大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 そこで、またも念入りに金椎の寝顔を見てニッコリと笑ったが、これとても、好々たる好人物の表情で、この時、「お前、何をしているの、食べてしまったら、サッサと膳をお洗い……ほんとにウスノロだね」とおかみさんにでも怒鳴られようものなら、一も二もなく、「はい、はい」と恐れ入って、流し元へお膳を洗いに行く宿六(やどろく)の顔にこんなのがある。
 しかし、金椎はまだ眼がさめない。そこで、人のよい闖入者(ちんにゅうしゃ)はいよいよ、いい気持になって、深々と椅子に腰をおろして、ついに懐中からマドロスパイプを取り出してしまいました。
 パイプに、きざみをつめて、炉の中の火をかき起そうとした時、闖入者は、ハタと膝を打ちました。膝を打った時は無論、パイプは食卓の上に載せてあったので、彼はここで、食後の一ぷくをやる以前に、忘れきっていた重大な一事を思い出したかに見ゆる。
 そこで、パイプも、火箸(ひばし)も、さし置いて、彼は立ち上り、よろめいて、そうして戸棚のところへ行って、その戸棚を慎重にあけて、そうして、以前よりはいっそう人のよさそうな顔を、ズッと戸棚の中につき込み、あれか、これかと戸棚の中を物色したものです。
 繰返していう通り、これは盗みを目的として来たのではない。眼前口頭の飢えが満たされさえすれば、暗いところをのぞいて見る必要は更になかるべきはずだが、かく戸棚の隅々を調べにかかったのは、衣食足って礼節を知る、という段取りかも知れない。果してこの闖入者は、その礼節を、戸棚の隅から探し出して来た。
「これこれ」
 どうして、今までここんところに気がつかなかったろう、という表情で、戸棚の隅から抱え出したのは、キュラソーの一瓶でありました。闖入者は、このキュラソーの一瓶を戸棚の中から、かつぎ出すと、まるっきり相好(そうごう)をくずしてしまって、至祝珍重の体(てい)であります。
 実は、もっと以前に、この礼節をわきまえておらなければならないはずだが、飢えが礼節を忘れしめるほどに深刻であったのを、ここに至って、満腹がまた礼節を思い出させたと見える。
 満腹の闖入者は、今しこのキュラソーの一瓶を傾けながら、上機嫌になって、ダンス気取りの足ドリで、早くもこの料理場をすべり出してしまいました。
 飢えは室内から街頭に出してはならないが、満腹はどこへ出してもさまで害をなさない。ただキュラソーが、人をキュリオス(好奇(ものずき))に導くのが、あぶないといえばあぶない。
 闖入者は満腹に加うるに陶酔を以てして、この料理場からすべり出したが、そこは街道でもなければ、ヴェルサイユへ行く道でもない、次の室から次の室へと、導かるるまでであります。
 その次の室というのが、このごろ一室を建て増した食堂兼客室であり、それを廊下によって二つに分れて行くと、その一方が駒井甚三郎の研究室と寝室、他の一方には――若干の客が逗留(とうりゅう)している。
 ウスノロな闖入者は、かなり広い食堂兼客室へ来ると、そのあたりの光景が急に広くなったのと、その室が有する異国情調――実は自国情調とでもいったものに刺戟されたのか、いよいよいい気持になって、片手にキュラソーの瓶をかざしながら、足踏み面白くダンスをはじめました。
 この一室で、ウスノロの闖入者(ちんにゅうしゃ)はかなり面白く踊ったが、いつまで踊っても、相手が出て来ないのが不足らしく、もう一つその室を向うにすべり出そうとしました。
 このウスノロは、それでもまだ、自省心と、外聞との、全部を失っていない証拠には、ダンスの足踏みも、そう甚(はなは)だしい音を立てず、羽目をはずした声で歌い出さないのでもわかるが、本来、音を立てて人前で踊れないほどに、舞踏も物にはなっていないのだから、声を出して歌うほどに、歌らしいものを心得てはいないのだろう。しかし、いい心持はいい心持であって、このいい心持を、一人だけで占有するには忍びないほどの心持にはなっているらしい。
 そこで、彼はいいかげんこの食堂で踊りぬいてから次へ……廊下を渡って一方は主人の室――一方は客の詰所の追分道にかかり、そこで、ちょっと戸惑いをしたようです。
 戸惑いをした瞬間には、ああ、これは少し深入りをし過ぎたな、との自省もひらめいたようでしたが、そこはキュラソーの勢いが、一層キュリオシチーのあと押しをして、忽(たちま)ち左に道をえらび、とうとう主人の研究室と、寝室の方へと、無二無三に闖入してしまいました。
 それにしても、無用心なことです。駒井のこの住居(すまい)には、このごろ著(いちじる)しく室がふえているはずなのに――金椎(キンツイ)ひとりを眠らせて置いて、みんなどこへ行ったのだろう。少なくとも、田山白雲が来ている以上には、清澄の茂太郎もいなければならぬ、茂太郎がいる以上は、岡本兵部の娘もいるかも知れない――そのほか、それに準じて館山の方からも、造船所方面からも、相当に人の出入りがあるべきはず。それを今日に限って、この異国の、マドロス風の、漂流人らしいウスノロ氏の闖入にまかせて、守護不入の研究室までも荒させようというのは、あまりといえば無用心に過ぎる。
 しかし、実はこの無用心が当然で、こんな種類の闖入者があろうということは、想像だも及ばないこの地の住居のことだから、それは無用心を咎(とが)める方が無理だろう。
 またしかし、ここは、料理場と違って、駒井甚三郎の研究しかけた事項には、断じて掻(か)き廻させてはならないことがあるに相違ない。ここで革命を行われた日には、料理場の類(たぐい)ではなく、たしかに取返しのつかないことがあるに相違ない。さればこそ駒井甚三郎は、いかなる親近故旧といえども、この室へは入場を謝絶してあるはず。
 幸いなことに、この室には錠が卸してありましたから、闖入者も如何(いかん)ともし難く、立ちつくして苦笑いを試みました。
 研究室の扉があかなかったものだから、闖入者はにが笑いして暫く立っていたが、また泳ぎ出して、次なる寝室に当ってみると、これが難なくあいたのが不幸でありました。
 研究室の扉の頑強なるに似ず、ほとんどこれは手答えなしに、フワリとあいたものですから、闖入者は押しこまれるように、この室に闖入してしまいました。
 闖入してみると、闖入者が、
「あっ!」
と、キュラソーの瓶を取落そうとして、やっと食いとめながら眼をまるくして、室の一方を見つめます。
 寝台の上に半分ばかり毛布をかけて、一人の若い女が寝ていました。
 よく眠る家だとでも思ったのでしょう。前の少年は仮睡であるが、これはとにかく、休むつもりで寝台の上にいる――だが病人ではない、こうして、日中も身を横たえておらねばならぬほどの病人とは思えない。それほどにはやつれが見えない。あたりまえの若い娘、ことになかなかの美人である。それと、ねまきを着ているわけではないのだが、これは本式に寝台に横たわっているとはいえ、やはりうたた寝の種類に違いない。
 そうしてみると、この国は、よくうたた寝をする国である。毎日一定の時間には、必ず一定の昼寝をするように定められているのか知らん、と、闖入者(ちんにゅうしゃ)は疑ったのではあるまい。思いがけないところに、思いがけない異性を発見したものだから、その好奇心が、極度に眩惑されてしまったものと見える。
 だが、好奇心というものは、もとより事を好むものであります。事がなければ、そのまま消滅してしまうものですが、事がありさえすれば、いよいよ増長して、ついに、罪悪の域まで行かなければとどまらないものであります。それを引きとどめるのに、自制心(コントロール)がある。それを奨励するものに、アルコールがある。
 今や、このウスノロ氏には、自制心が眼を閉じて、アルコールが活躍している時だからたまりません。
「エヘヘヘ……」
と忽(たちま)ち薄気味の悪いえみを催しながら、おもむろにこの寝台へ近づいてみました。
 この際、美しい女でなくとも、単に異性でありさえすれば、好奇心を誘惑するには十二分でありますが、不幸にして、寝台の上なる女は、浮世絵の黄金時代に見る面影(おもかげ)を備えた美しい女でありました。
 多分、碧(あお)い眼で見ても、美しい女は美しく見えるだろうと思う。
 ウスノロ氏が、ニヤリニヤリと笑いながら、いよいよ近く寝台に寄って来るのを、軽いいびきを立てている当の主(ぬし)は、いっこうさとろうとはしません。
 それに、この時はどういうものか、金椎(キンツイ)を驚かさないように、あの室で食事をした以上の慎重さを以て、徐々(そろそろ)と近づいて行き、やがて、寝台の欄(てすり)のところへすれすれになるまで来ても、じっと娘の顔を見たままで、ほとんど手放しで涎(よだれ)を流すような有様で、島田に結った髪がかなり乱れて、着物の襟はよくキチンと合っていたが、鬢(びん)の下へ折りまげた二の腕が、ほとんどあらわになって、しかし、幸いなことに、帯から下はズッと毛布が守っているものですから、いわば、半身の油絵を見せられるような女の姿に見とれている。
 そのまま突立っていたウスノロ氏が、どうしたのか、急に呼吸がハズんでくると、その眼の色まで変りかけてきました。
 碧(あお)い眼玉は、別に変りようがあるまいと思われるのに、たしかに眼の色も変り、顔の色も変り、ついにはワナワナとふるえ出したもののようにも見える。
「茂ちゃん、いたずらしちゃいやよ」
 その時、女がうわごとのように言いました。
「いやよ、いけないよ、茂ちゃん」
 女は再び言って、まだ眠りからさめないで、手で顔の上を払いながら、
「いやだってば、茂ちゃん」
 ウスノロ氏は指を出して、娘の頬を二三度突ッついてみたものだから、
「茂ちゃん、いやだってばよ」
 女は四たびめに、手で自分の頬先を払って、ようやく眼をあいて見て驚きました。
「あ!」
 それは茂ちゃんではない、全く茂ちゃんとは似もつかない――似ないといっても、想像以上の、髪の毛のモジャモジャな、眼の碧い、鼻の尖(とが)った、ひげの赤い、服の破れた大の男が、今しも自分を上から圧迫するようにのぞき込んで、棒のような指で、自分の頬をつついているのを見ると、
「いけない!」
 娘はパッとはね起きると、大の男が口早に何か言いました。
 何か言ったけれども、それは娘にはわからない。恐怖心でわからないのではなく、言った言葉そのものの音がわからない。
「お前は誰だい、あっちへ行っておいで、誰にことわってここへ来たの、あっちへ行っておいで――」
 娘は叱りながら、扉の方をさして、立退きを命ずるほどの勇気がある。
 そこで大の男がまたチイチイ、パアパアいう。けれども、何のことだかそれが聞き取れない。また聞き取ってやる必要もない。他の寝室へ闖入(ちんにゅう)して、異性に戯(たわむ)れんとするは、狼藉(ろうぜき)中の狼藉である。容赦と、弁解とを、聞き入るべき余地あるものではない。
「あっちへおいでなさいといったら、おいでなさい――人を呼びますよ、誰か来て下さい!」
 娘はついにかなり大きな声を立てましたが、ここまで闖入者を許すほどの家だから、この声が有効になるはずはありますまい。
 金椎(キンツイ)がいるにしても、あれは、よし眼がさめていたとて、声では驚かされるものではない。
 娘にとっては、かなり危急な場合ではあるが、万事、人間のすることはそう手っ取り早くゆくものではない。猫ですらが、鼠をとった時は、一通りその功名を誇ってから後に食いにかかる。仮りにこのウスノロ氏が、思い設けぬ御馳走にありついたとしたところで、食の後には酒、酒の後には若い女と、こう順序があまりトントン拍子に運び過ぎてみると、なんだか自分ながら、果報のほどに恐ろしくもなるだろう。
 まして、これは最初から、兇暴な野心を微塵(みじん)も持って来たのではない。かりそめの漂浪者であってみれば、その咄嗟(とっさ)の間に、兇暴性を充分働かせるだけの器量があるとも思えない。
 要するにウスノロ氏は、ウスノロ氏だけのことしかしでかし得ないものだろうから、こういう場合に処するには、また処するだけの道があったろうと思われる。落着いてその道を講ずる余裕を失って、狼狽(ろうばい)してことを乱すと、かえって相手の兇暴性をそそり、敵に乗ぜらるるの結果を生むかも知れない。
 恐怖が、この娘を狼狽させたが、狼狽から、いよいよ恐怖がわいて来た。
「行っておしまい、誰か来て下さい――」
 二度(ふたたび)大声をあげると、娘は腰から下にかけていた毛布をとって、そのまま力を極めて大の男に投げつけたものですから、大の男がまた大あわてにあわてて、その毛布を取除こうとして、かえって深くかぶり、一時は非常に狼狽したが、やがてそれを取払うと、娘が、
「誰か来て下さい――」
 四たび叫びを立てたものですから、大の男が堪(たま)らなくなって、その口をおさえました。口をおさえるにはまず右の腕をのばして、軽々と自分の胸のところまで引きつけて、そこで口をおさえると、娘が、両足をジタバタとさせてもがきました。
 こうなった時に、ウスノロ氏に、はじめて本能的の兇暴性がグングンと芽をのばしたように、
「あれ誰か来て――」
 その声を、今度は鬚面(ひげづら)でおさえてしまいました。
 大の男はそこで、娘の顔に向って、メチャメチャに接吻(せっぷん)を浴せかけようとする。娘はそうはさせまいと争い且つ叫ぶ。

         十六

 しかし、人生は、そう無限に闖入者(ちんにゅうしゃ)にのみ兇暴性をたくましうさせるの舞台ではない。
 無用心ではあるが、無人島ではないこの住居へ、いつまで人間らしい人間の影を見せないということはあるべき道理ではない。
 駒井甚三郎が画框(がわく)をかかえ、田山白雲がジャガタラいもを携えて、悠々閑々と門内へ立戻って来たのが、その時刻でありました。
 白雲は料理場へジャガタラいもをほうり込んで、駒井の手から框を受取って、廊下の追分のところまで来た時分に、駒井の寝室がこの騒ぎです。
「誰か来て下さい――」
 それと混乱して、一種聞き慣れない野獣性を帯びた声。
 二人は、ハッと色めいて、宙を飛ぶが如くに例の寝室まで来て見ると、この有様ですから、無二無三に、
「この野郎!」
 腕自慢の田山白雲は、後ろから大の男を引きずり出して、やにわに拳(こぶし)をあげて二つ三つ食らわせましたが、それにも足りないで、倒れているのをのしかかって、続けざまにこぶしの雨を降らせたものです。
 と同時に、大の男が泣き叫んで哀れみを乞(こ)うの体(てい)。それも言葉がわかれば、多少の諒解(りょうかい)も、同情も、出たかも知れないが、何をいうにもチイチイパアで、ただ締りなく泣き叫ぶのを、田山白雲が、この毛唐(けとう)! ふざけやがって、という気になって、少しの容赦もなく、いよいよ強く続け打ちに打ちました。
 よし、言葉がわからずとも、憎いやつであろうとも、体格が貧弱で、打つに打ち甲斐(がい)のないようなやつでもあれば、白雲もいいかげんにして、打つのをやめたかも知れないが、何をいうにも体格は自分より遥かに大きいから、打つにも打ち甲斐があると思って、容赦なく打ったものでしょう。
 駒井甚三郎さえも、もうそのくらいで許してやれ、と言いたくなるほど打ちのめしているうちに、どうしたものか、今まで哀訴嘆願の声だったウスノロの声が、にわかに変じて、怒号叫喚の声と変りました。
 それと同時に、必死の力を極めてはね起きようとするから、田山白雲がまた勃然(ぼつぜん)と怒りを発し、おさえつけてブンなぐる。
 それをウスノロが必死になってはね起きると、かなりの地力(じりき)を持っていると見えて、とうとうはね起きてしまい、はね起きると共に、力を極めて田山白雲を突き飛ばして逃げ出しました。
 いったん突き飛ばされた白雲は、こいつ、生意気に味をやる――と歯がみをしながらウスノロのあとを追いかける。
 見ていた駒井は、これは白雲が少しやり過ぎる。あいつも、あのままでは打ち殺されると思ったから、必死の力を揮(ふる)って逃げ出したのだろう、へたなことをして怪我でもさせてはつまらない――と心配はしたけれども、仲裁のすきがありませんものでしたから、ぜひなく、二人の先途を見とどけようとして、そのあとを追いました。
 本来、田山白雲は、その風采(ふうさい)を見て、誰でも画家だと信ずるものはないように、筋骨が尋常ならぬ上に、武術もなかなかやり、ことに喧嘩にかけては、相手を嫌わぬしれ者でありましたから、こういう場合に、じっとしておられるわけがない。
 ことに、いったん取押えたやつにはね起きられて、突き飛ばされて、逃げられたというのが、しゃくにさわったものらしい。
 そこで、廊下を追いつめて来たところが、例の食堂で、ここへ来ると、いつのまにか、料理場へ通う戸が締切られてあったものだから、大の男が逃げ場を失いました。
 逃げ場がなくなったものですから、絶体絶命で大の男は、その戸じまりの前に立って、何とも名状し難い妙な身構えをしました。
 そこへ田山白雲が追いかけて来て、その身構えを見て、あきれ返りました。
 これは窮鼠(きゅうそ)猫をかむという東洋の古い諺(ことわざ)そっくりで、狼狽(ろうばい)のあまりとはいえ、あの身構えのザマは何だと、白雲は冷笑しながら近づいて行って、その首筋を取って引落そうとする途端を、どう間違ったのか、その名状し難い妙な身構えから、両わきにかい込んだ拳(こぶし)が、電火の如く飛びだして、白雲の首からあごへかけて、したたかになぐりつけたものですから、不意を食(くら)った白雲がタジタジとなるところを、すかさず第二撃。
 さすがの白雲がそれに堪らず、地響きを立てて床の上へ、打ち倒されてしまいました。
 起き上った時の白雲は、烈火の如く怒りました。
 だが、最初にばかにしたあの変な身構えの怖るべきことを、この時は気がついたようです。変な身構えが怖ろしいのではない、あの変な身ぶりから飛びだす拳の力が、怖ろしいのだとさとりました。
 だから、こいつ、何か術を心得ていやがるなと感づいたのも、その時で、そう無茶には近寄れない、強引(ごういん)にやれないと、気がつきながら起き上って見ると、まだ逃げることも、廻り込むゆとりもない大の男は、同じような変な身構え――それを言ってみると、身体(からだ)の半分を屈して、眼を皿のようにし、両方の拳をわきの下へ持って来て、そのこぶしをしかと握ったところは、たとえば、柳生流の柔術でいえば、乳の上、乳の下の構えというのに似て、組むためではなく、突くためか、打つためか、或いは払うための構えだと見て取りました。
 毛唐(けとう)の社会には、こんな手があるのか知ら。しかし、油断して、タカをくくっていたとは言いながら、あのこぶしの一撃でよろめかされ、二撃で完全に打ち倒されてしまったのだから、白雲が、歯がみをするのも無理はない。
 今で考えると、この大の男が取っている身構えは、拳闘をする時の身構えであって、この男は相当に拳闘を心得ていて、自分の危急のあまり、その手で白雲を打ち倒したものだから、決して無茶をやったわけでもなく、力ずくで振り飛ばしたわけでもない。先方はつまり、習い覚えた正当の格によって応戦して来たのを、こちらが無茶に、不用意に、近づいたから不覚を取ったものに違いない。
 前にもいう通り、田山白雲は画家に似合わず屈強な体格であり、兼ねて武術のたしなみがあり、なかなかの膂力(りょりょく)があって、酒を飲んで興たけなわなる時は、神祇組(じんぎぐみ)でも、白柄組(しらつかぐみ)でも、向うに廻して喧嘩を辞せぬ勇気があり、また喧嘩にかけては、ほとんど無敵――というよりは、その蛮勇を怖れて、相手になり手がないというほどに売込んでいるから、自分もその方面にかけては、十分の自信がある。
 絵筆をにぎる人が喧嘩を商売にするのは、どうも釣合わないことのようですが、本来、田山白雲は、絵師たるべく絵師となったのではない。慷慨(こうがい)の気節もあり、縦横の奇才もないではないが、何をいうにも小藩の、小禄の家に生れたものだから、その生活の足し前として絵画を習い出したので、もとより好きな道でもあるが……この点は、三州の渡辺崋山にも似ている。
 そこで白雲は、喧嘩が本業だか、絵が本業だか、わからないことがある。どこへ行っても画家とは見られないで、武者修行と見られることの方が多い。

 ここにおいて白雲は勃然(ぼつぜん)として怒り、この毛唐味なまねをやる、そんならばひとつ、天真神揚流の奥の手を出して……と本気になってかかりました。
 第一に、あの拳を避けて取ッつかまえ、思いきり投げ飛ばして、締めか、逆かで、目に物を見せてくれようという策戦を立てました。
 この計策、見事に当って、大の男をズデンドウと投げ出したのは、めざましいばかりです。
 投げると共に飛び込んで行った白雲は、無残に大の男の首をしめてしまいました。
「サア、どうだ!」
 返答のないのも道理。大の男は一たまりもなく、完全に落されていました。
 入口に立って見ていた駒井甚三郎は、田山白雲の武勇の程に驚いてしまい、投げたらば、抑え込みか、逆かで、相当に苦しめて許してやるのだと思っていたところが、グングンしめてしまったものだから、これは過ぎる――いくらなんでもやり過ぎるわいと、またしても白雲の暴力に怖れをなした様子で、
「大丈夫ですか?」
と念を押しますと、
「大丈夫です、ほうって置けば、生き返りますよ」
 白雲は、一息入れる。
 それと同時に、気にかかることがあって、食堂と、料理場の間の戸、つまり大の男が進退きわまった戸口をあけて見ると、かわいそうに、そこで金椎(キンツイ)が泣き出しそうな顔色をして、料理場の中を、右往左往に狼狽しています。
 そうでしょう、自分が一睡の間に、自分の王国は、すっかり荒されて、丹精して晩餐(ばんさん)に供えようとした材料は、すべて食いつくされているのだから。そうして、これから迫った時間の間に、その復興をしなければならぬ。
 その復興はできるとしても、誰がいつのまに来て、こんな手きびしく乱暴を働いて行ったのだか、皆目わからない。
 いたずらをするとすれば、これは清澄の茂太郎にきまっているが、これは茂太郎のいたずらとしては、規模が大き過ぎている。
 ことほどに、自分の持場を荒されて、全然それに気がつかなかったということは、損害の問題ではなく、自分の職務の、責任の問題だという顔をして、それでも差当りの急は、悔いているよりは働かなければならぬ、とりあえず差迫った晩餐の復興を、根本的にやり直すことに全力を注がなければならぬという気持で、悲痛と、憂愁の色をたたえながら、料理場の中をしきりに奔走しているのです。金椎の耳には、ただ今、この隣室で行われた大活劇もはいらなかったものと見える。
 そこへ、田山白雲が顔を出したものですから、金椎は申しわけのないような顔をする。
 ただいま、泥棒がはいってこの通りでございますと、訴えれば訴えられるのをこの少年は、無言でただ、申しわけのない顔だけをして、一心に働いている。
「金椎君、何かやられたかい、こいつに……?」
 白雲はこう言ってみたけれど、金椎の耳には、それが用をなさないと気がついて、例の料理法の憲法の下へ、有合せの筆を取って、
「洋夷侵入、白雲万里」
と書きました。洋夷侵入はわかっているが、白雲万里が何の意味だかわからない。
 駒井甚三郎も、この時、室内に入り来(きた)って、被害の実況をよく調査する。
 結局、ただ食い荒し、飲み荒しただけで、ほかにはなんらの盗難もないということ。
 ただ、秘蔵しっぱなしで、誰も手をつけなかったキュラソーが、一瓶なくなっているが、これとても闖入者(ちんにゅうしゃ)が私したのではない――私したのはわかっているが、それを持ち出してどうのこうのというのではなく、ただ飲んでしまって、いい心持になったのだということがわかり、つまり、あいつは、ただ食に迫ってこの家へ闖入し、飢えが満たされてから、あちらへ戸惑いをして行ったものに過ぎまい、という想像が話題になってみると、白雲も、あまり手きびしくとっちめたのが、むしろかわいそうにもなりました。
 しかし、毛唐(けとう)は毛唐に違いない。あんな奴が、どうして一人だけこんなところへ流れ込んだのだろうという疑問は、誰の胸にも浮ぶ。
 その時、隣室で、うーんとうなり出したのは、問題の男が息を吹き返したものでしょう。

         十七

 晩餐の食堂の開かれようとする前、駒井甚三郎と、田山白雲と、例のマドロス氏とが卓を囲んで会話をはじめました。
 ところが、まどろこしいことには、駒井の英語は、耳も、口も、目ほどにはゆかないものですから、マドロス氏との会話に、非常に骨が折れるのに、またマドロス氏の言葉が、英語が土台にはなっているが、なまりが非常に多いと来ているから、断線したり、わからないなりでしまったり、要領を得たような得ないような、すこぶる珍妙な会話でありましたが、しかし、この骨の折れる珍妙な会話が、駒井と、白雲とを、興に導くことは非常なものでした。
 とにかく、そのしどろもどろな会話を綜合してみると、このマドロス氏は、オランダで生れて英国で育ち、マドロスとして、ほとんど沿海の諸国を渡り歩いているうちに、その言語が英語を主として、それら諸国の異分子が、ゴッチャになっているうち、支那の上海(シャンハイ)あたりにいたこともかなり長かったとやらで、支那語もちょいちょい入ります。
 駒井の方は、不自由とは言いながら、ともかく、正確な文法から出ているのだが、マドロスの方はベランメーです。
 どうしてこんなところへ流れついたか、という疑問に答えたところを、つづり合わせてみると、なんでも日本の北海へ密猟に来て、その帰りがけに、この近海へ碇泊(ていはく)しているうち、勝負事で、仲間にいじめられるかどうかして、船を逃げ出し、その逃げ出す時に万一の用意として、ポテトを一袋持って海へ飛び込んで泳いでみたが、ポテトが邪魔になって思うように泳げない、そこでぜひなくポテトを打捨てて泳いだら、まもなく海岸へ泳ぎついた。こんなことなら、ポテトを捨てるではなかった――今更ポテトが惜しくてたまらない。あのポテトさえあれば、当座の飢えをしのぐことができたのだ。当座の飢えをしのいでさえいれば、こうして人様の家へ闖入(ちんにゅう)して、首をしめられ、地獄の境まで見せてもらうような羽目にも落ちなかったろうに、返す返すも、ポテトに恨みがあるようなことを言いました。
 その愚痴がおかしいといって、聞きながら駒井甚三郎が笑い出すと、田山白雲は何のことだかわからないが、マドロス氏がしきりに手まねをしながら、ポテト、ポテトという語を繰返すものですから、白雲が横の方から口を出して、
「ポテトというのは、何ですか?」
「それは例の、ジャガタラいものことだよ」
「ははあ、あのジャガタラか……」
 白雲がなるほどとうなずくところを、駒井が翻訳して、この男が仲間からいじめられて船を逃げ出す時に、ジャガタラいもを一袋持って海へ飛び込んだが、ジャガタラいもが荷になって思うように泳げない、そこでやむなくジャガタラいもを打捨てて泳いだら、捨てて間もなく岸であった、こんなことならジャガタラいもを捨てるんではなかった、今更ジャガタラいもが惜しい、あのジャガタラいもさえあれば、飢えに迫って、こんな憂目を見なくても済んだに……と今この男がジャガタラいもに向って、かずかずの恨みを述べているところだ……駒井が白雲に話して聞かせると、白雲が、はじめて大口あいてカラカラと笑いました。
「ははあ、いもに恨みが数々ござるというわけか」
 まもなく、そのジャガタラいもが、金椎(キンツイ)の骨折りで巧みにゆであげられ、ホヤホヤと煙を立てて食卓の上に運ばれたところから、マドロス氏は妙な顔をして、そのジャガタラいもを一心にながめやる。
 田山白雲は、腹をかかえて笑い、
「さあ、君、遠慮なくやり給え、思わぬところで、わが子にめぐり会ってうれしかろう」
 白雲がまず、その最も大きなジャガタラいもを取って、皮をむき、塩をつけて、食いはじめました。
 そこで三人は、ジャガタラいもを食いながら、その不自由な、間違いだらけの会話を、熱心に続ける。
 田山白雲の武勇のことになると、駒井は全く舌をまき、マドロス氏は恐れ入って、自分で自分の咽喉(のど)をしめるまねをして苦笑いをする。
 その時に白雲が、かなりまじめになって、しかも慨然とした調子で、次の如く言いました。
「時にとって腕力も必要ですよ、腐れ儒者は、腕力はすなわち暴力と言いたがるけれど、人間がことごとく聖人でない限り、腕力でなければ度し難いことがあるのです」
「美術家たるあなたから、腕力の讃美を聞こうとは意外です、いわんや、その実力を示されようとは……」
「拙者はこれが持前ですよ。もっとも、近頃は少しおとなしくなりました。しかし、理由なき腕力を用うるということは断じて致しませんから、御安心下さい。理由ある場合と、事の急なる場合には、筆の先や、舌の力では、緩慢で堪えきれませんからな」
「しかし、腕力は結局、また腕力を生むことになりはしないか?」
「正義にはかないませんよ。正義を遂行するための腕力で、本当の腕力は、正義の存することのほかには、そう強く揮(ふる)えるものじゃありません。陰険卑劣なオッチョコチョイ、つまり、蔭へまわっては、人を陥穽(かんせい)しようとするような奴、表へ出ては、つかみどころのないような奴を、制裁するのは、腕力に限ります。大地の上へ、ウンと一つ投げつけてやるか、腕の一本も打折ってやると、少しは眼がさめます。早い話が、われわれ社会の偽物(にせもの)どもを退治するなんぞには、これがいちばん近道ですよ」
「偽物退治とは?」
「つまり、絵の偽作をする奴なんです、名家の絵を偽作して、盛んに売込んで儲(もう)ける奴があるんですな。泥棒よりもモットたちのよくない奴なんですが、こいつが、われわれ社会の裏面に蠅のように寄生して、始末にいかないことがある。なあに、神品は模造すべからざるものだから、見る人が見れば、問題にはならないが、世間はめくら千人だから、その偽物に欺かれるものが意外に多いです。そういう蠅のような偽物どもを、いちいち取ッつかまえて、町奉行へ訴え出るなんぞは煩(わずら)わしくてたまらないから、大家連は、知って相手にしないことがあると、そいつらがいい気になって増長するものだから、画界の風儀を非常に乱す。そこで拙者は、三四人の腕ききを集め、自分が先発で、いちいちその偽物(にせもの)どもをブンなぐって廻ったことがありました」
「それは、なかなか痛快ですが、暴力沙汰で、あべこべに告訴を受けるようなことはありませんでしたか」
「ありませんとも。暴力じゃありません、正当防衛ですもの。盗みをする奴をつかまえて聞かなけりゃ、打ち殺したって苦しかありませんよ、いわんやブンなぐるくらいは何でもないことです。五六人ブンなぐったら、それで少しは利(き)き目(め)がありました。なかには腕を折られて、ヒイヒイ泣いた奴もありましたよ。ああいう蠅共を退治するには、腕力に限るです」
 美術界の神聖のために、その風儀の維持のために、偽作者に、腕力制裁を加えることの正義なる所以(ゆえん)を、白雲は力説しました。
 そうして、自分がこの偽作者どものブラックリストをこしらえて置いて、片っぱしからやッつけた経験談を語り出でて、そうして今時の腐れ儒者や、青二才が、腕力すなわち暴力とけなして、自分の卑怯(ひきょう)な立場を擁護しようとする風潮を、あざけりました。

         十八

 ここで三人の会話に花が咲いている時、海に面した他の一方の座敷で、美婦と、妖童とが、しめやかに問答をする。
 岡本兵部の娘は、畳の上に置かれた椅子に腰をかけて、すらりとした足を投げ出しながら糸巻に糸をまいていると、それと相向ったところに清澄の茂太郎は、ちょこなんと坐って、両手に糸の束(たば)をかけ、膝の上には、片時も放さぬ般若(はんにゃ)の面がある。
 兵部の娘に糸をまかせながら、清澄の茂太郎は、
可愛い由松(よしまつ)だれと寝た
だれと寝た
お父さんと寝たなら
よしよし
 小音でうたうと、岡本兵部の娘は、それに合わせるように、
寝たといな
寝たといな
裾に清十郎と
寝たといな
 そう言いながら、手を休めず糸をまいているところを見れば、少しも変ったところはない。言葉の調子だってその通り、茂太郎に対して親切な姉様(あねさま)ぶりといったような気位が、少しも乱れてはおりません。
 これはどうしたのだろう。駒井の手もとへ置いてもらうようになって、その精神がすっかり落ちついて、こうも、たしなみのよいお嬢様の昔に返ったのか。それとも、逢いたがっていた清澄の茂太郎が来たので、その喜びから乱れた心が一時に納まったのか。とにかく、岡本兵部の娘の今の有様は、精神にも、肉体にも、なんらの異状を認めることができず、このままこの家庭の一員として、誰が見ても調子よく納まっているのは、以前を知っている者の眼から見れば、不思議というばかりです。
 不思議なのは、そればかりではない。以前を知ったものにとっては、幾多の痛々しいものを知っているでしょう。知って、言わずして過ぐる人の眼には、複雑な嘲笑の色を含んではいるが、当人は、淋しく取澄ましてそれをやり過ごす。それが痛々しいとも見られるし、食えないとも見られる。どちらでも取りようです。
 糸を巻かせながら茂太郎は、何か物足らないような風情(ふぜい)で、
「殿様殿様というけれど、どうしてあの人は、殿様なんだろう?」
「どうして殿様だって、あの方は殿様なんだもの」
「だって殿様というものは、槍を立てて、お供をたくさん連れて、乗物に乗って、前触れをして、お通りになるんじゃないか。うちの殿様は、お供もなければ、槍もないし、乗物もない」
「ホホホホ」
 それを聞いて、岡本兵部の娘は笑い、
「それはお前、昔のことよ。うちの殿様も、以前はその通りなんでしょう、お大名でこそなかったけれども、立派なお殿様よ」
「今は?」
「今は浪人していらっしゃるから……」
「どうして浪人したの?」
「どうしてだか、知らないわ」
 そこで糸巻の糸がこんがらかったのを、兵部の娘が軽くさばく。
「お嬢さん、お前、今日も殿様のお部屋へ行きましたね」
「ええ」
「何をしていたの?」
「寝(やす)んでいたのよ」
「一人で……?」
「無論のことさ」
「叱られるだろう?」
「だって、あそこは静かでいいもの……」
「騒がしいとこはいや?」
「ええ」
「では、どうして胡琴(こきん)をひいたり、あたしに歌をうたわせたりするの?」
「その時は、その時でね」
「ふだんは、静かなところがいいの?」
「ええ……だから殿様のいない時にばかり、あのお部屋へ行って寝るの」
「そう」
 茂太郎はまだ心もとない顔をしながら、その問答の一くさりはともかく、それで一段落になると、また、
可愛い由松だれと寝た
だれと寝た
お父さんと寝たなら
よしよし
 一つことを歌い出すと、、二度、三度、口をついて出るのがこの少年の癖であります。
 その歌は、例によってでたらめではあるが、それはいつ、何の時、どこかで一度は鼓膜に触れたことのあるものが、順序不同に口をついて出るのだから、あながち創作ともいえますまい。そこでちょうど、巻かせた糸の一たばが終りになりました。
「どうも御苦労さま」
「お嬢さん、殿様が浪人をするのは、何か悪いことをしたんだろう?」
「いやだ、悪いことなんかする殿様じゃありませんよ」
「だッて悪いことをしなければ、浪人するはずがないじゃないか?」
「そうとばかりは、言われなくってよ」
「それでも、立派に殿様でいられる人が、浪人をするのは、つまり何か悪いことをして、免職になったんじゃない?」
「そんなことがあるものですか」
 兵部の娘は、無意識に駒井の弁護をしてきたが、思うように茂太郎の耳には響かないと見えて、
「いい人だってお前……いい人だって、悪いことをすることもありまさあね」
 茂太郎から先手を打たれて、兵部の娘は、ちょっと二の句が継げなくなりました。
 なるほど、そういわれてみれば、そこに疑いの余地がないではない。ドコといって非点の打ちようのない殿様が、その位地を去らねばならぬまでの事情を、聞いてもみなかったし、考えてもみなかったが、茂太郎から、かりそめに疑われて、はじめて疑いの心が起りました。
 だが、この疑いも、自分の弱味を疑われでもしたかのように、何か、弁護の口実を発見しようとあせった揚句、
「それでもお前……天神様をごらん」
「え?」
「天神様をごらんなさいな、菅原道真公を。天神様はあの通りのいいお方でしょう、それでさえ筑紫(つくし)へ流されたじゃありませんか、時平公(しへいこう)の讒言(ざんげん)で……」
「…………」
「讒言に逢っちゃ、誰だって、どんなエライ人だって、たまりませんよ」
 彼女は、ようやく菅原道真において、その最も有力な弁護者を見出だしたかのように、一も、二も、讒言ということに持って行ってしまいたがる。
「そうかも知れない」
 茂太郎が、それでやや納得(なっとく)の色があるのに力を得て、
「うちの殿様も、つまり、讒言(ざんげん)に逢って、今のように浪人していらっしゃるのよ、だから、わたし、ほんとうにお気の毒だと思うわ」
「それでお嬢さん、お前は、ここのうちの何なの……?」
「わたし?」
「殿様のところへ、お嫁に来たんじゃないでしょう?」
「イヤな茂ちゃん」
「それじゃお妾(めかけ)さん……?」
「茂ちゃん」
「なに?」
「お前、どうしてそんなことを聞きたがるの? お前らしくもない」
「だって、お前は、ここのうちへ、何しに来ているんだかわからないんだもの。もと、殿様のお家と親類なの?」
「そんなことは、どうでもいいから、茂ちゃん、お歌いなさいな」
といって、兵部の娘は糸巻を置いて、胡琴(こきん)を取上げました。
 歌えといわれたが、歌わない茂太郎は、
「お嬢さん、弁信さんのことを、悪くいうのをおよし」
と急に思い出していう。
「どうして?」
「どうしてだって、弁信さんは悪くいう人じゃない、あの人を悪くいう方が間違っている」
「わたしは、そんな人、いっこう知らない」
 兵部の娘は、三下(さんさが)りの調子で、胡琴を鳴らしてみました。
「お雪ちゃんもいい子だ」
「お雪ちゃんて、どこの子?」
「上野原のお寺の娘よ」
「茂ちゃん、お前は、その娘さんにも可愛がられたろう?」
「可愛がられたさ」
「わたしと、どっちがいい?」
「どっちもだいすき……けれども、お雪ちゃんの方が、お嬢さんより親切ね」
「親切、どんなに親切?」
「どんなに親切ったって、それは口には言えないけれど、お雪ちゃんて人は、ほんとうに親切な人よ、わたしがいないでも、わたしのことを心配していてくれるのよ」
「お雪ちゃんより、わたしの方がこわい?」
「こわかないけれど――」
 茂太郎は、この時、立ち上って、般若(はんにゃ)の面をかぶりました。
「茂ちゃん、もう少しお話しよ」
 その時は、もう茂太郎の姿は、この座敷の中には見えず……といっても、七兵衛のように、忍術まがいの早業(はやわざ)で、消えてなくなったわけではなく、窓から身をおどらして、室外へ飛び出してしまったのです。
 ほどなく洲崎鼻(すのさきばな)の尽頭(じんとう)、東より西に走り来れる山骨(さんこつ)が、海に没して巌角(いわかど)の突兀(とっこつ)たるところ、枝ぶり面白く、海へ向ってのした松の大木の枝の上に、例の般若の面をかぶって腰うちかけ、足を海上にブラ下げた清澄の茂太郎。
 北の方(かた)、目近(まぢか)に大武の岬をながめ、前面、三浦三崎と対し、内湾(うちうみ)と、外湾(そとうみ)との暮れゆく姿を等分にながめながら、有らん限りの声を出して歌いました。
万木(ばんぼく)おふくが通るげで
五百雪駄(せった)の音がする
チーカロンドン、ツァン
正木(まさき)千石
那古(なこ)九石
那古の山から鬼が出て
鰹(かつお)の刺身で飲みたがる
チーカロンドン、ツァン
 このところより、遠見の番所はさまで遠いところではない。
 あの座敷にいた岡本兵部の娘の耳には、明らかにこの歌の音が聞き取れる。歌の音が聞えるばかりではない、ちょっと身をかがめさえすれば、いま出て行った窓のところから、明らかにこの竜燈の松と、その枝の上に身を置いて、海洋の上に高く足をブラ下げながら、対岸三浦三崎のあたりを眼通りにながめて、あらん限りの声をしぼってうたうその人の姿を、まるで手に取るように、ながめることができるのであります。
弁信さん
お前は知らない
あたしが
どこにいるか
お前には
わからないだろう
海は広く
山は遠い
向うにぼんやりと
山と山の上に
かすんで見えるのは
富士の山
甲州の上野原でも
あの塔の上では
富士の山が
見えたのに
弁信さん
お前の姿が見えない
 清澄の茂太郎は、こういって歌いました。いや、これは歌ではない、単純明亮(たんじゅんめいりょう)に山に向って呼びかけた言葉に過ぎないけれど、茂太郎が叫ぶと、韵文(いんぶん)のように聞える。

 清澄の茂太郎は今、般若の面を小脇にかいこんで、砂浜の間を、まっしぐらに走り出しました。
 その時分、ちょうど、西の空は盛んに焼けて赤くなり、ところによっては海の水さえが、紅を流したようになりました。夕焼けのために空が赤くなり、従って海が赤くなるのは、あえて珍しいことではないが、きょうに限って、その赤い色が違うようです。
 老漁師は、こんなに変った色を好みません。その色ざしによって、なんとか明日の天候を見定めるものですが、この夕べは、十里の砂浜に日和(ひより)を見ようとする一つの漁師の影さえ見えません。
 ところどころに、竜安石を置いたような岩が点出しているだけで、平沙渺漠(へいさびょうばく)人煙を絶するような中を、清澄の茂太郎は、西に向ってまっしぐらに走り出しました。
 真直ぐに行けば忽(たちま)ち海に没入する道も、まがれば無限である。茂太郎は、その無限の海岸線を走ろうというのですから、留め手のない限り、その興の尽き、足の疲れ果つる時を待つよりほかに、留めるすべはない。
 けれども、まっしぐらに走ること数町にして、彼は踏みとどまり、やはり真紅(まっか)に焼けた海のあなたの空に向って、歌をうたう声が聞えます。
 だが、その歌は、音節が聞えるだけで、歌詞は聞えない。聞えてもわかるまい。
 暫く砂浜の上に立って、例の如く、あらん限りの声を揚げて歌をうたっていたが、真紅な西の空に、旗のように白い一点の雲をみとめると、急に歌をやめて、それを見つめる。
 白い一点の雲が動く――動いてこちらへ近づいて来る。
 一片の雲だけが、夕陽の空を、こっちへ向いて飛んで来るという現象は珍しいことだ。ことにその色が、いかにも白い。時としては、銀のような色を翻して見せることもある。
 雲が自身で下りて来る――まことに珍しいことだ。彼は大海の夕暮に立って、下界に降り来る一片の白雲を、飽くまで仰ぎながめている。
 なんのことだ――雲ではない、鳥だ。素敵もない大きな鳥が、充分に翼をのしきって、夕焼けの背景をもって、悠々(ゆうゆう)として舞い下って来るのだった。
 信天翁(あほうどり)か――とびか、鷹か、みさごか、かもめか、なんだか知らないが、ばかに大きな、真白な鳥だ。
 そのうしろを、黒鉛のような夕暮の色が沈鬱(ちんうつ)にし、金色の射る矢の光が荘厳(そうごん)にする。
 なんだ、鳥か――小児が再び走り出したのは、その時からはじまります。雲が心あっておりて来るなら、それに乗りたい、だが、鳥では用がないとでも思ったのだろう。
 鳥の方でもまた、お気に召さないならば……と挨拶して、翼の方向をかえる。
 清澄の茂太郎は、またも、まっしぐらに砂浜の無限の道を走る。
 遠見の番所も見えなくなった。
 駒井の住所も、造船所の旗も、模糊(もこ)としてわからない。
 空の紅(くれない)の色は漸くあせてゆくと、黒の夕暮の色がそれを包んでゆく。ただ一本、すばらしく長い金色の光が、大山の上あたりまで、末期(まつご)の微光を放っているのが残るばかり。
 そこで清澄の茂太郎は、また踏みとどまって、あらん限りの声で歌い出した。
 音節が聞えるだけで、歌詞のわからないのは例の通り――
 ひとしきり、歌をうたうと、またも、西の空の残光に向って、まっしぐらに走り出す。行くことを知って、帰ることを知らないらしいこの少年にあっては、行くことの危険に盲目で、帰ることの安全が忘却される。
 それとも悪魔はよく児童をとらえたがる――鼠取りの姿を仮りて、笛の音でハメリンの町の子を誘い、それを悉(ことごと)くヴェゼルの河の中に落して溺れ死なしたこともある。天の一方に悪魔があって、無限に茂太郎を誘引するのかも知れない。

 果して、その日、晩餐(ばんさん)の席に、駒井の家には、新たに外来の漂泊の愛嬌者の来客を一人迎えたけれど――同時に、いつもいて食卓を賑わす一個の同人を失いました。
 迎えたのは、申すまでもなくマドロス氏、失うたのは、清澄の茂太郎。
 その席で、駒井は、幾度か茂太郎の身の上を心配したけれど、岡本兵部の娘は、一向それを苦にしない。
「あの子は、帰りますよ」
 この娘は、深山と、幽谷と、海浜と、人なきところを好む茂太郎を知っている。
 山に行けば、悪獣とも親しみ、海に入れば、文字通りに魚介(ぎょかい)を友として怖れないことを知っている。茂太郎の不安は、繁昌と、人気と、淫靡(いんび)と、喧噪(けんそう)の室内に置くことで、山海と曠野に放し置くことの、絶対に安全なのを知っている。
 さればこそ、さいぜんも、まっしぐらに砂浜を走る茂太郎を後ろから、最初のうちは呼んでみたけれども、ほどなくあきらめて、そのなすがままに任せてしまった。
 その晩餐の席には、料理方の金椎(キンツイ)も、平等に食卓の一方をしめ、お給仕役は岡本兵部の娘が代りました。といっても、兵部の娘もまた、平等に食卓の一部を持っているのだが、好意を以て金椎の労をねぎらうために給仕をつとめるものらしい。
 これによって見ると、いつもは、清澄の茂太郎もまた、お給仕役をつとめるのだろう。見たところ、田山白雲も、主人役の駒井甚三郎までも、ほとんどここでは、主客の隔てがないらしい。新来のウスノロ氏は、相変らずこの席の人気者でありました。
 兵部の娘に向って、頻(しき)りに面目ながって、ひたあやまりにあやまる形は、またかなり一座の者を喜ばせたようです。
 当の兵部の娘さえ、笑って問題にしないくらいだから、むしろ一種の喜劇的人物の点彩を加えたようなもので、この一座の藹々(あいあい)たる家庭ぶりの中に包まれてしまったようなものです。
 この新来客の姓名は、当人はトーマスとかゼームスとか名乗ったようでしたが、田山白雲は決然として、ウスノロがいい、ウスノロがいい、ウスノロ君と呼べばてっとり早くっていいではないか――と提案したが、それは少なくとも人格に関する、むしろマドロス君と呼ぼうではないか、と駒井の修正案が通過する。
 かくてこのままマドロス君は、駒井一家の家庭の人として包容されるらしいが、駒井甚三郎の心では、これはこれで、また利用の道がある、当分は造船工を手伝わせ――と心に多少の期待を置いているらしい。
 こうして席上はかなり陽気でしたけれど、ひとり、耳の聞えない金椎だけが心配そうに、手帳と鉛筆とを持って、岡本兵部の娘の前へ出て来て、
「茂ちゃんは、どうしました?」
と言いながら、手帳と鉛筆をさしつけると、兵部の娘は、直ちに鉛筆を取って認(したた)めました、
「海岸ヲ西ノ方ヘ向イテ行ッテシマイマシタ、ソノウチ帰ルデショウ」
 それを見ると、金椎の眉根(まゆね)が不安の色に曇り、思わず窓の外から海の方を見ますと、真の闇ながら、空模様が尋常でない。

         十九

 宇津木兵馬は、あすは中房(なかぶさ)の温泉に向けて出立しようと、心をきめて寝(しん)につきました。
 今頃、中房へ行くといえば、誰も相手にしない。案内者ですらも二の足を踏んで引留めるくらいだから、これはむしろ、誰にも告げないで、単騎独行に限ると思いました。
 仏頂寺らの豪傑連はどこを歩いているか、ほとんど寄りつかない。そこでこの連中とは同行のようなものだが、おのおの自由行動を取っているのだから、断わる必要はないようなものの、一応は置手紙をしておこう――それと、防寒の用意だけは多少して行かねばならぬ。場合によっては食糧も――そこで兵馬は、明日出立のことを考えて、今や眠りに落ちようとする時、廊下をバタバタと駈けて来て、兵馬の部屋の障子に手をかけたものですから、ハテ、仏頂寺が帰ったのか知ら、それにしては変な足音だ。
 ハッと、眼がさめた。
 では女中だろう――それにしても女中ならば、いくらなんでも、もう少ししとやかでなければならぬ。寝ついているお客の座敷へ来るには、一応の挨拶もあるべきものを、バタバタと駈けて来て障子へ手をかけると、早くもそれを引開けて、なんにもいわずに勢いよく闖入(ちんにゅう)したものですから、兵馬もこれは変だと思いました。
 こういう場合においての兵馬は、金椎(キンツイ)と違う。
 兵馬は、不具でない耳を持っていると共に、敵の動静に対しては極めて敏感なる武術の修養を持っている。
 何者の闖入者(ちんにゅうしゃ)が、いかなる場合に来ても、よし熟睡中に来ても、うろたえないだけの心得はある。だから、おのれを守る意味においては、金椎あたりとは全然比較にならないのです。
 ハッと眠りをさまして、半眼でもって、早くもその闖入者の動静を見て取ってしまいました。
 ところが、この闖入者もまた、金椎の場合におけるものとは全く挙動も、性質も、違っている。
 あの時のように、一応、外からのぞいて見たり、おとのうてみたりして、おもむろに闖入に取りかかるというのではなく、バタバタと駈けて来て、いきなり障子をあけて、一言もなしにズカズカと人の座敷へ入り込むのだから、かなり大胆なものです。
 けれども、この大胆者は、兵馬を怖れしめないで、驚かせるには驚かせたが、むしろ唖然(あぜん)として、あきれ返るように、驚かせたのです。
 この闖入者は、赤いひげのマドロス氏とは違って、艶(えん)になまめいた女でありました。
 それは特にめざましいもので、男髷(おとこまげ)にゆって、はなやかな縮緬(ちりめん)の襦袢(じゅばん)をつけた手古舞姿(てこまいすがた)の芸者でありましたから、兵馬といえども、呆気(あっけ)に取られないわけにはゆきません。
 ははあ、今夜はお祭で、手古舞が出て大騒ぎであった。だが、手古舞がここへ舞い込んで来るのは、どうしたことの間違いだ。
 兵馬は寝たままで半眼を開いて、非常な驚異で、手古舞の挙動を注視していると知るや、知らずや、手古舞の無遠慮はいよいよ甚だしいもので、いきなり、火鉢のところへ来てべったりと坐ってしまい、右の手で火鉢の上の鉄瓶を取ると、左の手で湯呑をひっくり返し、もうさめてしまった鉄瓶の湯を、その湯呑の中につぐと、仰向けにグッと傾けてしまいました。
 遠慮のない奴もあったものだな、兵馬は呆(あき)れながら、なお油断なくその挙動を注視していると、お湯を飲むこと飲むこと、立てつづけに、何杯も、何杯も、あおりつけて、忽(たちま)ち鉄瓶を空(から)にしてしまいました。鉄瓶が空になったと見ると、それを下へ置いて、ゲッという息をついて、トロンとした眼で室内をながめて、ぐったり身体(からだ)を落ちつけているところ。
 ははあ、酔っているな、酔って、戸惑いをしたな。
 本来ならば兵馬は、そこで穏かに警告を与えて立退きを命ずべきはずであったが、放って置いても、やがて当人が気がついた時は、いわれるまでもなく、ほうほうの体(てい)で立退くだろうと、タカをくくったものらしく、だまって女のなすがままに任せていると、
「房ちゃん、いいかげんにしてお起きなさいよ、花ちゃんのお帰りよ、お起きなさいな」
と言いました。
 それでも返事がないものだから、女は、
「狸をきめても知らないよ、ほんとに独(ひと)り者(もの)はいい気なものさ」
 まず、自分がどこへ来ているのか、お気がつかれぬらしい。
「ほんとに疲れた、わたし、こんなに疲れたことはないわ、こんなにお酒を飲ませられちゃったの……房ちゃん、後生(ごしょう)だから、起きて介抱しておくれな」
 それでも、まだ返答がない。
「なんて不実な人でしょう、いったい、独り者なんて、みんな不実に出来てるのよ、起きないと承知しないよ」
 この分では起しに来るかも知れないと、兵馬はヒヤリとしたが、これは女の虚勢で、口さきだけのおどしに過ぎないものだから安心する。
 その時、女がしきりに畳の上を撫で廻しているのは、多分、煙草がのみたくなって、煙管(きせる)をさがしているものらしい。ところが、なかなか手にさわらないものだから、じれったがり、
「ああ、つまらない、せっかく帰って来ても、お帰りなさいと言ってくれる人はなし、お湯(ぶう)は冷めきってしまってるし、煙草まで隠してしまわなくってもいいじゃないの」
 何かにつけて突っかかりたがる。これは、したたかに酔っぱらっている証拠である。兵馬は厄介者が舞い込んだなと思いました。
 しかし、警告を与えて立退きを命ずるより、当人の気のつくまで待った方が世話がないと、身動きもしないで寝ていると、この闖入者(ちんにゅうしゃ)は、金椎(キンツイ)をおびやかした者よりも遥かに気が強く、トロンとした眼を兵馬の寝ている方へ据えて、
「お起きよ、房ちゃん――今日のお祭に、面白い弥次馬が出たことよ、妙なおじいさんが飛び出して来てね、すっかり世話を焼いちまったの、ずいぶん皮肉なおじいさんよ、それでも、なかなか言うことが通っているから、油断がならないのさ。それともう一つ面白いことはね……お聞きなさいよ、起きてお聞きなさいてば。若いくせに、何だってそう早寝ばっかりしたがるの、寝られないような苦労もしてごらんな、若いうちはさ――その代り、寝られないようなうれしい思いもさせて上げるからさ。一年に一度のお祭じゃないの、夜どおし起きて騒いだって、罰(ばち)は当るまいじゃないか。狸をきめたってわかってることよ、くすぐって上げるよ、それでも起きなけりゃ、ツネって上げることよ、それがイヤなら、素直にお起き」
 今にも飛びついて来るかと思うと、やはり口先だけの虚勢で、頭をぐったりと火鉢の前に下げてしまい、やがてそれが横向きになると、火鉢のふちへひじを置いて、頬杖(ほおづえ)をついて、息づかいが極めて静かなものになりました。
 急におとなしくなったものだから、兵馬も、いっそう張合いが抜けて、まあ邪魔にもならないのだから、そのままにという気になって、自分は、寝返りを打って寝入ろうとしたが、そうは急に眠れない。
 そのうち、急におとなしくなったかの女が、いよいよおとなしくなったものですから、もしやと思ううちに、スヤスヤと眠りに落ちた息づかいですから、
「おや、おれより先に寝ついたのか」
 兵馬は驚いて、枕をそばだてて見ると、女は畳の上に腕を枕にして、いい心持で横になっている。こうなっては仕方がない、ゆり起して帰すよりほかに手段がないと、帯引きしめて兵馬は起き出して来ました。
 前後も知らず寝込んでしまっている女を兵馬が見ると、さまで醜いとは思いませんでした。本来、女の酔っぱらいほど醜いものはないのに、これは醜いというよりはかえって、絢爛(けんらん)にして、目を奪うという体(てい)たらくです。
 友禅というのか、縮緬(ちりめん)というのか知らないが、これは、眼のさめるほどの極彩色のいしょうをつけて、無雑作(むぞうさ)に片はだぬぎの派手な襦袢(じゅばん)の、これ見よがしなのも、そんなにキザとも思われず、つやつやした髪を、男まげに雄渾(ゆうこん)に結い上げたところもいや味にはならず、なんだか豪侠な気が胸に迫るようにも思われます。
 それに、こってりと濃い化粧をした女の顔も、吉原あたりで見る鉄火(てっか)のようなところもあって、年も二十を幾つか越したぐらいのところ、芸者としては、今を盛りの芸者ぶりで、立派に江戸芸者で通るほどの女でありましたから、兵馬も一時はあわてました。
 やがて、そばへよって、女の肩のところに手をかけて、
「もし、起き給え!」
と軽くゆすりましたが、女は少しもこたえがありません。
 さんざんに疲れた上に、充分に酔っている。酔って、場所の見さかいのないほどになっているのだから、手ごたえのないのも無理はあるまい。
「起きなさい!」
 そこで、兵馬は、二度目には、以前より手づよくゆすってみました。
 でも、ちょっと女が眉(まゆ)のあたりを動かして、口をゆがめただけで、さっぱり手ごたえがありません。この上は、手荒くたたき起すか、そうでなければ、さいぜんこの女が威嚇(いかく)したように、急所を突ッつくか、痛いところをツネるかしないことには、お感じがあるまい。

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