大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 空の紅(くれない)の色は漸くあせてゆくと、黒の夕暮の色がそれを包んでゆく。ただ一本、すばらしく長い金色の光が、大山の上あたりまで、末期(まつご)の微光を放っているのが残るばかり。
 そこで清澄の茂太郎は、また踏みとどまって、あらん限りの声で歌い出した。
 音節が聞えるだけで、歌詞のわからないのは例の通り――
 ひとしきり、歌をうたうと、またも、西の空の残光に向って、まっしぐらに走り出す。行くことを知って、帰ることを知らないらしいこの少年にあっては、行くことの危険に盲目で、帰ることの安全が忘却される。
 それとも悪魔はよく児童をとらえたがる――鼠取りの姿を仮りて、笛の音でハメリンの町の子を誘い、それを悉(ことごと)くヴェゼルの河の中に落して溺れ死なしたこともある。天の一方に悪魔があって、無限に茂太郎を誘引するのかも知れない。

 果して、その日、晩餐(ばんさん)の席に、駒井の家には、新たに外来の漂泊の愛嬌者の来客を一人迎えたけれど――同時に、いつもいて食卓を賑わす一個の同人を失いました。
 迎えたのは、申すまでもなくマドロス氏、失うたのは、清澄の茂太郎。
 その席で、駒井は、幾度か茂太郎の身の上を心配したけれど、岡本兵部の娘は、一向それを苦にしない。
「あの子は、帰りますよ」
 この娘は、深山と、幽谷と、海浜と、人なきところを好む茂太郎を知っている。
 山に行けば、悪獣とも親しみ、海に入れば、文字通りに魚介(ぎょかい)を友として怖れないことを知っている。茂太郎の不安は、繁昌と、人気と、淫靡(いんび)と、喧噪(けんそう)の室内に置くことで、山海と曠野に放し置くことの、絶対に安全なのを知っている。
 さればこそ、さいぜんも、まっしぐらに砂浜を走る茂太郎を後ろから、最初のうちは呼んでみたけれども、ほどなくあきらめて、そのなすがままに任せてしまった。
 その晩餐の席には、料理方の金椎(キンツイ)も、平等に食卓の一方をしめ、お給仕役は岡本兵部の娘が代りました。といっても、兵部の娘もまた、平等に食卓の一部を持っているのだが、好意を以て金椎の労をねぎらうために給仕をつとめるものらしい。
 これによって見ると、いつもは、清澄の茂太郎もまた、お給仕役をつとめるのだろう。見たところ、田山白雲も、主人役の駒井甚三郎までも、ほとんどここでは、主客の隔てがないらしい。新来のウスノロ氏は、相変らずこの席の人気者でありました。
 兵部の娘に向って、頻(しき)りに面目ながって、ひたあやまりにあやまる形は、またかなり一座の者を喜ばせたようです。
 当の兵部の娘さえ、笑って問題にしないくらいだから、むしろ一種の喜劇的人物の点彩を加えたようなもので、この一座の藹々(あいあい)たる家庭ぶりの中に包まれてしまったようなものです。
 この新来客の姓名は、当人はトーマスとかゼームスとか名乗ったようでしたが、田山白雲は決然として、ウスノロがいい、ウスノロがいい、ウスノロ君と呼べばてっとり早くっていいではないか――と提案したが、それは少なくとも人格に関する、むしろマドロス君と呼ぼうではないか、と駒井の修正案が通過する。
 かくてこのままマドロス君は、駒井一家の家庭の人として包容されるらしいが、駒井甚三郎の心では、これはこれで、また利用の道がある、当分は造船工を手伝わせ――と心に多少の期待を置いているらしい。
 こうして席上はかなり陽気でしたけれど、ひとり、耳の聞えない金椎だけが心配そうに、手帳と鉛筆とを持って、岡本兵部の娘の前へ出て来て、
「茂ちゃんは、どうしました?」
と言いながら、手帳と鉛筆をさしつけると、兵部の娘は、直ちに鉛筆を取って認(したた)めました、
「海岸ヲ西ノ方ヘ向イテ行ッテシマイマシタ、ソノウチ帰ルデショウ」
 それを見ると、金椎の眉根(まゆね)が不安の色に曇り、思わず窓の外から海の方を見ますと、真の闇ながら、空模様が尋常でない。

         十九

 宇津木兵馬は、あすは中房(なかぶさ)の温泉に向けて出立しようと、心をきめて寝(しん)につきました。
 今頃、中房へ行くといえば、誰も相手にしない。案内者ですらも二の足を踏んで引留めるくらいだから、これはむしろ、誰にも告げないで、単騎独行に限ると思いました。
 仏頂寺らの豪傑連はどこを歩いているか、ほとんど寄りつかない。そこでこの連中とは同行のようなものだが、おのおの自由行動を取っているのだから、断わる必要はないようなものの、一応は置手紙をしておこう――それと、防寒の用意だけは多少して行かねばならぬ。場合によっては食糧も――そこで兵馬は、明日出立のことを考えて、今や眠りに落ちようとする時、廊下をバタバタと駈けて来て、兵馬の部屋の障子に手をかけたものですから、ハテ、仏頂寺が帰ったのか知ら、それにしては変な足音だ。
 ハッと、眼がさめた。
 では女中だろう――それにしても女中ならば、いくらなんでも、もう少ししとやかでなければならぬ。寝ついているお客の座敷へ来るには、一応の挨拶もあるべきものを、バタバタと駈けて来て障子へ手をかけると、早くもそれを引開けて、なんにもいわずに勢いよく闖入(ちんにゅう)したものですから、兵馬もこれは変だと思いました。
 こういう場合においての兵馬は、金椎(キンツイ)と違う。
 兵馬は、不具でない耳を持っていると共に、敵の動静に対しては極めて敏感なる武術の修養を持っている。
 何者の闖入者(ちんにゅうしゃ)が、いかなる場合に来ても、よし熟睡中に来ても、うろたえないだけの心得はある。だから、おのれを守る意味においては、金椎あたりとは全然比較にならないのです。
 ハッと眠りをさまして、半眼でもって、早くもその闖入者の動静を見て取ってしまいました。
 ところが、この闖入者もまた、金椎の場合におけるものとは全く挙動も、性質も、違っている。
 あの時のように、一応、外からのぞいて見たり、おとのうてみたりして、おもむろに闖入に取りかかるというのではなく、バタバタと駈けて来て、いきなり障子をあけて、一言もなしにズカズカと人の座敷へ入り込むのだから、かなり大胆なものです。
 けれども、この大胆者は、兵馬を怖れしめないで、驚かせるには驚かせたが、むしろ唖然(あぜん)として、あきれ返るように、驚かせたのです。
 この闖入者は、赤いひげのマドロス氏とは違って、艶(えん)になまめいた女でありました。
 それは特にめざましいもので、男髷(おとこまげ)にゆって、はなやかな縮緬(ちりめん)の襦袢(じゅばん)をつけた手古舞姿(てこまいすがた)の芸者でありましたから、兵馬といえども、呆気(あっけ)に取られないわけにはゆきません。
 ははあ、今夜はお祭で、手古舞が出て大騒ぎであった。だが、手古舞がここへ舞い込んで来るのは、どうしたことの間違いだ。
 兵馬は寝たままで半眼を開いて、非常な驚異で、手古舞の挙動を注視していると知るや、知らずや、手古舞の無遠慮はいよいよ甚だしいもので、いきなり、火鉢のところへ来てべったりと坐ってしまい、右の手で火鉢の上の鉄瓶を取ると、左の手で湯呑をひっくり返し、もうさめてしまった鉄瓶の湯を、その湯呑の中につぐと、仰向けにグッと傾けてしまいました。
 遠慮のない奴もあったものだな、兵馬は呆(あき)れながら、なお油断なくその挙動を注視していると、お湯を飲むこと飲むこと、立てつづけに、何杯も、何杯も、あおりつけて、忽(たちま)ち鉄瓶を空(から)にしてしまいました。鉄瓶が空になったと見ると、それを下へ置いて、ゲッという息をついて、トロンとした眼で室内をながめて、ぐったり身体(からだ)を落ちつけているところ。
 ははあ、酔っているな、酔って、戸惑いをしたな。
 本来ならば兵馬は、そこで穏かに警告を与えて立退きを命ずべきはずであったが、放って置いても、やがて当人が気がついた時は、いわれるまでもなく、ほうほうの体(てい)で立退くだろうと、タカをくくったものらしく、だまって女のなすがままに任せていると、
「房ちゃん、いいかげんにしてお起きなさいよ、花ちゃんのお帰りよ、お起きなさいな」
と言いました。
 それでも返事がないものだから、女は、
「狸をきめても知らないよ、ほんとに独(ひと)り者(もの)はいい気なものさ」
 まず、自分がどこへ来ているのか、お気がつかれぬらしい。
「ほんとに疲れた、わたし、こんなに疲れたことはないわ、こんなにお酒を飲ませられちゃったの……房ちゃん、後生(ごしょう)だから、起きて介抱しておくれな」
 それでも、まだ返答がない。
「なんて不実な人でしょう、いったい、独り者なんて、みんな不実に出来てるのよ、起きないと承知しないよ」
 この分では起しに来るかも知れないと、兵馬はヒヤリとしたが、これは女の虚勢で、口さきだけのおどしに過ぎないものだから安心する。
 その時、女がしきりに畳の上を撫で廻しているのは、多分、煙草がのみたくなって、煙管(きせる)をさがしているものらしい。ところが、なかなか手にさわらないものだから、じれったがり、
「ああ、つまらない、せっかく帰って来ても、お帰りなさいと言ってくれる人はなし、お湯(ぶう)は冷めきってしまってるし、煙草まで隠してしまわなくってもいいじゃないの」
 何かにつけて突っかかりたがる。これは、したたかに酔っぱらっている証拠である。兵馬は厄介者が舞い込んだなと思いました。
 しかし、警告を与えて立退きを命ずるより、当人の気のつくまで待った方が世話がないと、身動きもしないで寝ていると、この闖入者(ちんにゅうしゃ)は、金椎(キンツイ)をおびやかした者よりも遥かに気が強く、トロンとした眼を兵馬の寝ている方へ据えて、
「お起きよ、房ちゃん――今日のお祭に、面白い弥次馬が出たことよ、妙なおじいさんが飛び出して来てね、すっかり世話を焼いちまったの、ずいぶん皮肉なおじいさんよ、それでも、なかなか言うことが通っているから、油断がならないのさ。それともう一つ面白いことはね……お聞きなさいよ、起きてお聞きなさいてば。若いくせに、何だってそう早寝ばっかりしたがるの、寝られないような苦労もしてごらんな、若いうちはさ――その代り、寝られないようなうれしい思いもさせて上げるからさ。一年に一度のお祭じゃないの、夜どおし起きて騒いだって、罰(ばち)は当るまいじゃないか。狸をきめたってわかってることよ、くすぐって上げるよ、それでも起きなけりゃ、ツネって上げることよ、それがイヤなら、素直にお起き」
 今にも飛びついて来るかと思うと、やはり口先だけの虚勢で、頭をぐったりと火鉢の前に下げてしまい、やがてそれが横向きになると、火鉢のふちへひじを置いて、頬杖(ほおづえ)をついて、息づかいが極めて静かなものになりました。
 急におとなしくなったものだから、兵馬も、いっそう張合いが抜けて、まあ邪魔にもならないのだから、そのままにという気になって、自分は、寝返りを打って寝入ろうとしたが、そうは急に眠れない。
 そのうち、急におとなしくなったかの女が、いよいよおとなしくなったものですから、もしやと思ううちに、スヤスヤと眠りに落ちた息づかいですから、
「おや、おれより先に寝ついたのか」
 兵馬は驚いて、枕をそばだてて見ると、女は畳の上に腕を枕にして、いい心持で横になっている。こうなっては仕方がない、ゆり起して帰すよりほかに手段がないと、帯引きしめて兵馬は起き出して来ました。
 前後も知らず寝込んでしまっている女を兵馬が見ると、さまで醜いとは思いませんでした。本来、女の酔っぱらいほど醜いものはないのに、これは醜いというよりはかえって、絢爛(けんらん)にして、目を奪うという体(てい)たらくです。
 友禅というのか、縮緬(ちりめん)というのか知らないが、これは、眼のさめるほどの極彩色のいしょうをつけて、無雑作(むぞうさ)に片はだぬぎの派手な襦袢(じゅばん)の、これ見よがしなのも、そんなにキザとも思われず、つやつやした髪を、男まげに雄渾(ゆうこん)に結い上げたところもいや味にはならず、なんだか豪侠な気が胸に迫るようにも思われます。
 それに、こってりと濃い化粧をした女の顔も、吉原あたりで見る鉄火(てっか)のようなところもあって、年も二十を幾つか越したぐらいのところ、芸者としては、今を盛りの芸者ぶりで、立派に江戸芸者で通るほどの女でありましたから、兵馬も一時はあわてました。
 やがて、そばへよって、女の肩のところに手をかけて、
「もし、起き給え!」
と軽くゆすりましたが、女は少しもこたえがありません。
 さんざんに疲れた上に、充分に酔っている。酔って、場所の見さかいのないほどになっているのだから、手ごたえのないのも無理はあるまい。
「起きなさい!」
 そこで、兵馬は、二度目には、以前より手づよくゆすってみました。
 でも、ちょっと女が眉(まゆ)のあたりを動かして、口をゆがめただけで、さっぱり手ごたえがありません。この上は、手荒くたたき起すか、そうでなければ、さいぜんこの女が威嚇(いかく)したように、急所を突ッつくか、痛いところをツネるかしないことには、お感じがあるまい。
 兵馬は、この女から、起きろ起きろと威嚇されたことを、今度は自分の方から試みて、どうでも、この女の目をさまさせねばならぬ立場に変ったことを、笑止がらずにはおられません。
 しかし、ツネったり、ひっかいたりすることは、兵馬の得意とするところではありません。やむなく、正攻法によって、以前より強い刺戟を与えて、驚かすよりほかはなく、
「さあ、起き給え!」
 これでもかと、兵馬は思いきって力を入れて女をゆすると、さすがに、女も夢を驚かされました。
 その機会をすかさず二三度突くと、女はようやく頭を起して、酔眼を見開いて、どこともつかずうちながめているから、
「ここは君の来るべきところではない、起きて帰りなさい」
 兵馬は、そこで手をゆるめて、忠告を加えたが、酔眼と、ねぼけまなこで見返した女の心には、まだなんにもハッキリした観念がうつらないらしい。そうしてものうげに、
「いいのよ、いいのよ」
といって、またも、ひじ枕で横になろうとするから、兵馬はあわてて、
「いけない、眠ってしまってはいけない!」
「うッちゃっといておくれ、かまわないから――」
 こちらで言うべきことを、あちらで言って、女はまた寝込んでしまおうとするから、兵馬は荒々しく、
「しっかりし給え!」
 荒々しく、じゃけんに女を動かして、寝つかせないものだから、女もたまらなくなり、じれったそうに、
「意地が悪いねえ、こんなに眠いんだから、寝させたっていいじゃないの?」
 それをも頓着なしに、兵馬は、
「起きろ、起きろ!」
 ちっとも、惰眠(だみん)の隙を与えないものだから、女は、むっくりと起き上りました。
 ああ、気がついたか、世話を焼かせる女だ――と、やっと少し安心していると、起き上った女は、酔眼もうろうとして座敷の中をながめていたが、
「ああ眠い……」
と言って、脱兎(だっと)のように兵馬の寝床へもぐり込み、夜具をかぶってしまいました。
 ああ、これでは、また虎を山へ追い込んだようなものだ。
 ああ、手がつけられない! 兵馬も、うたた感心して、闖入者(ちんにゅうしゃ)というものの扱いにくいことを、今更しみじみと身に覚えたのでしょう。
 この闖入者は、食に飢えたのではない、眠りに飢えているのだ。色欲よりは食欲、食欲よりは睡眠欲が、人間に堪え難いと聞いた。
 自分の寝床へもぐり込まれてしまって、兵馬は、唖然として舌をまいたけれども、こうなってみると、かえっておかしくもあり、同情心も出て来るので、この上にいっそう荒々しく、夜具を引きめくって、女をつまみ出そう、という気にはなれません。
 かえって、まあ、寝るだけ寝させておいてやれ、という気になりました。
 兵馬には、人に同情し易(やす)い癖がある、癖というよりも、これは徳といってしかるべきものかも知れない。自分の足場のかたまらないうちに、他に対しての同情は禁物――とそれは兵馬も充分に心得ておりました。
 充分に心得ながら、ツイ吉原へ足が向くようになったのは、そもそもこの同情がいけなかったのだと、のぼせきっているうちにも、よくその理解はついておりました。
 今だって、そうです。
 酔っぱらいは嫌いである。男の酔っぱらいでさえ、醜態と思っている兵馬が、女の酔っぱらいというものを、この世における最も醜いものの一つに数えたいのは、あながち潔癖とばかりも言えますまい。
 だが、こうして、ころがり込んでみると、それをひっとらえて面罵(めんば)をこころみたり、たたき出したりするような気になれないことが、自分の弱味だと思わないでもない。人に言わせれば、相手が相手だから、それでのろいのだと笑うかも知れない。
 さて、女の酔っぱらいを醜態の極として、日ごろ、排斥(はいせき)はしていながら、こうして見ると、やはり一種の同情が、兵馬の胸には起るのを禁ずることができません。
 どのみち、こういった社会の女だから是非があるまい。自分が嫌いでも、客のすすめで飲ませられることもあるだろう。
 またなかには、酒でも飲んで心を荒(すさ)ましておかなければ、たまらない女もあるだろう。
 どのみち、好んでこういう社会に入りたがる女ばかりあるものではないから、ここに来るまでには、それぞれ相当の身の上を以て来たのだろうから、それをいちいち、きびしい世間の体面や礼儀で責めるのは、責めるものが酷である。
 むしろ、こうして、前後もわからないほどに酔っぱらって、人の座敷へころがり込み、人の寝床へもぐり込んで寝てしまうようなところに、たまらない可愛らしさがあるではないか――世間の娘や、令嬢たちに、こんな振舞をしろといってもできまい。それを平気でやり通すようになっているところに、無限のふびんさがあるではないか。
 奥深いところにいる――奥深いところでなくても、普通のいわゆる良家の女性には、どんなにしても、そうなれ近づくわけにはゆかないが、この種類の女に限って、いかなる男子をも近づけて、その翻弄(ほんろう)をさえ許すのである――その解放と、放縦(ほうじゅう)によって、救われなかった男性が幾人ある?
 兵馬は、この種類の女を憎いとは思わない。それは清純なる男子の、近づくべからざる種類のものであるとは教えられていながら、今までも、さのみ憎むべきゆえんを見出せなかった。
 だから、ここでも、その睡眠を奪う気にはなれず、よしよし、このまま寝るだけ寝かしておけ、寝るだけ寝たあとは、さめるまでのことだ。こよい一夜は、自分の寝床を犠牲にしたところで、功徳(くどく)にはならずとも、罰は当るまい。
 兵馬もこのごろは、世間を見ているから、それとなく粋を通すというような、ユトリが出来たのかも知れません。
 そこで女は寝るままに任せて、自分は荷物を枕に、合羽(かっぱ)を引きまとうて、火鉢のそばへ横になりました。

         二十

 夜が明けると、兵馬は早立ちのつもり。
 女はそのままにして置いて、出立してしまおうと、まだ暗いうちに浴室まで出かけました。
 ところが、その浴室には、もう朝湯の客が幾人かあって、口々に話をしている。
 それを兵馬が聞くと、意外でした。
 その浴客らの噂(うわさ)は、昨晩、芸者の駈落(かけおち)ということで持切りです。
 はてな、と兵馬が気味悪く思いました。
 聞いていると、松太郎という江戸生れの芸者が、昨晩、急に姿を隠してしまったということ。
 宵のうちは手古舞に出て、夜中過ぎまでお客様と飲んでいたのを見たということだから、逃げたのなら、それから後のことだという。
 そこで兵馬が思い当ることあって、なお、その噂に耳を傾けていると、その芸者の身の上やら、想像やら。
 その言うところによると、松太郎は江戸の生れで、この地へつれて来られたのは二三年前であったとのこと。
 旦那があって、自由にならなかったということ。
 それで、少し自暴(やけ)の気味があって、お客を眼中に置かないような振舞が度々(たびたび)あったが、旦那というのは、それの御機嫌をとるようにしていたということ。
 こっちへ来るまでには、相当の事情があったのだろうが、来た以上は、当人も往生しなければならないと知って、わがままではあったが、お客扱いは悪くはないから、熱くなっているものが、二人や三人ではなかったということ。
 それでもまだ、旦那のほかに、男狂いをしたという評判は聞かない。
 だから、今度のも男と逃げたのではあるまい、土地がイヤになって、江戸が恋しくなったのだろうという想像。
 いや、旦那というのが、しつこくて、わからず屋で、その上に焼き手ときているので、それで松太郎がいや気がさしたのだろうという。
 そうではない、それほどのわからずやでもない、かなり鷹揚(おうよう)なところもあって、松太郎も何か恩義を感じていたと見え――松太郎自身も、近いうちにこの稼業(かぎょう)をやめて、本当のおかみさんになるのだ、とふれていたこともあるのだから、まんざらではあるまい。嫌って逃げたわけでもあるまい。しかし、ああいった女は当てになるものじゃない。とうの昔に、男が来て、しめし合わせておいて、ゆうべのドサクサまぎれに、首尾よく手を取って逃げたのだろう――その男の顔が見てやりたい、土地の者じゃあるまい、江戸の色男だろう――と、指をくわえる者もある。
 そこへ三助がはいって来て、旦那なるものの噂(うわさ)になると、兵馬をして全く失笑せしめる。
 ゆうべ、女に逃げられたと気がついた旦那なるものの、血眼(ちまなこ)になって、あわて出した挙動というものが、三助の口によって、本気の沙汰(さた)に聞えたり、冷かしにされたり、さんざんなものとなる。
 ははあ、眠るということは大した魔力だ。白隠和尚は船の中で眠って、九死一生の難船を知らなかったというが、自分は眠ってしまったから、昨晩あれからその旦那なるものの、うろたえ加減、血迷い加減、また上を下へと、その逃亡芸者を探しまわった人たちの狂奔(きょうほん)というものを、全く知らなかった。
 聞くところによると、その旦那なるものは、半狂乱の体(てい)で、自分が先に立ち、人を八方に走らせて、くだんの芸者の行方(ゆくえ)を探索させたのだそうな。お義理で、ここのうちの雇人たちも、朝まで寝られなかったとのこと。
 しかし、その結果は絶望で、可愛ゆい芸者の行方は、どうしてもわからない。
 手のうちの珠(たま)をとられた旦那というものの失望落胆は、ついに嫉妬邪推に変って、誰ぞ手引をして、逃がした奴があるに違いない、そうでなければ、これほど手際よく行くはずがない――見ていろ、と自暴酒(やけざけ)を飲んで、焦(じ)れているということ。
 兵馬は浴衣(ゆかた)を手に通しながら、苦笑いを禁ずることができません。

 兵馬は異様な心持で、浴室から自分の座敷へ帰ろうとするその廊下の途中で、また一つの座敷から起る噪音(そうおん)に、驚かされてしまいました。
 その座敷の中で、俄(にわ)かに唄(うた)をうたい出したものがあるのです。多分それは寝床の中にいて、宿酔のまださめやらない御苦労なしの出放題(でほうだい)だと思われますが、
ヤレ出た、鬼熊
ソレ出た、鬼熊
そっちを突ッつけ
こっちを突ッつけ
そっちでいけなきゃ
こっちを突ッつけ
こっちでいけなきゃ
そっちを突ッつけ
ヤレ出た、鬼熊
ソレ出た、鬼熊
ヤレソレ、鬼熊
ドッコイ、キタコリャ
 図抜けた声で唄い出したものがありましたから、通りかかった兵馬が、その声に驚かされたのです。しかし、兵馬は、ただ驚かされただけではなく、その早朝からばかばかしい図抜けた声に、何か聞覚えがあるように思われるのも、いっそう兵馬を驚かしたことに力があったかも知れません。
 さりとて、わざわざ障子をあけて、その図抜けた唄の主の首実検(くびじっけん)をしなければならないほどに聞き慣れた声でもありませんでしたから、これにも一種異様のおかしさをこらえて、そのままおのが座敷の方へと足を進ませてしまいました。
 兵馬が驚き、また何となしに記憶を呼び起され、ついに一種異様のおかしさを感ぜしめられたのも道理、この声の主こそは、すなわち有名なる道庵先生でありましたのです。
 ですから、もう少し何とかすれば、兵馬も、先生に顔を合わせることができて、お互いに知らない間柄でもないから、これはこれはと、額に手をおいて、それからお互いに、多少実になる話があったかも知れません。
 もとより、道庵先生も、そのことは知るに由なく、今や蒲団(ふとん)の中に仰向けになって、起きもやらず大声で、ただいまの、「ヤレ出た、鬼熊」をやり出したのであります。

 ここに道庵先生が呼ぶ「鬼熊」というのは、大正昭和の頃、千葉県なにがし村に出没した悪漢をさしたのでないことは無論、また道庵先生自身の頭が、タガというものがゆるみきって、底知れずにダラけきってしまったものだから、ついこんなことを口走るようになったというわけでもなく、別にその時代にも、鬼熊という名物が確かに存在していたのであります。
 それを嘘だと思うものは、当代の鬼熊が活躍した、その同じ千葉県の成田の不動堂へ行ってごらんなさるとわかります。かしこには立派に、その時代の鬼熊の額がかけてある。
 その時代の鬼熊は、現代の鬼熊のように兇暴ではなかったが、力量はたしかに、現代の鬼熊以上でありました。
 これは、今日でも実見した人があるかも知れない。
 神田鎌倉河岸の豊島屋の「樽転(たるころ)」から出た鬼熊は、何代目とつづいて、酒樽をてまりの如く取って、曲持(きょくも)ち、曲差(きょくさ)しを試むる。
「新し橋」の附近には、「何貫何百目何代鬼熊指(さす)」とほった大石がころがっていたはず。醤油樽(しょうゆだる)一つずつを左右の手にさげ、四斗樽を一つずつ左右の足にはいて、この鬼熊が、柳原の土手を歩いたことがある――見るほどの人が、その樽を空(から)だろうと疑って調べてみると、空どころではない、豊醸(ほうじょう)の新味が充実しきっている。力持の見世物に出ても、鬼熊が大関でありました。

 道庵先生が、ヤレ出た鬼熊、ソレ出た鬼熊、そっちを突ッつけ、こっちを突ッつけ、また出た鬼熊――との蒲団の中から首を出して騒いでいるのは、その鬼熊が、こちらへ興行に来たのかも知れない。それを聞流しにして、おのれが部屋に戻った宇津木兵馬。
 例の女はまだよく寝ている。眼をさまさせないように、充分寝るだけ寝させておくように、兵馬はなるべく音を立てないで、出立の身仕度にかかりました。
 しかし、兵馬のこの心づかいも忽(たちま)ち無駄になってしまい、女ははからず目をさましました。
 目をさました当座は何でもなかったが、枕ざわりが変だと、それから気がついたのでしょう、急に飛び起きて、
「あら!」
 その驚き加減というものはありません。
 これは気の毒なことをした、と兵馬をしてヒヤリとさせたほどです。
「まあ、わたし、どうしましょう?」
 飛び起きて、そこに脚絆(きゃはん)をつけているところの兵馬を見る。
「まあ、どうして、わたし、こんなところへ来てしまったのでしょう?」
「ハハハハ……」
と兵馬が笑う。女は笑うどころではない、唇まで蒼(あお)くなっている。
「御免下さいまし、ほんとうに済みません」
「いや、いいですよ、ごゆっくりお休みなさいまし」
「存じませんものですから……」
 女は飛び起きて、なりふりを直しにかかると、兵馬は、
「みんな、大へん心配したそうですよ」
「ああ、わたしとしたことが……つい酔ったものですから、あなた様にも、どんな失礼をしたかわかりません」
「不意にここへ君が来たものだから、多分、部屋違いだろうと思って、帰るように忠告したのだが、君がきかない」
「ああ、悪うございました」
「君がきかないでいるうちに、ここへ、この畳の上へ寝込んでしまうから、見兼ねて、拙者が起しに来ると、早くも拙者の寝床を奪って、君が寝てしまった」
「済みません、済みません」
「その時、無理にでも起せば起すのだったが、それほど眠いものをと気の毒に存じ、そのままにして、君をそこへ寝かしておいて、拙者はここへゴロ寝をしてしまったよ」
「ま、何という失礼なことでしょう、これというのもお酒のせいです、もう、わたし、これからお酒をやめます、一滴もいただきませんから、どうぞ御勘弁下さいまし」
「酒は、やめた方がいいな……」
「のちほど、またお礼に出ますから……」
と、なりふりを直した女は、蒼(あお)くなって恐れ入ったり、恥入ったり、ほとんど前後も忘れて、駈け出そうとするから、
「まあ、お待ちなさい」
 兵馬は脚絆(きゃはん)を結びながら、呼び留める。
「ほんとに、あなた様なればこそ、こんなに御親切にして下さいました、ほかのお方でしたら、わたしはどんな目に逢っていたかわかりません」
「いや、それがかえって仇(あだ)となるようでは、お互いに困るから、気をつけて帰り給え、君の旦那というのが、非常に腹を立っているそうだ」
「そうかも知れません」
「ただいま、浴槽(ゆぶね)で聞いたのだが、昨晩は君の姿が見えないために、総出で探し、どうしてもわからないから、君は駈落(かけおち)をしてしまったものときめているらしい」
「え……?」
「だから、そのつもりでお帰りなさい、事がむずかしければ、拙者が行って、証人に立って上げるから……」
「そうかも知れません。そうだとすれば、わたしは、ヒドい目に逢わなければならないかも知れません。ああ、どうしたらいいでしょう。でも、帰らなけりゃならないわ」
「もし、事が面倒になったら、お知らせなさい」
 驚きあわてて出て行く芸者の後ろ姿を見て、兵馬は笑止(しょうし)の至りに堪えません。
 そこで兵馬は、早立ちをすべきはずのを、わざとゆっくり構え込んで、朝飯を食べました。
 何か苦情が起った際には、あの女のために、証人に立つべき義務があると思ったからです。
 しかし、幸い、別に問題は起らないと見えて、出て行ったきり、音も沙汰もありませんから、話というものは、すべて大仰なものだ、噂(うわさ)によると、あの旦那なるものは、生かすの、殺すのと、騒ぎ兼ねまじき話であったが、なんの、ことなく納まったところで見ると、すべて、女にのぼせる男というほどのものは、のろい者で、女が眼前へ現われて、泣いたり、あやまったりしようものなら、忽(たちま)ち軟化してしまう。その旦那なるものも、忽ちぐんなりと納まったのだろう。それならば結句仕合せであると思いました。
 兵馬は、そのあられもなき艶罪(えんざい)をおそれていたのは、以前紀州の竜神でも、そんなことから、痛くもない腹をさぐられた経験があるので、いささか取越し苦労が過ぎたもののように感じながら、食事を済ましてしまいました。そうして、無事に浅間の宿を立ち出で、松本の市中に入ると間もなく、兵馬は、仏頂寺弥助と、丸山勇仙とが、勢いよく談笑しながらやって来るのを遠くから認めて、場合が悪いと思いました。
 ここで見つかってはまずいと思ったものですから、知らない顔で、やり過ごしてしまおうと、自分は道の右側を小さくなって通ると、幸いに、仏頂寺も、丸山も、談笑の方に気を取られて、兵馬あることに気がつかず、難なくやり過ごしてしまいました。
 やれ、安心と兵馬は、やり過ごして暫くしてから見送ると、仏頂寺は兎、丸山は雉子(きじ)を携えていました。
 あの連中、どこぞ押しかけ客に行って、みやげ物をもらって、早朝から御機嫌よく帰るところを見ると、その到着先は浅間の宿にきまっている。いいことをした。出立が、もう少し遅れようものならば、あの連中につかまって迷惑をするのだったに、まあよかったと思いましたが、同時に、昨晩帰ってくれないでなおよかったとも思います。
 昨晩、もし仏頂寺、丸山らがいあわせたところへ、あの女が飛び込んで来たならば、事は無事に納まらないと思い来(きた)ると、兵馬は怖れて、かえってあの女のために、幸運を賀するような気持になります。
 全く、その通り。かりに二人がいたところへ、あの闖入者(ちんにゅうしゃ)があったとしたら、そうして、あの女が、あのわがままを働いたとしたらどうだろう。
 もしまた兵馬がいないで、仏頂寺と、丸山だけがいる座敷へ、あの女が飛び込んでしまったらどうだろう。
 それは想像するまでもない。自分の寝床を明けて女に与え、自分は畳の上に寝て一夜を明かすというような寛容な光景が見られるものか、見られないものか。
 鴨が葱(ねぎ)を背負って飛び込んで来たようなもので、二人のために、うまうまと食われてしまうのは、眼に見えている。
 あれで済んだのは、自分のためにも、ことに女のためにはドレほど幸運であったか知れないと、兵馬は、二人の後ろ影を見送りながら、気まぐれな、酔っぱらい芸者のために、心ひそかに祝福しました。
 行き行きて、町のとある辻まで来た時分、そこに一つの立札があるのを認め、兵馬が近寄って、それを眺めると、
「信濃国温泉案内」
とあって、松本を中心としての、各地の温泉場までの里程、道筋が、絵図まで添えて、かかげてある。
 時にとっての好(よ)き道しるべと、兵馬は余の方面はさておき、自分の目的地方面をたどると、はしなくもそこに一つの迷いが起りました。
 わが行手にあたって、同じく西の方の大山脈のふところに、少なくとも二つの主なる温泉がある。
 右なるは、現在目的とする中房の温泉。
 左なるは「白骨」と書いてある。
 兵馬はそれを、ひとたびはシラホネと読み、再びはハッコツと読みました。

         二十一

 案の如く仏頂寺、丸山の二人は、宇津木兵馬が立去ってしまったあとの、同じ座敷へ帰って来ました。
 そこで、机の上にあった兵馬の置手紙を見て、はアとうなずいたきりで、深くは念頭にとめず、やがて、御持参の雉子(きじ)で酒を飲みはじめたようです。
 この連中は、人生の離合集散も、哀別離苦も、さのみ問題にはしていない。きょうあって、あすはなき命と、覚悟はきまっている、そうして、あすは鴉(からす)がかッかじるべえ、ともいわない。感傷がましい言葉が、あえて彼等の口の端(は)に上るということを知らないほど、無感覚に出来ているらしい。
 ところが、ここに一つの悪いことは、兵馬の取越し苦労が、この時分になって漸(ようや)く利(き)き目を見せたことで、利き目の見えた時分は、相手が悪くなっていました。
 仏頂寺と、丸山とが、こうして仲むつまじく、一つ鍋を突ッつき合っているところへ、喧嘩を売りに来た奴があるのだからたまらない。
「まっぴら、御免なせえまし」
というすご味を利かせたつもりなのが、目白押しになって、不意に押しかけて来ました。
「ナ、ナンダ?」
と鍋の中へ箸(はし)を半分入れながら、仏頂寺弥助が睨(にら)み返すと、
「旦那方、御冗談(ごじょうだん)もいいかげんになすっていただきてえもんでございます」
 そいつらがズカズカとはいって来て、膝ッ小僧をズラリと、仏頂寺、丸山の前へ並べたものですから、なんじょうたまるべき、
「何が、どうした!」
「御冗談もいいかげんになすっていただきてえもんでございます」
「何が、何だと!」
「へへへへ、ごじょうだんもいいかげんになすっていただきてえもんで。そんなこわい目をしたって、驚く兄さんとは兄さんが違いますよ、旦那方!」
「何が、何だ!」
 仏頂寺が、こぶしを膝において向き直る。丸山勇仙も肉をパクつきながら、途方もない奴等が舞い込んだものだと思いました。だが、いっこう両人ともに、事の仔細がわからない。
 こいつ、あの芝居の場の狼狽(ろうばい)を根に持つ奴が、ならず者を廻したのだろう……と一時はそうも思いましたが、それとは、少しどうも呼吸(いき)が違うようだ。
 そこで、仏頂寺ほどの豪傑も、まず手が出ないで、何が何だと、煙(けむ)にまかれたような有様でいると、
「おトボけなすっちゃいけねえ、人の大切(だいじ)の玉を、さんざんおもちゃにしておいてからに……」
と並べた膝ッ小僧を、一斉に前へ進めるものですから、仏頂寺弥助が、
「誰が、玉をおもちゃにしたというのだ。いったい、貴様たち、断わりもなく他人の室へ闖入(ちんにゅう)して、その物のいいザマは何だ」
と言いながら、箸をおいて火箸を取ると、鍋の下にカンカンおこっている堅炭の火を一つハサんで、いきなり、それを一番前へ乗り出していた膝ッ小僧へ、ジリリと押ッつけたものだから、
「あつ、つ、つつ……!」
 その奴(やっこ)さんが、ハネ上って熱がりました。で、その騒ぎの納まらないうちに、仏頂寺は、
「こいつも、少し出過ぎてる!」
といって、もう一人並んでいた奴さんの、今度は膝ッ小僧ではなく、額のお凸(でこ)へその火を押ッつけたものだから、同じく、
「あ、つ、つ、つ、つ……」
といって、飛び上りました。
「この野郎、もう我慢ができねえ」
 余の奴さん連が、仏頂寺をなぐりにかかるのを、仏頂寺は左の手で膝元へ取って押え、その腕をしっかり膝の下へ敷き、片手では例の堅炭の火を取って、その奴さんの小びんの上へおくと、毛と、皮とが、ジリジリと焦(こ)げてくる。
「あ、つ、つ、つ、つ……!」
 これは動きが取れないから、焼穴が出来るでしょう。
 そこで、宿の亭主が飛んで出るの幕となりました。
 何はトモあれ、取押えられている者のためにおわびをして、執りなしをして、助けておいてからのこと。
 亭主が口を尽してわびるので、仏頂寺は、焼穴をつくるだけは見合せて、火箸を灰の中に突込み、
「亭主、よく聞きなさい、われわれ二人は昨晩、城下のあるところへよばれて御馳走になり、今朝戻って、この座敷で二人水入らずに酒を飲んでいるところへ、こいつらが、いきなり闖入(ちんにゅう)して来て、われわれの前へ、その薄ぎたない膝ッ小僧を並べるのだ……いったい、こいつらは何者で、何しに来たのだか一向わからん。また、こいつらの言うことが、ガヤガヤ騒々しいばかりで、何を言っているのか一向わからん……ただ、無暗にこの薄汚ない膝ッ小僧を、せっかくわれわれがうまく酒を飲んでいる眼の前へ突き出すから、いささか折檻(せっかん)してやったのだ。お前の顔に免じて、このくらいで許してやるまいでもないが、いったい、何の恨みで、われわれに喧嘩を売りに来たのだか、亭主、そこでお前からよく問いただしてみてくれ。そうして、本人がなるほど悪いと気がついたら、あやまるがよかろう」
 仏頂寺からこう言われるまでもなく、仲裁に出る時に、もう亭主はそれを気がついていたので、この奴等が、たのまれておどしに来た当人は、もうすでに立ってしまったのだ。
 ここへ、あの芸者がころがり込んで、一夜を明かして、泣き出しそうな顔で立去ったことを、亭主は、知って知らない顔をしていたのだ。
 昨夜、あれほど探したのに出て来ないで、今朝になって早く飛び出したのは、どういうわけだか、これは亭主は知らないが、とにかく、この座敷へ昨晩泊ったことは確かである。
 さあ、この後日に間違いがなければいいがと、ヒヤヒヤしているうちに、この座敷の主人、すなわち兵馬は無事に出立してしまったから、まあよかった、どう間違っても、当人さえ出て行けば、相手のない喧嘩はできないのだから、まあ何とか納まるだろうと、ホッと息をついているところへ、仏頂寺らが帰ったものだから、また新たな心配が起らないでもありません。
 それに心を残して髪結(かみゆい)に行っている間に、この騒ぎが持上って、人が迎えに来たものだから急いで駈けつけて見ると、果して、こんなことになってしまっている。
 まあ、まあ、といって、その膝ッ小僧連をつれ出して、委細を言って聞かせ、お前たちが喧嘩を売りに来た当の相手は、モット若い人で、それはもう立去ってしまい、今いるのは、昨日はよそへ泊り、今朝あの座敷へ戻ったばかりの別の人である。お前たち、何というそそっかしいことだ。喧嘩を売る前に一度、わたしに相談をかけたらいいじゃないか。飛んでもない相手に喧嘩を売りかけたものだ――といってたしなめると、膝ッ小僧連も一同ハニかんでしまい、では出直して来るといって、そこそこに立去る。
 そのあとで、亭主は改めて仏頂寺らの前へ出て、その勘違いの失礼の段々を、ことをわけて話しておわびをすると、仏頂寺、丸山は、興多くその物語を聞いていたが、
「おやおや、それは意外に色気のある話だ、まさか兵馬が、芸者をこれへ引張り込んで、一晩泊めたとも思われないが、芸者がまた、何と思って兵馬のところへ戸惑いをして来たのか、それもわからない……そうだ、亭主、その芸者をひとつ、これへよんでくれ」
と仏頂寺が言い出したので、亭主がハッとしました。
 これはよけいなことをしゃべり過ぎた。呼びに行ったって来るはずはない。来ない、といったところでこの連中、そうかと引込む人柄ではない。
 言わでものことを口走ってしまったと、亭主が後難の種を、自分でまいたように怖れ出したのも無理はありません。
 しかし、この亭主の心配も取越し苦労で、仏頂寺、丸山の両人は、酒を飲んでいるうちに、いつしか芸者のことは忘れて、酒興に乗じて、何と相談がまとまったか、やがて、あわただしくここを出立ということになりました。
 二人の相談によると、急に長野方面に立つことになったらしい。
 この連中、思い立つことも早いが、出立も早い。早くも、旅装をととのえ、勘定(かんじょう)を払って宿を出てしまいました。
 だから、宿の主人はホッとして、第二の後難を免れたように思います。
 これら二人の行方(ゆくえ)は、問題とするに足りない。問題としたって、方寸の通りに行動するものではない。
 長野へ行くといって木曾へ行くか、上田へ廻るか、知れたものではない。
 だが、こうして、宇津木兵馬も去り、仏頂寺、丸山も去った後の宿に、椿事(ちんじ)が一つ持ちあがりました。さては、まだ滞在中の道庵先生が、何か時勢に感じて風雲をまき起すようなことをやり出したか。
 そうでもない。
 昨晩のあの芸者が、井戸へ身を投げてしまったということ。
 聞いてみると、事情はこういうわけ。あの女の旦那なるものが嫉妬の結果、あの女を縛って戸棚の中へ入れて置いて、その前でさんざんいびったとのこと。
 そうしておいて、寝込んでしまったすきをねらって、多分、手首を縛った縄を、口で食い解いたものと見えるが、首尾よく戸棚から逃げ出してしまった。
 眼がさめて後、旦那殿は、戸棚をあけて見るといない!
 そこで、また血眼(ちまなこ)になる。
 本来、憎くてせっかんしたわけでもなんでもない。むしろ、可愛さ余ってせっかんしたのだから、こうなってみると、自分があやまりたいくらいなものだ。そこで、昨晩の騒ぎが再びブリ返されると間もなく、飛報があって、女の死体が井戸に浮いている……
 忽(たちま)ち井戸の周囲が人だかり、押すな押すなで、井戸側からのぞいて見ると、さまで深くない水面にありと見えるのは、まごうべくもない昨晩の手古舞(てこまい)の姿。
 ああ、嫉妬がついに人を殺した、焼餅もうっかりは焼けないと騒ぐ。旦那殿は、意地も、我慢も忘れて、自分が溺れでもしたように、大声をあげて救いを求める。
 水に心得たものがあって、忽ち井戸へ下りて行ったが、つかまえて見ると意外にも、それは着物ばかりで、中身がなかった。
 ただし、その着物ばかりは、まごうかたなき昨晩のあの芸者の着ていた手古舞の衣。
 では、中身が更に水底深く沈んでいるに違いない。
 水練の達者は、水面は浅いが、水深はかなり深い水底へくぐって行ったが、やや暫くあって、浮び出た時には藁(わら)をも掴(つか)んではいなかった。
 つづいて、もう一人の水練が、飛び込んでみたがこれも同様。
 水深一丈もあるところを、沈みきって隈(くま)なく探しはしたけれど、なんらの獲物(えもの)がない。
 そこで、また問題が迷宮に入る。
 いしょうだけがあって、中身がないとすれば、その中身はどこへ行った。
 ああ、また一ぱい食った!
 太閤秀吉が、蜂須賀塾にいた時分とやらの故智を学んで、着物だけを投げ込んで、人目をくらましておいて、中身は逃げたのだ。
 どうしても、しめし合わせて知恵をつけた奴がある。
 そうして、この場合、いったん、帳消しになって宿の主人を安心させた宇津木兵馬と、仏頂寺、丸山の両名が、またしても疑惑の中心に置かれる。
 立って無事だと思ったのが、立ったことがかえって疑惑になる。さては、あの連中、しめし合わせて女をつれて逃げたな。
 そこでこの疑惑が、三人を追いかけるのも、是非のない次第です。

         二十二

 兵馬は、札の辻の温泉案内の前に立ちつくして、安からぬ胸を躍(おど)らせておりました。
 そうしているところへ、松本の町の方から、悠々閑々(ゆうゆうかんかん)として、白木の長持をかついだ二人の仕丁(しちょう)がやって来ました。
 兵馬が見ると、その長持には注連(しめ)が張って、上には札が立ててある。その札に記された文字は、
「八面大王」
 妙な文字だと思ったが、ははあ、これはこの附近の神社から、昨今の松本の塩祭りへ出張をされた神様の一体か知らん、とも考えられる。
 兵馬は、その長持のあとについて歩き出したが、この長持の悠々閑々ぶりは徹底したもので、到底行を共にするに堪えないから、ある程度でお先へ御免を蒙(こうむ)ることにする。
 そうして兵馬が、長持を追いぬけて、有明道(ありあけみち)を急ぐことしばし。
 ほとんど一町ともゆかぬ時に、戞々(かつかつ)と大地を鳴らす馬蹄(ばてい)の響きが、後ろから起りました。
 そこで、兵馬もこれがために道を譲らねばなりません。道を譲って何気なくその馬を仰ぐと、これもまた驚異の一つでないことはない。
 上古の、四道将軍時代の絵に見るような鎧(よろい)をつけた髯男(ひげおとこ)が一人、巴(ともえ)の紋のついたつづらを横背負いにして、馬をあおってまっしぐらにこちらをめがけて走らせて来るのです。
 おかしい! 夷(えびす)が今時、何の用あって、この街道を騒がすのだ。しかし、それは、やっぱり以前の長持と同じように、ある神社の祭礼の儀式のくずれだろう――と見ているうちに、馬も、人も、隠れてしまいました。
 だが、あの古風な、四道将軍時代を思わせるような鎧はいいが、調和しないのは、あのつづらだ。あれがあまりに現代的で、調和を破ることおびただしい。祭礼の帰りに、質を受け出して来たのではあるまい。同じことなら、もう少し工夫がありそうなものだ。もう少し故実らしいものを背負わせたらよかろう……と、よけいなことながら、そんなことまで、兵馬の頭の中をしばらく往来している時に、
「はい、御免なさいよ」
 気がつかないでいた、今の先、その緩慢ぶりにひとり腹を立って追いぬいて来た、あの悠々閑々たる長持が、はや兵馬の眼の前へ来て、道を譲らんことを求めているではないか。
 このまま立っていると、やはりこの長持にさえ道を譲らねばならぬ。馬も千里、牛も千里だと思いました。
 そこで、兵馬は思案して、今度はしばらくその悠々閑々たる長持氏と行を共にし、少しく物を尋ねてみたいという気になる。
「この長持の中は、何ですか」
「これはね、八面大王の剣(つるぎ)でございますよ」
「刀ですか」
「剣ですよ」
「ははあ……そうして、いま、馬で盛んに飛ばして行った、あれは何ですか」
「あれは八面大王ですよ」
「ははあ……」
 兵馬は、それがわかったような、わからないような心持で、
「八面大王というのは、いったい、何の神様ですか」
「左様……」
 悠々閑々たる仕丁(しちょう)は、そこで兵馬のために、八面大王の性質を物語りはじめました。こういう場合には、その悠々閑々の方が、話すにも、聞くにも、都合がよい。
 八面大王のいわれはこうです――
 桓武天皇(かんむてんのう)の御代(みよ)、巍石鬼(ぎせっき)という鬼が有明山に登って、その山腹なる中房山(なかぶさやま)に温泉の湧くのを発見し、ここぞ究竟(くっきょう)のすみかと、多くの手下を集めて、自ら八面大王と称し、飛行自在(ひぎょうじざい)の魔力を以て遠近を横行し、財を奪い、女を掠(かす)め、人を悩ました。
 坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が勅命を蒙って、百方苦戦の末、観音の夢のお告げで、山雉(やまきじ)の羽の征矢(そや)を得て、遂に八面大王を亡ぼした。
 その時のなごりで、有明神社の祭礼のうちに、八面大王の仮装がある。
 大王にふんする鬼が、附近の女を奪って帰ると、それを、田村麿にいでたつものが、奪い返して大王の首を斬る、という幼稚古朴(こぼく)な仮装劇が、ある時代に、若いものの手で行われたことがあるという。
 つまりはその古式を復興して、いま、馬上で走(は)せて行った鎧武者(よろいむしゃ)が、つまり八面大王なのだ、あれが中房へ行くと、田村麿の手でつかまります――という。
 最初の時代には、なんでもあの八面大王が、そこらにいあわす女ならば、女房でも、娘でも、かまわず引っさらって、生(しょう)のままで、荒縄で引っかついで行ったものだが、今は相当遠慮して、女はあのつづらの中へ入れて参ります――という。
 では、あのつづらの中には、かりに掠奪された女がいるのか――その女こそいい迷惑だ、と兵馬が笑止(しょうし)がりました。

         二十三

 こうして仏頂寺、丸山らは、煙の如く長野へ向けて立ってしまい、宇津木兵馬は、アルプス方面の懐ろへ向って参入せんとする場合に、ひとり道庵先生と米友のみが、同じところにとどまっているべき理由も必要も、あるはずはありません。
 果(はた)して道庵先生は、起きて朝飯が済むと共に、床屋を呼びにやりました。
 床屋が来ると、先生は従容(しょうよう)として鏡の座に向い、何か心深く決するところがありと見え、
「エヘン」
とよそゆきの咳払(せきばら)いをしました。
 床屋は先生の心のうちに、それほど深く決心したところがあると悟る由もありませんから、やはり、従前通りの惣髪(そうはつ)を整理して、念入りに撫でつけて、別製の油でもつけさえすれば仕事が済むのだと、無雑作(むぞうさ)に考えて、先生の頭へ櫛(くし)を当てようとすると、
「待ってくれ――少し註文があるですからね」
と右の手を上げて、合図をしました。
 ぜひなく床屋が、櫛をひかえて、先生の註文を待っていると、
「ところで、床屋様、わしは今日から百姓になりてえんだよ……武者修行はやめだ、やめだ」
と言いましたから、床屋はよくのみ込めないでいると、道庵が、
「うまく百姓にこしらえてくんな! 茨木屋(いばらぎや)のやった佐倉宗五郎というあんべえ式に、ひとつやってくんな!」
「お百姓さんのように、髪を結い直せとおっしゃるんでございますか、旦那様」
「そうだよ、すっかり百姓面(づら)に、造作をこしらえ直してもらいてえんだよ」
 そこで床屋は変な顔をしてしまいました。
 見たところ、相当に品格もある老人で、少々時代はあるが、塚原卜伝の生れがわりといったような人品に出来ているから、相当の敬意を以て接してみると、口の利き方がゾンザイであったり、いやに御丁寧であったりして、結局、この惣髪を、普通の百姓に見るような髷(まげ)に直してしまえ、と註文であります。
 床屋が当惑しているに頓着なく、道庵は、鏡に向って気焔を吐き、
「百姓に限るよ、百姓ほど強い者はねえ……いざといえば、誰が食物を作る。食物を作らなけりゃ、人間が活(い)きていられねえ。その生命の元を作るのは誰だ――と来る。この理窟にゃ誰だってかなわねえ、武者修行なんざあ甘(あめ)えもんだ、おれは今日から百姓になる!」
 さては先生、先日の芝居で、信州川中島の百姓たちが、大いに農民のために気を吐いたのを見て、忽(たちま)ち心酔し、早くも武者修行を廃業する気になったものと見えます。
 つまり先生の考えでは、武芸で人をおどすなどはもう古い、食糧問題の鍵をすっかり自分の手に握って置いてかからなければ、本当の強味は出て来ない――というようなところに頭が向いて、自然、一切の造作をこしらえ直す気になったものと見えます。
 床屋は、やむなく、註文を受けた通りに造作にとりかかる。惣髪は惜気もなくそり落して丸額(まるびたい)にし、びんのところはグッとつめて野暮(やぼ)なものにし、まげのところも、なるべく細身にこしらえ上げて、やがてのことに、百姓道庵が出来上ってしまいます。
 道庵つくづくと、その百姓面(づら)を鏡に照らし合わせながら、
「尚書(しやうしよ)に曰(いは)く、農は国の本、本固ければ国安しとありて、和漢とも、農を重んずる所以(ゆゑん)なり。農事の軽からざる例は礼記(らいき)に、正月、天子自ら耒耜(らいし)を載せ給ひて諸侯を従へ、籍田(せきでん)に至つて、帝耕(たがや)し給ふこと三たび、三公は五たび、諸侯は九たびす、終つて宮中に帰り酒を賜ふ、とあり、天子諸侯も農夫の耕作を勤むる故に飢を知り給ひ、さりとて、官ある人、農を業とすべきにあらざれば、年の首(はじめ)、農に先だつて、聊(いささ)かその辛苦の業を手にふれ給ふ、実に勿体(もつたい)なくも有がたき事ならずや……」
 滔々(とうとう)としてやり出したものですから、これは気狂(きちが)いではないかと、床屋が顔の色を変えました。
 かくてその日、この宿を立ち出でた道庵先生の姿を見てあれば、わざと笠をぬいで素顔を見せたところ、竪縞(たてじま)の通し合羽(かっぱ)の着こなし、どう見ても、印旛沼(いんばぬま)の渡し場にかかる佐倉宗吾といった気取り方が、知っている者から見れば、ふざけきったもので、知らない者は、あたりまえのお百姓と見て怪しまぬほどに、変化の妙を極めておりました。
 さて、そのあとから、少し間をおいて続いた宇治山田の米友。これは、前来通りと別に異状はありません。
 行き行きて、この二人が、例の芝居小屋の前まで来ると、数日まえの景気はなく、立看板に筆太く、
「大衆演劇、近日開場」
と書いてありました。
 それを見ると、道庵先生が足をとどめて、しばらく打ちながめ、
「ははあ、大衆演劇」
と首を傾(かし)げました。
 大衆とはいったい何だろう――道庵は、しきりにそれを考えながら、足を運び出しました。そこでひとりごと――
 大衆というのは「坊さん仲間」ということで、よくそれ、太平記などに一山の大衆とあるが、大衆が芝居をやるというのは解(げ)せねえ、坊さんが出て芝居をやるというのはわからねえ、いかに物好きな坊さんだって、芝居小屋を借りて、坊主頭を振り立てて踊ろうというほどの豪傑はなかろう。第一、それでは寺法が許すまい。狂言綺語(きょうげんきぎょ)といって、文字のあやでさえもよしとはしない仏弟子が、進んで芝居をやり出そうとは思われぬ。してみると、これはつまり、坊さん役のたんと出る芝居だろう。たとえてみれば道成寺といったように、坊主が頭を揃(そろ)えて飛び出す芝居かも知れない。そこで大衆演劇と名をつけたんだろう。そうに違いない。そうでなければ「かっぽれ」かな……喜撰(きせん)でも踊るのか知ら。
 この大衆の文字が、少なからず道庵先生をなやませました。
 そうだ――おれは大衆という文字を、一途(いちず)に坊さんの方へばかり引きつけていたのがよくない。外典(げてん)のうちに、つまり漢籍のうちにも、この大衆という文字はないことはなかろう。まてよ、いま、天性備えつけの百味箪笥(ひゃくみだんす)を調べてお目にかけるから――
 道庵先生は、自分の頭の中の百味箪笥をひっくり返して、しきりに調べにかかったが、結局、ドコかでその大衆という文字を見たことがあるように思いました。
 尚書ではなし、礼記ではなし、四書五経のうちには、大衆という文字はねえ……してみると、諸子百家、老荘、楊墨、孟子、その辺にも大衆という文字は覚えがねえが……でも、どこかで見たようだ。左伝か、荀子(じゅんし)か……
 実によけいな心配をしたもので、お手前物の百味箪笥の引出しをいちいちあけて、薬を調べるような心持で、僅か大衆の一句のために、道庵先生が苦心惨憺(くしんさんたん)をはじめました。
 宇治山田の米友においては、一向、そんなことは苦にしていない。
 彼は精悍な面魂(つらだましい)をして、多田嘉助が睨み曲げたという松本城の天守閣を横に睨み、
「何が何でえ、ばかにしてやがら」
という表情で、松本平の山河をあとにして歩みました。
 したが、しばらくあって、何に興を催したか、宇治山田の米友が、松本の町はずれで、ふと大きな声を出して、
十七姫御が旅に立つ
それを殿御が聞きつけて
とまれとまれと袖をひく
それでとまらぬものならば
馬を追い出せ弥太郎殿
明日は吉日、日もよいで
産土参(うぶすなまい)りをしましょうか
 宇治山田の米友が唄をうたい出したので、驚かされたのは道庵先生です。
「友様、お前も、唄をうたうのかい」
 大衆の空想も、なにもすっかり忘れて、道庵が驚嘆しました。

         二十四

 中房の温泉についた宇津木兵馬は、とりあえず宿について、様子を見たけれど、これぞと心当りの者もない。
 一軒の温泉宿が中房の総(すべ)てであります。

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