大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 どのみち、娑婆(しゃば)ッ気(け)が多く生れついてるんだから仕方がない――尼さんにでもなってしまわない限り、水を向けられるように出来てるんだと、お角も諦(あきら)めはしたが、そうそうは身体(からだ)が続かないよといって、この機会にお梅を連れて、伊豆の熱海の温泉へ、湯治と洒落(しゃ)れ込むことに了簡をきめたのです。
 湯治に行く前に、お礼参りを兼ねて、今日は観音様へ参詣して、御籤(おみくじ)までいただいて来たのですが、もう一つお角の腹では、今度の一世一代が大当りの記念として、浅草の観音様へ、何か一つ納め物をしようとの考えがあって、額にしようか、或いはまた魚河岸の向うを張った大提灯でも納めようか、そうでなければ、屋の棟に届くほどの金(かね)の草鞋(わらじ)を、仁王様の前へ吊(つる)してみようかのと、お堂を廻(めぐ)りながら、そういう趣向に頭を凝(こ)らしに来たのです。
 お角の頭は、まだその趣向で、あれかこれかと悩まされ、往来の事なんぞは頓着なしに歩いて行くと、ある店の前でお梅がぴたりとたちどまって、
「まあ、いいわね」
 詠嘆の声を洩(も)らしましたので、お角もそれにつれて足を止めました。
 見れば、お梅は羽子板屋の前に立っている。
 まだ歳の市という時節でもないのに、この店では、もう盛んに羽子板を陳列している。江戸ッ子のうちでも途方もなく気の早いせいでしょう。それで、この十月までの各座の狂言のおもな似顔が、みんなここへ寄せ集められている。さてこそ、お梅は立去れないので、
「まあ、いいわね」
を譫言(うわごと)のようにいっていると、
「梅ちゃん、どれがいいの?」
 お角から尋ねられたのを上(うわ)の空(そら)で、
「どれもこれもみんないいわ」
「いちばんいいのをお取り」
「いいえ、わたし、千代紙でたくさんなのよ」
「この嫗山姥(こもちやまうば)がいいだろう」
「まあ……」
 お梅は仰天してしまいました。その五彩絢爛(ごさいけんらん)たる八重錦の羽子板の山の中で、いちばん優(すぐ)れて、いちばん大きい嫗山姥、まさか買って下さいともいえないが、買って下さるはずもないとお梅が仰天している間に、お角は番頭に交渉し、さっさとその大一番の嫗山姥を買取って、お梅に持たせたから、お梅がひとごとではないと思いました。
 お角は相変らず奉納の趣向を考え、お梅は有頂天(うちょうてん)になって、駒形通りへ出ました。
 お角が駒形堂の前へ来ると、ちょうどその船つきへ小舟が着いたところで、幾多の人がゾロゾロと河岸(かし)へ上りました。
 そのなかに、お角の眼をひいたのは、図抜けて大きな人が、西洋の蝙蝠傘(こうもりがさ)をさして上って来たことで、蝙蝠傘の流行は、今ではさして珍しいことではないが、まあ、どちらかといえば非常なハイカラな、新し好みの人に多かったのを、これは実にバンカラな人が、その流行ものの傘をさして、のこのこと出て来たから、それで一層お角の目を惹(ひ)いたのでしょう。お角ばかりではない、誰でもみんな、そちらを眺めました。
 この大男は誰あろう、足利(あしかが)の絵師、田山白雲でありました。しかも、これは房州戻りそうそうの、江戸の土を踏んだ初めての見参(げんざん)なのですが、さすがの白雲も、芸術家並みに頭の古いといわれるのを嫌がって、それでハイカラの傘を仕込んで来たと見るのは僻目(ひがめ)で、これは洲崎(すのさき)の駒井の許を立つ時に貰って来たのでしょう。それもハイカラのつもりで貰って来たのではなく、日のさす時は日除けになり、風の吹く時は風除けになり、雨の降る時は無論、結構な雨具に相違ない。その上折畳みが自由に利(き)くから、実用無類の意味で、駒井の物置から探し当てたものとも思われます。
 とにかく、こうして蝙蝠傘(こうもりがさ)をさして、ゆらりと江戸の浅草の駒形堂の前の土を踏んだ白雲の恰好(かっこう)は、かなりの見物(みもの)でありました。それは、頭の上だけは例の大ハイカラ蝙蝠傘で新し味を見せているが、頭から下は以前といっこう変ったところがありません。六尺豊かの体格に、おそろしく長い大小を横たえて、旅の荷物を両掛けにして、草鞋(わらじ)脚絆(きゃはん)厳(いか)めしく、小山の揺(ゆる)ぎ出たように歩き出して来たものですから、新しい人だか、古い人だか、ちょっと見当がつかなくなりました。
 しかし、当人はいっこう気取った様子もなく、のこのこと歩いて、やがてお角とすれすれの所まで来まして、さて、これから、江戸のいずれの方面に向って歩みを移そうかと、ちょっと思案の体(てい)に見えました。
「モシ、あの、ちょっと失礼でございますが……」
と、その異様な人物に、まず物をいいかけたのはお角でありました。
「あ、何ですか?」
と蝙蝠傘の主(ぬし)は、あわただしく下界を見下ろすように身をかがめて返事をしますと、
「つかぬことを承るようでございますが、あなた様は房州の方からおいでになりましたのですか?」
「あ、房州から来ましたよ」
 白雲は、この女の姿を見下ろして、それがよくわかったなと言わぬばかりの顔色です。
「房州は洲崎からおいでになりましたのでしょう」
「ええ、洲崎から来ましたが、それが、どうしてわかります」
 白雲は、自分の蝙蝠傘にそれが記してあるのではないかとさえ疑いましたが、黒張りの傘に、無論そんな文字はありません。
「あの洲崎は駒井能登守様のお仕事場からおいでになりましたね」
「ど、どうして、そのことまで、お前さんにわかりますな」
「ホ、ホ、ホ……」
とお角が笑いました。田山白雲は、いささかどぎまぎして、
「お前さんは千里眼かい?」
「いいえ、あなた様の差しておいでになるお脇差が、ついこの間、駒井の殿様のお差料と同じ品でございますものですから」
「なるほど、これが……」
と言って田山白雲は、左の片手で差している脇差を撫で廻し、
「細かいところへ眼が着いたものだなあ、こりゃ駒井氏から貰った品に相違ござらぬ、絵を描いてやったそのお礼に、駒井がこの脇差を拙者にくれました……拙者ですか、拙者は足利の絵師、田山白雲というものです」

 まもなくお角は、田山白雲を柳橋北の川長(かわちょう)へ連れて行って御馳走をしました。
 お梅はそこで別れて、いいかげんの時分に迎えに来るといって宅へ帰りました。
 白雲は少しも辞退せずに、お角の饗応(きょうおう)を受けて、よく飲み、よく食い、よく語りました。
 房州で駒井甚三郎の厄介になっていたことを逐一(ちくいち)物語ると、お角も自分が上総(かずさ)へ出かけて行った途中の難船から、駒井の殿様の手で救われたこと、それ以前の甲州街道の小仏の関所のことまでも遡(さかのぼ)って、話がぴたりぴたりと合うものですから、お角も喜んでしまって、
「ねえ、先生、今日は観音様のお引合せで、大変よい方にお目にかかれて、こんな嬉しいことはございませんよ」
「拙者も御同様、御同様……」
「先生、これを御縁に、わたくしは一つお願いがございますのよ……」
「なんです、そのお願いというのは?」
「先生、わたしに一つ絵を描いていただきたいのですよ」
「絵描きに絵を描けというのは、水汲(みずくみ)に水を汲めというのと同じことです、何なりと御意(ぎょい)に従って描きましょう」
「ねえ、先生、額を一つ描いて頂けますまいか?」
「額? よろしい。神社仏閣へ奉納する額面ですか、それとも家の長押(なげし)へでも掛けて置こうというのですか」
「先生、ひとつ念入りにお願いしたいんですが。一世一代のつもりで――」
「一世一代――? なるほど」
「実は、先生、わたしは今日もそれを検分かたがた御参詣に参ったのですが、あの浅草の観音様へ納め物をしたいと、疾(と)うから心がけていたんでございますよ……そうして何にしたらよかろうか、さきほどまでいろいろ考えていたのですが、先生のお話を伺っているうちに、すっかり心がきまってしまいました」
「なるほど」
「観音様のお引合せのようなものですから、ぜひ先生にお願いして、器量一杯の額を描いていただいて、それを観音様へ納めようと、こう心をきめてしまいました。先生、もうお厭(いや)とおっしゃっても承知しませんよ」
「なるほど、なるほど。そういうわけなら、拙者も一番、器量一杯というのをやってみましょう……そこで註文はつまり、その額面には何を描いて上げたらいいのかね?」
「先生、納める以上は、今迄のものに負けないのを納めたいと思います」
「左様――あすこにはあれで、古法眼(こほうげん)もいれば、永徳(えいとく)もいるはず。容斎(ようさい)、嵩谷(すうこく)、雪旦(せったん)、文晁(ぶんちょう)、国芳(くによし)あたりまでが轡(くつわ)を並べているというわけだから、その間に挟まって、勝(まさ)るとも劣るところなき名乗りを揚げようというのは骨だ」
「だって、先生、できないということはありますまい」
「拙者には少々荷が勝ち過ぎているかも知れないが、拙者も同じ人間で、絵筆を握っている以上は、できないとはいわない」
「ああ嬉しい、その意気なら先生、大丈夫よ」
「ところで、画題は……何を描いて納めたいのだね、その図柄によって工夫もあるというものだ」
「先生、わたしの望みは少し変っていますのよ」
「うむ」
「わたしは、ひとつ、ぜひ、切支丹(きりしたん)の絵を描いていただいて、納めたいと思っているのでございます」
「え、切支丹だって?」
「わたしの一世一代が、切支丹奇術の大一座というので当ったんですから、それを縁として……」
「いけない」
と白雲が膠(にべ)なくいいました。
 白雲から素気(すげ)なくいわれて、お角は急に興醒(きょうざ)め顔になり、
「なぜいけないんでしょう」
「切支丹の額を、観音様へ上げるという法があるか」
「切支丹の額を、観音様へ上げてはいけないのですか」
「それはいけない」
「どうしていけないのです」
 白雲が太い線でグングンなすってしまうものだから、負けない気のお角が黙ってはいられないのです。
「どうしていけないたって、第一、観音様と切支丹は宗旨(しゅうし)が違う」
「いいえ、先生、そりゃ違いますよ。観音様は、どの宗旨でもみんな信仰をなさる仏様だっていうじゃありませんか」
「ところが、切支丹ばかりはいけない」
「観音様は、切支丹がお嫌いなんですか」
「嫌いだか、好きだか、そりゃ吾々にはわからないが、第一坊主が承知しない」
「和尚さんが?」
「左様――切支丹の額なんぞを持ち込もうものなら、観音の坊主が、頭から湯気を立てて怒るに相違ない」
「わかりませんね、そんな乱暴なことがあるもんですか。ごらんなさい、あそこの額のなかには、一(ひと)つ家(や)の鬼婆あや、天子様の御病気に取憑(とりつ)いた鵺(ぬえ)という怪鳥(けちょう)まであがっているじゃありませんか、それだのに、切支丹の神様がなぜいけないんでしょう?」
「まあ、そういう理窟は抜きにして、拙者の言うことをお聞きなさい、神社仏閣へ奉納する額面には、額面らしい題目があるものだ、あながち、切支丹でなければならんという法もあるまいではないか」
「ですけれども、わたしには、切支丹の女の神様が、子供を抱いているところの絵が気に入りました、わたしのところへ来たあちらの芸人が持っていたあれが――油絵具で、こてこてと描いてあるんですけれど、ほんとうに活(い)きているように描けてあります、あんなのを一つ、先生にお願いして納めたら、今までとは全く趣向が変っていますから、どんなに人目を惹(ひ)くか知れやしません」
「ふーむ」
 そこで田山白雲が、もう争っても駄目と思ったのか、沈黙して考え込んでしまいました。
 つまり頭の置きどころが違うのだ。この女の額面を上げようという意志は、なるべく趣向の変った、人目を奪うような意味で、旧来の額面を圧倒しようという負けず根性から出ているので、画面の題目や、絵の内容などには一切おかまいなしである。ここは争っても駄目だ。白雲は沈黙してしまいましたが、しかし物はわからないながら、この女の気性(きしょう)には、たしかに面白いところがあると思いましたから、
「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」
と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと一方(ひとかた)でなく、相手をいいこめて、自分の主張が通ったものでもあるように意気込んで、
「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
 それから一層心をこめて白雲を款待(もてな)しました。白雲も久しぶりで江戸前の料理に逢い、泰然自若(たいぜんじじゃく)として御馳走を受けていましたが、今宵は、いつものように乱するに至らず、ひきつづいて駒井甚三郎の噂(うわさ)。駒井のために一枚の美人画を描いてやったが、それが、自分ながらよく出来たと思い、駒井も大へん気に入って、この脇差をくれたということ。それから、いいかげんのところで切上げる用心も忘れないでいると、お角が、
「ねえ先生、お差支えがなければ、わたしどもへおいで下さいませんか、二階が明いておりますから、いつまでおいで下さっても、文句をいうものはございません、そこで、どうか精一杯のお仕事をなすっていただきとうございます」
 お角は背中の文身(ほりもの)を質においても、奉納の額に入れ上げる決心らしい。

         七

 田山白雲がお角の宅へ案内されて、二階のお銀様の居間であったところに納まると、お角はとりあえず、かなり大きな二つの額面を戸棚から出して、白雲の前に立てかけました。
 この二つの額面は、この間中、ジプシー・ダンスをやっていた一座が持って来たのを、記念の意味で太夫元(たゆうもと)にくれたものであります。
 白雲が泰然自若として坐り込んで、睥睨(へいげい)している眼の前で、お角は自身そのカーテンを巻き上げると、
「うーむ」
といって白雲が長く唸(うな)りました。
 唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ厳(いかめ)しく置いて、
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは子安観音(こやすかんのん)の絵だ」
 画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
 けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
 実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の面影(おもかげ)も霞(かすみ)を透して珠(たま)を眺めるような心持で堪能(たんのう)して見ないということはありません。第一期天草(あまくさ)の前後のことは知らず、中頃、司馬江漢あたりの筆に脱化された洋画の趣味も捨て難いものだと思いました。また最近に於て、外国の書物の挿画(さしえ)として見たり、また写真銅版等の複製によって覗(のぞ)いてみたりした洋画に、驚異の念を持たせられたことも一再ではありません。
「そうだ、西洋の絵の長所は形似(けいじ)だ、形を似せることに於ては、われわれはきざはししても及ばないかも知れない、この遠近、この人体、空気の色、日の光の陰影をまで、かくも精巧に現わすのは、絵というよりもこれは技術だ、形似が絵というもののすべてでない限り……」
 そこで白雲の面(おもて)には悠然たる微笑が湧き、墨の一色を以て天地の生命を捉えるの芸術を、讃美礼拝するの念が起る。
 それが、今、こうして本物の油絵を見ているうちにわからなくなる。
 わからないのは、これによってあえて自信が崩れたわけではないが、これは今まで見た油絵とは少しく勝手が違う……なるほど、素人目(しろうとめ)で見て、これをこのままあの観音へ納額してみたらば、さだめて異彩を放つであろうと思うのも無理がない――こういった絵を納めてみたいと願うのは、あながち奇を好む素人考えとのみはいわれない。ただに浅草観音の納額として見るにとどまらず、この絵をとって、現代のあらゆる流派の展覧の中へ置いて見たら、どんな感じがするだろう、と白雲はそれを考えました。
 そうして、次にその一枚を取除くと、従って現われた第二枚。
「うーむ」
 それを白雲は、またも長く唸(うな)って眺め入り、
「どうも、わからない、珍しい見物(みもの)だ」
と繰返して呟(つぶや)きました。
 いよいよわからなくなりました。これは以前の油絵とは違っているが、たしかに一種の絵具で描いてあります。そうして画風も全く変っており、時代も、それよりはずっと古いのみならず、絵の輪廓[#「輪廓」はママ]の要部が線で描いてあることが、白雲を驚かせました。
 西洋画の驚異は色と形である、東洋画の偉大は線と点とである、というように信じきっていた白雲の眼には、この線と色とを調合した異風の絵に会して、わからなくなったのも無理はありません。時代でいえば十四世紀から十五世紀頃の物でしょうが、それすら白雲にはわからない。
 その翌日から田山白雲は、右の一間に納まって、二つの洋画の額面をかたみがわりに睨(にら)めておりました。
 お角が、お梅と、男衆とを連れて、熱海へ旅立ったのは間もないことです。
 留守中の万事は抜かりなく整えておいて、別に若干の金を白雲のために供(そな)えて立ちましたが、その後で封を切って見ると、五十両あったので、さすがの白雲も、この女の気前のよいことに、ちょっと度胆を抜かれた形であります。そこで、その金は、そっくり故郷の足利にいる妻子に送り届けることにしておいて、またも例の額面と睨めっこです。
 油でない方の一方の額が、どう睨めてもわからない。時代がわからない。描き手がわからない。描かれている人物がわからない。ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして凄惨(せいさん)な表情。そうして見ているうちに、温和があり、威厳がある半面の相。
 知られる限りの道釈のうちにも、英雄の間にも、この像に当嵌(あてはま)るべき人物を見出すことができない。世間には、わかってもわからなくても、どうでもいい事がある。ぜひともわかりたいことがある。どうしてもわからせねばならぬ事もある。すべてに於て極めて無頓着な田山白雲。時としては飢えに迫る妻子をすら忘れてしまうこの放浪画家も、事ひとたび、その天職とするところの事に当ると、かなり苦心惨憺する。今や、この第二の絵について、何事をかわかりたいとして、その一つをさえ、わからせることができないで苦心惨憺を続けている。
 わからないのは知識だけである。知識の鍵を握りさえすれば、芸術に国境はないのだから、いいものはいい、悪いものは悪いとして、当然自分の鑑賞裡にくだって来るに相違ないが、知識そのものがないから何とも判断のくだしようがない。
 芸術に国境は無いというありきたりの言葉を念頭に置きながら、田山白雲は東洋の芸術がわかって、西洋の芸術の知識の暗いことに、自分ながら不満と焦燥とを感じ、さて、芸術という流行語を繰返して、なんとなく擽(くすぐ)ったい思いがしました。
「芸術」という流行語の起りは今に始まったことではない。享保十四年の版本、樗山子(ちょざんし)というものの著述に「天狗芸術論」がある。これは剣法即心法を説けるもので、なかなか傾聴すべき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじめたのは多分その辺で、その後、幕府が講武所を開いた趣意書のうちに、旗本の子弟、次男、三男、厄介に至るまで、力(つと)めて芸術を修業せねばならぬと奨励している。水戸中納言の弟、余九麿を一橋殿へ呼び寄せる時のお達しも、芸術のお世話ということで許されている。けれどもそれが今のように流行語となったのは、ある時、三日月という侠客が日本橋あたりで、勤番の侍と喧嘩をし、
「うぬ、三ぴん、待ちやあがれ」
と言って、その侍を十余人というもの、瓜(うり)か茄子(なす)をきるように、サックサックと斬り伏せたのが評判になると、弟子を連れてこれを検分に出向いたある剣術の先生が、
「よく斬りは斬ったが、芸術になっていない」
というと弟子共が、
「なるほど、芸術にはなっておりませんな」
と追従(ついしょう)をいったことから始まって、芸術になっている、いないということが、花柳界にまで流行語となり、猫も杓子(しゃくし)も芸術芸術といい出したものだから、ある男が、
「芸術とは何だね」
 トルストイでもいいそうなことをいい出して、彼等を狼狽(ろうばい)させたこともありました。
 夜になると田山白雲は、お銀様の寝た縮緬(ちりめん)の夜着蒲団(よぎふとん)の中へ身を埋めながら、そんなことを考えて笑止(しょうし)がり、問題の画面に向っては、厳粛な眼を据(す)えておりました。
 女興行師のお角の残して行ったものは、田山白雲にとっては由々(ゆゆ)しき謎でありました。しかも本人が、謎とも、問題ともせずして、投げつけて行ったところが奇妙です。
 これがために、田山白雲がさんざんに苦しめられているところは、笑止の至りであります。
 顧□之(こがいし)であろうとも、呉道玄(ごどうげん)であろうとも、噛んで歯の立たないという限りはないが、こればかりは、つまり、知識の鍵が全く失われているから、見当のつけようがないのです。
 そこで、一旦、白雲は戸外へ出てみました。古本屋漁(あさ)りをして、もしや、それらしい横文字を書いた書物でも見つかったら――と何のよりどころもない果敢(はか)ない心頼みで、暫く街頭を散歩してみましたけれど、如何(いかん)せん、その時代の書店の店頭に、西洋美術の梗概(こうがい)をだも記した書物があろうはずがありません。
 よし、まぐれ当りに、蕃書取調所(ばんしょとりしらべしょ)あたりの払い下げの洋書類の中にそんなのがあったとしても、不幸にして田山白雲にはそれを読む力がありません――せめてあの駒井甚三郎氏でも近いところにいたならば、自分が東洋画に就(つ)いての意見を吹込んだ人に向って、逆に西洋画の見当を問うのは、いささか気恥かしいようでもあるが、尋ねてみれば相当の当りがつくかも知れないが、今のところでは、皆目(かいもく)、暗夜に燈火(ともしび)なきの有様で、いよいよ白雲の不満と歯痒(はがゆ)さとを深くするに過ぎません。そこで、街頭から空しく立戻って、再びかの油でない方の画面を篤(とく)と見入りました。
 知識は必ずしも芸術を生ませないが、知識なくしては芸術の理解が妨げられ、或いは全く不可能になるということを、白雲はここで、つくづくと思い知らされたようです。
「おれは、これから外国語をやらなくちゃならない、オランダでも、イギリスでもかまわない、どこか一カ国の西洋の文字を覚え込んでおかないことには……」
 白雲は暫く考えていたが、二度目に街頭へ出かけて行った時には、一抱えの書物を買い込んで来ました。見れば、それがみんな幼稚な語学の独(ひと)り案内のようなものであります。明日といわずに、白雲はその場でアルファベットの独修を始めてしまいました。
 実際、白雲が知識の足らないために、芸術を理解することの妨げを痛感して、泥棒を捉まえて縄を綯(な)うよりも、モット緩慢な仕事を、この画面の前で始めたのは、事のそれほど、画面そのものが白雲の研究心を誘う力あるものと見なければならない。わかっても、わからなくても、この画には非凡な力があるものに違いない。
 偶然は時として大きな悪戯(いたずら)をするものですから、もし、かくまで白雲を苦心煩悶せしめる後の方の絵が、十三世紀から十四世紀へかけての西洋の宗教画であって、それが何かの機会(はずみ)で浮浪(さすらい)の旅役者の手に移り、海を越えて、この女興行師の手に渡って、珍しい絵看板同様の扱いを受けつつ、卓犖(たくらく)たる旅絵師の眼前に展開せられたものとしたら、その因縁(いんねん)はいよいよ奇妙といわねばならぬ。
 十三世紀から十四世紀の西欧の宗教画といえば、美術史の一ページを繙(ひもと)いたほどのものは、誰でも復興の幕を切って落したチマブエと、その大成者である大ジョットーを知らないものはない。当時にあっては、宗教画はすなわち美術の全部でありました。ジョットーは、そのいわゆるフレスコの大きなものを後世に残したほかに、小さな額面を作らないではない。今日でもその額面のほとんど全部はヨーロッパにも絶えているが、もしそれが偶然、こうしてこんなところへ落ちて来たとすれば、それこそ破天荒(はてんこう)の怪事――仮りにその謙遜な門弟の筆になり、後人の忠実な模写であるとしたところが、白雲の胸を刺して煩悶(はんもん)懊悩(おうのう)せしむるには充分でしょう。
 今日も、明日も、白雲は額面の前で、エイ、ビー、シーを習い出し、頼まれた仕事を始める気色(けしき)がありません。

         八

 田山白雲の身の廻りのことは、三度の食事から、蒲団(ふとん)の上げ下ろしまで、痒(かゆ)いところへ手の届くように世話してくれる者があります。
 それは主として、両国橋の女軽業の一座の手のすいた者が、入代り立代りして、親方からいいつけられた通りにするものですから、不足ということはありません。
 もっとも、今では両国橋の一座は手代の方に任せて、お角は直接に立入らないことにしているが、後見としてのお角の眼が光らない限り、立ちゆかないことになっているのですから、お角のいいつけによって働く人は、白雲を尊敬して、それに侍(かしず)くこと、至れり、尽せりの有様です。
 ところが、この絵描きは、豪傑の資質を備えていて、女軽業の美人連もうかとは狎(な)れ難いものがある。ことに親方からは絵の先生だと言い渡されていたのに、この先生は絵をかかないで、横文字を書いている。
 ある時、当番の美人連の一人が、怖る怖る傍へ寄って来て、
「何をお書きになっていらっしゃいますの?」
「ドロナワだよ」
 この返事で二の句がつげないでいると、白雲先生は、
「ドロナワといって、つまり、泥棒を捉まえて縄を綯(な)っているんだ」
「へえ……」
 女は思わず白雲の手許を覗(のぞ)き込むようにしましたが、別段、縄らしいものも見えず、相変らずクチャクチャと横文字を書いているから、一切わけがわからないで、
「縄をお綯いなさるなら、麻を持って参りましょうか?」
と続いて、怖る怖る伺いを立てると、白雲が釣鐘のような大きな声で、
「あ、は、は、は……」
と笑い出したので、忽(たちま)ち吹き飛ばされてしまいました。
 吹き飛ばされた美人連の一人は、両国橋の楽屋へ来て吐息をついて、
「いけないのよ、嘘よ、あんな絵描(えか)きがあるもんですか、ありゃ豪傑ですよ」
「どうして?」
「泥棒を捉まえるんですって」
「そうなの、わたしも訝(おか)しいと思った、絵描きだ、絵描きだ、といって、ちっとも絵を描かないじゃありませんか」
「絵描きじゃないのよ、親方も変り者だから、あんなことをいって、仮りに絵描きとして世話をして置くんでしょう、ほんとうは豪傑なのよ」
「わたしも、豪傑だろうと思ったのさ」
「だからね、わたしたちじゃお歯にあわないから、力持のお勢さんを、あのお客様の接待係専門にしてしまおうじゃないか」
 こんなことをいって、力持のお勢さんがちょうど、当番の日。
 この日、白雲は、どこかでローマ字綴りの仮名(かな)をつけたのを、半紙へ幾枚か墨で書いてもらって来て、それを練習している。その時分、市内を訊(たず)ぬればしかるべき蘭学や、英語の塾はあるべきはず。それに入学して師につくの順序を厭(いと)うて、どこまでも独学で行くの寸法らしい。凝(こ)り出すとこの男も寝食を忘れる性質(たち)で、力持のお勢さんが来ても脇目もふらない。
 力持のお勢さんも、この人にはなんだか畏敬(いけい)が先に立つと見えて、お給仕の時も冗談が一ついえないで堅くなっている。
 夕方、二階へ明りをつけに行って、恭(うやうや)しく引きさがって、自分は長火鉢の前に頬杖ついて留守居していると、
「今晩は……」
と訪れの声がして、格子戸がガラリとあきましたが、お勢さんは立たないで、
「どなた?」
と言いました。多分心安立(こころやすだ)ての仲間うちが来たものと思ったのでしょう。
「御免なさいよ」
 それは聞いたような声でしたけれど、女ではありません。
「お入りなさいな」
 お勢さんはまだ立たないで、返事だけをしました。
 そこで、障子をあけて、
「御免よ」
といって顔を出した男を見て、力持のお勢さんがハッと驚きました。
「まあ、がんりきの兄(にい)さん」
「お勢ちゃんかい」
「なんて、お珍しいんでしょう」
 お勢さんは、大きな体を揺(ゆす)ぶって出て来ました。
「すっかり御無沙汰(ごぶさた)しちゃったね」
 がんりきの百蔵は、唐桟(とうざん)の半纏(はんてん)かなにかで、玄冶店(げんやだな)の与三(よさ)もどきに、ちょっと気取って、
「時に、これはどうしたい」
といって親指を出して見せると、
「親方はお留守なんですが、まあお上りくださいましよ」
「留守かい」
「ええ、お留守でございますが、まあお上りなさいまし」
「すぐ、帰るかね」
「いいえ……ちょっと旅へお出かけなすったんですから」
「旅に出たって? おやおや」
 がんりきは、やや失望の体(てい)で上り口に佇(たたず)んでいると、お勢さんは、
「兄さん、どうなすったのだろうと、みんなで心配していましたわ」
「なにかえ、親方は旅に出たって、どっちの方へ行ったんだろう」
「箱根から熱海の方へ……」
「洒落(しゃれ)てやがらあ」
 がんりきは少々興醒(きょうざ)め顔をして、
「まあ、仕方がねえや、それじゃお留守にひとつお邪魔をすることにして……」
といいながら、ちょっと後ろを顧みて、
「兄(にい)や、さあ、おいで、いいから安心しておあがり」
 自分が手を引いて連れ込んだのは、今まで障子の蔭にいて、お勢には見えなかった一人の子供。
 それを見ると、お勢さんが重ねて驚いてしまいました。
「おや、お前は茂ちゃんじゃないの?」
「ああ」
「茂ちゃん、お前という子は、ほんとにどこへ行ってたんですよ」
 お勢は、まじまじと茂太郎の顔を眺めて、窘(たしな)めるようにいいますと、茂太郎は恥かしそうに、また怖気(おじけ)づいているように、がんりきの後ろへ隠れて返事をしない。
「こういうお土産(みやげ)があるから、図々しくも、やって来てみる気になったのさ」
とがんりきは、早くも長火鉢の前に坐り込んでしまいました。
 茂太郎は、やはりその蔭に小さく坐って、もじもじしている。
「ほんとに、茂ちゃん、お前という子もずいぶん人騒がせね。お母さんはじめ、どのくらい、心配して探したか知れやしません。いい気になってどこを歩いていたの……?」
 お勢のいうことが、出戻りを叱るような慳貪(けんどん)になったので、がんりきが、
「まあ、そう、ガミガミいうなよ、なにもこの子が悪いというわけじゃねえや、連れて逃げたあの小坊主が、知恵をつけたんだから、何もいわず、元々通り、可愛がってやってくんな」
「なにも、わたしが叱言(こごと)をいう役じゃありませんが、あの人気最中に、逃げ出すなんて、親方の身にもなってみてもあんまりだから、つい……」
「ところで……」
 がんりきは長火鉢の前に脂下(やにさが)って、
「湯治と来ちゃあ二日や三日じゃあ帰れめえが、お勢ちゃんが留守番かい?」
「いいえ、わたしが留守番ときまったわけじゃありませんの、二階にお客様がおいでなさるもんですから……」
「お客様……」
といって、がんりきの百が変な顔をして、二階を見上げました。
「そのお客様てえのは……?」
 がんりきの言葉尻が上って来るのを、
「絵の先生ですよ」
 お勢は何気なく答えたが、がんりきの胸がどうも穏かでないらしい。
「絵の先生が、お留守番なのかい?」
「お留守番というわけではありませんが、親方がお泊め申して置くもんですから、わたしたちが毎日隙を見ちゃあ、こうして入代り立代り、お世話に上るんですよ」
「へえ、なるほど……」
 がんりきの胸の雲行きが、いよいよ穏かでないらしい。
 というのは、このがんりきという男と、お角とは、一時盛んに熱くなり合ったことがある。しかし、それはこういう輩(やから)の腐れ合いで、いくら逆上(のぼせ)てもおたがいに目先の見えないところまでは行かない。お角も、再び一本立ちになって、これだけの仕事を切って廻すようになってからは、がんりきのような男を近づけては、第一、使っている人たちのしめしにもならないし、がんりきの方でも、少しは焦(じ)らしてみたりなんぞしても、もともと、女の尻をつけつ廻しつするほどの突(つ)ッ転(ころ)ばしではないのだから、自分の方からもあまり近寄らないようにしていたのを、それをいま来て見れば、二階には絵の先生というのを置いて、自分は湯治廻りとはかなりふざけている。
 第一、その絵の先生というのが癪(しゃく)にさわるじゃないか、ぬけぬけと二階に納まって、女共にちやほやされながら、脂下(やにさが)っている、色の生(なま)ッ白(ちろ)い奴、胸が悪くならあ――とがんりきは、噛んで吐き出したくなる。
 それから、お角という阿魔(あま)も、お角という阿魔じゃあねえか……このおれが粋(すい)を通して足を遠くしていてやるのをいいことにして、色の生ッ白い絵描きを引張り込んで、抱(だ)いたり抱(かか)えたり、二階へ押上げたりして置くなんぞは、ふざけ過ぎている。
 がんりきは、こんなふうに気を廻して、すっかり御機嫌を悪くしてしまい、
「そういうわけなら、ひとつその絵の先生というのに、お目にかかって行きてえものだ」
と、旋毛(つむじ)を曲げ出したのを、お勢はそれとは気がつかないものだから、
「およしなさいまし、なんだか気の置ける先生ですから……」
「何だって……?」
 がんりきは辰巳(たつみ)あがりの体(てい)で、眼が据(す)わって来るのを、お勢は、
「ずいぶん、きむずかしやのような先生ですから、おあいにならない方がようござんしょう」
 留めて、かえって油を注ぐようなことになってしまいました。
「おい、お勢ちゃん、あっしはね、虫のせいでその気の置ける先生というのに会ってみてえんだよ」
「え?」
「そりゃ、いい株の先生だね、人の家に寝泊りをしてさ、そうして別嬪(べっぴん)さんたちを、入代り立代りお伽(とぎ)に使ってさ、それできむずかしやで納まっていられる先生には、がんりきもちっとんばかりあやかってみてえものさ、どっこいしょ」
 がんりきの百は、いきなりそこにあった提げ煙草盆をひっさげて、立ち上った権幕が穏かでないから、この時、お勢も初めて驚いてしまいました。
「まあ、お待ちなさいまし、兄さん」
 お勢は周章(あわ)てて、抱き留めようとしましたが、お勢さんの力で抱き留められた日にはがんりきも堪らないが、そこは素早いがんりきのこと、早くも、それをすり抜けて梯子段を半ばまで上ってしまったから、どうも仕方がない。
 この男は、喧嘩にかけては素早い腕を片一方持っている上に、懐中にはいつも刃物を呑んでいる。見込まれた二階の色男も堪るまい。
 それにしてもこの二階は、よく勘違いや、間違いの起りっぽい二階ではある。
 その時、二階では田山白雲が泰然自若として、燈下に、エー、ビー、シーを学んでおりましたところです。
「まっぴら、御免下さいまし……」
 がんりきの百蔵は、充分に凄味(すごみ)を利(き)かせたつもりで、煙草盆を提げてやって来るには来たが、
「やあ」
 一心不乱に書物に見入っていた目を移して、百蔵の方へ向けて田山白雲の淡泊極まる返答で、がんりきの百蔵がほとんど立場を失ってしまいました。
「こりゃ色男じゃ無(ね)え――」
 がんりきの百蔵のあいた口が、いつまでも塞がらないのは、この淡泊極まる待遇(あしらい)に度胆を抜かれたというよりも、また、その淡泊によって、いっぱし利かせたつもりの凄味が吹き飛ばされてしまったというよりも、ここにいる絵師が、たしかに色男ではないという印象が、百蔵をして、あっけに取らせてしまったのです。
 これは色男ではない――少なくとも、がんりきが梯子段を上って来る時まで想像に描いていた色男の相場が狂いました。
 それも狂い方が、あんまり烈しいので、がんりきほどのものが、すっかり面食(めんくら)ってしまったのは無理もありますまい。そこでやむなく、
「御勉強のところを相済みません……」
 テレ隠しに、こんなことをいい、煙草盆をお先に立てて、程よいところへちょこなんと坐り込むと、白雲が、
「君は誰だい」
「え……わっしどもは、親類の者で、つまり、この家の主人の兄貴といったようなものなんでございます、どうぞ、お見知り置かれ下さいまして」
 これだけでも、ききようによれば、かなり凄味が利(き)くはずになっているのを、白雲は真(ま)に受けて、
「ははあ、君が、ここの女主人の兄さんかね。妹さんには拙者も計らずお世話になっちまいましてね」
「どう致しまして、あの通りの我儘者(わがままもの)でげすから、おかまい申すこともなにもできやしません、まあ一服おつけなさいまし」
 がんりきの野郎が如才(じょさい)なく、携えて来たお角の朱羅宇(しゅらう)の長煙管(ながぎせる)を取って、一服つけて、それを勿体(もったい)らしく白雲の前へ薦(すす)めてみたものです。
「これは恐縮」
といって、白雲は辞退もせずに、その朱羅宇の長煙管でスパスパとやり出したものですから、がんりきの百蔵も、いよいよこの男は色男ではないと断定をしてしまいました。そうしてみると、今まで、張り詰めていた百蔵の邪推とか、嫉妬とかいうものが、今は滑稽極まることのようになって、吸附け煙草をパクパクやっている白雲の姿に、吹き出したくなるのを堪(こら)えて、胸の中で、
「どう見てもこの男は色男じゃ無(ね)え」
 全くその通り、どう見直しても、眼前にいるこの男は、自分が一途(いちず)に想像して来たような、生白(なまっちろ)い優男(やさおとこ)ではありませんでした。色が生白くないのみならず、本来、銅色(あかがねいろ)をしたところへ、房州の海で色あげをして来たものですから、かなり染めが利いているのです。それに加うるに六尺豊かの体格で、悠然と構え込んでいるところは、優男の部類とはいえない。いかなイカモノ食いでも、これはカジれまい――そこでがんりきも、ばかばかしさに力抜けがしてしまいました。
 すべて、がんりきの目安では、あらゆる男性を区別して、色男と、醜男(ぶおとこ)とに分ける。色男でない者はすなわち醜男であり、醜男でない者はすなわち色男である。男子の相場は、女に持てることと、持てないことによってきまる。そうして少なくとも自分は色男の本家の株だと心得ている。この本家の旗色に靡(なび)かぬような女は、意地を尽しても物にして見せようとする。仮りにもこの本家の株を侵すようなものが現われた日には、全力を以てそれに当る――だが、こういう場合には、なんと引込みをつけていいかわからない。
 ぜひなく、がんりきの百蔵は、田山白雲に向って、自分が今日この家をたずねて来たのはいつぞや、両国の楽屋を逃げ出した人気者の山神奇童(さんじんきどう)を、こんど甲州の山の中で見つけ出したものだから、それを引連れて戻しに来たのだということをいい、来て見るとあいにく、お角が留守だったものだから失望したといい、どうかひとつその子供を、お角の帰るまで手許(てもと)に預かってもらいたいということを、手短かに白雲に頼み、
「せっかく、御勉強のところを、お邪魔を致しまして、まことに相済みません」
 がんりきとしては神妙なお詫(わ)びまでして、そこそこに引上げてしまいました。
 最初の権幕に似合わず、がんりきの百蔵がおとなしく下りて来たものですから、梯子段の下に待ち構えて、いざといわば取押えに出ようとした力持のお勢さんも、ホッと息をついて喜んでしまいました。

         九

 その翌日から、田山白雲の周囲(まわり)に、般若(はんにゃ)の面(めん)を持った一人の美少年が侍(かしず)いている。それは申すまでもなく清澄の茂太郎であります。
「おじさん」
「何だい」
 白雲が机の上に両臂(ひょうひじ)をついて、今も一心に十四世紀の額面を眺めている傍から、茂太郎が、
「ねえ、おじさん」
「何だい」
「後生(ごしょう)だから……」
「うむ」
「後生だから、あたいを逃がして頂戴な」
「いけないよ」
「そんなことをいわないで」
「どうして、お前はここにいるのをいやがるのだ、ここの家の人がお前を苛(いじ)めでもしたのかい」
「いいえ、ここの家の人は、親方も、姉さんたちも、みんなあたいを大切(だいじ)にしてくれます」
「そんなら逃げるがものはないじゃないか」
「でもね、おじさん、弁信さんが心配しているから」
「弁信さんというのは何だい」
「弁信さんは、わたしのお友達よ」
「あ、そうか、お前をそそのかして連れて逃げ出したというその小法師のことだろう、いけません、お前はそんな小法師にだまされて出歩くもんじゃありません、おとなしく親方や朋輩(ほうばい)のいうことを聞いていなけりゃなりませんよ」
「いいえ、弁信さんにだまされたんじゃありません、弁信さんは人をだますような人じゃありませんのよ、それはそれはあたいを大切(だいじ)がって、あたいがいないと、どのくらい淋しがっているか知れないでしょう、それを黙って出て来たんだから、だからもう一ぺん弁信さんに逢いたいの、ね、叔父さん、逢わして頂戴、後生だから」
「そりゃお前、料簡違(りょうけんちが)いというものだよ、お前は、その弁信さんというのより、こっちの方に義理があるのだろう、そう無暗に出歩いてはいけない」
「…………」
 茂太郎はここに至って、失望の色を満面に現わしました。最初から画面に心を打込んでいる白雲には、その色を見て取ることができなかったが、会話がふっと途絶(とだ)えたので気がつき、
「だが、時が来れば逢えるようにしてやるから、逃げ出したりなんぞしないで、おとなしく待っていなければならない」
「時って、いつのこと」
「それは、いつともいわれないが、ここの主人が旅から帰って来たら、よく話をして、その弁信さんというのに逢えるようにしてあげよう」
「そうなると、いいですが、みんなが弁信さんをよく思っていないから――」
 茂太郎が容易に浮いた色を見せないのは、ここの家では誰もが弁信をよく思っていないのみならず、誘拐者(ゆうかいしゃ)として悪(にく)んでいることを知っているからです。
「わしも長く附合っているわけではないから、よく知らんが、しかし、ここの女主人という人も、そうわからない人ではないらしいから、帰るまで待っておいで、逃げてはいけないよ。まあ、絵の本でも御覧……わしの描いた絵の本を見せてあげよう」
 白雲は、この少年を慰めるつもりで、座右に置いた自分の写生帳――房総歴覧の収穫――それを取って、無雑作(むぞうさ)に茂太郎のために貸し与えました。
 悲しげに沈黙した茂太郎は、与えられた絵の本を淑(しとや)かに受取って、畳の上へ置いて一枚一枚と繰りひろげます。
 この写生帳は、房州の保田(ほた)へ上陸以来、鋸山(のこぎりやま)に登り、九十九谷を廻り、小湊、清澄を経て外洋の鼻を廻り、洲崎(すのさき)に至るまでの収穫がことごとく収めてある。
 何も知らぬ茂太郎も、一枚一枚とその肉筆の墨の色に魅せられてゆくうちに、
「あ」
といいました。しょげ返っていた少年の頬に、サッと驚異の血がのぼりました。
「おじさん」
「何だい」
「あなたはお嬢さんの似顔を描きましたね」
「お嬢さんの?」
「ええ」
「どこのお嬢さん……」
といって、十四世紀の絵画を眺めていた田山白雲が、自分の画帳の上に眼を落すと、そこには、房州の保田の岡本兵部の家の娘の姿が現われておりました。
「これはおじさん、保田の岡本のお嬢さんの似顔でしょう、それに違いない」
「うむ、どうしてお前、それを知っている」
「あたいのお嬢さんですよ」
「お前も、保田の生れかね」
「そうじゃありませんけれど、これは、あたしのお世話になったお屋敷のお嬢さんです」
「ははあ」
 田山白雲は、何かしら感歎しました。
「お嬢さんは、あたしに逢いたがっているでしょうね、あたしが弁信さんに逢いたがっているように。そうして、おじさん、お嬢さんは、あたしのことを何とか言わなかった?」
「左様……」
 白雲は、別段この少年へといって、あの娘から言伝(ことづ)てられた覚えもない。
「お嬢さんが、あたしに初めて歌を教えてくれたのよ、それからあたしは歌が好きになってしまったのよ」
「なるほど」
 そこで、田山白雲が、その時の記憶を呼び起して、あの晩、岡本兵部の娘が羅漢(らかん)の首を抱いて、子守歌を唄ったのを思い出しました。その時、白雲も胸を打たれて、この年で、この縹緻(きりょう)で、この病と、美しき、若き狂女のために泣かされたことを思い出しました。
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条長田(なんじょうおさだ)へ魚(とと)買いに……
 清澄の茂太郎は、その時、何に興を催したか、行燈(あんどん)の光をまともに見詰めて、この歌を唄いはじめると、田山白雲は何か言い知れず淋しいものに引き入れられる。
 そうだ、あの時、岡本兵部の娘は、石の羅漢の首を後生大切(ごしょうだいじ)に胸に抱えて、蝋涙(ろうるい)のような涙を流し、
「ねえ、あなた、この子の面(かお)が茂太郎によく似ているでしょう、そっくりだと思わない?」
 その首を自分の机にさしおいたことを覚えている。
 してみれば、あの狂女と、この少年の間に、何か奇(く)しき因縁(いんねん)があるに違いない。そこで白雲も妙な心持になり、
「杭州(こうしゅう)に美女あり、その面(おもて)白玉(はくぎょく)の如く、夜な夜な破狼橋(はろうきょう)の下(もと)に来って妖童(ようどう)を見る……」
と口吟(くちずさ)みました。

         十

 鏡ヶ浦に雲が低く垂れて陰鬱(いんうつ)極まる日、駒井甚三郎は洲崎(すのさき)の試験所にあって、洋書をひろげて読み、読んではその要所要所を翻訳して、ノートに書き留め、読み返して沈吟しておりました。
「フランソア・ザビエル師ノ曰(いは)ク、予ノ見ル所ヲ以テスレバ、善良ナル性質ヲ有スルコト日本人ノ如キハ、世界ノ国民ノウチ甚ダ稀ナリ。彼等ガ虚言ヲ吐キ、詐偽(さぎ)ヲ働クガ如キハ嘗(かつ)テ聞カザル所ニシテ、人ニ向ツテハ極メテ親切ナリ。且ツ、名誉ヲ重ンズルノ念強クシテ、時トシテハ殆ド名誉ノ奴隷タルガ如キ観アリ」
 こう書いてみて駒井は、果してこれが真実(ほんとう)だろうか、どうかと怪しみました。フランソア・ザビエル師は、天文年間、初めて日本へ渡って来た宣教師。ただ日本人のいいところだけ見て、悪いところを見なかったのだろう。それとも一遍のお世辞ではないか――さて黙して読むことまた少時(しばらく)。
「日本人ハ武術ヲ修練スルノ国民ナリ。男子十二歳ニ至レバ総(すべ)テ剣法ヲ学ビ、夜間就眠スル時ノ外ハ剣ヲ脱スルトイフコトナシ。而シテ眠ル時ハコレヲ枕頭ニ安置ス。ソノ刀剣ノ利鋭ナルコト、コレヲ以テ欧羅巴(ヨーロッパ)ノ刀剣ヲ両断スルトモ疵痕(しこん)ヲ止(とど)ムルナシ。サレバ刀剣ノ装飾ニモ最モ入念ニシテ、刀架(とうか)ニ置キテ室内第一ノ装飾トナス」
 これは実際だ――と駒井甚三郎が書き終って、うなずきました。
「勇気ノ盛ンナルコト、忍耐力ノ強キコト、感情ヲ抑制スルノ力ハ驚クベキモノアリ」
 これは考えものだ……ことに今日のような頽廃(たいはい)を極めた時代を、かえって諷誡(ふうかい)しているような文字とも思われるが、しかし、よく考えてみると、古来、日本武人の一面には、たしかにこの種の美徳が存在していた。今でもどこかに隠れてはいるだろう。
「日本人ハ最モ復讐(ふくしう)ヲ好ミ、彼等ハ街上ヲ歩ミナガラモ、敵(かたき)ト目ザス者ニ逢フ時ハ、何気(なにげ)ナクコレニ近寄リ、矢庭ニ刀ヲ抜イテ之(これ)ヲ斬リ、而シテ徐(おもむ)ロニ刀ヲ鞘(さや)ニ納メテ、何事モ起ラザリシガ如ク平然トシテ歩ミ去ル……単ニ刀ノ切味ヲ試サンガ為ニ、試シ斬リヲ行フコト珍シカラズ」
 これもまた、たしかに日本人のうちの性癖の一つで、駒井自身も幾度かそれを実地に見聞いている。これは美徳とも、長所ともいえまいが、外国人が見たら、たしかに、日本国民性の一つの特色として驚異はするだろう、と駒井はようやく筆を進ませて、
「日本ノ貴族ニハ不法ニシテ傲慢(ごうまん)ナル習慣アリ。足ヲ以テ平民ヲ蹴リテ怪シマズ。平民自身モマタ奴隷タルベクコノ世ニ生レ出デタルモノニシテ、人格ト権利ヲ没却セラレテモ、之ヲ甘ンジテ屈従スルモノノ如シ。惟(おも)フニ日本貴族ノコノ傲慢ナル風習ヲ改メシムルノ道ハ、耶蘇教(やそけう)ノ恩沢ヲコレニ蒙ラシムルノ外アルベカラズ」
 そこで、なるほど、外国人の眼から見た時は、階級制度の烈しい日本の国では、貴族と、平民との関係が、こうも見えるのかしら、これでは野蛮人扱いだ、と思いました。しかしこれは、西洋で十六世紀から十七世紀の間、日本では戦国時代から徳川の初期へかけて日本に渡来した、主として耶蘇教の宣教師の目に映った日本人の観察である、日本人自身では気のつかない適切な見方もあろうが、また思いきった我田引水もあるようだ――現に日本貴族の傲慢なる風習を改めしむるの道は、耶蘇の教えを以てするよりほかはない、と断言したところなど、日本に宗教なしと見縊(みくび)っていうのか、或いはまた事実この道を伝うるにあらざれば、人類救われずとの信念によって出でたる言葉か――駒井自身では動(やや)もすれば、そこに反感を引起し易(やす)い。
 だが、耶蘇の教えが、偽善と驕慢を憎んで、愛と謙遜を教えるところに趣意の存することは、朧(おぼろ)げながらわかっている。
 駒井甚三郎が今日読んでいるのは、その専門とするところの兵器、航海等の科学ではなく、宗教に関するところの書物であります。宗教というたとても、それはキリスト教に関するもののみで、いつぞやわざわざ番町の旧邸を訪ねて、一学を煩(わずら)わし、その文庫の中から選び齎(もたら)し帰ったものであります。今や、駒井甚三郎は、キリスト教を信じはじめたのではありません。また信じようと心がけているわけでもありません。
 給仕の支那少年との偶然の会話が縁となって、これを知らなければならぬとの知識慾に駆(か)られたのが、そもそもの動機であります。
 何となれば、西洋の軍事科学の新知識に於ては、当代に人も許し、吾も信ずるところの身でありながら、その西洋の歴史を劃する宗教の出現について、ほとんど無知識であるのみならず、不具なる支那少年から、逆に知識を受けねばならぬことは、これ重大なる恥辱であると、駒井の知識慾が、そういうふうに刺戟を与えたから、彼は暫く、軍事科学の書物を抛擲(ほうてき)して、専(もっぱ)ら、キリスト教の書物を読むことになったのです。
 要するに信仰のためではなく、知識のために読み出しているのです。
 で、読み行くうちに、どの読書家もするように、要所要所へ線を引いておいて、それを座右に積み重ね、今やその要所を改めて摘録(てきろく)し、翻訳してノートにとどめている。
 さてまた、一冊をとりひろげて、その引線の部分を摘訳する。
「福音書ノ何(いづ)レノ部分ニモ耶蘇(やそ)ノ面貌ヲ記載シタルコトナシ。サレバ、後人、耶蘇ノ像ヲ描カントスルモノ、ソノ想像ノ自由ナルト共ニ、表現ノ苦心尋常ニアラズ。
或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ勁烈(けいれつ)ノモノトナシ、或者ハ、温厳兼ネ備ヘタル秀麗ノ君子人トナス。
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、荘厳(そうごん)ト優美トヲ兼ネタル秀麗ナル男性ノ典型トシテ描キタレドモ、独(ひと)リ十四世紀ノジョットーニサカノボレバ然(しか)ラズ。
人一度(ひとたび)、アレナノ会堂ニ赴(おもむ)キテ、ジョットーノ描キタル、ユダノ口吻(くちづけ)スル耶蘇ノ面貌ヲ見タランモノハ、粛然トシテ恐レ、茲(ここ)ニ神人ナザレ村ノ青年ヲ見ルト共ニ、ジョットーノ偉才ニ襟ヲ正サザル無カルベシ。
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ面影(おもかげ)トヲ伝ヘン哉(かな)……」
 ここまで訳し来った駒井甚三郎は、ページを一つめくりました。全く世の中は儘(まま)にならないもので、田山白雲はああして狂気のようになって、いろはからその知識を探り当てようともがいているのを、駒井甚三郎は何の予備もなく、何の苦労もなしに、かくして読み、且つ訳している。
 田山の帰ることが二三日おそければ、駒井はこの西洋宗教美術史の一端を、田山に話して聞かせたかも知れない。といって、そうなればまた、当然白雲はあの額面を見る機会を失ったのだから、駒井の説明も風馬牛に聞き流してしまったことだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない。
 その時分、海の方に向ったこの研究室の窓を、外から押しあけようとするものがあるので、さすがの駒井も、その無作法に呆(あき)れました。
 金椎(キンツイ)でもなければ、この室を驚かす者はないはずのところを、それも外から窓を押破って入ろうとする気配は、穏かでないから、駒井も、厳然(きっと)、その方を眺めると、意外にも窓を押す手は白い手で、そして無理に押しあけて、外から面(かお)を現わしたのは、妙齢の美人でありました。
 髪を高島田に結(ゆ)った妙齢の美人は、窓から面だけを出して、駒井の方を向いて嫣乎(にっこ)と笑いました。駒井としても驚かないわけにはゆきません。
「お前は誰だ」
 駒井が窘(たしな)めるようにいい放っても、女はべつだん驚きもしないで、
「御存じのくせに。ほら、あの、鋸山の道でお目にかかったじゃありませんか」
「うむ」
「わかったでしょう。あなたは、あの時の美(い)い男ね」
「うむ」
「中へ入れて頂戴」
 駒井は、あの時の狂女だなと思いました。高島田に結って、明石の着物を着た凄いほどの美人。羅漢様の首を一つ後生大事に胸に抱いて、「お帰りには、わたしのところへ泊っていらっしゃいな」といった。
 それが、どうしてここへやって来たのだ。保田から洲崎(すのさき)まで、かなりの道程(みちのり)がある。ともかく、駒井もこのままでは捨てておけないから、椅子を立ち上って、
「ここはいけない、あっちへお廻りなさい」
「いいえ、あたしここから入りたいの」
「いけません、入るべきところから、入らなければなりません」
「いいえ、表には人がたくさんいるでしょう、犬もいるでしょう、ですからあたし、ここから入りたいの」
「表には誰もいやしませんから、あちらへお廻りなさい」
「いや、あたしここから入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
 狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
 駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を遮(さえぎ)りました。正気でない悲しさ。言うべからざることを口走り、聞くべからざることを聞くには堪えない。それを女は恥かしいとも思わず、
「けれど、それはみんな、あたしの方から惚(ほ)れたのじゃなくってよ、早くいえば、あたしがだまされたんですね、それから自棄(やけ)になって、とうとう七人の男にみんなだまされて、玩弄(おもちゃ)になってしまいました」
「ああ……」
 外から押えても、中なるねじの利(き)いていないものにはその効がない。駒井はこの場の始末にホトホト困っているのを、女は少しも頓着なしに、

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