大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 宇治山田の米友は、碓氷峠(うすいとうげ)の頂(いただき)、熊野権現の御前(みまえ)の風車に凭(もた)れて、遥かに東国の方を眺めている。
 今、米友が凭れている風車、それを米友は風車とは気がつかないで、単に凭れ頃な石塔のたぐいだと心得ている。米友でなくても、誰もこの平たい石の塔に似たものが、風車だと気のつくものはあるまい。子供たちは、紙と豆とでこしらえた風車を喜ぶ。ネザランドの農家ではウィンドミルを実用に供し、同時にその国の風景に情趣を添えている。が、世界のどこへ行っても、石の風車というのは、人間の常識に反(そむ)いているはずだ。しかし、碓氷峠にはそれがある。
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
 あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。
 誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に据(す)えつけたのは何の目的に出でたものか、それはその道の研究家に聞きたい。
 一度(ひとたび)廻(めぐ)らせば一劫(いちごう)の苦輪(くりん)を救うという報輪塔が、よくこの風車に似ている。
 明治維新の時に、神仏の混淆(こんこう)がいたく禁ぜられてしまった。輪廻(りんね)という仏説を意味している輪塔が、何とも名をかえようがなくして、風車といい習わされてしまったのなら、右の俗謡は、おおよそ維新の以後に唄われたものと見なければならないのに、事実は、それより以前に唄われていたものらしい。
 しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の辻占(つじうら)になるという。
 宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を知らない。
 歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を繙(ひもと)いてもいないのであります。
 ですから風車のことは暫く措(お)き、いま、自分がこうして現に立っているところの地点が、日本の歴史と地理の上に、由々(ゆゆ)しい時代を劃した地点であるというようなことには、いっこう頓着がないのです。
 大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の四十年、形はすなわち皇子にして、実はすなわち神人……と呼ばれ給うたヤマトオグナの皇子が、このところに立って、「吾嬬(あがつま)はや」とやるせなき英雄的感傷を吐かれて以来、この地点より見ゆる限りの東を「あがつま国」という。その碓氷峠の歴史、地理の考証については、後人がいろいろのことをいうけれど、この「あがつまの国」に残る神人の恨みは永久に尽きない。けだし、石の無心の風車が、無限にクルクルと廻るのも、帰らぬ人の魂を無限の底から汲み上げる汲井輪(きゅうせいりん)の努力かも知れない。
 上代の神人は申すも畏(かしこ)し――わが親愛なる、わが微賤(びせん)なる宇治山田の米友に於てもまた、この「あがつまの国」にやるせなき思いが残るのです。
 それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
 このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の面(かお)を篤(とく)と見定め、後ろ姿をすかし、時としては、ほとんど走り寄って縋(すが)りつくほどにして、そうして、諦めきれないで、言おう様なき悲痛の色を浮べて立つことがある。その時にはさすがの道庵も、冷評(ひやか)しきれないで横を向いてしまうことさえある。
 さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
 さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
 道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
 道庵の気紛(きまぐ)れは、今にはじまったことではない。ある時は長くなり、ある時は短くなるのも、今にはじまったことではないが、気の短い一方の米友が、こうして別段にじれ出そうともしないのは、遥かに東を望んで、泣いているからです。
「あッ」
 暫くあって気がつきました。鴉(からす)が鳴いて西へ急ぐからです。
 そこで、米友は玉垣へ立てかけて置いた杖槍を取るが早いか、転ぶが如くに権現前の石段を、一息に走(は)せ下りました。
「こんにちは」
 権現の前の石段を一息に走せ下ったところは、碓氷(うすい)の貞光(さだみつ)の力餅です。
「先生はどうしたい、先生は――」
 そのまるい眼をクルクルとして、力餅屋へ乱入しましたけれど、餅屋では相手にしません。
「先生……おいらの先生……」
 次に米友は、その隣りの茶店へ乱入しましたけれど、茶店でも取合いませんでした。
「ちぇッ」
 米友は舌打鳴らして地団駄(じだんだ)を踏みました。どうも見廻したところ、この近辺にわが尋ねる先生の気配がない。
 茶店の隣りが荒物屋――その隣りが酒屋だ。この辺で、鼾(いびき)の声がするだろう……てっきり――とのぞいて見ても、道中の雲助共が、ハダかっているだけで先生の姿が見えない。
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ」
 米友が再び地団駄を踏みました。人家すべて二十を数える碓氷峠の上(かみ)の宮(みや)の前の町、一点に立てば全宿を見通すことも、全宿の通行人をいちいち検分することもできる。さりとて、わが先生の大蛇(おろち)の鼾が聞えない。
 一旦、宿並(しゅくなら)びの店という店を、いちいち探し廻った揚句(あげく)、また再び宮の前へ戻って、坂本方面を見通してみたが、そこにも先生の気配がありません。
「ちぇッ、ほんとうに世話の焼けた先生だなあ」
 米友は宮の前の石段の下に立って、三たび地団駄を踏みました。
 ほんとうに世話の焼けた先生である――生命(いのち)にこそ別条はあるまいけれども、責任観念の強い米友は、もしやと井戸の中まで覗(のぞ)いて見た上に、峠の宿を裏返し、表返しに覗いて歩きました。
 こうして血眼(ちまなこ)になって、東西南北を駈け廻(めぐ)っている米友の姿を、広くもあらぬ峠の町の人々が、認めないわけにはゆきません。
「お兄さん、エ、コリャどうなさりました。迷(ま)い子(ご)に……エ、迷い子はお前のお連れさんでござりますか、年はお幾つぐらい?」
 訊ねてみると、どちらが迷い子だかわかりません。迷い子は年の頃五十を越したお医者さん。それを尋ね廻っている御当人は、子供だか、大人だか、ちょっとは見当がつかない。
 峠の町の人は暫く呆(あき)れて見えましたが、それでも要領を得てみれば、この一種異様な迷い子さがしに多少の同情を持たないわけにはゆかないし、最初、藪(やぶ)から棒に、先生はどうしたと詰問されて相手にしなかった家々の者まで、本気になって、その求むる迷い子についての知識を、寄せ集めてくれました。
 その言うところによると、たしかに米友のいう通りの人相骨柄(にんそうこつがら)の人が、力餅を二百文だけ買って竹の皮に包ませ、蝋燭(ろうそく)を二丁買って懐ろへ入れ、さてその次の酒屋へ来ると、急に気が大きくなって、雲助を相手に気焔を吐いていたことまではわかったが、それから先が雲をつかむようです。
 そこへ、ひょっこりと現われた一人の雲助が、
「ナンダ、その先生か。そんならうん州が駕籠(かご)に乗って、いい心持で鼾(いびき)をかいてござったあ。今時分は軽井沢の桝形(ますがた)の茶屋あたりで、女郎衆にいじめられてござるべえ」
 この言葉に、米友が力を得ました。

         二

 そこで宇治山田の米友は、峠の町から、軽井沢をめがけて一散に馳(は)せ出しました。
 これより先、道庵は、ちょっと買物をするつもりが、雲助を相手に、酒屋へ入るといい気持になり、うっかりその駕籠に乗せられて、有耶無耶(うやむや)のうちにかつぎ出されてしまいました。
 峠の町から軽井沢までは僅か十八町、且つ下り一方の帰り駕籠ですから、かつぐ方もいい心持、乗る方は一層いい心持になって、大鼾で寝込んでいるものですから、またたくまに軽井沢の宿(しゅく)の入口、桝形の茶屋まで着いても、まだ目が醒(さ)めません。
 ここで、雲助はこの拾い物のお客をおろすと、宿の客引と、飯盛女(めしもりおんな)が、群がり来って袖をひっぱること、金魚の餌を争うが如し。道庵、眼をさまして、はじめて驚き、
「しまった!」
 酔眼朦朧(すいがんもうろう)として四方(あたり)を見廻したけれども、もう遅い。
「お泊りなさんし、丁字屋(ちょうじや)でございます」
「江戸屋でございます」
「手前は佐忠で……」
「三度屋はこちらでございます」
「温かい御飯の冷えたのもございます、名物の二八蕎麦(そば)ののびたのもございます、休んでおいでなさいませ」
 道庵、いかに、ジタバタしても、もう動きが取れません。
 よし、こうなる以上は、この茶屋へも話しておき、どこぞしかるべき宿へみこしを据えてから、人を走らせて米友を招くに如(し)かじ、と決心しました。その途端に、
「ねえ、旅のお先生、わたしどもへお泊りなさんし、玉屋でございます」
 あだっぽい飯盛女が、早くも道庵の荷物に手をかけたものですから、道庵も鷹揚(おうよう)にうなずいて、その案内で桝形の木戸から、軽井沢の宿へ入り込んだものです。
「ははあ」
 道庵は物珍しげに軽井沢の町を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、
「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に曰(いわ)く、信濃路や山が荷になる暑さかな……ところが今はもう暑くねえ」と嘯(うそぶ)きました。
 時は、無論、山が荷になるほどの暑い時候ではなかったけれど、さりとてまだ、ゆきたけつもりて裾の寒さよ、とふるえ出すほどの時候でもありません。
 幸いにして碓氷峠(うすいとうげ)は紅葉の盛りでありました。坂本の宿から峠の上まで、道庵は名にし負う碓氷の紅葉に照らされて、酔眼をいよいよ真赤にしてのぼって来ましたが、上野(こうずけ)と信濃の国境(くにざかい)は夢で越え、信濃路に入ってはじめて、浅間の秋に触れました。
 ここに、便宜上、武州熊谷以来の旅程を示すと――
 熊谷から深谷まで二里二十七丁。深谷から本庄まで二里二十五丁。本庄から新町へ二里。この間に武州と上州との境があって、新町から倉ヶ野へ一里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。
 高崎は松平右京亮(うきょうのすけ)、八万二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安中(あんなか)へ三十丁下り。ここは坂倉伊予守、三万石の城下。安中から松井田へ二里十六丁。
 松井田から坂本へ二里十五丁。こうして今や上州の坂本から二里三十四丁二十七間の丁場を越えて、信濃の国、軽井沢の宿に着いたというわけであります。
 軽井沢へ来て、酔眼をみはって見ると、その風物のいとど著(いちじる)しいのに、道庵は眼をきょろつかせないわけにはゆきません。
 空を見れば浅間ヶ岳が燃ゆる思いの煙をなびかせ、地を見れば三宿の情調が、いとど旅感をそそるに堪えている。七十八軒の本宿に、二十四軒の旅籠屋(はたごや)。紅白粉(べにおしろい)の飯盛女(めしもりおんな)に、みとれるようなあだっぽいのがいる。なるほどこれでは、道中筋のお侍たちがブン流してお差控えを食うのも無理はないと、いい年をした道庵が、よけいなところへ同情をしながら歩きました。
 道庵先生は玉屋の店の縁先へ腰をかけて足を取り、洗足(すすぎ)のお湯の中へ足を浸していると、旅籠屋(はたごや)の軒場軒場の行燈(あんどん)に火が入りました。それをながめると道庵は、足を洗うことを打忘れ、
「ははあ、初雁(はつかり)もとまるや恋の軽井沢、とはこれだ、この情味には蜀山(しょくさん)も参ったげな」
 事実、江戸を出て以来の情景に、道庵がすっかり感嘆しました。
 ところが、そこへ、おあつらえ向きに遠く追分節が聞え出したものだから、道庵がまた嬉しくなりました。
「すべて歌というやつは、本場で聞かなくちゃいけねえ」
 両側に灯(ひ)をともしはじめた古駅の情調と、行き交う人の絵のようなのと、綿々たる追分節が詩興をそそるのに、道庵先生が夢心地になりました。
「あの、お連れさんをお迎えに出しましょうか」
 女からこう言われて、ハッと気がついて、
「そのこと、そのこと、急いで人を出しておくんなさい。大将、まごまごしているだろう、間違って坂本の方へでも落っこってしまわねえけりゃいいが……」
 道庵がはじめて、米友のことを思い出しました。
「ね、いいかい、人相はこれこれだよ、間違えちゃいけねえ。なあに、間違えようたって、間違えられる柄(がら)じゃねえんだが、人間が少し活溌に出来てるから、気をつけて口を利(き)いてくんなよ、腹を立たせると手におえねえ」
 そこで、米友の人品を一通り説明して聞かせましたから、宿の者は心得て、米友を迎えに出かけました。
 道庵が、そこで足を洗いにかかると、この宿の楼上で三味線の音(ね)がします。そこで道庵が、またも足を洗う手を休めてしまって、
「古風な三味線の音がするが、ありゃ何だい」
「説教浄瑠璃(せっきょうじょうるり)がはじまりました」
「説教浄瑠璃と来たね、今時はあんまり江戸では聞かれねえが……なるほど、苅萱(かるかや)か、信濃の国、親子地蔵の因縁だから、それも本場ものにはちげえねえ……」
 見るもの、聞くものに、一通りへらず口をたたかなければ納まらぬ道庵、まだ洗足(すすぎ)の方はお留守で、往来をながめると、急ぎ足な三人連れの侍、東へ向って通るのを見て、
「はてな……時分が時分だから、大抵はこの宿(しゅく)で納まるのに、あの侍たちは、まだ東へ延(の)す了簡(りょうけん)と見える、イヤに急ぎ足で、慌(あわ)てているが、ははあ、これもお差控(さしひか)え連(れん)だな……」
と嘲笑(あざわら)いました。
 お大名の道中のお供(とも)の侍にはかなりの道楽者がある。道中、渋皮のむけた飯盛がいると、ついその翌朝寝過ごして、殿様はとうにお立ちになってしまったと聞いて、大慌てに慌てて、あとを追いかけるけれども、三日も追いつけぬことのあるのは珍しくない。その時は別におとがめも受けないが、国表(くにおもて)へつくと早速「差控え」を食うことになっている。図々しいのになると、差控えの五犯も六犯も重ねて平気な奴がある。
 今し、泊るべき時分にも泊らず、行手を急ぐ三人連れの侍は、多分、そのお差控え連に相違あるまいと、それを見かけて道庵が嘲笑いました。
 人のことを、嘲笑う暇に、自分の足でも洗ったらよかろうに、宿でも呆(あき)れているのをいいことに、道庵は、
「ザマあ見やがれ、お差控えの御連中様……あは、は、は、は……」
と高笑いをし、ようやく身をかがめて、今度は本式に足を洗いにかかる途端に、風を切って飛んで来て、うつむいて足を洗っている道庵の頭に、イヤというほどぶつかり、そのハズミで、唸(うな)りをなして横の方へけし飛んだものがありますから、道庵が仰天して、すすぎの盥(たらい)の中へつッたってしまいました。
「あ痛え……」
 見れば一つの提灯(ちょうちん)が、往来中(おうらいなか)から飛んで来て、道庵の頭へぶッつかって、この始末です。

         三

 頭の上へ降って来た提灯に、道庵は洗足(すすぎ)の盥(たらい)の中へ立ち上って驚き、驚きながら手をのばして、その提灯を拾い取って見ると、それは梅鉢の紋に、御用の二字……ははあ、加賀様御用の提灯というやつだな……
 道庵は、片手で頭をおさえ、片手でその提灯を拾い上げて、盥の中に突立っていると、
「ど、ど、ど、どうしやがるでえ、待ちねえ、待ちねえ、待ちやがれやい、三ぴん」
 その喧(やかま)しい悪罵(あくば)の声は、すぐ眼の前の往来のまんなかで起りました。
 見れば、荷駄馬の手綱(たづな)をそこへ抛(ほう)り出した一人の馬子、相撲取と見まがうばかりの体格のやつが、諸肌(もろはだ)ぬぎに、向う鉢巻で、髭(ひげ)だらけの中から悪口をほとばしらせ、
「待ちやがれ――この三ぴん」
 追いかけて、つかまえたのは、さいぜん道庵先生が嘲笑(あざわら)った三人連れのお差控え候補者の中の、いちばん年かさな侍の刀の鐺(こじり)です。
「すわ」
と、北国街道がドヨめきました。
「何、何事だ」
 刀の鐺をつかまえられた侍はもちろん、三人ともに眼に角を立てて立ちどまりますと、くだんの悪体(あくてい)な馬子が、怒りを向う鉢巻の心頭より発して食ってかかり、
「見ねえ、あ、あれを、どうしてくれるんだい、やい、あの提灯をよう」
「ははあ、あれは貴様のか、急いだ故につい粗忽(そそう)を致した、許せ」
 年かさな侍が陳謝して過ぎ去ろうとしたのは、たしかに自分が、右の馬子とすれちがいざまに、あの提灯に触って振り落したという覚えがあるから、聞捨てならぬ悪口ではあるが、軽く詫(わ)びて通ったのが勝ちと思ったからです。
「何、何をいってやがるんだ、あれは貴様のか、急いだためついしたそそうだと……よく目をあいて拝みやがれ、あれは加賀様の御用の提灯だわやい」
 かさにかかった悪態(あくたい)の馬子は前へ廻って、件(くだん)の侍の胸倉を取ってしまいました。そこで軽井沢の全宿が顫(ふる)え上りました。
 道庵先生は、これは自分の頭へ提灯が降って来た以上の出来事だと思いました。自分の頭も多少痛かったが、いわばそれは飛ばっちりで、本元は今そこで火の手が揚っているのだ……こういう場合に、よせばいいのに、道庵がのこのこと現場へ出かけたのは、まことによけいなことです。
 道庵は問題の提灯(ちょうちん)をさげて、尻はしょりで、盥(たらい)から跣足(はだし)のままで抜からぬ顔で、火元へ出かけようとするから、玉屋のあだっぽい飯盛(めしもり)が、飛んで出て、
「お客様、およしなさいまし、ほってお置きなさいまし、あれは裸の松さんといって、加賀様の御用を肩に着て、力が五人力あるといって、街道きっての悪(わる)で通っていますから――」
 そっと、ささやいて道庵を引留めましたけれど――およそ道庵の気性を知っている限りの人においては、左様な諫言(かんげん)を耳に入れる人だか、入れない人だかは、先刻御承知のはず。
「ナアーニ、五人力あろうが、十人力あろうが、おれの匙(さじ)にかかっちゃあ堪(たま)らねえ」
 道庵は、その加賀様御用の提灯をたずさえて、跣足(はだし)で、尻はしょりで、とうとう問題の渦の中へ飛び込んだのは、酔興とはいいながら、本当によせばいいのです。
「御免よ……これ馬子様、お腹も立とうが、どうか、この道庵にめでて、十八文に免じて、今日のところは一つ……」
 問題の提灯を、いきり立った馬子の裸松(はだかまつ)の前へ持ち出し、
「幸い、持合せがございますゆえ……新しいのを一本差加えまして……」
と言って、さいぜん峠で買ったばかりの蝋燭(ろうそく)を一本だけ差加えて、うやうやしく馬子の裸松の前へ出すと、これはかえって裸松の怒りに油をさしたようなもので、
「ふ、ふ、ふざけやがるない、この筍(たけのこ)め」
 提灯を引ったくって、道庵の横面(よこっつら)を一つ、ぽかりと食(くら)わせました。
 それで道庵がひとたまりもなく、二間ばかりケシ飛んでひっくり返ったが、そんなことに腰を抜かす道庵とは、道庵がちがいます。
「この野郎様、おれをぶちやがったな、さあ勘弁ができねえ、おれを誰だと思う、江戸の下谷の長者町で……」
といったが、江戸の下谷の長者町あたりでこそ、道庵といえば、泣く児も泣いたり、だまったりするが、中仙道の軽井沢あたりへ来たんでは、あまり睨(にら)みが利(き)かないことを、この際、気がつかないでもないと見え、
「おれの匙(さじ)にかかって命を落した奴が二千人からある、人を殺すことにかけては、当時この道庵の右に出る奴は無(ね)え……人を見損なうと承知しねえぞ」
といって、起き上ると、ひょろひょろと駈け寄って、裸松の前袋に食い下りました。
 知らないほど怖(こわ)いことはない。裸松とても、道庵がソレほどの勇者であると知ったら、少しは遠慮もしたろうに。道庵としても、こいつが街道名代の悪(わる)で、五人力あるのが自慢で、人を見れば喧嘩を吹っかけるのが商売だと知ったら、少しは辛抱もしたろうに。何をいうにも、道庵は酔っています。この、ひょろひょろしたお医者さん体(てい)の男が、いきなり飛んで来て前袋へ食いついたから、さすがの裸松がその勇気に驚いてしまいました。少なくとも、自分を向うへ廻して腕ずくで来ようという奴は、上は善光寺平から、下は碓氷(うすい)の坂本までの間にあるまいと信じていたところ、その自信をうらぎって、ちっとも恐れず武者ぶりついて来た勇気のほどには、裸松ほどのものも、一時(いっとき)力負けがして、こいつはほんとうに柔術(やわら)でも取るのか知らと惑いました。
 必死となって裸松の前袋に食いついた道庵は、そこで、やみくもに身ぶりをして、ちょうど器械体操みたようなことをはじめたから、一旦は戸惑いした裸松が、ええ、うるせえ、一振り振って振り飛ばそうとしたが、先生は、しっかりと前袋にくいついて、離れようとはしません。
 その間に――悧巧(りこう)な例のお差控え連は事面倒と見て、道庵にこの場をなすりつけ、三人顔を見合わせると、一目散(いちもくさん)に逃げ出しました。それも街道を真直ぐに逃げたんでは危険と思ったのか、わざと人家の裏へそれて逃げ出したから、裸松が、いよいよおこってわめき出し、
「御用提灯を粗末にされちゃ、おれは承知しても、加賀様が承知しねえ、待ちやアがれ!」
 道庵を前にブラ下げたり、引きずったりしたなりで、逃げ行く侍たちのあとを追いかけました。そこで軽井沢の宿は家毎に戸をとざすの有様です。
 しかし、この道庵の食い下り方が、非常にしんねり強かったために、裸松は思うように駆けることができず、とうとう三人の侍の姿を見失ってしまいましたから、裸松の怒りは一つになって、道庵の上に集まったのはぜひがありません。
「この筍(たけのこ)……いらざるところへ出しゃばりやがって……」
 哀れや道庵は、ここで五人力の犠牲にならなければならない。両刀を帯した三人づれの侍すらが避けて逃ぐるほどの相手を、いかに道庵でも、匙(さじ)一本であしらわなければならないのは、心がらとはいえ、ばかばかしい話で。だから最初によせばいいのにといったのに、病では仕方がない。
 そこで、ようやく道庵を振り飛ばした裸松は、二度ひょろひょろとして、三間ばかりケシ飛んで尻餅をついた恰好(かっこう)の珍妙なのと、口ほどにもない脆(もろ)さかげんとに吹き出してしまって、
「ザマあ見やがれ」
 ところが、懲(こ)りも性(しょう)もない道庵は、また起き上って、ひょろひょろと裸松に組みついて来たのを、今度は前袋へも寄せつけず突き倒し、襟髪(えりがみ)を取って無茶苦茶に振り廻しました。
 かかる時節に、宇治山田の米友が来ないというのが間違っている。本来、こういう場合の万一に備えるために天から授けられた米友ではないか。それをさしおいて、道庵自身がまかり出て、米友の株を背負(せお)い込もうとしてもそうはゆかない。天は決して人に万能を授けるものではない。おのおのその職とするところの分外に出て業(わざ)をしようとすれば、必ず間違いがある。
 道庵先生ともあろうものが、ここで裸松のため、ほとんど、なぶり殺しの目に逢い出したのも、もとはといえば、自業自得(じごうじとく)。自業自得とはいいながら、その業(ごう)は酒がさせるわざです。ですからこれは、酒業自得(しゅごうじとく)というのが正しいでしょう。
 裸松は、道庵を突き飛ばしたり、引きずり廻したり、それをまた道庵は、すっかり負けない気になって、起き直っては、ひょろひょろしながら武者振りつくものですから、その恰好(かっこう)がおかしいといって裸松は、いい玩弄(おもちゃ)にして面白がっている。それでも玩弄にされているために、道庵は致命傷を免れているらしい。しかし、どちらにしてもこうして置けば、この際、仲裁に出て、わが道庵先生の危急を救おうとするほどの勇者が現われるはずはないから、道庵はみすみす弄(なぶ)り殺しになってしまう。
 江戸では飛ぶ鳥を飛ばした道庵ともあるべき身が、みすみす北国街道のはずれで、馬子風情の手にかかって一命を落すとは、なんぼう哀れなことではないか。
 いいかげん玩弄(おもちゃ)にして、もうヘトヘトになった道庵を、裸松は手近な井戸流しのところへ引きずって来ましたが、それでも、殺すまでの気はないと見えて、そこで道庵の頭から水を一つザブリと浴びせると、そこへ引き倒して、あり合わせた切石を取って、左様、目方が十四五貫もあろうというのを軽々と持って来て、俯伏(うつぶ)しに寝かした道庵の背中の上へ重しにかけました。
 ここで気息奄々(きそくえんえん)たる道庵は動きが取れない。石の重しをかけられて、首と両手と両足をもがくばかり。張子の虎のような、六蔵の亀のような形を、裸松はおかしがり、
「ザマあ見やがれ。おかげで暇つぶしをさせられた、さあ、今の三ぴん共、遠くは行くめえ……」
 そうしておいて帯をしめ直し、鉢巻を巻き直して、逃げた侍のあとを追いかけようとする。
 軽井沢の町では、鳴りをしずめて事のなりゆきを気遣(きづか)っているが、無論、たれひとり出て来ようとするものもない。
 時に重しをかけられた道庵が、有らん限りの声を出して叫びました、
「べらぼう様……おれを亀の子にしやがったな、よくも道庵に重しをかけて亀の子にしやがったな、手も出さず、頭も出さず、尾も出さず、身を縮めたる亀は万年……と歌にあるのを、それではいけねえから手も出しつ、頭も出しつ、尾も出しつ、身を伸ばしたる亀は万年……とよみ直した奴がある、おれをどうしようというんだ、伸ばしたらいいのか、縮んだらいいのか……ア痛、ア痛……」
 道庵は有らん限りの声でこういいながら、有らん限りの力ではねおきようとしたが、この時の力では、十四五貫の重しをはね返す力がありません。
「ア、痛ッ」
 刎起(はねお)きようとすると、いよいよメリ込むばかりです。
「ア、痛ッ、骨が砕ける……重てえ、卸(おろ)せ、卸せ」
と苦しがって叫びました。
「ザマあ見やがれ」
 裸松は鉢巻をしめ直しながら、道庵の上へ載せた重しの石へ片足を載せました。この足に力を入れれば道庵がギュウとつぶれる。
「米友……友様あ……」
 ここで初めて道庵が、助けの声をあげました。

         四

 時なるかな、宇治山田の米友は、峠の町から軽井沢の桝形(ますがた)の茶屋まで、真一文字に飛んで参りました。
「先生はどうした、おいらの道庵先生がこっちへ見えなかったかい……」
 ここに桝形の茶屋というのは、軽井沢の駅の上下の外(はず)れの両端に、桝形に石を築いた木戸があって、そこに数軒の茶屋が並んでいる。追分節の歌の文句の一つにも、
送りましょかい
送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
とあるのがそれです。
「え、先生、あのお医者さんの、あなたがそのお連れさんでしたか。これはどうも、今お迎えに出かけましたところで……それでお気の毒ですが、時の災難と思召(おぼしめ)して下さいまし、まことにハヤ、なんとも……」
 木戸番と、宿から迎えに出た男衆とが、米友を見かけて、まずお見舞と、申しわけをするような口ぶりが、どうも合点(がてん)がゆきません。
「時の災難だって……?」
「まことにどうも……」
「おいらの先生は来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ」
「それが、どうも大変な事になっちまいましてね」
「何、何が大変だい――」
 米友が思わず意気込みました。
「だからお留め申したんですけれども、お聞入れがないもんだから、仕方がございません」
 宿の男衆が申しわけばかり先にして、事実をいわないものだから、米友がいよいよ急(せ)き込みました。
「おいらは申しわけを聞いてるんじゃねえぜ、先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ、来なけりゃ来ねえように、こっちにも了簡(りょうけん)があるんだからな」
「それがまことにどうもはや……」
「来たのか、来ねえのか。おいらの先生は下谷の長者町の道庵といって、酔っぱらいで有名なお医者さんだ、その先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞かしてもらいてえんだぜ」
「へえ、おいでになりました、たしかにおいでになりました」
「そうか、それでおいらも安心した、そうして先生は、お前の家へ泊っているのかい?」
「へえ、手前共へお着きになりました、それからが大変なんでございます、まことに申しわけがございませんが……」
「お前のところへ泊って、それからどうしたんだい……何が大変なんだ」
 米友は事態の穏かでないことを察して、地団駄(じだんだ)を踏みました。何か変った事が出来たに相違ない。先生としては、世話が焼けた話だが、自分としては、職務に対して相済まないと、米友の胸が騒ぎ出しました。
「早く言ってくんねえな、おいらの大切な先生だ、何か間違いがあった日にゃ、おいらが済まねえ」
 米友はまるい目を烈しく廻転させますと、木戸番も、宿の男も、いよいよ恐縮して、
「まことにはや、飛んだ御災難で……先生が、お留め申すのもお聞入れないもんだから、つい悪い奴につかまってしまいなすって……」
「ナニ、おいらの先生が悪い奴につかまったって……? 冗談(じょうだん)じゃねえ、その悪い奴というのは何者だい、胡麻(ごま)の蠅か、泥棒か、それとも街道荒しの浪人者か。それがどうしたい、悪い奴につかまった? おいらの先生が、それからどうしたんだい?」
「ただいま、ひどい目にあっておいでなさいます……」
「何……? ただいまひどい目にあっておいでなさいますだって? ばかにしてやがら、ひどい目にあっておいでなさいますなら、ナゼ助けておやり申さねえのだ」
「それがどうも……」
 米友は、木戸番と、男衆を突き倒して、疾風の如く軽井沢の町へ駈け込みました。
「やい、やい、軽井沢にゃあ、宿役も、問屋も無(ね)えのかい、人がヒドイ目にあっているのを、助けるという奴がいねえのかい。冗談じゃねえ、おいらの先生をヒドイ目にあわせようという奴は、どこにいるんだ、やい」
 米友がこう叫んで歯がみをしながら、軽井沢の町の真中を走(は)せ通りました。
 またいけない! とその声を聞いた町の者が、再び顫(ふる)え上りました。あのお医者さんの連れというのが来たな、いいところへといいたいが、ほんとうに悪いところへ来た。一人でたくさんなのに、また一人ヒドイ目に逢いたがって来た。裸の松の怖るべきことを知らないで、相手になりたがって来た。いったい、気が利(き)かないじゃないか。桝形(ますがた)の茶屋の番人は何をしている。あそこで食いとめて、こちらへ入れないようにしたらよかりそうなものじゃないか。
 入って来た以上は、仕方がない――
 その時です。歯がみをして、軽井沢の町へ怒鳴り込んだ宇治山田の米友は、ふと足もとにころがる一つの提灯(ちょうちん)を見て、まず穏かでないと思いました。
 その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる菅公以来の加賀様の紋であって、その下に「御用」の二字。
 ああ、なるほど、わが道庵先生は、この加賀様なるものの手先にとっつかまって、難題を起しているのだなと、早くも感づきました。相手が百万石の加賀守では、駅の者も手出しができないで、その亡状(ぼうじょう)に任せているのだなと米友が気取(けど)ると、またも歯をギリギリとかみ鳴らしました。
 こういう場合の米友には、義憤と、反抗とがわいて、相手が強ければ強いほど、ふるい立つのを例とする。
 てっきり、これは百万石の加賀守のお供先が、何かの行違いで、わが道庵先生をつかまえて、暴圧を加えているのだな、とこう感づきました。それで彼は、この提灯の梅鉢の紋に向って、反抗の心が潮(うしお)の如くわき出したのです。
 しかし、これは少なくともこの際、米友の推察は立入り過ぎていました。邪推とはいわないけれども、筋道の考え方が生一本(きいっぽん)に過ぎていました。
 いわゆる百万石、加賀様の御威勢は、この街道に於て、そんな圧制なものではない。むしろ、その寛大と、鷹揚(おうよう)と、自然、金銀の切れ離れのよい大大名ぶりは、この街道筋の上下を潤(うるお)して、中仙道、一名加賀様街道といわれたほどに人気を占めていました。ついでにお気の毒ながら、その時分の下郎共の口の端(は)にのぼった悪(にく)まれ唄を紹介すると、
人の悪いのは鍋島薩摩、暮六ツ泊りの七ツ立ち
というのがその一つ。
お国は大和の郡山(こおりやま)、お高は十と五万石、茶代がたった二百文
というのもその一つ。
銭は内藤豊後守(ぶんごのかみ)、袖からぼろが下り藤
というのもその一つ。
 その他、参覲交代(さんきんこうたい)の大名という大名で、この下郎共の口の端にかかって完膚(かんぷ)のあるのはないが、百万石、加賀様だけは別扱いになって、さのみ悪評が残らない――
 だから、宇治山田の米友が、一途(いちず)に加賀守の横暴を憤(いきどお)り出したのは、筋違いでした。
 けれども、唇がワナワナと慄(ふる)えて、杖槍を握る手と腕が、ムズムズと鳴り出したのは、どのみち、相手が相手だから……という武者振いの類(たぐい)です。
 驀進(まっしぐら)に――但し、跛足(びっこ)を引いて、夕暮の軽井沢の町を、怒髪竹の皮の笠を突いて馳(は)せて行くと、
「友様……米友様……」
と助けを呼ぶの声。意外にも程遠からぬ路傍で起りました。
 見れば雲つくばかりの無頼漢。遠目で見てさえも、加賀様の御同勢とは見えません。

         五

「お、おいらの先生を、ど、どうしようというんだ?」
 米友はまず振別(ふりわけ)の荷物を地上へ投げ出しました。
 荷物を地上へ置くのと、その手にした杖槍を取り直したのと、どちらが早かったかわかりません。
 その独流の杖槍――穂のすげてない――は電光の如く、裸松のいずれの部分を突いたかわからないが、大の男の裸松が、物凄(ものすご)い声を出して後ろへひっくり返りました。
「先生、怪我はなかったか?」
 米友は早くも、道庵の背中の上の切石をはね飛ばして、それを介抱をしようとすると、道庵が桔槹(はねつるべ)のように飛び上りました。
「占(し)めた! もう占めたもんだ」
 飛び上って二三度体操をしましたから、それで米友も安心しました。
 それはそれで安心したが、安心のならないのは、ちょうどその時分、いったん後ろへひっくり返った裸松が、怖るべき勢いで起き直って来たからであります。
「野郎!」
 米友を一掴(ひとつか)みにして、引裂いて食ってしまう権幕で迫って来たその形相(ぎょうそう)が、人を驚かすに充分です。
 それは今、米友の一撃を、眉と眉の間に受けて、そこから血が流れ出したからです。
「何だ!」
 そこで、米友が一足さがって杖槍を再び取り直しました。
「野郎!」
 裸松は野獣の吠(ほ)えるような勢いをして、米友にのしかかって来たのを、米友が、
「ちぇッ」
と言って、その肩を右から打つと、裸松が再びひっくり返ろうとして、危なく踏みとどまりましたが、よほど痛かったと見えて、目をつぶって暫く堪(こら)えているところを、米友が下から顎を突き上げると、裸松が一堪(ひとたま)りもなくまた後ろへひっくり返って、暫くは起きも上ることができません。
 これは米友の手練(しゅれん)だから、どうも仕方がありません。無法で突くのと、手練で突くのとの相違は、心得さえあれば直ぐにわかるはず。いわんや一撃を食(くら)ってみれば、その痛さかげんでも、大抵わかりそうなものだが、この裸松にはわかりませんでした。自分が後(おく)れを取ったのは、つまり自分が力負けをしたものに過ぎない、不意を襲われたために、この小童(こわっぱ)にしてやられたのだ、用心してかかりさえすれば、なんの一捻(ひとひね)りという気が先に立つのだから、負けていよいよ血迷うばかりで、彼我(ひが)を見定めるの余裕があろうはずがありません。でも、この小童の手に持つ得物(えもの)の、思いもつけぬ俊敏さに業(ごう)が煮えたと見えて、三度目に起き直った時、路傍に有合わせた松丸太を握っていたのは、多分この丸太で、小童ともろともに、そのめまぐるしい得物を、微塵にカッ飛ばしてやろうとの了簡方(りょうけんかた)と見えます。
 この時、両側の店々では、戸を細目にあけたり、二階の上に立ったりして、街道中(かいどうなか)の騒動に眼をすましました。眼をすまして見ると、相手は相も変らず裸松だが、一人はホンの子供です。夕暮の町で遠くから見れば、米友の姿は、誰にも子供のようにしか見えないのだから、知らないこととはいいながら、気の強い子供もあればあったものと、舌を巻かないものはありません。
 裸松が、その松丸太をブン廻してもり返した時に、米友は、また少しばかり後ろへさがって、その杖槍を正式に構えて、円い眼をクルクルと廻して、裸松を睨(にら)みつけていましたが、ブンブン振り廻して来る丸太の鋭鋒が当り難しと見たのか、じりじり後ろへさがるものですから、見ているものが気を揉(も)み出すと、ウンと踏みとどまった米友が、歯切れのいい調子で、
「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑(あざわら)うのを聞きました。
 この場合、米友にとっての幸いは、弥次と見物とに論なく、すべてが米友の同情者であって、裸松が不人気をひとりで背負いきっていることでありました。
 同業者の馬方や駕籠舁(かごかき)でさえが、裸松に味方する者の一人も出て来なかったことは勿怪(もっけ)の幸いでした。まかり間違えば、以前、甲州街道の鶴川で、多数の雲介(くもすけ)を相手にしたその二の舞が、ここではじまるべきところを、敵に加勢というものが更に出て来ないから、米友としては自由自在にあしらいきれるので、それでこの男には似気(にげ)なく後ろへさがりながら、「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑ったものでしょう。
 米友の眼から見れば、法も、格も心得ていない奴が、力任せに、血迷って、無茶苦茶に丸太ん棒を振り廻して来るだけのものだから、打ち落そうとも、突き飛ばそうとも、どうとも思うままに料理ができるはず。それを知らないから、見物は気を揉み出したものと見える。
 しかし、見物に気を揉ませたのも、そう長い間のことではない。暫くすると、丸太は地上へ飛んで走り、大の男は三たび、地響きを打って地上へ倒れたまま、凄(すさま)じい唸り声を出して、起き上ることができません。
「先生!」
 そこで米友が道庵を呼びかけますと、道庵は泰然自若として、前に自分が重しにかけられた切石の上に腰をかけ、片手には、最初に問題を引起した提灯をひろい上げて、采配(さいはい)を振るように振りまわし、
「友様、御苦労……」
と叫びました。
 問題も、事件も、それで、すっかり解決がついたのです。道庵は凱旋将軍の態度で、意気揚々として宿屋の方へ引上げると、みんなが迎えに出て、早くも二人を取囲みました。
 その有様は、土地の疫病神(やくびょうがみ)を退治してくれた勇者をもてなすの人気ですから、二人も安心です。
 事件はこれで、一通り形(かた)がつきましたが、この事件から起った風聞というものは、全軽井沢の町を圧し、早くも善光寺平から、坂本の宿外(しゅくはず)れを走りました。
 この小勇者、米友の勇気に驚嘆する声が街道に満つると共に、最初逃げ隠れたお差控え候補の侍の弱さかげんを嘲るものもあれば、また、身分があれば相手を嫌うから、あれもまた無理のない態度だと弁護を試むるものもある。また今日、この軽井沢へ泊り合わせた客人のうちに、相当腕に覚えの人もあろうのに、検視に立会うことすらしなかったのは情けない――と嘆くもある。喧々囂々(けんけんごうごう)たるうちに、誰にもわからないのは、道庵先生なるものの了簡方(りょうけんかた)です。いったい、あの先生は強いのか、弱いのか、どういう了簡で裸松の喧嘩を買って出たのか、その了簡のわかったものが一人もありませんでした。ところが、当の道庵先生はいよいよ上機嫌で、
「なあに……わしが手を下すまでのこともねえのさ……弟子に任せておいて、ちょっとあのくらいのものさ。そりゃあそうと、怪我をさせっぱなしもかわいそうだから、ひとつその裸松様というのを見舞って上げずばなるまい」
と言って道庵は、群がる人をかきわけて、倒れている裸松の傍へよって診察をはじめましたから、皆々、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が利(き)かず、右の腕は打ち折られて用をなさなくなっていますから、気が立つだけで、仕返しをするの力は絶対にありません。生命に別条はないが、不具(かたわ)にはなるだろうとの診立(みた)てで、かえって土地の人が安心しました。
 こうして裸松は問屋場へ担(かつ)ぎ込まれる一方、道庵、米友の二人は、多数の人に囲まれて、胴上げをされんばかりの人気で、玉屋の宿へ送り込まれました。
 道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
 玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの小童(こわっぱ)の強かったことの評判です。
 いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、手真似(てまね)までして見せて、つまり、あの小童は棒使いの名人だということにおいては、誰も一致するようです。
 だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
 次に、道庵先生の評判になると、やっぱりあの先生は、気の知れない先生だという説が多く、また一方には、いかさま、その従者であり弟子である小童でさえ、あのくらい強いのだから、主人であり、先生であるあの飲んだくれの強さは、測ることができないのだと、真顔にいうものもありました。それが、どういう拍子で間違ったか、あの先生は、あれはつまりお微行(しのび)の先生だ、ああして浮世を茶にしてお歩きなさるが、実は昔の水戸黄門様みたいなお方に違いないと言い出すものがあると、
「なるほど……」
 すべてが、なるほどと頷(うなず)いて、それから道庵に対する待遇が、いっそう重いものになりました。
 いつもこういう際における道庵は、転んでもただは起きない結果をつかむ。
 道庵は、苦もなく水戸の黄門格にまで祭り上げられたが、その従者たる米友は、隠れたるお附添の武術の達人……特に子供のうちの鍛練者を択(えら)んでお召連れになったのだろうという想像や好奇心で、米友を見たいというもの、もう一度見直したいというものが、玉屋の家の前に溢れています。
 そのうち、誰が発見したか、裏手の方から流言があって、
「お坊っちゃんが、今、お湯に入っているところだ」
という報告がありました。
「それ行って見ろ!」
「お坊っちゃんが、お湯にはいっている」
 お坊っちゃんとは蓋(けだ)し、宇治山田の米友のことでしょう。薄暮にその姿を見ただけのものは、誰も子供だと思わぬものはない。その主人を黄門格にまで祭り上げた以上は、その従者をも相当の格に扱わなければならない。さりとてお侍ではなし、兄さんと呼ぶのは狎(な)れ過ぎる。本名は聞いていず、やむを得ず、米友を呼ぶにお坊っちゃんの名を以てしたのは、一時の苦しがりでありましょう。
 そうして、同勢が、目白押しに湯殿の方へ押しかけて、窓や羽目の隙間にたかって、先を争って、この小勇者の姿を見直しにかかりました。
「違わあ、子供じゃねえ……」
 まず覗(のぞ)いて見たほどのものが、風呂桶に浸(つか)っている米友の顔を、風呂行燈(ふろあんどん)の光で眺めて、案外の叫びをなしました。
 子供でもなければ、お坊っちゃんでもない、まさに老人である。いや老人かと思えば子供である。何とも名状すべからざる奇怪なる顔貌。まるい目をクルクルとさせて、
「覗いちゃいけねえよ」
 その声を聞いて、
「あ……」
 窓へのし上っていた二三人が崩れ落ちて、
「お化けだ……」
といいました。
 その時、風呂桶から全身を現わして流しに立った米友。身の丈は四尺、風呂桶の高さといくらも違わない。
「やっぱり子供だよ」
「いい身体(からだ)だなあ」
とドヨみ渡って感心したものがありました。その鉄片をたたきつけたような隆々(りゅうりゅう)たる筋肉、名工の刻んだ神将の姿をそのまま。その引締った肉体を見たものは、面貌の醜と、身長の短とを、忘れてしまいました。
 米友が風呂桶から流しへ出て、板へ腰をかけて洗いはじめた時に、さいぜん道庵先生を、桝形(ますがた)の茶屋から迎えてこの宿へ連れ込んだ、あだっぽい女が湯殿へ入って来て、
「お客様、お流し申しましょう」
と言って、かいがいしく裳(すそ)をからげて、米友の後ろへ廻りました。
「済まねえな」
 米友はぜひなく、その女に背中を流してもらっていると、外の弥次(やじ)が、
「お玉さん、しっかりみがいて上げてくんな」
と弥次りました。
「お黙りなさい」
 その女が叱ると、
「いよう――」
と妙な声を出し、
「可愛い坊っちゃんを、大事にして上げてくんな」
「うるさい、あっちへ行っておいで……」
「お玉さん、思い入れて磨いておあげ……そうして坊っちゃん、今晩はお玉さんの懐ろに入ってゆっくりお休み」
「あっちへ行っておいでってば――」
「やけます……」
「いよう! 御両人……」
 外が、無暗に騒々しいから、米友がムッとしました。
「お客様、お気にかけなさいますな、みんないい人なんですけれど、口だけが悪いんですから」
「ばかな奴等だなあ……何が面白くって、外で騒いでやがるんだ」
 米友が面(かお)を上げて窓の上を睨(にら)むと、そこにはいくつかの首が鈴なりになっている。
「兄さん――お前は子供なのかい、それともお爺(とっ)さんなのかい?」
 その鈴なりの顔の一つが叫ぶと、続いて他の一つが、
「裏から見れば子供で、表から見ればお爺(とっ)さんだから、これが本当の爺(とっ)ちゃん小僧というんだろう」
「ばかにしてやがらあ……」
といって米友が横を向くと、
「だけれど、強いなあ、お前さんは強い人だなあ――なりは小さいけれど、身体(からだ)が締ってらあ――」
と讃美の声を上げるものもありました。米友は、もう横を向いたきりで取合わないでいると、女がいきなり立って行って、
「ただでは見せて上げないよ」
といって、高いところの窓を、ハタと締め切ってしまいました。
「そりゃ、あんまり胴慾(どうよく)な……」
「お玉さん、お湯の中で水入らずに、しっかりみがいてお上げよ」
 窓を締められた弥次は、暗いところでなお騒々しい。
 その時、米友は立ち上って、
「もういいよ、おいらは湯から上っちまわあ」
 弥次のうるさいのに堪えられなくなったのでしょう。ぷりぷりしながら立って風呂へ入り、首だけを出し、思わず女の姿を眺めていたが、急に、
「あ……お玉!」
と言って舌をまきました。
 米友が渾身(こんしん)から驚いたのは、この女の面影(おもかげ)がお玉に似ていたからです。名をさえそのままでお玉というのは……いうまでもなく間(あい)の山(やま)以来のお君の前名でありました。その米友の異様な叫び声を聞いた女は、こちらを向いて、嫣乎(にっこり)と笑い、
「あら、もう、わたしの名を覚えて下すったの、嬉しいわ」
「お前の名は、お玉さんていうんだね」
「ええ……玉屋のお玉ですから覚えいいでしょう、忘れないで須戴な」
「あ……」
 米友は吾を忘れて感動しました。その時、外で弥次馬が、
「お安くねえぞ、御両人……」
 その声を聞くと米友が真赤になって、地団駄を踏みました。
 それ以来、あらゆる年頃の女がお君に見えてたまらない。幼ければ幼い時の面影に、年ばえは年ばえのように、婆は婆のように、宇治山田の米友には、夢寐(むび)にもその面影を忘るることができないでいたのに、ここへ来て、初めて正真のお玉を見ることができた。名さえそのままではないか……これがお玉でなくて誰だ。
 米友は口が利(き)けないほどに感動したけれど、それがほんとうにお君に似ているか、いないかは問題です。
 可憐なる米友は、その晩一晩中、このお玉の姿に憧(あこが)れてしまいました。給仕に来たのもこの女、床を延べに来たのもこの女。
「お玉さん……お前はな……」
と言ったきり、米友には口が利けませんでした。
「ホ、ホ、ホ、御用があったら、いつでもお呼び下さいな、この向うの突当りの部屋に休んでいますから。夜中でもかまいませんよ」
と女はあいそうよくいいましたが、不幸にして米友には、それ以上に挨拶をすることができませんでした。
 そこで、その夜もすがら、米友が煩悶(はんもん)を続けました。
 道中の旅籠屋(はたごや)の飯盛女(めしもりおんな)――昔はこれを「くぐつ」といい、今は飯盛、あるいは宿場女郎という。東海道筋でいってみると、五十三駅のうち、官許の遊女屋のあるのは駿河の弥勒町(みろくまち)だけで、あとは品川でも、熱田でも、要するに飯盛女――駅という駅に、大小美醜の差別こそあれ、この種類の女の無いというところはない。これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所図会(ずえ)の第五巻に記して曰(いわ)く、
「駅路の遊君は斑女(はんじょ)、照手(てるて)の末流にして今も夕陽(ゆふひ)ななめなる頃、泊り作らんとて両肌(もろはだ)ぬいで大化粧。美艶香(びえんかう)には小町紅(こまちべに)、松金油(まつがねあぶら)の匂ひ濃(こま)やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜(へちま)の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
云々(うんぬん)と筆を弄(ろう)しているが、名所図会という名所図会には、この駅路の遊君を不美人に描いたのは一つもない。ここの玉屋のお玉さんが、死んだお君に似ていたか、いないかは疑問ですけれども、玉屋の看板を背負って立つだけに、この駅では、指折りのあだっぽい女であったことは疑いがないらしい。
 水性(みずしょう)のお玉さんは、誰にも愛嬌を見せるように、米友にも最初から愛嬌を見せていました。というよりは、勇者としての米友を取持つ役を、ほとんどお玉さんひとりがとりしきってやっていたようなものですから、一緒に寝ようといえば寝もするし、夜もすがら語り明かそうといえば語り明かしもするし、どうでも米友の註文通りになったはずなのです。
 この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂が残っているから、いつかまたこの世へ生れて来るんだ、しっかりしろ」
 道庵先生は事実そう信じているのだか、米友があまりの生一本の鬱(ふさ)ぎ方を慰めるつもりの気休めだか知らないが、とにかく、こういう霊魂不滅説を説いて聞かせたことがあります。
 米友は、今もそれを、まともに思い出しているのです。こういう男の常として、一を信ずれば、十まで信ぜずにはおられません。
 それとは知らず道庵先生は、宵(よい)からグッスリと寝込んでしまって、翌朝、例刻には眼を醒(さま)したけれども、昨日(きのう)の疲れもあるし、第一、水をかけられた着物からして、乾かさねばならないから、モウ一日一晩、軽井沢に逗留(とうりゅう)することになりました。
 ところが、朝飯が済むと、もうノコノコと問屋場へ出かけて来て、裸松(はだかまつ)の診察にとりかかりましたものですから、宿(しゅく)の者が、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 それにも拘らず、先生は、裸松の病床でしきりに診察を試みながら、居合わす宿役人らをつかまえて気焔を上げているのは、宿酔い未だ醒めざるの証拠であります。
 一方、宿に残された宇治山田の米友は、一旦は起きたけれども、やがて荷物を枕に、身をかがめて横になってしまいました。多分、昨夜の夜もすがらの煩悶(はんもん)が、心をものうくしたものでしょう。この男は大抵の場合には、夜具蒲団(やぐふとん)を用いないで寝られる習慣を持っている。時として、せっかくの夜具蒲団をはねのけて、横になったところを寝床とするの習慣を持っている。
 今もまた、こうして畳の上へゴロリと横になっていると、夜来の疲れが多少廻って来たものと見えて、いつかうとうとと夢路に迷い入りました。
 その時の夢に、米友は故郷の間(あい)の山(やま)を見ました。自分の身が久々(ひさびさ)で故郷の宇治山田から間の山を廻(めぐ)っているのを認めました。
 久しぶりで、もう帰れないはずと思っていた故郷の土を踏んでみても、その土が温かではありません。相も変らず間の山は賑(にぎ)やかですけれども、その賑やかさが、少しも自分の身に応(こた)えて来ないのを不思議と思いました。周囲は花やかなのに、空気が冷たく自分の身に触れるのを、米友はじれてみました。
 故郷の地ではあるのに――こうも冷たい空気が流れて、通るほどの人が、みんなつれない色を見せる。さすがの米友も、誰を呼びかけて、何をいおうとの心も失せ、参宮道の真中の榎(えのき)の大樹の下に立つと、何かいい知れず悲しくなって、その大樹に身を寄せて面(おもて)を蔽(おお)うているうちに、いつしか、しくしくと泣いている自分を発見しました。
「君ちゃんがいねえ……ムク、ムクの野郎もいねえ……ムクやい、ムクはいねえのかよう」
と米友は、声立てて呼んだけれども、手拭を後ろに流し、黄八丈の着物に、三味線を抱えたお君の姿も出て来ない。そのあとに、影身のように附添うたムクも現われては来ない。間の山の盛り場では、提灯篝(ちょうちんかがり)の火が空を焦(こが)して、鳴り物の響きが昔ながらに盛んに響いて来るのに、自分の見たいと思う人と、聞きたいと思う声だけは、一つも現われて来ない。そこで米友は、
「ムク……おいらは今、間の山に来ているんだぜ、誰も迎えに出て来ねえのかい?」
 米友は天を仰いで号泣しようとする、その大榎の樹の枝に、一団の青い火が、上ろうとして上らず、下ろうとして下らないのを認めました。
「あれが魂というものだな」
 米友は身を躍(おど)らして、その青い一団の光を捉えようとする途端に、大風が吹いて来て、その光を大空へ吹き上げたから、ハッとして眼を醒(さ)ますと、自分の転寝(うたたね)をしていた身体の上へ、誰かふわりと掻巻(かいまき)を着せてくれた人がありました。
「風邪(かぜ)を引きますよ」
 障子のところに立っている女の姿を見ると、米友はムックリと起き直って、
「お玉さん!」
「ホ、ホ、ホ、どうもお気の毒さま、つい、お邪魔をして済みませんでした」
「玉ちゃん、いいからお入り」
「はい」
「ここへお入り、話があるから」
 米友は、ほとんど猛然として起き上って来て、お玉の袖を取りました。
「こわい人――この人は――」
 お玉は笑いながら、米友に引かるるままに、袖を引かれて来ました。

         六

 女軽業の親方のお角さんは、お気に入りのお梅ちゃんを連れて、浅草の観音様へ参詣の戻り道です。
「梅ちゃん、何ぞお望み、今日はなんでも好きなものを買って上げるから……」
「お母さん、千代紙(ちよがみ)を買って下さいな」
「千代紙――? ほんとにお前も子供だねえ」
 お梅の子供らしい望みを笑いながら、お角は雷門跡から広小路へ出ました。
 お角もこのごろは、痛(いた)し痒(かゆ)しの体(てい)で、興行は大当りに当ったが、お銀様というものに逃げられたのが癪(しゃく)で、金助をとっちめてみたところがはじまらない。
 ともかく、切支丹奇術大一座の興行を、一世一代として見れば、この辺で水商売の足を洗いたくもあったのでしょうが、どうも世間というものは、そう綺麗(きれい)さっぱりとくぎりをつけるわけにはゆかないと見え、お角に興行界を引退の意志があると見て、やれ馬喰町(ばくろちょう)に宿屋の売り物があるから引受けてみないかの、地面家作の恰好(かっこう)なのがあるから買わないかの、上方料理の変った店を出してみる気はないかの、甚だしいのは、両国の興行をそっくり西洋へ持ち出してみる気はないかのと、八方から話を持ち込んで来るので、お角もうるさくなりました。

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