大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 再び馬の前に立って、背を馬場に向けきった馬子は、馬に向ってはこう言うけれど、態度から見ると、「屈(こご)んでて悪けりゃ、こう立ったらいかがなもの、ここんところをすっぽりおやんなすっちゃ」と言わぬばかりの姿勢です。
 それを桜の木蔭から、一歩ずつ近よって見すましていた覆面が、申すまでもなく机竜之助であって、まだ刀の柄(つか)へも手をかけないで、木蔭からはなれて来たのだが、馬子が馬の腹へ廻って、馬の検査をはじめた時に、勝手が悪くなったとでも思ったのでしょう、ちょっと立ちつくしたが、ちょうど今、馬の鼻面に立って、背中を充分こちらへ向けきったと思われた時分に、はじめて手にしていた杖を地上に取落しました。
 この時です――両足を揃えて進むことを肯(がえん)じなかったその馬が、やにわに高く一声いなないて竿立ちになってしまったものですから、馬子が大あわてにあわてて、必死にその轡面(くつわづら)にブラ下がったものですから、今の姿勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
 こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
 食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
 無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
 そのあとを茫然(ぼうぜん)として見送るかの如き竜之助。
 人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄(ひづめ)の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。

         五十

 けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外(まちはず)れ、益田街道を南に、まっしぐらに走(は)せ行くことをとむることができません。
 どこの百姓か知れないが、おそらく、この馬子は、かなり人のいい方であっても、この馬の狂乱を理解することができないで、家へ帰ってから後、相当に馬を譴責(けんせき)することでしょう――もし、乱暴の主人でしたなら、危険の虞(おそ)れある荒(あば)れ馬として、売り飛ばすか、つぶしにすることか知れたものではない。
 つまり、馬に暴れられたのでなく、馬に救われたのだという理解があれば、人間は幸福だったのですが、馬の心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。
 佐久間象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上彦斎(げんさい)ともう一人の刺客に襲われた時、象山は馬上で、彦斎は徒歩(かち)であったから、斬るには斬ったが、傷は至って浅かったから、象山はそのまま馬の腹を蹴って逃げ出したのを、ついていた馬丁(べっとう)が馬の心を知らない――単に馬が狂い出したものと見て、走りかかる馬のゆくてに、大手を拡げてたち塞がったものだから、馬が棒立ちになったのを、追いすがった刺客が、おどり上って、思う存分に象山を斬ってしまった。これこそ実に日本一の間抜け馬丁、刺客にお手伝いをして、主人を俎(まないた)にのせてやった馬鹿者――こんな奴こそ、馬に噛み殺させてやりたい、踏み殺させてやりたい。
 こうして、馬と人とに理解のないということが、大きな不幸をめぐらすと共に、大きなる恵みをもたらすのです。しかし、理解のないことは、どちらも同じことで、象山の馬が、日本一間抜けの馬丁(べっとう)に制裁を加える資格も、能力も無い如く、今度のこの馬丁も、自分が馬のために救われていたということは、永久に理解することができないで、これから後の、この馬の履歴書には、「いい馬だけれども、不意に引っかける癖があってあぶねえ」という申し分がついてしまいましょう。
 ところで、この理解のない馬は、今晩、そのほかにもまた一つの功徳(くどく)を作っていることを自ら知らない。
 それは今晩、ゆくりなくも嚇(おどか)された音無しの怪物に、飛騨の高山へ来てから最初の、血祭りの刀を抜かせなかったということは、やはり重大なる功徳の一つであったに相違ないと思われるが、やっぱり、この功徳を誰も知る者がなく、称(たた)える者がなく、感謝する者もない。
 音無しの怪物からいえば、この時に馬子を斬ろうとしたのは事実で、斬ろうとするに、その風向きを見はからっているうちに、馬に奔逃(ほんとう)されて、斬るべき機会を失って、我ながら呆然(ぼうぜん)として、見えぬ眼に走る馬を見つめて、暫く立ち尽していたことも本当です。
 ことさらに解説するまでもなく、今晩、このところで、この馬子を斬らねばならぬ必要も意趣も、寸分あるのではない。馬子風情を……といったところで、斬った時の斬り心地には、馬子も、大納言も、さして変りあるべしとは思われない。
 この男が馬子を斬ってみようとしたのは、御用金を奪おうという経済の頭から出たのではなく、芝居気たっぷりの片手斬りに大向うを唸(うな)らせようという見得(みえ)から出たのでもなく、はしなく嗾(そそのか)し得たり少年の狂――と春濤がうたった通りの、土地の空気がさせた魔の業と見るよりほかはないでしょう――尤(もっと)もこの男ははや少年の部ではないが、血気はまだ必ずしも衰えたりとは言えますまい――こうして、苦笑いしながら地上に落したところの杖を取り上げて、越中街道の闇に、行先は、ただいま逃げた馬と同じ方向ですが、目的としては、高山の町の目ぬきのあたりへ現われようとするに違いない。

         五十一

 このたびの大火にあたって、いつぞや、宇津木兵馬が触書(ふれがき)を読んだ高札場(こうさつば)のあたりだけが、安全地帯でもあるかのように、取残されておりました。
 歯の抜けたような枝ぶりの柳の大樹までが、何の被害も蒙(こうむ)らずに、あの時のままですが、今晩この夜中に、天地が寂寥(せきりょう)として、焼野が原の跡が転(うた)た荒涼たる時、その柳の木の下に、ふと一つの姿を認められたのは、前の桜の馬場の当人とは違います。
 その者は、三度笠をかぶって、風合羽(かざがっぱ)を着た旅の人。
 いつのまにやって来たか、この寂寞(せきばく)と荒涼たる焼跡の中の、僅かな安全地帯に立入って、柳の木の蔭に立休らい、いささか芝居がかった気取り方で、身体をゆすぶって、鼠幕のあたりを、頭でのの字を書いて見上げたところ、誰か見ている人があれば、そのキッかけに、「音羽屋(おとわや)!」とか「立花屋(たちばなや)!」とか言ってみたいような、御当人もまた、それを言ってもらいたいような気取り方だが、あいにく誰もいない。
 人の見ていると見ていないに拘らず、こんな見得をしたがる男で、一応見得を切っておいて、それから左の手を懐中へ入れて、ふところから胴巻のようなものを引き出した形までが、いちいち芝居がかりで、引き出してから押しいただき、「有難え、かたじけねえ」と来るところらしいが、そんなセリフは言わず、胴巻のようなものの中からあやなして、何を取り出したかと見れば、竹の皮包は少々色消しです。
 でも、包みの中を開いて見るまでは、舞台に穴を明けるほどの色消しにもならなかったが、やっぱり片手をあやなして、竹の皮包をいいあんばいに開いて、中身をパックリと自分の頤(おとがい)の上へもって行ったところを見ると、色男も食い気に廻って、さっぱり栄(は)えない。いい男が、いいかげん気取ったしなをして、懐中から取り出した一物が何かと見れば、それはつけ焼きの握飯(むすび)であって、それをその男が二つばかり、もろにかじってしまいました。
 これががんりきの百蔵といって名代(?)のやくざです。
 いつのまに、このやくざ野郎、こんなところまで来やがった?
 先日来は、尾張名古屋の城のところで、金の鯱(しゃちほこ)を横眼に睨(にら)みながらいやみたっぷりを聞かせていたが――名古屋からここにのしたと見れば、この野郎の足としては、さまでの難事ではないが、こんな野郎に足踏みされた土地には、ロクなことはないにきまってる。ロクなことがないといっても、南条や、五十嵐あたりとは、いたずらのスケールが違うから、飛騨の高山へ来ても、高山の天地を動かすようなことはしでかすまいけれど、高札をよごすくらいのことはやりかねぬ奴です。
 とにかく、このごろ、飛騨の高山も、なんとなく浮世の動静が穏かでないけれど、こんなやくざ野郎の姿はきのうまでこの土地には見えなかった。それを見たのは今晩、このところに於て初のお目見得(めみえ)ですから、野郎きっと夜通し飛んで来てみたが、目的地へ来てみると、自分を出し抜いて、火事が目当てを焼いてしまっていたので、面食ってしまったに相違ない。
 来てみて、はじめて口あんぐりと握飯(むすび)を食う始末……焼跡をうろついて、あやしまれでもしては、このうえ気の利(き)かない骨頂。そこで、そっと安全地帯に立入って、高札場の下の、柳の大樹の下に落着いてみると、急に腹が減り出したという次第と見えます――焼握飯(やきむすび)をたべてしまってみると、水が飲みたい、あそこに井戸があるにはあるが、釣瓶(つるべ)までそっくり備わっているにはいるが、うっかり水汲みに行くのも考えものだと、野郎その辺にはかなり細心で、井戸もあり、釣瓶もあり、その中には当然水もあることを予想しながら、焦(こ)げつく咽喉(のど)を抑えて、柳の木蔭を動こうともしないでいる。
 前後左右をよく見定めておいてから、たっぷり水を飲もうという了見らしい。

         五十二

 果して提灯(ちょうちん)が来る――二つ、三つ、四つ、五つの提灯のやって来ることを数えられるほどになって、がんりきの百蔵は笠を外(はず)し、自分の身を斜めにして、柳の木を前にすると、ほとんど不思議のようで、本来からだだけは御自慢の、きゃしゃに出来ていることはいるが、それにしても、比目魚(ひらめ)を縦にしたような形になってしまって、大木といっても、本来街路樹ですから、決して牛を隠すのなんのというほどではない、ざらにあるだけの柳の木なのですが、前から見ると、がんりき一人を隠して、髪の毛一つの外れも見えなくしてしまったのは、術のようです。
 この男が、本式に、伊賀や甲賀の流れを汲んでいるということは聞かないが、野郎、やっぱり、その道にかけては天性で、身体を実物以上に平べったく見せることは、心得ているらしい。
 がんりきの百が、斯様(かよう)に、柳の木の蔭で身体を平べったくしているとは知らず、その前へ順々に歩んで来たのは、陣笠をかぶり、打割羽織(ぶっさきばおり)を着、御用提灯をさげた都合五人の者でありまして、これはこのたび出来た、非常大差配の下に任命された小差配の連中に違いありません。
 この小差配都合五人は、非常見廻りのために、市中を巡邏(じゅんら)して、このところに通りかかったのだが、この安全地帯の、柳の木の前の高札場の下の、つまりがんりきの百蔵が只今、生得の隠形(おんぎょう)の印(いん)を結んでいるところの、つい鼻の先まで来て、そこで言い合わせたように一服ということになりました。
 見廻りのお役目としては、三べん廻って煙草にするという御定法通りですから、あえて可もなく不可もないのですが、隠形の印を結んでいる眼前に、苦手(にがて)の御用聞に御輿(みこし)を据えられたがんりきの百蔵なるものの迷惑は、察するに余りあるものです。
 五人の御用提灯は、悠々と提灯の火から煙草をうつしてのみはじめました。
「うん、材木がウンと積んであるがのう、みんなこりゃ下原宿の嘉助が手で入れたのだのう。嘉助め、うまくやってるのう」
 一人が、道一筋むこうに山と積み上げた材木を、夜目で透かしてこう言うと、もう一人が、
「うん、なるほど、近ごろ下原宿の嘉助ほどの当り者はまずねえのう、うまくやりおるのう」
 もう一人が、
「一手元締めは大きいからのう、嘉助が運勢にゃかなわねえのう……なにも、嘉助が運勢という次第じゃねえのう、ありゃあ、娘っ子が前の方の働きじゃ」
「ははあ、いつの世でも女ならではのう、嘉助もいいのを生んで仕合せだ、氏(うじ)無くして玉の輿とはよく言うたものじゃのう」
「蛍のようなもんでのう、お尻の光じゃでのう――だが、あの女(あま)っ子(こ)も器量もんじゃのう、ドコぞにたまらんところがあればこそ、親玉も、あの女っ子に限って、長続きがしようというもんじゃのう」
「左様さ、あの飽きっぽい赤鍋の親玉が、嘉助が娘のお蘭にかかっちゃ、からたあいねえんだから、異(い)なものだのう」
「お代官という商売も、いい商売だのう、百姓の年貢(ねんぐ)はとり放題、領内のいい女は食い放題――わしらが覚えてからでも、あの親玉の手にかかった女が……ええと、まずガンショウ寺のあのお嬢さんなあ、それからトーロク屋の女房、それとまた富山から貰うて来たという養女名儀のお武家の娘――品のいい娘だったが、あれが内実はお手がついたとかつかんとかで親里帰り、それからまた、興楽亭のおかみなあ、あれも、親玉に持ちかけたとかすりつけたとかの評判じゃ。その他芸子や酌女は、片っぱしから食い放題、町の中で、いい女と見たら誰彼の用捨無しという親玉だあ」
 この連中、かりにも、陣笠、打割羽織、御用提灯の身として、口が軽過ぎるのも変だが、こんな話を、他ならぬがんりきの百の野郎なんぞに聞かしてよいものか、悪いものか。

         五十三

 陣笠、御用提灯、打割羽織というけれども、本来これらの連中は、生れついてのお役人の端くれではない。
 この非常の際に、代官でも手が廻らない上に、近頃、材木盗人が横行する。それはこの大災について、材木の払底を告げたところから、土地の者が近村の山々を、無願伐採するやからが多い。それらの目附とを兼ねて、土地の者で相当の功労を経たのを引上げて小差配に任命して、大差配の下につけたのだから、譜代恩顧の手附手代といったようなものとは地金が違い、しかつめらしいいでたちをしながら、時と場合を見すましては馬鹿口がころがり出す。ここでも、お役目がらとはまるで違った蔭口を向けている先は、お代官と言い、親玉と言うのが同一のことに過ぎない。そのお代官であり、親玉である上長官が、女に目がないということを、面白がってすっぱ抜いているらしい。すっぱ抜く方も面白がり、それをきく方も嬉しがっているらしい。お里がお里だから、お安いお役向に出来ているらしい。
「嘉助が娘のお蘭は、ドコか特別に味のいいところがあるんじゃろうてのう、あればっかりが親玉の首根ッ子をつかまえて放さん、親玉の方でも、お蘭に逢っちゃあたあいがねえじゃて。お蘭の言うことならば何でもきく、従って嘉助の出頭ぶりはめざましいものじゃて。飛ぶ鳥も落すというのはあのことじゃてのう」
「お蘭は、そんなにいい女かえのう」
「いい女にはいい女だのう」
「さようなあ、悪いとは言えねえ。お寺の娘さんにも、お武家の娘御にも、商売人にも食い飽きた親玉が放さねえのだから、悪い容色(きりょう)の女じゃねえのう。百姓の娘にしてあれだからのう」
「百姓の娘だけに、うぶなところと、親身のところが、親玉のお気に召したというのだなあ」
「いいや、お蘭も、百姓の娘たあいうけど、てとりものじゃ、商売人にも負けねえということじゃて」
「親玉をうまくまるめ込んでいることじゃろうがのう」
「親玉ばかりじゃありゃせん、その道ではお蘭も、なかなかの好(す)き者(もの)でのう」
「はあて」
「お蘭もあれで、親玉に負けない好き者じゃでのう、お蘭の手にかかった男もたんとあるとやら、まあ、男たらしの淫婦じゃてのう」
「親玉のお手がついてからでもか」
「うむうむ、かえってそれをいいことにしてのう、今までのように土臭い若衆なんぞは、てんで相手にせず、中小姓(ちゅうこしょう)じゃの、用人じゃの、お出入りのさむらい衆じゃの、気のありそうなのは、まんべんなく手を出したり、足を出したりするそうじゃてのう」
「はて、さて、そりゃまた一騒ぎあらんことかい」
「どうれ」
「どっこい」
「もう一廻り、見て、お開きと致そうかいなあ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「どうれ」
「どっこい」
 こう言って、彼等は、煙草の吸殻を踏み消し、御用提灯を取り上げて、背のびをしたり、欠伸(あくび)をしたりしながら立ち上る。そうして、まもなく橋を渡って、あちらへ行ってしまう。一旦、平べったくなったがんりきの百蔵の身体が、この時また立体的になる。
「ハクショ!」
 音が高い――自分の口をあわてて自分の左の手で抑えて、
「風邪をひいちゃった――だが聞き逃しのできねえ話をきかされちゃったぜ――畜生、どうしやがるか」
 こう言って、いまいましそうに、御用提灯のあとを見送っていました。
 こうしてみると、御用提灯の連中、言わでものことを、わざわざがんりきのために言い聞かせに来たようなものです。

         五十四

 がんりきの百も、この柳の木の下へ、風邪をひきに来たものでないことはわかっている。何か野郎相当の野心があるか、そうでなければ進退に窮することがあって、よんどころなくこの柳の木の下へ立寄ったものに相違ない。
「どうれ」
と、隠形(おんぎょう)の印も結びもすっかり崩して、まず最初から、飲みたくて堪らなかった水を飲もうとして、井戸の方へそろそろと歩んで行くと、その井戸側から、人が一人、ひょろひょろと這(は)い出して来たには、驚かないわけにはゆきません。以前の、御用提灯、打割羽織(ぶっさきばおり)には、さほど驚かなかったがんりきの百が、井戸側の蔭から、ひょろひょろと這い出して来たよた者に、まったく毒気を抜かれてしまいました。
 だが、幸いにして、こちらも多少の心得があるから、見咎(みとが)められるまでには至らなかったが、もう一息違って、ぶっつけに井戸へ走ってしまおうものなら、大変――このよた者と鉢合せをするところであった。
 いいところで、またごまかして、今度は高札場の石垣の横に潜み直していると、井戸側から出たよた者は、がんりきありとは全く知らないらしく、這い出して来て、前後左右を見廻し、ホッと一息ついたのは、つまりこの点に於ては御同病――いましがた、立って行った御用提灯、打割羽織の目を忍ぶために、自分が柳の木の蔭で平べったくなっていると共に、このよた者は、井戸側の蔭に這いつくばって、その目を避けていたのだ。
 つまり自分の隠形は立業であるのに、このよた者は寝業で一本取ったというわけなのだ。二人とも、やり過してしまってから業を崩し、ホッと息をついて、のさばり出たのは同じこと。
 がんりきが石垣の蔭からよく見ていると、手拭を畳んで頭にのせ、丸い御膳籠(ごぜんかご)を肩に引っかけた紙屑買(かみくずか)いです。
 紙屑買いだといって無論こういう場合には油断ができないことで、なお、よく注意して見ると――がんりきは商売柄で、夜目、遠目が利(き)く――手にがんどう提灯(ぢょうちん)を持っているところなどは、いよいよ怪しい。
 そこで、ともかくも、こいつのあとをつけてみなければならないことだと思いました。一応、その行動を見届けてやる必要があると思いました。
 そうして、暫くそのあとをつけてみた後に、がんりきが唖然(あぜん)として、自分をせせら笑ってしまいました。
 こいつは生え抜きの紙屑買いだ。紙屑買いというよりは、紙屑拾いの部に属すべきもので、がんりきほどの者が、あとをつけたりなんぞするほどの代物(しろもの)ではない――何だって気が利(き)かねえ、飛騨の高山まで来て、紙屑買いの尻を追い廻すなんぞは、七兵衛兄いの前(めえ)へてえしても話にならねえ――というのは、こいつが焼跡へ忍んで行くから、その通りついて行って見ると、その焼跡を鉄の棒でほじくって、そこで金目になりそうなものは、雪駄(せった)の後金(あとがね)であろうとも、鎌の前金であろうとも、拾い集めて銭にかえようとする商売だけのものです。
 夜陰忍んで来たのは、万一この焼跡から、小判の一枚か、金の指輪の一つも掘っくり返した時の用意。その時に権利者に出て来られたり、縄張り争いが起ったりしては厄介と思うから、そこで、夜陰こっそり忍んで来ただけのものです。第一、紙屑買いとしての御膳籠の背負いっぷりからして、最初から板についている。
 大笑いだ――だが、ここまで来た上は、また柳の木の下へ引返すのも、なおさら気が利(き)かない。といって、これからわっしの行くところはドコです、とたずねるのも一層気が利かない。第一、それをたずねようにも、たずねる人はあたりになし、ようし、一番、この屑屋をからかってやれ、相手にとっては少々不足だが、時にとっての慰みだ、一番からかってやれ――かくてがんりきはやや暫くあとをつけていたが、頃を見計らって、小声で、
「お爺(とっ)さん」
 紙屑屋の肩を後ろから叩くと、屑屋は一たまりもなくへたへたとひっくり返ってしまいました。

         五十五

「お爺さん」
と肩を叩いたら、直ぐにへたへたとひっくり返ってしまい、もう腰が抜けてしまって動けないらしいから、がんりきは苦笑いをしながら、屑屋の耳に口を当て、
「お爺さん、驚いちゃいけねえよ、わしは怖(こわ)いもんじゃねえ、道中筋をちっとばかり寄り道があって、たった今、この飛騨の高山というところへたずねて来て見るてえと、高山は一昨日(おととい)こんな大火事で、たずねて来た人の立退先がわからねえんだ、それで途方に暮れているところへ、お前の姿を見たもんだから、呼びかけてみただけのものなんだ、そんなに怖がるがものはねえよ」
「はい」
「さあ、立ちな、立ちな。立てねえかい」
「大丈夫でございまっしゃろ」
「いいよ、いいよ、立てなけりゃ、立てるまで、そうしていなさるがいいや、わしゃ爺さんに心当りを教えてもらいさえすりゃいいんだ」
「はい」
「わしゃあね、下原宿の嘉助という者の実は……甥(おい)なんだがね」
「はい」
「餓鬼(がき)の時分から手癖が悪くって、諸所方々をほうつき廻り、めったに叔父さんといってたずねたことはねえんだが、ちっと旅先で聞き込んだことがあるから、急にかけつけて見ると、飛騨の高山がこの始末なんだ」
「はい」
「下原宿の嘉助は、どこへたちのいたか知らねえかい」
「はい……下原宿てえのは焼けやしませんでな」
「焼けねえと……じゃあ焼け残ったのか。そいつぁまあ、どっちにしても仕合せだった。爺さん、済まねえがひとつその下原宿の嘉助のところまで、わっしを案内しておくんなさらねえか」
「ええ、そりゃなんでございます、お安い御用でございますて」
「うむ、済まねえな、もう立てるかい」
「へい、もう立てまっしゃろ」
「それからねえ、お爺(とっ)さん、もう一つ頼みがあるんだがね」
「下原宿の嘉助さんていえば、たいした威勢でございますでなあ」
「もう一つ頼みというはねえ、お爺さん、その嘉助に一人娘があるんだがなあ、おいらには従妹(いとこ)に当るってわけなんだが」
「はい、はい」
「その従妹が、今、お代官のお邸(やしき)に御奉公かなんかしているということなんだが、ついでにちょっと寄って行きてえんだ、お代官邸てえのは、どっちの方なんだえ、それへもひとつ案内をしてもらいてえと思うんだが、きいちゃあくれめえか」
「はい」
 がんりきの百の野郎は、たった今のききかじりをここで、もう応用してしまっている。目から鼻へ抜けたつもりで、すっかり応用を試みているが、相手の煮えきらないこと、はい、はいとは言うが、いっこう立とうともしないから、業(ごう)を煮やし、
「まだ、立てねえのかい」
「もう、大丈夫でございまっしゃろ」
「大丈夫でございまっしゃろはいいが、立てねえじゃねえか」
「はい、はい」
「ちぇッ、そら、爺さん、手をとってやるよ、威勢よく起きねえ」
と言って、がんりきは、その手首をグッとひっぱって、いくらか包んで、屑屋の手に持たせ、ようやく起してやり、
「さあ、先へ立って案内してくんな」
 要領を得て、怖々(こわごわ)ながら、屑屋の老爺(おやじ)が立ちかけたが、またぺたりと腰を落し、ワナワナと慄(ふる)え出して、
「あっ! あっ!」
といって指さしをして、その手でがんりきの合羽(かっぱ)の裾を激しく引く。

         五十六

「世話の焼けた老爺(おやじ)さんだ」
 がんりきは、骨無し同様な、老爺の腰の抜けっぷりに愛想をつかし、こんな度胸で、火事跡荒しに来るなんて、全くふざけた老爺だと思って、蹴飛ばしてやりたくなったのを、そうもならず、ぜひなく老爺の指さした方を見ると、こんどはがんりきがゾッと立ち尽してしまいました。
「お化け……」
 老爺は指差しをしたまま、二度目に腰を抜かして、ヘタヘタと坐り込んでしまっている。
 その指さきの示すところを見ると、ほぼ十間の彼方(かなた)の同じ焼跡の中に、すっくと立って、こっちを見ている一つの黒い人影があるのです。
「おや?」
 がんりきの百蔵もギョッとして、瞳(ひとみ)を定めてそれを見る。
 さいぜんからそこで我々を見つめていた人影一つ、荒涼たる焼野原を透して、宮川の外(はず)れから白山山脈が見えようというところ、月の晩ではないのに、その輪郭が白くぼかしたように浮き上っている。
「おや……」
 がんりきは、たじろぎながらその物影を篤(とく)と見直すと、覆面をして、着流しのままで、二本の刀を帯びて、じっとこちらを睨(にら)んでいる。
 こいつは辻斬だ! はあて、飛騨の高山でも、辻斬が商売になるのかな。
 ちょうど、下に置いてあった屑屋のがんどう提灯(ぢょうちん)を、がんりきの百が手にとって、その異形(いぎょう)の者にさしつける途端、
「あっ! いけねえ」
 すさまじい音をして、がんどう提灯が、数十間の彼方にケシ飛ぶと共に、がんりきの百も共に、数十間ケシ飛びました。
 同じケシ飛んだのではあるけれども、がんどうの方は飛んだところへ行って留まったが、がんりきの方は横っ飛びに飛んだまま、街道の道へ出ると、一層の速度を加えて、無二無三に走りました。
 そのあとで、
「助けて――」
 屑屋もまた、がんりきと同じようにケシ飛ぼうとしたけれども、それは無理で、ドウと音がして、やがてザンブと水が鳴って、そうして助けて! という声が地の下から聞えたのは、焼跡のそばの、崩れた井戸へ落ち込んだものと見える。
 がんりきの百は無情にも、屑屋の急を救わんともせず、救うの遑(いとま)もなく、遮二無二走ること……かれこれ八町余りにして一つの物体にありついて、そこで、息をきりました。
「あっ! 何てザマだ」
 そこで、自分ながら愛想が尽き果ててしまったものの如く、額から首筋の汗を拭って、そうして、星もない空を恨めしそうにながめながら、
「ザマあ見やがれ」
 幾度も幾度も自分を冷笑しきれないのは、考えてみればみるほどばからしい。
 がんどうを差しつけたまではわかっているが、それからあの辻斬が、果して自分へ向いてのしかかって来たのだか、どうだか、いま考えてみると雲を掴むようだ。
 ああした瞬間に、たつみ上(あが)りに覆面の者からのしかかられた力にたまらず、振りもぎってがむしゃらに逃げ出したこっちのザマは、話にも、絵にも描けたものじゃねえ――
 それがよ、仮りにも、がんりきの兄いともあるべきものが、飛騨の高山くんだりへ来て、追剥か、辻斬か、異体の知れねえのに脅(おびやか)されて、雲を霞と逃げたとあっちゃあ――第一、七兵衛兄いなんぞに聞かせようものなら、生涯の笑われ草だ。
 だが、どうして、おれは、こんなに逃げなけりゃならなかったのだろう。がんどうをつきつけりゃあ向うも驚かあ、向って来たら、こっちもがんりきだから、一番飛騨の高山の辻斬の斬りっぷりを見てやろうじゃねえかという、いたずら心充分でやった仕事なのに――意地にも、我慢にも、ああのしかかられては逃げ足が先で、見栄も外聞もなくここまで突走らされ、こうして立ちすくんだのは、いったいどうしたというのだ。

         五十七

 考えてみれば夢だ、幽霊を見たんだ、お化けにおどかされて逃げたんだ、ばかばかしさこの上なし。気の毒千万なのは屑屋のおやじよ、あわてて井戸へおっこったらしいが、危ないこった。それをみすみす、手を出してやることもできねえで、命からがら、ここまで逃げのびたがんりきの心根が、自分ながらつくづく不憫(ふびん)でたまらねえ。がんりきの百ともあるべきものが、飛騨の高山へ来て、辻斬のお化けにおどかされたとあっては、もうこの面(つら)は東海道の風にゃ吹かせられねえ――憚(はばか)りながら、このがんりきの百蔵は、見てくんな、こうして右の片腕が一本足りねえんだぜ、向う傷なんだ。この片一方の腕に対(てえ)しても、面(かお)が合わせられねえ仕儀さ。何とかしてこの腹癒(はらい)せをしねえことには、この虫がおさまらねえ。といって、気の利(き)いたお化けはもう引込んでいる時分に、またも現場へ引返して、虚勢を張ってみたところで、間抜けの上塗りであり、抜からぬ面をして、おじいさん、井戸は深いかえ、も聞いて呆(あき)れる。
 いったい、ここはドコなんだろう。お寺だな、かなり大きなお寺の門だ。なあるほど、飛騨の国は山国だけあって木口はいいな、かなりすばらしいもんだが、何という寺なんだ、名前も何もわかりゃしねえ。
 さて――と、今晩、これから落着くところは、自暴(やけ)だな、自暴と二人連れで、この腹癒(はらい)せに乗込んでみてえところはさ、目抜きのところはすっかり焼けてしまっていて、どうにもならねえ。
 今になって、思い出したのは、あの御用提灯と、陣笠と、打割羽織(ぶっさきばおり)の見まわりだが、あの見廻りのお上役人だか、土地の世話役だかわからねえが、おいらの眼と鼻の先で、乙なことを言って聞かしてくれたっけなあ。
 その事、その事。それを今、ここんとこで思い返していると、なんだかゾクゾク虫酸(むしず)が走ってくるようだぜ。ここのお代官がなかなか好き者で、そのお妾(めかけ)さんが百姓出の娘には似合わず、また輪をかけた好き者で……旦那をいいかげんにあやなして置いちゃあ、中小姓であれ、御用人であれ、気の向いた奴には、相手かまわず据膳をするとかなんとか。そいつをお前、高山入り早々のがんりきの鼻先で匂わせて下さるなんぞは気が知れねえ、そんなのを、今までトント忘れていたこっちも、人が好過ぎるじゃねえか。
 いったい、そのお代官邸てのはドコにあるんだい。ようし、一番夜明けまでには、まだ一仕事の隙(すき)は、たっぷりあらあ、そのお代官邸てえのへ、ひとつ見参してみようじゃねえか。これから夜明けまで、その百姓上りだという手取者(てとりもの)の好き者のお部屋様んところへ推参して、そこで一ぷく、お先煙草の御馳走にあずかろうじゃねえか。
 いいところへ気がついた、なあにこれだけのところだ、誰に聞かねえったって、走っているうちには代官邸らしいのにぶっつかるだろう。そのお部屋様というのが、そういうお前、話の分った女であった日にゃあ、土臭い地侍ばかり食べつけているのと違って、こっちもがんりきの百だよ、野暮(やぼ)におびえさせて、お説教ばかり聞かしてもおられねえ、話がもてて来た日にゃ、夜が明けても帰さねえよ、てなことになってくる。せっかく、訪ねて来たがんりきのために野(や)を清めてしまったうえは、今夜の御定宿はひとつ、そのお代官邸のお部屋様のお座敷と、こういう寸法にきめてやろうじゃねえか――
 まあ、待ってくんな、せいては事を仕損ずる、それにしても咽喉(のど)が火のようだ。
 井戸はねえかな、井戸は……やむことを得なけりゃあ、さきほどの、あの高札場の屑屋の這(は)い出した井戸まで引返すかね。
 こうして、この門前をうろつき出したやくざ野郎は、ほどなく、代官屋敷の裏門の掘井戸のところへ姿を現わしたことを以て見ると、求むるところのものに、同時にありついたようなものです。

         五十八

 宇津木兵馬が、ここへ来てから、一つ気になるのは、お代官の邸の奥向のことです。
 このお代官には女房は無くて、お気に入りのお妾が、一切を切って廻していることは、それでいいとしても、兵馬が気になり出したのは、このお妾がいかにも水っぽい女で、たしかにいい女というのだろう、血相のいい顔に、つやつやしい丸髷(まるまげ)を結って、出入りの者や、下々の者までそらさない愛嬌はたしかにあって、代官が寵愛(ちょうあい)するのも、のろいばかりではない、まあ、この妾にも寵愛を受けるだけの器量はあるのだ。
 この奥向を切って廻して、主人をまるめて置くだけの器量のある女には相違ないが、兵馬が気になり出したのは、品行の悪い噂(うわさ)で、それも噂だけではない、兵馬の眼にも、それと合点(がてん)のできるほど、眼に余るところも見えないではないが、兵馬のわけて気になるのは、どうも自分に向ってまで、眼の使い方が解(げ)せないことがある。それが、日一日と強くなって、あの火事の騒ぎの晩なぞは――兵馬はその晩のことを思い出して、いよいよ変な気になりました。
 このお部屋様が、自分に誘惑をやり出している、ということが、ハッキリわかってくると、全くイヤな心持です。
 ただ、イヤな心持ではなく、二重にも三重にも、イヤな心持がするのは、自分のほかに、ここに召使われている誰彼の用人、小姓、みんなあれと同様の色目にあずかっているらしいからで、そうして、自分が新しくて珍しいものだから、特別に――という思わせぶりがたっぷりだからです。
 つまりこうして、自分をおもちゃにしてみようといういたずら心なのだ。そうして、そのおもちゃになりつつ、表面は至極心服の態(てい)に見せているものが、現にこの邸の中に一人や二人はあるらしい。それでも、おたがいたちのうちに鞘当(さやあ)ても起らないし、お代官そのものもいっこう悪い顔をしないのは、お人好しで全く気がつかないのか、或いは自分が相当の食わせ者であるだけに、気がついても、見て見ないふりをしているのか。一方からいえば、それで風波を起さずに抑えているところは、どこかに、あの女の度胸だとも、器量だとも言えないことはない。
 だが、度胸にしても、器量にしても、それは浅ましいものだと、兵馬には感ぜずにはおられません。そうしてその浅ましさが、今は一途(いちず)に、自分の方へ向って圧迫されて来ることを感ぜずにはおられないのです。
 一日も早くこの地を立った方がよいと思っている一方に、またあのお代官の引力がなんとなく強い。あのお代官はお代官でまた極力、この自分を引留めて置きたい了見(りょうけん)が充分にある。その了見を露骨にしないで、搦手(からめて)からジリジリと待遇をもって自分を動かせないようにして手許へ引きつけて置きたいとの了見がよくわかっている。兵馬は、それをいいかげんに振りきって、出立せねばならぬと思いつつも、その待遇についほだされてしまう。なにも特別の義理はないし、人物に対しても、そう離れられないほど、尊敬も心服もしているのではないが、このお代官にある力で引きつけられて、急に腰をあげられないような気持にされているのが不思議だ。
 お妾の色目と、それとは全く別なことはわかっている。なにも自分を引留めて置きたいために、しめし合わせて、色仕掛のなんのというたくらみになっていないことは確かだが、なんにしてもこの二つが、左右から、当分自分を動けないものにしているらしいことは、争えない。
 兵馬は寝返りを打ちながら、こんなことを考えているうちに、廊下がミシと鳴るのを感じました。

         五十九

「ああ」
 そこで、兵馬は胸が燃えるような熱さを感じました。
 ああ、それ、今も気にかかるその人が、今晩という今晩、ここまで忍んで来られたのだ。ああ、正直のところ、自分はこの誘惑に勝てるだろうか。
 あの奥方――ではない、お部屋様、あの婦人がここへ入って来たら、どうしよう、声を出して恥をかかせるわけにもいくまい、そうかといって……
 ああ、困った、絶体絶命、兵馬は、もう全身が熱くなって、ワナワナとふるえが来ているようです。
 果して、ミシミシと廊下に音が続いてする、中の寝息をうかがっているものらしい、あ、障子の桟(さん)へ手をかけた。
 どうしよう、この誘惑に勝てようか、勝てても勝てなくても、今は絶体絶命だ。こういう時に、兵馬はいつも堅くなってしまって、動きの取れないことがおかしいほどです。
 兵馬には、来るものを取って食うだけの勇気はない。そうかといって、それを叱り誡(いまし)めて、恥をかかせて追い返すほどの非人情も、発揮ができない。
 禅の心得とかなんとかいうものが、こんな時に、さっぱり役に立たないのは、かえって、なまじいにそれにひっかかるからだ――兵馬はある先賢が旅宿で、主婦から口説(くど)かれたのを平然として説得してかえしたことを思ってみたり、美人から抱きつかれて、それを枯木寒巌とかなんとか言って、このなまぐさ坊主め、と追ん出されてしまったことを考える。
 突いていいのか、ひっぱり込んでいいのか、実際、禅だの、心法だのということを少し学んでいたために、かえってそれに迷う。
 果して、隔ての襖(ふすま)が細目に開く。
 ぜひなく兵馬は、ムックリと起き直って、蒲団(ふとん)の上に端坐しながら枕元の燈火(あかり)を掻(か)き立てました。
 兵馬が燈心を掻き立てた途端のこと、その行燈(あんどん)の下から、ぬっと這(は)い寄った人の面(かお)、それとぴったり面を合わせた兵馬が、
「あ!」
と言いました。驚いたのは兵馬のみではなく、その行燈の下から這い寄った面の主も、同じように吃驚(びっくり)して、
「いけねえ!」
 途端に早くも兵馬は、この者の利腕(ききうで)を取ろうとして、案外にもそれが、フワリとして手答えのないのに、ハッとしました。
 これは双方の思惑違い、勘違いでした。
 兵馬が行燈の下から見た面は、予想していたような人ではなく、全く見なれない月代(さかやき)のならずものめいた、色の生(なま)っ白(ちろ)い奴! その色の生っ白い小粋(こいき)がった方が認めたのは、やっぱり案外な若い男の侍でしたから、双方とも一時(いっとき)全く当てが外れて、度を失ったものです。
 でも、兵馬は心得て、やにわに、その曲者の利腕を取って押さえようとして、再び案外に感じたことは、それにさっぱり手ごたえのないことで、つまり、この男は、手を引込めて、兵馬の打込みを外したのではなく、その利腕が、てんで存在していないのだということを、兵馬が覚りました。
 右腕は無いのだ、それならばと、膝を立て直して抑えにかかった時、先方もさるものでした。
 さっと、ひっくり返って、これは、ワザとひっくり返ったので、そのひっくり返った途端に、行燈を蹴飛ばして真暗にし、なお二の矢に、行燈の下から素早くさらった油壺を、兵馬のあたりをめがけて投げつけると、クルリと起き直って、廊下へ飛び出してしまいました。
 勿論(もちろん)、こいつは、がんりきの百蔵で、噂に聞いた新お代官の屋敷の、好き者のお部屋様に見参するつもりで来たのが、案外にも、宇津木兵馬の寝ているところでした。

         六十

 その素早い挙動には、さすがに兵馬も呆(あき)れるほどでした。
 こいつ、本職だ!
 直ちに刀を取って追いかけたが、庭へ逃げたということを知ると共に、自分は庭へ下りないで、道場へと進んで行きました。
 道場には黒崎君が寝ている。
 兵馬は静かに黒崎を起しました。そうして、いま、曲者が入ったことを告げ、但し単身潜入したもので、大体に於て、深いたくらみのある奴ではないから、騒がないがよろしい、強(し)いて陣屋の上下を動揺させるほどのこともあるまいから、君は起きて、屋敷の内部を警戒し給え、拙者は一廻り邸外を廻って見て来る、二人だけで検分してしまおう、騒がないがよいと言いました。
 黒崎はそれを心得て、身仕度をしました。
 兵馬は、それから小提灯をふところに入れ、戸締りをしておいて、さいぜんの曲者が乗越えた塀(へい)に近い潜り戸から、邸の外へ出てみる気になりました。
 かなりに広い、代官邸の塀の外を一廻りするだけでも、かなりの時間を要するが、内部のことは黒崎に任せて置けば心配なし、実は自分もこの機会に少し、外へ出てみたくなったのだ。
 高山へ来てからまだ、夜歩きということを兵馬はしていないのです。夜歩きが好きというわけではないが、深夜、街頭を歩くことには、京都以来、いろいろの興味を持っている。何かと得るところも甚(はなは)だ多いのです――第一、夜は静かで紛雑の気分を一掃する。それに思わぬ事件や、思わぬ人物に出会(でくわ)して、何かの意味でそれをあしらうことが、なかなか修行になるものだと心得ている。それにまた兵馬も若いから、おのずから血潮が、夜遊びということに誘導するといったようなせいもあろう。
 そこで兵馬は、今晩、ただ単に塀の外を通るのみではない、また、ただいま、取逃がした小盗をどこまでも追いつめるというのでもなく、今晩はひとつ、この機会に、少し高山の町、それとあの焼跡の辺までのしてみようではないか、という気分にそそられました。
 と言っても、高山の町は、そんなに広くないから、したがって多くの時間をとるほどのこともあるまいし、あとのところは黒崎に任せておく、黒崎はなかなか出来るから、あれが眼を醒(さ)ましていてさえくれれば、あとの留守は心配がないというものだ。
 それにまた、兵馬は、当時、宗猷寺に移っている高村卿のところへもお寄り申してくるつもりでしょう、そうなれば、夜明けになるかも知れない。
 こうして、兵馬は邸外の人となりました。
 飛騨の高山の夜の景色に、悠々とひたってみる機会を得ました。
 塀外を一廻りして、それから、右に川原町、左に上向町を見て、真直ぐに出て行くと、そこに中橋がある。
 中橋は、京の五条橋を思い出させる擬宝珠附(ぎぼうしゅつ)きの古風な立派な橋で、宮川の流れが潺湲(せんかん)として河原の中を縫うて行く、その沿岸に高山の町の火影が眠っている。
 南にはこんもりとした城山のつづきと、錦山。ここへ立つと兵馬は、どうしても「小京都」という感じをとどめることができません。

         六十一

 飛騨の高山には「小京都」の面影(おもかげ)があるということは、ちょうど、この橋が五条の橋で、三条四条を控え、この川が鴨川そっくりの情趣を湛(たた)えていないではない。この城山つづきを東山一帯に見做(みな)すことも決して無理ではない。無論、京都の規模には及ばないが、その情趣の髣髴(ほうふつ)は無いではない。それに京都は天地こそ、やはり平安の気分はあるが、時に凄(すさ)まじい渦に巻かれていることを兵馬は見ているが、ここは、本場のような血なまぐさいことはないから、こうして歩いていても、途上に人間の首がころがっていたり、壮士が抜身を持って横行して来たりするような心配はない。
 ただ、気の毒なことは、過日の火事である。不幸中にも、代官邸以西まで火は届かなかったが、宮川通りから一の町、二の町、三の町、川西の方までも目抜きのところが焼かれてしまっている――兵馬としては、この城山の方、奥深く上って、高いところから、更に深夜、むしろ夜明け間近の高山を、もう一ぺん見直そうとしたのですが、火事場見舞を先にしてやろうと、中橋を渡りきって見ると、もうやがて焼跡の区域で、そこへ至る前に、再び足をとどめたのは、例の今の高札場の、柳の木のあるところです。
 そこまで兵馬がやって来た時に――無論、この高札場が、もう、一度前に一場出ていて、それが返し幕か、廻り舞台になっていて、今度はそこへ自分が一人だけ登場せしめられているということを、兵馬は知らないのです。ですから何気なく、その場面へ登場して来て見ると、その前路のまんなかに、自分よりは先に、もう一人の役者が登場していることに驚かされました。
 高札場を中にして、自分とは半町ほどの距離を置いて、大道のまんなかに、人が一人倒れて苦しがっていることが、兵馬には直ちに気取られてしまいました。
 そこで、心得て、踏みとどまり、その道のまんなかで苦しみうめいている者の何者であるか――無論、それは人間には違いないが、人間のいかなる種類に属しているもので、いかなる理由で、今頃あんな所にああしているのか、倒れているのは、事実あの人影一つだけで、他に連類は無いのか、なんぞということの視察には、かなり兵馬は抜け目がないのです。
 幸いにこの柳の木――これは、この前の場面に、がんりきの百という役者が、充分カセに使った道具立てなのですが、ここにも兵馬のために有力な合方となってくれます。
 兵馬は、柳の蔭から透(すか)して、大道で倒れて苦しがっている者の、仔細な観察を続けようとします。だが、まず以て安心なことには、この怪しい行倒れが、斬られて横たわっているのではなく、酔倒れて、身動きもならないほどになっていることに気がついたのです。
「酔っぱらいだな」
 酔っぱらいならば、酔いのさめるまで地面に寝かして置いた方がよい。
 この地では、あんなのを、通りがかりにためし物にして、さいなんで行く奴もあるまいし、まだ当分車馬の蹄(ひづめ)にかかる心配もあるまいから、まもなく夜が明けたら、誰か処分するだろう、そのうちには酔いがさめて、自分の酔体は、自分で始末するに相違ない。
 まず安心――という気持で柳の木から出て、そうして兵馬は、ずかずかとこの酔っぱらいの前を通り過ぎようとしました。
「もし、そこへ誰か来たの、何とかして下さいよ、もう動けない、助けて下さい」
 兵馬の足音を聞いて、酔っぱらいが呼びかけたのは不思議ではないが、それは女の声でした。
 助けて下さいと言うけれども、酔っぱらいであることは間違いないから、兵馬はそう深刻には聞きません。
 本性(ほんしょう)のたがわぬ生酔い、人の来る足音を聞いて、それを見かけに、何かねだり事をでも言おうとする横着な奴! しかもそれが女ときては言語道断だ、と思いました。

         六十二

 おそらく、醜いものの骨頂は、女の酔っぱらいです。
 微醺(びくん)を帯びた女のかんばせは、美しさを加えることがあるかも知れないが、こうグデングデンに酔っぱらってしまって、大道中へふんぞり返ってしまったのでは、醜態も醜態の極、問題にならないと、兵馬が苦々しく思いました。
 兵馬でなくても、それは苦々しく思いましょう。同時に、こんな苦々しい醜態を、たとえ深夜といえども、この大道中にさらさねばならぬ女、またさらしていられる女は、普通の女ではないということはわかりきっている。つまり、煮ても焼いても食えない莫連者(ばくれんもの)であるか、そうでなければ、その道のいわゆる玄人(くろうと)というやつが盛りつぶされて、茶屋小屋の帰りに、こんな醜態を演じ出したと見るよりほかはないのです。
 兵馬が近寄って見ると、それは醜態には醜態に相違ないけれど、醜態の主(ぬし)たるものは、醜人ではありませんでした。むしろ美し過ぎるほど美しい女で、その美しいのをこってりとあでやかにつくっている、それは芸妓(げいしゃ)だ。年も若いし、相当の売れっ妓(こ)になっている芸妓――兵馬は一時(いっとき)、それの姿に眼を奪われて、
「どうかなされたかな」
「やっと、ここまで逃げて来たんです、もう大丈夫」
「どこから?」
「清月楼から」
「清月楼というのは?」
「お前さん、飛騨の高山にいて、清月楼を知らないの?」
「知らない」
「ずいぶんボンクラね」
「うむ」
「ほら、中橋の向うに大きなお料理屋があるでしょう、あれが、清月楼といって、高山では第一等のお料理屋さんなんです」
「そうか」
「そうかじゃありません、高山にいて、清月さんを知らないようなボンクラでは、決して出世はできませんよ」
「うむ――そんなことは、どうでもいいが、お前は清月楼の芸妓なのだな」
「いいえ、清月さんの抱えではありません、これでも新前(しんまえ)の自前(じまえ)なのよ」
「なら、お前の家はどこだ、こんなところに女の身で、醜態を曝(さら)していては、自分も危ないし、家のものも心配するだろう」
「シュウタイって何でしょう、わたし、シュウタイなんていうものを曝しているか知ら、そんなものを持って来た覚えはないのよ」
「何でもよろしいから、早く家へ帰るようにしなさい」
「大きにお世話様……帰ろうと帰るまいと、こっちの勝手と言いたいがね、わたしだって酔興でこんなところに転がっているんじゃないのよ」
「これが酔興でなくて、何だ」
「いくら芸妓(げいしゃ)だって、お前さん、酔興で夜夜中(よるよなか)、こんなところに転がってる芸妓があるもんですか、これは言うに言われない切ないいりわけがあってのことよ、察して頂戴な」
「困ったな」
「全く困っちまったわ、どうすればいいんでしょう」
「いいから、早くお帰りなさい」
「どこへ帰るのです」
「家へお帰りなさい」
「家へ帰れるくらいなら、こんなところに転がっているものですか」
「では、その清月とやらへ帰ったらいいだろう」
「清月から逃げて帰ったんじゃありませんか」
「何か悪いことをしたのか」
「憚(はばか)りさま、悪いことなんぞして追い出されるようなわたしとは、わたしが違います、あのお代官の親爺(おやじ)に口説(くど)かれて、どうにもこうにもならないから、それで逃げ出して来たのを知らない?」

         六十三

「なに、お代官がどうした」
「知ってるくせに、そんなことをいまさら尋ねるなんて野暮(やぼ)らしい。今晩もわたし、清月ですっかりあの助平(すけべい)のお代官に口説かれちゃった」
「…………」
「わたしを呼んで、こんなに盛りつぶしておいて、今晩こそジタバタさせないんですとさ」
「ふーむ」
「感心して聴いているわね。あなたはどなたか知らないが、おとなしい方ね。あなたのようにおとなしければなんにもないんですけれど、あのお代官ときた日には……助平で、あんぽんたんで、しつっこくて、吝嗇(けち)で、傲慢(ごうまん)で、キザで、馬鹿で、阿呆で、小汚なくて、ああ、思い出しても胸が悪くなる、ベッ、ベッ」
と唾を吐きました。
 兵馬は重ね重ね、苦々しい思いに堪えられないのです。
 もう、これだけで、委細は分っているようなものだ。問題の今の新お代官、つまり、仮りに自分が逗留(とうりゅう)しているところの主人が、この芸妓に目をつけて、ものにしようとしている。昨晩も、宵のうちから手込めにかかったが、それが思うようにゆかないからこの仕儀。
 兵馬は、新お代官に就ては、絶えずこんなような聞き苦しい噂(うわさ)や事実を、見たり、聞かせられたりする。単にそれだけによって判断すると、新お代官なるものは、箸にも棒にもかからない、悪代官の標本のように見えるけれども、兵馬自身は決して、それは敬服も、心服もしていないけれども、接して見ているうちには、そう悪いところばかりではない。野卑ではあるが、どこか大量なところがあって、相当に人を籠絡(ろうらく)する魅力愛嬌もないではない。人の蔭口は、一方をのみ聞捨てにすべきものではないということを、この辺にも経験していたのでした。
 が、只今、この場のことはありそうなことで、芸妓風情(げいしゃふぜい)に口説(くど)いてハネられて、逃げられて、その上に、助平の、あんぽんたんのとコキ下ろされれば世話はないと思いました。これでは、たとえ人物に、面白いところが有ろうとも無かろうとも、仮にも、飛騨一国の代官としては権威が立つまい、と心配させられるばかりです。
 だが、この芸妓という奴も生意気だ、代官の権威にも屈しないなら屈しないでいいが、仮りにも土地の権威の役人を、こんなふうに悪口雑言(あっこうぞうごん)するのは怪しからぬ。しかしこれも酒がさせる業(わざ)、なだめて、酔いをさましてやるほかには仕方はなかろうと思い、
「代官も悪かろうが、お前も品行がよくない」
「まあ、御親切さま、芸妓の品行を心配して下さるあなたという人は、日本一の親切者、わたし、あなたのような人が大好き、あなたとならば、一苦労も、二苦労もしてみたいわ」
といって芸妓が、いきなり兵馬の首にかじりつきました。
 その道の達者な抑え込みならば、外(はず)して外せないことはないが、このかじりつきには、むざむざと兵馬がひっかかってしまいました。
「何をするのだ」
 それでも、火の子がついたように、やっとその細い腕を振払っている。
「それでは帰るから、送って頂戴な」
「うむ」
「送って頂戴、ね、またあのお代官の助平が出て来ると、今度はわたし逃げられないから」
「よし」
「送って下さる?」
「家はいったいどこなのだ」
「少し遠いのよ」
「遠い?」
「ええ、少し遠いけれども、あなた、ほんとうに送って下さい」
「やむを得ない、行きがかり上」
「行きがかり上なんて言わないで、親身(しんみ)に送って頂戴な。でも、行先が少し遠いのよ」
「どこだか、それを言いなさい」
「信州の松本なのよ」

         六十四

 信州の松本と聞いて、兵馬が再びこの芸妓(げいしゃ)の面(かお)を見直さないわけにゆきません。
 送れと言うから、行きがかり上、送ってやらねばなるまい、広くもあらぬ高山の土地、たとえ今は焼け出されて、立退先になっているにしてからが、知れたもの――帰りがけの駄賃――にもならないが、まあこうなっては退引(のっぴき)ならないと観念したものの信州松本と聞いて呆(あき)れました。
「ね、信州の松本まで送って下さらない」
 呆れながら兵馬が、
「松本の何というところだ」
「松本の浅間のお湯ってのがあるでしょう、あそこよ。だが待って下さい、うっかり行こうものなら、その松本もあぶないことよ、網を張ってあるところへ、わざわざひっかかりに行くようなものだから、もう少し考えさせて下さいな、そうそう、では、同じ信濃ですけれども、もっと山奥の、中房の湯、あそこへ行きましょう、中房ならば、誰にもわかりっこなし」
「うむ」
「もし、その中房で見つかった時には、お江戸へ連れて行って頂戴な」
「ああ」
「どうしました」
「ああ、お前はここにいたのか」
「ここにいたとおっしゃるのは?」
「お前は松本から中房へ行って、また中房を出たはずだが……」
「その通り、違いありません」
「それが、どうしてこんなところへやって来たのだ」
「どうしてって、あなた」
「お前は、江戸へ帰りたいと言っていたはずだ」
「それが間違って、飛騨の高山へ来てしまいましたのよ、悪いおさむらいに騙(だま)されて、さんざんからかわれた揚句に、この高山へ納められてしまいました」
「その悪いおさむらいというのは、仏頂寺と、丸山だろう」
「何とおっしゃるか存じませんが、あの二人のお方が、江戸へ連れて行ってやるとおっしゃったのに騙されて、この高山へ来てしまいました」
「そんなことだろうと思ったから、急にあとを追いかけてみたのだが」
「そんなこととは、どんなこと?」
「お前は、わしがわからないな」
「まあ、どなたでいらっしゃいましたか、お見それ申しました、お面(かお)を見せて頂戴な」
 この時分には、ズブ酔いが多少醒(さ)め加減になっていたと見え、
「ねえ、あなた、あなたの御親切は死んでも忘れませんよ、お面を見せて頂戴な」
 女の方から、もたれかかるように来たのは、相手が怖るべき助平野郎でなく、多少ともに、自分を親切に介抱してくれる人だとの意識が明瞭になったからでしょう。兵馬の首に抱きついて、自分の面をそこへ持って行って、充分に甘ったれるようにシナをしながら、トロリとした酔眼をみはって、そうして兵馬の面を見定めようとする努力を試みている。
「しっかりしろ」
「しっかりしていますとも。まあ、あなたまだお若い方なのね」
「しっかりしろ」
「頼もしいわね、おや、まだ前髪立ちなのね、お若いのもいいけれど、子供じゃつまりませんわ、早く元服して頂戴な」
「いいかげんにしろ」
 兵馬は、女の背中を一つ打ちのめすと――そんなに強くではなく――女は、
「まあ、痛いこと」
 仰々しく言ったが、この時、酔いは著しく引いたと見え、腰をまとめながら起き上り、
「まあ――失礼いたしました、ここはどこでございましょう、あなた様は見たようなお方……いつ、わたしはこんなところへ……まあ」

         六十五

 正気がついてくると、グングン回復するらしい。
 回復してくると、左様な商売人とはいえ、やっぱり、女の羞恥心(しゅうちしん)というものが一番先に目覚めてくるらしい。自分の膝や、裾(すそ)の乱れたのが急にとりつくろわれて、そうして次には、こんな醜態を演じていた自分というものに愛想をつかす。同情をもって介抱してくれた人の親切というものに、何事を措(お)いても感謝しなければならぬ、という念慮が動いてくるのも自然です。

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