大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 今しも、通用門から異種異形(いしゅいぎょう)の一大行列が繰出されて来るのを、黒山のような両側の人だかりが見物している。
 よって七兵衛も、その中に立って、これを眺める。
 何のために、誰がしたいたずらか、今しも薩摩屋敷の中から繰出して来る一大行列は、乞食(こじき)の行列であります。ありとあらゆる種類の乞食が、無数に列を成して通用門から外へとハミ出して来る。その事の体(てい)を見てあれば、不具者(かたわもの)も、五体満足なのも取交ぜて、老若男女の乞食という乞食が、おのおのその盛装を凝らし、菰(こも)を着るべきものは別仕立のきたないのを着、襤褸(つづれ)の満艦飾を施し、今日を限りの哀れっぽい声を振りしぼって、
「右や左のお旦那様……たよりない、哀れな者をお恵み下さいまし」
 門内から吐き出されるこの乞食の行列は、いつまで経っても、尽くるということを知らないらしい。或いは、いったん外へ出て、また一方の門から繰込んでは出直すのかとさえ疑われるが、事実は、やはり出るだけの正味が、門内に貯えられてあることに相違なく、人をして、よくまあ江戸中にこれだけの乞食があるものだと思わせました。
 なお且つ、これら、多数の乞食連のうちには、単に盛装を凝らして、商売ものの哀れっぽい声で、「右や左のお旦那様……たよりない者をお助け下さいまし」を繰返すだけの無芸大食ばかりではなく、なかには凝った意匠で、破(や)れ三味線をペコペコやりながら、
雨の夜に、日本近く、とぼけて流れ込む浦川へ、黒船に、乗りこむ八百人、大づつ小づつをうちならべ、羅紗(らしゃ)しょうじょう緋(ひ)のつっぽ襦袢(じゅばん)…… 大津絵もどきを唸(うな)るのがあるかと思えば、木魚をポクポクやり出して、
そもそもこの度(たび)、京都の騒動、聞いてもくんねえ、長州事件の咽喉元(のどもと)過ぐれば、熱さを忘れる譬(たと)えに違(たが)わぬ、天下の旗本、今の時節を何と思うぞ、一同こぞって愁訴(しゅうそ)をやらかせ、二百年来寝ながら食ったる御恩を報ずる時節はここだぞ、万石以上の四十八館(たて)、槍先揃えて中国征伐一手に引受け、奮発しなさい、チャカポコ、チャカポコ それに負けず、一方にはまた、
菊は咲く咲く、葵(あおい)は枯れる
西じゃ轡(くつわ)の音がする
と唄い、囃(はや)し、おどり狂っているものもある。その千態万状、たしかに珍しい見物(みもの)ではある。七兵衛も呆(あき)れながら飽かず眺めておりました。

         十五

「弁信さん――」
 信州白骨の温泉で、お雪は机に向って、弁信へ宛てての手紙を書いている。
「弁信さん――
お変りはありませんか。わたし、このごろ絶えずあなたのことを思い出していますのよ。誰よりも、あなたのことを。
どうかすると、不意に、枕元で、あなたの声がするものですから、眼を醒(さ)まして見ますと、それは、わたしの空耳(そらみみ)でした。
どうして、わたし、こんなに、あなたのことばかり気になるのかわかりませんわ。
ほかに思い出さねばならぬ人もたくさんありましょうに、弁信さんの面影(おもかげ)ばかりがわたしの眼の前にちらついて、弁信さんの声ばかりが、わたしの耳に残っているのは、不思議に思われてなりません。
それはね、わたしこう思いますのよ、弁信さんはほんとうに、わたしのことを思っていて下さる、その真心(まごころ)が深く、わたしの心に通じているから、それで、わたしが弁信さんを忘れられないものにしているのじゃないでしょうか。こうして、遠く離れていましても、弁信さんは、絶えず、わたしの身の上を心配していて下さる。そのお心が夢にも現(うつつ)にも、わたしの上を離れないから、それで、わたしは、不意にあなたの面影を見たり、声を聞いたりするのじゃないかと思ってよ。
ほんとうに、弁信さん、あなたほど深く人のことを思って下さるお方はありません。それは、わたしにして下さるばかりでなく、どなたに対しても、あなたという方は、しんの底から親切気を持っておいでになる。わたしは、それを、しみじみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの機会(はずみ)に、はっとこの言葉を思い出すと、胸を刺されるような痛みを覚えますが、それでも暫くするとおかしくなって、弁信さんらしい取越し苦労を笑います。
わたしに笑われて、あなたは口惜(くや)しいとお思いにはなりますまい。あなたのおっしゃったのが本当なら笑いごとではありません。
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、逐一(ちくいち)記してお知らせ致したいと存じます……」
 ここまで筆を運んで、お雪はほつれかかる髪の毛を撫でました。お雪はこのごろ、髪を洗い髪にして後ろへ下げて軽く結んでいる。自分もこの洗い髪がさっぱりしていると思うし、人もまた、お雪ちゃんには似合っていると褒(ほ)めもする。山中、外出の機会もなし、慣れてしまえば誰も、それを新しい女だといって誹(そし)るものもありません。
「外へ出て見ますと、周囲の高い山から、雪が毎日、下界へ一尺ずつ下って参ります。やがてこの雪が、山も、谷も、家も、すっかり埋(うず)めてしまうことでしょうが、まだ、谷々は、紅葉の秋といっていいところもありますから、お天気の良い日は、わたしは無名沼(ななしぬま)のあたりまで、毎日のように散歩に出かけます。
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな湯槽(ゆぶね)が八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくまま浸(ひた)っていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
昨日も、そうして、恍惚(うっとり)とお湯に浸(つか)っていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも憑(とりつ)かれたというのは、ああいうのかも知れません。このごろでは、力をつけて上げても、慰めて上げても駄目です。人に逢うのを厭(いや)がること、土の中の獣が、日の光を厭がるように恐れて、こそこそと逃げるように引込んでしまいます。
それにひきかえて、あのお内儀(かみ)さんの元気なことは――お湯に入っているところを見ますと、肉づきはお相撲さんのようで、色艶(いろつや)は年増盛(としまざか)りのようで、それで、もう五十の坂を越しているのですから驚きます。
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お内儀(かみ)さんは、浅吉さんを連れて来て、さんざん玩具(おもちゃ)にして、それがようやく痩せ衰えて行くのを喜んで眺めているようです。
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては済みませんけれど、ほんとうに歯痒(はがゆ)いほど気の弱い人です。お内儀さんは、浅吉さんを、こんな山の中へ連れて来て嬲殺(なぶりごろ)しにしているのです。そうしてその苦しがって死ぬのを、面白がって眺めているのだとしか思われないことがあって、私は悚然(ぞっ)とします。それでも、付合ってみると、お内儀(かみ)さんという人も、べつだん悪い人だとは思われず――浅吉さんもかわいそうにはかわいそうだが、お内儀さんも憎いという気にはなれず、わたしは、知らず識らずそのどちらへも同情を持ってしまうのです。一方がかわいそうなら、一方を憎まねばならないはずなのに――それとも、二人とも、別に悪いというほどの人ではないのでしょうか。また、わたしの頭が、こんがらかって、善悪の差別がつかないのでしょうか。
わからないのは、そればかりじゃありません。浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に苛(いじ)められて、生命(いのち)を□(むし)り取られることが、かえってあの人には本望なのか知らと思われることもありますのです。ですから、わたしには、うっかり口は出せません。夫婦喧嘩の仲裁は後で恨まれると聞きましたが、あの人たちは夫婦ではありませんけれども、悪い時は死ぬの、生きるのと、よい時はばかによくなってしまうのですから、わたしは、障(さわ)らないでいるのが無事だと思っています。
ですけれども、そうしているのは、わたしが、あのお内儀さんに加勢して、浅吉さんを見殺しにしているかのように思われてならないこともあります。
弁信さん。
こんなことを、あなたに書いて上げるんじゃありませんけれど、あなたが、わたしのために言って下すったことが、わたしの身の上でなくて、あの浅吉さんという人の身の上にかかっているような気持がしてならないものですから、つい、こんなことを書く気になってしまいました。
前に申し上げる通り、わたしは道中も無事、ここへ来てもほんとに幸福の感じこそ致せ、殺すとか、死ぬとか、そんないやなことは、わたしの身の廻りには寄りつきそうもありませんのに、あの浅吉さんという人には、最初から、それがついて廻っているようです。かわいそうでなりませんけれど、いま申し上げたようなわけで、力になって上げる術(すべ)がありませんのよ。
今日も、朝からお天気がいいものですから、わたしは一人で、小梨平を通り、低い笹原を分けて無名沼(ななしぬま)へ遊びに参りました。
その途中、硫黄ヶ岳の煙と、乗鞍ヶ岳の雪とが、わたしの足を留めました。
火を噴(ふ)く山から天に舞い上る大蛇(おろち)のような煙。高い山の雪の日に輝く銀の塔を磨いたような色。浅緑の深い色の空気。それから密林の間を下って無名沼のほとりに来て見ますと、いつも見る水の色が、今日はまたなんという鮮(あざや)かでしたろう。
どうして、こんなに無名の沼が、わたしを引きつけるのでしょう。わたしは天気さえよければ、毎日この沼を訪れないという日はありません。それは、やがて雪が谷を埋め尽す時分になっては、一寸(ちょっと)も戸の外へ出ることができないから、今のうちに外の空気を吸えるだけ吸い、歩けるだけの距離を歩いておくという自然の勢いが、わたしをこうして軽快に外へ出して遊ばせるのかも知れません。
それにしても、無名沼(ななしぬま)は、わたしを引きつける力があり過ぎます。
わたしは踊るような足取りで、沼のほとりを廻って、離れ岩のところまで参りました。
前にも申し上げた通り、今日の沼の色の鮮かさは格別に見えました。
ごらんなさい、水底には一面に絹糸を靡(なび)かしたような藻草(もぐさ)が生えているではありませんか。その細い柔らかな藻草の上に、星のような形をした真白な小さい花が咲いて、その花だけが、しおらしい色をして、水の上に浮び出しているではありませんか。
どこからともなく動いて来る水。多分、この、わたしが立っている離れ岩の下から、湧いて流れ出して来るのかも知れません。それが、じっと見ていなければわからないほどの動きで、その白い米粒のような藻の花を動かしているのです。見ていると、どうしても、その花が可愛い唇を動かして、わたしに話しかけているとしか思われないので、わたしも、つい、
『お前は何ていう花』
と訊(たず)ねてみましたが、その時、わたしは、ほとんど人心地を失うほどに驚いてしまいました。その白い藻の花の中に絡(から)まって、人間の屍骸(しがい)が一つ、仰向けに沈んでいるのです。なんという怖ろしいこと。
『ああ、人が殺されて、この水の底に沈んでいる、誰か来て下さい』
と声を限りに叫ぼうとしましたが、その瞬間に気がついて見ますと、何のことでしょう、それは屍骸でも、人の面(かお)でもありません、わたしというものの姿が、藻の花の間の水に映っていたのです。
あまりのことに拍子抜けがして、自分ながら呆(あき)れ返ってしまいましたけれど、それでもわたしの頭に残った今の怖ろしさが、全く消えたのではありません。
それから、何ともいえないいやな気持になって、あれほど好きな無名沼(ななしぬま)を逃げるように帰って来ました。
明日(あした)からは、たとえ、どのような、よい天気でも、あの沼へ行くことをやめようと思いながら。

弁信さん――
わたしは、その無名沼から逃げ帰る途中、あの低い笹原のところまで来ますと、ばったりと浅吉さんに行き逢ってしまいました。
『浅吉さん、鐙小屋(あぶみごや)ですか』
と、わたしが訊ねますと、浅吉さんは何とも返事をしないで、すうっと通り過ぎてしまいました。
多分、沼の近所にある鐙小屋の神主さんのところへ、あの人たちはよく出かけるそうですから、わたしが、そういって訊ねてみたのに、浅吉さんは一言の返事もせずに通り過ぎてしまったものですから、わたしも気になりました。気のせいか知ら、今日のあの人の顔の真蒼(まっさお)なこと。いつも元気のない人ではありながら、今日はまた何という蒼(あお)い色でしょう。まるで螢の光るように、顔が透き徹っていました。だもんですから、わたしは、あんまり気になって振返って見ますと、おや、もうあの人はいないのです。そこは笹原がかなり広く続いたところであるのに、いま通り過ぎたと思った浅吉さんの姿が、もう見えないものですから、わたしの身の毛がよだちました。
でも、急いで、あの林の中へ入ってしまったのだろうと、わたしも暫く立ちどまって、林の方を見ておりましたが、不安心は、いよいよ込み上げて来るばかりです。
あの人は、いつぞや林の中で縊(くび)れて死のうとしたのを、わたしが見つけて、助けて上げたことがあるくらいですから、もしやと、わたしは、堪らないほどの不安に襲われましたけれども、その時は、どうしたものか、あとを追いかけて安否を突き留めようとするほどの勇気が、どうしても出ませんでした。
無名沼(ななしぬま)の水の面影(おもかげ)といい、今の浅吉さんの蒼い色といい、すっかり、わたしを脅(おびやか)して、たとえ一足でも後ろへ戻ろうとする力を与えませんのみならず、先へ先へと押し倒されるような力で、宿まで走って参りましたのです。
宿へ帰って見ると、ここはまたなんという静けさでしょう。渓谷の間を曲って来る日の光というものは、こうも明るく、澄み渡るものかと思われるばかり。障子も部屋の隅々も、わたしのこの手紙を書いている机の上の、紙も、筆も、透き徹るほど明るく澄み渡っています。

弁信さん――
今日の手紙はこのくらいにしておきましょう。けれども、これがあなたのお手元まで着くのはいつのことだか知れないわね。それでも、勘のいいあなたは、わたしがここで筆を運んでいることを、もう、頭の中へちゃんと感じておいでなさるかも知れないわ。
茂ちゃんを大事にして上げてください。あの子は、よく独(ひと)り歩きをして、山の中へでもなんでも平気で行ってしまうから、わたし、それが案じられます。遠く出て遊ばないように、よく弁信さんの吩咐(いいつけ)を聞いて、来年の春、わたしたちが帰るまで、おとなしくお留守居をしていて下さいって――よくいって聞かせてあげて下さい。
では、今日は、これで筆を止めて、わたしは、これから下へ参ります。下の大きな炉の傍で、これから学問が開かれるのです。池田先生が歌の講義をして下さるのに、また新しく俳諧師の先生がおいでになって、面白い話をして下さいます。それが済むとみんなして世間話、山の話、猟の話などで、炉辺はいつでも春のような賑(にぎや)かさです。
弁信さん。
ではお大切(だいじ)に。
あ、まだ申し残しました。お喜び下さい、あの先生の眼がだんだんよくなりますのよ。
厚い霞(かすみ)が一枚一枚取れて、頭が軽くなるようだとこの間もおっしゃいました。
弁信さん、あなたはこの世界は暗いものと、最初からきめておいでになりますのに、あの先生は、暗いのがお好きか、明るくしたい御料簡(ごりょうけん)なのか、わたしにはさっぱりそれがわかりません」

         十六

 その翌々日、お雪はまたあわただしい思いで筆を執(と)りはじめました。
「弁信さん――
前の手紙をまだ、あなたのところに差上げる手段もつかないうちに、わたしはまた大急ぎで、継足(つぎた)しをしなければならない必要に迫られました。
先日の手紙にありましたでしょう――わたしが、無名沼(ななしぬま)から帰る時に、低い笹原の中で浅吉さんにゆきあったことを。そうして、わたしが言葉をかけたのにあの人は何の返事もなく、螢のような真蒼(まっさお)な面(かお)をしてゆきすぎてしまったことを。
あれから今日で三日目です。浅吉さんが帰りません――いいえ、帰りました。帰りましたけれど驚いてはいけません、あの人は、とうとう死んでしまいましたのよ。
それが、どうでしょう、ところもあろうに、あの無名沼の中で……捜して引き上げて来た人たちの話によると、まあ、わたし、どうしていいかわからなくなります。丁度、わたしが立っていた離れ岩の下の、絹糸のような藻の中に、浅吉さんの死体が、絡(から)まれて、水の中へ幽霊のように、浮いたり、沈んだりしていたということです。
ああ、それでは、わたしが人の死骸と思ったのは、あの人が沈んでいたのではないか、わたしの見たのは、自分の影が映ったと見たのが誤りで、最初、驚かされた幻(まぼろし)のような姿が、かえって本当ではなかったでしょうか。わたしは今、自分で自分の頭がわからなくなりました。もし、最初に見た水の中の幻が、ほんとうに浅吉さんの死骸だったとすれば、後の笹原で行きあったあの人は誰でしょう――わたし、これを書きながら怖くなってたまりません。
確かなのですよ、わたしがあの笹原でパッタリと蒼い面をした浅吉さんに行きあったことは。決して嘘ではありませんのよ。
『浅吉さん、鐙小屋(あぶみごや)へですか』
ですから、わたしは、そういって言葉をかけたのですが、それに返事のなかったことも確かです。そうして振返って見た時分には、かなり広い笹原のどこにも、あの人の姿が見えなかったことも本当なのです。
わたし、なんだか、自分までが、この世の人でないような気持がしてなりません。
三日の間、水につかっていた浅吉さんの姿は、蝋(ろう)のように真白なそうです。
連れて来て宿の一間に眠るように休んでおいでなさるそうですけれども、わたしには、どうしても今見舞に行く勇気がありません。なんでも人の話には、水には落ちたけれども、あの人は一口も水をのんではいなかったそうです。で、岩の上で転んでどこかを強く打って、気絶してから水に落ちたんだろうなんて、皆さんが噂(うわさ)をしています。けれども、わたしには、どうしても怪我とは思われません。覚悟の上の死に方です。あの人が死のうと覚悟をしたのは今に始まったことじゃありませんもの……それは、わたしだけが、よく知っています。ですから、あの人が怪我で水に落ちたとは、どうしても思われません。それにしても水を一滴も飲んでいなかったというのが変じゃありませんか。
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお内儀(かみ)さんよ。
大勢して、浅吉さんの行方(ゆくえ)を心配して、捜し廻っている間に、平気でわたしのところへ遊びに来たりなんぞして、いよいよ浅吉さんが水に落ちていたという知らせがあった時、わたしの面(かお)を見て嘲笑(あざわら)うような、安心したような、あの気味の悪い面つき。
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」

 それから二三日経って、お雪はまた弁信への手紙を書き続ける。
「弁信さん――
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお内儀(かみ)さんという人はどうでしょう。使い古しの草履(ぞうり)を捨てるのだって、あれより思いきりよくはなれますまい。
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。昨日(きのう)のことですね、二人でお湯に入っていると、わたしの身体(からだ)を、あの叔母さんがつくづくと見て、
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては堪忍(かんにん)のならない針を含んでいるということを、あなたも御存じでしょうと思います。
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も利(き)くまい、とさえ思い込んでしまいました。
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、口惜(くや)しいとも思いながら、ついあの人の口前に乗せられて、先方が言えば言われる通り返事をするようになるのは、自分ながら歯痒いように思われてなりません。いったい、この叔母さんという人は、そう悪い人じゃないのか知らん、悪いとか、憎いとか思うのは、わたしの僻目(ひがめ)というものか知らとまで、自分を疑ってくるようにまでなるのは、ほんとうに自分ながら不思議でなりませんのよ。

弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ頻(しき)りにそれを思わせられています。本当に憎むことのできない人は、本当に愛することもできませんのね。
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が来(きた)りましょうとも、少しの恐れ気もなく、善いことは善い、悪いものは悪い、と断言をなさることができるのであります。わたしにはそれができませんのよ。
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも惚(ほ)れたり腫(は)れたりした時のような心持でいられるものですか。熱くなることもあれば、冷(さ)めることもあってこそ、色恋じゃないか。
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって泣(なき)っ面(つら)をしながら、敵(かたき)を討って下さいなんて、飛んでもないところへ泣きつくなんぞは、女の面汚(つらよご)し。自分から触れば落ちそうなよわみを見せて男を誘いながら、後になって、やれ貞操を蹂躙(じゅうりん)されましたの、弄(もてあそ)ばれましたのと、人の同情に縋(すが)ろうとする女は、女の風上(かざかみ)にもおけない――
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、耳障(みみざわ)りに聞えないのが不思議のように思われてなりません。
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな女頭巾(おんなずきん)を拾って来たよ、見ておくんなさい、こりゃあ、あの高山の穀屋(こくや)のお内儀(かみ)さんの頭巾じゃあんめえか。縮緬(ちりめん)だよ、安くねえ頭巾だよ……あんなところへ落しておいちゃあ、風で水の中へ吹ッ飛んでしまわあな。穀屋のお内儀さんはおいでなさらねえか、頭巾を拾って参りましたよ』
嘉七さんという人が離れ岩の傍で、女頭巾を拾って来たという。
頭巾はかまいませんが、わたしは、あの離れ岩がいやです。なんだって、お内儀(かみ)さんは、あんなところへ行ったのでしょう。
『高山のお内儀さんは今朝出たまんま、まだ帰らねえよ』
これは、留さんという男の返事。
あのお内儀さんが今朝出たまま帰らない。そうして離れ岩の女頭巾。
弁信さん。
わたしの胸がまた早鐘のように鳴ります。行って確めて来ます。あの叔母さんまでが離れ岩の下の水藻に沈んでしまったのではないか。何だかそう思われてならない」

 その翌日のお雪の手紙。
「弁信さん――
わたしの胸にハッと来たのは無理ではありませんでした。その晩になるまで、あの叔母さんが、とうとう宿へ戻って参りませんでした。その翌朝も。
そこで、また大騒ぎをして探しに出かけたのですが、その心当りの第一は、どこというまでもありますまい、あの離れ岩です。現にそこには、あの叔母さんの物だろうという女頭巾が落ちていたのみならず、この間の、あの藻の花が、物をいわずにはいません。
因縁事(いんねんごと)のように怖ろしいではありませんか。あの叔母さんが、やはり浅吉さんと同じところの水の中に落ちて、絹糸のような水藻に絡(から)まれて死んでいたのです。それも死に方が同じように、一滴の水も飲まずに、死んでいたということです。
わたしは、何か眼に見えない縄が、わたしたちの周囲に犇々(ひしひし)と取巻いて、その縄に触れようものなら、誰でも容赦のない力のあることを感じて、身も世もあらぬ思いをせずにはおられません。
この続けざまな不祥の出来事に、宿にいる人たちの評判は区々(まちまち)です。
浅吉さんと、あの叔母さんとの間を、最初から知っているものは、浅吉さんの死を悲しんで、あの叔母さんがその後を追ったのだということを、言っています。つまり、あれは別々の心中だといってしまう人もあって、後から来た人たちは大抵その意見に従って、あれを離れ離れの心中だと見てしまう者が多いのですが、わたしには決してそうは思われません。あの叔母さんという人が、浅吉さんの後を追って死なねばならぬほど、人情のある人であったかどうか、この手紙をごらんになればおわかりになるはずです。
といって、二人まで続いて同じところで怪我をして、水に溺れて死ぬというようなこともありようはずはありますまい。
どう思い詰めたって、あの叔母さんが、自分で死ぬ気になんぞなるもんですか。
そんならば――わたしは、あれこそ浅吉さんの魂が、あの叔母さんを、同じところへ引き込んで殺したものだとしか思われません。そうでなければ、ほかに解釈のしようがないじゃありませんか――
それからまた、ある人は、その前の日、あの叔母さんが、吉田先生と一緒に、沼の辺(ほとり)を歩いていたのを見たというものがありますが――吉田先生とは机竜之助様のこと――それはなんでもありません。何かであったところで、その日は、叔母さんはちゃんと宿へ帰っていますし、姿の見えなくなったのはその翌日からのことで、その翌日から今日まで、先生はちゃんと三階の柳の間に休んでおられます。尤(もっと)も時折、先生は眼を冷しに外へおいでにはなりますが、いつか知れないように戻っては休んでしまわれたり、また静かに坐って考えておいでになるばかりですから、誰も先生を疑う意味で、そんな噂を始めたのではありません。ただ、その先の日に、あの先生と叔母さんとが、沼の辺(ほとり)を一緒に歩いていたのを見たということだけが、ちょっと人の口の端に上っただけなのです。あの先生はまだ、こんな出来事を御存じはありますまい。わたしもなるべくお知らせをしたくないと思っています。鐙小屋(あぶみごや)の神主さんは、また室堂(むろどう)へ上って行(ぎょう)をしておいでなさるのだから、誰もそのほかに、あの沼の傍へ立入る者は無いはずです。嘉七さんは白樺(しらかば)の皮を取りにあの辺へ通りかかって、そうして頭巾を見つけ出して来たまでです。ああ、また今夜はみんなしてお通夜(つや)をしなければなりません。
弁信さん。
わたしは浅吉さんの死顔を見なかったように、あの叔母さんの死顔も見ないでしまおうと思います。私にはそれを見るの勇気がありませんもの。皆さんもまた、出世前の者はそういうものを見ない方がよいと申します……」

         十七

 追分から、木曾街道の本道を取らずに、北国街道を行く道庵と米友。
 どうしたものか、米友の足が思うように捗(はかど)らない。
 軽井沢から沓掛(くつかけ)まで一里五町、沓掛から追分まで一里三町。
 そこで善光寺道を小諸(こもろ)へ続く原っぱで、米友がドッカと路傍の草の上に坐り込んでしまいました。
「友様、どうした」
「うーん」
と米友が杖槍から荷物まで、そっくりそこへ抛(ほう)り出し、足を投げ出して、上目遣(うわめづか)いに、道庵の面(かお)を眺めただけで無言。
 米友のグロテスクな面に、浅間の雲と同じような憂鬱(ゆううつ)が三筋たなびいている。
 道庵はそこで杖を立てて、信濃の山川を顧みていると、
「先生」
 暫くあって、米友が重苦しく道庵を呼ぶ。
「何だい」
「人が死んでも、ほんとうに魂というものが残るのか」
「そりゃ、そうだとも」
「で、その魂はどこへ行ってるんだ」
「うむ、そりゃあ……」
 道庵はグッと唾(つ)を呑み込んで、
「そりゃあお前、地獄へも行けば、極楽へも行かあな」
「地獄と極楽のほかに、この世へ戻って来ることはねえのか」
「そりゃ、この世へ戻って来ることもある、魂魄(こんぱく)この土(ど)にとどまって、恨みを晴らさないでおくべきか……」
 道庵は瓢箪(ひょうたん)をあやなして、変な見得(みえ)をきってみましたが、米友はその追究を緩(ゆる)めないで、
「その魂がこの世へ戻って来ると、どこにいる」
「うむ、そりゃあ……そりゃこの宙(ちゅう)に彷徨(さまよ)っていてな、好きな奴へは乗りうつり、恨みのある奴には取ッつく」
「うん、それで、その魂は、どんな色をしている」
「色――魂の色かい」
「この世にあるものなら、色があるだろう」
「うむ――色もあるにはある、色(しき)は即(すなわ)ち空(くう)、空は即ち色なりといって、魂だって、色が無(ね)えという理窟は無え」
と、道庵が力(りき)みました。
「それで、どんな形をしているんだね、先生、その魂は……」
 米友はすかさず突っかける。
「なに、その魂の形かい……およそ形のあるものは潰(くず)れずということなく……」
とかなんとかいってみましたけれど、さすがの道庵シドロモドロで、その足もとの危ないこと、酒のせいばかりではありますまい。
 事実、この一本槍は、米友が手練の杖槍よりもその穂先が深い――また、この負担は、米友の肩にかけた振別(ふりわけ)を押ッつけられたよりも、道庵にとっては重い。
 さきには、出任せに、一種の霊魂不滅を説いて米友に聞かせたが、それこそ本当の道庵流の出任せで、かりに一時の気休めに過ぎない。道庵自身が果して、霊魂の不滅を信じているかどうかは頗(すこぶ)る怪しいものです。だから、正式にこういって、色は、形はと、ジリジリ突っ込まれてみると、相手がどこまでも真剣なのだから、魂は青い色をして、雨の夜に墓場の上で燃えているなんぞと、ごまかしきれない。
 道庵は苦しまぎれに、瓢箪(ひょうたん)をハタハタと叩き出してみたが、瓢箪から駒も出ないし、真理も出て来ない。
 幸か不幸か、道庵先生がソクラテスほどの哲人でなかった代りに、相手がギリシャの若殿原(わかとのばら)ほどの弁論家でなかったから、霊魂は調和か、実在か、の微妙なところまでは進まず、
「先生、おいらは、もう一ぺん軽井沢へ帰(けえ)りてえのだ」
 米友が悠然(ゆうぜん)として、哲学から、感傷に移りました。
 米友のは、難問を吹きかけて道庵を苦しめるが目的ではなく、軽井沢のお玉のことが気になってならない。
 ここまで足の運びの重いのも、その一種異様なるきぬぎぬの思いに堪うることができないで、それが魂の問題となって穂に現われたというだけのもの。
 この男は、もう一度、軽井沢へ帰って、しみじみとお玉という女と話がしてみたいのだ。お玉の面影(おもかげ)が、どうしてもお君に似ている。そうして、特別に自分にとっては親切であったことが、忘れられない。
 魂というものがあって、人に乗りうつるものならば、たしかにお君の魂は、あの女に乗りうつっている。名さえ前名のお玉とあるではないか。
 米友は、この二里八町の道を、絶えずそのことばかり思うて、後ろ髪を引かれ引かれてこれまで来ました。途中、幾度も、この杖も、荷物も投げ出して、軽井沢へ駈け戻ろうかと思いつめては、思い返し、思い返し、ここまで来たのだが、ついに堪えられなくなって、ここで投げ出したものらしい。
 それを、また道庵は、いつもの短気にも似合わず、長いことかかって、懇々と説諭して、再び米友をして荷を取って肩にかけ、槍をついて出で立たしむる。
 追分から小諸までは三里半。
 まだ少々早いが、小諸の城下で泊るつもりで町へ入り込むと、早くも二人の姿を見つけた問屋場(といやば)で、
「あれだぜ、あれが一昨日(おととい)の日、軽井沢で裸松(はだかまつ)をやっつけた大将だ!」
という評判で、小諸の町へ姿を見せるが早いか、忽(たちま)ちに二人が、城下全体の人気者となってしまいました。
 一昨日の出来事、米友の武勇が、僅か六里を隔てた街道筋の要所に宣伝されているのは、早過ぎる時間ではない。裸松そのものがあぶれ者で持余(もてあま)されていただけに、それを倒した勇者の評判が高い。で、例によって輪に輪をかけられて、街道の次から次へと二人の行く先が指さしの的となる。
 その評判がなくてさえ、ひょろ高い道庵と、ちんちくりんの米友が、相伴うて歩く形はかなり道中の人目を引くのだから、まして、その人気が加わってみると、誰でもただは置こうはずがない。その勇者来(きた)るの評判を、讃嘆しようとして出て来たものが失笑する。
 本来、正直な米友は、小さくなって道庵のあとにくっついて行くが、道庵は大気取りで、突袖に反身(そりみ)の体(てい)。
 あの小さいのが、素敵な手利(てきき)で、あれが裸松を一撃の下に倒したのだが、前のは先生で、自身は手を下さないが、あの先生が手を下す日になったら、どのくらい強いか底が知れない。小諸や、上田の藩中に、手に立つ者が一人でもあるものか――なんぞという評判が道庵の耳に入ると、先生いよいよ反身になってしまい、街道狭しと歩くその気取り方ったら、見られたものではありません。
 この得意が道庵先生をして、一つの謀叛(むほん)を起さしめたのはぜひもありません。それは、ただこうして長の道中、道庵は道庵として、米友は米友として歩いたのでは、旅の興が薄いから、その時その時によって、趣向を変えて行ったらどうだ。それにはまず、差当り、輿論(よろん)の推薦に従って、自分は武術の先生になりすまし、米友をそのお弟子分に取立てて、これからの道中という道中を、武者修行をして、道場という道場を、片っぱしから歴訪して歩いたら面白かろう。
 その事、その事と、道庵が額を丁(ちょう)と打って、吾ながらその妙案に感心しました。
 道庵に左様な謀叛が兆(きざ)したとは知らぬ米友、恥かしそうに、そのあとにくっついて、城下の巴屋六右衛門というのに泊る。
 しかしながら、その翌日は相変らずの道庵は道庵、米友は米友。
 二人ともに別段、武芸者としての改まった身姿(みなり)にもならないのは、道庵のせっかくの謀叛に、米友が不同意を唱えたわけではなく、小諸の城下を当ってみたけれども、変装用の思わしい古着が見つからなかったものらしい。
 道庵は「鍼灸術原理(しんきゅうじゅつげんり)」という古本を一冊買って、小諸の宿(しゅく)を立ちました。
 小諸から田中へ二里半。田中より海野(うんの)へ二里。海野より上田へ二里。上田より坂木へ三里六町。坂木より丹波島(たばじま)へ一里。
 丹波島から善光寺までは、もう一里十二町というホンの一息のところまで来て、犀川(さいがわ)の河原。
 この河原へ来た時に月があがったので道庵先生が、すっかりいい心持になって、渡しを渡らずに河原へ出てしまい、明日はいやでも善光寺。今晩はここで、思う存分月見をしようといい出しました。
 信州名代の川中島。月はよし、風はなし、前途の心配はなし。米友を促して、渡し場から莚(むしろ)を借り、それを河原の真中に敷いて、一瓢(いっぴょう)を中央に据え、荷物を左右に並べて、東山(とうざん)のほとりより登り、斗牛(とぎゅう)の間(かん)を徘徊(はいかい)しようとする月に向って道庵は杯をあげ、そうして意気昂然として、川中島の由来記を語って米友に聞かせました。
 米友も、信玄と謙信とには、相当の予備知識を持っている。ことに道庵が甲陽軍鑑を楯(たて)にとって、滔々(とうとう)とやり出す川中島の合戦記には、米友も知らず識らず釣込まれ、感心して聞いているものだから、道庵も、いよいよいい気になって、喋(しゃべ)るだけ喋ると、喋り疲れて、瓢箪(ひょうたん)を枕にゴロリと横になって、早くも鼾(いびき)の声です。
 夜もすがら川中島の月を見て、明日は善光寺という約束だから、米友もぜひなく、旅の合羽(かっぱ)を開いて道庵の上に打着せ、自分は所在なさに槍を抱えて河原の中へ、そぞろ歩きを始めたものです。
 犀川の岸を、そぞろ心に米友が歩むと、行手に朦朧(もうろう)として黒い物影。吾行けば彼も行き、吾止(とど)まれば彼も止まる。米友は夢心地でその影を追いました。
 四郡を包む川中島。百里を流るる信濃川の上(かみ)。歩み歩むといえども、歩み尽すということはありません。いわんや、立ち止まって月を見ると、四周(まわり)の山が月光に晴れて、墨の如く眼界に落ち来(きた)る。
 月を砕いて流るる川の面(おも)を見ると、枚(ばい)を含んで渡る人馬の響きがする。その響きに耳を傾けると白巾(はっきん)に面(かお)を包み、萌黄(もえぎ)の胴肩衣(どうかたぎぬ)、月毛の馬に乗って三尺余りの長光(ながみつ)を抜き翳(かざ)した英雄が、サッと波打際に現われる。青貝の長柄の槍が現われて馬のさんずを突く。それが消えると、また朦朧とした黒い物影が、行きつとまりつする。
 興に駆(か)られた米友は槍を下におくと、手頃の石を拾い取って、力を罩(こ)めて靄(もや)の中へ投げ込んでみました。
 それに驚いて、楊柳の蔭から一散(いっさん)に飛び出して、河原を横一文字に走るものがある。
 犬だろう、と米友が思いました。
 一匹が走ると、続いて思いもかけぬところからまた一匹、また一匹。
 その物が唸(うな)る――犬ではない。
 と米友は心得面(こころえがお)に杖槍を拾い上げたが、その犬に似た真黒いものの影は、靄の中に消えて、唸り声だけが尾を引いて物凄(ものすご)い。
 狼だ――犬の形をして犬でない。犬の棲(す)むべからざるところに棲むのは狼だ。
 この辺には狼がいる。飯山(いいやま)の正受(しょうじゅ)老人は、群狼の中で坐禅をしたということを米友は知らないが、これは油断がならない。見廻せば前後茫々たる川中島。
 ああ、上杉謙信ではないが、自分はあまり深入りをした。道庵先生の身の上が気にかかる。
 道庵の身の上こころもとなしと戻って見れば、道庵は狼にも食われず、無事に莚(むしろ)の上に熟睡していますから、米友も安心しました。
 酔うて沙上に臥(が)するというのは道庵に於て、今に始まったことではない。医者の不養生をたしなめるのは、たしなめる者の愚である。
 そこで米友はそのところを去って、再び川中島の川原を彷徨(さまよ)う。
 時は深夜、月は冲天にある。興に乗じて米友は、手にせる杖槍を取って高く空中に投げ上げ、それを腕で受留める。
 広東(カントン)の勇士が方天戟(ほうてんげき)を操る如く、南洋の土人がブーメラングを弄(ろう)する如く、米友は杖槍を投げては受留め、受留めては投げながら、川中島の川原の中でひとり戯(たわむ)れている。戯れながら川原の中を進み行くと、やがてまた茫々として、前後を忘れる。
「抑々(そもそも)当流ノ元祖戸田清玄ハ宿願コレ有ルニヨツテ、加賀国白山権現ニ一七日ノ間、毎夜参籠(さんろう)致ス所、何処(いづこ)トモナク一人ノ老人来リ御伝授有ルハ夫(そ)レコノ流ナリ」
 米友は高らかに戸田流の目録を、そら読みに読み上げました。
 米友のは、戸田流と限ったわけではない。強(し)いて流儀をいえば淡路流(あわじりゅう)ともいうべきもの。本来は野性自然の天分に、木下流の修正を加えて、それからあとは不羈自由(ふきじゆう)であります。自由なるが故に、あらゆる格法を無視することもできる代りに、あらゆる格法を取って以てわが用に供することもできるのであります。ちょっと道場覗きをしてからが、いい形と、いい呼吸を見て取って自得する。
 それで、この男は、別段に師匠の手から切紙、目録、免許といったような印(しるし)を与えられてはいない。そうかといって、自ら進んで米友一流を開くほどの野心も、慢心も、持合せていない。
「先ヅ槍ヲ以テ敵ニ向ヒ、切折ラレテ後、棒トナル、又棒切折ラレテ半棒トナル……」
 そこで彼は独流の型を使いはじめました。槍から棒に変化し、棒がまた半棒に変ずるまでの型を、鮮かにやってのけました。
 自由と、乱雑とは、意味を異にする。修練を経て天分が整理されると、初めて自由の妙境が現われる。自由が発して節に当ると、それが型となって現われる。
 小人は、乱暴と、反抗とを以て、自由なりと誤想する。
 自由は型であり、礼儀であることを知らない。型は人を縛るものに非(あら)ずして、これを行かざれば、大道無きことを人に知らしむる自由の門である。
 型と、礼儀を、重んぜざる者に、大人(たいじん)となり、君子となり、達人となり、名人となり、聖域に至るの人ありという例(ためし)を聞かない。
 だがしかし、型と、礼儀に捉われた人間ほど、憐れむべきものはない。それは人間に非ずして、器械である。
 単に器械だけならばいいが、その器械が、圧搾器械でもあった日には、人間の進歩を害することこれより大なるはない。
 ある者は型から入って自由の妙境に遊び、ある者は野性を縦横に発揮して、初めて型の神妙を会得(えとく)する。
 無論、宇治山田の米友のは、その後者に属するものであります。
 今や、米友は陶然(とうぜん)として、その型に遊ぶの人となりました。
 こんなことは滅多にないのです。かつて、甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は如法暗夜(にょほうあんや)のうちに、必死の努力でやりました。今夜のは月明のうち、興に乗じて陶然として遊ぶのです。
 その型の美しさ――すべての芸道において、型の神妙に入ったものは、先以(まずもっ)て美しいというよりはいいようがない。
 惜しいことにこの美しさを見るものが、月と、水とのほかにはありません。
 米友が陶然として型に遊んでいる時、その型を破るものは道庵先生の声であります。
「こいつは堪(たま)らねえ、こいつは堪らねえ」
 道庵が突如として、うろたえ声で騒ぎ出しましたから、米友が、一議に及ばず馳(は)せ参じました。
 見れば莚の上に眼を醒(さ)ました道庵は、合羽(かっぱ)をかなぐり捨てて頻(しき)りにうろたえている。
 聞いてみると、今まで自分がいい心持で眠っているところへ、不意に何物か現われて、鼻っぱしをガリガリと噛(かじ)ったものがあるから、驚いて跳ね起きたところだという。
 鼻っぱしをガリガリと噛られては堪らない。しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、四方(あたり)を見ても、何物も道庵を脅(おびやか)しに来たものの形跡を認められない。
「危(あぶ)ねえ、危ねえ、こんなところに泊っちゃあいられねえ、たしかに今、おれの鼻っぱしを噛りに来た奴がある」
といって道庵は、しきりにおびえながら、その荷物を掻(か)き集めて、こんなところには一刻もいられないというような身ぶりをする。
 ははあ、それでは、さいぜんのあの犬に似て犬でないのがやって来て、道庵の寝込みを襲ったのか。
 慌(あわ)てながら、うろたえている道庵を見ると、ブルブルと胴ぶるいが止(や)まない。怖いばかりではない、寒いのだ。酔っているうちこそいい心持で寝ていたが、多少醒めては、川原のまん中へ莚敷(むしろじき)では堪るまい。怖いのでうろたえているのか、寒いのに怖れをなしたのか、とにかく、眼を醒(さ)ました道庵が、一刻もここにいられないという心を起したことは確かですから、米友も出立の用意をする。
 出立の用意といったところで今は真夜中過ぎ、一里の道を善光寺に着いたところで、まだ戸をあけている家はあるまい。第一、つい眼のさきの丹波島(たばじま)の渡し場だって、舟を出すまいではないか。しかし思い立つと留めて留まらぬ道庵ではある。米友もぜひなく莚を巻いて丹波島の渡し場まで来ました。
 さて渡し舟はつなぎ捨てられてあるが、眠っている船頭を起すも気の毒。
 道庵が心得顔に小声で米友をそそのかし、そっとその舟を引き出して乗る。
 犀川の渡し、ここを俗に丹波川という。水勢甚だ急にして、出水のたびに渡し場が変る。水の瀬が早くて棹(さお)も立たない。たぐり縄で舟を渡す。
 背の低い米友、やっとそのたぐり縄に縋(すが)りついたが、それを操(あやつ)ることは妙を得ている。ともかくも舟は中流に乗出す。もし、船頭が眼でも醒まそうものなら、一悶着(ひともんちゃく)を免れないが、幸いにその事もなく舟は向うの岸に着く。
 飛び上った道庵は、月の光で朧気(おぼろげ)に立札の文字を読むと、平水の時は一人前五十文と書いてある――そこで百文の銭を取揃えて、舟板の上に並べて置いて、申しわけをしたつもり。
 ほどなく権堂(ごんどう)の町へ入るには入ったが、どことて今時分、起きている気紛れはない。二三軒、宿屋を叩いてみたけれど、起きて待遇(もてな)そうという家もない。
 後町から大門前(だいもんまえ)まで来る。道庵先生、しきりに胴ぶるいをつづけているが、そこは負惜み、もう二時(ふたとき)もたてば夜が明けるだろう、夜が明けたら最後、善光寺の町をひっくり返してくれよう。それまではまず山門の隅なりと借りて一休み――
「江戸へ五十七里四町
日光へ六十里半
越後新潟へ四十八里二十七町」
と大きな道標(みちしるべ)を横に睨まえ、もうこれ、ともかく五十七里も来たかなと呟(つぶや)きながら、善光寺の境内(けいだい)へはいって行く。
 本来、上方(かみがた)を目的とする旅だから、追分から和田峠を越して下諏訪へ出るのが順序なのを、そこがまた道庵の気性で、信濃へ来て善光寺へ参詣をしないのは、仏を作って魂を入れぬものだと意地を張ったばっかりで、こんな寒い思いもする。

         十八

 それでも、どうかこうか、二人は善光寺本堂の外陣のお通夜の間に入り込んで、数多(あまた)の群衆の中へ割込みました。
 ほどなく朝参りの団体も押しかけて来る。善光寺の内外は人で満たされる。
 道庵は、お通夜と朝参りの群衆の中へ坐り込んで、人の温気(うんき)でいい心持になり、前後も知らず居眠りの熟睡をはじめる。
 これによって見ると、道庵は善光寺へ参拝に来たのだか、居眠りに来たのだかわからない。米友はまた群衆の中に坐り込んでは、しきりに抹香(まっこう)の煙に巻かれている。
 なんてまあ、人の混むお寺だろう。今日は特別に御縁日ででもあるのか知ら。いったい善光寺様、善光寺様と崇(あが)めて、こんな山奥へ諸国の人が集まるのがわからない。
 そこで米友が、隣席の有難そうなお婆さんに訊ねてみると、お婆さんのいうことには――
 この善光寺様には、日本最初の阿弥陀如来様(あみだにょらいさま)の御像があるということ。
 人生れてこの寺に詣(もう)ずれば、浄土の往生疑いなしということ。
 そこで、このお寺は一宗一派のものではなく、このお寺の御本尊様は、日本の仏像の総元締、神様でいえば伊勢の大神宮様と同じこと。
 大神宮様所在の御地を神都と呼ぶからには、ここは仏様の仏都ともいうべきところだと説明する。
 米友は、ははあ、そういったものかと思う。自分はその伊勢の大神宮様のお膝元で生れたのだが、してみればここに参詣するのも、神仏おのおの異った因縁があるのかも知れないと思う。
 しかし、伊勢の大神宮様の内苑は、森厳(しんごん)にして犯すべからざるものがあるのに、このお寺の中の賑やかなこと。
 暁の光、いまだに堂内に入らざるに、香の煙は中に充ちわたり、常燈(じょうとう)の明りおぼろなるところ、勤行(ごんぎょう)の響きが朗々として起る。鬱陶(うっとう)しいようでもあり、甘楽(かんらく)の夢路を辿(たど)るようでもある。坐っているうちに、なんとなく温かくなり、有難くもなって、妙な世界へ引込まれた心持で、米友は坐っていると、
「お階段めぐり」
という声で、その周囲の連中がゾロゾロと立ち上る。立ち上っていいのか、悪いのか、わからないのは米友。相変らず熟睡の居眠りから醒めない道庵。
「先生!」
 米友はそこで、道庵を呼び起しました。
 道庵を促してお階段めぐりも終り、やがて廊下へ出て御拝(ごはい)の蔭で草鞋(わらじ)を履(は)いている道庵と米友。ことに米友は草鞋がけが渡し場の水でしめって少し堅いから、足へはめるのに多少の苦心を費していると、その頭を上から撫でて通るものがある。
 米友、ひょいと振仰いで見ると、ただいま自分の頭を撫でて通ったのは、気品の高い一人の若い尼さんで、その周囲には数人の従者、相当年配の尼さんがついている。
 人を撫でた真似(まね)をする尼さんだな、と思いながら米友が見送っていると、外陣から廊下階段へ溢(あふ)れ出た善男善女が、その尼さんのお通り筋に並んで、一様に頭を下げてかしこまる。
 若い尼さんは、その跪(ひざまず)いて頭を下げている無数の善男善女を、いちいちその手に持てる水晶の珠数(じゅず)で撫でて行く。おれを撫でたのもあの珠数だな、と米友が思いました。
 米友は、けげんな顔をしてそれを見送っているのに、善男善女は、仰ぎ見ることさえしないで、その尼さんに通りながら撫でられる時、一心に念仏の声を揚げるものもある。この尼さんの一行の過ぐるところ、荒野の中を鎌が行くように、人がはたはたと折れて跪く。跪いて、その珠数を頭に受けることを無上の光栄とし、その法衣の袖に触るることさえが、勿体(もったい)なさの極みとしているらしい。
 何のことだか米友にはよくわからない。ただその通り過ぐるあとで、
「尼宮様」
「尼宮様」
という囁(ささや)きが聞える。
 そこで、道庵と、米友とは、善光寺本堂を立ち出でる。
 通例の客は、まず宿を取ってから後に本堂に参詣するのが順序なのに、道庵と米友は、参籠(さんろう)を済ましてから宿の選択にかかる。
 朝まだき、それでも外へ出て見ると、善光寺平野が一時に開けて、天地が明るく、朝風が身にしみて、急に風物が展開したように思われる。
 明るいところへ出ると、暗いところが疑問になる。あのお階段めぐりなるもの、何の必要があってかわざわざ暗いところへ下りて、人と人とが探り合いながら暗いところを歩くのだ。
 道庵が米友の不審に答えて、あれは有名な善光寺のお階段めぐりといって、ああして暗いところを歩いているうちに、心の正しからぬものは犬になるという言い伝えがあるのだが、われわれもまんざら心が曲ってばかりはいないと見えて、犬にもならずに出て来たという。
 しかし、お前は途中、あの鍵へはさわることを忘れたろう、おれもつい失念してしまったが、探り探り廻る間に一つの鍵がある、あの鍵にさわることができたものは、極楽世界に往生すると言われている。鍵には、道庵も、米友も、さわることを忘れたから、こいつは極楽往生は覚束(おぼつか)ねえぞ、弱ったなと道庵が額を逆さに撫でる。
 それにつけても、おいとしいのはあの尼宮様。やんごとなき御出身でありながら、八歳のお年より髪を卸して御仏(みほとけ)に仕え奉る。みずからの御発心(ごほっしん)でないだけに、一層おいじらしさが身にしみると、道庵が柄(がら)にもなくしおらしい同情をしたのが米友の胸をうつ。
 思い返せば、あの尼宮様の面影(おもかげ)がお痛わしい。
 道庵と、米友が、善光寺の仁王門を出でて札場のところまで来ると、そこで祭文語(さいもんがた)りが、参詣の善男善女の足を引きとめている。
 背の高い道庵は、人の後ろからこれを眺めるに骨は折れないが、背の短い米友には、何が始まっているのだかわからない。
 道庵、その祭文語りを聞くとまたいい心持になってしまいました。

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