大菩薩峠
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著者名:中里介山 

女をなだめながら、もしやとその面(おもて)を熟視しましたけれども、どうも心当りのある女とは受取ることができません。
「わたくしは、あの時から殿様のお姿を決して忘れは致しません」
 女は何かに感激しているらしい声でこう言いましたから、甚三郎は、
「あの時とは?」
「それはあの、甲州へ参ります小仏峠の下の、駒木野のお関所で……」
「ははあ、なるほど」
 ここにおいて駒井甚三郎は、さることもありけりと思い当りました。そうそう、初めて甲州入りの時、一人の女が血眼(ちまなこ)になって、手形なしに関所を抜けようとして関所役人に食い留められた時、駒井能登守の情けある計らいで、わざと目的地の方の木戸へ追い出させたことがある。それだ、その女だなと思いましたから、
「拙者はトンとお見忘れをしていた。そなたは、あれから無事に、尋ねる人を探し当てましたか」
「はい、おかげさまで……かなり長い間、甲州におりました。その間も、よそながら殿様のお姿をお見かけ申しました。一度、お訪ね申し上げて、あの時のお礼を申し上げたいと思わないではありませんでしたが、何を言うにもこの通りの賤(いや)しい女、恐れ多い気が先に立つばかりで、ついつい御無沙汰を致してしまいました」
「それを承ってみると、縁というものは不思議なものじゃ。拙者も今は、こんなふうに変っているが、そなたはまたどうして、あのような目に遭われた」
「それをお話し申し上げると長いのでございますが、この房州の芳浜というところまで、人を雇いに参ったのでございます、その途中、舟が暴風雨(あらし)に遭いまして、わたしが、いちばんヒドい目に遭わされるところでしたが、そのヒドい目に遭わされようとしたわたくしだけが助かって、こうして殿様のお世話になっているのかと思うと、ほんとに何かのお引合せのように思われてなりません」
「しかし、よく助かったものじゃ、拙者も自分ながら不思議に堪えられない」
「今朝になりまして、清吉さんから、わたくしをお助け下された委細のお話をお聞きしまして、わたしは、ほんとうに神様に守られているんじゃないかと、勿体(もったい)なくて、涙がこぼれてしまいました」
「ところで、その清吉が見えないが……何とかいうて出て行きましたか」
「いいえ、お正午(ひる)少し前までここにお見えになりましたが、それから、わたくしは今まで眠っておりました故、何も存じませぬ」
「はて……」
 甚三郎は、いよいよ清吉のことが不安になってきました。
 そうして、次の一本の蝋燭に火をうつして、それをまた提灯に入れ、
「淋しかろうが、そなたは一人で、暫らくここに留守している気で待っていてくれるように。拙者はこれから清吉を捜(さが)して参る」
「まあ、ほんとにあのお方はどちらへおいでになったのでしょう……いえ、もうわたしも起きられます、どうぞ、お心置きなく。どんなところにおりましても、淋しいなんぞと決して思いは致しません。歩けさえ致せば、わたしもお伴(とも)を致すのですけれど」
「ちょっと、その辺の様子を見て、ことによると碇場(いかりば)まで行って来る、その間に、もし清吉が帰ったならば、そのように申してくれるよう」
「畏(かしこ)まりました」
 甚三郎は病人のお角にあとを頼んで、提灯をつけて外へ立ち出でました。
 駒井甚三郎が出て行ったあとのお角には、夢のように思われてなりません。
 甲州城の勤番支配として、隆々(りゅうりゅう)たる威勢で乗り込んだ駒井能登守その人を、こんな方角ちがいの辺鄙(へんぴ)なところで、こうしてお目にかかろうということは、夢に夢見るようなものです。
 あの凜々(りり)しい、水の垂(したた)るような若い殿様ぶりが、今は頭の髪から着物に至るまで、まるで打って変って異人のような姿になり、その上に昔は、仮りにも一国一城を預かるほどの格式であったが、今は、見るところ、あの清吉という男を、たった一人召使っているだけであるらしい。その一人の男の姿が見えなくなると、御自分が提灯をさげて探しに出て行かねばならないような、今の御有様は、思いやると、おいとしいような心持に堪えられない。
 このお住居(すまい)とても、決して三千石の殿様の御別荘とは受取れない。ほんの仮小屋のようなものとしかお見受け申すことはできない。僅かの間に、どうしてこうも落魄(おちぶ)れなさったのだろう。お角は、そのことを考えると、ふいに頭に浮んで来たのは、同じく甲州城内に重き役目をつとめていた神尾主膳のことであります。
 駒井能登守様が、甲州城をお引上げになると、まもなく神尾の殿様も江戸へお引取りになった。神尾へはその前後に亘ってお角は始終出入りをしている。それで酔った時などに甲州話が出ると、神尾主膳は、きっと駒井能登守の悪口(あっこう)をする。その悪口が、いかにも意地悪く、ざまを見ろと言わぬばかりなので、お角はそれを聞くと、なんとなくイヤになるのでした。
 神尾主膳については、お角とても決して善良な人だとは信じていないけれど、あれでなかなか話せば話のわかる人だと思っている。あの人を箸にも棒にもかからぬように言うのは、それは、あの人を噛締(かみし)めていないからで、その悪いところだけを避けて、良いところを附き合えば、ずいぶん力になる人であると思っている。けれども、その神尾が、ひとたび駒井能登守の噂(うわさ)になると、酔っているとは言いながら、口を極めて悪く言うことが、お角には不服でもあり、不快でもあるのであります。
 何となれば、駒木野の関所以来、お角の眼にうつっている駒井能登守は、男ぶりといい、その情けある仕方といい、若くして人に長たるの器量といい、芝居の中で見る人のように見えるのであります。どこといって一点でも、難を入れるところのない殿様ぶりに見えるのであります。その学問や見識のことは、お角はまるきり見当がつかないけれども、あんな男らしい男ぶりの殿御を、前にも後にも見たことはないとまで思っているのでありました。
 それを神尾主膳が、頭ごなしにするからその時は不服で、つい抗弁をしてみる気になると、神尾はいやみな笑い方をしながら、
「お前も存外人形食(にんぎょうく)いだ、あんなのが、それほどお気に召すようでは甘いものだ」
なんぞと言われると、お角もムキになって、
「人形食い結構、あんな方に好かれたら、ほんとにわたしは、三年連れ添う御亭主を打棄(うっちゃ)っても行きますわ、けれどもお気の毒さま、あちら様で、わたしなんぞは眼中にないのですからね」
というようなことを言ったこともありました。
 それは冗談(じょうだん)にしても、神尾と駒井との間に、何かの蟠(わだかま)りのあることは疾(と)うに見て取らないわけはありません。その後、神尾へは相変らず親しく出入りしているに拘らず、能登守の方は、ほとんど消息も打絶えて、滅多に思い出すことさえなかったのが、今日、このところで偶然、こんなにお世話になることは、やっぱり何かのお引合せと見ないわけにはゆかないのであります。
 お角は、それを思うと、なんだか嬉しいような心持になって、清吉の見えなくなったことよりは、早く甚三郎が帰って来てくれることのみが待たれるのであります。このままでお帰りを迎えては恐れ多いというような心から、床を起き直って、乱れた髪などを撫で上げました。二時間ほどして駒井甚三郎はかえって来ましたから、お角は、
「おわかりになりましたか」
「わからん」
 甚三郎は、安からぬ色を深くしていました。
「まあ、どうなすったのでしょう」
「そなたを得たことも不思議だが、清吉を失ったことも不思議だ」
 甚三郎がこう言った言葉のうちには、多少の絶望が含まれているようです。
「海の方へでも行ったのでしょうか」
「どのみち、海へ行ったのであろうけれど……」
「お怪我がなければようござんすね、この辺の海は荒いそうですから」
「今宵は、もう諦(あきら)めて、明朝早く探しに行こう。それから、夜中(やちゅう)何ぞ急用でも起った時は、その柱の下にある小さなボタンを、三ツばかり押してみるがよい、それが拙者の枕許まで響いて来る。拙者の方でも、何か用事の起った時は、同じような仕掛で、この丸いものが鳴り出すようにしてあるから」
 これはおたがいの部屋に通ずる電気仕掛のベルでありました。駒井自身の工夫と設計にかかるものであることは申すまでもありますまい。これを押せばむこうのお居間の鈴が鳴るということが、お角にはなんだか魔術のように思われます。けれども、甚三郎はそれだけの注意を与えたきりで、この小屋とは棟を別にしている番所の内の、己(おの)れの居間へ帰って行きました。
 もし明朝になっても、明日になっても、清吉の行方(ゆくえ)がわからなかったらどうでしょう。またもし、お角の身体がほんとうに回復したのならよいけれど、これが一時の元気であって、明日からまたぶり返して枕が上らないようになったらどうでしょう。
 いったん、捨てられた洲崎の遠見の番所は、まるで孤島の中にあるようなものです。前方は海で、陸続きは近寄る人もありません。
 駒井甚三郎と、清吉とは、特にここをえらんで、たった二人きりで無人島同様の生活を好んで、ここに送っていたものと見えます。それがその共同生活の唯一人を失ったとすれば、あとに残るのは駒井甚三郎一人です。更にまた一人を加えたところで、その一人が枕も上らぬ病人であるなれば、その看病人も駒井甚三郎でなければなりません。
 三千石の殿様に、自分の看病をさせることが女冥利(おんなみょうり)に尽きると思うなれば、お角は、どうしても明日から起きて働かねばならないのです。
 その翌日、早朝から駒井甚三郎は、またもこの番所を立ち出でました。けれども、お正午(ひる)少し前に帰って来た時には、出て行った時と同じことに、たった一人でした。ついにその尋ぬる人を探し当てることができないで、悄然(しょうぜん)として番所の門を潜りました。しかし、それと打って変ったように元気になったのはお角です。甚三郎が帰って来た時には、もう起き上って、甲斐甲斐しく働いていました。多分、海へ張って置いた網を引き出しに行って、浪に捲き込まれて行方不明になったものだろうと甚三郎は推察して、それをお角に話し、一方に浪に打上げられた人を救い、一方に浪に捲かれて人を失うのは、偶然とは言いながら、この辺の海は魔物のようであるということを、つくづく歎息しました。
 お角は、それを聞いて気の毒がって泣きました。
 その日から、ここにまた変った二人の生活が始まりました。二人というその一人の主は、変らぬ駒井甚三郎ですけれども、それを助けるは男でなくて女です。
「というても、そなたは江戸へ帰らねばならぬ人」
 甚三郎に言われた時、
「いいえ、もう帰らなくってもよろしうございますよ」
 お角は、きっぱりとこう言いました。ナゼこんなに、きっぱりと言い得るだろうかということが不思議でした。何かの当りがあればこそ、ああして房州へ出て来たのだから、その当りは途中の災難で外れたにしても、この女が江戸へ帰らなくてよいという理由はなかりそうです。江戸でなければこの女の仕事はありそうにもなし、またとにもかくにも、がんりきの百といったような男を江戸には残して来てあるはずです。
 けれども、駒井甚三郎は、それをよいとも悪いとも言いませんでした。
 お角の料理してくれた昼飯を食べてから、また海岸へ出かけて、どこで何をしていたのか、夕方になって帰って来ました。
 そうして番小屋の炉の傍で、お角の給仕で夕飯を食べながら話をしました。清吉のことは、もう諦めてしまっているようです。その話のうちに、甲州話がありました。けれども、その甲州話も、政治向のことや勤番諸士の噂などは、おくびにも出ないで、甲州では魚を食べられないとか、富士の山がよく見えるとか、甲斐絹(かいき)が安く買えるとか、そんな他愛のないことばかりでしたからお角は、この殿様がどうしてかの立派な御身分から今のように、おなりあそばしたかということを尋ねてみる隙(すき)がありませんでした。
 それから、お角の身の上を徐(おもむ)ろに甚三郎が詮索(せんさく)を始めました。詮索というと角が立つけれど、実はそれからそれと穏かに尋ねられるので、お角も、つい繕(つくろ)い切れなくなって、女軽業(おんなかるわざ)の一座を引連れて、甲府の一蓮寺で興行したことから、このごろ再び両国で旗上げをするために、実はこの房州の芳浜というところに珍しい子供がいるそうだから、それを買いに来て、途中この災難ということを、すっかりと甚三郎に打明けてしまいました。打明けねばならぬように話しかけられてしまって、打明けてから、つい悔ゆるような心持になりましたけれど、甚三郎は一向、そんなことを念頭に置かぬらしく、
「それは面白い仕事であろう、拙者はまだ軽業というものを見たことがない」
「お恥かしうございます」
 さすがのお角も、なんだか赤くなるように思いました。
 話が済むと甚三郎は、さっさと立って自分の居間へ行ってしまいます。そうして夜おそくまで何かの研究に耽(ふけ)るらしくありましたが、お角は、ひとり取残されたように炉辺に坐っておりました。前に言ったように、この洲崎の遠見の番所は、離れ島のような地位に置かれてあります。前は海で、陸地つづきは、ほとんど交通を断たれているのであります。
 お角も、かなりおそくまで、炉の傍に、ぼんやりとして燈火を見つめたり、火箸を取って灰へ文字を書いたりしていましたが、
「わたしゃ、あの殿様はわからない」
と自棄(やけ)のようなことを言って、帯を解いて男の着物を寝衣(ねまき)にして、蒲団(ふとん)をかぶって寝てしまいました。
 けれども、その翌朝は、早く起きて、水を汲んだり、御飯を炊いたり、掃除をしたり、いっぱしの女房気取りで、気持のよいほどの働きぶりであります。
 朝の食事が終ると、甚三郎はまた海岸へ出て行きました。正午(ひる)時分にいったん帰って、居間へ閉籠(とじこも)ったが、しばらくすると、またどこへか出て行きました。そうして夕方になって戻って来ました。
 夕飯の時は、またお角を相手にして、軽快に四方山(よもやま)の話を語り出でました。
「そう改まって給仕には及ばん、そなたもここで一緒に」
 甚三郎は、強(し)いてお角にすすめて、一緒に夕餐(ゆうさん)の膳に向いながら、
「人間の一芸一能は貴(たっと)い、そなたの仕立てた芸人たちの業を、そのうち一度見せてもらいたいものじゃ」
 真顔(まがお)になって、こんなことを言い出しましたから、お角もおかしくなって、
「ねえ……殿様」
 思わず膝を進ませると、
「殿様と言っちゃいかん、昔は殿様の端くれであったかも知れんが、今は船頭だ」
「では、何と申し上げたらよろしうございましょう」
「駒井とでも、甚三郎とでも勝手に」
「駒井様、駒井の殿様……なんだかきまりが悪うございますね。駒井様、そんなことを申し上げると口が曲りそうですけれど、わたしたちには、どうしても、あなた様の御了見がわかりません」
「わからんことはあるまい、浪人して詮方(せんかた)なく、こうしているまでのことじゃわい」
「どうして、あなた様ほどのお方が、これほどまでに落魄(おちぶ)れあそばしたのでございましょう」
「自分が悪いからだ」
「殿様……また殿様と申し上げました、あなた様のようなお方に、お悪いことがおありなさるのですか」
「なければ殿様でおられるのだが、あるからかように落魄れたのだ」
「それは一体、どういう罪なんでございましょう、あんまり不思議で堪りませんから、それをお聞かせ下さいませ」
「それはな……」
 駒井甚三郎は、お角の疑いに何をか嗾(そそ)られて沈黙しましたが、急に打解けて、
「隠すほどのこともあるまい、実はな、恥かしながら女だ、女で失策(しくじ)ったのだ」
「エ、まあ、女で……」
 お角は眼を□(みは)って呆(あき)れました。その眼のうちには、幾分かの嫉妬(しっと)が交っているのを隠すことができません。御身分と言い、御器量と言い、そうしてまた、このお美しい殿様に思われた女、思われたのみならず、これほどのお方を失敗(しくじ)らせたほどの女、それは何者であろう。憎らしいほどの女である。その女の面(かお)を見てやりたい。お角は、そう思って呆れている時に、自分の背にしている裏の雨戸に、ドーンと物の突き当る音がしたので吃驚(びっくり)しました。

         七

 お角は吃驚しましたけれども、甚三郎は驚きません。
「何でございましょう、今の音は」
「左様……」
 甚三郎は、なお暫く耳を澄ましてから、
「やっぱり、いたずら者だろう」
と言いました。
「え、いたずら者とおっしゃるのは?」
「向うの松原に、小さな稲荷(いなり)の社(やしろ)がある、あれの主が三吉狐(さんきちぎつね)というて、つい、近頃までも、その三吉狐がこの界隈(かいわい)に出没して、人に戯れたそうじゃ。ことに美しい男に化けて出ては、若い婦人を悩ますことが好きであったと申すこと。ところが、我々がここへ来てからは、とんとそれらの物共が姿を見せぬ、化かしても化かし甲斐(かい)がないものと狐にまで見限られたか、それとも、彼等には大の禁物な飛道具や、煙硝(えんしょう)の臭いで寄りつかぬものか、絶えて今まで悪戯(いたずら)らしい形跡も見えなかったが、たった今の物音でなるほどと感づいたわい」
 こんなことを言いました。お角はさすがに女だから、それを聞いて、襟元が急に寒くなったように思い、
「そんなに性(しょう)の悪いお稲荷様があるんでございますか」
「全く、性質(たち)のよくない稲荷じゃ。ことにその三吉狐とやらは先祖が男に化けて、村の若い娘と契(ちぎ)り、かえって娘の情に引かされて、大武岬(だいぶみさき)の鼻というのから身投げをして、心中を遂げてしまったということから、どうもその子孫の狐が嫉(ねた)み心(ごころ)が強くて、男と女の間に水を注(さ)したがると申すこと」
「いやですね」
「だから、この界隈で、男女寄り合って話をしていると、必ずその三吉狐が邪魔に来る、それは相思(そうし)のなかであろうともなかろうとも、男女がさし向いで話をすることを、その狐は理由なしに嫉(ねた)む、そうしてその腹癒(はらい)せのために、何か悪戯をして帰るとのことじゃ。それを思い合せてみると、なるほど、こうして、そなたと拙者、罪のない甲州話をしているのも、三吉狐に嫉まるるには充分の理由がある、怖いこと、怖いこと」
 駒井甚三郎はこう言って笑いました。お角も、それに釣り込まれて笑いましたけれども、それは自分ながら笑っていいのだか、笑いごとではないのだか、全く見当がつかなくなりました。
 そう言われてみると、今夜、この場合のみならず、この頃中のことが、すべてその三吉狐とやらの悪戯ではあるまいか。三千石の殿様が、こうして落魄(おちぶ)れておいでなさることも夢のようだし、その殿様と自分が、こうして膝つき合わせて友達気取りでお話をしているのも疑えば際限がないし、美しい男に化けるのが上手だという三吉狐が、もしや駒井の殿様に化けて、わたしを引っかけているのではなかろうか。それにしては、あんまり念が入(い)り過ぎる。そんなにしてまで、わたしを化かさなければならぬ因縁がありようはずはない……お角はいよいよ気味が悪くなってきた時に、今度は自分の坐っている縁の下で、ミシミシと一種異様な物音がしましたから、
「あれ!」

と言って甚三郎の傍へ身を寄せました。
 それは確かに、縁の下を物が這(は)っている音であります。
 その時に駒井甚三郎は、懐中へ手を入れると、革の袋に納めた六連発の短銃を取り出しました。
 お角は、駒井甚三郎なる人が、砲術の学問と実際にかけては、世に双(なら)ぶ者のない英才であるということを知りません。また、大波の荒れる時にはあれほどに気象の張った女でありながら、稲荷様の祟(たた)りというようなことを、これほどに怖がるのを自分ながら不思議だとも思いません。
「わたし、なんだか怖くなりました」
 こう言って、甚三郎の面(おもて)を流し目に見ると、取り出した短銃を膝の上へのせて微笑しているその面(かお)が、なんとも言われない男らしさと、水の滴(したた)るような美しさに見えました。
 そこで、縁の下がひっそりとしてしまいました。ミシミシと音を立ててお角の坐っていた下あたりに這い込んだらしい物の音が、急に静まり返って、兎の毛のさわる音も聞えなくなりました。
「逃げてしまいましたろうか」
「いや、逃げはせん、この下に隠れている」
 お角が、おどおどしているのに、甚三郎は相変らず好奇心を以て見ているようです。
「いやですね、いやなお稲荷様に見込まれては、ほんとにいやですね」
 お角は、座に堪えられないほど気味悪がっているのに、
「動けないのだ……」
と言って、甚三郎は膝の上にのせた短銃をながめているのであります。
「おや、小さな鉄砲。殿様は、いつのまにこんなものをお持ちになりました」
 お角はその時、はじめて甚三郎の膝の上の短銃に気がついて、そうしてその可愛らしい種子(たね)が島(しま)であることに、驚異の眼を向けました。
「いつでもこうして……」
 甚三郎が、それを手に取り上げて一方に覘(ねら)いをつけると、なぜかお角はそれを押しとどめ、
「殿様、おうちになってはいけません」
「なぜ」
「でも、お稲荷様を鉄砲でおうちになっては、罰(ばち)が当ります」
「罰?」
「ええ、そんなにあらたかなお稲荷様を鉄砲でおうちになっては、この上の祟(たた)りが思いやられます」
「ばかなことを」
 甚三郎はそれを一笑に附して、
「拙者も好んで殺生(せっしょう)はしたくはないが、畜生に悪戯(いたずら)されて捨てても置けまい」
「いいえ、どうぞ、わたしに免じて助けて上げてくださいまし、わたしはお稲荷様を信心しておりますから」
「稲荷と狐とは、本来別物だ」
「別物でも、おんなじ物でも何でもかまいませんから、そうして置いて上げてくださいまし、そのお稲荷様が嫉(そね)むなら嫉まして上げようじゃありませんか、ね、そうして置いてお話を承りましょうよ、わたしゃ化かされるなら化かされてもようござんす」
「きつい信心じゃ」
 駒井甚三郎は苦笑いして、また短銃を膝の上に置くと、そのとき縁の下で、うーんとうなる声が聞えました。
「おや、殿様、人間でございますよ、お稲荷様じゃございませんよ」
「不思議だなあ」
 最初から心を静めて観察するの余裕を持っていた駒井甚三郎が、その物音や、気配を察して、人間と動物とを見誤るほどの未熟者ではないはずです。
 科学者であるこの人は、狐に関する迷信の類は最初から歯牙(しが)にかけず、ほんの一座の座興にお角を怖がらせてみたものとしても、人と獣の区別を判断し損ねたということは、己(おの)れの学問と技倆との自信を傷つくるに甚だ有力なものと言わなければなりません。そこで甚三郎は短銃を片手に、ついと立ち上って、畳の上を荒々しく踏み鳴らしました。
 甚三郎が畳の上を踏み鳴らすとちょうど、仕掛物でもあるかのように、それといくらも隔たってはいないところの、囲炉裏(いろり)の傍の揚げ板が下からむっくりと持ち上りました。
「御免なさい」
 甚三郎もお角も呆気(あっけ)に取られてそれを見ると、現われたのは狐でも狸でもなく、一個(ひとつ)の人間の子供であります。
「お前は何だ」
 あまりのことに甚三郎も拍子抜けがして、己(おの)れの大人げなきことが恥かしいくらいでした。
「御免なさい、御免なさい」
と言って子供は、揚げ板の中から炉の傍へ上って来ました。
 鼠色をした筒袖の袷(あわせ)を着て、両手を後ろへ廻し、年は十歳(とお)ぐらいにしか見えないが、色は白い方で、目鼻立ちのキリリとした、口許(くちもと)の締った、頬の豊かな、一見して賢げというよりは、美少年の部に入るべきほどの縹緻(きりょう)を持った男の子であります。
「お前さん、どうしたの」
 最初は怖れていたお角も、寧(むし)ろ人間並み以上の子供であったものだから、落着いて咎(とが)め立てをする勇気が出ました。
「助けて下さい」
 子供はそこへ跪(かしこ)まってお角の面(かお)を見上げました。その時、見ればその眼が白眼がちで、ちらりとした、やや鋭いと言ってよいほどの光を持っているのを認められます。ただ、その身体の形を不恰好(ぶかっこう)にして見せるのは、最初から両手を後ろに廻しっきりにしているからです。
「どこから逃げて来たの」
「清澄山から逃げて来ました」
「清澄山から?」
「ええ、清澄で坊さんに叱られて、縛られました。おばさん、あたいの手を、縛ってあるから解いて下さい」
「縛られてるの、お前さんは」
 お角がなるほどと心得て、そこへちょこなんと跪(かしこ)まった子供の背後(うしろ)へ廻って見るとなるほど、その小さな両手を後ろに合せて、麻の細い縄で幾重(いくえ)にもキリキリと縛り上げてありました。
 お角は一生懸命にその結び目を解いてやろうとして焦(あせ)ったが、容易には解けそうもありません。
「ずいぶん固く結(ゆわ)えてあるわね、これじゃなかなか取れやしない」
 お角はもどかしがって、ついにその縄の結び目へ歯を当てました。
「小柄(こづか)を貸して上げようか」
 甚三郎は見兼ねて好意を与えると、お角は首を振って、
「いいえ、結んだものですから解けそうなものですね、解けるものを切ってしまうのは嫌なものですから」
 お角はしきりに縄の結び目へ歯を当てて、それを解こうとしましたが、いったいどんな結び方をしたものか知らん、ほんとに歯が立ちません。けれども、お角は焦(じ)れながらも、いよいよ深く食いついて、面(かお)をしかめながらも首を左右に振っています。
「おばさん、ずいぶん固く結えてあるでしょう、岩入坊(がんにゅうぼう)が縛ったんですからね、とても駄目でしょうよ、口では解けないでしょうよ、刃物で切っちまって下さい」
 子供は、ややませた口ぶりで、お角のすることの効無(かいな)きかを諷(ふう)するように言いますから、こんなことにも意地になったものと見え、
「いま解いて上げるよ、結んだものだから解けなくちゃあならないんだから。切ってはなんだか冥利(みょうり)が尽きるわよ」
 お角はしきりに縄に食いついて放そうともしません。
「岩入坊は縛るのが名人だからね、岩入に縛られちゃ往生さ」
 子供は、こんなことを言いながら、お角のするようにさせておりました。
「あ、痛!」
 あまり力を入れて、歯を食い折ったか、ただしは唇でも噛み切ったか、面(かお)を引いたお角の口許に、にっと血が滲(にじ)んでおりました。
「解けましたよ」
 その時にお角は、クルクルと縄の一端を持ってほごしてしまいました。
 子供の手を自由にしてやって、お角は元の座に戻り、紙をさがして口のあたりを拭きました。滲み出した血を、すっかり拭き取って平気な顔をしているから、大した怪我ではないでしょう。
「どうも有難う」
 子供はそこで、お角と甚三郎の前へ両手を突いてお辞儀をします。
「清澄から、これまで一人で来たのか」
「エエ、一人で逃げて来ました」
 そこで甚三郎は、じっとこの子供の顔を見つめました。清澄は安房(あわ)の国の北の端であって、洲崎(すのさき)はその西の涯(はて)になります。いくら小さい国だと言ったところで、国と国との両極端に当るのです。その間を、この少年が両手を後ろに縛られたままで、ここまで逃げて来たということが嘘でなければ、ともかくもそこに、非凡なものの存することを認めないわけにはゆかなかったのでしょう。けれども甚三郎は、そのことを尋ねないで、
「何で、そんなに縛られるようなことをしでかしたのだ」
「悪戯(いたずら)をしたものですから、それで縛られました」
「悪戯? どんな悪戯を」
「ちょっとしたことなんです、ちょっと悪戯をしたんだけれども縛られてしまいました、縛られて、門前の大きな杉の木へつながれてしまいました、それを弁信さんに解いてもらいました、ぐずぐずしていると、岩入坊にまたひどい目に遭わされるから、早くお逃げって弁信さんがそう言ったもんだから、後ろ手に結(ゆわ)かれたのを解いてもらう暇がなくって、一生懸命に、人に見つからないようにこうして逃げて来ました」
「それはよくない、ナゼ逃げ出さないで、お師匠さんに謝罪(あやま)ることをしないのだ」
「駄目、駄目、あたいは、もう、あんなところは早く逃げ出したくって堪らなかったのよ、もう帰らないや」
「お前、お寺にいて坊さんになるのが嫌なのか」
「いいえ、あたいは清澄のお寺に預けられていたけれど、坊さんになるつもりじゃなかったの、お寺の方では、あたいを坊さんにするつもりであったかも知れないけれど、あたいは坊さんになる気なんぞはありゃしない」
 一通りの白状ぶりを聞いても、そんなに大した悪戯(いたずら)をする悪少年とも見えません。けれども甚三郎は、この少年を問い訊(ただ)すことに興味を失わないで、
「そして、お前、これからどこへ行くつもりなのだ」
「あたいは、これから芳浜へ帰ろうと思うんだけれども、芳浜へは帰れないや、だから舟に乗ってどこかへ行ってしまいたいと思っているのよ」
「芳浜にお前の実家(うち)があるのか」
「あたいの実家じゃない、お嬢さんの家があるんですよ」
「お嬢さん……主人の娘だな。清澄へ行く前、そこに居候(いそうろう)をしていたのか」
「あたいは、お嬢さんに可愛がられていたのよ、お嬢さんが、あんまり、あたいを可愛がるもんだから、それでみんなが、あたいをお嬢さんの傍へ寄せないようにしてしまったのですね、お嬢さんきっと、あたいに会いたがるに違いない」
 子供はすずしい眼をして甚三郎の面を打仰ぎました。お嬢さんに可愛がられてる……それがなんとなく甚三郎の心を温かいものにして微笑(ほほえ)ませました。
「そのお嬢さんというのは幾つになる」
「今年、十八になるでしょうね」
と言って小首を傾(かし)げるところを見れば、どう見ても愛くるしい美少年で、決して悪戯をしたために、これほどまで無惨に縛られ、縛られた上に、清澄の山から洲崎の浜まで走って来るほどの不敵な少年とは思われません。甚三郎は優しく、
「そうか、近いうち、拙者(わし)も舟であちらの方へ出かけるから、その時に連れて行ってやろう、そうしてお嬢さんとやらに会わせてやろう」
「有難う。それでもね、お嬢さんにゃ会えませんよ」
「どうして」
「みんなが会わせないんだもの」
「なぜ会わせないのだ」
「あたいは、お嬢さんにだけは可愛がられるけれども、ほかの者にはみんな憎まれてるから」
「みんなの人が、なぜ、そんなにお前を憎むのだ」
「なぜだか、あたいにはわからないんだ、みんなの人が、あたいを憎んでお嬢様に会わせないように、清澄の山へ預けちまったんですからね」
「何かお前が悪いことをしたのだろう」
「いいえ、何も悪いことをしやしません、悪いことといえば、あたいが、あんまりお嬢様に可愛がられるから、それが悪いんでしょうよ。そのほかにはね……あたいは、虫を捕ることが好きなんですよ、虫を捕ることだの、鳥と遊ぶことだの、それから、笛を吹くことだの……」
 その時まで黙って聞いていたお角が、あわて気味で口をはさみました。
「ちょっとお待ち。お話のうちだが、それではお前さんが、あの芳浜の茂太郎さんというんじゃないの」
「ええ、あたいがその茂太郎ですよ」
「そう、驚きましたね、わたしはまた、お前さんを頼むために、こうしてわざわざ房州までやって来たのですよ」
「おばさん、あたいを頼みに来たの」
 少年は、やや眼を円くして、お角の面(かお)を見上げましたが、その頼みに来たという事情を、さのみ立入って知りたいというほどでもありません。
「ええ、お前さんを頼みに来たのよ、それがために途中で大難に遭って、こうしてお世話になっているの」
「そうですか」
「そうですかじゃない、ほんとに生命(いのち)がけで江戸から、お前さんを尋ねに来たんじゃないか」
 お角ははずむけれども少年は、
「江戸から?」
と言って、前よりは少しく耳を傾けただけのことです。それもお角が無暗に、大難だとか生命がけだとかいうのに引きつけられたのではなく、江戸からと言った地名だけに引っかかったものとしか思われません。
「そうよ」
「江戸には、おばさん、山は無いんでしょう、だから蛇だって、そんなにいやしないでしょう、わたしを頼んで行ってどうするの」
「そりゃね……」
と言って、お角が少しばかり口籠(くちごも)りました。少年は、それに頓着せずに、
「今まで、あたいを頼みに来るのは、山方(やまかた)ばっかりよ。あたいに鳥を追わせたり、蛇をつかまえさせたり、また虫を取って来て天気を占(うらな)わせたりするんだけれど、江戸へ連れて行ってどうするんだろう。それでも、あたい江戸へは行ってみたいよ。お嬢さんとこに、幾枚も江戸の景色の絵があるんだ、それで見て知っているけれどもね、綺麗(きれい)なところだね。おばさん、ほんとうに連れてってくれるなら、あたい行ってもいいよ、おばさんとこに居候になっていてもいいよ」

         八

「それというのはね、まあ、聞いて下さいまし。この間の暴風雨(あらし)の晩のことでした、わたしが毎晩ああやって点(つ)けている高燈籠の火が消えてしまいました、どんなに風が吹いても、雨が降っても、消えないはずの火が消えてしまいました、あの火が消えたばっかりに、海で船が沈んで、多くの人が死にました、まことに申しわけのないことでございます」
 盲法師の弁信はこう言って、その見えない眼から涙をポロポロとこぼして、口が利(き)けなくなりました。
「弁信さん、そりゃ仕方がありませんよ、なにもお前さんが消したというわけじゃあるまいし」
「いいえ、いいえ、わたしが消したんですよ、決して、あの晩の暴風雨(あらし)が消したわけじゃございません」
「だって弁信さん、お前がわざわざ消しに行ったわけじゃありますまい」
「いいえ、わたしの業(ごう)が尽きないから、それで、あの晩に限って火が消えてしまったんですね、わたしが、少しでも人様の眼を明るくして上げようと思ってしたことが、かえって人様の命を取るようになってしまいました、怖ろしいことでございます」
「けれども、そりゃ仕方がありませんよ、善い心がけでしたことも、悪いめぐり合せになるのは運ですからね、なにもあの晩に限って燈火(あかり)が消えて、それがために助けらるべき船が助けられず、救わるべき人が救われなかったといって、誰も弁信さんを恨むわけのものじゃありません、それでは、あんまり取越し苦労というものが過ぎますね」
「いいえ、いいえ、善い心がけでしたことが、悪いめぐり合せになるということは、決してあるものではございません、それが悪いめぐり合せになるのは、徳が足りないからでございます、業が尽きないからでございます」
「そりゃいけませんよ、善いことをすれば、善いめぐり合せになるときまったものじゃなし、かえって善いことをして、悪いめぐり合せになる例(ためし)が世間にはザラにあることなんだから、弁信さん、そんなに取越し苦労をしないで、山へお帰りなさいまし」
「いいえ、そうじゃないのです、善い人の点(つ)けた火は、消そうと思っても消えるものじゃございません。御承知でございましょうが、天竺(てんじく)の阿闍世王(あじゃせおう)が、百斛(ひゃっこく)の油を焚いて釈尊を供養(くよう)致しました時、それを見た貧しい婆さんは、二銭だけ油を買って釈尊に供養を致しました、貧しい婆さんの心は善かったものでございますから、阿闍世王の供えた百斛の油が燃え尽きてしまっても、貧しい婆さんの二銭の油は、決して消えは致しませんでした、消えないのみならず、いよいよ光を増しました、暁方(あけがた)になって目連尊者(もくれんそんじゃ)が、それを消しにおいでになって、三たび消しましたけれど、消えませんでございました、袈裟を挙げて煽(あお)ぐとその燈明の光が、いよいよ明るくなったと申すことでございます。それほどの功徳(くどく)も心一つでございますのに、それに、わたしがああやって心願を立てて、毎晩毎晩点けにあがる高燈籠が、あの晩に限って消えてしまったというのは因果でございます、業でございます、わたしの徳が足りないんでございます。徳の足りないものが、業(ごう)の尽きない身を以てお山を汚していることは、お山に対しても恐れ多いし……わたし自らの冥利のほども怖ろしうございますから、それでわたしは、お山をお暇乞(いとまご)いを致しました、皆様がいろいろにおっしゃって下さいましたけれども、わたしは自分の罪が怖ろしくて、お山に留まってはおられませんでございます。皆様お大切に、これでお別れを致します……これが一生のお別れになるか知れませんでございます」
 こう言って、盲法師の弁信は泣きながら、草鞋(わらじ)ばきで、笠はかぶらないで首にかけ、例の金剛杖をついて清澄の山を下ってしまいました。それは暴風雨(あらし)があってから五日目のことで、誰がなんと言っても留まらず、山を下って行く、その後ろ姿がいかにも哀れであります。

         九

 それとほぼ時は同じですけれども、ところは全然違った中仙道の碓氷峠(うすいとうげ)の頂上から、少しく東へ降ったところの陣場ケ原の上で、真夜中に焚火を囲んでいる三人の男がありました。
 一昨夜の暴風雨(あらし)で吹き倒されたらしい山毛欅(ぶな)の幹へ、腰を卸(おろ)しているものは、南条力(つとむ)であります。この人は曾(かつ)て甲府の牢に囚(とら)われていて、破獄を企てつつ宇津木兵馬を助け出した奇異なる浪士であります。
 その南条力と向き合って、これは枯草の上に両脚を投げ出しているのは、いつもこの男と影の形に添うように、離れたことのない五十嵐甲子雄(いがらしきねお)であります。甲府の牢以来、この二人が離れんとして離るる能(あた)わざる□(ふたご)の形で終始していることは敢(あえ)て不思議ではありませんが、その二人の側に控えて、いっぱしのつもりで同じ焚火を囲んでいるもう一人が碌(ろく)でもない者であることは不思議です。碌でもないと言っては当人も納まるまいが、この慨世憂国の二人の志士を前にしては、甚だ碌でもないというよりほかはない、例のがんりきの百蔵であります。
「その屋敷でござんすか、そりゃこの峠宿(とうげじゅく)から二里ほど奥へ入ったところの美平(うつくしだいら)というところが、それなんだそうでございます。今はそこには人家はございませんが、そこが、碓氷の貞光(さだみつ)の屋敷跡だといって伝えられてるところでございます」
 がんりきの百は、いっぱしの面(かお)をして案内ぶりに話しかけると、
「なるほど」
 南条力はいい気になって頷(うなず)いてそれを聞いている取合せが、奇妙といえば奇妙であります。ナゼならば、南条力は少なくともこのがんりきの百なるものの素行(そこう)を知っていなければならない人です。それは甲州街道で、このがんりきの百が男装した松女(まつじょ)のあとを、つけつ廻しつしていた時に、よそながら守護したり、取って押えたりして、お松を救い出したのはこの人であります。百にしてからが、この人の怖るべくして、狎(な)るべからざる人であり、ともかく自分たちには歯の立たない種類の人であることを、充分こなしていなければならないのに、こうして心安げになって、いっぱしの面をしていることが、前後の事情を知ったものには、どうも奇妙に思われてならないはずです。
 ところが、このがんりき先生は一向、そんなことには頓着なく、
「さあ、焼けました、もう一つお上んなさいまし。南条の先生、こいつも焼けていますぜ、五十嵐の先生、もう一ついかがでございます」
と言って、木の枝をうまく渡して、焚火に燻(く)べておいた餅を片手で摘(つま)み上げ、
「碓氷峠の名物、碓氷の貞光の力餅というのがこれなんでございます」
 得意げに餅を焼いて、二人にすすめ、
「何しろ源頼光の四天王となるくらいの豪傑ですから、碓氷の貞光という人も、こちとらと違って、子供の時分から親孝行だったてことでございますよ。親孝行で、そうして餅が好きだったと言いますがね、親孝行で餅が好きだからようございますよ、間違って酒が好きであってごろうじろ、トテも親孝行は勤まりませんや。どうも酒飲みにはあんまり親孝行はありませんね。俺(わっし)の知ってる野郎にかなりの呑抜(のみぬけ)があって、親不孝の方にかけちゃ、ずいぶん退(ひ)けを取らねえ野郎ですが、或る時、食(くら)い酔って家へ帰ると、つい寝ていた親爺の薬鑵頭(やかんあたま)を蹴飛ばしちまいましてね、あ、こりゃ勿体(もったい)ねえことをしたと言ったもんです、それを親爺が聞いて、まあ倅(せがれ)や、お前も親の頭を蹴って勿体ないと言ってくれるようになったか、それでわしも安心したと嬉しがっていると、野郎が言うことにゃ、おやおや、お爺(とっ)さんの頭か、俺(おり)ゃまた大事の燗徳利(かんどっくり)かと思ったと、そうぬかすんですから、こんなのは、とても親孝行の方には向きませんよ。酒飲みがみんな親不孝と限ったわけじゃございませんが、餅の方が向きがようございます。その碓氷の貞光て人は餅が好きで、自分で搗(つ)いては自分でも食い、お袋様にもすすめてね、自分はその餅を食いながら、あの美平の屋敷から信州のお諏訪様まで日参りをしたというんですから、足の方もかなり達者でした。私共も足の方にかけちゃずいぶん後(おく)れを取らねえつもりだが、ここから信州の諏訪へ日参りと来ちゃ怖れ入りますね。そんなわけで、これがこの土地の名物、碓氷の貞光の力餅ということになっているんでございます」
 がんりきの百蔵は、無駄話を加えて力餅の説明をしながら、しきりにそれを焼いては例の片手を上手に扱って二人にすすめると、それをうまそうに食べてしまった南条は、
「がんりき、時間はどんなものだな」
「そうでござんすね、もうかれこれいい時分でございましょう」
 三人が同時に頭(こうべ)をめぐらして西の方をながめました。この時分、最夜中は過ぎて峠の宿(しゅく)で、たったいま鳴いたのが一番鶏であるらしい。
「いったい、横川の関所は何時(なんどき)に開くのじゃ」
 五十嵐が言いますと、
「やっぱり、明けの六(む)つに開いて、暮の六つに締まるんでございます」
「そうして今は何時(なんどき)だ」
「一番鶏が鳴きました」
 がんりきは何か落着かないことがあるらしく、
「間違いはございませんが、念のためですからこれから私が、もう一ぺん峠の宿を軽井沢まで走って見て参ります」
「御苦労だな」
 こうして、がんりきの百は得意の早足で、峠の宿の方へ向いて行ってしまいました。そのあとで南条は、五十嵐にむかい、
「こんな仕事には誂向(あつらえむ)きに出来ている男だ、何か、ちょっとした危ない仕事がやってみたくてたまらないのだ、小才(こさい)が利いて、男ぶりもマンザラでないから、あれでなかなか色師(いろし)でな、女を引っかけるに妙を得ているところは感心なものだ」
 こんなことを言って笑っていると、五十嵐は、
「女によっては、あんなのを好くのがあるのか知らん、どこかに口当りのいいところがあるのだろう」
「当人の自慢するところによると、あの片一方の腕を落されたのも、女の遺恨から受けた向う創(きず)だと言っている。これと目星をつけた女で、物にならぬのは一人もない、なんぞと言っているところがあいつの身上だ」
 この時分に峠の宿で、また鶏が鳴きましたけれども、夜が明けたというわけではありません。
 いわゆる、碓氷峠(うすいとうげ)のお関所というのは、箱根のお関所と違って、それは山の上にあるのではなく、峠の麓にあるのであります。
 熊(くま)の平(だいら)で坂本見れば、女郎が化粧して客待ちる……というその坂本の宿よりはなお十町も東に当る横川に、いわゆる碓氷峠のお関所があるのであります。
 このお関所を預かるものは安中(あんなか)の板倉家で、貧乏板倉と呼ばれた藩中の侍も、この横川の関所を預かる時は、過分の潤(うるお)いがあったということです。それは参覲交代(さんきんこうたい)の大名の行列から来る余沢(よたく)の潤いであるとのことです。
 けれども、ここを通る参覲交代の大名のすべてを合せても、その余沢は、一加州侯のそれに及ぶものではないとのことであります。
後共(あとども)は霞引きけり加賀守
という百万石の大名行列は、年に二回は行われる。その年に二回の加賀様の行列によって、一年の活計を支えるほどの実入(みい)りを得ている者が、幾人あるか知れないということであります。
 それは大抵、五月と九月との両度に行われ、同勢は約千人もあったろうということで、金沢の城中から、鉄砲百挺、弓百挺、槍百筋を押立てて、ここまで練って来た一行が、鉄砲だけは関所を通すことが許されないから、坂本の宿の陣屋に鉄砲倉を立て、そこに預けておき、帰る時は、それを持ち出して国へ帰るということになっているのだそうです。関所でやかましいのは、鉄砲と、そうして女であることはここも他と変ることはなく、徳川幕府にとって頭痛の種であったこの二つの禁物のうちの一つは、そうして封じ込められて、関所を東へは一寸も動くことを許されないでいるが、東から来て西へ抜けようとする女は、まさか倉を立てて蔵(しま)っておくわけにもゆかない代り、かなり厳しい詮議(せんぎ)の下に、辛(かろ)うじて通過を許されるのであります。それは、たとえ百万石の奥方といえども、関所同心の細君の手によって、一応その乳房をさぐられ、それから髪の毛の中を探された上で、はじめて通行の自由を認められる……それが本来の規則であったそうだけれども、そこにも当然抜け道はあって、表面だけの繕いで無事に通行ができるようになり、それらの余徳として、関所役人の懐ろの潤(うるお)いが増してくるようになったとは、さもありそうなことであります。
 その加州侯の潤わせぶりが、至って寛大で豊富であったから、その行列が宿々のものから喜ばれた持て方は非常のものでしたそうです。それで中仙道を、誰いうとなく加賀様街道と呼ぶようになったのは、名実共にさもありぬべきことと思われます。
 これに反して、嫌われ者は、尾張と薩摩で、これはどうかして三年に一度ぐらい、この関所へかかることがあるが、金は使わないくせに威張り散らすという廉(かど)で、関の上下におぞけを振わせたものだそうです。それで近頃まであの附近では、泣く児をだますのに、それ尾張様が来たといってオドかしたものだそうです。
 そんなようなわけで、碓氷峠の関所、実は横川の関所は、毎日、明けの六(む)つから暮の六つまで、人を堰(せ)いたり流したりしていましたが、これはもちろん、その時刻にしてはあまりに早過ぎることなのであります。
「さあ、やって来たぞ」
「来た、来た」
 南条と五十嵐とは、例の陣場ケ原の焚火から立ち上って、ながめたのは関所の方角ではなくて、やはり熊野の社の鎮座する峠の宿の方面でありました。
 なるほど、何物かがやって来る。耳を傾けると鈴の音が聞えるようです。蹄(ひづめ)の音もするようです。あちらの方から、馬を打たせて来るものがあることは疑うべくもありません。
 まもなくそこへ現われたのは、馬子に曳(ひ)かれた二頭の馬でありました。
 峠を越ゆる馬は、一駄に三十六貫以上はつけられないのだから、荷物の重量としてはそんなに大したものとは思われないが、それに附添っている武士が三人あります。そうして馬の背の上に、梅鉢の紋らしいのが見えるところによって見れば、これは、やはりこの街道の神様である加州家に縁(ちなみ)のある荷馬(にうま)であることも推測(おしはか)られます。
 それと見た南条力は、ズカズカとその馬をめがけて進んで行きました。無論、五十嵐甲子雄もそれに従いました。
 これは、馬子も宰領も、すわやと驚かねばならぬ振舞です。この二人だからよいようなもの、そうでなければまさに山賊追剥の振舞であります。
「待ち兼ねていたわい」
 南条力は低い声でこう言って馬の前に立ち塞がると、不思議なことに馬も人も更に驚く風情(ふぜい)はなく、ハタと歩みをとどめてしまって、
「まず、上首尾」
と言った声は、前なる馬子の口から発せられました。落着いたもので、馬子風情の口吻(くちぶり)ではありません。
 けれど、馬子の口から出たことは間違いがありません。
 その時に、馬に附添って来た三人の武士は、汝(おの)れ狼藉者(ろうぜきもの)! と呼ばわってきってかかりでもするかと思うと、それも微塵(みじん)騒がず、遽(にわ)かに馬の側から立退いて、やや遠く三方に分れて立ちました。この陣場ケ原というところは、昼ならば碓氷峠第一の展望の利くところでありますから、そうして三方にめぐり立てば、どちらの方面から来る人の目を防ぐこともできます。
 ところで南条力は、右の一言を発しただけで、前にいた馬子の傍へ立寄ると、五十嵐甲子雄は二番目の馬子に近寄って、
「お役目御苦労」
と、やはり低い声で言いかけると、
「御苦労、御苦労」
と第二の馬子も、やはり馬子らしくない口調で一言(ひとこと)いったきり。そこで、馬子は提灯(ちょうちん)を鞍へかけて、都合四人が、おのおの己(おの)れの衣裳を脱ぎ換えはじめました。
 南条と五十嵐とは己れの衣類大小をことごとく脱ぎ捨てて、馬子はその簡単な馬子の衣裳を解いてしまうと、この両者は手早くそれを取換えて一着してしまいました。そうして忽(たちま)ちの間に南条力は第一の馬の馬子となり、五十嵐甲子雄は第二の馬の馬子となり、以前の二人の馬子は、雁首(がんくび)の変った南条、五十嵐になってしまいました。
 この時、三方に離れて遠見の役をつとめていた三人の武士は、急に立寄って来て、また馬の左右に附添いました。
 以前に馬子であった二人だけは、その馬の前にも立たず後にも従わず、東へ向いて行く一行を見送って立っているのであります。そうして馬の足音も、全く闇の中に消えてしまった時分に、二人は元の峠の宿の方へ引返してしまったから、そのあとの陣場ケ原には、焚火の燃えさしだけが物わびしく燻(くすぶ)っているだけです。

         十

 その翌日、妙義神社の額堂の下で、なにくわぬ面(かお)をして甘酒を飲んでいるのは、がんりきの百でありました。
 縁台に腰をかけて、風合羽(かざがっぱ)の袖をまくり上げて甘酒を飲みながら、しきりに頭の上の掛額をながめておりましたが、
「爺(とっ)さん、ここに大した額が上ってるね……」
と甘酒屋の老爺(おやじ)に、言葉をかけました。
「へえへえ、なかなか大したものでございます」
 老爺は自分のものでも賞(ほ)められた気になって、嬉しそうに、同じく頭の上の額堂の軒にかかった大きな掛額をながめました。
「甲源一刀流祖逸見(へんみ)太四郎義利孫逸見利泰(よしとしそんへんみとしやす)……」
 筆太に記された文字を、がんりきの百は声を立てて読むと、
「秩父の逸見先生の御門弟中で御奉納になったのでございますが、当国では真庭の樋口先生、隣国では秩父小沢口の逸見先生、ここらあたりは、剣道の竜虎でございます」
 それを聞いて、がんりきの百も何かしら勇み出して、
「知ってるよ、爺(とっ)さん、わしはいったい甲州者なんだがね、その甲源一刀流の秩父の逸見先生というのは、甲州の逸見冠者十七代の後胤(こういん)というところから甲斐源氏を取って、それで甲源を名乗ったものなんだ、だから何となく懐しいような気がして、こうしてさいぜんからながめているんだ」
「左様でございますか、お客様も甲州のお方でございますか、甲州はまことに結構なところだそうでございますね」
「あんまり結構なところでもねえのだが、爺さんよ、こうして、さっきからこの額面をながめているうちに、どうも気になってならねえことがあるんだが……」
「何でございます」
「ほかでもねえが、初筆(しょふで)から三番目のところに紙が貼ってあるだろう、比留間(ひるま)なんとやら、桜井なんとやらという人の名前の次にある人の名前は、何という方だか知らねえが、ああして頭からべっとり紙を貼ってしまったのは、ありゃいったいどうしたわけなんだ」
「あれでございますか、あれはね……」
 老爺(おやじ)は心得て、何をか説明しようとするのを、気の短いがんりきの百は、
「あんまり味のねえやり方をしたもんだね、書き直すんなら書き直すんで、もっと穏かな仕方がありそうなもんじゃねえか、頭から無茶に白紙(しらかみ)を貼りかぶせてしまったんじゃ、見た目があんまり良い気持がしねえ、御当人だって晴れの額面へ持って行って、自分の名前だけ貼りつぶされたんじゃ浮ばれねえだろうじゃねえか。これだけの御門弟のうちに、そこに気のつく人はねえのかな。削り直したところで何とかなりそうなもんだ、刳(く)り抜いて埋木(うめき)をしておいたって知れたもんだろう、なんにしたって、ああして白紙を貼りかぶせるのは不吉だよ」
 しきりに腹を立てて見ている額面には、なるほど、初筆から三番目あたりの門弟の人の名の上に、無惨に白紙が貼りつけてあるのであります。老爺(おやじ)はその時、前の言葉をついで、
「あれはお客様、なんでございますよ、どなたもみんな、あれを御覧になると、そうおっしゃいますんでございますが、皆さん御承知の上で、ああいうことになすったんでございますから仕方がありませんので」
「エ、みんな承知の上だって? 承知の上でああして貼りつぶしちゃったのかい」
「ええ、左様でございます、あの下に、机竜之助相馬宗芳というお方のお名前が、ちゃんと書いてあるんでございます」
「何だって? 机竜之助……」
 がんりきの百は面(かお)の色を変えました。釜の前に立っていた老爺は、わざわざ縁台の方へ歩き出して来て、
「剣道の方のお方が、ここへおいでになってあれを御覧になると、どなたもみんな惜しい惜しいとおっしゃらない方はございません、なかには涙をこぼすほど惜しがって、この下を立去れないでいらっしゃるお方もございます」
「うーん、なるほど」
 がんりきは何に感心したか、面の色を変えて唸(うな)り出し、改めてその紙の貼られた額面を穴のあくほど見ています。
「惜しいお方ですけれども、剣が悪剣だそうですから、どうも仕方がございません」
「悪剣というのは、そりゃ何のことなんだい」
 がんりきは投げ出すような荒っぽい口調で、老爺を驚かせました。
「どういうわけですか、皆さんがそうおっしゃいます、それがために逸見先生の道場から破門を受けて、その見せしめのために、ああしてお名前の上へ、べったりと紙を貼られておしまいになってから、もうかなり長いことでございます」
「なるほど、そりゃありそうなことだ」
「けれどもまた、その御門弟衆のうちでも、惜しい惜しいとおっしゃるお方がございます。他国からこのお山へ御参詣になった立派な武芸者のお方で、この額を御覧になり、ああ、机竜之助は今どこにいるだろう、あの男に会ってみたい……と十人が十人まで、申し合わせたようにそうおっしゃって、あの額を残り惜しそうに御覧になるのが不思議でございますから、私がその仔細(しさい)を一通りお聞き申しておきました。お聞き申してみると、なるほどと思われることがありますんでございますよ」
「ふむ、そりゃそうだろう」
「もとの起りからそれを申し上げると、ずいぶん長くなりますんですが……」
 それでも老爺は、その長きを厭(いと)わずに、ずいぶん話し込んでみようと自分物の縁台に、がんりきと向き合って腰を卸そうとした時に、麓の方から賑(にぎ)やかしい笛と太鼓の音が起ったので、その腰を折られました。
 麓から登って来るのは、越後の国から出た角兵衛獅子の一行であります。その親方が、てれんてんつくの太鼓を拍(う)ち、その後ろの若者が、ヒューヒューヒャラヒャラの笛を吹き、それを取捲いた十歳(とお)ぐらいになる角兵衛獅子が六人あります。
しちや、かたばち、
小桶(こおけ)でもてこい、
すってんてれつく庄助さん
なんばん食っても辛(から)くもねえ
 この思いがけない賑やかな一行の乗込みで、せっかくの話の出鼻をすっかり折られた老爺は、呆気(あっけ)に取られた面(かお)をしているところへ、早くも乗込んだ六人の角兵衛獅子が、
「角兵衛、まったったあい――」
 卍巴(まんじどもえ)とその前でひっくり返ると、てれてんつくと、ヒューヒューヒャラヒャラが、一際(ひときわ)賑やかな景気をつけました。
 ほかにお客というのはないんだから、この角兵衛獅子の見かけた旦那というのは、おれのことだろう。そこでがんりきの百は、どうしても御祝儀を気張らないわけにはゆかなくなりました。
「兄貴に負けずにしっかりやんなよ」
と言って、がんりきは例の左手で懐ろから財布を引き出すと、その中から掴み出した一握りを、鶏の雛に餌を撒くような手つきで、バラッと投げ散らしました。
 がんりきの百は、角兵衛獅子を相手に大尽風(だいじんかぜ)を吹かしていると、妙義の町の大人も子供も、その騒ぎを聞きつけて出て来ました。この見物の半ば最中に、角兵衛獅子の登って来たのとは反対の方角の側から、同じところへ登って来た一行があります。

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