大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 尋常では腰の定まるべくもないこの場合の甲板の上を、転びもせずに、吹き荒れる雨風をうまく調子を取って、ひらりひらりと物につかまりながら走って来るのは、むかし取った杵柄(きねづか)ではなく、むかし鍛えた軽業の身のこなしでもあろうけれど、この女の勝気がいちずに、不人情を極めた手前勝手な船頭の手から逃れて、これに反抗を試みようとして、思慮も分別も不覚にさせてしまったものと見るほかはありません。
 片手に斧を引提げて、こけつまろびつ、それを後ろから追いかける船頭とても、本来が決してさほどに、不人情でも、手前勝手でもあるわけではなく、ただ危険が間髪(かんはつ)に迫った途端に、その日ごろ持っている海の迷信が逆上的に働いて、こうせねば船のすべてが助からぬ、こうすれば必ず助かるものだと思い込ませたその魔力がさせる業(わざ)でありましょう。
 けれども、つづいて先を争うて甲板の上へハミ出した、二人のほかの乗合は無残なものでありました。出ると直ぐに大風に吹き飛ばされて、或る者は切り残された帆縄につかまって助けを呼び、或る者は船の垣根の板に必死にとりすがって海へさらわれることをさけ、辛(かろ)うじて帆柱の方へ這(は)って行く者も、雨風に息を塞がれて、助けを呼ぶの声さえ立てることができません。
 真先に、かの切り残された帆柱の切株にすがりついたお角は、
「さあ、こうしていれば、わたしゃこの船の船玉様さ、指でもさしてごらん、罰(ばち)が当るよ。乗合がみんな死んで、わたし一人が助かるんだろう。いやなこった、いやなこった、人身御供なんぞは御免だよ」
 こう言って凄(すさま)じき啖呵(たんか)を切ったけれども、憐(あわれ)むべし、このとき吹き捲(まく)った大波は、お角のせっかくの啖呵を半ばにして、船もろともに呑んでしまいました。

         五

 その翌日の朝は、風の名残(なご)りはまだありましたけれど、雨もやみ、空も晴れて、昨夜の気色(けしき)はどこへやらという天気であります。
 洲崎(すのさき)の、もと砲台の下のいわの上に立って、しきりに遠眼鏡(とおめがね)で見ている人がありました。
「清吉」
「はい」
「お前の眼でひとつこの遠眼鏡を見直してもらいたい、拙者の眼で見ては、どうも人の姿のように見える」
「お前様の眼で見て人間ならば、わたしの眼で見ても、やっぱり人間でございましょうよ」
と言って、清吉と呼ばれた若い男が、巌(いわ)の上に立っていた人から遠眼鏡を受取りました。受取って危なかしい手つきをしながら、眼のふちへ持って行って、
「なるほど、人間でございますね、人間が一人、浜の上へ波で打ち上げられているようですね」
「もし、そうだとすれば、このままには捨てて置けない」
と言って、再び清吉の手から遠眼鏡を受取った巌の人は、駒井甚三郎でありました。前に甲府城の勤番支配であった駒井能登守、後にバッテーラで石川島から乗り出した駒井甚三郎であります。
 あの時に、吉田寅次郎の二の舞だといって、横浜沖の外国船へ向けてバッテーラを漕ぎ出させて行ったはずの駒井甚三郎が、こうして房州の西端、洲崎の浜に立っていることは意外であります。
 それで傍(かたわら)にいる清吉と呼ばれた男も、あの時バッテーラの艪(ろ)を押していた男であります。二人はあの時、目的通りに外国船へ乗り込むことができなかったものと思われます。外国船へ乗り込むことができなかったものとすれば、いつのまにここへ来てなにをしているのだろう。しかし、いまはそれらを調べるよりは、遠眼鏡の眼前に横たわる人の形というものが問題です。昨夜あれほどの暴風雨であってみれば、海岸に異常のあるのはあたりまえで、それを検分するがために、甚三郎は遠見の番所から出て、わざわざ遠眼鏡をもって、この巌の上に立っているものと思わなければならないのです。
「そうですね、行ってみましょうか」
 清吉が鈍重な口調で、甚三郎の面(おもて)をうかがうと、甚三郎は遠眼鏡を外(はず)して片手に提げ、
「行こう」
「おともを致しましょう」
 そうして二人は巌の上から駆け下りました。甚三郎は王子の火薬製造所にいた時以来の散髪と洋装で、清吉もまた髷(まげ)を取払って、陣羽織のような洋服をつけています。二人とも、足につけたのは草鞋(わらじ)でも下駄でもなく、珍らしい洋式の柔らかい長靴でありました。
 二人ともこうして砲台下を南へ下りて、海岸づたいに走り出しました。
「平沙(ひらさ)の浦は平常(ふだん)でも浪の荒いところですから、あんな暴風雨(あらし)の晩に、一つ間違うと大変なことになりますね」
「左様、平沙の浦には暗礁(あんしょう)が多いから、晴天の日でも、ああして波のうねりがある、漁師たちも恐れて近寄らないところだが、もし、あれが人間であるとすれば、洲崎沖あたりで船が沈み、それが岸へ吹寄せられたものであろう、おそらく土地の漁師などではあるまい」
「そうでしょうかね、もし、房州通いの船でも沈んだんじゃないでしょうか」
「或いはそうかも知れん」
 遠見の番所の下から、洲崎の鼻をめぐって走ること五六町。
「ああ、やっぱり人だ」
「なるほど、人間ですね」
 二人は、その見誤らなかったことを喜びもし、また悲しみもし、その浜辺に打上げられた人間のところをめがけて、飛ぶように走(は)せつけました。
 磯に打上げられている人間は、女でありました。もとよりそれは息が絶えておりました。着物も乱れておりました。肌もあらわでありました。けれども、身体(からだ)そのものは極めて無事なのであります。それは波に打上げられたというよりは、そっと波が持って来て、ここへ置いて行ったという方がよろしいと思われるくらいであります。
 もし、昨夜の暴風雨が、この沖を通う船を砕いて、その乗合の一人であったこの女だけをここへ持って来たものとすれば、それは特別念入りの波でなければなりません。そうでなければ海とは全然違ったところから、何者かがこの女を荷(にな)って来て、寝かして行ったものと思わなければならないほど、安らかに置かれてあるのであります。さりとて一見しただけでも、これはこの辺にザラに置かれてあるような女ではありませんでした。
「女ですね、江戸あたりから来た女のようですね、ここいらに住んでいる女じゃありませんね」
 鈍重な清吉もまた、それと気がつきました。
「うむ、昨晩、沖を通った船の客に相違ないが、しかし……それにしては無事であり過ぎる」
 駒井甚三郎は、ずかずかと立寄って、横たわっている女の身体をじっとながめました。髪の毛はもうすっかり乱れていましたが、右手はずっと投げ出して、それを手枕のようにして、左の手は大きく開いているから、真白な胸から乳が、ほとんど露(あら)わです。けれども、帯だけはこうなる前に心して結んでおいたと見えて、その帯一つが着物をひきとめて、女というものの総てを保護しているもののようです。
 駒井甚三郎は腰を屈(かが)めて、女の胸のあたりに手を入れました。
「どうでしょう、まだ生き返る見込みがあるんでございましょうか」
 清吉は気を揉んでいます。
「絶望というほどじゃない、生き返るとすれば不思議だなあ」
 駒井甚三郎は、まだ女の乳の下に手を置いて、小首を傾(かし)げています。
「不思議ですねえ」
 清吉も同じように、首を傾げると、
「平沙の浦の海は、全くいたずら者だ」
 駒井甚三郎は何の意味か、こう言って微笑しました。
「エ、いたずら者ですか」
 清吉は、何の意味だがわからないなりに、怪訝(けげん)な面(かお)をすると、
「うむ、平沙の浦の波はいたずら者とは聞いていたが、これはまたいっそう皮肉であるらしい」
「皮肉ですかね」
 清吉には、まだよく呑込めません。
「そうだとも、あの暴風雨の中で、波の中の一組だけが別仕立てになって、ここまで特にこの女だけを持って来て、そーっと置いて帰ってしまったところなどは、皮肉でなくて何だろう。見給え、どこを見てもかすり傷一つもないよ、着物も形だけはひっかかっているし、帯も結んだ通りに結んでいる、水も大して呑んじゃいない」
 駒井甚三郎は、女そのものを救おうとか、助けなければならんとかいう考えよりは、こうまで無事に持って来て、置いて行かれたことの不思議だか、いたずらだか、波に心あってでなければ、とうてい為し難い仕事のように思われることに好奇心を動かされて、ほとほと呆(あき)れているようです。
 この時分になって清吉も、漸く知恵が廻って来たらしく、
「そうですね、ほんとにわざっとしたようですね」
と言いました。
「ともかく、早くこれを番所まで連れて行って、手当をしようではないか」
「エエ、わたしが背負(おぶ)って参ります」
 清吉は女の手を取って引き起し、それを肩にかけました。

         六

 それから三日目の夕暮のことでした。駒井甚三郎は鳥銃を肩にして、西岬村(にしみさきむら)の方面から、洲崎(すのさき)の遠見の番所へ帰って見ると、まだ燈火(あかり)がついておりません。こんなことには極めて几帳面(きちょうめん)である清吉が、今時分になって燈火をつけていないということは異例ですから、甚三郎は家の中へ入ると直ちに言葉をかけました。
「清吉、燈火がついていないね」
 けれども返事がありません。甚三郎の面(おもて)には一種の不安が漂いました。まず、自分の部屋へ入って蝋燭(ろうそく)をつけました。この部屋は、甲府の城内にいた時の西洋間や、滝の川の火薬製造所にいた時の研究室とは違って、尋常の日本間、八畳と六畳の二間だけであります。ただ六畳の方の一間が南に向いて、窓を押しさえすれば、海をながめることのできるようになっているだけが違います。
 部屋の中も、昔と違って、書籍や模型が雑然と散らかっているようなことはなく、眼にうつるものは床の間に二三挺の鉄砲と、刀架(かたなかけ)にある刀脇差と、柱にかかっている外套(がいとう)の着替と、一方の隅におしかたづけられている測量機械のようなものと、それと向き合った側の六畳に、机腰掛が、おとなしく主人の帰りを待っているのと、そのくらいのものです。
 それでも、いま点(つ)けた蝋燭は、さすがに駒井式で、それは白くて光の強い西洋蝋燭であります。蝋燭を点けると、燭台ぐるみ手に取り上げた駒井甚三郎は、さっと窓の戸を押し開きました。窓の戸を開くと眼の下は海です。この洲崎の鼻から見ると、二つの海を見ることができます。そうして時とすると、その二つの海が千変万化するのを見ることもできます。二つの海というのは、内の海と外の洋(うみ)とであります。内の海とは、今でいう東京湾のことで、それは、この洲崎と、相対する相州の三浦三崎とが外門を固めて、浪を穏かにして船を安くするのそれであります。外の洋(うみ)というのは、亜米利加(アメリカ)までつづく太平洋のことであります。ここの遠見の番所は、この二つの海を二頭立ての馬のように御(ぎょ)してながめることのできる、絶好地点をえらんで立てられたものと見えます。
 甚三郎が蝋燭を片手に眺めているのは、その外の方の海でありました。内の海は穏かであるが、外の海は荒い。ことに、外房にかかる洲崎あたりの浪は、単に荒いのみならず、また頗(すこぶ)る皮肉であります。船を捲き込んで沈めようとしないで、弄(もてあそ)ぼうとする癖があります。来(きた)ろうとするものを誘(おび)き込んで、それを活かさず殺さず、宙に迷わせて楽しむという癖もあります。試みに風凪(な)ぎたる日、巌(いわ)の上に佇(たたず)んで遠く外洋(そとうみ)の方をながむる人は、物凄き一条の潮(うしお)が渦巻き流れて、伊豆の方へ向って走るのを見ることができましょう。その潮は伊豆まで行って消えるものだそうだが、果してどこまで行って消えるのやら、漁師はその一条の波を「潮(しお)の路」といって怖れます。
 外の洋(うみ)で非業(ひごう)の最期(さいご)を遂げた幾多の亡霊が、この世の人に会いたさに、遥々(はるばる)の波路をたどってここまで来ると、右の「潮の路」が行手を遮って、ここより内へは一寸も入れないのだそうです。さりとてまた元の大洋へ帰すこともしないのだそうです。その意地悪い抑留を蒙った亡霊どもは、この洲崎のほとりに集まって、昼は消えつつ、夜は燃え出して、港へ帰る船でも見つけようものならば、恨めしい声を出してそれを呼び留めるから、海に慣れた船頭漁師も怖毛(おぞけ)をふるって、一斉に艪(ろ)を急がせて逃げて帰るということです。
 こんな性質(たち)の悪い洲崎下の外洋を見渡して、やや左へ廻ると、それが平沙(ひらさ)の浦になります。
「平沙の浦はいたずら者だ」と、おととい駒井甚三郎がそう言いました。
 平沙の浦も、その皮肉なことにおいては相譲らないが、それは洲崎の海ほどに荒いことはなく、かえって一種の茶気を帯びていることが、愛嬌といえば愛嬌です。
 平沙の浦がするいたずらのうちの第一は、舟を岸へ持って来ることです。ほかの海では、船を捲き込んだり、誘(おび)き寄せたり、突き放したり、押し出したりして興がるのに、この平沙の海は、ずんずんと舟を岸へ持って来てしまいます。岸へ持って来て、いわに打ちつけるような手荒い振舞をせずに、砂の上へ、そっと置いて行ってしまいます。
 このおてやわらかないたずらは、幸いに船と人命をいためることはありませんが、船と人をてこずらせることにおいては、いっそ一思いに打ち壊してしまうものより、遥かに以上であります。
 平沙の浦の海へ入って見ると、下には恐ろしい暗礁が幾つもあって、海面は晴天の日にも、大きなうねりがのた打ち廻っている。漁師たちはそのうねりを「お見舞」と称(とな)えて、怖れています。いい天気だと思って、安心して舟を遊ばせていると、いつのまにか、この「お見舞」がもくもくと舟を打ち上げて来ます。その時はもう遅い。舟は大きなうねりに乗せられて、岸へ岸へと運ばれてしまう。帆はダラリと垂れてしまって、舵(かじ)はどう操(あやつ)っても利かない。そうしているうちに舟と人とは、砂の上へ持って来て、そっと置いて行かれてしまいます。
 そのいたずらな平沙の浦の海をながめていた駒井甚三郎は、ふいと気がついて、
「そうだそうだ、あの婦人はどうしたろう、今日はまだ見舞もしなかったが、清吉がいないとすれば、誰も看病の仕手は無いだろう、燈火(あかり)もついてはいないようだし」
と呟(つぶや)いて窓を締め、蝋燭を手に持ったままで、壁にかけてあった提灯(ちょうちん)を取り下ろしてその蝋燭を入れ、部屋を出て縁側から下駄を穿(は)いて番小屋の方へ歩いて行きました。小屋の戸を難なくあけて見ると、中は真暗で、まだ戸も締めてないから、障子だけが薄ら明るく見えます。
「清吉は居らんな」
 甚三郎は駄目を押しながら、その提灯を持って座敷へ上ると、そこは六畳の一間です。その六畳一間の燈火もない真暗な片隅に、一人の病人が寝ているのでした。
 その病人の枕許(まくらもと)へ提灯を突きつけた駒井甚三郎は、
「眠っておいでかな」
 低い声で呼んでみました。
「はい」
 微かに結んでいた夢を破られて、向き直ったのは女です。かのいたずらな平沙の浦の磯から拾って来た女であります。
「気分はよろしいか」
 甚三郎は提灯を下へ置いて、蝋燭を丁寧に抜き取って、それを手近な燭台の上に立てながら、女の容体(ようだい)をうかがうと、
「ええ、もうよろしうございます、もう大丈夫でございます」
 はっきりした返事をして、女は駒井甚三郎の姿を見上げました。
「なるほど、その調子なら、もう心配はない」
 甚三郎もまた、女の声と血色とを蝋燭の光で見比べるように、燭台をなお手近く引き出して来ると、
「もし、あなた様は……」
 急に昂奮した女の言葉で驚かされました。
「ええ、なに?」
 甚三郎が、屹(きっ)と女の面(おもて)を見直すと、
「まあ勿体(もったい)ない、あなた様は、甲府の御勤番支配の殿様ではいらっしゃいませんか」
 女は床の上から起き直ろうとしますのを、
「まあまあ静かに。甲府の勤番の支配とやらの、それがどうしたの」
 甚三郎は、女の昂奮をなだめようとします。
 駒井甚三郎は、ここでこの女から、己(おの)れの前身を聞かされようとは思いませんでした。女をなだめながら、もしやとその面(おもて)を熟視しましたけれども、どうも心当りのある女とは受取ることができません。
「わたくしは、あの時から殿様のお姿を決して忘れは致しません」
 女は何かに感激しているらしい声でこう言いましたから、甚三郎は、
「あの時とは?」
「それはあの、甲州へ参ります小仏峠の下の、駒木野のお関所で……」
「ははあ、なるほど」
 ここにおいて駒井甚三郎は、さることもありけりと思い当りました。そうそう、初めて甲州入りの時、一人の女が血眼(ちまなこ)になって、手形なしに関所を抜けようとして関所役人に食い留められた時、駒井能登守の情けある計らいで、わざと目的地の方の木戸へ追い出させたことがある。それだ、その女だなと思いましたから、
「拙者はトンとお見忘れをしていた。そなたは、あれから無事に、尋ねる人を探し当てましたか」
「はい、おかげさまで……かなり長い間、甲州におりました。その間も、よそながら殿様のお姿をお見かけ申しました。一度、お訪ね申し上げて、あの時のお礼を申し上げたいと思わないではありませんでしたが、何を言うにもこの通りの賤(いや)しい女、恐れ多い気が先に立つばかりで、ついつい御無沙汰を致してしまいました」
「それを承ってみると、縁というものは不思議なものじゃ。拙者も今は、こんなふうに変っているが、そなたはまたどうして、あのような目に遭われた」
「それをお話し申し上げると長いのでございますが、この房州の芳浜というところまで、人を雇いに参ったのでございます、その途中、舟が暴風雨(あらし)に遭いまして、わたしが、いちばんヒドい目に遭わされるところでしたが、そのヒドい目に遭わされようとしたわたくしだけが助かって、こうして殿様のお世話になっているのかと思うと、ほんとに何かのお引合せのように思われてなりません」
「しかし、よく助かったものじゃ、拙者も自分ながら不思議に堪えられない」
「今朝になりまして、清吉さんから、わたくしをお助け下された委細のお話をお聞きしまして、わたしは、ほんとうに神様に守られているんじゃないかと、勿体(もったい)なくて、涙がこぼれてしまいました」
「ところで、その清吉が見えないが……何とかいうて出て行きましたか」
「いいえ、お正午(ひる)少し前までここにお見えになりましたが、それから、わたくしは今まで眠っておりました故、何も存じませぬ」
「はて……」
 甚三郎は、いよいよ清吉のことが不安になってきました。
 そうして、次の一本の蝋燭に火をうつして、それをまた提灯に入れ、
「淋しかろうが、そなたは一人で、暫らくここに留守している気で待っていてくれるように。拙者はこれから清吉を捜(さが)して参る」
「まあ、ほんとにあのお方はどちらへおいでになったのでしょう……いえ、もうわたしも起きられます、どうぞ、お心置きなく。どんなところにおりましても、淋しいなんぞと決して思いは致しません。歩けさえ致せば、わたしもお伴(とも)を致すのですけれど」
「ちょっと、その辺の様子を見て、ことによると碇場(いかりば)まで行って来る、その間に、もし清吉が帰ったならば、そのように申してくれるよう」
「畏(かしこ)まりました」
 甚三郎は病人のお角にあとを頼んで、提灯をつけて外へ立ち出でました。
 駒井甚三郎が出て行ったあとのお角には、夢のように思われてなりません。
 甲州城の勤番支配として、隆々(りゅうりゅう)たる威勢で乗り込んだ駒井能登守その人を、こんな方角ちがいの辺鄙(へんぴ)なところで、こうしてお目にかかろうということは、夢に夢見るようなものです。
 あの凜々(りり)しい、水の垂(したた)るような若い殿様ぶりが、今は頭の髪から着物に至るまで、まるで打って変って異人のような姿になり、その上に昔は、仮りにも一国一城を預かるほどの格式であったが、今は、見るところ、あの清吉という男を、たった一人召使っているだけであるらしい。その一人の男の姿が見えなくなると、御自分が提灯をさげて探しに出て行かねばならないような、今の御有様は、思いやると、おいとしいような心持に堪えられない。
 このお住居(すまい)とても、決して三千石の殿様の御別荘とは受取れない。ほんの仮小屋のようなものとしかお見受け申すことはできない。僅かの間に、どうしてこうも落魄(おちぶ)れなさったのだろう。お角は、そのことを考えると、ふいに頭に浮んで来たのは、同じく甲州城内に重き役目をつとめていた神尾主膳のことであります。
 駒井能登守様が、甲州城をお引上げになると、まもなく神尾の殿様も江戸へお引取りになった。神尾へはその前後に亘ってお角は始終出入りをしている。それで酔った時などに甲州話が出ると、神尾主膳は、きっと駒井能登守の悪口(あっこう)をする。その悪口が、いかにも意地悪く、ざまを見ろと言わぬばかりなので、お角はそれを聞くと、なんとなくイヤになるのでした。
 神尾主膳については、お角とても決して善良な人だとは信じていないけれど、あれでなかなか話せば話のわかる人だと思っている。あの人を箸にも棒にもかからぬように言うのは、それは、あの人を噛締(かみし)めていないからで、その悪いところだけを避けて、良いところを附き合えば、ずいぶん力になる人であると思っている。けれども、その神尾が、ひとたび駒井能登守の噂(うわさ)になると、酔っているとは言いながら、口を極めて悪く言うことが、お角には不服でもあり、不快でもあるのであります。
 何となれば、駒木野の関所以来、お角の眼にうつっている駒井能登守は、男ぶりといい、その情けある仕方といい、若くして人に長たるの器量といい、芝居の中で見る人のように見えるのであります。どこといって一点でも、難を入れるところのない殿様ぶりに見えるのであります。その学問や見識のことは、お角はまるきり見当がつかないけれども、あんな男らしい男ぶりの殿御を、前にも後にも見たことはないとまで思っているのでありました。
 それを神尾主膳が、頭ごなしにするからその時は不服で、つい抗弁をしてみる気になると、神尾はいやみな笑い方をしながら、
「お前も存外人形食(にんぎょうく)いだ、あんなのが、それほどお気に召すようでは甘いものだ」
なんぞと言われると、お角もムキになって、
「人形食い結構、あんな方に好かれたら、ほんとにわたしは、三年連れ添う御亭主を打棄(うっちゃ)っても行きますわ、けれどもお気の毒さま、あちら様で、わたしなんぞは眼中にないのですからね」
というようなことを言ったこともありました。
 それは冗談(じょうだん)にしても、神尾と駒井との間に、何かの蟠(わだかま)りのあることは疾(と)うに見て取らないわけはありません。その後、神尾へは相変らず親しく出入りしているに拘らず、能登守の方は、ほとんど消息も打絶えて、滅多に思い出すことさえなかったのが、今日、このところで偶然、こんなにお世話になることは、やっぱり何かのお引合せと見ないわけにはゆかないのであります。
 お角は、それを思うと、なんだか嬉しいような心持になって、清吉の見えなくなったことよりは、早く甚三郎が帰って来てくれることのみが待たれるのであります。このままでお帰りを迎えては恐れ多いというような心から、床を起き直って、乱れた髪などを撫で上げました。二時間ほどして駒井甚三郎はかえって来ましたから、お角は、
「おわかりになりましたか」
「わからん」
 甚三郎は、安からぬ色を深くしていました。
「まあ、どうなすったのでしょう」
「そなたを得たことも不思議だが、清吉を失ったことも不思議だ」
 甚三郎がこう言った言葉のうちには、多少の絶望が含まれているようです。
「海の方へでも行ったのでしょうか」
「どのみち、海へ行ったのであろうけれど……」
「お怪我がなければようござんすね、この辺の海は荒いそうですから」
「今宵は、もう諦(あきら)めて、明朝早く探しに行こう。それから、夜中(やちゅう)何ぞ急用でも起った時は、その柱の下にある小さなボタンを、三ツばかり押してみるがよい、それが拙者の枕許まで響いて来る。拙者の方でも、何か用事の起った時は、同じような仕掛で、この丸いものが鳴り出すようにしてあるから」
 これはおたがいの部屋に通ずる電気仕掛のベルでありました。駒井自身の工夫と設計にかかるものであることは申すまでもありますまい。これを押せばむこうのお居間の鈴が鳴るということが、お角にはなんだか魔術のように思われます。けれども、甚三郎はそれだけの注意を与えたきりで、この小屋とは棟を別にしている番所の内の、己(おの)れの居間へ帰って行きました。
 もし明朝になっても、明日になっても、清吉の行方(ゆくえ)がわからなかったらどうでしょう。またもし、お角の身体がほんとうに回復したのならよいけれど、これが一時の元気であって、明日からまたぶり返して枕が上らないようになったらどうでしょう。
 いったん、捨てられた洲崎の遠見の番所は、まるで孤島の中にあるようなものです。前方は海で、陸続きは近寄る人もありません。
 駒井甚三郎と、清吉とは、特にここをえらんで、たった二人きりで無人島同様の生活を好んで、ここに送っていたものと見えます。それがその共同生活の唯一人を失ったとすれば、あとに残るのは駒井甚三郎一人です。更にまた一人を加えたところで、その一人が枕も上らぬ病人であるなれば、その看病人も駒井甚三郎でなければなりません。
 三千石の殿様に、自分の看病をさせることが女冥利(おんなみょうり)に尽きると思うなれば、お角は、どうしても明日から起きて働かねばならないのです。
 その翌日、早朝から駒井甚三郎は、またもこの番所を立ち出でました。けれども、お正午(ひる)少し前に帰って来た時には、出て行った時と同じことに、たった一人でした。ついにその尋ぬる人を探し当てることができないで、悄然(しょうぜん)として番所の門を潜りました。しかし、それと打って変ったように元気になったのはお角です。甚三郎が帰って来た時には、もう起き上って、甲斐甲斐しく働いていました。多分、海へ張って置いた網を引き出しに行って、浪に捲き込まれて行方不明になったものだろうと甚三郎は推察して、それをお角に話し、一方に浪に打上げられた人を救い、一方に浪に捲かれて人を失うのは、偶然とは言いながら、この辺の海は魔物のようであるということを、つくづく歎息しました。
 お角は、それを聞いて気の毒がって泣きました。
 その日から、ここにまた変った二人の生活が始まりました。二人というその一人の主は、変らぬ駒井甚三郎ですけれども、それを助けるは男でなくて女です。
「というても、そなたは江戸へ帰らねばならぬ人」
 甚三郎に言われた時、
「いいえ、もう帰らなくってもよろしうございますよ」
 お角は、きっぱりとこう言いました。ナゼこんなに、きっぱりと言い得るだろうかということが不思議でした。何かの当りがあればこそ、ああして房州へ出て来たのだから、その当りは途中の災難で外れたにしても、この女が江戸へ帰らなくてよいという理由はなかりそうです。江戸でなければこの女の仕事はありそうにもなし、またとにもかくにも、がんりきの百といったような男を江戸には残して来てあるはずです。
 けれども、駒井甚三郎は、それをよいとも悪いとも言いませんでした。
 お角の料理してくれた昼飯を食べてから、また海岸へ出かけて、どこで何をしていたのか、夕方になって帰って来ました。
 そうして番小屋の炉の傍で、お角の給仕で夕飯を食べながら話をしました。清吉のことは、もう諦めてしまっているようです。その話のうちに、甲州話がありました。けれども、その甲州話も、政治向のことや勤番諸士の噂などは、おくびにも出ないで、甲州では魚を食べられないとか、富士の山がよく見えるとか、甲斐絹(かいき)が安く買えるとか、そんな他愛のないことばかりでしたからお角は、この殿様がどうしてかの立派な御身分から今のように、おなりあそばしたかということを尋ねてみる隙(すき)がありませんでした。
 それから、お角の身の上を徐(おもむ)ろに甚三郎が詮索(せんさく)を始めました。詮索というと角が立つけれど、実はそれからそれと穏かに尋ねられるので、お角も、つい繕(つくろ)い切れなくなって、女軽業(おんなかるわざ)の一座を引連れて、甲府の一蓮寺で興行したことから、このごろ再び両国で旗上げをするために、実はこの房州の芳浜というところに珍しい子供がいるそうだから、それを買いに来て、途中この災難ということを、すっかりと甚三郎に打明けてしまいました。打明けねばならぬように話しかけられてしまって、打明けてから、つい悔ゆるような心持になりましたけれど、甚三郎は一向、そんなことを念頭に置かぬらしく、
「それは面白い仕事であろう、拙者はまだ軽業というものを見たことがない」
「お恥かしうございます」
 さすがのお角も、なんだか赤くなるように思いました。
 話が済むと甚三郎は、さっさと立って自分の居間へ行ってしまいます。そうして夜おそくまで何かの研究に耽(ふけ)るらしくありましたが、お角は、ひとり取残されたように炉辺に坐っておりました。前に言ったように、この洲崎の遠見の番所は、離れ島のような地位に置かれてあります。前は海で、陸地つづきは、ほとんど交通を断たれているのであります。
 お角も、かなりおそくまで、炉の傍に、ぼんやりとして燈火を見つめたり、火箸を取って灰へ文字を書いたりしていましたが、
「わたしゃ、あの殿様はわからない」
と自棄(やけ)のようなことを言って、帯を解いて男の着物を寝衣(ねまき)にして、蒲団(ふとん)をかぶって寝てしまいました。
 けれども、その翌朝は、早く起きて、水を汲んだり、御飯を炊いたり、掃除をしたり、いっぱしの女房気取りで、気持のよいほどの働きぶりであります。
 朝の食事が終ると、甚三郎はまた海岸へ出て行きました。正午(ひる)時分にいったん帰って、居間へ閉籠(とじこも)ったが、しばらくすると、またどこへか出て行きました。そうして夕方になって戻って来ました。
 夕飯の時は、またお角を相手にして、軽快に四方山(よもやま)の話を語り出でました。
「そう改まって給仕には及ばん、そなたもここで一緒に」
 甚三郎は、強(し)いてお角にすすめて、一緒に夕餐(ゆうさん)の膳に向いながら、
「人間の一芸一能は貴(たっと)い、そなたの仕立てた芸人たちの業を、そのうち一度見せてもらいたいものじゃ」
 真顔(まがお)になって、こんなことを言い出しましたから、お角もおかしくなって、
「ねえ……殿様」
 思わず膝を進ませると、
「殿様と言っちゃいかん、昔は殿様の端くれであったかも知れんが、今は船頭だ」
「では、何と申し上げたらよろしうございましょう」
「駒井とでも、甚三郎とでも勝手に」
「駒井様、駒井の殿様……なんだかきまりが悪うございますね。駒井様、そんなことを申し上げると口が曲りそうですけれど、わたしたちには、どうしても、あなた様の御了見がわかりません」
「わからんことはあるまい、浪人して詮方(せんかた)なく、こうしているまでのことじゃわい」
「どうして、あなた様ほどのお方が、これほどまでに落魄(おちぶ)れあそばしたのでございましょう」
「自分が悪いからだ」
「殿様……また殿様と申し上げました、あなた様のようなお方に、お悪いことがおありなさるのですか」
「なければ殿様でおられるのだが、あるからかように落魄れたのだ」
「それは一体、どういう罪なんでございましょう、あんまり不思議で堪りませんから、それをお聞かせ下さいませ」
「それはな……」
 駒井甚三郎は、お角の疑いに何をか嗾(そそ)られて沈黙しましたが、急に打解けて、
「隠すほどのこともあるまい、実はな、恥かしながら女だ、女で失策(しくじ)ったのだ」
「エ、まあ、女で……」
 お角は眼を□(みは)って呆(あき)れました。その眼のうちには、幾分かの嫉妬(しっと)が交っているのを隠すことができません。御身分と言い、御器量と言い、そうしてまた、このお美しい殿様に思われた女、思われたのみならず、これほどのお方を失敗(しくじ)らせたほどの女、それは何者であろう。憎らしいほどの女である。その女の面(かお)を見てやりたい。お角は、そう思って呆れている時に、自分の背にしている裏の雨戸に、ドーンと物の突き当る音がしたので吃驚(びっくり)しました。

         七

 お角は吃驚しましたけれども、甚三郎は驚きません。
「何でございましょう、今の音は」
「左様……」
 甚三郎は、なお暫く耳を澄ましてから、
「やっぱり、いたずら者だろう」
と言いました。
「え、いたずら者とおっしゃるのは?」
「向うの松原に、小さな稲荷(いなり)の社(やしろ)がある、あれの主が三吉狐(さんきちぎつね)というて、つい、近頃までも、その三吉狐がこの界隈(かいわい)に出没して、人に戯れたそうじゃ。ことに美しい男に化けて出ては、若い婦人を悩ますことが好きであったと申すこと。ところが、我々がここへ来てからは、とんとそれらの物共が姿を見せぬ、化かしても化かし甲斐(かい)がないものと狐にまで見限られたか、それとも、彼等には大の禁物な飛道具や、煙硝(えんしょう)の臭いで寄りつかぬものか、絶えて今まで悪戯(いたずら)らしい形跡も見えなかったが、たった今の物音でなるほどと感づいたわい」
 こんなことを言いました。お角はさすがに女だから、それを聞いて、襟元が急に寒くなったように思い、
「そんなに性(しょう)の悪いお稲荷様があるんでございますか」
「全く、性質(たち)のよくない稲荷じゃ。ことにその三吉狐とやらは先祖が男に化けて、村の若い娘と契(ちぎ)り、かえって娘の情に引かされて、大武岬(だいぶみさき)の鼻というのから身投げをして、心中を遂げてしまったということから、どうもその子孫の狐が嫉(ねた)み心(ごころ)が強くて、男と女の間に水を注(さ)したがると申すこと」
「いやですね」
「だから、この界隈で、男女寄り合って話をしていると、必ずその三吉狐が邪魔に来る、それは相思(そうし)のなかであろうともなかろうとも、男女がさし向いで話をすることを、その狐は理由なしに嫉(ねた)む、そうしてその腹癒(はらい)せのために、何か悪戯をして帰るとのことじゃ。それを思い合せてみると、なるほど、こうして、そなたと拙者、罪のない甲州話をしているのも、三吉狐に嫉まるるには充分の理由がある、怖いこと、怖いこと」
 駒井甚三郎はこう言って笑いました。お角も、それに釣り込まれて笑いましたけれども、それは自分ながら笑っていいのだか、笑いごとではないのだか、全く見当がつかなくなりました。
 そう言われてみると、今夜、この場合のみならず、この頃中のことが、すべてその三吉狐とやらの悪戯ではあるまいか。三千石の殿様が、こうして落魄(おちぶ)れておいでなさることも夢のようだし、その殿様と自分が、こうして膝つき合わせて友達気取りでお話をしているのも疑えば際限がないし、美しい男に化けるのが上手だという三吉狐が、もしや駒井の殿様に化けて、わたしを引っかけているのではなかろうか。それにしては、あんまり念が入(い)り過ぎる。そんなにしてまで、わたしを化かさなければならぬ因縁がありようはずはない……お角はいよいよ気味が悪くなってきた時に、今度は自分の坐っている縁の下で、ミシミシと一種異様な物音がしましたから、
「あれ!」

と言って甚三郎の傍へ身を寄せました。
 それは確かに、縁の下を物が這(は)っている音であります。
 その時に駒井甚三郎は、懐中へ手を入れると、革の袋に納めた六連発の短銃を取り出しました。
 お角は、駒井甚三郎なる人が、砲術の学問と実際にかけては、世に双(なら)ぶ者のない英才であるということを知りません。また、大波の荒れる時にはあれほどに気象の張った女でありながら、稲荷様の祟(たた)りというようなことを、これほどに怖がるのを自分ながら不思議だとも思いません。
「わたし、なんだか怖くなりました」
 こう言って、甚三郎の面(おもて)を流し目に見ると、取り出した短銃を膝の上へのせて微笑しているその面(かお)が、なんとも言われない男らしさと、水の滴(したた)るような美しさに見えました。
 そこで、縁の下がひっそりとしてしまいました。ミシミシと音を立ててお角の坐っていた下あたりに這い込んだらしい物の音が、急に静まり返って、兎の毛のさわる音も聞えなくなりました。
「逃げてしまいましたろうか」
「いや、逃げはせん、この下に隠れている」
 お角が、おどおどしているのに、甚三郎は相変らず好奇心を以て見ているようです。
「いやですね、いやなお稲荷様に見込まれては、ほんとにいやですね」
 お角は、座に堪えられないほど気味悪がっているのに、
「動けないのだ……」
と言って、甚三郎は膝の上にのせた短銃をながめているのであります。
「おや、小さな鉄砲。殿様は、いつのまにこんなものをお持ちになりました」
 お角はその時、はじめて甚三郎の膝の上の短銃に気がついて、そうしてその可愛らしい種子(たね)が島(しま)であることに、驚異の眼を向けました。
「いつでもこうして……」
 甚三郎が、それを手に取り上げて一方に覘(ねら)いをつけると、なぜかお角はそれを押しとどめ、
「殿様、おうちになってはいけません」
「なぜ」
「でも、お稲荷様を鉄砲でおうちになっては、罰(ばち)が当ります」
「罰?」
「ええ、そんなにあらたかなお稲荷様を鉄砲でおうちになっては、この上の祟(たた)りが思いやられます」
「ばかなことを」
 甚三郎はそれを一笑に附して、
「拙者も好んで殺生(せっしょう)はしたくはないが、畜生に悪戯(いたずら)されて捨てても置けまい」
「いいえ、どうぞ、わたしに免じて助けて上げてくださいまし、わたしはお稲荷様を信心しておりますから」
「稲荷と狐とは、本来別物だ」
「別物でも、おんなじ物でも何でもかまいませんから、そうして置いて上げてくださいまし、そのお稲荷様が嫉(そね)むなら嫉まして上げようじゃありませんか、ね、そうして置いてお話を承りましょうよ、わたしゃ化かされるなら化かされてもようござんす」
「きつい信心じゃ」
 駒井甚三郎は苦笑いして、また短銃を膝の上に置くと、そのとき縁の下で、うーんとうなる声が聞えました。
「おや、殿様、人間でございますよ、お稲荷様じゃございませんよ」
「不思議だなあ」
 最初から心を静めて観察するの余裕を持っていた駒井甚三郎が、その物音や、気配を察して、人間と動物とを見誤るほどの未熟者ではないはずです。
 科学者であるこの人は、狐に関する迷信の類は最初から歯牙(しが)にかけず、ほんの一座の座興にお角を怖がらせてみたものとしても、人と獣の区別を判断し損ねたということは、己(おの)れの学問と技倆との自信を傷つくるに甚だ有力なものと言わなければなりません。そこで甚三郎は短銃を片手に、ついと立ち上って、畳の上を荒々しく踏み鳴らしました。
 甚三郎が畳の上を踏み鳴らすとちょうど、仕掛物でもあるかのように、それといくらも隔たってはいないところの、囲炉裏(いろり)の傍の揚げ板が下からむっくりと持ち上りました。
「御免なさい」
 甚三郎もお角も呆気(あっけ)に取られてそれを見ると、現われたのは狐でも狸でもなく、一個(ひとつ)の人間の子供であります。
「お前は何だ」
 あまりのことに甚三郎も拍子抜けがして、己(おの)れの大人げなきことが恥かしいくらいでした。
「御免なさい、御免なさい」
と言って子供は、揚げ板の中から炉の傍へ上って来ました。
 鼠色をした筒袖の袷(あわせ)を着て、両手を後ろへ廻し、年は十歳(とお)ぐらいにしか見えないが、色は白い方で、目鼻立ちのキリリとした、口許(くちもと)の締った、頬の豊かな、一見して賢げというよりは、美少年の部に入るべきほどの縹緻(きりょう)を持った男の子であります。
「お前さん、どうしたの」
 最初は怖れていたお角も、寧(むし)ろ人間並み以上の子供であったものだから、落着いて咎(とが)め立てをする勇気が出ました。
「助けて下さい」
 子供はそこへ跪(かしこ)まってお角の面(かお)を見上げました。その時、見ればその眼が白眼がちで、ちらりとした、やや鋭いと言ってよいほどの光を持っているのを認められます。ただ、その身体の形を不恰好(ぶかっこう)にして見せるのは、最初から両手を後ろに廻しっきりにしているからです。
「どこから逃げて来たの」
「清澄山から逃げて来ました」
「清澄山から?」
「ええ、清澄で坊さんに叱られて、縛られました。おばさん、あたいの手を、縛ってあるから解いて下さい」
「縛られてるの、お前さんは」
 お角がなるほどと心得て、そこへちょこなんと跪(かしこ)まった子供の背後(うしろ)へ廻って見るとなるほど、その小さな両手を後ろに合せて、麻の細い縄で幾重(いくえ)にもキリキリと縛り上げてありました。
 お角は一生懸命にその結び目を解いてやろうとして焦(あせ)ったが、容易には解けそうもありません。
「ずいぶん固く結(ゆわ)えてあるわね、これじゃなかなか取れやしない」
 お角はもどかしがって、ついにその縄の結び目へ歯を当てました。
「小柄(こづか)を貸して上げようか」
 甚三郎は見兼ねて好意を与えると、お角は首を振って、
「いいえ、結んだものですから解けそうなものですね、解けるものを切ってしまうのは嫌なものですから」
 お角はしきりに縄の結び目へ歯を当てて、それを解こうとしましたが、いったいどんな結び方をしたものか知らん、ほんとに歯が立ちません。けれども、お角は焦(じ)れながらも、いよいよ深く食いついて、面(かお)をしかめながらも首を左右に振っています。
「おばさん、ずいぶん固く結えてあるでしょう、岩入坊(がんにゅうぼう)が縛ったんですからね、とても駄目でしょうよ、口では解けないでしょうよ、刃物で切っちまって下さい」
 子供は、ややませた口ぶりで、お角のすることの効無(かいな)きかを諷(ふう)するように言いますから、こんなことにも意地になったものと見え、
「いま解いて上げるよ、結んだものだから解けなくちゃあならないんだから。切ってはなんだか冥利(みょうり)が尽きるわよ」
 お角はしきりに縄に食いついて放そうともしません。
「岩入坊は縛るのが名人だからね、岩入に縛られちゃ往生さ」
 子供は、こんなことを言いながら、お角のするようにさせておりました。
「あ、痛!」
 あまり力を入れて、歯を食い折ったか、ただしは唇でも噛み切ったか、面(かお)を引いたお角の口許に、にっと血が滲(にじ)んでおりました。
「解けましたよ」
 その時にお角は、クルクルと縄の一端を持ってほごしてしまいました。
 子供の手を自由にしてやって、お角は元の座に戻り、紙をさがして口のあたりを拭きました。滲み出した血を、すっかり拭き取って平気な顔をしているから、大した怪我ではないでしょう。
「どうも有難う」
 子供はそこで、お角と甚三郎の前へ両手を突いてお辞儀をします。
「清澄から、これまで一人で来たのか」
「エエ、一人で逃げて来ました」
 そこで甚三郎は、じっとこの子供の顔を見つめました。清澄は安房(あわ)の国の北の端であって、洲崎(すのさき)はその西の涯(はて)になります。いくら小さい国だと言ったところで、国と国との両極端に当るのです。その間を、この少年が両手を後ろに縛られたままで、ここまで逃げて来たということが嘘でなければ、ともかくもそこに、非凡なものの存することを認めないわけにはゆかなかったのでしょう。けれども甚三郎は、そのことを尋ねないで、
「何で、そんなに縛られるようなことをしでかしたのだ」
「悪戯(いたずら)をしたものですから、それで縛られました」
「悪戯? どんな悪戯を」
「ちょっとしたことなんです、ちょっと悪戯をしたんだけれども縛られてしまいました、縛られて、門前の大きな杉の木へつながれてしまいました、それを弁信さんに解いてもらいました、ぐずぐずしていると、岩入坊にまたひどい目に遭わされるから、早くお逃げって弁信さんがそう言ったもんだから、後ろ手に結(ゆわ)かれたのを解いてもらう暇がなくって、一生懸命に、人に見つからないようにこうして逃げて来ました」
「それはよくない、ナゼ逃げ出さないで、お師匠さんに謝罪(あやま)ることをしないのだ」
「駄目、駄目、あたいは、もう、あんなところは早く逃げ出したくって堪らなかったのよ、もう帰らないや」
「お前、お寺にいて坊さんになるのが嫌なのか」
「いいえ、あたいは清澄のお寺に預けられていたけれど、坊さんになるつもりじゃなかったの、お寺の方では、あたいを坊さんにするつもりであったかも知れないけれど、あたいは坊さんになる気なんぞはありゃしない」
 一通りの白状ぶりを聞いても、そんなに大した悪戯(いたずら)をする悪少年とも見えません。けれども甚三郎は、この少年を問い訊(ただ)すことに興味を失わないで、
「そして、お前、これからどこへ行くつもりなのだ」
「あたいは、これから芳浜へ帰ろうと思うんだけれども、芳浜へは帰れないや、だから舟に乗ってどこかへ行ってしまいたいと思っているのよ」
「芳浜にお前の実家(うち)があるのか」
「あたいの実家じゃない、お嬢さんの家があるんですよ」
「お嬢さん……主人の娘だな。清澄へ行く前、そこに居候(いそうろう)をしていたのか」
「あたいは、お嬢さんに可愛がられていたのよ、お嬢さんが、あんまり、あたいを可愛がるもんだから、それでみんなが、あたいをお嬢さんの傍へ寄せないようにしてしまったのですね、お嬢さんきっと、あたいに会いたがるに違いない」
 子供はすずしい眼をして甚三郎の面を打仰ぎました。お嬢さんに可愛がられてる……それがなんとなく甚三郎の心を温かいものにして微笑(ほほえ)ませました。
「そのお嬢さんというのは幾つになる」
「今年、十八になるでしょうね」
と言って小首を傾(かし)げるところを見れば、どう見ても愛くるしい美少年で、決して悪戯をしたために、これほどまで無惨に縛られ、縛られた上に、清澄の山から洲崎の浜まで走って来るほどの不敵な少年とは思われません。甚三郎は優しく、
「そうか、近いうち、拙者(わし)も舟であちらの方へ出かけるから、その時に連れて行ってやろう、そうしてお嬢さんとやらに会わせてやろう」
「有難う。それでもね、お嬢さんにゃ会えませんよ」
「どうして」
「みんなが会わせないんだもの」
「なぜ会わせないのだ」
「あたいは、お嬢さんにだけは可愛がられるけれども、ほかの者にはみんな憎まれてるから」
「みんなの人が、なぜ、そんなにお前を憎むのだ」
「なぜだか、あたいにはわからないんだ、みんなの人が、あたいを憎んでお嬢様に会わせないように、清澄の山へ預けちまったんですからね」
「何かお前が悪いことをしたのだろう」
「いいえ、何も悪いことをしやしません、悪いことといえば、あたいが、あんまりお嬢様に可愛がられるから、それが悪いんでしょうよ。そのほかにはね……あたいは、虫を捕ることが好きなんですよ、虫を捕ることだの、鳥と遊ぶことだの、それから、笛を吹くことだの……」
 その時まで黙って聞いていたお角が、あわて気味で口をはさみました。
「ちょっとお待ち。お話のうちだが、それではお前さんが、あの芳浜の茂太郎さんというんじゃないの」
「ええ、あたいがその茂太郎ですよ」
「そう、驚きましたね、わたしはまた、お前さんを頼むために、こうしてわざわざ房州までやって来たのですよ」
「おばさん、あたいを頼みに来たの」
 少年は、やや眼を円くして、お角の面(かお)を見上げましたが、その頼みに来たという事情を、さのみ立入って知りたいというほどでもありません。
「ええ、お前さんを頼みに来たのよ、それがために途中で大難に遭って、こうしてお世話になっているの」
「そうですか」
「そうですかじゃない、ほんとに生命(いのち)がけで江戸から、お前さんを尋ねに来たんじゃないか」
 お角ははずむけれども少年は、
「江戸から?」
と言って、前よりは少しく耳を傾けただけのことです。それもお角が無暗に、大難だとか生命がけだとかいうのに引きつけられたのではなく、江戸からと言った地名だけに引っかかったものとしか思われません。
「そうよ」
「江戸には、おばさん、山は無いんでしょう、だから蛇だって、そんなにいやしないでしょう、わたしを頼んで行ってどうするの」
「そりゃね……」
と言って、お角が少しばかり口籠(くちごも)りました。少年は、それに頓着せずに、
「今まで、あたいを頼みに来るのは、山方(やまかた)ばっかりよ。あたいに鳥を追わせたり、蛇をつかまえさせたり、また虫を取って来て天気を占(うらな)わせたりするんだけれど、江戸へ連れて行ってどうするんだろう。それでも、あたい江戸へは行ってみたいよ。お嬢さんとこに、幾枚も江戸の景色の絵があるんだ、それで見て知っているけれどもね、綺麗(きれい)なところだね。おばさん、ほんとうに連れてってくれるなら、あたい行ってもいいよ、おばさんとこに居候になっていてもいいよ」

         八

「それというのはね、まあ、聞いて下さいまし。この間の暴風雨(あらし)の晩のことでした、わたしが毎晩ああやって点(つ)けている高燈籠の火が消えてしまいました、どんなに風が吹いても、雨が降っても、消えないはずの火が消えてしまいました、あの火が消えたばっかりに、海で船が沈んで、多くの人が死にました、まことに申しわけのないことでございます」
 盲法師の弁信はこう言って、その見えない眼から涙をポロポロとこぼして、口が利(き)けなくなりました。
「弁信さん、そりゃ仕方がありませんよ、なにもお前さんが消したというわけじゃあるまいし」
「いいえ、いいえ、わたしが消したんですよ、決して、あの晩の暴風雨(あらし)が消したわけじゃございません」
「だって弁信さん、お前がわざわざ消しに行ったわけじゃありますまい」
「いいえ、わたしの業(ごう)が尽きないから、それで、あの晩に限って火が消えてしまったんですね、わたしが、少しでも人様の眼を明るくして上げようと思ってしたことが、かえって人様の命を取るようになってしまいました、怖ろしいことでございます」
「けれども、そりゃ仕方がありませんよ、善い心がけでしたことも、悪いめぐり合せになるのは運ですからね、なにもあの晩に限って燈火(あかり)が消えて、それがために助けらるべき船が助けられず、救わるべき人が救われなかったといって、誰も弁信さんを恨むわけのものじゃありません、それでは、あんまり取越し苦労というものが過ぎますね」
「いいえ、いいえ、善い心がけでしたことが、悪いめぐり合せになるということは、決してあるものではございません、それが悪いめぐり合せになるのは、徳が足りないからでございます、業が尽きないからでございます」
「そりゃいけませんよ、善いことをすれば、善いめぐり合せになるときまったものじゃなし、かえって善いことをして、悪いめぐり合せになる例(ためし)が世間にはザラにあることなんだから、弁信さん、そんなに取越し苦労をしないで、山へお帰りなさいまし」
「いいえ、そうじゃないのです、善い人の点(つ)けた火は、消そうと思っても消えるものじゃございません。御承知でございましょうが、天竺(てんじく)の阿闍世王(あじゃせおう)が、百斛(ひゃっこく)の油を焚いて釈尊を供養(くよう)致しました時、それを見た貧しい婆さんは、二銭だけ油を買って釈尊に供養を致しました、貧しい婆さんの心は善かったものでございますから、阿闍世王の供えた百斛の油が燃え尽きてしまっても、貧しい婆さんの二銭の油は、決して消えは致しませんでした、消えないのみならず、いよいよ光を増しました、暁方(あけがた)になって目連尊者(もくれんそんじゃ)が、それを消しにおいでになって、三たび消しましたけれど、消えませんでございました、袈裟を挙げて煽(あお)ぐとその燈明の光が、いよいよ明るくなったと申すことでございます。それほどの功徳(くどく)も心一つでございますのに、それに、わたしがああやって心願を立てて、毎晩毎晩点けにあがる高燈籠が、あの晩に限って消えてしまったというのは因果でございます、業でございます、わたしの徳が足りないんでございます。徳の足りないものが、業(ごう)の尽きない身を以てお山を汚していることは、お山に対しても恐れ多いし……わたし自らの冥利のほども怖ろしうございますから、それでわたしは、お山をお暇乞(いとまご)いを致しました、皆様がいろいろにおっしゃって下さいましたけれども、わたしは自分の罪が怖ろしくて、お山に留まってはおられませんでございます。皆様お大切に、これでお別れを致します……これが一生のお別れになるか知れませんでございます」
 こう言って、盲法師の弁信は泣きながら、草鞋(わらじ)ばきで、笠はかぶらないで首にかけ、例の金剛杖をついて清澄の山を下ってしまいました。それは暴風雨(あらし)があってから五日目のことで、誰がなんと言っても留まらず、山を下って行く、その後ろ姿がいかにも哀れであります。

         九

 それとほぼ時は同じですけれども、ところは全然違った中仙道の碓氷峠(うすいとうげ)の頂上から、少しく東へ降ったところの陣場ケ原の上で、真夜中に焚火を囲んでいる三人の男がありました。
 一昨夜の暴風雨(あらし)で吹き倒されたらしい山毛欅(ぶな)の幹へ、腰を卸(おろ)しているものは、南条力(つとむ)であります。この人は曾(かつ)て甲府の牢に囚(とら)われていて、破獄を企てつつ宇津木兵馬を助け出した奇異なる浪士であります。
 その南条力と向き合って、これは枯草の上に両脚を投げ出しているのは、いつもこの男と影の形に添うように、離れたことのない五十嵐甲子雄(いがらしきねお)であります。甲府の牢以来、この二人が離れんとして離るる能(あた)わざる□(ふたご)の形で終始していることは敢(あえ)て不思議ではありませんが、その二人の側に控えて、いっぱしのつもりで同じ焚火を囲んでいるもう一人が碌(ろく)でもない者であることは不思議です。碌でもないと言っては当人も納まるまいが、この慨世憂国の二人の志士を前にしては、甚だ碌でもないというよりほかはない、例のがんりきの百蔵であります。
「その屋敷でござんすか、そりゃこの峠宿(とうげじゅく)から二里ほど奥へ入ったところの美平(うつくしだいら)というところが、それなんだそうでございます。今はそこには人家はございませんが、そこが、碓氷の貞光(さだみつ)の屋敷跡だといって伝えられてるところでございます」
 がんりきの百は、いっぱしの面(かお)をして案内ぶりに話しかけると、
「なるほど」
 南条力はいい気になって頷(うなず)いてそれを聞いている取合せが、奇妙といえば奇妙であります。ナゼならば、南条力は少なくともこのがんりきの百なるものの素行(そこう)を知っていなければならない人です。それは甲州街道で、このがんりきの百が男装した松女(まつじょ)のあとを、つけつ廻しつしていた時に、よそながら守護したり、取って押えたりして、お松を救い出したのはこの人であります。百にしてからが、この人の怖るべくして、狎(な)るべからざる人であり、ともかく自分たちには歯の立たない種類の人であることを、充分こなしていなければならないのに、こうして心安げになって、いっぱしの面をしていることが、前後の事情を知ったものには、どうも奇妙に思われてならないはずです。
 ところが、このがんりき先生は一向、そんなことには頓着なく、
「さあ、焼けました、もう一つお上んなさいまし。南条の先生、こいつも焼けていますぜ、五十嵐の先生、もう一ついかがでございます」
と言って、木の枝をうまく渡して、焚火に燻(く)べておいた餅を片手で摘(つま)み上げ、
「碓氷峠の名物、碓氷の貞光の力餅というのがこれなんでございます」
 得意げに餅を焼いて、二人にすすめ、
「何しろ源頼光の四天王となるくらいの豪傑ですから、碓氷の貞光という人も、こちとらと違って、子供の時分から親孝行だったてことでございますよ。親孝行で、そうして餅が好きだったと言いますがね、親孝行で餅が好きだからようございますよ、間違って酒が好きであってごろうじろ、トテも親孝行は勤まりませんや。どうも酒飲みにはあんまり親孝行はありませんね。俺(わっし)の知ってる野郎にかなりの呑抜(のみぬけ)があって、親不孝の方にかけちゃ、ずいぶん退(ひ)けを取らねえ野郎ですが、或る時、食(くら)い酔って家へ帰ると、つい寝ていた親爺の薬鑵頭(やかんあたま)を蹴飛ばしちまいましてね、あ、こりゃ勿体(もったい)ねえことをしたと言ったもんです、それを親爺が聞いて、まあ倅(せがれ)や、お前も親の頭を蹴って勿体ないと言ってくれるようになったか、それでわしも安心したと嬉しがっていると、野郎が言うことにゃ、おやおや、お爺(とっ)さんの頭か、俺(おり)ゃまた大事の燗徳利(かんどっくり)かと思ったと、そうぬかすんですから、こんなのは、とても親孝行の方には向きませんよ。
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