大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 がんりきの百は、いきなりそこにあった提げ煙草盆をひっさげて、立ち上った権幕が穏かでないから、この時、お勢も初めて驚いてしまいました。
「まあ、お待ちなさいまし、兄さん」
 お勢は周章(あわ)てて、抱き留めようとしましたが、お勢さんの力で抱き留められた日にはがんりきも堪らないが、そこは素早いがんりきのこと、早くも、それをすり抜けて梯子段を半ばまで上ってしまったから、どうも仕方がない。
 この男は、喧嘩にかけては素早い腕を片一方持っている上に、懐中にはいつも刃物を呑んでいる。見込まれた二階の色男も堪るまい。
 それにしてもこの二階は、よく勘違いや、間違いの起りっぽい二階ではある。
 その時、二階では田山白雲が泰然自若として、燈下に、エー、ビー、シーを学んでおりましたところです。
「まっぴら、御免下さいまし……」
 がんりきの百蔵は、充分に凄味(すごみ)を利(き)かせたつもりで、煙草盆を提げてやって来るには来たが、
「やあ」
 一心不乱に書物に見入っていた目を移して、百蔵の方へ向けて田山白雲の淡泊極まる返答で、がんりきの百蔵がほとんど立場を失ってしまいました。
「こりゃ色男じゃ無(ね)え――」
 がんりきの百蔵のあいた口が、いつまでも塞がらないのは、この淡泊極まる待遇(あしらい)に度胆を抜かれたというよりも、また、その淡泊によって、いっぱし利かせたつもりの凄味が吹き飛ばされてしまったというよりも、ここにいる絵師が、たしかに色男ではないという印象が、百蔵をして、あっけに取らせてしまったのです。
 これは色男ではない――少なくとも、がんりきが梯子段を上って来る時まで想像に描いていた色男の相場が狂いました。
 それも狂い方が、あんまり烈しいので、がんりきほどのものが、すっかり面食(めんくら)ってしまったのは無理もありますまい。そこでやむなく、
「御勉強のところを相済みません……」
 テレ隠しに、こんなことをいい、煙草盆をお先に立てて、程よいところへちょこなんと坐り込むと、白雲が、
「君は誰だい」
「え……わっしどもは、親類の者で、つまり、この家の主人の兄貴といったようなものなんでございます、どうぞ、お見知り置かれ下さいまして」
 これだけでも、ききようによれば、かなり凄味が利(き)くはずになっているのを、白雲は真(ま)に受けて、
「ははあ、君が、ここの女主人の兄さんかね。妹さんには拙者も計らずお世話になっちまいましてね」
「どう致しまして、あの通りの我儘者(わがままもの)でげすから、おかまい申すこともなにもできやしません、まあ一服おつけなさいまし」
 がんりきの野郎が如才(じょさい)なく、携えて来たお角の朱羅宇(しゅらう)の長煙管(ながぎせる)を取って、一服つけて、それを勿体(もったい)らしく白雲の前へ薦(すす)めてみたものです。
「これは恐縮」
といって、白雲は辞退もせずに、その朱羅宇の長煙管でスパスパとやり出したものですから、がんりきの百蔵も、いよいよこの男は色男ではないと断定をしてしまいました。そうしてみると、今まで、張り詰めていた百蔵の邪推とか、嫉妬とかいうものが、今は滑稽極まることのようになって、吸附け煙草をパクパクやっている白雲の姿に、吹き出したくなるのを堪(こら)えて、胸の中で、
「どう見てもこの男は色男じゃ無(ね)え」
 全くその通り、どう見直しても、眼前にいるこの男は、自分が一途(いちず)に想像して来たような、生白(なまっちろ)い優男(やさおとこ)ではありませんでした。色が生白くないのみならず、本来、銅色(あかがねいろ)をしたところへ、房州の海で色あげをして来たものですから、かなり染めが利いているのです。それに加うるに六尺豊かの体格で、悠然と構え込んでいるところは、優男の部類とはいえない。いかなイカモノ食いでも、これはカジれまい――そこでがんりきも、ばかばかしさに力抜けがしてしまいました。
 すべて、がんりきの目安では、あらゆる男性を区別して、色男と、醜男(ぶおとこ)とに分ける。色男でない者はすなわち醜男であり、醜男でない者はすなわち色男である。男子の相場は、女に持てることと、持てないことによってきまる。そうして少なくとも自分は色男の本家の株だと心得ている。この本家の旗色に靡(なび)かぬような女は、意地を尽しても物にして見せようとする。仮りにもこの本家の株を侵すようなものが現われた日には、全力を以てそれに当る――だが、こういう場合には、なんと引込みをつけていいかわからない。
 ぜひなく、がんりきの百蔵は、田山白雲に向って、自分が今日この家をたずねて来たのはいつぞや、両国の楽屋を逃げ出した人気者の山神奇童(さんじんきどう)を、こんど甲州の山の中で見つけ出したものだから、それを引連れて戻しに来たのだということをいい、来て見るとあいにく、お角が留守だったものだから失望したといい、どうかひとつその子供を、お角の帰るまで手許(てもと)に預かってもらいたいということを、手短かに白雲に頼み、
「せっかく、御勉強のところを、お邪魔を致しまして、まことに相済みません」
 がんりきとしては神妙なお詫(わ)びまでして、そこそこに引上げてしまいました。
 最初の権幕に似合わず、がんりきの百蔵がおとなしく下りて来たものですから、梯子段の下に待ち構えて、いざといわば取押えに出ようとした力持のお勢さんも、ホッと息をついて喜んでしまいました。

         九

 その翌日から、田山白雲の周囲(まわり)に、般若(はんにゃ)の面(めん)を持った一人の美少年が侍(かしず)いている。それは申すまでもなく清澄の茂太郎であります。
「おじさん」
「何だい」
 白雲が机の上に両臂(ひょうひじ)をついて、今も一心に十四世紀の額面を眺めている傍から、茂太郎が、
「ねえ、おじさん」
「何だい」
「後生(ごしょう)だから……」
「うむ」
「後生だから、あたいを逃がして頂戴な」
「いけないよ」
「そんなことをいわないで」
「どうして、お前はここにいるのをいやがるのだ、ここの家の人がお前を苛(いじ)めでもしたのかい」
「いいえ、ここの家の人は、親方も、姉さんたちも、みんなあたいを大切(だいじ)にしてくれます」
「そんなら逃げるがものはないじゃないか」
「でもね、おじさん、弁信さんが心配しているから」
「弁信さんというのは何だい」
「弁信さんは、わたしのお友達よ」
「あ、そうか、お前をそそのかして連れて逃げ出したというその小法師のことだろう、いけません、お前はそんな小法師にだまされて出歩くもんじゃありません、おとなしく親方や朋輩(ほうばい)のいうことを聞いていなけりゃなりませんよ」
「いいえ、弁信さんにだまされたんじゃありません、弁信さんは人をだますような人じゃありませんのよ、それはそれはあたいを大切(だいじ)がって、あたいがいないと、どのくらい淋しがっているか知れないでしょう、それを黙って出て来たんだから、だからもう一ぺん弁信さんに逢いたいの、ね、叔父さん、逢わして頂戴、後生だから」
「そりゃお前、料簡違(りょうけんちが)いというものだよ、お前は、その弁信さんというのより、こっちの方に義理があるのだろう、そう無暗に出歩いてはいけない」
「…………」
 茂太郎はここに至って、失望の色を満面に現わしました。最初から画面に心を打込んでいる白雲には、その色を見て取ることができなかったが、会話がふっと途絶(とだ)えたので気がつき、
「だが、時が来れば逢えるようにしてやるから、逃げ出したりなんぞしないで、おとなしく待っていなければならない」
「時って、いつのこと」
「それは、いつともいわれないが、ここの主人が旅から帰って来たら、よく話をして、その弁信さんというのに逢えるようにしてあげよう」
「そうなると、いいですが、みんなが弁信さんをよく思っていないから――」
 茂太郎が容易に浮いた色を見せないのは、ここの家では誰もが弁信をよく思っていないのみならず、誘拐者(ゆうかいしゃ)として悪(にく)んでいることを知っているからです。
「わしも長く附合っているわけではないから、よく知らんが、しかし、ここの女主人という人も、そうわからない人ではないらしいから、帰るまで待っておいで、逃げてはいけないよ。まあ、絵の本でも御覧……わしの描いた絵の本を見せてあげよう」
 白雲は、この少年を慰めるつもりで、座右に置いた自分の写生帳――房総歴覧の収穫――それを取って、無雑作(むぞうさ)に茂太郎のために貸し与えました。
 悲しげに沈黙した茂太郎は、与えられた絵の本を淑(しとや)かに受取って、畳の上へ置いて一枚一枚と繰りひろげます。
 この写生帳は、房州の保田(ほた)へ上陸以来、鋸山(のこぎりやま)に登り、九十九谷を廻り、小湊、清澄を経て外洋の鼻を廻り、洲崎(すのさき)に至るまでの収穫がことごとく収めてある。
 何も知らぬ茂太郎も、一枚一枚とその肉筆の墨の色に魅せられてゆくうちに、
「あ」
といいました。しょげ返っていた少年の頬に、サッと驚異の血がのぼりました。
「おじさん」
「何だい」
「あなたはお嬢さんの似顔を描きましたね」
「お嬢さんの?」
「ええ」
「どこのお嬢さん……」
といって、十四世紀の絵画を眺めていた田山白雲が、自分の画帳の上に眼を落すと、そこには、房州の保田の岡本兵部の家の娘の姿が現われておりました。
「これはおじさん、保田の岡本のお嬢さんの似顔でしょう、それに違いない」
「うむ、どうしてお前、それを知っている」
「あたいのお嬢さんですよ」
「お前も、保田の生れかね」
「そうじゃありませんけれど、これは、あたしのお世話になったお屋敷のお嬢さんです」
「ははあ」
 田山白雲は、何かしら感歎しました。
「お嬢さんは、あたしに逢いたがっているでしょうね、あたしが弁信さんに逢いたがっているように。そうして、おじさん、お嬢さんは、あたしのことを何とか言わなかった?」
「左様……」
 白雲は、別段この少年へといって、あの娘から言伝(ことづ)てられた覚えもない。
「お嬢さんが、あたしに初めて歌を教えてくれたのよ、それからあたしは歌が好きになってしまったのよ」
「なるほど」
 そこで、田山白雲が、その時の記憶を呼び起して、あの晩、岡本兵部の娘が羅漢(らかん)の首を抱いて、子守歌を唄ったのを思い出しました。その時、白雲も胸を打たれて、この年で、この縹緻(きりょう)で、この病と、美しき、若き狂女のために泣かされたことを思い出しました。
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条長田(なんじょうおさだ)へ魚(とと)買いに……
 清澄の茂太郎は、その時、何に興を催したか、行燈(あんどん)の光をまともに見詰めて、この歌を唄いはじめると、田山白雲は何か言い知れず淋しいものに引き入れられる。
 そうだ、あの時、岡本兵部の娘は、石の羅漢の首を後生大切(ごしょうだいじ)に胸に抱えて、蝋涙(ろうるい)のような涙を流し、
「ねえ、あなた、この子の面(かお)が茂太郎によく似ているでしょう、そっくりだと思わない?」
 その首を自分の机にさしおいたことを覚えている。
 してみれば、あの狂女と、この少年の間に、何か奇(く)しき因縁(いんねん)があるに違いない。そこで白雲も妙な心持になり、
「杭州(こうしゅう)に美女あり、その面(おもて)白玉(はくぎょく)の如く、夜な夜な破狼橋(はろうきょう)の下(もと)に来って妖童(ようどう)を見る……」
と口吟(くちずさ)みました。

         十

 鏡ヶ浦に雲が低く垂れて陰鬱(いんうつ)極まる日、駒井甚三郎は洲崎(すのさき)の試験所にあって、洋書をひろげて読み、読んではその要所要所を翻訳して、ノートに書き留め、読み返して沈吟しておりました。
「フランソア・ザビエル師ノ曰(いは)ク、予ノ見ル所ヲ以テスレバ、善良ナル性質ヲ有スルコト日本人ノ如キハ、世界ノ国民ノウチ甚ダ稀ナリ。彼等ガ虚言ヲ吐キ、詐偽(さぎ)ヲ働クガ如キハ嘗(かつ)テ聞カザル所ニシテ、人ニ向ツテハ極メテ親切ナリ。且ツ、名誉ヲ重ンズルノ念強クシテ、時トシテハ殆ド名誉ノ奴隷タルガ如キ観アリ」
 こう書いてみて駒井は、果してこれが真実(ほんとう)だろうか、どうかと怪しみました。フランソア・ザビエル師は、天文年間、初めて日本へ渡って来た宣教師。ただ日本人のいいところだけ見て、悪いところを見なかったのだろう。それとも一遍のお世辞ではないか――さて黙して読むことまた少時(しばらく)。
「日本人ハ武術ヲ修練スルノ国民ナリ。男子十二歳ニ至レバ総(すべ)テ剣法ヲ学ビ、夜間就眠スル時ノ外ハ剣ヲ脱スルトイフコトナシ。而シテ眠ル時ハコレヲ枕頭ニ安置ス。ソノ刀剣ノ利鋭ナルコト、コレヲ以テ欧羅巴(ヨーロッパ)ノ刀剣ヲ両断スルトモ疵痕(しこん)ヲ止(とど)ムルナシ。サレバ刀剣ノ装飾ニモ最モ入念ニシテ、刀架(とうか)ニ置キテ室内第一ノ装飾トナス」
 これは実際だ――と駒井甚三郎が書き終って、うなずきました。
「勇気ノ盛ンナルコト、忍耐力ノ強キコト、感情ヲ抑制スルノ力ハ驚クベキモノアリ」
 これは考えものだ……ことに今日のような頽廃(たいはい)を極めた時代を、かえって諷誡(ふうかい)しているような文字とも思われるが、しかし、よく考えてみると、古来、日本武人の一面には、たしかにこの種の美徳が存在していた。今でもどこかに隠れてはいるだろう。
「日本人ハ最モ復讐(ふくしう)ヲ好ミ、彼等ハ街上ヲ歩ミナガラモ、敵(かたき)ト目ザス者ニ逢フ時ハ、何気(なにげ)ナクコレニ近寄リ、矢庭ニ刀ヲ抜イテ之(これ)ヲ斬リ、而シテ徐(おもむ)ロニ刀ヲ鞘(さや)ニ納メテ、何事モ起ラザリシガ如ク平然トシテ歩ミ去ル……単ニ刀ノ切味ヲ試サンガ為ニ、試シ斬リヲ行フコト珍シカラズ」
 これもまた、たしかに日本人のうちの性癖の一つで、駒井自身も幾度かそれを実地に見聞いている。これは美徳とも、長所ともいえまいが、外国人が見たら、たしかに、日本国民性の一つの特色として驚異はするだろう、と駒井はようやく筆を進ませて、
「日本ノ貴族ニハ不法ニシテ傲慢(ごうまん)ナル習慣アリ。足ヲ以テ平民ヲ蹴リテ怪シマズ。平民自身モマタ奴隷タルベクコノ世ニ生レ出デタルモノニシテ、人格ト権利ヲ没却セラレテモ、之ヲ甘ンジテ屈従スルモノノ如シ。惟(おも)フニ日本貴族ノコノ傲慢ナル風習ヲ改メシムルノ道ハ、耶蘇教(やそけう)ノ恩沢ヲコレニ蒙ラシムルノ外アルベカラズ」
 そこで、なるほど、外国人の眼から見た時は、階級制度の烈しい日本の国では、貴族と、平民との関係が、こうも見えるのかしら、これでは野蛮人扱いだ、と思いました。しかしこれは、西洋で十六世紀から十七世紀の間、日本では戦国時代から徳川の初期へかけて日本に渡来した、主として耶蘇教の宣教師の目に映った日本人の観察である、日本人自身では気のつかない適切な見方もあろうが、また思いきった我田引水もあるようだ――現に日本貴族の傲慢なる風習を改めしむるの道は、耶蘇の教えを以てするよりほかはない、と断言したところなど、日本に宗教なしと見縊(みくび)っていうのか、或いはまた事実この道を伝うるにあらざれば、人類救われずとの信念によって出でたる言葉か――駒井自身では動(やや)もすれば、そこに反感を引起し易(やす)い。
 だが、耶蘇の教えが、偽善と驕慢を憎んで、愛と謙遜を教えるところに趣意の存することは、朧(おぼろ)げながらわかっている。
 駒井甚三郎が今日読んでいるのは、その専門とするところの兵器、航海等の科学ではなく、宗教に関するところの書物であります。宗教というたとても、それはキリスト教に関するもののみで、いつぞやわざわざ番町の旧邸を訪ねて、一学を煩(わずら)わし、その文庫の中から選び齎(もたら)し帰ったものであります。今や、駒井甚三郎は、キリスト教を信じはじめたのではありません。また信じようと心がけているわけでもありません。
 給仕の支那少年との偶然の会話が縁となって、これを知らなければならぬとの知識慾に駆(か)られたのが、そもそもの動機であります。
 何となれば、西洋の軍事科学の新知識に於ては、当代に人も許し、吾も信ずるところの身でありながら、その西洋の歴史を劃する宗教の出現について、ほとんど無知識であるのみならず、不具なる支那少年から、逆に知識を受けねばならぬことは、これ重大なる恥辱であると、駒井の知識慾が、そういうふうに刺戟を与えたから、彼は暫く、軍事科学の書物を抛擲(ほうてき)して、専(もっぱ)ら、キリスト教の書物を読むことになったのです。
 要するに信仰のためではなく、知識のために読み出しているのです。
 で、読み行くうちに、どの読書家もするように、要所要所へ線を引いておいて、それを座右に積み重ね、今やその要所を改めて摘録(てきろく)し、翻訳してノートにとどめている。
 さてまた、一冊をとりひろげて、その引線の部分を摘訳する。
「福音書ノ何(いづ)レノ部分ニモ耶蘇(やそ)ノ面貌ヲ記載シタルコトナシ。サレバ、後人、耶蘇ノ像ヲ描カントスルモノ、ソノ想像ノ自由ナルト共ニ、表現ノ苦心尋常ニアラズ。
或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ勁烈(けいれつ)ノモノトナシ、或者ハ、温厳兼ネ備ヘタル秀麗ノ君子人トナス。
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、荘厳(そうごん)ト優美トヲ兼ネタル秀麗ナル男性ノ典型トシテ描キタレドモ、独(ひと)リ十四世紀ノジョットーニサカノボレバ然(しか)ラズ。
人一度(ひとたび)、アレナノ会堂ニ赴(おもむ)キテ、ジョットーノ描キタル、ユダノ口吻(くちづけ)スル耶蘇ノ面貌ヲ見タランモノハ、粛然トシテ恐レ、茲(ここ)ニ神人ナザレ村ノ青年ヲ見ルト共ニ、ジョットーノ偉才ニ襟ヲ正サザル無カルベシ。
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ面影(おもかげ)トヲ伝ヘン哉(かな)……」
 ここまで訳し来った駒井甚三郎は、ページを一つめくりました。全く世の中は儘(まま)にならないもので、田山白雲はああして狂気のようになって、いろはからその知識を探り当てようともがいているのを、駒井甚三郎は何の予備もなく、何の苦労もなしに、かくして読み、且つ訳している。
 田山の帰ることが二三日おそければ、駒井はこの西洋宗教美術史の一端を、田山に話して聞かせたかも知れない。といって、そうなればまた、当然白雲はあの額面を見る機会を失ったのだから、駒井の説明も風馬牛に聞き流してしまったことだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない。
 その時分、海の方に向ったこの研究室の窓を、外から押しあけようとするものがあるので、さすがの駒井も、その無作法に呆(あき)れました。
 金椎(キンツイ)でもなければ、この室を驚かす者はないはずのところを、それも外から窓を押破って入ろうとする気配は、穏かでないから、駒井も、厳然(きっと)、その方を眺めると、意外にも窓を押す手は白い手で、そして無理に押しあけて、外から面(かお)を現わしたのは、妙齢の美人でありました。
 髪を高島田に結(ゆ)った妙齢の美人は、窓から面だけを出して、駒井の方を向いて嫣乎(にっこ)と笑いました。駒井としても驚かないわけにはゆきません。
「お前は誰だ」
 駒井が窘(たしな)めるようにいい放っても、女はべつだん驚きもしないで、
「御存じのくせに。ほら、あの、鋸山の道でお目にかかったじゃありませんか」
「うむ」
「わかったでしょう。あなたは、あの時の美(い)い男ね」
「うむ」
「中へ入れて頂戴」
 駒井は、あの時の狂女だなと思いました。高島田に結って、明石の着物を着た凄いほどの美人。羅漢様の首を一つ後生大事に胸に抱いて、「お帰りには、わたしのところへ泊っていらっしゃいな」といった。
 それが、どうしてここへやって来たのだ。保田から洲崎(すのさき)まで、かなりの道程(みちのり)がある。ともかく、駒井もこのままでは捨てておけないから、椅子を立ち上って、
「ここはいけない、あっちへお廻りなさい」
「いいえ、あたしここから入りたいの」
「いけません、入るべきところから、入らなければなりません」
「いいえ、表には人がたくさんいるでしょう、犬もいるでしょう、ですからあたし、ここから入りたいの」
「表には誰もいやしませんから、あちらへお廻りなさい」
「いや、あたしここから入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
 狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
 駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を遮(さえぎ)りました。正気でない悲しさ。言うべからざることを口走り、聞くべからざることを聞くには堪えない。それを女は恥かしいとも思わず、
「けれど、それはみんな、あたしの方から惚(ほ)れたのじゃなくってよ、早くいえば、あたしがだまされたんですね、それから自棄(やけ)になって、とうとう七人の男にみんなだまされて、玩弄(おもちゃ)になってしまいました」
「ああ……」
 外から押えても、中なるねじの利(き)いていないものにはその効がない。駒井はこの場の始末にホトホト困っているのを、女は少しも頓着なしに、
「その七人の名を、みんなあなたに打明けたら、あなたも吃驚(びっくり)なさるでしょう、その人たちの恥にもなりますから、あたしは言いません……それも本来は、わたしが悪いんでしょう、茂太郎を可愛がり過ぎたから、茂太郎がいやがって逃げてしまい、その時からわたしは自葉(やけ)になりましたの。あなた、突き落しちゃいやよ」
 女は敷居に武者振りついて、あられもない高島田の美人は、どうしてもここから乱入するつもりらしい。
 折よくそこへ金椎(キンツイ)がお茶を運んで来たものですから、駒井は金椎にいいつけて、狂女を表の方へ廻らせました。しかし、正式に案内されてこの室へ通された狂女は、今まで言ったことも、したことも、すっかり忘れたようにケロリとして、まず室内のベッドを見つけ出して、
「夜どおし歩いて来たものですから、疲れてしまいましたわ、それに眠くてたまりませんから、少し休ませて頂戴な、あとで、ゆっくりお話を致しましょう」
といって、早くも、ベッドの上に横になってしまいました。
 言葉の聞えない金椎は、この女の無作法に呆(あき)れてしまったようでしたが、主人が別段それを咎(とが)めようともしないものだから、解(げ)せない面(かお)をしながら、横になった狂女の身体(からだ)に毛布をかけてやりました。
 金椎が出て行くと共に、駒井もこの室を退却してしまったので、あとは狂女がこの室を、わがものがおに心ゆくばかりの眠りについてしまいました。
 この一室を暫く狂女に与えておいて、駒井は研究所を出て、造船所の方へと歩き出しました。前にいった通り、この日は陰鬱な天気の日で、大武(だいぶ)の岬も、洲崎も、鏡ヶ浦も、対岸の三浦半島も、雲に圧(お)されて雨を産みそうな空模様でした。
 程遠からぬ造船所へ来て見ると、十余人の大工と、職工が、相変らず暢気(のんき)に仕事をしています。暢気といっても、怠けているわけではなく、かなり根強い仕事を、焦(あせ)らないでやっている。
 駒井が、そっと裏の方から入り込んだ時分に、大工と、職工とは、お茶受けの休みで、こんなことを話している。
「殿様は、この船へ自分の好きな人だけをのせて、異国へおいでなさるそうだが、もし、大海の中で無人島へでも吹きつけられたら、そこで国を開くとおっしゃっていたが、新しい国を開いてそこに住んだら、圧制というものがなくて、住み心地がいいだろうなあ」
 一人が言うと、
「そりゃ面白かろう。だが、新しい国を開いたところで、女というものがなければ種が絶えてしまう、いったい殿様は、この船に女をのせるつもりだろうか、どうだろう」
というような話をしているところへ、駒井がひょっこりと姿を現わしたものだから、みんな居ずまいを直して、
「殿様がおいでになった」
 船大工の和吉が立って駒井の傍へ来て、小腰をかがめながら、
「殿様、ビームの付け方をもう一度、検分していただきとうございます」
 この男は豆州戸田の上田寅吉の高弟で、ここの造船係の主任です。師匠うつしで、今でも駒井に向って、殿様呼ばわりをやめない。和吉が殿様呼ばわりをするものだから、総ての大工、職工が、殿様呼ばわりをする。
 そこで、駒井は和吉の先導で、船の船梁(ビーム)を見て廻る。その前後、日本唯一の西洋型船大工の棟梁(とうりょう)といわれた上田寅吉の伝えを受けて、加うるに駒井甚三郎の精到な指導監督の下に、工事を進めているこの船。造船台の形、マギリワラの据付け、首材(ステム)の後材(スダルンポスト)の建て方、肋材(フレーム)を植えて、今や船梁(ビーム)の取付けにかかっているところ。
 駒井は仔細にそれを検分して、なお外板の張り方、コールターの塗り方等に二三の注意を与え、次に蒸気の製造と、大砲の据えつけについて、その位置、運搬の方法等に、委細の指図と相談とを試み、
「蒸気の製造法が難物だ――今、苦心している。うまくゆくか、どうか、試運転の上でなければ何ともいえない。測量器械のいいのを欲しい、遠眼鏡も欲しい。誰かお前の知っている人で、適当の機械師はないか、材料はこちらで何とかする、腕だけ貸してくれればいい……」
 フレームを叩いて、船と、人とを吟味している駒井は、さいぜん、愛の、信仰のと、写していた人とは別人の観がある。
 全くこの造船所へ来ると、駒井甚三郎は別人の観があります。
 第一、その眼つきからして違ってきます。熱心そのもののような輝きを集めて、船そのものを一つの有機体として、広い意味の有機体には違いがないが、精到なる彫刻家が、自分の一点一画を凝視(ぎょうし)するように、凝視してはそれに鑿(のみ)を加えて、また退いて見詰めるように、見ようによっては、一刀三礼(いっとうさんらい)の敬虔(けいけん)を以て仏像を刻む人でもあるように、駒井というものの全部が、船というものに打込まれてゆく熱心ぶりは、心なき工人たちをも動かさないわけにはゆきません。
「殿様は大工になっても、立派に御飯が食べられます」
といって工人たちが感心する。事実、その通りで、学理の説明と、工事の指導だけでは我慢がしきれなくなって、駒井は自身ハムマーを取り、斧を揮(ふる)って終日、働き暮すことさえあるのです。
 そこで、ここに働く人々とても、本職の船大工と、機械師は、二三人しかない。あとはみんなこの辺の素人(しろうと)であるのを、駒井が仕立てて立派なその道の大工であり、職工であるように使いこなしている。
 のみならず、船の外形の工事と共に、その心臓をなす動力の問題、蒸気の製造という難物を、彼は退いて研究し、今やそれをなしとげようとしている。こればかりは親しく外遊して学ぶにあらざれば不可能、といわれている蒸気の製造を、駒井は自分の学問と、従来の経験とで、必ず成し遂げて見せるとの自負を持っている――それに比ぶれば大砲の据付けの如きは、易々(いい)たる仕事ではあるが、すべてにおいては、この事業、すなわち、駒井甚三郎の独力になるこの西洋型の船の模造は、模造とはいうが、事実は創造よりも難事業になっている。
 その難事業がともかくも着々と進んで行くのを眺めることは、この上もない興味であり、勇気であり、神聖であるように思わるる。
 だから駒井は、ここへ来て、事に当ると、その事業の神聖と、感激に没入して、吾を忘れるの人となることができる。
 それと、もう一つ――駒井をして、この自家創造の船というものに、限りなき希望と、精神とを、打込ませるように仕向けているのは、見えない時勢と、人情との力が、背後から、強く彼を圧しているのです。
 駒井は、今の日本の時世が、行詰まって息苦しい時世であり、狭いところに大多数の人間が犇(ひしめ)き合って、おのおの栗鼠(りす)のような眼をかがやかしている時世であることを、強く感じている。
 国民に雄大な気象が欠けており、閑雅なる風趣を滅尽しようとしている。他の大を成し、長をあげるというような、大人らしい意気は地を払って、盗み、排し、陥れようとの小策が、幕府の上より、市井(しせい)のお茶ッ葉の上まで漲(みなぎ)っている。
 創造の精神が滅びた時に、剽窃(ひょうせつ)の技巧が盛んになる。このままで進めば、日本国民は、挙げて掏摸(すり)のようなものとなってしまい、掏摸のような者を讃美迎合しなければ、生活ができなくなってしまう。その結果は、国民挙げて共喰いである……心ある人が、こういう時世を悲憤しなければ、悲憤するものがない。だが、幸いにして駒井甚三郎は、この時世を充分に見ていながら、病気にもならず、憤死することもないのは、要するに、前途に洋々たる新しい世界を見、その世界に精進(しょうじん)する鍵を、自分が握っているとの強い自信があるからです。
 その洋々たる新世界とは何――それは海です。海は地球表面の七割以上を占(し)めて、しかもその間には国境というものがない。
 その鍵とは何――それはすなわち船です。
 この日本は美国ではあるが、この美国を六十にも七十にもわけて、三百人もの大名小名どもが食い合っていて何になる。
 駒井は今、その海と船との信仰に、全身燃ゆるが如き思いを抱いて、万里の海風に吹かれながら、黄昏(たそがれ)の道をおのが住家へと戻って来ました。
 駒井甚三郎は燃ゆるが如き熱心を抱いて、わが住居へ帰って来ましたが、金椎(キンツイ)を呼んで夕飯を取る以前に、自分の居間へ入ると、燭台に蝋燭(ろうそく)の火をつけて、かなり疲労していた身体(からだ)を、いつもするように、ぐったりと寝台の上へ投げかけようとして、蛇でも踏んだもののように、急に立退いてしまいました。
 忘れていたのです。自分の寝台は、それよりズット以前から人に占領されていました。その人は今もいい心持で、寝台の上に熟睡の夢を結んでいるところであります。
 真に忘れていた。忘れていたのがあたりまえで、これまでかつて他人のために占領された歴史のないこの寝台です。不意に自分を驚かすところのいかなる客でも、ここを占領しようとはいわない。それをこの客に限って、無作法の限りにも、許しのないうちに、早くもここをわが物にして、主人の帰ったことをさえ知らずにいる。しかもそれが妙齢の女であります。
 駒井は呆(あき)れ果てて、暫くそのキャンドルを手に翳(かざ)したままで、女の寝姿を見つめていました。
 少なくとも眠っている間は無心でしょう。無心の時には、人間の天真が現われる。ともかくもこれは卑しい娘ではありません。金椎がかけてくれた通りに、毛布を首まで纏(まと)って、枕一杯に、濡れたように黒い後れ毛が乱れていました。
 駒井はそれを、眼をはなさず見ていましたが、この時はまた別の人です。今までの野心も、熱心も、希望も、一時に冷却して、美しい娘の寝顔に注いでいる。
 そうしているうちに、つくづくと浅ましさと、いじらしさの思いが、こみ上げて来るのであります。もとより狂人のいうことは取留めがない。自分の頭に巻き起るさまざまの幻想を、いちいち事実と混合してしまうこともあれば、不断の脅迫感に襲われて、あらぬ敵を有るように妄信していることも限りはないのだから、狂人のいうことを、そのままに取り上げるわけにはゆかないが、さきほど言ったことの浅ましさが、こうして見ると、いよいよ身にこたえる。罪だ! と駒井甚三郎は戦慄して、怖れを感じました。
 この時です、女が眼を醒(さ)ましたのは。女が眼を醒まして、自分の眼前に光をさしつけて、自分を覗(のぞ)いている人のあることを悟ったのは。
 それと気がつくと女は、嫣乎(にっこり)と笑い、
「いつお帰りになったの……」
「いま」
「そうですか。わたし、あれからズット寝通してしまいました、ちっとも眼が醒(さ)めませんでしたのよ、ずいぶんよく寝てしまいましたわね。いったい、もう何時(なんどき)でしょう」
「もう、日が暮れてしまったよ」
「誰も尋ねて来やしなくって? 誰もわたしを追いかけては来ませんでしたか」
「誰も来た様子はありません」
「誰が来ても、いわないようにして下さいね、どんな人が尋ねて来ても、わたしを渡さないで下さいね、いつまでもここへ隠して置いて頂戴」
「…………」
「もし、あなたが、誰かにわたしを渡してしまえば、わたしはまたその人の玩具(おもちゃ)にされてしまいます……あなたがもし、わたしをかわいそうだと思召(おぼしめ)すならば、ここへ置いて下さい。わたしの身はどうなってもかまわない、人に苛(さいな)まれようとも、蹂躙(ふみにじ)られようとも、かまわないと思召すなら、わたしを突き出してもようござんすけれど、あなたは、そんな惨酷(ざんこく)なお方じゃなかろうと、わたしは安心していますのよ、ほんとうに、わたしという人は、どうしてこう意気地がないんでしょう、昔はこんなじゃなかったんですけれども、今はもう駄目なのよ、人に甘い言葉をかけられると、ツイその気になってしまうんですもの……誰かしっかりした人がついていてくれなければ、この上、どこまで落ちて行くか知れません。ごらんなさい、わたしの前にあるあの深い、怖ろしい穴を……」
 いくらか精神の昂奮もおちついたと見えて、さいぜんのような聞苦しいことも言わず、しおらしく訴える言葉にも、情理があって痛わしい。そこで、駒井はやさしく、
「ともかく、お起きなさい――もう夕飯の時刻です、あちらで一緒に食べましょう」
「どうも済みません」
 そこで女は快(こころよ)く起き上りました。
 やがて、食堂としてある一間で、駒井と、金椎と、新来のお客と三人が、食卓にさし向っての会食が始まりました。女はしきりに金椎に話しかけてみましたけれども、利(き)き目がないのを不思議がっていると、駒井が両耳に手を当てて、その聾(つんぼ)であることを形にして見せました。
「かわいそうに、耳が聞えないんですか」
 狂女はわが身の不幸を忘れて、この少年の不具に同情しました。少なくとも、その同情の余裕の存することを駒井は感心し、
「この子は支那の生れで、名をキンツイといいます」
「キンツイさんですか、妙な名ですね」
「非常にまじめな少年ですから、あなた、よくお附合いなさい」
「本当ですか……まじめな人って、なかなか当てにはなりませんけれど、まだ若いから大丈夫でしょう」
「大丈夫です。それに神様を信心していますから」
「まあ、神様を信心しておいでなんですか、支那にも神様がありますのですか」
「ありますとも、人間は有っても無くっても、神様の無いというところはないと、私もこの少年から教えられました」
「まあ感心ですわね、子供のうちから神様を信心するなんて。わたしも神信心をしたいにはしたいんですけれど、どこに神様がおいでなさるか、わからないんですもの」
といって、自分も一時、神信心をしてみたけれども、天神様を拝めば天神様があちらを向き、不動様を信じようとすれば不動様があちらを向くので、とうとう信心をやめてしまったというようなことをいい出すのは困るが、このほかのことは、問いに応じてほぼ的を誤まらないように答えるものですから、駒井は、この女の病気は癒(なお)るかも知れない、とさえ思いました。
 名前を問えば、もゆると答えました。駒井が念を押すと、
「もゆるとは、草木のもゆるという意味でつけたんでしょう、わたしにはよくわかりませんけれど」
と答える。姓は岡本といわずに、里見と呼んでもらいたいということ。
 保田から昨晩、夜通しここまで歩いて来たが、一人で夜道をしても少しも怖いとは思わないということ。山でも、坂でも、さして疲れを覚えないで歩き通すということ。途中、人にであっても、こちらより先方が怖がってよけて通すということ。
 それでもよわみを見られてしまってはもう駄目だということ。
 打明けた話を聞かされていると、駒井は不愍(ふびん)の思いに堪えられなくなりました。なるほど、これをこのまま突き出してしまえば、残れるところのすべてのものを、泥土(でいど)に委(まか)してしまうのだ。本来、よい育ちでもあり、また生来、悪い質(たち)の娘ではない――そのうち、尋ねる人が来たならば、よく話をしてやろう。来なければしかるべき保証を以て、送り届けてやらねばならぬと考えました。
 しかし、差当っての問題は、今夜の問題で、この娘をどの室へ泊めるかということです。金椎と同室に置いて、もし夜中に脱走でもされた日には困る。一人ではいよいよ寝かされない。そうかといって自分の部屋へ寝かすことは、自分が困る……駒井は、ひそかにこの問題に苦心しているのを、娘は自分でズンズンと解決してしまいました。なぜならば、食事が終ると、やはり我物顔で、以前の室の寝台の上に身をのせてしまったからです。
 ぜひなく駒井はその室へ錠を卸し、自分は金椎と共に、別の室で寝ることにしました。

         十一

 宇津木兵馬と、仏頂寺弥助と、丸山勇仙の三人は、八ヶ岳と甲斐駒の間を、西に向って急いでいる。
 途中、武術の話。
 仏頂寺は、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。
 この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、なかなかに聞くべきものがある。
 しかし、ややもすれば芸に慢じて、己(おの)が師をさえ侮るの語気を漏らすことがある。それが聞く人を不快にする。
 丸山勇仙は九段の斎藤の道場、練兵館の話をする。斎藤と、長州系との関係を語る。そのうち、長州の壮士が相率いて練兵館を襲い、弥九郎の二男、当時鬼歓(おにかん)といわれた歓之助のために撃退された一条を物語る。その仔細はこうである。
 はじめ――嘉永の二年ごろ、斎藤弥九郎の長男新太郎が、武者修行の途次、長州萩の城下に着いた。宿の主人が挨拶に来た時に、新太郎問うて曰(いわ)く、
「拙者は武者修行の者であるが、当地にも剣術者はあるか」
 主人の答えて曰く、
「ある段ではございませぬ、当地は名だたる武芸の盛んな地でございまして、近頃はまた明倫館という大層な道場まで出来まして、優れた使い手のお方が、雲の如く群がっておりまする。あれお聞きあそばせ、あの竹刀(しない)の音が、あれが明倫館の剣術稽古の響きでございます」
 新太郎、それを聞いて喜び、
「それは何より楽しみじゃ、明日はひとつ推参して、試合を願うことに致そう」
 そこで、その夜は眠りについて、翌日、明倫館に出頭して、藩の多くの剣士たちと試合を試みて、また宿へ戻って、風呂を浴びて、一酌を試みているところへ、宿の主人がやって来る。
「いかがでございました、今日のお試合は」
 新太郎、嫣乎(にっこり)と笑うて曰く、
「なるほど、明倫館は立派な建物じゃ、他藩にもちょっと類のないほど宏壮な建物で、竹刀(しない)を持つものもたくさんに見えたが、本当の剣術をやる者は一人もない、いわば黄金の鳥籠に雀を飼っておくようなものだ」
 これは、新太郎として、実際、そうも見えたのだろうし、また必ずしも軽蔑の意味ではなく、調子に乗って言ったのだろう。だが、この一言が、忽(たちま)ち宿の主人の口から、剣士たちの耳に入ったから堪らない。
「憎い修行者の広言、このまま捨て置いては、長藩の名折れになる」
 かれらは大激昂で新太郎の旅宿を襲撃しようとする。老臣たちが、それを宥(なだ)めるけれど聞き入れない。止むを得ず、急を新太郎に告げて、この場を立去らしめた。新太郎は、それに従って、一行を率いて、その夜のうちに九州へ向けて出立してしまったから、わずかに事なきを得たが、あとに残った長州の血気の青年が納まらない。
「よし、その儀ならば、九州まで彼等の跡を追っかけろ」
「彼等の跡を追いかけるよりも、むしろ江戸へ押し上って、その本拠をつけ。九段の道場には、彼の親爺(おやじ)の弥九郎も、その高弟共もいるだろう、その本拠へ乗込んで、道場を叩き潰(つぶ)してしまえ」
 長州の青年剣士ら十余人、猛然として一団を成して、そのまま江戸へ向けて馳(は)せ上る。その団長株に貴島又兵衛があり、祖式松助がある。
 そこで、彼等は一気に江戸まで押し通すや否や、竹刀と道具を釣台に舁(かき)のせて、麹町九段坂上三番町、神道無念流の師範斎藤篤信斎弥九郎の道場、練兵館へ押寄せて、殺気満々として試合を申し込んだものだ……
 誰も知っている通り、当時、江戸の町には三大剣客の道場があった。神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉周作、高橋蜊河岸(あさりがし)の鏡心明智流の桃井春蔵(もものいしゅんぞう)、それと並んで、練兵館の斎藤弥九郎。おのおの門弟三千と称せられて、一度(ひとたび)その門を潜らぬものは、剣を談ずるの資格がない。
 殺気満々たる長州の壮士連十余人の一団は、斎藤の道場を微塵(みじん)に叩き潰(つぶ)す覚悟をきめてやって来たのだから、その権幕は、尋常の他流試合や、入門の希望者とは違う。
 ところで、これを引受けた斎藤の道場には、長男の新太郎がいない。やむなく、次男の歓之助が出でて応(あしら)わねばならぬ。
 歓之助、時に十七歳――彼等壮士の結構を知るや知らずや、従容(しょうよう)として十余人を一手に引受けてしまった。
 もとより、修行のつもりではなく、復讐(ふくしゅう)の意気でやって来た壮士連。立合うつもりでなく殺すつもり。業(わざ)でいかなければ、力任せでやっつけるつもりで来たのだから、その猛気、怒気、当るべからざる勢い。歓之助、それを見て取ると、十余人を引受け、引受け、ただ単に突きの一手――得意中の得意なる突きの一手のほか、余手を使わず、次から次と息をつかせずに突き伏せてしまった。
 哀れむべし、長州遠征の壮士。復讐の目的全く破れて、十余人の壮士、一人の少年のために枕を並べて討死。宿へ引取ってから咽喉(のど)が腫(は)れて、数日間食物が入らず、病の床に寝込んだものさえある。
 長人の意気愛すべしといえども、術は格別である。中央にあって覇を成すものと、地方にあって勇気に逸(はや)るものとの間に、その位の格段がなければ、道場の権威が立つまい。
 しかし、貴島又兵衛あたりは、このことを右の話通りには、本藩へ報告していないようだ。
 貴島は、長藩のために、のよき剣術の師範物色のため、江戸へ下り、つらつら当時の三大剣客の門風を見るところ、斎藤は技術に於ては千葉、桃井には及ばないが、門弟を養成する気風がよろしい――というような理由から、国元へ斎藤を推薦したということになっている。
 ところで、これはまた問題だ。右の三大剣客の技術に、甲乙を付することは、なかなか大胆な仕事である。貴島又兵衛が、斎藤弥九郎の剣術を以て、桃井、千葉に劣ると断定したのは、何の根拠に出でたのか。この三巨頭は、一度(ひとたび)も実地に立合をした例(ためし)がないはず。
 千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、出藍(しゅつらん)の誉れがある。これと斎藤の次男歓之助とを取組ましたら、絶好の見物(みもの)だろうとの評判は、玄人筋(くろうとすじ)を賑わしていたが、それさえ事実には現われなかった。もし、また、事実に現わして優劣が問題になった日には、それこそ、両道場の間に血の雨が降る。故に、それらの技術に至っては、おのおの見るところによって推定はできたろうが、断定はできなかったはず。
 丸山勇仙は当時、長州壮士が練兵館襲撃の現場に居合せて、実地目撃したと見えて、歓之助の強味を賞揚すると、仏頂寺のつむじが少々曲りかけて、
「それは歓之助が強かったのではない、また長州の壮士たちが弱かったというのでもない、術と、力との相違だ、手練と、血気との相違だ、いわば玄人(くろうと)と、素人(しろうと)との相違だから、勝ってもさのみ誉れではない――その鬼歓殿も九州ではすっかり味噌をつけたよ」
という。人が賞(ほ)めると、何かケチをつけたがるのが、この男の癖と見える、特に悪意があるというわけではあるまい。ただ、白いといえば、一応は黒いといってみたいのだろう。それでも兵馬は気になると見えて、
「歓之助殿が九州で、何をやり損ないましたか」
「さればだよ、九州第一といわれている久留米の松浦波四郎のために、脆(もろ)くも打ち込まれた」
「え」
 兵馬はそのことを奇なりとしました。練兵館の鬼歓ともいわれる者が、九州地方で脆くも後(おく)れを取ったとは聞捨てにならない。
 斎藤歓之助は、江戸においての第一流の名ある剣客であった。それが九州まで行って、脆くも後れを取ったということは、剣道に志のあるものにとっては、聞捨てのならぬ出来事である。
 兵馬に問われて仏頂寺が、その勝負の顛末(てんまつ)を次の如く語りました。
 久留米、柳川は九州においても特に武芸に名誉の藩である。そのうち、久留米藩の松浦波四郎は、九州第一との評がある。九州に乗込んだ斎藤の鬼歓は、江戸第一の評判に迎えられて、この松浦に試合を申し込む。そこで江戸第一と、九州第一との勝負がはじまる。
 これは末代までの見物(みもの)だ。その評判は、単に久留米の城下を騒がすだけではない。
 歓之助は竹刀(しない)を上段に構えた。気宇は、たしかに松浦を呑んでいたのであろう。それに対して松浦は正眼に構える。
 ここに、満堂の勇士が声を呑んで、手に汗を握る。と見るや、歓之助の竹刀は電光の如く、松浦の頭上をめがけて打ち下ろされる。波四郎、体を反(そ)らして、それを防ぐところを、歓之助は、すかさず烈しい体当りをくれた――突きは歓之助の得意中の得意だが、この体当りもまた以て彼の得意の業(わざ)である――さすがの松浦もそれに堪えられず、よろよろとよろめくところを、第二の太刀先(たちさき)。あわや松浦の運命終れりと見えたる時、彼も九州第一の名を取った剛の者、よろよろとよろけせかれながら、横薙(よこな)ぎに払った竹刀が、鬼歓の胴を一本!
「命はこっちに!」
と勝名乗りをあげた見事な働き。これは敵も、味方も、文句のつけようがないほど鮮かなものであった。
 江戸第一が、明らかに九州第一に敗れた。無念残念も後の祭り。
 無論、この勝負、術の相違よりは、最初から歓之助は敵を呑んでかかった罪があり、松浦は、謹慎にそれを受けた功があるかも知れないが、勝負においては、それが申しわけにはならない。
 仏頂寺は兵馬に向って、この勝負を見ても、歓之助の術に、まだ若いところがあるという暗示を与え、丸山が激賞した逆上(のぼせ)を引下げるつもりらしい。
「惜しいことをしましたね」
と兵馬は歓之助のために、その勝負を惜しがると、仏頂寺は、
「全く歓殿のために惜しいのみならず、そのままでは、斎藤の練兵館の名にもかかわる。そこで雪辱のために、吉本が出かけて行って、見事に仇を取るには取ったからいいようなものの」
と言いました。
「ははあ、どなたが、雪辱においでになったのですか、そうしてその勝負はどうでした、お聞かせ下さい」
「吉本が行って、松浦を打ち込んで来たから、まあ怪我も大きくならずに済んだ」
といって仏頂寺は、斎藤歓之助のために、九州へ雪辱戦に赴いた同門の吉本豊次と、松浦との試合について、次の如く語りました。
 無論、吉本は歓之助の後進であり、術においても比較にはならない。しかし、この男はなかなか駈引がうまい。胆があって、機略を弄(ろう)することが上手だから、変化のある試合を見せる。歓之助すらもてあました相手をこなしに、わざわざ九州へ出かけて、松浦に試合を申しこみ、さて竹刀を取って道場に立合うや否や、わざと松浦の拳をめがけて打ち込み、
「お籠手(こて)一本!」
と叫んで竹刀を引く。
「お籠手ではない、拳だ」
 松浦は笑いながら、その名乗りを取合わない。無論、取合わないのが本当で、戯(たわむ)れにひとしい振舞で、一本の数に入るべきものではない。
 ところが、吉本豊次はまた何と思ってか、取合わないのを知らぬ面(かお)で、竹刀(しない)をかついで道場の隅々をグルグル廻っているその有様が滑稽なので、松浦が、
「何をしている」
と訊(たず)ねると、吉本は抜からぬ顔で、
「ただいま打ち落した貴殿の拳を尋ねている」
 この一言に、松浦の怒りが心頭より発した。
 松浦の怒ったのは、吉本の思う壺であった。手もなくその策略にひっかかった松浦の気は苛立(いらだ)ち、太刀先(たちさき)は乱れる。その虚に乗じた吉本は、十二分の腕を振(ふる)って、見事なお胴を一本。
「これでも九州第一か」
 そこで斎藤歓之助の復讐を、吉本豊次が遂げた。その吉本の如きも、自分の眼中にないようなことを仏頂寺がいう。以上の者の仇を、以下の者がうったのだから、それだから勝負というものはわからない。非常な天才でない限り、そう格段の相違というものがあるべきはずはない。ある程度までは誰でも行けるが、ある程度以上になると、容易に進むものではない。
 現代の人がよく、桃井、千葉、斎藤の三道場の品評(しなさだめ)をしたがるが、それとても、素人(しろうと)が格段をつけたがるほど、優劣があるべきはずはないという。
 自然、話が幕府の直轄の講武所方面の武術家に及ぶ。以上の三道場は盛んなりといえども私学である。講武所はなんといっても官学である。そこの師範はまた気位の違ったところがある。男谷下総守(おだにしもうさのかみ)をはじめ、戸田八郎左衛門だの、伊庭(いば)軍兵衛だの、近藤弥之助だの、榊原健吉だの、小野(山岡)鉄太郎だのというものの品評に及ぶ。それから古人の評判にまで進む。
 人物は感心し難いが、そういう批評を聞いていると、実際家だけに、耳を傾くべきところが少なくはない。兵馬は少なくともそれに教えられるところがある。
 かくて、三日目に例の信濃の下諏訪に到着。
 以前、問題を引起した孫次郎の宿へは泊らず、亀屋というのへ三人が草鞋(わらじ)をぬぐ。
 その晩、仏頂寺と丸山は兵馬を残して、どこかへ行ってしまいました。多分、過日の塩尻峠で負傷した朋輩(ほうばい)を、この地のいずれへか預けて療養を加えさせているのを、見舞に廻ったのだろう。
 宿にひとり残された兵馬は昂奮する。
 明日はいよいよ塩尻峠にかかるのだ。仏頂寺らのいうところをどこまで信じてよいかわからないが、果してその人が机竜之助であるかどうか、確証を得たわけではないが、しかし疑うべからざるものはたしかに有って存するようだ。
 塩尻へかかって、その証跡をつきとめた上に、行先を尋ぬれば当らずといえども遠からず。どうも大事が眼の前に迫ったように思う。
 ところが、いくら待っても、仏頂寺と丸山とが帰って来ない。
 待ちあぐんだ兵馬は、お先へ御免を蒙(こうむ)って寝てしまいました。
 心には昂奮を抱いても旅の疲れで、グッスリと眠る――明け方、眼を醒(さ)まして見ると、二人の寝床は敷かれたままになっている。仏頂寺も、丸山も、昨夜のうちに帰って来た様子がない。
 いったん戻って、また出直したとも思われない。兵馬は気が気でない。
 肝腎の案内者、次第によっては助太刀をも兼ねてやろうという剛の者が、戦いを前にして逃げ出したわけでもあるまいに、他(ひと)の大事とはいいながら、あまりといえば暢気千万(のんきせんばん)だ。
 兵馬は起きて、面(かお)を洗って、用意を整えて待っているが、仏頂寺と、丸山は、容易に帰って来ない。もう外では、人の足の音、馬の鈴の音が聞える――膳を運ばれたのを、そのままにして箸を取らないで、二人の帰るのを待っているが、二人は帰らない。日が高くなる。
 宿のものにいいつけて捜させると、その二人は瓢箪屋(ひょうたんや)という茶屋で女を揚げて、昨晩、さんざんに飲み、酔い倒れてまだ枕が上らないとの報告。兵馬は聞いて苦笑いをしました。
 二人の飲代(のみしろ)は、お銀様から預かった、財布からの支出に相違ない――兵馬はそんなことは知らないが、あまりの暢気千万に呆(あき)れて、よし、それでは拙者が出向いて起して来るといって、旅装を整えて、この宿から茶屋へ向いました。
 兵馬はその茶屋というのへ行ってみたが、たしかにお二人はおいでになっているが、未だお眼醒(めざ)めになりませんという。
 それでは、自分が直接(じか)に起して来るといって、茶屋の者が驚くのをかまわず、兵馬は二階へ上って、二人の寝間へ踏み込んで見ると、二人は怪しげな女と寝ている。
 あまりの醜態に呆れ返った兵馬は、
「おのおの方は、まだお休みか、拙者は一足お先に御免蒙る」
といい放って、さっさと出てしまいました。
 そうして兵馬は二人を置去りにして、一人で下諏訪を発足するとまもなく例の塩尻峠。峠を上りきって五条源治の茶屋で一休みしました。
「この間、この辺の原で斬合いがあったという話だが、本当か」
と訊ねてみますと番頭が、
「ええ、ありました、えらい騒ぎで……」
 そこで、先達(せんだっ)ての、いのじヶ原の斬合いの話が始まる。
 いずれも、自分が立会って篤(とく)と見定めたような話しぶり。実は斬合いという声を聞くと、戸を閉じて顫(ふる)えていた連中。
 聞くところによると、一方の侍は女を連れて従者一人。また一方のはくっきょうの武者四人ということ。つまり、四人と一人の争いで斬合いが始まって、その結果は四人のうちの二人まで斬られて、他の二人がそれをここへ担(かつ)ぎ込んで、手荒い療治を加えたということ。
 聞いてみると、仏頂寺と、丸山が、物語ったところとは少しく違う。それほど重傷を負うた二人の者はどこにいる。それも疑問にはなるが、兵馬の尋ねたいのは別の人。
「それでなにかね、その相手の一人というのは、盲(めくら)の武家であったという話だが、それも本当か」
「それは嘘でございましょう、ねえ、あなた様、なんぼなんでも盲の方が、四人の敵を相手にして勝てる道理はございませんからね」
「いかさま、左様に思われるが。して、その者の年の頃、人相は……」
「それがあなた、よくわかりませんのでございますよ、諏訪の方からおいでになった大抵のお客様はひとまず、これへお休み下さるのが定例(じょうれい)でございますのに、そのお客様ばかりはここを素通りなさいましたものですから、つい、お見それ申しました」
「なるほど……それで供の者は?」
「御本人はお馬に召しておいでになりましたが、若いお娘さんが一人、お駕籠(かご)で、それからお附添らしい御実体(ごじってい)なお方は徒歩(かち)でございました」
「なるほど」
 輪廓[#「輪廓」はママ]だけで内容の要領は得ないが、盲(めくら)だとは信じていないらしい。そういう説もあるにはあったようだが、そんなことは信ぜられない、といった口ぶり。
 さもあろう。だが、最初は、自分たちが立会って、その果し合いを篤(とく)と見定めたような話しぶり。おいおい進むと、その人相年齢すらも確(しか)とは判然しない。それと違って、畳針と、焼酎と、麻の糸とで縫い上げた療治ぶりは、手に取るように細かい。これは仏頂寺、丸山からは聞かなかったところ。
 ともかく、想像すれば、ここを行くこと僅かにしていのじヶ原がある。そこの真中で四人の剛の者が、一人の弱々しい者を取囲んで、血の雨を降らしたという光景は、眼前に浮んで来る。そうして、四人のうち、二人は瀕死の重傷を負うてここへ担ぎ込まれたことは疑うべくもない。
 してみれば、これからその途中、誰か一人ぐらいはその斬合いを見届けた者があるだろう。尋ねてみよう。
 そこで、兵馬が、茶代をおいて立ち上る途端に、アッと面(かお)の色を変えたのは茶屋の番頭で、それは、今しも峠を上りきって、この店頭(みせさき)へ現われたのが、見覚えのある仏頂寺弥助と、丸山勇仙の二人であったからです。
 五条源治の番頭が青くなったのも無理はありません。こういうお客は、二度と店へ来ない方がよいのです。あの時は、亡者が立去ったほどに喜び、塩を撒(ま)いてその退却を禁呪(まじな)ったのに、またしても舞戻って来られたかと思うと、物凄(ものすご)いばかりであります。
「おい番頭、この間はいかいお世話になってしまったな」
「どう仕(つかまつ)りまして……」
 幸いに、今日は何も担ぎ込んでは来なかったが、これからどうなるかわからない、これから先が危ないのだ――番頭はこの客が早く出て行ってくれればいいと思いました。出て行ってしまったら、そのあとで戸を閉めてしまおうかと思いました。

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