苦しいねえ、真さん」
「二人は嬉しいねえ、豊さん」
 痴態を極めた男女の姿を眼前に見ているお銀様。思案に余って、身の上判断を請うと言って、わざわざ人の寝込みまで襲いながら、人の見る眼の前で、このザマは何だ、相談に来たのではない、心中に来たのだ、しかも、このわたしというものの眼前で、思いきった当てつけぶり、何という愚かな者共。いやいや、わたしが徒然(つれづれ)を慰めんがために、わざわざ芝居をして見せに来たと思えばなんでもない。叱責と嘲(あざけ)りの唇を固く結んで、お銀様が、彼等の為(な)す痴態の限りを為し終るまでながめてやろうと、白い眼に睨(にら)んでおりますと、行燈が消えました。
 闇かと見ると、その行燈の消えた隙間から一面に白い水――みるみる漫々とひろがって、その岸には遠山の影を涵(ひた)し、木立の向うに膳所(ぜぜ)の城がかすかに聳(そび)えている。昼にここから見た打出(うちで)の浜の光景が、畳と襖一面にぶち抜いて、さざなみや志賀の浦曲(うらわ)の水がお銀様の脇息(きょうそく)の下まで、ひたひたと打寄せて来たのでありました。
 その湖のまんなかに、いま見た二つの物影が、浮きつ沈みつもがいている。
 ははあ、今し生命判断を頼んで来た痴態の限りの二人の者、刃(やいば)で死ねずに、水で死ぬ気になったのか、愚かなる命の二人よ、とお銀様は、写し絵にうつるような湖面の一巻の終りを飽くまで見据えて、眉一つ動かそうともしません。
 そのうちに、二人のもがき合った湖面の水が逆まいて、怖ろしく浪立ったのは束(つか)の間(ま)、やがて漫々とまたもとの静かさに返ると、急に闇が迫って――おりからゴーンと三井寺の鐘、あつらえたように、お銀様の夢のうちの耳にまで響き渡りました。

         十五

 だが、夢はそこで破れたのではありません。夢の中なる夢路かなという、人生そのもののうつしのような暗示が、お銀様の枕の上で続いているのです。
 動揺した湖面が平らかになって、三井寺の鐘がゴーンと鳴り響いたことに於て一幕の終りとなったかと言うに、さにあらず、静まり返った湖面の風景は暗転にもならず、引返しにもならないで、そっくりいっぱいの大道具のままに運転をしておりましたのですが、腥(なまぐさ)い風がドコからともなく吹き渡って来て、お銀様の身辺にせまると同時に、湖面湖上いっぱいに黒雲が立ち塞(ふさ)がったものですから、こんなところに長居は無用と、お銀様はそぞろ湖岸を立ち去ろうとすると、突然、湖面の一端が破れて、その穴から、河童(かっぱ)でもあるような、勢いとしては脱兎の如く、浮び出たが早いかかけめぐって、早くもお銀様の行手に立ち塞がったものがあります。
「誰だえ」
「今の、あのわたしでございます」
「おや、お前は、さきほど身の上判断を頼みに来た真三郎さんとやらではないか、お連れのお豊さんはどうしました」
「そのことでございます、あれほどしっかり結びついたものが、とうとう離れてしまいました」
「これはこれは」
「お豊が離れて生きて返ったのか、わたしよりも一層深い底に沈んでしまったのか、それがわかりませぬ」
「やれやれ」
「お豊の行方をつきとめていただきとうございます、そう致しませんと、わたしは死んでも死にきれませぬ」
「それは、わたしの知ったことじゃありません」
 この時、お銀様が厳然として言いました。
「そうおっしゃられると、とりつく島はござりませぬ」
「それも、わたしの知ったことではない、お前さんたちは、あれほど固く結びついていながら、いまさら片方(かたかた)の行方を人に問うなどとは、あんまり虫がよすぎる」
「でも、湖の深い底へ二人が沈んで行きますると、お豊が離れたのです、離れたがったのは本人の意志ではなく、誰か上の方で、あの女の後ろ髪をしきりに引くものがあるので、それでお豊がわたしから離れてしまいました」
「誰が、心中者の後ろ髪なんぞ引くもんですか」
「誰彼と申しましょう、あなた様のほかにはその人がございません」
「何を言います、ではお前さんは、お豊さんとやらの後ろ髪を引いて、この世に引戻したのは、わたしの仕業だとおっしゃるのですか」
「あなたでなくして、ほかに誰がおりましょう」
「ようござんす、では、わたしがそのお節介役(せっかいやく)を引受けたとしましょう、お前さんだけを死なして、あの女子(おなご)を引戻したのがわたしだとしたら、お前さんはどうします」
「恨みます、七生までも」
「恨んで、どうなさいます」
「あなたの身の上にとりついて、一生のうちに必ず、あなたを亡ぼしてお目にかけます」
「おやおや、たいへんな執念ですね、一生のうちに、わたしを亡ぼすとおっしゃるが、一生の後に亡びない生命がどこにありますか」
「いいえ、亡ぼすにもただは亡ぼしませぬ、こうだと思い知らせて上げるだけの亡ぼし方で、亡ぼします」
「なお大変なことになりましたねえ、長い目で見ておりましょう」
「見ておいでなさい、そうら、竜神の森が焼けました、あそこに斬られているのは、ありゃ誰だと思召(おぼしめ)しますか」
「そんなことを、わたしが知るものですか」
「金蔵なんです、金蔵の奴、わたしの恨みで死にました」
「ははあ、では、少し見当違いになりましたね、最初のもくろみでは、わたしの身の上にとりついてやるとおっしゃったようですが、いつのまにか金蔵さんとやらの方へ振替わりましたね、お門違いじゃないかね」
「違いはありません。それから、もっと恨みなのは机竜之助という奴なんです、あれがお豊を自由にしてしまいました、お聞きの通りお豊は、わたしのために死ぬんじゃない、わたしを殺して死ぬんだと、あの時にうわごとのようなことを言いましたが、今ぞ思い当るところがお有りでございましょう、真三郎のために死んでくれたというのは嘘でした、あの人は竜之助の奴のために自由にされたのです、あの男のために死にました、あの男のために死んでやりました、恨みです」
「その机竜之助とやらいう男ならば、かまわないから、うんと取りついておやりなさい」
 お銀様から冷然として言い放されると、水死人は躍起となって、
「それを言われると、わたしの五体が裂けます、お豊もお豊です、わたしを水の底へ追い込んで置いて、自分は立戻って好きな男と勝手な真似(まね)をした女――ですから、あれの末期(まつご)をごらんなさい、鳥は古巣へ帰れども、往きて帰らぬ死出の旅――おっつけ、わたしのあとを追って地獄へ来るあの女の面(かお)が見てやりたい。いいえ、こちらへ来たら、また私は可愛がってやります。お豊、おいで、わたしはお前を憎めない」
「おやおや、たいそう甘いんですね、ですが、その通り、あの人なんぞは本当に哀れむべき人で、憎むべき人ではありませんよ」
「よくおっしゃって下さいました、お豊は憎い女じゃありませんね」
「憎いものですか、あなたのために死んで上げたのも嘘じゃないのです、一人は死に、一人は助かったのも当人の了見じゃありません、運命のいたずらというものです」
「そうかも知れません、人間の力ではどうにもならない――まして、あの気の弱いお豊さんの力などで、この運命の大きな力というものがどうなるものですか、お豊を憎むことは、やめましょう」
「それがよろしいです、あの人は憎める人ではありません、憎むとすれば、憎んでも憎み切れない人が、まだほかにいくらもあるはずです」
「誰を憎んだらいいでしょうね」
「まず運命のいたずらを憎みなさい」
「憎みます」
「その次には、大和の国の三輪の大明神のいたずらを憎みなさい」
「え」
「三輪の大明神の神杉が、お豊さんをあやまりました」
「滅相な、神様を恨むと罰(ばち)が当ります」
「それでは机竜之助を憎んでおやりなさい」
「憎みます、憎んでも憎み足りないと思いますが、残念ながら、今のところは歯が立たないのです」
「植田丹後守を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「薬屋源太郎を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「みそぎの滝の行者を憎んでおやりなさい」
「憎みます」
「竜神八所の人を憎んでおやりなさい」
「憎みます、一人残らず憎みます、まして、あの藍玉屋(あいだまや)の金蔵という奴、室町屋という温泉宿を開いておりましたあいつを最も憎んでやりたい、あいつが、お豊をいいように致しました」
「いいえ、あの男も、それほど憎むべき男じゃないのです、かえって哀れむべき男なのです、最も同情すべき好人物なのですよ。幽霊の戸惑いは落語にもなりませんから、恨むにしろ、憎むにしろ、よく気をつけてしないといけません」
「憎い、憎い、誰もが憎い、お豊の身体(からだ)と魂とを、わたしの手から奪い取って、再び世間のなぶりものにした、すべての人を憎みます、呪(のろ)います、恨みます」
「そう言うお前さんは、真三郎さんという優男(やさおとこ)の本色を失って、どうやら、金蔵さんとやらの不良が乗りうつっているようです」
「そんなはずはございません」
「それでもそうとしか見えません、致されるものが致されてしまいました、人を呪わば穴二つということがそれなんです、あんまり強く人を恨んで人につきたがるものですから、かえって、お前さんが人につかれてしまいました。今のお前さんの狂態痴態というものを見ていると、京の六条でうたわれた大家の坊(ぼん)ち真三郎はんの本色は少しもなく、あの三輪の里の不良少年が、そっくり乗りうつりの形になっておりますよ、お気をおつけなさい」
「左様でございましたか、つい、とりのぼせましたために、見苦しいところをごらんに入れて、まことに相済みません、改めて自省を致します」
「殊勝なことです、そういう和(やわ)らいだ気持になることが自分を救います、同時に人を救うわけになるのですね、憎み、恨み、呪うことによって、決して、自分も、人も、救われるということはありませんからね」
「有難うございます」
「昔の真さんにおかえりなさい」
「そう致しましょう」
「真さん」
「はい」
「京の六条の蔦屋(つたや)の坊(ぼん)ちの色男の真三郎さんは、あなたですか」
「はい」
「人を憎むことをやめて、人を愛しましょうよ」
「はい」
「そんなに、しゃちょこばらないで、こっちへいらっしゃいよ」
「はい」
「わたしも淋(さび)しいんです、秋の夜長でしょう、小町塚でしょう」
「はい」
「卒都婆小町、関寺小町はあんまり寂しいねえ」
「はい」
「少しは察して頂戴な――お前さんのような優男をお伽(とぎ)にして、このながながし夜を一人ならず明かしてみたい、弁慶と小町は馬鹿だと言いました」
「はい」
「まあ、可愛らしいこと、身じまいを直しているところが何という頼もしいんでしょう、そうして身なりをきちんとし、髪を取上げたところは、どう見ても水の垂れる色男――お豊さんとやらが惚(ほ)れるも無理はない」
「はい」
「お豊さんのためには死んで上げたけれども、わたしのためにはどうして下さるの」
「…………」
「そんなに、もじもじしないで、こっちへお入りなさい、誰も取って食おうとは言いませんよ」
「…………」
「そんな気の弱い、それは意気地無しというものです、女が許してお伽を命ずるのに、それを聞かない男がありますか」
「…………」
「どうしたのです、その突っころばしは、あんまり骨がないので歯が痒(かゆ)い」
 焦(じ)れ立ったお銀様は、もう経机の前に経かたびらを装うて、算木(さんぎ)筮竹(ぜいちく)を弄(ろう)している女易者の自分でなく、深々と旅寝の夜具に埋もれて所在のない寝姿を、われと我が身に輾転してみるお銀様でありました。
 お銀様から迫られた色男の真三郎は、もじもじして一方に固まっていたが、急にふるえ上って、
「もし……念のために伺いますが、ここはあの吉田御殿とやらではございませぬかいのう」
「何を言っているのです、吉田がどうしました、御殿がどうしました、近江の国は長等山(ながらやま)の麓(ふもと)、長安寺の境内(けいだい)、小町塚の庵(いおり)がここなんですよ」
 それが耳に入らないと見えて、真三郎は立ち上って、
「そうして、あなた様は、その吉田御殿におすまいになる千姫様ではござりますまいか、もしや……」
「まだ何か言っている、千姫がどうしたというのですよ」
 お銀様自身が荒っぽく寝返りを打ったのは、身体(からだ)が熱く溶け出して来たようで、どうにもたまらなくなったからです。
「講釈に承りますると、参州の吉田御殿というお城の上の高い櫓(やぐら)から、千姫様が東海道を通る男という男をごらんになって、お気が向いた男はみんな召上げてお伽(とぎ)になさるということでござんす」
「そんな話もありましたね、そういう事実も、まるっきり跡形なしのことではありますまいよ」
「わたしも、実はあの時、千姫様のお目にとまった一人なんでございまして」
「おやおや、それはお安くない、千姫様のお目に留まって、さだめて、たんまりと可愛がられたことであろうのう」
「御免下さい」
「逃げるのですか」
「怖(こわ)くなりました」
「意気地なし、幽霊のくせに、人間を怖がって逃げる奴があるものですか」
「でも、怖くなりましたから、これで御免を蒙(こうむ)ります」
「逃げるとは卑怯です、逃がしません」
「お豊に申しわけがない」
「何を言っているの、お豊はお前に反(そむ)いた女じゃないか」
「でも、お豊に済みません」
「済むも済まないもあったことじゃない、お前のようないい男は、女に弄(もてあそ)ばれなければならない運命に置かれてあるのですよ」
「なぶり殺しでございますか、もうたくさんでございます、吉田御殿の裏井戸には、千姫様に弄ばれた男の骸骨でいっぱいでございました、わたしは怖い」
「意気地なし」
「逃がして下さい」
「逃がさない」
「罪です」
「罪なんぞ知らない」
 かわいそうに、迷って出るにところを欠き、とりつくに人を欠いて、偶然にも暴女王の前へ出現したばっかりに、可憐(かれん)な色男は逆に取って押えられてしまいました。幽霊が人間の手につかまって、じたばたして悲鳴をあげる醜態、見られたものではありません。一方、傲然として圧服的にのしかかる女王様――閑寂なる秋の夜が、人間性の争闘の血みどろな戦場に変りつつある。あまりの騒々しさに、
「大分お騒がしいことですね、もう夜が明けますよ」
 衝立(ついたて)の後ろから、ぬっと面(おもて)を現わして、にたにたと笑っているのは、しょうづかの婆(ばば)に紛らわしいあの晩年の小野の小町の成れの果ての木像の精が、生きて抜け出して物を言っているのです。

         十六

 お銀様も小町にこうして出られてみると、さすがに面はゆいものがある、大いにテレて力が弛(ゆる)む隙を、得たりと振りもぎって前にのがれようとしたが、真三郎が何に怖れたか、急に方向を転じて、後ろへ逃げて、かえってお銀様の夜具の裾へ隠れるという窮態になってしまいました。
「あんまり弱い者いじめをしないがいいぜ、ことに女が男を脅迫するなんぞは、見て見いい図ではないぜ」
 衝立の後ろから半身を現わして、二度目にこう言ったのは関寺小町ではなくて、顔色の蒼白(そうはく)な、月代(さかやき)の長い机竜之助でありました。小町に向っては悪いところを見られたとテレきったお銀様も、竜之助に対しては少しも引け目を感じません。
「あんまりいい図でないところを見せて、お気の毒さま、あなたこそ、いったい何だって、こんなバツの悪いところへ出しゃばるのですか」
「琵琶湖の舟遊びに行った帰り途、つい何だかここが物騒がしいから、のぞいて見る気になったのだよ」
 竜之助も人を食った返答なのですが、お銀様はやっぱり逆襲的に、
「人のことを気に病むより、自分の脚下(あしもと)にお気をつけなさい、いったい、あなたは誰とどこへ行っていたのです」
「そう来るだろうと思っていた、どうもつい遊び過ぎて申しわけがない」
 竜之助が人を食った調子で、わびごとのような言葉で頭をかくと、不意にその足許から、
「わあっ」
と泣き伏した者があります。お銀様もちょっとこれには驚かされたが、すぐに冷静を取戻して、
「お雪さんだね、泣かなくてもいいでしょう」
「お嬢様、御免下さいませ、先生を連れ出したのは、わたくしでございます」
「そうさ、小娘と小袋は油断がならないと昔からきまっている、そんなこと、疾(と)うから、こっちは感づいているのですよ」
「あんまり月がよかったものですから、鬱屈(うっくつ)してらっしゃる先生に湖上の月をお見せ申して、慰めて上げたいと思ったばっかりに……」
「お雪さんらしくもない、そらぞらしい申しわけ、目の悪い人に月が見せられますか」
「申しわけがございません」
「でも、よく帰って来てくれましたね」
「面目次第もございません」
「面白かったでしょう、相合舟(あいあいぶね)で、夜もすがら湖の月を二人占めにするなんて、王侯もこれを為(な)し難い風流なんですね、わたしなんぞも一生に一度、そんな思いをしてみたい」
 お銀様が針を含んで突っかかるのを、竜之助がとりなして、
「いや味を言うなよ、本来、お雪ちゃんにちっとも罪はないんだ、この人は一種のロマンチストで、自由行動が罪であっても罪にならない無邪気な少女なんだ、もし誤っているとすれば、誤らせた誰かが悪いので、世人は憎むべきじゃない、かんべんしてやってくれ」
「いいです、わたしは、ちっとも人を責める気なんぞはありゃしませんよ、今も二人の心中者が来ましてね、憎むの、恨むのと口説(くど)いているから、わたしが説法をして上げたところなんです。でも、あなた方は湖中で心中をしなくてようござんした、わたしは、あの勢いでは、お前さん方も、前に来た人たちと同じように、湖水の中へ、おっこちるんじゃないかとタカを括(くく)っていましたが、まだ死んでしまいもせず、生恥も曝(さら)さず、どうやらここまで戻って来てくれたことだけでも、わたしは嬉しいと思いますよ。お雪さん、泣かないで、こっちへお入り」
「お嬢様に合わせる面(かお)がございません」
「だって、いつまでも、そうして泣き伏しているわけにはゆきますまい、こっちへお入りなさい、みんなして仲よく秋の夜話をしましょうよ」
「そうおっしゃっていただくと、なおさら面目がございません、わたくしは、このまま消えてなくなります」
「おや、消えてなくなるとは凄(すご)いですね、せっかく、助かって戻ってくれたのを喜んで上げるのに、消えてなくなるなんぞとはえんぎが悪いのねえ」
「御機嫌にさわって重々申しわけがございませんが、消えてなくなると申しましたのは、また死を急いで死にに行くという意味ではございません、わたくしは、このままお許しをいただいて、もうどなたにも面を合わせずに、ひとり大阪の親戚へ帰ってしまうつもりでございます」
「おや、お雪さんには大阪に御親戚がありましたの」
「はい」
「そこで、音なしの先生は、これからどうあそばしますつもり?」
 お銀様から反問的に問いかけられて竜之助が、所在なさそうに、
「拙者は、ついこの近いところの大谷風呂というのへ暫く逗留させられることになったから、そこで当分養生をしようと思っているのだ、近いところだから、話しにおいでなさい、いつでも風呂が沸いているし、お肴(さかな)もあるし、別嬪(べっぴん)もいる」
「有難う、では、近いうちにお伺い致しましょう。おや、もうお帰りなの?」
「夜が明けそうだから」
「夜が明けては悪いのか知ら」
「でも、お雪ちゃんがかわいそうで、なるべく人目にかけないように落してやりたいからな」
「なるほど、その心づかいも悪くありません、人目にかけないようにして、行きたいというところへ行かしておやりなさい」
「お嬢様、有難うございます、それでは、わたくしはこれで失礼をさせていただきます」
「大事にしていらっしゃい」
「御免下さいまし、永々、お世話さまになりました」
「お雪さん、なんぼなんでも、それほどに面目ながらなくてもいいじゃありませんか、せめて面だけは一目見せて行って頂戴な」
「いいえ、わたくしは、このままおゆるしを願いたいのでございます」
 お雪ちゃんは、しおらしくあやまりながら、一方、頑(がん)として泣き伏した面をあげないままで暇乞(いとまご)いをします。
「そんなら、みんなして追分まで送ろうじゃありませんか」
「そうしましょう、それがいいです」
「さあ、皆さん、お雪さんが大阪へ帰るそうですから、みんなして追分まで送るんですよ」
「拙者は御免蒙ろう」
と竜之助が言うと、お銀様が興ざめた面で、
「どうしてですか、あなただけ」
「あの追分はうるさいんだ、薩摩の野郎かなんかが出て来て、喧嘩を売りかけたりなんぞしてうるさいから、刀の手前、今度は遠慮をした方がいいと思っている」
 そこで鶏の鳴く音が聞える。
「ああ、夜が明けます、明けないうちに」
「では、行って参ります」
「お大切に……ですが、お雪さん、わたしが注意をして上げて置きたいことはね」
 お銀様は、言葉を改めてお雪ちゃんに向い、次のような餞別(せんべつ)の言葉を与えました。
「大阪にお帰りなら、一筋に間違いなく大阪へお帰りなさいよ、途中で魔がさすといけませんからね、間違って三輪の里へなんぞ踏み込もうものなら、今度こそ取返しがつきませんよ、それは申して置きます」
「はい、有難うございます」
 その時にまたしても鶏の鳴く音――
 お銀様の夢が本当に破れました。無論、夢中に現われた人の一人もそこにあるはずはなく、衝立(ついたて)はあるが、その後ろから正銘のここの雇い婆さんが現われて、
「お目ざめでございますか。昨晩は、たいそうお疲れのようで、よくお休みになりました。今日は雨もすっかり上りました、お天気は大丈夫でございます。それそれ、昨晩お使がございまして、この上の大谷風呂から、あなた様へこのお手紙でございました」
 一封の書状を取って、お銀様の枕許(まくらもと)に置く。

         十七

 逢坂山(おうさかやま)の大谷風呂を根拠地とした不破の関守氏は、その翌日はまた飄然(ひょうぜん)として、山科から京洛を歩いて、夕方、宿へ戻りました。
「お帰りやす、どちらを歩いておいでやした」
 お宮さんが迎える。
「行き当りばったりで、古物買いをやって来た」
と言って、不破の関守氏は風呂敷包から、そのいわゆる古物の数々を取り出して、お宮さんに見せました。
 古ぼけた木像だの、巻物の片っぱしだの、短い刀だの、笄(こうがい)、小柄(こづか)といったようなものが出ました。好きな道で、暇に任せて、古物すなわちこっとう漁(あさ)りをやって来たものらしい。
「この紙きれは、これは確かに奈良朝ものですよ、古手屋の屏風(びょうぶ)の破れにほの見えたのを、そのまま引っぺがさせて持って来たのだ」
「えろう古いもんでおますな」
「それから、この金仏様(かなぶつさま)――これが奈良朝よりもう少し古い、飛鳥時代(あすかじだい)から白鳳(はくほう)という代物(しろもの)なのだ、これは四条の道具店の隅っこで見つけました」
「よろしい人相してまんな」
「こっちを見給え、ずっと新しく、これがそれ大津絵の初版物なんだ」
「大津絵どすか」
「大津絵といえば、藤娘、ひょうたん鯰(なまず)、鬼の念仏、弁慶、やっこ、矢の根、座頭(ざとう)、そんなようなものに限られていると思うのは後世の誤り、初代の大津絵は皆このような仏画なのだ」
「そうどすか」
「それから、ズッと近代に砕けて、これが正銘の珊瑚(さんご)の五分玉、店主はまがい物と心得て十把一(じっぱひと)からげにしてあったのを拙者が見出して来た、欲しかったら、お宮さん、君に上げましょう」
「まあ、有難うございます」
といったようなあんばいで、暇つぶしに彼は、山科から京都くんだりを遊んで来たもののようだが、必ずしも、そうばかりではないらしくもある。
 その翌日もまた宿を出かけて、同じような時刻に帰って来て、またこっとう物を懐ろから引張り出して、お宮さん相手に説明する。お宮さん、白鳳期がどうの、弘仁がああのと言ってもよくわからないが、そこは商売柄、いいかげんに調子を合わせると、不破の関守氏も、いい気になって、次から次へでくの坊を引っぱり出して悦に入るが、どうかすると、こっとう以外の珍物を引っぱり出して、よろしかったらこれはお土産(みやげ)として君に上げようと来るものだから、お宮さんは、思いがけない珊瑚の五分玉だの、たいまいの櫛(くし)だのというものにありつけるので嬉しがる。
「そないにこっとうばかりあつめて、どないになさいますの、小間物屋さんでもおはじめなさる?」
とお宮さんが呆(あき)れるほど、毎日毎日、がらくたを掻(か)き集めて来る。ある時は脱線して、
「お宮さん、これはダイヤモンドの指輪です、その当時は三百円もしましたよ、よろしかったら君に上げよう」
「まあ、三百円のダイヤモンドだっか」
「今時は、三百円のダイヤなどは誰も振向いても見ないが、その当時はこれが幾つもの人間の運命を左右するほどの魅力があったものだ、今日にすると十倍以上だろうな」
「では、三千円だっか」
「それ以上はするだろう」
「本物だっか」
「はは、それが、お宮さんの魅力となって、貫一の一生を誤らせたというわけなんです、実は……」
 この分だと、貫一の着た高等学校の制服だの、赤樫(あかがし)の持った鰐皮(わにがわ)のカバンまで探して来るかも知れない。閑話休題としても、当人は閑人気分(ひまじんきぶん)が充分で、一人で出かけることもあれば、一僕を召しつれて出て戻って来ることもある。
 こっとうが飛び出さない時は、地所家屋のこのごろの相場のことなどが口に出るものですから、風呂の者は、この人はこっとう屋を営み、その掘出しかたがた、地所家屋の売買の周旋もする人だろうぐらいに見ておりました。
 なるほど、外出先を推想してみると、この男はこっとうあさりばかりではない、相当の地所家屋を見つけながら歩いて来るものらしい。現に問題となっている山科の光悦屋敷の如きは、一僕を指図して縄張りまで張って、半日をその測量に費したような形跡もあります。

         十八

 三日目の午後、今日は早帰りをして、風呂につかっていると、三助が一人やって来て、
「お流し致しましょう」
「済まない」
 手拭を渡して不破の関守氏が、背中を向けると、その三助の流しぶりが変っているのに気がつきます。この三助は、背中を流すに片手をつかっている、左手だけしか使わない、最初のうちは勝手だろうと考えていたが、変ですから、不破の関守氏が気をつけて見ると、手んぼうなんです。わざと気取って片手あしらいをして見せるのではない、片手しかないから、そのある方の手だけで働いているのだと認めました。
 しかし、人の不具を認めたからといって、必要なきに注視するのも心なき業だ。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:349 KB

担当:undef