大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 見たところ、相当に品格もある老人で、少々時代はあるが、塚原卜伝の生れがわりといったような人品に出来ているから、相当の敬意を以て接してみると、口の利き方がゾンザイであったり、いやに御丁寧であったりして、結局、この惣髪を、普通の百姓に見るような髷(まげ)に直してしまえ、と註文であります。
 床屋が当惑しているに頓着なく、道庵は、鏡に向って気焔を吐き、
「百姓に限るよ、百姓ほど強い者はねえ……いざといえば、誰が食物を作る。食物を作らなけりゃ、人間が活(い)きていられねえ。その生命の元を作るのは誰だ――と来る。この理窟にゃ誰だってかなわねえ、武者修行なんざあ甘(あめ)えもんだ、おれは今日から百姓になる!」
 さては先生、先日の芝居で、信州川中島の百姓たちが、大いに農民のために気を吐いたのを見て、忽(たちま)ち心酔し、早くも武者修行を廃業する気になったものと見えます。
 つまり先生の考えでは、武芸で人をおどすなどはもう古い、食糧問題の鍵をすっかり自分の手に握って置いてかからなければ、本当の強味は出て来ない――というようなところに頭が向いて、自然、一切の造作をこしらえ直す気になったものと見えます。
 床屋は、やむなく、註文を受けた通りに造作にとりかかる。惣髪は惜気もなくそり落して丸額(まるびたい)にし、びんのところはグッとつめて野暮(やぼ)なものにし、まげのところも、なるべく細身にこしらえ上げて、やがてのことに、百姓道庵が出来上ってしまいます。
 道庵つくづくと、その百姓面(づら)を鏡に照らし合わせながら、
「尚書(しやうしよ)に曰(いは)く、農は国の本、本固ければ国安しとありて、和漢とも、農を重んずる所以(ゆゑん)なり。農事の軽からざる例は礼記(らいき)に、正月、天子自ら耒耜(らいし)を載せ給ひて諸侯を従へ、籍田(せきでん)に至つて、帝耕(たがや)し給ふこと三たび、三公は五たび、諸侯は九たびす、終つて宮中に帰り酒を賜ふ、とあり、天子諸侯も農夫の耕作を勤むる故に飢を知り給ひ、さりとて、官ある人、農を業とすべきにあらざれば、年の首(はじめ)、農に先だつて、聊(いささ)かその辛苦の業を手にふれ給ふ、実に勿体(もつたい)なくも有がたき事ならずや……」
 滔々(とうとう)としてやり出したものですから、これは気狂(きちが)いではないかと、床屋が顔の色を変えました。
 かくてその日、この宿を立ち出でた道庵先生の姿を見てあれば、わざと笠をぬいで素顔を見せたところ、竪縞(たてじま)の通し合羽(かっぱ)の着こなし、どう見ても、印旛沼(いんばぬま)の渡し場にかかる佐倉宗吾といった気取り方が、知っている者から見れば、ふざけきったもので、知らない者は、あたりまえのお百姓と見て怪しまぬほどに、変化の妙を極めておりました。
 さて、そのあとから、少し間をおいて続いた宇治山田の米友。これは、前来通りと別に異状はありません。
 行き行きて、この二人が、例の芝居小屋の前まで来ると、数日まえの景気はなく、立看板に筆太く、
「大衆演劇、近日開場」
と書いてありました。
 それを見ると、道庵先生が足をとどめて、しばらく打ちながめ、
「ははあ、大衆演劇」
と首を傾(かし)げました。
 大衆とはいったい何だろう――道庵は、しきりにそれを考えながら、足を運び出しました。そこでひとりごと――
 大衆というのは「坊さん仲間」ということで、よくそれ、太平記などに一山の大衆とあるが、大衆が芝居をやるというのは解(げ)せねえ、坊さんが出て芝居をやるというのはわからねえ、いかに物好きな坊さんだって、芝居小屋を借りて、坊主頭を振り立てて踊ろうというほどの豪傑はなかろう。第一、それでは寺法が許すまい。狂言綺語(きょうげんきぎょ)といって、文字のあやでさえもよしとはしない仏弟子が、進んで芝居をやり出そうとは思われぬ。してみると、これはつまり、坊さん役のたんと出る芝居だろう。たとえてみれば道成寺といったように、坊主が頭を揃(そろ)えて飛び出す芝居かも知れない。そこで大衆演劇と名をつけたんだろう。そうに違いない。そうでなければ「かっぽれ」かな……喜撰(きせん)でも踊るのか知ら。
 この大衆の文字が、少なからず道庵先生をなやませました。
 そうだ――おれは大衆という文字を、一途(いちず)に坊さんの方へばかり引きつけていたのがよくない。外典(げてん)のうちに、つまり漢籍のうちにも、この大衆という文字はないことはなかろう。まてよ、いま、天性備えつけの百味箪笥(ひゃくみだんす)を調べてお目にかけるから――
 道庵先生は、自分の頭の中の百味箪笥をひっくり返して、しきりに調べにかかったが、結局、ドコかでその大衆という文字を見たことがあるように思いました。
 尚書ではなし、礼記ではなし、四書五経のうちには、大衆という文字はねえ……してみると、諸子百家、老荘、楊墨、孟子、その辺にも大衆という文字は覚えがねえが……でも、どこかで見たようだ。左伝か、荀子(じゅんし)か……
 実によけいな心配をしたもので、お手前物の百味箪笥の引出しをいちいちあけて、薬を調べるような心持で、僅か大衆の一句のために、道庵先生が苦心惨憺(くしんさんたん)をはじめました。
 宇治山田の米友においては、一向、そんなことは苦にしていない。
 彼は精悍な面魂(つらだましい)をして、多田嘉助が睨み曲げたという松本城の天守閣を横に睨み、
「何が何でえ、ばかにしてやがら」
という表情で、松本平の山河をあとにして歩みました。
 したが、しばらくあって、何に興を催したか、宇治山田の米友が、松本の町はずれで、ふと大きな声を出して、
十七姫御が旅に立つ
それを殿御が聞きつけて
とまれとまれと袖をひく
それでとまらぬものならば
馬を追い出せ弥太郎殿
明日は吉日、日もよいで
産土参(うぶすなまい)りをしましょうか
 宇治山田の米友が唄をうたい出したので、驚かされたのは道庵先生です。
「友様、お前も、唄をうたうのかい」
 大衆の空想も、なにもすっかり忘れて、道庵が驚嘆しました。

         二十四

 中房の温泉についた宇津木兵馬は、とりあえず宿について、様子を見たけれど、これぞと心当りの者もない。
 一軒の温泉宿が中房の総(すべ)てであります。
 どれを見ても、みんな素姓(すじょう)の知れたもの、ただ一組、駈落者らしいのがあるという話だから、それとなく探ってみると何のこと、田舎(いなか)の新婚の夫婦が他愛もなく、じゃれているだけのもの。
 とにかく、その夜を明かして翌日。兵馬は炉辺にいて、焚火にあたりながら、入れかわり立ちかわる人、といっても、そう多くの数ではないが、それをとらえて自分が主人顔に話をしてみる。この夏中からかけて入浴に来た客のそれぞれについて、探りを入れてみる。ついでにこの温泉や、附近の人情風俗を聞いてみる。
 内湯もある、外湯もある、蒸湯もある。リョウマチや、胃腸の病気や、労症(ろうしょう)や、脳病に利(き)き、婦人の病や、花柳病の類(たぐい)にも効があるということで、婦人客が意外の遠くから来て、長く逗留(とうりゅう)することもあるという。
 次にこの宿の設備を見ると、棟がいくつもにわかれて、室の数は五十以上もありそう。
 そのなかには、人のありそうでないのもあろう。なかりそうで隠れ療治を試みている者があるかも知れない。ことにこれから奥の野天にある蒸湯の設備は、熱泉のわき出すその上に、簾床(すどこ)をこしらえてよもぎを敷きつめ、その間を通してのぼる湯気で温まるところがあるという。そこへも一応行って見なければならぬ。
 程経て、兵馬はその炉辺を立ち、数多い棟々のいくつもの部屋を調べに出かけました。
 ほとんど全部が空いている時分でしたから、何の挨拶もなしに兵馬は障子をあけては、部屋部屋を見、また何の挨拶もなしに出て、五十余りと覚しき部屋の大部を検分してみましたけれど、どれも、これはと怪しむべきものは一つもない。
 ただふさがっているのが三つあって、その一つは長野あたりの夫婦者と、もう一つは松本辺の御隠居らしいのとで、なんら怪しむべきものはない。ただ、そのうちの一つに、人がいるのだか、いないのだかわからない暗澹(あんたん)たるものがありました。
 兵馬が、のぞいて見ると、蒲団部屋(ふとんべや)になっている。
 蒲団が山の如く積まれた中に、どうも気のせいか、人がいるように思われてならぬ。女中でもいるのかしらと最初は思いましたが、女中部屋は帳場から遠からぬところにあるし、第一、こんなかけ離れたところへ女を置くはずはない。では、夜番の者でもいるのか知ら。それもうけ取れない。
 兵馬は、ただその部屋だけに多少の心を残しましたけれど、一面に蒲団が積み込んであるのだから、それを押しくずしてまで侵入する気にはなれませんでした。
 いずれまた篤(とく)と……そこでまた炉辺へ帰って無駄話をしていると、ふと気がついたのは――もっと以前に気がつきそうなものであったのに――今になって気がついたのは、あがりはなに、隅の方へ押しつけられて、つづらが一つ置きばなしにされてあることです。あまり無造作に置き捨てられてあるから、それでかえって兵馬の気がつかなかったとも思われます。
 つづらといえば、どんな山の中にでも備えてある日用器具の一つだが、兵馬が特に見覚えのあるように感じたのは、そのつづらに巴(ともえ)の紋がついていることで、そうして、きのうの途中、四道将軍のような鎧武者(よろいむしゃ)がしょって、馬に乗ってまっしぐらに走らせたそれが、このつづらに似ている、いや、それに相違ないのだと兵馬は信じました。
 ところで、あれは例の八面大王に扮(ふん)したのが、古例によって、女を奪ってあれに入れて、この山へ来たのだ、そうして田村麿将軍の手でその女を取返されたのだ、ということになっている――ではひとつ、その納まりを聞いてみようではないか。
 それを聞いてみると、誰もとんと返事のできる人はない。
 第一、そんなお祭の古例をさえ知った者はない。このつづらにしてからが、誰が持って来て、誰が置きっぱなしにしておいたのだか、それすら満足な返事を与えるものがない。
 この上、尋ねるすべもなし、また必ずしも探求する必要もないので、兵馬は引返すうちに夜になりました。
 どてらを重ねて夜の寒さを防ぎ、人定まった後というけれど、昼のうちからほとんど人の定まったようなところを、兵馬は小提灯(こぢょうちん)をともして、ひとり廊下を歩いて、例の広い部屋部屋の外を通ってみました。
 しかし、かりそめの目的は、例の蒲団部屋にあるので、あの蒲団の砦(とりで)のうしろには、優に二人三人の人をかくし住まわすには余りがある、とこう睨(にら)んだのを見過ごすわけにはゆきません。
 ほどなく、その部屋の前に立って様子をうかがうと、これは意外千万――たしかにこの蒲団の砦のうしろあたりで火影がする。薄明りながら火をともして、その中に隠れている人があるらしい。
 さしったりと、兵馬は胸をおどらせました。そのまま、蒲団を押しくずして乱入しようかとさえ思いましたが、それでも前後を思案するの区別だけは残して、さて、中をつきとめるには、どういう手段を取ったらよいか。無茶に乱入すれば敵の備えがないともいえぬ。尋常に訪(おとの)うては、いよいよ敵に警戒を与えるばかり。雨戸越しにでもはいる手段はないかと、調べてみたが、これもおぼつかない。
 ぜひなく、兵馬は、この蒲団の砦(とりで)に向って正面攻撃を行うほかはないと思い、小提灯をたのみに、充分の用意をもって、一方から、その蒲団を崩しにかかりました。
 兵馬が、二三枚の蒲団を崩した時分に、中ではフッとその火影が消えてしまいました。ふき消したものに違いない。
 こちらの侵入を気取(けど)って、非常に狼狽(ろうばい)しているように思われる。狼狽したからとて、逃げ場はあるまい、はいるに不便なところは、出づるにも不便なはず。兵馬は、前以てこれを見届けておきました。
 そうして、一方の手で、ふとんのとりでを崩し崩して行く間に、洞然(どうぜん)として、遮(さえぎ)るもののなきところに達しました。
「だあれ!」
 暗い中で、狼狽しきった声は女でありました。兵馬はそれに答えないで、自分の手にある小提灯をつきつけて見ると、女が一人、枕屏風(まくらびょうぶ)の蔭にふとんから起きかかっている。そのほかには誰もいないようです。
「だあれ!」
と女はおどおどしながらとがめたけれど、存外、度胸があるのか、この不意の侵入者に対しても、世の常の女が騒ぐほど、騒いではいないらしいのが不思議です。
「あなた一人ですか」
と兵馬が言いますと、
「ええ、一人よ。なんだって、断わりなしにはいって来たの?」
 やはり女は悪びれずに、かえってこちらをとがめるだけの余裕さえあるのを、兵馬は案外の思いをしていると、
「あら、あなたは、あの浅間のあのお客様じゃなくって、まあ、この間は失礼致しました」
「おお、お前は、あの人か」
 その時の闖入者(ちんにゅうしゃ)は、ここでは地をかえてしまいました。
 闖入して来たのは宇津木兵馬であるが、その闖入に驚かされた人は、身なりこそ変っているが、あの手古舞の酔っぱらい芸妓に違いない。
 めぐりあうべき人にめぐりあわないで、めぐりあう必要がない人がついて廻る結果となる。
 兵馬は唖然(あぜん)として言うべき言葉を失いました。




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