大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 ただ、あれが幕吏の手に見つかった時は大騒ぎになるだろう。いまごろは血眼(ちまなこ)になっているかも知れない。かぎ縄や、石筆や、マッチの類は、由々しき犯罪の証拠品となるだろうが、あの炭団(たどん)ばかりは、何のためだか見当がつくまい、と笑う者がある。
 けだし、この連中は、かねての目的通り、江戸の城中へ火をつけに行ったものに相違ない。そうして今夜の瀬踏みが見事にしくじったので、やけ酒を飲んで気焔を揚げているとも見られるし、また、ある程度まで成功した祝杯を揚げているようにも見られる。
 ともかく、これだけに味を占めた上は、早速また、第二回目の実行にとりかかるに違いない。
 彼等は、何の恨みあって、こんなことをするのか。なんらの恨みがあってするわけではない、人にたのまれてするのである。人とは誰。それは西郷隆盛に――
 西郷隆盛は、益満(ますみつ)休之助、伊牟田(いむだ)尚平らをして、芝三田の四国町の薩摩屋敷に、志士或いは無頼の徒を集めて、江戸及び関東方面を乱暴させ、幕府を怒らせて、事を起すの名を得ようとしていることは、前にしばしば記した通りである。
 この、成功か失敗かわからない乾杯があって後、この一座の、鰻(うなぎ)を食いながらの会話は、忍術の修行の容易ならざることに及ぶ。
 一夜づくりの修行では、やりそこなうのは当然だ、といって笑う。
 いったい、盗賊というやつは、先天的に忍術を心得ているのだろう、という者がある。
 いや、忍びに妙を得ているから、盗賊がやってみたくなるのだろう、という者もある。
 盗賊としての条件は、第一、忍ぶことに妙を得て、第二、逃げることに妙を得なければならぬ、身の軽いと共に、足が早くなければならぬ、という者がある。
 僕の方に、一日のうちに、日光まで三十余里を行って戻る奴がある、と落合直亮がいう。
 いや一橋中納言の家中には、駿府(すんぷ)から江戸へ来て、吉原で遊び、その足で駿府に帰る奴がある、という者がある。
 信州の戸隠山から、一本歯の足駄で、平気で江戸まで休まずにやって来る者がある、という。
 そんな雑談から、ついに石川五右衛門論にうつる。
 五右衛門は、果して忍術の達者であったろうか、という説。
 五右衛門を、盗賊として見るべきか、刺客(せきかく)として見るべきか、の論。
 盗賊でも、刺客でもない、彼は一種の英雄として見るべし、という讃。
 左様な議論で火花を散らして、さんざんに飲み且つ食い、この四人は八官町の大輪田を辞し、大手を振って、例の四国町の薩摩屋敷に入ったのは、夜の白々(しらじら)と明けそめた時分でありました。

         六

 同じ日の同じ時刻。七兵衛は、やはり三田四国町の、薩摩屋敷に近い越後屋というのにはいり込み、わらじを取ったままで食卓の前に、どっかりとすわり込みました。
 この時の七兵衛も無論、もと通りの七兵衛になって、なにくわぬ旅の百姓でありましたが、この広い座敷には、七兵衛ひとりです。
 ここは、薩摩屋敷の豪傑がよく出入りするところ。料理屋にして、また酒保を兼ねているところ。百人以上も会合ができるようになっている、その座敷のまんなかに七兵衛ひとり。
 日中には眼の廻るほど忙しい店。こう早い時にはガラン堂のようなものです。そこで七兵衛も誰憚(はばか)らず、とぐろを巻いているところを見れば、もう相当にこの店とは熟していて、木戸御免に振舞うだけの特権があるもののように見える。やがて七兵衛は、ズルズルと革の袋を一つひっぱり出して、その中へ手を差入れて、まず取り出したのがきせると、煙草入。
 それを目の子勘定のように食卓の上に置き並べ、次に取り出したのが新しい摺付木(マッチ)であります。
「ああ、摺付木、これだ、これだ」
とほくそ笑みして、その箱を押して、一本のマッチを摘(つま)み出し、食卓の上の金具に当ててシューッとすると、パッと火が出たからまぶしがり、あわててそれを煙管(きせる)にうつそうとしたが、あいにくまだ煙管には煙草が詰めてなかったものだから、大急ぎでその摺付木を火鉢の灰の中へ立て、あわただしく煙管へ煙草をつめて、その燃え残りの火にあてがい、大急ぎで一ぷくを試みて、その煙を輪に吹いて、大納まりに納まりました。
「重宝(ちょうほう)なもんだて。どうしてまた毛唐(けとう)は、こんなことにかけては、こうも器用なんだろう。これを使っちゃ、燧石(ひうちいし)なんぞはお荷物でたまらねえ」
 七兵衛は、今更のように、マッチの便利重宝を、讃美渇仰せずにはいられない。
 それから、煙草の吸殻をポンと手のひらに受けて二ふく目を吸い――三ぷく、四ふく、その煙をながめては、ヤニさがっていたが、暫くあって煙草をやめ、また思い出したように、以前の革袋へ手を入れて、
「何だろう、このゴロゴロした丸いやつは?」
 首をひねりながら引き出して見ると、それは紙に包んだ炭団(たどん)でありましたから、七兵衛が、コレハ、コレハとあきれました。
 炭団が出て来やがった、何のおまじないだろう――合点(がてん)がゆかない心持で、その炭団をまた一つ一つ食卓の上に置き並べ、それをながめて、ははあ、やっぱりこれは火つけだな、と思いました。
 江戸城へ火をつけるつもりで、あの連中は忍び込んだのだな――なるほど、かんなくずかなにかに炭団(たどん)を包んで、火をつけて置けば、念入りに燃え出す。爆裂玉(ばくれつだま)のように、急にハネ出すこともなし、油のように、メラメラと薄っぺらな舌も出さず、くすぶり返って気永に焼くには、炭団に限ると思いました。
 七兵衛がこうして納まり返っているけれども、この広い座敷へは、無論、夜明け早々からの客のつめて来るはずもなし、そうかといって、主人なり、雇人なりがいるならば、とがめないまでも、何とか言葉をかけそうなものを、そんな気配は更になく、ひっそり閑(かん)としたものですから、七兵衝は炭団を肴(さかな)に、また煙草をのみはじめ、座敷の中を見るとはなしに見まわしているうち、なんとなく無常の感というものにでも打たれたように、大きな溜息(ためいき)をついて、壁の一隅につるしてある薩摩屋敷の轡(くつわ)の紋のついた提灯(ちょうちん)を見て、じっと物を考え込んでしまいました。
「つまらねえな」
 七兵衛が思わず口走った時分に、平常(ふだん)ならばお銚子の一つもかえて、まぎらかそうというものだが、この時はそれができないで、
「つまらねえなあ、ほんとに……」
 七兵衛は煙管(きせる)を取落して、炭団をつくづくとながめました。
 七兵衛は今、急につまらなく、情けなくなって、あぶなく涙をこぼそうとしました。
 昨夜、七兵衛はあれから、江戸城内のどこまで忍び込んで、どこを出て来たかわからないが、夜が明けて見ると、なんとなくうちしおれていたのが、今になって一層目につきます。
 彼は、たしかに江戸城内を抜け出してきての今、
「浅ましいことだ」
という感慨が、ひしと胸にこたえているものらしい。
 何が浅ましい。自分のしたことが浅ましいのか、周囲の見るもの、聞くものが浅ましかったのか。七兵衛の胸に折々、里心(さとごころ)が首を持上げるのは、今にはじまったことではないが、この時は、特に何かの感じが激しくこみ上げて来たと見えて、ほとんど涙を落さぬばかりに浅ましい色を見せましたが、気をかえようとして取り上げたのが、杯(さかずき)ではなくて、火の消えた煙管でしたから、それが一層、七兵衛をめいらせるような気持にして、
「よくばちが当らねえものだなあ」
とつぶやいて、煙管を投げ出しました。
 七兵衛は常々そう思っている。何でも人の尊敬すべきものは尊敬しなくちゃならない。神仏が有難いといえば、有難がるのが凡人の冥利(みょうり)だ。長上をうやまえといえば、無条件にうやまうのが人間の奥ゆかしさだ。理窟も、学問も、いった事じゃない。尊敬と、服従の、美徳がうせては、人間の社会が成立たないじゃないか。
 それに、どうだ、おれに向って、大奥の間取りを見て来てくれとたのむ奴がある。たのまれるおれという奴も、またおれという奴、来て見れば、またそれにいっそう輪をかけた奴があって、城ぐるみ焼いてしまおうという。
 浅ましい世の中だ。お上(かみ)に対する人間の尊敬心というものが、地を払ってしまったのは、お上に威厳がないのか、人間がつけ上ってしまったのか。さてこの上の世の中が、どうなるだろう。七兵衛も今はそれを考えて、空恐ろしくなったもののようです。
 その持って生れたような盗癖を別にしては、七兵衛は、むしろ律義(りちぎ)な男です。
 昨晩、江戸城内を抜け出して来た七兵衛の頭では、公方様(くぼうさま)は決して悪(にく)むべきお方ではなく、むしろかわいそうなお方である。その悪むべからざる公方様を目のかたきにして、これを陥れようとたくらむ奴等の気が知れない。
 よく人の話では、薩摩に西郷という男があって、それが手下の者をけしかけ、この四国町の薩摩屋敷に、ならず者を集めて乱暴をさせ、そうして公方様を怒らせて、日本を乱そうとするたくらみだと――その西郷という男は、公方様に何の恨みがあって、そういうことをするのだろう。天下というものを取るには、そういうことをしなけりゃならねえのか。
 そういうことをして、かりに天下というものを取ってみたところで、それがどうなる、それにはそれだけのたたりというものがあるぜ――西郷という男も、末始終はいい死にようはしねえだろう……といったようなことを、七兵衛が考え出しました。ははあ、ひとごとじゃねえ、おれももう盗人(ぬすっと)はやめだ。
 そう忌気(いやけ)がさしてみて、さて、盗人をやめて、これからどうなる――ということを考えると、七兵衛が、どうでものがれられない縄にからみつけられているように思う。おれが盗人をやめて、穏かな百姓で終りたいという念願は、今にはじまったことではないのだが、それがそうならないで、そう考えるごとに悪い方へのみ深入りしてしまうのは、いったいどういうわけだろう。自分が意気地無しだから、とばかりは言えないではないか。
 それと同じように、天下を取るというような連中も、人殺しをするような連中も、自分で好(す)いて好(この)んでやるわけではない、どうでもそう行かなければならないように糸であやつられている。思えば人間というものは、ハカないものだ……
 七兵衛は今まで、こんなに浅ましさを感じたということはありません。
 天下の御宝蔵をうかがおうとも、九尺二間の裏店(うらだな)を荒そうとも、物を盗む、ということの悪いには変りはないはず。
 良心の責めというものの悶(もだ)えならば、時も遅いし、その意味をも成さないわけでありますが、七兵衛のした仕事そのものよりは、何かにつけて、もっと大きな浅ましさを感じてしまいました。
 もしまた七兵衛にして、徳川十四代の当城のあるじ家茂(いえもち)公の不幸なる生涯の物語をつぶさに聞いていたならば、この男は、ほんとうに涙を流して、自分のした仕事のいかに罰当(ばちあた)りな、身の程知らぬ振舞であったかということに気がついて、西に向って、身を投げ出しておわびをし、血の涙をこぼして懺悔をしたか知れませぬ。
「なんだかツマらねえ、こういう時には、一ぺえやりてえのだが……」
 しかしながら、その近所には、火の消えた火鉢と、不可思議の目的に供せられた火のつかない炭団(たどん)があるばかりです。
 そこで、所在なさに七兵衛は、くわえ煙管(ぎせる)で、ツラツラ室の中を見廻し、壁にはってあった一枚の美人絵を見出すと、それを念入りにながめた後、
「この御殿女中じゃあ……これじゃあ、コツの三百女郎としか踏めねえ」
 ニヤリと、皮肉に笑いました。
 その絵は、供をつれた奥女中の一枚絵で、あんまり上等の浮世絵とはいえない。英山、英泉あたりの末流の筆に成って、彩色だけは人目をひくように出来ている。
 けれども、このことから七兵衛は、江戸城の大奥の間取りを見て来てくれ、なんぞとたのまれたことを思い出したものですから、わざと、そのつまらない浮世絵が、当座の興味を惹(ひ)いたと覚しく、コツの三百女郎にしか踏めないという奥女中の浮世絵も、腹も立たないで見ていました。
 七兵衛は、美術眼があるわけでもなんでもないが、奥女中は奥女中らしい気品とうま味が出ないものかなあと、淡い不満をいだいてこの絵を見ているだけのもので、頭の中に往来するのは、やはり昨晩、あれからこれまでの、自分のした仕事の吟味と、咀嚼(そしゃく)とであります。
 だが、やはり、七兵衛の眼は、その奥女中の一枚絵に向ったきりでありますから、よそから見れば、相当のたんのうなる鑑識家が、批評的にこの絵を吟味しているとしか見えないのであります――
 おれはいったい、美人と、美人画では、誰のがいちばん好きなんだろう。上代のことはいわず、比較的近代について見ると、狩野家(かのうけ)にはもとより、円山、四条にもすぐれた美人かきはいないようだ。何といっても、美人画は浮世絵の畑だろう。もっとも美人というものの標準も、ちょっと問題ではあるが、人好きのする美人は、まず浮世絵と限ったものだろう……ところで、その浮世絵の美人も品々だが、いずれあやめという時は……左様、まずまあ鳥居派で清長、それから北川派では歌麿。
 清長にはしっかりしたところがある。歌麿は少しだらしないがたまらない。清長を本妻に、歌麿をお妾(めかけ)としたら申し分はなかろう。
 細田栄之(えいし)――あれはさすがに出がお旗本の歴々だけあって、女郎をかかしてもなんでも、ずっと気品があるが、そうかといって、大所帯向(おおしょたいむ)きのおかみさんにするには痛痛し過ぎる――といってまた、並大抵のものが妾にしては位負けがする……そんなら勝川派はどうだね、何といっても春章はたしかなものだ。清長より少しやさし味があって、歌麿ほどにだらけてはいない。栄之のように上品向きでもないから、まず、相当の大家の御内儀として申し分はない方だけれども、いずれにしても、この辺を女房にするには、ケチな身上(しんしょう)ではやりきれない……そんなら実用向きというところで北斎はどうです、北斎の女は……
 無論、七兵衛はまだ壁の一枚絵を一心にながめてはいるが、上に述べたる如き批評眼があるわけでもなんでもないが、あまり一途(いちず)に、絵にばかり眼をつけているものですから、よそで見ると、どうしても、その絵の吟味、批評に取りかかっているとしか見えないのも無理がありません。
 ところで北斎は……北斎の美人はどうだ。あの男は、御存じの通り剛健な、達者なかき手だが、美人をかかせると艶麗なものをかくから不思議なものさ。芸者なぞをかかしても、なかなかいい芸者をかくし、筆つきに癖はあるが、女にイヤ味はないよ、頂戴してもいっこう不足はない……
 しかし、世話女房としては、何といっても豊広だね……。豊広――歌川派の老手で、広重の師匠だといった方が、今では通りがよいかも知れぬ。広重の美人画は問題にはならないが、豊広の女には素敵な味がある。おっとりした世話女房としての味では、この人に及ぶ者はない。これはまた、清長や春章とちがって、大どころでなければ納まって行けないという女房と違い、ずいぶん世話場も見せながら、亭主にはつらい色も見せず、和(やわ)らかになぐさめて、しっくりと可愛がってゆく、という女房ぶりだ……豊国は役者の女房にしかなれず、国芳はがえんのおかみさん、国貞は団扇絵(うちわえ)。
 明治になって……まさか七兵衛が、明治以後の浮世絵の予言までもすまいけれど、やはり、あんまり念入りに一枚絵を見ているものですから、浮世絵の現在を論じて、その将来に及ぶというような面構(つらがま)えにも見えて来るのが不思議であります。
 明治の浮世絵の中心は、何といっても月岡芳年さ。この男は国芳の門から出たはずだが、少なくも伝統を破って、よかれあしかれ、明治初期の浮世絵の大宗(たいそう)をなしている。見ようによっては浮世絵の型が芳年から崩れはじめた……とも見られるが、ああ崩して行かなければ、明治以後の複雑な世相を浮世絵の中にもり込むことはできなかったともいえる。
 江戸の女の持つ情味というものは、小さな挿絵一つにも漂わぬということはない。芳年以後に、巧拙はとにかく、あれだけ江戸の女の情味というものを含ませた絵をかき得るものはない。この点においても、芳年が最後のものかも知れない。
 転じて大正年間、生存の美人画家……芳年系統の鏑木(かぶらぎ)清方、京都の上村松園、いずれも腕はたしかで、美しい人を描くには描くが、その美人には良否共に、魅力と、熱が乏しい。
 その点に至ると、北野恒富の官能的魅惑の盛んなるには及ばない。
 新進で、国画創作会の甲斐荘楠音(かいのしょうくすね)が、また一種の魅惑ある女を描くことにおいて、異彩ある筆を持っている。あの時の展覧会で見た三井万里の江島がなかなかよかった。
 挿絵の方では、永洗(えいせん)系統の井川洗□(いかわせんがい)が、十年一日の如く、万人向きの美人を描いて、あきもあかれもせぬところは、これまた一つの力であり、年英(としひで)門下の英朋は、美人を描くことにおいては、洗□より上かも知れないが、その美人は、愛嬌(あいきょう)がなくてつめたい。近藤紫雲の美人にも、なかなか食いつきのいいのがある――
 七兵衛は際限なく、浮世絵の過去と将来を論じているわけでもなんでもないのですが、相変らず例の一枚絵をながめているものですから、そんなふうにも見えるので、人は往々、物をいい、手を動かすと、すっかりボロの出るものでも、仔細ありげにだまってさえいれば、意外なかいかぶりをされるものがあるものです。
 本人はその時分は、もう自分がいま見つめている絵のことなどは眼底から飛び去ってしまって、昨夜の城内の光景が、まざまざと頭のなかに浮び出でて、われを忘れていたのですが、その瞬間、「ハッ」としてわれに返ったのは、今まで人の気(け)というものはなかったところへ、さりとは、あまりに荒々しい戸のあけ方でありました。

         七

 その物音で、すっかり空想をブチこわされた七兵衛。
 夢から醒(さ)めたような顔をして、きょとんとその入口の方を見てあれば、そんなことはいっこう御存じなしに、数多(あまた)の人足が、店の土間へしきりにこも包を投げ込んでいる。
 鮭のこも包にしては長過ぎる。土間へ当りの響きで見ると、金物であるらしい。
 土間の左右へ人足がそれを積込んでいると、そのあとから抜からぬ顔で入り込んで来たのは、アツシを着た十五六歳の少年で、耳に仔細らしく矢立の筆をはさみ、左右に積み分けたこも包の中央に立って帳面を振分けて、これもしさいらしい吟味をしている。無論、七兵衛のあることは、誰もまだ気がつかない。
 帳面と、そのこも包とを、すっかり引合わせてしまったアツシを着た前髪の商人が何とも言わないのに、人足たちは、積込むだけのものを積み終わると、大八車を引っぱって、この店の前を立去る。
 帳合(ちょうあい)を終った少年は、しきりにそのこも包の荷造りを改めはじめる。余念なくその荷造りを調べている時、後ろで、
「忠どん?」
「え?」
 はじめて気がついた、そこに先客のあることを――
「おじさんかい」
「何だね、そのこも包は……」
「こりゃ、おじさん、こっちの包みが刀で、こっちが鉄砲の包みだよ」
「え……刀と鉄砲? どちらも大変に穏かでねえ。それをお前が、いったいどうしようというのだ」
「どうしようたって、おじさん、お屋敷へ売込むんでさあ」
「お屋敷……ドコのお屋敷へ?」
「そりゃ、おじさん、わかってるだろう、その薩摩守のお屋敷へさ……」
「お前が……その鉄砲と、刀を、薩摩のお屋敷へ売込もうというのか――?」
「そうさ」
「いつ、お前は、薩摩様のお出入りになったんだ――?」
「いつだって、おじさん、近いところにいりゃあ、いつ、どうした便宜で、お出入りになるかわかるまいじゃないか」
「お前に限って、そうしたはずじゃなかったなあ」
「だって、おじさん……」
「いったい、お前は、この薩摩屋敷に巣をくう浪人たちのために、せっかく苦労してこしらえた財産を奪われたその恨みで、こんなところへ来て、そのかたきを取返すのだといって、力(りき)んでいたはずじゃないか」
「それは、それに違いないけれど、おじさん、商人は腹を立てちゃ損だということが、このごろわかってきたよ」
「なるほど……」
「そりゃあ一時は口惜(くや)しかったが、今となってみれば腹を立つだけが損で、本当の仕返しは、やっぱり算盤(そろばん)の上で行かなけりゃ嘘だと、つくづく思い当りましたよ。喧嘩をしないで、お得意にしちまえば、盗られたものを、楽に取り返すことができまさあね」
 七兵衛は、徳間(とくま)の山奥で砂金取りをしていたこの少年を見出だして以来、そのこましゃくれた面憎(つらにく)い言い分に、いつも言いまくられる癖がある。十五や十六の歳で、金儲(かねもう)けの話といえば寸分のすきもなく、金儲けの仕事といえばいっこう臆面がない。こんなのも珍しいと感心することもあるが、多くの場合には、そのこましゃくれを面憎く思う。
 今も、その生意気な言い分が、ハリ倒してやりたいほどしゃくにさわっているとも知らず、
「おじさん、近いうちに日本が二つに割れるよ、そうなると軍器だね、刀と、鉄砲が、売れるのなんのって……大儲けをするのはこれからだよ、おじさん、一口乗らないか?」
 そこで、この少年は上り口に腰をおろして、七兵衛を相手に、近く来(きた)るべき天下の大乱によって、大金持になるべき秘訣(ひけつ)を説き出して、七兵衛を煙(けむ)にまく。
 この忠作という少年の説によると、近いうちに日本が二つにわかれるというのは、要するに徳川と薩摩との喧嘩であって、東の方は徳川のもの、西の諸大名はたいてい薩摩に肩を持つ。
 ところで、その争いの結果、ドチラが勝つか、負けるかわからないが、勝つにしても、負けるにしても、とにかく一朝一夕ではいかないこと。
 入り乱れて、何十年、何百年も、戦争がつづくかも知れないということ。
 そこで、軍器と、兵糧との、無限の需要がある、そこが目のつけどころだということ。
 とりあえず自分の仕事は軍器の御用商人で、つまり、戦争が長引けば長引くほど儲(もう)かる。
 そんなことをして、江戸にいながら、薩摩の屋敷へ武器を売込んだりなどすれば、江戸の方に恨まれて、ヒドイ目に逢うぞ……と、七兵衛がオドかせば、なあに、商人(あきんど)だもの、どっちでも割のいい方へ売る分には文句はないはず、今、逆縁のようなわけで、薩摩の家に取入ることができて、刀剣と、鉄砲との、買入れ方をたのまれたから、薩摩の御用をつとめているようなものの、これが、薩摩が江戸から追っ払われて、江戸の風向きがよくなれば、よろこんで江戸へお味方をして、御用にありつくまでのことさ……と忠作は、事もなげに放言する。
 そうしてなお言うことには、今こうして来た刀は、みんな駄物ばかりだが、今は駄物だの、名刀だの言っている時節ではない、数さえ多ければ何でもいい。鉄砲だってその通り、ここに集めて来たものは、大抵はチグハグや壊れ物だが、これを修繕して売込むと、立派な値段で買ってくれる――だが、本当に仕事をしようというには、こんなことではまだるくて仕方がない――どのみち、これからの戦争は、いい鉄砲を持っている方が勝ちにきまっているが、そのいい鉄砲は、外国からでなければ来ない。外国からいい鉄砲を仕入れるには、いい船を持たなければならない。
 いい船を持って、いい鉄砲を買込んで、これを盛んに売れば、人に戦争をさせておいて、自分が丸儲けをする。
 おじさん、日本一の金持になろうと思えば、これよりほかの道はあるまい、と忠作がしたり顔である。
 なるほど……七兵衛は、煙にまかれながら、サゲすみきって聞いていたが、こいつ、金儲けの前には、義理も、名分も、そっちのけ、その抜け目のないことにおいては、実際おそろしいほどだと舌をまき、
「忠どん、人に戦争をさせておいて、自分で丸儲けをしようなんていうのは、泥棒よりボロい商売だぜ」
と言ってみたが、七兵衛も、われながらマズい半畳だと思いました。
「ナーニ、おじさん、戦争をする人は、戦争をするように出来ている。金儲けをする者は、するような仕組みでするんだから、ちっとも恥かしいことはないさ。泥棒なんざあ、お前さん、馬鹿のする仕事さ、人に隠れて、コッソリとやって、見つかれば首が飛ぶ、それでいくら儲かるもんだ、泥棒のかせぎ高なんて、知れたもんじゃないか」
「ふふん……」
と七兵衛が、それを聞いてそらうそぶきました。しかし、何とも二の句をつぐ気にならないで、テレ隠しに摺付木(マッチ)をすりました。
 なるほど、泥棒は人のものをただ取る稼業(かぎょう)だが、そのかせぎ高は知れたものだ。そうしてその運命も知れたものだ。
 しかるにこの小僧は、人に戦争をさせておいて、自分は重宝(ちょうほう)がられながら大儲(おおもう)けをしようとする。いつもながら、こいつの言うことだけでも、人を呑んでかかっているのが、返す返すもしゃくだ。いったいこんな奴が成功したら何になるのだ。ただ口前ばかりではない、着々として、そろばんに当る仕事をしているのだから、いよいよ癪(しゃく)だ。
 言うだけのことを言って出て行った忠作のあとを見送って、七兵衛は、あの年で、人に戦争をさせて金を儲けようとは、言うだけでも末が恐ろしい、とあきれました。
 なるほど、これに比べては、盗賊商売などは問題にならない。
 人によっては、資本のかからない、割のいい商売として、盗賊を第一に置くが、よくよく考えてみれば、知れたものだ。
 現に自分が、今日までに盗んだ金額を、そっくり日割にしてみたところで、ちょっと気の利(き)いた日傭取(ひようとり)の分ぐらいにしか当るまい。それでいて、一歩あやまれば首が飛ぶのだ。実際、泥棒なんという仕事は、道楽でなければできる仕事ではない――見ること、聞くこと、今日はいやな日だ、と七兵衛は、そのままゴロリと横になりました。
 ゴロリと横になったけれど、七兵衛においては、ゴロリと横になることだけでさえが、相当の思慮用心を費さねばならないのです。
 たとえば、こうして横になっている間にも、疲れが出てツイうとうととした時分にでも、不意に御用の声を聞こうものなら、咄嗟(とっさ)にハネ起きて、さばきをつけるだけの用心をしていなければならない。
 そこで、七兵衛は、横になった身体(からだ)を、そのまま自分で衝立(ついたて)の蔭まで引きずって行き、頭から合羽(かっぱ)をかぶり、枕もとへは煙草盆を置いて、これが万一の場合は目つぶしになり、それと同時に、この衝立の上へ足をかければ、あの窓から外へ飛んで逃げられる――そこまで考えてからでなければ、昼寝もできないのです。
 いや全く、盗賊という商売は、手数のかかる厄介な商売だ――人に戦争をさせて、大金を儲(もう)けようという忠公などはああして、小威勢よく、天下晴れた顔をして飛び廻っているのに――なるほど、どちらから行っても、泥棒は馬鹿のする仕事で、割に合わないことこの上なし……なんぞと、愚痴を考えていながらも、昨夜の疲れがあるものですから、七兵衛はうとうとと夢路に迷い込みました。しかし眠りに落ちてからにしても、こういう人間は、なかなか手数がかかるので、前後も知らぬ熟睡ということは、一年のうちに幾度もあるものではない。眠れるが如く、眠らざるが如く、畳の足ざわりでさえ目をさます程度で熟睡をしなければならない。
 そういうふうにして、七兵衛が衝立(ついたて)の蔭で、眠れるが如く、眠らざるが如き熟睡を遂げているが、その耳の中へ聞ゆるが如く、聞えざるが如く雑音の入り来り、夢とも、うつつとも、わからない心持でいることは是非もない。
 衝立を隔てて幾人かの人があって、その者の語るところは……近いうちにこの屋敷へ西郷が来るそうだ……イヤ、もう来ているよ……ナニ、西郷がこっちへ来ている、そりゃ嘘だろう……嘘ではないさ、中村と、有馬を連れて、やって来た、しかも東海道をテクでやって来た……あの大きなズウタイで、よく歩けたものだな……ナニ、足はなかなか達者だよ、西郷はあれで、あのズウタイで、乗物に乗らず、わらじばきで、前ぶれもなしにさっさとやって来ては、またいつのまにか帰ってしまう、だから、せっかく西郷に逢いたがっていたものが失望する……失望はいいが、そう軽々しく出歩いた日には、あぶなかろう……そこがつまり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸に来(きた)るとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣(ばいしん)一人が出て来ると、江戸の天地が、安政の地震以上にゆれるとは大仰だ……西郷という男は、それほどエライ男かい、あれも人気者じゃないかな……薩摩というものを背負って、大舞台を睨(にら)んでいるその形に呑まれて、大向うがやんやと騒ぐだけのもので、事実、人気ほどの英雄じゃあるまい――長州の大村、同じ薩摩でも大久保あたりの方が、実力はズンと上だといっている……
 こんな途切れ途切れの言葉を、七兵衛は夢うつつに聞いておりました。
 つまりこの頃、右の薩摩屋敷に、西郷なるものが乗込んで来ているという噂(うわさ)。

         八

 信濃の国、白骨(しらほね)の温泉――
 そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
 もう、これだけ以上には、ここで冬籠(ふゆごも)りをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡(りょうけん)しているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
 この山の通人は、ツマリこの辺の谷々を経(へ)めぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺(ろへん)の人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
 しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
 山の通人は、出来星の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたように書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木(かんぼく)というものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知(なまものじり)を書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
 自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪は強(し)いてそれを争おうともしませんでした。
 山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙(とこなつぞうし)というのに、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
 通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
 いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
 それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様が行(ぎょう)をしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
 山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
 一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは、高山へ登らないものですかね?」
と、眠そうな声で、念を押したものがありました。
「左様、神主サンというものは、高山へ登らないものだ」
 山の通人が、いよいよそっくり返ったのは、相変らず出来星(できぼし)の博士が、小学校の生徒を相手にするような態度でありました。そうすると一座の中から、突然に、
「御冗談でしょう」
とひやかし気味に、やり返すものがある。
「何ですって?」
 山の通人も、気色(けしき)ばむ。
「いつ、神主サンが、高山へ登って悪いという規則が出ましたか?」
「誰も、規則が出たとはいわないが、神主は高山へ登らないもので、高山で行(ぎょう)をするのは修験(しゅげん)のつとめだ」
「お前さん、博識ぶって、燈台下(もと)暗しのことを言いなさんな、神主が、高山に登らないなんてタワ言を言うと、お里が知れますぞ」
「ナニ?」
「論より証拠を、お聞きに入れましょう」
といって、山の通人と喧嘩を買って出たのは、池田良斎の一行、北原賢次であります。
 一座のものは、傲慢(ごうまん)無礼な山の通人の博識ぶりに、不愉快を感じていたところですから、この喧嘩相手の出たのを、むしろ痛快に感じてだまっていました。
 山の通人は、自分の博識の権限を犯(おか)されでもしたように、ムッとして、
「論より証拠――証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者(しゅげんじゃ)に限ったものだ」
「ところで――物識(ものし)りの先生、この信州松本に、藤江正明老人という神主様のあることを、御存じですか?」
「それが、どうしたのだ」
「それは神主サンでございますよ、ねえ、池田先生、先生も御存じでしょう、松本の藤江正明老人は神主様であって、また歌人としても、相応に知られていますね」
 北原賢次は、池田良斎を顧みて駄目を押しますと、池田良斎は、無言でうなずいて見せました。
 そこで山の通人が、またせき込んで、
「その老人で、神主で、歌よみだという人が、どうしたのだ?」
「まあ、せき込まずにお聞き下さい。この老人は、今が七十歳の老年でございますが、日本の高山という高山は、たいてい登っておりますよ。念を押しておきますが、藤江翁は神主さんでございます」
「…………」
「もう少し詳しくお話し申しましょう。ある年、この藤江老人は加賀の白山(はくさん)に登りましたが、途中で暴風雨にあい、一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣(ひとえ)一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
 北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体(からだ)をきたえ得たかという実験を、細々(こまごま)と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
 そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道(しゅげんどう)も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙(とこなつぞうし)の中に、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの辺に、そんなことがありましたか?」
「ええ、初めの方に、そんなことがあったようです……」
「さきほども聞いていますと、このお雪ちゃんが、ツガザクラの下を通ったとか、通らなかったとかいって、小言(こごと)をいっておいでのようでしたが、お雪ちゃんの文章は、たいてい一度は、わたしが見て上げますが、そんなことは書きはしなかったようですよ、よく読み直してごらんなさい」
「いや、わたしも、ちょっと眼に触れたままですから……」
「かりにも学者として、左様な粗末な、不親切な、見方をなさってはいけません。小説としても馬琴ほどの作者になれば、室町御所に虎を出そうとも、利根川の岸に芳流閣を築こうと、八丈島で馬に乗ろうと、安房(あわ)の国で鯉をつろうとも、皆それだけの頭と、働きを以てやるのですから、あなた方が、一方向きの知識だけでかれこれいうのは、僭越というものです」
 池田良斎は穏かに、この博識ぶった一方向きの山の通人をいましめて、それをしおに立ち上り、浴室へ行くと、一座の者が、われもわれもとあとを続いて、炉辺に残れるはお雪ちゃんと、留守番の老爺(おやじ)と、薄っぺらな山の通人と、その連れの者だけでありました。
 山の通人は、少しばかりテレていましたが、この席に、道庵先生が居合わせなかったことは仕合せでありました。道庵先生でも居合わそうものなら、忽(たちま)ち御自慢の本草学を振り廻して、いっぱしの科学者気取りで、ブリキのようなメスをガチャつかせて、山の通人に食ってかかったに相違ありません。
 山の通人は、暫(しばら)くテレていましたが、そのテレ隠しのように、お雪の方へ向い、
「あなたは、どちらから、おいでになりましたね?」
と尋ねましたから、お雪は正直に、
「甲州の、上野原でございます」
と答えました。
「ははあ、上野原ですか」
「左様でございます」
 お雪がこの場合、英語を知らなかったのも幸いで、もし英語の少しでもカジっていて、ハイランドでございます……なんぞとしゃれようものなら、またこの通人からお小言(こごと)を食ったのでしょうが、ドコまでも素直なお雪は、通人をおこらせるだけの返答を与えませんでした。
「御商売は何ですか、お家は……?」
と尋ねられた時も、お雪は神妙に、
「上野原で、月見寺とお聞きになれば、すぐわかります」
 もし、この場合、お雪ちゃんが女学校出のお茶ッピーで、実家が高利貸でもしていて、「わたしの家はアイスクリームよ」とでも言おうものなら、この通人は真顔になって、「それはお菓子い御商売です」としゃれたかも知れません。
 こういう通人の入り込むこともまた、山の炉辺の一興でありましょう。

         九

 その翌日、お雪は柳の間に籠(こも)って、いつになく冴(さ)えない色をして、机に向って筆を執っている。

「弁信さん――
あたし、きょうもまた、ひとりで、無名沼(ななしぬま)まで行って来たのよ。
四方の峰から、雪が一日一日に、谷に向って強い力で圧(お)してくる中を、毎日、悠々閑々(ゆうゆうかんかん)として散歩にであるく、わたしをのんきだとは思わない……?
その実、沼まで行く道だって大抵じゃないのよ。けれども、天気さえよければ、毎日一度は、あの沼まで行って見ないと気が済まないの。それも、人にことわると留めますから、わたし一人で、ないしょで行きます。
以前にも申し上げました通り、この沼は、わたしを引きつける力が有り過ぎます。
あの事件があって以来、少しの間は遠ざかっておりましたけれど、どうしても引きつけられてしまいます。怖(こわ)いという沼ではありませんもの……ほんとうは怖い沼かも知れませんが、怖いものほどかえって、人を引きつけるのではありますまいか。
わたしは毎日毎日、あの沼へ引きつけられて参ります。そうして離れ小岩の、絹糸のような藻のあるところ、御存じでしょう、最初にあたしが浅吉さんという人の死骸を見たところ、後にあのいやなおばさんが溺(おぼ)れて死んだというところ。知らず識(し)らず、わたしはあの岩の上へ立たせられてしまうのです……
それで、わたしはいい気になって、あの岩の上で、藻の中をかき分けるようにして、何を見ているのでしょう。自分の姿を、水鏡にしているのですから、ほんとに自分ながら、気が知れないことだと思います。
きょうも……その通りにして、わたくしはあの離れ岩のところに立って、水鏡をうつしながら、万葉集の歌と思い合わせて、自分の髪の毛を腕で巻いたり、指先でひねったりして、ひとり楽しんでおりました……
弁信さん――
わたしは、そちらにいた時のように、銀杏返(いちょうがえ)しや、島田に髪を結ってはいないのですよ。グルグル巻きにしたり、お下げにしたり、洗い髪のままでいたりするんですけれど、人のつき合いがありませんから、これが無作法にもなりませんし、またちっとも恥かしいとは思いません。
万葉集の歌には、よく髪の毛のことがありますのよ、女は髪の毛を、生命(いのち)のように大事にすることがあります。
自分でさえ、手ざわりのやわらかな毛をいじっていると、可愛らしくなってしまうことがあります。
わたしは、髪の毛を美しく結んで、人に見せるよりは、解いた髪の毛を、自分の腕に巻いている心持が何とも言われません。

弁信さん――
こうして、わたくしは、自分の髪の毛を腕に巻いたり、ろくでもない器量を水鏡にうつしたりして、ひとり、いい気持になって、離れ岩の上でさんざん遊んで、宿へ帰ることを楽しみにしていたのですが……もう二度とはあの岩へ行きますまい。
今度という今度は、もうあの岩へは遊びに行きますまい。……こんなことを言いますと、また何か水の底で、おそろしい人の死骸でも見たのかと、あなたが心配してお尋ねになる様子が、わたくしにありありとうつりますが、決して、そういうわけではないのです。
きょうというきょうは、何ともいわれないいやな思いが、不意にあの岩の上で起りましたのは……
弁信さん……
あなただからそれを言います……あなたでなければ、それを聞いて下さる人はありません。それは水の中で、ものすごい人の姿を見たのではありません。
わたしのお腹の中で、何ともいえないいやな思いを致しました。
弁信さん――
それをいうのは苦しうございます。いつぞや、あのいやなおばさんは、わたしの乳を見て、黒くなったと言いました。
……その時はわたし、いやな思いをしただけでしたけれど、きょうは人の口からでなく、自分のお腹の中で、そのいやな声が聞えました。

ああ、弁信さん――
わたしは妊娠したのじゃないでしょうか。
もしそうだとすれば、ほんとうに、どうしたらいいでしょう。
あの時、あのいやなおばさんから、乳が黒いとからかわれた時、真赤になったわたしは、ただ恥かしく、口惜(くや)しい思いをしたばかりでしたけれど、今は、わたしのお腹の中が動きます。
ああ、怖ろしいことです……わたしは、ほんとうに身持になったのではないかと、この胸がさわぎ出しました。そう思うと、いよいよお腹の中で、何か動きつづけているようです。
そんなはずは決してない、と気を取り直して、心を落着けようとしていますけれど、もし、そうであったら、わたしは取返しがつきません。
わたしは、世間へ顔向けができません。わたしは、もう以前の無邪気な心で弁信さんに顔を向けることさえできません。
わたしの一生はこれから廃物(すたりもの)です。ああ、怖ろしい身の破滅が、わたしの身にふりかかって来たようです。
今まで生涯に全く覚えのない怖ろしさに、わたしの胸がおののきます。これを書いている筆のさきがふるえています。
わたしの顔の色は、土のように変っているに違いない。

弁信さん――
こんな事まで打明けますと、あなたはさだめし、わたしが温泉へ来てから、手のつけられないいたずら者にでもなったようにお考えになるかも知れませんが、決して、そんなことはありませんのよ。
わたしは、どなたにも同じようにおつき合いをし、同じように可愛がられて、少しもみだらなことに落ちた覚えはありませんのに……
もし、わたしが身重(みおも)になったら、世間は何と言うでしょう……
なお、わたしが父(てて)なし子(ご)を生んだというようなことが、仮りにでも本当でしたら、怖ろしいことではありませんか。わたしの罪も二重になり、わたしの不幸も二重になるではありませんか。
よし、わたしは一生すたり物になるとしても、その子が……その子の長い一生が、またすたり物になるではありませんか。

弁信さん――
あなた、よく教えて下さい。覚えのない妊娠ということがありますか。
父のないのに、子というものが生れるものでしょうか……
わたしは、この苦しい思いを打明けて、誰にも相談することができません。
こんな時こそ、せめて、あのいやなおばさんでもいてくれたら、かえっていい相談相手であったかも知れませんが、今はその人さえおりません。
ぜひなくこうして、遠いところにいるあなたに手紙で御相談をかけてみる、わたしの胸の苦しさをお察しください。
よく、昔の本などには、物の精に感じて、身持になった女があるそうですが、わたしのもそんなのではないでしょうか。
今の世でそんなことを言えば笑われてしまいます。
身持になったわたしを、だれも、不義いたずらの結果と見ないものはありますまい。
郷里へ帰れば、知れる限りの人の指が、わたしの身体(からだ)へ蜂の巣のように突き刺されて、そのあざ笑いの痛さ、冷たさが、想像してさえ骨身にしみるようです。
万一、これが本当の身持であったなら、どうしても、わたしは故郷へ帰れません……
そうかといって、身二つになるまでここに保養をしていて、それからどうなるのです。どちらを行ってもすたり物ではありませんか。
身持になった身をいだいて帰っても、生み落した子を……こんなことを書くのさえ、何ともいえないいやな気がしますが、その子を抱いて帰っても、人の冷笑の痛さは同じではありませんか。
どのみち、わたしは鉄のような仮面をかぶるか、或いはこの良心というものを、石ころのようにコチコチにした上でなければ、人様の前へは出られないのです。
……わたしは、そうまで鉄面皮(てつめんぴ)というものにはなれません。

弁信さん……
わたしは死んでしまいたい気がします。
そんな恥かしい思いをするくらいなら、いさぎよく自殺した方がよい。死んでしまいたい」

         十

 その晩、この温泉の炉辺(ろへん)の閑話に、一つの問題が起りました。
 近頃、山々へ登る人が、よく山々を征服したという。征服の文字がおかしいという者がある。おかしくはない、古来人跡の未(いま)だ至らなかったところへ、はじめて人間が足跡をしるすのだから痛快である、征服の文字はいっこうさしつかえがない、という者がある。
 ハハハハと高笑いをして、富士山を征服したというから、おらあはあ、富士の山を押削(おっけず)って地ならしをして、坪幾らかの宅地にでも売りこかしてしまったのか、そりゃはあ、惜しいこんだと思っていたら、何のことだ、富士の山へ登って来たのが征服だということだから笑わせる……上へたかったのが征服なら、蠅はとうから人間様を征服している……と山の案内者が言いました。
 山の案内者は、近頃の征服連の堕落をなげき、高山植物などの、年々少なくなることをも怖れているらしい。
 その時、山の案内者のデコボコ頭に、燃えぼこりが一つたかりました。
 それを見ると、一人があわてて、
「あれ蚊が……」
といって、平手でピシャリとその男のデコボコ頭をたたきましたが、もとより蚊でありませんから、たたいた者、たたかれた者、共にあっけに取られ、見ていた者も、暫くはあいた口がふさがらないのは、思い設けぬ余興でありました。
 白骨の温泉場の今時分、蚊がいようと思うのがそもそも間違いで、よし蚊がいたからといって、平手でピシャリ打つまでのことはなかろうに、気が早いのだか、間が抜けたのだか、わからないものですから一座があっけに取られ、やがてドッと笑い崩れました。たたかれた山案内のデコボコ頭がおかしかったからでしょう。
 それについて……仏典にこんな話がある。印度に一人の馬鹿野郎があって、ある時、親爺(おやじ)の額(ひたい)へ蚊がとまったのを退治てやるつもりで、有合せた丸太ン棒を取り上げ、馬鹿野郎のこととて、力をこめて親爺の額にとまった蚊をなぐったものだから、親爺もろともにナグリ殺してしまった……この話で一座がまた笑い崩れました。
 そこで、蚊の話が一座の話題の興味になると、例の一茶びいきの俳諧師が、
蚊一つに施し兼ねしわが身かな
 これは一茶らしい主観があっていい。皮肉にも、慈悲にも、同様に取れるところが一茶の身上(しんじょう)である。
閑人(ひまじん)や蚊が出た出たと触れ歩き
も自然のウイットがあって面白い。たくまずして気の利(き)いた状景をとらえたところが眼に見るようである。それに比べると、蜀山人(しょくさんじん)が、松平定信の改革を諷して、
世の中に蚊ほどうるさきものはなし
 文武といひて夜も眠られず
は、露骨にして、下品で、野卑だ。
 松平楽翁ほどの名政治家の改革ぶりを、蚊にたとえて、御当人得意がっているところが、自身の薄っぺらな腸(はらわた)を見せつけているようでイヤだ、という者もありました。
 その通り……いったい、今のやつらはそれよりも、もっと皮肉が下等で、諷刺(ふうし)が糠味噌(ぬかみそ)ほども利かない。蜀山人などは江戸ッ子がって、ワサビのように利かしたつもりだろうが、その利かせるつもりが、鼻についていけない。
 本当の諷刺や、皮肉は、自然にして、温雅にして、同情があって、洞察があって、世間の酸(す)いも甘いもかみ分けて、それを面(かお)にも現わさず、痒(かゆ)いところへ手が届きながら掻(か)かず、そうしてその利(き)き目が、時間がたつほど深刻に、巧妙に現われて来るものだが……本当の諷刺家がいないのは、つまり本当の批評家がいないのだ、というような議論になって、蚊一つの問題から、炉辺が異常なる緊張を示したのも、時にとっての一興でありました。
 この席に、いつも見るはずのお雪ちゃんだけがおりません。

         十一

 その翌日のお雪の手紙。
「弁信さん――
昨晩は、夜通し怖(こわ)い夢ばかり見ました。
いま、起きたばかりの、ねまきのままで机に向い、きのうの手紙の続きを書かなければならないほど、切迫しているわたしの心持を、昂奮しきっているように、あなたは、想像なさるかも知れませんが、その実、わたしの胸はきのうよりはズッと冷静なのよ。
それは、昨晩、あまり怖ろしい夢に責めさいなまれ通したおかげで、この度胸が据(す)わったというのかも知れません。そうでなければ、わたしの、しおらしい娘心が、一夜のうちにすさんでしまったのかも知れません。
昨晩の夢で……わたしは、さんざん姉さんにいじめられました。
姉というのは、あなたもよく御存じの、わたしがここへ来る前に、巣鴨の庚申塚(こうしんづか)で殺された、わたしにとっては大好きな親違いの姉であります。
その姉が、昨晩夢に現われて、さんざんわたしをいじめました。
わたしは、何とも言いわけをしませんでしたが、あの親切な姉が、どうしたものか、あんまりムキになって、わたしをいじめるものですから、わたしもツイ二言三言、何かいいました。そうすると、姉は泣きながら怨(うら)めしい顔をして、わたしに打ってかかるではありませんか。あんまりのことです……
そうして、ついには、身に覚えのない言いがかりまでして、わたしをいじめました。わたしも、そればっかりはだまっていられないので、口惜(くや)しがって泣きました。泣いて姉に食ってかかりました。
そうすると、あくまで、わたしをいじめ抜いていた姉が、急に飛び退いて、冷笑気味になって申しました、
『白々(しらじら)しいことをお言いでないよ、そのお腹(なか)をごらん』
こういわれて指さされた時に、わたしは泣き伏して、この顔を、姉の痛い眼つきから避けるよりほかはすべがありませんでした。
『姉さん、あんまり口惜しい……』
『いたずら者、油断もすきもなりゃしない、よくいったものだね、小娘と何とかは……覚えておいで、その報いがどこへ来るか覚えておいで、お前がもし、わたしのような運命に落ちても、わたしは知らないから……』
こういって、姉は泣き伏しているわたしを、意地悪くのぞき込むようにして、白い眼で睨(にら)みました。
常の姉とは似ず、あんまり薄情で、あんまり手強いから、わたしもツイツイつり込まれて、反抗の気味になりました。
『ようござんすよ……自分のした罪は、自分で背負いますから』
と、わたしも自暴(やけ)の気味でそう言いますと、姉は一層こわい目をして、
『生意気なことをお言いなさい、お前のような世間知らずに、どうして、自分のした罪が背負いきれます……』
『ようござんす、姉さんのお世話にはなりませんから』
『誰もお前の世話をして上げるとは言わないよ……立派に一人[#「一人」は底本では「一り」]でその始末をしてごらん』
『しますとも、わたしは、自分の知らないでした罪は、どこまでも自分で背負いきって、人様に御迷惑はかけませんから……』
『いたずら者……』
『いつ、わたしがいたずらを致しました、わたしは、誰かのように、夫を持ちながら、二人も、三人も、ほかの人を愛するようなことは致しませんから……』
『何をお言いだえ、お前、もう一度いってごらん』
姉はつかみかかるような勢いで、わたしに向って来ました。そうして、わたしの髪の毛を引据えて、さんざんに打ちました。
わたしは姉のするままにまかせて、少しも争わないで、ぶつだけぶたれておりましたが……どうしたのでしょう、そのぶたれるのが、何ともいえないいい心持でありました。

弁信さん――
それから、わたしはもういっそ、なにもかも許してしまおうかという気になりました。
姉が、あれほど手づよく、わたしを疑ったり、責めたりしなければ、わたしも、こんなに度胸を据えるようにはならなかったかも知れません。
妊娠なら妊娠でかまわない。身持になったら身持になったまでのことよ……こんなことを、平気で書いているわたしの顔は、悪魔が手を延ばして、何かの色に塗りつぶしているのかも知れません。

弁信さん――
わたしの処女性は失われました。
少なくとも、こんなことを平気で書いていられるほどに、わたしの娘心はすさびました。これが自暴(やけ)というものでしょうか知ら……自暴ならば自暴でかまいません。
もし、わたしのこの身持が本当のことでしたら、もう、わたしの行く道は、自暴(やけ)よりほかにないではありませんか。
 その道がありましたら、弁信さん、教えて下さい。
昨日の手紙に、わたしは死んでしまいたいと書きましたが、今思い返してみると、死んでも死にきれません。
ああ、今もこのわたしのお腹のうちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌(いや)な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂(うわさ)の的となるに相違ありません。
白骨(しらほね)の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。

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