大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「今日は笹子峠の麓なる黒野田といふ処に泊り申候、明日笹子峠へかかる都合に御座候、これより峠を越えて峠向ふの駒飼(こまかひ)といふ処まで二里八丁の道に候、小仏峠と共に此の街道中での難所に候、笹子を越え候はば程なく勝沼にて、それより甲府までは一足に候、さすがに峡(かひ)と申すだけの事はありて、中々難渋な山道に候へども一同皆々元気にて、名所古蹟などを訪(とぶ)らひつつ物見遊山(ものみゆさん)のやうな心持にて旅をつづけ居り候、また人事にも面白き事多く、土地の名物や風俗などにも少しく変つた事有之候(これありそろ)、言葉もまた江戸より入り候へば甲州特有の言葉ありて面白く覚え候、昨日はまた甲州名代(なだい)の猿橋といふのを通り申候、これは名所絵などにて御身も御承知の事と存じ候へ共、猿が双方より手を延ばしたるやうの形にて、土地の人は橋より水際まで三十三尋(ひろ)、水際より水底まで三十三尋も有之候様に申し居り候処、その間に一本の柱も無く組立て候事が奇妙に御座候、甲州は評判の如く荒き処あり、途中も心して見聞致し居り候。
 さて御身の御病気は如何に候や、われら斯(か)くの如き愉快なる旅をつづけ居り候うちにも常に心にかかり候はこの事のみに候、追々寒さにも向ひ候べく、一しほお厭(いと)ひなさるべく候、昨日受取り申候たよりによれば少しく快方との事、やや安心は致し候へども、甲府入りを致したしとは以ての外に候、少々快方に向ひたればとて心に弛(ゆる)みを生じてはならず候、再三申し候通り此の道は男子も憚る険道、それを女の身にて、殊に病中の身にて旅立たんなどとは想ひも及ばぬ事に候、左様の心を起さず当分は御静養専一に可被成候(なさるべくそろ)、冬を越して来春身体と共に陽気の回復する頃を待ちて御入国なされ候へ。
 今日も女連の二人の者同じく江戸より出でて甲府へ赴く由にて此の宿へ着き申候、御身が甲府入りを致したしとの書状と思ひ合せてをかしく存じ候、右の婦人達もたえず駕籠乗物に揺られ、人気の険しさに胆(きも)を冷し随分難渋のやうに見受けられ笑止に存候」
 駒井能登守には奥方があるのでした。それはこの手紙によっても察することができるようにかなり重い病気、かなり永い患(わずら)いにかかって江戸に残されているのです。その奥方に宛てて能登守が毎日のように手紙を書いては送り、奥方からもまたこの道中の都度都度(つどつど)に音信のあることがわかります。能登守も若いから奥方も若いに違いない。能登守も綺麗な人だから奥方も美しい人に相違ない。若くて美しい二人は結婚して、そんなに長い間でないこともわかっています。新婚の若い男と女、たとえお役目柄の厳(いか)めしい能登守にも情愛がなければならぬはずであります。ましてや奥方にはそれに一層の深い情愛がなければならぬはずであります。重い病気と、永い患いとが二人の中を隔てました。その隔てはこうして毎日のように書いているおたがいの消息によって、美しく結ばれているということが想像されるのであります。
 駒井能登守が手紙を書き終ったところへ、お絹から言いつけられた通りにお松がお茶を捧げて入って来ました。
「御免あそばしませ」
「これはこれは」
と能登守は言いました。
 能登守は風呂に入る前に、書類や手紙の用を済ましてしまうのが例であります。お松がお茶を捧げて来たのはちょうどよい折でありました。
 能登守は、お茶を捧げて来たお松の様子を見ると、どうもこの宿あたりにいる女中とは思われないから、
「そなたは、この家の娘御(むすめご)か」
と言って尋ねてみました。
「さきほどは伯母が上りましてお目通りを致しました」
「あ、左様であったか」
 宿を周旋してやったためにお礼に来たさきほどの女、この娘はその連(つれ)か、そうしてさきほどの女が気を利かして、この娘にお茶を持たしてよこしたのだろうと思い当りました。
「何ぞ、御用がござりましたなら、仰(おお)せつけ下さるようにとの伯母の申しつけでござりまする」
と言って、お松は能登守の前に指を突きました。
「それは御親切ありがたいが、別に用事といって……」
 能登守はちょうど眼を落したのが、いま書いていた手紙であります。せっかくのことに、
「大儀ながらこの手紙を、明朝の飛脚で江戸へ届けてもらうように、この宿の主人へ手渡し下されたい」
と言って、その手紙を拾ってお松に渡しました。
「畏(かしこ)まりました」
「あの先刻の婦人は、そなたの伯母でありましたか」
「はい」
「よろしく申して下されよ」
 お松はこうしてお茶を捧げて来て、手紙を持って能登守の許をさがる時に、まことに好い殿様だと思いました。怖(こわ)いお役人様のお頭(かしら)であろうと思って来たのに、打って変って優(やさ)しく思いやりがありそうで、そうかと言ってニヤけた御人体(ごにんてい)は少しもなく、気品の勝(すぐ)れていることを何となく奥床(おくゆか)しく感じてしまいました。
 お絹はお松が能登守から頼まれたという手紙を自分が受取って、お松に向っては、
「今、殿様がお風呂においであそばしたようだから、お前は行ってお世話を申し上げて下さい、失礼のないように」
と言いつけました。
 お松はその言いつけをも、温和(おとな)しく聞いて風呂場の方へ行きました。そのあとでお絹は能登守の手紙を手に取ってつくづくと眺めていました。表には「江戸麹町二番地、駒井能登守内へ」と立派な手蹟で認(したた)めてあります。
 それを見ると、お絹はまたむらむらと変な心が起りました。この手紙は能登守からその可愛い奥方に送る手紙だと感づいてみると、お絹の心が穏やかでありません。能登守の奥方にはまだお目にかかったことはないけれど、能登守があの通り若くて綺麗な人だから、奥方もまた若くて美しい人に違いないとは誰でも想像されることであります。そういうことにはことに敏感なこの女は、あんまり人をばかにしているとこう思いました。お安くない夫婦の間の音信をこのわたしたちに見せつける能登守の仕打(しうち)を憎いと思いました。能登守のような若い殿様に可愛がられる奥方は、どんな人か面(かお)が見てやりたいように思いました。自分たちにそういう心を起させようがために、お松に頼まないでもよい手紙をワザと持たしてよこして、これ見よがしに見せびらかすのではないか。
 これは能登守にとっては非常に迷惑な邪推であります。
「よしよし、そういうわけならばこの手紙の中を見てやりましょう。どんな憎らしいことが書いてあるか見てやりましょう、ほんとに癪(しゃく)に触るから見てやりましょう」
 お絹もそれほど悪い女ではないけれど、情事にかけると、いつも好奇心がいたずらをします。そのいたずらが、暗い中でうごめき出すのを抑えきれないという悪い癖がありました。
 それでも女のことで、荒らかに封を切るということはなく、楊枝(ようじ)の先で克明(こくめい)に封じ目をほどいて、手紙の中の文言(もんごん)を読んでみると、それがいよいよいやな感じを起させてしまいました。
 この手紙の中は夫婦間の美しい消息を以て満たされている。遠く旅に行く夫の心と、病んで家に残る妻の心との床しい思いやりが溢れています。その美しい消息と床しい思いやりとが、お絹の心持をさんざんに悪くしてしまいました。
 人の手紙というものは、見るべきものでも見せるべきものでもないのに、それを盗んで見るということはこの上もない卑劣なことで、お絹もそこまで堕落した女ではなかったのだけれど、好奇(ものずき)から出立して、我を失うようになるのは浅ましいことであります。
 その手紙を読んでしまったあとでお絹は、ついにその筆蹟をうつすというところまで進んで来ました。駒井能登守の筆蹟を透(す)きうつしにして取ってしまいました。これはどういうつもりか知らん。さすがにそれからあとを破りもしなければ裂きもしないで、もとのように丁寧に封をします。
 好奇の隣りには、いつでも罪悪が住んでいる。物を弄(もてあそ)ぼうと思えば必ず己(おの)れが弄ばれる。お絹は悪い計画をする女ではないにかかわらず、男を見るとこういういたずら心が起って、兵馬を口説(くど)いてみたり、竜之助の時の留女(とめおんな)に出てみたり、がんりきを調戯(からか)ったりしていたのが、ここへ来ると駒井能登守を、また相手にする気になってしまいました。
 能登守の手紙を見てしまったことが何か能登守の弱点を押えたように思われて、その取っておいた筆蹟から、或いは能登守を困らせてやるようないたずらができまいものでもあるまいと思っていました。
「友さん、友さん」
 お絹は次の間に控えている米友を呼びましたけれども返事がありませんから、
「どうしたんだろう、疲れて寝込んでしまったのかしら」
と独言(ひとりごと)を言っている時に、与力同心の部屋に宛(あ)てられたところで哄(どっ)と人の笑う声がしました。それと共に、
「笑っちゃいけねえ」
という声は米友の声であります。
「もうお役人衆の傍へ行って話し込んでいると見える。罪のない人だけれど、また間違いを起さなければよいが」
 大勢を相手にしきりに話し込んでいる米友を呼び出すも気の毒だと思って、お絹は自分でその手紙を主人のところへ持って行こうとして廊下へ出ました。
 お絹が廊下へ出て見ると、あの部屋の障子には幾多の侍の頭と米友の頭がうつって見えます。障子に映ってさえ米友の頭はおかしい頭でありました。よくあの頭で人中へ出られるものだ、せめて頭巾でも被って出るか、そうでなければ、かなり頭の毛が生(は)え揃(そろ)うまで人中へ出ないようにしていたらよかろうにと思いました。ところが米友はいっこう平気で、
「一生稽古したって駄目な奴は駄目なんだ、俺(おい)らなんぞは木下流の槍の手筋を三日しか稽古しねえんだ、木下流とも言えば淡路流とも言うんだ、三日稽古をしてその秘伝(こつ)をすっかり呑込んでしまったんだ」
 何を言ってるのかと思えば、槍の自慢でありました。与力同心の連中へ、坊主頭を振り立てて、槍の自慢をしていることがありありとわかります。
 与力同心の連中は、一人の米友を真中へ取りまいて、いずれも面白半分な面(かお)をしてその話を聞いているところであります。
 面白半分な面をして聞いているのはまだ真面目(まじめ)な方で、米友がこの部屋へ入って来る早々から笑いこけて、いまだにゲラゲラ笑っているものもあります。もう腹の皮を痛くしてしまって、このうえ笑えないで苦しがっているようなのもあります。
 これは米友が好んでここへ押しかけて来たのではありません。彼等は早くもこの宿へ米友が来たということを知って、相当の礼を以て招(まね)いたから米友はここへ来たのでありました。
 与力同心は、米友の頭を見て笑ってやろうというような心で米友を招いたのではなく、この不思議な人物の持っている、不思議な能力を解決してみたいからでありました。
 しかしながら、招かれて来た米友の頭を見た時は哄(どっ)と笑ってしまいました。人を招いておきながら、その人の入って来るのを見て、声を合せて笑い出すということは礼儀ではありませんけれども、つい笑ってしまいました。しかし笑われても米友は必ずしも腹を立てませんでした。
「笑っちゃいけねえ」
と言って座に着いてから、やがて話が槍のことまで及んで来て、
「一生稽古したって駄目な奴は駄目なんだ、俺らなんぞは木下流の槍の手筋を三日しか稽古しねえんだ、木下流とも言えば淡路流とも言うんだ、三日稽古をしてその秘伝(こつ)をすっかり呑込んでしまったんだ」
という気焔を上げています。

         七

 お絹が手紙を持ち扱い、米友が与力同心の中で気焔を吐いている間に、お松は風呂場で駒井能登守の世話をしておりました。
 お松は次の間に控えて、能登守の風呂から上るのを待っています。
 その間に兵馬のことを考えています。いま甲府の牢内に囚(とら)われているという兵馬を助けんがためには、神尾主膳に頼ることが最良の道であることに七兵衛もお絹も一致しているが、お松には神尾の殿様という人が、それほど頼みになる人とは思われません。ここにおいでなさる駒井能登守という殿様は、神尾の殿様よりも一層頼みになりそうな殿様であると、こう思わないわけにはゆきません。甲府勤番支配は、ある意味において、甲州の国主大名と同じことだと言ってお絹から聞かされました。神尾の殿様に比べて強大な権力を持っている人だということもお絹から聞かされました。その上に、ちょっとお目にかかっただけでも、大層お優しい方だとお松は頼もしく思いました。神尾の殿様とは、以前の知行高は同じぐらいであったそうだけれども、その人品は大へんな相違があると思いました。それですから、もし神尾の殿様に願って通らなかった時は、この殿様に願えば必ず叶(かな)えて下さるだろうと思われてなりませんでした。或いは神尾の殿様に願わない前に、この殿様にお願いした方が、事がすんなりと運ぶだろうと、お松はそこまで考えてきました。それでこの殿様に、この意味で取入っておくことが幸いであると気がつきました。お絹がお松をして能登守に取入らせようという心と、お松が自身で能登守を頼ろうとする心とは全く別なのであります。
 そう考えてくると、お松はこの時が好い機会であると思わないわけにもゆきませんでした。同じ甲府へ行く旅にしても、身分も違えば目的も違う、この後、こんなに親しくお目にかかれる機会があるかどうかわからぬとお松はそこへ気がついたから、どうしても今宵(こよい)を過ごさず能登守に向って、兵馬の身の上のお願いをしてみるほかはないと、心が少しいらだつようになりました。
 こんなことを考えている時に、能登守は風呂から上った様子でありましたから、お松は立って行きました。そうしてお松は、能登守の着物を着替える世話をしてやりました。能登守はお松の親切を喜んで、打解けて見えます。
 お松は言い出そう、言い出そうとしましたけれども、つい言い出しにくくなって、お願いがございますと咽喉まで出てそれが言えないで、自分ながら気がいらだつのみであります。
 お松が能登守のために雪洞(ぼんぼり)を捧げて長い廊下を渡って行く時に、笹子峠の上へ鎌のような月がかかっているのが見えました。
 能登守は静かに廊下を歩きながら、その月を振仰いで見ました。
「そなたは、江戸からこんなところへ来て淋しいとは思わないか」
と能登守はお松を顧(かえり)みてこう言ってくれました。その言葉があったために、さっきから一生懸命で、言い出そう言い出そうとしていたお松は一時に力を得て、
「いいえ、淋しいとは思いませぬ、少しも」
と言葉にも力を入れて返事をしました。
「それはえらい」
と言って、能登守は賞(ほ)めたけれど、お松の言葉よりは鎌のような月の方に見恍(みと)れているのでありました。
「殿様」
 お松はここでせいいっぱいに殿様といって能登守を呼びかけましたけれど、自分ながらその言葉の顫(ふる)えていることに驚いたくらいでありました。
「なに?」
 能登守は、お松の改まった様子を少しく気に留めた様子です。
「あの、お願いでござりまする」
とお松は、いよいよ改まった言葉でありました。
「願いとは?」
 能登守は鎌のような月を見ていた眼を、お松の方へ向けました。そうして雪洞(ぼんぼり)の光に照らされたお松の面(かお)に一生懸命の色が映っていることを認めて、これには仔細(しさい)があるだろうと感じました。
「あの、わたくしどもが甲府へ参りまするのは、冤(むじつ)の罪で牢屋につながれている人を助けに参るのでございます」
「人を助けに?」
「それ故、殿様のお力添えをお願い致したいのでございまする」
 お松は夢中になってここまで言ってしまいました。ここまで言ってしまえばともかくも安心と、ホッと息をつきました。
「果して冤(むじつ)の罪であるものならば、わしの力を借りるまでもなく罪は赦(ゆる)される。もし、まことに罪があるものならば、わしが力添えをしたとてどうにもなるものではない」
と能登守は、お松の願いの筋には深く触れないで、やや慰め面(がお)にこう言っただけでした。しかしお松はもう、一旦切り出した勇気がついたから、その頼みの綱を外(はず)すようなことはしません。
「いいえ、たしかに冤(むじつ)の罪なのでございまする、その方は決して盗みなどをなさる方ではないのでございまする、公儀様の御金蔵を破るなどという、だいそれたことをなさるお方でないことは、わたしが命にかけてもお請合(うけあい)を致しまする、それがあらぬお疑いのためにただいま御牢内に繋(つな)がれておいであそばす故、わたくしは心配でなりませぬ、何卒してそのお方をお助け申し上げたいと、それでわたくしどもは甲府へ参りますのでござりまする、甲府へ参りまして、神尾主膳様からそのお願いを致すつもりでございますが……」
 お松は一息にこれだけを言ってしまいました。能登守は、お松の願うほど熱心にそれを聞いたのか聞かないのか知らないけれど、笹子峠の上にかかった鎌のような月にばかり見恍れているのであります。
 そのうちに廊下を渡り了(おわ)って、能登守の居間の近くまで来ました。

         八

 お松が帰って来た時分に、お絹のいなかったことは別に怪しいことではありません。
 お絹は風呂から出ると、浴衣(ゆかた)を引っかけたままで暫く渓流に臨んで湯上りの肌を、山岳の空気に打たせていました。
 前にいう通り、すぐ眼の上なる笹子峠には鎌のような月がかかっている。四方の山は桶(おけ)を立てたようで、桂川へ落ちる笹川の渓流が淙々(そうそう)として縁の下を流れています。
 自分にいい寄って来る男を物の数とも思わないような気位が、年と共に薄らいでゆくことが、自分ながらよくよくわかります。それ故にがんりきとお角とが仲よくして歩くところを見ると嫉(や)けて仕方がありませんでした。
 有体(ありてい)に言えば今のお絹は、男が欲しくて欲しくてたまらないのであります。男でさえあれば、どんな男でも相手にするというほどに荒(すさ)んでくることが、このごろでもたえず起って来るようでありました。
「あの、がんりきの百蔵という男、御苦労さまにわたしたちを附け覘(ねら)ってこの甲州へ追蒐(おっか)けて来たが、あの猿橋で、土地の親分とやらに捉まって酷い目にあったそうな、ほんとにお気の毒な話」
とお絹は、がんりきのことと、それが猿橋へ吊されたという話を思い出して、ほほ笑み、
「七兵衛が助けると言って出かけたが、ほんとに助かったか知ら。酔興とは言いながら、かわいそうのような心持がする、何のつもりか知らないけれど、わたしを追蒐けて来たと思えば、あんな男でもまんざら憎くはない、命がけで、わたしの後を追蒐けて来る心持が可愛い」
 今となっては、たとえ無頼漢(ならずもの)であろうとも、自分に調戯(からか)ってくれる男のないことが淋しいくらいでありました。
 こんなことをいつまで考えていても際限がないと、お絹は浴衣の襟をつくろってそこを立とうとした時に、縁の下の笹藪(ささやぶ)がガサと動いて、幽霊のようなものが谷川の中から、煙のように舞い出した。あれと驚くまもなくお絹の首筋をすーっと一巻き捲いてしまいました。
「何を……何をなさるの……」
 その幽霊のようなものは、お絹の首筋をすーッと捲いて、その面(かお)を自分の胸のあたりへ厳しく締めつけたものだから、それでお絹は、言葉を出すことができなくなってしまいました。
「御新造(ごしんぞ)、がんりきだ、百だよ」
と言って、有無(うむ)を言わさず縁の下へ引き下ろしてしまいました。
 河童(かっぱ)に浚(さら)われるというのは、ちょうどこんなのだろうと思われます。お絹は一言(ひとこと)も物を言う隙(ひま)さえなく、欄(てすり)の上から川の岸の笹藪の中へ、何者とも知れないものに抱き込まれてしまいました。何物とも知れないのではない、その者はお絹の首を抱いてその面をしっかりと胸に当て、口の利けないようにしておいてから、「おれは、がんりきだ、百蔵だ」と名乗ったはずです。
 本陣の方では、こんなことを気のついたものが一人もありませんでした。
 能登守は事務に精励であったし、米友は与力同心を相手に気焔を吐いているし、そのほかの連中とてもそれぞれの仕事をしていたり、世間話をしていたりしていたものだから、一向この方面のことは閑却されていました。ただ一人お松だけが、お絹の湯上りがあんまり悠長(ゆうちょう)なのを気にして、二度までも湯殿へ来て見ましたけれど、そこにも姿を見ることができませんでしたから、ようやく気が揉(も)め出して米友を呼んでみようと思いましたけれども、その米友は、相変らず与力同心を相手に槍の気焔を吐いて夢中になっているようですから、気の毒のような心持がして、それで、また三度まで廊下の方へ行ってみました。
 お松が廊下を通った時に、廊下の縁の闇の中から、
「お松」
「はい」
 自分を呼んだのは、たしかに七兵衛の声です。
「お師匠さんはいるか」
「今、お風呂に……」
「風呂ではあるまい、風呂にはいないはずだ」
「ええ、今ちょっとどこへか……」
「それ見ろ」
 七兵衛から、それ見ろと言われてお松はギョッとしました。
「友さんを呼びましょう、御支配のお役人様もおいでなさいますから、お頼み申しましょうか」
 こういってあわてると、七兵衛はそれを押えて、
「米友にも役人にも知らせない方がいい、ナニ、百の野郎は痛み所で、身動きも碌(ろく)にできねえのだから、大したことになりはしめえ、俺がこれから一人で行って捉まえて来る、お前はこのまま座敷へ帰って静かにしているがいい、米友にもやっぱり黙っていた方がいいよ、あいつが下手(へた)に騒ぎ出すとまた事壊(ことこわ)しだ」
 七兵衛は、これだけのことを言い残して、闇の中へ消えて行きました。
 鎌のような月が相変らず笹子峠の七曲(ななまがり)のあたりにかかっている時に、黒野田の笹川の谷間から道のないところを無理に分け登って行くものがあります。肩に引っかけられた女は少しの抵抗する模様もなく、背中へグッタリと垂れた面へおりおり木の繁みを洩れた月の光が触(さわ)ると、蝋(ろう)のように蒼白く、死んだものとしか見えません。
 それを背中へ載せて路のないところを登って行くがんりきの百蔵。これもまた面の色が真蒼(まっさお)で、ほとんど生ける色はありません。木の根に助けられたり、岩の角に支えられたりして、上るには上るが、その息の切り方が今にも絶え入りそうで、やっと一丁も登ったかと思う時分に、力にした草の根が抜けると一堪(ひとたま)りもなく転々(ころころ)と下へ落ちました。
「ああ、苦しい」
 二三間も下へ落ちて岩の出たところで支えられた時に、がんりきは、もう苦しくて苦しくてたまらなく見えましたけれど、その肩へ引っかけていたお絹の手首は決して放すことではありません。
 はッ、はッと吐く息は唐箕(とうみ)の風のようであります。なんにしても、がんりきは腕が一本しかないのです。その一本しかない腕で、お絹を肩に担いで、足と身体で調子を取って上ろうとする心だけが逸(はや)って、岩に足を踏掛けると足がツルリと辷(すべ)りました。
「あっ、苦しい」
 またも二間ばかり下へ辷り落ちたがんりきは、お絹と共に折重なって、暫らくは起き上れません。
「あっ、苦しくてたまらねえ」
 やっと起き直って見ると、向(むこ)う脛(ずね)からダラダラと血が流れていました。
「畜生、こんなに向う脛を摺剥(すりむ)いてしまった」
 そのままにしてお絹を引っかけて、また上りはじめてまた辷りました。
「こいつはいけねえ、いくら力を入れても辷って上れねえ、はッ、はッ」
 やっと一間も登ると、ズルズルと七尺も辷っては落ちる。
「こんなことをしていたんじゃあ始まらねえ、帯はねえか、帯は」
 ここに至ってがんりきは、とても手首を掴まえて肩にかけて上ることの覚束(おぼつか)ないのを悟ったから、帯を求めて背中へ括(くく)りつけて登りにかかろうと気がついて、はじめて手首を放して大事そうにお絹の身体を岩蔭に置きました。
「死んでいるんじゃねえ、殺したと思うと違うんだよ、もう少し辛抱すりゃ活(いか)して上げますぜ御新造、はッ、はッ」
 例の鎌のような月が、微かながらその光を差して、真白なお絹の面と肌とが活きて動くように見え出した時、がんりきはどこかで大木の唸(うな)るような音を聞きました。
 猫が鼠を捕った時は、暫らくそれをおもちゃにしているように、自分でそこへ抛り出したお絹の面(かお)を見ると、がんりきは物狂わしい心持で、
「こうしちゃいられねえんだ」
 再びお絹を背負い上げて登りはじめようとしたが、この時はがんりきの身体もほとんど疲労困憊(ひろうこんぱい)の極に達して、自分一人でさえ自分の身が持ち切れなくなってしまいました。この女を荷(にな)ってこの崖路(がけみち)を登ることはおろか、立って見つめているうちに、眼がクラクラとして、足がフラフラとして、どうにも持ち切れなくなったから、がんりきはお絹の傍へ打倒れるようにして、烈しい吐息(といき)を、はっはっとつきながら峠の上を仰いで、
「矢立(やたて)の杉が唸(うな)っていやがる、矢立の杉が唸ると山に碌(ろく)なことはねえんだ。せめて、あの杉のところまで行きたかったんだが、この分じゃあもう一足も歩けねえ、といってこれから下へも降りられねえ、自分ながら自分の身体が始末にいけねえんだからじれってえな。うまくせしめるにはせしめたけれど、これだけじゃあ何にもならねえや。俺の腕はこんなもんだということを、七の兄貴にも見せてやりてえし、粂の親分にも見せてやりてえんだ。それからまた、勤番の御支配とやらが泊っている本陣から盗み出したといえば、ずいぶん幅が利かねえものでもねえ、これからこの女を連れて一足先に駒飼(こまかい)まで行って、そこで、どんなものだとみんなの面を見てやりゃあ、後はどうなったって虫がいらあ。峠を越してしまわねえうちは、こっちのもんでこっちのものでねえようなものだから、なんとかして漕(こ)ぎつけてえんだが、身体が利かねえから仕方がねえ。ああ、ほんとに弱った、死んでしめえそうだわい」
 がんりきはついにそこへ、へたばって動けなくなりました。
 がんりきが動けなくなった時分に、お絹が少しく動き出してきました。お絹が少し動き出した時分に、下の方で喧(やか)ましい人の声、上の方でもまた人の声。
 昏倒(こんとう)しかけたがんりきは、お絹の動いたことにはまだ気がつかなかったけれど、上下で起るその人の声は早くも耳に入ると、必死の力でむっくり起き直って見ると、提灯(ちょうちん)の光が、いくつもいくつも黒野田の方から、谷川と崖路を伝うてこちらを差して来るのがわかります。
 上の方、矢立の杉のあたりからもまた火影(ほかげ)がチラチラ、してみると自分はもう取捲かれているのだ。がんりきは遽(にわか)に立ち上ってよろめきながら、
「トテモ逃げられなけりゃ、ここで心中だ。生きて峠が越えられねえのだから、死んで三途(さんず)の川を渡るのも、乙(おつ)な因縁(いんねん)だろうじゃねえか。道行の相手に、まあこのくらいの女なら俺の身上(しんじょう)では大した不足もあるめえ。猿橋の裏を中ぶらりんで見せられたり、笹子峠から一足飛びに地獄の道行なんぞは、あんまり洒落(しゃれ)すぎて感心もしねえのだが、どうもこうなっちゃあ仕方がねえ」
 がんりきがお絹の傍へ寄った時、
「な、何をするの」
 お絹は生きていました。自分の咽喉へかけようとしたがんりきの手を、夢中で振り払うと、
「おや」
 がんりきも驚いたが、その途端にフラフラとまたしても岩を辷(すべ)ると、あわててその片手にお絹の着物の裾を掴む。裾を掴んだけれども、辷る勢いが強くてお絹もろともに釣瓶落(つるべおと)しに谷底へ落っこちます。

         九

 その翌朝、駒井能登守の一行は例によってこの本陣を出立しました。お絹、お松、米友の一行は、それに従って行く様子がありません。
 昨夜、七兵衛はお松にことわって誰にも言うなと言ったにかかわらず、お松はそれを黙っているわけにはゆかないから、与力同心を相手に気焔を揚げていた米友を呼んで話しました。それから騒ぎが大きくなって、居合わすもの総出の勢で、山狩りをして峠の方へ狩り立てて行くうちに、尋ねるお絹が半死半生の体(てい)で谷間から這(は)い出して来ました。
 ともかくも、お絹が逃げて来たことによって、一同も安心して宿へ引取ったが、お絹は一切のことを語りません。それ故に誰もその事情を知るものがなく、或いは山の天狗に浚(さら)われたのではないかと思っています。
 無事で逃げて帰ることのできたお絹は、実は能登守の一行について行きたかったのだけれども、身体が弱っているから、心ならずもここに留まることになりました。
 かくて駒井能登守の一行が黒野田を出ると、幾カ所の橋を渡り、追分を通って、いよいよ笹子峠へかかりました。
「これが笹子峠の矢立の杉」
 中の茶屋を通って、矢立の杉の下で一行が立ち止まってその杉を見上げました。
「ははあ、矢立の杉というのはこれか」
と言って杉のまわりをまわり歩いている連中が、面白半分に手を合せてその杉の大きさを抱えてみました。
「ちょうど七抱(ななかか)え半ある」
「昔の歌に、武夫(もののふ)の手向(たむけ)の征箭(そや)も跡ふりて神寂(かみさ)び立てる杉の一もと、とあるのはこの杉だ」
「ナニ、なんと言われる、その歌をもう一度」
と言って、写生帖を持っていたのが念を押しました。
「武夫の手向の征箭も跡ふりて神寂び立てる杉の一もと」
「なるほど」
 写生帖へその歌を書き込んで、
「読人(よみびと)は」
「読人知らず」
「年代はいつごろ」
「これも知らぬ」
「ははあ、よく歌だけを記憶しておられた、感心なこと」
と言って写生帖が感心すると、古歌の通(つう)が笑って、
「ここの石に刻(きざ)んであるからそれで知ったのだ」
「ははあ、石碑の受売りか。その石碑もまた相当に古色があって面白い、年代はいつごろだろうか知ら」
「よく年代を知りたがる人じゃ」
「ええ、明暦(めいれき)とある、肝腎(かんじん)の年号の数字のところが欠けていて見えない、明暦も元年から始まって三年まである、厳有院様(げんゆういんさま)の時代であって、左様、今から考えると、ざっと二百年の星霜を経ている」
「してみると、その歌もその時代に咏(よ)まれたものであろう」
「いや、もっと調子が古いわい、江戸時代の産物ではない。いったいこの笹子山は一名坂東山(ばんどうやま)といって、古来、関東で名のある山、日本武尊(やまとたけるのみこと)以来の歴史がある」
「なるほど、してみるとその歌は、日本武尊がお咏みなされたお歌ではないか」
「違う、日本武尊時代にはこんな和歌は流行(はや)らなかった」
 杉の根もとで勝手な考証を試みています。
「古来、この道を軍勢が通る時は必ずこの杉に矢を射立てて、山の神に手向(たむ)けをして通るならわしになっていた」
「我々もその古例を追うて、弓矢の手向けをして行こうではないか」
「我々のは、甲州を治めに行くので、征伐に行くのとは違う、それ故、弓矢の手向けをするにも及ぶまい」
「天文(てんもん)十六年の事、原美濃守がこの関所を千貫に積って知行(ちぎょう)している、もし武田勝頼が天目山で討死をせずに東へ下ったものとすれば、この峠が第一の要害になったのであろうけれど、このことなくして止んだから、この峠に軍勢を上せたことは、まず近代にはないようである。小田原北条の一族、左衛門太夫氏勝(うじかつ)が八千余騎でここに陣取って足軽を駒飼まで進めたこと、これが近ごろの記録であるようじゃ」
「よくお調べでござるな」
「それから昨夜、土地の人に就いて聞けば、山に何か異変が起る時は、この杉が唸(うな)るということじゃ」
「杉が唸るというのも、おかしなことであるけれど、風でも吹けばこれほどの大木ゆえ、じっとして黙ってはいまい」
「それから時々、この杉の頂辺(てっぺん)へ天狗が来て巣を食い、おりおり下界から人を浚(さら)って来てこの杉の枝へ突っかけて置くということじゃ」
「ははあ、天狗が留るか。なるほど、木もこのくらい大きくなれば、いかさま天狗が住めそうじゃ。それといえば、昨夜あの婦人、あれがもしやその天狗に浚われたのではないか」
「なるほど、よいところへこじつけたものだ。或いはその天狗がまだ一人二人の婦人を浚って、この杉の枝へ掛けて置くやも知れぬ、よく調べてみるがよい」
「しかし……また婦人の挙動は、あれは考えものだな」
 杉の考証と伝説は転じて、昨夜のお絹の挙動及びその行方のことになりました。
 お絹が一切を語らなかったから、これらの人々も何と判断のつけようがなく、結局この矢立の杉あたりに棲む天狗の仕業(しわざ)という里人の迷信を打消しもせずに出て来たものでありました。けれども、ここで考え直してみれば、どうしても解(げ)せぬことであります。
「さてこの道中は、いろいろな珍らしいことに出会(でっくわ)す。顧みて数えると、まず駒木野の関所であの女、次に小仏峠で足の早い奴、それから鶴川では槍をよく使う小兵(こひょう)の男、それから猿橋へ来て橋へ吊されたものが前の足の早い奴で、また片手の無い奴、それを捉まえてみるとその夜のうちに消えてなくなる」
「それらと考え合せると、昨夜の婦人の挙動、それから前のいろいろの珍事にいちいち糸が引いてあるようにも思われる、もしあの片手のない奴が、昨夜の婦人を浚って逃げたのではないかとも思われる、そうだとすれば婦人が一人で帰ったのがおかしいけれど、あの片手の無い奴はこのあたりの山に隠れているかも知れぬ」
 猿橋の問屋で逃げられたがんりきのこと、もしやこの道中のいずれにかと、雑談に耽(ふけ)りながら左右に眼を配りつつ進んで行ったが、笹子峠の七曲りというのへ来た時分に、
「あれあれ、あの谷川で水を飲んでいる者があるぞ」
 駒井能登守が谷底を望んでこう言いましたから、一同はみんな谷底をのぞいて見ました。
 駒井能登守が水を飲んでいたものを見かけたのは、峠が下りになってから五六丁のところで、そこは俗に坊主沢(ぼうずさわ)といって橋の桟道(さんどう)がいくつもかかっていて、下には清流が滾々(こんこん)と流れているところです。能登守が、そこで水を飲んでいる何者かを見かけて声をかけた時は、その者は鼬(いたち)のように山の中へ駈込んでしまいました。
 その駈込んだところを誰もチラと見たものですから、それと言ってバラバラと追いかけます。
 それからの一行は、写生帖も史蹟の話もなくてその怪しい者を捕えるべく、前後左右から遠網にかけるようにして、峠を下りついたところが駒飼(こまかい)の宿であります。
 駒井能登守の一行がこの怪しの者を、駒飼の宿に近いところまで追い卸(おろ)した時分に、それとは逆に甲州街道を、鶴瀬(つるせ)から本陣の土屋清左衛門の許を立って、お関所を越えて駒飼の方へ行く一行がありました。これも槍を立て数人の供を引きつれて東に下るものと見えました。これは供揃(ともぞろ)いはさほどでなかったけれど、乗物を三つも並べたところが物々しい。その三つの乗物のうちの一つには人がいたけれど、あとの二つは空(から)でありました。その一つに乗っている人というのは神尾主膳でありました。してみれば、明いている二つの乗物の用向も大抵わかる。主膳は遊山がてらにお絹お松の一行を迎えに来たものと見てよろしい。実は笹子峠のこちらまで迎えるつもりであったのを、どうしてもこの峠を越し大庭(おおば)まで行かなければならなくなった事情が出来たものでありましょう。
「殿様」
「何だ」
「あれが天目山の道でござりまするな」
「左様」
「必ず天目山へ上ってみると仰せでございましたが、どうしてまた急にお模様替えなのでござりまする」
「昨夜、急用が出来た故、山のぼりなどをしてはおれぬ」
「急用と申しますのは?」
「黒野田の宿で、何か変事が出来たということじゃ」
「へえ、あのお絹様と、それからお松どのとが何か難儀にお遭(あ)いなされましたか」
「左様」
「それは大変でござりまする。してその難儀と申しまするのは?」
「くわしいことはわからぬが、盗賊か胡麻(ごま)の蠅(はえ)に過ぎまいと思う」
「それはまことに心がかりでござりまする」
「とにかく、黒野田へ行って見ての上でないと拙者にもわからぬ。それから滝田、この道中、ことによると駒井能登守という旗本と出逢うかも知れぬ、それはこのたび、甲府へお役になった拙者の知合いだ、たぶん我々が峠へ登る時分に、駒井は下りて来るだろうから、やがて行逢った時は、乗物を下りて名乗り合うのはこと面倒だから、知らぬ面(かお)をして通れ」
「畏(かしこ)まりました」
「なるべくならば神尾主膳と名乗りたくない、尋ねたならば、諏訪(すわ)の家中で江戸へ下るとでも申しておいたがよろしかろう」
「畏まりました」
 こうして神尾主膳の一行が関所を出て橋を渡って休所の、すしや重兵衛の前を通って駒飼(こまかい)へと進んで行きました。
 その時は、まだ早朝のことでありました。神尾主膳の一行が駒飼の宿から出て、いよいよ笹子峠の上りにかかろうとする時分に、不意に傍(かたえ)なる林の中から人が飛び出して、主膳の駕籠わきに転がってしまいました。
「何者だ」
といって家来の連中が立ち塞(ふさ)がると、
「どうかお助けなすっておくんなさいまし、どなた様かは存じませぬが、九死一生(きゅうしいっしょう)の場合でございます、お見かけ申してお願い申すんでございます、どうかお助けなすって下さいまし」
 駕籠の傍へ手をついたのは、なるほど、九死一生と見えて髪は乱れ、白い着物は裂け、身体じゅう突傷(つききず)だの擦傷(かすりきず)だので惨憺(さんたん)たるもので、その上に右の片腕が一本無い男であります。
「次第によっては助けてやるまいものでもないが、其方(そのほう)は何者だ、どうして斯様(かよう)なことになった」
「身延山へ参詣する者でございます、途中で悪い奴に遭ってこんな目に逢わされてしまいました、お話し申せば長いことでございます、ここではお話が申し上げられません。あれ、いま追手がかかります、追手というのはお役人でございます、お役人が間違えて、私を悪者だと思って捉(つか)まえに来るんでございます、今お役人につかまっては、私も言い解くことができませんから、どうか暫らくおかくまいなすって下さいまし、そのうちにキッと私の罪のないことがわかるんでございます、同じことならあのお役人に捉まりたくないんでございます」
「はて、其方を追いかける役人というのは?」
「今、向うからやって参ります、今度、江戸表からお越しになった駒井能登守様というお役人の御人数でございます、あのお方に捉まると私が是が非でも悪者にされてしまいますから、どうかお助けなすっておくんなさいまし、もうこの通り身体が弱っていますから、一足も動けませんでございます」
「なるほど、其方を追いかけて来たのは、駒井能登守の人数であると申すな」
「左様でございます、あれもう、ああやって追いかけて参ります」
「殿様、お聞きの通りの次第、いかが取計らったものでござりましょう」
「よし、助けてやれ」
「では能登守様から故障がありました節は、いかが取計らいましょう」
「拙者が引受けるからよろしい」
 神尾主膳は一諾してしまいました。怪しい奴は弱りきっていたにかかわらず、この一諾を聞いて躍(おど)り上るほどに喜んで、
「有難うござりまする、この御恩は死んでも忘れは致しませぬ」
 神尾の駕籠を拝みます。神尾はそれを見て、
「どこの何者か知らんが、危急と見受ける故、ともかくも一応助けて取らせる。滝田、幸い駕籠が二つ空いている、それへこの者を載せてやれ」
「畏(かしこ)まりました。これ、殿様がお助け下された上に、この乗物をお貸し下さる、有難く心得てこの中へ入れ」
「何から何まで有難うございます、それでは御遠慮なしに、お言葉に甘えまして、どうか御免下さいまし」
 お絹を乗せてつれて帰るべき乗物へ、怪しい奴を乗せてやりました。怪しい奴はすなわちがんりきの百蔵であります。
 そうしておいて神尾は、
「もし能登守の手の者が何とか尋ねても、知らぬ存ぜぬと言ってしまえ、むつかしくなれば拙者が応対に出る、其方たちは取合わずに乗物を進めろ」
 果していくばくもなく、神尾主膳の一行の前にバラバラと駆けて来たのは、駒井能登守の手の与力同心とお手先の者共でありました。
「失礼ながらそのお乗物、暫らくお待ち下されたい」
「何の御用でござる」
「ただいま、一人の怪しき者を追い込んで参りましたところ、この辺にて姿を見失い申した、もしやお見かけはござらぬか」
「とんとお見受け申さぬ」
「はて」
と言って能登守の手の者は、挨拶に出た主膳の家来どもを怪訝(けげん)な眼でながめ、
「ただいま、このところでたしかにその者の姿を見かけたものがござるが」
「我々の方においては左様な者を一向に見かけ申さぬ」
「年の頃は三十ぐらい、色が白く、小作り、もとは江戸の髪結職(かみゆいしょく)であった者、それに誰が眼にも著しいのは左の片腕が無いこと」
「ははあ」
「怪しい廉(かど)が多い故、いちおう取押えて置きたい」
「それは御苦労千万。しておのおの方は?」
「我々は、このたび甲府勤番支配を承った駒井能登守の手の者、甲府へ赴任の道すがらでござるが」
「しからば、これより峠を登り行くうち、まんいち左様なものに出逢い申さぬとも限らぬ、その折は取押えてお引渡しを致すでござろう、これにて御免」
 これにはかまわずに、乗物を進めようとするから、能登守の手の同心と手先はあわててその前に立ち塞がるようにして、
「あいや、お暇は取らせぬ、暫時(ざんじ)お待ち下されたい。して御貴殿方はどなたでござるか、お名乗りを承りたい」
 こう言って能登守の手の者が、神尾の駕籠先を押えるようにしました。ここに至ってドチラにも多少の意地ずくが見えました。
「おのおの方にお名乗り申す由はない。たって姓名が承りたくば能登守直々(じきじき)においであるがよろしい」
と神尾の者がこう言いました。
 この時に、駒井能登守と渡辺という与力が、峠を下りて近いところまでやって来ました。
 それと聞いて渡辺は神尾の駕籠近く寄って来て、
「お乗物の中へ物申す、拙者は甲府勤番支配の与力渡辺三次郎、失礼ながらお名乗りを承りたい」
 この時に神尾主膳が駕籠の垂(たれ)を上げて外を見ると、おりから来かかった駒井能登守と面(かお)を合わせたが、さあらぬ体(てい)で、
「拙者事は、同じく甲府勤番の組頭神尾主膳でござる、今日は私用にてこのところを通行致す故、公用向きの礼儀は後日に譲る、お尋ねの怪しい者とやら一向に我等は存知致さぬ、前路にちと急の用事あるにより、これにて御免」
 こう言ったままで、垂を下ろさせてさっさと駕籠を進ませました。だから能登守の左右の者が、その無礼を憤(いか)って眼と眼を見合わせると、能登守はなにげなき風情(ふぜい)で取合いません。

         十

 こうして神尾主膳の一行は笹子峠を向うへ越えて、黒野田の本陣へ着きました。
 黒野田の本陣へ神尾の一行が着いた分には仔細がないけれど、その一つの駕籠の中に隠して来たがんりきをこの宿へ連れ込むとすれば無事ではないはずだが、一行がこの本陣の前へ着いた時に、がんりきの駕籠だけはここへ留めないで、「鳥沢まで送ってやれ」ということになったのは、思うにまたしてもその鳥沢の粂という親分のところまで送り返されるものであろうと思われる。
 がんりきだけを鳥沢へ送りとどけて、神尾の一行が、この本陣へ着いた時に、本陣では前の晩に能登守を泊めたと同じぐらいのもてなしをせねばなりません。
 そうしてそれぞれ失礼のないようにお迎え申したけれど、ここに奇怪なのはお絹の素振(そぶ)りでありました。この時、お絹はもう昨夜の災難のことなどは、ケロリと忘れてしまっているようでした。朝寝を少し永くしたぐらいのところで、主膳を迎うべく薄化粧などをして、主膳が着くと、真先に立って下へも置かぬもてなしが、何も知らぬ本陣の人々には別段おかしくもなかったろうけれど、前後を知っているお松には、あんまりそらぞらしいように思われてなりませんでした。
 なぜならば、駒井能登守をもてなす時は、神尾の殿様などは有っても無くってもいいような口振をして見せたのに、その能登守が去って神尾主膳が来てみると、能登守なんぞはどこを通ったかというようにして、もう一も二も神尾でなければならないように、そわそわしているからであります。よくもこうまで手のうらを返すようになれるものかと、お松がそれをあまりにそらぞらしく浅ましく思ったのも無理はありません。それのみならず、神尾がここへ着くと共に、早速に酒宴が始まって、お絹が先立ちでその周旋(とりもち)をするという体(てい)たらくになってしまい、お松が座を外して隠れるようにしていると、神尾主膳は、お絹を相手にして盛んに飲みながら、お前もひとりで貞女暮しは淋しいことだろうとか、殿様も甲府ではまた罪をお作りになったことでございましょうとか、お松か、あれも年頃になったな、お前の仕込みだから抜かりもあるまいとかいうような言葉を洩れ聞いたお松は、面(かお)から火が出るようでありました。

 ここに憐(あわれ)むべき宇治山田の米友は、己(おの)れの間に閉じ籠ったまま、沈痛な色を漲(みなぎ)らせて腕を組んで物思いに耽(ふけ)っています。
 米友は、ここまでの道中で二度失敗(しくじ)ったことを良心に責められています。
 米友が失敗ったその一度は、上野原の宿で一行に出し抜かれて、無理な鶴川渡りをしてやっと追いついた事、その二度目は昨夜の騒動であります。
 彼は、この道中が終るまでは、寸分の隙(すき)もなくお絹とお松とを守っておらねばならぬ使命がある。彼自身もまたその使命を粗末にしようとは思っていなかったのに、昨夜という昨夜、与力同心に招かれて槍の話になって、有頂天(うちょうてん)に気焔を吐いてしまいました。
 その隙にお絹が天狗に浚(さら)われたのだから、幸いにしてお絹は帰って来たからいいようなものの、もし帰らなければ、所詮(しょせん)自分の腹切り勝負だと思いました。とてもここにこうしてはいられぬ、面目のないことだと思いました。米友は、それ故に良心の呵責(かしゃく)を受けています。しかし、米友の単純な心でも、どうもあれからのお絹の挙動が解(げ)せない、他の人が騒ぐほどに騒がないお絹の心持がわかりません。髪容(かみかたち)や着物のさんざんになって帰って来たところを見れば、かなりヒドイ目に遭って来たのだろうと思われるにもかかわらず、そのヒドイ目に遭わした奴に仕返しをしてやろうという気が更に見えない。仕返しをしてみようという気がないばかりでなく、そのために山狩りをして悪い奴を捉まえようとするのを、よけいなことのように見ています。
 それよりもなおわからないのは、昨夜あれほどに人騒がせをやった当人であるにかかわらず、今日はもうケロリとしてしまって、甲府から迎えに来たというお武士(さむらい)を引張り上げて、あの通り御機嫌よくもてなしているということが、正直な米友にとっては忌々(いまいま)しいことです。
 あんなとりとまりのない人間を、槍を持って番人に廻っているのがばかばかしいと考えている時に、障子が不意にあきました。見ればやや酒気を帯びたお絹がそこに立って、
「友さん」
「うむ」
「昨夜(ゆうべ)はどうもお騒がせをしました、あの甲府から神尾主膳様がお迎えにおいで下すって、お供の衆もたくさんついていますから、もうこれからは安心、今までお前さんにもいろいろお世話になりましたけれど、これからはもうお前さんの勝手に旅をしてようござんすよ」
「ええ?」
「お前さんは、これから江戸の方へ帰りなさるとも、また甲府の方へ行ってみようとも、もうわたしたちにかまわないで、自分の気儘(きまま)にしておいでなさい」
「うむ」
「これは少しだけれど、ほんの、わたしたちの志(こころざし)、どうぞ納めておいて下さい。それから、もしお前さんが甲府へ行っても、今までの調子で心安立(こころやすだ)てに、殿様のお邸なんぞへ無暗にやって来られては困ることもあるから、そこは遠慮をしておいておくれ、そのうち御縁があればまた何とかして上げないものでもありませんからね」
 金一封を包んでそこに置いたまま、眼をパチパチさせて口を吃(ども)らせている米友を見返りもしないで、お絹はさっさとこの場を立って行きました。
 お絹の置いていった金一封を前にして米友は、暫く呆然(ぼうぜん)としていたが、やがて冷笑に変ってしまいました。
「ばかにしてやがら」
 その一封を横の方から突いてみました。突いてみたのはなにも、その中にどのくらい入っているかというのを試したわけではありません。あんまりばかばかしいから、小突(こづ)き廻してみたのであります。米友は、これらの連中の譜代の家来でもなければ臨時の雇人でもない。甲州へ行こうというのは、必ずしもこの人の附添が目的なのではないのです。これは行きがけの駄賃のようなもので、米友はお君に会いたくてたまらないから、それで甲州へ行く気になったものであります。
 この附添は頼んだものでなくて頼まれたものである。いつ断わられたところで敢(あえ)て痛痒(つうよう)を感ずるわけではないけれど、ここで断わるというのは、あんまり人をばかにした仕打ちであると思いました。それだから米友は、
「勝手にしやがれ」
と言って、またその金一封を小突き廻しました。金一封を小突き廻したところで始まらないのであるが、この場合、米友の癇癪(かんしゃく)のやり場としては、どうしても眼の前の金一封が的(まと)になります。
「ばかにしてやがら、こんな金なんぞ要(い)らねえ」
 米友はいったん、左の方から小突き廻した金一封を、今度は右の方から小突き廻しました。その有様は、掴(つか)んで抛り出すのも汚(けが)らわしいといった手つきであります。
 よしよし、これからは一本立ちで甲府へ行って見せるとも、峠を越せば甲府まで一日で行けるということだ、小遣(こづかい)だって何もそのくらいのことには困りはしない、こんな金なんぞ要るものか、突返しに行くのも、あの女の面(つら)を見るのが癪だから、と言って置放しにして行けば、誰か取ってしまった時に米友が持って出たと思われるのが業腹(ごうはら)だと米友は、眼の前の金一封を睨(にら)めながら、腹を立てたり始末に困ったりしていましたが、結局庭へ抛り出してしまうのがいちばんよろしいと考えました。庭へ抛り出して撒き散らかして置けば、人の目に触れて、自分が持って出なかった証拠が立つと思いました。米友はその金一封を掴んで、ゲジゲジでも取って捨てるような手つきで持ち出して、障子をあけてポンと庭の方へ、それもお絹の部屋の方へ近く、なるたけ人の眼に触れるようなところへと思って投げ出しました。
 米友に投げられた金一封は、庭の松の木の幹に当ってコツンと音がしましたけれど、かなり固く封がしてあったと見えて、そのまま転がってしまったから、とても、梅忠(うめちゅう)がやったような花々しい光景にはなりません。
「ちぇッ」
 米友は舌打ちをしてその抛り出した金一封を尻目にかけながら、自分は手荷物と例の手槍と脚絆(きゃはん)なんぞを掻き集めて、旅の仕度にとりかかります。
 旅の仕度が出来上って、いざと米友は縁へ出ましたけれど、いま投げ出した金一封が、封のままでゴロリとそこに転がっているのが眼ざわりでたまりません。
 米友の気象として、決してその金一封に未練があるのなんのというのではないけれど、ああして置いて誰にも見られないでほかの人に拾われてしまっては、結局やはり、自分が持って逃げたように思われてしまうのが心外であるから、松の根方に転がっている金一封を暫らくながめていましたが、そのうち、
「そうだ、そうだ、お暇乞(いとまご)いの印(しるし)にあいつの座敷へこれを抛り込んでやれ」
 何か思案がついたと見えて、庭へ飛び下りて、その金一封を拾い取るや米友は覘(ねら)いを定めて、それをお絹の座敷へ障子越しに投げ込みました。
 その時に、お絹の座敷にはお絹がいませんでした。お松がひとりで机によりかかって、本陣で貸してくれた本を読んでいました。
 そこへ怖ろしい音がして、障子を突き破ってちょうど自分の読んでいた絵本の上へ、重い物が落ちて来たからお松は吃驚(びっくり)しました。もう少しで自分の眉間(みけん)へ当るところであった。誰がこんな悪戯(いたずら)をしたのであろうと、お松は急いでその破れた障子をあけて見ました。
 障子をあけて見ると、米友がいま丸くなって植込の中を向うへ逃げて行く姿が見えましたから、お松は何のことだかわけがわからずに、
「友さん、友さん、今ここへ石を投げたのはお前かえ」
と言って廊下を追いかけるようにしてみましたけれど、米友は返事もしなければ、振返りもしないで、例の足どりで逃げて行ってしまいます。お松はいよいよ事情(わけ)がわからないけれど、米友はすっかり旅の装(よそお)いをして逃げて行くから、ともかくもつかまえて、様子を聞いてみなければならないと思いました。米友は気が短くて怒りっぽいし、それに時々勘違いをして怒り出す癖があるから、これも何か気に入らないことがあって逃げ出すのだろうと思ったから、呼び留めて事情(わけ)を聞いた上で、理解してやりさえすれば直ぐに納まるものと、大急ぎで廊下を駈けて有合せの草履(ぞうり)をつっかけて米友を追いかけました。
 表から逃げないで、裏の方の笹川へ沿うたところの細い道を逃げて行く米友を、お松は追いかけながら、
「友さん、どうしたのです、そう無暗に逃げてしまっては事情(わけ)がわからないじゃありませんか、少し待って下さい、事情を話して下さい、わたしたちを置いてけぼりにして逃げてしまうのは酷(ひど)いじゃありませんか、少し待って下さいよ、ね、友さん」
 お松がこう言って呼びかけた声の聞えないはずはありませんのに、米友はあとをも振返らず、いよいよ一生懸命で逃げて行きました。
「友さん、事情(わけ)がわかりさえすれば、お前の出て行くのを留めはしませんから、ちょっと待って話をして行って下さい、ね、友さん、何が気に入らないの、わたしはこんなに疲れてしまった、これほどにしてお前を追いかけて来たのに、お前が聞かないふりをして行ってしまえば、もし甲府へ着いた時に、君ちゃんの在所(ありか)がわかってもお前には知らせて上げないよ」
 お松は駈けながら息を切って、こう言うと、この遠矢(とおや)が幾分か米友に利いたと見えて、米友は急に立ち止まり、
「お松さん、お松さん、俺(おい)らはこれからひとりで甲府へ行くんだ、俺らがどういうわけでひとりで甲府へ行くようになったのか、いま投げてやった包み物に聞いてみるがいいや、お前さんには何も恨み恋はねえんだ、甲府へ行ったらお目にかかりましょうよ」
 米友は後ろを振返って、お松に向って大きな声で返事をしました。
「そんなことを言わないで」
 お松が押返して言うと、
「今まではお前さんたちと仲よくして来たけれど、これからは他人なんだ」
 米友は頑(がん)として首を振ると共に、クルリと背を向けてしまいました。米友はついに留まりませんでした。お松は再び追いかける余力がないので、米友の姿が山の中へ隠れてしまった時分に本陣へ帰って来ました。
 お松はもとの座敷へ帰って来て、米友の言い残して行った言葉、いま投げてやった包みに物を聞いてみるがいいと言ったことを思い出したから、机の上に置いてあったあの紙包を取って見ると、それは若干(いくばく)かの金の包みであります。
 聡明なお松は、早くもそれと合点(がてん)をしました。お師匠様のお絹が、この金を米友に与えて暇を出してしまったものだろうと感づいたことであります。役に立っても立たなくても一緒にここまで来たものを、もう目的地まで一息というところで暇を出すのは、人情に叶(かな)った仕打ちではないとお松は恥かしい思いをしました。お師匠様のお絹という人は、そのくらいのことをしかねない人。なるほど、神尾の殿様やその家来衆が迎えに来てくれてみれば、米友に附添を頼む必要はなくなってしまったかも知れないけれど、ここでもう用はないからと言って金包を出されたら、大抵の人は気を悪くするに違いないと思いました。
 ましてやあの気の短い米友が怒り出して、この金包を叩きつけて逃げるということに、お松はかえって気の毒に堪えないのであります。
 そこへ、お絹が見えたから、お松は米友が投げて行った金包を出して事情を話してみると、お絹は、
「それほど粗末になるお金なら返してもらいましょう、わたしに遣(つか)わせればいくらでも遣いみちがあるから」
と言って、恬(てん)としてその金包を再び自分の手に納めた上に、
「ほんとに、素直(すなお)に出て行ってくれてよかった。何かの力になるかと思って頼んでみたら、力になるどころか、かえって世話ばかり焼かせてしまって、この後、どんな間違いを起すか知れたものではない、今のうちに出て行ってくれたから助かったようなものさ」
 お絹はこう言って、その金を懐中へ入れてまた、神尾主膳の居間の方へと出て行きました。

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