大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 お銀様は今、竜之助のために甲陽軍鑑の一冊を読みはじめました。
「某(それがし)は高坂弾正(かうさかだんじやう)と申して、信玄公被管(ひくわん)の内にて一の臆病者也、仔細は下々(しもじも)にて童子(わらべこ)どものざれごとに、保科(ほしな)弾正鑓(やり)弾正、高坂弾正逃(にげ)弾正と申しならはすげに候、我等が元来を申すに、父は春日大隅(かすがおほすみ)とて……」
 それは巻の二の品(ほん)の第五を、はじめから、お銀様はスラスラと読みました。
 竜之助がおとなしく聞いているために、品の第六を読み了(おわ)って第七にかかろうとする時分に、
「有難う、もうよろしい」
「夜分には、また源氏物語を読んでお聞かせしましょう」
 二人ともに満足して、その読書を終りました。お銀様は書物に疲れた眼を何心なく裏庭の方へ向けると、小泉家の後ろには竹藪(たけやぶ)があって、その蔭にまだお銀様の好きな椿(つばき)の花が咲いておりました。お銀様はそれを見るとわざわざ庭へ下りて、その一輪を摘み取って来ました。重々しい赤い花に二つの葉が開いています。
「お目が見えると、この花を御覧に入れるのだけれど」
 柱に凭(もた)れていた竜之助の前へ、お銀様はその花を持って来ました。
「何の花」
「椿の花」
 お銀様はその花を指先に挿んで、子供が弥次郎兵衛を弄(もてあそ)ぶようにしていました。
「たあいもない」
 竜之助はその花を手に取ろうともしません。お銀様は、ただ一人でその花をいじくりながら無心にながめていました。
 さてお銀様は、机の上をながめたけれども、そこに、有野村の家の居間にあるような、一輪差しの花活(はないけ)も何もありません。
「お銀」
 竜之助はお銀様の名を呼びました。それは己(おの)が妻の名を呼ぶような呼び方であります。
「はい」
 お銀様はこう呼ばれてこう答えることを喜んでいました。自分から願うてそのように呼ばれて、このように答えることを望んでいるらしい。
 けれども竜之助は呼び放しで、あとを何の用とも言いませんでした。ただ名を呼んでみて、呼んでしまっては、もうそのことを忘れてしまっているようでしたが、実はそうではありません。
「あなた」
 お銀様は椿の花を面(かお)に当てて、その二つの葉の間から竜之助の面をながめました。
「この花をどうしましょう、わたしの一番好きな椿の花」
 お銀様はクルクルと、椿の花を指先で操(あやつ)りました。
 竜之助は返事をしません。けれどもお銀様はそれで満足しました。
「生けておきたいけれども、何もございませんもの」
 お銀様は、わざとらしくその花を持ち扱って、机の上や室の隅などを見廻しました。この一間に仏壇があることは、お銀様も前から知っていました。けれども、この花は仏に捧げようと思って摘んで来た花ではありません。ところが、持余(もてあま)し気味になってみると、そこがこの花の自然の納まり場所であるらしい。
 お銀様はその一花二葉の椿を持って、仏壇の扉をあけた時に、まだそんなに古くはない白木の位牌(いはい)がたった一つだけ、薄暗いところに安置されてあるのを見ました。位牌が古くないだけにその文字も、骨を折らずに読むことができます。
「悪女大姉(あくじょだいし)」
と読んでお銀様は、手に持っていた椿の花を取落しました。
「悪女大姉」の戒名(かいみょう)は、尋常の戒名ではありません。
 不貞の女をもなお且つ貞女にし、不孝の子をもなお孝子として、彼方(あなた)の世界へ送るのが人情でもあり、回向(えこう)でもあるべきに、これはあまりに執念(しゅうねん)の残る戒名であります。
 何の怨みあってその近親の人が、この位牌を祀(まつ)るのだかその気が知れないと思いました。また何の意趣があって、引導の坊さんがこの戒名を択(えら)んだのだか、その気も知れないと思いました。
 それがお銀様にとっては、単に文字の示す悪い意味の不快な感じだけでは留まりませんでした。悪女! お銀様はむらむらとして、ここにまで自分を見せつけられる憤(いきどお)りから忍ぶことができないもののようです。けれども、この位牌はお銀様に見せつけるために置かれたものでないことは、その木の肌を見ても、墨の色を見てもわかることであります。
 お銀様がここへ来るずっと前から、たった一つ、こうしてここに置かれてあったのだということも、いかに逞(たくま)しい邪推を以て見てもそれは疑えないのであります。
 お銀様は、悪女の文字から来る不快と悪感(おかん)とをこらえて、そのことは竜之助に向って一言も言いません。せっかくの椿の花を拾い上げて、わざと後向きに花立へ差して、仏壇の扉を締めてしまいました。
 その晩のこと、お銀様は竜之助を慰めるために話の種の一つとして、ふと、このことを言い出す気になって、
「そこにお仏壇がありまする、その中に、妙な戒名を書いたお位牌がたった一つだけ入れてありました、何のつもりで、あんな戒名をつけたのだか、わたしにはどうしてもわかりませぬ」
「何という戒名」
「悪女大姉というのでございます」
「悪女大姉? どういう文字が書いてあります」
「悪というのは善悪の悪でございます、女というのは女という字」
「なるほど、悪女大姉、それは妙な戒名じゃ」
「ほんとにいやな戒名ではござんせぬか」
「戒名には、つとめて有難がりそうな文字をつけるのに」
「それが悪女とはどうでございます、死んだ後まで、悪女と位牌に書かれる女は、よほどの悪いことをしたのでございましょう」
「誰かの悪戯(いたずら)だろう」
「いいえ、そうではございませぬ、立派な位牌にその通り記(しる)してあるのでございます」
「はて」
「もしわが子ならば親が無言(だま)ってはおりますまい、妻ならば夫たる人が、悪女と戒名をつけられて無言(だま)っていよう道理がございませぬ」
「どうも解(げ)せぬ、読み違えではないか」
「いいえ」
「その悪女の悪という字が、たとえば慈とか悲とかいう文字が、墨のかげんでそう見えるのではないか」
「そうではございませぬ」
「慈女大姉、悲女大姉、その辺ならばありそうな戒名だが、好んで悪女と附ける者はなかろう、それは御身の読み違えに相違ない」
「いいえ、確かに」
 お銀様は、確かに自分の眼の間違いでないことを主張したけれども、そう言われてみると、懸念(けねん)が起りました。
「そんならば、もう一度見て参りましょう」
 お銀様はそれを曖昧(あいまい)に済ますことができない性質(たち)です。立って仏壇をあけて見ましたけれども、仏壇の中は暗くありました。
「それごらんあそばせ、悪女」
 取り出してよいものか悪いものか懸念をしながら、お銀様は自説の誤らないことを保証するために、行燈の光までその位牌を持ち出しました。
「確かに悪女? そうして裏には……」
 竜之助に言われて、お銀様が位牌の裏を返して見ると、そこには「二十一、酉(とり)の女」と記してありました。

 その翌朝、竜之助は、お銀様に手を引かれて、小泉家の裏山へ上りました。
 径(こみち)を辿(たど)って丘陵の上まで来ると、そこに思いがけなく墓地がありました。林に囲まれた芝地の広い間には、多くの石塔といくつかの土饅頭(どまんじゅう)が築かれてありました。墓地ではあったけれども、そこは日当りがよくて眺めがよい。そこから眺めると目の下に、笛吹川沿岸の峡東(こうとう)の村々が手に取るように見えます。その笛吹川沿岸の村々を隔てて、甲武信(こぶし)ケ岳(たけ)から例の大菩薩嶺、小金沢、笹子、御坂(みさか)、富士の方までが、前面に大屏風(おおびょうぶ)をめぐらしたように重なっています。それらの山々は雲を被(かぶ)っているのもあれば、雪をいただいているのもあります。
 お銀様は、その山岳の重畳と風景の展望に、心を躍らせて眺め入りました。
 山岳にも河川にも用のない机竜之助は、日当りのよいことが何より結構で、お銀様が風景に見恍(みと)れている時に、竜之助はよい気持であたりの芝生の上へ腰を卸して、日の光を真面(まとも)に浴びている。
「あなた、そこはお墓でございますよ」
 お銀様に言われて、そうかと思ったけれども、敢(あえ)て立とうとはしません。
 竜之助の腰を卸していたところは墓に違いありません。ほかの墓とは別に、孤島(はなれじま)のように少しばかり土を盛り上げたところに、無縫塔(むほうとう)のような形をした高さ一尺ばかりの石が一つ置いてあるだけでありました。その前には、竹の花立があったけれど、誰も香花(こうげ)を手向(たむ)けた様子は見えず、腐りかけた雨水がいっぱいに溜っているだけです。
 竜之助が動かないから、お銀様もまた、その近いところへ蹲(うずく)まりました。ここは誰も人の来る憂えのないところです。天の日は二人ばかりのために照らし、地の上は二人ばかりを載せているもののようです。
 あたりの林も静かでありました。丸腰で来た竜之助は、ついにそこへゴロリと横になって肱枕(ひじまくら)をしてしまいました。竜之助の横になって肱枕をしたその頭のあたりがちょうど、無縫塔の形をした石塔のあるところであります。
 それだから竜之助は、墓を枕にして寝ているもののようです。寝ている竜之助はそれをなんとも思ってはいないらしいが、傍で見たお銀様は、快い形と見ることができません。この人に墓を枕にして眠らせるということが、好ましいことではありません。それとも知らずに竜之助は、
「こんなところで死にたいな」
と言いました。けれどもそれは嘘(うそ)です。竜之助がこう言ったのは、それは、あんまり日の当りがよくて、そこに足腰をゆるゆると伸ばした心持が譬え様がないから、そう言ったのだけれど、お銀様は、やはりその言葉を不吉の意味があるもののように聞いて、
「石になっては詰(つま)りませぬ」
 お銀様はこう言いながら、ほとんど二人並んで寝るように片手を伸べて、竜之助の頭の石塔の石を撫(な)でました。石を撫でながら、なにげなく石の裏を見ると、そこに、「二十一、酉(とり)の女の墓」と小さく刻んであるのが、図(はか)らず眼に触れてゾッとしました。その気になって見れば、この石塔の前面には何の文字もなくて、裏にだけ遠慮をしたもののように「二十一、酉の女の墓」と刻んであるのが異様です。なお他にある総ての墓とは、ほとんど除物(のけもの)のようにされて、この墓だけが一つ、ここに置かれてあることも異様です。
 それよりもまた、お銀様の胸を打ったのは、昨夜調べてみた「悪女大姉」の位牌の裏の文字が、これと同じことの「二十一、酉の女」の文字であったことです。
 この文字を見た時にお銀様は、蛇を踏んだような心持になりました。寝ていた机竜之助は、何を思ったか、むっくりと頭を上げて起き直り、
「お銀どの」
「はい」
「あの、ここは何村というのであったかな」
「ここは東山梨の八幡(やわた)村」
「東山梨の八幡村?」
「八幡村の大字(おおあざ)は江曾原(えそはら)と申すところでございます」
「八幡村の江曾原!」
 竜之助がいま改めてそれを聞くのはあまりに事が改まり過ぎる。ここへ来てからも相当の日数があるのだから、仮りにも現在の己(おの)れのいる土地の名前を記憶しておらぬということはあるまい。けれどもこの人は、初めてそれを聞くもののように、念を押して尋ねて再びそれを繰返しました。
「して、いま我々が厄介になっている家の主人の名は」
「小泉と申します」
「小泉……それに違いないか」
「いまさら、そのような御念を」
「八幡村の小泉家――そこへ、拙者も、お前も、今まで世話になっていたのか」
「それがどうかなさいましたか」
「小泉の主人というのは、拙者の身の上も、お前の身の上もみんな承知で世話をしているのか」
「いいえ、わたしの身の上は知っておりますけれど、あなたのことは少しも」
「それと知らずにこうして、隠して置いてくれるのか」
「左様でございます」
「お銀どの、そなたの家は甲州でも聞えた大家であるそうじゃ」
「改めて左様なことをお聞きになりますのは?」
「お前はここからその実家(うち)へ帰ってくれ」
「まあ、何をおっしゃいます」
「小泉の主人に頼んで、実家へ詫(わ)びをして帰るがよい、今のうちに」
「わたしに帰れとおっしゃるのでございますか、わたし一人を有野村へ帰してしまおうとなさるのでございますか」
「生命(いのち)が惜しいと思うならば、一刻も早く帰るがよい、もし生命が惜しくないならば……それにしても帰るがよい」
「何のことやらさっぱりわかりませぬ」
「わからないうちに帰るがよい、危ないことじゃ、これから先へ行くと、お前も悪女になる」
「悪女とは?」
「悪女大姉、二十一、酉(とり)の女がいま思い当ったよ」
「あなたのお言葉が、いよいよわたしにはわからなくなりました」
「わかるまい、悪女大姉、二十一、酉の女というのは、拙者にも今までわからなかった」
「あれはどうしたわけなのでございます」
「あれはな」
「はい」
「あれは、人に殺された女よ」
「かわいそうに。そうしてどんな悪いことをしましたの」
「お前がしたような悪いことをした」
「妾(わたし)がしたような悪いこととは?」
「男の魂を取って、それを自分のものにしようとしたからだ」
「妾はそんなことは致しませぬ」
「いまに思い知る時が来る」
 竜之助が石塔の頭へ手をかけて立ち上った時に、どこからともなく一陣の風が吹き上げて来ました。その風が、颶風(つむじかぜ)のように颯(さっ)と四辺(あたり)の枯葉を捲き上げました。紛乱(ふんらん)として舞い上る枯葉の中に立った竜之助は、今その墓から出て来たもののようであります。
「なんだか、わたしは怖ろしうございます」
 日はかがやいているのに、お銀様はその周囲(まわり)が鉛のように暗くなることを感じました。

         二

 机竜之助はその晩、ふらふらとして小泉の家を出でました。
 お銀様は竜之助の出たことを知りませんでした。それは竜之助がお銀様の熟睡を見すまして、密(そっ)と抜け出でたからであります。
 小泉の家の裏手を忍び出でた竜之助は、腰に手柄山正繁の刀を差していました。これは神尾主膳から貰ったものであります。手には竹の杖を持っていました。これも甲府以来、外へ出る時には離さなかったものであります。面(かお)は例によって頭巾(ずきん)で包んでいました。
 その歩き方は、甲府において辻斬を試みた時の歩き方と同じであります。あるところはほとんど杖なしで飛ぶように見えました。あるところは物蔭に隠れて動かないのでありました。自然、甲府でしたことを、ここへ来ても繰返すもののように見えます。
 けれどもここは甲府と違って、人家も疎(まば)らな田舎道(いなかみち)であります。笛吹川へ注ぐ小流れに沿って竜之助は、やや下って行ったけれど誰も人には会いません。人には逢うことなくして、水車の車のめぐる音を聞きました。竜之助がその水車の壁に身を寄せた時に、一方の戸がガタガタと音をして開きました。
「それでは新作さん、行って来ますよ」
 それは若い女の声。
「ああ、気をつけておいで」
 それは若い男の声。
「ずいぶん暗いこと」
 若い女は外の闇へ足を踏み出しました。手拭を姉(あね)さん被(かぶ)りにして、粉物を入れた箕(み)を小脇にし、若い女の人は甲斐甲斐(かいがい)しく外へ出て、外から戸を締めようとしました。
 小屋の中で臼(うす)のあたりを小箒(こぼうき)で掃いていた若い男は、その手を休めてこちらを向いて、
「狸(たぬき)に見込まれないようにしろや」
と言って笑うと、
「大丈夫だよ、わたしなんぞを見込む狸はいないから」
 女もまた、小屋の中を見込んで笑いながら戸を締めました。
 女はこう言い捨ててスタスタと草履(ぞうり)の音を立てながら、小流れの堤を上の方へと歩いて行きます。
 この水車はある一箇の人の持物ではなくて、この八幡村一郷の物であります。一軒の家が一昼夜ずつの権利を持っている共有物でありました。その当番に当った家では、その機会においてなるべく多くの米を搗(つ)き、麦を挽(ひ)かねばなりませんでした。これがために、いつもこの水車小屋には徹夜の働き手がいます。
 もし若い娘がその当番の夜に働いていたならば、それと馴染(なじみ)の若い男が手伝いに来たがります。馴染でない若い男もやって来たがります。もしまた出来てしまった間柄である時には、その馴染であるとないとに拘(かかわ)らず、手を引いてこの水車小屋の一夜を、水入らずの稼(かせ)ぎ場(ば)として許すのであります。
 右の若い女が土手道をスタスタと歩いて行く時に、机竜之助は壁の下から軽く飛んで出でました。いくばくもなくその娘のあとから追いつきました。追いついたというけれど、それはほとんど風のようです。風は微風でも音がするけれど、竜之助の追いついた時までは音がしませんでした。
 でも女はその音を聞かないわけにはゆきません。
「おや?」
 箕(み)を抱えたままで振返ると、そこに真黒い人影が、いっぱいに立ちはだかっているのを見ました。
「物を尋ねたい」
「はい」
 女はワナワナと慄(ふる)えました。
 女はワナワナと慄えて、立っていられないために地面へ竦(すく)んでしまおうとした時に、竜之助は右の猿臂(えんぴ)を伸ばして、女の首筋を抱えてしまいました。
「あれ!」
と叫ぶ口を、竜之助は無雑作(むぞうさ)に押えてしまいました。女は箕を取落して、そこら一面に濛々(もうもう)と粉が散乱しました。
「お前は小泉という家を知っているか」
 こう言いながら竜之助は、いったん固く押えた女の口を緩(ゆる)めました。
「はい……」
 女は再び叫びを立てるほどの気力がありません。
「それはどこだ」
「小泉の旦那様は……」
「小泉の主人を尋ねるのではない、小泉の家にお浜という女があったはず、それをお前は知っているか」
「小泉のお浜様は……もうあのお家にはおいでがございません」
「どこへ行った」
「お嫁入りをなさいました」
「それから?」
「それからのことは存じませぬ」
「知らぬということはあるまい」
「存じませぬ」
「人の噂(うわさ)ではそれをなんと言っている」
「人の噂では……」
「気を落つけて、人の噂をしている通りを、わしに聞かしてくれ」
「人の噂では、お浜様はよくない死に方をなされたそうでございます」
「よくない死に方とは?」
「悪い奴に殺されたのだなんぞと、村では噂をしているものもありますけれど、わたしはそんなことは知りませぬ」
「悪い奴に殺されたと? どこで……」
「はい、お江戸とやらで殺されて、骨になったのを、こっそりとこの村へ届けた人があって、それでお浜様の幽霊が出るなんぞと若い衆が言っていますけれど、わたしなんぞは何も存じませんから、どうか御免なすって下さいまし」
「お前はどこの娘だ」
「わたしは……」
「お前の歳は?」
「十八でございます、助けて下さいまし」
「十八……それで名は?」
「名前なんか申し上げるようなものではございません」
「いま水車小屋にいた若い男はありゃ、お前の兄弟か、亭主か」
「あれは新作さんでございます」
「新作というのは?」
「この村の若い者」
「お前はあの男を可愛いと思うか」
「それは、あの人はゆくゆくわたしと一緒になる人……」
「うむ、わしはこの通り眼が見えないけれど、感で見ると、お前は可愛い娘らしい、お前に可愛がられる若い男は仕合せ者じゃ」
「あなた様は、わたしをどうなさるんでございます」
「小泉のお浜を殺したのは拙者(おれ)だ」
「エ、エ!」
「その供養(くよう)のために、お前を頼むのだ」
「ああ怖い」
「これから後、拙者の差している刀に血の乾いた時は、拙者の命の絶えた時じゃ」
「わたしを殺すのでございますか、わたしをなぜ殺すんでございます、いま死んでは新作さんに済みませぬ」
「それは拙者の知ったことでない、こうせねばお浜への供養が済まぬ」
「あれ!」
「斬ってしまえば雑作(ぞうさ)はないけれど、これはお浜へ供養の血」
「苦しい!」
「存分に苦しがれ」
「ああ苦しい!」

 夜中過ぎに机竜之助は帰って来ましたけれども、竜之助が帰って来た時までお銀様は、竜之助の出たことを知りませんでした。
 そっと帰って来て、行燈(あんどん)の下で頭巾(ずきん)を取ろうとした時にお銀様は眼が醒(さ)めました。醒めてこの体(てい)を見ると怪しまずにはおられません。
「どこへかおいであそばしたの」
「ついそこまで」
「お一人で?」
「一人で」
「何の御用に」
「眠れないから歩いて来た」
「そんなら、わたしをお起しなさればよいに」
「あまりよく寝ている故、起すも気の毒と思って」
「そんなことはございません」
「ああ、咽喉(のど)が乾いた、水が一杯飲みたいものだ」
「お待ちなさい、いま上げますから」
 お銀様は、水指(みずさし)を取るべく起きて寝衣(ねまき)を締め直しました。
「まだお火がありますから」
とお銀様は火鉢の灰を掻(か)き起しました。
「お銀どの」
 竜之助はうまそうに、水を一杯飲んでしまってから、
「紙があったはず、それから筆と墨と」
「何かお書きなさるの」
 お銀様は竜之助の請求を怪しみながらも、手近の硯箱(すずりばこ)と一帖の紙とを取寄せて机の上に載せながら、
「わたしが書いて上げましょう、用向きをおっしゃって下さい」
「ええと、その紙で帳面をこしらえてもらいたい、半紙を横に折って長く逆綴(ぎゃくとじ)にしてもらいたい」
「横に折って長く逆綴に? そうして何にするのでございます」
 お銀様は、竜之助に頼まれた通りに帳面をこしらえ始めました。紙撚(こより)をよってそれを綴じてしまって机の上へ置き、
「逆綴というのは、これはお葬いやなにかの時にするものでございましょう」
「死んだ人へ供養のためにするのじゃ」
「供養のために?」
 お銀様は、いよいよ竜之助の挙動と言語とを怪しまずにはおられませんでした。
「今日の日は何日(いつ)であったろう」
「二月の十四日」
「それでは、そこへ初筆(しょふで)に二月十四日の夜と書いて……」
「二月十四日の夜、と書きました」
「その次へ、甲州八幡村にてと……」
「はい、甲州八幡村にて」
「その次へ、少し頭を下げて、名の知れぬ女と書いて」
「名の知れぬ女」
「十八歳と小さく」
 お銀様は、竜之助に言われる通りにこれだけのことを書きました。
「これだけでよろしいのでございますか」
「まだ……左の乳の下と」
「左の乳の下、それから?」
「それでよろしい」
「これがどうして供養になるのでございます」
 竜之助はそれには答えることがなく、
「今夜、拙者が外出したことは誰にも語らぬように。この後とてもその通り」
「あなたを一人歩きさせたのは、わたしの罪でございますもの」
「寝よう」
 その時に何の拍子か、行燈(あんどん)の火がフッと消えました。
 八幡村を震撼(しんかん)させるような恐怖が起ったのは、その翌日の夕方のことでありました。
 昨夜、水車小屋から出て行方知れずになったという村の娘が一人、水車場より程遠からぬ流れの叢(くさむら)の蔭に、見るも無惨(むざん)に殺されて漂っていたのが発見されて、全村の人は震駭(しんがい)しました。
 慄え上って噂をするのを聞いていると、それは大方、恋の恨みだろうということです。
 その娘は村でも指折りの愛嬌者に数えられて、新作と約束が出来るまでに、思いをかけた若い者も少なくはなかったということ、それらの恋の恨みであろうということに一致すると、青年たちはいずれも痛くない腹を探られる思いをして、恐怖と無気味と復讐心とに駈られて、村の中は不安の雲が弥(いや)が上に捲き起ります。
 小泉の家は名主(なぬし)でありますから、何者よりも先にそこへ駈けつけて、その処分に骨を折らなければなりません。
 主人の妻はお銀様に向って、
「まあ、当分は夜分など、外へおいでなさることではありませぬ」
と言いました。
 その出来事の物語を聞いたお銀様は胸を打たれました。
 その時に机竜之助は、眠っているのかどうか知らないが横になっていました。
 お銀様は行燈の下の机によって、忙(せわ)しく昨晩こしらえた横綴の帳面を繰りひろげて見ました。
「もし、あなた」
 お銀様は机竜之助の面(おもて)を睨(にら)んで、
「もし、あなた」
 二度まで竜之助を呼びました。
「何だ」
 竜之助は懶(ものう)げな返事をします。
「あなたは昨晩(ゆうべ)どこへおいでになりました、もしやあの向うの水車小屋の方へおいでになりはしませんか」
「水車小屋の方へ行った」
「そうしてそこで何をなさいました」
「そこで何もしない」
「何かごらんになりはしませんでしたか」
「別に何も……見ようと思っても見えはせぬわい」
「あの十八になる村の娘さんと、道で行きあうようなことはありませんでしたろうね」
「はははは」
 竜之助は笑いました。何の意味ある笑い方であったか、お銀様には少しもわかりませんでした。
「ああ怖ろしい」
 お銀様は総身(そうみ)へ水をかけられたようになりました。
 竜之助はクルリと背を向けて返事をしませんでした。
 お銀様は怖ろしい形相(ぎょうそう)をして、寝返りを打った竜之助の後ろ姿と、それから、自分が昨夜、怪しみながらも竜之助に言いつけられた通りを書いた帳面を見比べていましたが、やがて、荒々しく立って竜之助を揺(ゆ)り起して、その帳面を見えない眼先へ突きつけて、
「左の乳の下……かわいそうに、罪もない村の娘さんの左の乳の下を抉(えぐ)って殺して、お濠(ほり)とやらへ投げ込んだのはあなたでございましょう、ナゼあなたは、そのようなことをなさいました、そのようなことをしなければならないというのはどうしたわけでございます、そうしておいて帰って来て、わたしにこの帳面を書かせようとは、そりゃまあ何という仕様でございます」
「それは今に始まったことではない」
と竜之助は言いました。そう言いながら起き上りました。
「甲府にいたとき噂にも聞いたろうが、夜な夜な辻斬をして市中を騒がせたのは、みんな拙者の仕業(しわざ)じゃ」
「エエ! あなたがあの辻斬の本人?」
「それをいま知って驚いたからとて遅い、昨夜はまたむらむらとその病が起って、居ても立ってもおられぬから、ついあんなことをしでかした」
「ああ、なんという怖ろしいこと、人を殺したいが病とは」
「病ではない、それが拙者の仕事じゃ、今までの仕事もそれ、これからの仕事もそれ、人を斬ってみるよりほかにおれの仕事はない、人を殺すよりほかに楽しみもない、生甲斐もないのだ」
「わたしはなんと言ってよいかわかりませぬ、あなたは人間ではありませぬ」
「もとより人間の心ではない、人間というやつがこうしてウヨウヨ生きてはいるけれど、何一つしでかす奴等ではない」
「あなたはそれほど人間が憎いのですか」
「ばかなこと、憎いというのは、いくらか見どころがあるからじゃ、憎むにも足らぬ奴、何人斬ったからとて、殺したからとて、咎(とが)にも罪にもなる代物(しろもの)ではないのだ」
「本気でそういうことをおっしゃるのでございますか」
「もちろん本気、世間には位を欲しがって生きている奴がある、金を貯めたいから生きている奴がある、おれは人が斬りたいから生きているのだ」
「ああ、神も仏もない世の中、それで生きて行かれるならば……」
「神や仏、そんなものが有るか無いか、拙者は知らん、ちょっと水が出たからとて百人千人はブン流されるほどの人の命じゃ、疫病神(やくびょうがみ)が出て采配(さいはい)を一つ振れば、五万十万の要(い)らない命が直ぐにそこへ集まるではないか、これからの拙者が一日に一人ずつ斬ってみたからとて知れたものじゃ」
「おお怖ろしい」
「真実、それが怖ろしければ、いまのうちにここを去るがよい」
「それでも、こうなった上は……」
「こうなった上はぜひがないと知ったならば、お前は、拙者のすることを黙って見ているがよい」
「ああ、わたしはいっそ、あなたにここで殺されてしまいたい」
「いつかそういう時もあろう、その帳面のいちばん終(しま)いへ、お前の名を書いて歳を入れずにおくがよい」
「ああ、わたしは地獄へ引き落されて行くのでございます」
「地獄の道づれがいやか」
「否(いや)と言っても応(おう)と言っても、こうなったからは仕方がございませぬ、わたしはどうしたらようございましょう」
「なんと言っても甲州の天地は狭いから、ともかくもこれから江戸へ行くのじゃ、おそらくお前は生涯、拙者の面倒を見なければなるまい」
「わたしは怖ろしくてたまりません、けれどもどうしてよいかわかりません、それでもわたしはあなたと離れようとは思いません」
「黙って拙者のすることを見ていてくれ」
「黙って見てはいられません、わたしもあなたと一緒に生きている間は、あなたのような悪人にならなければ、生きてはおられませぬ」

         三

 恵林寺(えりんじ)の師家(しけ)に慢心和尚(まんしんおしょう)というのがあります。
 恵林寺が夢窓国師(むそうこくし)の開山であって、信玄の帰依(きえ)の寺であり、柳沢甲斐守の菩提寺(ぼだいじ)であるということ、信長がこの寺を焼いた時、例の快川国師(かいせんこくし)が、
安禅必不須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちゐず)
滅却心頭火自涼(しんとうめつきやくひもおのづからすずし)
の偈(げ)を唱えて火中に入定(にゅうじょう)したというような話は、有名な話であります。
 宇津木兵馬は駒井能登守から添書(てんしょ)を貰って、ここの寺の慢心和尚の許(もと)へ身を寄せることになりました。
 慢心和尚というけれども、和尚自身が慢心しているわけではありません。和尚は人から話を聞いていて、それが終ると、非常に丁寧なお辞儀をする人でありました。非常に丁寧なお辞儀をしてしまってから後に、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 王城の地へ上って行列を拝した時にも、和尚は恭(うやうや)しく尊敬の限りを尽しましたけれども、そのあとで、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
と言って帰りました。
 領主や大名へ招かれた時でも、そうでありました。御馳走になったあとでは、非常に丁寧なお辞儀をして、帰る時に、
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 諸仏菩薩を拝んだあとでも、また同じようなことを言いました。
「お前さんより、まだ大きなものがあるから、慢心してはいけません」
 慢心和尚の名は、おそらくその辺から出て呼びならわしになったものと思われます。慢心してはいけませんというのは、人に向って言うのではなく、自分に向って言うのらしいから、それで誰も慢心和尚の不敬を咎(とが)めるものはありませんでした。
 慢心和尚の面(かお)はまん円いと言うても、またこのくらいまん円いのは無いものでありました。面の全体がブン廻シで描いたと同じような円さを持っていました。そうしてそのまん円い面のまん中に鼻があるにはあるけれども、眼と眉は有るといえば有る、無いといえば無いで通るくらいであります。
 ほんのりと霞がかかったように、細い眉が漂うている。その代りでもあるまいけれど、口は特に大きいのです。和尚の拳(こぶし)は小さい方ではないけれど、その小さい方でない拳を固めて、それを包容し得るほどに、和尚の口は大きいのでありました。それがお師家(しけ)さんで通るのだから、大した学問とか隠れたる徳行とかいうものを持っているのかと思えば、それが大間違いであります。学問は門前の小僧よりも出来ない人でありました。書入れをしたり仮名(かな)をつけたりして、やっと読むことのできる語録を二三冊持っていることが、和尚の虎の巻で、それを取り上げてしまえば、水をあがった河童(かっぱ)同様で、講義も提唱もできないのであります。
 隠れたる徳行にも、隠れざる徳行にも、和尚の人を驚かす仕事は、ただ自分の拳を自分の口の中へ入れて見せるくらいのものであります。これだけは尋常の人にはできないことでありました。けれども和尚は決して、そんなことを自慢にしてはいません。自分の拳が、自分の口の中へ入るというようなことを□(おくび)にも人に示したことはありませんから、はじめて和尚を見た人は、さても円い面の人があるものだと驚き、次に大きな口もあればあるものだと驚き、あとで人から、あの口へあの拳が入るのだと聞いて、三たび驚くのでありました。
 宇津木兵馬もこの和尚に相見(しょうけん)の時から、三箇(みっつ)の驚きを経過しました。慢心和尚は宇津木兵馬からその身の上と目的を聞いて後、例の慢心は持ち出さないでこう言いました。
「わしはその敵討(かたきうち)というのが大嫌いじゃ」
 兵馬は和尚のその言葉に、平らかなることを得ませんでした。
「しからば悪人を、いつまでもそのままに置いてよろしいか」
「よろしい」
「それがために善人が苦しめられ、罪なき者が難渋(なんじゅう)し、人の道は廃(すた)り、武士道が亡びても苦しうござらぬか」
「苦しうござらぬ」
「これは意外な仰せを承る」
「この世に敵討ということほどばかばかしいことはない、それを忠臣の孝子のと賞(ほ)める奴が気に食わぬ」
「和尚、御冗談(ごじょうだん)をおっしゃるな」
と兵馬は、慢心和尚の言うことを本気には受取ることができません。今まで自分を励まして、力をつけてくれる人はあったけれども、こんなことを言って聞かせた人は一人もありません。
「冗談どころではない、わしは敵討という話を聞くと虫唾(むしず)が走るほどいやだ、誰が流行(はや)らせたか、あんなことを流行らせたおかげに、いいかげん馬鹿な人間が、また馬鹿になってしまった」
「和尚は、世間のことにあずからず、こうしてかけ離れて暮しておらるる故、そのような出まかせを申されるけれど、現在、恥辱を受け、恨みを呑む人の身になって見給え」
 兵馬として、和尚の出まかせを忍容することができないのは当然のことであります。それにもかかわらず和尚は、兵馬の苦心や覚悟に少しの同情の色をも表わすことをしませんで、寧(むし)ろ冷笑のような語気であります。
「誰の身になっても同じことよ、わしは敵討をするひまがあれば昼寝をする」
「しからば和尚には、親を討たれ、兄弟を討たれても、無念とも残念とも思召(おぼしめ)されないか」
「そんなことは討たれてみなけりゃわからぬわい、その時の場合によって、無念とも思い、残念とも思い、どうもこれ仕方がないとも思うだろう」
「言語道断(ごんごどうだん)」
 兵馬はこの坊主を相手にしても仕方がないと思いました。仕方がないとは思ったけれども、多年の鬱憤(うっぷん)と苦心とを、こんなに露骨に冷笑されてしまったのは初めてのことでありました。それだから、その心中は決して平らかではありません。
 和尚の言葉は、敵討そのものを嘲(あざけ)るのではなくて、寧ろいつまでもこうして、本望(ほんもう)を達することのできない自分の腑甲斐(ふがい)なさを嘲るために、こう言ったものだろうと思われるのです。
 そう思ってみると、嘲らるるのも詮(せん)ないことかと我自ら情けなくなるのであります。それと共に、過ぎにし恨みや辛いことが胸に迫って来るのであります。兵馬は全く、自分の腑甲斐ないことに泣きたくなりました。
 ともかくも和尚の前を辞して、定められたる書院の一室に落着いた後までも、兵馬はこの泣きたい心持から離れることができません。
 ついには、こうして、永久に自分は兄の敵(かたき)を討つことができないで了(おわ)るのかと思いました。そうして、討つことのできない兄の敵を、東奔西走して尋ね廻った自分は、それでけっきょく一生がどうなるのだということをも、考えさせられてしまいました。
 それだけの意味ならば、敵討(かたきうち)はばかばかしいと、昼寝をするにも劣るように罵った和尚の言葉が当らないでもない。そうして畢竟(ひっきょう)、悪いことをした奴は、悪いことをしただけが仕得(しどく)で、人間の応報の怖るべきことを思い知る制裁を与えらるることなしに済んでしまうとしたら、この世の中は不公平なものだ、ばかばかしいものだ。兵馬はそんなことを考えると頭が重くなって、経机(きょうづくえ)の上に両手でその重い頭を押えて俯伏(うつむ)いた時、ハラハラと涙がこぼれました。
 宇津木兵馬はその晩、泣いてしまいました。それは自分の腑甲斐ないことばかりではなく、過ぎにしいろいろのことが思い出されると、涙をハラハラとこぼしはじめて、やがて留度(とめど)もなく泣けて仕方がありません。
 兵馬自身にも、その悲しいことがわかりませんでした。慢心和尚に言われたことの腹立ちは忘れて、ただただ無限に悲しくなるのでありました。それだから経机の上へ突伏(つっぷ)して、いつまでも眠ることもしないで泣き暮していました。
 いっそのこと、刀も投げ出し、お松を連れてどこへか行ってしまおうかしら。そうして小店(こだな)でも開いて、町人になってしまおうかとも思わせられました。そうでなければ髪を剃りこぼって、こんなお寺のお小僧になってしまった方が気楽だろうとも考えさせられました。
 兵馬の心は、今日まで張りつめた敵討の心に疲れが出て来たのかしら。人を悪(にく)む心よりは、人恋しく思うようになって泣きました。
 張りつめていたから、今までお松と、ほとんど同じところに起臥(きが)していても、その間にあやまちはありませんでしたが、今こうして見れば、お松の今まで尽してくれた親切と、異性の懐しみとが犇(ひし)と身に応(こた)えるのであります。これは思いがけないことで、この寺で坊さんに嘲られてから、兵馬自身に、女を恋しく思う心が起りました。
 すでに敵(かたき)を討つということをないものにすれば、自分はこれから一生を、なるたけ無事に、なるたけ楽しく、そうしてなるたけ長く生きて行きさえすればよいことになる。それをするにはお松という女は、実によい相手であるとさえ思わせられないではありません。
 もし、ここの和尚が言ったように、敵を討つことがばかばかしいことであるとするならば、この方法を取って、なるべく長く生きるのが賢い方法であって、その方法はいくらでもあることを、兵馬は無意味に考えさせられました。
 お松の心はすでに、そうなっているとさえ、兵馬には想像されるのであります。「いっそ、命を的の敵討などはやめにして……お前と一緒に末長く暮そうか」「それは、本当でございますか」そう言ってお松の赧(あか)らむ面(かお)が眼に見えるようです。お松の内心では、疾(と)うからそこへ兵馬を引いて行きたいように見えないではありません。
 すこしも早く本望を遂げた上は、兵馬に然るべき主取りをさせて、自分もその落着きを楽しみたい心が歴々(ありあり)と見えることもある。
 もしまた本望を遂げないで刀を捨てる時は、たとえ八百屋、小間物屋をはじめたからとて、お松はそれをいやという女でないことも思わせられてくる。
 この時、兵馬は、竜之助を追い求むる心よりも、お松を思いやる心が痛切になりました。明日の晩は甲府へ入って、お松を訪ねてやろうという心が、むらむらと起りました。
 慢心和尚という坊主が、よけいなことを言ったおかげで、せっかくの兵馬の若い心持をこんな方へ向けてしまったとすれば、不届きな坊主であります。けれども、その不届きな坊主の無礼な言葉をも忘れてしまったほど、兵馬はお松のことが思われてなりませんでした。

         四

 果して兵馬はその翌日、またも甲府へ向って忍んで行きました。
 それは雲水の姿をして行きました。網代笠(あじろがさ)を深く被(かぶ)って袈裟文庫(けさぶんこ)をかけて、草鞋穿(わらじばき)で、錫杖(しゃくじょう)という打扮(いでたち)です。
 机竜之助を探るのは二の次で、お松のいるところまでというのが、この時の兵馬の第一の心持であります。
 甲府の市中へ入ったのは夜で、甲府へ入ると兵馬は、駒井能登守を訪ねようとはしないで、神尾主膳の邸の方へ、心覚えの経文を誦(ず)しながら歩いて行きました。
 神尾の門前を二度三度通ってみました。またその邸の周囲を、さりげなく廻ってみました。しかしながら、それだけではお松の姿を見ることもできず、それに合図をする便りもありませんでした。
 前にも一度、兵馬はこの家を覘(ねろ)うて、それがために御金蔵破りの嫌疑を蒙(こうむ)って、獄中に繋がれた苦い経験を思い出さないわけにはゆきません。一度は神尾の屋敷のまわりを廻ってみたけれども、この姿で二度と廻ることは危ない、と言って、声を出して呼んでみることは無論できない。わざと経文を声高く誦(ず)してみたところで、それは、またあらぬ人の怪しみを買うばかりで、お松の耳に届こうわけもないのであります。ぜひなく兵馬は、神尾の屋敷から引返して、甲府の市中を当もなく歩きます。忍ぶ身になってみると、無性(むしょう)に懐かしくなって、お松に会いたくてたまらなくなりました。
 それをするのに最も便宜な方法は、駒井能登守の屋敷を訪ねることであります。能登守の邸を訪ねてみれば、万事を心得ているお君が、言わずともよく計らってくれないはずがない。兵馬はそれを知りつつも、どうも能登守の屋敷へは行けないのであります。行って行けないことはないけれども、今は行くべき必要が無いはずなのであります。
 それで兵馬は空(むな)しく経文を誦しつつ、徒(いたず)らに甲府の町を歩きました。歩き歩いているうちに、いつしか駒井能登守の屋敷の後ろへ来てしまったことに気がつきました。
 やや歩いて行って振返った時に、駒井の屋敷の長屋塀のある門前から左の方に、高く二階家の燈(ともしび)の光の射すのを遠目にながめました。そこは自分が獄中から出て病を養うたところである。
 それから右の方へ廻って後ろになって能登守の居間があり、お君の方(かた)のお部屋がある。お君という女はもと賤(いや)しい歌唄いの女、それと知ってか知らずにか、能登守ほどの人が寵愛(ちょうあい)していることを、兵馬はその時分も異様に思いました。
 能登守は無論お君の素性(すじょう)を知らないのだろう。知らないとすれば、それが現われた時はどうなるだろう。これは能登守の生涯の浮沈に関する大問題に相違ないのであります。
 兵馬はその時分に、能登守のために諫言(かんげん)をしようかとも思いました。
 けれどもその機会を得ずに邸を去りました。思い切ってその諫言をしないで邸を去った腑甲斐なさを、ここでも悔む心になりました。
 あれほどの人でも女に溺れると、目がなくなるものかと情けなくもなります。溺れる心はないが、今の自分もやはりお松という女に、苟且(かりそめ)ながら引かれて来たことを思うと、そこにも情けないものがあるようです。恰(あたか)もよし、この時、兵馬の空想を破るものが足許から起って来ました。
 恰もよし、とは言うけれども、実際それは善かったか悪かったかは疑問であります。
 兵馬の足許に現われた黒い物は、ムク犬であります。
「ムク」
 兵馬は低い声でその名を呼んで頭を撫(な)でました。ムクは尾を振って喜びました。
 兵馬とムク犬との間柄の、よく熟していることは、久しい前からのことでありました。お君を理解し、お松を理解し、また米友を理解するムク犬が、いつまでも兵馬に対して敵意を持っていようはずがありません。兵馬はこの犬を見て、このさい最もよき使者の役目をつとめるのは、この犬のほかにないと喜びました。
「ムク、こっちへ来い」
 兵馬は素早く歩き出しました。その旨(むね)を心得てかムク犬は、兵馬のあとを跟(つ)いて行きました。
 憐れむべきムク犬は、いま不遇の地位にいるのであります。間(あい)の山(やま)以来の主人は、すでに他に愛せらるべき人を得て、以前ほどにこの犬の面倒を見てやることができません。
 代ってこの犬を養うべき女たちは、元の主人ほどに親身を以て世話をすることはできないのであります。時としては叱り罵ることさえあり、時としては自分たちのした粗忽(そこつ)を、犬にかずけて責めをのがれようとすることさえあるのであります。
 さしもに黒い毛を、以前はお君が絶えず精出して洗ってやったから、漆(うるし)のように光沢(つや)がありました。このごろは、手を下(くだ)して滅多に洗ってやる者がないから、汚れた時は汚れたままでいることがあります。食事でさえも、その時その時に忘れられて与えられないことがあるのであり、ムクは巨大の犬であるだけに、食物の分量もまた多量を要する。食を細くされてから後は、餓えを感ずることがしばしばあって、催促がましく台所へ現われる時は、心なき女どもはそれを侮(あなど)りうるさがることもあるのであります。それでもお君の眼に触れた時は、女中に言いつけてよく世話をさせるにはさせます。そのほかの時は、神尾の屋敷でお松に愛されることによって、ムク犬はお君に失い、米友に行かれた空虚を補うことができるらしくありました。
 お米倉の構外(かまえそと)まで来た時に、兵馬はムク犬を顧みてこう言いました。
「ムク、お前は賢い犬だ、神尾の屋敷から、お松の便りをしてくれたのはお前だそうだ、今日は、わしからお松の許(もと)まで、お前に使を頼む」
 兵馬は、紙と矢立を取り出してサラサラと一筆認(したた)め、それを紐(ひも)でムク犬の首に結(ゆわ)いつけました。
 ムクは確かに神尾の屋敷の中へ入って行ったけれども、容易にその返事を齎(もたら)しませんでした。兵馬は長くそこに立っていることがけねんに堪えられない。人目に触れないように、行きつ戻りつしていたけれど、ムクは容易に戻って来ませんのです。兵馬はここに人を待つ身となりました。
 待つ身になってみると、来る人が一層恋しくなるものか知ら。兵馬は早くお松に会いたい会いたいという心が、今までになかったほど胸に響きます。
 お松から愛せらるることの多かった兵馬。今はお松を慕う心が、我ながら怪しいほどに切(せつ)になってゆくようです。
 お松の身になってみると、この頃は立場に迷う姿であります。立場に迷うというだけならば迷ったなりで、ともかく、その日を過ごして行けるけれども、居ても立ってもいられないようなことばかり、その周囲に降って湧きました。
 第一は兵馬に去られたことであります。駒井家を立退くということは早晩そうあらねばならぬことだけれども、あまりに急なことでありました。ことにその行先の知れないということが、お松にとっては、どのくらい残念であり心細くあるか知れません。それと同時に、降って湧いたような気の毒な風聞が、今のいちばん親しい友達であるお君の身の上にかかって来たことであります。
 その風聞というのは、このごろ士人一般の間に取沙汰せられている、お松の親愛なお君の方が、ほいとの娘だという噂であります。あれは人交(ひとまじわ)りのできぬ素性の者であるに拘らず、能登守を欺(あざむ)いて、その寵愛(ちょうあい)をほしいままにしている汚(けが)らわしい女、横着(おうちゃく)な女という評判が立っていることであります。
 それと共に、能登守ともあろう者が、ほいとの娘を寵愛して鼻毛を読まれているとは、さてさて思いがけない馬鹿殿様という噂も、折助どもやなにかの間に立っていることです。
 これは単に噂だけとしても容易な噂ではありません。お君と併せて能登守の生涯を葬るに足る噂です。
 この場合に、自分としてはどういう処置を取っていいのだか、ほとほと思案に余りました。それと忠告しなければこの後の御災難が思いやられるし、そうかと言って明(あか)らさまに忠告すれば、その愛情に水を差すようなものだし、またほかのことと違って、お前の素性(すじょう)はこれこれだろうと露出(むきだし)には女の口から言えないし、いっそお君様が自分から御辞退申せばよいのにと、お君の心をさえ情けなくも思ったりしました。
 けれども、その噂はいよいよ密々に拡がるばかりで、ことに神尾家の折助などはこのことを、いちばん恰好(かっこう)な笑い草にして、おおっぴらで嘲弄していました。お松はそれを聞くと、どうしても本人に忠告をしなければならないことだと思いました。たとえ自分は悪(にく)まれ者になっても、このままで聞き捨てにはならないから、今晩は、お君様を尋ねてそのことを言ってしまおうと思って、出かけようとする時に、例のムク犬が庭先へ尋ねて来ました。
 早くも眼にとまったのは、ムク犬の首に結(ゆわ)いつけられた紙片(かみきれ)であります。
 お松は心得てその紙片を取って見ると、それに「静馬(しずま)」と記してありました。
 それだからお松はハッとしました。兵馬さんが訪ねて来ていると思うと、気がソワソワとして落着かなくなりました。これから駒井家を訪れようということなども忘れてしまいました。
 急いでこのムク犬の導いて行くところへ行かなければならない。お松はソコソコに身仕度をして、履物(はきもの)を突っかけようとする時に、
「お松」
と言って奥の方から出て来たのは、お絹でありました。
「はい」
「お前はどこへ行きます」
「ちょっと、あのお長屋まで……」
 お松は、悪いところへお師匠様が出て来てくれたと思わないわけにはゆきません。
「少しお待ち、お前に頼みたいことがあるから」
「はい……」
 お松にとっては、いよいよ悪い機会でありましたから、その返事もいつものように歯切れよくはゆきませんでした。それでもと言って、出かけて行く口実にも窮してしまいました。
「まあ、こっちへおいで、わたしのところへおいでなさい」
 お絹はわざと、お松に猶予(ゆうよ)と口実を与えないかのように見えました。そうして退引(のっぴき)させずにお松を自分の居間へ連れて来てしまいました。お松はどうすることもできませんから、そこへ畏(かしこ)まって早くお師匠様が用事を言いつけて下さるようにと、腹の中でそれを焦(せ)き立てていましたけれど、なぜかお師匠様なる人は、いつもより悠長に構え込んでいるもののようであります。
「あの、御用向きは何でございましょう」
 お松は堪(たま)り兼ねて催促してみました。その時に、お師匠様なる人はようやく、
「お前、あのお長屋へ行くというのは嘘だろう」
と微笑しながら、お松の面(かお)に疑いの眼を向けました。
「いいえ」
 お松は見られて煙たいような心持です。
「お長屋へあの乳呑子(ちのみご)を見に行くと言っておいて、お前は時々、駒井様のお邸へ遊びに行くそうな」
「左様なことはござりませぬ」
 この時もお松は、しどろもどろな打消しを試みましたけれど、その打消しは自分ながら、まずいものだと思わないわけにはゆきません。
「あってはなりませぬ、あのお邸へ遊びに行くことは、お前のためになりませぬ故、これからさしとめまする」
 お絹の口から、キッパリとさしとめの言葉が出ました。温順なお松も、こんなにキッパリと言われてみると、はい、と言いきることはできませんでした。
「あのお邸には、わたしのお友達がおりまするものでございますから……」
「そのお友達がいけませぬ、そのお友達とお前が附合っていると、お前の身の上ばかりではない、わたしの身の上も、こちらの殿様のお身の上までも汚(けが)れるようなことが出来まする、それ故、今までのことはぜひもないが、これからはプッツリと縁を切って、途中で会っても口を利(き)かないようにしなければなりませぬ。わたしがこういってお前をさしとめるわけは、もう少したてば、きっとわかって参ります、なるほど危ないことであったと、お前はあとから気がついてくるでありましょう。わたしは意地悪くお前にこんなことを言うのではありませぬ」
 その言いつけに対しても申し分はあるけれども、お松はそれをかれこれと気に留めていられないほど、外のことが気になるのであります。
 それにも拘らず、お師匠様なる人は相変らず悠長に構えて、別に差当っての用事を頼むのでなく、意見を加えがてら、話し相手のお伽(とぎ)にするようなあんばいで、
「お前は、まだ知るまいが、あの駒井様という殿様のお家は、近いうちに潰(つぶ)れます、いま甲府では飛ぶ鳥を落すほどの御支配様だけれど、遠からず、お家をつぶされて、お預けになるか、または御切腹……これはまだ内密のことだから誰にも話してはなりませぬ……そうなるとこちらの殿様が、そのあとをついで御支配に御出世なさるようにきまっている、だからお前も、そのつもりで、うちの殿様のお面(かお)にかかるようなことをしてはなりませぬ、まあ、じっとして、もう暫らく見ておいで」
と言っているお絹は、何か企(たくら)むことがあって、やがてそれが成就(じょうじゅ)した時を楽しみにしているように見えます。その企みというのは、駒井家に、何か重大な変事が出来るだろうとの暗示で推察することができます。今いう通り、遠からずお家を取りつぶされて、その上に殿様がお預けになるか、または御切腹になるかというほどの大事、お松は、いよいよ胸がつぶれる思いで、この風聞の裏には権力を争う嫉(ねた)みや罠(わな)が幾つも幾つもあって、駒井の殿様はうまうまとその罠にかかって知らずにおいでなさるということを、お気の毒に思わないわけにはゆきませんでした。それもあるけれど、差当ってもっと痛切にお松は、外へ出て見なければならない必要が迫っております。ところがお師匠様なる人は相変らず、お松を話し相手のつもりにして、べんべんと話を繰り出し、座を立たせないのであります。
「男も女も身分の低い者を相手にしてはなりませぬ。駒井の殿様などは、あの通り男ぶりはお立派であるし、学問はおありなさるし、人品はお高いし、これから若年寄、御老中とどこまで御出世なさるやら知れないお方でいらっしゃるのに、あろうことか身分違いの女を御寵愛になったために、あたら一生を廃(すた)り物(もの)にしておしまいなされた、ほんとにお気の毒ともなんとも申し上げようがありませぬ。とは言え、これも身から出た錆(さび)で、誰をお怨み申そう様もない。お家には堂上方からおいでになった立派な奥方様を持ちながら、あんな女芸人上りの身分違いの女へお手をかけられたために、御身の上ばかりか、死んだ後までも、御先祖へまでも、恥を与えるようなことになってしまいました。それにつけてもお前なども、仕合せに堅くて結構だけれども、間違いのないうちに何とかして上げたいと、わたしは常々それを思っています。それ故、今の殿様のお側へはなるたけお前を上げないようにしてあるけれども、いつまでもそうしておられるものではない、わたしもいろいろとお前の身の上を考えているうちに、あの御支配の上席の太田筑前守様の奥方が、お前をお側に欲しいとこうおっしゃるから、わたしはどうしようか、今お前を呼んだのは、そのことを相談してみたいから……」
 ようやくここへ来て、お松を呼び寄せた相談の緒(いとぐち)が開かれたのでありました。お松はそれどころではないのであります。お松がソワソワとするのを、これは駒井の邸へ密(そっ)と行きたいからであろうと見て取ったお絹は、わざと話を長くして、意見のような、教誡のような、お為ごかしのようなことを言って、お松に席を立たせまいとするのであります。
 お松は針の莚(むしろ)に坐っているようにして、それを聞かされているけれども、てんで耳へは入りません。ようやくお絹の相談というのが済んで、お松は解放されました。お辞儀をソコソコにして帰って見ると、ムク犬はまだ待っていました。そのムクを先に立てて、お松は裏門から走り出でて見ました。けれどもその時分には、もう宇津木兵馬の姿をいずれのところでも見ることができないで、町の門々や辻々に集まった多くの人が、
「また出た、また出た」
と噪(さわ)いで、お城の方をながめているのを見ました。
 お松はその人出のなかを、あれかこれかと尋ね廻りましたけれど、とうとう兵馬の姿を発見することが出来ないので、失望し、ムクを先に立てて、今も行ってならぬと差止められた駒井能登守の邸の方へ、知らず知らず足が向いて行きました。
 その間も例の人出は、
「それ出た、また出た」
とお城の方をながめながら罵(ののし)り噪いでいます。これは今宵に限ったことではない、町の人はこの二三日の晩のある一定の時刻になると、こうして門並(かどなみ)に立って、
「それ出た、それ出た」
というのであります。
 何が出たのかと言えば、真紅(まっか)な提灯(ちょうちん)がたった一つ、お城の天守の屋根の天辺(てっぺん)でクルクル廻っているのであります。大方、提灯だろうと思われるけれども、それとも天狗様の玉子かも知れない。もし提灯だとすれば、それを持って、あの高いところまで上る人がなければならぬ。そんなことは誰にだって出来るはずではないのであります。
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