大菩薩峠
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著者名:中里介山 

もし、わたしのこの身持が本当のことでしたら、もう、わたしの行く道は、自暴(やけ)よりほかにないではありませんか。
 その道がありましたら、弁信さん、教えて下さい。
昨日の手紙に、わたしは死んでしまいたいと書きましたが、今思い返してみると、死んでも死にきれません。
ああ、今もこのわたしのお腹のうちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌(いや)な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂(うわさ)の的となるに相違ありません。
白骨(しらほね)の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。
けれども何とか、このささやきに、わたしが返答しない限り、その疑惑は強く、高くなる一方で、ささやきは、やがて雷鳴のように強くなり、疑惑は海のように深くなるばかりです。
ですけれども、弁信さん、わたしには全く覚えがありませんのよ。
覚えのないことは、言われないじゃありませんか。
言われなければ言われないほど、人様は勝手な評判を作るでしょう。
ついに、わたしは相手の知れない父(てて)なし子(ご)を生んだ、手のつけられないみだらな女として、人の冷笑の中に葬られてしまわねばならないが、それよりも不幸なのは、この子が……わたしに子供なぞは有りゃしません、妊娠でないことは確かですけれども、もしかして、父なし子の運命を以て世に生れた子供……この子供の不幸に比べたら、わたしの不幸などは、言うに足らないものかも知れません。
そうなっては、死んでも死にきれないではありませんか。
どうしても、わたしは一人では死ねません。生きても二重の罪に生き、死ぬにも二重の罪を犯さなければ、死ぬことさえできません。

弁信さん――
何かよい方法はないでしょうか。
せめて一方だけ生き得られるか、また一方だけ死ねるか、その方法がありましたらお教え下さいまし……
ああ、わたしとしたことが、まあ何という愚痴を書きつらねたものでしょう。こんなことはみんな変ではありませんか。いつ、誰が、わたしの妊娠を見届けたものがありますか。自分でさえその証拠があげられないものを――いやなおかみさんのは、もとよりホンの冗談(じょうだん)であります。取越し苦労にも程のあったもの。
わたしは沼へでも遊びに行って、この気散じを致しましょう……」

         十二

 炉辺の閑話に蚊話(かばなし)が持上った時、その最後に、楽翁公の寛政改革について大いに意気を揚げ、蜀山人(しょくさんじん)を罵(ののし)る者がありました。
 楽翁公が大いに文武を奨励して、士風堕落をもり返そうと企てられたのを、「か」ほどうるさきものはなし、「ぶんぶ」といいて夜もねられず、とは何事だ。
 徳川中興以後、松平楽翁だの、水野越前だの、問題ではあるが井伊掃部(いいかもん)だのという、名望と、手腕とを、備えた政治家が出でたればこそ、今日まで持ちこたえたのである。
 政治家は、もとより民衆の友ではあるが、人間の下劣な雷同性におもねるような政治家は、世を毒すること、圧制家よりも甚(はなは)だしい。蜀山という男は、微禄ながら幕府の禄を食(は)む身分でありながら、一代の名政治家を蚊にたとえるとは言語道断である。あの堕落、阿諛(あゆ)、迎合、無気力を極めた田沼の時代でさえ、
世に逢ふは道楽者におごりものころび芸者に山師運上
となげいた市民には、まだ脈がある……

 それから問題が一転して、この席へ、お雪の姿が見えないという不審がみな一致しました。
 お雪は誰にも心安く、誰にも愛され、誰の話をも身を入れて聞きたがることにおいて、この一座には欠くべからざる人気を持っておりました。今晩に限って、その人が顔を見せないことだけでも、炉辺を非常な淋しいものにすると見えて、
「お雪さんは、どうしました?」
 誰いうとなく、その叫び声が繰返されたけれど、いつまで経っても、その人が姿を見せません。
「お雪さん……?」
「どうしましたか、病気にでもなりゃしませんか?」
「いいえ……病気でもないようですが……」
「今朝から、あの人の姿が見えませんよ」
「いいえ……今朝早く、ねまきのまんまで無名沼(ななしぬま)の方へ出て行きました」
「え、あの子が一人で無名沼へ……ほんとうですか?」
 早くも顔の色をかえたものがあります。あの出来事以来、無名の沼を、魔の池のように恐れている者がある。
「そうして、無事に帰りましたか?」
「え、帰るには帰ったでしょう、さきほど、部屋で手紙を書いているのを見たという者がありますから……」
「それはまあ安心です……誰か様子を見に行って来ては……」
「そうですね……」
といったけれども、誰も急に立とうとする者はありません。まず立ち上るべきほどの人でも、お雪の占(し)めている柳の間までは、長い廊下の、暗いところを伝い伝って、三階まで行かなければならぬおっくうさが、先に立ったものと見える。
 また物にせつかない連中は、来る時には招かずとも来る人、来ないのは、何かさしさわりがあるのだろう、招きに行って、迷惑がらせるにも及ぶまい、という遠慮もあってのことらしい。
 強(し)いて呼び迎えて来なければならぬというほどのことはないが、お雪がいないため、この一座の淋しさは、他の何者でも埋められないと見えて、噂(うわさ)はやっぱりお雪のことのみに集まる。
「お雪ちゃんは、昨晩泣いていましたよ」
「え、泣いていましたか?」
「夜中に、泣いていました」
「では、急病でも起ったのか知ら?」
「わたしも、そう思いましたから、暗い廊下を半分ばかり駈けつけてみましたが、急にやめました」
「どうして?」
「泣いていたお雪さんの部屋に、人が一人いるようですから……」
「誰ですか、あの久助さんですか、そういえば久助さんもいない」
「いいえ、久助さんでは……」
といって語る人が、おのずから言葉がふさがって、顔色があおざめ、くちびるがふるえ、歯の根が合わないものですから、委細を知らない人たちまでがゾッとして、水を浴びせられたような気分になりました。
 その翌日も、お雪は、炉辺(ろへん)の一座へ顔を見せませんでした。
 けれども別に病気でないことは、ひとりでお湯につかっていることもあるし、廊下ですれ違った人もあるのですから、その点は心配はないが、湯に入っている時でも、人を見ると逃げるように、廊下で逢う時も、わざと顔をそむけるようにして通り過ぎるのを、いつもの快活な人に似合わないと、噂をする者もありました。それで、あの娘は病気でもなんでもないけれど、連れの人が悪いので、それがためにお雪も出ぬけられないのだろう、と解釈する者が多くなりました。
 お雪には、久助のほかに連れの人がある。お雪の口ぶりによれば、それは兄であるともいうし、また先生と呼ぶようなこともあるが、その人は、絶対にこの一座の人には加わることがないのみならず、その存在を知っている人すらも、この一座の中に極めて稀れだという有様であります――つまり、その人の病気が悪いので、お雪が心配して、自分も浮かぬ色になり、楽しみにしている炉辺の閑話にも出られないのだろうと、好意に解釈したり、想像したりして、この上もなく物足りないながら、わざわざ人をやって、お雪を招こうとはしませんでした。
 ところが、一日たち、二日たつうちにも、お雪は容易にこの席へ再び姿を現わそうとはせず、そのくせ、抜け出すようにして、かなりのひとり歩きを試みて帰ることが多いようです。つまり、今まで社交を好むように見えたお雪の性格が一変して、なるべく人を離れて、ひとりほしいままにすることを好むような性癖に変ったと見れば、見られないことはありません。

         十三

「弁信さん……
今日はわたし、焼ヶ岳を見に参りましたのよ……」
 お雪はまたしても弁信にあてての手紙を書き出しました。
「弁信さん……
わたしは何につけても、かににつけても、あなたの名を呼びかけずにはおられません。
その次には、いつも茂ちゃんのことが気にかかります。
茂ちゃんをよく見て下さい。あの子は気ままにどこへでも行きますから、あなたの見えない目で、いつまでも見ていていただかないと、あの子はどこの空へ飛んでしまうかわかりません……
弁信さん――
何をおいても、わたしが、あなたの名を呼びかけずにはおられないように、あなたの名を呼びかけると、どうしても机に向って、この心のありのまま、思うままを書いてみないではいられません……
最初はただ、あなたにおたよりだけをしたい心持で、かりそめに筆を執りましたのですが、今となってみると、もうわたしは、これを書かずにはおられません。あなたのお手許(てもと)へ届こうとも、届くまいとも、あなたが見て下さろうとも、下さるまいとも、わたしはこの手紙を書かずにはおられなくなりました。
つまり、今のわたしは、手紙に書くために手紙を書いているようなものでございます。
用意に持って参りました白い紙は、だいぶ残ってはいますが、この分で、わたしが精いっぱいに書いたら、忽(たちま)ちそれがつきてしまうことは眼に見えるようです。用意の白紙がなくなったら、わたしは、ふところ紙でも、紙のきれはしでも、白いという白いものは大切にしようと、今から心がけています。もし弁信さんが近いところにいましたなら、わたしは、あなたに紙を送って下さい、沢山に……と何よりも先に、このことをお願いしたいと思います。
今日は焼ヶ岳を見物に参りました。
焼ヶ岳という山は、距離にしてはここから、さほど遠いところではありませんが、この温泉場では見えません。乗鞍ヶ岳というのも、つい近いところにあるのですが、それもここで見ては見えません……少なくとも、これらの山々を眺めるところまで行くには、無名(ななし)の沼を越えて、かなりの山路をのぼって行かなければならないのです……乗鞍ヶ岳も好きですが、焼ヶ岳の煙を見ることも、わたしはいやではありません。

弁信さん――
わたしは今、焼ヶ岳の歌をつくりました。歌といえましょうか知ら。
茂ちゃんの歌と比べてどうですか。少なくともなさかのわかるだけは、わたしの方がましだと思っていただきとうございます。
茂ちゃんの歌は、全くあれはでたらめでしょうけれど、あのでたらめに、わたしは何ともいえず引きつけられることがあります。もし、あの子に歌の学問をさせたら、どんなに立派な歌よみになるか……それとも、学問をさせたら、さっぱり歌がうたえなくなるか、そのことは、わたしにはわかりません。
まあ、わたしの歌を書きつけてみましょう。

焼ヶ岳よ
お前はなぜ火をふいている
このあたりには
高い山という山が
かずしれずあるその中で
昔はみんな
お前と同じように
争うて天に向って
火を吐いていたというが
今はみんなおとなしく
鳴りをしずめ
気焔を納め
雪に圧(おさ)えられても
風にけずられても
怖れもせず
泣きもせず
千古の沈黙に
落ちてしまって
生きているのか
死んでしまったのか
それさえわからないのに
焼ヶ岳よ
お前だけが生きている
もう少し高いところで
見てごらんなさい
槍が見える
穂高が見える
白馬の背が見える
笠ヶ岳も錫杖(しゃくじょう)も
立山も乗鞍も
木曾の御岳山も
加賀の白山も
みんなお前よりは
兄さん分であろうのに
どれもこれも
雪に圧(お)されて
頭を上げ得ないのに
お前だけはその頭上に
降る雪を寄せつけないで
天に向って焔をあげる
胸に思い余る火があって
外に燃ゆる恨みが
いつまでもお前を若くし
さながら、乙女の
みどりの黒髪に似た
その煙
その煙が美しい……

弁信さん――
わたしの歌は、これでおしまいになったのではありません。
わたしは、まだまだこれから山々の歌をつくりたいと思っていますが、歌を作るのは、手紙を書くのよりも時間がかかります。
わたしは、この手紙を書くのと、歌を作るのとの興味に駈(か)られて、この二三日というものは、炉辺の皆さんの学問にも、お話の席にも、顔出しをしませんものですから、みんな変に思っているかも知れません。
そういうと何ですけれども、わたしは、これでも歌を作ることに見込みがあるんですって。池田先生が、お世辞ではないと、大へんにほめて下すったものですから、このごろは、筆をとって歌を思い、手紙を書こうとすると、ほんとうに夢中になってわれを忘れてしまいます――
静かな温泉にいて、山を見たり、水をながめたり、そうして、ひまがあれば歌や、手紙を書いているわたしのただいまの生活を、あなたは羨(うらや)ましいと思う……それは違います。
わたしは苦しいのです、いわば苦しまぎれです。夜になると、わたしは夢の中で――さいなまれ、いじめられ、弄(もてあそ)ばれ、――ああ、それは言いますまい、思い出すさえ浅ましい。

弁信さん――
今日も、わたし、あの離れ岩の上に立って、じっと無名沼(ななしぬま)の水を見つめておりました。
その時のわたしは、いつもと違って、無心に、あの水の色と、絹糸のような藻に、みとれていたのではありません。
わたしはこの無名沼を歌によみたいと思って、われを忘れておりましたのです。
そこで、わたしは、短い歌を三つばかり考えましたが、どうも、まだ言葉が足りないので、しきりに工夫を凝(こ)らしておりましたものですが、沼の水の色も、自分の立っている離れ岩のことも、その離れ岩の不祥な思い出のことなんぞも、すっかりその時に忘れ果て、ただ歌にばかり夢中になっておりました。
そうすると、不意に後ろから、わたしの肩を押えるものがあるので、わたしは、倒れるばかりに驚かされてしまいました。
『あ……どなた?』
たしかに、わたしの人相まで変っていたことでしょう。
ところがその人は案外に、
『は、は、は、は……』
と高らかに笑いました。
その笑い声で、わたしは、はっと合点(がてん)がゆきましたが、同時に、今の恐怖は飛び去るようになくなってしまいました。その笑い声が、晴れた日に鼓(つづみ)でも鳴らすような、さえざえした陽気な笑い声で、この辺に、こんな陽気な笑い声を持っている者はほかにはありません、それは鐙小屋(あぶみごや)の神主さんでありました。
『まあ、神主様でしたか?』
『お雪さん、考え過ぎてはいけませんよ』
『ビックリしましたわ』
『は、は、は、わたしの方でビックリしましたよ、また一人心中が持ちあがるのじゃないかと思って――』
『そんなことはありませんよ』
『それでも危ないものだ、お雪さん、もっとこっちへおいでなさい』
『どうして?』
『お前さんの、顔の色さしがいけません、もっと明るいところへおいでなさい』
『ずいぶん明るいじゃありませんか』
『自分で、自分の顔がわかりますか?』
変なことをいう神主様だと思いましたが、その時に、またふとわたしの胸に浮んだのは、では、自分でこそわからないが、このごろのわたしの顔色は、いつもと違っているのではないかしら。
もしかして、わたしに、林の中をしょんぼりと歩いていた浅吉さんの顔の色、あんな色が現われているのではないかと、それを思い浮べて、何ともいえないいやな心持に打たれました。
人が見たら、わたしの顔にも、あんないやな色が浮いているのではないか知ら……
その時に、神主様はまた高らかに打笑い、
『お前さんの顔は、可愛ゆい、邪気(つみ)のない顔でしたが、このごろ、陰気になってきました。こんなところにいると、死にたくなりますから、こっちへおいでなさい』
といって神主様は、わたしの手を取って、ズンズンと鐙小屋の方へ引っぱって行きました。

弁信さん――
それから、わたしはあの神主さんに伴われて、鐙小屋まで参りましたが、すべてが、なんという陽気なことでしょう。
あの神主さまの顔は、かがやくばかりです。といっても、神様のように神々(こうごう)しく、近寄り難いかがやきではなく、人間が始終、何かに満足しながらいきているようなかがやきであります。
わたしを離れ岩の上から引きつれて行った手の温かいこと、こんな寒いところに、ひとり行(ぎょう)をしているとは思われませんでした。
炉へ火をたいて、わたしを温まらせながら、わたしの顔を見て、にっこりと笑った眼の細い、頬のたっぷりとした、蔭や、毒というものの微塵(みじん)も見えないあの面立(おもだ)ち。活(い)きた福の神様というのが、これだろうと、つくづく、わたしはその時に感心致しました。
しかし、この福の神様は、俵もたくわえていないし、金銭も持ってはいないし、そば粉か何かを、毎日少しずつ食べているだけだそうです。
この神主様は毎朝、お光を仰ぐために、乗鞍ヶ岳の頂上の、朝日権現様まで、人の知らないうちに登り、人の知らないうちに帰って参ります。
足の達者な人でも、日帰りにはむつかしい山路を、この神主さんは、ほんの数えるだけの時間で、往ったり来たりしていますのが、とても真似(まね)ができないといって、山の案内者たちも、舌をまいているのでございます。
『お嬢さん、あなた、陽気にならなきゃいけません。陽気になるには、お光を受けなきゃなりません。お光を受けて、身のうちをはらい清めなきゃなりません。人は毎日毎朝、座敷を掃除することだけは忘れませんが、自分の心を、掃除することを忘れているからいけません。自分の心を明るい方へ、明るい方へと向けて、はらい清めてさえ行けば、人間は病というものもなく、迷いというものもなく、悩みというものもないのです。ですから、何でも明るい方へ向いて、明るいものを拝みなさい。一つ間違って暗い方へ向いたら、もういけませんよ。暗いところにはカビが生えます、魔物が住込みます、そうして、いよいよ暗い方へ、暗い方へと引いて行きます。暗いところには、いよいよ多くの魔物の同類が住んでいて、暗いところの楽しみを見せつけるものだから、ついに人間が光を厭(いと)うて、闇を好むようなことになってしまうと、もう取返しがつきませんよ……早いたとえが、この間のあの二人をごらんなさい、あの年とった、いやにいろけづいたお婆さんと、それにくっつききりの若い男とをごらんなさい、あれがいい証拠ですよ。あれが明るいところから、わざわざ暗いところへ、暗いところへと択(よ)って歩いて、その腐りきった楽しみにふけったものだから、つい、あんなことになってしまいました。外の空気のさえ渡って、日の光がたまらないほど愉快な小春日和(こはるびより)にも、あの二人は、拙者がいないと、この小屋の中へはいり、小屋をしめきっては、暗いところでふざけきっていました。だから、わたしは山から帰る早々、それを見つけると、戸をあけ払って、二人をはらい出したものです。二人は、拙者の振り廻す御幣(ごへい)をまぶしがって、恐れちぢんで逃げ出したが、逃げ出して暫くたつと、またあの森かげへ隠れて、くっつき合っていましたよ。とても度し難いというのはあれらでしょう、放って置いてもいいかげんすると、うだって、腐りきってしまう奴等ですが……みんごと、魔物の餌食(えじき)になって、二人とも、沼へ落ちて死んでしまったが……いやはや、罪のむくいとはいえ気の毒なものさ……お嬢さん、あなたなんぞは年も若いし、今が大切の時ですから、暗い方へ行ってはなりませんよ、始終明るくおいでなさいよ。そうしないとカビが生えますよ、毒な菌(きのこ)が生えますよ……光明は光明を生み、悪魔は悪魔を生みますよ。ほんとに、あなたはこのごろ顔色が悪い、この間中のさえざえした無邪気な色が消えかかって行く。気をおつけなさい……』
神主様から、こう言われた時、わたしは思いきってこの神主様に、この頃中の胸の悩みを、すっかり打明けてしまおうかと思いました。

弁信さん――
善きにつけ、悪(あ)しきにつけ、相談相手というもののないわたしは、この時、洗いざらい、自分の今までのしたことと、悩んでいることを、この神主さんに打明けて、どうしたらいいか教えていただこうと思いましたが、神主さんの顔が、あんまりかがやかしいものですから、ツイ臆してしまって、それが言えませんでした。
話せば、相当の同情も持って下さろうし、解決もつけて下さるかも知れませんが、それにしては、あんまりこの方は、明る過ぎると思いました。
明る過ぎるというのはおかしいようですが、この神主様は、明るいところばかり知って、暗いところを知らないのじゃないか知らと、わたしは危ぶみました。
それならば、なお結構じゃありませんか、その明るい光の前に、すべてのけがれをブチまけて、それを清めていただきさえすれば、この上もない仕合せではないか……と一通りはお考えになるかも知れません。
しかしね、弁信さん――
自分が一度も病気になった覚えのないものには、病人の本当の苦しみというものはわかりませんのね。ただ明るいところばかり見ている人は、それはこの上もなく結構には違いありますまいが、暗いところの本当の楽しみ……または苦しみといったものに、本当の理解がしていただけるかしら。それが、ふと、わたしの胸にあったものですから、ツイ、わたしはこの神主様の前に、一切を打明けることを躊躇(ちゅうちょ)いたしましたのです。
あまりにこの神主様は、すべてが明るく、かがやかし過ぎます。
それが、弁信さん――
あなたならば……あなたは明るいということを知りませんから、あなたに向っては、たとえば、どんな自分の罪でも、けがれでも、すっかり打明けて、恥かしいとも、悔(くや)しいとも思いませんが、あの神主さんの前では、まだどうしても、自分を開いて見せようという気になれませんでした。
そこで、口先をまぎらかすように、わたしは、神主さんの言葉尻について、
『けれども神主様、暗いところがあればこそ、明るいところもあるのじゃありませんか、夜があればこそ、昼もあり、悪があればこそ、善もあるのじゃありませんか……人はそう明るくばかり活(い)きられるものじゃありますまい、罪とけがれに生きているものにも、貴いところがあるのじゃありますまいか……』
と言いますと、神主さんは相変らずニコニコとして、こともなげにそれを打消して、
『そんなことがあるものですか、明るい心を以て見れば、この世界に暗いというところはありませんよ。善心から見れば、悪なんというものが存在する場所はありません。悪というのは、つまり人間に勢いをつけるために、それを征伐させるために、神様がこしらえた道具なのです。悪というものは、本来あるものじゃありません。なあに、貴いものが罪とけがれに生きられるものですか、罪とけがれの中にも、死なないのが貴いものですよ』
『ですけれども神主様……この世には、悪いと知りつつ、それを楽しみたくなり、怖ろしいと思いながら、それを慕わしくなって行くような心持をどうしたものでしょう』
『それそれ、それが闇の物好きだ、すべての罪は物好きから始まる……お前さんにゃ今、おはらいをして上げる』
といって、神主様は大きな御幣(ごへい)を取って、わたしの頭上をはらって下さいました。
そうして、わたしはこの鐙小屋(あぶみごや)を出た時に、明暗二つの世界の中に、浮いたり沈んだりするような心持でありました。
その夜の夢に、あのイヤなおばさんが現われて、さげすむように、わたしの顔を見て笑い、
『何をクヨクヨしているの、お雪ちゃん……もしねんねが生れたら、大切に育ててお上げなさいな、それがイヤなら、おろしておしまい、間引いておしまい、殺しておしまい』

ああ、弁信さん――
この次に、わたしが、あなたに手紙を書く時、わたしの心持が、どんなに変るかわかりますか」

         十四

 駒井甚三郎と、田山白雲とは、房州南端の海岸を歩いている。
 駒井は、軽快な洋装をして手に鞭(むち)を持ち、白雲は、鈍重な形をして画框(がわく)を腋(わき)にかい込んでいる。二人ともに眼は海上遠く注がれながら、足は絶えず砂浜の上を歩いている。
 田山白雲は房州に来て、海を見ることの驚異に打たれてから、しきりに海を描きたがっているらしい。
 白雲がいう。
「いや、水の色にこうまで変化があろうとは思いませんでした」
「線と点だけで、この変化が現わしきれますかね?」
と二人が相顧(あいかえり)みて立つ。
「左様――谿谷(けいこく)の水と、河川の水とは、東洋画の領分かも知れませんが、海洋の水は、色を以て現わした方が、という気分がしないでもありません」
「線を以て、色を現わし得るというあなたの見識が動き出しましたか?」
「そういうわけではありません……つまり、淡水(たんすい)と鹹水(かんすい)との区別かも知れません。淡水は、線を以て描くに宜(よろ)しく、鹹水は、色を以て現わすのが適当という程度のものか知ら……」
「一概には言えますまい――しかし、東洋画で、海を描いて成功したものはありませんですか?」
「ないことはないでしょうが、私はまだ不幸にしてブッつかりません」
「水の変化が、多過ぎるからでしょう」
「そうかも知れませんが、また変化が少な過ぎるとも言えます」
「あなたはいつぞや、小湊(こみなと)の浜辺に遊んで、海の水の変化と、感情と、生命とを、私に教えましたが、あなたたちの見る変化と、われわれの見る変化とは違います」
 駒井甚三郎は、海水の一部分だけに眼を落してこう言うと、白雲は、やはり広く眼を注いだままで、
「どう違いますか?」
「われわれは、まず海の水の色を見ます。それも色の変化を、あなたのように感情的には見ないで、数学的に見るのです」
「色を数学的にですか……それは、どういう見方でしょう?」
「まず、水の色の変化が幾通りあるかということを調べます。手にすくい上げて見れば透明無色なる水も、ところにより、時によって、いろいろに変化があるのは誰も見る通り、それを学者は精密に調べて、十一の度数に分けていました」
「ははあ、つまり、この水の色の種類に、十一の変化があるというわけですね」
「そうです……けれども、海の水には、まだ学者の十一には当てはまらない色があるように思われます、十一の標準もやがて変るでしょう」
「そうですか。そういうことも、やはり学者の領分でなく、画家がやりたいことですね、円山応挙などにやらせると、モッと精密に色わけをするかも知れません」
「いや、精密な色わけは、やっぱり西洋人の方が上でしょう。水の色を分類するのみならず、水の温度をも、彼等は精密に研究していますよ」
「なるほど……水の温度というものがありましたね、それも数字で現わさねばなりません。温度の高低が、色の深浅と関係がありますか知ら?」
 田山白雲も、知らず識(し)らず頭を数字の方に引向けられました。
「温度を計るといううちにも、時間と場所はもとより、海面と、海中と、海岸とで、それぞれ温度が違います、それを計るには、第一に、精良なる寒暖計というものがなければなりません、その寒暖計を適度の海中に下ろすには、またそれに相当した機械が必要です」
「なるほど――」
「そうでなければ、海水のある程度の水を、いちいち汲み上げて、それを、外気の影響を受けないように、持上げる器械が必要です……私はこのごろ、その器械を一つ工夫しました」
「ははあ。そうして、この水の温か味というものは、大抵どのくらいあるものですか?」
 田山白雲は、海を見て、その感情の奥のひらめきに打たれて、水が活(い)きている、と叫んだのは今にはじまったことではないが、駒井のような冷静な見方にもまた、相当の興味を引かれると見えて、水の色を、十一に分類したその根拠と種類を、もう少し尋ねてもみたし、また水の温度を、いちいち数字的にも知っておきたいらしい。
「海の水の温度は、大抵三十度より上にのぼることはなく、零点の下三度より降ることはありませんよ」
「その一度二度というのは、あなたがお考えになった器械によってつけたのですか?」
「いいえ、物の寒暖を計るには、西洋では、学者の間に一定の器械があるのです、つまり、寒暖計というものにも幾種類もあって、学者の仲間では、そのうちのCというのを用います。昨年の十月、私がそれによって調べてみたところによると、この辺の、外洋の表面の温度は二十四度前後、三百尺ほど下ると、十七度前後になってしまいます」
「下へ行くほど、つめたいのですね」
「無論です……北海の方へ行けばモット相違があるでしょう、温められた河の水が注ぎ込む近海ほど、温度が高いのですね。今年の七月土用の頃、水田の中の水をはかってみたら、四十度から五十度の間でありました」
「そうですか」
 田山白雲も、ここでは、水が活(い)きて五情をほしいままにする、という気焔を吐き兼ねて、駒井のいうところに傾聴するのみであった。駒井は水のようにすましこんで、白雲の頭へはいる程度の数字を択(えら)ぶような態度で、
「われわれは、水の色と、温度とを、数字的に見るだけでは足りません、その成分をまた、数字の上に分けてみたくなるのです。つまり、水の中に含んでいるさまざまの有機物を分析して、それを表に現わしてみること――それがまた、進めば進むほど趣味もあり、実際上にも密接な関係を生じて来るのです」
「川の水と、海の水とは、成分がちがいましょうな?」
「それは無論違いますとも。川の水だけでさえ種々雑多な相違があり、海の水とても一様には言えない。たとえば、淡水の氷は、二三寸も張れば人が乗っても危険はないが、海の氷は、二三寸では子供が乗っても破れることがあります」
「そうですか知ら。われわれは単に、川の水は甘い、海の水はからい、という程度にしか見ておりませんでした」
「その海の水のからさ加減も、ところによって非常な相違のあること、川の水の甘さにも、相違のあるのと同じことです」
「塩加減にも、違いがあるのですか?」
「ありますとも……普通の海水は大抵、千分の三十四五ぐらいの塩分を溶解しておるのですが、それでも物を浮かす力はとうてい河の水の比ではない……これは海ではありませんが、アメリカのユタというところにある湖は、千分の二百五十も塩分を含んでいるそうですから、人間が落ちても、どうしても沈まない、この湖では、泳げないものでも決して溺死(できし)をするということがない、また身投げをしても、死ねないからおかしい」
「ははあ……そういうものですか」
 田山白雲は、感心して、沈黙させられてしまいました。
 自分の印象的な、感激的な頭を以て、斯様(かよう)な穏かな説明を聞かせられると、感心の度が深いと見える。駒井にあっては尋常茶飯(じんじょうさはん)の説明も、持たぬ者より見れば、持つ者の知識の影が、大き過ぎるほど大きくうつるのも免れ難い弱点かと思われる。
 かくて二人はまた、海をながめながら海岸を歩んで行くうち、言い合わせたように二人の眼が、ハタと地上に落ちて足をとどめました。
 駒井と、白雲とが、急に踏みとどまった砂浜の上には、ぬかごにしては大きく、さつまいもにしてはぶかっこうな根塊(こんかい)らしいものが、振りまいたように散乱しておりました。
 田山白雲は、物珍しそうに、わざわざひざまずいて、その子供のこぶしほどの大きさな根塊を、一つ拾い取って打ちながめ、
「何だろう?」
 会話の興味を中断して、白雲はその根塊の吟味にとりかかる。
 見慣れない小さなグロテスク、それも一つや二つならばとにかく、砂浜のかなりの面積の間に振りまかれたように、ほとんど無数に散乱しているものですから、白雲も、特に注意をひかれたようで、特に手にとって熟覧してみたけれども、その何物であるかは鑑定に苦しむ。ただ、ぬかごの形をして大きく、さつまいもに似てぶかっこうな、一種の植物の根塊であることだけは疑いないらしい。
 白雲は腰をかがめたままで、その根塊の一つ二つを拾い、しさいに打ちながめていると、駒井甚三郎は、立ちながら白雲の手元をのぞき込み、
「これはジャガタラいもですよ」
「え、ジャガタラいも……?」
「そうです」
 田山白雲はまだジャガタラいもを知らなかったが、駒井甚三郎はよくそれを知っている。
 ただ駒井がいぶかしげにそのジャガタラいもを眺めていたのは、ジャガタラいもそのものが珍しいのではなく、この辺では、まだこれを栽培していないはずなのに、こうも多数に海岸に散乱しているのはなにゆえだろう。
 駒井にとっては、それが合点(がてん)がゆかないので、同時に、これは難破船でもあったのではないか、という疑いも起り、難破船とすれば、それはこの近海に近づいた外国船であろうということまでが念頭にのぼってくるので、かなり遠くまで考えながら立っているのでありました。
 田山白雲は、そんなことは頓着なしに、ただ単純に、その根塊を珍しがって、
「ははあ、これが音に聞くジャガタラいもですか?」
「関東で清太いもというのがこれです、ところによって甲州いもだの、朝鮮いもだのといって、上州あたりでもかなり作っているはずですが……」
「いや、拙者は、はじめてお目にかかりましたよ、うまいですか……?」
 田山白雲は、そのうまそうな一つをヒネクり廻すと、駒井が説明して、
「うまいというものじゃないが、滋養に富んでいて常食にもなります」
「米の代りになりますか?」
「外国では、米の代りに、常食としているところがあるそうです。濃厚な肉食をしている西洋人は、副食物のようにして、好んでこれを用います。ですから、或いはこのジャガタラは、西洋人が落したものかも知れません。もしそうだとすれば、ワザと捨てたのか、それとも船がこわれたのか……」
「腐ってはいないようだから、ワザと捨てたんではありますまい、この辺の百姓が作って、干して置いたのを、波にさらわれたのではないかしら?」
「そうかも知れません……しかし、まだこの辺の百姓が、ジャガタラいもを作っているのを見かけませんが……」
 駒井は、まだこのジャガタラいもの存在に不審が解けきれないでいると、白雲は画框(がわく)を岩上にさし置いて、懐中から風呂敷を出して砂上にひろげ、
「それほどうまいものなら、持って行って食べてみましょう……西洋人に食えるものが、われわれに食えないというはずはない」
といって、その根塊の特にうまそうなのを選んでいちいち拾い上げて、その風呂敷に包みはじめました。
 田山白雲は、晩餐(ばんさん)の賞美の料としてのジャガタラいもをブラ下げて行くと、駒井甚三郎は、白雲のために、代って画框を受取って、海岸を帰途につきました。
 その時、駒井はこんなことを言いました。
 もし、自分が海外のいずれへか植民をしようという場合には、とりあえずこのジャガタラいもを植えつけてみたい。その手始めに、この地方へ栽培を試みようと思ったが、ツイにそこまで手が廻らなかったのが残念だ。船を造ることに急にして、農業のことを忘れたのが残念である――植民は農業から始めなければならぬ――というようなことを言う。
「いけないのは、武力を以て、従来の土着の者を征伐して、その耕した土地を奪おうということです。それで一時成功しても、永く続こうはずがありません。やはり、新天地を求めて、自分から鍬(くわ)を下ろして、土地を開かなけりゃうそです」
 駒井はこのごろ、新しくそれを悟ったもののようにつぶやく。
「その新天地というのは、いったいどこにあるんです?」
 白雲がたずねる。
「至るところに新天地はありますよ、われわれはまず、このジャガタラの地方へ行ってみたいと思う」
「ジャガタラとは、どっちの方面ですか?」
「この海を南の方面へ行きます――大陸に渡ってみようか、或いは孤島に根拠を置いてみようか、その辺のことを考えています」
 駒井は絶えず、その行くべき新天地の空想を頭に描いている。駒井の頭では、空想ではないが、白雲には、その内容を実際的に想像する由がないから、
「とにかく、新しい国を開いて、その王になるのは、愉快なことには違いない」
「それは違いますよ、王になろうなんていう心がけが違っています、われわれが新しい土地を開こうとするのは、自らも王にならず、人をも王にせず、人間らしい自由な生活をのみ求めたいからです……われわれの海外移住を、山田仁右衛門のそれと比べると違いますよ、われわれは王にならんがために外国へ行くのじゃなく、農にならんがために行くのです」
「いいですとも……それでも結構ですよ。その場合には、拙者も筆をなげうって、鍬をとる位は雑作(ぞうさ)ありません」
「筆をなげうつ必要はありませんね、食物を土から得て、その次に、自分の天分を思うさま発揮してみたいじゃありませんか」
「なるほど」
「あなたは絵筆を持ちながら、そういうことをお考えになったことはありませんか、つまり、衣食のことをです」
「衣食のこと……? それを考えないでおられるものですか、これでも、妻も子もある男ですからね」
 白雲は、まじめに言う。
「要するに衣食のためですね……主人につかえれば、主人より衣食を受くるむくいとして、自分の自由を犠牲にすることもあるでしょう、衣食のために、心ならずも、美術を売り物にするという心苦しさもないではありますまい」
「ありますとも、大ありでさあ」
 白雲の磊落(らいらく)に答えたのが、しおらしく聞える。
「だから、どうも、人間は衣食を土から得ていないと、本当の自由が得られないようです。自由のないところでは、生きた仕事はできませんからね。ところで、その土というものが、今ではみんな大名のものになっていますから、それを耕してみたところで、得るところは大部分、大名に取られてしまい、残るところの極めて僅かな収入で、生きて行かねばならぬ百姓ほど、哀れなものはないでしょう――してみると、大名の所有以外に、耕すべき土地を求めなければならない道理です」
 駒井は、近ごろようやく、深くこの感じを持たせられたと見えて、その言うことが親切です。白雲はそれをも感心して、
「なるほど、その通りです」

         十五

 二人が外出のあと、支那少年の金椎(キンツイ)は、料理場で料理をこしらえておりました。
 その以前は、駒井とほとんど二人暮しでありましたから、台所の仕事も二人前で済みましたけれど、このごろは客がふえましたから、金椎の仕事も多くなったのは当然です。
 君子は庖厨(ほうちゅう)に遠ざかる、と聖人が言いましたが、金椎のこの頃は、庖厨の中で聖書を読むの機会が多くなりました。
 それは金椎自身が、料理は自分の職分と考えていたから、人の少ない時は少ないように、多い時は多いだけの努力をして、この方面には、誰にも手数も心配もかけまいとの覚悟を以て、この城廓の大膳(だいぜん)の大夫(だいぶ)であり、大炊頭(おおいのかみ)を以て自ら任じているらしいのです。
 ことに、人が幾人ふえようとも、先天的に、話相手というものの見出せない不具な少年にとっては、かえってこの台所の城廓が、安住所でもあり、避難所でもあり、事務所でもあり、読書室でもあって、甘んじてここに納まって、職務以外の悠々自適を試みているというわけです。
 とはいえ、その職務に対しても金椎は、また大いなる研究心を持っている。研究というのは、自分が食事をつかさどる以上は、なるべくよき材料を、よく食べさせたいという念願、いかにしたらば、よき材料が得られ、それをうまく人に食べさせることができるか、という工夫であります。
 金椎はこの範囲で、絶えず料理法の研究を頭に置いている。それはかねてより、自分にも料理の心得があって、外国船に乗込んでいる時分にも、支那料理について、なかなかの手腕を持っていることが船長を喜ばせたり、乗組員に調法がられたりしていて、ある外国人の如きは、金椎の庖丁(ほうちょう)でなければ匙(さじ)を取らない、というのもありました。
 ここへ来ても、駒井甚三郎のために、金椎が独特の支那料理の腕前を見せて、一方(ひとかた)ならず駒井を驚かせたものです。
 ことに感心なのは、こういった不便利だらけの生活におりながら、比較的とぼしい材料に不平もいわず、その少ない材料の範囲で、いかにもうまい手際を見せて、駒井の味覚に満足を与える働きに、感心しないわけにはゆきません。
 その金椎の料理方の腕前を、駒井が推賞すると、金椎はわるびれもせずに、
「料理では、支那が世界一だそうですね」
 駒井は、鉛筆を取って、
「ナニ、世界一、誰ガソウ言ッタ」
 金椎はそれを見ながら、口で答える、
「西洋人が言いました、料理では、支那が第一、日本が第二、ヨーロッパは第三であると言いました」
「ソレハマタ、ドウイウワケデ」
「西洋人が申します、支那の料理、口で味わうによろしい、日本の料理、眼で見るによろしい、西洋の料理、鼻でかぐによろしい――そこで、つまり料理は食べるもの、味わってよろしい支那の料理が第一でございますと言いました。しかし、わたしの料理なぞは問題になりません、真似(まね)をするだけのものでございます」
 駒井甚三郎はこの一言に趣味を感じ、果して支那料理なるものが、それほど価値のあるものか知らとの疑いを起し、最近、江戸へ書物材料を集めに行った機会に、料理書とおぼしいものを二巻ばかり持ち来って、自分が感心して読んだ後に、それを金椎に与えると、金椎は喜んで、それを大きな紙に写し取って壁間(へきかん)に掲げました。今も金椎の頭の上に見ゆるところのものがそれです。
 この壁間に掲げられた料理の書というものは、無点の漢文ですから、誰にも楽に読みこなせるという代物(しろもの)ではない。また読みこなしに、わざわざ入って来ようというほどの者もないところですから、ただはりつけた当人だけが、朝夕それを読んでは胸に納めるだけのことになっているが、ツイこの間、田山白雲がこの部屋へはいり込んで、はからずこの壁書を逐一(ちくいち)読み破って、アッと感嘆して舌をまきました。
 料理書の標題には「随園食箪(ずいえんしたん)」とあるが、白雲はよほど、この料理書の張出しには驚異を感じたと見えて、お手のものの絵筆で、そのある部分に朱を加えたり、評語を書きつけたりしたのが、今でもそのままに残っている。その壁書の下で仕事をしていた金椎は、暫くして、卓にもたれてのいねむりが熟睡に落ちたところであります。
 眠るつもりでここへ来たのでないことは、金椎の眼の前に、読みさしの書物が伏せてあることでもわかるが、まだ晩餐(ばんさん)までには時間もあるし、主人の外出というようなことで幾分は気もゆるんだと見え、ついうとうとと仮睡に落ちたものでありましょう。本来、少年のことだから、眠れば、仮睡から熟睡に落つるにはたあいがない。
 金椎が仮睡から熟睡に落ちている間、この部屋へ、一人の闖入者(ちんにゅうしゃ)が現われました。
 これは最初からの闖入者ではない。闖入する以前に、戸もたたいてみたし、何だかわからない言葉もかけてみたのですが、なにぶんの手答えがないために、こらえきれずして、最初は、極めて臆病に戸を押してみたが、ついにはかなり大胆な態度で、戸を押開き、家の中へ入って来ました。
 それでも、計画ある闖入者(ちんにゅうしゃ)でない証拠には、まだオドオドとして、何か案内の許しを乞うような言葉があったのですが、誰もそれに挨拶を与えるものがないので、思いきって床の板に踏み上りました。
 これはまた、是非もないといえば是非もないことで、つんぼであった金椎(キンツイ)の耳には、ただでさえ、僅かの案内では耳にうつろうはずもないのを、この時は、前にいう通り、仮睡から熟睡へ落ちた酣(たけな)わの時分でしたから、最初のおとないも、あとの闖入も、いっこう注意を呼び起そうはずはなく、一歩一歩に居直る闖入者の大胆なる態度を、如何(いかん)ともすることができません。
 この闖入者は、部屋の一隅に眠れる金椎のあることを発見して、一時はギョッとしたようでしたが、やがてニッと物すごい笑い方をして、いっそう足音を忍び、とにかく、その部屋の中をしげしげと見廻しました。
 そうして、余物には眼もくれず、釜や、鍋や、どんぶりや、お鉢や、皿や、重箱の類、あらゆる食器という食器の蓋(ふた)を取って見たり、のぞいて見たりしたが、やがて一方の食卓の前に腰をおろすと、そこらにありとあらゆる食物を掻(か)き集め、皿にもり上げ、さじを取って食いはじめました。
 この際、この闖入者の風貌を篤(とく)と見ると、眼が碧(あお)で、ひげの赤い異国人でありました。
 田山白雲よりもいっそう肥大な形に、ボロボロになった古服とズボンをつけた、マドロス風の異国人であります。
 どこの国の異国人だか、それは一向にわからないが、西洋種であり、マドロス風であり、乞食じみていることは、一見、争うべからざるのみならず、ガツガツ飢えきって、多分、一飯の恵みにあずかろうとしてここへ来て、ツイ出来心で、食物にカジリついたものであることはその挙動でもわかる。要するに、闖入者ではあるが強盗ではない。乞食を目的として来たものだろうが、乞食を職業としているものではあるまい。
 流れ流れて来た流浪人としても、陸上からは、こんなのが流れて来るはずがない。太平洋の上を一人で流れて来るはずもない。こういう姿を、この際見るのは、降って湧いたようなものだが、何事の詮索(せんさく)よりも急なのは、飢えである。彼はガブリガブリとあらゆる食物を、手当り次第に食っている。ただ食うのではない、アガキ貪(むさぼ)り、ふるいついて食っている。
 単に、この部屋にありとあらゆる食物といってしまえばそれだけのものだが、その材料は、金椎としては、かなりに苦心して集めたもので、またすべて苦心して調味を終えたものもあり、苦心してたくわえて置いた調味料もある。
 それを、この闖入者は無残にも、固形のものは悉(ことごと)く食い、液体のものは悉く飲むだけの芸当しか知らないらしい。それを片っぱしから取って、胃の腑(ふ)に送りこむだけのことしか知らないらしい。
 今日は、あれとこれを調合し、主客の味覚をいちいち参考とし、明日に持越さないだけの配分を見つもり、その秩序整然たる晩餐の準備が、眠れる眼の前で、無残にも蹂躙(じゅうりん)され、顛覆(てんぷく)されている。それを、全然知らない金椎もまた悲惨であるが、飢えのために、この料理王国のあらゆる秩序を蹂躙し、顛覆せねばならぬ運命に置かれた闖入者の身もまた、悲惨といわねばならぬ。
 その壁間にかかぐるところ、支那料理法の憲法なる「随園食箪(ずいえんしたん)」には何と書いてある。試みに田山白雲が圏点(けんてん)を付してあるところだけを読んで、仮名交り文に改めてみてもこうである、
「凡(およ)ソ物ニ先天アル事、人ニ資禀(しひん)アルガ如シ。人ノ性下愚ナル者ハ、孔孟之(これ)ヲ教フト雖(いへど)モ無益也。物ノ性良(よろ)シカラズバ、易牙(えきが)之ヲ烹(に)ルト雖モ無味也……」
又曰(いわ)く、
「大抵一席ノ佳味ハ司厨(しちゅう)ノ功其六ニ居リ、買弁ノ功其四ニ居ル……」
又曰く、
「厨者ノ作料ハ婦人ノ衣服首飾ナリ。天姿アリ、塗抹ヲ善クスト雖モ、而(しか)モ敝衣襤褸(へいいらんる)ナラバ西子(せいし)モ亦(また)以テ容(かたち)ヲ為シ難シ……」
又曰く、
「醤ニ清濃ノ分アリ、油ニ葷素(くんそ)ノ別アリ、酒ニ酸甜(さんてん)ノ異アリ、醋(す)ニ陳新ノ殊アリ、糸毫(しごう)モ錯誤スベカラズ……」
又曰(いわ)く、
「調剤ノ法ハ物ヲ相シテ而シテ施ス……」
又曰く、
「諺(ことわざ)ニ曰ク、女ヲ相シテ夫ニ配スト。記ニ曰ク、人ハ必ズ其倫(たぐひ)ニ擬スト。烹調(ほうてう)ノ法何ゾ以テ異ナラン、凡ソ一物ヲ烹成セバ必ズ輔佐ヲ需(もと)ム……」
又曰く、
「味太(はなは)ダ濃重ナル者ハ只宜シク独用スベシ、搭配スベカラズ……」
又曰く、
「色ノ艶ナルヲ求メテ糖ヲ用ユルハ可ナリ、香ノ高キヲ求メテ香料ヲ用ユルハ不可ナリ……」
又曰く、
「一物ハ一物ノ味アリ、混ズベカラズシテ而シテ之(これ)ヲ同ジウスルハ、ナホ聖人、教ヘヲ設クルニ才ニヨツテ育ヲ楽シミ一律ニ拘ラズ、所謂(いはゆる)君子成人ノ美ナリ……」
又曰く、
「ヨク菜ヲ治スル者ハ須(すべから)ク……一物ヲシテ各々(おのおの)一性ヲ献ジ、一椀ヲシテ各々一味ヲ成サシム……」
又曰く、
「古語ニ曰ク、美食ハ美器ニ如(し)カズト……」
又曰く、
「良厨ハ多ク刀ヲ磨シ、多ク布ヲ換ヘ、多ク板ヲ削リ、多ク手ヲ洗ヒ、然(しか)ル後、菜ヲ治ス……」
「随園食箪(ずいえんしたん)」と「戒単」とは支那料理法の論語であり、憲法であります。
 今や、その論語と憲法の明章たる下で、蹂躙(じゅうりん)と破壊とが行われている。見給え、この闖入者(ちんにゅうしゃ)は薄と厚とを知らない、醤と油とをわきまえない、清と濃との分も、葷(くん)と素(そ)との別も頓着しない――およそ口腹を満たし得るものは、皆ひっかき廻して口に送る。料理王国の権威は地に委して、すさまじい混乱が、つむじのような勢いで行われている。
 この闖入者にとっては、やむを得ざる生の衝動かも知れないが、料理王国の上からいえば、許すべからざる乱賊であります。
 革命は飢えから起ることもあるが、飢えが必ず革命を起すとは限らない、飢えが革命まで行くには、時代の圧迫という不可抗力と、煽動屋というブローカーの手を経る必要があるように思う。
 だから、ここで行われているのは、実はまだ革命というには甚(はなは)だ距離のあるもので、モッブというにも足りない。ほんの些細のないしょごとに過ぎないでしょう。何となれば、革命のした仕事は取返しがつかないが、モッブの仕事は、あとで相当に整理もできるし、回復もできるはずであります。殊に、飢えが室内で行われ、また室内で回復されている間は、ほとんど絶対的といってよいほど安全で、どう間違っても、その室内者の胃の腑(ふ)を充たす悩みだけの時間であるが、これに反して、飢えが室内から街頭へ出た時はあぶない。
 例えば、ありとあらゆる飲食物を、滅茶苦茶に掻(か)きまぜてみたところで、それを悉(ことごと)く食い尽してみたところで、後で多少料理番を狼狽(ろうばい)させるだけのことで、取返しのつかない欠陥というものは残らないはずであります。闖入者がいかにこの場で蹂躙(じゅうりん)をほしいままにしても、それは結局、この金椎(キンツイ)の平和なる仮睡をさえ破ることなくして終るのだからツミはない。
 果して、いくばくもなく、胃の腑を充分に満足させた闖入者は、げんなりとして、人のよい顔をし、充ち満ちた腹をゆすぶって、四方の隅々までジロリジロリと見廻しました。
 ほんとうに人のよい顔です。十九年ツーロンの牢にいた罪人は、こんなおめでたい顔をしてはいなかった。食に充ち満ちた闖入者は、炉にあった鉄瓶を取って、その生ぬるい湯をガブガブと飲む。
 そこで、またも念入りに金椎の寝顔を見てニッコリと笑ったが、これとても、好々たる好人物の表情で、この時、「お前、何をしているの、食べてしまったら、サッサと膳をお洗い……ほんとにウスノロだね」とおかみさんにでも怒鳴られようものなら、一も二もなく、「はい、はい」と恐れ入って、流し元へお膳を洗いに行く宿六(やどろく)の顔にこんなのがある。
 しかし、金椎はまだ眼がさめない。そこで、人のよい闖入者(ちんにゅうしゃ)はいよいよ、いい気持になって、深々と椅子に腰をおろして、ついに懐中からマドロスパイプを取り出してしまいました。
 パイプに、きざみをつめて、炉の中の火をかき起そうとした時、闖入者は、ハタと膝を打ちました。膝を打った時は無論、パイプは食卓の上に載せてあったので、彼はここで、食後の一ぷくをやる以前に、忘れきっていた重大な一事を思い出したかに見ゆる。
 そこで、パイプも、火箸(ひばし)も、さし置いて、彼は立ち上り、よろめいて、そうして戸棚のところへ行って、その戸棚を慎重にあけて、そうして、以前よりはいっそう人のよさそうな顔を、ズッと戸棚の中につき込み、あれか、これかと戸棚の中を物色したものです。
 繰返していう通り、これは盗みを目的として来たのではない。眼前口頭の飢えが満たされさえすれば、暗いところをのぞいて見る必要は更になかるべきはずだが、かく戸棚の隅々を調べにかかったのは、衣食足って礼節を知る、という段取りかも知れない。果してこの闖入者は、その礼節を、戸棚の隅から探し出して来た。
「これこれ」
 どうして、今までここんところに気がつかなかったろう、という表情で、戸棚の隅から抱え出したのは、キュラソーの一瓶でありました。闖入者は、このキュラソーの一瓶を戸棚の中から、かつぎ出すと、まるっきり相好(そうごう)をくずしてしまって、至祝珍重の体(てい)であります。
 実は、もっと以前に、この礼節をわきまえておらなければならないはずだが、飢えが礼節を忘れしめるほどに深刻であったのを、ここに至って、満腹がまた礼節を思い出させたと見える。
 満腹の闖入者は、今しこのキュラソーの一瓶を傾けながら、上機嫌になって、ダンス気取りの足ドリで、早くもこの料理場をすべり出してしまいました。
 飢えは室内から街頭に出してはならないが、満腹はどこへ出してもさまで害をなさない。ただキュラソーが、人をキュリオス(好奇(ものずき))に導くのが、あぶないといえばあぶない。
 闖入者は満腹に加うるに陶酔を以てして、この料理場からすべり出したが、そこは街道でもなければ、ヴェルサイユへ行く道でもない、次の室から次の室へと、導かるるまでであります。
 その次の室というのが、このごろ一室を建て増した食堂兼客室であり、それを廊下によって二つに分れて行くと、その一方が駒井甚三郎の研究室と寝室、他の一方には――若干の客が逗留(とうりゅう)している。
 ウスノロな闖入者は、かなり広い食堂兼客室へ来ると、そのあたりの光景が急に広くなったのと、その室が有する異国情調――実は自国情調とでもいったものに刺戟されたのか、いよいよいい気持になって、片手にキュラソーの瓶をかざしながら、足踏み面白くダンスをはじめました。
 この一室で、ウスノロの闖入者(ちんにゅうしゃ)はかなり面白く踊ったが、いつまで踊っても、相手が出て来ないのが不足らしく、もう一つその室を向うにすべり出そうとしました。
 このウスノロは、それでもまだ、自省心と、外聞との、全部を失っていない証拠には、ダンスの足踏みも、そう甚(はなは)だしい音を立てず、羽目をはずした声で歌い出さないのでもわかるが、本来、音を立てて人前で踊れないほどに、舞踏も物にはなっていないのだから、声を出して歌うほどに、歌らしいものを心得てはいないのだろう。しかし、いい心持はいい心持であって、このいい心持を、一人だけで占有するには忍びないほどの心持にはなっているらしい。
 そこで、彼はいいかげんこの食堂で踊りぬいてから次へ……廊下を渡って一方は主人の室――一方は客の詰所の追分道にかかり、そこで、ちょっと戸惑いをしたようです。
 戸惑いをした瞬間には、ああ、これは少し深入りをし過ぎたな、との自省もひらめいたようでしたが、そこはキュラソーの勢いが、一層キュリオシチーのあと押しをして、忽(たちま)ち左に道をえらび、とうとう主人の研究室と、寝室の方へと、無二無三に闖入してしまいました。
 それにしても、無用心なことです。駒井のこの住居(すまい)には、このごろ著(いちじる)しく室がふえているはずなのに――金椎(キンツイ)ひとりを眠らせて置いて、みんなどこへ行ったのだろう。少なくとも、田山白雲が来ている以上には、清澄の茂太郎もいなければならぬ、茂太郎がいる以上は、岡本兵部の娘もいるかも知れない――そのほか、それに準じて館山の方からも、造船所方面からも、相当に人の出入りがあるべきはず。それを今日に限って、この異国の、マドロス風の、漂流人らしいウスノロ氏の闖入にまかせて、守護不入の研究室までも荒させようというのは、あまりといえば無用心に過ぎる。
 しかし、実はこの無用心が当然で、こんな種類の闖入者があろうということは、想像だも及ばないこの地の住居のことだから、それは無用心を咎(とが)める方が無理だろう。
 またしかし、ここは、料理場と違って、駒井甚三郎の研究しかけた事項には、断じて掻(か)き廻させてはならないことがあるに相違ない。ここで革命を行われた日には、料理場の類(たぐい)ではなく、たしかに取返しのつかないことがあるに相違ない。さればこそ駒井甚三郎は、いかなる親近故旧といえども、この室へは入場を謝絶してあるはず。
 幸いなことに、この室には錠が卸してありましたから、闖入者も如何(いかん)ともし難く、立ちつくして苦笑いを試みました。
 研究室の扉があかなかったものだから、闖入者はにが笑いして暫く立っていたが、また泳ぎ出して、次なる寝室に当ってみると、これが難なくあいたのが不幸でありました。
 研究室の扉の頑強なるに似ず、ほとんどこれは手答えなしに、フワリとあいたものですから、闖入者は押しこまれるように、この室に闖入してしまいました。
 闖入してみると、闖入者が、
「あっ!」

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