大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 そうしてなお言うことには、今こうして来た刀は、みんな駄物ばかりだが、今は駄物だの、名刀だの言っている時節ではない、数さえ多ければ何でもいい。鉄砲だってその通り、ここに集めて来たものは、大抵はチグハグや壊れ物だが、これを修繕して売込むと、立派な値段で買ってくれる――だが、本当に仕事をしようというには、こんなことではまだるくて仕方がない――どのみち、これからの戦争は、いい鉄砲を持っている方が勝ちにきまっているが、そのいい鉄砲は、外国からでなければ来ない。外国からいい鉄砲を仕入れるには、いい船を持たなければならない。
 いい船を持って、いい鉄砲を買込んで、これを盛んに売れば、人に戦争をさせておいて、自分が丸儲けをする。
 おじさん、日本一の金持になろうと思えば、これよりほかの道はあるまい、と忠作がしたり顔である。
 なるほど……七兵衛は、煙にまかれながら、サゲすみきって聞いていたが、こいつ、金儲けの前には、義理も、名分も、そっちのけ、その抜け目のないことにおいては、実際おそろしいほどだと舌をまき、
「忠どん、人に戦争をさせておいて、自分で丸儲けをしようなんていうのは、泥棒よりボロい商売だぜ」
と言ってみたが、七兵衛も、われながらマズい半畳だと思いました。
「ナーニ、おじさん、戦争をする人は、戦争をするように出来ている。金儲けをする者は、するような仕組みでするんだから、ちっとも恥かしいことはないさ。泥棒なんざあ、お前さん、馬鹿のする仕事さ、人に隠れて、コッソリとやって、見つかれば首が飛ぶ、それでいくら儲かるもんだ、泥棒のかせぎ高なんて、知れたもんじゃないか」
「ふふん……」
と七兵衛が、それを聞いてそらうそぶきました。しかし、何とも二の句をつぐ気にならないで、テレ隠しに摺付木(マッチ)をすりました。
 なるほど、泥棒は人のものをただ取る稼業(かぎょう)だが、そのかせぎ高は知れたものだ。そうしてその運命も知れたものだ。
 しかるにこの小僧は、人に戦争をさせておいて、自分は重宝(ちょうほう)がられながら大儲(おおもう)けをしようとする。いつもながら、こいつの言うことだけでも、人を呑んでかかっているのが、返す返すもしゃくだ。いったいこんな奴が成功したら何になるのだ。ただ口前ばかりではない、着々として、そろばんに当る仕事をしているのだから、いよいよ癪(しゃく)だ。
 言うだけのことを言って出て行った忠作のあとを見送って、七兵衛は、あの年で、人に戦争をさせて金を儲けようとは、言うだけでも末が恐ろしい、とあきれました。
 なるほど、これに比べては、盗賊商売などは問題にならない。
 人によっては、資本のかからない、割のいい商売として、盗賊を第一に置くが、よくよく考えてみれば、知れたものだ。
 現に自分が、今日までに盗んだ金額を、そっくり日割にしてみたところで、ちょっと気の利(き)いた日傭取(ひようとり)の分ぐらいにしか当るまい。それでいて、一歩あやまれば首が飛ぶのだ。実際、泥棒なんという仕事は、道楽でなければできる仕事ではない――見ること、聞くこと、今日はいやな日だ、と七兵衛は、そのままゴロリと横になりました。
 ゴロリと横になったけれど、七兵衛においては、ゴロリと横になることだけでさえが、相当の思慮用心を費さねばならないのです。
 たとえば、こうして横になっている間にも、疲れが出てツイうとうととした時分にでも、不意に御用の声を聞こうものなら、咄嗟(とっさ)にハネ起きて、さばきをつけるだけの用心をしていなければならない。
 そこで、七兵衛は、横になった身体(からだ)を、そのまま自分で衝立(ついたて)の蔭まで引きずって行き、頭から合羽(かっぱ)をかぶり、枕もとへは煙草盆を置いて、これが万一の場合は目つぶしになり、それと同時に、この衝立の上へ足をかければ、あの窓から外へ飛んで逃げられる――そこまで考えてからでなければ、昼寝もできないのです。
 いや全く、盗賊という商売は、手数のかかる厄介な商売だ――人に戦争をさせて、大金を儲(もう)けようという忠公などはああして、小威勢よく、天下晴れた顔をして飛び廻っているのに――なるほど、どちらから行っても、泥棒は馬鹿のする仕事で、割に合わないことこの上なし……なんぞと、愚痴を考えていながらも、昨夜の疲れがあるものですから、七兵衛はうとうとと夢路に迷い込みました。しかし眠りに落ちてからにしても、こういう人間は、なかなか手数がかかるので、前後も知らぬ熟睡ということは、一年のうちに幾度もあるものではない。眠れるが如く、眠らざるが如く、畳の足ざわりでさえ目をさます程度で熟睡をしなければならない。
 そういうふうにして、七兵衛が衝立(ついたて)の蔭で、眠れるが如く、眠らざるが如き熟睡を遂げているが、その耳の中へ聞ゆるが如く、聞えざるが如く雑音の入り来り、夢とも、うつつとも、わからない心持でいることは是非もない。
 衝立を隔てて幾人かの人があって、その者の語るところは……近いうちにこの屋敷へ西郷が来るそうだ……イヤ、もう来ているよ……ナニ、西郷がこっちへ来ている、そりゃ嘘だろう……嘘ではないさ、中村と、有馬を連れて、やって来た、しかも東海道をテクでやって来た……あの大きなズウタイで、よく歩けたものだな……ナニ、足はなかなか達者だよ、西郷はあれで、あのズウタイで、乗物に乗らず、わらじばきで、前ぶれもなしにさっさとやって来ては、またいつのまにか帰ってしまう、だから、せっかく西郷に逢いたがっていたものが失望する……失望はいいが、そう軽々しく出歩いた日には、あぶなかろう……そこがつまり、一種の機略だろう……大びらに西郷江戸に来(きた)るとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣(ばいしん)一人が出て来ると、江戸の天地が、安政の地震以上にゆれるとは大仰だ……西郷という男は、それほどエライ男かい、あれも人気者じゃないかな……薩摩というものを背負って、大舞台を睨(にら)んでいるその形に呑まれて、大向うがやんやと騒ぐだけのもので、事実、人気ほどの英雄じゃあるまい――長州の大村、同じ薩摩でも大久保あたりの方が、実力はズンと上だといっている……
 こんな途切れ途切れの言葉を、七兵衛は夢うつつに聞いておりました。
 つまりこの頃、右の薩摩屋敷に、西郷なるものが乗込んで来ているという噂(うわさ)。

         八

 信濃の国、白骨(しらほね)の温泉――
 そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
 もう、これだけ以上には、ここで冬籠(ふゆごも)りをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡(りょうけん)しているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
 この山の通人は、ツマリこの辺の谷々を経(へ)めぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺(ろへん)の人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
 しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
 山の通人は、出来星の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたように書いて出したそうですが、あんなことを書くと、笑われますよ」
「わたし、そんなことを書きましたか知ら?」
「は、は、あなたは、ツガザクラという植物を知らないのでしょう」
「ええ」
「あれは高さ四五寸の、灌木(かんぼく)というものだ、四五寸の植物の下を人間が通れますか、生物知(なまものじり)を書くと笑われますよ」
と言って山の通人が、ある晩のこと、炉辺に人が集まった時を見越して、わざとお雪ちゃんに向って、こんなことをいいましたから、お雪は真赤になって、
「そうでしたか知ら?」
 自分は、そんなことを書いた覚えはないのに、この通人は、わざと人前で、聞えよがしに言うのは、ツマリ自分の知識のほどを、人に見せつけたいという根性が、ありありと見え透きましたから、一座の人も、何となく不愉快に感じましたが、お雪は強(し)いてそれを争おうともしませんでした。
 山の通人は、いよいよソリ身になって、
「そんなに恥かしがることはありませんよ、この間も、馬琴の小説の常夏草紙(とこなつぞうし)というのに、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったから、わしがウンと笑ってやりました」
 通人というのは、お召を着てオホンと取澄ますばかりが通人ではない。自分の持っている知識を鼻にかけて、人を見おろしたがるのは、山の通人にもあるのか知ら、と一座の者が思いました。
 いったい、山岳にでも登ろうとするほどの人は、もっと、気象高大に出来ていそうなものだが、クダらない通人もあるものだ、と思いました。
 それから、話があぶみ小屋の神主のことになると、山の通人が、それをもセセラ笑って、
「何ですって、神主様が行(ぎょう)をしていて、乗鞍の山へ平気で往復する――そんなことがあるものか、それは嘘だろう」
「いいえ、嘘ではありませんよ」
「神主様というものは、そんな行をするもんじゃない――それは修行者だろう。いったい、神主サンは高山に登らないものだよ」
 山の通人は、眼中人なきが如くに一座を見廻して、とりすましました。
 一座の中には、万葉学者の池田良斎先生もいれば、その他、多少の教養もあり、山の知識経験を持っているものもあるのですが、この博識ぶった山の通人は、天下に山のことを心得たものはおれ一人、という気位を見せたものですから、一座の中から、
「ヘエ、神主サンというものは、高山へ登らないものですかね?」
と、眠そうな声で、念を押したものがありました。
「左様、神主サンというものは、高山へ登らないものだ」
 山の通人が、いよいよそっくり返ったのは、相変らず出来星(できぼし)の博士が、小学校の生徒を相手にするような態度でありました。そうすると一座の中から、突然に、
「御冗談でしょう」
とひやかし気味に、やり返すものがある。
「何ですって?」
 山の通人も、気色(けしき)ばむ。
「いつ、神主サンが、高山へ登って悪いという規則が出ましたか?」
「誰も、規則が出たとはいわないが、神主は高山へ登らないもので、高山で行(ぎょう)をするのは修験(しゅげん)のつとめだ」
「お前さん、博識ぶって、燈台下(もと)暗しのことを言いなさんな、神主が、高山に登らないなんてタワ言を言うと、お里が知れますぞ」
「ナニ?」
「論より証拠を、お聞きに入れましょう」
といって、山の通人と喧嘩を買って出たのは、池田良斎の一行、北原賢次であります。
 一座のものは、傲慢(ごうまん)無礼な山の通人の博識ぶりに、不愉快を感じていたところですから、この喧嘩相手の出たのを、むしろ痛快に感じてだまっていました。
 山の通人は、自分の博識の権限を犯(おか)されでもしたように、ムッとして、
「論より証拠――証拠があらば聞きましょう、一体、神主は高山に登らないもので、高山修行は修験者(しゅげんじゃ)に限ったものだ」
「ところで――物識(ものし)りの先生、この信州松本に、藤江正明老人という神主様のあることを、御存じですか?」
「それが、どうしたのだ」
「それは神主サンでございますよ、ねえ、池田先生、先生も御存じでしょう、松本の藤江正明老人は神主様であって、また歌人としても、相応に知られていますね」
 北原賢次は、池田良斎を顧みて駄目を押しますと、池田良斎は、無言でうなずいて見せました。
 そこで山の通人が、またせき込んで、
「その老人で、神主で、歌よみだという人が、どうしたのだ?」
「まあ、せき込まずにお聞き下さい。この老人は、今が七十歳の老年でございますが、日本の高山という高山は、たいてい登っておりますよ。念を押しておきますが、藤江翁は神主さんでございます」
「…………」
「もう少し詳しくお話し申しましょう。ある年、この藤江老人は加賀の白山(はくさん)に登りましたが、途中で暴風雨にあい、一週間、山中の小屋で水ばかりで生きており、雨がやむと、その足で頂上へのぼり、ゆるゆる遊覧して下山し、宿屋の者を驚かしました」
「そりゃ、あんまり……」
「まあ、お聞きなさい。それから藤江老人が、この乗鞍へ登った時も、頂上で暴風雨にあいました。動くとあぶないから、岩に身を寄せて待っていると、七ツ時から始まった暴風雨が、翌日の五ツ半時まで、ちょうど十七時間つづきました。その間、老人は単衣(ひとえ)一枚で、乗鞍ヶ岳の頂上の岩石に身を寄せて、その危険を逃れたのですが、いかがです、これらは人間業とは思われますまい……藤江老人は神主様でございます」
「そんなことが、有り得べきことでない、有り得べからざることだ」
と山の通人は、躍起となって叫び出すと、北原賢次は冷然として、
「有り得べきことか、有り得べからざることか、現在この拙者が、その老人の冒険を、実際に見聞しているのだから仕方がない。といっても、それだけの鍛練が、一朝一夕で出来るわけではありません、本来虚弱な藤江老人が、どうしてそれだけの胆力を養い得たかということをお話ししましょう。それというのも、あなたが、神主は高山に登らない、神主は高山で修行をしないとおっしゃったから、その証明として申し上げるまでですよ」
 北原賢次は、それから、神主であり、登山家であり、修行者である松本の藤江正明翁が、三十までしか生きないといわれた虚弱な身を以て、いかにして、それほどに超人的な身体(からだ)をきたえ得たかという実験を、細々(こまごま)と語り出でたのは、一座の人を、本心から傾聴させるの価値がありました。
 そこで池田良斎も、日本の山岳と、神霊との間には、離るべからざる関係があって、大和の三輪山あたりは、山そのものが神社になっているあたりから説き出して、修験道(しゅげんどう)も、半ば神道のものであり、自分の知れる限りにおいては、まだまだいくらも高山に登ることを好み、高山を修行の道場とする神主のあることを、実例をあげて説き出そうとするものだから、山の通人がいよいよセキ込んで、
「イヤ、物はそう一概に言うものではない、例外というものもあるし……」
とさわぐのを、良斎が尻目にかけて、
「それから、あなたは、馬琴の常夏草紙(とこなつぞうし)の中に、多摩川の岸に、大和なでしこが咲き乱れていると書いてあったといいますが、どの辺に、そんなことがありましたか?」
「ええ、初めの方に、そんなことがあったようです……」
「さきほども聞いていますと、このお雪ちゃんが、ツガザクラの下を通ったとか、通らなかったとかいって、小言(こごと)をいっておいでのようでしたが、お雪ちゃんの文章は、たいてい一度は、わたしが見て上げますが、そんなことは書きはしなかったようですよ、よく読み直してごらんなさい」
「いや、わたしも、ちょっと眼に触れたままですから……」
「かりにも学者として、左様な粗末な、不親切な、見方をなさってはいけません。小説としても馬琴ほどの作者になれば、室町御所に虎を出そうとも、利根川の岸に芳流閣を築こうと、八丈島で馬に乗ろうと、安房(あわ)の国で鯉をつろうとも、皆それだけの頭と、働きを以てやるのですから、あなた方が、一方向きの知識だけでかれこれいうのは、僭越というものです」
 池田良斎は穏かに、この博識ぶった一方向きの山の通人をいましめて、それをしおに立ち上り、浴室へ行くと、一座の者が、われもわれもとあとを続いて、炉辺に残れるはお雪ちゃんと、留守番の老爺(おやじ)と、薄っぺらな山の通人と、その連れの者だけでありました。
 山の通人は、少しばかりテレていましたが、この席に、道庵先生が居合わせなかったことは仕合せでありました。道庵先生でも居合わそうものなら、忽(たちま)ち御自慢の本草学を振り廻して、いっぱしの科学者気取りで、ブリキのようなメスをガチャつかせて、山の通人に食ってかかったに相違ありません。
 山の通人は、暫(しばら)くテレていましたが、そのテレ隠しのように、お雪の方へ向い、
「あなたは、どちらから、おいでになりましたね?」
と尋ねましたから、お雪は正直に、
「甲州の、上野原でございます」
と答えました。
「ははあ、上野原ですか」
「左様でございます」
 お雪がこの場合、英語を知らなかったのも幸いで、もし英語の少しでもカジっていて、ハイランドでございます……なんぞとしゃれようものなら、またこの通人からお小言(こごと)を食ったのでしょうが、ドコまでも素直なお雪は、通人をおこらせるだけの返答を与えませんでした。
「御商売は何ですか、お家は……?」
と尋ねられた時も、お雪は神妙に、
「上野原で、月見寺とお聞きになれば、すぐわかります」
 もし、この場合、お雪ちゃんが女学校出のお茶ッピーで、実家が高利貸でもしていて、「わたしの家はアイスクリームよ」とでも言おうものなら、この通人は真顔になって、「それはお菓子い御商売です」としゃれたかも知れません。
 こういう通人の入り込むこともまた、山の炉辺の一興でありましょう。

         九

 その翌日、お雪は柳の間に籠(こも)って、いつになく冴(さ)えない色をして、机に向って筆を執っている。

「弁信さん――
あたし、きょうもまた、ひとりで、無名沼(ななしぬま)まで行って来たのよ。
四方の峰から、雪が一日一日に、谷に向って強い力で圧(お)してくる中を、毎日、悠々閑々(ゆうゆうかんかん)として散歩にであるく、わたしをのんきだとは思わない……?
その実、沼まで行く道だって大抵じゃないのよ。けれども、天気さえよければ、毎日一度は、あの沼まで行って見ないと気が済まないの。それも、人にことわると留めますから、わたし一人で、ないしょで行きます。
以前にも申し上げました通り、この沼は、わたしを引きつける力が有り過ぎます。
あの事件があって以来、少しの間は遠ざかっておりましたけれど、どうしても引きつけられてしまいます。怖(こわ)いという沼ではありませんもの……ほんとうは怖い沼かも知れませんが、怖いものほどかえって、人を引きつけるのではありますまいか。
わたしは毎日毎日、あの沼へ引きつけられて参ります。そうして離れ小岩の、絹糸のような藻のあるところ、御存じでしょう、最初にあたしが浅吉さんという人の死骸を見たところ、後にあのいやなおばさんが溺(おぼ)れて死んだというところ。知らず識(し)らず、わたしはあの岩の上へ立たせられてしまうのです……
それで、わたしはいい気になって、あの岩の上で、藻の中をかき分けるようにして、何を見ているのでしょう。自分の姿を、水鏡にしているのですから、ほんとに自分ながら、気が知れないことだと思います。
きょうも……その通りにして、わたくしはあの離れ岩のところに立って、水鏡をうつしながら、万葉集の歌と思い合わせて、自分の髪の毛を腕で巻いたり、指先でひねったりして、ひとり楽しんでおりました……
弁信さん――
わたしは、そちらにいた時のように、銀杏返(いちょうがえ)しや、島田に髪を結ってはいないのですよ。グルグル巻きにしたり、お下げにしたり、洗い髪のままでいたりするんですけれど、人のつき合いがありませんから、これが無作法にもなりませんし、またちっとも恥かしいとは思いません。
万葉集の歌には、よく髪の毛のことがありますのよ、女は髪の毛を、生命(いのち)のように大事にすることがあります。
自分でさえ、手ざわりのやわらかな毛をいじっていると、可愛らしくなってしまうことがあります。
わたしは、髪の毛を美しく結んで、人に見せるよりは、解いた髪の毛を、自分の腕に巻いている心持が何とも言われません。

弁信さん――
こうして、わたくしは、自分の髪の毛を腕に巻いたり、ろくでもない器量を水鏡にうつしたりして、ひとり、いい気持になって、離れ岩の上でさんざん遊んで、宿へ帰ることを楽しみにしていたのですが……もう二度とはあの岩へ行きますまい。
今度という今度は、もうあの岩へは遊びに行きますまい。……こんなことを言いますと、また何か水の底で、おそろしい人の死骸でも見たのかと、あなたが心配してお尋ねになる様子が、わたくしにありありとうつりますが、決して、そういうわけではないのです。
きょうというきょうは、何ともいわれないいやな思いが、不意にあの岩の上で起りましたのは……
弁信さん……
あなただからそれを言います……あなたでなければ、それを聞いて下さる人はありません。それは水の中で、ものすごい人の姿を見たのではありません。
わたしのお腹の中で、何ともいえないいやな思いを致しました。
弁信さん――
それをいうのは苦しうございます。いつぞや、あのいやなおばさんは、わたしの乳を見て、黒くなったと言いました。
……その時はわたし、いやな思いをしただけでしたけれど、きょうは人の口からでなく、自分のお腹の中で、そのいやな声が聞えました。

ああ、弁信さん――
わたしは妊娠したのじゃないでしょうか。
もしそうだとすれば、ほんとうに、どうしたらいいでしょう。
あの時、あのいやなおばさんから、乳が黒いとからかわれた時、真赤になったわたしは、ただ恥かしく、口惜(くや)しい思いをしたばかりでしたけれど、今は、わたしのお腹の中が動きます。
ああ、怖ろしいことです……わたしは、ほんとうに身持になったのではないかと、この胸がさわぎ出しました。そう思うと、いよいよお腹の中で、何か動きつづけているようです。
そんなはずは決してない、と気を取り直して、心を落着けようとしていますけれど、もし、そうであったら、わたしは取返しがつきません。
わたしは、世間へ顔向けができません。わたしは、もう以前の無邪気な心で弁信さんに顔を向けることさえできません。
わたしの一生はこれから廃物(すたりもの)です。ああ、怖ろしい身の破滅が、わたしの身にふりかかって来たようです。
今まで生涯に全く覚えのない怖ろしさに、わたしの胸がおののきます。これを書いている筆のさきがふるえています。
わたしの顔の色は、土のように変っているに違いない。

弁信さん――
こんな事まで打明けますと、あなたはさだめし、わたしが温泉へ来てから、手のつけられないいたずら者にでもなったようにお考えになるかも知れませんが、決して、そんなことはありませんのよ。
わたしは、どなたにも同じようにおつき合いをし、同じように可愛がられて、少しもみだらなことに落ちた覚えはありませんのに……
もし、わたしが身重(みおも)になったら、世間は何と言うでしょう……
なお、わたしが父(てて)なし子(ご)を生んだというようなことが、仮りにでも本当でしたら、怖ろしいことではありませんか。わたしの罪も二重になり、わたしの不幸も二重になるではありませんか。
よし、わたしは一生すたり物になるとしても、その子が……その子の長い一生が、またすたり物になるではありませんか。

弁信さん――
あなた、よく教えて下さい。覚えのない妊娠ということがありますか。
父のないのに、子というものが生れるものでしょうか……
わたしは、この苦しい思いを打明けて、誰にも相談することができません。
こんな時こそ、せめて、あのいやなおばさんでもいてくれたら、かえっていい相談相手であったかも知れませんが、今はその人さえおりません。
ぜひなくこうして、遠いところにいるあなたに手紙で御相談をかけてみる、わたしの胸の苦しさをお察しください。
よく、昔の本などには、物の精に感じて、身持になった女があるそうですが、わたしのもそんなのではないでしょうか。
今の世でそんなことを言えば笑われてしまいます。
身持になったわたしを、だれも、不義いたずらの結果と見ないものはありますまい。
郷里へ帰れば、知れる限りの人の指が、わたしの身体(からだ)へ蜂の巣のように突き刺されて、そのあざ笑いの痛さ、冷たさが、想像してさえ骨身にしみるようです。
万一、これが本当の身持であったなら、どうしても、わたしは故郷へ帰れません……
そうかといって、身二つになるまでここに保養をしていて、それからどうなるのです。どちらを行ってもすたり物ではありませんか。
身持になった身をいだいて帰っても、生み落した子を……こんなことを書くのさえ、何ともいえないいやな気がしますが、その子を抱いて帰っても、人の冷笑の痛さは同じではありませんか。
どのみち、わたしは鉄のような仮面をかぶるか、或いはこの良心というものを、石ころのようにコチコチにした上でなければ、人様の前へは出られないのです。
……わたしは、そうまで鉄面皮(てつめんぴ)というものにはなれません。

弁信さん……
わたしは死んでしまいたい気がします。
そんな恥かしい思いをするくらいなら、いさぎよく自殺した方がよい。死んでしまいたい」

         十

 その晩、この温泉の炉辺(ろへん)の閑話に、一つの問題が起りました。
 近頃、山々へ登る人が、よく山々を征服したという。征服の文字がおかしいという者がある。おかしくはない、古来人跡の未(いま)だ至らなかったところへ、はじめて人間が足跡をしるすのだから痛快である、征服の文字はいっこうさしつかえがない、という者がある。
 ハハハハと高笑いをして、富士山を征服したというから、おらあはあ、富士の山を押削(おっけず)って地ならしをして、坪幾らかの宅地にでも売りこかしてしまったのか、そりゃはあ、惜しいこんだと思っていたら、何のことだ、富士の山へ登って来たのが征服だということだから笑わせる……上へたかったのが征服なら、蠅はとうから人間様を征服している……と山の案内者が言いました。
 山の案内者は、近頃の征服連の堕落をなげき、高山植物などの、年々少なくなることをも怖れているらしい。
 その時、山の案内者のデコボコ頭に、燃えぼこりが一つたかりました。
 それを見ると、一人があわてて、
「あれ蚊が……」
といって、平手でピシャリとその男のデコボコ頭をたたきましたが、もとより蚊でありませんから、たたいた者、たたかれた者、共にあっけに取られ、見ていた者も、暫くはあいた口がふさがらないのは、思い設けぬ余興でありました。
 白骨の温泉場の今時分、蚊がいようと思うのがそもそも間違いで、よし蚊がいたからといって、平手でピシャリ打つまでのことはなかろうに、気が早いのだか、間が抜けたのだか、わからないものですから一座があっけに取られ、やがてドッと笑い崩れました。たたかれた山案内のデコボコ頭がおかしかったからでしょう。
 それについて……仏典にこんな話がある。印度に一人の馬鹿野郎があって、ある時、親爺(おやじ)の額(ひたい)へ蚊がとまったのを退治てやるつもりで、有合せた丸太ン棒を取り上げ、馬鹿野郎のこととて、力をこめて親爺の額にとまった蚊をなぐったものだから、親爺もろともにナグリ殺してしまった……この話で一座がまた笑い崩れました。
 そこで、蚊の話が一座の話題の興味になると、例の一茶びいきの俳諧師が、
蚊一つに施し兼ねしわが身かな
 これは一茶らしい主観があっていい。皮肉にも、慈悲にも、同様に取れるところが一茶の身上(しんじょう)である。
閑人(ひまじん)や蚊が出た出たと触れ歩き
も自然のウイットがあって面白い。たくまずして気の利(き)いた状景をとらえたところが眼に見るようである。それに比べると、蜀山人(しょくさんじん)が、松平定信の改革を諷して、
世の中に蚊ほどうるさきものはなし
 文武といひて夜も眠られず
は、露骨にして、下品で、野卑だ。
 松平楽翁ほどの名政治家の改革ぶりを、蚊にたとえて、御当人得意がっているところが、自身の薄っぺらな腸(はらわた)を見せつけているようでイヤだ、という者もありました。
 その通り……いったい、今のやつらはそれよりも、もっと皮肉が下等で、諷刺(ふうし)が糠味噌(ぬかみそ)ほども利かない。蜀山人などは江戸ッ子がって、ワサビのように利かしたつもりだろうが、その利かせるつもりが、鼻についていけない。
 本当の諷刺や、皮肉は、自然にして、温雅にして、同情があって、洞察があって、世間の酸(す)いも甘いもかみ分けて、それを面(かお)にも現わさず、痒(かゆ)いところへ手が届きながら掻(か)かず、そうしてその利(き)き目が、時間がたつほど深刻に、巧妙に現われて来るものだが……本当の諷刺家がいないのは、つまり本当の批評家がいないのだ、というような議論になって、蚊一つの問題から、炉辺が異常なる緊張を示したのも、時にとっての一興でありました。
 この席に、いつも見るはずのお雪ちゃんだけがおりません。

         十一

 その翌日のお雪の手紙。
「弁信さん――
昨晩は、夜通し怖(こわ)い夢ばかり見ました。
いま、起きたばかりの、ねまきのままで机に向い、きのうの手紙の続きを書かなければならないほど、切迫しているわたしの心持を、昂奮しきっているように、あなたは、想像なさるかも知れませんが、その実、わたしの胸はきのうよりはズッと冷静なのよ。
それは、昨晩、あまり怖ろしい夢に責めさいなまれ通したおかげで、この度胸が据(す)わったというのかも知れません。そうでなければ、わたしの、しおらしい娘心が、一夜のうちにすさんでしまったのかも知れません。
昨晩の夢で……わたしは、さんざん姉さんにいじめられました。
姉というのは、あなたもよく御存じの、わたしがここへ来る前に、巣鴨の庚申塚(こうしんづか)で殺された、わたしにとっては大好きな親違いの姉であります。
その姉が、昨晩夢に現われて、さんざんわたしをいじめました。
わたしは、何とも言いわけをしませんでしたが、あの親切な姉が、どうしたものか、あんまりムキになって、わたしをいじめるものですから、わたしもツイ二言三言、何かいいました。そうすると、姉は泣きながら怨(うら)めしい顔をして、わたしに打ってかかるではありませんか。あんまりのことです……
そうして、ついには、身に覚えのない言いがかりまでして、わたしをいじめました。わたしも、そればっかりはだまっていられないので、口惜(くや)しがって泣きました。泣いて姉に食ってかかりました。
そうすると、あくまで、わたしをいじめ抜いていた姉が、急に飛び退いて、冷笑気味になって申しました、
『白々(しらじら)しいことをお言いでないよ、そのお腹(なか)をごらん』
こういわれて指さされた時に、わたしは泣き伏して、この顔を、姉の痛い眼つきから避けるよりほかはすべがありませんでした。
『姉さん、あんまり口惜しい……』
『いたずら者、油断もすきもなりゃしない、よくいったものだね、小娘と何とかは……覚えておいで、その報いがどこへ来るか覚えておいで、お前がもし、わたしのような運命に落ちても、わたしは知らないから……』
こういって、姉は泣き伏しているわたしを、意地悪くのぞき込むようにして、白い眼で睨(にら)みました。
常の姉とは似ず、あんまり薄情で、あんまり手強いから、わたしもツイツイつり込まれて、反抗の気味になりました。
『ようござんすよ……自分のした罪は、自分で背負いますから』
と、わたしも自暴(やけ)の気味でそう言いますと、姉は一層こわい目をして、
『生意気なことをお言いなさい、お前のような世間知らずに、どうして、自分のした罪が背負いきれます……』
『ようござんす、姉さんのお世話にはなりませんから』
『誰もお前の世話をして上げるとは言わないよ……立派に一人[#「一人」は底本では「一り」]でその始末をしてごらん』
『しますとも、わたしは、自分の知らないでした罪は、どこまでも自分で背負いきって、人様に御迷惑はかけませんから……』
『いたずら者……』
『いつ、わたしがいたずらを致しました、わたしは、誰かのように、夫を持ちながら、二人も、三人も、ほかの人を愛するようなことは致しませんから……』
『何をお言いだえ、お前、もう一度いってごらん』
姉はつかみかかるような勢いで、わたしに向って来ました。そうして、わたしの髪の毛を引据えて、さんざんに打ちました。
わたしは姉のするままにまかせて、少しも争わないで、ぶつだけぶたれておりましたが……どうしたのでしょう、そのぶたれるのが、何ともいえないいい心持でありました。

弁信さん――
それから、わたしはもういっそ、なにもかも許してしまおうかという気になりました。
姉が、あれほど手づよく、わたしを疑ったり、責めたりしなければ、わたしも、こんなに度胸を据えるようにはならなかったかも知れません。
妊娠なら妊娠でかまわない。身持になったら身持になったまでのことよ……こんなことを、平気で書いているわたしの顔は、悪魔が手を延ばして、何かの色に塗りつぶしているのかも知れません。

弁信さん――
わたしの処女性は失われました。
少なくとも、こんなことを平気で書いていられるほどに、わたしの娘心はすさびました。これが自暴(やけ)というものでしょうか知ら……自暴ならば自暴でかまいません。
もし、わたしのこの身持が本当のことでしたら、もう、わたしの行く道は、自暴(やけ)よりほかにないではありませんか。
 その道がありましたら、弁信さん、教えて下さい。
昨日の手紙に、わたしは死んでしまいたいと書きましたが、今思い返してみると、死んでも死にきれません。
ああ、今もこのわたしのお腹のうちがうごめきます。気のせいでしょう、気のせいに違いありません。けれども、こうしているうちも、お腹の中で、何か動いているという不安が、一刻一刻に高まってゆく気持をどうすることもできません。
ああ、忌(いや)な、こうして、わたしは幾月かするうちに、人様に隠せないようになって、自分を穴の中にでも入れておかない限りは、見る人の噂(うわさ)の的となるに相違ありません。
白骨(しらほね)の湯は、人里離れて奥深いとは言いながら、やがて、わたしはここにも身を置くことはできなくなるでしょう。
『相手は誰だ』
例のつめたい声が、もうひしひしとわたしの背後にささやかれているような気がします。
『相手は誰だ』
実に、このささやきは、わたしの頭をクルクルとさせ、心臓をつらぬいてしまいます。
けれども何とか、このささやきに、わたしが返答しない限り、その疑惑は強く、高くなる一方で、ささやきは、やがて雷鳴のように強くなり、疑惑は海のように深くなるばかりです。
ですけれども、弁信さん、わたしには全く覚えがありませんのよ。
覚えのないことは、言われないじゃありませんか。
言われなければ言われないほど、人様は勝手な評判を作るでしょう。
ついに、わたしは相手の知れない父(てて)なし子(ご)を生んだ、手のつけられないみだらな女として、人の冷笑の中に葬られてしまわねばならないが、それよりも不幸なのは、この子が……わたしに子供なぞは有りゃしません、妊娠でないことは確かですけれども、もしかして、父なし子の運命を以て世に生れた子供……この子供の不幸に比べたら、わたしの不幸などは、言うに足らないものかも知れません。
そうなっては、死んでも死にきれないではありませんか。
どうしても、わたしは一人では死ねません。生きても二重の罪に生き、死ぬにも二重の罪を犯さなければ、死ぬことさえできません。

弁信さん――
何かよい方法はないでしょうか。
せめて一方だけ生き得られるか、また一方だけ死ねるか、その方法がありましたらお教え下さいまし……
ああ、わたしとしたことが、まあ何という愚痴を書きつらねたものでしょう。こんなことはみんな変ではありませんか。いつ、誰が、わたしの妊娠を見届けたものがありますか。自分でさえその証拠があげられないものを――いやなおかみさんのは、もとよりホンの冗談(じょうだん)であります。取越し苦労にも程のあったもの。
わたしは沼へでも遊びに行って、この気散じを致しましょう……」

         十二

 炉辺の閑話に蚊話(かばなし)が持上った時、その最後に、楽翁公の寛政改革について大いに意気を揚げ、蜀山人(しょくさんじん)を罵(ののし)る者がありました。
 楽翁公が大いに文武を奨励して、士風堕落をもり返そうと企てられたのを、「か」ほどうるさきものはなし、「ぶんぶ」といいて夜もねられず、とは何事だ。
 徳川中興以後、松平楽翁だの、水野越前だの、問題ではあるが井伊掃部(いいかもん)だのという、名望と、手腕とを、備えた政治家が出でたればこそ、今日まで持ちこたえたのである。
 政治家は、もとより民衆の友ではあるが、人間の下劣な雷同性におもねるような政治家は、世を毒すること、圧制家よりも甚(はなは)だしい。蜀山という男は、微禄ながら幕府の禄を食(は)む身分でありながら、一代の名政治家を蚊にたとえるとは言語道断である。あの堕落、阿諛(あゆ)、迎合、無気力を極めた田沼の時代でさえ、
世に逢ふは道楽者におごりものころび芸者に山師運上
となげいた市民には、まだ脈がある……

 それから問題が一転して、この席へ、お雪の姿が見えないという不審がみな一致しました。
 お雪は誰にも心安く、誰にも愛され、誰の話をも身を入れて聞きたがることにおいて、この一座には欠くべからざる人気を持っておりました。今晩に限って、その人が顔を見せないことだけでも、炉辺を非常な淋しいものにすると見えて、
「お雪さんは、どうしました?」
 誰いうとなく、その叫び声が繰返されたけれど、いつまで経っても、その人が姿を見せません。
「お雪さん……?」
「どうしましたか、病気にでもなりゃしませんか?」
「いいえ……病気でもないようですが……」
「今朝から、あの人の姿が見えませんよ」
「いいえ……今朝早く、ねまきのまんまで無名沼(ななしぬま)の方へ出て行きました」
「え、あの子が一人で無名沼へ……ほんとうですか?」
 早くも顔の色をかえたものがあります。あの出来事以来、無名の沼を、魔の池のように恐れている者がある。
「そうして、無事に帰りましたか?」
「え、帰るには帰ったでしょう、さきほど、部屋で手紙を書いているのを見たという者がありますから……」
「それはまあ安心です……誰か様子を見に行って来ては……」
「そうですね……」
といったけれども、誰も急に立とうとする者はありません。まず立ち上るべきほどの人でも、お雪の占(し)めている柳の間までは、長い廊下の、暗いところを伝い伝って、三階まで行かなければならぬおっくうさが、先に立ったものと見える。
 また物にせつかない連中は、来る時には招かずとも来る人、来ないのは、何かさしさわりがあるのだろう、招きに行って、迷惑がらせるにも及ぶまい、という遠慮もあってのことらしい。
 強(し)いて呼び迎えて来なければならぬというほどのことはないが、お雪がいないため、この一座の淋しさは、他の何者でも埋められないと見えて、噂(うわさ)はやっぱりお雪のことのみに集まる。
「お雪ちゃんは、昨晩泣いていましたよ」
「え、泣いていましたか?」
「夜中に、泣いていました」
「では、急病でも起ったのか知ら?」
「わたしも、そう思いましたから、暗い廊下を半分ばかり駈けつけてみましたが、急にやめました」
「どうして?」
「泣いていたお雪さんの部屋に、人が一人いるようですから……」
「誰ですか、あの久助さんですか、そういえば久助さんもいない」
「いいえ、久助さんでは……」
といって語る人が、おのずから言葉がふさがって、顔色があおざめ、くちびるがふるえ、歯の根が合わないものですから、委細を知らない人たちまでがゾッとして、水を浴びせられたような気分になりました。
 その翌日も、お雪は、炉辺(ろへん)の一座へ顔を見せませんでした。
 けれども別に病気でないことは、ひとりでお湯につかっていることもあるし、廊下ですれ違った人もあるのですから、その点は心配はないが、湯に入っている時でも、人を見ると逃げるように、廊下で逢う時も、わざと顔をそむけるようにして通り過ぎるのを、いつもの快活な人に似合わないと、噂をする者もありました。それで、あの娘は病気でもなんでもないけれど、連れの人が悪いので、それがためにお雪も出ぬけられないのだろう、と解釈する者が多くなりました。
 お雪には、久助のほかに連れの人がある。お雪の口ぶりによれば、それは兄であるともいうし、また先生と呼ぶようなこともあるが、その人は、絶対にこの一座の人には加わることがないのみならず、その存在を知っている人すらも、この一座の中に極めて稀れだという有様であります――つまり、その人の病気が悪いので、お雪が心配して、自分も浮かぬ色になり、楽しみにしている炉辺の閑話にも出られないのだろうと、好意に解釈したり、想像したりして、この上もなく物足りないながら、わざわざ人をやって、お雪を招こうとはしませんでした。
 ところが、一日たち、二日たつうちにも、お雪は容易にこの席へ再び姿を現わそうとはせず、そのくせ、抜け出すようにして、かなりのひとり歩きを試みて帰ることが多いようです。つまり、今まで社交を好むように見えたお雪の性格が一変して、なるべく人を離れて、ひとりほしいままにすることを好むような性癖に変ったと見れば、見られないことはありません。

         十三

「弁信さん……
今日はわたし、焼ヶ岳を見に参りましたのよ……」
 お雪はまたしても弁信にあてての手紙を書き出しました。
「弁信さん……
わたしは何につけても、かににつけても、あなたの名を呼びかけずにはおられません。
その次には、いつも茂ちゃんのことが気にかかります。
茂ちゃんをよく見て下さい。あの子は気ままにどこへでも行きますから、あなたの見えない目で、いつまでも見ていていただかないと、あの子はどこの空へ飛んでしまうかわかりません……
弁信さん――
何をおいても、わたしが、あなたの名を呼びかけずにはおられないように、あなたの名を呼びかけると、どうしても机に向って、この心のありのまま、思うままを書いてみないではいられません……
最初はただ、あなたにおたよりだけをしたい心持で、かりそめに筆を執りましたのですが、今となってみると、もうわたしは、これを書かずにはおられません。あなたのお手許(てもと)へ届こうとも、届くまいとも、あなたが見て下さろうとも、下さるまいとも、わたしはこの手紙を書かずにはおられなくなりました。
つまり、今のわたしは、手紙に書くために手紙を書いているようなものでございます。
用意に持って参りました白い紙は、だいぶ残ってはいますが、この分で、わたしが精いっぱいに書いたら、忽(たちま)ちそれがつきてしまうことは眼に見えるようです。用意の白紙がなくなったら、わたしは、ふところ紙でも、紙のきれはしでも、白いという白いものは大切にしようと、今から心がけています。もし弁信さんが近いところにいましたなら、わたしは、あなたに紙を送って下さい、沢山に……と何よりも先に、このことをお願いしたいと思います。
今日は焼ヶ岳を見物に参りました。
焼ヶ岳という山は、距離にしてはここから、さほど遠いところではありませんが、この温泉場では見えません。乗鞍ヶ岳というのも、つい近いところにあるのですが、それもここで見ては見えません……少なくとも、これらの山々を眺めるところまで行くには、無名(ななし)の沼を越えて、かなりの山路をのぼって行かなければならないのです……乗鞍ヶ岳も好きですが、焼ヶ岳の煙を見ることも、わたしはいやではありません。

弁信さん――
わたしは今、焼ヶ岳の歌をつくりました。歌といえましょうか知ら。
茂ちゃんの歌と比べてどうですか。少なくともなさかのわかるだけは、わたしの方がましだと思っていただきとうございます。
茂ちゃんの歌は、全くあれはでたらめでしょうけれど、あのでたらめに、わたしは何ともいえず引きつけられることがあります。もし、あの子に歌の学問をさせたら、どんなに立派な歌よみになるか……それとも、学問をさせたら、さっぱり歌がうたえなくなるか、そのことは、わたしにはわかりません。
まあ、わたしの歌を書きつけてみましょう。

焼ヶ岳よ
お前はなぜ火をふいている
このあたりには
高い山という山が
かずしれずあるその中で
昔はみんな
お前と同じように
争うて天に向って
火を吐いていたというが
今はみんなおとなしく
鳴りをしずめ
気焔を納め
雪に圧(おさ)えられても
風にけずられても
怖れもせず
泣きもせず
千古の沈黙に
落ちてしまって
生きているのか
死んでしまったのか
それさえわからないのに
焼ヶ岳よ
お前だけが生きている
もう少し高いところで
見てごらんなさい
槍が見える
穂高が見える
白馬の背が見える
笠ヶ岳も錫杖(しゃくじょう)も
立山も乗鞍も
木曾の御岳山も
加賀の白山も
みんなお前よりは
兄さん分であろうのに
どれもこれも
雪に圧(お)されて
頭を上げ得ないのに
お前だけはその頭上に
降る雪を寄せつけないで
天に向って焔をあげる
胸に思い余る火があって
外に燃ゆる恨みが
いつまでもお前を若くし
さながら、乙女の
みどりの黒髪に似た
その煙
その煙が美しい……

弁信さん――
わたしの歌は、これでおしまいになったのではありません。
わたしは、まだまだこれから山々の歌をつくりたいと思っていますが、歌を作るのは、手紙を書くのよりも時間がかかります。
わたしは、この手紙を書くのと、歌を作るのとの興味に駈(か)られて、この二三日というものは、炉辺の皆さんの学問にも、お話の席にも、顔出しをしませんものですから、みんな変に思っているかも知れません。
そういうと何ですけれども、わたしは、これでも歌を作ることに見込みがあるんですって。池田先生が、お世辞ではないと、大へんにほめて下すったものですから、このごろは、筆をとって歌を思い、手紙を書こうとすると、ほんとうに夢中になってわれを忘れてしまいます――
静かな温泉にいて、山を見たり、水をながめたり、そうして、ひまがあれば歌や、手紙を書いているわたしのただいまの生活を、あなたは羨(うらや)ましいと思う……それは違います。
わたしは苦しいのです、いわば苦しまぎれです。夜になると、わたしは夢の中で――さいなまれ、いじめられ、弄(もてあそ)ばれ、――ああ、それは言いますまい、思い出すさえ浅ましい。

弁信さん――
今日も、わたし、あの離れ岩の上に立って、じっと無名沼(ななしぬま)の水を見つめておりました。
その時のわたしは、いつもと違って、無心に、あの水の色と、絹糸のような藻に、みとれていたのではありません。
わたしはこの無名沼を歌によみたいと思って、われを忘れておりましたのです。
そこで、わたしは、短い歌を三つばかり考えましたが、どうも、まだ言葉が足りないので、しきりに工夫を凝(こ)らしておりましたものですが、沼の水の色も、自分の立っている離れ岩のことも、その離れ岩の不祥な思い出のことなんぞも、すっかりその時に忘れ果て、ただ歌にばかり夢中になっておりました。
そうすると、不意に後ろから、わたしの肩を押えるものがあるので、わたしは、倒れるばかりに驚かされてしまいました。
『あ……どなた?』
たしかに、わたしの人相まで変っていたことでしょう。
ところがその人は案外に、
『は、は、は、は……』
と高らかに笑いました。
その笑い声で、わたしは、はっと合点(がてん)がゆきましたが、同時に、今の恐怖は飛び去るようになくなってしまいました。その笑い声が、晴れた日に鼓(つづみ)でも鳴らすような、さえざえした陽気な笑い声で、この辺に、こんな陽気な笑い声を持っている者はほかにはありません、それは鐙小屋(あぶみごや)の神主さんでありました。
『まあ、神主様でしたか?』
『お雪さん、考え過ぎてはいけませんよ』
『ビックリしましたわ』
『は、は、は、わたしの方でビックリしましたよ、また一人心中が持ちあがるのじゃないかと思って――』
『そんなことはありませんよ』
『それでも危ないものだ、お雪さん、もっとこっちへおいでなさい』
『どうして?』
『お前さんの、顔の色さしがいけません、もっと明るいところへおいでなさい』
『ずいぶん明るいじゃありませんか』
『自分で、自分の顔がわかりますか?』
変なことをいう神主様だと思いましたが、その時に、またふとわたしの胸に浮んだのは、では、自分でこそわからないが、このごろのわたしの顔色は、いつもと違っているのではないかしら。
もしかして、わたしに、林の中をしょんぼりと歩いていた浅吉さんの顔の色、あんな色が現われているのではないかと、それを思い浮べて、何ともいえないいやな心持に打たれました。
人が見たら、わたしの顔にも、あんないやな色が浮いているのではないか知ら……
その時に、神主様はまた高らかに打笑い、
『お前さんの顔は、可愛ゆい、邪気(つみ)のない顔でしたが、このごろ、陰気になってきました。こんなところにいると、死にたくなりますから、こっちへおいでなさい』
といって神主様は、わたしの手を取って、ズンズンと鐙小屋の方へ引っぱって行きました。

弁信さん――
それから、わたしはあの神主さんに伴われて、鐙小屋まで参りましたが、すべてが、なんという陽気なことでしょう。
あの神主さまの顔は、かがやくばかりです。といっても、神様のように神々(こうごう)しく、近寄り難いかがやきではなく、人間が始終、何かに満足しながらいきているようなかがやきであります。
わたしを離れ岩の上から引きつれて行った手の温かいこと、こんな寒いところに、ひとり行(ぎょう)をしているとは思われませんでした。
炉へ火をたいて、わたしを温まらせながら、わたしの顔を見て、にっこりと笑った眼の細い、頬のたっぷりとした、蔭や、毒というものの微塵(みじん)も見えないあの面立(おもだ)ち。活(い)きた福の神様というのが、これだろうと、つくづく、わたしはその時に感心致しました。
しかし、この福の神様は、俵もたくわえていないし、金銭も持ってはいないし、そば粉か何かを、毎日少しずつ食べているだけだそうです。
この神主様は毎朝、お光を仰ぐために、乗鞍ヶ岳の頂上の、朝日権現様まで、人の知らないうちに登り、人の知らないうちに帰って参ります。
足の達者な人でも、日帰りにはむつかしい山路を、この神主さんは、ほんの数えるだけの時間で、往ったり来たりしていますのが、とても真似(まね)ができないといって、山の案内者たちも、舌をまいているのでございます。
『お嬢さん、あなた、陽気にならなきゃいけません。陽気になるには、お光を受けなきゃなりません。お光を受けて、身のうちをはらい清めなきゃなりません。人は毎日毎朝、座敷を掃除することだけは忘れませんが、自分の心を、掃除することを忘れているからいけません。自分の心を明るい方へ、明るい方へと向けて、はらい清めてさえ行けば、人間は病というものもなく、迷いというものもなく、悩みというものもないのです。ですから、何でも明るい方へ向いて、明るいものを拝みなさい。一つ間違って暗い方へ向いたら、もういけませんよ。暗いところにはカビが生えます、魔物が住込みます、そうして、いよいよ暗い方へ、暗い方へと引いて行きます。暗いところには、いよいよ多くの魔物の同類が住んでいて、暗いところの楽しみを見せつけるものだから、ついに人間が光を厭(いと)うて、闇を好むようなことになってしまうと、もう取返しがつきませんよ……早いたとえが、この間のあの二人をごらんなさい、あの年とった、いやにいろけづいたお婆さんと、それにくっつききりの若い男とをごらんなさい、あれがいい証拠ですよ。あれが明るいところから、わざわざ暗いところへ、暗いところへと択(よ)って歩いて、その腐りきった楽しみにふけったものだから、つい、あんなことになってしまいました。外の空気のさえ渡って、日の光がたまらないほど愉快な小春日和(こはるびより)にも、あの二人は、拙者がいないと、この小屋の中へはいり、小屋をしめきっては、暗いところでふざけきっていました。だから、わたしは山から帰る早々、それを見つけると、戸をあけ払って、二人をはらい出したものです。二人は、拙者の振り廻す御幣(ごへい)をまぶしがって、恐れちぢんで逃げ出したが、逃げ出して暫くたつと、またあの森かげへ隠れて、くっつき合っていましたよ。とても度し難いというのはあれらでしょう、放って置いてもいいかげんすると、うだって、腐りきってしまう奴等ですが……みんごと、魔物の餌食(えじき)になって、二人とも、沼へ落ちて死んでしまったが……いやはや、罪のむくいとはいえ気の毒なものさ……お嬢さん、あなたなんぞは年も若いし、今が大切の時ですから、暗い方へ行ってはなりませんよ、始終明るくおいでなさいよ。そうしないとカビが生えますよ、毒な菌(きのこ)が生えますよ……光明は光明を生み、悪魔は悪魔を生みますよ。ほんとに、あなたはこのごろ顔色が悪い、この間中のさえざえした無邪気な色が消えかかって行く。気をおつけなさい……』
神主様から、こう言われた時、わたしは思いきってこの神主様に、この頃中の胸の悩みを、すっかり打明けてしまおうかと思いました。

弁信さん――
善きにつけ、悪(あ)しきにつけ、相談相手というもののないわたしは、この時、洗いざらい、自分の今までのしたことと、悩んでいることを、この神主さんに打明けて、どうしたらいいか教えていただこうと思いましたが、神主さんの顔が、あんまりかがやかしいものですから、ツイ臆してしまって、それが言えませんでした。
話せば、相当の同情も持って下さろうし、解決もつけて下さるかも知れませんが、それにしては、あんまりこの方は、明る過ぎると思いました。
明る過ぎるというのはおかしいようですが、この神主様は、明るいところばかり知って、暗いところを知らないのじゃないか知らと、わたしは危ぶみました。
それならば、なお結構じゃありませんか、その明るい光の前に、すべてのけがれをブチまけて、それを清めていただきさえすれば、この上もない仕合せではないか……と一通りはお考えになるかも知れません。
しかしね、弁信さん――
自分が一度も病気になった覚えのないものには、病人の本当の苦しみというものはわかりませんのね。ただ明るいところばかり見ている人は、それはこの上もなく結構には違いありますまいが、暗いところの本当の楽しみ……または苦しみといったものに、本当の理解がしていただけるかしら。それが、ふと、わたしの胸にあったものですから、ツイ、わたしはこの神主様の前に、一切を打明けることを躊躇(ちゅうちょ)いたしましたのです。
あまりにこの神主様は、すべてが明るく、かがやかし過ぎます。
それが、弁信さん――
あなたならば……あなたは明るいということを知りませんから、あなたに向っては、たとえば、どんな自分の罪でも、けがれでも、すっかり打明けて、恥かしいとも、悔(くや)しいとも思いませんが、あの神主さんの前では、まだどうしても、自分を開いて見せようという気になれませんでした。
そこで、口先をまぎらかすように、わたしは、神主さんの言葉尻について、
『けれども神主様、暗いところがあればこそ、明るいところもあるのじゃありませんか、夜があればこそ、昼もあり、悪があればこそ、善もあるのじゃありませんか……人はそう明るくばかり活(い)きられるものじゃありますまい、罪とけがれに生きているものにも、貴いところがあるのじゃありますまいか……』
と言いますと、神主さんは相変らずニコニコとして、こともなげにそれを打消して、
『そんなことがあるものですか、明るい心を以て見れば、この世界に暗いというところはありませんよ。善心から見れば、悪なんというものが存在する場所はありません。悪というのは、つまり人間に勢いをつけるために、それを征伐させるために、神様がこしらえた道具なのです。悪というものは、本来あるものじゃありません。なあに、貴いものが罪とけがれに生きられるものですか、罪とけがれの中にも、死なないのが貴いものですよ』
『ですけれども神主様……この世には、悪いと知りつつ、それを楽しみたくなり、怖ろしいと思いながら、それを慕わしくなって行くような心持をどうしたものでしょう』
『それそれ、それが闇の物好きだ、すべての罪は物好きから始まる……お前さんにゃ今、おはらいをして上げる』
といって、神主様は大きな御幣(ごへい)を取って、わたしの頭上をはらって下さいました。
そうして、わたしはこの鐙小屋(あぶみごや)を出た時に、明暗二つの世界の中に、浮いたり沈んだりするような心持でありました。
その夜の夢に、あのイヤなおばさんが現われて、さげすむように、わたしの顔を見て笑い、
『何をクヨクヨしているの、お雪ちゃん……もしねんねが生れたら、大切に育ててお上げなさいな、それがイヤなら、おろしておしまい、間引いておしまい、殺しておしまい』

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