大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「おやおや、時と場合だから、貴様の方からあやまってやるんだって? ばかにするな、このちんちくりん」
 金助は打ってかかろうとして拳を固めると、宇治山田の米友は一足後へさがって、そのまるい眼をクルクルとさせ、
「時と場合だろうじゃねえか、おいらはこうして俯向(うつむ)いて、草鞋の紐を結んで、笠をこうやって前に被っているから、向うは見えねえんだ、お前の方は、笠もなにも被らねえで、前からやって来るんだから、本当なら、おいらが突き倒されてしまうところなんだ、それを、危ねえ! と思ったから左へよけて、おいらの身体は無事だったが、お前は、そのハズミを食って、おいらの代りに前へ倒れたんだ、まあ怪我をしなかったのが仕合せだあな、勘弁しろ、勘弁しろ」
 こう言って感心にも宇治山田の米友は、相手にしないで行き過ぎようとします。これは米友としては出来過ぎですけれども、金助は血迷っていて、この米友の出来栄(できば)えを買ってやる余裕がありません。
「おいおい、待て待てこの野郎、背はちんちくりんだが、どこまで人を食った野郎だか知れねえ、いよいよ癪にさわる言い草だ、待て」
 金助は米友の筒袖を引張って、引留めました。
「そんなに引張らなくってもいいや、逃げも隠れもしやしねえよ、何か言い草があるなら、うんとこさと言いねえな」
 かかる場合に、決してわるびれる米友ではありません。
「言わなくってどうする、今の言い草をもう一ぺん言ってみろ、本来なら貴様が突き倒されてしまうところを、危ねえ! と思ったから左へよけて、貴様の身体は無事だったが、こっちがそのハズミを食って身代りに倒れたとは何の言い草だ、左へよけて身体の無事であった方は無事でよかろうけれど、身代りに倒された方こそいい面(つら)の皮(かわ)だ、この面の皮をいったいどうしてくれるんだ」
 金助はこう言いながら、グイグイと米友の着物を引張りました。
「おい、あんまり引張るなよ、質(しち)の値がさがらあな、着物を引張らなくっても文句は言えそうなもんだ」
 米友は仕方がなしに引き寄せられていると金助は、いよいよ怒り出して、
「この野郎、いやに落着いていやがら。いったい、人を転がしといて、身代りに倒れたで済むか、この野郎」
「だって仕方がねえじゃねえか、おいらが倒れなけりゃあお前が倒れるんだ、お前が倒れたからおいらは倒れないで済んだんだ、幾度いったって同じ理窟じゃねえか、いいかげんにしといた方がお前の為めになるよ」
 この時に金助は、火のようになって、
「この野郎、もう承知ができねえ」
 拳を上げてポカリと食(くら)わせようとしたが、相手が宇治山田の米友であります。
「おやおや、お前、おいらを打(ぶ)つ気かい」
 金助の打ち下ろした拳を、米友はしっかりと受け止めました。
「こんな獣物(けだもの)は痛え思いをさせなくっちゃわからねえ、物の道理を言って聞かせてもわからねえ野郎だ」
 拳を取られながら金助は、歯噛みをしていきり立っています。
「ジョ、ジョーダンを言っちゃいけねえ、理窟はおいらの方にあるんだ」
 米友は金助の拳を、なおしっかりと握って、口の利き方が少し吃(ども)ります。
「放せ、野郎、放せというに」
 金助はしきりにもがくけれども、米友に掴(つか)まれた手を、自分の力でははなすことができません。
「放さねえ」
 米友も漸く、虫のいどころが悪くなってきたようです。
「放さなけりゃ、こうしてくれるぞ」
 金助は左の手に持ち替えていた折を、自暴(やけ)に振り上げて米友の面(かお)へ叩きつけようとしたのを、素早く面をそむけた米友が、
「野郎!」
 額の皺(しわ)が緊張し、面の色が赤くなって、口から泡を吹きはじめました。しかしながら、ここまで込み上げたのをグッと怺(こら)えて、ただ金助の面を睨めただけで、その握った拳を、突き放しもしなければ打ち返しもしない。じっと泡を吹いたなりで我慢しているところは、さすがに米友も、いくらか修行を積んだものと見なければなりません。
 それを、どう見て取ったのか、いい気になった金助はかさにかかって、
「何だい、貴様の面(つら)はそりゃ。両国の見世物にだって、近ごろ貴様のような面は流行(はや)らねえや。ちょっと見れば餓鬼(がき)のようで、よく見れば親爺(おやじ)のようで、鼻から上は、まるきり猿で、鼻から下だけが、どうやら人間になってらあ、西遊記の悟空を、三日も行燈部屋へ漬けておくとそんな面(つら)になるだろう。よくまあ、昼日中(ひるひなか)、その面をさげて大江戸の真中が歩けたもんだ、口惜(くや)しいと思ったら、親許(おやもと)へ持ち込むんだね、親許へ持ち込んで、雑作(ぞうさく)をし直してもらって出直すんだ」
 この時分、あたりへようやく人だかりがしました。人だかりがしたから、金助は、いよいよ得意げに毒舌を弄(ろう)して、米友をはずかしめようとするらしい。
「野郎!」
 米友は歯をギリギリと噛み鳴らしました。けれども、まだ、自分からは打ってかからない米友は、何か思う仔細があるのか、ただしは誰人かに新しく堪忍(かんにん)の徳を教えられてそれを思い出したから、ここが我慢のしどころと観念しているのかも知れません。それをそれと知らずして、かさにかかっている金助は、噴火口上に舞踏していると言おうか、剃刀の刃を渡っていると言おうか、危険極まる仕事であります。
「何とか言えよ、このちんちくりん」
 右の利腕(ききうで)を取られている金助は、この時ガーッと咽喉(のど)を鳴らして、米友の面上めがけて吐きかけようとしたから、
「野郎!」
 ここに至って米友の堪忍袋の緒はプツリと切れました。片手に携えていた杖を橋の上にさしおくと、のしかかって来た金助を頭の上にひっかぶりました。米友の頭の上で泳ぐ金助を、意地も我慢も一時に破裂した米友は、そのまま橋の欄干近くへ持って行くと見るまに、眼よりも高く差し上げて、ドブンと大川の真中へ抛(ほう)り込んでしまいました。
 金助を川へ抛り込んだ米友は、物凄い面(かお)をして橋の上に置いた杖を拾い取ると、あっと驚く見物を見向きもせず、跛足(びっこ)の足を、飛ぶが如くに向う両国を指して走(は)せ行ってしまいました。

         十六

 神尾主膳の隠れている例の染井の化物屋敷は、依然として化物屋敷であります。
 真中の母屋(おもや)には神尾主膳が住み、そこへ出入りするのは、旗本のくずれであったり、御家人のやくざ者であったり、どうかすると、角力(すもう)や芸人上りのようなものであったりするけれども、ここではあまり騒ぐことはなく、三日に一度ぐらい、主膳はその家を忍び出でて、夜更けて帰ることが多い。
 それから離れの方には、例のお絹が別に一廓を構えて、若い女中を一人使って、ほとんど母屋とは往来をしないで立籠(たてこも)っているかと思えば、土蔵の中にはお銀様が、怨(うら)むが如く、泣くが如く、憤(いきどお)るが如く、ほとんど日の目を見ることなしに籠っているのであります。お銀様と神尾の台所の世話をしているのは、練馬(ねりま)あたりから雇い入れた女中ではあるが、この女中は少しく痴呆性(ちほうせい)の女で、それに聾(つんぼ)ときているから、化物屋敷にいて、化物の物凄いことを感得することができません。
 今日は神尾主膳が、朝から酒につかりながら、座敷の壁へ大きな一枚板を立てかけて、酔眼を開いてそれを見据えていると、傍に、よく肥った奴風(やっこふう)の若いのが、片肌ぬぎでしきりに墨を摺(す)っています。
「殿様、うまくひとつ書いてやっておくんなさいましよ、贔負分(ひいきぶん)にね」
「ふーん」
 神尾は鼻であしらいながら、筆立の中から木軸の大筆を取って、ズブリと大硯(おおすずり)の海の中へ打ち込みました。
「無駄を言うな」
「だって、後見がうまくなけりゃ太夫が引立たねえや。さあさあ、殿様の曲芸、米□様(べいふつよう)の筆を以て、勘亭流(かんていりゅう)の看板をお書きになろうとする小手先の鮮(あざや)かなところに、お目をとめられてごろうじろ」
「馬鹿」
 神尾は大奴(おおやっこ)の無駄を軽く叱って、板の面(おもて)を目分量して字配(じくば)りを計りながら、硯の海で筆をなやしておりましたが、やがて板へぶっつけに、「江」という字を一息に書いてしまいました。
「うまい!」
 大奴が半畳(はんじょう)を入れると、神尾は苦笑(にがわら)いして、
「気が散るからだまってろ」
と言って、今度は息を抜かずに筆をふるって、縦横に書き上げたたて看板の文字は、「江戸の花 女軽業」の七文字であります。
「太夫、御苦労」
 大奴は硯(すずり)の下にあった団扇(うちわ)を取って、神尾を煽(あお)ぎ立てました。
 書いてしまった七文字を神尾は、また右見左見(とみこうみ)してながめています。文字は決して悪い出来ではありません。文字の示す通り、女軽業の看板としては勿体(もったい)ない書風であります。神尾とても看板書きになったわけではなく、頼まれたればこそ、こうして筆を揮(ふる)うのでありましょう。そこへ廊下を歩いて来る人の音、
「殿様、殿様、ドチラにいらっしゃるんでございます」
 それは聞いたことのある女の声。
「おや、福兄(ふくにい)さんもおいでなんですか」
 入って来たのは、女軽業の親方のお角でありました。
「いよう、これはこれは両国橋の太夫さん」
 福兄と言われた大奴は、細い目をしてお角を迎えました。
「殿様、御機嫌よろしう」
 お角は神尾の前へ手を突いて、頭を下げました。
「頼まれ物が出来上ったぞ」
 神尾も御機嫌がよく、お角の面(かお)と、いま書き上げた看板とを見比べていますと、
「まあ、お書き下さいましたか、これはこれは、なんというお見事なお筆でございましょう、生きているようでございますね」
 お角も看板の文字を見て、心から嬉しそうであります。
「生きているとも」
 神尾もまた自分ながら、書き上げた看板の文字に得意でいます。
「太夫元、奢(おご)らなくちゃあいけやせんぜ」
 福兄(ふくにい)はこう言って、お角を嗾(け)しかけました。
「奢りますとも、何なりとお望みに任せて」
「よろしい、所望がある」
 福兄が改まってむきになると、
「福、貴様がでしゃばるところじゃないぞ、貴様は墨のすり賃に、二百も貰って引込めばいいんだ」
 神尾が福兄をたしなめると、福兄は納まらず、
「いけやせん」
 胡坐(あぐら)を組み直して強面(こわもて)にかかろうとするのを、お角は笑いながら、
「福兄さんには殿様に内密で、わたしが、たくさんお礼を致しますから、もう少し待って下さいね、今が大事の時なんですから。その代り今度のが当りさえすれば、ほんとうに福兄さんを福々にして上げますからね」
「うまく言ってやがらあ。けれども、そう話がわかりゃそれでもいいんだ」
 福兄はそれで、どうやら納まりかけた時に、神尾主膳が、
「お角、今に始まったことではないが、お前の腕の凄いのには恐れ入った」
 改まったような言いがかりだから、お角も用心して、
「殿様、改まって何をおっしゃるのでございます」
「しらを切っちゃいかん、お前が今度の房州行きなんぞは運もよかったが、腕の凄さは、いよいよ格別なものだ」
「神尾の殿様、そんな気味の悪いことをおっしゃっておどかしちゃいけません、こう見えても気が小さいんですからね」
「あんまり気が小さいから、少しはオドかして、大きくしてやらぬことにはしまつがつかん」
「何をおっしゃるんですか、わたしには一向わかりません」
「お前にはわかるまいが、こっちには、すっかり種が上っているんだ、房州へ行って命拾いをして来た上に、金箱を背負(しょ)い込んで来て、それでなにくわん面(かお)をして口を拭っているところなんぞは不埒千万(ふらちせんばん)だ、なあ、福」
 主膳が福兄を顧みると、福兄は一も二もなく頷(うなず)いて、
「そうですとも、そうですとも、ありゃ実際、不埒千万ですよ、あれはただじゃ置けませんよ」
「福兄さんまでが殿様に御加勢なんですか、金箱とおっしゃったって、まだ分らないじゃありませんか、まだ乗るか反(そ)るか、打ってみなけりゃわからないじゃありませんか」
 お角は外(そ)らしてしまおうとすると、神尾はそれを取って抑えて、
「その手は食わん、金箱というのは、茂太(もた)とやら茂太(しげた)とやらいう小倅(こせがれ)のことではない、そのほかに確かに見届けたものがあるのじゃ。若い綺麗(きれい)な、金のたくさんある男と、お前が仲睦まじく飲んでいたとやら、それをちゃあーんと見届けた者が我々の仲間にある。お角、あんまり凄い腕を振い過ぎると、祟(たた)りが怖かろうぜ、がんりきの百とやらもだまっちゃいなかろうぜ」
「エ!」
 神尾からこう言われて、さすがのお角もギョッとしたようです。
「それは違います、それは違います」
 お角は、あわててそれを打消すと、神尾が意地悪く、
「福、お角は違うと言ってるが、お前はどう思う」
「違いませんな」
 福兄は得たりと引取って、空嘯(そらうそぶ)く。
「では、福兄さん、お前さん、何をごらんなすったの」
「さあ、拙者が、じかに見たというわけじゃねえのだが、両国の、とある船宿の二階で、さしむかいの影法師を、ちらりと睨(にら)んだ者がこちと等の仲間にあったのだ、そうしてその一人が、両国橋の女軽業の太夫元のお角さんとやらに似ていたとか、いなかったとか、岡焼(おかやき)めらが騒いでいるんだから始末におえねえ」
「え、そりゃお安くないんですね、両国橋の女軽業の何とやらのお角さんといえば、多分この辺にいるお婆さんのことでしょうけれど、今時こんなお婆さんを相手にする茶人があるというのは、頼もしいことですね」
「実際、頼もしいんだから驚きまさあね。しかし、お婆さんはかわいそうですよ、年増盛りのハチ切れそうなのを捉まえて、お婆さんはかわいそうだね」
「まあ、ようござんす、どのみち浮名(うきな)を立てられるうちが、人間の花ですからね」
「そりゃ花ですともさ。ですけれども、花もあんまり、こってりと咲かれると、よその花ながら嫉(ねた)ましくなるよ、ねえ大将」
「うむ」
「殿様も福兄さんも、なんだか奥歯にはさまるような言い方をなさるから、わたしゃ、どうも痛くない腹を探られているようで小焦(こじれ)ったくってたまりません、わたしの身に後ろ暗いことがあるようでしたら、ハッキリとおっしゃって下さいな」
「ところが、どうもハッキリとは言えねえんだ、ともかく、船から上ると飛びつくように嬉しがって、お手を取って御案内申し上げ、それから後が、船宿のさしむかいという御寸法になったまでは篤(とく)と見届けたんだが、それから先が、惜しいことに雲隠れで……」
「人違いもその辺になると御愛嬌ですよ、その色男の面(かお)が見てやりたいものでしたね」
「それそれ、それがわかれば動きは取らせねえのだが、夕方のことではあったし、厳重に覆面はしていたし、さっぱり当りがつかなかったというのが、こっちの弱味だ。それでも、年の頃は三十前後の品格のある武士で、微行(しのび)ではあるが旗本とすれば身分の重い方、ことによったら大名の若殿でもありゃしねえかと、こう睨んで来た奴がある」
「おやおや、それは大変なことになりましたね、そうしてその御身分のあるお方のお相手というのが、やっぱり両国の女軽業の古狸なんですか」
「大地を打つ槌(つち)は外(はず)るるとも、そればっかりは疑いなし」
「ほんとうに有難い仕合せですね。そうしてなんですか神尾の殿様、あなた様は、いったいその身分のあるお武家様がどなたでいらっしゃるか、見当をつけておいであそばすでございましょうね」
と言ってお角は、そっと神尾主膳の面(おもて)をうかがいました。
「そりゃ拙者にもわからん、その若いのを生捕(いけど)って、旗揚げの軍費を調達させた当人に聞いてみるよりほかはなかろうよ」
「では全く、殿様は御存じないんでございますね」
「知っていれば、ただは置かんよ」
「御存じないのが、あたりまえですよ、そんなことがあろうはずがございませんもの。もしありましたら、大びらに御披露して、ずいぶん皆様を羨ましがらせて上げるんですけれども」
 お角はこう言って笑いましたけれども、なお神尾の腹の底を読もうとするらしい。しかし、神尾はそれ以上は何も知っておらぬようです。その時にまた廊下で慌(あわただ)しい人の声、
「殿様、殿様、神尾の殿様、金助でございます」
 金助というのは多分、両国橋の上で、宇治山田の米友のために大川の真中へ抛(ほう)り込まれたその人に相違ありますまい。でも、無事に這(は)い上って、この屋敷へたどり着いたものと思われます。
 お角は金助と入違いにこの部屋を外(はず)して、土産物らしい風呂敷包を抱えて、廊下を歩いて縁側から庭下駄を穿(は)いてカラカラと庭を廻って、井戸側(いどわき)から土蔵の方へと行きます。
「御免下さいまし」
と小声に言って、土蔵の戸前に手をかけました。重い扉をズシズシと押し開いて、薄暗い土蔵の中へ足を踏み入れ、
「いらっしゃいますか」
 これも小声でおとのうてみましたけれど返事がありません。気味悪そうにお角は、蔵の中へ二足三足と足を入れて、二階へのぼる梯子段の下まで来て、
「お銀様」
 はじめて人の名を呼んで、二階を見上げました。けれどもやはり返事はありません。
「御免下さいまし」
 再び案内の言葉を述べて、その梯子段を徐(しず)かに上って行きました。梯子段を上りつめると、頭の上に開き戸があるのを、下からガラガラと押し開いて、
「いらっしゃいますか」
 はじめて二階の一間を覗(のぞ)いて見ました。それは暗澹(あんたん)たる一室であるけれども、南の方に向いて鉄の格子に金網を張った窓があいていましたから、下のように暗くはありません。で、畳もしっくりと敷きつめてあって、四隅には古箪笥や、長持や、葛籠(つづら)や、明荷(あけに)の類が塁(とりで)のように積まれてあるけれども、それとても室を狭くするというほどではありません。
 六枚折りの古色を帯びた金屏風が立てめぐらされたその外(はず)れから、夜具の裾(すそ)が見えるところは、多分、尋ねる人はそこに眠っているのだろうと思われるのであります。
 そこで、お角はまた遠慮をしいしい、畳を踏んで六枚折りの中を覗きました。なるほど、そこに夜具蒲団(やぐふとん)は敷かれてあり、枕もちゃんと置いてありましたけれど、主は藻脱(もぬ)けのからであります。
「おや、どこへお出かけになったのでしょう」
 お角はいぶかしそうに四辺(あたり)を見廻しました。それは朝起きたままで、床を敷きっぱなしにしておいたのではなく、どこかへ出かけて、帰りが遅くなる見込みから、こうして用心して出たものとしか思われません。
 お銀様はいったい、どこへ出て行ったのだろう、それがお角には疑問でした。この人は決して外へは出ない人であった。自分が知れる限りにおいては、この土蔵の中を天地として、あの盲(めし)いたる不思議な剣術の先生に侍(かし)ずいて、一歩もこの土蔵から出ることを好まない人であった。それがこのごろは、こうして夜へかけてまで外出して帰るというのは、いったい何の目的があって、どこへ行くのだろうと、以前を知るお角はそれが不思議でなりません。
 それで、四辺(あたり)を見廻していると、少し離れたところの机の上にも、その左右にも、夥(おびただ)しい書物が散乱しているのであります。この土蔵に蔵(しま)われた本箱の中から、ありたけの本を取り出して、お銀様が、それを片っぱしから読んでいるものとしか思われません。さすがに大家に育った人、お角なんぞから見ると、たった一人で牢屋住居のような中におりながら、別の天地があって、読書三昧(どくしょざんまい)に耽(ふけ)っていられることが羨ましいように思われます。
 お角は、机の傍へ寄って見ましたけれど、ドチラを見ても、四角な文字や、優しい文字、とてもお角の眼にも歯にも合わないものばかりです。気象の勝ったお角は、なんだか自分が当てつけられるように感じて、書物を二三冊、あちらこちらにひっくり返すと、ふと、思いがけない絵の本が一つ現われました。
 それは極彩色の絵の本で、さまざまの男や女が遊び戯れている、今様(いまよう)源氏の絵巻のようなものでありました。
 お角はそれを見ると莞爾(にっこ)と笑って、
「それごらん、お銀様だって、ただの女じゃありませんか」
 子曰(しのたまわ)くや、こそ侍(はべ)れのうちに、こんな浮世絵草紙を見出したことがお角には、かえって味方を得たように頼もしがられて、皮肉な笑いを浮べながら、窓の光に近いところへ持ち出して、その絵巻を繰りひろげて見ると、
「おや?」
と言って、さすがのお角がゾッとするほど驚かされました。
 それは、絵巻のうちの美しい奥方の一人の面(かお)が、蜂の巣のように、針か錐(きり)かのようなもので突き破られていたからです。悪戯(いたずら)にしてもあまりに無惨な悪戯でありましたから、お角は身ぶるいしました。急いでその次を展(ひろ)げて見ると、それは花のような姫君の面(おもて)が、やはり無惨にも同じように針で無数の穴が明けられていました。
「おお怖い」
 その次を展げると、水々しい町家の女房ぶりした女の面が、今度は細い筆の先で、無数の点を打ちつけて、盆の中に黒豆を蒔(ま)いたようになっています。
 あまりのことに呆(あき)れ果ててお角は、それからそれと見てゆくうちに、一巻の絵本のうち、女という女の面(かお)は、どれもこれも、突かれたり汚されたり、完膚(かんぷ)のあるのは一つもないという有様でした。
「あんまり、これでは悪戯(いたずら)が強過ぎる、なんぼなんでも僻(ひが)みが強過ぎる」
 お角は、この悪戯がお銀様の仕業(しわざ)であることは、よくわかっています。そうして、この絵本のうち、美しい男も、好い男も、強そうな男も、いくらも男の数はあるけれども、それには一指も加えないで、女だけをこんなに傷つけ散らし、汚し散らして、ひとり心を慰めようとするお銀様の心持も大概はわかっているが、それにしてもあんまり僻みが強過ぎて、空怖ろしいと思わずにはおられなくなりました。
 いったい、お角はかなり人を食った女で、男も女も、あんまり眼中には置いていない方だが、どうもお銀様という人にばかりは、一目も二目も置かなければ近寄れないような心持で、これまでいるのが不思議でした。
 あの呪われた、お銀様の顔が怖ろしいというわけではなく、どうもお銀様の傍へ寄ると、お角は何かに圧えつけられるようで、ほかの男や女のように、容易(たやす)くこなすことができません。何を言うにも大家の娘で、持って生れた品格というものが、お角と段違いなせいであるならば、お角は駒井能登守にも、神尾主膳にも、あんなに心安立てにはできないはずだが、お銀様にジロリとあの眼で睨められると、口から出ようとした言葉さえ、咽喉へ押詰ってしまうのが、自分ながら腑甲斐(ふがい)のないことに思われて、あとで焦(じれ)ったがるが、その前へ出ると、どうしても段違いで相撲にならないことが自分でわかるだけに、口惜(くや)しくてならないでいるのです。
 お銀様の応対は、いつも懐中に匕首(あいくち)を蓄えていて、いざと言えば、自分の咽喉元へブッツリとそれが飛んで来るようで、危なくてたまらない。お銀様は、たしかに武術の心得もあって、何者でも身近く寄せつけないだけの用意は、いつでもしている。神尾主膳ほどの乱暴者でも、うっかり傍へ近寄れないのはそのせいでもあるが、お角の近寄れないのはそれだけではない。どこがどう強くって、どんなに怖いのだかわからないなりに、お角にとってはお銀様が苦手(にがて)です。
 お角はその絵本を見ると、お銀様の生霊(いきりょう)がいちいちそれに乗りうつって、この薄暗い土蔵の二階の一間には、すべて陰深(いんしん)たる何かの呪いの気が立てこめているようで、怖ろしくてたまらないから、急いで絵の本を伏せて、梯子段の降り口にかかりました。
 離れにいるお絹は、このごろでは、ずっと以前のように切髪に被布の姿で、行い澄ましておりました。母屋(おもや)の方へは滅多に出入りしないけれども、どうしたものか、お角が来た時だけは、お絹の神経が過敏になります。今日もお角が訪ねて来たことを知って、
「また、あの女が来たようだから、お前、御苦労だが様子を見て来ておくれ」
と召使の女中に言いつけて出してやりました。そのあとへ、
「御新造(ごしんぞ)、おいでか」
 庭先から入り込んで来たのは、前に福兄と言った大奴(おおやっこ)であります。いつのまにか着物を着替えて若党の姿になり、脇差を差して刀を提げ、心安立てに縁から上って来ました。
「おや、福村さん」
と言って、お絹は愛想よく迎えました。お角に言わせればこの人は福兄で、ここへ来ては福村さんになる。前の時は奴風で、ここではもう若党に早変りしているのが、化物屋敷の化物屋敷たる所以(ゆえん)でありましょう。
 若党の福村は座敷へ入って、しきりにお絹と話をしていたが、暫くして、
「これから大将のお伴(とも)と化けて、番町まで出向かにゃならん、今日はこれで失礼」
と言って、慌(あわただ)しく辞して行きました。
 お絹は、それを見送っていましたが、やがてハタと障子を締めきって、
「面白くもない」
 つんと机に向き直って頬杖をつき、すこぶる不機嫌の体(てい)であります。それは実際、お絹にとっては面白くないことでしょう。今の福村の話というのは要するに、お角を賞(ほ)めに来たようなものなのです。お角が房州まで出かけて行って、あやうく命拾いをして帰った上に、掘出し物を買い込んで来るし、それに大名だか旗本だか知らないが、ともかくも身分あるらしい立派な金主をつかまえて、近日花々しく両国橋で、二度の旗揚げをしようという運びになっていることを福村が、お絹の前で話して、相変らずあの女の腕の凄いことを吹聴(ふいちょう)して行きました。
 お絹の前で、お角の腕の凄いことを吹聴するのは、つまりお絹の腕のないことをあてこすりに来たとひがまれても仕方がない。イキとハリとになっているのを、福兄が知らないはずはなかろうと思われます。女軽業にしろ、見世物にしろ、女の腕一つで、一旗揚げようというのはともかくエライことでないことはない。そうして切って廻して屋敷へまで吹聴に来られるのを、指を啣(くわ)えて見せつけられるのは、お絹として納まらないことであるのは申すまでもないことです。
「忘れた、忘れた、印伝(いんでん)の煙草入を忘れてしまった」
 一旦出て行った福村が後戻りして来たから、何かと思うと煙草入を忘れているのです。なるほど、火鉢の下に転がっているのは、ほんものか擬(まが)いか知らないが、とにかく印伝革の煙草入であります。
 福村は無精(ぶしょう)に、縁側から手を突き出して、
「済みませんが突き出しておくんなさい、でもその印伝はほんものだから安くねえんだ、ほんものだということで両国橋の太夫元が、おれにくれたんだ、だから、おいらにとってお安くねえ代物(しろもの)だ」
「持っておいで」
 お絹はゲジゲジでも摘(つま)むように、その印伝の煙草入を取り上げると、ポンと縁側へ抛(ほう)り出しました。
「おや御新造、いやに荒っぽいんですね」
 福村は抛り出された煙草入を、わざと丁寧に拾い上げておしいただく真似をして腰へさし、トットと行ってしまいました。

         十七

 その晩のことでありました、吉原の大門(おおもん)を出た宇津木兵馬は、すれ違いに妙な人と行逢って、それを見過ごすことができなかったのは。それは羽織袴に大小を帯びた立派な武家の姿をしていたが、供人は一人もつれず、面(おもて)は厳重に覆面で包んでいます。
 兵馬はこの廓(さと)へ出入りするごとに、往来の人の姿に注意を払っていないことはない。ことに覆面した武家姿のものに向っては、尾行までしてみることが一度や二度ではなかったが、この時すれ違った覆面の人もまた、その例に洩るることができませんでした。
 兵馬はワザとやり過ごして様子をうかがうと、この覆面の武家の後ろ姿に合点(がてん)のゆかぬ節々が幾つも現われてきます。第一、この武家の歩きぶりがつとめて勢いよく闊歩しているようなものだが、どこやらに無理があります。第二には、差している大小が釣合わないということはないが、なんとなく重そうに見えて、差し方がこなれていないことです。この二つを以て見ると、さるべき者が、わざと武士の姿をして来たものか、そうでなければ、病気上りの人ででもありそうです。
 兵馬は、あまり不思議だから、非常中の非常手段ではあったが、ワザと近寄ってその武家にカチッと、自分から鞘当(さやあ)てを試みました。
 武士として鞘当てを受けたのは、果し状をつけられたようなものであるにかかわらず、その武家は知らぬ顔に、人混みに紛れて逃げ去ろうとするのは歯痒(はがゆ)い。
 到底このままには見過ごし難いから、あとをつけると、件(くだん)の覆面は人混みに紛れて、見返り柳をくぐり土手へ出て、暫く行くと辻駕籠(つじかご)を呼びました。
 それを見ると兵馬も、同じように駕籠を傭おうと思ったけれど生憎(あいにく)それはなし、刀と脇差を揺(ゆ)り上げて、いずこまでもこの駕籠と競争する気になりました。
 この駕籠は、竜泉寺方面から下谷を経て、本郷台へ上ります。
 本郷も江戸のうちと言われた、かねやすの店どころではなく、加州家も、追分も、駒込も、いっこう頓着なしに進んで行くこの駕籠は、果してどこまで行ってどこへ留まるのだか、ほとほと兵馬にも見当がつかなくなりました。
 しかしながら、駕籠は、なおずんずんと進んで行くうちに、左右は物淋しい田舎(いなか)の畑道のようなところになっているようです。おおよその方向と、歩いて来た道程で察すれば、駒込の外れか、伝中(でんちゅう)あたりか、或いは巣鴨まで足を踏み入れているかも知れないと思われます。
 とあるお寺の門の前へ来て、はじめて駕籠がハタと留まりました。兵馬も足をとどめて物蔭から遠見にしていると、駕籠賃も酒料(さかて)も無事に交渉が済んで駕籠屋は引返す。駕籠を出た覆面は、お寺の門の中へは入らずに、垣に沿うて横路へ廻る。左がなにがし大名の下屋敷とも思われる大きな塀、右は松並木で、その間に、まばらに見える茅葺(かやぶき)の家が、もう一軒も起きているのはありません。茶畑があって、右へ切れる畑道の辻に庚申塚(こうしんづか)があります。そのとき兵馬は、もうよかろうと思って、後ろから、
「お待ち下さい」
「エ!」
 兵馬に呼びかけられて、覆面の武家は悸(ぎょっ)として立ちどまりました。追いついた兵馬は、
「お待ち下さい」
と言ってわざと、覆面の刀の鐺(こじり)を取りました。
「どなたでございますな」
 覆面の武家は、非常なるきょうふに打たれたようですけれども、その言葉は丁寧で、そうして物優しくありましたから、兵馬はかえって自分の挙動の、あまりになめげであることを恥かしく思うようになりました。そのはずです、兵馬に他の目的があればこそ、我から進んでこんな無礼な振舞をしてみようとはするものの、これらの仕打ちは一種の不良少年か、追剥(おいはぎ)類似の、ずいぶんたちのよくない挙動と見られても仕方がないのであります。先方が、いよいよ恭謙であり、礼儀正しくあることによって、兵馬は自分で浅ましいと思いながらも、ここまで来ては退引(のっぴき)のならぬことですから、
「お見忘れでござるか、先刻、大門にて御意(ぎょい)得申した、あの御挨拶が承りたいために、おあとを慕うてこれまで参りました。あれはいったい、拙者に恨みあってなされたか、ただしは、お人違いでもござったか、武士の一分そのままにはなり難き故、ぜひ御返答が承りたい」
 兵馬は心苦しくも、こうして性質(たち)の悪い強面(こわもて)を試みると、件(くだん)の覆面はいよいよ神妙に、
「あれは人違いでござりまする、平(ひら)に御容捨を願いまする」
 こう言われて、兵馬はまたも取りつく島がありません。こっちから無礼を加えた上に、ここまでついて来て、なお執念深く喧嘩を売りかけようというのだから、もう堪忍袋(かんにんぶくろ)が切れてよかりそうなものを、ここでも平身低頭の体(てい)で詫(わ)び入るのだから、この武士の堪忍力の強さと言おうか、意気地なしの底無しと言おうか、それに兵馬は呆(あき)れながら、
「お人違いとあらばぜひもござらぬが、御姓名が承りたい、いずれの御家中でおいでなさるか、それも承りたい」
 こう言って突込むと、
「それはお許し下されたい、このままにてお見逃し下されたい」
「いいや、それは相成らぬ」
 あまりに兵馬が執念(しつこ)いために、さすが堪忍無類の覆面ももはや堪(たま)り兼ねたか、兵馬の隙を見すまして自分の脇差に手をかけて、スラリと抜打ちを試みようとするらしいから、それを心得た兵馬は逸早(いちはや)くその武家の利腕(ききうで)を抑えると、意外にもそれは女のように軟らかな手先であります。
 利腕を取った時に兵馬も、これはと驚きました。手先を押えられた覆面は、それを振り放そうとしましたけれども、その力がありません。
「どうぞ、お許し下さいませ、このままお見のがし下さいませ」
 その声は、生地(きじ)になった女の声であります。
「そなたは御婦人でござるな」
「はい」
 もう争うても無益と観念したらしく、覆面の武家は、女としての神妙な白状ぶりであります。
「御婦人の身で、何故にかように男装して、真夜中の道を歩かれまする」
 兵馬から尋常に尋ねられて、女はさしてわるびれずに、
「これには深い仔細がござりまする、夫が放蕩者ゆえに、こうして姿を変えて吉原へ入り込み、よそながら夫の身持を見守るためでござりまする」
「ああ、左様でござるか」
 兵馬はそれで、いちおう納得しました。
「して、お屋敷は?」
と次に念を押した時に女は、
「それは……」
と言って口籠りました。
「強(し)いてお尋ねは致さぬが、夜更けのこと故、そこらあたりまでお送り申しましょう」
「御親切に有難うございますが、屋敷には、ちと憚(はばか)ることがござりまする故、どうぞ、このままでお見逃し下さいませ」
 その時に、向うの屋敷道に小さく提灯(ちょうちん)の火影(ほかげ)が現われ、話をしながら二三の人が、こちらへ向いて歩いて来るようです。その提灯を見ると、男装した女があわてて、
「御免下さいませ、あの提灯は、あれは」
と言って、四辺(あたり)を見廻したが、背後(うしろ)にあったのがちょうど、庚申塚(こうしんづか)です。兵馬に気兼ねをしながら女は庚申塚の後ろへ身を隠しました。兵馬もそこにじっとしてはいられない気になって、男装した女の武家と同じように、その庚申塚の背後へ身を隠しました。
 そうしているうちに提灯が、庚申塚の前へ通りかかります。
 お供が提灯を持って先に立ち、真中に立派な羽織袴の武士、それにつづいて若党と見ゆる大兵(だいひょう)な男の三人づれが、この庚申塚の前を通りかかって、
「あ、悪いな、提灯が消えちまった」
 ちょうど、時も時、その庚申塚の前まで来た時に提灯が消えてしまいました。これは別段に風があったというわけでもなく、また物につまずいたというわけでもなく、長い時間とぼされていた蝋燭(ろうそく)の命数がここへ来て、自然に尽きてしまったのだから是非もありません。
「立つは蝋燭、立たぬは年期、同じ流れの身だけれど……かね」
「もう、提灯は要(い)らんよ」
 それは主人の声であるらしい。
「それでも、無提灯で帰るのは景気が悪いですからね、景気をつけて参りましょうよ」
 提灯持ちは、火打道具をさぐっているものらしい。
「よせよせ、提灯で足許を見られるような、兄さんとは兄さんが違うんだぞ」
 りきみかえっているのは、若党の肥った男であるらしい。
 それをやり過ごした兵馬と男装の女とは、庚申塚の蔭から出て来ました。
「どうも不思議だ、今のあの武家は、たしかにあれは神尾主膳に違いない」
 兵馬はこう言って、闇に消えて行く三人の後ろ影を見つめて追いかけました。

         十八

 それからいくらも経たない後、両国の見世物小屋の屋根から高く釣り下げられた大幟(おおのぼり)に、赤地に白く抜いて、
「山神奇童 清澄の茂太郎」
とあります。
 その見世物小屋というのは、過ぐる時代に、珍らしい印度人の槍芸(やりげい)のかかった女軽業(おんなかるわざ)の小屋で、その後一時は振わなかったのを今度、再びこの山神奇童が評判になって、みるみる人気を回復しました。
「安房の国、清澄の茂太郎は、幼い時に父母に別れ、土地の庄屋に引取られ、いろいろと憂き艱難、朝(あした)は山、夕べは磯、木を運んだり汐(しお)を汲んだり、まめまめしく働くうちに、庄屋のお嬢さんに可愛がられ、お嬢さんの頼みで、鋸山は保田山日本寺の、千二百羅漢様の、御首を盗んだばっかりで、お嬢さんと引分けられ、清澄山へと預けられ、そこで修行をするうちに、空を飛ぶ鳥や地に這(は)う虫、山に棲(す)む獣と仲良しになり、茂太郎が西といえば西、東と言えば東、前へと言えば前、後ろへと言えば後ろ、泣けといえば泣きもする、笑えといえば笑いもする、芳浜の小島に、生えている美竹(めだけ)を、笛にこしらえ吹き鳴らす、その笛の音を聞く時は、往(ゆ)く鳥は翼を納め、鳴く虫は音をしのび、荒い獣も首(こうべ)を低(た)れて、茂太郎の傍へと慕い寄る……真紅島田(しんくしまだ)の十八娘、茂太郎のために願かけて、可愛の可愛のこの美竹」
 誰いうとなく、こんな文句が流行(はや)り出したのは、それから暫くの後でありました。
 看板に山神奇童とあるから、それは山男の出来損ないのようなものであろうと、誰も最初はそう思っておりましたが、見に来たものは、まず誰でもその意外なのに驚かされないわけにはゆきません。清澄の茂太郎なるものは、まことに珠(たま)のような美少年でありました。天成の美少年である上に、その芸をかえる度毎に、装(よそお)いをかえました。或る時は薄化粧して鉄漿(かね)つけた公達(きんだち)の姿となり、或る時は野性そのままの牧童の姿して舞台の上に立つけれども、その天成の美少年であることは、芸をかえることによっても、装いを変えることによっても変ることはありません。
「まあ、綺麗(きれい)な子、可愛いのね」
 まずこの美少年の美を愛するものは、婦人の客でありました。
「物は磨いてみなけりゃわかりません、あの子が、あんなに綺麗になろうとは、わたしも思ってはいなかった」
 お角もこう言って、茂太郎の美しくなったことに眼を見開きました。だから、仲間の女芸人たちが、茂太郎を可愛がることは尋常ではありません。美少年の茂太郎は、楽屋でも可愛がられるが、婦人のお客からも可愛がられます。物好きな婦人客は、わざわざこの美少年を、近所の茶屋に招いて親しく面(かお)を見ようとする者がありました。その時はお角が、ちゃんと、おばさん気取りで附いて行くものだから、お客はうっかり手出しもできないで、うっとりと見惚(みと)れて、
「まあ、綺麗な子、可愛いのね」
 そうして、盃と御祝儀を与えて帰されることも度々ありました。茂太郎は、こんな意味において、日に日に婦人の贔負客(ひいききゃく)をひきつけていました。ある種類の婦人客のうちには、何かの好奇(ものずき)から、茂太郎を競争する者さえ現われようという有様です。お角も、その人気を得意には思いながら、また心配にもなってきました。
 両国附近のある酒問屋の後家さんが、ことに茂太郎を執心(しゅうしん)で、お角もそれがためには思案に乱れているとのことでしたが、本人の茂太郎は、いっこう平気で、自分の周囲に群がる肉の香の高い女たちには眼もくれず、清澄の山奥から連れて来たという、唯一の友達と仲睦(なかむつ)まじく遊んでいました。
 茂太郎が唯一の友というのは、長さ一丈五尺ばかりある一頭の蛇です。
 順番になると茂太郎は、この蛇を連れて舞台へ現われて、芳浜の小島の美竹(めだけ)で作ったという笛を吹いて蛇を踊らせます。舞台から帰ると自分の楽屋に蛇を連れ込んで、食物を与えたり、芸を仕込んだりしています。夜になると枕許の箱へ入れて、藁(わら)をかぶせてやり、
「お休みなさい」
 蛇の持ち上げた鎌首を撫でると、蛇は咽喉(のど)を鳴らして眠りに就くという有様であります。
 茂太郎はありきたりの蛇使いではありません。この子は、子供の時分から蛇に好かれる子でありました。人のいやがる蛇を集めて大切(だいじ)に育てておりました。
 ある日のこと、表通りは押返されないほど賑やかだが、人通りもない湿っぽい路次のところから、この軽業小屋の楽屋へ首を出した一人の盲法師(めくらほうし)がありました。
「こんにちは」
 舞台では盛んに三味線、太鼓の音や、お客の拍手がパチパチと聞えているのに、ここでは案内を頼んでも、出て来る人がありません。
「こんにちは」
 二度目に言ってもまだ返事がないから、盲法師は気兼ねをしながら中へ入って来ました。薄汚(うすぎた)ない法衣(ころも)を着て、背には袋へ入れた琵琶を頭高(かしらだか)に背負っているから琵琶法師でありましょう。莚張(むしろば)りの中へ杖(つえ)を突き入れると、
「おいおい、ここへ入って来ちゃいけねえ、按摩さん、勘違えしちゃいけねえよ」
 通りかかった楽屋番が注意を与えると、盲法師は、
「はいはい、あの、こちら様に、清澄の茂太郎がおりますんでございましょうか。おりますんならば、逢いたくってやって参ったものでございますから、お会わせなすって下さるわけには参りますまいか」
「何ですって、茂太郎さんに会いたいんだって? お前さん、何の御用でおいでなすったんだい」
「へえ、別に用というわけでもございませんが、人さんのおっしゃるには、両国のこれこれのところで、清澄の茂太郎が今、大変な評判になっているということでございますから、こうやって会いに参りました」
 盲法師は、竹の杖に両手を置いてこういうと、楽屋番は不機嫌な面(かお)をして、
「そりゃ、茂太郎さんはこちらにいるにはいるんですが、忙がしいから、そうお目にかかれますまいよ」
「そうでございますか、そんなに忙がしいんでは無理にと申すわけには参りませんね。わたくしもね、こちらへ来ては、まだ一度も会わないものでござんすからね、評判を聞くと、どうも会ってみたくて堪らなくなりましたんで、それでこうやって尋ねて参りました、ちょっとでもよいから会って行きたいんですが、そうも参りませんでしょうかね」
「せっかくだが、今日は駄目だよ、また出直しておいでなさいまし」
「それでは、また出直して来ることに致しましょう、茂ちゃんに、そうおっしゃって下さい、弁信が尋ねて来たとおっしゃって下されば直ぐわかります。私もね、あの子が山を逃げると間もなく、山を出てこうやってこの土地へ参りました、ただいまのところでは法恩寺の長屋に厄介になっておりますんですが、ことによると近いうち、下総(しもうさ)の小金ケ原の一月寺(いちげつじ)というのへ行くことになるかも知れません、それはまだきまったわけじゃあございませんから、当分は法恩寺に御厄介になっているつもりでございます、またわたくしも訪ねて参りますが、茂ちゃんにも、どうか遊びに来るようにおっしゃって下さいまし。それでは今日はこれで失礼を致します」
 背に負っている琵琶を重そうに、楽屋番の前に頭を下げたのは、例の清澄寺にいた盲法師の弁信でありました。
「ようござんす、そう言いましょう。おっと危ない危ない、突き当ると溝(どぶ)ですぜ、板囲いについて真直ぐにおいでなさいまし、広い通りへ出ますから」
 楽屋番は出て行く弁信を、後ろから気をつけてやりましたけれど、そのあとで、
「いやに薄汚(うすぎた)ねえ坊主だ、どうしてこんなところへ入って来やがったろう、一人で入って来たにしてはあんまり勘が良過ぎらあ」
 ぶつぶつ言って、中へ引込んでしまったが、弁信から言伝(ことづ)てられたことは一切忘れてしまって、その趣を茂太郎に取次ごうともしない。弁信は湿っぽい路次を辿(たど)って、広い通りの方へ歩いて行きました。
 清澄の茂太郎が両国へ現われるのと前後して、盲法師の弁信も江戸へ現われました。
 ところもあまり遠からぬ法恩寺の長屋に居候(いそうろう)をすることになった弁信は、毎夜、琵琶を掻(か)き鳴らして江戸の市中をめぐります。清澄にいる時分、上方から来た老僧から、弁信は平家琵琶を教えてもらいました。
「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす……」
 もとよりそれは本格の平家でありましたけれど、門付(かどづ)けをして歩いて、さのみ人の耳を喜ばすべき種類のものではありません。だからこの盲法師をつかまえて、銭を与えようとする人は極めて乏しいものです。ただでも耳を傾けようとする人すら、極めて少ないものでありました。
 どうかすると、しかるべき身分の人が、
「珍らしいな、いま平家を語るものは江戸に十人と有るか無いかだが、その平家を語って、門付けをして歩くのは珍らしい」
と言って珍らしがり、わざわざ自分の屋敷へまで招(よ)んでくれる人がありました。そんな人の与える祝儀が唯一の実入(みい)りで、市中で銭を与える人は、前に言う通り極めて少ないものでありましたけれども、弁信は怠らずに、それを語って歩きます。
 この頃、両国で茂太郎の評判が高いのを聞き、もしやと思って今日は出がけに、この軽業小屋を訪ねてみましたけれど、楽屋番はすげなく断わってしまいました。すげなく断わられても、大して悄(しょ)げもせずに路次を立ち出でました。
 で、どこをどう歩いて来たか、その夜になって、もう琵琶を袋へ納めて背中へ廻し、家路に帰ろうとする気配(けはい)で通りかかったのは、例の柳原河岸(やなぎわらがし)です。
「もし、ちょいと」
 河岸の柳の蔭から呼ぶものがありました。呼ばれる前に立ってしまった弁信は、
「はい、どなたか私をお呼びになりましたか」
 そう言って例の法然頭(ほうねんあたま)を左右に振り立てました。
「ちょいと」
 柳の蔭で、声ばかりが聞えます。その声は若い女の声であります。
「お呼びになったのは私のことでございますか、何ぞ私に御用でございますか」
「そんなに四角張らなくってもいいじゃありませんか、遊んでいらっしゃいな」
「エ、私に遊んで行けと言うんでございますか、あなた様のお宅はドチラでございますか」
「何を言ってるんです、こちらへいらっしゃいよ」
「あの、琵琶を御所望でございましょうな」
「琵琶? そんなものは知りませんよ、そんなことはどうだっていいじゃありませんか」
「いいえ、よくはございません、わたくしは琵琶弾きなんでございますよ、眼が不自由なもんでございますからね、それで、琵琶を弾いて、人様からお恵みを受けているような身の上でございます、琵琶も私のは平家でございますから、薩摩や荒神(こうじん)のように陽気には参りませんでございます、それに、私も未熟者でございましてね、あんまり上手とは申し上げられないんでございますから、芸人を呼ぶと思召(おぼしめ)さずに、哀れな盲(めくら)を助けると思召してお聞き下さいまし、そうでないと、お腹も立ちましょうと思います」
 弁信はこう言って、あらかじめ申しわけをすると、柳の蔭にいた女は笑いこけるように、
「滅多にこんな正直なお方にはぶっつからないのよ。お前さん、もうお帰りのようだが、ドチラへお帰りになるの」
「エエ、私でございますか、私はこれから本所へ帰るんでございますよ、本所の法恩寺の長屋に住んでいる、弁信というものでござんすからね」
「まあ、本所へ帰るの、それじゃ、わたしも少し早いけれど、一緒に帰りましょう」
 ずっと前に、宇治山田の米友が、この通りで、同じような女の声で呼び留められたことを御存じの方もございましょう。
 柳の蔭から出て来たのは、お蝶と言ったその時の女でございます。
 お蝶は、決して醜い女ではありません。もう二十二三になるでしょうか、背がスラリとして色も白く、面(かお)に愛嬌があります。こんなところには珍らしいくらいの女で、明るい世間へ出しても、十人並みで通る女でありました。手拭を頭から被(かぶ)って出て来たお蝶は、弁信の傍へ寄って来て、
「わたしも、本所の鐘撞堂(かねつきどう)まで帰るんですから、送って上げましょうか」
「はい、有難うございます」
 お蝶は弁信の案内者になりました。弁信は異議なくその好意を受けて、二人は打連れて淋しい河岸を歩いて行きます。
「弁信さん、あなたは法恩寺様の長屋に、ひとりでいらっしゃるんですか」
「エエ、たった一人でおります、ひとりぼっちでございます」
「御飯の世話なんぞは、誰がしてくれるんです」
「みんな自分でやるんでございます、これから帰ってお茶漬を食べて、それから床を展(の)べて、ゆっくりと足を踏伸ばすのが、私の一日中の楽しみなんでございます」
「眼が不自由で、よくそんなことができますね」
「でも、近所の人様が可愛がって下さる上に、私は御方便に勘(かん)がようございますから、世間並みの盲目(めくら)のように不自由な思いは致しません」
「それでも、病気の時だとか、洗い洗濯だとかいうことはお困りでしょう、悪くなければ、わたしが時々行って、お世話をして上げるけれども」
「悪いどころじゃあございません、どうかいつでもおいでなすって下さいまし、お正午(ひる)前のうちは家にいるんでございますから。法恩寺の長屋へおいでになって、琵琶の盲目とお聞きになれば直ぐにわかりますから」
「それでは明日の朝参りましょう」
「どうぞおいで下さいまし。失礼でございますが、あなたのお家は、本所のどちらでございましたかね」
「わたしのところは本所の鐘撞堂新道(かねつきどうしんみち)なのです、鐘撞堂新道の相模屋という家にいてお蝶というのが、わたしの名前ですからよく覚えていて下さい、そうして、わたしも昼間はたいてい遊んでいますから、お暇の時は話しにおいでなさいな」
「そうでしたか、鐘撞堂新道というのは、わたしのところからそんなに遠い所ではございませんね」
「エ、近いんですよ」
「わたしは、房州の者でございましてね、ほんのツイ近頃この江戸へ参ったものですから、よく案内がわかりませんでございます、それに友達といっても一人も無いんでございますよ。でもね、人様が大へん私を親切にして下さるものですから、そんなに淋しいとは思いませんよ。それに私は、どなたでも人様が好きなんです、何でもいいから人様のためになるようなことばかりして、一生を送って行きたいと思ってるんですよ。そりゃ、出来やしませんよ、なにしろ人間がこの通りでございますし、その上に不具(かたわ)ときていましょう、人様のためになるどころじゃなく、人様の御厄介にならないのがめっけものです。でもね、こうして拙(つたな)い琵琶を弾いて歩きますと、人様が御贔負(ごひいき)をして下すって、自分の暮らしには余るほどのお金が手に入るもんですから、それをみんな善いことに使ってしまいたいと、こう思っておりますんでございます」
「まあ、お前さんはなんという感心な人でしょうね、わたしなんぞも、早くそんな心がけになればいいんですけれど」
「世間のことは、なかなか思うようにはならないものでございますよ。そうして、あなたは鐘撞堂で、何を御商売になすっておいでなさいますね」
 弁信はこう言って、お蝶にたずねました。
 女は、その返答には困りました。
「そんなことは何だっていいじゃありませんか。それでもね、わたしはお前さんのような人は大好きなのよ」
 ともかくも、ちょっと道ばたで行逢った人にしては、あまりになれなれしい物の言い方でありました。しかし、弁信は少しもその相手方を疑うようなことはありません。
「あ、鐘が鳴りましたね、あれは上野の鐘ですね」
 弁信がたちどまって、鐘の音に耳を傾けるようでしたが、お蝶にはそれが聞えません。
「あなた、何を言ってるんです、鐘も何も聞えやしないじゃありませんか、上野の鐘がここまで聞えるものですか」
「いいえ、あれは上野の鐘です、ほかの鐘とは音(ね)の色が違います」
 弁信は取合わないで、鐘の音を数えていたが、
「ああ、九ツです、もう九ツになりましたね」
「そうでしょう、もうかれこれ、そんな時分でしょうよ」
 それで二人はまた歩き出しました。左は土手、右は籾倉(もみぐら)の淋しいところを通って行くと、和泉橋(いずみばし)の土手には一個所の辻番があります。
「どうも御苦労さまでございます、私は本所の法恩寺前の長屋に住んでおりまして、弁信と申しまする琵琶弾きでございます、おそくなりましてまことに相済みませんでございます」
 こう言って、先方から何も言われない先に弁信は丁寧に名乗って、お辞儀をしてその前を通り過ぎました。お蝶はその馬鹿丁寧をおかしいと思いながらも、盲目(めくら)だというのに、どうしてここに辻番のあることだの、辻番に人がいるかいないかだの、それがわかるのだろうかと不思議に思います。それのみならず、さきに鐘の音に耳を傾けた時も、自分にはどこで、どんな鐘が鳴ったのだか、さっぱりわからないうちに、この琵琶弾きはそれを聞き取った上に、確かにこれは上野の鐘だと極(きわ)めをつけてしまったのも不思議です。盲は目が見えない代りに、勘がいいものだというが、それにしてもこの琵琶弾きは、あんまりに勘が好過ぎると思いましたから、
「弁信さん、お前さんは、なんだってあんな馬鹿丁寧に辻番へ挨拶をするんです、第一、番人がいやしないじゃありませんか」
 わざとこう言って試してみると、
「いいえ、そんなことはございません、二人おいでになりましたよ、一人の方は番所の中に、一人の方は、たしか棒を持って、私たちを咎(とが)めようとして、こっちへおいでなさるようだから、私は、その前にああいって、ちゃんと申しわけを致してしまいました」
 弁信に図星(ずぼし)を指されて、
「まあ、なんてお前さんは勘がいいんでしょう」
 お蝶は舌を巻いて、暗いところから弁信の面(おもて)を見直しました。それは、もしや、この按摩が偽盲(にせめくら)で、そっと目をあいているからではないかと思ったからです。しかし、盲目であることに正銘(しょうめい)偽りのないのは、その面(かお)つきでも、足どりでも、また杖のつきぶりでも、充分に信用ができるのであります。
 こうして二人は、郡代屋敷のところまで来てしまいました。その時に、盲法師の弁信が、凝然(じっ)として郡代屋敷の塀際に突立ってしまいました。
「あ、あ、あ、あぶない」
 杖を以て、前へ出ようとするお蝶を、弁信はあわてて支えました。
「どうしたの」
「いけません、いけません」
 弁信は必死に杖を以てお蝶を支えて、一歩も進ませないようにしながら、己(おの)れは身を戦(おのの)かしつつ立っていたのであります。
「どうしたんですよ」
「誰かいます、行ってはいけません、行くと殺されます」
「エ!」
 お蝶は弁信の傍へ、固くなって立ちすくみました。

 土手の蔭に、蛇がからみ合っているように、二つの人影が一つになって、よれつ、もつれているのを弁信はむろん見ることができません。お蝶もそれを知るには、まだあまりに遠い距離でありました。
 しかしながら、土手の蔭の二つの人影は、からみ合って、そうして、おのおの炎のような息を吐いていることはたしかです。
「お前の歳は幾つだ」
 炎のような息を吐きながら、一つの影が上から押しかぶせるように言いました。
「どうぞ御免下さい」
 抱きすくめられているのは、やっぱり女の声でありました。
「うむ、歳は幾つだ、それを言え」
 大蛇が羊を抱き締めたように、ぐるぐると巻いた、その炎の舌のあるじは、まさに男です。
「十九でございます」
 女は息も絶々(たえだえ)になっている。
「十九……名は何というのだ」
「藤と申します」
「なんで、この夜更けに独(ひと)り歩きをする」
「御信心に参りました」
「どこへ行った」
「杉の森の稲荷様へ願がけに参りました」
「何の願がけに」
「それは、兄が病気でございますから」
「その兄は幾つになる」
「あの……二十歳(はたち)でございます」
「この夜更けに、丑(うし)の刻参(ときまい)りをするほど、その兄が恋しいのか」
「エ……」
「このごろのような物騒な夜道に、しかもこの淋しい柳原の土手を若い女、たった一人で出かけたのを、お前の親たちは承知か」
「いいえ、誰にも内密(ないしょ)でございます」
「そうして、お前は死ぬほどにその男が恋しいのか」
「何をおっしゃるんでございます、どうぞ、お助け下さいまし、ここをお放し下さいまし」
「本当のことを言え」
「それが本当でございます、決して嘘を申し上げるような者ではございません」
「嘘だ、お前は淫奔者(いたずらもの)だ」
「いいえ、左様なものではございません」
「淫奔者に違いない」
「あ、何をなさるんでございます、あなたはほんとうに、わたしを殺して――」

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