大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「おや、こりゃ犬じゃない、山犬じゃないか知ら、狼じゃないか」
 お雪ちゃんが、その一頭の獰猛と貪婪(どんらん)ぶりに身の毛を立て、こう思ってたじろいだのも無理はない形相(ぎょうそう)でしたが、事実は、やっぱり野良犬の一種で、狼や、山犬に属するものではなかったようです。ただ、飢えから来るところの不良性が、極度に、この動物を、獰猛と、貪婪と、残忍の色にして見せたものでした。いかに、本来温良なる家畜動物も、飢えと放縦とに放し飼いをすれば、それは猛獣以上の猛悪を現わすことはあります。
 それと同じことに、いかに温和なる人間も、非常の時には、そうして、人間の権威を他動物に向って示さねばならぬ時は、別人と見えるほどの勇気を、どこからか持ち来(きた)すものと見えて、苟(いやし)くも人間の死体の神聖を冒涜(ぼうとく)せんとする不良性動物の僭越と、兇暴とに対し、かよわいお雪ちゃんが、その全力を挙げて擁護の任に当らなければならない覚悟と、力とを与えられたことは、案外のものでした。
 お雪ちゃんは、片腕にかかえていた薪(たきぎ)を振捨て、片手に持っていた杖に全力をこめて、僅かに棺の中へ首を突込んだ山犬に似た奴を思いきり打ちのめして、さすがに驚いてハネ返ったところを、手早く棺の蓋(ふた)を仕直して、しっかりと押え、そうして、早くもその手近にあった手頃の石――手頃の石といっても、ふだんのお雪ちゃんならば、ほとんど持ち上げることもむずかしかろうと思われるほどの大きさと、重さとあるのを両手にウンと持ちあげて、それを、いま蓋を仕直したところへ重しに、ドッカとのせてしまいました。
 この間(かん)の働きは、お雪ちゃんとしては見られないほどの早業と、力量とを持っていましたが、それをするともう大丈夫と思ったのか、下へ投げ捨てた薪を、またも小腋(こわき)にかいこむと共に、走り出しました。
 後をも見ずに走りました。

         四十四

 そうして、お雪ちゃんは、屋形船のところまで帰って来たのですが、その時は、もう口が利(き)けませんでした。
 船べりにとりついて、はあはあと激しい息をついているのです。
 もしこの時に別の事情がなかったならば、お雪ちゃんは一時、その場で昏倒してしまったかも知れません。また、もし船の中へ走り込む元気があったならば、いきなり、竜之助の膝にしがみついて、うらみつらみを並べたかも知れません。
 そのいずれでもなかったのは、ちょうどこの際、船の向う側の一方で、久助さんの声を聞いたからです。しかもその久助さんが、何かその向うを通行の人と、かなり高声で会話をしていたのが、お雪ちゃんの耳に入ったものだから、この危急の際に、辛(から)くも踏みとどまって、多少の遠慮の心を起したのが、つまりお雪ちゃんをして、気絶もさせない、逆上もさせなかった一つの事情でありました。
 それで、はあはあと嵐のような息をついて、屋形船の一方の柱にとりついて、お雪ちゃんがためらっていると、それとは知らぬ、土手の往来に面した一方の片側で、久助さんと、堤上を通る旅人との問答、
「存じません」
 これは久助さんの返事。
「知らない、では古川を経て、越中の富山へ出る道はドレだ」
「ええ、それも存じませんでございます、何しろ……」
「それも知らないのか。三日町から八幡(やわた)の方へ行くのはどうだ」
「お気の毒でございますが、何しろ、昨日今日……」
「やっぱり知らないと申すか。しからば、船津へ出る道、そのくらいは知っているだろう」
「それもその……」
「それも知らんのか。では、いったいこの宮川という川は、越中へ行くのか、加賀へ向うのか、結局、どこへ落ちるのだ」
「え、その辺も……」
「加賀の白山、白川道は知ってるだろう」
「それもその……」
 土手で横柄(おうへい)にたずねるのは、この辺の百姓町人の類(たぐい)でないことはわかっているが、人もあろうに、久助さんに土地案内を聞くとは間違っている。まして焼け出されの、西も東ももうげんじている際の久助さんをつかまえて、あんな手厳しい尋ね方をする方が間違っている。けれども、久助さんも久助さんだ、知らない、知らないとばかり言わず、もう少しテキパキした返事の仕様もありそうなものと、少し息が静まるにつれて、お雪ちゃんは久助さんの返答ぶりを歯痒(はがゆ)いものに思いました。
 こちらに聞いているお雪ちゃんが歯痒く思うくらいだから、尋ねている先方の横柄な旅人は、もっと業(ごう)が煮えたらしく、
「何を聞いても知らぬ、知らぬという。役立たずめが……引込んでおれ。時に丸山氏、いずれこの宮川べりを伝うて行けば、出るところへ出るだろう、出たとこ勝負としようかなあ」
「それもよろしかろう」
 こう言って、土手をさっさと歩み去ってしまう旅人は、たしか二人連れのようです。
 お雪ちゃんは、見るともなしに、背伸びをして見たら、今、船の蔭を外(はず)れて、土手の上をあちらに向って歩み去る二人の旅人。
 それには、たしかに見覚えがあります。
 いのじヶ原で、わたしたちの一行にからみついて、あの、すさまじい光景を捲き起した浪人たち。ついこの間は、不意に白骨の温泉へやって来て、宿にわだかまり、あの前の方へ進んで行く大きい方の人が、わたしの眼を後ろから押えて、どうしても放してくれなかった気味の悪い人。そのくせ、巌のように節くれ立った手が、氷のように冷たかったのを覚えている、あの人たちに相違ない。
 その名は仏頂寺弥助と、もう一人は丸山勇仙。肩で風を切って堤を歩いて行くが、こちらから見ると、足許(あしもと)がフラフラして、まるで足が無くって歩いているようです。

         四十五

 お雪ちゃんは、やっと船の中へ転がり込んで、もう起き上ることができません。
 頭が火のようで、眼が車のように廻るのです。それをじっと抑えて、何も言わずに、ただ伏しまろんでしまいました。
 現在、そこにいる竜之助に向って、思うさまこの怖ろしい見聞を、ブチまけてみようと意気込んだのも、ここで、その勇気すらなくなってしまいました。
 見るべからざるものを、二度まで見たのです。平湯峠の上で、戸板の覆いが外(はず)れた時に見たのは確かに、あのおばさんなら、たった今、ここで見た棺の中の死人も、別の人であろうはずがない。
 あの時、叫ぼうとしたのを、じっとこらえて誰にも言わなかったくらいだから、ここでも胸を抑えてしまった方がいい。わたし一人が納めていさえすれば、このイヤな思いを、人にうつすことだけは免れる。
 本当に、魂魄(こんぱく)があって、わたしたちについて廻っているとしか思われない、あのイヤなおばさん……
 お雪ちゃんは必死になって、今、まざまざ見た、棺の蓋の外れのあのイヤなおばさんの死面(しにがお)のまぼろしを掻(か)き消そう、掻き消そうとつとめたけれども、これはどうしても消すことができません。
 いっそ、先生に、洗いざらいブチまけてしまえば、いくらか頭が休まるかと思いましたが、それをこらえていればいるほど、イヤなおばさんの幻像が、自分の息を詰まらせるほどに圧迫して来るのを、どうすることもできません。
 横になってしまって、必死に息をころしながら、お雪ちゃんはまるくなりました。
「どうかしましたか、お雪ちゃん」
 久助さんが、軽く見舞の言葉をかけると、
「いいえ」
と打消して、わざと元気に起き直って見せましたけれども、その面(かお)の色ったらありません。幸いにして久助だから、別段に面の色が悪いともなんとも怪しまなかったので、これをしおに、無暗に働いて見せました。
 そうして、その晩のうちに相応院へ引きうつるように、一切の準備をととのえたけれども、お雪ちゃんとしては、何をどうしたか夢中でありました。
 ただ、あの雑草の中の存在物をば、一切思うまい、見まい、として急いだだけのものでした。
 ひっこしは夜でした。それが済むと、たまらない思いで、お雪ちゃんは枕に就いてしまいましたが、その夢いっぱいに蟠(わだかま)ったイヤなおばさんの面影。
 白骨の湯で、小紋縮緬を着た、あのイヤなおばさんが、だらしのない恰好(かっこう)をして寝そべって、股(もも)もあらわにして、その投げ出した足を浅吉さんに揉(も)ませている、浅公は泣きながらそれを揉んでいる、イヤなおばさんは、ニヤニヤと笑いながら、何とも言えない色眼をつかいながら、誰やらの膝にしなだれかかっているところを、お雪ちゃんが夢に見ました。
 まあ、おばさん、なんとだらしのない恰好! と見ていると、そのおばさんのしなだれかかっている膝の主は、横向きになっているわたしの先生――じゃありませんか。
 イヤな! お雪ちゃんは、名状すべからざる不愉快で、その時ばかり、遮二無二(しゃにむに)、おばさんを引っぱって、そのだらしのない恰好をやめさせようとしましたが、その途端のこと、イヤな色眼をつかって、ニヤニヤしていたおばさんの首のところから、一つの手が現われて、それがグッとおばさんの面(かお)から首を、後ろから捲いているのを見ました。
 まあ、先生も先生――あんなイヤな真似(まね)を……とお雪ちゃんが、いよいよたまらない浅ましさで、見ていられない気になると、その後ろから廻った手が、じんわりとおばさんの首を締めてゆくのに気がつきました。
 ニヤニヤと笑っていたおばさんの顔の相が変る――と思うと、そこが青い沼で、その底知れない沼へ、今のおばさんがまっさかさまに沈んで行くのを見て、お雪ちゃんが、あっ! と言いました。

         四十六

 事実を人に語らないくらいですから、夢を語ろうはずがありません。お雪ちゃんは一切に目をつぶり、口をつぐんで、その夜を明かしましたが、目がさめてみると、なんとはなしに上野原の自分の家へ帰ったような気がしてなりません。
 どのみち、お寺のことですから、構造に共通したもののあるのはあたりまえで、特にお雪ちゃんが、上野原の自分の家によく似ている住居と感じたのは、旅に出てから、宿屋にばかり落着いて、旅籠(はたご)気分に慣れていたせいでしょう。こうして見るとお雪ちゃんはまた現前生活の人となりました。
 久助さんが、専(もっぱ)ら当座の衣食のために奔走してくれている。宿屋の主人が、旅中での災難を気の毒がって、いろいろ世話をしてくれるけれども、何を言うにも、当人の家さえ丸焼けになったのですから、細かいところの世話は焼けません。
 お雪ちゃんに、味噌漉(みそこし)をさげさせまいとして、給与の品や、米を持って来て、とにかく、当座に事を欠かないようにする久助さんの骨折りを見ると、お雪ちゃんは、またまたこの人をまいてしまおうとしたたくらみの心を、自分ながら悔います。
 そうして、この寺で一夜が明けて、朝になって見ると、お雪ちゃんは、いよいよ自分の故郷の寺の住居が、庭ごとそっくりここへ移されたのではないか知らと疑ったほど、よく似ていると思いました。
 それがためにお雪ちゃんは、懐かしい気持から、なんとなしに落着いた気分も出て、一時は、このお寺を永久の住居に借りてしまったら、とまで思いだしたくらいでした。
 だが、朝の食事のチグハグを見ると、もうそんな気分ではいられないと思いました。いつまでも、火事見舞の給与品に甘んじているわけにはゆかないことを思うと、一刻も早く、この急を救う道を考えねばなりません。
 それは今に始まったことではなく、初めから考え続けていたのですが、どうしても「遠くの親類よりは近くの他人」となって、その近くの他人のうち、まず、こんなことを相談してみようという相手は、白骨にいた宿の人たち、わけて、懇意にしていた北原さんに越したことはない。あの人に手紙を書いて、久助さんに持って行ってもらおう。白骨まで少し無理かも知れないが、あの人の足ならば一日で行ける――
 お雪ちゃんは、チグハグな朝飯を済ますと、座敷の一隅の机のところに行って、北原賢次への手紙を書きはじめたものです。
「北原さん、白骨を立つ時はしみじみ御挨拶も申し上げないで、ほんとに済まないことだと存じております。けれども、それにはそれだけの事情がありまして、病人やなんぞの好みもあるものですから、皆さんには御挨拶無しで出て参りました。さだめて皆さんは、雪は夜逃げをしたとか、駈落(かけおち)をしたとか思っていらっしゃるかも知れませんが、そういうわけではございません。あれから平湯へ出て、そうして高山へ着いたのですが、皆さんを出し抜いた罰かも知れません、ここへ来て火事に逢いました。火事に逢って何もかもすっかり焼いてしまいまして、ほんとうに着のみ着のままです。旅のことですから、ほかに相談する人は無し、こんな困ったことはありません」
 お雪ちゃんは、ここまで筆を走らせてきたけれども、その次の文言につかえてしまいました。
 なるほどここまでは、事実をすんなりと直叙したのだから、スラスラと書けましたが、これから、どう書いていいのか、自分たちの困っていることは事実だが、この困っているのを北原さんにどう処分しろというのか、それが書けないので、筆が渋っているうちに、縁の障子のところへ鶏が上って来たものですから、それを追い卸すためと、渋った頭を晴らすために、つと立って障子を押開いて見ました。
 障子を開いて見ると、意外にパッと開けた風景を見せられてしまいました。

         四十七

 おお、ここからながめると、高山の町が一目に見渡せて、朝もやが渡っている景色こそ、ほんとに目がさめるようです。
 引きうつるのを、ワザと夜にのばして昨夜――今朝ほどは少し霧がまいていたので、遠望が利(き)かなかった。それに万事多忙で、風景に見惚(みと)れている余裕がなかったものとも思われますが、今となって、はじめて、この寺の見晴しのよいことに感心させられてしまいました。
 故郷の月見寺も悪いところではないが、山谷がこれよりはずっと迫っていて展望を妨げる。
 こうして見ると、行き悩んだ筆の疲れを休めて、目の下の風景を指呼してみたくなるらしく、お雪ちゃんは、見ゆる限りのところに於て、あれかこれかと目移りがします。
 焼野が原は、一層かっきりと、その半ば炭化しかけた材木だの、建前だのが燻(くす)ぶって、まだ臭いと余燼(よじん)をくすぶらしているのがよくわかる。それと、焼残りのある部分が、毛のくっついたように、ハッキリと見分けられる。人家の災難と無災難とに頓着なく、町を割って流れる宮川の流れもよく見える――その宮川を標準として、焼け残った橋の形から見当をつけて行ってみると、自分の泊っていた宿屋のあたりと、それから線を下へ引いてみると、あの一むらの川沿いの木立、その下が、仮りの二夜の宿となった屋形船のもやっていたところ。なるほど、船もあの通り見えている。
 筆を半ばにして、お雪ちゃんはその活きた地図に線を引いていたが、昨日までもやっていた屋形船のところに至って、はっ! と胸が早鐘をつくように鳴り出したのは、それと多くも隔たらないところの、川原の中の蘆葦茅草(ろいぼうそう)の中から、今しも盛んに火が燃え出したところです。
 またしても火事! と災難の再来に狼狽(ろうばい)したのではありません。その火と、火事の火とはおのずから性質の違うこともわかっているし、またあんなに、川原の中で火事を起すはずもなし、起したからとて、前回のような危険をもたらすおそれはないが、その火の手の揚った地点から、今まで忘れるともなく、忘れていたような浅ましい光景が、むらむらと、あの火の煙よりも濃く、お雪ちゃんの頭に湧き上ったからです。
 あんな怖ろしいこと――あれが、ほんの少しの間だが、今まで忘れられていたようなのが不思議なくらいです。あれをあれっきりで納めて見向きもすまい、思い出しもすまいとの全努力が、ようやくお雪ちゃんを、ここまでにしていたのが、あの燃え出した火と、それから煙が、お雪ちゃんの頭を、つむじのように旋回させてしまいました。
 ああ、ああして石を置いて、せめて、犬や狼の凌辱(りょうじょく)から救って置きたい――イヤなおばさんの最後の肉体に対しての、自分の為し得た好意と親切の全力が、あれだけのものであった、あれより以上には、何をしてあげる力も無かったのだ。混乱の頭と、おのずから血走るような眼で、それを見詰めていたお雪ちゃんは、結局、あの地点はあそこに相違ない、そうして今、火をあんなに盛んに燃やしはじめたのは、わかりきっている、ほかへ運ぶことをしないで、あのままで薪(たきぎ)を積んで、イヤなおばさんの死体を焼きはじめたのだ。
 ごらん! 人が集まって来ている、薪をたくさんに運んで足している、イヤなおばさんはああして焼かれている。白骨で、長いこと水の中へ漬けられていたイヤなおばさんの死体は、今は思う存分の薪を加えられて、焼かれている。
 せめて、今度こそは、思いきり焼かれてしまって下さい、おばさん。
 水にも、火にも、業(ごう)の尽きなかったおばさんの魂魄(こんぱく)、今度こそは、あの鳥辺野(とりべの)の煙できれいな灰となってしまって下さい。
 南無阿弥陀仏――とお雪ちゃんは合掌して、念仏を申しました。

         四十八

 宿が、特別の注意をもって周旋してくれたこの寺の書院住居は、かなり広い。
 それから、ともかくも北原さんへの手紙を書いてしまい、久助さんを使に出してしまってみると、なおさら広い。
 この広い座敷へ、今宵は相当に夜具もあてがわれて、竜之助とお雪ちゃんは別々に寝ました。
 今夜はどんな夢を見せられるか知れないが、お雪ちゃんはやっぱり、気苦労と疲れがあるものですから、夜半近くにぐっすりと眠りに落ちました。
 お雪ちゃんが、もう正体もなく眠りに落ちたと見た時分――それはどちらからいっても丑三頃(うしみつごろ)でしょう、竜之助が静かに起き上りました。
 そうして燈下で何か動いているかと見れば、それは頭巾(ずきん)をかぶっているのであって、頭巾をかぶるまでには、もう、常の身仕度はすっかり出来ていたのです。そうして刀をさしながら、お雪ちゃんの夜具の裾を通って、襖を細目にあけたとしても、それは、あの油断のない米友をさえ出し抜いたことのある足どりですから、お雪ちゃんが気のつきようはずはありますまい。
 こうして竜之助は裏庭から、まもなく塀の外へ出ました。
 竹の杖を一本ついて、そうして徐(おもむ)ろに、山を下って、高山の町の方へ出て行く物腰は、曾(かつ)て甲府の躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の古屋敷を出た時の姿と少しも変りません。
 坂道を下りつくし、町の巷(ちまた)に出て小路(こうじ)の中に姿を没したと見えたが、その後は、どこをどうして徘徊(さまよ)うているか消息が分らない。
 人間に自由を与えるべきものではないのです。自由は人間よりは豚に多く与えらるべきもので、一人の人間に自由を与えると、必ずその結果が他の人間の自由を迫害する結果となる。そのために、天が特に竜之助の如きから両眼の明を奪い、身体(からだ)の健康を殺(そ)いでいるのに、そうでもしなければ、仮りにも、こんな人間を、この人間の共存共栄であるべき社会には生かしておけないはずなのに、それでも、なお不安なところから、お雪ちゃんという保護者をつけ、名も白骨という人間離れの地へ追いやって置いたのにかかわらず、その白骨の地を一歩離れて、この高山の町へ送り出したのが、そもそも運の尽きです。
 飛騨の高山は、甲斐の甲府よりはいっそう山奥だとはいえ、一方より言えば、甲府よりはいっそう上方(かみがた)の都近いのです――来(きた)り遊ぶ人が、誰も飛騨の高山を□※(かつりょう)[#「けものへん+僚のつくり、145-7]の地というものはなく、これに「小京都」の名を与えて、温柔の気分を歌わぬものはありません。
 森春濤は曾(かつ)てこういって「竹枝」をうたいました――
楼々姉妹、去つて花を看(み)る
閙殺(だうさつ)す、紅裙(こうくん)六幅の霞
怪しまず、風姿の春さらに好きを
媚山明水小京華
暖は城墟(じやうきよ)に入つて春樹香(かん)ばし
はしなく嗾(そそのか)し得たり少年の狂
遊塵一道、半ば空に漲(みなぎ)る
花は白し春風、桜の馬場
 飛騨の高山はこういう艶っぽいところであります。事実が、詩人の艶説だけのものがあるや否やは知らないが、少なくともこううたわるべき風趣情調を持っているところです。
 こういうところへ、今時、こういう人間を放ち出すのが、よいことでしょうか。ただ、時が春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の時ではないが、ところはたしかに桜の馬場。
 それと、この小都を震駭(しんがい)させた大火災のあとですから、人心は極度に緊縮されてはいるけれど、土地そのものが本来、そういった艶冶(えんや)の気分をそなえているものであれば、絆(きずな)を解かれて、ここへ放浪せしめられた遊魂はおどらざるを得ないでしょう。
 はしなくも、桜の馬場の前を、この夜中に躍(おど)って過ぐる馬があります。この馬は、近在の山郷から材木を積んで来た馬ではありません。また火事のために臨時駄賃取りをかせぐために近村から出て来たものでもありません。その花やかに装い飾っているところを見れば、天正年間に飛騨の国司、姉小路宰相中将が築いた松倉古城のあとの、松倉大悲閣へ参詣しての帰り道でしょう。その証拠には美々しく装い飾った馬の背に、素敵に大きな馬を描いた絵馬(えま)がのせてあります。

         四十九

 今まで勢いよくはずんで来たこの馬が、馬場の手前まで来ると、急にすくんでしまったのが不思議。
「どう、あゆばねえか」
 馬子は、手綱(たづな)をひっぱってみたが、馬は尻込みをするばかり……
「どう、あゆばねえかよ」
 二度(ふたたび)、引絞ってみたけれども、馬は両脚を揃えて進むことを躊躇(ちゅうちょ)している。
「どうした、うむ」
 馬子は手綱をたぐって、近く寄って馬の鼻づらと足許を見たけれども、特別の異状があるとも思われないから、
「これ、さ、早くあゆべよ、つい一口よばれちまったもんだから、手前(てめえ)にも夜道をさせて気の毒だった、明日は休ませっからあゆべよ」
 この馬子は、馬をいたわること厚く、威嚇を以て強行を強(し)いることをしないのは、しおらしいところがある。松倉大悲閣へ参詣のための馬だから、馬には荷物が無い、負担は至って軽いのに、足が重くなるとはどうしたものだ。
 急にひきつったか、怪我をしたか、馬子は案じて、もしやと、足蹠(あし)をしらべにかかってみました。沓(くつ)が外れて、釘でも踏みつけたか。
 こう思って馬子が、充分に馬場へ背を向けきって、馬の足もとを調べにかかったが危ない。病根は足にあるのではなく、最初からゆくての馬場の桜の大樹の蔭に、一個の人影があったから、馬は怖れをなして立ちすくんだまでのことです。馬の心を知らない人間は、原因をよそのところに見ないで、痛くもない馬の足をさぐりはじめたものですから、背中はがらあきにあききっている。
「どう、さあ、足を見せろ」
 足を見たが、これは最初から何も異状がない。
「さあ、歩(あゆ)べ」
 再び馬の前に立って、背を馬場に向けきった馬子は、馬に向ってはこう言うけれど、態度から見ると、「屈(こご)んでて悪けりゃ、こう立ったらいかがなもの、ここんところをすっぽりおやんなすっちゃ」と言わぬばかりの姿勢です。
 それを桜の木蔭から、一歩ずつ近よって見すましていた覆面が、申すまでもなく机竜之助であって、まだ刀の柄(つか)へも手をかけないで、木蔭からはなれて来たのだが、馬子が馬の腹へ廻って、馬の検査をはじめた時に、勝手が悪くなったとでも思ったのでしょう、ちょっと立ちつくしたが、ちょうど今、馬の鼻面に立って、背中を充分こちらへ向けきったと思われた時分に、はじめて手にしていた杖を地上に取落しました。
 この時です――両足を揃えて進むことを肯(がえん)じなかったその馬が、やにわに高く一声いなないて竿立ちになってしまったものですから、馬子が大あわてにあわてて、必死にその轡面(くつわづら)にブラ下がったものですから、今の姿勢がまた一変してしまいました。
「どう、ドウしたというだなあ、別に病気でも、怪我でもねえらしいに、わりゃ狂気したか」
 こう言って、馬子が必死にブラ下がったことによって、いったん竹の杖を地にまで落した覆面が、刀の柄に手をかける瞬間を遠慮してしまいました。
 食い下がられて、馬は二三度、轡面を強く左右に振ったが、そのまま速力をこめて前面への突進をはじめました。
「ああこん畜生、こん畜生、引っかけやがったな」
 無論、馬子は手綱に引きずられて、宙に振り廻されながら、綱に取りついて、走り行くのです。
 そのあとを茫然(ぼうぜん)として見送るかの如き竜之助。
 人を斬ろうとしたのか、馬を斬ろうとしたのか、馬と人ともろともに斬ろうとして、そのいずれをも斬りそこねたのか――蹄(ひづめ)の音はカツカツとして、やがて闇に消えてしまいました。

         五十

 けれども馬子の方では、どこまでも、馬が狂い出したと思っているでしょう。それがために、自分をこんなヒドイ目に逢わせやがる、こん畜生! と自分の馬を憎みながら、自分の馬に振り廻されて、馬場から町外(まちはず)れ、益田街道を南に、まっしぐらに走(は)せ行くことをとむることができません。
 どこの百姓か知れないが、おそらく、この馬子は、かなり人のいい方であっても、この馬の狂乱を理解することができないで、家へ帰ってから後、相当に馬を譴責(けんせき)することでしょう――もし、乱暴の主人でしたなら、危険の虞(おそ)れある荒(あば)れ馬として、売り飛ばすか、つぶしにすることか知れたものではない。
 つまり、馬に暴れられたのでなく、馬に救われたのだという理解があれば、人間は幸福だったのですが、馬の心は、人の心ではわからない、人の心は、馬の心ではわからないものがある。
 佐久間象山が、京都の三条通木屋町で、肥後の川上彦斎(げんさい)ともう一人の刺客に襲われた時、象山は馬上で、彦斎は徒歩(かち)であったから、斬るには斬ったが、傷は至って浅かったから、象山はそのまま馬の腹を蹴って逃げ出したのを、ついていた馬丁(べっとう)が馬の心を知らない――単に馬が狂い出したものと見て、走りかかる馬のゆくてに、大手を拡げてたち塞がったものだから、馬が棒立ちになったのを、追いすがった刺客が、おどり上って、思う存分に象山を斬ってしまった。これこそ実に日本一の間抜け馬丁、刺客にお手伝いをして、主人を俎(まないた)にのせてやった馬鹿者――こんな奴こそ、馬に噛み殺させてやりたい、踏み殺させてやりたい。
 こうして、馬と人とに理解のないということが、大きな不幸をめぐらすと共に、大きなる恵みをもたらすのです。しかし、理解のないことは、どちらも同じことで、象山の馬が、日本一間抜けの馬丁(べっとう)に制裁を加える資格も、能力も無い如く、今度のこの馬丁も、自分が馬のために救われていたということは、永久に理解することができないで、これから後の、この馬の履歴書には、「いい馬だけれども、不意に引っかける癖があってあぶねえ」という申し分がついてしまいましょう。
 ところで、この理解のない馬は、今晩、そのほかにもまた一つの功徳(くどく)を作っていることを自ら知らない。
 それは今晩、ゆくりなくも嚇(おどか)された音無しの怪物に、飛騨の高山へ来てから最初の、血祭りの刀を抜かせなかったということは、やはり重大なる功徳の一つであったに相違ないと思われるが、やっぱり、この功徳を誰も知る者がなく、称(たた)える者がなく、感謝する者もない。
 音無しの怪物からいえば、この時に馬子を斬ろうとしたのは事実で、斬ろうとするに、その風向きを見はからっているうちに、馬に奔逃(ほんとう)されて、斬るべき機会を失って、我ながら呆然(ぼうぜん)として、見えぬ眼に走る馬を見つめて、暫く立ち尽していたことも本当です。
 ことさらに解説するまでもなく、今晩、このところで、この馬子を斬らねばならぬ必要も意趣も、寸分あるのではない。馬子風情を……といったところで、斬った時の斬り心地には、馬子も、大納言も、さして変りあるべしとは思われない。
 この男が馬子を斬ってみようとしたのは、御用金を奪おうという経済の頭から出たのではなく、芝居気たっぷりの片手斬りに大向うを唸(うな)らせようという見得(みえ)から出たのでもなく、はしなく嗾(そそのか)し得たり少年の狂――と春濤がうたった通りの、土地の空気がさせた魔の業と見るよりほかはないでしょう――尤(もっと)もこの男ははや少年の部ではないが、血気はまだ必ずしも衰えたりとは言えますまい――こうして、苦笑いしながら地上に落したところの杖を取り上げて、越中街道の闇に、行先は、ただいま逃げた馬と同じ方向ですが、目的としては、高山の町の目ぬきのあたりへ現われようとするに違いない。

         五十一

 このたびの大火にあたって、いつぞや、宇津木兵馬が触書(ふれがき)を読んだ高札場(こうさつば)のあたりだけが、安全地帯でもあるかのように、取残されておりました。
 歯の抜けたような枝ぶりの柳の大樹までが、何の被害も蒙(こうむ)らずに、あの時のままですが、今晩この夜中に、天地が寂寥(せきりょう)として、焼野が原の跡が転(うた)た荒涼たる時、その柳の木の下に、ふと一つの姿を認められたのは、前の桜の馬場の当人とは違います。
 その者は、三度笠をかぶって、風合羽(かざがっぱ)を着た旅の人。
 いつのまにやって来たか、この寂寞(せきばく)と荒涼たる焼跡の中の、僅かな安全地帯に立入って、柳の木の蔭に立休らい、いささか芝居がかった気取り方で、身体をゆすぶって、鼠幕のあたりを、頭でのの字を書いて見上げたところ、誰か見ている人があれば、そのキッかけに、「音羽屋(おとわや)!」とか「立花屋(たちばなや)!」とか言ってみたいような、御当人もまた、それを言ってもらいたいような気取り方だが、あいにく誰もいない。
 人の見ていると見ていないに拘らず、こんな見得をしたがる男で、一応見得を切っておいて、それから左の手を懐中へ入れて、ふところから胴巻のようなものを引き出した形までが、いちいち芝居がかりで、引き出してから押しいただき、「有難え、かたじけねえ」と来るところらしいが、そんなセリフは言わず、胴巻のようなものの中からあやなして、何を取り出したかと見れば、竹の皮包は少々色消しです。
 でも、包みの中を開いて見るまでは、舞台に穴を明けるほどの色消しにもならなかったが、やっぱり片手をあやなして、竹の皮包をいいあんばいに開いて、中身をパックリと自分の頤(おとがい)の上へもって行ったところを見ると、色男も食い気に廻って、さっぱり栄(は)えない。いい男が、いいかげん気取ったしなをして、懐中から取り出した一物が何かと見れば、それはつけ焼きの握飯(むすび)であって、それをその男が二つばかり、もろにかじってしまいました。
 これががんりきの百蔵といって名代(?)のやくざです。
 いつのまに、このやくざ野郎、こんなところまで来やがった?
 先日来は、尾張名古屋の城のところで、金の鯱(しゃちほこ)を横眼に睨(にら)みながらいやみたっぷりを聞かせていたが――名古屋からここにのしたと見れば、この野郎の足としては、さまでの難事ではないが、こんな野郎に足踏みされた土地には、ロクなことはないにきまってる。ロクなことがないといっても、南条や、五十嵐あたりとは、いたずらのスケールが違うから、飛騨の高山へ来ても、高山の天地を動かすようなことはしでかすまいけれど、高札をよごすくらいのことはやりかねぬ奴です。
 とにかく、このごろ、飛騨の高山も、なんとなく浮世の動静が穏かでないけれど、こんなやくざ野郎の姿はきのうまでこの土地には見えなかった。それを見たのは今晩、このところに於て初のお目見得(めみえ)ですから、野郎きっと夜通し飛んで来てみたが、目的地へ来てみると、自分を出し抜いて、火事が目当てを焼いてしまっていたので、面食ってしまったに相違ない。
 来てみて、はじめて口あんぐりと握飯(むすび)を食う始末……焼跡をうろついて、あやしまれでもしては、このうえ気の利(き)かない骨頂。そこで、そっと安全地帯に立入って、高札場の下の、柳の大樹の下に落着いてみると、急に腹が減り出したという次第と見えます――焼握飯(やきむすび)をたべてしまってみると、水が飲みたい、あそこに井戸があるにはあるが、釣瓶(つるべ)までそっくり備わっているにはいるが、うっかり水汲みに行くのも考えものだと、野郎その辺にはかなり細心で、井戸もあり、釣瓶もあり、その中には当然水もあることを予想しながら、焦(こ)げつく咽喉(のど)を抑えて、柳の木蔭を動こうともしないでいる。
 前後左右をよく見定めておいてから、たっぷり水を飲もうという了見らしい。

         五十二

 果して提灯(ちょうちん)が来る――二つ、三つ、四つ、五つの提灯のやって来ることを数えられるほどになって、がんりきの百蔵は笠を外(はず)し、自分の身を斜めにして、柳の木を前にすると、ほとんど不思議のようで、本来からだだけは御自慢の、きゃしゃに出来ていることはいるが、それにしても、比目魚(ひらめ)を縦にしたような形になってしまって、大木といっても、本来街路樹ですから、決して牛を隠すのなんのというほどではない、ざらにあるだけの柳の木なのですが、前から見ると、がんりき一人を隠して、髪の毛一つの外れも見えなくしてしまったのは、術のようです。
 この男が、本式に、伊賀や甲賀の流れを汲んでいるということは聞かないが、野郎、やっぱり、その道にかけては天性で、身体を実物以上に平べったく見せることは、心得ているらしい。
 がんりきの百が、斯様(かよう)に、柳の木の蔭で身体を平べったくしているとは知らず、その前へ順々に歩んで来たのは、陣笠をかぶり、打割羽織(ぶっさきばおり)を着、御用提灯をさげた都合五人の者でありまして、これはこのたび出来た、非常大差配の下に任命された小差配の連中に違いありません。
 この小差配都合五人は、非常見廻りのために、市中を巡邏(じゅんら)して、このところに通りかかったのだが、この安全地帯の、柳の木の前の高札場の下の、つまりがんりきの百蔵が只今、生得の隠形(おんぎょう)の印(いん)を結んでいるところの、つい鼻の先まで来て、そこで言い合わせたように一服ということになりました。
 見廻りのお役目としては、三べん廻って煙草にするという御定法通りですから、あえて可もなく不可もないのですが、隠形の印を結んでいる眼前に、苦手(にがて)の御用聞に御輿(みこし)を据えられたがんりきの百蔵なるものの迷惑は、察するに余りあるものです。
 五人の御用提灯は、悠々と提灯の火から煙草をうつしてのみはじめました。
「うん、材木がウンと積んであるがのう、みんなこりゃ下原宿の嘉助が手で入れたのだのう。嘉助め、うまくやってるのう」
 一人が、道一筋むこうに山と積み上げた材木を、夜目で透かしてこう言うと、もう一人が、
「うん、なるほど、近ごろ下原宿の嘉助ほどの当り者はまずねえのう、うまくやりおるのう」
 もう一人が、
「一手元締めは大きいからのう、嘉助が運勢にゃかなわねえのう……なにも、嘉助が運勢という次第じゃねえのう、ありゃあ、娘っ子が前の方の働きじゃ」
「ははあ、いつの世でも女ならではのう、嘉助もいいのを生んで仕合せだ、氏(うじ)無くして玉の輿とはよく言うたものじゃのう」
「蛍のようなもんでのう、お尻の光じゃでのう――だが、あの女(あま)っ子(こ)も器量もんじゃのう、ドコぞにたまらんところがあればこそ、親玉も、あの女っ子に限って、長続きがしようというもんじゃのう」
「左様さ、あの飽きっぽい赤鍋の親玉が、嘉助が娘のお蘭にかかっちゃ、からたあいねえんだから、異(い)なものだのう」
「お代官という商売も、いい商売だのう、百姓の年貢(ねんぐ)はとり放題、領内のいい女は食い放題――わしらが覚えてからでも、あの親玉の手にかかった女が……ええと、まずガンショウ寺のあのお嬢さんなあ、それからトーロク屋の女房、それとまた富山から貰うて来たという養女名儀のお武家の娘――品のいい娘だったが、あれが内実はお手がついたとかつかんとかで親里帰り、それからまた、興楽亭のおかみなあ、あれも、親玉に持ちかけたとかすりつけたとかの評判じゃ。その他芸子や酌女は、片っぱしから食い放題、町の中で、いい女と見たら誰彼の用捨無しという親玉だあ」
 この連中、かりにも、陣笠、打割羽織、御用提灯の身として、口が軽過ぎるのも変だが、こんな話を、他ならぬがんりきの百の野郎なんぞに聞かしてよいものか、悪いものか。

         五十三

 陣笠、御用提灯、打割羽織というけれども、本来これらの連中は、生れついてのお役人の端くれではない。
 この非常の際に、代官でも手が廻らない上に、近頃、材木盗人が横行する。それはこの大災について、材木の払底を告げたところから、土地の者が近村の山々を、無願伐採するやからが多い。それらの目附とを兼ねて、土地の者で相当の功労を経たのを引上げて小差配に任命して、大差配の下につけたのだから、譜代恩顧の手附手代といったようなものとは地金が違い、しかつめらしいいでたちをしながら、時と場合を見すましては馬鹿口がころがり出す。ここでも、お役目がらとはまるで違った蔭口を向けている先は、お代官と言い、親玉と言うのが同一のことに過ぎない。そのお代官であり、親玉である上長官が、女に目がないということを、面白がってすっぱ抜いているらしい。すっぱ抜く方も面白がり、それをきく方も嬉しがっているらしい。お里がお里だから、お安いお役向に出来ているらしい。
「嘉助が娘のお蘭は、ドコか特別に味のいいところがあるんじゃろうてのう、あればっかりが親玉の首根ッ子をつかまえて放さん、親玉の方でも、お蘭に逢っちゃあたあいがねえじゃて。お蘭の言うことならば何でもきく、従って嘉助の出頭ぶりはめざましいものじゃて。飛ぶ鳥も落すというのはあのことじゃてのう」
「お蘭は、そんなにいい女かえのう」
「いい女にはいい女だのう」
「さようなあ、悪いとは言えねえ。お寺の娘さんにも、お武家の娘御にも、商売人にも食い飽きた親玉が放さねえのだから、悪い容色(きりょう)の女じゃねえのう。百姓の娘にしてあれだからのう」
「百姓の娘だけに、うぶなところと、親身のところが、親玉のお気に召したというのだなあ」
「いいや、お蘭も、百姓の娘たあいうけど、てとりものじゃ、商売人にも負けねえということじゃて」
「親玉をうまくまるめ込んでいることじゃろうがのう」
「親玉ばかりじゃありゃせん、その道ではお蘭も、なかなかの好(す)き者(もの)でのう」
「はあて」
「お蘭もあれで、親玉に負けない好き者じゃでのう、お蘭の手にかかった男もたんとあるとやら、まあ、男たらしの淫婦じゃてのう」
「親玉のお手がついてからでもか」
「うむうむ、かえってそれをいいことにしてのう、今までのように土臭い若衆なんぞは、てんで相手にせず、中小姓(ちゅうこしょう)じゃの、用人じゃの、お出入りのさむらい衆じゃの、気のありそうなのは、まんべんなく手を出したり、足を出したりするそうじゃてのう」
「はて、さて、そりゃまた一騒ぎあらんことかい」
「どうれ」
「どっこい」
「もう一廻り、見て、お開きと致そうかいなあ」
「そうじゃ、そうじゃ」
「どうれ」
「どっこい」
 こう言って、彼等は、煙草の吸殻を踏み消し、御用提灯を取り上げて、背のびをしたり、欠伸(あくび)をしたりしながら立ち上る。そうして、まもなく橋を渡って、あちらへ行ってしまう。一旦、平べったくなったがんりきの百蔵の身体が、この時また立体的になる。
「ハクショ!」
 音が高い――自分の口をあわてて自分の左の手で抑えて、
「風邪をひいちゃった――だが聞き逃しのできねえ話をきかされちゃったぜ――畜生、どうしやがるか」
 こう言って、いまいましそうに、御用提灯のあとを見送っていました。
 こうしてみると、御用提灯の連中、言わでものことを、わざわざがんりきのために言い聞かせに来たようなものです。

         五十四

 がんりきの百も、この柳の木の下へ、風邪をひきに来たものでないことはわかっている。何か野郎相当の野心があるか、そうでなければ進退に窮することがあって、よんどころなくこの柳の木の下へ立寄ったものに相違ない。
「どうれ」
と、隠形(おんぎょう)の印も結びもすっかり崩して、まず最初から、飲みたくて堪らなかった水を飲もうとして、井戸の方へそろそろと歩んで行くと、その井戸側から、人が一人、ひょろひょろと這(は)い出して来たには、驚かないわけにはゆきません。以前の、御用提灯、打割羽織(ぶっさきばおり)には、さほど驚かなかったがんりきの百が、井戸側の蔭から、ひょろひょろと這い出して来たよた者に、まったく毒気を抜かれてしまいました。
 だが、幸いにして、こちらも多少の心得があるから、見咎(みとが)められるまでには至らなかったが、もう一息違って、ぶっつけに井戸へ走ってしまおうものなら、大変――このよた者と鉢合せをするところであった。
 いいところで、またごまかして、今度は高札場の石垣の横に潜み直していると、井戸側から出たよた者は、がんりきありとは全く知らないらしく、這い出して来て、前後左右を見廻し、ホッと一息ついたのは、つまりこの点に於ては御同病――いましがた、立って行った御用提灯、打割羽織の目を忍ぶために、自分が柳の木の蔭で平べったくなっていると共に、このよた者は、井戸側の蔭に這いつくばって、その目を避けていたのだ。
 つまり自分の隠形は立業であるのに、このよた者は寝業で一本取ったというわけなのだ。二人とも、やり過してしまってから業を崩し、ホッと息をついて、のさばり出たのは同じこと。
 がんりきが石垣の蔭からよく見ていると、手拭を畳んで頭にのせ、丸い御膳籠(ごぜんかご)を肩に引っかけた紙屑買(かみくずか)いです。
 紙屑買いだといって無論こういう場合には油断ができないことで、なお、よく注意して見ると――がんりきは商売柄で、夜目、遠目が利(き)く――手にがんどう提灯(ぢょうちん)を持っているところなどは、いよいよ怪しい。
 そこで、ともかくも、こいつのあとをつけてみなければならないことだと思いました。一応、その行動を見届けてやる必要があると思いました。
 そうして、暫くそのあとをつけてみた後に、がんりきが唖然(あぜん)として、自分をせせら笑ってしまいました。
 こいつは生え抜きの紙屑買いだ。紙屑買いというよりは、紙屑拾いの部に属すべきもので、がんりきほどの者が、あとをつけたりなんぞするほどの代物(しろもの)ではない――何だって気が利(き)かねえ、飛騨の高山まで来て、紙屑買いの尻を追い廻すなんぞは、七兵衛兄いの前(めえ)へてえしても話にならねえ――というのは、こいつが焼跡へ忍んで行くから、その通りついて行って見ると、その焼跡を鉄の棒でほじくって、そこで金目になりそうなものは、雪駄(せった)の後金(あとがね)であろうとも、鎌の前金であろうとも、拾い集めて銭にかえようとする商売だけのものです。
 夜陰忍んで来たのは、万一この焼跡から、小判の一枚か、金の指輪の一つも掘っくり返した時の用意。その時に権利者に出て来られたり、縄張り争いが起ったりしては厄介と思うから、そこで、夜陰こっそり忍んで来ただけのものです。第一、紙屑買いとしての御膳籠の背負いっぷりからして、最初から板についている。
 大笑いだ――だが、ここまで来た上は、また柳の木の下へ引返すのも、なおさら気が利(き)かない。といって、これからわっしの行くところはドコです、とたずねるのも一層気が利かない。第一、それをたずねようにも、たずねる人はあたりになし、ようし、一番、この屑屋をからかってやれ、相手にとっては少々不足だが、時にとっての慰みだ、一番からかってやれ――かくてがんりきはやや暫くあとをつけていたが、頃を見計らって、小声で、
「お爺(とっ)さん」
 紙屑屋の肩を後ろから叩くと、屑屋は一たまりもなくへたへたとひっくり返ってしまいました。

         五十五

「お爺さん」
と肩を叩いたら、直ぐにへたへたとひっくり返ってしまい、もう腰が抜けてしまって動けないらしいから、がんりきは苦笑いをしながら、屑屋の耳に口を当て、
「お爺さん、驚いちゃいけねえよ、わしは怖(こわ)いもんじゃねえ、道中筋をちっとばかり寄り道があって、たった今、この飛騨の高山というところへたずねて来て見るてえと、高山は一昨日(おととい)こんな大火事で、たずねて来た人の立退先がわからねえんだ、それで途方に暮れているところへ、お前の姿を見たもんだから、呼びかけてみただけのものなんだ、そんなに怖がるがものはねえよ」
「はい」
「さあ、立ちな、立ちな。立てねえかい」
「大丈夫でございまっしゃろ」
「いいよ、いいよ、立てなけりゃ、立てるまで、そうしていなさるがいいや、わしゃ爺さんに心当りを教えてもらいさえすりゃいいんだ」
「はい」
「わしゃあね、下原宿の嘉助という者の実は……甥(おい)なんだがね」
「はい」
「餓鬼(がき)の時分から手癖が悪くって、諸所方々をほうつき廻り、めったに叔父さんといってたずねたことはねえんだが、ちっと旅先で聞き込んだことがあるから、急にかけつけて見ると、飛騨の高山がこの始末なんだ」
「はい」
「下原宿の嘉助は、どこへたちのいたか知らねえかい」
「はい……下原宿てえのは焼けやしませんでな」
「焼けねえと……じゃあ焼け残ったのか。そいつぁまあ、どっちにしても仕合せだった。爺さん、済まねえがひとつその下原宿の嘉助のところまで、わっしを案内しておくんなさらねえか」
「ええ、そりゃなんでございます、お安い御用でございますて」
「うむ、済まねえな、もう立てるかい」
「へい、もう立てまっしゃろ」
「それからねえ、お爺(とっ)さん、もう一つ頼みがあるんだがね」
「下原宿の嘉助さんていえば、たいした威勢でございますでなあ」
「もう一つ頼みというはねえ、お爺さん、その嘉助に一人娘があるんだがなあ、おいらには従妹(いとこ)に当るってわけなんだが」
「はい、はい」
「その従妹が、今、お代官のお邸(やしき)に御奉公かなんかしているということなんだが、ついでにちょっと寄って行きてえんだ、お代官邸てえのは、どっちの方なんだえ、それへもひとつ案内をしてもらいてえと思うんだが、きいちゃあくれめえか」
「はい」
 がんりきの百の野郎は、たった今のききかじりをここで、もう応用してしまっている。目から鼻へ抜けたつもりで、すっかり応用を試みているが、相手の煮えきらないこと、はい、はいとは言うが、いっこう立とうともしないから、業(ごう)を煮やし、
「まだ、立てねえのかい」
「もう、大丈夫でございまっしゃろ」
「大丈夫でございまっしゃろはいいが、立てねえじゃねえか」
「はい、はい」
「ちぇッ、そら、爺さん、手をとってやるよ、威勢よく起きねえ」
と言って、がんりきは、その手首をグッとひっぱって、いくらか包んで、屑屋の手に持たせ、ようやく起してやり、
「さあ、先へ立って案内してくんな」
 要領を得て、怖々(こわごわ)ながら、屑屋の老爺(おやじ)が立ちかけたが、またぺたりと腰を落し、ワナワナと慄(ふる)え出して、
「あっ! あっ!」
といって指さしをして、その手でがんりきの合羽(かっぱ)の裾を激しく引く。

         五十六

「世話の焼けた老爺(おやじ)さんだ」
 がんりきは、骨無し同様な、老爺の腰の抜けっぷりに愛想をつかし、こんな度胸で、火事跡荒しに来るなんて、全くふざけた老爺だと思って、蹴飛ばしてやりたくなったのを、そうもならず、ぜひなく老爺の指さした方を見ると、こんどはがんりきがゾッと立ち尽してしまいました。
「お化け……」
 老爺は指差しをしたまま、二度目に腰を抜かして、ヘタヘタと坐り込んでしまっている。
 その指さきの示すところを見ると、ほぼ十間の彼方(かなた)の同じ焼跡の中に、すっくと立って、こっちを見ている一つの黒い人影があるのです。
「おや?」
 がんりきの百蔵もギョッとして、瞳(ひとみ)を定めてそれを見る。
 さいぜんからそこで我々を見つめていた人影一つ、荒涼たる焼野原を透して、宮川の外(はず)れから白山山脈が見えようというところ、月の晩ではないのに、その輪郭が白くぼかしたように浮き上っている。
「おや……」
 がんりきは、たじろぎながらその物影を篤(とく)と見直すと、覆面をして、着流しのままで、二本の刀を帯びて、じっとこちらを睨(にら)んでいる。
 こいつは辻斬だ! はあて、飛騨の高山でも、辻斬が商売になるのかな。
 ちょうど、下に置いてあった屑屋のがんどう提灯(ぢょうちん)を、がんりきの百が手にとって、その異形(いぎょう)の者にさしつける途端、
「あっ! いけねえ」
 すさまじい音をして、がんどう提灯が、数十間の彼方にケシ飛ぶと共に、がんりきの百も共に、数十間ケシ飛びました。
 同じケシ飛んだのではあるけれども、がんどうの方は飛んだところへ行って留まったが、がんりきの方は横っ飛びに飛んだまま、街道の道へ出ると、一層の速度を加えて、無二無三に走りました。
 そのあとで、
「助けて――」
 屑屋もまた、がんりきと同じようにケシ飛ぼうとしたけれども、それは無理で、ドウと音がして、やがてザンブと水が鳴って、そうして助けて! という声が地の下から聞えたのは、焼跡のそばの、崩れた井戸へ落ち込んだものと見える。
 がんりきの百は無情にも、屑屋の急を救わんともせず、救うの遑(いとま)もなく、遮二無二走ること……かれこれ八町余りにして一つの物体にありついて、そこで、息をきりました。
「あっ! 何てザマだ」
 そこで、自分ながら愛想が尽き果ててしまったものの如く、額から首筋の汗を拭って、そうして、星もない空を恨めしそうにながめながら、
「ザマあ見やがれ」
 幾度も幾度も自分を冷笑しきれないのは、考えてみればみるほどばからしい。
 がんどうを差しつけたまではわかっているが、それからあの辻斬が、果して自分へ向いてのしかかって来たのだか、どうだか、いま考えてみると雲を掴むようだ。
 ああした瞬間に、たつみ上(あが)りに覆面の者からのしかかられた力にたまらず、振りもぎってがむしゃらに逃げ出したこっちのザマは、話にも、絵にも描けたものじゃねえ――
 それがよ、仮りにも、がんりきの兄いともあるべきものが、飛騨の高山くんだりへ来て、追剥か、辻斬か、異体の知れねえのに脅(おびやか)されて、雲を霞と逃げたとあっちゃあ――第一、七兵衛兄いなんぞに聞かせようものなら、生涯の笑われ草だ。
 だが、どうして、おれは、こんなに逃げなけりゃならなかったのだろう。がんどうをつきつけりゃあ向うも驚かあ、向って来たら、こっちもがんりきだから、一番飛騨の高山の辻斬の斬りっぷりを見てやろうじゃねえかという、いたずら心充分でやった仕事なのに――意地にも、我慢にも、ああのしかかられては逃げ足が先で、見栄も外聞もなくここまで突走らされ、こうして立ちすくんだのは、いったいどうしたというのだ。

         五十七

 考えてみれば夢だ、幽霊を見たんだ、お化けにおどかされて逃げたんだ、ばかばかしさこの上なし。気の毒千万なのは屑屋のおやじよ、あわてて井戸へおっこったらしいが、危ないこった。それをみすみす、手を出してやることもできねえで、命からがら、ここまで逃げのびたがんりきの心根が、自分ながらつくづく不憫(ふびん)でたまらねえ。がんりきの百ともあるべきものが、飛騨の高山へ来て、辻斬のお化けにおどかされたとあっては、もうこの面(つら)は東海道の風にゃ吹かせられねえ――憚(はばか)りながら、このがんりきの百蔵は、見てくんな、こうして右の片腕が一本足りねえんだぜ、向う傷なんだ。この片一方の腕に対(てえ)しても、面(かお)が合わせられねえ仕儀さ。何とかしてこの腹癒(はらい)せをしねえことには、この虫がおさまらねえ。といって、気の利(き)いたお化けはもう引込んでいる時分に、またも現場へ引返して、虚勢を張ってみたところで、間抜けの上塗りであり、抜からぬ面をして、おじいさん、井戸は深いかえ、も聞いて呆(あき)れる。
 いったい、ここはドコなんだろう。お寺だな、かなり大きなお寺の門だ。なあるほど、飛騨の国は山国だけあって木口はいいな、かなりすばらしいもんだが、何という寺なんだ、名前も何もわかりゃしねえ。
 さて――と、今晩、これから落着くところは、自暴(やけ)だな、自暴と二人連れで、この腹癒(はらい)せに乗込んでみてえところはさ、目抜きのところはすっかり焼けてしまっていて、どうにもならねえ。
 今になって、思い出したのは、あの御用提灯と、陣笠と、打割羽織(ぶっさきばおり)の見まわりだが、あの見廻りのお上役人だか、土地の世話役だかわからねえが、おいらの眼と鼻の先で、乙なことを言って聞かしてくれたっけなあ。
 その事、その事。それを今、ここんとこで思い返していると、なんだかゾクゾク虫酸(むしず)が走ってくるようだぜ。ここのお代官がなかなか好き者で、そのお妾(めかけ)さんが百姓出の娘には似合わず、また輪をかけた好き者で……旦那をいいかげんにあやなして置いちゃあ、中小姓であれ、御用人であれ、気の向いた奴には、相手かまわず据膳をするとかなんとか。そいつをお前、高山入り早々のがんりきの鼻先で匂わせて下さるなんぞは気が知れねえ、そんなのを、今までトント忘れていたこっちも、人が好過ぎるじゃねえか。
 いったい、そのお代官邸てのはドコにあるんだい。ようし、一番夜明けまでには、まだ一仕事の隙(すき)は、たっぷりあらあ、そのお代官邸てえのへ、ひとつ見参してみようじゃねえか。これから夜明けまで、その百姓上りだという手取者(てとりもの)の好き者のお部屋様んところへ推参して、そこで一ぷく、お先煙草の御馳走にあずかろうじゃねえか。
 いいところへ気がついた、なあにこれだけのところだ、誰に聞かねえったって、走っているうちには代官邸らしいのにぶっつかるだろう。そのお部屋様というのが、そういうお前、話の分った女であった日にゃあ、土臭い地侍ばかり食べつけているのと違って、こっちもがんりきの百だよ、野暮(やぼ)におびえさせて、お説教ばかり聞かしてもおられねえ、話がもてて来た日にゃ、夜が明けても帰さねえよ、てなことになってくる。せっかく、訪ねて来たがんりきのために野(や)を清めてしまったうえは、今夜の御定宿はひとつ、そのお代官邸のお部屋様のお座敷と、こういう寸法にきめてやろうじゃねえか――
 まあ、待ってくんな、せいては事を仕損ずる、それにしても咽喉(のど)が火のようだ。
 井戸はねえかな、井戸は……やむことを得なけりゃあ、さきほどの、あの高札場の屑屋の這(は)い出した井戸まで引返すかね。
 こうして、この門前をうろつき出したやくざ野郎は、ほどなく、代官屋敷の裏門の掘井戸のところへ姿を現わしたことを以て見ると、求むるところのものに、同時にありついたようなものです。

         五十八

 宇津木兵馬が、ここへ来てから、一つ気になるのは、お代官の邸の奥向のことです。
 このお代官には女房は無くて、お気に入りのお妾が、一切を切って廻していることは、それでいいとしても、兵馬が気になり出したのは、このお妾がいかにも水っぽい女で、たしかにいい女というのだろう、血相のいい顔に、つやつやしい丸髷(まるまげ)を結って、出入りの者や、下々の者までそらさない愛嬌はたしかにあって、代官が寵愛(ちょうあい)するのも、のろいばかりではない、まあ、この妾にも寵愛を受けるだけの器量はあるのだ。
 この奥向を切って廻して、主人をまるめて置くだけの器量のある女には相違ないが、兵馬が気になり出したのは、品行の悪い噂(うわさ)で、それも噂だけではない、兵馬の眼にも、それと合点(がてん)のできるほど、眼に余るところも見えないではないが、兵馬のわけて気になるのは、どうも自分に向ってまで、眼の使い方が解(げ)せないことがある。それが、日一日と強くなって、あの火事の騒ぎの晩なぞは――兵馬はその晩のことを思い出して、いよいよ変な気になりました。
 このお部屋様が、自分に誘惑をやり出している、ということが、ハッキリわかってくると、全くイヤな心持です。
 ただ、イヤな心持ではなく、二重にも三重にも、イヤな心持がするのは、自分のほかに、ここに召使われている誰彼の用人、小姓、みんなあれと同様の色目にあずかっているらしいからで、そうして、自分が新しくて珍しいものだから、特別に――という思わせぶりがたっぷりだからです。
 つまりこうして、自分をおもちゃにしてみようといういたずら心なのだ。そうして、そのおもちゃになりつつ、表面は至極心服の態(てい)に見せているものが、現にこの邸の中に一人や二人はあるらしい。それでも、おたがいたちのうちに鞘当(さやあ)ても起らないし、お代官そのものもいっこう悪い顔をしないのは、お人好しで全く気がつかないのか、或いは自分が相当の食わせ者であるだけに、気がついても、見て見ないふりをしているのか。一方からいえば、それで風波を起さずに抑えているところは、どこかに、あの女の度胸だとも、器量だとも言えないことはない。
 だが、度胸にしても、器量にしても、それは浅ましいものだと、兵馬には感ぜずにはおられません。
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