大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「大丈夫ですか神主様、心配はありませんかね」
 神主は笠を取ったままで、蓑は脱がず、草鞋(わらじ)ばきのままで土間に突立っていて、炉辺へは上って来ないのです。
「心配はありません、火を噴く山を傍に持っていれば、この位のことは時々あると覚悟しておらにゃなりませんよ」
「そうですか」
「いったい、火を噴くと言いますが、火を噴いちゃいないのですよ、時々石を降らすには降らしますが、火は噴きませんや、夜になって赤く見えますが、ありゃ火じゃございません」
「ですけれども水を吹いてるわけじゃないでしょう、灰のあるところには火がなければなりませんからね」
「いや、火じゃごわせん、山の中には熱い腸(はらわた)がございまして、それが息を吹くだけのものなのです。だが、その息がなかなか侮り難いものでしてね、天明三年の浅間山の破裂を御存じでしょう。その次に上州の草津の白根山が破裂しましたね。あの時なんぞは、あなた、浅間山の下に石が降る、岩が降る、日中、これどころじゃありません、天はまっくらで、地には熱湯が湧き出してからに、山の下の田という田、畑という畑は一面に大河になってしまい、そうして、その付近三十五カ村というものが、この熱い泥の中へ陥没してしまいましてね、戸数にして四千戸、人間にしておよそ三万六千というものが生埋めになってしまい、牛馬畜類の犠牲は数知れませんでした」
「おどかしちゃいけません、神主さん、大丈夫だ、大丈夫だと言いながら、そんな実例を引いて人をおどかしちゃ困ります」
「それとこれとは違いますよ、硫黄岳、焼ヶ岳もずいぶん、噴火の歴史を持っているにはいますが、何しろ土地がこの通りかけ離れた土地ですから、人間に近い浅間山や、富士山、肥前の温泉(うんぜん)、肥後の阿蘇といったように世間が注意しません」
「神主さん、我々は噴火の歴史と地理を聞いているのじゃありません、この震動が安全ならば、何故に安全であるか、という理由を説明してもらいたいのです」
「なあに、この震動はこれは山ヌケといって、こうして山が時々息を抜くのですなあ、息を抜いては一年一年に落着いて、やがて幾年の後には噴火をやめて並の山になろうという途中なんですから、たいした事はありません、山の息です、山が怒って破れたのではありません」
「そうですか」
「山が怒る時は、そうはいきません。寛政四年の春、わしは九州にいて肥前の温泉岳(うんぜんだけ)の怒るのを見ました。その時は島原の町と、その付近十七カ村の海辺の村々がみんな流されて、いかなる大木といえども一本も残りませんでした。人間も二万七千人、海へ溺れて死にました。海の中の島が三つとも沈没してしまい、その代りに普賢岳(ふげんたけ)の前の峰が一つ破裂して、海の中に辷(すべ)り込んで新しい島となり、島原の町の南の方へ高さ六七十尺、長さ一里ばかりの堤が出来て海の中へ突出し、その付近は、害を蒙(こうむ)らぬところでも、地面が熱くてとても草履では歩けませんでした。二月でしたが、花の咲く木はみんな咲いてしまいました。ところで、その災難が有明の海を隔てた向う岸の肥後の国にまで海嘯(つなみ)となって現われ、それがためにあちらでも、五千人からの人が死にました。そのほか――」
「もうたくさんです。とにかく、今日のこの鳴動は、それらに比べては物の数ではないと証明なさるのですね」
「左様さ、あれは数百年に一度ある山の怒りでございまして、これは山の息抜きですから性質が違います。そのうち、わしは焼(やけ)へ参って噴火の本元を見届けて来ようと思いますが、今日は皆さんの御見舞を兼ねて、ひとつ皆さんの安心のために、山神の祓(はら)いをして上げたいと思って来ました」
「それは有難いことです、何よりのお願いですな、ぜひどうぞ、お足をお取り下さい」
「はい、はい」
 この時、はじめて神主は足をとって上りこみました。
 この連中、何程の信仰心と、清浄心を持っているかは疑問だが、この際、お祓いをしてやろうという神主様の好意には随喜渇仰の有難味を感じたと見え、それから神主のために祓いの座を設け、有合せではあるが、なるべく清浄な青物類を神前に盛り上げ、御幣(ごへい)も型の如くしつらえました。
 かくて、鐙小屋の神主は恭(うやうや)しく「山神祓(さんじんばらい)」をよみ上げる――
「高天原(たかまのはら)に神留(かんづま)ります皇親(すめらがむつ)、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)をもちて、大山祇大神(おほやまつみのおほんかみ)をあふぎまつりて、青体(あをと)の和幣三本(にきてみもと)、白体(しろと)の和幣三本を一行(ひとつら)に置き立て、種々(くさぐさ)のそなへ物高成(ものたかな)して神祈(かむほぎ)に祈ぎ給へば、はや納受(きこしめ)して、禍事咎祟(あしきこととがたた)りはあらじものをと、祓ひ給ひ清め給ふ由を、八百万神(やほよろづのかみ)たち、もろともに聞し召せと申す――」
 さすが信心ごころの程を疑われるイカモノ共も、この時ばかりは、神主の御祈祷に、満腔の感激と感涙とを浮べたものです。
 祓いが終ってから、一座を見廻して、神主が言いました、
「弁信さんはどうしましたか」
「あ!」
 この時に、はじめて一座が舌を捲きました。
 弁信! そうだ、忘れていた、あのこまっしゃくれたお喋(しゃべ)り小法師はこの際どうしている、それは人から尋ねられることではない、こちらが気がついておらねばならぬ、呉越も助け合うべきこの危険の際の、同じ屋根の棟の下の一人ではないか、良斎はじめこの一座が、面を見合わせて言いました――
「ほんとに弁信君は、どうした」
「あの子は眠っています」
「眠っている!」
「ええ、今日で三日目です」
「三日目、その間、飲まず食わず?」
「三日の間は、いかなることがあっても起してくれるなと言いました」
「だって、この際――」
「忘れていました」
「起して来ましょうか」
「そうさ、いくら起すなと頼まれたからといって、この非常の際じゃないか」
 良斎はじめ一座が、自分たちながら忘れ方もここまで来ては、むしろ非人情に近いことを慚(は)じねばならない。それを鐙小屋(あぶみごや)の神主は、
「いやいや、あの子は大分疲れているから、当人がそういう望みでしたら、やっぱり寝られるだけ寝かして、起さない方がようございましょう」
「でも、あんまり長い」
「三日ぐらい寝通すことはなんでもありませんよ、わたしなんぞは、六日一日寝通したことでございましたっけ」
「眠り死ぬということはないですかね」
「眼を醒(さ)ますつもりで寝ていれば、いくら眠っても、眠り死ぬことはございませんよ」
「でも……この際のことですから、弁信さんを起しましょう」
「起さない方がいいです、あんな人は、醒めていい時にはきっと醒めますから、起すまでのことはないです」
「そうですか」
 神主は、弁信の眠りを妨げようとする一座の者を固くいましめて置いて、
「さて、わしは、久しぶりで、お湯をよばれます」
と言って、そのままスタスタと湯殿の方へ行ってしまいました。
 あとでは、炉辺の一座が、この時、はじめて弁信の噂(うわさ)を盛んに唇頭に上せてきました。何ということだ、今まで、小さくともあの人間一人の存在を忘れていたのは、何というおぞましいことだ、こうして家を同じうして、天災に遭(あ)ってみれば、死なばもろともという覚悟をきめて、かたまっていたはずなのに、そのなかの一人を忘れてしまうとは情けないことではないか、もし我々すべてが助かって、あの不具な小法師ひとりを見殺しにしたとあっては、世間への面目はもとより、我々の良心が許さないではないか。
 神主様はああは言うけれども、忘れていたのは我々の落度だから、ともかく彼の熟睡を醒まして、この天変地異を告げて、我々と運命を共にすることに相助け相励ますの誠を尽さなければ、天理人情に反くというものじゃないか。
 誰か行って起して来給え――
 なるほどもう三日目だ、三日眠り通している、「よく寝れば寝るとて親は子を思ひ」という古句もある、この天変地異がなくとも、万一の安否を見てやるのが同宿の相身互(あいみたがい)、かまわないから、誰か行って弁信君を起して来給え。
「心得た」
 そこで、堤一郎は直ちに立って弁信を起すべく、三階の源氏香の間へと走(は)せつけましたが、ややあって、足どり忙しく立戻って来て、
「諸君――いません、あの小法師の姿があの部屋に見えません」
「え」
「次の間にもいません、夜具蒲団(やぐふとん)はちゃんといま畳んだように、きれいに畳んでありますが、本人はいずれにも見えません」
「はて……」
 この際に於ても、これはひと事として捨てては置けない。つづいて二三の人が、追いかけてまた三階へ行きました。
 それらの人が戻って来た時も、前の堤と同様の視察で、寝具はキチンと整理してあるが、人間のかけらはどこにも見えないという報告は同じことです。
「どうしたろう」
「不思議だ」
 この時、裏口から面(かお)を出した風呂番の嘉七おやじが、
「弁信さんなら、もうちっとさっき、一人で風呂に入っていなさるのがそれでがんしょう――もうかなり長いこと、おとなしく湯槽(ゆぶね)につかっていなさるようですが、もう上ったかと見ると、音がしたり、念仏の声なんぞが出てまいります」
「ああそうか」
「なあんだ」
 それで安心したような、気を抜かれたようなあんばいで、一座ががっかりしました。

         四十九

 嘉七の報告通り、もうずっと以前、ちょうど鐙小屋の神主が抜からぬ面で、この炉辺を訪れた時分に、弁信はいつ起きたのか、ぶらりとやって来て、大一番の湯槽の中を、我れ一人の天下とばかり身をぶちこんでおりました。
 適度の湯加減になっている槽を選んで、それに身を浸けた弁信は、仰ぐともなく明り取りの窓のあたりを仰ぎ、ゆるゆる首筋を洗いながら、物を考えているかと思えば、念仏か念経(ねんきん)かの声がする。
 山の鳴動から、この湯壺の底までが地響きをすると言って、一座のイカモノさえ気持悪がって逃げたこの湯槽の中に、弁信は一向そんなことにお感じがないようです。しかし、弁信としては目こそ見えね、耳と勘とは超人的に働くのですから、醒めて起き出でた以上は、この異常な天変地異を感得していないはずはないのです。そうだとすれば普通の五官を持っている人と同様に、多少の恐怖をもって湯に向わねばならないはずなのに、そのことがありません。見えない目を向けた窓のあたりから、昼を暗くする雲煙が濛々(もうもう)と立ちのぼり、灰が降っていることをも感得しているはずながら、それも別段にいぶせきこととも感じてはいないようです。
 そこへ、やにわにガラリと浴室の戸があいて、太陽のようなかがやきが転がり込みました。これぞ、お湯をよばれるといって炉辺を辞した鐙小屋の神主でありました。
「おやおや弁信さん、お目醒めでしたかいな」
「はいはい、そうおっしゃるお声は、鐙小屋(あぶみごや)の神主様でございましたね。先日はあなた様によって命を助けられまして、ほんとうに有難いことでございました、あの時の浅からぬ因縁は、忘れようとしても忘れられないのでございますが、それよりも今もって、私の気について離れられないのは、あなた様のお手はまあ、なんという温かいお手でございましたろう、それからまたあの時にお恵み下さったお粥(かゆ)がまた、なんという温かいお粥でございましたろう、温かいのはあたりまえの炉の火までが、あの時の温か味は全く味が違いました。たとえばでございますね、世間の火で焚いた風呂の温か味と、自然に湧き出づるこうした温泉の温か味とは、同じ温か味でも温か味が違いますように、あなた様のお助けの手はほんとうに温かいものでございまして、あの時に、わたくしの身内に朝日の光がうらうらとさし込んで参りましたような気持が致しました」
 例によって弁信法師は、最初の御挨拶の返事だけがこれです。
「そうでしたか、それこそ朝日権現の御利益(ごりやく)というものですね、つまり朝日権現のあらたかな御光というものが、わしの身を通してお前さんの身にとおったというわけなのですよ」
「左様でございましょう、人間の身体といたしましては、たれしもそう変ったものでございませんけれども、神仏のお恵みを受けると受けないとによって、温か味が違わなければならない道理でございますね。あなた様のお恵みのすべて温かいのは、朝日権現の利益とおっしゃるお言葉を、わたくしは無条件に信ずることができるのでございます、朝日権現様はつまり大日如来の御垂迹(ごすいじゃく)でございましょうな」
「は、は、は、左様でござらぬ、朝日権現は、すなわち天照大神の御分身じゃ」
「天照大神はすなわち大日如来でいらせられると、たしか行基菩薩も左様に仰せでございました」
「は、は、は、お前さんのは、それは両部というものでしてな、わしはいただきませんよ」
「左様でございますか、しかし……」
 弁信法師が、なお何をか続けようとした時に、ズドーンと大鉄槌を谷底へ落したような音がしましたので、
「たいそう、今日は山鳴りがいたします」
 今になって山鳴りがいたしますでもあるまいが、ここではじめて弁信の頭が、天変地異の方へ向いて来たようです。
「今日ではありませんよ、昨日からですよ。弁信さん、お前さんには分るまいが、この上の方に硫黄岳、焼ヶ岳という火山があってね、それが昨日から鳴り出したのです」
「左様でございますか、道理で、空気に異常があると思っておりました、灰もずいぶん降っているようでございますね」
「みんな心配しているが、たいしたことはないから安心なさい」
「はいはい。では火を噴(ふ)く山が近辺にあるのでございますね。わたくしも、ある学者から聞いたことがございまして、山のうちには、現在火を噴いている山と、昔は火を噴いたが、今は火を噴かない山と、今こそ火を噴かないが、またいつ噴き出すかわからない山とがあるようでございますね」
「それはありますよ、現に、わたしが諸国を実地に見たところでも……」
 神主がなお続けようとしたところへ、また浴室の戸があいて、池田良斎が裸体で手拭をさげてやって来ました。

         五十

「湯加減はいかがですか……弁信さん、ようやくお目が醒めたようですね」
「はい、はい、良斎先生でございましたね。おかげさまで、ぐっすり三日の間というもの心置きなく休ませていただいて、ようやく只今、眼が醒めましたところでございます」
「食事はどうしました、いくらなんでも三日の間、飲まず食わず寝たんではお腹が空いたでしょう」
「ええええ、それはなんでございます、休ませていただく前にお蕎麦(そば)の粉を用意しておりましたから、これを枕許へ置いて食事に換えました」
「そうですか。で、起きる早々、こんなに長くお湯につかっていていいのですか」
「鐙小屋の神主様に、いろいろとお話を聞かせていただいておりましたから、時の経つのを忘れておりました」
「身体に障(さわ)りさえしなければ、いくら長くいてもかまいませんがね」
 その時、三人が四角の湯槽の三方を占めて、おのおの割拠の形に離れて湯につかり、形だけはちょっと三すくみのようになって、暫く無言でしたが、余人はともあれ、このお喋(しゃべ)り坊主に長く沈黙が守っていられようはずがありません。
「わたくしが或る学者から承ったところによりますと、ヨーロッパにイタルという国がございまして、そのイタルという国にペスビューという山がございました。最初は誰も火を噴いたのを見たものがなかった山だそうでございましたが、今よりおよそ二千年の昔に当って、この山が突然火を噴き出したそうでございます。その時に、山の麓にありましたポンプという大きな町が、あっ! という間もなくそっくり埋ってしまったそうでございますが、さだめてそれほどの町でございますから、何万という人がすんでいたのでございましょうが、それが、やはり、あっ! という隙もなく一人も残らず熱い泥で埋ってしまったそうでございますが、火を噴く山の勢いというものは、聞いてさえ怖ろしいものでございます」
 聞いてさえ怖ろしい――ではない、事実、その怖ろしいものが、眼前でなければ耳頭に聞えているに拘らず、弁信の述べたところは、全く客観の出来事を語るに斉(ひと)しいものですから、いくらか安心した池田良斎をして歯痒(はがゆ)い思いをさせずにはおかないと見えて、
「皆さんの前ですが、こうして神や仏が在(おわ)しますこの世界に、人間が左様に自然の惨虐に苦しめられなければならないのはどうしたものでしょうかね、罪も咎(とが)もない生霊(いきりょう)が何千何万というもの、あっ! という間もなく、地獄のるつぼに投げ込まれる理由が、我々共にはわかりません。悪い者が罪を蒙(こうむ)るのは仕方がないとしても、その何万何千と生きながら葬られるものの中には、全く罪を知らない良民や、行いのすぐれた善人や、罪も報いもない子供たちも多分にいたことでしょうに、神仏というものが在しましながら、それらをお救いなさらぬことの理由は、凡夫でなくても疑ってみたくなるではございませんか」
「人間界のもろもろの幸や、不幸や、天災地変といったものを、人間が人間だけの眼で、限りあるだけの狭い世界の間だけしか見ないで判断をするのが誤りの基でございます――人は一人として、罪を持たずに生きている者はございません、もろもろの災難はみな、人間の増上慢心を砕く仏菩薩のお慈悲の力なんでございます」
 弁信法師が息をもつかず答えてのけると、鐙小屋の神主が、それに横槍を入れました、
「いやいや、罪なんていうものは元来無いものなんですよ、人間界にもどこにも罪なんていうものはありませんよ。生き通しのお光があるばかりじゃ、天照大神の御分身が充ち満ちているばかりじゃ。天照大神はすなわち日の御神じゃ、八百万神(やおよろずのかみ)をはじめ、我々人間に至るまで、大もとはみな天照大神のお光の御分身じゃ、天照大神が万物の親神で、その御陽気が天地の間に充ち渡り、充ち渡り、それによって一切万物が光明温暖のうちに生き育てられるのじゃ。このお光を受けさえ致せば罪という罪、けがれというけがれ、病という病は、みんな祓(はら)い清めらるるにきまったものじゃ、『罪という罪、咎という咎はあらじ』と中臣(なかとみ)のお祓いにもござる、物という物、事という事が有難いお光ばかりの世界なのでござるよ」
 それを聞いて良斎は、けげんな面(かお)をして、
「これは大変な相違です、弁信さんは、一人として罪なきものは無しと言い、神主様は、罪という罪はあらじとおっしゃる、大変な相違ですね。少なくとも有ると無いとの相違ですが、でも拙者としては、あなた方のどっちにも服することのできないのが残念でござる」
 神主はそれを軽く受けて、
「これほどはっきりした天地生き通しの光がわからないと言われるのが、すなわち闇じゃ。光はこの通り輝きわたっているのに、それを光と見えんのじゃ」
「けれども神主様……」
 池田良斎が続けて言いました。
「平田篤胤(ひらたあつたね)の俗神道大意に、真如(しんによ)ノ無明(むみやう)ハ生ズルトイフモイトイト心得ズ、真如ナラムニハ無明ハ生ズマジキコトナルニ、何ニシテ生ズルカ、其理コソ聞カマホシケレ……とあったのを覚えていますが、そこですね、弁信さんのおっしゃるように、三千世界が仏菩薩のお慈悲ということならば、罪悪の出所が無く、神主様は物みなは天照大神のお光とおっしゃるけれども、夜は闇になり、罪もけがれも、病気もあって、人が現に悩んでいます、やっぱり平田大人(うし)と同様に、拙者にも、真如から無明の出所がわからない、生き通しのお光から闇とけがれが出るという理がわかりません」
 神主様がまたこれに答えました、
「池田先生、あなたは平田篤胤大人なんぞを引合いにお出しなさる心持がもういけません、あの人を学者とお思いなさるか知れないが、あの人は本当の学者ではありません、議論家のようで、理窟屋の部類を出ない人なんですからね、まして本当の神道家でありようはずはありませんよ、日の神の恵みを本当に身に受けた行者でもなんでもありません、日本の古神道の道を唱えた功はありましょうが、神徳を実際に身に体験した人ではないのですよ。そこへ行くと両部もいけません。では、日本で本当に天照大神のお光をわが身に体験した先達(せんだつ)は誰かとお尋ねになれば、それは黒住宗忠公でございますね。あなたが神の道を学びたいとのお心なら、それはどうしても黒住宗忠公から出立なさらなくてはいけません、平田大人(うし)ではお話になりませんよ」
 そこへ弁信が口を出して、
「わたくしは、平田篤胤大人というお方はお名前は承っておりますが、まだその御著書を拝承したことはございませんから、果して神主様のおっしゃる通り、学者であって本当の学者ではなく、議論家であって、理窟屋の範囲を出でないお方で、また果して真に神道を体得したお方であるかないか、そのことは存じませんが、もし真如と無明との御解釈を御了解になりたいならば、それは馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)の大乗起信論をお聴きなさるに越したことはなかろうと存じますのでございます……」

         五十一

「大乗起信論と申しますのは……」
 ここまで来ると、弁信法師の広長舌が無制限、無頓着に繰出されることを覚悟しなければなりません。
 鐙小屋の神主も、池田良斎も、お喋(しゃべ)り坊主のお喋り坊主たる所以(ゆえん)を知っても知らなくても、この際弁信のために、饒舌(じょうぜつ)の時とところとを与えて控えるのは、やむを得ないことでもあり、また二人としても、この奇怪なるお喋り坊主から聞くだけ聞いてみないことにはと観念もしたらしく、鐙小屋の神主は相変らず夷様(えびすさま)の再来のように輝き渡っているし、池田良斎は一隅に割拠したまま沈黙して、湯の中で身体(からだ)をこすっています。
 さてまた、一方の湯槽(ゆぶね)の隅に短身と裸背を立てかけた弁信は、果して滑らかな舌が連続的に鳴り出して来ました、
「御承知の通り、馬鳴菩薩のお作でございまして、釈尊滅後六百年の後小乗が漸(ようや)く盛んになりまして大乗が漸く衰え行くのを歎いて、馬鳴菩薩が大乗の妙理すなわち真如即万法、万法即真如の義理を信ずる心を起さしめんがためにお作りになったものだそうでございまして、真如と無明との縁起がくわしく説いてございます。わたくしは清澄のお寺におりました折に老僧からその大乗起信論の講義を承ったことがございますが、真如、無明、頼耶(らいや)の法門のことなどは、なかなか弁信如きの頭では、その一片でさえこなしきれるはずのものではございませんが、不思議と老僧の講義を聴いておりまするうちに、しみじみと清水の湧くような融釈の念が起ってまいりまして、およそ論部の講義であのくらいわたしの頭にしみた講義はございませんでした。ちょうど只今、真如と無明の争いを承っておりますうちに、その講義の当時のことが思い出されてまいりました。真如が果して真如ならば、無明はそれいずれのところより起る、という平田先生並びに池田先生のお疑いは決して今日の問題ではございませんでした。真如の中に無明があって、真如を動かすものといたしますと、もはや真如ではございません、もしまた真如の外に無明が存在していて、真如を薫習(くんじゅう)いたすものならば、万法は真如と無明の合成でございまして、仏性一如(ぶっしょういちにょ)とは申されませぬ。真如法性(しんにょほっしょう)は即ち一ということはわかりましても、無明によって業相(ごうそう)の起る所以がわかりませぬ。真如即無明といたしますれば、無明を真如に働かせる力は何物でございましょう。真如は大海の水の如く、無明は業風によって起る波浪の如しと申しますれば、水のほかに浪無く、浪のほかに水無く、海水波浪一如なる道理のほどはわかりますが、円満なる大海の水を、波濤として湧き立たせる業風は、そもいずれより来(きた)るということがわかりませぬ。この風を起信論では薫習と申しているようでございますが、薫習の源が、また真如無明一如の外になければならぬ理窟となるのをなんと致しましょう。世間でよく譬(たと)えに用いまするところの、蛇、縄、麻の三つでございますが、麻が形を変えますと縄になりますが、本来、麻も、縄も、同じものなのでございます。真如と無明とがまたその通り、一仏性が二つの形に姿を変えたものでございますが、その縄を蛇と見て驚くのが即ち人の妄想でございます……と申しましても、巧妙な譬えには巧妙な譬えでございますが、やはり良斎先生の御質問には御満足を与え得ないと存じます。つまり、麻と縄との同質異相は疑いないと致しましても、そのまま縄を蛇と見るものは衆生(しゅじょう)の妄想といたしましても……現実多くの人の煩悩(ぼんのう)は、怖るべからざるものを怖れ、正しく見るべきものを歪(ゆが)めて見るところから起るのでございまして、多くは皆縄を蛇と間違えて諸煩悩の中に生きているものには相違ございませんが――それは事実上の世界のことでございまして、只今の究竟的御質問には触れてまいらぬのでございます。良斎先生はその二つの譬喩(ひゆ)をお疑いになるのではなく、ただ麻が縄となるその外縁がわからぬようにおっしゃるのでございましょう。麻と縄とが同じものだということはお疑いにならなくとも、では、何者が麻を縄にしたか、その力を知りたいとおっしゃるのでございましょう。そこで、真如はただ絶対にして、動もなく、不動もなく、生もなく、死もなく、始めもなく、終りもなき大遍満の存在と致しまして、それに無明が働くことによってのみこの世界にもろもろの現象が起る、その現象が人間世界にもさまざまの悲喜哀楽を捲き起す――何の力が無明を働かして左様な現象を起さしめるのか、それがわからないとおっしゃるのでございましょう――」
 弁信が一息にこれだけを言って、ちょっと息をきった時に、神妙に聞いていた池田良斎が、ようやく一語をハサムの機会を得まして、
「いかにも、その通りです、真如絶対だけなら、絶対だから文句はありませんが、この通り世間相――一切万法と言いますかな、吾々までの存在が、その絶対のうちから起ったのはすなわち真如へ無明が働きかけたものに相違ないとすれば、その無明の起るところ、仮りに水と波との如く、麻と縄との如く、真如と無明とは同一物の変形であるとしても、その同一物を変形せしめた力、すなわち海の水を波立たせる業風と言いますか、麻を縄にする指さきと言いますか、その起るところがわからないのです」
 弁信は透かさずこれに答えました、
「御尤(ごもっと)もの質問ではございますが、せっかく御質問なさるならば、もう少しく細かくごらんになって、真如と無明を分つ力をお調べになる前に、真如を真如とし、無明を無明としてながむる、その見方の立場をさきにごらんになる必要があると存じます。真如とか、無明とかを分ち見る心が即ち阿梨耶識(ありやしき)と申すのでございましょう。真如によって無明がありといたしましても、真如は真如、無明は無明でございまして、それを迷うとすれば別に迷い手がなければなりますまい、その迷うところのものが即ち梨耶でございまして……すでに、真如と無明を分つ以上は、ここにまた一つの阿梨耶識という分ち手を加えなければなりますまい。そこで、問題が二つではなく、また三つになってしまいましたのでございます」
「なるほど」
 良斎は深く頷(うなず)いてみたものの、ようやく領分が拡がって、自分が最初に提出した問題が、自分の頭におえないほどひろがって行くのに焦(じ)らされているらしい。それにも拘らず弁信は一向ひるまないのです。
「と申しましても、この三つが全く三つではないのでございます、種が実となり、また実が種となるのでございます、三つと申しましても一つでございます。一つであると申しましても、なぜ一つであるかはやっぱりおわかりにならないでございましょう、それはまたお分りにならないのが当然でございましょう。わたくしは、起信論のうち、別してここが大事というところを承りまして、その御文章を暗記いたしておりますが……それは、無明薫習(むみょうくんじゅう)ニ依ッテ起ス所ノ識(しき)トハ、凡夫ノ能(よ)ク知ルトコロニ非(あら)ズ、また、二乗ノ智恵ノ覚スル所ニ非ズ、謂(いわ)ク、菩薩ニ依ッテ初ノ正信ヨリ発心観察シ、若(も)シ法身ヲ証スレバ少分知ルコトヲ得、乃至菩薩究竟地(くきょうち)ニモ尽(ことごと)ク知ルコト能ワズ、唯(ただ)仏ノミ窮了ス――とあるそれでございます、これが即ち真如、無明、梨耶、三体一味の帰結なのでございます」
 その時、池田良斎が、うなだれながら手を挙げて、
「いや、少し待って下さい弁信さん、あなたの言うことを一々ついて行ってみたが、もうちょっと追いきれなくなりましたが、しかし、結論はやっぱりわからないところはどうしても分らない、凡夫や二乗にはわからない、菩薩でもわからないところがある、仏にならなければ……ということになってしまっているようですね」
「もう一応お聞き下さいまし、いかにも只今の御文章によりますると、凡夫二乗のやからのとうてい歯のたつところではない、菩薩の境涯でさえもやっとわかるかわからないか、所詮(しょせん)仏如来そのものだけが一切を御窮尽あそばす、とこういうのでございますが、それで絶望をなすってはいけません。そうしますると仏様のみが御承知になっているということを知っているのは誰でございましょう。馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)がお書きになった起信論でございますから、仏様のみ御承知の世界を御保証になった馬鳴菩薩は、またその境涯の存在を御存じでなければならないはずではございませんか、仏の持ち給う宝を菩薩が御保証をなさるのでございます。すでに菩薩の御指量をお許しになるとすれば、二乗凡夫のともがらもまたその宝の所在を窺(うかが)い知ることを許されねばならぬ約束ではございませんか。知識は至らずとも、信仰は至るものでございます――起信論の終りに念仏を説かれた古徳の到れり尽せる御親切のほどを思うと、投地礼拝して感泣するよりほかはございません。まことに起信論は論議のための論議ではございません、理窟のための理窟ではございません、闘争のために葛藤を捲き起された次第ではございませんで、功徳の如法性を普(あまね)く一切衆生界に回向(えこう)せられんがための思召(おぼしめ)しで馬鳴菩薩がお作りになったものでございますから、それで、わたくしたちの頭にも、あの一万七百二十七字の御著作の精神が、清水の湧くように融釈して参るのでございましょうかと存じます」
 弁信はここまで喋(しゃべ)り来ったが、それで喋り尽きたというわけでもなし、喋り疲れたというのでもありませんでした。
「で、つまり、わたくしが聞き覚えましたところの起信論の要領というものがだいたい左様なものでございまして、真如が無明によって薫習(くんじゅう)せられて、この一切世間相を生じてまいります。ここに薫習という言葉は梨耶とは別に、また起信論の中の一つの言葉でございますから、これを究めるもまた容易ならぬ論議を生じて参るのでございましょう。同じ薫習の見方でも、唯識論(ゆいしきろん)の方と、起信論の方とは大分ちがいまして、唯識論の方では、能薫(のうくん)となるものは所薫とならず、所薫となるものは能薫とならず、ということに決っているそうでございますが、起信論の方でございますと、能薫となるものもまた所薫となり、所薫となるものもまた能薫となるように説いてございますそうで、そこで、唯識論は、真如をもって能薫の力もなく、所薫の議もなきものとし、真如は薫習に関係のないものとしておりますけれど、起信論によりますと、真如は能薫ともなり、所薫ともなるように説いてございます。また唯識論では、無明というものは能薫とはなるけれども、所薫とはならないとあるのに、起信論では、無明が能薫ともなれば、所薫ともなるように説いてあるそうでございまして、これが、権大乗(ごんだいじょう)と実大乗(じつだいじょう)との教えに区別のあるところだそうでございます……」
 そこへ池田良斎が一つ、くさびを入れました、
「大乗にも権と実とがあるのですか……」
「え、え、ございますとも。従って、小乗にもまた勝と劣とがございますのはやむを得ないとは申せ、同じ一つの仏教のうちに、大乗尊くして小乗のみ卑しとするは当りませぬ、大乗の中に小乗あり、小乗の戒行なくしては、大乗の欣求(ごんぐ)もあり得ないわけでございます、大乗は易(い)にして、小乗は難(なん)なりと偏執(へんしゅう)してはなりませぬ、難がなければ易はありませぬ、易に堕(だ)しては難が釈(と)けませぬ、光があればこその闇でございまして、闇がなければ光もございませぬ……」
「は、は、は、は」
 この時、朗かに鐙小屋の神主さんの笑いが響き渡りました。
「そうです、そうです、弁信様の言われる通り、光があればこその闇で、闇がなければ光もないのじゃ。それを、もう一枚つきつめてしまうと、すべてがお光ばかりで、闇なんというものは無いのじゃ」
 池田良斎は、なんだか頭がくらくらして、議論も、反駁も、ちょっと手のつけられない心持になり、ともかくこの問題は、もう一ぺんも二へんもよく考え直した上で、改めて提出を試みねばならぬという気になりました。
 浴槽の中で三人がこうして論議に我を忘れ、環境を忘れている間、炉辺を守るところの他のすべての連中は、相変らず山の鳴動に胆を冷し、濛々(もうもう)たる灰煙の降りそそぐのに窒息を感じていたが、三人の湯がばかに長いのを思い出して、心配のあまり、様子をうかがいに来て見るとこの有様で、いつ果つべしとも思われぬ長広舌が展開されていることに、呆(あき)れ返らざるを得ませんでした。

         五十二

 それらのことよりも、もう一倍これらの人々を驚き呆れしめたところの出来事は、この三人のうちの二人が、お湯から上ると早々、足ごしらえをはじめ出したことです。
 三人のうちの二人というのは、弁信と鐙小屋(あぶみごや)の神主とのことで、この二人は別段、申し合わせたわけではないが、同時に発足の用意をはじめましたから、一座があわててその発足の理由をたしかめると、鐙小屋の神主さんは、これから焼ヶ岳の噴火の現場へ登れるだけ登って見届けて来るとのこと、弁信法師はといえば、これから安房峠(あぼうとうげ)を越えて、飛騨の平湯の温泉へ参りますとのこと。
 これには良斎はじめ一座が、眼前へ焼ヶ岳の爆破の一片が裂けて飛んででも来たほどに驚きました。驚いたうちにも、神主様の方はまあ修行が積んでいることでもあるし、この辺の主のようなものだからいいとして、弁信の奴がこの鳴動の真只中を出立するとは、いくら盲(めく)ら滅法といっても度が過ぎると感じないわけにはゆきません。ことにあれほど疲労して、三日間も動けなかったものが、起きると、いつのまにか、たぶん口から先に湯の中にもぐり込み、湯の中では、のべつにお喋りをし、湯を出ると早や草鞋(わらじ)をはいて、この鳴動の中をただ一人で出立しようというのだから、呆(あき)れがお礼に来たと思うよりほかはありません。
 そこで、一座が口を揃えて、
「弁信さん、なんぼなんでもお前さんだけは、やめたらどうです、神主様は覚えがあるのだからいいが、お前さん、この道はあたりまえの道とはちがって、日本第一の山奥なんですぜ、それこそ鳥も通わぬといっていい山道なんですぜ、北原君なんぞも、黒部平の品右衛門さんという、山道きっての案内の神様のような人に導かれて行ってさえ、崖から辷(すべ)り落ちて大怪我をしたんですぜ、それにお前さんがこの際、あの通り山鳴りがし、この通り地鳴りがして灰が降っている中を、一人で出かけるなんて、そりゃ大胆でもなんでもありゃしませんよ、無茶というものですよ、馬鹿というものですよ、悪いことは言わないからおやめなさい」
 しかし、草鞋を結ぶことをやめない弁信法師は、法然頭を左右に振り立て振り立てて言いました、
「御親切は有難うございますが、御心配は致し下さいますな。山鳴りのことは神主様が保証して下さいました、山ヌケでございますから、地の裂けて人を陥す憂いは無いそうでございます。でございますから、皆様も御安心なさいませ、わたくしも安心をいたしました。安心を致してみますと、いつまでわたくしもこうして皆様の御厄介になってばかりもおられる身ではございませぬ、とうに出立を致さねばならないのが、今日まで延び延びになりましたのは申しわけがございませぬ。なあに、あなた、険山難路を軽んずるわけではござりませぬが、白骨から平湯の間は三里の路と承りました、それに三日前に人間の通った道でござりますれば、わたくしにそのあとが追えないというはずはござりますまい。食事の方もお気づかい下さいますな、これが先日いただきました蕎麦粉(そばこ)でございますが、お腹のすいた時分にこれを水で掻(か)いていただきますと、まだ私の食と致しましては五日ぶんはたっぷりあるのでございますから、それを身につけてまいる上は仔細ござりませぬ。では皆様、御機嫌よろしく。はからぬ御縁で、この白骨の谷に、皆様のあらゆる御好意の下に弁信は、三日を心ゆくばかり休ませていただきました。いずれに致せ、電光朝露の人の身、今日別れて明日のことは、はかりがたなき世の中でござりまするが、御再会の期がないとは申されませぬ、では、どうぞ御機嫌よろしく……」
 これだけの減らず口を叩いて、呆れが礼に来る一座を後にして、弁信は鐙小屋の神主と相伴うてこの白骨の宿を出てしまいました。
 宿を出る時こそ一緒ではあったが、やがて当然、二人の目的地は違います。すなわち鐙小屋の神主は硫黄岳、焼ヶ岳の鳴動の実地調査のために北へ一向きに――弁信はとりあえず飛騨の平湯を指して、西へ向ってひとり行かねばなりません。
 二人が出立したけれど、山の鳴動と、雲煙と、降灰とのほとんど咫尺(しせき)を弁ぜぬ色は変りません。神主はああ言ってわが物顔に天変地異の安全を保証顔に説き立てるけれども、要するに人間の智力ではないか――白骨谷に残る一団は、二人が去ってみると、また不安の念の襲い来るのを如何(いかん)ともすることができません。まして気休めにしろ、こういう保証も、安心も、与える者のない平湯の温泉場の人心の動揺といっては思いやられるばかりであります。

         五十三

 これより先、代官屋敷からの二梃の駕籠(かご)は、郡上街道(ぐじょうかいどう)を南にと言われたはずなのに、益田街道を一散に走りました。
 彼等はもう、走りさえすればよいと考えているのでしょう。行先地の目的なんぞは、走り疲れた上で尋ぬべきことだとでも思っているのでしょう。
 無性に飛んで、久々野(くぐの)に近いところでしょう、左に社があって、右は崖路になっていて、その周囲いっぱいに森々たる杉の木立をつき抜けて走りました。
「おい、待て、その駕籠!」
 木立の前から鋭い声がかかったので、駕籠屋どももそれには胆(きも)を奪われないわけにはゆきません。
「待て!」
 ひた走りの八本の足が、ぴったりと急ブレーキで止まりました。
 闇の中、行手に立ち塞がったのは、一人は雲つくばかりの大男で、一人は中背の一書生でした。
「まだこの通り夜も暗いのに、どこへ急ぐのだ」
「はい、はい……」
 駕籠屋は早くも歯の根が合わないようです。
「怪しい乗物と認めたぞ」
「いいえ、どういたしまして」
「行先はドコだ」
「出発点はいずれだ」
 前に立ち塞がってこもごも詰問する二人の高圧には、駕籠屋(かごや)は、もう駕籠を地べたへ伏せて、すくんで尻ごみの体(てい)です。
 これは尋常出来星の追剥の類(たぐい)ではない、前の逞(たくま)しいのは、すごい両刀をたばさんでいる、それに附添うたのもかいがいしい旅姿で、それだけでも雲助四人の手には合わないことはわかっている。
「だ、だ、だ、代官屋敷から参りました」
「ナニ、代官屋敷から来た! 高山の郡代から来たのか……」
「はい、はい……」
「して、どこへ行くのだ」
「そ、そ、それは、お客様にお聞き下さいまし」
「ナニ、乗り手に聞けというのか、貴様たちは行先を知らんのか」
「存じませんので」
「は、は、は、おおよそ、行先を言わないで駕籠に乗る奴もあるまい、行先を聞かないで、駕籠に乗せる奴もあるまいではないか。のう、丸山、行先を知らさずに飛ばす駕籠は確かに怪しい旅の者と認めて異議はあるまい」
「いかにも怪しい」
 立ち塞がった二人の声に聞覚えのあるのも道理、前なる逞しいのは仏頂寺弥助で、後ろなる書生は丸山勇仙でした。
 この二人、先日は越中街道の道を尋ねながら、ここ宮川の岸をふらふらしていたが、いまだにまだ、こんなところを彷徨(ほうこう)している。亡者共だから是非もあるまいが、なんで、天下の往来を行く乗物を遮(さえぎ)るのだ――窮して濫(らん)する小人の習い――夜盗追剥稼ぎでもはじめたかな。まさか二人ともまだそこまでは堕落すまい。
「わしらあ、存じません、駕籠ん中のお客さんに聞いてくださんせ」
 四人の駕籠屋どもは、申し合わせたように同音にこう言い捨てるや、脱兎(だっと)の如く逃げ出しました。
 逃げ出した方向は、もと来た方をめざしたのでしょうが、前後が動顛していたものと見え、四人とも一度に杉の木立の崖の下へ転び落ち、落ち重なり走るものと、また急速度で落ち込むものとがあるようでしたが、暫くして烈しい砂辷(すべ)りがあって、水に落ちた物音が聞えました。
「あ、は、は、は、は」
 仏頂寺弥助の高笑いしたのが、こだまに響くと、
「虫めら――」
 丸山勇仙があざ笑う声もよく聞えます。
 さてこれから、乗り主の吟味にかかるのだ。仏頂寺、丸山が窮しての末、夜盗追剥の類にまで堕落したとすれば、当然、次の段取りは、駕籠の中に向って、強面(こわもて)の合力を申し入れるか、或いは身ぐるみ脱いで置いて行けとかの型になるのだが、その事はなく、高笑いした仏頂寺は存外なごやかな声で、
「これは失礼いたしました、拙者共はなにも、人を嚇(おど)し、物を掠(かす)めようとして駕籠先をおかしたのではござらぬ、時ならぬ時に、急ぎようが尋常でないから、仔細ぞあらんとお呼びとめ申してみたまでの分じゃ、それを駕籠屋ども、無茶に驚きよって雲助霞助(くもすけかすみすけ)と逃げかかったは笑止千万、乗主殿にはさだめて御迷惑でござろうが、悪意はござらぬ、ふしょうさっしゃい」
 駕籠の中へこう申し入れたのは、かえって陳謝の意味に響くのですから、中の乗客もさだめて相当に安心したことでしょう。
 丸山勇仙が続いて、それにつぎ足して言いました、
「ただいま同行の申す通り、我々は決してうろんの者ではない、かえっておのおの方の乗物が時ならぬ時に急ぎようが尋常でないためにお呼留めを申してみたまでのことじゃ……駕籠屋め、尋常に申開きをすればなんでもないことを、泡を食って逃げ出したのが笑止千万……しかし、おのおの方の御迷惑はお察し申す、いずれへお越しのつもりでござったかな」
とたずねた時に、後ろなる駕籠の中から、
「下呂(げろ)の湯島(ゆのしま)まで急がせるつもりでした、病人がありましてな」
 答えたのは落着いた男の声です。
「は、はあ、下呂温泉まで、御病者を連れてのお早立ちかな、なるほど……それははや、駕籠屋に逃げられては、いや、どうも我々共の粗忽(そこつ)から飛んだ御迷惑をかけ申した。が、さりとて、我々が駕籠屋に代って御身方の乗物を担いで行くというわけには参らぬ。是非に及ばぬ、我々は一足先に行手の村里へ参り、しかるべき人夫を頼んでこれへ遣(つか)わし申そう。いやはや、飛んだ御迷惑お察し申す、暫時、これにて御辛抱あれ、あちらの村里より迎えの者を遣わし申す」
と言うかと思えば、二人の豪の者は、さっさと行手の闇に進んで行ってしまった気色(けしき)であります。
 社頭の森の深い木立の前に置きっぱなされた二つの駕籠、その迷惑は全く思いやられるばかりだが、これでも案外なことの一つに、立ち塞がったいたずら者が、少しも危険性を帯びていなかったということだけが不幸中の幸いでしょう。
 駕籠はやや暫くというもの、ぽつねんと置き据えられたままでありました。

         五十四

 暫くすると、いつのまに出たか竜之助の姿は、前のお蘭の駕籠の上にのしかかって、頬杖をついているのであります。
 それは、駕籠屋には置捨てられたけれども、駕籠そのものはどちらも異状がないのみならず、駕籠の棒鼻に吊(つる)された提灯(ちょうちん)までが安全無事で、駕籠中の蝋燭の光も安全に保存していたところから、竜之助の輪郭をうっすらと闇の中へ描き出しているのでよくわかります。
 お蘭の駕籠の上へ、重く、静かにのしかかった竜之助は言いました、
「お蘭さん、お蘭さん」
 下なる駕籠の中で女の返事がしました、
「はい……」
「これから、どうしような」
「あなた様はいったい、どなた様でいらっしゃいますか」
「わしかね……わしの一代記を言うとなかなか長いがね」
「何のためにこんなことをなさいましたか」
「それは、お前の仕えている胡見沢(くるみざわ)という新お代官のために、こんなことになったのだ」
「あなたは、殿様に何ぞお恨みでもあって、あんなことをなさいましたか」
「何も、別段に深い恨みというものもなかったが、つい、ちょっとしたことから、敵に持たねばならなかったのだ、つまり、わしの大事にしている妹を、あの代官が屋敷へ連れて行ってしまったことに始まるのだ」
「まあ……それでは」
「それがために、よんどころなく人を手引にして、あの代官屋敷まで忍んで行って見るとな」
「あ、わかりました」
「たずねる妹は見当らなかったが、その身代りでもあるまいが、お前というものが与えられたようなものだ」
「それで、あなた様は、これから、どちらへわたしを連れていらっしゃるおつもりでございますか」
「さあ、それは、わしにはわからないのだ、お前に聞きたいのだ」
「わたくしにわかろうはずがござりませぬ。ああ、あなた様があんなにまでなさりさえしなければ、またどうにか道はございましたろうに、ああまでなされてしまった上は、もうほかにのがれる道はありませぬ」
「あれは、よんどころない」
「でも、あんまりむごたらしい。この上わたしをお連れになって、どうなさるおつもりでございますか」
「どうしようも、こうしようもない、妹が取戻せないその埋合せに与えられた、お前という相手次第のものだ」
「では、わたしというものを人質として、お妹様とお引換えなさる御了見でございましたか」
「いや、そういう商売気もなかったのだ。あったとしてみたところで、これは人違いだ、引換えてもらいたいと言っていまさら代官所へもお願いにも出られまいから」
「あなた様は、やけをおっしゃいます、ほかの意趣や遺恨(いこん)とちがいまして、相手はかりそめにも土地のお代官でございます、ここまで来られたのが不思議なくらいでございますが、どう間違っても国境(くにざかい)へ出るまでには、きっと捕まってしまいます」
「だが、その時はお前も逃げられまい」
「わたしは、わたしは代官の身内の者でございます」
「ははあ、その身内というのも、代官が生きておればこそだろう、今となっては屋敷中の疑いは、わしの身よりもお前の身に集まっているに相違ない」
「え、え、どうして左様なことがございますものか、罪人はあなたでございます、わたしは何も存じませぬ」
「いやいや、わしの何者であるかは、誰ひとりとして屋敷の中で知っているものはあるまいが、代官が討たれて、お前だけがいない――わしは逃れられない限りもないが、お前の疑いだけは解けない。よし疑いは解けても、お前を嫉(ねた)む者のたくさんある中から、かばう者は一人もあるまい。何はともあれ、罪の中のいちばん重いのにかけられるにきまっている、まあ軽くって磔刑(はりつけ)かな」
「いやでございます」
「それから、お前の兄の嘉助というのもあぶない」
「まあ、どうして嘉助のことを御存じですか」
「お前の親類中がみんなあぶない、お前が生きていなければよろしい、あの代官と枕を並べて討たれていたならば、まだし、親類中は助かったかも知れない」
「わからなくなりました、あなた様は、何かお怨(うら)みがあって殿様を殺害においでになったのですか、ただお妹さんを取返しにおいでになったのですか、それともわたしというものを、かどわかすために屋敷へおいでになったのでございますか、わからなくなりました」
「行当りばったり……めくらさがしに手にさわったところに縁があるのだから、おたがいにもう逃れられない」
「まさかあなた様は、お代官様になさったような酷(むご)たらしいことを、わたしに向ってなさるつもりでお連れになったのではございますまい」
「そうするくらいならば、ここまでは来まいが、或いは一思いにそうするよりも、これが悪かったかも知れない」
「たとえどうなりましょうとも、死ぬよりはましでございます、わたしは殺されることはいやでございますから、どうぞお助け下さいませ、生命(いのち)あっての物種でございますもの」
「実はお前を助けるために連れて来たのではない、わしが助けられたいために、こうして来たようなものですよ」
「何とおっしゃいます、あなた様のお言葉は、どういう意味に取ってよろしいか、わたしには全くわかりませんが、どちらでもよろしうございます、わたしは助けられさえ致せば、どんな仰せにでも従います」
「ここは往来だから、こうしているうちに人が通る――さっき逃げ去った駕籠屋ども、それから前の村から人をよこすと言ったあのおどかしの旅の者、どちらにしても人目にかかってはよくないな、わしのためにも、お前のためにもよくあるまい」
「ああ、その通りでございます、もうこうなりましては、夜の明けない先に、行けても、行けなくても、せめて国境を越してしまわなければなりませんでした」
「国境までは何里あります」
「それは大変でございます、ここは久々野の村外れとしましても、美濃の国境の金山(かなやま)までまだ二十里もございます」
「二十里?」
「はい――横道を信州へ出る道もございますが、これも山の間を十里からございます、道のりは十里でも、道の悪さは一層でございますから、その道はとても通ることはできません」
「そのほかには……」
「そのほかには、もう一ぺん高山へ引返して、北国へ走るよりほかはございません、それは全くできないことでございます」
「では、結局、近いところへ隠れるよりほかはないのだ」
「それよりほかはございません。が、隠れるにしても、あなた様があれほどな大罪を犯しなさらなければ、わたしの身体が欲しいと思召(おぼしめ)すならば、わたしの身体だけを奪ってお持ちになればいいのに、飛騨の国のお代官を殺してしまっては、飛騨一国の小石の下にも、草の根本にも、身を置くところはございません」
「困ったな!」
「全く、あなた様は悪いことをなさり過ぎました」
「といって、ここで捕まるのを、わざわざ待っているのも愚だ――ともかくもお前は土地の案内知り、隠れてみようではないか」
「それより仕方はございませぬ、この近いところにいくらもわたしの知った人はございますけれども、頼めばかえっておたがいの迷惑――ただ小坂(おさか)というところに一人頼み甲斐のありそうな人がありますから、それを頼って行きたいものですが――それまでの間……」
 お蘭はようよう駕籠(かご)を這(は)い出して来ました。そうして、自分のしどけない姿を顧みる暇もなく、今まで声のみに応対していた相手の人の姿を、のしかかっている駕籠の上で認めました。
 それを認めたのは、つまり、完全に保留されていた駕籠提灯の蝋燭(ろうそく)の余光で、闇のうちにうっすりと描き出されていたその輪郭に接すると、何とはなしに身の毛がよだつ思いがしました。
 というのは、別段に異形異装の目を驚かすものがあったというわけではなく、貪淫惨忍なる形相(ぎょうそう)を予想したのが、目(ま)のあたり的中したことに仰天したようなわけでもなく、その男が冷々淡々として自分の駕籠にのしかかって、中にいた、まだ見ず知らずであるべきはずの自分というものに向って話しかけている形勢が、ちょうど十年も馴染(なじみ)の女郎の膝にもたれながら、熟しきった痴話に燃えさしの炎の花を咲かせているようなふうで、ちっとも動揺したところはなく、まして今の先、飛騨の郡代の首を水を掻(か)くように打ち落して、それを塵芥(ごみ)を捨てるように、わざわざ中橋の真中へ持って行って置いて来たほどの当人と思うわけにはゆかなかったからです。
 のみならず、自分がようやく駕籠を抜け出して来てみても、その冷々たる面(かお)はいよいよ冷々たるもので、特に自分が抜け出して来たものだから、眼を据えて見ようとも、見直そうとも心構えを直したのではない、ほんとうに、よらずさわらずの人をあしらうと同じ呼吸でいるようで、その頭巾にこぼれた半ば以上の面を見ると、白いこと、蒼(あお)いこと――そうしてその眼は沈みきって、あらぬ方を向いている、決して自分一人に眼をくれているのではないということです。
 お蘭は何とも言えず、寄るともなく、引かれるのでもなく、目が廻るようになって、自分は男の傍によると、それにしがみついていました。
「お待ちなさい、人声がする」
 その声をまずききとがめたのはお蘭でなく、竜之助でありました。
「どちらから聞えます」
 二人は、じっと静かに耳をすましていたが、お蘭が、
「向うからです、久々野の方からでございます、あれ、提灯の光も見えだしました」
「では、いま、立ち塞がった二人の者が、人夫をつれて来たのだろう」
「そうだとしますと……」
 万一、それが逆に出て、高山方面からの追手では助からないが、前途のことだけにいささか心丈夫なものがある。
「あの二人の者が、約束通り人を頼んでよこしたものだろう、だとすれば……駕籠を抜け出して隠れるより、従前の通り駕籠にいて、為すがままに任せていた方がよい」
「それもそうでございますね」
「それに越したことはない」
「逃げて逃げそこねるよりは、まさかの時まで知らぬ面をしていましょうか」
「それが上分別」
「では、あなた様も」
「お前も平気の面をして元通り駕籠に納まっておいでなさい、ただし、姿は決して見せないように」
「はい」
 二人はここで左右に別れました。竜之助も、お蘭も、最初置据えられたままの位置で駕籠の中に納まりきってしまいました。棒鼻の提灯の蝋燭はまだ六分の寿命を保ち、その炎の色も、光も、たしかなものでした。
 果して間もなくこれへ舞い戻った仏頂寺弥助と丸山勇仙――感心にも約束の通り、四人の人夫をかり集めて来ました。
「いや、これはさだめしお待遠いことでござったろうな、我々のついした咎(とが)めが利(き)き過ぎた、御迷惑をお察し申した故に、久々野の外(はず)れへ参り、人を四人だけかり催してまいったによって、御安心なさい」
 それは仏頂寺の声で、こちらは駕籠の中から、
「それはそれは御苦労の儀でござった、しからばせっかくの好意に任せて、このまま御無礼を致します」
 竜之助の返事右の通り。
「ずいぶん心置きなく。身共らは、これより少々まだ心残りがござる故に高山まで引返し申す、御無事に」
「御免あれ」
 こう言い捨てて仏頂寺、丸山は、煙の如く闇の中をすり抜けて、高山方面へ戻り行くもののようです。
 あとで、駕籠屋に向ってお蘭が駕籠の中から言いました、
「下呂の湯までずっと通したいのですが、途中、小坂の問屋へちょっと寄って下さい、頼みます」
「承知いたしました」
 難なく二個の駕籠は、ここで宿次(しゅくつぎ)の形になって、まだ明けやらぬ森林の闇に向って飛ばせるのです。

         五十五

 小坂の町に黒川屋という大きな中継問屋(なかつぎどんや)がありました。
 これは大きくいえば飛騨一国の物産を他国に出し、また他国の物資を飛騨に入れる会所であって、矢田権四郎がこれを司(つかさど)っている。
 従ってそれに相応する店の構えと、百数十の人馬が絶えず出入りして、店頭はいつも賑(にぎ)わっている。主人に代って若いおかみさんが帳場に坐って、帳面をひろげ、筆をとっている。この若いおかみさんは、主人不在の時は主人に代って帳場を司っている。
 そのおかみさんが今、店頭の賑わいを前にして帳合(ちょうあい)をしている横の方から、若い女中が一人出て来て、おかみさんに向って私語(ささや)きましたから、おかみさんが、
「なに、ちょっと内証(ないしょ)で、わたしに会いたい人が中庭に来ていますって……」
 筆を休めて女中の方へ向きました。
 そこで女中が、また小さな声で、おかみさんの耳元へ私語きましたけれど、これは店頭の物音に紛れてよく聞えません。
 が、おかみさんは、退引ならぬと見えて、帳面の間へ筆を置いて、ついと立ち上りました。間もなく女中の案内で、広い座敷を抜けて本宅の裏庭へ来てみると、土蔵と袖垣とのこちらに引添って、二つの駕籠が置かれてありました。
 庭下駄を突っかけて、その駕籠の傍へ寄って来たおかみさんは、何か後ろめたいように見返しました時、前の駕籠の垂(たれ)が細目にあいて、
「おかみさん――」
 極めて忍びやかな女の声。
「まあ、お蘭様じゃございませんか」
「おかみさん、くわしいことは何もお聞きにならずに、本当に内証でわたしの後生一生の頼みをお聞き下さいまし」
「まあ、何かは存じませんが、ちょっとお上りください、ちょっと……」

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