大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         十一

 がんりきを初め南条の一行が、山へ向けてここを去ってしまい、角兵衛獅子の一座もほどなく町の方へ引返してしまい、それから小一時(こいっとき)ほどたって、同じ額堂下の甘酒屋へ、同じような風合羽を着た道中師らしい二人の男が、ついと入って来て、二人向き合って縁台に腰をかけて、
「どっこいしょ」
 杖について来た金剛杖でもない手頃の棒をわきに置いて、脚絆(きゃはん)のまま右の足を曲げて左の方へ組み上げたのは、町人風はしているけれども、決して町人ではありません。
 それと向き合った一方のは、前のに比べると年配であります。これはまあ生地(きじ)が百姓らしい上に一癖ありそうで、前のほど横柄(おうへい)でないところは、主従とも見えないが、たしかに前のに対して一目は置いているようです。
 この二人は甘酒に咽喉をうるおしながら、期せずして頭の上の、例の大きな額面に眼が留まりました。
「ははあ、甲源一刀流、秩父の逸見(へんみ)だな」
と言ったのは、足を曲げていた方の道中師です。
「なるほど、逸見先生の御内(おうち)で、大した額を奉納なさいました」
 前のは言い方が横柄で、後のは幾分か慎(つつま)しやかであります。
「うむ、比留間与助、知ってる、桜井なにがし、あれも名前は聞いている、それから三番目……のはどうしたんだ、白紙(しらかみ)を頭から貼りかぶせたのは不体裁(ふていさい)極まるじゃないか」
 その口調にこそ相異はあれ、たった今、がんりきの百がしきりに憤慨したのと同じ動機に出でているので、心ある人ならば、誰もその無下な仕方を不快に思わないものはないはずです。
「左様でございますな、何とか仕方がありそうなものでございますな、せっかくの結構な額が、あれのためにだいなしになってしまいますでございますね……おやおや、お待ち下さいましよ」
 年配の方の道中師が、やはり、それをながめているうちに面(おもて)が曇ってきました。
「何だ、どうかしたのか」
 横柄(おうへい)の方のが、それを聞き咎(とが)めると、
「その次に記されておいでになるのは、ありゃ何とございます、宇津木……宇津木と書いてあるんじゃございませんか」
「そうそう、宇津木と書いてある、宇津木文之丞……」
「わかりました、わかりました、思いがけないところで、思いがけない人にぶっつかりましたよ、いやどうも、なんだか怖ろしい因縁がついて廻っているようでございますよ、驚きました」
 こう言って、例の白紙に貼りつぶされた無名の剣客の名前を、呪われたもののような眼付でながめ入るのが変でしたから、横柄な方の道中師が、
「貴様、独(ひと)り合点(がてん)で、幽霊のようなことを言ってはいかん」
「先生、この白紙をかぶせられているお方の名前を、私はちゃんと読みました、紙の上から、ちゃあんと見透しました、千里眼ですよ、失礼ながら先生にはそれがお出来になりますまい」
「何を言ってるんだ、そんなことがわかるものか」
 ここに二人の道中師という、その年配の方のは七兵衛であります。そうして横柄な方のは、もと新徴組にいた浪士の一人で、香取流の棒を使うに妙を得た水戸の人、山崎譲であります。
 七兵衛と山崎譲とが、こうして組んで歩くことは、がんりきの百が南条力の手先になっていることよりは、むしろ奇妙な縁と言わなければなりません。
 壬生(みぶ)の新撰組にあって山崎は変装に妙を得ていました。七兵衛が島原の遊廓附近に彷徨(さまよ)うて、お松を受け出す費用のために、壬生の新撰組の屯所(とんしょ)へ忍び入った時に、山崎はたしか小間物屋のふうをして、そのあとを追い、さすがの七兵衛の胆(きも)を冷させたことがあります。
 それがいつのまに妥協が出来たのだろう、こうして主従のような、同行(どうぎょう)のような心安立てで歩いているまでには、相当のいきさつがなければならないことです。
 思うに、七兵衛とがんりきとは、甲府の神尾主膳の屋敷の焼跡を見て、その足で木曾街道を一気に京都までのしたはずであります。山崎譲はその以前、同じく甲府の神尾方へ立寄って、それから道を枉(ま)げて奈良田の温泉に入っている時に、計らず机竜之助――それは新撰組では吉田竜太郎の変名で知られているその人に逢いました。そこで竜之助と別れて後、上方(かみがた)へ馳(は)せつけたはずであります。また南条と五十嵐との両人も、何か上方の変事を聞いて大急ぎで東海道を馳せ上ったはずであるから、彼等は期せずして上方の地で一緒になったものでしょう。そうして、がんりきは南条、五十嵐らにつかまってその用を為すに至り、七兵衛は山崎譲につかまって、何かの手助けをせねばならぬ因縁が結ばれたものと思われます。
「先生、あなたも少々お頭(つむり)を捻(ひね)ってごらんなさい、すぐにそれとおわかりになることじゃございませんか」
「なに、貴様にわかって、拙者にわからんことがあるものか」
と言って、改めて甲源一刀流の開祖、逸見太四郎義利の文字から読みはじめて、門弟席の第一、比留間、桜井、その次の白紙の主を、紙背に徹(とお)るという眼光で見つめていたが、突然、
「ははあ、なるほど」
 小膝を丁(ちょう)と打ちました。
「それごらんなさいまし」
 七兵衛は得意の微笑を浮べると、山崎の面(かお)には一種の感激が浮びました。
「あれだ、あの男だ、そうか、なるほど……いやあの男には、拙者も重なる縁がある、大津から逢坂山(おうさかやま)の追分で、薩州浪人と果し合いをやっている最中に飛び込んだのは、別人ならぬこの拙者だ。壬生や島原では、かけ違って、あまり面会をせぬうちに、組の内はあの通りに分裂する、芹沢が殺されて、近藤、土方が主権を握るということになったが、その後、あの男の行方(ゆくえ)がわからぬ、そうしているうちに、思いがけないにも思いがけない、甲州の白根山の麓、ちっぽけな温泉の中で、あの男を見出した、かわいそうに、目がつぶれていたよ、盲になって、あの温泉に養生しているのにぶっつかったが、その時は涙がこぼれたなあ。あれは甲府の神尾主膳へ紹介しておいたなりで、拙者も忙しいから上方へのぼって、今まで忘れていたようなものだ、ここであの男に会おうとは意外意外」
 山崎譲は額面の上を仰ぎながら、感慨に堪えないような言葉で、こう言いました。
「おや、そうでございましたか。実はあの時分、私共も、あの方を尋ねて富士川口から甲州入りをしていたんでございますが……とうとうお目にかかることができませんでした」
 七兵衛はこう言って、何の気もなしに縁台の薄べりへ手を置いた時に、何か手先にさわるものがありました。
 指の先へ触ったものを、なにげなく眼の前へ抓(つま)んで来て七兵衛は、
「おや」
 物珍しそうに、それをじっと見込みました。
「先生、先生」
「何だ」
「や、こいつはいい物が手に入りましたぜ」
「いい物とは何だ」
「これでございます、こんないい物が手に入るというのは、天の助けでございますな、お喜び下さい」
「何のことだか、拙者にはわからん」
と言って山崎譲が、七兵衛の手に抓(つま)み上げたものを見ると、それは径一寸ばかりの真鍮(しんちゅう)の輪にとおした、五箇(いつつ)ほどの小さな合鍵でありました。
「おいおい、お爺(とっ)さん」
 七兵衛は山崎譲にその合鍵の輪を渡して、自分は甘酒屋の親爺を呼びました。
「はいはい」
「もうちっと先に、これこれのお客が、お前さんのところへ見えなかったかい。これこれではわかるまいが、ちょっと小いきな男で、片腕が一本無えんだ……身なりは、これこれ」
 老爺(おやじ)は慌(あわ)ててそれを引取って、
「ええ、ええ、間違いございません、確かにおいでになりました、たった今でございます、小一時(こいっとき)ほど前のことでございます、ここで甘酒を召上りになって、角兵衛獅子に散財をしておやりなすった親分がそれなんでございます、その通りのお方でございました」
「そうだろう、そうなくっちゃならねえのだ……先生、そいつはがんりきの奴の道具でございます、あいつ、何かに狼狽(あわて)たと見えて、ここへこんなボロを出して行ったのが運の尽きですな」
「なるほど、そうしてみるとよい獲物(えもの)だ」
「爺さん、それからどうしたい。その片腕の男は、角兵衛に散財をして、それからどっちの方へ出て行きました」
「エエ、なんでございます、多分、お山を御見物でございましょう。お帰りにお寄りになるとおっしゃったから、金洞山(こんどうざん)から中(なか)の岳(たけ)の方をめぐって、そのうちには、また私共へお戻りになるでございましょうと思います」
「そうしてその男は、一人っきりだったかね、それとも連れがあったかね」
「左様でございます、おいでになった時はお一人でしたが、お出かけになる時は、どうもあれはお連れでございましょうか、それとも別々なんでございましょうか、よくわかりませんが、強力が五人ほど一緒に連れ立って参りました」
「それだ」
 山崎譲が、その時に足を踏み鳴らしました。
「どうやら、先生のおっしゃった通りの筋書でございますな」
「そうだろう、どのみち、それよりほかにはないんだ」
「それでは、出かけようじゃございませんか」
 七兵衛から促(うなが)されて、山崎譲は、
「まあまあ、待て」
 甲源一刀流の額面を仰いで、何をか一思案の体(てい)に見えました。
 七兵衛が草鞋(わらじ)の紐を結んでいると、額面を仰いでいた山崎は、
「ちょっ、どう見ても癪(しゃく)にさわるなあ」
と舌打ちをしました。
「全く、あいつは、小癪にさわる奴でございますよ。そもそも、私共が、あいつと知合いになったのは、東海道の薩□峠(さったとうげ)の倉沢で鮑(あわび)を食った時からでございますがね、その時から、あいつは無暗に、私に楯(たて)をついてみたがるんで、私が三里歩けば、あいつは五里歩いて見せようという意地っ張りがどこまでも附いて廻って、とうとうあの片腕を落すまでになったんでございます。それでも持って生れた性根(しょうね)というやつは、なかなか直るもんじゃなく、私が先生について一肌脱ごうということになると、あいつが、いい気になって、浪人たちの方へ廻り、ああやって意地を見せようというんですから、全く始末の悪い奴ですよ。ナニ、大した悪党じゃございませんが、ずいぶん小癪にさわるいたずら野郎でございます」
 七兵衛は草鞋(わらじ)の紐を結び換えながら、こんなことを言うと、額面を仰いでいた山崎が、何か四方(あたり)を見廻して、額堂の軒に立てかけてあった二間梯子のあたりへ横目をくれながら、
「そのことを言っているのじゃねえ……七兵衛、ちょっとその手拭を貸してくれ。爺さん、この手桶を、こっちへ出してくれねえか」
「へえへえ」
 甘酒屋の親爺(おやじ)は言われるままに、柄杓(ひしゃく)の入った手桶を取って山崎の前へ提げて来ると、山崎譲は柄杓を右の手に取って、左の手で、七兵衛から借受けた手拭を、少し長目に丸めてザブリと水をかけ、さいぜん横目にながめていた二間梯子のところへ行って、それを右の手に抱え込んで、甲源一刀流の掛額のところに立てかけました。梯子を立てかけた山崎譲は、左手に濡手拭をさげたままでドシドシと梯子を上って行くから、
「旦那、何をなさるんでございます」
 甘酒屋の親爺が仰天すると、梯子を一段だけ踏み残して上りつめていた山崎譲は、背伸びをして、その甲源一刀流の大額の、門弟席の初筆から三番目の張紙の上へ、グジャグジャに濡れていた手拭を叩きつけたから、
「先生、ナ、ナニをなさるんで」
 七兵衛もまた、甘酒屋の老爺と同じように慌(あわ)てました。
「この男をこうしておくのが癪にさわるんだ、開眼導師(かいげんどうし)には、水戸の山崎譲ではちっと不足かも知れねえ」
 濡らしておいた張紙をメリメリと引きめくると、その下に隠れていたまだ新しい木地の上に、ありありと現われたのはなるほど、机竜之助相馬なにがしの文字であります。

         十二

 その前後のことでありました、碓氷峠(うすいとうげ)の横川の関所から始まって、同心や捕手が四方へ飛びましたのは。
 聞いてみると、それはこんなわけです。昨夜、加州家の宰領の附いた荷駄(にだ)が二頭、峠を越えて坂本の本陣まで着いたことはわかっているが、それから以後の行動が明らかでないということです。馬だけは確かにつなぎ捨てられてあるが、馬の背にのせた若干の荷物と、それに附添った侍と馬方との行方(ゆくえ)が、わからないとのことです。
 取調べてみると、たしかに加州家の荷物で、北国筋からかなり長い旅路を送られて来たことも確かです。ただ問題になるのは、そののせられて来た荷物です。或いは金箱をかなり多く、何万というほどの額(たか)を積んで来たものだろうという説もあります。また、それは金子(きんす)ではなく、火薬の類(たぐい)だろうという説もありました。ここには例の加州家の鉄砲倉もあることだから、或いはそれに要する火薬の類を運送して来たのではなかろうかという説によって、鉄砲倉や、煙硝蔵(えんしょうぐら)を調べて見たけれども、そこにはなんらの異状もありません。
 その評定半ばのところへ、上方から飛脚が飛んで来て、はじめてこの事件の性質がわかりました。それは火薬ではなく金。その金額は二万両。それはこういうわけです。
 これより先、水戸の家老、武田耕雲斎が大将となって、正党の士千三百人を率いて京都に馳(は)せ上り、一橋慶喜(ひとつばしけいき)に就いて意見を述べようとして、奥州路から上京の途につきました。その途中を支える諸大名の兵と戦いつつ、ついに加賀藩まで行ったけれど、そこで力が尽きて降参し、耕雲斎をはじめ、重(おも)なる者はことごとく加州領内で殺されることになり、藤田小四郎もその時に斬られた一人であります。ともかくもこれらの志士を、北国の雪の中に見殺しの悲惨な運命に逢わせたその責めは、誰に帰(き)すべきものであるか知れないが……その時に行方不明になった若干の軍用金が、ここの問題になる金なのであります。その以前、筑波(つくば)騒動の時、武田伊賀守(耕雲斎)が幕府へ向けて、騒動を鎮めるための軍用金として借受けた三万両の金がありました。その借用証は伊賀守一人の印で受取って、三万両のうちの一万両は小石川の水戸家の蔵へ納めました。けれども、あと二万両の金の行方が誰にもわからないのであります。或る者はすでに筑波騒動以来の軍用に費(つか)ってしまったとも言い、或る者は北国まで上る長の路用に尽きてしまったとも言い、或る者は、まだ他日に備えるために耕雲斎や藤田の手許(てもと)に最後まで残してあったのを、いよいよ殺されるときまった前に、不意にその金を受渡してどこへか運んで行ったものがある、今となって見ると、その二万両が、たしかにあの二頭の馬の背に積まれて、五人の人に護られて、碓氷峠を越えたのだということが、有力な観察でありました。
 さて、この二万両の金と、ほかに重要な荷物の多少が、ここからどこへ運ばれて何に使用されるのか……問題はそれで、同心や捕方が四方に飛んだのもその探索のためであります。
 その晩、夜通しで、信濃と上野(こうずけ)の境なる余地峠(よじとうげ)の難所を、松明(たいまつ)を振り照らして登って行く二人の旅人がありました。
 前なるは七兵衛で、後のは山崎譲であります。棒を取っては腕に覚えの山崎譲も、足においてはとうてい七兵衛の敵ではありません。一夜に五十里の山路を、平地のように飛ぶ七兵衛が先に立っての案内ぶりは、子供のあんよを気遣っているようなものです。峠の上で、
「七兵衛、一休みやらんことには、もう歩けぬわい」
 山崎が弱い音(ね)を吹くと、
「もう少しお降りなさいまし、いいところを見つけて焚火を致しましょう」
 山間(やまあい)へ来て、枯木を集め、松明の火をうつして焚火をはじめ、
「先生、まだ私にはよくわかりませんがなあ、その五人の強力(ごうりき)というのはいったい何者なんでございます、それほど大事なものを持って、わざわざこんな道を潜(くぐ)り抜けて甲府へ落着こうというのは、何かよくよくの謀叛(むほん)でもあるんでございましょうな、ひとつその辺のところをお聞かせなすっておくんなさいまし」
 七兵衛からこう言って尋ねかけられた時に、山崎は頷(うなず)いて、
「うむ、もっともな不審だ、お前から尋ねられなくても話そうと思っていたところだ。その五人の強力というのは、素性(すじょう)はまだよくわからないのだが、それはたしかに中国から九州辺の浪人だ、なかには容易ならん大望を持った奴がある。容易ならん大望というのは、隙を見て、甲府城を乗取ってしまおうという計画なのだ。甲府の城は名だたる要害の城で、徳川家でも怖れて大名に与えずに天領としておくところだ、それを乗取れば関東の咽喉首(のどくび)を抑えたということになるのだ。その五人の強力に化けた奴は、たしかにその一味の者共だ。そうしてあいつらが、坂本の宿へ馬を置きっ放しにして姿を晦(くら)ましたのは、言わずと知れた妙義の裏山から信州へ出て、山通しを甲府へ乗り込む手順に違いない。それからお前の兄弟分だとかお弟子だとかいう、そのがんりきとやらが甲州者で道案内だと聞いて、いよいよそれを確めてしまったのだ。あいつらの携えている荷物というのは、水戸の武田耕雲斎が幕府から借りた三万両のうち、二万両がそっくりあるはずだ、それがあいつらの事を挙げる軍用金になるのは知れたことだ。ことによると、山通しをいよいよ甲府へ出るまでには、仲間の奴等がどこから出て来るか知れたものじゃない。まあしかし、落着くところは甲府ときまっているんだから、追蒐(おいか)けるにも、そう急ぐことはないや、あいつらに気取られるとかえってことが面倒になるから、気をつけて案内してくれよ」
 それを聞いて七兵衛が、しきりに感心して、
「なるほど、そりゃちっと、こちとらのやる仕事より大きいや、甲府の城を乗取って、お膝元を横目に見ながら、天下をひっくり返そうというんだから、出来ても出来なくっても、仕掛けが小さくはございませんな。よろしうございます、向うがその了見(りょうけん)なら、こっちもそのつもりで、先生の御用をつとめてつとめて、ぶちこわし役に廻るのも面白うございますね、ずいぶんやりましょう」

         十三

 相生町の老女の家の一間で、行燈(あんどん)の下(もと)に、お松は兵馬の着物を畳んでおりました。
 いつも元気で快活なお松が、このごろ、しおれているのが眼に立つほどで、今も着物を畳みながら、眼にいっぱいの涙をたたえております。
 今日も兵馬の留守中、用ありげに来た二人の客があります。その一人は、甲府からついて来たあのいやらしい金助という男で、あれがこの間、兵馬をはじめて吉原へ連れて行った男であります。あの男が来るたびに兵馬さんは落着かなくなって、その都度(つど)、お金の心配をなさるような御様子がありありとわかるのである。夜更けになってお帰りなさることもあるし、また、どうかすると一晩泊ってお帰りになることもあるが、そのお帰りになった後のお面(かお)の色は、打沈んで、太息(といき)をついておいでなさるのが、今までの兵馬さんとはまるっきり違う。
 もう一人の来客は、たしか刀屋であると言っていたが、もしや兵馬さんが御所持の腰の物を、あの刀屋にお払い下げになるつもりではあるまいか……そんならばほんとうに一大事。
 それを思うと、覚えず涙が眼の中にいっぱいになって、幾度も着物を畳み直しているうちに、ふとその袂(たもと)の中から、読み捨てた一封の手紙が、何か物を言うように綻(ほころ)び出しました。
 お松は、はっとして、その手紙を手に取り上げて見ると女文字です。ひろげて見ると、嫉(ねた)ましいほどに手ぎわよく書いてあって、文言(もんごん)は読まない先に、その水茎(みずぐき)のあとの艶(なま)めかしさと、ときめく香が、お松の眼をさえくらくらとさせるようでありました。お松は、一種の口惜(くや)しさがこみ上げて、手紙を取る手がワナワナとふるえました。
 その時に、廊下で人の足音がします。
「お帰りなさいませ」
 そこへ帰って来たのは兵馬であります。お松は慌(あわ)てて、あの艶(なま)めかしい手紙を自分の懐ろへ押入れて、兵馬の前へ丁寧にお辞儀をしながら、そっと涙を隠しました。
「そうしておいて下さい」
「あの、兵馬様、今日はお留守中に、お客様が二人おいでになりました」
「来客が二人、そうしてそれは誰と誰?」
「一人は、いつもの金助さんでございますが、もう一人は、久松町辺の刀屋だとか申しておりました」
「ははあ、刀屋が来ましたか。それから、金助は何と言いました」
「あの方は何とも申しません、ただ、わたしに向って、このごろはさだめてお淋しうございましょうと、笑いながら言いましただけでございます」
 こう言ってお松は、伏目になりました。
「ははあ……何を言うのかあいつの言うことは、取留まったものではない」
 兵馬はやはり、淋しき笑いに紛(まぎ)らわそうとするらしいが、
「兵馬様」
 そのときお松は、屹(きっ)と心を取り直したように面(かお)を上げて、兵馬の名を呼びました。
「何でござる」
「あなた様は、このごろ、どちらの方へ多くお出かけになりまする」
「何を改まって、そのようなことをおたずねなさる」
「いいえ、わたくしは、それをお伺い致さねばならないほど、このごろは、ほんとに気が弱くなってしまいました」
「そなたの言うことが、わしにはよくわかりませぬ。拙者(わし)のこのごろの出先といって、その目的は、そなた存知の通りなれど、出先はやはり今日は東、明日は西、どこときまったことなく江戸の天地を、四角八面に潜(くぐ)り歩いているようなものじゃわい」
「それならよろしうござんすけれど、わたくしのこのごろお見受け申すあなた様は、前のあなた様とは別のお方のようでございます、それが悲しうございます」
「ナニ、拙者(わし)が以前とは別な人のようになった……ははあ、そなたの眼に左様に見えますか」
「ええ、ええ、失礼ながら、これまでのあなた様は、どんな艱難にお逢いになっても、お心の底には強いところが確乎(しっかり)としておいでになりましたけれど、このごろは、それがゆらゆらと動いておいであそばすようにばかり、わたくしの眼には見えてなりませんのでございます、お出ましになる時も、帰っておいでになる時も、あなた様のお面にも、お心持にも、おやつれが見えるばかりで、昔のような落着きというものが、一日一日になくなっておいでなさるように見えますのが、わたくしには悲しくてなりませぬ」
と言ってお松は、涙をこぼしました。

 その晩はお松は、こし方(かた)や行く末のことを考えて、いまさら、人の心の頼みないことを、しみじみと思いわびて眠れませんでした。
 懐ろへ入れて来たあの女文字の手紙を取り出して読み返してみると、舌たるいような言葉で、ぜひぜひ今宵のおいでをお待ち申し上げますというような文言であります。女の名は東雲(しののめ)とあって、宛名は片柳様となっていました。片柳の名は、兵馬が好んで用うる変名であり、東雲というのは、吉原のなにがし楼かにいる遊女の源氏名に違いない。お松はそれが悲しくもなり、腹立たしくもなって、その手紙を引裂いてやろうかと思いました。
 その遊女も憎らしいけれど、兵馬さんほどの人が、どうしてまたそんな狐のような女に、脆(もろ)くも溺れるようになったのか、あの人の心に天魔が魅入(みい)ったと思うよりほかはなく、それが口惜(くや)しくて口惜しくてなりません。といって、よく考えてみれば、こうして自分というものがお傍におりながら、そんな仇(あだ)し女に兵馬さんの心が移るようにしたのは、やはり自分が足りないからだと思うと、どうも残念でたまりません。どうかして、再び兵馬さんの心を、その女から取り戻さなければならないが、あちらは人を誑(たぶらか)すことを商売にしている人。その腕にかけては、とても太刀打ちのできないわたしであるかと思うと、お松は曾(かつ)て知らなかった嫉(ねた)ましさに、身悶(みもだ)えをさえするのでありました。寝られないから、お君の病気の容態を見舞に行って気を紛らそうと廊下へ出ると、兵馬の部屋の中で、
「へえ、それはもうお買戻しになりまする節は、手前共にございまする間は、いつでも仰せに従いまする、また他の品とお取替えになりまする場合にも、せいぜい勉強致しまして、お使いを下さいますれば、早速お伺い申し上げまする」
と言っているのは、刀屋の番頭らしくあります。
 それを耳にした時も、お松は胸を打たれました。それでは、大切のお腰の物をお放しなさる気になったのか、それほどお入用(いりよう)の金ならばわたしの手で……と思いましたけれども、実は、このごろの自分は、もう貯えのお金とても無いし、自分が持っていないのみならず、お君さんにも、また御老女様にも借金までしてある、その借金はみんな、よそながら、あの人の困る様子を見るに見兼ねて融通して上げたお金であるが、今のところ、返さなくてはならないというほどの義理があるのではないけれど、なるべく早く、なんとかして返して上げたいものだと思っているくらいだから、この上、あの人たちに無心ができるものではない。
 といって、あの人が、みすみす武士の魂という腰の物までも手放そうとなさる今の場合、そのお力にもなれない自分の身の意気地のないことが思われてなりません。お松はそこで、もうお君を見舞に行くほどの勇気もなくなって、さあ、なんとかして、たった今あの刀屋を帰さないようにして上げる手段はないものかと、また自分の部屋へ取って返したけれども、もう所持品にしても、さして金目のあるものはなく、ただ蔵(しま)ってあるのは着物だけであるけれど、それとても、今宵の間に合うのではなし、ああ、こんな時にあの七兵衛のおじさんが来てくれたならと、あてのない人を空頼(そらだの)みにして、とうとう夜を明かしてしまいました。

 翌朝になってみるとお松は、また兵馬に対して、どうやら済まない心持になりました。
 それで、廊下を通りがけに兵馬の部屋を訪れてみると、もうその時に兵馬はそこにおりませんでした。お松は、せっかく、しおらしい心に返ったのが、またむらむらと抑えきれない不快の心に襲われて、足早にそこを立去ろうとするところへ、なにげない面(かお)をしてやって来る一人の男に、ハタと行当りました。
「お早うございます」
「おや、お前は金助さんではないか」
「はい、その金助でございます」
 お松も、小面(こづら)の憎いイヤな奴と思いながらも、何か尋ねてみたい気になって、
「金助さん、宇津木さんはおりませんよ、何か御用なら、わたしが承っておきましょう」
「左様でございますね、別に御用ってほどのこともねえでございますがね、それではこれでお暇(いとま)を致しましょうか知ら」
「あの、金助さん、お前さんに御用がなければ、わたくしの方にお聞き申したいことがあるのですけれど、ちょっとあちらまで来て下さいませんか」
「へえ、お松様、あなた様から何か私に御用があるとおっしゃるんですか、よろしうございます、そうおっしゃられるといやと申し上げるわけにも参りませんな、お邪魔を致しましょう」
 金助は恩にきせるような言い方をして、お松のあとに従って、長い廊下の奥へ行く途中で、
「なるほど、結構なお邸でございますな、ははあ、こちらの障子が霞でございますな、欄間(らんま)の蜀江崩(しょっこうくず)しがまた恐れ入ったものでげす、お床の間は鳥居棚、こちらはまた織部(おりべ)の正面、間毎間毎の結構、眼を驚かすばかりでございます、控燈籠(ひかえどうろう)の棗形(なつめがた)の手水鉢(ちょうずばち)、あの物さびたところが何とも言われません、建前(たてまえ)にこうして渋いところを見せ、間取りには贅(ぜい)を凝(こ)らしておいて、茶室や袖垣のあんばいに、物のさびというところをたっぷりとあしらったところなどは実際憎うございますよ。おやおや、大した石燈籠、こりゃ本格ですよ、橘寺形(たちばなでらがた)の石燈籠、これをそのまま据えたところなんぞは、飛ぶ鳥も落すようなものでげす、十万石以上のお大名でもなけりゃ出来ません。全く驚きました、表からお見かけ申したんじゃ、これほどのお住居(すまい)と気のつくものはございません」
 金助は相変らず歯の浮くような追従(ついしょう)を並べて、四辺(あたり)をキョロキョロ見廻しながら、お松に導かれて廊下を歩いて行きます。

         十四

 その時分、お君はムク犬を連れて、奥庭を歩いておりました。
 いつぞやのように打掛(うちかけ)こそ着ていないけれども、寝衣姿(ねまきすがた)のままで、手には妻紫(つまむらさき)の扇子(せんす)を携えて、それで拍子を取って何か小音に口ずさんで歩いて行くと、それでも例によってムクは神妙にあとをついて、築山(つきやま)の前の芝生まで来ました。
「ムクや、お前とここで投扇興(とうせんきょう)をして遊びましょう、わたしが投げるから、お前、取っておいで」
 こう言ってお君は、手にしていた扇子を颯(さっ)と開いて投げました。扇子は流星のように飛んで彼方(かなた)の芝生の上に落ちると、ムクはユラリと身を躍らして一飛びに飛んで行き、要(かなめ)のあたりを啣(くわ)えて、開いたなりの扇子を、再びお君の手に渡します。
「おお、よく持って来てくれました、お前はほんとによい犬だ、わたしのムク犬や、もう一度、投げるから取っておいで、いいかい、今度は、下へ落ちないうちに受けるのですよ」
 開いてあったその扇子を、ピタリと締めて、お君はそれを空中高く投げ上げました。
「さあ、下へ落ちないうちに」
 中空高く上った扇子が、トンボのように舞って落ちて来ると、それは早くもムクの大きな口の中に啣えられました。
「上手上手、まだお前、いろいろの芸当が出来るんだね、間(あい)の山(やま)にいた時から、わたしが仕込んだ上に、両国へ来てから、みんなに仕込まれたのだから、ずいぶんお前は芸の数を知ってるでしょう、忘れないでおいで。一旦覚えたものを忘れるようなお前じゃないけれど、それでも、お浚(さら)いをしないと、人間だって忘れることが多いんだから無理もないわ」
 お君はムク犬の口から、扇子を外(はず)して頭を撫でてやりましたが、
「忘れるといえば、わたし、三味線の手を忘れてしまやしないか知ら。間の山節は、わたしよりほかに歌える人はないんだから、あれをわたしが忘れてしまうと、あとを継ぐ人がない、それではお母さんに済まない」
 お君はこう言ってその扇子を取り直すと、撥(ばち)のつもりに取りなして、左の手で三味線を抱えるこなしをして、口三味線でうたいはじめ、
「大丈夫、わたしは決して忘れやしない」
 淋しく笑って、池のほとりへ出ました。
「ムクや」
 左へ廻って附いているムク犬を、慌(あわただ)しく右の方から尋ねて、
「お前、他見(わきみ)をしちゃいけません、可愛い可愛いわたしのムク犬や、お前、何でもわたしの言うことを聞いてくれますね、お前は一旦覚えた芸は決して忘れやしませんね、だから、一旦お世話になった人も決して忘れやしないでしょう……ほんとに忘れないならば、お前、殿様をお探し申して来ておくれ、わたしを、あの殿様のいらっしゃるところへ、お前、後生だから連れて行っておくれ」
 お君に、こう言って歎願されても、こればかりはムク犬も返答に困るらしくありました。
「いけないかい、こればかりはお前にもできないだろうね、そうでしょう、殿様はこの国にいらっしゃらないのだからね、海を越えて西洋というところへおいでになってしまったのだから、いくらお前が賢い犬でも、トテモ西洋までは行けやしないからね、これは、頼んだわたしの方が悪いのさ、わたしの方に無理があるんだから仕方がない」
 お君は、こんなことを言いながら、池のまわりを歩いて行きましたが、
「けれどもね、無理のない言いつけなら、お前きいてくれるでしょう、わたしの頼みが間違っていなければ、お前は頼んだ通りによくしてくれるでしょう。そんならお前、友さんの居所(いどころ)を教えて頂戴、米友さんはどこにいるか、そこへわたしを連れて行って頂戴、ね、そうでなければあの人を、ここへ呼んで来ておくれ。いいえ、あの人はきっとこの近所にいるのよ、近所にいるけれども、わたしをにくがっているから、それで来てくれないんだね。けれども、わたし決して友さんににくがられるような悪いことをした覚えはないのよ、あの人は気が短いから、一人で勝手に怒っているんだけれど、よく話をすれば、わたしのことだもの、そんなにわからない米友さんじゃないわ、わたし、もう一ぺん、ようく話をしてみたいと思うの、あの人を怒らしておいちゃ悪いわ、ほんとにあの人はいい人なんだから、怒らしておいちゃ悪いわ。けれども、どうしてあの人はあんなに気が短いんだろう、甲州で別れる時にも、わたしばかりじゃない、あの殿様を大変に悪く思って別れたんだから……殿様を敵(かたき)のように悪口を言って出て行ってしまったのは、お前もあっちにいたから、よく知っているでしょう、それがわたしにはどうしてもわからないの。殿様は悪いお方じゃありません、米友さんもちっとも悪い人じゃありゃしない、それだのに、どうして仇のように思うんでしょう。殿様は、あんなえらいお方でいらっしゃるし、友さんは、わたしと同じことに、とても身分は比べものにはなりゃしないけれども、それでもわたし、米友さんに憎まれるのはいや。いったいわたしゃ、殿様と米友さんとどっちがいいんだろう、どっちがほんとうに好きなんでしょう、わからなくなってしまった」
 ムク犬は、もとよりこの疑問に答うべくもありません。
 今まで忠実に主人を見守っていたムク犬が今度は、それと違って垣根の彼方(かなた)を見つめています。前後の模様を見ると、垣根のかげから庭のうちをうかがっていたものがあるらしい。お君は全くそれに気がつかないが、ムク犬は早くもそれと感づいたらしいのです。
 お君はその時に身のうちに寒気(さむけ)を感じて、いつのまにか、恥かしい寝衣姿(ねまきすがた)で、奥庭の池のほとりに立っている自分を見出しました。
「ああ、悪かった、わたしは、また気がゆるんでしまいました。誰も見ていなかったかしら。ムクや、お前こっちへおいで、わたしは内へ入りますから」
 正気に返ったお君は、□惶(そうこう)として縁へ上って、障子の中へ身を隠してしまいました。

         十五

 それから暫らくたって、両国橋を啣(くわ)え楊枝(ようじ)で、折詰をブラさげながら歩いて行くのは例の金助です。
「占めしめ、万事こう来なくっちゃならねえ、駒止橋(こまどめばし)の獣肉茶屋(けだものぢゃや)で一杯飲んで、帰りがけにももんじいやへ寄って、狐を一舟括(くく)らせて、これから巣鴨の化物屋敷へ乗り込むなんぞは、我ながら凄いもんだ」
 何か嬉しくてたまらないことがあるらしく、しきりに独言(ひとりごと)を言い言い歩きます。
「ところで、今様(いまよう)の鈴木主水(すずきもんど)を一組こしらえ上げてしまったなんぞは、刷毛(はけ)ついでとは言いながら、ちっと罪のようだ」
 こう言ってニタリと笑いました。この先生こそは、相生町の老女の家の兵馬を訪ねて来て、兵馬が出たあとをお松に見つかって呼び込まれて、何か兵馬の近頃の身の上について、お松に喋(しゃべ)ってしまったことがあるらしい男です。
 しかし、この先生のことだから、甲に向って喋ることと、乙に向って喋ることの間に、味をつけないで喋る気遣いはありません。そうしてその間に何かうまい汁がありとすれば、その余瀝(よれき)を啜(すす)って、皿まで噛(かじ)ろうという先生だから、お松に尋ねられたことも、素直には言ってしまわないことはわかっています。おべんちゃらと、お為(ため)ごかしを混合(ごっちゃ)にして、けだもの茶屋の飲代(のみしろ)ぐらいは、たしかにお松からせしめていることは疑うべくもありますまい。
 ただ、そのくらいならばいいけれども、今様の鈴木主水を一組こしらえたというような言葉は、どうも聞捨てがならない。兵馬と東雲(しののめ)との間が、果してどんなわけになっているのか知れないが、それをお松に向って輪をかけて吹聴(ふいちょう)し、お松を嗾(け)しかけるようなことにしては、これはたしかに罪です。お松はうっかりそれに乗せられるほどの女ではないけれど、こんな男の細工と口前が、ついつい大事を惹(ひ)き起さないとも限らないから、実際は、お松も兵馬も、悪い奴に見込まれたと思わねばなりますまい。
 それよりもなお危険なのは、この男がこれから、染井の化物屋敷へ行くと言ったことであります。染井の化物屋敷とは、つまり神尾主膳らの隠れ家をいうものです。神尾の許へ行くからには、どうせ碌(ろく)なことでないのはわかっています。そうしてこの男が老女の家を辞して帰る時に、垣根の蔭から何か、そっと隙見(すきみ)をしてその途端に、
「占めた」
と言って嬉しがりはじめたのは、やっぱりその辺に何か売り込むことが出来て、それを土産(みやげ)に神尾へ乗り込もうという気になったのは、前後の挙動で明らかにわかります。
 そうであるとすれば、その隙見は何を見たのだ。刻限から言っても、ムク犬が奥庭で、急にお君の傍を離れたことから言っても、我に返ったお君が、あわてて家の中へ隠れたのから見ても、この男は、はからずあの際、お君の姿を認めたものに違いない。そんならば確かに一大事です。甲府にいる時に、お君はたしかに神尾が一旦は思いをかけた女である、それをこの男が神尾へ売り込むとすれば、今でも神尾の好奇心を嗾(そそ)るに充分であることはわかっているのであります。
 それを知っているから金助は、また儲(もう)けの種にありついたように、前祝いかたがた獣肉茶屋(けだものぢゃや)で一杯飲んで、上機嫌で両国の河風に吹かれながら橋を渡って行くものと見える。
 こうして有頂天になって橋の半ばまで来た金助が、急に何かにおどかされたように、よろよろとよろけると、踏み留まることができず、脆(もろ)くもバッタリ前に倒れて、暫し起き上ることができません。
「御免よ、御免よ」
 金助が、ばったりと倒れて、暫く起き上れないでいる時、それを左に避(よ)けてしきりにお詫(わ)びをしている者があります。それは竹の笠を被(かぶ)った小柄な男でありましたが、首っ玉へ風呂敷包を結び、素足に草鞋(わらじ)をはいて、手に杖を持っておりました。
「この野郎、御免で済むと思うか」
 ようやく起き上った金助は、目を怒らして小男を睨(にら)みつけて、言葉を荒っぽくして叱りつけました。
「御免、おいらは草鞋の紐を結んでいたところなんだ、そこへお前が来て、よろよろとよろけたから、危ねえ! と思って左へよけたんだ、左へよけた途端にお前が前へのめったんだから、おいらに罪はねえようなものなんだが、それでも時と場合だから、おいらの方からあやまってやらあ」
 こう言って竹の笠を傾(かた)げて、金助の面(かお)をジロリと見上げたのは、珍らしや宇治山田の米友でありました。しかしながら、金助は酔っていたせいかどうか、米友たることを知りません。だからその返答がグッと癪にさわったものと見え、
「おやおや、時と場合だから、貴様の方からあやまってやるんだって? ばかにするな、このちんちくりん」
 金助は打ってかかろうとして拳を固めると、宇治山田の米友は一足後へさがって、そのまるい眼をクルクルとさせ、
「時と場合だろうじゃねえか、おいらはこうして俯向(うつむ)いて、草鞋の紐を結んで、笠をこうやって前に被っているから、向うは見えねえんだ、お前の方は、笠もなにも被らねえで、前からやって来るんだから、本当なら、おいらが突き倒されてしまうところなんだ、それを、危ねえ! と思ったから左へよけて、おいらの身体は無事だったが、お前は、そのハズミを食って、おいらの代りに前へ倒れたんだ、まあ怪我をしなかったのが仕合せだあな、勘弁しろ、勘弁しろ」
 こう言って感心にも宇治山田の米友は、相手にしないで行き過ぎようとします。これは米友としては出来過ぎですけれども、金助は血迷っていて、この米友の出来栄(できば)えを買ってやる余裕がありません。
「おいおい、待て待てこの野郎、背はちんちくりんだが、どこまで人を食った野郎だか知れねえ、いよいよ癪にさわる言い草だ、待て」
 金助は米友の筒袖を引張って、引留めました。
「そんなに引張らなくってもいいや、逃げも隠れもしやしねえよ、何か言い草があるなら、うんとこさと言いねえな」
 かかる場合に、決してわるびれる米友ではありません。
「言わなくってどうする、今の言い草をもう一ぺん言ってみろ、本来なら貴様が突き倒されてしまうところを、危ねえ! と思ったから左へよけて、貴様の身体は無事だったが、こっちがそのハズミを食って身代りに倒れたとは何の言い草だ、左へよけて身体の無事であった方は無事でよかろうけれど、身代りに倒された方こそいい面(つら)の皮(かわ)だ、この面の皮をいったいどうしてくれるんだ」
 金助はこう言いながら、グイグイと米友の着物を引張りました。
「おい、あんまり引張るなよ、質(しち)の値がさがらあな、着物を引張らなくっても文句は言えそうなもんだ」
 米友は仕方がなしに引き寄せられていると金助は、いよいよ怒り出して、
「この野郎、いやに落着いていやがら。いったい、人を転がしといて、身代りに倒れたで済むか、この野郎」
「だって仕方がねえじゃねえか、おいらが倒れなけりゃあお前が倒れるんだ、お前が倒れたからおいらは倒れないで済んだんだ、幾度いったって同じ理窟じゃねえか、いいかげんにしといた方がお前の為めになるよ」
 この時に金助は、火のようになって、
「この野郎、もう承知ができねえ」
 拳を上げてポカリと食(くら)わせようとしたが、相手が宇治山田の米友であります。
「おやおや、お前、おいらを打(ぶ)つ気かい」
 金助の打ち下ろした拳を、米友はしっかりと受け止めました。
「こんな獣物(けだもの)は痛え思いをさせなくっちゃわからねえ、物の道理を言って聞かせてもわからねえ野郎だ」
 拳を取られながら金助は、歯噛みをしていきり立っています。
「ジョ、ジョーダンを言っちゃいけねえ、理窟はおいらの方にあるんだ」
 米友は金助の拳を、なおしっかりと握って、口の利き方が少し吃(ども)ります。
「放せ、野郎、放せというに」
 金助はしきりにもがくけれども、米友に掴(つか)まれた手を、自分の力でははなすことができません。
「放さねえ」
 米友も漸く、虫のいどころが悪くなってきたようです。
「放さなけりゃ、こうしてくれるぞ」
 金助は左の手に持ち替えていた折を、自暴(やけ)に振り上げて米友の面(かお)へ叩きつけようとしたのを、素早く面をそむけた米友が、
「野郎!」
 額の皺(しわ)が緊張し、面の色が赤くなって、口から泡を吹きはじめました。しかしながら、ここまで込み上げたのをグッと怺(こら)えて、ただ金助の面を睨めただけで、その握った拳を、突き放しもしなければ打ち返しもしない。じっと泡を吹いたなりで我慢しているところは、さすがに米友も、いくらか修行を積んだものと見なければなりません。
 それを、どう見て取ったのか、いい気になった金助はかさにかかって、
「何だい、貴様の面(つら)はそりゃ。両国の見世物にだって、近ごろ貴様のような面は流行(はや)らねえや。ちょっと見れば餓鬼(がき)のようで、よく見れば親爺(おやじ)のようで、鼻から上は、まるきり猿で、鼻から下だけが、どうやら人間になってらあ、西遊記の悟空を、三日も行燈部屋へ漬けておくとそんな面(つら)になるだろう。よくまあ、昼日中(ひるひなか)、その面をさげて大江戸の真中が歩けたもんだ、口惜(くや)しいと思ったら、親許(おやもと)へ持ち込むんだね、親許へ持ち込んで、雑作(ぞうさく)をし直してもらって出直すんだ」
 この時分、あたりへようやく人だかりがしました。人だかりがしたから、金助は、いよいよ得意げに毒舌を弄(ろう)して、米友をはずかしめようとするらしい。
「野郎!」
 米友は歯をギリギリと噛み鳴らしました。けれども、まだ、自分からは打ってかからない米友は、何か思う仔細があるのか、ただしは誰人かに新しく堪忍(かんにん)の徳を教えられてそれを思い出したから、ここが我慢のしどころと観念しているのかも知れません。それをそれと知らずして、かさにかかっている金助は、噴火口上に舞踏していると言おうか、剃刀の刃を渡っていると言おうか、危険極まる仕事であります。
「何とか言えよ、このちんちくりん」
 右の利腕(ききうで)を取られている金助は、この時ガーッと咽喉(のど)を鳴らして、米友の面上めがけて吐きかけようとしたから、
「野郎!」
 ここに至って米友の堪忍袋の緒はプツリと切れました。片手に携えていた杖を橋の上にさしおくと、のしかかって来た金助を頭の上にひっかぶりました。米友の頭の上で泳ぐ金助を、意地も我慢も一時に破裂した米友は、そのまま橋の欄干近くへ持って行くと見るまに、眼よりも高く差し上げて、ドブンと大川の真中へ抛(ほう)り込んでしまいました。
 金助を川へ抛り込んだ米友は、物凄い面(かお)をして橋の上に置いた杖を拾い取ると、あっと驚く見物を見向きもせず、跛足(びっこ)の足を、飛ぶが如くに向う両国を指して走(は)せ行ってしまいました。

         十六

 神尾主膳の隠れている例の染井の化物屋敷は、依然として化物屋敷であります。
 真中の母屋(おもや)には神尾主膳が住み、そこへ出入りするのは、旗本のくずれであったり、御家人のやくざ者であったり、どうかすると、角力(すもう)や芸人上りのようなものであったりするけれども、ここではあまり騒ぐことはなく、三日に一度ぐらい、主膳はその家を忍び出でて、夜更けて帰ることが多い。
 それから離れの方には、例のお絹が別に一廓を構えて、若い女中を一人使って、ほとんど母屋とは往来をしないで立籠(たてこも)っているかと思えば、土蔵の中にはお銀様が、怨(うら)むが如く、泣くが如く、憤(いきどお)るが如く、ほとんど日の目を見ることなしに籠っているのであります。お銀様と神尾の台所の世話をしているのは、練馬(ねりま)あたりから雇い入れた女中ではあるが、この女中は少しく痴呆性(ちほうせい)の女で、それに聾(つんぼ)ときているから、化物屋敷にいて、化物の物凄いことを感得することができません。
 今日は神尾主膳が、朝から酒につかりながら、座敷の壁へ大きな一枚板を立てかけて、酔眼を開いてそれを見据えていると、傍に、よく肥った奴風(やっこふう)の若いのが、片肌ぬぎでしきりに墨を摺(す)っています。
「殿様、うまくひとつ書いてやっておくんなさいましよ、贔負分(ひいきぶん)にね」
「ふーん」
 神尾は鼻であしらいながら、筆立の中から木軸の大筆を取って、ズブリと大硯(おおすずり)の海の中へ打ち込みました。
「無駄を言うな」
「だって、後見がうまくなけりゃ太夫が引立たねえや。さあさあ、殿様の曲芸、米□様(べいふつよう)の筆を以て、勘亭流(かんていりゅう)の看板をお書きになろうとする小手先の鮮(あざや)かなところに、お目をとめられてごろうじろ」
「馬鹿」
 神尾は大奴(おおやっこ)の無駄を軽く叱って、板の面(おもて)を目分量して字配(じくば)りを計りながら、硯の海で筆をなやしておりましたが、やがて板へぶっつけに、「江」という字を一息に書いてしまいました。
「うまい!」
 大奴が半畳(はんじょう)を入れると、神尾は苦笑(にがわら)いして、
「気が散るからだまってろ」
と言って、今度は息を抜かずに筆をふるって、縦横に書き上げたたて看板の文字は、「江戸の花 女軽業」の七文字であります。
「太夫、御苦労」
 大奴は硯(すずり)の下にあった団扇(うちわ)を取って、神尾を煽(あお)ぎ立てました。
 書いてしまった七文字を神尾は、また右見左見(とみこうみ)してながめています。文字は決して悪い出来ではありません。文字の示す通り、女軽業の看板としては勿体(もったい)ない書風であります。神尾とても看板書きになったわけではなく、頼まれたればこそ、こうして筆を揮(ふる)うのでありましょう。そこへ廊下を歩いて来る人の音、
「殿様、殿様、ドチラにいらっしゃるんでございます」
 それは聞いたことのある女の声。
「おや、福兄(ふくにい)さんもおいでなんですか」
 入って来たのは、女軽業の親方のお角でありました。
「いよう、これはこれは両国橋の太夫さん」
 福兄と言われた大奴は、細い目をしてお角を迎えました。
「殿様、御機嫌よろしう」
 お角は神尾の前へ手を突いて、頭を下げました。
「頼まれ物が出来上ったぞ」
 神尾も御機嫌がよく、お角の面(かお)と、いま書き上げた看板とを見比べていますと、
「まあ、お書き下さいましたか、これはこれは、なんというお見事なお筆でございましょう、生きているようでございますね」
 お角も看板の文字を見て、心から嬉しそうであります。
「生きているとも」
 神尾もまた自分ながら、書き上げた看板の文字に得意でいます。
「太夫元、奢(おご)らなくちゃあいけやせんぜ」
 福兄(ふくにい)はこう言って、お角を嗾(け)しかけました。
「奢りますとも、何なりとお望みに任せて」
「よろしい、所望がある」
 福兄が改まってむきになると、
「福、貴様がでしゃばるところじゃないぞ、貴様は墨のすり賃に、二百も貰って引込めばいいんだ」
 神尾が福兄をたしなめると、福兄は納まらず、
「いけやせん」
 胡坐(あぐら)を組み直して強面(こわもて)にかかろうとするのを、お角は笑いながら、
「福兄さんには殿様に内密で、わたしが、たくさんお礼を致しますから、もう少し待って下さいね、今が大事の時なんですから。その代り今度のが当りさえすれば、ほんとうに福兄さんを福々にして上げますからね」
「うまく言ってやがらあ。けれども、そう話がわかりゃそれでもいいんだ」
 福兄はそれで、どうやら納まりかけた時に、神尾主膳が、
「お角、今に始まったことではないが、お前の腕の凄いのには恐れ入った」
 改まったような言いがかりだから、お角も用心して、
「殿様、改まって何をおっしゃるのでございます」
「しらを切っちゃいかん、お前が今度の房州行きなんぞは運もよかったが、腕の凄さは、いよいよ格別なものだ」
「神尾の殿様、そんな気味の悪いことをおっしゃっておどかしちゃいけません、こう見えても気が小さいんですからね」
「あんまり気が小さいから、少しはオドかして、大きくしてやらぬことにはしまつがつかん」
「何をおっしゃるんですか、わたしには一向わかりません」
「お前にはわかるまいが、こっちには、すっかり種が上っているんだ、房州へ行って命拾いをして来た上に、金箱を背負(しょ)い込んで来て、それでなにくわん面(かお)をして口を拭っているところなんぞは不埒千万(ふらちせんばん)だ、なあ、福」
 主膳が福兄を顧みると、福兄は一も二もなく頷(うなず)いて、
「そうですとも、そうですとも、ありゃ実際、不埒千万ですよ、あれはただじゃ置けませんよ」
「福兄さんまでが殿様に御加勢なんですか、金箱とおっしゃったって、まだ分らないじゃありませんか、まだ乗るか反(そ)るか、打ってみなけりゃわからないじゃありませんか」
 お角は外(そ)らしてしまおうとすると、神尾はそれを取って抑えて、
「その手は食わん、金箱というのは、茂太(もた)とやら茂太(しげた)とやらいう小倅(こせがれ)のことではない、そのほかに確かに見届けたものがあるのじゃ。若い綺麗(きれい)な、金のたくさんある男と、お前が仲睦まじく飲んでいたとやら、それをちゃあーんと見届けた者が我々の仲間にある。お角、あんまり凄い腕を振い過ぎると、祟(たた)りが怖かろうぜ、がんりきの百とやらもだまっちゃいなかろうぜ」
「エ!」
 神尾からこう言われて、さすがのお角もギョッとしたようです。
「それは違います、それは違います」
 お角は、あわててそれを打消すと、神尾が意地悪く、
「福、お角は違うと言ってるが、お前はどう思う」
「違いませんな」
 福兄は得たりと引取って、空嘯(そらうそぶ)く。
「では、福兄さん、お前さん、何をごらんなすったの」
「さあ、拙者が、じかに見たというわけじゃねえのだが、両国の、とある船宿の二階で、さしむかいの影法師を、ちらりと睨(にら)んだ者がこちと等の仲間にあったのだ、そうしてその一人が、両国橋の女軽業の太夫元のお角さんとやらに似ていたとか、いなかったとか、岡焼(おかやき)めらが騒いでいるんだから始末におえねえ」
「え、そりゃお安くないんですね、両国橋の女軽業の何とやらのお角さんといえば、多分この辺にいるお婆さんのことでしょうけれど、今時こんなお婆さんを相手にする茶人があるというのは、頼もしいことですね」
「実際、頼もしいんだから驚きまさあね。しかし、お婆さんはかわいそうですよ、年増盛りのハチ切れそうなのを捉まえて、お婆さんはかわいそうだね」
「まあ、ようござんす、どのみち浮名(うきな)を立てられるうちが、人間の花ですからね」
「そりゃ花ですともさ。ですけれども、花もあんまり、こってりと咲かれると、よその花ながら嫉(ねた)ましくなるよ、ねえ大将」
「うむ」
「殿様も福兄さんも、なんだか奥歯にはさまるような言い方をなさるから、わたしゃ、どうも痛くない腹を探られているようで小焦(こじれ)ったくってたまりません、わたしの身に後ろ暗いことがあるようでしたら、ハッキリとおっしゃって下さいな」
「ところが、どうもハッキリとは言えねえんだ、ともかく、船から上ると飛びつくように嬉しがって、お手を取って御案内申し上げ、それから後が、船宿のさしむかいという御寸法になったまでは篤(とく)と見届けたんだが、それから先が、惜しいことに雲隠れで……」
「人違いもその辺になると御愛嬌ですよ、その色男の面(かお)が見てやりたいものでしたね」
「それそれ、それがわかれば動きは取らせねえのだが、夕方のことではあったし、厳重に覆面はしていたし、さっぱり当りがつかなかったというのが、こっちの弱味だ。それでも、年の頃は三十前後の品格のある武士で、微行(しのび)ではあるが旗本とすれば身分の重い方、ことによったら大名の若殿でもありゃしねえかと、こう睨んで来た奴がある」
「おやおや、それは大変なことになりましたね、そうしてその御身分のあるお方のお相手というのが、やっぱり両国の女軽業の古狸なんですか」
「大地を打つ槌(つち)は外(はず)るるとも、そればっかりは疑いなし」
「ほんとうに有難い仕合せですね。そうしてなんですか神尾の殿様、あなた様は、いったいその身分のあるお武家様がどなたでいらっしゃるか、見当をつけておいであそばすでございましょうね」
と言ってお角は、そっと神尾主膳の面(おもて)をうかがいました。
「そりゃ拙者にもわからん、その若いのを生捕(いけど)って、旗揚げの軍費を調達させた当人に聞いてみるよりほかはなかろうよ」
「では全く、殿様は御存じないんでございますね」
「知っていれば、ただは置かんよ」
「御存じないのが、あたりまえですよ、そんなことがあろうはずがございませんもの。もしありましたら、大びらに御披露して、ずいぶん皆様を羨ましがらせて上げるんですけれども」
 お角はこう言って笑いましたけれども、なお神尾の腹の底を読もうとするらしい。しかし、神尾はそれ以上は何も知っておらぬようです。その時にまた廊下で慌(あわただ)しい人の声、
「殿様、殿様、神尾の殿様、金助でございます」
 金助というのは多分、両国橋の上で、宇治山田の米友のために大川の真中へ抛(ほう)り込まれたその人に相違ありますまい。でも、無事に這(は)い上って、この屋敷へたどり着いたものと思われます。
 お角は金助と入違いにこの部屋を外(はず)して、土産物らしい風呂敷包を抱えて、廊下を歩いて縁側から庭下駄を穿(は)いてカラカラと庭を廻って、井戸側(いどわき)から土蔵の方へと行きます。
「御免下さいまし」
と小声に言って、土蔵の戸前に手をかけました。重い扉をズシズシと押し開いて、薄暗い土蔵の中へ足を踏み入れ、
「いらっしゃいますか」
 これも小声でおとのうてみましたけれど返事がありません。気味悪そうにお角は、蔵の中へ二足三足と足を入れて、二階へのぼる梯子段の下まで来て、
「お銀様」
 はじめて人の名を呼んで、二階を見上げました。けれどもやはり返事はありません。
「御免下さいまし」
 再び案内の言葉を述べて、その梯子段を徐(しず)かに上って行きました。梯子段を上りつめると、頭の上に開き戸があるのを、下からガラガラと押し開いて、
「いらっしゃいますか」
 はじめて二階の一間を覗(のぞ)いて見ました。それは暗澹(あんたん)たる一室であるけれども、南の方に向いて鉄の格子に金網を張った窓があいていましたから、下のように暗くはありません。で、畳もしっくりと敷きつめてあって、四隅には古箪笥や、長持や、葛籠(つづら)や、明荷(あけに)の類が塁(とりで)のように積まれてあるけれども、それとても室を狭くするというほどではありません。

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