大菩薩峠
是非お友達にも!
■暇つぶし何某■

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著者名:中里介山 

         一

 宇治山田の米友は、碓氷峠(うすいとうげ)の頂(いただき)、熊野権現の御前(みまえ)の風車に凭(もた)れて、遥かに東国の方を眺めている。
 今、米友が凭れている風車、それを米友は風車とは気がつかないで、単に凭れ頃な石塔のたぐいだと心得ている。米友でなくても、誰もこの平たい石の塔に似たものが、風車だと気のつくものはあるまい。子供たちは、紙と豆とでこしらえた風車を喜ぶ。ネザランドの農家ではウィンドミルを実用に供し、同時にその国の風景に情趣を添えている。が、世界のどこへ行っても、石の風車というのは、人間の常識に反(そむ)いているはずだ。しかし、碓氷峠にはそれがある。
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
 あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。
 誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に据(す)えつけたのは何の目的に出でたものか、それはその道の研究家に聞きたい。
 一度(ひとたび)廻(めぐ)らせば一劫(いちごう)の苦輪(くりん)を救うという報輪塔が、よくこの風車に似ている。
 明治維新の時に、神仏の混淆(こんこう)がいたく禁ぜられてしまった。輪廻(りんね)という仏説を意味している輪塔が、何とも名をかえようがなくして、風車といい習わされてしまったのなら、右の俗謡は、おおよそ維新の以後に唄われたものと見なければならないのに、事実は、それより以前に唄われていたものらしい。
 しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の辻占(つじうら)になるという。
 宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を知らない。
 歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を繙(ひもと)いてもいないのであります。
 ですから風車のことは暫く措(お)き、いま、自分がこうして現に立っているところの地点が、日本の歴史と地理の上に、由々(ゆゆ)しい時代を劃した地点であるというようなことには、いっこう頓着がないのです。
 大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)の四十年、形はすなわち皇子にして、実はすなわち神人……と呼ばれ給うたヤマトオグナの皇子が、このところに立って、「吾嬬(あがつま)はや」とやるせなき英雄的感傷を吐かれて以来、この地点より見ゆる限りの東を「あがつま国」という。その碓氷峠の歴史、地理の考証については、後人がいろいろのことをいうけれど、この「あがつまの国」に残る神人の恨みは永久に尽きない。けだし、石の無心の風車が、無限にクルクルと廻るのも、帰らぬ人の魂を無限の底から汲み上げる汲井輪(きゅうせいりん)の努力かも知れない。
 上代の神人は申すも畏(かしこ)し――わが親愛なる、わが微賤(びせん)なる宇治山田の米友に於てもまた、この「あがつまの国」にやるせなき思いが残るのです。
 それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
 このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の面(かお)を篤(とく)と見定め、後ろ姿をすかし、時としては、ほとんど走り寄って縋(すが)りつくほどにして、そうして、諦めきれないで、言おう様なき悲痛の色を浮べて立つことがある。その時にはさすがの道庵も、冷評(ひやか)しきれないで横を向いてしまうことさえある。
 さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
 さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
 道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
 道庵の気紛(きまぐ)れは、今にはじまったことではない。ある時は長くなり、ある時は短くなるのも、今にはじまったことではないが、気の短い一方の米友が、こうして別段にじれ出そうともしないのは、遥かに東を望んで、泣いているからです。
「あッ」
 暫くあって気がつきました。鴉(からす)が鳴いて西へ急ぐからです。
 そこで、米友は玉垣へ立てかけて置いた杖槍を取るが早いか、転ぶが如くに権現前の石段を、一息に走(は)せ下りました。
「こんにちは」
 権現の前の石段を一息に走せ下ったところは、碓氷(うすい)の貞光(さだみつ)の力餅です。
「先生はどうしたい、先生は――」
 そのまるい眼をクルクルとして、力餅屋へ乱入しましたけれど、餅屋では相手にしません。
「先生……おいらの先生……」
 次に米友は、その隣りの茶店へ乱入しましたけれど、茶店でも取合いませんでした。
「ちぇッ」
 米友は舌打鳴らして地団駄(じだんだ)を踏みました。どうも見廻したところ、この近辺にわが尋ねる先生の気配がない。
 茶店の隣りが荒物屋――その隣りが酒屋だ。この辺で、鼾(いびき)の声がするだろう……てっきり――とのぞいて見ても、道中の雲助共が、ハダかっているだけで先生の姿が見えない。
「ちぇッ、世話の焼けた先生だなあ」
 米友が再び地団駄を踏みました。人家すべて二十を数える碓氷峠の上(かみ)の宮(みや)の前の町、一点に立てば全宿を見通すことも、全宿の通行人をいちいち検分することもできる。さりとて、わが先生の大蛇(おろち)の鼾が聞えない。
 一旦、宿並(しゅくなら)びの店という店を、いちいち探し廻った揚句(あげく)、また再び宮の前へ戻って、坂本方面を見通してみたが、そこにも先生の気配がありません。
「ちぇッ、ほんとうに世話の焼けた先生だなあ」
 米友は宮の前の石段の下に立って、三たび地団駄を踏みました。
 ほんとうに世話の焼けた先生である――生命(いのち)にこそ別条はあるまいけれども、責任観念の強い米友は、もしやと井戸の中まで覗(のぞ)いて見た上に、峠の宿を裏返し、表返しに覗いて歩きました。
 こうして血眼(ちまなこ)になって、東西南北を駈け廻(めぐ)っている米友の姿を、広くもあらぬ峠の町の人々が、認めないわけにはゆきません。
「お兄さん、エ、コリャどうなさりました。迷(ま)い子(ご)に……エ、迷い子はお前のお連れさんでござりますか、年はお幾つぐらい?」
 訊ねてみると、どちらが迷い子だかわかりません。迷い子は年の頃五十を越したお医者さん。それを尋ね廻っている御当人は、子供だか、大人だか、ちょっとは見当がつかない。
 峠の町の人は暫く呆(あき)れて見えましたが、それでも要領を得てみれば、この一種異様な迷い子さがしに多少の同情を持たないわけにはゆかないし、最初、藪(やぶ)から棒に、先生はどうしたと詰問されて相手にしなかった家々の者まで、本気になって、その求むる迷い子についての知識を、寄せ集めてくれました。
 その言うところによると、たしかに米友のいう通りの人相骨柄(にんそうこつがら)の人が、力餅を二百文だけ買って竹の皮に包ませ、蝋燭(ろうそく)を二丁買って懐ろへ入れ、さてその次の酒屋へ来ると、急に気が大きくなって、雲助を相手に気焔を吐いていたことまではわかったが、それから先が雲をつかむようです。
 そこへ、ひょっこりと現われた一人の雲助が、
「ナンダ、その先生か。そんならうん州が駕籠(かご)に乗って、いい心持で鼾(いびき)をかいてござったあ。今時分は軽井沢の桝形(ますがた)の茶屋あたりで、女郎衆にいじめられてござるべえ」
 この言葉に、米友が力を得ました。

         二

 そこで宇治山田の米友は、峠の町から、軽井沢をめがけて一散に馳(は)せ出しました。
 これより先、道庵は、ちょっと買物をするつもりが、雲助を相手に、酒屋へ入るといい気持になり、うっかりその駕籠に乗せられて、有耶無耶(うやむや)のうちにかつぎ出されてしまいました。
 峠の町から軽井沢までは僅か十八町、且つ下り一方の帰り駕籠ですから、かつぐ方もいい心持、乗る方は一層いい心持になって、大鼾で寝込んでいるものですから、またたくまに軽井沢の宿(しゅく)の入口、桝形の茶屋まで着いても、まだ目が醒(さ)めません。
 ここで、雲助はこの拾い物のお客をおろすと、宿の客引と、飯盛女(めしもりおんな)が、群がり来って袖をひっぱること、金魚の餌を争うが如し。道庵、眼をさまして、はじめて驚き、
「しまった!」
 酔眼朦朧(すいがんもうろう)として四方(あたり)を見廻したけれども、もう遅い。
「お泊りなさんし、丁字屋(ちょうじや)でございます」
「江戸屋でございます」
「手前は佐忠で……」
「三度屋はこちらでございます」
「温かい御飯の冷えたのもございます、名物の二八蕎麦(そば)ののびたのもございます、休んでおいでなさいませ」
 道庵、いかに、ジタバタしても、もう動きが取れません。
 よし、こうなる以上は、この茶屋へも話しておき、どこぞしかるべき宿へみこしを据えてから、人を走らせて米友を招くに如(し)かじ、と決心しました。その途端に、
「ねえ、旅のお先生、わたしどもへお泊りなさんし、玉屋でございます」
 あだっぽい飯盛女が、早くも道庵の荷物に手をかけたものですから、道庵も鷹揚(おうよう)にうなずいて、その案内で桝形の木戸から、軽井沢の宿へ入り込んだものです。
「ははあ」
 道庵は物珍しげに軽井沢の町を見廻して、頭上にけぶる、信濃なる浅間ヶ岳に立つ煙をながめ、
「ははあ、いよいよ信濃路かな。一茶の句に曰(いわ)く、信濃路や山が荷になる暑さかな……ところが今はもう暑くねえ」と嘯(うそぶ)きました。
 時は、無論、山が荷になるほどの暑い時候ではなかったけれど、さりとてまだ、ゆきたけつもりて裾の寒さよ、とふるえ出すほどの時候でもありません。
 幸いにして碓氷峠(うすいとうげ)は紅葉の盛りでありました。坂本の宿から峠の上まで、道庵は名にし負う碓氷の紅葉に照らされて、酔眼をいよいよ真赤にしてのぼって来ましたが、上野(こうずけ)と信濃の国境(くにざかい)は夢で越え、信濃路に入ってはじめて、浅間の秋に触れました。
 ここに、便宜上、武州熊谷以来の旅程を示すと――
 熊谷から深谷まで二里二十七丁。深谷から本庄まで二里二十五丁。本庄から新町へ二里。この間に武州と上州との境があって、新町から倉ヶ野へ一里半。倉ヶ野から高崎へ一里十九丁。
 高崎は松平右京亮(うきょうのすけ)、八万二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安中(あんなか)へ三十丁下り。ここは坂倉伊予守、三万石の城下。安中から松井田へ二里十六丁。
 松井田から坂本へ二里十五丁。こうして今や上州の坂本から二里三十四丁二十七間の丁場を越えて、信濃の国、軽井沢の宿に着いたというわけであります。
 軽井沢へ来て、酔眼をみはって見ると、その風物のいとど著(いちじる)しいのに、道庵は眼をきょろつかせないわけにはゆきません。
 空を見れば浅間ヶ岳が燃ゆる思いの煙をなびかせ、地を見れば三宿の情調が、いとど旅感をそそるに堪えている。七十八軒の本宿に、二十四軒の旅籠屋(はたごや)。紅白粉(べにおしろい)の飯盛女(めしもりおんな)に、みとれるようなあだっぽいのがいる。なるほどこれでは、道中筋のお侍たちがブン流してお差控えを食うのも無理はないと、いい年をした道庵が、よけいなところへ同情をしながら歩きました。
 道庵先生は玉屋の店の縁先へ腰をかけて足を取り、洗足(すすぎ)のお湯の中へ足を浸していると、旅籠屋(はたごや)の軒場軒場の行燈(あんどん)に火が入りました。それをながめると道庵は、足を洗うことを打忘れ、
「ははあ、初雁(はつかり)もとまるや恋の軽井沢、とはこれだ、この情味には蜀山(しょくさん)も参ったげな」
 事実、江戸を出て以来の情景に、道庵がすっかり感嘆しました。
 ところが、そこへ、おあつらえ向きに遠く追分節が聞え出したものだから、道庵がまた嬉しくなりました。
「すべて歌というやつは、本場で聞かなくちゃいけねえ」
 両側に灯(ひ)をともしはじめた古駅の情調と、行き交う人の絵のようなのと、綿々たる追分節が詩興をそそるのに、道庵先生が夢心地になりました。
「あの、お連れさんをお迎えに出しましょうか」
 女からこう言われて、ハッと気がついて、
「そのこと、そのこと、急いで人を出しておくんなさい。大将、まごまごしているだろう、間違って坂本の方へでも落っこってしまわねえけりゃいいが……」
 道庵がはじめて、米友のことを思い出しました。
「ね、いいかい、人相はこれこれだよ、間違えちゃいけねえ。なあに、間違えようたって、間違えられる柄(がら)じゃねえんだが、人間が少し活溌に出来てるから、気をつけて口を利(き)いてくんなよ、腹を立たせると手におえねえ」
 そこで、米友の人品を一通り説明して聞かせましたから、宿の者は心得て、米友を迎えに出かけました。
 道庵が、そこで足を洗いにかかると、この宿の楼上で三味線の音(ね)がします。そこで道庵が、またも足を洗う手を休めてしまって、
「古風な三味線の音がするが、ありゃ何だい」
「説教浄瑠璃(せっきょうじょうるり)がはじまりました」
「説教浄瑠璃と来たね、今時はあんまり江戸では聞かれねえが……なるほど、苅萱(かるかや)か、信濃の国、親子地蔵の因縁だから、それも本場ものにはちげえねえ……」
 見るもの、聞くものに、一通りへらず口をたたかなければ納まらぬ道庵、まだ洗足(すすぎ)の方はお留守で、往来をながめると、急ぎ足な三人連れの侍、東へ向って通るのを見て、
「はてな……時分が時分だから、大抵はこの宿(しゅく)で納まるのに、あの侍たちは、まだ東へ延(の)す了簡(りょうけん)と見える、イヤに急ぎ足で、慌(あわ)てているが、ははあ、これもお差控(さしひか)え連(れん)だな……」
と嘲笑(あざわら)いました。
 お大名の道中のお供(とも)の侍にはかなりの道楽者がある。道中、渋皮のむけた飯盛がいると、ついその翌朝寝過ごして、殿様はとうにお立ちになってしまったと聞いて、大慌てに慌てて、あとを追いかけるけれども、三日も追いつけぬことのあるのは珍しくない。その時は別におとがめも受けないが、国表(くにおもて)へつくと早速「差控え」を食うことになっている。図々しいのになると、差控えの五犯も六犯も重ねて平気な奴がある。
 今し、泊るべき時分にも泊らず、行手を急ぐ三人連れの侍は、多分、そのお差控え連に相違あるまいと、それを見かけて道庵が嘲笑いました。
 人のことを、嘲笑う暇に、自分の足でも洗ったらよかろうに、宿でも呆(あき)れているのをいいことに、道庵は、
「ザマあ見やがれ、お差控えの御連中様……あは、は、は、は……」
と高笑いをし、ようやく身をかがめて、今度は本式に足を洗いにかかる途端に、風を切って飛んで来て、うつむいて足を洗っている道庵の頭に、イヤというほどぶつかり、そのハズミで、唸(うな)りをなして横の方へけし飛んだものがありますから、道庵が仰天して、すすぎの盥(たらい)の中へつッたってしまいました。
「あ痛え……」
 見れば一つの提灯(ちょうちん)が、往来中(おうらいなか)から飛んで来て、道庵の頭へぶッつかって、この始末です。

         三

 頭の上へ降って来た提灯に、道庵は洗足(すすぎ)の盥(たらい)の中へ立ち上って驚き、驚きながら手をのばして、その提灯を拾い取って見ると、それは梅鉢の紋に、御用の二字……ははあ、加賀様御用の提灯というやつだな……
 道庵は、片手で頭をおさえ、片手でその提灯を拾い上げて、盥の中に突立っていると、
「ど、ど、ど、どうしやがるでえ、待ちねえ、待ちねえ、待ちやがれやい、三ぴん」
 その喧(やかま)しい悪罵(あくば)の声は、すぐ眼の前の往来のまんなかで起りました。
 見れば、荷駄馬の手綱(たづな)をそこへ抛(ほう)り出した一人の馬子、相撲取と見まがうばかりの体格のやつが、諸肌(もろはだ)ぬぎに、向う鉢巻で、髭(ひげ)だらけの中から悪口をほとばしらせ、
「待ちやがれ――この三ぴん」
 追いかけて、つかまえたのは、さいぜん道庵先生が嘲笑(あざわら)った三人連れのお差控え候補者の中の、いちばん年かさな侍の刀の鐺(こじり)です。
「すわ」
と、北国街道がドヨめきました。
「何、何事だ」
 刀の鐺をつかまえられた侍はもちろん、三人ともに眼に角を立てて立ちどまりますと、くだんの悪体(あくてい)な馬子が、怒りを向う鉢巻の心頭より発して食ってかかり、
「見ねえ、あ、あれを、どうしてくれるんだい、やい、あの提灯をよう」
「ははあ、あれは貴様のか、急いだ故につい粗忽(そそう)を致した、許せ」
 年かさな侍が陳謝して過ぎ去ろうとしたのは、たしかに自分が、右の馬子とすれちがいざまに、あの提灯に触って振り落したという覚えがあるから、聞捨てならぬ悪口ではあるが、軽く詫(わ)びて通ったのが勝ちと思ったからです。
「何、何をいってやがるんだ、あれは貴様のか、急いだためついしたそそうだと……よく目をあいて拝みやがれ、あれは加賀様の御用の提灯だわやい」
 かさにかかった悪態(あくたい)の馬子は前へ廻って、件(くだん)の侍の胸倉を取ってしまいました。そこで軽井沢の全宿が顫(ふる)え上りました。
 道庵先生は、これは自分の頭へ提灯が降って来た以上の出来事だと思いました。自分の頭も多少痛かったが、いわばそれは飛ばっちりで、本元は今そこで火の手が揚っているのだ……こういう場合に、よせばいいのに、道庵がのこのこと現場へ出かけたのは、まことによけいなことです。
 道庵は問題の提灯(ちょうちん)をさげて、尻はしょりで、盥(たらい)から跣足(はだし)のままで抜からぬ顔で、火元へ出かけようとするから、玉屋のあだっぽい飯盛(めしもり)が、飛んで出て、
「お客様、およしなさいまし、ほってお置きなさいまし、あれは裸の松さんといって、加賀様の御用を肩に着て、力が五人力あるといって、街道きっての悪(わる)で通っていますから――」
 そっと、ささやいて道庵を引留めましたけれど――およそ道庵の気性を知っている限りの人においては、左様な諫言(かんげん)を耳に入れる人だか、入れない人だかは、先刻御承知のはず。
「ナアーニ、五人力あろうが、十人力あろうが、おれの匙(さじ)にかかっちゃあ堪(たま)らねえ」
 道庵は、その加賀様御用の提灯をたずさえて、跣足(はだし)で、尻はしょりで、とうとう問題の渦の中へ飛び込んだのは、酔興とはいいながら、本当によせばいいのです。
「御免よ……これ馬子様、お腹も立とうが、どうか、この道庵にめでて、十八文に免じて、今日のところは一つ……」
 問題の提灯を、いきり立った馬子の裸松(はだかまつ)の前へ持ち出し、
「幸い、持合せがございますゆえ……新しいのを一本差加えまして……」
と言って、さいぜん峠で買ったばかりの蝋燭(ろうそく)を一本だけ差加えて、うやうやしく馬子の裸松の前へ出すと、これはかえって裸松の怒りに油をさしたようなもので、
「ふ、ふ、ふざけやがるない、この筍(たけのこ)め」
 提灯を引ったくって、道庵の横面(よこっつら)を一つ、ぽかりと食(くら)わせました。
 それで道庵がひとたまりもなく、二間ばかりケシ飛んでひっくり返ったが、そんなことに腰を抜かす道庵とは、道庵がちがいます。
「この野郎様、おれをぶちやがったな、さあ勘弁ができねえ、おれを誰だと思う、江戸の下谷の長者町で……」
といったが、江戸の下谷の長者町あたりでこそ、道庵といえば、泣く児も泣いたり、だまったりするが、中仙道の軽井沢あたりへ来たんでは、あまり睨(にら)みが利(き)かないことを、この際、気がつかないでもないと見え、
「おれの匙(さじ)にかかって命を落した奴が二千人からある、人を殺すことにかけては、当時この道庵の右に出る奴は無(ね)え……人を見損なうと承知しねえぞ」
といって、起き上ると、ひょろひょろと駈け寄って、裸松の前袋に食い下りました。
 知らないほど怖(こわ)いことはない。裸松とても、道庵がソレほどの勇者であると知ったら、少しは遠慮もしたろうに。道庵としても、こいつが街道名代の悪(わる)で、五人力あるのが自慢で、人を見れば喧嘩を吹っかけるのが商売だと知ったら、少しは辛抱もしたろうに。何をいうにも、道庵は酔っています。この、ひょろひょろしたお医者さん体(てい)の男が、いきなり飛んで来て前袋へ食いついたから、さすがの裸松がその勇気に驚いてしまいました。少なくとも、自分を向うへ廻して腕ずくで来ようという奴は、上は善光寺平から、下は碓氷(うすい)の坂本までの間にあるまいと信じていたところ、その自信をうらぎって、ちっとも恐れず武者ぶりついて来た勇気のほどには、裸松ほどのものも、一時(いっとき)力負けがして、こいつはほんとうに柔術(やわら)でも取るのか知らと惑いました。
 必死となって裸松の前袋に食いついた道庵は、そこで、やみくもに身ぶりをして、ちょうど器械体操みたようなことをはじめたから、一旦は戸惑いした裸松が、ええ、うるせえ、一振り振って振り飛ばそうとしたが、先生は、しっかりと前袋にくいついて、離れようとはしません。
 その間に――悧巧(りこう)な例のお差控え連は事面倒と見て、道庵にこの場をなすりつけ、三人顔を見合わせると、一目散(いちもくさん)に逃げ出しました。それも街道を真直ぐに逃げたんでは危険と思ったのか、わざと人家の裏へそれて逃げ出したから、裸松が、いよいよおこってわめき出し、
「御用提灯を粗末にされちゃ、おれは承知しても、加賀様が承知しねえ、待ちやアがれ!」
 道庵を前にブラ下げたり、引きずったりしたなりで、逃げ行く侍たちのあとを追いかけました。そこで軽井沢の宿は家毎に戸をとざすの有様です。
 しかし、この道庵の食い下り方が、非常にしんねり強かったために、裸松は思うように駆けることができず、とうとう三人の侍の姿を見失ってしまいましたから、裸松の怒りは一つになって、道庵の上に集まったのはぜひがありません。
「この筍(たけのこ)……いらざるところへ出しゃばりやがって……」
 哀れや道庵は、ここで五人力の犠牲にならなければならない。両刀を帯した三人づれの侍すらが避けて逃ぐるほどの相手を、いかに道庵でも、匙(さじ)一本であしらわなければならないのは、心がらとはいえ、ばかばかしい話で。だから最初によせばいいのにといったのに、病では仕方がない。
 そこで、ようやく道庵を振り飛ばした裸松は、二度ひょろひょろとして、三間ばかりケシ飛んで尻餅をついた恰好(かっこう)の珍妙なのと、口ほどにもない脆(もろ)さかげんとに吹き出してしまって、
「ザマあ見やがれ」
 ところが、懲(こ)りも性(しょう)もない道庵は、また起き上って、ひょろひょろと裸松に組みついて来たのを、今度は前袋へも寄せつけず突き倒し、襟髪(えりがみ)を取って無茶苦茶に振り廻しました。
 かかる時節に、宇治山田の米友が来ないというのが間違っている。本来、こういう場合の万一に備えるために天から授けられた米友ではないか。それをさしおいて、道庵自身がまかり出て、米友の株を背負(せお)い込もうとしてもそうはゆかない。天は決して人に万能を授けるものではない。おのおのその職とするところの分外に出て業(わざ)をしようとすれば、必ず間違いがある。
 道庵先生ともあろうものが、ここで裸松のため、ほとんど、なぶり殺しの目に逢い出したのも、もとはといえば、自業自得(じごうじとく)。自業自得とはいいながら、その業(ごう)は酒がさせるわざです。ですからこれは、酒業自得(しゅごうじとく)というのが正しいでしょう。
 裸松は、道庵を突き飛ばしたり、引きずり廻したり、それをまた道庵は、すっかり負けない気になって、起き直っては、ひょろひょろしながら武者振りつくものですから、その恰好(かっこう)がおかしいといって裸松は、いい玩弄(おもちゃ)にして面白がっている。それでも玩弄にされているために、道庵は致命傷を免れているらしい。しかし、どちらにしてもこうして置けば、この際、仲裁に出て、わが道庵先生の危急を救おうとするほどの勇者が現われるはずはないから、道庵はみすみす弄(なぶ)り殺しになってしまう。
 江戸では飛ぶ鳥を飛ばした道庵ともあるべき身が、みすみす北国街道のはずれで、馬子風情の手にかかって一命を落すとは、なんぼう哀れなことではないか。
 いいかげん玩弄(おもちゃ)にして、もうヘトヘトになった道庵を、裸松は手近な井戸流しのところへ引きずって来ましたが、それでも、殺すまでの気はないと見えて、そこで道庵の頭から水を一つザブリと浴びせると、そこへ引き倒して、あり合わせた切石を取って、左様、目方が十四五貫もあろうというのを軽々と持って来て、俯伏(うつぶ)しに寝かした道庵の背中の上へ重しにかけました。
 ここで気息奄々(きそくえんえん)たる道庵は動きが取れない。石の重しをかけられて、首と両手と両足をもがくばかり。張子の虎のような、六蔵の亀のような形を、裸松はおかしがり、
「ザマあ見やがれ。おかげで暇つぶしをさせられた、さあ、今の三ぴん共、遠くは行くめえ……」
 そうしておいて帯をしめ直し、鉢巻を巻き直して、逃げた侍のあとを追いかけようとする。
 軽井沢の町では、鳴りをしずめて事のなりゆきを気遣(きづか)っているが、無論、たれひとり出て来ようとするものもない。
 時に重しをかけられた道庵が、有らん限りの声を出して叫びました、
「べらぼう様……おれを亀の子にしやがったな、よくも道庵に重しをかけて亀の子にしやがったな、手も出さず、頭も出さず、尾も出さず、身を縮めたる亀は万年……と歌にあるのを、それではいけねえから手も出しつ、頭も出しつ、尾も出しつ、身を伸ばしたる亀は万年……とよみ直した奴がある、おれをどうしようというんだ、伸ばしたらいいのか、縮んだらいいのか……ア痛、ア痛……」
 道庵は有らん限りの声でこういいながら、有らん限りの力ではねおきようとしたが、この時の力では、十四五貫の重しをはね返す力がありません。
「ア、痛ッ」
 刎起(はねお)きようとすると、いよいよメリ込むばかりです。
「ア、痛ッ、骨が砕ける……重てえ、卸(おろ)せ、卸せ」
と苦しがって叫びました。
「ザマあ見やがれ」
 裸松は鉢巻をしめ直しながら、道庵の上へ載せた重しの石へ片足を載せました。この足に力を入れれば道庵がギュウとつぶれる。
「米友……友様あ……」
 ここで初めて道庵が、助けの声をあげました。

         四

 時なるかな、宇治山田の米友は、峠の町から軽井沢の桝形(ますがた)の茶屋まで、真一文字に飛んで参りました。
「先生はどうした、おいらの道庵先生がこっちへ見えなかったかい……」
 ここに桝形の茶屋というのは、軽井沢の駅の上下の外(はず)れの両端に、桝形に石を築いた木戸があって、そこに数軒の茶屋が並んでいる。追分節の歌の文句の一つにも、
送りましょかい
送られましょか
せめて桝形の茶屋までも
とあるのがそれです。
「え、先生、あのお医者さんの、あなたがそのお連れさんでしたか。これはどうも、今お迎えに出かけましたところで……それでお気の毒ですが、時の災難と思召(おぼしめ)して下さいまし、まことにハヤ、なんとも……」
 木戸番と、宿から迎えに出た男衆とが、米友を見かけて、まずお見舞と、申しわけをするような口ぶりが、どうも合点(がてん)がゆきません。
「時の災難だって……?」
「まことにどうも……」
「おいらの先生は来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ」
「それが、どうも大変な事になっちまいましてね」
「何、何が大変だい――」
 米友が思わず意気込みました。
「だからお留め申したんですけれども、お聞入れがないもんだから、仕方がございません」
 宿の男衆が申しわけばかり先にして、事実をいわないものだから、米友がいよいよ急(せ)き込みました。
「おいらは申しわけを聞いてるんじゃねえぜ、先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞いてるんだぜ、来なけりゃ来ねえように、こっちにも了簡(りょうけん)があるんだからな」
「それがまことにどうもはや……」
「来たのか、来ねえのか。おいらの先生は下谷の長者町の道庵といって、酔っぱらいで有名なお医者さんだ、その先生がこっちへ来たか、来ねえか、それを聞かしてもらいてえんだぜ」
「へえ、おいでになりました、たしかにおいでになりました」
「そうか、それでおいらも安心した、そうして先生は、お前の家へ泊っているのかい?」
「へえ、手前共へお着きになりました、それからが大変なんでございます、まことに申しわけがございませんが……」
「お前のところへ泊って、それからどうしたんだい……何が大変なんだ」
 米友は事態の穏かでないことを察して、地団駄(じだんだ)を踏みました。何か変った事が出来たに相違ない。先生としては、世話が焼けた話だが、自分としては、職務に対して相済まないと、米友の胸が騒ぎ出しました。
「早く言ってくんねえな、おいらの大切な先生だ、何か間違いがあった日にゃ、おいらが済まねえ」
 米友はまるい目を烈しく廻転させますと、木戸番も、宿の男も、いよいよ恐縮して、
「まことにはや、飛んだ御災難で……先生が、お留め申すのもお聞入れないもんだから、つい悪い奴につかまってしまいなすって……」
「ナニ、おいらの先生が悪い奴につかまったって……? 冗談(じょうだん)じゃねえ、その悪い奴というのは何者だい、胡麻(ごま)の蠅か、泥棒か、それとも街道荒しの浪人者か。それがどうしたい、悪い奴につかまった? おいらの先生が、それからどうしたんだい?」
「ただいま、ひどい目にあっておいでなさいます……」
「何……? ただいまひどい目にあっておいでなさいますだって? ばかにしてやがら、ひどい目にあっておいでなさいますなら、ナゼ助けておやり申さねえのだ」
「それがどうも……」
 米友は、木戸番と、男衆を突き倒して、疾風の如く軽井沢の町へ駈け込みました。
「やい、やい、軽井沢にゃあ、宿役も、問屋も無(ね)えのかい、人がヒドイ目にあっているのを、助けるという奴がいねえのかい。冗談じゃねえ、おいらの先生をヒドイ目にあわせようという奴は、どこにいるんだ、やい」
 米友がこう叫んで歯がみをしながら、軽井沢の町の真中を走(は)せ通りました。
 またいけない! とその声を聞いた町の者が、再び顫(ふる)え上りました。あのお医者さんの連れというのが来たな、いいところへといいたいが、ほんとうに悪いところへ来た。一人でたくさんなのに、また一人ヒドイ目に逢いたがって来た。裸の松の怖るべきことを知らないで、相手になりたがって来た。いったい、気が利(き)かないじゃないか。桝形(ますがた)の茶屋の番人は何をしている。あそこで食いとめて、こちらへ入れないようにしたらよかりそうなものじゃないか。
 入って来た以上は、仕方がない――
 その時です。歯がみをして、軽井沢の町へ怒鳴り込んだ宇治山田の米友は、ふと足もとにころがる一つの提灯(ちょうちん)を見て、まず穏かでないと思いました。
 その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる菅公以来の加賀様の紋であって、その下に「御用」の二字。
 ああ、なるほど、わが道庵先生は、この加賀様なるものの手先にとっつかまって、難題を起しているのだなと、早くも感づきました。相手が百万石の加賀守では、駅の者も手出しができないで、その亡状(ぼうじょう)に任せているのだなと米友が気取(けど)ると、またも歯をギリギリとかみ鳴らしました。
 こういう場合の米友には、義憤と、反抗とがわいて、相手が強ければ強いほど、ふるい立つのを例とする。
 てっきり、これは百万石の加賀守のお供先が、何かの行違いで、わが道庵先生をつかまえて、暴圧を加えているのだな、とこう感づきました。それで彼は、この提灯の梅鉢の紋に向って、反抗の心が潮(うしお)の如くわき出したのです。
 しかし、これは少なくともこの際、米友の推察は立入り過ぎていました。邪推とはいわないけれども、筋道の考え方が生一本(きいっぽん)に過ぎていました。
 いわゆる百万石、加賀様の御威勢は、この街道に於て、そんな圧制なものではない。むしろ、その寛大と、鷹揚(おうよう)と、自然、金銀の切れ離れのよい大大名ぶりは、この街道筋の上下を潤(うるお)して、中仙道、一名加賀様街道といわれたほどに人気を占めていました。ついでにお気の毒ながら、その時分の下郎共の口の端(は)にのぼった悪(にく)まれ唄を紹介すると、
人の悪いのは鍋島薩摩、暮六ツ泊りの七ツ立ち
というのがその一つ。
お国は大和の郡山(こおりやま)、お高は十と五万石、茶代がたった二百文
というのもその一つ。
銭は内藤豊後守(ぶんごのかみ)、袖からぼろが下り藤
というのもその一つ。
 その他、参覲交代(さんきんこうたい)の大名という大名で、この下郎共の口の端にかかって完膚(かんぷ)のあるのはないが、百万石、加賀様だけは別扱いになって、さのみ悪評が残らない――
 だから、宇治山田の米友が、一途(いちず)に加賀守の横暴を憤(いきどお)り出したのは、筋違いでした。
 けれども、唇がワナワナと慄(ふる)えて、杖槍を握る手と腕が、ムズムズと鳴り出したのは、どのみち、相手が相手だから……という武者振いの類(たぐい)です。
 驀進(まっしぐら)に――但し、跛足(びっこ)を引いて、夕暮の軽井沢の町を、怒髪竹の皮の笠を突いて馳(は)せて行くと、
「友様……米友様……」
と助けを呼ぶの声。意外にも程遠からぬ路傍で起りました。
 見れば雲つくばかりの無頼漢。遠目で見てさえも、加賀様の御同勢とは見えません。

         五

「お、おいらの先生を、ど、どうしようというんだ?」
 米友はまず振別(ふりわけ)の荷物を地上へ投げ出しました。
 荷物を地上へ置くのと、その手にした杖槍を取り直したのと、どちらが早かったかわかりません。
 その独流の杖槍――穂のすげてない――は電光の如く、裸松のいずれの部分を突いたかわからないが、大の男の裸松が、物凄(ものすご)い声を出して後ろへひっくり返りました。
「先生、怪我はなかったか?」
 米友は早くも、道庵の背中の上の切石をはね飛ばして、それを介抱をしようとすると、道庵が桔槹(はねつるべ)のように飛び上りました。
「占(し)めた! もう占めたもんだ」
 飛び上って二三度体操をしましたから、それで米友も安心しました。
 それはそれで安心したが、安心のならないのは、ちょうどその時分、いったん後ろへひっくり返った裸松が、怖るべき勢いで起き直って来たからであります。
「野郎!」
 米友を一掴(ひとつか)みにして、引裂いて食ってしまう権幕で迫って来たその形相(ぎょうそう)が、人を驚かすに充分です。
 それは今、米友の一撃を、眉と眉の間に受けて、そこから血が流れ出したからです。
「何だ!」
 そこで、米友が一足さがって杖槍を再び取り直しました。
「野郎!」
 裸松は野獣の吠(ほ)えるような勢いをして、米友にのしかかって来たのを、米友が、
「ちぇッ」
と言って、その肩を右から打つと、裸松が再びひっくり返ろうとして、危なく踏みとどまりましたが、よほど痛かったと見えて、目をつぶって暫く堪(こら)えているところを、米友が下から顎を突き上げると、裸松が一堪(ひとたま)りもなくまた後ろへひっくり返って、暫くは起きも上ることができません。
 これは米友の手練(しゅれん)だから、どうも仕方がありません。無法で突くのと、手練で突くのとの相違は、心得さえあれば直ぐにわかるはず。いわんや一撃を食(くら)ってみれば、その痛さかげんでも、大抵わかりそうなものだが、この裸松にはわかりませんでした。自分が後(おく)れを取ったのは、つまり自分が力負けをしたものに過ぎない、不意を襲われたために、この小童(こわっぱ)にしてやられたのだ、用心してかかりさえすれば、なんの一捻(ひとひね)りという気が先に立つのだから、負けていよいよ血迷うばかりで、彼我(ひが)を見定めるの余裕があろうはずがありません。でも、この小童の手に持つ得物(えもの)の、思いもつけぬ俊敏さに業(ごう)が煮えたと見えて、三度目に起き直った時、路傍に有合わせた松丸太を握っていたのは、多分この丸太で、小童ともろともに、そのめまぐるしい得物を、微塵にカッ飛ばしてやろうとの了簡方(りょうけんかた)と見えます。
 この時、両側の店々では、戸を細目にあけたり、二階の上に立ったりして、街道中(かいどうなか)の騒動に眼をすましました。眼をすまして見ると、相手は相も変らず裸松だが、一人はホンの子供です。夕暮の町で遠くから見れば、米友の姿は、誰にも子供のようにしか見えないのだから、知らないこととはいいながら、気の強い子供もあればあったものと、舌を巻かないものはありません。
 裸松が、その松丸太をブン廻してもり返した時に、米友は、また少しばかり後ろへさがって、その杖槍を正式に構えて、円い眼をクルクルと廻して、裸松を睨(にら)みつけていましたが、ブンブン振り廻して来る丸太の鋭鋒が当り難しと見たのか、じりじり後ろへさがるものですから、見ているものが気を揉(も)み出すと、ウンと踏みとどまった米友が、歯切れのいい調子で、
「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑(あざわら)うのを聞きました。
 この場合、米友にとっての幸いは、弥次と見物とに論なく、すべてが米友の同情者であって、裸松が不人気をひとりで背負いきっていることでありました。
 同業者の馬方や駕籠舁(かごかき)でさえが、裸松に味方する者の一人も出て来なかったことは勿怪(もっけ)の幸いでした。まかり間違えば、以前、甲州街道の鶴川で、多数の雲介(くもすけ)を相手にしたその二の舞が、ここではじまるべきところを、敵に加勢というものが更に出て来ないから、米友としては自由自在にあしらいきれるので、それでこの男には似気(にげ)なく後ろへさがりながら、「やい、裸虫、ものになっちゃあいねえぞ」
と嘲笑ったものでしょう。
 米友の眼から見れば、法も、格も心得ていない奴が、力任せに、血迷って、無茶苦茶に丸太ん棒を振り廻して来るだけのものだから、打ち落そうとも、突き飛ばそうとも、どうとも思うままに料理ができるはず。それを知らないから、見物は気を揉み出したものと見える。
 しかし、見物に気を揉ませたのも、そう長い間のことではない。暫くすると、丸太は地上へ飛んで走り、大の男は三たび、地響きを打って地上へ倒れたまま、凄(すさま)じい唸り声を出して、起き上ることができません。
「先生!」
 そこで米友が道庵を呼びかけますと、道庵は泰然自若として、前に自分が重しにかけられた切石の上に腰をかけ、片手には、最初に問題を引起した提灯をひろい上げて、采配(さいはい)を振るように振りまわし、
「友様、御苦労……」
と叫びました。
 問題も、事件も、それで、すっかり解決がついたのです。道庵は凱旋将軍の態度で、意気揚々として宿屋の方へ引上げると、みんなが迎えに出て、早くも二人を取囲みました。
 その有様は、土地の疫病神(やくびょうがみ)を退治してくれた勇者をもてなすの人気ですから、二人も安心です。
 事件はこれで、一通り形(かた)がつきましたが、この事件から起った風聞というものは、全軽井沢の町を圧し、早くも善光寺平から、坂本の宿外(しゅくはず)れを走りました。
 この小勇者、米友の勇気に驚嘆する声が街道に満つると共に、最初逃げ隠れたお差控え候補の侍の弱さかげんを嘲るものもあれば、また、身分があれば相手を嫌うから、あれもまた無理のない態度だと弁護を試むるものもある。また今日、この軽井沢へ泊り合わせた客人のうちに、相当腕に覚えの人もあろうのに、検視に立会うことすらしなかったのは情けない――と嘆くもある。喧々囂々(けんけんごうごう)たるうちに、誰にもわからないのは、道庵先生なるものの了簡方(りょうけんかた)です。いったい、あの先生は強いのか、弱いのか、どういう了簡で裸松の喧嘩を買って出たのか、その了簡のわかったものが一人もありませんでした。ところが、当の道庵先生はいよいよ上機嫌で、
「なあに……わしが手を下すまでのこともねえのさ……弟子に任せておいて、ちょっとあのくらいのものさ。そりゃあそうと、怪我をさせっぱなしもかわいそうだから、ひとつその裸松様というのを見舞って上げずばなるまい」
と言って道庵は、群がる人をかきわけて、倒れている裸松の傍へよって診察をはじめましたから、皆々、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が利(き)かず、右の腕は打ち折られて用をなさなくなっていますから、気が立つだけで、仕返しをするの力は絶対にありません。生命に別条はないが、不具(かたわ)にはなるだろうとの診立(みた)てで、かえって土地の人が安心しました。
 こうして裸松は問屋場へ担(かつ)ぎ込まれる一方、道庵、米友の二人は、多数の人に囲まれて、胴上げをされんばかりの人気で、玉屋の宿へ送り込まれました。
 道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
 玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの小童(こわっぱ)の強かったことの評判です。
 いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、手真似(てまね)までして見せて、つまり、あの小童は棒使いの名人だということにおいては、誰も一致するようです。
 だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
 次に、道庵先生の評判になると、やっぱりあの先生は、気の知れない先生だという説が多く、また一方には、いかさま、その従者であり弟子である小童でさえ、あのくらい強いのだから、主人であり、先生であるあの飲んだくれの強さは、測ることができないのだと、真顔にいうものもありました。それが、どういう拍子で間違ったか、あの先生は、あれはつまりお微行(しのび)の先生だ、ああして浮世を茶にしてお歩きなさるが、実は昔の水戸黄門様みたいなお方に違いないと言い出すものがあると、
「なるほど……」
 すべてが、なるほどと頷(うなず)いて、それから道庵に対する待遇が、いっそう重いものになりました。
 いつもこういう際における道庵は、転んでもただは起きない結果をつかむ。
 道庵は、苦もなく水戸の黄門格にまで祭り上げられたが、その従者たる米友は、隠れたるお附添の武術の達人……特に子供のうちの鍛練者を択(えら)んでお召連れになったのだろうという想像や好奇心で、米友を見たいというもの、もう一度見直したいというものが、玉屋の家の前に溢れています。
 そのうち、誰が発見したか、裏手の方から流言があって、
「お坊っちゃんが、今、お湯に入っているところだ」
という報告がありました。
「それ行って見ろ!」
「お坊っちゃんが、お湯にはいっている」
 お坊っちゃんとは蓋(けだ)し、宇治山田の米友のことでしょう。薄暮にその姿を見ただけのものは、誰も子供だと思わぬものはない。その主人を黄門格にまで祭り上げた以上は、その従者をも相当の格に扱わなければならない。さりとてお侍ではなし、兄さんと呼ぶのは狎(な)れ過ぎる。本名は聞いていず、やむを得ず、米友を呼ぶにお坊っちゃんの名を以てしたのは、一時の苦しがりでありましょう。
 そうして、同勢が、目白押しに湯殿の方へ押しかけて、窓や羽目の隙間にたかって、先を争って、この小勇者の姿を見直しにかかりました。
「違わあ、子供じゃねえ……」
 まず覗(のぞ)いて見たほどのものが、風呂桶に浸(つか)っている米友の顔を、風呂行燈(ふろあんどん)の光で眺めて、案外の叫びをなしました。
 子供でもなければ、お坊っちゃんでもない、まさに老人である。いや老人かと思えば子供である。何とも名状すべからざる奇怪なる顔貌。まるい目をクルクルとさせて、
「覗いちゃいけねえよ」
 その声を聞いて、
「あ……」
 窓へのし上っていた二三人が崩れ落ちて、
「お化けだ……」
といいました。
 その時、風呂桶から全身を現わして流しに立った米友。身の丈は四尺、風呂桶の高さといくらも違わない。
「やっぱり子供だよ」
「いい身体(からだ)だなあ」
とドヨみ渡って感心したものがありました。その鉄片をたたきつけたような隆々(りゅうりゅう)たる筋肉、名工の刻んだ神将の姿をそのまま。その引締った肉体を見たものは、面貌の醜と、身長の短とを、忘れてしまいました。
 米友が風呂桶から流しへ出て、板へ腰をかけて洗いはじめた時に、さいぜん道庵先生を、桝形(ますがた)の茶屋から迎えてこの宿へ連れ込んだ、あだっぽい女が湯殿へ入って来て、
「お客様、お流し申しましょう」
と言って、かいがいしく裳(すそ)をからげて、米友の後ろへ廻りました。
「済まねえな」
 米友はぜひなく、その女に背中を流してもらっていると、外の弥次(やじ)が、
「お玉さん、しっかりみがいて上げてくんな」
と弥次りました。
「お黙りなさい」
 その女が叱ると、
「いよう――」
と妙な声を出し、
「可愛い坊っちゃんを、大事にして上げてくんな」
「うるさい、あっちへ行っておいで……」
「お玉さん、思い入れて磨いておあげ……そうして坊っちゃん、今晩はお玉さんの懐ろに入ってゆっくりお休み」
「あっちへ行っておいでってば――」
「やけます……」
「いよう! 御両人……」
 外が、無暗に騒々しいから、米友がムッとしました。
「お客様、お気にかけなさいますな、みんないい人なんですけれど、口だけが悪いんですから」
「ばかな奴等だなあ……何が面白くって、外で騒いでやがるんだ」
 米友が面(かお)を上げて窓の上を睨(にら)むと、そこにはいくつかの首が鈴なりになっている。
「兄さん――お前は子供なのかい、それともお爺(とっ)さんなのかい?」
 その鈴なりの顔の一つが叫ぶと、続いて他の一つが、
「裏から見れば子供で、表から見ればお爺(とっ)さんだから、これが本当の爺(とっ)ちゃん小僧というんだろう」
「ばかにしてやがらあ……」
といって米友が横を向くと、
「だけれど、強いなあ、お前さんは強い人だなあ――なりは小さいけれど、身体(からだ)が締ってらあ――」
と讃美の声を上げるものもありました。米友は、もう横を向いたきりで取合わないでいると、女がいきなり立って行って、
「ただでは見せて上げないよ」
といって、高いところの窓を、ハタと締め切ってしまいました。
「そりゃ、あんまり胴慾(どうよく)な……」
「お玉さん、お湯の中で水入らずに、しっかりみがいてお上げよ」
 窓を締められた弥次は、暗いところでなお騒々しい。
 その時、米友は立ち上って、
「もういいよ、おいらは湯から上っちまわあ」
 弥次のうるさいのに堪えられなくなったのでしょう。ぷりぷりしながら立って風呂へ入り、首だけを出し、思わず女の姿を眺めていたが、急に、
「あ……お玉!」
と言って舌をまきました。
 米友が渾身(こんしん)から驚いたのは、この女の面影(おもかげ)がお玉に似ていたからです。名をさえそのままでお玉というのは……いうまでもなく間(あい)の山(やま)以来のお君の前名でありました。その米友の異様な叫び声を聞いた女は、こちらを向いて、嫣乎(にっこり)と笑い、
「あら、もう、わたしの名を覚えて下すったの、嬉しいわ」
「お前の名は、お玉さんていうんだね」
「ええ……玉屋のお玉ですから覚えいいでしょう、忘れないで須戴な」
「あ……」
 米友は吾を忘れて感動しました。その時、外で弥次馬が、
「お安くねえぞ、御両人……」
 その声を聞くと米友が真赤になって、地団駄を踏みました。
 それ以来、あらゆる年頃の女がお君に見えてたまらない。幼ければ幼い時の面影に、年ばえは年ばえのように、婆は婆のように、宇治山田の米友には、夢寐(むび)にもその面影を忘るることができないでいたのに、ここへ来て、初めて正真のお玉を見ることができた。名さえそのままではないか……これがお玉でなくて誰だ。
 米友は口が利(き)けないほどに感動したけれど、それがほんとうにお君に似ているか、いないかは問題です。
 可憐なる米友は、その晩一晩中、このお玉の姿に憧(あこが)れてしまいました。給仕に来たのもこの女、床を延べに来たのもこの女。
「お玉さん……お前はな……」
と言ったきり、米友には口が利けませんでした。
「ホ、ホ、ホ、御用があったら、いつでもお呼び下さいな、この向うの突当りの部屋に休んでいますから。夜中でもかまいませんよ」
と女はあいそうよくいいましたが、不幸にして米友には、それ以上に挨拶をすることができませんでした。
 そこで、その夜もすがら、米友が煩悶(はんもん)を続けました。
 道中の旅籠屋(はたごや)の飯盛女(めしもりおんな)――昔はこれを「くぐつ」といい、今は飯盛、あるいは宿場女郎という。東海道筋でいってみると、五十三駅のうち、官許の遊女屋のあるのは駿河の弥勒町(みろくまち)だけで、あとは品川でも、熱田でも、要するに飯盛女――駅という駅に、大小美醜の差別こそあれ、この種類の女の無いというところはない。これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所図会(ずえ)の第五巻に記して曰(いわ)く、
「駅路の遊君は斑女(はんじょ)、照手(てるて)の末流にして今も夕陽(ゆふひ)ななめなる頃、泊り作らんとて両肌(もろはだ)ぬいで大化粧。美艶香(びえんかう)には小町紅(こまちべに)、松金油(まつがねあぶら)の匂ひ濃(こま)やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜(へちま)の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
云々(うんぬん)と筆を弄(ろう)しているが、名所図会という名所図会には、この駅路の遊君を不美人に描いたのは一つもない。ここの玉屋のお玉さんが、死んだお君に似ていたか、いないかは疑問ですけれども、玉屋の看板を背負って立つだけに、この駅では、指折りのあだっぽい女であったことは疑いがないらしい。
 水性(みずしょう)のお玉さんは、誰にも愛嬌を見せるように、米友にも最初から愛嬌を見せていました。というよりは、勇者としての米友を取持つ役を、ほとんどお玉さんひとりがとりしきってやっていたようなものですから、一緒に寝ようといえば寝もするし、夜もすがら語り明かそうといえば語り明かしもするし、どうでも米友の註文通りになったはずなのです。
 この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂が残っているから、いつかまたこの世へ生れて来るんだ、しっかりしろ」
 道庵先生は事実そう信じているのだか、米友があまりの生一本の鬱(ふさ)ぎ方を慰めるつもりの気休めだか知らないが、とにかく、こういう霊魂不滅説を説いて聞かせたことがあります。
 米友は、今もそれを、まともに思い出しているのです。こういう男の常として、一を信ずれば、十まで信ぜずにはおられません。
 それとは知らず道庵先生は、宵(よい)からグッスリと寝込んでしまって、翌朝、例刻には眼を醒(さま)したけれども、昨日(きのう)の疲れもあるし、第一、水をかけられた着物からして、乾かさねばならないから、モウ一日一晩、軽井沢に逗留(とうりゅう)することになりました。
 ところが、朝飯が済むと、もうノコノコと問屋場へ出かけて来て、裸松(はだかまつ)の診察にとりかかりましたものですから、宿(しゅく)の者が、いよいよ気の知れない先生だと思いました。
 それにも拘らず、先生は、裸松の病床でしきりに診察を試みながら、居合わす宿役人らをつかまえて気焔を上げているのは、宿酔い未だ醒めざるの証拠であります。
 一方、宿に残された宇治山田の米友は、一旦は起きたけれども、やがて荷物を枕に、身をかがめて横になってしまいました。多分、昨夜の夜もすがらの煩悶(はんもん)が、心をものうくしたものでしょう。この男は大抵の場合には、夜具蒲団(やぐふとん)を用いないで寝られる習慣を持っている。時として、せっかくの夜具蒲団をはねのけて、横になったところを寝床とするの習慣を持っている。
 今もまた、こうして畳の上へゴロリと横になっていると、夜来の疲れが多少廻って来たものと見えて、いつかうとうとと夢路に迷い入りました。
 その時の夢に、米友は故郷の間(あい)の山(やま)を見ました。自分の身が久々(ひさびさ)で故郷の宇治山田から間の山を廻(めぐ)っているのを認めました。
 久しぶりで、もう帰れないはずと思っていた故郷の土を踏んでみても、その土が温かではありません。相も変らず間の山は賑(にぎ)やかですけれども、その賑やかさが、少しも自分の身に応(こた)えて来ないのを不思議と思いました。周囲は花やかなのに、空気が冷たく自分の身に触れるのを、米友はじれてみました。
 故郷の地ではあるのに――こうも冷たい空気が流れて、通るほどの人が、みんなつれない色を見せる。さすがの米友も、誰を呼びかけて、何をいおうとの心も失せ、参宮道の真中の榎(えのき)の大樹の下に立つと、何かいい知れず悲しくなって、その大樹に身を寄せて面(おもて)を蔽(おお)うているうちに、いつしか、しくしくと泣いている自分を発見しました。
「君ちゃんがいねえ……ムク、ムクの野郎もいねえ……ムクやい、ムクはいねえのかよう」
と米友は、声立てて呼んだけれども、手拭を後ろに流し、黄八丈の着物に、三味線を抱えたお君の姿も出て来ない。そのあとに、影身のように附添うたムクも現われては来ない。間の山の盛り場では、提灯篝(ちょうちんかがり)の火が空を焦(こが)して、鳴り物の響きが昔ながらに盛んに響いて来るのに、自分の見たいと思う人と、聞きたいと思う声だけは、一つも現われて来ない。そこで米友は、
「ムク……おいらは今、間の山に来ているんだぜ、誰も迎えに出て来ねえのかい?」
 米友は天を仰いで号泣しようとする、その大榎の樹の枝に、一団の青い火が、上ろうとして上らず、下ろうとして下らないのを認めました。
「あれが魂というものだな」
 米友は身を躍(おど)らして、その青い一団の光を捉えようとする途端に、大風が吹いて来て、その光を大空へ吹き上げたから、ハッとして眼を醒(さ)ますと、自分の転寝(うたたね)をしていた身体の上へ、誰かふわりと掻巻(かいまき)を着せてくれた人がありました。
「風邪(かぜ)を引きますよ」
 障子のところに立っている女の姿を見ると、米友はムックリと起き直って、
「お玉さん!」
「ホ、ホ、ホ、どうもお気の毒さま、つい、お邪魔をして済みませんでした」
「玉ちゃん、いいからお入り」
「はい」
「ここへお入り、話があるから」
 米友は、ほとんど猛然として起き上って来て、お玉の袖を取りました。
「こわい人――この人は――」
 お玉は笑いながら、米友に引かるるままに、袖を引かれて来ました。

         六

 女軽業の親方のお角さんは、お気に入りのお梅ちゃんを連れて、浅草の観音様へ参詣の戻り道です。
「梅ちゃん、何ぞお望み、今日はなんでも好きなものを買って上げるから……」
「お母さん、千代紙(ちよがみ)を買って下さいな」
「千代紙――? ほんとにお前も子供だねえ」
 お梅の子供らしい望みを笑いながら、お角は雷門跡から広小路へ出ました。
 お角もこのごろは、痛(いた)し痒(かゆ)しの体(てい)で、興行は大当りに当ったが、お銀様というものに逃げられたのが癪(しゃく)で、金助をとっちめてみたところがはじまらない。
 ともかく、切支丹奇術大一座の興行を、一世一代として見れば、この辺で水商売の足を洗いたくもあったのでしょうが、どうも世間というものは、そう綺麗(きれい)さっぱりとくぎりをつけるわけにはゆかないと見え、お角に興行界を引退の意志があると見て、やれ馬喰町(ばくろちょう)に宿屋の売り物があるから引受けてみないかの、地面家作の恰好(かっこう)なのがあるから買わないかの、上方料理の変った店を出してみる気はないかの、甚だしいのは、両国の興行をそっくり西洋へ持ち出してみる気はないかのと、八方から話を持ち込んで来るので、お角もうるさくなりました。
 どのみち、娑婆(しゃば)ッ気(け)が多く生れついてるんだから仕方がない――尼さんにでもなってしまわない限り、水を向けられるように出来てるんだと、お角も諦(あきら)めはしたが、そうそうは身体(からだ)が続かないよといって、この機会にお梅を連れて、伊豆の熱海の温泉へ、湯治と洒落(しゃ)れ込むことに了簡をきめたのです。
 湯治に行く前に、お礼参りを兼ねて、今日は観音様へ参詣して、御籤(おみくじ)までいただいて来たのですが、もう一つお角の腹では、今度の一世一代が大当りの記念として、浅草の観音様へ、何か一つ納め物をしようとの考えがあって、額にしようか、或いはまた魚河岸の向うを張った大提灯でも納めようか、そうでなければ、屋の棟に届くほどの金(かね)の草鞋(わらじ)を、仁王様の前へ吊(つる)してみようかのと、お堂を廻(めぐ)りながら、そういう趣向に頭を凝(こ)らしに来たのです。
 お角の頭は、まだその趣向で、あれかこれかと悩まされ、往来の事なんぞは頓着なしに歩いて行くと、ある店の前でお梅がぴたりとたちどまって、
「まあ、いいわね」
 詠嘆の声を洩(も)らしましたので、お角もそれにつれて足を止めました。
 見れば、お梅は羽子板屋の前に立っている。
 まだ歳の市という時節でもないのに、この店では、もう盛んに羽子板を陳列している。江戸ッ子のうちでも途方もなく気の早いせいでしょう。それで、この十月までの各座の狂言のおもな似顔が、みんなここへ寄せ集められている。さてこそ、お梅は立去れないので、
「まあ、いいわね」
を譫言(うわごと)のようにいっていると、
「梅ちゃん、どれがいいの?」
 お角から尋ねられたのを上(うわ)の空(そら)で、
「どれもこれもみんないいわ」
「いちばんいいのをお取り」
「いいえ、わたし、千代紙でたくさんなのよ」
「この嫗山姥(こもちやまうば)がいいだろう」
「まあ……」
 お梅は仰天してしまいました。その五彩絢爛(ごさいけんらん)たる八重錦の羽子板の山の中で、いちばん優(すぐ)れて、いちばん大きい嫗山姥、まさか買って下さいともいえないが、買って下さるはずもないとお梅が仰天している間に、お角は番頭に交渉し、さっさとその大一番の嫗山姥を買取って、お梅に持たせたから、お梅がひとごとではないと思いました。
 お角は相変らず奉納の趣向を考え、お梅は有頂天(うちょうてん)になって、駒形通りへ出ました。
 お角が駒形堂の前へ来ると、ちょうどその船つきへ小舟が着いたところで、幾多の人がゾロゾロと河岸(かし)へ上りました。
 そのなかに、お角の眼をひいたのは、図抜けて大きな人が、西洋の蝙蝠傘(こうもりがさ)をさして上って来たことで、蝙蝠傘の流行は、今ではさして珍しいことではないが、まあ、どちらかといえば非常なハイカラな、新し好みの人に多かったのを、これは実にバンカラな人が、その流行ものの傘をさして、のこのこと出て来たから、それで一層お角の目を惹(ひ)いたのでしょう。お角ばかりではない、誰でもみんな、そちらを眺めました。
 この大男は誰あろう、足利(あしかが)の絵師、田山白雲でありました。しかも、これは房州戻りそうそうの、江戸の土を踏んだ初めての見参(げんざん)なのですが、さすがの白雲も、芸術家並みに頭の古いといわれるのを嫌がって、それでハイカラの傘を仕込んで来たと見るのは僻目(ひがめ)で、これは洲崎(すのさき)の駒井の許を立つ時に貰って来たのでしょう。それもハイカラのつもりで貰って来たのではなく、日のさす時は日除けになり、風の吹く時は風除けになり、雨の降る時は無論、結構な雨具に相違ない。その上折畳みが自由に利(き)くから、実用無類の意味で、駒井の物置から探し当てたものとも思われます。
 とにかく、こうして蝙蝠傘(こうもりがさ)をさして、ゆらりと江戸の浅草の駒形堂の前の土を踏んだ白雲の恰好(かっこう)は、かなりの見物(みもの)でありました。それは、頭の上だけは例の大ハイカラ蝙蝠傘で新し味を見せているが、頭から下は以前といっこう変ったところがありません。六尺豊かの体格に、おそろしく長い大小を横たえて、旅の荷物を両掛けにして、草鞋(わらじ)脚絆(きゃはん)厳(いか)めしく、小山の揺(ゆる)ぎ出たように歩き出して来たものですから、新しい人だか、古い人だか、ちょっと見当がつかなくなりました。
 しかし、当人はいっこう気取った様子もなく、のこのこと歩いて、やがてお角とすれすれの所まで来まして、さて、これから、江戸のいずれの方面に向って歩みを移そうかと、ちょっと思案の体(てい)に見えました。
「モシ、あの、ちょっと失礼でございますが……」
と、その異様な人物に、まず物をいいかけたのはお角でありました。
「あ、何ですか?」
と蝙蝠傘の主(ぬし)は、あわただしく下界を見下ろすように身をかがめて返事をしますと、
「つかぬことを承るようでございますが、あなた様は房州の方からおいでになりましたのですか?」
「あ、房州から来ましたよ」
 白雲は、この女の姿を見下ろして、それがよくわかったなと言わぬばかりの顔色です。
「房州は洲崎からおいでになりましたのでしょう」
「ええ、洲崎から来ましたが、それが、どうしてわかります」
 白雲は、自分の蝙蝠傘にそれが記してあるのではないかとさえ疑いましたが、黒張りの傘に、無論そんな文字はありません。
「あの洲崎は駒井能登守様のお仕事場からおいでになりましたね」
「ど、どうして、そのことまで、お前さんにわかりますな」
「ホ、ホ、ホ……」
とお角が笑いました。田山白雲は、いささかどぎまぎして、
「お前さんは千里眼かい?」
「いいえ、あなた様の差しておいでになるお脇差が、ついこの間、駒井の殿様のお差料と同じ品でございますものですから」
「なるほど、これが……」
と言って田山白雲は、左の片手で差している脇差を撫で廻し、
「細かいところへ眼が着いたものだなあ、こりゃ駒井氏から貰った品に相違ござらぬ、絵を描いてやったそのお礼に、駒井がこの脇差を拙者にくれました……拙者ですか、拙者は足利の絵師、田山白雲というものです」

 まもなくお角は、田山白雲を柳橋北の川長(かわちょう)へ連れて行って御馳走をしました。
 お梅はそこで別れて、いいかげんの時分に迎えに来るといって宅へ帰りました。
 白雲は少しも辞退せずに、お角の饗応(きょうおう)を受けて、よく飲み、よく食い、よく語りました。
 房州で駒井甚三郎の厄介になっていたことを逐一(ちくいち)物語ると、お角も自分が上総(かずさ)へ出かけて行った途中の難船から、駒井の殿様の手で救われたこと、それ以前の甲州街道の小仏の関所のことまでも遡(さかのぼ)って、話がぴたりぴたりと合うものですから、お角も喜んでしまって、
「ねえ、先生、今日は観音様のお引合せで、大変よい方にお目にかかれて、こんな嬉しいことはございませんよ」
「拙者も御同様、御同様……」
「先生、これを御縁に、わたくしは一つお願いがございますのよ……」
「なんです、そのお願いというのは?」
「先生、わたしに一つ絵を描いていただきたいのですよ」
「絵描きに絵を描けというのは、水汲(みずくみ)に水を汲めというのと同じことです、何なりと御意(ぎょい)に従って描きましょう」
「ねえ、先生、額を一つ描いて頂けますまいか?」
「額? よろしい。神社仏閣へ奉納する額面ですか、それとも家の長押(なげし)へでも掛けて置こうというのですか」
「先生、ひとつ念入りにお願いしたいんですが。一世一代のつもりで――」
「一世一代――? なるほど」
「実は、先生、わたしは今日もそれを検分かたがた御参詣に参ったのですが、あの浅草の観音様へ納め物をしたいと、疾(と)うから心がけていたんでございますよ……そうして何にしたらよかろうか、さきほどまでいろいろ考えていたのですが、先生のお話を伺っているうちに、すっかり心がきまってしまいました」
「なるほど」
「観音様のお引合せのようなものですから、ぜひ先生にお願いして、器量一杯の額を描いていただいて、それを観音様へ納めようと、こう心をきめてしまいました。先生、もうお厭(いや)とおっしゃっても承知しませんよ」
「なるほど、なるほど。そういうわけなら、拙者も一番、器量一杯というのをやってみましょう……そこで註文はつまり、その額面には何を描いて上げたらいいのかね?」
「先生、納める以上は、今迄のものに負けないのを納めたいと思います」
「左様――あすこにはあれで、古法眼(こほうげん)もいれば、永徳(えいとく)もいるはず。容斎(ようさい)、嵩谷(すうこく)、雪旦(せったん)、文晁(ぶんちょう)、国芳(くによし)あたりまでが轡(くつわ)を並べているというわけだから、その間に挟まって、勝(まさ)るとも劣るところなき名乗りを揚げようというのは骨だ」
「だって、先生、できないということはありますまい」
「拙者には少々荷が勝ち過ぎているかも知れないが、拙者も同じ人間で、絵筆を握っている以上は、できないとはいわない」
「ああ嬉しい、その意気なら先生、大丈夫よ」
「ところで、画題は……何を描いて納めたいのだね、その図柄によって工夫もあるというものだ」
「先生、わたしの望みは少し変っていますのよ」
「うむ」
「わたしは、ひとつ、ぜひ、切支丹(きりしたん)の絵を描いていただいて、納めたいと思っているのでございます」
「え、切支丹だって?」
「わたしの一世一代が、切支丹奇術の大一座というので当ったんですから、それを縁として……」
「いけない」
と白雲が膠(にべ)なくいいました。
 白雲から素気(すげ)なくいわれて、お角は急に興醒(きょうざ)め顔になり、
「なぜいけないんでしょう」
「切支丹の額を、観音様へ上げるという法があるか」
「切支丹の額を、観音様へ上げてはいけないのですか」
「それはいけない」
「どうしていけないのです」
 白雲が太い線でグングンなすってしまうものだから、負けない気のお角が黙ってはいられないのです。
「どうしていけないたって、第一、観音様と切支丹は宗旨(しゅうし)が違う」
「いいえ、先生、そりゃ違いますよ。観音様は、どの宗旨でもみんな信仰をなさる仏様だっていうじゃありませんか」
「ところが、切支丹ばかりはいけない」
「観音様は、切支丹がお嫌いなんですか」
「嫌いだか、好きだか、そりゃ吾々にはわからないが、第一坊主が承知しない」
「和尚さんが?」
「左様――切支丹の額なんぞを持ち込もうものなら、観音の坊主が、頭から湯気を立てて怒るに相違ない」
「わかりませんね、そんな乱暴なことがあるもんですか。ごらんなさい、あそこの額のなかには、一(ひと)つ家(や)の鬼婆あや、天子様の御病気に取憑(とりつ)いた鵺(ぬえ)という怪鳥(けちょう)まであがっているじゃありませんか、それだのに、切支丹の神様がなぜいけないんでしょう?」
「まあ、そういう理窟は抜きにして、拙者の言うことをお聞きなさい、神社仏閣へ奉納する額面には、額面らしい題目があるものだ、あながち、切支丹でなければならんという法もあるまいではないか」
「ですけれども、わたしには、切支丹の女の神様が、子供を抱いているところの絵が気に入りました、わたしのところへ来たあちらの芸人が持っていたあれが――油絵具で、こてこてと描いてあるんですけれど、ほんとうに活(い)きているように描けてあります、あんなのを一つ、先生にお願いして納めたら、今までとは全く趣向が変っていますから、どんなに人目を惹(ひ)くか知れやしません」
「ふーむ」
 そこで田山白雲が、もう争っても駄目と思ったのか、沈黙して考え込んでしまいました。
 つまり頭の置きどころが違うのだ。この女の額面を上げようという意志は、なるべく趣向の変った、人目を奪うような意味で、旧来の額面を圧倒しようという負けず根性から出ているので、画面の題目や、絵の内容などには一切おかまいなしである。ここは争っても駄目だ。白雲は沈黙してしまいましたが、しかし物はわからないながら、この女の気性(きしょう)には、たしかに面白いところがあると思いましたから、
「よろしい、その切支丹をひとつ描きましょう」
と言いました。これが負けず嫌いのお角を喜ばせたこと一方(ひとかた)でなく、相手をいいこめて、自分の主張が通ったものでもあるように意気込んで、
「描いて下さる、まあ有難い、それで本望がかないました」
 それから一層心をこめて白雲を款待(もてな)しました。白雲も久しぶりで江戸前の料理に逢い、泰然自若(たいぜんじじゃく)として御馳走を受けていましたが、今宵は、いつものように乱するに至らず、ひきつづいて駒井甚三郎の噂(うわさ)。駒井のために一枚の美人画を描いてやったが、それが、自分ながらよく出来たと思い、駒井も大へん気に入って、この脇差をくれたということ。それから、いいかげんのところで切上げる用心も忘れないでいると、お角が、
「ねえ先生、お差支えがなければ、わたしどもへおいで下さいませんか、二階が明いておりますから、いつまでおいで下さっても、文句をいうものはございません、そこで、どうか精一杯のお仕事をなすっていただきとうございます」
 お角は背中の文身(ほりもの)を質においても、奉納の額に入れ上げる決心らしい。

         七

 田山白雲がお角の宅へ案内されて、二階のお銀様の居間であったところに納まると、お角はとりあえず、かなり大きな二つの額面を戸棚から出して、白雲の前に立てかけました。
 この二つの額面は、この間中、ジプシー・ダンスをやっていた一座が持って来たのを、記念の意味で太夫元(たゆうもと)にくれたものであります。
 白雲が泰然自若として坐り込んで、睥睨(へいげい)している眼の前で、お角は自身そのカーテンを巻き上げると、
「うーむ」
といって白雲が長く唸(うな)りました。
 唸りながら、白雲は両の拳を両股の上へ厳(いかめ)しく置いて、
「うーむ」
と首を傾けた。その絵は、白雲の眼光を以てしても、急には届きかねるものでありました。
「これは子安観音(こやすかんのん)の絵だ」
 画様を説明すれば、まずそういったようなものでしょう。さいぜんからお角が、再々キリシタン、キリシタンを口にしたればこそ、これがいわゆるキリシタンの油絵というものかと思われる。
 けれども白雲の見るところは、それが観音であろうとも、キリシタンであろうとも、信仰の上から見比べて、かれこれと考えているのではなく、この男はこの時、初めて本物の油絵というものを見ました。
 実は今までも、再々油絵というものを見ているのです。西洋の絵の面影(おもかげ)も霞(かすみ)を透して珠(たま)を眺めるような心持で堪能(たんのう)して見ないということはありません。第一期天草(あまくさ)の前後のことは知らず、中頃、司馬江漢あたりの筆に脱化された洋画の趣味も捨て難いものだと思いました。また最近に於て、外国の書物の挿画(さしえ)として見たり、また写真銅版等の複製によって覗(のぞ)いてみたりした洋画に、驚異の念を持たせられたことも一再ではありません。
「そうだ、西洋の絵の長所は形似(けいじ)だ、形を似せることに於ては、われわれはきざはししても及ばないかも知れない、この遠近、この人体、空気の色、日の光の陰影をまで、かくも精巧に現わすのは、絵というよりもこれは技術だ、形似が絵というもののすべてでない限り……」
 そこで白雲の面(おもて)には悠然たる微笑が湧き、墨の一色を以て天地の生命を捉えるの芸術を、讃美礼拝するの念が起る。
 それが、今、こうして本物の油絵を見ているうちにわからなくなる。
 わからないのは、これによってあえて自信が崩れたわけではないが、これは今まで見た油絵とは少しく勝手が違う……なるほど、素人目(しろうとめ)で見て、これをこのままあの観音へ納額してみたらば、さだめて異彩を放つであろうと思うのも無理がない――こういった絵を納めてみたいと願うのは、あながち奇を好む素人考えとのみはいわれない。ただに浅草観音の納額として見るにとどまらず、この絵をとって、現代のあらゆる流派の展覧の中へ置いて見たら、どんな感じがするだろう、と白雲はそれを考えました。
 そうして、次にその一枚を取除くと、従って現われた第二枚。
「うーむ」
 それを白雲は、またも長く唸(うな)って眺め入り、
「どうも、わからない、珍しい見物(みもの)だ」
と繰返して呟(つぶや)きました。
 いよいよわからなくなりました。これは以前の油絵とは違っているが、たしかに一種の絵具で描いてあります。そうして画風も全く変っており、時代も、それよりはずっと古いのみならず、絵の輪廓[#「輪廓」はママ]の要部が線で描いてあることが、白雲を驚かせました。
 西洋画の驚異は色と形である、東洋画の偉大は線と点とである、というように信じきっていた白雲の眼には、この線と色とを調合した異風の絵に会して、わからなくなったのも無理はありません。時代でいえば十四世紀から十五世紀頃の物でしょうが、それすら白雲にはわからない。
 その翌日から田山白雲は、右の一間に納まって、二つの洋画の額面をかたみがわりに睨(にら)めておりました。
 お角が、お梅と、男衆とを連れて、熱海へ旅立ったのは間もないことです。
 留守中の万事は抜かりなく整えておいて、別に若干の金を白雲のために供(そな)えて立ちましたが、その後で封を切って見ると、五十両あったので、さすがの白雲も、この女の気前のよいことに、ちょっと度胆を抜かれた形であります。そこで、その金は、そっくり故郷の足利にいる妻子に送り届けることにしておいて、またも例の額面と睨めっこです。
 油でない方の一方の額が、どう睨めてもわからない。時代がわからない。描き手がわからない。描かれている人物がわからない。ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして凄惨(せいさん)な表情。そうして見ているうちに、温和があり、威厳がある半面の相。
 知られる限りの道釈のうちにも、英雄の間にも、この像に当嵌(あてはま)るべき人物を見出すことができない。世間には、わかってもわからなくても、どうでもいい事がある。ぜひともわかりたいことがある。どうしてもわからせねばならぬ事もある。すべてに於て極めて無頓着な田山白雲。時としては飢えに迫る妻子をすら忘れてしまうこの放浪画家も、事ひとたび、その天職とするところの事に当ると、かなり苦心惨憺する。今や、この第二の絵について、何事をかわかりたいとして、その一つをさえ、わからせることができないで苦心惨憺を続けている。
 わからないのは知識だけである。知識の鍵を握りさえすれば、芸術に国境はないのだから、いいものはいい、悪いものは悪いとして、当然自分の鑑賞裡にくだって来るに相違ないが、知識そのものがないから何とも判断のくだしようがない。
 芸術に国境は無いというありきたりの言葉を念頭に置きながら、田山白雲は東洋の芸術がわかって、西洋の芸術の知識の暗いことに、自分ながら不満と焦燥とを感じ、さて、芸術という流行語を繰返して、なんとなく擽(くすぐ)ったい思いがしました。
「芸術」という流行語の起りは今に始まったことではない。享保十四年の版本、樗山子(ちょざんし)というものの著述に「天狗芸術論」がある。これは剣法即心法を説けるもので、なかなか傾聴すべき議論がある。芸術の文字が流行語となりはじめたのは多分その辺で、その後、幕府が講武所を開いた趣意書のうちに、旗本の子弟、次男、三男、厄介に至るまで、力(つと)めて芸術を修業せねばならぬと奨励している。水戸中納言の弟、余九麿を一橋殿へ呼び寄せる時のお達しも、芸術のお世話ということで許されている。けれどもそれが今のように流行語となったのは、ある時、三日月という侠客が日本橋あたりで、勤番の侍と喧嘩をし、
「うぬ、三ぴん、待ちやあがれ」
と言って、その侍を十余人というもの、瓜(うり)か茄子(なす)をきるように、サックサックと斬り伏せたのが評判になると、弟子を連れてこれを検分に出向いたある剣術の先生が、
「よく斬りは斬ったが、芸術になっていない」
というと弟子共が、
「なるほど、芸術にはなっておりませんな」
と追従(ついしょう)をいったことから始まって、芸術になっている、いないということが、花柳界にまで流行語となり、猫も杓子(しゃくし)も芸術芸術といい出したものだから、ある男が、
「芸術とは何だね」
 トルストイでもいいそうなことをいい出して、彼等を狼狽(ろうばい)させたこともありました。
 夜になると田山白雲は、お銀様の寝た縮緬(ちりめん)の夜着蒲団(よぎふとん)の中へ身を埋めながら、そんなことを考えて笑止(しょうし)がり、問題の画面に向っては、厳粛な眼を据(す)えておりました。
 女興行師のお角の残して行ったものは、田山白雲にとっては由々(ゆゆ)しき謎でありました。しかも本人が、謎とも、問題ともせずして、投げつけて行ったところが奇妙です。
 これがために、田山白雲がさんざんに苦しめられているところは、笑止の至りであります。
 顧□之(こがいし)であろうとも、呉道玄(ごどうげん)であろうとも、噛んで歯の立たないという限りはないが、こればかりは、つまり、知識の鍵が全く失われているから、見当のつけようがないのです。
 そこで、一旦、白雲は戸外へ出てみました。古本屋漁(あさ)りをして、もしや、それらしい横文字を書いた書物でも見つかったら――と何のよりどころもない果敢(はか)ない心頼みで、暫く街頭を散歩してみましたけれど、如何(いかん)せん、その時代の書店の店頭に、西洋美術の梗概(こうがい)をだも記した書物があろうはずがありません。
 よし、まぐれ当りに、蕃書取調所(ばんしょとりしらべしょ)あたりの払い下げの洋書類の中にそんなのがあったとしても、不幸にして田山白雲にはそれを読む力がありません――せめてあの駒井甚三郎氏でも近いところにいたならば、自分が東洋画に就(つ)いての意見を吹込んだ人に向って、逆に西洋画の見当を問うのは、いささか気恥かしいようでもあるが、尋ねてみれば相当の当りがつくかも知れないが、今のところでは、皆目(かいもく)、暗夜に燈火(ともしび)なきの有様で、いよいよ白雲の不満と歯痒(はがゆ)さとを深くするに過ぎません。そこで、街頭から空しく立戻って、再びかの油でない方の画面を篤(とく)と見入りました。
 知識は必ずしも芸術を生ませないが、知識なくしては芸術の理解が妨げられ、或いは全く不可能になるということを、白雲はここで、つくづくと思い知らされたようです。
「おれは、これから外国語をやらなくちゃならない、オランダでも、イギリスでもかまわない、どこか一カ国の西洋の文字を覚え込んでおかないことには……」
 白雲は暫く考えていたが、二度目に街頭へ出かけて行った時には、一抱えの書物を買い込んで来ました。見れば、それがみんな幼稚な語学の独(ひと)り案内のようなものであります。明日といわずに、白雲はその場でアルファベットの独修を始めてしまいました。
 実際、白雲が知識の足らないために、芸術を理解することの妨げを痛感して、泥棒を捉まえて縄を綯(な)うよりも、モット緩慢な仕事を、この画面の前で始めたのは、事のそれほど、画面そのものが白雲の研究心を誘う力あるものと見なければならない。わかっても、わからなくても、この画には非凡な力があるものに違いない。
 偶然は時として大きな悪戯(いたずら)をするものですから、もし、かくまで白雲を苦心煩悶せしめる後の方の絵が、十三世紀から十四世紀へかけての西洋の宗教画であって、それが何かの機会(はずみ)で浮浪(さすらい)の旅役者の手に移り、海を越えて、この女興行師の手に渡って、珍しい絵看板同様の扱いを受けつつ、卓犖(たくらく)たる旅絵師の眼前に展開せられたものとしたら、その因縁(いんねん)はいよいよ奇妙といわねばならぬ。
 十三世紀から十四世紀の西欧の宗教画といえば、美術史の一ページを繙(ひもと)いたほどのものは、誰でも復興の幕を切って落したチマブエと、その大成者である大ジョットーを知らないものはない。当時にあっては、宗教画はすなわち美術の全部でありました。ジョットーは、そのいわゆるフレスコの大きなものを後世に残したほかに、小さな額面を作らないではない。今日でもその額面のほとんど全部はヨーロッパにも絶えているが、もしそれが偶然、こうしてこんなところへ落ちて来たとすれば、それこそ破天荒(はてんこう)の怪事――仮りにその謙遜な門弟の筆になり、後人の忠実な模写であるとしたところが、白雲の胸を刺して煩悶(はんもん)懊悩(おうのう)せしむるには充分でしょう。
 今日も、明日も、白雲は額面の前で、エイ、ビー、シーを習い出し、頼まれた仕事を始める気色(けしき)がありません。

         八

 田山白雲の身の廻りのことは、三度の食事から、蒲団(ふとん)の上げ下ろしまで、痒(かゆ)いところへ手の届くように世話してくれる者があります。
 それは主として、両国橋の女軽業の一座の手のすいた者が、入代り立代りして、親方からいいつけられた通りにするものですから、不足ということはありません。
 もっとも、今では両国橋の一座は手代の方に任せて、お角は直接に立入らないことにしているが、後見としてのお角の眼が光らない限り、立ちゆかないことになっているのですから、お角のいいつけによって働く人は、白雲を尊敬して、それに侍(かしず)くこと、至れり、尽せりの有様です。
 ところが、この絵描きは、豪傑の資質を備えていて、女軽業の美人連もうかとは狎(な)れ難いものがある。ことに親方からは絵の先生だと言い渡されていたのに、この先生は絵をかかないで、横文字を書いている。
 ある時、当番の美人連の一人が、怖る怖る傍へ寄って来て、
「何をお書きになっていらっしゃいますの?」
「ドロナワだよ」
 この返事で二の句がつげないでいると、白雲先生は、
「ドロナワといって、つまり、泥棒を捉まえて縄を綯(な)っているんだ」
「へえ……」
 女は思わず白雲の手許を覗(のぞ)き込むようにしましたが、別段、縄らしいものも見えず、相変らずクチャクチャと横文字を書いているから、一切わけがわからないで、
「縄をお綯いなさるなら、麻を持って参りましょうか?」
と続いて、怖る怖る伺いを立てると、白雲が釣鐘のような大きな声で、
「あ、は、は、は……」
と笑い出したので、忽(たちま)ち吹き飛ばされてしまいました。
 吹き飛ばされた美人連の一人は、両国橋の楽屋へ来て吐息をついて、
「いけないのよ、嘘よ、あんな絵描(えか)きがあるもんですか、ありゃ豪傑ですよ」
「どうして?」
「泥棒を捉まえるんですって」
「そうなの、わたしも訝(おか)しいと思った、絵描きだ、絵描きだ、といって、ちっとも絵を描かないじゃありませんか」
「絵描きじゃないのよ、親方も変り者だから、あんなことをいって、仮りに絵描きとして世話をして置くんでしょう、ほんとうは豪傑なのよ」
「わたしも、豪傑だろうと思ったのさ」
「だからね、わたしたちじゃお歯にあわないから、力持のお勢さんを、あのお客様の接待係専門にしてしまおうじゃないか」
 こんなことをいって、力持のお勢さんがちょうど、当番の日。
 この日、白雲は、どこかでローマ字綴りの仮名(かな)をつけたのを、半紙へ幾枚か墨で書いてもらって来て、それを練習している。その時分、市内を訊(たず)ぬればしかるべき蘭学や、英語の塾はあるべきはず。それに入学して師につくの順序を厭(いと)うて、どこまでも独学で行くの寸法らしい。凝(こ)り出すとこの男も寝食を忘れる性質(たち)で、力持のお勢さんが来ても脇目もふらない。
 力持のお勢さんも、この人にはなんだか畏敬(いけい)が先に立つと見えて、お給仕の時も冗談が一ついえないで堅くなっている。
 夕方、二階へ明りをつけに行って、恭(うやうや)しく引きさがって、自分は長火鉢の前に頬杖ついて留守居していると、
「今晩は……」
と訪れの声がして、格子戸がガラリとあきましたが、お勢さんは立たないで、
「どなた?」
と言いました。多分心安立(こころやすだ)ての仲間うちが来たものと思ったのでしょう。
「御免なさいよ」
 それは聞いたような声でしたけれど、女ではありません。
「お入りなさいな」
 お勢さんはまだ立たないで、返事だけをしました。
 そこで、障子をあけて、
「御免よ」
といって顔を出した男を見て、力持のお勢さんがハッと驚きました。
「まあ、がんりきの兄(にい)さん」
「お勢ちゃんかい」
「なんて、お珍しいんでしょう」
 お勢さんは、大きな体を揺(ゆす)ぶって出て来ました。
「すっかり御無沙汰(ごぶさた)しちゃったね」
 がんりきの百蔵は、唐桟(とうざん)の半纏(はんてん)かなにかで、玄冶店(げんやだな)の与三(よさ)もどきに、ちょっと気取って、
「時に、これはどうしたい」
といって親指を出して見せると、
「親方はお留守なんですが、まあお上りくださいましよ」
「留守かい」
「ええ、お留守でございますが、まあお上りなさいまし」
「すぐ、帰るかね」
「いいえ……ちょっと旅へお出かけなすったんですから」
「旅に出たって? おやおや」
 がんりきは、やや失望の体(てい)で上り口に佇(たたず)んでいると、お勢さんは、
「兄さん、どうなすったのだろうと、みんなで心配していましたわ」
「なにかえ、親方は旅に出たって、どっちの方へ行ったんだろう」
「箱根から熱海の方へ……」
「洒落(しゃれ)てやがらあ」
 がんりきは少々興醒(きょうざ)め顔をして、
「まあ、仕方がねえや、それじゃお留守にひとつお邪魔をすることにして……」
といいながら、ちょっと後ろを顧みて、
「兄(にい)や、さあ、おいで、いいから安心しておあがり」
 自分が手を引いて連れ込んだのは、今まで障子の蔭にいて、お勢には見えなかった一人の子供。
 それを見ると、お勢さんが重ねて驚いてしまいました。
「おや、お前は茂ちゃんじゃないの?」
「ああ」
「茂ちゃん、お前という子は、ほんとにどこへ行ってたんですよ」
 お勢は、まじまじと茂太郎の顔を眺めて、窘(たしな)めるようにいいますと、茂太郎は恥かしそうに、また怖気(おじけ)づいているように、がんりきの後ろへ隠れて返事をしない。
「こういうお土産(みやげ)があるから、図々しくも、やって来てみる気になったのさ」
とがんりきは、早くも長火鉢の前に坐り込んでしまいました。
 茂太郎は、やはりその蔭に小さく坐って、もじもじしている。
「ほんとに、茂ちゃん、お前という子もずいぶん人騒がせね。お母さんはじめ、どのくらい、心配して探したか知れやしません。いい気になってどこを歩いていたの……?」
 お勢のいうことが、出戻りを叱るような慳貪(けんどん)になったので、がんりきが、
「まあ、そう、ガミガミいうなよ、なにもこの子が悪いというわけじゃねえや、連れて逃げたあの小坊主が、知恵をつけたんだから、何もいわず、元々通り、可愛がってやってくんな」
「なにも、わたしが叱言(こごと)をいう役じゃありませんが、あの人気最中に、逃げ出すなんて、親方の身にもなってみてもあんまりだから、つい……」
「ところで……」
 がんりきは長火鉢の前に脂下(やにさが)って、
「湯治と来ちゃあ二日や三日じゃあ帰れめえが、お勢ちゃんが留守番かい?」
「いいえ、わたしが留守番ときまったわけじゃありませんの、二階にお客様がおいでなさるもんですから……」
「お客様……」
といって、がんりきの百が変な顔をして、二階を見上げました。
「そのお客様てえのは……?」
 がんりきの言葉尻が上って来るのを、
「絵の先生ですよ」
 お勢は何気なく答えたが、がんりきの胸がどうも穏かでないらしい。
「絵の先生が、お留守番なのかい?」
「お留守番というわけではありませんが、親方がお泊め申して置くもんですから、わたしたちが毎日隙を見ちゃあ、こうして入代り立代り、お世話に上るんですよ」
「へえ、なるほど……」
 がんりきの胸の雲行きが、いよいよ穏かでないらしい。
 というのは、このがんりきという男と、お角とは、一時盛んに熱くなり合ったことがある。しかし、それはこういう輩(やから)の腐れ合いで、いくら逆上(のぼせ)てもおたがいに目先の見えないところまでは行かない。お角も、再び一本立ちになって、これだけの仕事を切って廻すようになってからは、がんりきのような男を近づけては、第一、使っている人たちのしめしにもならないし、がんりきの方でも、少しは焦(じ)らしてみたりなんぞしても、もともと、女の尻をつけつ廻しつするほどの突(つ)ッ転(ころ)ばしではないのだから、自分の方からもあまり近寄らないようにしていたのを、それをいま来て見れば、二階には絵の先生というのを置いて、自分は湯治廻りとはかなりふざけている。
 第一、その絵の先生というのが癪(しゃく)にさわるじゃないか、ぬけぬけと二階に納まって、女共にちやほやされながら、脂下(やにさが)っている、色の生(なま)ッ白(ちろ)い奴、胸が悪くならあ――とがんりきは、噛んで吐き出したくなる。
 それから、お角という阿魔(あま)も、お角という阿魔じゃあねえか……このおれが粋(すい)を通して足を遠くしていてやるのをいいことにして、色の生ッ白い絵描きを引張り込んで、抱(だ)いたり抱(かか)えたり、二階へ押上げたりして置くなんぞは、ふざけ過ぎている。
 がんりきは、こんなふうに気を廻して、すっかり御機嫌を悪くしてしまい、
「そういうわけなら、ひとつその絵の先生というのに、お目にかかって行きてえものだ」
と、旋毛(つむじ)を曲げ出したのを、お勢はそれとは気がつかないものだから、
「およしなさいまし、なんだか気の置ける先生ですから……」
「何だって……?」
 がんりきは辰巳(たつみ)あがりの体(てい)で、眼が据(す)わって来るのを、お勢は、
「ずいぶん、きむずかしやのような先生ですから、おあいにならない方がようござんしょう」
 留めて、かえって油を注ぐようなことになってしまいました。
「おい、お勢ちゃん、あっしはね、虫のせいでその気の置ける先生というのに会ってみてえんだよ」
「え?」
「そりゃ、いい株の先生だね、人の家に寝泊りをしてさ、そうして別嬪(べっぴん)さんたちを、入代り立代りお伽(とぎ)に使ってさ、それできむずかしやで納まっていられる先生には、がんりきもちっとんばかりあやかってみてえものさ、どっこいしょ」
 がんりきの百は、いきなりそこにあった提げ煙草盆をひっさげて、立ち上った権幕が穏かでないから、この時、お勢も初めて驚いてしまいました。
「まあ、お待ちなさいまし、兄さん」
 お勢は周章(あわ)てて、抱き留めようとしましたが、お勢さんの力で抱き留められた日にはがんりきも堪らないが、そこは素早いがんりきのこと、早くも、それをすり抜けて梯子段を半ばまで上ってしまったから、どうも仕方がない。
 この男は、喧嘩にかけては素早い腕を片一方持っている上に、懐中にはいつも刃物を呑んでいる。見込まれた二階の色男も堪るまい。
 それにしてもこの二階は、よく勘違いや、間違いの起りっぽい二階ではある。
 その時、二階では田山白雲が泰然自若として、燈下に、エー、ビー、シーを学んでおりましたところです。
「まっぴら、御免下さいまし……」
 がんりきの百蔵は、充分に凄味(すごみ)を利(き)かせたつもりで、煙草盆を提げてやって来るには来たが、
「やあ」
 一心不乱に書物に見入っていた目を移して、百蔵の方へ向けて田山白雲の淡泊極まる返答で、がんりきの百蔵がほとんど立場を失ってしまいました。
「こりゃ色男じゃ無(ね)え――」
 がんりきの百蔵のあいた口が、いつまでも塞がらないのは、この淡泊極まる待遇(あしらい)に度胆を抜かれたというよりも、また、その淡泊によって、いっぱし利かせたつもりの凄味が吹き飛ばされてしまったというよりも、ここにいる絵師が、たしかに色男ではないという印象が、百蔵をして、あっけに取らせてしまったのです。
 これは色男ではない――少なくとも、がんりきが梯子段を上って来る時まで想像に描いていた色男の相場が狂いました。
 それも狂い方が、あんまり烈しいので、がんりきほどのものが、すっかり面食(めんくら)ってしまったのは無理もありますまい。そこでやむなく、
「御勉強のところを相済みません……」
 テレ隠しに、こんなことをいい、煙草盆をお先に立てて、程よいところへちょこなんと坐り込むと、白雲が、
「君は誰だい」
「え……わっしどもは、親類の者で、つまり、この家の主人の兄貴といったようなものなんでございます、どうぞ、お見知り置かれ下さいまして」
 これだけでも、ききようによれば、かなり凄味が利(き)くはずになっているのを、白雲は真(ま)に受けて、
「ははあ、君が、ここの女主人の兄さんかね。妹さんには拙者も計らずお世話になっちまいましてね」
「どう致しまして、あの通りの我儘者(わがままもの)でげすから、おかまい申すこともなにもできやしません、まあ一服おつけなさいまし」
 がんりきの野郎が如才(じょさい)なく、携えて来たお角の朱羅宇(しゅらう)の長煙管(ながぎせる)を取って、一服つけて、それを勿体(もったい)らしく白雲の前へ薦(すす)めてみたものです。
「これは恐縮」
といって、白雲は辞退もせずに、その朱羅宇の長煙管でスパスパとやり出したものですから、がんりきの百蔵も、いよいよこの男は色男ではないと断定をしてしまいました。そうしてみると、今まで、張り詰めていた百蔵の邪推とか、嫉妬とかいうものが、今は滑稽極まることのようになって、吸附け煙草をパクパクやっている白雲の姿に、吹き出したくなるのを堪(こら)えて、胸の中で、
「どう見てもこの男は色男じゃ無(ね)え」
 全くその通り、どう見直しても、眼前にいるこの男は、自分が一途(いちず)に想像して来たような、生白(なまっちろ)い優男(やさおとこ)ではありませんでした。色が生白くないのみならず、本来、銅色(あかがねいろ)をしたところへ、房州の海で色あげをして来たものですから、かなり染めが利いているのです。それに加うるに六尺豊かの体格で、悠然と構え込んでいるところは、優男の部類とはいえない。いかなイカモノ食いでも、これはカジれまい――そこでがんりきも、ばかばかしさに力抜けがしてしまいました。
 すべて、がんりきの目安では、あらゆる男性を区別して、色男と、醜男(ぶおとこ)とに分ける。色男でない者はすなわち醜男であり、醜男でない者はすなわち色男である。男子の相場は、女に持てることと、持てないことによってきまる。そうして少なくとも自分は色男の本家の株だと心得ている。この本家の旗色に靡(なび)かぬような女は、意地を尽しても物にして見せようとする。仮りにもこの本家の株を侵すようなものが現われた日には、全力を以てそれに当る――だが、こういう場合には、なんと引込みをつけていいかわからない。
 ぜひなく、がんりきの百蔵は、田山白雲に向って、自分が今日この家をたずねて来たのはいつぞや、両国の楽屋を逃げ出した人気者の山神奇童(さんじんきどう)を、こんど甲州の山の中で見つけ出したものだから、それを引連れて戻しに来たのだということをいい、来て見るとあいにく、お角が留守だったものだから失望したといい、どうかひとつその子供を、お角の帰るまで手許(てもと)に預かってもらいたいということを、手短かに白雲に頼み、
「せっかく、御勉強のところを、お邪魔を致しまして、まことに相済みません」
 がんりきとしては神妙なお詫(わ)びまでして、そこそこに引上げてしまいました。
 最初の権幕に似合わず、がんりきの百蔵がおとなしく下りて来たものですから、梯子段の下に待ち構えて、いざといわば取押えに出ようとした力持のお勢さんも、ホッと息をついて喜んでしまいました。

         九

 その翌日から、田山白雲の周囲(まわり)に、般若(はんにゃ)の面(めん)を持った一人の美少年が侍(かしず)いている。それは申すまでもなく清澄の茂太郎であります。
「おじさん」
「何だい」
 白雲が机の上に両臂(ひょうひじ)をついて、今も一心に十四世紀の額面を眺めている傍から、茂太郎が、
「ねえ、おじさん」
「何だい」
「後生(ごしょう)だから……」
「うむ」
「後生だから、あたいを逃がして頂戴な」
「いけないよ」
「そんなことをいわないで」
「どうして、お前はここにいるのをいやがるのだ、ここの家の人がお前を苛(いじ)めでもしたのかい」
「いいえ、ここの家の人は、親方も、姉さんたちも、みんなあたいを大切(だいじ)にしてくれます」
「そんなら逃げるがものはないじゃないか」
「でもね、おじさん、弁信さんが心配しているから」
「弁信さんというのは何だい」
「弁信さんは、わたしのお友達よ」
「あ、そうか、お前をそそのかして連れて逃げ出したというその小法師のことだろう、いけません、お前はそんな小法師にだまされて出歩くもんじゃありません、おとなしく親方や朋輩(ほうばい)のいうことを聞いていなけりゃなりませんよ」
「いいえ、弁信さんにだまされたんじゃありません、弁信さんは人をだますような人じゃありませんのよ、それはそれはあたいを大切(だいじ)がって、あたいがいないと、どのくらい淋しがっているか知れないでしょう、それを黙って出て来たんだから、だからもう一ぺん弁信さんに逢いたいの、ね、叔父さん、逢わして頂戴、後生だから」
「そりゃお前、料簡違(りょうけんちが)いというものだよ、お前は、その弁信さんというのより、こっちの方に義理があるのだろう、そう無暗に出歩いてはいけない」
「…………」
 茂太郎はここに至って、失望の色を満面に現わしました。最初から画面に心を打込んでいる白雲には、その色を見て取ることができなかったが、会話がふっと途絶(とだ)えたので気がつき、
「だが、時が来れば逢えるようにしてやるから、逃げ出したりなんぞしないで、おとなしく待っていなければならない」
「時って、いつのこと」
「それは、いつともいわれないが、ここの主人が旅から帰って来たら、よく話をして、その弁信さんというのに逢えるようにしてあげよう」
「そうなると、いいですが、みんなが弁信さんをよく思っていないから――」
 茂太郎が容易に浮いた色を見せないのは、ここの家では誰もが弁信をよく思っていないのみならず、誘拐者(ゆうかいしゃ)として悪(にく)んでいることを知っているからです。
「わしも長く附合っているわけではないから、よく知らんが、しかし、ここの女主人という人も、そうわからない人ではないらしいから、帰るまで待っておいで、逃げてはいけないよ。まあ、絵の本でも御覧……わしの描いた絵の本を見せてあげよう」
 白雲は、この少年を慰めるつもりで、座右に置いた自分の写生帳――房総歴覧の収穫――それを取って、無雑作(むぞうさ)に茂太郎のために貸し与えました。
 悲しげに沈黙した茂太郎は、与えられた絵の本を淑(しとや)かに受取って、畳の上へ置いて一枚一枚と繰りひろげます。
 この写生帳は、房州の保田(ほた)へ上陸以来、鋸山(のこぎりやま)に登り、九十九谷を廻り、小湊、清澄を経て外洋の鼻を廻り、洲崎(すのさき)に至るまでの収穫がことごとく収めてある。
 何も知らぬ茂太郎も、一枚一枚とその肉筆の墨の色に魅せられてゆくうちに、
「あ」
といいました。しょげ返っていた少年の頬に、サッと驚異の血がのぼりました。
「おじさん」
「何だい」
「あなたはお嬢さんの似顔を描きましたね」
「お嬢さんの?」
「ええ」
「どこのお嬢さん……」
といって、十四世紀の絵画を眺めていた田山白雲が、自分の画帳の上に眼を落すと、そこには、房州の保田の岡本兵部の家の娘の姿が現われておりました。
「これはおじさん、保田の岡本のお嬢さんの似顔でしょう、それに違いない」
「うむ、どうしてお前、それを知っている」
「あたいのお嬢さんですよ」
「お前も、保田の生れかね」
「そうじゃありませんけれど、これは、あたしのお世話になったお屋敷のお嬢さんです」
「ははあ」
 田山白雲は、何かしら感歎しました。
「お嬢さんは、あたしに逢いたがっているでしょうね、あたしが弁信さんに逢いたがっているように。そうして、おじさん、お嬢さんは、あたしのことを何とか言わなかった?」
「左様……」
 白雲は、別段この少年へといって、あの娘から言伝(ことづ)てられた覚えもない。
「お嬢さんが、あたしに初めて歌を教えてくれたのよ、それからあたしは歌が好きになってしまったのよ」
「なるほど」
 そこで、田山白雲が、その時の記憶を呼び起して、あの晩、岡本兵部の娘が羅漢(らかん)の首を抱いて、子守歌を唄ったのを思い出しました。その時、白雲も胸を打たれて、この年で、この縹緻(きりょう)で、この病と、美しき、若き狂女のために泣かされたことを思い出しました。
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
南条長田(なんじょうおさだ)へ魚(とと)買いに……
 清澄の茂太郎は、その時、何に興を催したか、行燈(あんどん)の光をまともに見詰めて、この歌を唄いはじめると、田山白雲は何か言い知れず淋しいものに引き入れられる。
 そうだ、あの時、岡本兵部の娘は、石の羅漢の首を後生大切(ごしょうだいじ)に胸に抱えて、蝋涙(ろうるい)のような涙を流し、
「ねえ、あなた、この子の面(かお)が茂太郎によく似ているでしょう、そっくりだと思わない?」
 その首を自分の机にさしおいたことを覚えている。
 してみれば、あの狂女と、この少年の間に、何か奇(く)しき因縁(いんねん)があるに違いない。そこで白雲も妙な心持になり、
「杭州(こうしゅう)に美女あり、その面(おもて)白玉(はくぎょく)の如く、夜な夜な破狼橋(はろうきょう)の下(もと)に来って妖童(ようどう)を見る……」
と口吟(くちずさ)みました。

         十

 鏡ヶ浦に雲が低く垂れて陰鬱(いんうつ)極まる日、駒井甚三郎は洲崎(すのさき)の試験所にあって、洋書をひろげて読み、読んではその要所要所を翻訳して、ノートに書き留め、読み返して沈吟しておりました。
「フランソア・ザビエル師ノ曰(いは)ク、予ノ見ル所ヲ以テスレバ、善良ナル性質ヲ有スルコト日本人ノ如キハ、世界ノ国民ノウチ甚ダ稀ナリ。彼等ガ虚言ヲ吐キ、詐偽(さぎ)ヲ働クガ如キハ嘗(かつ)テ聞カザル所ニシテ、人ニ向ツテハ極メテ親切ナリ。且ツ、名誉ヲ重ンズルノ念強クシテ、時トシテハ殆ド名誉ノ奴隷タルガ如キ観アリ」
 こう書いてみて駒井は、果してこれが真実(ほんとう)だろうか、どうかと怪しみました。フランソア・ザビエル師は、天文年間、初めて日本へ渡って来た宣教師。ただ日本人のいいところだけ見て、悪いところを見なかったのだろう。それとも一遍のお世辞ではないか――さて黙して読むことまた少時(しばらく)。
「日本人ハ武術ヲ修練スルノ国民ナリ。男子十二歳ニ至レバ総(すべ)テ剣法ヲ学ビ、夜間就眠スル時ノ外ハ剣ヲ脱スルトイフコトナシ。而シテ眠ル時ハコレヲ枕頭ニ安置ス。ソノ刀剣ノ利鋭ナルコト、コレヲ以テ欧羅巴(ヨーロッパ)ノ刀剣ヲ両断スルトモ疵痕(しこん)ヲ止(とど)ムルナシ。サレバ刀剣ノ装飾ニモ最モ入念ニシテ、刀架(とうか)ニ置キテ室内第一ノ装飾トナス」
 これは実際だ――と駒井甚三郎が書き終って、うなずきました。
「勇気ノ盛ンナルコト、忍耐力ノ強キコト、感情ヲ抑制スルノ力ハ驚クベキモノアリ」
 これは考えものだ……ことに今日のような頽廃(たいはい)を極めた時代を、かえって諷誡(ふうかい)しているような文字とも思われるが、しかし、よく考えてみると、古来、日本武人の一面には、たしかにこの種の美徳が存在していた。今でもどこかに隠れてはいるだろう。
「日本人ハ最モ復讐(ふくしう)ヲ好ミ、彼等ハ街上ヲ歩ミナガラモ、敵(かたき)ト目ザス者ニ逢フ時ハ、何気(なにげ)ナクコレニ近寄リ、矢庭ニ刀ヲ抜イテ之(これ)ヲ斬リ、而シテ徐(おもむ)ロニ刀ヲ鞘(さや)ニ納メテ、何事モ起ラザリシガ如ク平然トシテ歩ミ去ル……単ニ刀ノ切味ヲ試サンガ為ニ、試シ斬リヲ行フコト珍シカラズ」
 これもまた、たしかに日本人のうちの性癖の一つで、駒井自身も幾度かそれを実地に見聞いている。これは美徳とも、長所ともいえまいが、外国人が見たら、たしかに、日本国民性の一つの特色として驚異はするだろう、と駒井はようやく筆を進ませて、
「日本ノ貴族ニハ不法ニシテ傲慢(ごうまん)ナル習慣アリ。足ヲ以テ平民ヲ蹴リテ怪シマズ。平民自身モマタ奴隷タルベクコノ世ニ生レ出デタルモノニシテ、人格ト権利ヲ没却セラレテモ、之ヲ甘ンジテ屈従スルモノノ如シ。惟(おも)フニ日本貴族ノコノ傲慢ナル風習ヲ改メシムルノ道ハ、耶蘇教(やそけう)ノ恩沢ヲコレニ蒙ラシムルノ外アルベカラズ」
 そこで、なるほど、外国人の眼から見た時は、階級制度の烈しい日本の国では、貴族と、平民との関係が、こうも見えるのかしら、これでは野蛮人扱いだ、と思いました。しかしこれは、西洋で十六世紀から十七世紀の間、日本では戦国時代から徳川の初期へかけて日本に渡来した、主として耶蘇教の宣教師の目に映った日本人の観察である、日本人自身では気のつかない適切な見方もあろうが、また思いきった我田引水もあるようだ――現に日本貴族の傲慢なる風習を改めしむるの道は、耶蘇の教えを以てするよりほかはない、と断言したところなど、日本に宗教なしと見縊(みくび)っていうのか、或いはまた事実この道を伝うるにあらざれば、人類救われずとの信念によって出でたる言葉か――駒井自身では動(やや)もすれば、そこに反感を引起し易(やす)い。
 だが、耶蘇の教えが、偽善と驕慢を憎んで、愛と謙遜を教えるところに趣意の存することは、朧(おぼろ)げながらわかっている。
 駒井甚三郎が今日読んでいるのは、その専門とするところの兵器、航海等の科学ではなく、宗教に関するところの書物であります。宗教というたとても、それはキリスト教に関するもののみで、いつぞやわざわざ番町の旧邸を訪ねて、一学を煩(わずら)わし、その文庫の中から選び齎(もたら)し帰ったものであります。今や、駒井甚三郎は、キリスト教を信じはじめたのではありません。また信じようと心がけているわけでもありません。
 給仕の支那少年との偶然の会話が縁となって、これを知らなければならぬとの知識慾に駆(か)られたのが、そもそもの動機であります。
 何となれば、西洋の軍事科学の新知識に於ては、当代に人も許し、吾も信ずるところの身でありながら、その西洋の歴史を劃する宗教の出現について、ほとんど無知識であるのみならず、不具なる支那少年から、逆に知識を受けねばならぬことは、これ重大なる恥辱であると、駒井の知識慾が、そういうふうに刺戟を与えたから、彼は暫く、軍事科学の書物を抛擲(ほうてき)して、専(もっぱ)ら、キリスト教の書物を読むことになったのです。
 要するに信仰のためではなく、知識のために読み出しているのです。
 で、読み行くうちに、どの読書家もするように、要所要所へ線を引いておいて、それを座右に積み重ね、今やその要所を改めて摘録(てきろく)し、翻訳してノートにとどめている。
 さてまた、一冊をとりひろげて、その引線の部分を摘訳する。
「福音書ノ何(いづ)レノ部分ニモ耶蘇(やそ)ノ面貌ヲ記載シタルコトナシ。サレバ、後人、耶蘇ノ像ヲ描カントスルモノ、ソノ想像ノ自由ナルト共ニ、表現ノ苦心尋常ニアラズ。
或者ハ、耶蘇ノ面貌ヲ以テ、醜悪ニシテ、怖ルベキ勁烈(けいれつ)ノモノトナシ、或者ハ、温厳兼ネ備ヘタル秀麗ノ君子人トナス。
アンジェリコ、ミケランゼロ、レオナルドダビンチ、ラファエル及チシアン等ノ描ケル耶蘇ノ面貌ハ皆、荘厳(そうごん)ト優美トヲ兼ネタル秀麗ナル男性ノ典型トシテ描キタレドモ、独(ひと)リ十四世紀ノジョットーニサカノボレバ然(しか)ラズ。
人一度(ひとたび)、アレナノ会堂ニ赴(おもむ)キテ、ジョットーノ描キタル、ユダノ口吻(くちづけ)スル耶蘇ノ面貌ヲ見タランモノハ、粛然トシテ恐レ、茲(ここ)ニ神人ナザレ村ノ青年ヲ見ルト共ニ、ジョットーノ偉才ニ襟ヲ正サザル無カルベシ。
ミケランゼロモ、ダビンチモ、耶蘇ノ有スル無限ノ悲愁ト、沈鬱トヲ写スコト、到底ジョットーノ比ニアラズ。
イハンヤ、ラファエルニオイテヲヤ……未ダカツテ……ジョットーヨリ純正偉大ナル宗教画家ハナシ。茲ニソノ伝記ノ概要ト、作品ノ面影(おもかげ)トヲ伝ヘン哉(かな)……」
 ここまで訳し来った駒井甚三郎は、ページを一つめくりました。全く世の中は儘(まま)にならないもので、田山白雲はああして狂気のようになって、いろはからその知識を探り当てようともがいているのを、駒井甚三郎は何の予備もなく、何の苦労もなしに、かくして読み、且つ訳している。
 田山の帰ることが二三日おそければ、駒井はこの西洋宗教美術史の一端を、田山に話して聞かせたかも知れない。といって、そうなればまた、当然白雲はあの額面を見る機会を失ったのだから、駒井の説明も風馬牛に聞き流してしまったことだろう。「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない。
 その時分、海の方に向ったこの研究室の窓を、外から押しあけようとするものがあるので、さすがの駒井も、その無作法に呆(あき)れました。
 金椎(キンツイ)でもなければ、この室を驚かす者はないはずのところを、それも外から窓を押破って入ろうとする気配は、穏かでないから、駒井も、厳然(きっと)、その方を眺めると、意外にも窓を押す手は白い手で、そして無理に押しあけて、外から面(かお)を現わしたのは、妙齢の美人でありました。
 髪を高島田に結(ゆ)った妙齢の美人は、窓から面だけを出して、駒井の方を向いて嫣乎(にっこ)と笑いました。駒井としても驚かないわけにはゆきません。
「お前は誰だ」
 駒井が窘(たしな)めるようにいい放っても、女はべつだん驚きもしないで、
「御存じのくせに。ほら、あの、鋸山の道でお目にかかったじゃありませんか」
「うむ」
「わかったでしょう。あなたは、あの時の美(い)い男ね」
「うむ」
「中へ入れて頂戴」
 駒井は、あの時の狂女だなと思いました。高島田に結って、明石の着物を着た凄いほどの美人。羅漢様の首を一つ後生大事に胸に抱いて、「お帰りには、わたしのところへ泊っていらっしゃいな」といった。
 それが、どうしてここへやって来たのだ。保田から洲崎(すのさき)まで、かなりの道程(みちのり)がある。ともかく、駒井もこのままでは捨てておけないから、椅子を立ち上って、
「ここはいけない、あっちへお廻りなさい」
「いいえ、あたしここから入りたいの」
「いけません、入るべきところから、入らなければなりません」
「いいえ、表には人がたくさんいるでしょう、犬もいるでしょう、ですからあたし、ここから入りたいの」
「表には誰もいやしませんから、あちらへお廻りなさい」
「いや、あたしここから入るの……あなたに抱いていただいて、ここから入るの」
「ききわけがない、ここからは入れません」
「お怒りなすったの、あなた、悪かったら御免下さいね。ですけれども、あたし、そっとここから入れていただきたいの、そうして誰も気のつかないうち、あなたとだけ、お話ししていたいの」
「言うことが聞かれないなら勝手になさい、中からこの戸を締めてしまいますよ」
「その戸をお締めになれば、あたしのこの指が切れちゃうでしょう。それでもいいの?」
 狂女はわざと自分の手を伸して、ガラス戸の合間に差し込んでしまいました。
「あたし、あなたに正直なことを申し上げてしまうわ、それで嫌われたらそれまでよ」
「手をお放しなさい」
「あたし、今までに七人の男を知っていますのよ」
「何をいうのです」
「あたし、これでも、もう七人の男を知っているのよ。それを言ってみましょうか。一人はあるお寺の坊さんなの、一人は家へ置いた男、それから……」
「お黙りなさい」
 駒井は情けない色を現わして、上から抑えるように女の言葉を遮(さえぎ)りました。正気でない悲しさ。言うべからざることを口走り、聞くべからざることを聞くには堪えない。それを女は恥かしいとも思わず、
「けれど、それはみんな、あたしの方から惚(ほ)れたのじゃなくってよ、早くいえば、あたしがだまされたんですね、それから自棄(やけ)になって、とうとう七人の男にみんなだまされて、玩弄(おもちゃ)になってしまいました」
「ああ……」
 外から押えても、中なるねじの利(き)いていないものにはその効がない。駒井はこの場の始末にホトホト困っているのを、女は少しも頓着なしに、
「その七人の名を、みんなあなたに打明けたら、あなたも吃驚(びっくり)なさるでしょう、その人たちの恥にもなりますから、あたしは言いません……それも本来は、わたしが悪いんでしょう、茂太郎を可愛がり過ぎたから、茂太郎がいやがって逃げてしまい、その時からわたしは自葉(やけ)になりましたの。あなた、突き落しちゃいやよ」
 女は敷居に武者振りついて、あられもない高島田の美人は、どうしてもここから乱入するつもりらしい。
 折よくそこへ金椎(キンツイ)がお茶を運んで来たものですから、駒井は金椎にいいつけて、狂女を表の方へ廻らせました。しかし、正式に案内されてこの室へ通された狂女は、今まで言ったことも、したことも、すっかり忘れたようにケロリとして、まず室内のベッドを見つけ出して、
「夜どおし歩いて来たものですから、疲れてしまいましたわ、それに眠くてたまりませんから、少し休ませて頂戴な、あとで、ゆっくりお話を致しましょう」
といって、早くも、ベッドの上に横になってしまいました。
 言葉の聞えない金椎は、この女の無作法に呆(あき)れてしまったようでしたが、主人が別段それを咎(とが)めようともしないものだから、解(げ)せない面(かお)をしながら、横になった狂女の身体(からだ)に毛布をかけてやりました。
 金椎が出て行くと共に、駒井もこの室を退却してしまったので、あとは狂女がこの室を、わがものがおに心ゆくばかりの眠りについてしまいました。
 この一室を暫く狂女に与えておいて、駒井は研究所を出て、造船所の方へと歩き出しました。前にいった通り、この日は陰鬱な天気の日で、大武(だいぶ)の岬も、洲崎も、鏡ヶ浦も、対岸の三浦半島も、雲に圧(お)されて雨を産みそうな空模様でした。
 程遠からぬ造船所へ来て見ると、十余人の大工と、職工が、相変らず暢気(のんき)に仕事をしています。暢気といっても、怠けているわけではなく、かなり根強い仕事を、焦(あせ)らないでやっている。
 駒井が、そっと裏の方から入り込んだ時分に、大工と、職工とは、お茶受けの休みで、こんなことを話している。
「殿様は、この船へ自分の好きな人だけをのせて、異国へおいでなさるそうだが、もし、大海の中で無人島へでも吹きつけられたら、そこで国を開くとおっしゃっていたが、新しい国を開いてそこに住んだら、圧制というものがなくて、住み心地がいいだろうなあ」
 一人が言うと、
「そりゃ面白かろう。だが、新しい国を開いたところで、女というものがなければ種が絶えてしまう、いったい殿様は、この船に女をのせるつもりだろうか、どうだろう」
というような話をしているところへ、駒井がひょっこりと姿を現わしたものだから、みんな居ずまいを直して、
「殿様がおいでになった」
 船大工の和吉が立って駒井の傍へ来て、小腰をかがめながら、
「殿様、ビームの付け方をもう一度、検分していただきとうございます」
 この男は豆州戸田の上田寅吉の高弟で、ここの造船係の主任です。師匠うつしで、今でも駒井に向って、殿様呼ばわりをやめない。和吉が殿様呼ばわりをするものだから、総ての大工、職工が、殿様呼ばわりをする。
 そこで、駒井は和吉の先導で、船の船梁(ビーム)を見て廻る。その前後、日本唯一の西洋型船大工の棟梁(とうりょう)といわれた上田寅吉の伝えを受けて、加うるに駒井甚三郎の精到な指導監督の下に、工事を進めているこの船。造船台の形、マギリワラの据付け、首材(ステム)の後材(スダルンポスト)の建て方、肋材(フレーム)を植えて、今や船梁(ビーム)の取付けにかかっているところ。
 駒井は仔細にそれを検分して、なお外板の張り方、コールターの塗り方等に二三の注意を与え、次に蒸気の製造と、大砲の据えつけについて、その位置、運搬の方法等に、委細の指図と相談とを試み、
「蒸気の製造法が難物だ――今、苦心している。うまくゆくか、どうか、試運転の上でなければ何ともいえない。測量器械のいいのを欲しい、遠眼鏡も欲しい。誰かお前の知っている人で、適当の機械師はないか、材料はこちらで何とかする、腕だけ貸してくれればいい……」
 フレームを叩いて、船と、人とを吟味している駒井は、さいぜん、愛の、信仰のと、写していた人とは別人の観がある。
 全くこの造船所へ来ると、駒井甚三郎は別人の観があります。
 第一、その眼つきからして違ってきます。熱心そのもののような輝きを集めて、船そのものを一つの有機体として、広い意味の有機体には違いがないが、精到なる彫刻家が、自分の一点一画を凝視(ぎょうし)するように、凝視してはそれに鑿(のみ)を加えて、また退いて見詰めるように、見ようによっては、一刀三礼(いっとうさんらい)の敬虔(けいけん)を以て仏像を刻む人でもあるように、駒井というものの全部が、船というものに打込まれてゆく熱心ぶりは、心なき工人たちをも動かさないわけにはゆきません。
「殿様は大工になっても、立派に御飯が食べられます」
といって工人たちが感心する。事実、その通りで、学理の説明と、工事の指導だけでは我慢がしきれなくなって、駒井は自身ハムマーを取り、斧を揮(ふる)って終日、働き暮すことさえあるのです。
 そこで、ここに働く人々とても、本職の船大工と、機械師は、二三人しかない。あとはみんなこの辺の素人(しろうと)であるのを、駒井が仕立てて立派なその道の大工であり、職工であるように使いこなしている。
 のみならず、船の外形の工事と共に、その心臓をなす動力の問題、蒸気の製造という難物を、彼は退いて研究し、今やそれをなしとげようとしている。こればかりは親しく外遊して学ぶにあらざれば不可能、といわれている蒸気の製造を、駒井は自分の学問と、従来の経験とで、必ず成し遂げて見せるとの自負を持っている――それに比ぶれば大砲の据付けの如きは、易々(いい)たる仕事ではあるが、すべてにおいては、この事業、すなわち、駒井甚三郎の独力になるこの西洋型の船の模造は、模造とはいうが、事実は創造よりも難事業になっている。
 その難事業がともかくも着々と進んで行くのを眺めることは、この上もない興味であり、勇気であり、神聖であるように思わるる。
 だから駒井は、ここへ来て、事に当ると、その事業の神聖と、感激に没入して、吾を忘れるの人となることができる。
 それと、もう一つ――駒井をして、この自家創造の船というものに、限りなき希望と、精神とを、打込ませるように仕向けているのは、見えない時勢と、人情との力が、背後から、強く彼を圧しているのです。
 駒井は、今の日本の時世が、行詰まって息苦しい時世であり、狭いところに大多数の人間が犇(ひしめ)き合って、おのおの栗鼠(りす)のような眼をかがやかしている時世であることを、強く感じている。
 国民に雄大な気象が欠けており、閑雅なる風趣を滅尽しようとしている。他の大を成し、長をあげるというような、大人らしい意気は地を払って、盗み、排し、陥れようとの小策が、幕府の上より、市井(しせい)のお茶ッ葉の上まで漲(みなぎ)っている。
 創造の精神が滅びた時に、剽窃(ひょうせつ)の技巧が盛んになる。このままで進めば、日本国民は、挙げて掏摸(すり)のようなものとなってしまい、掏摸のような者を讃美迎合しなければ、生活ができなくなってしまう。その結果は、国民挙げて共喰いである……心ある人が、こういう時世を悲憤しなければ、悲憤するものがない。だが、幸いにして駒井甚三郎は、この時世を充分に見ていながら、病気にもならず、憤死することもないのは、要するに、前途に洋々たる新しい世界を見、その世界に精進(しょうじん)する鍵を、自分が握っているとの強い自信があるからです。
 その洋々たる新世界とは何――それは海です。海は地球表面の七割以上を占(し)めて、しかもその間には国境というものがない。
 その鍵とは何――それはすなわち船です。
 この日本は美国ではあるが、この美国を六十にも七十にもわけて、三百人もの大名小名どもが食い合っていて何になる。
 駒井は今、その海と船との信仰に、全身燃ゆるが如き思いを抱いて、万里の海風に吹かれながら、黄昏(たそがれ)の道をおのが住家へと戻って来ました。
 駒井甚三郎は燃ゆるが如き熱心を抱いて、わが住居へ帰って来ましたが、金椎(キンツイ)を呼んで夕飯を取る以前に、自分の居間へ入ると、燭台に蝋燭(ろうそく)の火をつけて、かなり疲労していた身体(からだ)を、いつもするように、ぐったりと寝台の上へ投げかけようとして、蛇でも踏んだもののように、急に立退いてしまいました。
 忘れていたのです。自分の寝台は、それよりズット以前から人に占領されていました。その人は今もいい心持で、寝台の上に熟睡の夢を結んでいるところであります。
 真に忘れていた。忘れていたのがあたりまえで、これまでかつて他人のために占領された歴史のないこの寝台です。不意に自分を驚かすところのいかなる客でも、ここを占領しようとはいわない。それをこの客に限って、無作法の限りにも、許しのないうちに、早くもここをわが物にして、主人の帰ったことをさえ知らずにいる。しかもそれが妙齢の女であります。
 駒井は呆(あき)れ果てて、暫くそのキャンドルを手に翳(かざ)したままで、女の寝姿を見つめていました。
 少なくとも眠っている間は無心でしょう。無心の時には、人間の天真が現われる。ともかくもこれは卑しい娘ではありません。金椎がかけてくれた通りに、毛布を首まで纏(まと)って、枕一杯に、濡れたように黒い後れ毛が乱れていました。
 駒井はそれを、眼をはなさず見ていましたが、この時はまた別の人です。今までの野心も、熱心も、希望も、一時に冷却して、美しい娘の寝顔に注いでいる。
 そうしているうちに、つくづくと浅ましさと、いじらしさの思いが、こみ上げて来るのであります。もとより狂人のいうことは取留めがない。自分の頭に巻き起るさまざまの幻想を、いちいち事実と混合してしまうこともあれば、不断の脅迫感に襲われて、あらぬ敵を有るように妄信していることも限りはないのだから、狂人のいうことを、そのままに取り上げるわけにはゆかないが、さきほど言ったことの浅ましさが、こうして見ると、いよいよ身にこたえる。罪だ! と駒井甚三郎は戦慄して、怖れを感じました。
 この時です、女が眼を醒(さ)ましたのは。女が眼を醒まして、自分の眼前に光をさしつけて、自分を覗(のぞ)いている人のあることを悟ったのは。
 それと気がつくと女は、嫣乎(にっこり)と笑い、
「いつお帰りになったの……」
「いま」
「そうですか。わたし、あれからズット寝通してしまいました、ちっとも眼が醒(さ)めませんでしたのよ、ずいぶんよく寝てしまいましたわね。いったい、もう何時(なんどき)でしょう」
「もう、日が暮れてしまったよ」
「誰も尋ねて来やしなくって? 誰もわたしを追いかけては来ませんでしたか」
「誰も来た様子はありません」
「誰が来ても、いわないようにして下さいね、どんな人が尋ねて来ても、わたしを渡さないで下さいね、いつまでもここへ隠して置いて頂戴」
「…………」
「もし、あなたが、誰かにわたしを渡してしまえば、わたしはまたその人の玩具(おもちゃ)にされてしまいます……あなたがもし、わたしをかわいそうだと思召(おぼしめ)すならば、ここへ置いて下さい。わたしの身はどうなってもかまわない、人に苛(さいな)まれようとも、蹂躙(ふみにじ)られようとも、かまわないと思召すなら、わたしを突き出してもようござんすけれど、あなたは、そんな惨酷(ざんこく)なお方じゃなかろうと、わたしは安心していますのよ、ほんとうに、わたしという人は、どうしてこう意気地がないんでしょう、昔はこんなじゃなかったんですけれども、今はもう駄目なのよ、人に甘い言葉をかけられると、ツイその気になってしまうんですもの……誰かしっかりした人がついていてくれなければ、この上、どこまで落ちて行くか知れません。ごらんなさい、わたしの前にあるあの深い、怖ろしい穴を……」
 いくらか精神の昂奮もおちついたと見えて、さいぜんのような聞苦しいことも言わず、しおらしく訴える言葉にも、情理があって痛わしい。そこで、駒井はやさしく、
「ともかく、お起きなさい――もう夕飯の時刻です、あちらで一緒に食べましょう」
「どうも済みません」
 そこで女は快(こころよ)く起き上りました。
 やがて、食堂としてある一間で、駒井と、金椎と、新来のお客と三人が、食卓にさし向っての会食が始まりました。女はしきりに金椎に話しかけてみましたけれども、利(き)き目がないのを不思議がっていると、駒井が両耳に手を当てて、その聾(つんぼ)であることを形にして見せました。
「かわいそうに、耳が聞えないんですか」
 狂女はわが身の不幸を忘れて、この少年の不具に同情しました。少なくとも、その同情の余裕の存することを駒井は感心し、
「この子は支那の生れで、名をキンツイといいます」
「キンツイさんですか、妙な名ですね」
「非常にまじめな少年ですから、あなた、よくお附合いなさい」
「本当ですか……まじめな人って、なかなか当てにはなりませんけれど、まだ若いから大丈夫でしょう」
「大丈夫です。それに神様を信心していますから」
「まあ、神様を信心しておいでなんですか、支那にも神様がありますのですか」
「ありますとも、人間は有っても無くっても、神様の無いというところはないと、私もこの少年から教えられました」
「まあ感心ですわね、子供のうちから神様を信心するなんて。わたしも神信心をしたいにはしたいんですけれど、どこに神様がおいでなさるか、わからないんですもの」
といって、自分も一時、神信心をしてみたけれども、天神様を拝めば天神様があちらを向き、不動様を信じようとすれば不動様があちらを向くので、とうとう信心をやめてしまったというようなことをいい出すのは困るが、このほかのことは、問いに応じてほぼ的を誤まらないように答えるものですから、駒井は、この女の病気は癒(なお)るかも知れない、とさえ思いました。
 名前を問えば、もゆると答えました。駒井が念を押すと、
「もゆるとは、草木のもゆるという意味でつけたんでしょう、わたしにはよくわかりませんけれど」
と答える。姓は岡本といわずに、里見と呼んでもらいたいということ。
 保田から昨晩、夜通しここまで歩いて来たが、一人で夜道をしても少しも怖いとは思わないということ。山でも、坂でも、さして疲れを覚えないで歩き通すということ。途中、人にであっても、こちらより先方が怖がってよけて通すということ。
 それでもよわみを見られてしまってはもう駄目だということ。
 打明けた話を聞かされていると、駒井は不愍(ふびん)の思いに堪えられなくなりました。なるほど、これをこのまま突き出してしまえば、残れるところのすべてのものを、泥土(でいど)に委(まか)してしまうのだ。本来、よい育ちでもあり、また生来、悪い質(たち)の娘ではない――そのうち、尋ねる人が来たならば、よく話をしてやろう。来なければしかるべき保証を以て、送り届けてやらねばならぬと考えました。
 しかし、差当っての問題は、今夜の問題で、この娘をどの室へ泊めるかということです。金椎と同室に置いて、もし夜中に脱走でもされた日には困る。一人ではいよいよ寝かされない。そうかといって自分の部屋へ寝かすことは、自分が困る……駒井は、ひそかにこの問題に苦心しているのを、娘は自分でズンズンと解決してしまいました。なぜならば、食事が終ると、やはり我物顔で、以前の室の寝台の上に身をのせてしまったからです。
 ぜひなく駒井はその室へ錠を卸し、自分は金椎と共に、別の室で寝ることにしました。

         十一

 宇津木兵馬と、仏頂寺弥助と、丸山勇仙の三人は、八ヶ岳と甲斐駒の間を、西に向って急いでいる。
 途中、武術の話。
 仏頂寺は、世間を渡り歩いて、兵馬の知らない話をよく知っている。
 この人は前にいう通り、斎藤弥九郎の門下で有数の使い手。今こそ亡者の数には入っているが、その武芸談には、なかなかに聞くべきものがある。
 しかし、ややもすれば芸に慢じて、己(おの)が師をさえ侮るの語気を漏らすことがある。それが聞く人を不快にする。
 丸山勇仙は九段の斎藤の道場、練兵館の話をする。斎藤と、長州系との関係を語る。そのうち、長州の壮士が相率いて練兵館を襲い、弥九郎の二男、当時鬼歓(おにかん)といわれた歓之助のために撃退された一条を物語る。その仔細はこうである。
 はじめ――嘉永の二年ごろ、斎藤弥九郎の長男新太郎が、武者修行の途次、長州萩の城下に着いた。宿の主人が挨拶に来た時に、新太郎問うて曰(いわ)く、
「拙者は武者修行の者であるが、当地にも剣術者はあるか」
 主人の答えて曰く、
「ある段ではございませぬ、当地は名だたる武芸の盛んな地でございまして、近頃はまた明倫館という大層な道場まで出来まして、優れた使い手のお方が、雲の如く群がっておりまする。あれお聞きあそばせ、あの竹刀(しない)の音が、あれが明倫館の剣術稽古の響きでございます」
 新太郎、それを聞いて喜び、
「それは何より楽しみじゃ、明日はひとつ推参して、試合を願うことに致そう」
 そこで、その夜は眠りについて、翌日、明倫館に出頭して、藩の多くの剣士たちと試合を試みて、また宿へ戻って、風呂を浴びて、一酌を試みているところへ、宿の主人がやって来る。
「いかがでございました、今日のお試合は」
 新太郎、嫣乎(にっこり)と笑うて曰く、
「なるほど、明倫館は立派な建物じゃ、他藩にもちょっと類のないほど宏壮な建物で、竹刀(しない)を持つものもたくさんに見えたが、本当の剣術をやる者は一人もない、いわば黄金の鳥籠に雀を飼っておくようなものだ」
 これは、新太郎として、実際、そうも見えたのだろうし、また必ずしも軽蔑の意味ではなく、調子に乗って言ったのだろう。だが、この一言が、忽(たちま)ち宿の主人の口から、剣士たちの耳に入ったから堪らない。
「憎い修行者の広言、このまま捨て置いては、長藩の名折れになる」
 かれらは大激昂で新太郎の旅宿を襲撃しようとする。老臣たちが、それを宥(なだ)めるけれど聞き入れない。止むを得ず、急を新太郎に告げて、この場を立去らしめた。新太郎は、それに従って、一行を率いて、その夜のうちに九州へ向けて出立してしまったから、わずかに事なきを得たが、あとに残った長州の血気の青年が納まらない。
「よし、その儀ならば、九州まで彼等の跡を追っかけろ」
「彼等の跡を追いかけるよりも、むしろ江戸へ押し上って、その本拠をつけ。九段の道場には、彼の親爺(おやじ)の弥九郎も、その高弟共もいるだろう、その本拠へ乗込んで、道場を叩き潰(つぶ)してしまえ」
 長州の青年剣士ら十余人、猛然として一団を成して、そのまま江戸へ向けて馳(は)せ上る。その団長株に貴島又兵衛があり、祖式松助がある。
 そこで、彼等は一気に江戸まで押し通すや否や、竹刀と道具を釣台に舁(かき)のせて、麹町九段坂上三番町、神道無念流の師範斎藤篤信斎弥九郎の道場、練兵館へ押寄せて、殺気満々として試合を申し込んだものだ……
 誰も知っている通り、当時、江戸の町には三大剣客の道場があった。神田お玉ヶ池の北辰一刀流千葉周作、高橋蜊河岸(あさりがし)の鏡心明智流の桃井春蔵(もものいしゅんぞう)、それと並んで、練兵館の斎藤弥九郎。おのおの門弟三千と称せられて、一度(ひとたび)その門を潜らぬものは、剣を談ずるの資格がない。
 殺気満々たる長州の壮士連十余人の一団は、斎藤の道場を微塵(みじん)に叩き潰(つぶ)す覚悟をきめてやって来たのだから、その権幕は、尋常の他流試合や、入門の希望者とは違う。
 ところで、これを引受けた斎藤の道場には、長男の新太郎がいない。やむなく、次男の歓之助が出でて応(あしら)わねばならぬ。
 歓之助、時に十七歳――彼等壮士の結構を知るや知らずや、従容(しょうよう)として十余人を一手に引受けてしまった。
 もとより、修行のつもりではなく、復讐(ふくしゅう)の意気でやって来た壮士連。立合うつもりでなく殺すつもり。業(わざ)でいかなければ、力任せでやっつけるつもりで来たのだから、その猛気、怒気、当るべからざる勢い。歓之助、それを見て取ると、十余人を引受け、引受け、ただ単に突きの一手――得意中の得意なる突きの一手のほか、余手を使わず、次から次と息をつかせずに突き伏せてしまった。
 哀れむべし、長州遠征の壮士。復讐の目的全く破れて、十余人の壮士、一人の少年のために枕を並べて討死。宿へ引取ってから咽喉(のど)が腫(は)れて、数日間食物が入らず、病の床に寝込んだものさえある。
 長人の意気愛すべしといえども、術は格別である。中央にあって覇を成すものと、地方にあって勇気に逸(はや)るものとの間に、その位の格段がなければ、道場の権威が立つまい。
 しかし、貴島又兵衛あたりは、このことを右の話通りには、本藩へ報告していないようだ。
 貴島は、長藩のために、のよき剣術の師範物色のため、江戸へ下り、つらつら当時の三大剣客の門風を見るところ、斎藤は技術に於ては千葉、桃井には及ばないが、門弟を養成する気風がよろしい――というような理由から、国元へ斎藤を推薦したということになっている。
 ところで、これはまた問題だ。右の三大剣客の技術に、甲乙を付することは、なかなか大胆な仕事である。貴島又兵衛が、斎藤弥九郎の剣術を以て、桃井、千葉に劣ると断定したのは、何の根拠に出でたのか。この三巨頭は、一度(ひとたび)も実地に立合をした例(ためし)がないはず。
 千葉周作の次男栄次郎を小天狗と称して、出藍(しゅつらん)の誉れがある。これと斎藤の次男歓之助とを取組ましたら、絶好の見物(みもの)だろうとの評判は、玄人筋(くろうとすじ)を賑わしていたが、それさえ事実には現われなかった。もし、また、事実に現わして優劣が問題になった日には、それこそ、両道場の間に血の雨が降る。故に、それらの技術に至っては、おのおの見るところによって推定はできたろうが、断定はできなかったはず。
 丸山勇仙は当時、長州壮士が練兵館襲撃の現場に居合せて、実地目撃したと見えて、歓之助の強味を賞揚すると、仏頂寺のつむじが少々曲りかけて、
「それは歓之助が強かったのではない、また長州の壮士たちが弱かったというのでもない、術と、力との相違だ、手練と、血気との相違だ、いわば玄人(くろうと)と、素人(しろうと)との相違だから、勝ってもさのみ誉れではない――その鬼歓殿も九州ではすっかり味噌をつけたよ」
という。人が賞(ほ)めると、何かケチをつけたがるのが、この男の癖と見える、特に悪意があるというわけではあるまい。ただ、白いといえば、一応は黒いといってみたいのだろう。それでも兵馬は気になると見えて、
「歓之助殿が九州で、何をやり損ないましたか」
「さればだよ、九州第一といわれている久留米の松浦波四郎のために、脆(もろ)くも打ち込まれた」
「え」
 兵馬はそのことを奇なりとしました。練兵館の鬼歓ともいわれる者が、九州地方で脆くも後(おく)れを取ったとは聞捨てにならない。
 斎藤歓之助は、江戸においての第一流の名ある剣客であった。それが九州まで行って、脆くも後れを取ったということは、剣道に志のあるものにとっては、聞捨てのならぬ出来事である。
 兵馬に問われて仏頂寺が、その勝負の顛末(てんまつ)を次の如く語りました。
 久留米、柳川は九州においても特に武芸に名誉の藩である。そのうち、久留米藩の松浦波四郎は、九州第一との評がある。九州に乗込んだ斎藤の鬼歓は、江戸第一の評判に迎えられて、この松浦に試合を申し込む。そこで江戸第一と、九州第一との勝負がはじまる。
 これは末代までの見物(みもの)だ。その評判は、単に久留米の城下を騒がすだけではない。
 歓之助は竹刀(しない)を上段に構えた。気宇は、たしかに松浦を呑んでいたのであろう。それに対して松浦は正眼に構える。
 ここに、満堂の勇士が声を呑んで、手に汗を握る。と見るや、歓之助の竹刀は電光の如く、松浦の頭上をめがけて打ち下ろされる。波四郎、体を反(そ)らして、それを防ぐところを、歓之助は、すかさず烈しい体当りをくれた――突きは歓之助の得意中の得意だが、この体当りもまた以て彼の得意の業(わざ)である――さすがの松浦もそれに堪えられず、よろよろとよろめくところを、第二の太刀先(たちさき)。あわや松浦の運命終れりと見えたる時、彼も九州第一の名を取った剛の者、よろよろとよろけせかれながら、横薙(よこな)ぎに払った竹刀が、鬼歓の胴を一本!
「命はこっちに!」
と勝名乗りをあげた見事な働き。これは敵も、味方も、文句のつけようがないほど鮮かなものであった。
 江戸第一が、明らかに九州第一に敗れた。無念残念も後の祭り。
 無論、この勝負、術の相違よりは、最初から歓之助は敵を呑んでかかった罪があり、松浦は、謹慎にそれを受けた功があるかも知れないが、勝負においては、それが申しわけにはならない。
 仏頂寺は兵馬に向って、この勝負を見ても、歓之助の術に、まだ若いところがあるという暗示を与え、丸山が激賞した逆上(のぼせ)を引下げるつもりらしい。
「惜しいことをしましたね」
と兵馬は歓之助のために、その勝負を惜しがると、仏頂寺は、
「全く歓殿のために惜しいのみならず、そのままでは、斎藤の練兵館の名にもかかわる。そこで雪辱のために、吉本が出かけて行って、見事に仇を取るには取ったからいいようなものの」
と言いました。
「ははあ、どなたが、雪辱においでになったのですか、そうしてその勝負はどうでした、お聞かせ下さい」
「吉本が行って、松浦を打ち込んで来たから、まあ怪我も大きくならずに済んだ」
といって仏頂寺は、斎藤歓之助のために、九州へ雪辱戦に赴いた同門の吉本豊次と、松浦との試合について、次の如く語りました。
 無論、吉本は歓之助の後進であり、術においても比較にはならない。しかし、この男はなかなか駈引がうまい。胆があって、機略を弄(ろう)することが上手だから、変化のある試合を見せる。歓之助すらもてあました相手をこなしに、わざわざ九州へ出かけて、松浦に試合を申しこみ、さて竹刀を取って道場に立合うや否や、わざと松浦の拳をめがけて打ち込み、
「お籠手(こて)一本!」
と叫んで竹刀を引く。
「お籠手ではない、拳だ」
 松浦は笑いながら、その名乗りを取合わない。無論、取合わないのが本当で、戯(たわむ)れにひとしい振舞で、一本の数に入るべきものではない。
 ところが、吉本豊次はまた何と思ってか、取合わないのを知らぬ面(かお)で、竹刀(しない)をかついで道場の隅々をグルグル廻っているその有様が滑稽なので、松浦が、
「何をしている」
と訊(たず)ねると、吉本は抜からぬ顔で、
「ただいま打ち落した貴殿の拳を尋ねている」
 この一言に、松浦の怒りが心頭より発した。
 松浦の怒ったのは、吉本の思う壺であった。手もなくその策略にひっかかった松浦の気は苛立(いらだ)ち、太刀先(たちさき)は乱れる。その虚に乗じた吉本は、十二分の腕を振(ふる)って、見事なお胴を一本。
「これでも九州第一か」
 そこで斎藤歓之助の復讐を、吉本豊次が遂げた。その吉本の如きも、自分の眼中にないようなことを仏頂寺がいう。以上の者の仇を、以下の者がうったのだから、それだから勝負というものはわからない。非常な天才でない限り、そう格段の相違というものがあるべきはずはない。ある程度までは誰でも行けるが、ある程度以上になると、容易に進むものではない。
 現代の人がよく、桃井、千葉、斎藤の三道場の品評(しなさだめ)をしたがるが、それとても、素人(しろうと)が格段をつけたがるほど、優劣があるべきはずはないという。
 自然、話が幕府の直轄の講武所方面の武術家に及ぶ。以上の三道場は盛んなりといえども私学である。講武所はなんといっても官学である。そこの師範はまた気位の違ったところがある。男谷下総守(おだにしもうさのかみ)をはじめ、戸田八郎左衛門だの、伊庭(いば)軍兵衛だの、近藤弥之助だの、榊原健吉だの、小野(山岡)鉄太郎だのというものの品評に及ぶ。それから古人の評判にまで進む。
 人物は感心し難いが、そういう批評を聞いていると、実際家だけに、耳を傾くべきところが少なくはない。兵馬は少なくともそれに教えられるところがある。
 かくて、三日目に例の信濃の下諏訪に到着。
 以前、問題を引起した孫次郎の宿へは泊らず、亀屋というのへ三人が草鞋(わらじ)をぬぐ。
 その晩、仏頂寺と丸山は兵馬を残して、どこかへ行ってしまいました。多分、過日の塩尻峠で負傷した朋輩(ほうばい)を、この地のいずれへか預けて療養を加えさせているのを、見舞に廻ったのだろう。
 宿にひとり残された兵馬は昂奮する。
 明日はいよいよ塩尻峠にかかるのだ。仏頂寺らのいうところをどこまで信じてよいかわからないが、果してその人が机竜之助であるかどうか、確証を得たわけではないが、しかし疑うべからざるものはたしかに有って存するようだ。
 塩尻へかかって、その証跡をつきとめた上に、行先を尋ぬれば当らずといえども遠からず。どうも大事が眼の前に迫ったように思う。
 ところが、いくら待っても、仏頂寺と丸山とが帰って来ない。
 待ちあぐんだ兵馬は、お先へ御免を蒙(こうむ)って寝てしまいました。
 心には昂奮を抱いても旅の疲れで、グッスリと眠る――明け方、眼を醒(さ)まして見ると、二人の寝床は敷かれたままになっている。仏頂寺も、丸山も、昨夜のうちに帰って来た様子がない。
 いったん戻って、また出直したとも思われない。兵馬は気が気でない。
 肝腎の案内者、次第によっては助太刀をも兼ねてやろうという剛の者が、戦いを前にして逃げ出したわけでもあるまいに、他(ひと)の大事とはいいながら、あまりといえば暢気千万(のんきせんばん)だ。
 兵馬は起きて、面(かお)を洗って、用意を整えて待っているが、仏頂寺と、丸山は、容易に帰って来ない。もう外では、人の足の音、馬の鈴の音が聞える――膳を運ばれたのを、そのままにして箸を取らないで、二人の帰るのを待っているが、二人は帰らない。日が高くなる。
 宿のものにいいつけて捜させると、その二人は瓢箪屋(ひょうたんや)という茶屋で女を揚げて、昨晩、さんざんに飲み、酔い倒れてまだ枕が上らないとの報告。兵馬は聞いて苦笑いをしました。
 二人の飲代(のみしろ)は、お銀様から預かった、財布からの支出に相違ない――兵馬はそんなことは知らないが、あまりの暢気千万に呆(あき)れて、よし、それでは拙者が出向いて起して来るといって、旅装を整えて、この宿から茶屋へ向いました。
 兵馬はその茶屋というのへ行ってみたが、たしかにお二人はおいでになっているが、未だお眼醒(めざ)めになりませんという。
 それでは、自分が直接(じか)に起して来るといって、茶屋の者が驚くのをかまわず、兵馬は二階へ上って、二人の寝間へ踏み込んで見ると、二人は怪しげな女と寝ている。
 あまりの醜態に呆れ返った兵馬は、
「おのおの方は、まだお休みか、拙者は一足お先に御免蒙る」
といい放って、さっさと出てしまいました。
 そうして兵馬は二人を置去りにして、一人で下諏訪を発足するとまもなく例の塩尻峠。峠を上りきって五条源治の茶屋で一休みしました。
「この間、この辺の原で斬合いがあったという話だが、本当か」
と訊ねてみますと番頭が、
「ええ、ありました、えらい騒ぎで……」
 そこで、先達(せんだっ)ての、いのじヶ原の斬合いの話が始まる。
 いずれも、自分が立会って篤(とく)と見定めたような話しぶり。実は斬合いという声を聞くと、戸を閉じて顫(ふる)えていた連中。
 聞くところによると、一方の侍は女を連れて従者一人。また一方のはくっきょうの武者四人ということ。つまり、四人と一人の争いで斬合いが始まって、その結果は四人のうちの二人まで斬られて、他の二人がそれをここへ担(かつ)ぎ込んで、手荒い療治を加えたということ。
 聞いてみると、仏頂寺と、丸山が、物語ったところとは少しく違う。それほど重傷を負うた二人の者はどこにいる。それも疑問にはなるが、兵馬の尋ねたいのは別の人。
「それでなにかね、その相手の一人というのは、盲(めくら)の武家であったという話だが、それも本当か」
「それは嘘でございましょう、ねえ、あなた様、なんぼなんでも盲の方が、四人の敵を相手にして勝てる道理はございませんからね」
「いかさま、左様に思われるが。して、その者の年の頃、人相は……」
「それがあなた、よくわかりませんのでございますよ、諏訪の方からおいでになった大抵のお客様はひとまず、これへお休み下さるのが定例(じょうれい)でございますのに、そのお客様ばかりはここを素通りなさいましたものですから、つい、お見それ申しました」
「なるほど……それで供の者は?」
「御本人はお馬に召しておいでになりましたが、若いお娘さんが一人、お駕籠(かご)で、それからお附添らしい御実体(ごじってい)なお方は徒歩(かち)でございました」
「なるほど」
 輪廓[#「輪廓」はママ]だけで内容の要領は得ないが、盲(めくら)だとは信じていないらしい。そういう説もあるにはあったようだが、そんなことは信ぜられない、といった口ぶり。
 さもあろう。だが、最初は、自分たちが立会って、その果し合いを篤(とく)と見定めたような話しぶり。おいおい進むと、その人相年齢すらも確(しか)とは判然しない。それと違って、畳針と、焼酎と、麻の糸とで縫い上げた療治ぶりは、手に取るように細かい。これは仏頂寺、丸山からは聞かなかったところ。
 ともかく、想像すれば、ここを行くこと僅かにしていのじヶ原がある。そこの真中で四人の剛の者が、一人の弱々しい者を取囲んで、血の雨を降らしたという光景は、眼前に浮んで来る。そうして、四人のうち、二人は瀕死の重傷を負うてここへ担ぎ込まれたことは疑うべくもない。
 してみれば、これからその途中、誰か一人ぐらいはその斬合いを見届けた者があるだろう。尋ねてみよう。
 そこで、兵馬が、茶代をおいて立ち上る途端に、アッと面(かお)の色を変えたのは茶屋の番頭で、それは、今しも峠を上りきって、この店頭(みせさき)へ現われたのが、見覚えのある仏頂寺弥助と、丸山勇仙の二人であったからです。
 五条源治の番頭が青くなったのも無理はありません。こういうお客は、二度と店へ来ない方がよいのです。あの時は、亡者が立去ったほどに喜び、塩を撒(ま)いてその退却を禁呪(まじな)ったのに、またしても舞戻って来られたかと思うと、物凄(ものすご)いばかりであります。
「おい番頭、この間はいかいお世話になってしまったな」
「どう仕(つかまつ)りまして……」
 幸いに、今日は何も担ぎ込んでは来なかったが、これからどうなるかわからない、これから先が危ないのだ――番頭はこの客が早く出て行ってくれればいいと思いました。出て行ってしまったら、そのあとで戸を閉めてしまおうかと思いました。
「宇津木君、先刻は、君に飛んだところを見せてしまって面目がない」
 抜からぬ面(かお)の仏頂寺に対して、宇津木兵馬が、
「一足お先へ出かけました」
「さあ、いのじヶ原へ行こう」
 番頭を安心させたのは、仏頂寺、丸山が店へ腰を下ろさないで、先来の客を促して、前途へ向けて出発を急ぐからであります。全く、こういうお客は、一刻も早く立去ってもらいさえすればよい。
 三人が打連れて、いのじヶ原方面へ立去ったので、番頭の面に初めて生ける色が現われました。
 兵馬を中に挟(さしはさ)んで、峠の道をやや下りになる仏頂寺と丸山。
 兵馬は、ここで奇態な人間だと、少々煙(けむ)に巻かれました。
 さいぜんの醜態は感心しないが、あの醜態を少なくとも忽(たちま)ちの間に脱却して、相当に旅装を整えて、一気に、ここまで駈けつけて来た転換の早さは、相当に感心しないわけにはゆかない。あの体(てい)では終日耽溺(たんでき)から救わるる術(すべ)はあるまいと見えたのに。
「は、は、は、は」
 仏頂寺は声高く笑い、こんなことは朝飯前だといわぬばかりに、
「修行盛りの若い時分には……」
 吉原に流連(いつづけ)していても、朝の寒稽古にはおくれたためしがない。遊女屋の温かい蒲団(ふとん)から、道場の凍った板の間へ、未練会釈もなく身を投げ出す融通自在を自慢面(がお)で話す。
 その時、いのじヶ原の方を見廻すと、縦隊を作った真黒な一団の人が、こっちへ向いて上って来る。それを見下ろし加減に眺めつつ下る三人の者。
「おや、あれは何だろう」
 馬もなければ、駕籠もない。槍も、先箱もない。ただ真黒な縦隊に、笠だけが茸(きのこ)の簇生(ぞくせい)したように続いている。
「なるほど」
 三人が何とも判定し兼ねて行くと、先方も近づいて来る。道もほとんど平らになる。そこで見当がついてみると、何の事だ、これは旅の行商の一隊であった。笠に脚絆(きゃはん)、甲掛(こうがけ)、背に荷物、かいがいしい装い。しかも、それが男ではなくすべて女。数は都合二十名ほど。
 やがて、こちらの三人と、その女行商人とは細い道でこんがらかる。
 これは、白根山の麓(ふもと)あたりに住む「山の娘」の一行でありました。
 今しも松本平方面へ行商に出かけて、故郷へ帰るのか、そうでなければ伊奈方面へ足を入れる途中と見える。
 その以前、机竜之助は駿河から甲州路への徳間峠(とくまとうげ)で、計(はか)らずもこの山の娘たちに救われたことがある。仏頂寺と、丸山は、この山の娘たちの縦列とこんがらかって、やがていのじヶ原へすり抜けました。すり抜けた時に仏頂寺弥助が、
「どうかすると、あんなのの中に素敵(すてき)なのがいる」
といいますと、丸山勇仙が、
「年増(としま)で一人、娘で二人ばかりたまらないのがいたよ」
「おや、宇津木がいない」
と見れば、宇津木兵馬がいない。山の娘の縦列に呑まれてしまったのか、三人打連れて来たうちの一人がいない。忘れ物でもしたように振返ると、宇津木兵馬は、ずっと後(おく)れて路の傍(はた)に、行商の女の一人としきりに話し合っているのを認めましたから、
「おや」
 仏頂寺と、丸山が、狐にでも憑(つま)まれたように感じました。
「何を話しているのだろう」
 暫く待っていたが、その話が存外手間が取れるので、
「すっかり話が持ててるぜ」
「様子が訝(おか)しい」
と言いました。少し嫉(や)けるような口ぶりでもあります。
「おやおや、女共がみんな野原へ荷物を卸(おろ)して休みだした、それだのに宇津木とあの女ばかりは、立ち話に夢中だ」
「何か宇津木の奴、頻(しき)りに手真似(てまね)をして女を宥(なだ)めている」
「女(あま)めは泣いてるじゃないか、涙を拭いている様子だ」
 実際、離れて見ると、意外な光景には違いありません。
 行商の一隊が、まるくなって取巻いて休んでいる中に、宇津木と、その山の娘のうちの一人とが、しきりに懐かしそうな立ち話をつづけている。
 仏頂寺と、丸山とは、それをぼんやりと、いつまでも見ていなければならない有様となっている。調子が少し変ってきました。
 山の娘たちは密集を得意とする。里に出る時は散逸しても、険山難路を過ぐる時は必ず集合する。事急なる時は必ず密集する。密集すれば、獅子も針鼠を食うことができない。ナポレオンも、アレキサンダーも、密集の利益を認めていた。二十余人の女が密集すれぼ、いかなる兇漢も、ちょっと手がくだせまい。
 そこで密集は力である。どうかすると山の娘たちは、この密集の中に窮鳥を包容することがある。いかにもこの密集の中へ包んで、白根の山ふところへもちこんでしまえば、捜索の人を、永久に隠匿(いんとく)することができる。天保の大塩の余党のうちにも、これらの手によって、山の奥へ隠され、再び世に出でない安楽の生涯を終ったものがあるという。江川太郎左衛門ほどの英物が竹売りに化けて、斎藤弥九郎を引連れ、甲州へ隠密(おんみつ)に入り込んだのもそのためであったが、ついに得るところなくして終った。
 女は弱いことになっているが、それでも団結はやはり力である。山の娘たちは団結的に訓練されている。
 仏頂寺と丸山は兵馬を後にして、忌々(いまいま)しそうに歩き出し、
「ここだ!」
 二人、足を止(とど)めたのは、いのじヶ原のちょうど真中ごろ。
 あの時の不思議な立合。二人の眼の前に、過ぎにし剣刃上の戯れがまき起る。
 この時分、宇津木兵馬はようやく、女との立ち話が済んで、二人の跡を追うて来るのを認めます。仏頂寺弥助は、その当時、机竜之助が立ったところに立って、兵馬の来るのを待っている。
 山の娘たちは草原の上に休んだままで、申し合わせたように、こちらを眺めている。
 兵馬が急いで、二人の跡を追いかけて、ここへやって来た時、以前、竜之助が立っていたところに立っていた仏頂寺が、
「宇津木、問題の場所はここだ、ここにそれ、こうして……」
 兵馬を、麾(さしまね)いた仏頂寺弥助の気色(きしょく)なんとなく穏かならず、どういう料簡(りょうけん)か、近づく兵馬を尻目にかけて、腰なる刀を抜いて青眼に構えたのは、意外でもあり、物騒千万でもある。
 どうもこれは穏かでない。
 なにもわざわざ、またそう軽々しく刀の鞘(さや)を外(はず)さなくてもいいではないか。
 仕方話をするのに、真剣を抜いて見せる必要もないではないか。
 兵馬は、仏頂寺の刀を抜いたのを大人(おとな)げないと思い、丸山勇仙ですらが、意外に打たれたようです。仏頂寺はそれに頓着なしに、
「こうだ、ここへさがってこの通りに構えたものと思わっしゃい。いいかい、目は見えないのだよ」
といって仏頂寺は、自分の眼をつぶりました。彼は、先日の竜之助の取った通りの型をして見せるのです。
 そこで兵馬は、一足さがって、その型を篤(とく)と見定めました。
 仏頂寺は、冷然として、どこまでも本人の型通りに、青眼、こころもち刀を右へ斜につけた姿勢で、動こうとはしない。
「いよう! そっくり!」
と丸山勇仙が頓狂な声を揚げました。仏頂寺の型が、竜之助の音無(おとなし)うつしにそっくり出来たものだから、音羽屋(おとわや)! とでも言いたくなったのでしょうが、音羽屋とも言えないから、それで単にそっくりといってみたものでしょう。しかし、仏頂寺は笑わず、兵馬は痛切に、その型を打眺めていると、仏頂寺が、
「宇津木、どうだ、わかるか、わかったら打込んで見給え」
と、やはり目をつぶったままで言いました。
「うむ」
 兵馬は、仏頂寺の型を、身を入れて眺めているばかりです。
「わかるまいな」
 仏頂寺は、いつまでも冷然と構えている。丸山勇仙が、妙な面(かお)で、それを横から眺めながら兵馬に向い、
「宇津木君、かまわないから仏頂寺を斬ってしまい給え、ああしているところを」
 傍からけしかけてみる。
 兵馬は無言で、仏頂寺の型を睨(にら)めている。仏頂寺は澄まし返って、その姿勢をいつまでも崩すことではない。
 仏頂寺の態度は冷やかなものだが、それを見つめている兵馬の額に、汗のにじんでくるのを認める。その眼が輝いてくるのを認める。息づかいの荒くなるのを認める。
 丸山勇仙が、そこでようやく一種の恐怖に襲われてきました。
 この男は、学問の心得は相当にあるが、剣術は出来ない――これは前にいった通り。そこで最初は仏頂寺の型を、芝居もどきに冷かしてみたが、戯中おのずから真あり、とでもいうのか、ただしは、冗談(じょうだん)が真剣になったのか、仏頂寺の構えたしらの切り方の刻々に真に迫り行くのが怖ろしく、それと相対(あいたい)した兵馬の態度が、いよいよ真剣になりそうなのに恐怖を感じだしました。
 よくあることで、酒の上の冗談から、果し合いになったり、申合いの勝負が、遺恨角力(いこんずもう)に変ずることもないではない。そこで、暢気(のんき)な丸山勇仙が、ほんとうに怖れを感じだしてきたのも無理はありません。
「兵馬、これは斬れまい」
 仏頂寺が、またも冷然として言い放つと、
「何を!」
 笠を投げ捨てた兵馬は、勢い込んで刀を抜き合せてしまいました。
 それ見たことか――勝負心の魔力というものは、得てこうなるものだ。
 兵馬は、ついに離れて、仏頂寺の青眼に対する相青眼の形を取って、ジリジリと、その足の裏の大地に食い込むのがわかる。
 それを見た丸山勇仙が堪り兼ねて、
「おい、仏頂寺、止(よ)せよ、冗談は止せよ、第一、この俺が迷惑するではないか、宇津木、君も刀を引いた方がいいぜ」
 最初は囃(はや)したり、けしかけたりしてみた勇仙は、双方の間に立って、途方に暮れながら騒ぎ出しました。
 丸山勇仙が騒ぎ出したのみならず、遥(はる)か離れて休んでいた山の娘たちも、遠くこの光景を見て総立ちになりました。
「おい、仏頂寺、冗談は止せよ、宇津木、刀を引けよ」
 丸山勇仙は、うろうろとして両者の間を飛びまわる。
 しかも、仏頂寺は冷然として動かず、宇津木は全力を尽して向っている。
「止せったら、止し給え、つまらん芝居をするなよ」
 さすがの勇仙が弱りきって、泣かぬばかりに飛び廻っているのを気の毒に思ったか、仏頂寺が、今までつぶっていた両眼を見開いて、
「これなら打ち込めるだろう」
「ちぇッ」
と兵馬は打ち込まないで、刀を引きました。
「おどかすなよ、ほんとうに」
 丸山勇仙は、ホッと安心して胸を撫で下ろす。刀を鞘(さや)に納めた仏頂寺、
「眼のあるのと、無いのとは、これだけ違う」
 同じく刀を納めて、額の汗を拭いて兵馬は、
「その通り……」
と言いました。
 いったん、総立ちになって、遠くこの光景を眺めた山の娘たちも、そこで静まりました。
 やがて三人は、また打連れて歩き出す。これより先、まもないところに、屋根に拳石(けんせき)をのせた一軒茶屋がある。そこへ立寄れば過日の接戦の裏、五条源治の茶屋で知らないところを聞くことができたろう。兵馬もまた有力な手がかりを得たかも知れないが、そこは素通りしてしまって、塩尻峠を下り尽すと、塩尻の阿礼(あれ)の社(やしろ)。
 そこで、宇津木兵馬が聞き合せたところによると、どうも竜之助らしい一行が、これから木曾路へは向わないで、五千石の通りを松本方面へ赴いた形跡だけは確かであることを知りました。
 ともかくも松本平。そこが捜索の一つの根原地とならなければならぬ。
 三人は、いざとばかり、塩尻の茶屋を立って、五千石の通りを松本へ向わんとする。
 この宿(しゅく)の外(はず)れまで来ると、路傍の家の戸板に大きな絵看板が出ている。絵看板ではない、絵の辻ビラでしたけれど、大きなのを、けばけばしく掲げてあったところから、絵看板だとばかり思いました。
「ほほう、松本の町へ、海老蔵(えびぞう)が乗込んで来たぞ」
 丸山勇仙が早くもその大きな辻ビラの前に立ちました。見れば真中に大きく、
「江戸大歌舞伎 市川海土蔵(えどぞう)」
と認(したた)めてある。海土(えど)の土がごまかされているのを知らず、丸山も仏頂寺も、等しく、ああ海老蔵が来たなと思いました。
 宇津木兵馬も無論、土と老とを見分けるほどに興味を持ってはおりません。
 海老蔵の名は、市川の家にとっては、団十郎よりも重いはずの名であります。
 仏頂寺と、丸山が、従来全く芝居を見ない人間であるか、或いは最もよく芝居を見る人間であるか、どちらかならばよかったが、両人ともに話の種になる程度で海老蔵を見るには見ている。しかし無論、道庵流に皮肉に見ることなどは知らないし、武芸者の大雑把(おおざっぱ)な頭に、海老蔵の名前だけがしみ込んでいるものですから、その絵ビラを見て、
「松本へ海老蔵が来たな、こいつは一番見ずばなるまい」
という気になりました。
 兵馬の、芝居を知らないことは、これらの人々より一層上で、さりとて、宇治山田の米友ほどに、絶対にそんなものが頭に無いというほどではないが、今は、芝居どころの沙汰(さた)ではない。
 ところが、仏頂寺と、丸山は、松本へ着いたら市中へ宿を取らずに、まず浅間の温泉へ行こうという話をしている。それを聞いていると、どこまでも遊山(ゆさん)気取りです。
 いったい、この連中、亡者みたように道中を上下しながら、こうも暢気(のんき)なことがいっていられるのは不思議だ。いったい、路用の財源はどこから出るのだろうと、兵馬はまじめに人の懐ろまで心配してみました。しかし、まあこのくらいに腕が出来、武芸者として面(かお)が売れていれば、到るところに相当の知己があって、多少の路用には事欠かないのだろう――お銀様と別れた後の自分は淋しい。人の気も知らないで、といったような気分にもなりました。
 そうして松本をめざしてゆくと、松本方面から、飄然(ひょうぜん)と旅をして来た浪士体(てい)の精悍(せいかん)な男が一人、
「やあ、仏頂寺……」
と、いきなり先方から言葉をかけると、
「おや、川上」
と仏頂寺が合わせました。
「何をうろうろしているのだ」
 先方がいう。
「吾々は亡者だから、気の向いたところを行きつ戻りつしている。君は、そうして、ちょこちょこと、どこから来てどこへ急ぐのだ」
「松代(まつしろ)からやって来たが、これから上方(かみがた)へ上るのだ」
「吾々はまた、この同勢で浅間の温泉へ行こうというのだ、君も附合わないか」
「そうしてはおられぬ」
といって、この男はさっさと行き過ぎてしまいました。
「川上の奴、松代へ何しに行ったのだ」
「態々(わざわざ)行ったのじゃあるまい、江戸からの帰りがけだろう」
 こういって、仏頂寺と、丸山とは話しながら、川上と呼ばれた浪士と袂(たもと)を分ちました。
 兵馬は知らない人だが、その川上と呼ばれた男、見たところ柔和なうちに精悍な面魂(つらだましい)と、油断のない歩きぶりと、殺気を帯びた歯切れのよい挨拶ぶりを聞いて、なんだか一種異様な印象を与えられました。
「あれは肥後の川上彦斎(げんさい)といって、穏かでない男だ」
と仏頂寺が簡単に説明してくれたので、兵馬が初めてその名を知ることができました。
 仏頂寺の註釈通り、肥後の川上彦斎は甚だ穏かでない男であります。佐久間象山を殺したのも、実はこの男でありました。象山を殺しておいて、なにくわぬ面(かお)で象山の家へ行って、平気で寝泊りをしていたのもこの男であります。剣術はさのみ優れたりとは見えないが、人を斬ることには凄い腕を持った男の一人であります。
 或る時、或る席で数名の者が、ところの代官の悪評をしているところへ、川上が来合わせて、暫くその話に耳を傾けて、やがて外へ出てしまった。多分小便にでも出かけるのだろうと思っていると、やがて、平気な面(かお)をして立戻った川上を見ると、片手に生首(なまくび)を提げていた。それはただいま評判に上った悪代官の首であった――
 当時、人を斬るといえば必ず斬った者が三人はある。武州の近藤勇、薩摩の中村半次郎(桐野利秋)――それと肥後の川上彦斎。

         十二

 根岸の御行(おぎょう)の松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、青梅(おうめ)の裏宿の七兵衛が、しきりに気障(きざ)な真似(まね)をしています。
 がんりきと違って七兵衛は、あんまり気障な真似をしたがらない男でありますが、どうしたものかこのごろは、しきりに気障な真似をしたがる。
 というのは、毎晩、いいかげんの時刻になると、百目蝋燭を二挺までともし連ねて、その下で、これ見よがしに銭勘定を始めることであります。
 金銭や学問は、有っても無いふりをしているところに、幾分おくゆかしいところもあろうというものを、こう洗いざらいブチまけて、これ見よがしの銭勘定を始めたんでは、全くお座が冷(さ)めてしまいます。事実、七兵衛の前に、堆(うずたか)く積み上げられた金銀は、お座の冷めるほど、根太(ねだ)の落ちるほど、大したもので、隣りの千隆寺から持って来たお賽銭(さいせん)を、ひっくり返しただけではこうはゆきますまい。
 近在へ、盗み蓄えて置いたのを、残らずといわないまでも、手に届く限り持ち込んで、ここへこうして積み上げて、銭勘定を始めたものとしか見えません。第一、分量において、お座の冷めるほど、根太の落ちるほど、積み上げられたのみでなく、種類においても、大判小判を初め、鐚銭(びたせん)に至るまで、あらゆる種類が網羅されてあり、それを山に積んで、右から左へ種類分けにして、奉書の紙へ包んでみたり、ほごしてみたり、叺(かます)へ納めてみたり、出してみたりしている。
 それを、また、いい気になってその隣りの一間で、脇息(きょうそく)に肱(ひじ)を置いて、しきりに眺めている人があります。
 これ見よがしに、金銀をブチまけるのも気障だが、人の金銀を涎(よだれ)を垂らして眺めている奴も、いいかげんの物好きでなければならぬ。その物好きは、お絹という女です。
 これは猫に小判ではない、たしかに猫に鰹節ですが、この猫は牙を鳴らして、飛びかかりはしないが、猫撫で声をして、
「七兵衛さん、眩(まぶ)しくってたまらないから、蝋燭(ろうそく)を一挺にしたらどうです」
「へ、へ、へ、いや、これで結構でございますよ」
 見向きもしないで、また新たに小判の包みを一つ、ザクリと切ってブチまけたのは、いよいよ気障(きざ)です。
「小判のようですね」
「へ、へ、小判でございます」
「贋(にせ)じゃあるまいね」
「どう致しまして……小判も、小判、正真正銘の慶長小判でございますよ」
「本当かい」
「論より証拠じゃございませんか、一枚嘗(な)めてごらんなさいまし」
と言って七兵衛が、その小判のうちの一枚を取って、敷居ごしの隣座敷のお絹の膝元まで、高いところから土器(かわらけ)を投げるような手つきで抛(ほう)ると、それがお絹の脇息(きょうそく)の下へつきました。
「お見せな」
 お絹はその一枚を手に取り上げて、妙な面(かお)をして眺めました。
「色合からして違いましょう」
「そうですね」
「それから品格が違います」
「そうかしら」
「これと比べてごらんあそばせ――こちらのは、常慶院様の時代にお吹替えになりました元禄小判でございますよ」
といって、七兵衛はまた一枚の小判を取って高いところから土器を抛(ほう)るような手つきで、お絹の脇息の下まで送りました。
「お見せな」
 それを、また拾い上げたお絹は、花札をめくるような手つきで、以前のと扇子開(せんすびら)きに持ち添えて眺め入ると、
「色合から品格――第一、厚味が違いましょう」
「なるほど」
「時代がさがると、金銀の質(たち)までさがります」
 七兵衛は抜からぬ面で、
「御通用の金銀を見ますと、その時代の御政治向きと、人気が、手に取るようにわかるから不思議じゃございませんか」
と、「三貨図彙(さんかずい)」の著者でもいいそうなことをいう。
「まあ、篤(とく)とごらん下さい。この慶長小判の品格といい、光沢といい、細工の落着いた工合といい、見るからに威光が備わっていて、なんとなしに有難味に打たれるじゃございませんか」
 自分も慶長小判の一枚を取り上げて、さも有難そうに見入ります。
「そういわれれば、そうです」
とお絹も感心したように、慶長小判の色合にみとれている。
「この小判一枚を見ても、権現様(ごんげんさま)の威勢と、その御政治向きのたのもしさがわかるじゃございませんか」
「なるほどね」
「天下をお取りになるには、智仁勇ばかりではいけませんよ、やっぱりお金が無けりゃあね。またよくしたもので、天下をお取りになるような方には自然、お金の運も向いて来るものですからね。権現様はお金持でした……その権現様をお金持にして上げたのは、甲州武田のお能役者で大蔵(おおくら)というのが、これが目ききで、伊豆の北山や、佐渡の金山を開いて上げたのも、あの大蔵というお能役者の働きでございましたよ。この慶長小判の質(たち)のいいのも、つまりその時の手柄で、権現様の御治世には、諸国に金銀の山がたくさんに出来、牛車や馬につけ並べた金銀の御運上がひっきりなしにつづいたそうで、昔の人の話では、佐渡ヶ島は金銀で築立(つきた)てた山で、この金銀を一箱に十二貫目ずつ詰めて、百箱を五十駄積みの船に積み載せ、毎年五艘十艘ずつ、風のいい日和(ひより)を見計らって、佐渡ヶ島から越後の港へ積みよせ、それから江戸へ持ち運ぶ御威勢は大したものだっていいました」
「わたしは、そんな山は、いらないから、お金の実(な)る木がただ一本だけ欲しい」
「へ、へ、一本とは、あんまりお慾が小さ過ぎます、せめて十本も植木屋にいいつけて、おとりよせになってはいかがです……冗談はさて措(お)きまして、こういう質(たち)のいい金銀を、平常遣(ふだんづか)いに、惜気もなく使い捨てたその時代の人は豪勢なものでしたが……この通り、元禄の吹替えになりますていと」
 七兵衛は慶長小判を、そっとかたわらへ置いて、改めて元禄小判といった一枚を手にしましたから、お絹もそれを上置きに直して比べて見ている。七兵衛は得意らしく、
「元禄になって、これをお吹替えになったのは、つまり、お上がお金の質(たち)を悪くして、そのかすりをお取りになろうという腹でした仕事なんですから、ごらんなさい……見たところでもわかりますが、品格がグッと落ち、光沢が落ち、この通り裂け目が出来ています。通用の途中で裂けたり、折れたり……慶長小判には摺(す)りきれてなくなるまで、そういうことはございません。ところで、悪くなりだすと際限がないもので、この元禄小判より、もう少し下等なのが出来てしまいました。ごらんなさい、これですよ。これを乾字金(けんじきん)といいましてね、金の量を思いきり少なくして、銀と銅とをしこたまブチ込んだものですから、見てさえこの通り、情けない小判が出来上っちまいました」
といって七兵衛は、また別の一枚の小判を取って、前と同じように、高いところから土器(かわらけ)を投げるような手つきで、お絹の脇息の下まで送りますと、それを拾い上げて、やはり花札を持つように、三枚持ち並べたお絹。
「だんだん札が落ちてくるのね」
「お金というやつは、悪いやつが出て来ると、いいのが追ッ払われてしまうんですから、無理が通らば道理引っ込むといったようなわけです、時代が悪くなると、いい人間と、いい金銀が隠れて、碌(ろく)でもなしが蔓(はびこ)ります」
 七兵衛は得意になって、正徳(しょうとく)、享保(きょうほ)の改鋳金(かいちゅうきん)を初め、豆板、南鐐(なんりょう)、一分、二朱、判金(はんきん)等のあらゆる種類を取並べた上に、それぞれ偽金(にせきん)までも取揃えて、お絹を煙に巻いた上に、
「なんと、お絹様――金というものは腐るほどあっても、使わなけりゃなんにもなりません」
「それはそうですとも」
「そこでひとつお絹様、あなたのために、家を建てて差上げようと思います」
「結構ですね」
「家を建てるには、まず地所から求めてかからなければなりません。いかがです、恰好(かっこう)なところがありますか。ありませんければ、さし当りこの隣りの地面を買い潰(つぶ)すことに致しまして、左様、ともかく、六百坪、二反歩はなければ、庭も相当には取れません。それを一坪一両ならしと見て六百両……」
 七兵衛は、百両包と覚(おぼ)しいのを六つ、お絹の方へ向けて形よく並べました。
「そこで普請(ふしん)にかかりますが……それが坪三十両に見積って、建坪三十坪、まあザッと千両ですか」
 七兵衛は、また百両包と覚しいのを、前に並べた六百両の上に積み上げました。
「それから庭……これはさしあたって、三百両もかけておいて……」
 女も少なくとも二人は置かなければならない。それから男の雇人と、庭師といったようなもの、それに準じての家財雑具――それをいいかげんに七兵衛が胸算用(むなざんよう)をしては、次から次へと並べてみると、都合三千両ほどになりました。
「いかがです、この辺のところでお気には召しませんか――何しろ、大名や分限(ぶげん)の仕事と違いまして、わたしどものやることですから、この辺がまあ精一杯ですね」
「その辺で結構ですよ、どうも御親切に済みません。御親切ついでにどうでしょう、そのお金をそっくり、わたしに貸して下さるわけにはゆきますまいか」
「お貸し申すつもりで出したお金ではございません、家を建てて、あなた様を住まわせてお上げ申したいためのお金でございます」
「同じことじゃありませんか、どのみち、わたしのために都合して下さる御親切なお金なら、そっくり貸して下すっても同じことでしょう」
「なるほど、御融通する以上は同じようなものですけれど、家屋敷としてお貸し申せば目に見えますけれど、ただお貸し申したんでは目に見えませんからな、そこにはそれ、抵当というものがありませんと」
「野暮(やぼ)なことをいうじゃありませんか、抵当を上げて順当に借りる位なら、何もお前から借りようとはしませんよ」
「これは恐れ入りましたね、わっしどものお金に限って抵当はいらない、ただ貸せとこうおっしゃるんでございますか」
「お気の毒さま、今の身分では、逆さに振っても抵当の品なんぞはありませんからね」
「無いとおっしゃるのは嘘です、嘘でなければお気がつかれないのです。お絹様、あなたは、ちゃんと、その抵当を持っておいでになりますよ」
「え……わたしの今の身で、大金を借り出す抵当がどこにあると思うの」
「ありますともさ、つまり、あなた様の身体(からだ)一つが、立派な抵当になるじゃございませんかね」
「おや、お前は変なことをお言いだね」
「ずいぶん、世間にないことじゃなかろうと心得ます」
「ばかにおしでない、身体を抵当にお金を借りるのは、世間でいう身売りの沙汰(さた)じゃないか、痩(や)せても、枯れても、まだ勤め奉公をするまでには落ちないよ」
「そう悪く取ってしまっちゃ困るじゃありませんか、いつお前様に身売りをお薦(すす)めした者があります、よしんば身売りをお薦め申したところで、失礼ながら、御容貌(ごきりょう)は別として、あなたのお歳では、判人(はんにん)が承知を致しますまい」
 お絹は怫然(むっ)として、
「冗談も休み休み言わないと、罰(ばち)が当りますよ」
「どうも相済みません」
「お前たち、百姓の分際で……」
「まことに相済みません、あなた様は御先代の神尾主膳様御寵愛(ごちょうあい)のお部屋様、とはいえ、金銭は別物でございますから、たとえ、どなた様に致せ、抵当が無くて、金銭を御用立て申すというわけには参りません、お気に障(さわ)ったら御免下さいまし」
 七兵衛はそういいながら、後ろの壁に押付けてあった鎧櫃(よろいびつ)を引き出して来ました。いつの間にか、お賽銭箱(さいせんばこ)が鎧櫃にかわっている。それを引き出して来た七兵衛は、並べた金銀の包みを、次から次へとこの鎧櫃の中へ蔵(しま)いはじめました。
 お絹は、その手つきを冷笑気分で見ていましたが、そう思って見るせいか、七兵衛の金を蔵う手つきまでが堪らなく気障(きざ)です。
「恐れ入りますが、そいつをひとつ……その見本をこっちへお返しなすっていただきましょう」
 ふいと気がついたように七兵衛は、お絹に向って最初に提示した慶長小判をはじめ、見本の金銀を、お絹の手元まで受取りに出ました。
「持っておいで」
 お絹は脇息(きょうそく)の上から、ザラリと金銀の見本を投げ出しました。
 それをいちいち御丁寧に拾い上げた七兵衛、
「あああ、私という人間が、こんなに金を蓄えて何にするつもりなんでしょう、気の知れない話さ、女房子供があるわけじゃなし、妾(めかけ)、てかけを置いて栄耀(えいよう)しようというわけじゃなし、これがまあ本当に宝の持腐れというやつかも知れませんが、金というやつは皮肉なやつで、欲しくないところへは無暗に廻って来るし、欲しいと思うところへは見向きもしない……」
「知らないよ」
 お絹が横を向きました。
「だが、金というやつは、有って邪魔になる奴じゃなし、そばへ置いとくと、いよいよ可愛くなる奴だが、足が早いんで困ります、金銭のことをお足とは、よくいったものさ、捉まえたと思うと、逃げ出したがる奴で、よく世間で、可愛いい子には旅をさせろというが、この息子ばかりは、野放しにしておいた日には締りがつかねえ」
といいながら、七兵衛は、一つ一つ金包を鎧櫃(よろいびつ)の中へ納めます。
「文句をいわないで蔵ったらいいでしょう」
「はいはい」
「どんなに困ったって、わたしは自分の身体(からだ)を抵当にして、お金を貸せなんて決していわないから」
「左様でございましょうとも」
「けがらわしい、早くお蔵いよ」
「これだけの数でございますから、そうは手ッ取り早くは参りません、小さくとも六百坪の地面に、三十坪の一戸だて、火事で焼いたって一晩はかかりますよ」
「いやになっちまうね」
 お絹はじれ出しました。それほどいやならば、この場を立って奥へでも行ってしまえばよいのに、いやになりながら、流し目で、七兵衛の運ぶ金包を眺めている。七兵衛はすました面(かお)で、気障(きざ)な手つきで、相変らず、ゆっくりゆっくりと金包を鎧櫃に蔵い込んでいる。なるほど、この手つきで、まだうずたかい金を蔵い込むには、夜明けまでかかるかも知れない。
 七兵衛も気が知れない男だが、口では早く蔵えの、いやになるのといいながら、それを横目で見て見ない態度(ふり)をしながら、いつまでも坐っているお絹の気も知れない。
「七兵衛さん」
「え」
「覚えておいで」
と言って、不意にお絹が立ち上って奥の方へ行ってしまいますと、そのあとで七兵衛は、鎧櫃のそばへゴロリと横になりました。

         十三

 神尾主膳はこのごろ「書」を稽古しています。これ閑居して善をなすの一つ。
 そこへお絹がやって来て、
「ねえ、あなた」
 殿様とも、若様ともいわず、あなたといって甘ったるい口。
「何だ」
 主膳は法帖とお絹の面(かお)を等分に見る。
「七兵衛のやつ、いやな奴じゃありませんか」
「ふーむ」
 主膳は、サラサラと文字を書きながら聞き流している。
「もう今日で七日というもの、ああやって頑張(がんば)って、動こうともしないで、見せつけがましい金番をしているのは、なんて図々しい奴でしょう」
「ふーむ」
 主膳は同じく聞き流して、サラサラと入木道(にゅうぼくどう)を試みる。
「それで、夜になると、何ともいえないいやな手つきをして銭勘定を始めるのです、昨晩なんぞはごらんなさい……」
 お絹が躍起になる。主膳は入木道の筆を休めて面を上げると、朝日が障子に墨絵の竹を写している。
「他ノ珍宝ヲ数エテ何ノ益カアルト、従来ソウトウトシテ、ミダリニ行(ぎょう)ズルヲ覚ウ……」
と神尾主膳が柄(がら)にもないことを呟きました。けれどもお絹の頭には何の効目(ききめ)もなく、
「昨晩あたりの気障さ加減といったら、お話になったものじゃありません、慶長小判から今時(いまどき)の贋金(にせがね)まで、両がえ屋の見本よろしくズラリと並べた上、この近所の地面を買いつぶして、坪一両あてにして何百両、それに建前や庭の普請を見つもってこれこれ、ざっと三千両ばかりの正金を眼の前に積んで、この辺でお気に召しませんか、お気に召さなければそれまでといいながら、またそのお金を、何ともいえないいやな手つきで蔵(しま)いにかかるところなんぞは、男ならハリ倒してやりたいくらいなものでした」
「ふふん」
と神尾主膳が嘲笑(あざわら)い、
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、箪笥(たんす)はもう空(から)っぽよ」
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を啣(くわ)えて見ているなんてあんまりな……」
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を据(す)えてかかっている仕事には、武田信玄でも手が出せない」
「ホントに焦(じれ)ったい」
 酔わない時は、神尾にもどこか鷹揚(おうよう)なところがある。お絹はそれを焦ったがっている。
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に鎧櫃(よろいびつ)が置きっ放しにしてありますから、見るだけでも見て下さい」
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕方がない」
「あれだ、あれだから、お殿様は仕方がない――」
とお絹は神尾主膳の膝をつっつきました。酒乱の兆(きざ)さない時の神尾主膳は、つっつきたくなるほどに気のよく見えることもある。
「仕方がないったって仕方がない――無い袖は振れないから」
「有り過ぎるのです、鎧櫃の中には、金銀のお銭(あし)が有り過ぎて唸(うな)っているじゃありませんか。天の与うるものを取らざれば、禍(わざわい)その身に及ぶということを御存じはありませんか」
「ははあ、天の与うるもの……」
 主膳は、うんざりして、もう入木道をサラサラとやる元気もないらしい。
「つまり、わたしたちに使わせたいと思って、七兵衛の奴が、ああしてもち運んで来たものでしょう、それを使ってやらなければ、あなた、冥利(みょうり)に尽きるじゃありませんか」
「だから、お前の知恵で、いくらでも引出して、お使いなさい」
「けれども、相手が悪いから、わたしの知恵ばかりでは、どうにもなりません」
「お前の知恵でやれないことは、拙者にもやれようはずがない」
「三人寄れば文殊(もんじゅ)の知恵とありますから、何とか知恵をお貸し下さいまし、ほんとにひとごとではありますまい」
「いけない、隠すやつなら何とか方法もあろうが、持ち出して見せるやつが取れるものか」
「いいえ、取れます、その道を以てすれば……」
「その道とは?」
「その道が御相談じゃありませんか。まあ、ともかくも、見るだけごらん下さいまし、現在、眼の前にある宝の山をごらんになれば、また別な知恵が出ない限りもありますまい」
「では、まあ、ともかく見に行こう」
 神尾主膳は、とうとうお絹に引きたてられて、七兵衛の籠(こも)っていた座敷へ、廊下伝いに出て行きました。
 それは申すまでもなく、昨晩、百目蝋燭を二つまでともして、七兵衛が金銀の山を築いていた座敷。日中になると、かえって暗澹(あんたん)として、物凄(ものすご)いような座敷。
 この七日間というもの、仕出し弁当を取って頑張っていた七兵衛が、どうしたものか今日は朝から不在。
 この座敷の当座の主人が不在にかかわらず、鎧櫃だけは八畳敷の真中に、端然として置き据えられてある。
 主膳はズッとこの座敷の中へ入り込んで、鎧櫃の傍へ近寄りましたが、お絹はわざと座敷へは入らず、廊下の外に立って、少々気を配っているのは、もしや七兵衛が帰って来たら、と見張りの体(てい)に見えます。
 鎧櫃の上に手をかけてみた神尾主膳。あの百姓め、どこからこんな洒落(しゃれ)た具足櫃を持って来たという見得(みえ)で、塗りと、前後ろと、金具をちょっと吟味した上で、念のために蓋(ふた)へ力を入れてみたが、錠が堅く下りている。ちょっと押してみると手応えが重い。
 果して、お絹のいう通り、これへいっぱいの金銀が詰めてあるとすれば、その量は莫大なものといわなければならぬ。
 女の眼には、無垢(むく)も、鍍金(めっき)もわかりはしない。ただ黄金の光さえしていれば、容易(たやす)く眩惑されてしまうのだ――と主膳は冷笑気分になりました。
 やがて張番していたお絹もやって来て、言い合わしたように、二人が鎧櫃の前後に手をかけて動かしてみたけれど、ビクとも応えません。
 事実、この中へ、いっぱいの金銀が入っているなら――金銀でなく、贋金(にせがね)であっても、これへいっぱい詰められていた日には、一人や二人の手では、ちょっと始末にゆかない。
 この暗澹たる座敷の中で、鎧櫃を前に、二人は顔見合わせて笑いました。
 笑ったのがきっかけで、主膳は手持無沙汰の態(てい)でこの座敷を出かけると、お絹もついて座敷を出る。神尾は以前の居間へ戻ったが、もう法帖どころではない。
 お絹も、そわそわとして落着かない。
 気の知れないのは七兵衛で、この七日の間、夜も、昼も、仕出し弁当で鎧櫃(よろいびつ)の傍に頑張っていながら、今日という日になると、朝から出かけて、正午(ひる)時分になっても、夕方になっても、とうとう夜になっても帰って来ない。
 それを気にしているのは、むしろ神尾主膳とお絹とで、お絹の如きは幾度、その廊下を行きつ、戻りつして、この座敷を覗(のぞ)いて見るたびに、昼なお暗い室内に人の気配はなく、鎧櫃のみがビクとも動かずに控えている。
 それを見るとホッと息をつきながら、また新たに心配のようなものが加わる。
 ついにその夜が明けるまで、七兵衛は帰って来ませんでした。七兵衛が帰って来ないでも、鎧櫃の厳然たる形は少しも崩れてはいない。こうなると厳然たる鎧櫃そのものが判じ物のようになって、財宝を残して行った当人よりも、残されて行った他人の方が、心配の負担を背負わされる。
 知らず識らず、神尾と、お絹とは、この鎧櫃の番人にされてしまいました。代る代る二人が見廻りに来る。来ない時は、二人の心が鎧櫃をグルグル廻っている。
 どこへ行ったろう――その翌日も、とうとう七兵衛は帰って来ない。夕方も、夜も。
 主膳とお絹は、またもいい合わしたように、二人が前後から鎧櫃を囲んで、ついにその錠前へ手をかけてみました。手をかけてみたところで、それを壊そうとか、こじようとかするほどの決心ではなく、ただ錠前の締り工合をちょっと触ってみたくらいのところでありますが、その締り工合はまた厳として、許さぬ関(せき)の権威を守っているから、それ以上は手を引くよりほかはない。
 ばかにしている――三日目の夕方まで七兵衛が帰らないので、神尾の堪忍袋(かんにんぶくろ)が綻(ほころ)びかけました。
 この堪忍袋。誰も堪忍袋を要求した者はないはずだが、それでも神尾自身になってみると、相当に気をつかっていたらしい。三日まで七兵衛の音も沙汰もなかったその夕べ、神尾がいらいらしているところへ、お絹が酒を薦(すす)めました。
 酒を薦めて悪いことは知って知り抜いて、それを取り上げているお絹が、たまには、といって一杯の酒を薦めたのが、神尾のこの鬱陶(うっとう)しい気分を猛烈にする。
 一杯――二杯。
 そこでお絹が、七兵衛の奴の、気障(きざ)で、皮肉で、憎いことを説き立てる。つまりああして大金を放り出して、乾ききっている吾々の前へ出しておくのは、吾々のよわみを知って、とても手出しができまいとたかを括(くく)っての仕事だ、金銭は欲しいとはいわないが、その仕向け方が癪(しゃく)じゃありませんか……というようなことを煽(あお)り立てる。
 久しぶりの酒が利(き)いて――無論、まだ酒乱の兆(きざ)す程度には至らないし、またそこまで至らしめないように、そばで加減はしているが、神尾主膳が早くも別人の趣をなして不意に立ち上り、
「よし、目に物を見せてくれる」
 長押(なげし)にあった九尺柄の槍を取って、無二無三に、かの暗澹(あんたん)たる鎧櫃の座敷へ侵入しました。
 主膳が九尺柄の槍を取って、かの暗澹たる鎧櫃の間へ走り込んだのを、お絹は引留めようともせずに、手早く手燭(てしょく)を点(とも)して、その跡を追いかけました。
 槍を取って、件(くだん)の鎧櫃を暫く見詰めていた神尾主膳。
 お絹が差出した手燭の光が、神尾の心を野性的に勢いづけたようです。
「憎い奴、目に物見せてくれる」
 この見せつけがましい鎧櫃一個がこの際、骨を劈(つんざ)いてやりたいほどに憎らしくなる。
「エイ!」
といって、鎧櫃の前の塗板の柔らかそうなところへ勢い込んで槍を立てると、難なくブツリと入りました。
 それを引抜いて、また一槍、また一槍。ブツリブツリと槍を突き込み、突き滑らして後、神尾はホッと息をついて、槍の石突を取り直して、その穴をあけたところをコジて、次に、手をもってメリメリと引裂くと、穴は忽(たちま)ちに拡大する。そこへ突きつけたお絹の手燭の光に、燦爛(さんらん)として目を眩(くら)ますばかりなる金銀の光。
 神尾は槍を投げ捨てて、バラリバラリとその金銀を引出してはバラ撒(ま)き、掴(つか)み出しては投げ散らすものですから、暗澹たる座敷の中が、黄金白銀(こがねしろがね)の花。
 神尾は、燃え立つような眼付をして、手に任せては、金銀を掴み出して、四辺(あたり)一面にバラ撒く。
 一時(いっとき)、その光にクラクラと眩惑したお絹は、ついにその手燭を畳の上へさしおいて、両の手を以て、木の葉の舞う如く散乱する金銀を掻集(かきあつ)めにかかります。
 こうなると神尾主膳の野性が、酒ならぬものの勢いに煽(あお)られて、さながら、酒に魅せられた酒乱の時の本能が露出し、手に当る金銀のほか、包みのままで引出した封金をも、わざと荒らかに封を切って投げ出したものですから、その、燦爛たる光景はまた見物です――大にしては紀文なるものが、芳原(よしわら)で黄金の節分をやった時のように。小にしては梅忠なるものが、依託金の包みを切って阿波の大尽なるものを驚かした時のように――放蕩児(ほうとうじ)にとっては、人の珍重がるものを粗末に扱うことに、相当の興味を覚えるものらしい。神尾主膳も取っては撒き、取っては散らしているうちに、ついに撒き散らし、投げ散らすことに興味が加速度を加えたらしく、狂暴の程度で働き出している。
 お絹もまた、拾えば拾うほどに、集めれば集めるほどに、そのこと自身に興味を煽られてしまっている。ここには、紀文の時のように、吾勝ちに争う幇間(たいこ)末社(まっしゃ)の類(たぐい)もなし、梅忠の時のように、先以(まずもっ)て後日の祟(たた)りというものもないらしい。あったところでそれは相手が違うし、第一、自分が直接の責任者ではなく、いわば神尾を煽(おだて)て骨を折らせ、自分は濡手で掴み取りをしているだけの立場なのだから、お絹としては大放心で、吾を忘れるのも無理があるまい。
 もうこれ以上は――神尾も手が届かなくなった。鎧櫃の底はまだ深い。向うも遠いけれども、コジあけた穴の大きさに限りがあるものだから、そこで手の届く限りは掴み出してしまって、再び穴をくりひろげるか、そうでなければ、櫃を打壊すか、ひっくり返すかしないことには、取り出せなくなったので、神尾が手を休めて見返ると、お絹が拾い集めてはいるが、お絹一人の手では間に合い兼ねて、四辺(あたり)は燦爛(さんらん)たる黄金白銀(こがねしろがね)の落葉の秋の景色でしたから、この目覚しさに、自分のしたことながら、自分のしたことに目を覚して、その夥(おびただ)しい金銀の落葉に眩惑し、現心(うつつごころ)で、その中の一枚を拾い取って見ると、疑う方なき正徳判の真物(ほんもの)……
 その時に廊下で、咳払(せきばら)いがして、人の足音が聞え出す。七兵衛が帰って来たのです。
 その咳払いと、足の音を聞くと、吾を忘れていたお絹が、はっと胆を冷しました。
「あ」
 一方を見返ると、自分たちが開け放しておいたところに、七兵衛がヌッと立ってこっちの狼藉(ろうぜき)を見ながら、ニヤリニヤリと笑っています。
「七兵衛か」
と神尾主膳も槍を手にして、帰って来た七兵衛を見返りながら、てれ隠しの苦笑いです。ただ隠しきれないのは、室内に燦爛たる黄金白銀の落葉の光。
「殿様、ごじょうだんをあそばしちゃいけません、御入用ならば、そのままそっくりお持ち下さればいいに……」
 七兵衛は、いつまでも障子の外から、こっちを覗(のぞ)いてニタリニタリと笑っているばかり。
「七兵衛、天下の財宝を粗末にするな」
と主膳がいう。
 主膳も、多少の酒と、黄金の光に、一時(いっとき)眩惑されて兇暴性を発揮してみたけれど、今宵の酒量は乱に至るほど進んではいず、黄金性の魅惑は、かりにも所有主と名のつく者が来てみれば、幻滅を感じないということもなく、こうなってみると、手にさげている槍までが手持無沙汰で、引込みのつかない形です。
 お絹もまた、室内に燦爛たる黄金の光をいまさら、袖で隠すわけにもゆかず、拾い集めて当人に還付するのも変なもの、ほとんど立場を失った形で、てれきっている。
 第一、所有主そのものが、怒りもしなければ、怒鳴りもせず、外でニタニタ笑っているばかりですから、空気の緊張を欠くこと夥しい。妙な三悚(さんすく)みが出来上って、この室内のてれ加減がどこで落着くか際限なく見えた時、気を利(き)かしたつもりか、お絹の持って来て畳の上へ置いた手燭の蝋燭(ろうそく)がフッと消えました。これは蝋燭が特に気を利かして、この場のてれ加減を救ったというわけでもなく、風が吹き込んで吹き消したのでもなく、慾に目の眩(くら)んだ人間のために顧みられなかったものだから、以前は、相当に寿命のあった蝋燭(ろうそく)も、この際あえなき最期(さいご)を遂げたのであります。
「七兵衛さん、悪い気でしたのじゃないから堪忍しておくれ、殿様の御気性で、ホンの一時の座興なんだから。元はといえば、お前があんまり、ひけらかすから悪いのさ」
 暗くなって、初めてお絹が白々しい申しわけをする。
「なあにようござんすとも、こうしてお世話になっている以上は、何事も共有といったようなものでござんすからね、御入用だけお使い下さいまし、御自由に」
 先夜とは打って変った白々しい気前ぶりを見せた言い方。
 暗い間のバツを利用して、お絹は神尾主膳の手を取って、この座敷を連れ出してしまいました。あとに残された七兵衛、ドッカと胡坐(あぐら)をかいて、ニタニタ笑いがやまない。
 先方は見えないつもり、こちらは暗いところでよく物が見える。神尾の手を引いて、ソッと抜け出したお絹という女の物ごし、散乱した金銀に心を残して出て行く足どり――あの足どりでは、足の裏へ小判の二三枚はくっつけて出たかも知れない。悪い時に帰ったものだ。

 しかし、これが縁になって、その翌日、七兵衛は表向いて神尾主膳に紹介されました。
 うちあけた話になってみると、おたがいに、相当に頼母(たのも)しいところがある。頼母しいところというのは、世間並みにいえば、あんまり頼母しくないところだが、七兵衛は神尾の急を救うために、無条件で鎧櫃の中を融通する約束。今は、先夜お絹にしたような見せつけぶりでもなく、勿体(もったい)もつけず、サラリと投げ出したのは、神尾にとっても、お絹にとっても、頼母しいことこの上なし。
 ところで一つ、七兵衛の方からも、交換条件が神尾に向って提出される。これはお絹の身体を抵当に、なんぞという嫌味なものではなく、七兵衛は七兵衛としての一つの大望(たいもう)がありました。
 その翌日、七兵衛は神尾主膳に向って、自分は盗人(ぬすっと)だということを、大胆に打明けてしまいました。
 主膳も、それを聞いて存外驚かず、大方そんなことだろうという面付(かおつき)。
 盗人ではあるが、自分は質(たち)の悪い盗人ではないと言いだすと、主膳が、世間に質の良い盗人というものがあるのか、と変な面をしました。
 ありますとも……盗人の社会へ入って見れば、質(たち)のいいのも悪いのも、気取ったのも気取らないのも、渋味(じみ)なのも華美(はで)なのも、大きいのも小さいのも、千差万別の種類があるうち、自分は質の良い方の盗人だというと、神尾が笑って、自分で質が良いというのだから、間違いはなかろうと冷かす。
 そこで、七兵衛がいうには、自分の盗人ぶりの質(たち)の良いというのは、盗んで人を泣かすような金は盗まず、盗んだ金を自分の道楽三昧(どうらくざんまい)には使わず……ことに自分は盗みをするそのことに趣味を感じているのだから、盗んだあとの金銀財宝そのものには、あまり執着を感じていない。
 たとえば、ここにこうして古金銀から、今時の贋金(にせがね)まで一通り盗み並べてみたが、これもホンの見本調べをやってみただけのもので、もうそれだけの知識を備えたから、綺麗(きれい)さっぱりとあなたに差上げてしまっても惜しいとは思わない――つまり、盗むことの興味が自分の生命で、盗み出した財物は、楽しみをした滓(かす)だから何の惜気もない――といって神尾主膳を煙(けむ)に捲きました。
 しかし、また七兵衛は真顔になって、自分とても、ほかに何か相当の天分と、仕事をもって生れて来たのだろう、幼少の教育がよくて、己(おの)れの天分を順当に発達さえさせてくれたら、あながち盗人(ぬすっと)にならずとも、他に出世の道があったに相違ないという述懐を漏らします。
「そりゃそうだ、盗人をするだけの才能と、苦心を、他に利用すれば立派なものになる」
と神尾もまじめに同情しました。
 しかし、今となっては仕方がない。自分はこうして盗むことに唯一の趣味を感じていると、盗み難いものほど、盗んでみたいという気になる。
 そこで、一つの大望がある。なんとこの大望を聞いては下さるまいか。
 何だい、その大望というのは。石川五右衛門がしたように、太閤の寝首でもかこうというのかい。
 いいえ、そういうわけではございません、実は――
 七兵衛の大望というのはこうです。
 徳川初期の歴史を知っているものは、家康が金銀に豊富であったことと、その金銀を掘り出すのに苦心したことを知っている。
 そのうち、豊臣家から分捕った「竹流し分銅(ふんどう)」という黄金がある。
 この「竹流し分銅」は一枚の長さ一尺一寸、幅九寸八分、目方四十一貫、その価、昔の小判にして一万五千両に当るということを聞いている。それを徳川が、豊臣から分捕った時には、たしか五十八枚。大坂の乱後、家康が、井伊直孝(なおたか)と藤堂高虎の功を賞して手ずからその一枚ずつを与えたほかには、「行軍守城用、莫作(なすなかれ)尋常費」の銘を打たせて大坂城内へ秘蔵して置いた。
 その後、改鋳のことがあって、四代以来、この分銅へ手をつけ出し、今は残り少なになってはいるが、まだ有るには有ると聞いている。それはどこにあるのか、やはり四代以前の時のように大坂城内に秘蔵されているのか、或いは江戸城の内にもちこされて来ているのか――盗人冥利(ぬすっとみょうり)には、その分銅を手に取って、一目拝むだけ拝んでおきたいものだが、自分にはその所在の当てがつかない――なんと神尾の殿様、誓って、あなたに御迷惑はかけませんが、あなたのお手で、その黄金の所在の点だけがおわかりになりますまいか――それがわかりさえ致せば、自分が一人で行って拝見をして参ります、と七兵衛がいう。

         十四

 その日の夕方、七兵衛の姿は、芝の三田四国町の薩摩屋敷の附近に現われました。
 薩摩屋敷の中では、一群の豪傑連が、その時分、額(ひたい)を鳩(あつ)めて、江戸城へ火をつけることの相談です。江戸城の西丸のどこへ、どういう手段で火をつけるかということ。その先決問題は、どうしたらいちばん有効に江戸城へ忍び込むことができるか。
 かほどの問題も、ここでは声をひそめて語るの必要がなく、子供が野火をつけに行くほどの、いたずら心で取扱われる。
 彼等は関八州を蜂の巣のようにつき乱すと共に、江戸城の西丸へ火の手を上げる、これが天下をひっくり返す口火だと考えているものが多い。
 それに比ぶれば、七兵衛の野心などは罪のないもので、「行軍守城用、莫作尋常費」とある黄金の分銅一枚を見さえすれば満足するのですが、しかし、その苦心の程度に至っては、これらの豪傑に譲らないのみならず、それよりも一層むずかしい仕事になるのは、彼等のは、火をつけて騒がせさえすればよいのだが、七兵衛のは、手に入れて拝まなければならない。
 さて、こうして七兵衛が、三田の四国町の薩摩屋敷の、芝浜へ向いた方の通用門の附近を通りかかった時分、中ではこんな評定(ひょうじょう)をしていたが、塀外(へいそと)の道の両側には夥(おびただ)しい人出。
 今しも、通用門から異種異形(いしゅいぎょう)の一大行列が繰出されて来るのを、黒山のような両側の人だかりが見物している。
 よって七兵衛も、その中に立って、これを眺める。
 何のために、誰がしたいたずらか、今しも薩摩屋敷の中から繰出して来る一大行列は、乞食(こじき)の行列であります。ありとあらゆる種類の乞食が、無数に列を成して通用門から外へとハミ出して来る。その事の体(てい)を見てあれば、不具者(かたわもの)も、五体満足なのも取交ぜて、老若男女の乞食という乞食が、おのおのその盛装を凝らし、菰(こも)を着るべきものは別仕立のきたないのを着、襤褸(つづれ)の満艦飾を施し、今日を限りの哀れっぽい声を振りしぼって、
「右や左のお旦那様……たよりない、哀れな者をお恵み下さいまし」
 門内から吐き出されるこの乞食の行列は、いつまで経っても、尽くるということを知らないらしい。或いは、いったん外へ出て、また一方の門から繰込んでは出直すのかとさえ疑われるが、事実は、やはり出るだけの正味が、門内に貯えられてあることに相違なく、人をして、よくまあ江戸中にこれだけの乞食があるものだと思わせました。
 なお且つ、これら、多数の乞食連のうちには、単に盛装を凝らして、商売ものの哀れっぽい声で、「右や左のお旦那様……たよりない者をお助け下さいまし」を繰返すだけの無芸大食ばかりではなく、なかには凝った意匠で、破(や)れ三味線をペコペコやりながら、
雨の夜に、日本近く、とぼけて流れ込む浦川へ、黒船に、乗りこむ八百人、大づつ小づつをうちならべ、羅紗(らしゃ)しょうじょう緋(ひ)のつっぽ襦袢(じゅばん)…… 大津絵もどきを唸(うな)るのがあるかと思えば、木魚をポクポクやり出して、
そもそもこの度(たび)、京都の騒動、聞いてもくんねえ、長州事件の咽喉元(のどもと)過ぐれば、熱さを忘れる譬(たと)えに違(たが)わぬ、天下の旗本、今の時節を何と思うぞ、一同こぞって愁訴(しゅうそ)をやらかせ、二百年来寝ながら食ったる御恩を報ずる時節はここだぞ、万石以上の四十八館(たて)、槍先揃えて中国征伐一手に引受け、奮発しなさい、チャカポコ、チャカポコ それに負けず、一方にはまた、
菊は咲く咲く、葵(あおい)は枯れる
西じゃ轡(くつわ)の音がする
と唄い、囃(はや)し、おどり狂っているものもある。その千態万状、たしかに珍しい見物(みもの)ではある。七兵衛も呆(あき)れながら飽かず眺めておりました。

         十五

「弁信さん――」
 信州白骨の温泉で、お雪は机に向って、弁信へ宛てての手紙を書いている。
「弁信さん――
お変りはありませんか。わたし、このごろ絶えずあなたのことを思い出していますのよ。誰よりも、あなたのことを。
どうかすると、不意に、枕元で、あなたの声がするものですから、眼を醒(さ)まして見ますと、それは、わたしの空耳(そらみみ)でした。
どうして、わたし、こんなに、あなたのことばかり気になるのかわかりませんわ。
ほかに思い出さねばならぬ人もたくさんありましょうに、弁信さんの面影(おもかげ)ばかりがわたしの眼の前にちらついて、弁信さんの声ばかりが、わたしの耳に残っているのは、不思議に思われてなりません。
それはね、わたしこう思いますのよ、弁信さんはほんとうに、わたしのことを思っていて下さる、その真心(まごころ)が深く、わたしの心に通じているから、それで、わたしが弁信さんを忘れられないものにしているのじゃないでしょうか。こうして、遠く離れていましても、弁信さんは、絶えず、わたしの身の上を心配していて下さる。そのお心が夢にも現(うつつ)にも、わたしの上を離れないから、それで、わたしは、不意にあなたの面影を見たり、声を聞いたりするのじゃないかと思ってよ。
ほんとうに、弁信さん、あなたほど深く人のことを思って下さるお方はありません。それは、わたしにして下さるばかりでなく、どなたに対しても、あなたという方は、しんの底から親切気を持っておいでになる。わたしは、それを、しみじみと感心しないことはありません。
けれども、親切も度に過ぎるとおかしいことがあるのじゃない……思いやりも、あまり真剣になるとかえって、人の心を痛めるような結果になりはしないかと、わたし、よけいな心配をすることもありますのよ。
弁信さん。
わたしがこちらへ来る前に、あなたは、わたしのことを言いました。
『お雪ちゃん、あなたは、もう年頃の娘さんだとばかり思っておりますのに、そういうことをおっしゃるのだから驚いてしまいます。信濃の国の白骨のお湯とやらが、良いお湯と聞いたばかりで、その間の道中がどのくらい難渋だか、そのことを、あなたは考えておいでになりません。また、その難渋の道中を連れ立って行く人たちが、善い人か、悪い人か、それも考えてはおいでになりません。私がここでうちあけて申し上げますと、あなたは、その白骨のお湯へおいでになった後か、その途中で、きっと殺されてしまいます。いきて帰ることはできません』
この言葉が、今でもどうかすると、わたしの胸を刺してなりません。何かの機会(はずみ)に、はっとこの言葉を思い出すと、胸を刺されるような痛みを覚えますが、それでも暫くするとおかしくなって、弁信さんらしい取越し苦労を笑います。
わたしに笑われて、あなたは口惜(くや)しいとお思いにはなりますまい。あなたのおっしゃったのが本当なら笑いごとではありません。
わたしがこうして弁信さんらしい取越し苦労に、思出し笑いを止めることができないのは、わたしにとっては勿論のこと、あなたにも喜んでいただかねばなりません。
弁信さん。
わたしは無事で道中を済まし、無事でこの温泉へ着いて、今も無事に暮していますから御安心下さいませ。
ただし、無事といいますうちにも――道中では怖い思いもしました。またここへ来てからも、いろいろの人と逢い、珍しいものも見たり、聞いたり致しました。
弁信さん。
あなたの安心のために、わたしはこのごろの生活ぶりを、逐一(ちくいち)記してお知らせ致したいと存じます……」
 ここまで筆を運んで、お雪はほつれかかる髪の毛を撫でました。お雪はこのごろ、髪を洗い髪にして後ろへ下げて軽く結んでいる。自分もこの洗い髪がさっぱりしていると思うし、人もまた、お雪ちゃんには似合っていると褒(ほ)めもする。山中、外出の機会もなし、慣れてしまえば誰も、それを新しい女だといって誹(そし)るものもありません。
「外へ出て見ますと、周囲の高い山から、雪が毎日、下界へ一尺ずつ下って参ります。やがてこの雪が、山も、谷も、家も、すっかり埋(うず)めてしまうことでしょうが、まだ、谷々は、紅葉の秋といっていいところもありますから、お天気の良い日は、わたしは無名沼(ななしぬま)のあたりまで、毎日のように散歩に出かけます。
温泉の温かさは、夏も、冬も、変りはありません。このごろ、わたしは一人でお湯に入るのが好きになりました。一人でお湯に入りながら、いろいろのことを考えるのが好きになりました。
大きな湯槽(ゆぶね)が八つもありまして、それぞれ湯加減してありますから、どれでも自分の肌に合ったのへ入ることが自由です。真白な湯槽、透きとおるお湯の中に心ゆくまま浸(ひた)っていると、この山奥の、別な世界にいるとは思われません。
昨日も、そうして、恍惚(うっとり)とお湯に浸(つか)っていると、不意に戸があいて、浅吉さんが入って来ましたが、私のいるのを見つけて、きまり悪そうに引返そうとしますから、
『浅吉さん、御遠慮なく』
と言いますと、
『ええ、どうぞ』
と、取ってもつかぬようなことをいって、逃げるように出て行ってしまいました。
なんて、あの人は気の弱い人でしょう。このごろになって、一層いじいじした様子が目立ってお気の毒でなりません。
全く、あの人を見るとお気の毒になってしまいます。死神にでも憑(とりつ)かれたというのは、ああいうのかも知れません。このごろでは、力をつけて上げても、慰めて上げても駄目です。人に逢うのを厭(いや)がること、土の中の獣が、日の光を厭がるように恐れて、こそこそと逃げるように引込んでしまいます。
それにひきかえて、あのお内儀(かみ)さんの元気なことは――お湯に入っているところを見ますと、肉づきはお相撲さんのようで、色艶(いろつや)は年増盛(としまざか)りのようで、それで、もう五十の坂を越しているのですから驚きます。
『あの野郎、もう長いことはないよ』
というのは多分浅吉さんのことでしょう。お内儀(かみ)さんは、浅吉さんを連れて来て、さんざん玩具(おもちゃ)にして、それがようやく痩せ衰えて行くのを喜んで眺めているようです。
浅吉さんていう人も、なんて意気地がないのでしょう。
全く意気地無し――といっては済みませんけれど、ほんとうに歯痒(はがゆ)いほど気の弱い人です。お内儀さんは、浅吉さんを、こんな山の中へ連れて来て嬲殺(なぶりごろ)しにしているのです。そうしてその苦しがって死ぬのを、面白がって眺めているのだとしか思われないことがあって、私は悚然(ぞっ)とします。それでも、付合ってみると、お内儀(かみ)さんという人も、べつだん悪い人だとは思われず――浅吉さんもかわいそうにはかわいそうだが、お内儀さんも憎いという気にはなれず、わたしは、知らず識らずそのどちらへも同情を持ってしまうのです。一方がかわいそうなら、一方を憎まねばならないはずなのに――それとも、二人とも、別に悪いというほどの人ではないのでしょうか。また、わたしの頭が、こんがらかって、善悪の差別がつかないのでしょうか。
わからないのは、そればかりじゃありません。浅吉さんは、あれほど、お内儀さんから虐待を受けながら、お内儀さんを思い切れないんですね。無茶苦茶に苛(いじ)められて、生命(いのち)を□(むし)り取られることが、かえってあの人には本望なのか知らと思われることもありますのです。ですから、わたしには、うっかり口は出せません。夫婦喧嘩の仲裁は後で恨まれると聞きましたが、あの人たちは夫婦ではありませんけれども、悪い時は死ぬの、生きるのと、よい時はばかによくなってしまうのですから、わたしは、障(さわ)らないでいるのが無事だと思っています。
ですけれども、そうしているのは、わたしが、あのお内儀さんに加勢して、浅吉さんを見殺しにしているかのように思われてならないこともあります。
弁信さん。
こんなことを、あなたに書いて上げるんじゃありませんけれど、あなたが、わたしのために言って下すったことが、わたしの身の上でなくて、あの浅吉さんという人の身の上にかかっているような気持がしてならないものですから、つい、こんなことを書く気になってしまいました。
前に申し上げる通り、わたしは道中も無事、ここへ来てもほんとに幸福の感じこそ致せ、殺すとか、死ぬとか、そんないやなことは、わたしの身の廻りには寄りつきそうもありませんのに、あの浅吉さんという人には、最初から、それがついて廻っているようです。かわいそうでなりませんけれど、いま申し上げたようなわけで、力になって上げる術(すべ)がありませんのよ。
今日も、朝からお天気がいいものですから、わたしは一人で、小梨平を通り、低い笹原を分けて無名沼(ななしぬま)へ遊びに参りました。
その途中、硫黄ヶ岳の煙と、乗鞍ヶ岳の雪とが、わたしの足を留めました。
火を噴(ふ)く山から天に舞い上る大蛇(おろち)のような煙。高い山の雪の日に輝く銀の塔を磨いたような色。浅緑の深い色の空気。それから密林の間を下って無名沼のほとりに来て見ますと、いつも見る水の色が、今日はまたなんという鮮(あざや)かでしたろう。
どうして、こんなに無名の沼が、わたしを引きつけるのでしょう。わたしは天気さえよければ、毎日この沼を訪れないという日はありません。それは、やがて雪が谷を埋め尽す時分になっては、一寸(ちょっと)も戸の外へ出ることができないから、今のうちに外の空気を吸えるだけ吸い、歩けるだけの距離を歩いておくという自然の勢いが、わたしをこうして軽快に外へ出して遊ばせるのかも知れません。
それにしても、無名沼(ななしぬま)は、わたしを引きつける力があり過ぎます。
わたしは踊るような足取りで、沼のほとりを廻って、離れ岩のところまで参りました。
前にも申し上げた通り、今日の沼の色の鮮かさは格別に見えました。
ごらんなさい、水底には一面に絹糸を靡(なび)かしたような藻草(もぐさ)が生えているではありませんか。その細い柔らかな藻草の上に、星のような形をした真白な小さい花が咲いて、その花だけが、しおらしい色をして、水の上に浮び出しているではありませんか。
どこからともなく動いて来る水。多分、この、わたしが立っている離れ岩の下から、湧いて流れ出して来るのかも知れません。それが、じっと見ていなければわからないほどの動きで、その白い米粒のような藻の花を動かしているのです。見ていると、どうしても、その花が可愛い唇を動かして、わたしに話しかけているとしか思われないので、わたしも、つい、
『お前は何ていう花』
と訊(たず)ねてみましたが、その時、わたしは、ほとんど人心地を失うほどに驚いてしまいました。その白い藻の花の中に絡(から)まって、人間の屍骸(しがい)が一つ、仰向けに沈んでいるのです。なんという怖ろしいこと。
『ああ、人が殺されて、この水の底に沈んでいる、誰か来て下さい』
と声を限りに叫ぼうとしましたが、その瞬間に気がついて見ますと、何のことでしょう、それは屍骸でも、人の面(かお)でもありません、わたしというものの姿が、藻の花の間の水に映っていたのです。
あまりのことに拍子抜けがして、自分ながら呆(あき)れ返ってしまいましたけれど、それでもわたしの頭に残った今の怖ろしさが、全く消えたのではありません。
それから、何ともいえないいやな気持になって、あれほど好きな無名沼(ななしぬま)を逃げるように帰って来ました。
明日(あした)からは、たとえ、どのような、よい天気でも、あの沼へ行くことをやめようと思いながら。

弁信さん――
わたしは、その無名沼から逃げ帰る途中、あの低い笹原のところまで来ますと、ばったりと浅吉さんに行き逢ってしまいました。
『浅吉さん、鐙小屋(あぶみごや)ですか』
と、わたしが訊ねますと、浅吉さんは何とも返事をしないで、すうっと通り過ぎてしまいました。
多分、沼の近所にある鐙小屋の神主さんのところへ、あの人たちはよく出かけるそうですから、わたしが、そういって訊ねてみたのに、浅吉さんは一言の返事もせずに通り過ぎてしまったものですから、わたしも気になりました。気のせいか知ら、今日のあの人の顔の真蒼(まっさお)なこと。いつも元気のない人ではありながら、今日はまた何という蒼(あお)い色でしょう。まるで螢の光るように、顔が透き徹っていました。だもんですから、わたしは、あんまり気になって振返って見ますと、おや、もうあの人はいないのです。そこは笹原がかなり広く続いたところであるのに、いま通り過ぎたと思った浅吉さんの姿が、もう見えないものですから、わたしの身の毛がよだちました。
でも、急いで、あの林の中へ入ってしまったのだろうと、わたしも暫く立ちどまって、林の方を見ておりましたが、不安心は、いよいよ込み上げて来るばかりです。
あの人は、いつぞや林の中で縊(くび)れて死のうとしたのを、わたしが見つけて、助けて上げたことがあるくらいですから、もしやと、わたしは、堪らないほどの不安に襲われましたけれども、その時は、どうしたものか、あとを追いかけて安否を突き留めようとするほどの勇気が、どうしても出ませんでした。
無名沼(ななしぬま)の水の面影(おもかげ)といい、今の浅吉さんの蒼い色といい、すっかり、わたしを脅(おびやか)して、たとえ一足でも後ろへ戻ろうとする力を与えませんのみならず、先へ先へと押し倒されるような力で、宿まで走って参りましたのです。
宿へ帰って見ると、ここはまたなんという静けさでしょう。渓谷の間を曲って来る日の光というものは、こうも明るく、澄み渡るものかと思われるばかり。障子も部屋の隅々も、わたしのこの手紙を書いている机の上の、紙も、筆も、透き徹るほど明るく澄み渡っています。

弁信さん――
今日の手紙はこのくらいにしておきましょう。けれども、これがあなたのお手元まで着くのはいつのことだか知れないわね。それでも、勘のいいあなたは、わたしがここで筆を運んでいることを、もう、頭の中へちゃんと感じておいでなさるかも知れないわ。
茂ちゃんを大事にして上げてください。あの子は、よく独(ひと)り歩きをして、山の中へでもなんでも平気で行ってしまうから、わたし、それが案じられます。遠く出て遊ばないように、よく弁信さんの吩咐(いいつけ)を聞いて、来年の春、わたしたちが帰るまで、おとなしくお留守居をしていて下さいって――よくいって聞かせてあげて下さい。
では、今日は、これで筆を止めて、わたしは、これから下へ参ります。下の大きな炉の傍で、これから学問が開かれるのです。池田先生が歌の講義をして下さるのに、また新しく俳諧師の先生がおいでになって、面白い話をして下さいます。それが済むとみんなして世間話、山の話、猟の話などで、炉辺はいつでも春のような賑(にぎや)かさです。
弁信さん。
ではお大切(だいじ)に。
あ、まだ申し残しました。お喜び下さい、あの先生の眼がだんだんよくなりますのよ。
厚い霞(かすみ)が一枚一枚取れて、頭が軽くなるようだとこの間もおっしゃいました。
弁信さん、あなたはこの世界は暗いものと、最初からきめておいでになりますのに、あの先生は、暗いのがお好きか、明るくしたい御料簡(ごりょうけん)なのか、わたしにはさっぱりそれがわかりません」

         十六

 その翌々日、お雪はまたあわただしい思いで筆を執(と)りはじめました。
「弁信さん――
前の手紙をまだ、あなたのところに差上げる手段もつかないうちに、わたしはまた大急ぎで、継足(つぎた)しをしなければならない必要に迫られました。
先日の手紙にありましたでしょう――わたしが、無名沼(ななしぬま)から帰る時に、低い笹原の中で浅吉さんにゆきあったことを。そうして、わたしが言葉をかけたのにあの人は何の返事もなく、螢のような真蒼(まっさお)な面(かお)をしてゆきすぎてしまったことを。
あれから今日で三日目です。浅吉さんが帰りません――いいえ、帰りました。帰りましたけれど驚いてはいけません、あの人は、とうとう死んでしまいましたのよ。
それが、どうでしょう、ところもあろうに、あの無名沼の中で……捜して引き上げて来た人たちの話によると、まあ、わたし、どうしていいかわからなくなります。丁度、わたしが立っていた離れ岩の下の、絹糸のような藻の中に、浅吉さんの死体が、絡(から)まれて、水の中へ幽霊のように、浮いたり、沈んだりしていたということです。
ああ、それでは、わたしが人の死骸と思ったのは、あの人が沈んでいたのではないか、わたしの見たのは、自分の影が映ったと見たのが誤りで、最初、驚かされた幻(まぼろし)のような姿が、かえって本当ではなかったでしょうか。わたしは今、自分で自分の頭がわからなくなりました。もし、最初に見た水の中の幻が、ほんとうに浅吉さんの死骸だったとすれば、後の笹原で行きあったあの人は誰でしょう――わたし、これを書きながら怖くなってたまりません。
確かなのですよ、わたしがあの笹原でパッタリと蒼い面をした浅吉さんに行きあったことは。決して嘘ではありませんのよ。
『浅吉さん、鐙小屋(あぶみごや)へですか』
ですから、わたしは、そういって言葉をかけたのですが、それに返事のなかったことも確かです。そうして振返って見た時分には、かなり広い笹原のどこにも、あの人の姿が見えなかったことも本当なのです。
わたし、なんだか、自分までが、この世の人でないような気持がしてなりません。
三日の間、水につかっていた浅吉さんの姿は、蝋(ろう)のように真白なそうです。
連れて来て宿の一間に眠るように休んでおいでなさるそうですけれども、わたしには、どうしても今見舞に行く勇気がありません。なんでも人の話には、水には落ちたけれども、あの人は一口も水をのんではいなかったそうです。で、岩の上で転んでどこかを強く打って、気絶してから水に落ちたんだろうなんて、皆さんが噂(うわさ)をしています。けれども、わたしには、どうしても怪我とは思われません。覚悟の上の死に方です。あの人が死のうと覚悟をしたのは今に始まったことじゃありませんもの……それは、わたしだけが、よく知っています。ですから、あの人が怪我で水に落ちたとは、どうしても思われません。それにしても水を一滴も飲んでいなかったというのが変じゃありませんか。
弁信さん。こういいますと、あなたはきっと、それではなぜ、あの時に引留めなかったとおっしゃるでしょう。
わたしも今になっては、重々それを済まないことと思いますが、あの時の、わたしには、とてもそれをするだけの勇気がなかったことは、前に申し上げた通りなのです。なんにしても、浅吉さんはかわいそうなことをしました。
憎らしいのはあのお内儀(かみ)さんよ。
大勢して、浅吉さんの行方(ゆくえ)を心配して、捜し廻っている間に、平気でわたしのところへ遊びに来たりなんぞして、いよいよ浅吉さんが水に落ちていたという知らせがあった時、わたしの面(かお)を見て嘲笑(あざわら)うような、安心したような、あの気味の悪い面つき。
その時こそ、わたしはあのお内儀さんを憎いと思わずにはいられませんでした」

 それから二三日経って、お雪はまた弁信への手紙を書き続ける。
「弁信さん――
この二三日、わたしは夢のような恐怖のうちに、暮してしまいました。
それでも毎日、近所の山へ葬られた浅吉さんのお墓参りを欠かしたことはございません。
それだのに、あのお内儀(かみ)さんという人はどうでしょう。使い古しの草履(ぞうり)を捨てるのだって、あれより思いきりよくはなれますまい。
わたしが、あのお内儀さんを憎いと思ったのは、そればかりじゃありません。昨日(きのう)のことですね、二人でお湯に入っていると、わたしの身体(からだ)を、あの叔母さんがつくづくと見て、
『お雪さん、あなたのお乳が黒くなっているのね』
というじゃありませんか。
その時、わたしは、乳の下へ針を刺されたように感じました。
弁信さん。
あなただから、わたしはこんなことまで書いてしまうのよ。お乳が黒くなったというのは、娘にとっては堪忍(かんにん)のならない針を含んでいるということを、あなたも御存じでしょうと思います。
わたし、ちっとも、そんな覚えがありません。あろうはずもないじゃありませんか。それだのに、こういう意地の悪いことをいう、叔母さんの舌には毒のあることをしみじみと感じました。何の身に暗いこともないわたしも、その時は真赤になって、返事ができませんでした。もうこの叔母さんという人とは、一緒にお湯にも入るまい、口も利(き)くまい、とさえ思い込んでしまいました。
ですけれども、叔母さんという人はいっこう平気で、わたしに話しかけるものですから、つい、わたしもそれに一言二言挨拶をしてる間に、つい話が進んでしまいます。憎いとも、口惜(くや)しいとも思いながら、ついあの人の口前に乗せられて、先方が言えば言われる通り返事をするようになるのは、自分ながら歯痒いように思われてなりません。いったい、この叔母さんという人は、そう悪い人じゃないのか知らん、悪いとか、憎いとか思うのは、わたしの僻目(ひがめ)というものか知らとまで、自分を疑ってくるようにまでなるのは、ほんとうに自分ながら不思議でなりませんのよ。

弁信さん――
あなたほど、ほんとうによく人を信ずる方はございませんのね。あなたは、いかなる人をでも疑うということができないのね。わたしもできるならば、あなたのように無条件に、すべての人を信じて、疑うということをしたくありませんけれど、あの叔母さんばかりは、信じようとしても、信じきれないで困っています。いっそ、信ぜられないならば、どこまでも信ぜられないままに、思うさまあの叔母さんという人を憎んでやりたいとも思いますが、それもできないわたしは、やっぱり浅吉さんと同じような気の弱い人なのでしょう。わたし、ほんとうに人を憎むか、愛するか、どちらかにきめてしまいたいと、このごろ頻(しき)りにそれを思わせられています。本当に憎むことのできない人は、本当に愛することもできませんのね。
弁信さん。
あなたは違います。あなたは本当に愛することを知っていらっしゃるから、また本当に憎むことを御存じです。ですから、あなたはこうと信じたことを、どなたの前に向っても、たとえその人の一時の感情を害しようとも、自分の将来の身の上に不利益が来(きた)りましょうとも、少しの恐れ気もなく、善いことは善い、悪いものは悪い、と断言をなさることができるのであります。わたしにはそれができませんのよ。
どうかすると、この叔母さんが、あの浅吉さんを殺したのだ――眼前そう疑いながら、あの叔母さんの調子よい口前に乗せられると、本当の心から、あの叔母さんを憎めなくなってしまいますのよ。
今日も学問が済んでから、わたしは浅吉さんのお墓参りにまいります。
弁信さん。
人間には本当のところは、悪人というものは無いものでしょうか――そうでなければこの世に、善人というものは一人も無いのでしょうか。
今まで、人を疑うということを、あんまり知らなかったわたしは、あの叔母さんを見てから、わからなくなりました。
あの時、こんなことをいいましたよ、あの叔母さんは。よく世間で、女でも男でも、捨てられたとか捨てたとかいって、後で泣いたり騒いだりするが、あんなばかげた話はないよ。
もともと、それは関係の出来る時から知れた話じゃないか。誰がお前、いつまでも惚(ほ)れたり腫(は)れたりした時のような心持でいられるものですか。熱くなることもあれば、冷(さ)めることもあってこそ、色恋じゃないか。
冷めたら、さっぱりと切れてしまうことさ。みっともないじゃないか、あとを追い廻して、死ぬの生きるの、手切れをよこせの、やらないのと騒ぐなんぞは。お前さん、色恋をするなら真剣に、まかり間違ったら殺されても恨みのない心持でかからなけりゃ嘘ですよ。
殺したっていいさ。殺されたって恨みっこなし。男なんぞは幾人でも手玉に取っておやりなさいよ。お雪さん、捨てられたの何のって泣(なき)っ面(つら)をしながら、敵(かたき)を討って下さいなんて、飛んでもないところへ泣きつくなんぞは、女の面汚(つらよご)し。自分から触れば落ちそうなよわみを見せて男を誘いながら、後になって、やれ貞操を蹂躙(じゅうりん)されましたの、弄(もてあそ)ばれましたのと、人の同情に縋(すが)ろうとする女は、女の風上(かざかみ)にもおけない――
ずいぶん、乱暴ないい分じゃありませんか。ところが、その乱暴ないい分が、あの叔母さんの平気な口から出ると、耳障(みみざわ)りに聞えないのが不思議のように思われてなりません。
弁信さん。
こうして、わたしが、調子のいい口前に乗せられて、乱暴極まるいい分を、次第次第に本当の事のように信じてしまったらどうでしょう。それを考えると、怖ろしいことではありませんか。わたしがこの叔母さんと同じ心持になって、同じ行いが平気でやってゆかれるようになったら、大変ではありませんか。
お友達の感化というものは怖ろしいものだと、かねて聞かされていました。お友達によって人間は、青くもなれば、赤くもなるのだから、お友達は選ばなければならないということは、子供のうちから充分に教えられていましたが、今のわたしには、選ぶにも、選ばないにも、あの叔母さんのほかに無いじゃありませんか。
弁信さん。
これで今日も学問の時間になりました。炉辺へ行かねばなりません……
ちょっとお待ち下さい。ここで筆を休ませようとしていると、下でなんだか騒々しい人の声が起りましたよ。
おや! あの声は、嘉七さんの声ではないか。
『今、離れ岩んとこで、こねえな女頭巾(おんなずきん)を拾って来たよ、見ておくんなさい、こりゃあ、あの高山の穀屋(こくや)のお内儀(かみ)さんの頭巾じゃあんめえか。縮緬(ちりめん)だよ、安くねえ頭巾だよ……あんなところへ落しておいちゃあ、風で水の中へ吹ッ飛んでしまわあな。
ご協力下さい!!
◇暇つぶし何某◇

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