大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

         一

 この巻は安房(あわ)の国から始めます。御承知の通り、この国はあまり大きな国ではありません。
 信濃、越後等の八百方里内外の面積を有する、それと並び立つ時には、僅かに三十五方里を有するに過ぎないこの国は哀れなものであります。むしろその小さな方から言って、壱岐(いき)の国の八方里半というのを筆頭に、隠岐(おき)の国が二十一方里、和泉(いずみ)の国が三十三方里という計算を間違いのないものとすれば、第四番目に位する小国がすなわちこの安房の国であります。
 小さい方から四番目の安房の国。そこにはまた小さいものに比例して雪をいただく高山もなく、大風の動く広野もないことは不思議ではありません。源を嶺岡(みねおか)の山中に発し、東に流れて外洋に注ぐ加茂川がまさにこの国第一の大河であって――その源から河口までの長さが実に五里ということは、何となく滑稽の感を起すくらいのものであります。
 さればにや、昔の物の本にも、この国には鯉が棲(す)まないと書いてありました。鯉は魚中の霊あるものですから、一国十郡以下の小国には棲まないのだそうです。そうしてみれば一国四郡(今は一国一郡)の安房の国に、魚中の霊魚が来り棲まないということも不思議ではありますまい。
 こうして今更、安房の小さいことを並べ立てるのは、背の低い人をわざと人中へ引張り出してその身(み)の丈(たけ)を測って見せるような心なき仕業(しわざ)に似ておりますが、安房の国の人よ、それを憤(いきどお)り給うな。近世浮世絵の大宗匠菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、諸君のその三十五方里の間から生れました。源頼朝が石橋山の合戦に武運拙(つたな)く身を以て逃れて、諸君の国に頼って来た時に、諸君の先祖は、それを温かい心で迎え育てて、ついに日本の政権史を二分するような大業を起させたではありませんか。それからまた、形においてはこの大菩薩峠と兄弟分に当る里見八犬伝は、その発祥地を諸君の領内の富山(とやま)に求めているし、それよりもこれよりもまた、諸君のために嬉し泣きに泣いて起つべきほどのことは、日蓮上人がやはり諸君の三十五方里の中から涌(わ)いて出でたことであります。
「日蓮は日本国東夷東条、安房の国海辺の旃陀羅(せんだら)が子なり。いたづらに朽(く)ちん身を法華経の御故(おんゆゑ)に捨てまゐらせん事、あに石を金(こがね)にかふるにあらずや」
 日蓮自ら刻みつけた銘の光は、朝な朝な東海の上にのぼる日輪の光と同じように、永遠にかがやくものでありましょう。
 その日蓮上人は小湊(こみなと)の浜辺に生れて、十二歳の時に、同じ国、同じ郡の清澄(きよすみ)の山に登らせられてそこで出家を遂げました。それは昔のことで、この時分は例の尊王攘夷(そんのうじょうい)の時であります。西の方から吹き荒れて来る風が強く、東の方の都では、今や屋台骨を吹き折られそうに気を揉(も)んでいる世の中でありましたけれど、清澄の山の空気は清く澄んでおりました。九月十三日のお祭りには、房総二州を東西に分けて、我と思わんものの素人相撲(しろうとずもう)があって、山上は人で埋まりましたけれど、それは三日前に済んで、あとかたづけも大方終ってみると、ひときわひっそりしたものであります。
 周囲四丈八尺ある門前の巨杉(おおすぎ)の下には、お祭りの名残りの塵芥(じんかい)や落葉が堆(うずたか)く掻き集められて、誰が火をつけたか、火焔(ほのお)は揚らずに、浅黄色した煙のみが濛々(もうもう)として、杉の梢の間に立ち迷うて西へ流れています。その煙が夕靄(ゆうもや)と溶け合って峰や谷をうずめ終る頃に、千光山金剛法院の暮の鐘が鳴りました。
 明徳三年の銘あるこの鐘、たしか方広寺の鐘銘より以前に「国家安康」の文字が刻んであったはずの鐘、それが物静かに鳴り出しました。その鐘の声の中から生れて来たもののように、一人の若い僧侶が、山門の石段を踏んでトボトボと歩き出しました。
 身の丈に二尺も余るほどの金剛杖を右の手について、左の手にさげた青銅(からかね)の釣燈籠(つりどうろう)が半ば法衣(ころも)の袖に隠れて、その裏から洩れる白い光が、白蓮の花びらを散らしながら歩いているようです。
 身体(からだ)はこうして人並より、ずっと小柄であるのに、頭部のみがすぐれて大き過ぎるせいか、前こごみに歩いていると、身体が頭に引きずられそうで、ことにその頭が法然頭(ほうねんあたま)――といって、前丘(ぜんきゅう)は低く、後丘は高く、その間に一凹(いちおう)の谷を隔てた形は、どう見ても頭だけで歩いている人のようであります。
「え、何ですか、どなたが、わたしをお呼びになりましたか」
 この頭の僧侶は急にたちどまって、四辺(あたり)を見廻しました。見廻したけれども、そのあたりには誰もおりませんでした。いないはずです、実は誰も呼んだ人は無いのだから。それにも拘(かかわ)らず、かんのせいか知らん、しきりにその異様な頭を振り立てて、聞き耳を立てていました。どうも、この人は眼よりは耳の働く人であるらしい。いや、眼が全く働かない代りに、耳が一倍働く人であるらしい。
「弁信さん」
 今度は、たしかに人の声がしました。姿はやっぱり見えないけれども、それは焚火の燃え残っている四丈八尺の巨杉(おおすぎ)の幹の中程から起ったことはたしかであります。
「エ、茂(しげ)ちゃんだね」
 頭の僧侶はホッと息をついて、金剛杖を立て直して、巨杉の上のあたりを打仰ぎました。
 杉の枝葉と幹との間に隠れている声の主(ぬし)は誰やらわからないが、それが子供の声であることだけはよくわかります。
「弁信さん、お前また高燈籠(たかどうろう)を点(つ)けに行くんだね、近いうちに大暴風雨(おおあらし)があるから気をおつけよ」
 木の上の主がこう言いました。
「エ、近いうちに大暴風雨があるって? 茂ちゃん、お前、どうしてそれがわかる」
「そりゃ、ちゃんとわかるよ」
「どうして」
「蛇がどっさり、この木の上に登っているからさ」
「エ、蛇が?」
「ああ、蛇が木へのぼるとね、そうすると近いうちに雨が降るか、風が吹くか、そうでなければ大暴風雨(おおあらし)があるんだとさ。それで、こんなにたくさん、蛇が木の上へのぼったから、きっと大暴風雨があるよ」
「いやだね、わたしゃ蛇は大嫌いさ、そんなにたくさん蛇がいるなら、茂ちゃん、早く下りておいでな」
「いけないよ、弁信さん、おいらはその蛇が大好きなんだから、それを捉(つか)まえようと思って、ここへ上って来たんだよ、まだ三つしか捉まえないの」
「エ、三つ! お前、そんなに蛇を捉まえてどうするの、食いつかれたら、どうするの、気味が悪いじゃないか、気味が悪いじゃないか、およしよ、およしよ」
「三つ捉まえて懐ろに入れてるんだよ、食いつきゃしないさ、慣れてるから食いつくものか、あたいの懐ろの中で、いい心持に眠っていらあ」
「ああいやだ、聞いてもぞっとする」
 盲法師(めくらほうし)は木の上を見上げながら、ぞっとして立ち竦(すく)みました。
「だっていいだろう、なにも、あたいは蛇を苛(いじ)めたり殺したりするために、蛇を捉まえるんじゃないからね」
 木の上では申しわけのような返事です。
「それにしたってお前、蛇なんぞ……早く下りておいで」
「もう二つばかり捉まえてから下りるから、弁信さん、お前、あたいにかまわずに燈籠を点(つ)けに行っておいで」
 木の上の悪太郎は下りようともしないから、盲法師は呆(あき)れた面(かお)で金剛杖をつき直しました。

         二

 浪切不動の丘の上に立つ高燈籠の下まで来た盲法師は、金剛杖を高燈籠の腰板へ立てかけて、左の手首にかけた合鍵を深ると、潜(くぐ)り戸(ど)がガラガラとあきました。杖は外に置いて、釣燈籠だけは大事そうに抱えて中へ入った盲法師、光明真言(こうみょうしんごん)の唱えのみが朗々として外に響きます。
□阿謨迦毘盧遮那摩訶菩怛羅摩尼鉢曇摩忸婆羅波羅波利多耶□(おんあもきゃびろしゃのまかぼだらまにはんどまじんばらはらはりたやうん)――
 コトコトと梯子段を登る音が止んで暫らくすると、六角に連子(れんじ)をはめた高燈籠の心(しん)に、紅々(あかあか)と燈火が燃え上りました。光明真言の唱えは、それと共に一層鮮やかで冴(さ)えて響き渡ります。
 その余韻(よいん)が次第次第に下へおりて来た時分に、前の潜り戸のところへ姿を現わした盲法師の手には、前と同じような青銅(からかね)の釣燈籠が大事に抱えられていましたけれど、持って来た時とは違って、その中には光がありませんでした。そのはずです、中にあった光は、高くあの六角燈籠の上へうつされているのですもの。その光をうつさんがためにこうして、トボトボと十町余りの山道を杖にすがってやって来たのですから、今はその亡骸(なきがら)を提げて再び山へ戻るのが、まさにその本望でなければなりません。
「え、何ですか、どなたか、わたしをお呼びになりましたか」
 前に腰板へ立てかけておいた金剛杖を、再び手に取ろうとして盲法師は、また聞き耳を立てました。これがこの盲法師の癖かも知れません。誰も呼ぶ人はないのにまず自分の耳を疑わないで、あてもないところを咎め立てしてみるのは、今に始まったことではありませんでした。金剛杖は手に持ったけれども、やはりその場は動かないで、怪しげな頭を振り立てて、前後左右の気配をみているようです。
 しかしながら、ここは前と違って、あたりに大木もなければ人家もありません。往来の山道よりは少し離れて高く突き出したところですから、わざわざでなければ、この夕暮に人が上って来ようとは思われないところです。
 それにもかかわらず、盲法師はその人を見つけたかのように、いったん手に取った金剛杖をまたもとのところへさしかけて、
「どう致しまして、これは、わたしから御前(ごぜん)にお願いして、強(た)ってやらせていただく役目なんでございます、決して言いつけられてやっているお役目ではございません。わたしですか、今年十七になりました、エエ、このお山へ参ったのが日蓮上人と同じことの十二歳でございました。こんなに眼の不自由になったのはいつからだとおっしゃるんですか。それは、つい近頃のことですよ。もっとも小さい時分から眼のたちはあまりよくはございませんでしたがね、この春あたりからめっきり悪くなりました、桜の花の咲く時分に、ポーッとわたしの眼の前へ霞(かすみ)がかかりましたよ、その霞が一時取れましたがね、秋のはじめになると、またかぶさって参りましたよ、今度は霞でなくて霧なんでしょうよ、その霧がだんだんに下りて来て、今では、すっかり見えなくなりました。へえ、そりゃ随分悲しい思いをしましたよ、心細い思いをしましたよ。けれども泣いたって喚(わめ)いたって仕方がありませんね、前世の業(ごう)というのが、これなんです、つまり無明長夜(むみょうちょうや)の闇に迷う身なんでございますね。その罪ほろぼしのために、こうやって毎晩、この燈籠を点けさせていただく役目を、わたしが志願を致しました、自分の眼が暗くなった罪ほろぼしに、他様(ひとさま)の眼を明るくして上げたいというわたしの心ばかりの功徳(くどく)のつもりでございますよ。ナニ、雨が降ったって風が吹いたって、そんなことは苦になりませんよ、毎晩こうやってお燈明(とうみょう)をつけに行く心持と、高燈籠へ火をうつして油がぼーと燃える音、それから勤めを果して、こうしてまた帰って来る心持と、それが何とも言えませんね……雨風といえば、近いうちに大暴風雨(おおあらし)があるって、あの茂太郎がそう言いました、大暴風雨のある前には、蛇が沢山(どっさり)樹の上へのぼるんだそうですがね、本当でしょうか知ら、まあ、お気をつけなさいまし」
 誰も相手が無いのに、盲法師はこう言ってから、金剛杖を取り上げてそろそろ歩き出しました。

         三

 けれども、その夜から翌日へかけては、べつだん雨風の模様は見えませんでした。三日目になって朝から曇りはじめたといえば曇りはじめた分のことで、これまた急には雨風を呼ぼうとも思えません。江戸の方面とても無論それと同じ気圧に支配されているのですから、その日の亥(い)の刻(こく)に江戸橋を立つ木更津船(きさらづぶね)は、あえて日和(ひより)を見直す必要もなく、若干の荷物と二十余人の便乗の客を乗せて、碇(いかり)を揚げようとする時分に、端舟(はしけ)の船頭が二人の客を乗せて、大童(おおわらわ)で漕ぎつけました。
 その二人の客の一人は、どうも見たことのあるような年増の女です。つとめて眼に立たないようにはしているけれど、こうして男ばかりの乗客の中へ、息をはずませて乗り込んでみると、誰もその脂(あぶら)の乗った年増盛(としまざか)りに眼を惹(ひ)かれないわけにはゆかないようです。この女は、両国橋の女軽業の親方のお角であります。
「庄さん、それでもよかったね、もう一足後(おく)れると乗れなかったんだわ」
「いいあんばいでございましたよ」
 お伴(とも)であるらしい若い男は、歯切れのよい返事をして、
「皆さん、少々御免下さいまし、おい、小僧さん、ここへ敷物を二枚くんな。親方、これへお坐りなさいまし、ここが荷物の蔭になってよろしうございます」
 船頭の子から敷物を二枚借り受けて、酒樽の蔭のほどよいところへ、それを敷きました。帆柱の下にあたる最上の席は、もう先客に占められているのだから、まあ、この若い者が見つくろったあたりが、今では恰好(かっこう)のところであろうと思われます。
 お角は遠慮をせずにその席へつくと、若い者がその傍へ、両がけの荷物を下ろして、どっかと坐り込みました。
「なんだか天気がちっとばかりおかしいけれど、明日の朝の巳(み)の半(はん)ごろには木更津へ着くって言いますから、案じるがものはありますまいねえ」
 若い者が空を仰ぐと、お角も空模様を見て、
「降りはすまいけれど、なんだか、いやに蒸すようじゃないか」
 程経てこの船が海へ乗り出した時分に、帆柱が押立てられて、帆がキリキリと捲き上げられると、船は遽(にわか)に勢いを得て、さながら尾鰭(おひれ)を添えたようであります。乗合の人も、大海へ出た心持になりました。そこへ船頭が立ちはだかって、乗合の客の頭数を読み上げて、
「ちょっとお待ちなさいよ、乗合の衆はみんなでエート二十三人でござんすね、二十三人、間違いはございませんね」
 駄目を押すと乗合の客は、いずれも面(かお)を見合せて黙っています。そこで船頭はもう一ぺん乗合の頭の上を見渡して、
「それで、女のお客さんは……エート、おかみさんお一人ですね、女のお客さんは一人しか無(ね)えんでございますかね」
と言って船頭は、例のお角の面をじっと見つめています。
「ええ、わたし一人のようですよ」
 お角はわるびれずに答えました。
「そうですか、それじゃあ、どうかこっちの方へおいでなすって下さいまし、その帆柱の下においでなさるお年寄のお方、済みませんがそこんところのお席を、このおかみさんに譲って上げておくんなさいまし」
「え、ここをどうするんだね」
「済みませんがね、船のオキテですからね、女の方が一人客の時には、その方に上座を張らして上げなくっちゃならねえんです、それというのは船は女ですからね、腹を上にして物を載せるから、女にかたどってあるんでござんさあ、だから船玉様(ふなだまさま)も女の神様でござんさあ、女のお客がよけいお乗りなすった時は、そうもいかねえが、一人っきりの時は、その女のお客様を上座へ据えて船玉様のお側(そば)にいていただくんでさあ、船に乗った時だけは野郎の幅が利(き)かねえんだから、ふしょうしておくんなせえな」
 こう言われると年寄のお客、それは深川の炭問屋の主人だというのが納得(なっとく)して、
「なるほど、そういうわけでしたか。そういうわけならば、さあ、おかみさん、こちらへおいで下さい、若い衆さんもここへおいでなさいましよ」
 快く席を譲ってくれました。その因由(いわれ)を聞いてみるとお角も、強(し)いてそれを遠慮するような女ではありません。
「まあ、ほんとにお気の毒に存じます、では、船のえんぎでございますから、あとから参りまして、女のくせにお高いところで御免を蒙(こうむ)ります。庄さん、お前もそれでは御免を蒙ってここへ坐らせていただいたらいいでしょう」
 こんなわけで、座席の入れ替えが無事に済みました。お角はこの船の中で、神様から二番目の人にされてしまいました。
 まもなくお角は、その隣席にいる例の深川の炭問屋の主人と好い話敵(はなしがたき)になりました。
「どちらへいらっしゃいますね」
 炭問屋の主人がまずこう言って尋ねると、お角がそれに答えて、
「はい、木更津から那古(なこ)の観音様へ参詣を致し、ことによったら館山(たてやま)まで参ろうと思うんでございます」
「ごゆさんでございますかね」
「そういうわけでもございません、少しばかり尋ねたい人がありまして」
「ははあ、なるほど」
 炭問屋の主人は腮(あご)を撫でて、ははあなるほどと言いましたけれども、それは別に見当をつけて言ったわけではありません。本来この女が今時分、房州あたりまでゆさんに出かけるはずの女子(おなご)でもないし、また、そちらの方に尋ねる人があってという言い分も、なんだかお座なりのように聞えます。と言って、今日はいつぞや甲州まで、がんりきの百を追いかけて行ったような血眼(ちまなこ)でもなく、お供をつれておちつき払って構えているのは、何か相当のあたりがなければならないはずです。すでに相当のあたりがあって出かける以上は、転んでも只は起きない女だから、何か一やま当てて来るつもりなのでしょう。炭問屋の主人は、そこまで詮索(せんさく)してみようという気はありませんから、いつしか自分の案内知った房州話になってしまいました。
 那古へ行くならば鋸山(のこぎりやま)の日本寺(にほんじ)へも参詣をするがよいとか、館山あたりへ行ってはどこの旅籠(はたご)が親切で、土地の人気はこうだというようなことを、お角に向って細かに案内をしてくれるのであります。お角がそれを有難く聞いていると、ほかの乗合までが、それぞれ口を出して、炭問屋の主人の案内の足らざるを補うものもあるし、また突込んで質問をはじめる者も出て来ました。はじめはお角と炭問屋の主人だけの房州話であったのが、今はお角をさしおいて、最寄(もよ)りの人たちが炭問屋の主人を中に置いての房州話となりました。
 その話のうちで最も多く一座の興味を惹(ひ)いたのは、鋸山の日本寺の千二百羅漢(らかん)の話でありました。その千二百羅漢のうちには必ず自分の思う人に似た首がある。誰にも知られないようにその首を取って来て、ひそかに供養すると願い事が叶(かな)うという迷信から、近頃はしきりにあの羅漢様の首がなくなるという話が、誰やらの口から語り出されると、一座の興を湧かせます。
 羅漢様の首を盗む者のうちには、妙齢の乙女もある。血の気に燃え立つ青年もある。わが子を失うて、その悲しみに堪えやらぬ母親もある。最愛の妻を失うた夫、夫を失うた妻もある。そうして一旦盗んで来た首をひそかに供養して、更に新しい胴体をつけて、また元へ戻すと、生ける人ならばその思いが叶い、死んだものならばその魂が浮ぶ……という話が興に乗った時分には、もう日が暮れて風がようやく強く、船が著しく揺れ出したように思われるけれど、話の興に乗った一座の人々は、それをさのみ気にする様子もなく、
「それからまた、芳浜(よしはま)の茂太郎は、ありゃどうしましたろうね」
 酒樽の蔭から、若いのがこう言いました。
「芳浜の茂太郎は、今あすこにはおりませんよ、あんまり悪戯(いたずら)が過ぎたもんだから、なんでも清澄のお寺へ預けられてしまったということでござんすよ」
と答えるものがありました。
 日本寺の千二百羅漢に次いで、芳浜の茂太郎なるものが多少でも問題になることは、それが何かの意味で土地の名物でなければなりません。
「エ、芳浜の茂太郎が、清澄のお寺へ預けられたんですって?」
 それにいちばん驚かされたらしいのが、芳浜の茂太郎なるものとは、縁もゆかりもなかりそうなお角であったことは意外です。
「とうとう清澄のお寺へ預けられてしまったというこってす」
「そうですか、それは惜しいことをしましたね」
 心から力を落したようなお角の言いぶりでしたから、
「おかみさん、あなたもあの子を御存じなんでございますか」
「エエ、ちっとばかり……」
「左様ですか」
 炭問屋の主人が改めてお角の面(かお)を見直しました。上総(かずさ)房州あたりへは初めてであると言った人が、芳浜の茂太郎なるものを知っているということが、どうやら腑(ふ)に落ちなかったもののようです。
「その清澄のお寺とやらまでは、あれからまだよほどの道のりがあるんでございましょうか」
「そうですよ、遠いといったところが同じ房州のうちですから、道程(みちのり)にしては知れたものですが、なにしろ、内と外になっておりますからな、道はちっとばかりおっくうなんでございますな、上総分で天神山というのへおいでなさると、あれから亀山領の方へかけて間道がありますんで、その間道をおいでになるのがよろしかろうと思いますよ。あの道は、昔、日蓮様なども清澄から鎌倉へおいでなさる時は、しょっちゅうお通りになった道だそうですから、それをお通りなさるのが芳浜からは順でございましょうよ。左様、里数にしたら六里もありましょうかな」
 こんな話をしている時に、船が大きな音を立てて著しく揺れました。それは東南から煽(あお)った風が波を捲いて、竜巻(たつまき)のように走って来て、この船の横腹にどうと当って砕けたからです。
「エ、冷てえ」
 薄暗い中に坐っていたものの幾人かが、ブルッと身慄(みぶる)いをして、自分たちの肩を撫でおろしました。

         四

 それはいま砕け散った波のしぶきを多少ともにかぶったからのことで、その時に、はじめて海の風が穏かでないのみならず、天候もなんとなく険悪になっていたことを気のついた者もありました。左へ夥(おびただ)しく揺れた船は、それだけ右へ押し戻されました。立っていた人は、よろよろとして帆柱の縄に身を支えて、危なく転げ出すことを免れたものもありました。
「おい、船頭さん、大丈夫かい、なんだか天気が危なくなったぜ、風がひどく吹募(ふきつの)るじゃねえか」
 船頭に向って駄目を押すものがありました。船の中にあっては船頭の一顰一笑(いっぴんいっしょう)も、乗合の人のすべての心を支配することは、いつも変りがありません。
「ナニ、大したことはござんせんがね、これが丑寅(うしとら)に変らなけりゃあ大丈夫ですよ。そんなことはありゃしませんよ。それでもこの分じゃ、ちっとばかり荒れますよ」
 船頭はこう言って乗客の不安を抑えておいて、一方には水主(かこ)の方へ向って、
「やい、つかせてやれ、開いちゃ悪いぜ、まきり直して乗り落すようにしねえと凌(しの)ぎがよくねえや、そのつもりでやってくれ、いいかい」
 大きな声で怒鳴りました。
「おーい」
 水主(かこ)や荷揚(にあげ)が腕を揃えて帆を卸(おろ)しにかかろうとする時に、□弗(ひょうふつ)として一陣の風が吹いて来ました。
「あ、こいつは堪らねえ」
 その沫(しぶき)を浴びた者が、荷物の蔭へ逃げ込むと、
「上からも落ちて来たようだぜ」
 果して水は、横から吹きかけるのみではありません。
 真暗になった天(そら)から、パラパラと雨が落ちて来たのを覚(さと)った時分に、船は大きな丘に持ち上げられるような勢いで辷(すべ)り出しました。そうして或るところまで持って行かれるとグルリ一廻りして、どうッと元のところへ戻されて行くようです。
「さあ、いけねえ」
 乗合はそれぞれしっかりと、手近なものへ捉(つか)まりました。
「下へ降りておくんなさい、急いじゃ駄目だ、この綱へつかまって静かに、静かに」
 船頭と親仁(おやじ)は声を嗄(か)らして乗客を一人一人、船の底へ移します。船の底の真暗な中へ移された二十三人の乗合は、そこで見えない面(かお)をつき合せて、
「どうも、あたしゃ、この暴風(しけ)というやつが性(しょう)に合わねえのさ。だからいったい、船は嫌いなんですがね、都合がいいもんだから、つい、うっかりと乗る気になって、こんなことになっちゃったんでさあ。困ったなあ。どうでしょう、皆さん、間違いはありゃしますまいねえ」
 おどおどした声で不安を訴えるものがあると、また一方から、
「なあに、大したことがあるもんですか、どっちへ転んだって内海(うちうみ)じゃございませんか、これだけの船が、内海で間違いなんぞあるはずのものじゃございませんよ」
 存外おちついた声でそれをなだめるものもあります。
「ですけれどもねえ、内海だからといって風や波は、別段にやさしく吹いてくれるわけじゃありますまいからね。昔、日本武尊様(やまとたけるのみことさま)が大風にお遭いになったのはこの辺じゃございますまいか。あの時だってあなた……あの通りの荒れでござんしょう」
 情けない声をして、太古の歴史までを引合いに出してくるから、
「ふ、ふ、ふ、あの時はあの通りの荒れだったといったってお前さん、あの時の荒れを見て来たわけじゃござんすまい、第一あの時代と今日とは、船が違いまさあ、船が……」
と言った時に、その船が前後左右からミシミシミシと揉(も)み立てられる音に、一同が鳴りを静めてしまいました。
 暫らくは、うんがの声を揚げる者がありませんでした。外はどのくらいの荒れかわからないが、今まで木の葉のように弄(もてあそ)ばれていた船が、グルグルと廻りはじめたかと思うと、急にひとところに停滞して、何物かに揉み砕かれているらしい物音です。
 そこで、「船が……」と言ったものから真先に口を噤(つぐ)んでしまって真暗な中に、おのおの面(かお)の色を変えたが、幸いに、船は揉みほごされて凝(こ)りを取られたように、真一文字に走り出したらしい。どこへ走り出すのか知らないが、ともかく、揉み砕かれるよりは走り出したのが、いくらかの気休めにはなったと見えて、
「船は違いましょうけれど、風は昔も今も変りませんからね」
 今度は誰も返事をする者がありません。船は、やはりミシミシと音を立てながら、矢のように進んで行くらしい。
「いよいよという時は、なんだってじゃあありませんか、みんな、それぞれ持っているいちばん大切なものを一品ずつ海の中へ投げ込むと、それで風が静まるというじゃありませんか。身につけた大切なものを、わだつみの神様に捧げると、それで難船がのがれるというじゃありませんか。もし、そういうことになったら、私共あ、私共あ……」
 その時に、甲板の上、ここから言えば天井の一角から、不意に強盗(がんどう)が一つ、この船室へつりさげられて来ました。それは鉄の輪を以て幾重にもからげて、どっちへ転んでも、壊れもしなければ油もこぼれないように工夫してある強盗が、天井の一角から下って来ると、その光を真下に浴びていたお角の姿がありありと浮き出して、二十余人の他の乗合は、影法師のように真黒くうつッて見えます。
「風が変った、丑寅(うしとら)が戌亥(いぬい)に変ったぞ、気をつけろやーい」
 船の上では船員が、挙げてこの恐ろしい突発的の暴風雨と戦っています。こう言って悲痛な叫びを立てた船頭の声は、山のような高波の下から聞えました。
 水主(かこ)も楫取(かじとり)もその高波の下を潜って、こけつ転(まろ)びつ、船の上をかけめぐっていたのが、この時分には、もう疲れきって、帆綱にとりついたり、荷の蔭に突伏(つっぷ)したりして、働く気力がなくなっていました。事実、もう、積荷を保護しようの、船の方向を誤るまいのという時は過ぎて、飛ぶだけのものは飛ばしてしまい、投げ込むほどのものは投げ込んでしまい、船の甲板の上は、ほとんど洗うが如くでありました。
 ただ船の上にもとのままで残っているのは、帆柱一本だけのようなものです。けれども、こうなってみると、その帆柱一本が邪魔物です。その帆柱一本あるがために、よけいな風を受けて、船全体が帆柱に引きずり廻されているような形になります。ただ引きずり廻されるのみならず、それがために、ほとんど船が覆(くつが)えるか、または引裂けるように、帆柱のみがいきり立って動いているとしか思われません。順風の時は帆を張って、船の進路を支配する大黒柱が、こうなってみると、船そのものを呪(のろ)いつくさねば已(や)むまじきもののように狂い出しています。
 船の底では、たかが内海だと言って気休めのようなことを言っていたが、上へ出て見れば、内も外もあったものではありません。
 風はもとより、内と外とを境して吹くべきはずはないが、海もまた、内と外とを区別して怒っているものとも覚えません。いったい、どこをどう吹き廻され、或いは吹きつけられているのだか、ただ真暗な天空と、吼(ほ)え立てる風と、逆捲(さかま)く波の間に翻弄(ほんろう)されているのだから、海に慣れた船人、ことに東西南北どちらへ外(そ)れても大方見当のつくべき海路でありながら、さっぱりその見当がつかないのであります。ややあって、
「やい、外へ出ろ、外へ出ろ、只事(ただごと)じゃねえぞ、お姫様の祟(たた)りだ。さあ、帆柱を叩き切るんだ、帆柱を。斧を持って来い、斧を二三挺持って来い。それから、苫(とま)と筵(むしろ)をいくらでもさらって来い、そうして、左っ手の垣根から船縁(ふなべり)をすっかり結(ゆわ)いちまえ、いよいよの最後だ、帆柱を切っちまうんだ」
 帆柱の下で躍り上って、咽喉笛(のどぶえ)の裂けるほどに再び叫び立てたのは船頭です。ひとしきり烈しく吹きかけた風が、帆柱を弓のように、たわわに曲げて、船は覆(くつが)えらんばかり左へ傾斜しながら、巴(ともえ)のように廻りはじめました。この声に応じて、
「おーい、おーい」
 むくむくと、波風を潜って、一人、二人、三人、四人、船頭の許まで腹這いながら走(は)せつけて来ます。走せつけて来た彼等は船頭の耳へ口をつけ、船頭は手を振り、声を嗄(か)らして、何事をか差図をします。やがて、これらの船人はまた右往左往に船の上を走りました。或る者は筵(むしろ)をさらって左手の垣へ当てて結え、或る者は筵をかかえて船縁へ縋(すが)りつく。
 この間に、帆柱からやや離れて上手(かみて)へ廻った背の高いのが、諸手(もろて)に斧を振り上げて、帆柱の眼通り一尺下のあたりへ、かっしと打ち込む。
 風下にそれを受けた、背の低いのが、それより五寸ほどの下をめがけて、かっしと打ち込む。両々この暴風雨(あらし)の中で斧を鳴らして、かっしかっしと帆柱へ打ち込みます。暴風雨はいつか二人の腰を吹き倒して、二人は幾度か転げ、転げてはまた起き直り、かっしかっしと打ち込んではまた転びます。
 やがて背の高いのが、斧を投げ捨てたと見ると、腰に差していた脇差を抜いて、はっしはっしと帆綱に向って打ち下ろすと、斧で打ち込んでおいた帆柱の切れ目が、メリメリと音を立てて柱は風下へ、さきに苫(とま)や筵(むしろ)を巻きつけておいた船縁(ふなべり)へ向って、やや斜めに□(どう)と落ちかかりました。
 こうして船の底へ下りて来た船頭の姿を見ると、真黒くなって呻(うめ)いていた二十余人の乗合は、一度に面(かお)を上げて、
「おい、船頭さん、いったいどうなるんだね、ここはどこいらで、船はどっちへ走ってるんだね、大丈夫かね、間違いはないだろうね」
「皆さん、お気の毒だがね……」
「エ!」
「今日の暴風(しけ)は只事じゃあございませんぜ、永年海で苦労した俺共(わっしども)にも見当がつかなかったくれえだから、こりゃ海の神様の祟(たた)りに違えねえ」
「エ!」
「もう船の上で、やるだけの事はやっちまいましたよ、積荷もすっかり海へ投げ込んでしまった、わっしどもも髷(まげ)を切ってしまった、帆柱も叩き切っちまった、そうして船はもう洲崎沖(すのさきおき)を乗り落してしまった」
「何だって? 洲崎沖を乗り落したんだって? それじゃあ、もう外へ出たんだな」
「うむ、もうちっとで外へ出ようとして、巴を捲いているんだ」
「南無阿弥陀仏」
 中から一人、跳り上って念仏を唱えるものがありました。それを音頭として、つづいて題目を声高らかに唱え出すものがあります。四辺(あたり)かまわず喚(わっ)と声を上げて泣き立てる者もありました。
「まあまあ、皆さん、まだ脈はあるんだからお静かになせえまし、気を鎮(しず)めておいでなさいよ……ここでひとつ、一世一代の御相談が始まるんだ。というのはね、今いう通り、どうもこりゃあ人間業じゃあござんせんよ、たしかに海の神様に見込まれたものがあるんだ、それで、海の神様が、いたずらをなさるんだから、海の神様をお鎮め申さなけりゃ、この難を逃(のが)れっこなし。海の神様というのは、竜神様のことよ。こりゃあ今に始まったことじゃねえのさ、大昔の日本武尊様でさえ、この神様につかまっちゃあ、ずいぶん悩まされたもんだ。だから、その海の神様に何か差上げなけりゃア、この御難は逃れっこなし。どうです皆さん、気を揃えて、ひとつその相談に乗っておくんなさいまし」
 暴風雨(あらし)に打たれたままの赤裸(あかはだか)で、腰帯に一挺の斧を挿んで、仁王の立ちすくんだような船頭が、思いきった顔色をしてこう言って相談をかけると、
「いいとも、いいとも、今もそのことで噂(うわさ)をしていたところだ、難船の時には、自分の身についているいちばん大事なものを海へ投げ込むと、竜神様のお腹立ちがなおるということだから、わたしゃあもう、この胴巻ぐるみ投げ込むことに、こうしてちゃんと了見(りょうけん)をきめてるんですよ」
「わたしゃあまた、ここに持っているこの金ののべの煙管(きせる)が、親ゆずりで肌身はなさずの品でござんすが、これをわだつみの神様に奉納するつもりで、こうして出して置きますよ」
「わしゃまた……」
「まあ待って下さい、皆さん、そんな物を纏(まと)めて投げ込んでみたって、この荒れは静まらねえよ」
「それじゃ、どうすればいいんだ」
「この船でいちばん大切なものを、たった一つ投げ込めばそれでいいでさあ」
「エエ! この船でいちばん大切な、たった一つの物というのは、そりゃ何だ」
「それがなあ……お気の毒だがなあ……」
と言って船頭は強盗(がんどう)をかざして、凄い眼をしてお角の面(かお)をじっと睨(にら)みながら、
「人身御供(ひとみごくう)ということですよ」
「エ、人身御供?」
「昔、日本武尊様が、この海で難儀をなすった時の話だ、橘姫様(たちばなひめさま)という女の方が、お身代りに立って海へ飛び込んだことは先刻御承知でござんしょう、それがために尊様(みことさま)をはじめ、乗合の家来たちまで、みんな命が助かったのだ、つまり橘姫様のお命一つで、船の中の者が残らず救われたんだ、だから……」
 船頭がお角の面(おもて)を見つめたままでこう言いかけた時に、お角は颶風(つむじかぜ)のように身を起して、
「だから、どうしようと言うの、だから、わたしをどうかしようと言うの」
 お角の船頭を睨(にら)んだ眼もまたものすごいものでありました。それでも船頭はやっぱりお角を睨み返しながら、
「いや、お前さんをどうしようというわけじゃあございません、お前さんの量見に聞いてみてえんでございます」
「エ、わたしの量見ですって? わたしの量見を聞いてどうするの」
「この船の中で、女のお客はお前さんだけなんですね、今まで女一人のお客というのはなかったこの船に、今日に限ってお前さんが乗り込むとこの通りの暴風(しけ)だ」
「それがどうしたの、それじゃあ、わたしが一人でこの暴風を起しでもしたように聞えるじゃないか」
「お前さんが暴風を起したんじゃないけれど、お前さんがいるために暴風が起ったようなものだ」
「何ですと、わたしが暴風を起したんじゃないけれど、わたしがいるために暴風が起ったようなものですって? 同じことじゃないか、それじゃあ、やっぱり、わたし一人がこの暴風を起したということになるんじゃないか、ばかばかしいにも程があったものさ」
 外の暴風雨(あらし)よりも船頭の言い分が、お角にとっては決して穏かに聞えませんでしたから、躍起(やっき)となって抗弁しました。
「船頭さん、お前、なんだかおかしなことを言い出したね」
 お角に附添って来た庄さんという若い男も、堪(たま)り兼ねて喧嘩腰になりました。
「いいや、おかしいことじゃねえのです、今日に限ってこんなことになるのは、こりゃあ必定(てっきり)、船の中に見込まれた人があるのだ、その見込まれたというのはほかじゃねえ、船ん中でたった一人の女のお客様を、海の神様が嫉(そね)んでいたずらをなさるに違えねえのだから、お気の毒だがその人に出て行って、海の神様にお詫(わ)びがしてもらいてえのだ。なにも、こりゃ俺が無慈悲でいうわけじゃありませんよ、船の乗合みんなの衆のためですよ、もし、お前さんがみんなの衆の命を助けてやりてえという思召しがあるんなら、あの大昔の、あの橘姫の命様(みことさま)の思召しのように……」
と船頭がここまで言い出すと、お角は怺(こら)えられません。
「おっと、待っておくれ、待っておくれ、人身御供(ひとみごくう)というのはそのことかね、つまり、わたしにその大昔の橘姫の命様とやらの真似をしろとおっしゃるんだね」
「それよりほかには、この難場(なんば)を逃れる道がねえのだから、お前さんにはお気の毒だが、乗合の衆のためだ。ねえ、皆さん、この船頭の言うことが不条理かエ」
「…………」
「ここで人身御供が上らなけりゃあ、みすみす三十何人の乗合が残らず鱶(ふか)の餌食(えじき)になってしまうのだ、それでようござんすかエ」
 船頭はこう言って、乗合の者の頭の上をずらりと見渡したけれど、誰あってこれに返答する間もなく、お角は猛(たけ)り立ちました。
「ふざけちゃいけないよ、やい、ふざけやがるない、こんな暴風(しけ)が起ったのは時の災難だよ、なにもわたしが船に乗ったから、それで暴風が起ったんじゃないや。船に女が一人乗り合せたのがどうしたんだい、はじめのうちは船は女の物だの、正座を張れのと、さんざん人を煽(おだ)てておいて、この暴風雨(あらし)になると、みんなわたしにかずけて、人身御供(ひとみごくう)に海へ沈んでくれとはよく出来た。そりゃ昔の橘姫というお方と、わたしたちとはお人柄が違わあ、第一、この中に日本武尊様ほどのお方がいらっしゃるならお目にかかろうじゃないか、みんな自分たちの命が助かりたいから、それで、わたし一人を人身御供に上げようと言うんだろう、虫のいい話さ、ばかにしてやがら。雑魚(ざこ)の餌食になろうとも、我利我利亡者(がりがりもうじゃ)の手前たちの身代りになって沈めにかかるような、そんなお安いお角さんじゃないよ。死なばもろともさ、乗合が一人残らず一緒に行くんでなけりゃ、冥途(めいど)の道が淋しくってたまらないよ」
「おかみさん、もうこうなりゃ、ジタバタしたって仕方がねえ」
 船頭は猿臂(えんぴ)を伸べて、お角の二の腕をムズと掴(つか)みます。
「おや、わたしを掴まえてどうしようというの」
 お角は、船頭に掴まった二の腕を烈しく振りほどいて、血相を変えると、
「野郎、おかみさんをどうしようと言うんだ」
 附添の若い男が、お角を掩護(えんご)するつもりで、船頭に武者ぶりついたけれど、腰が定まらないのに船頭の一突きで、無残に突き飛ばされて起き上ることができません。
 船頭に掴まった二の腕を烈しく振りほどいたお角は、そのまま荷物と人の頭とを跳り越えて外へ飛び出しました。
 この時分、甲板へ飛び出すことの危険は、人身御供になることの危険と同じようなものであることはわかっているけれど、この女はそれを危ぶんでいるほどの余裕がなかったものらしくあります。
 若い男を突き飛ばしておいた船頭は、腰に差していた斧を無意識に抜き取って、右の手に引提(ひっさ)げたまま、透かさずお角の後を追蒐(おっか)けました。
 乗合全体は総立ちになる途端に、大揺れに揺れた船が何かに触れて、轟然(ごうぜん)たる音がすると、そのはずみで残らず、□(どう)とぶっ倒されてしまいました。
「わーっ、水、水、水が……」
 そこで名状すべからざる混乱が起って、残らずの人が七顛八倒(しちてんばっとう)です。七顛八倒しながら、かの上り口のところへ押しかけて、前にお角と船頭とがしたように、先を争うて甲板の上へ走り出そうとして、押し合い、へし合い、蹴飛ばされ、踏み倒され、泣き喚(わめ)いて狂い廻ります。船の外は真暗な天地に、囂々(ごうごう)と吼(ほ)ゆる風と波とばかりです。船は木の葉のように弄(もてあそ)ばれて、すでに振り飛ばすべきものの限りは振り飛ばしてしまいました。綱を増した碇(いかり)も引断(ひっき)られてしまい、唯一の帆柱でさえも、目通りのあたりから切り折られてしまった坊主船は、真黒な海の中で、跳ね上げられたり、打ち落されたり、右左にいいように揉み立てられ、散々(さんざん)に翻弄されて、それでもなお残忍な波濤の間に、残骸を見せつ隠しつしている有様です。
 尋常では腰の定まるべくもないこの場合の甲板の上を、転びもせずに、吹き荒れる雨風をうまく調子を取って、ひらりひらりと物につかまりながら走って来るのは、むかし取った杵柄(きねづか)ではなく、むかし鍛えた軽業の身のこなしでもあろうけれど、この女の勝気がいちずに、不人情を極めた手前勝手な船頭の手から逃れて、これに反抗を試みようとして、思慮も分別も不覚にさせてしまったものと見るほかはありません。
 片手に斧を引提げて、こけつまろびつ、それを後ろから追いかける船頭とても、本来が決してさほどに、不人情でも、手前勝手でもあるわけではなく、ただ危険が間髪(かんはつ)に迫った途端に、その日ごろ持っている海の迷信が逆上的に働いて、こうせねば船のすべてが助からぬ、こうすれば必ず助かるものだと思い込ませたその魔力がさせる業(わざ)でありましょう。
 けれども、つづいて先を争うて甲板の上へハミ出した、二人のほかの乗合は無残なものでありました。出ると直ぐに大風に吹き飛ばされて、或る者は切り残された帆縄につかまって助けを呼び、或る者は船の垣根の板に必死にとりすがって海へさらわれることをさけ、辛(かろ)うじて帆柱の方へ這(は)って行く者も、雨風に息を塞がれて、助けを呼ぶの声さえ立てることができません。
 真先に、かの切り残された帆柱の切株にすがりついたお角は、
「さあ、こうしていれば、わたしゃこの船の船玉様さ、指でもさしてごらん、罰(ばち)が当るよ。乗合がみんな死んで、わたし一人が助かるんだろう。いやなこった、いやなこった、人身御供なんぞは御免だよ」
 こう言って凄(すさま)じき啖呵(たんか)を切ったけれども、憐(あわれ)むべし、このとき吹き捲(まく)った大波は、お角のせっかくの啖呵を半ばにして、船もろともに呑んでしまいました。

         五

 その翌日の朝は、風の名残(なご)りはまだありましたけれど、雨もやみ、空も晴れて、昨夜の気色(けしき)はどこへやらという天気であります。
 洲崎(すのさき)の、もと砲台の下のいわの上に立って、しきりに遠眼鏡(とおめがね)で見ている人がありました。
「清吉」
「はい」
「お前の眼でひとつこの遠眼鏡を見直してもらいたい、拙者の眼で見ては、どうも人の姿のように見える」
「お前様の眼で見て人間ならば、わたしの眼で見ても、やっぱり人間でございましょうよ」
と言って、清吉と呼ばれた若い男が、巌(いわ)の上に立っていた人から遠眼鏡を受取りました。受取って危なかしい手つきをしながら、眼のふちへ持って行って、
「なるほど、人間でございますね、人間が一人、浜の上へ波で打ち上げられているようですね」
「もし、そうだとすれば、このままには捨てて置けない」
と言って、再び清吉の手から遠眼鏡を受取った巌の人は、駒井甚三郎でありました。前に甲府城の勤番支配であった駒井能登守、後にバッテーラで石川島から乗り出した駒井甚三郎であります。
 あの時に、吉田寅次郎の二の舞だといって、横浜沖の外国船へ向けてバッテーラを漕ぎ出させて行ったはずの駒井甚三郎が、こうして房州の西端、洲崎の浜に立っていることは意外であります。
 それで傍(かたわら)にいる清吉と呼ばれた男も、あの時バッテーラの艪(ろ)を押していた男であります。二人はあの時、目的通りに外国船へ乗り込むことができなかったものと思われます。外国船へ乗り込むことができなかったものとすれば、いつのまにここへ来てなにをしているのだろう。しかし、いまはそれらを調べるよりは、遠眼鏡の眼前に横たわる人の形というものが問題です。昨夜あれほどの暴風雨であってみれば、海岸に異常のあるのはあたりまえで、それを検分するがために、甚三郎は遠見の番所から出て、わざわざ遠眼鏡をもって、この巌の上に立っているものと思わなければならないのです。
「そうですね、行ってみましょうか」
 清吉が鈍重な口調で、甚三郎の面(おもて)をうかがうと、甚三郎は遠眼鏡を外(はず)して片手に提げ、
「行こう」
「おともを致しましょう」
 そうして二人は巌の上から駆け下りました。甚三郎は王子の火薬製造所にいた時以来の散髪と洋装で、清吉もまた髷(まげ)を取払って、陣羽織のような洋服をつけています。二人とも、足につけたのは草鞋(わらじ)でも下駄でもなく、珍らしい洋式の柔らかい長靴でありました。
 二人ともこうして砲台下を南へ下りて、海岸づたいに走り出しました。
「平沙(ひらさ)の浦は平常(ふだん)でも浪の荒いところですから、あんな暴風雨(あらし)の晩に、一つ間違うと大変なことになりますね」
「左様、平沙の浦には暗礁(あんしょう)が多いから、晴天の日でも、ああして波のうねりがある、漁師たちも恐れて近寄らないところだが、もし、あれが人間であるとすれば、洲崎沖あたりで船が沈み、それが岸へ吹寄せられたものであろう、おそらく土地の漁師などではあるまい」
「そうでしょうかね、もし、房州通いの船でも沈んだんじゃないでしょうか」
「或いはそうかも知れん」
 遠見の番所の下から、洲崎の鼻をめぐって走ること五六町。
「ああ、やっぱり人だ」
「なるほど、人間ですね」
 二人は、その見誤らなかったことを喜びもし、また悲しみもし、その浜辺に打上げられた人間のところをめがけて、飛ぶように走(は)せつけました。
 磯に打上げられている人間は、女でありました。もとよりそれは息が絶えておりました。着物も乱れておりました。肌もあらわでありました。けれども、身体(からだ)そのものは極めて無事なのであります。それは波に打上げられたというよりは、そっと波が持って来て、ここへ置いて行ったという方がよろしいと思われるくらいであります。
 もし、昨夜の暴風雨が、この沖を通う船を砕いて、その乗合の一人であったこの女だけをここへ持って来たものとすれば、それは特別念入りの波でなければなりません。そうでなければ海とは全然違ったところから、何者かがこの女を荷(にな)って来て、寝かして行ったものと思わなければならないほど、安らかに置かれてあるのであります。さりとて一見しただけでも、これはこの辺にザラに置かれてあるような女ではありませんでした。
「女ですね、江戸あたりから来た女のようですね、ここいらに住んでいる女じゃありませんね」
 鈍重な清吉もまた、それと気がつきました。
「うむ、昨晩、沖を通った船の客に相違ないが、しかし……それにしては無事であり過ぎる」
 駒井甚三郎は、ずかずかと立寄って、横たわっている女の身体をじっとながめました。髪の毛はもうすっかり乱れていましたが、右手はずっと投げ出して、それを手枕のようにして、左の手は大きく開いているから、真白な胸から乳が、ほとんど露(あら)わです。けれども、帯だけはこうなる前に心して結んでおいたと見えて、その帯一つが着物をひきとめて、女というものの総てを保護しているもののようです。
 駒井甚三郎は腰を屈(かが)めて、女の胸のあたりに手を入れました。
「どうでしょう、まだ生き返る見込みがあるんでございましょうか」
 清吉は気を揉んでいます。
「絶望というほどじゃない、生き返るとすれば不思議だなあ」
 駒井甚三郎は、まだ女の乳の下に手を置いて、小首を傾(かし)げています。
「不思議ですねえ」
 清吉も同じように、首を傾げると、
「平沙の浦の海は、全くいたずら者だ」
 駒井甚三郎は何の意味か、こう言って微笑しました。
「エ、いたずら者ですか」
 清吉は、何の意味だがわからないなりに、怪訝(けげん)な面(かお)をすると、
「うむ、平沙の浦の波はいたずら者とは聞いていたが、これはまたいっそう皮肉であるらしい」
「皮肉ですかね」
 清吉には、まだよく呑込めません。
「そうだとも、あの暴風雨の中で、波の中の一組だけが別仕立てになって、ここまで特にこの女だけを持って来て、そーっと置いて帰ってしまったところなどは、皮肉でなくて何だろう。見給え、どこを見てもかすり傷一つもないよ、着物も形だけはひっかかっているし、帯も結んだ通りに結んでいる、水も大して呑んじゃいない」
 駒井甚三郎は、女そのものを救おうとか、助けなければならんとかいう考えよりは、こうまで無事に持って来て、置いて行かれたことの不思議だか、いたずらだか、波に心あってでなければ、とうてい為し難い仕事のように思われることに好奇心を動かされて、ほとほと呆(あき)れているようです。
 この時分になって清吉も、漸く知恵が廻って来たらしく、
「そうですね、ほんとにわざっとしたようですね」
と言いました。
「ともかく、早くこれを番所まで連れて行って、手当をしようではないか」
「エエ、わたしが背負(おぶ)って参ります」
 清吉は女の手を取って引き起し、それを肩にかけました。

         六

 それから三日目の夕暮のことでした。駒井甚三郎は鳥銃を肩にして、西岬村(にしみさきむら)の方面から、洲崎(すのさき)の遠見の番所へ帰って見ると、まだ燈火(あかり)がついておりません。こんなことには極めて几帳面(きちょうめん)である清吉が、今時分になって燈火をつけていないということは異例ですから、甚三郎は家の中へ入ると直ちに言葉をかけました。
「清吉、燈火がついていないね」
 けれども返事がありません。甚三郎の面(おもて)には一種の不安が漂いました。まず、自分の部屋へ入って蝋燭(ろうそく)をつけました。この部屋は、甲府の城内にいた時の西洋間や、滝の川の火薬製造所にいた時の研究室とは違って、尋常の日本間、八畳と六畳の二間だけであります。ただ六畳の方の一間が南に向いて、窓を押しさえすれば、海をながめることのできるようになっているだけが違います。
 部屋の中も、昔と違って、書籍や模型が雑然と散らかっているようなことはなく、眼にうつるものは床の間に二三挺の鉄砲と、刀架(かたなかけ)にある刀脇差と、柱にかかっている外套(がいとう)の着替と、一方の隅におしかたづけられている測量機械のようなものと、それと向き合った側の六畳に、机腰掛が、おとなしく主人の帰りを待っているのと、そのくらいのものです。
 それでも、いま点(つ)けた蝋燭は、さすがに駒井式で、それは白くて光の強い西洋蝋燭であります。蝋燭を点けると、燭台ぐるみ手に取り上げた駒井甚三郎は、さっと窓の戸を押し開きました。窓の戸を開くと眼の下は海です。この洲崎の鼻から見ると、二つの海を見ることができます。そうして時とすると、その二つの海が千変万化するのを見ることもできます。二つの海というのは、内の海と外の洋(うみ)とであります。内の海とは、今でいう東京湾のことで、それは、この洲崎と、相対する相州の三浦三崎とが外門を固めて、浪を穏かにして船を安くするのそれであります。外の洋(うみ)というのは、亜米利加(アメリカ)までつづく太平洋のことであります。ここの遠見の番所は、この二つの海を二頭立ての馬のように御(ぎょ)してながめることのできる、絶好地点をえらんで立てられたものと見えます。
 甚三郎が蝋燭を片手に眺めているのは、その外の方の海でありました。内の海は穏かであるが、外の海は荒い。ことに、外房にかかる洲崎あたりの浪は、単に荒いのみならず、また頗(すこぶ)る皮肉であります。船を捲き込んで沈めようとしないで、弄(もてあそ)ぼうとする癖があります。来(きた)ろうとするものを誘(おび)き込んで、それを活かさず殺さず、宙に迷わせて楽しむという癖もあります。試みに風凪(な)ぎたる日、巌(いわ)の上に佇(たたず)んで遠く外洋(そとうみ)の方をながむる人は、物凄き一条の潮(うしお)が渦巻き流れて、伊豆の方へ向って走るのを見ることができましょう。その潮は伊豆まで行って消えるものだそうだが、果してどこまで行って消えるのやら、漁師はその一条の波を「潮(しお)の路」といって怖れます。
 外の洋(うみ)で非業(ひごう)の最期(さいご)を遂げた幾多の亡霊が、この世の人に会いたさに、遥々(はるばる)の波路をたどってここまで来ると、右の「潮の路」が行手を遮って、ここより内へは一寸も入れないのだそうです。さりとてまた元の大洋へ帰すこともしないのだそうです。その意地悪い抑留を蒙った亡霊どもは、この洲崎のほとりに集まって、昼は消えつつ、夜は燃え出して、港へ帰る船でも見つけようものならば、恨めしい声を出してそれを呼び留めるから、海に慣れた船頭漁師も怖毛(おぞけ)をふるって、一斉に艪(ろ)を急がせて逃げて帰るということです。
 こんな性質(たち)の悪い洲崎下の外洋を見渡して、やや左へ廻ると、それが平沙(ひらさ)の浦になります。
「平沙の浦はいたずら者だ」と、おととい駒井甚三郎がそう言いました。
 平沙の浦も、その皮肉なことにおいては相譲らないが、それは洲崎の海ほどに荒いことはなく、かえって一種の茶気を帯びていることが、愛嬌といえば愛嬌です。
 平沙の浦がするいたずらのうちの第一は、舟を岸へ持って来ることです。ほかの海では、船を捲き込んだり、誘(おび)き寄せたり、突き放したり、押し出したりして興がるのに、この平沙の海は、ずんずんと舟を岸へ持って来てしまいます。岸へ持って来て、いわに打ちつけるような手荒い振舞をせずに、砂の上へ、そっと置いて行ってしまいます。
 このおてやわらかないたずらは、幸いに船と人命をいためることはありませんが、船と人をてこずらせることにおいては、いっそ一思いに打ち壊してしまうものより、遥かに以上であります。
 平沙の浦の海へ入って見ると、下には恐ろしい暗礁が幾つもあって、海面は晴天の日にも、大きなうねりがのた打ち廻っている。漁師たちはそのうねりを「お見舞」と称(とな)えて、怖れています。いい天気だと思って、安心して舟を遊ばせていると、いつのまにか、この「お見舞」がもくもくと舟を打ち上げて来ます。その時はもう遅い。舟は大きなうねりに乗せられて、岸へ岸へと運ばれてしまう。帆はダラリと垂れてしまって、舵(かじ)はどう操(あやつ)っても利かない。そうしているうちに舟と人とは、砂の上へ持って来て、そっと置いて行かれてしまいます。
 そのいたずらな平沙の浦の海をながめていた駒井甚三郎は、ふいと気がついて、
「そうだそうだ、あの婦人はどうしたろう、今日はまだ見舞もしなかったが、清吉がいないとすれば、誰も看病の仕手は無いだろう、燈火(あかり)もついてはいないようだし」
と呟(つぶや)いて窓を締め、蝋燭を手に持ったままで、壁にかけてあった提灯(ちょうちん)を取り下ろしてその蝋燭を入れ、部屋を出て縁側から下駄を穿(は)いて番小屋の方へ歩いて行きました。小屋の戸を難なくあけて見ると、中は真暗で、まだ戸も締めてないから、障子だけが薄ら明るく見えます。
「清吉は居らんな」
 甚三郎は駄目を押しながら、その提灯を持って座敷へ上ると、そこは六畳の一間です。その六畳一間の燈火もない真暗な片隅に、一人の病人が寝ているのでした。
 その病人の枕許(まくらもと)へ提灯を突きつけた駒井甚三郎は、
「眠っておいでかな」
 低い声で呼んでみました。
「はい」
 微かに結んでいた夢を破られて、向き直ったのは女です。かのいたずらな平沙の浦の磯から拾って来た女であります。
「気分はよろしいか」
 甚三郎は提灯を下へ置いて、蝋燭を丁寧に抜き取って、それを手近な燭台の上に立てながら、女の容体(ようだい)をうかがうと、
「ええ、もうよろしうございます、もう大丈夫でございます」
 はっきりした返事をして、女は駒井甚三郎の姿を見上げました。
「なるほど、その調子なら、もう心配はない」
 甚三郎もまた、女の声と血色とを蝋燭の光で見比べるように、燭台をなお手近く引き出して来ると、
「もし、あなた様は……」
 急に昂奮した女の言葉で驚かされました。
「ええ、なに?」
 甚三郎が、屹(きっ)と女の面(おもて)を見直すと、
「まあ勿体(もったい)ない、あなた様は、甲府の御勤番支配の殿様ではいらっしゃいませんか」
 女は床の上から起き直ろうとしますのを、
「まあまあ静かに。甲府の勤番の支配とやらの、それがどうしたの」
 甚三郎は、女の昂奮をなだめようとします。
 駒井甚三郎は、ここでこの女から、己(おの)れの前身を聞かされようとは思いませんでした。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:202 KB

担当:undef