読書法
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著者名:戸坂潤 

 序篇と本篇とを比較すると、前者に於て科学と云えば往々単に自然科学だけを指しているのが、後者では是正されている。その個処々々に於ける著者の注がみずから之を訂正しているのでも判る。そして著者は、序篇の時代に於けるマッハ主義的な見解を、現在の立場に立って、注に於てみずから指摘している。つまり博士は序篇時代から本篇時代に移ることによって、社会科学というものの観念と唯物論に立つカテゴリーとを獲得したことを、特に明示している。博士が専門家としてと共に言論家として、威力を頓に加えるに至ったのは全くここに由来するだろう。
 私個人の関心からすれば、本書のいくつかの論文には思い出の深いものがある。学生の頃に読んで頭に残っているものもある。又世間の多くの人は、最近の博士の有名な論策のいくつかをここで読み合わせることが出来るだろう。――最後にただ一つ私の気にかかる点がある。それは数学教育の問題を一旦別として、博士は日本に於ける教育家或いは師範教育乃至師範的教育に対して、どういう社会的批判の態度を取っているのであろうか。アレキサンドリア的学者と共に、先生的イデオローグも亦、科学的精神の敵であることを私は痛感しているので、この点博士の意見に期待する処が大きい。
(一九三七年七月・岩波書店版・四六判・三四八頁・定価一円八〇銭)
[#改段]


 18 ミショオ著 春山行夫訳『フランス現代文学の思想対立』


 Regis Michaud, Modern Thought and Literature in France, 1934 の翻訳に、訳者の「付録、人民戦線以後の文学」という政治的・文学的・クロニクルをつけたもの。訳者は「あとがき」で云っている、「ミショオがアメリカにいて、現代のフランス文学を三十年代の文学の見方から展望したことは、ある意味で、私のようにフランス文学だけを特に『フランスの国文学』として見ないで、これを同時代(コンテンポラリー)の文学として、世界文学の立場から見ようとしているものと、どこか一味通じている。」この言葉は多分当っているだろう。本書を繙いてまず感じることは、フランス文学の報告書であるこの本が、普通の現代フランス文学の紹介書のようにフランス文学だけに興味を持っているのではなくて、正しい世界文学的角度から之を問題にしているのだ、という点である。次に又気のつくことは、フランス文学を単に文学だけの興味から取扱っているのではなくて、正に文化と思想との観点から取り上げているのだという点である。著者がフランス文学に於て見ているものは現代世界文学の一環であり、且つ文化上の思想対立なのである。私は本書を、「文化問題」にかかわる最近の若干の単行本の一つとして、尊重すべきだと考える。今後新しい意味に於て、「文化問題」が社会の只中に押し出されるだろうと観測されるからだ。
 直接思想対立の現象を取り扱ったものは、最後の二章(第十三・第十四)の「左右両翼の主張」である。ミショオはここで左右両翼に対する可なり誠実な理解者であることを示している。そうでなければ、錯雑と交錯との綾を織りなしているフランスの思想対立をさばくことは出来ない。その手腕は鮮かだと云うことは出来ないが、その代り簡単に片づけたいという感は少しもない。そしてこのいい理解を通して、ミショオが略々左翼的な最も常識に富んだ進歩主義者であることを知ることが出来よう。「新古典主義、新スコラ主義、新ヒューマニズムの三者は、近代フランスに於て伝統主義者達と保守主義者達とが採用した三つの基本的な見地であるように見える。これらはいずれも興味ある見地ではあるが、しかし世界の進展を止め得るほど強力な見地でも、最も広い意味に於て社会的、道徳的、並びに科学的に世界の要求に答え得るほど普遍的な見地でもあり得ない。」そしてフランス文化の将来について云っている、「フランスに於ける政治的、社会的情熱の坩堝のなかに新しい活力が数多く醗酵しつつあるとともに、新しい徴候が続々と芽えつつある現在、我々は確信をもって未来を期待する」と。
 クロデル(第二章)、プルスト(第三章)、ジード(第四章)、デュアメル其の他(第五章)、ダダとシュールレアリスト(第九章)、ヴァレリ(第十章)、新旧の小説(第十一章)、などに関する章は、夫々独立した評論としても読み甲斐のあるものと思う。
(一九三七年八月・第一書房版・四六判・四一六頁・定価一円五〇銭)
[#改段]


 19 大河内正敏著『農村の工業と副業』


 理化学研究所及び所謂理研コンツェルンの指導者ともいうべき著者が、日本の工業政策について技術家的専門家の立場から、最近の見解の結論を叙述したものであり、書き流した風の、而も小冊子ではあるが、重大な意義を含むものと思われる。節は十二に分れているが、凡てを貫くものは「科学主義工業」の観念である。ここに出て来る一切の主要問題を、この科学主義工業の観念に結びつけて惹き出すことが出来ると私は考える。
 科学主義工業とは資本主義工業に対立させられる。第一に之は、資本主義工業の事実上の状態である低賃金高コストに反して、高賃金低コストを目標とし、現にそれを実現しているという。世間では之をなお資本主義工業と同一視して、労働力の搾取の形式であるように非難する向きもあるが、処が他方では農村などで科学主義工業による賃金が高すぎて困ると云って非難さえされているのが事実であるという。著者大河内博士自身も、しばらく前までは農村工業が低賃金である故に有利だと考えていたが、今それは「慚愧にたえぬ」という。併し科学主義工業がなぜ高賃金であるかは後にして、なぜそれが低コストであるかから見て行こう。
 科学主義工業はまず工業立地の方針を科学的ならしめる。地方の情実や資本主義工業による様々の陋習に捉われず、原価を決定すべき一切のファクターを総体に於て最低たらしめるべく、科学的な工業立地を採用せねばならぬ。次に科学主義工業は熟練を科学によって置きかえ、熟練のために要する時間を出来るだけ短縮するような、専門的に分化した精密な機械(工作機や測定機)を採用する必要がある。この点科学主義工業が就中科学的である所以で、農村の素人の婦女子でも直ちに熟練出来るように、熟練の時間が節約出来る機械を工夫すべきである。そして之は農村に於ける工事場に於て、現に実現されているという。著者は之を「熟練の大衆化」と呼んでいる。工業の地方分散(五年前の著者の見解)は科学主義工業的ではない、日本の農村の物質的(そして恐らく精神的)条件に立脚した副業として農村工業こそ、日本に於ける科学主義工業の温床で、生産費に較べて著しく運賃の安い精密機械の部分品製造などが、最も適当であり、日本の工業をして世界と角逐させる道は之をおいてはないし、戦時に於てもこの形なら少しの動揺も蒙らずに済むという。以上は主に科学主義工業による低コストを証明する材料である。
 ではなぜ科学主義工業によると高賃金となるか。この証明は直接にはどこにも見出されない。唯一の理解の仕方は之を農村労働力の能率に結びつけることだろう。つまり労働力の能率がよければ低コストになると共に、同じ他の条件の下では、名目上高賃金の意味を有つだろうからだ。そこで曰く「そうして其(工作機械や測定機)の使い方が単調、無味であるように製作されてある程度精密に加工されるから、農村の子女が最も適当している。」「毎日毎日同じ作業をすると云うこと、而して此の簡単な作業に、飽きることを知らない農村の子女が、農業精神で精密加工するから。」「都会の人には堪え得られないような単調な作業でも、農業上の労苦忍耐の前には、日常の茶飯事である。」「日本の農業精神は土に親しみ郷土を愛し奉公の念に満ちている。外国から移し植えられて数十年にもならない日本の現代工業には残念ながらまだ此の種の精神的基礎が出来ていない。」「欧米の工業は資本主義、個人主義下の工業であって、日本の農業精神とは相距ること頗る遠い。」「農業精神が失われずして工業が副業として行なわれる」ことが望ましい。「農魂工才で行かなければいけないのである。」
 之が科学主義工業による、労働力側の能率の良さの根拠である。つまり農民の忍耐力が唯一の根拠だ。そして恐らく、この忍耐力のみが、名目上の高賃金の外見を招き得る唯一のものだろう。処が之は何等「科学」や「科学主義工業」の科学性やと関係のないことだ。科学主義工業は熟練を「科学」によっておきかえた。それでコストは安くなる。だがその代り、更に賃金までも高く見せるためには、この「科学」に農業精神という日本農民のあわれな道徳を補充しなければならぬ、ということになる。
 すると、「大資本の株式会社であると、すぐ資本主義に堕するように思えるが、科学主義工業下の資本は、資本主義下の資本と異り、情実と私利とから離れて、唯科学の指示する処に従って合理的に運用せられるに過ぎない」という著者の結論は、裏切られる。科学の他に日本的農業精神が大いに必要であったのだ。すると又、農村工業の低賃金による搾取ということを計画に入れたという著者の過去の誤りは、今日でも大して改悛されてはいないことになる。「大資本の株式会社」たる理研コンツェルンの諸会社が、資本主義ではなくて、ただ科学だけによる合理的経営であるというような科学主義工業説(農村副業論)は、極めて日本的な条件を援用したテクノクラシーだと批評されても、やむを得まい。資本主義に対立するものとして、社会主義の代りに科学主義を持って来たことの、社会認識としての苦しさはさることながら、ここでも、文芸其の他の世界と同じに、科学自身や科学的精神は重大だが、「科学主義」などというものはあり得ないのである。博士の産業国策の実際案としては、之を決してナンセンスなどとは云わぬ。だが科学主義工業というそれの説明や意義のつけ方が、ナンセンスなのだ。
 以上の批評だけでは、この本の背景をなす著者の見解の、本当の社会的意義を明らかにするには足りない。それは他日。
(一九三七年十月・科学主義工業社版・四六判一四三頁・定価九〇銭)
[#改段]


 〔付一〕 ジードの修正について


 小松清氏訳のジード『ソヴェート紀行』を、かつて私は津々たる興味と切実な同情とを以て読んだ。ジードが着眼したソヴェートの優れた点も、ソヴェートの慨嘆すべき傾向も、さもあろうと思われるものであって、若し現実の事情にそういうものが全く欠けているというなら、恐らく私はそういう現実を、にせものと思ったに相違ない位いだ。
 ただあそこで吾々とジードとの物の感じ方を別つものは、ジードが専ら文化主義者として一切の現象をながめようとしている点である。彼は勿論あそこでは、生産機構や社会機構の物的本質に触れていない。だが仮に触れていたとしても恐らく、文化主義者らしい触れ方であったに相違ないのである。事実彼は、そういう方面の事柄については、発表しなかったが、観察を怠っていたのではない。それは『ソヴェート紀行修正』が示している。この『修正』に統計の引用が沢山あるというようなことを云っているのではない。そういうものがなくても修正は『紀行』よりもジードの生産機構や社会機構に対する注目を示している。処がその注目が、依然として文化主義者らしく、又文学者らしいのだ。
『修正』の方は後にして『紀行』はその体裁から云っても極めてジードらしい。つまり文化主義が純粋な形で、従って又それ相当の尊敬を要求しているような形で、首尾一貫して現われている。誠実な文化人、特に純粋で鋭敏な文化主義者ならば、ああ感じるのが当然だという気がする。之がジードに対する同情を惹き起こす。之が正しい興味を呼びおこす。
 好意のある興味と同情とは、勿論ジードの見解の狭さを指摘することとは矛盾しない。文化主義者ならああ感じるのが尤もだという理解は、だから文化主義者が正しいということと一つではない。吾々はジードの感じ方に同情を示しながらも、決してそのままジードに追随することは出来ない。吾々は世界の出来ごとを見るのに、ああした文化主義の角度からするのを、世界の文化人に最も普及した原則上の誤りだと考えるものであり、物ごとをもっと唯物論的に見ねばならぬと考えるからだ。マテリアリスティックなセンスを全く欠いている文化主義的リアリズムでは、そういう君の哲学では、判らぬものが世界には沢山ある筈だ、ホレーシオ君よ。
 もし仮にもっとマテリアリストとしての思考の訓練を経た他の人がソヴェート紀行を書くなら、ジードの『紀行』に載った材料の凡てと、その他のジードが見なかった又は書き留めなかった材料とによって、ジードとはやや反対の結論を導くのではないかと考える。私はフォイヒトヴァンガーのものも全部は読んでいないし、ウェッブ夫妻のものも見ていないが、私の想像は決して空想ではあるまい。
 だがそれにも拘らず『紀行』はフランスの自由な一思想家文学者の、最も誠実な印象記として、敬意を表するに値いすると信ずる。この本が出版された際に提出された反対、抗議、誹謗の内には、この誠実ささえ疑おうとするものも少なくなかったが、私は少なくともこの誠実だけは信じることが出来ると考える。吾々がサンセリテの思想家として紹介されているジード氏を、この『紀行』は決して裏切りはしなかった。ジード氏が誠実であり、又誠実であったということを、私は少しも疑うことは出来ない。のみならず誠実から来る一種の文化的勇気――之は下手をするとドン・キホーテのものであるが勿論彼はキホーテではない――に敬服さえするのである。
 ただもし疑う余地があるとすれば、ジード氏やその他の文化人が、事実上持っていることに間違のないその誠実そのものが、どれだけの信頼に値いするかである。誠実は信用されていい、だが信頼されてはならぬ場合が多い。人間性や良心というものと同じに、誠実は如何なる誠実であるかを問わねば、単に誠実であるというだけでは、個人的に信用出来ても、客観的には信頼出来ないことがあるのだ。
 私はかつて以上のような主旨を、手短かに一二度書いたことがある。処が今度堀口大学氏訳の『ソヴェート紀行修正』を読んだ。その結果は、右の私の見解そのものを修正しなければならなくなったのである。ジード氏の修正が修正であると共に或る方向の発展であるように、私の読後感も亦、前言の修正であると共に、或る方向への発展を余儀なくされる。
 まず『紀行』と『修正』との出版の直接目標の差に、私は第一に気がついた。紀行の方はソヴェートをよりよく理解させるために、ソヴェートの友に与える文章である。それを書いているジード自身が、みずから何遍も強調しているように、ソヴェートの友として語っているのである。処が『修正』の方は、『紀行』に対する反対者への反駁が直接目標だ。ここではジードはソヴェートのために物を云っているのではなくて、専ら自分の見解を維持するために物を云っている。ここでのジードは、もはや、つけ足しにそう云っていないでもないに拘らず、ソヴェートの友としてではなくて、専らジードの友として物語っている。「イライラした」語調や「ギラギラした」文体と批評されているのは、彼自身何を云おうと守るべきものはソヴェートではなくなってジードの思想自身になっていることを告げているのだ。
 私は之を不当だとも正当だとも云わない。併しまず第一に、不可解なのは訳者堀口氏の左の「あとがき」の一部に関する点だ。『紀行』中でこう叫んだその声も、今は絶望と反抗の声に紛れてしまっている。曩には、人間的感情といい、青春といったようなものは、無条件に承認し得たのだった。それが「修正以前の唯一のオアシスだったのだ。ところが、今はただ良心に従ってソヴェート連邦に容赦のない反撃を加え、徹頭徹尾ソヴェートの敵になってしまうより仕方がなくなった。」私にとっても亦、『修正』の読後に、訳者と似た印象が残る。この印象がジードの本意にかなっているかどうかは知らぬ。つまり堀口氏の右のような解説が、当っているかどうかは知らぬ。併しどうも直接の印象は誰によってもこのようなものであろう。して見ると、『修正』のジード氏はソヴェートの敵になったというのか、『紀行』に於けるソヴェートの友はその敵に豹変したのか。
 君子豹変は嘉すべきであるが、併し『紀行』と『修正』との間には、ジードにとってどんな出来事が起きたというのだろう。なるほどソヴェートに於ては粛党運動にからんだ色々の刺激的な事件が起きた。だが、それが急にジードをソヴェートの敵とするには足りなかったことは、『修正』を読んでも明らかである。ジードは改めて旅行のし直しでもしたのであるか、そうでもない。彼を『修正』へ刺激したのは専らジード的見解の反対者であり、ジード攻撃者の活動である。それが豹変のためのほとんど唯一の新条件だ。そしてこの豹変を表現するために材料となったものは、即ちシットリン、トロツキー・メルシェ、イヴォン、ヴィクトオル・セルデ、ルゲェ、ルドルフ其の他の諸家の研究だ。つまり「統計」その他のものだ。ジードの実地の見聞ではないのである。
 でこうして彼は、友から敵へ豹変した。その条件か責任か何かは、本来の対象であったソヴェート自身にあるよりも、ジードに対する攻撃者の手にあったのである。ジードはソヴェートの友としてソヴェートを批判した。処が偶々それがひどく攻撃されたので、自分の説を守り続けるために、ソヴェートの敵となることをも辞しない、という筋道である。この筋道は正に転向者の筋道である、転向者の心理の公式そのままである。ソヴェートの友であろうと、敵であろうと、私などの直接関わりのあることではない。ただ私に気になるのは、この心理だ。恐らくジードの誠実を以てしても自覚し得ないだろうこの心理だ。而もそれが最も誠実であった筈のジードに於てさえ、最も典型的に現われるとは。
 ジードのような文化主義者が誠実であることを信用していいが、併しその誠実そのものは信頼出来るとは限らぬ、と私が初めに云ったことは、恰もこのことなのだ。個人的な不満から、段々と客観的な認識を歪曲させて行くということは性格の薄弱な者や、一種の性格破産者のもつインチキ性であるが、良心のきびしい文学者など、間違ってもこういう陥井に墜ちてはならない筈である。修正を読んで何より直接に感じる文学的印象は、ジードが自説に少しでも有利そうな材料を、あれこれとかき集めるのに汲々としていると云ったような弱々しさである。ここに載せられた色々の插話は、著者によって捻出されたものとは誰にも思えないだろうが、併し又、これほど瑣末な偶然なアトランダムな誹謗のスケッチを試みる位いなら、同時に、之と反対に賞賛の材料になるような同様に瑣末な偶然なアトランダムなスケッチが、なぜ載せられ得なかったのだろう、と誰しも不思議に思うに違いない。あの誠実な頭脳が文学的論証の上に於けるこれほど明らかな欠陥を、気づかないというのは、一体どうした事情なのだろうか。私は或る重役上りの人がアインシュタインの相対性理論への反駁を書いたのを見たが、それには自説の賛成者として、海軍機関学校の一生徒の賛成の書信が大事そうに載せられていたのを、今偶々思い出すのである。私は機関学校の生徒の手紙が贋造であるなどとは決して思わない。丁度ジードが出会ったどこかの「平凡な大学生」その他が贋造ではないようである。
『修正』が著しく「雑然」たるものだという批評もあるようだが、この雑然たる所以は右のようなサンセリテそのものの粗雑さの穴ボコだらけのところによるのだ。之ではまるで、最も良心のないデマゴーグがリアリズムもそっちのけで、あれこれの材料を持出して来て、デマをまき散すのと、結果に於ては少しも変りがない。正直な印象から云って、そういう印象だ。サンセリテとリアリズムとによって信用されているジード氏にとっては、少し痛ましいことだと云わねばならぬ。――読者は誤解してはならない。ジードの挙げた材料が本当でないと云うのではない。私には之を批判すべき材料が手許にないから批判はさし控えるが、ジードへの信用によって、私はこの材料が恐らく本当のものであろうと信じている。だが、それにも拘らず、『修正』全体は結局に於て、嘘であると思われる。少なくともジードがああ云う限り、あれはジードの嘘である。あのジードは純粋ではない。何等かのヴァニティーに捉えられている。尤も之はジードだけの現象ではない。文化主義者一般に、極めてあり得るところの現象なのだ。
(一九三七・一一)[#改段]


 〔付二〕「科学主義工業」の観念
       ――大河内正敏氏の思想について――


 元貴族院議員、子爵大河内正敏氏については、個人的に殆んど全く知る処はない。元東大工学部教授・工学博士大河内正敏氏についても同様である。更に理化学研究所所長、及び理研コンツェルンの総帥としての氏についてさえも、個人的にはあまり知っていない。事実私が知っていないというだけではなく、思想家でも文学者でもなく、又所謂政治家でもない氏のようなタイプの人について、街の人物批評風のものはとに角として、所謂人物論と呼ばれる個性的な人身問題を提起するということは、あまり誂え向きなことではないだろう。
 今日氏が重きをなすものは、世間の人の殆んど総てが知っているように、理研コンツェルンの指導者としてである。従ってこの方向に於ける氏の公人としての社会的本質は、理研コンツェルンの現下の社会に於ける著しい活躍と、その研究の背景をなす理化学研究所の業績とを検討することによって、大体明らかになるのであるが、その点ならば、大して困難な分析はないとも云うことが出来る。併し私は之も亦今ここで試みようとするものではない。なぜというに、理研や理研コンツェルンの社会的活動を本当に検討批判しようとすれば、今日の日本に於ける工業上の実際問題に立ち入らざるを得ないわけだが、そうなると、問題は勢い時事的批評に這入らざるを得ない。そこには本機関誌では取り扱い得ない範囲に横たわる問題が無限に匿されているばかりでなく、恐らく私の現在の力では決定し切れない要素も見出されはしないか、と考えられるからだ。
 私は単に、氏が最近到達したらしく見える工業思想の理論について、理論的検討を試みるに止めなければならぬ。それとても理研コンツェルンが社会に於て実際に演じつつある事業の分析と批判との関係から見ない限り、実際的ではないのであるが、ここでも、前に述べたと同じ理由によって、そういう点は切り捨てなければならない。
 処で大河内氏は、最近『農村の工業と副業』という小著を出版した。この小著については、私はすでに本誌〔『唯研』〕の「ブック・レヴュー」で思想内容の要点を簡単に批評したのである。つまり科学主義工業なる観念の有っている困難と矛盾とを指摘したのである。科学主義工業という観念こそ大河内氏が最近到達した工業思想上の結論であり、云わば氏の独創的な――併し現に実地に理研コンツェルンを支配の下に実現しつつある処の――産業哲学なのである。尤も氏の独創的な産業哲学と云っても、氏に云わせると、ドイツや北ヨーロッパの科学者やエンジニヤーが烽火を挙げた新しい工業の精神であるというのであり、氏の所謂「第二産業革命」の声に応じるものであるというのだから、初めから氏にだけ特有な観念であると断じ去ることは出来ない。或いは寧ろ、こういう言葉によって、常識的に想像されるだろう内容は、要するに今日、誰しも一応は考えて見ている常識であり、工業が資本主義に横取りされているから之を科学の手に取り戻すということは、至極尤もな常識であると云った方がいいかも知れない。必ずしもドイツや北ヨーロッパの科学者やエンジニヤーの頭を必要としないのであり、又大河内氏の頭も必要としないだろう。それが、単なる観念である限りはだ。
 だが之が工業思想上の多少具体的な問題になると、勿論之を単にあり振れた常識的観念であるとして見すごすことは出来ない。実際にそういう観念を具体的に懐き得るものは、必ずしも世界の心ある科学者や技術家の凡てではあり得ない。ここに科学主義工業提唱者のオリジナリティーかイニシャティヴがあるのであるが、併し更に、この観念を日本の特有な条件について具体化し、更に又、之を実地に実現し、且つ又それが企画上の成功を齎し得ているという点になると、恐らく大河内氏の独創と見ていいものであろう。そういう意味に於て、科学主義工業の観念は、全く大河内氏のものにぞくする。
 氏の独創性は、つまり科学主義工業の日本に於ける実施に関する観念の内にあったわけだ。人も知る通り日本に於ける農村人口のパーセンテージは諸外国に較べて著しく高い方であるから、科学主義工業の日本に於ける実施は、農村をめぐっての科学主義工業の問題に帰着する。だから日本に於ける科学主義工業は、必然的に、「農村の工業」の問題に帰着せざるを得ないわけであり、そして農村が工業村や工業都市となる代りに、あくまで農業生産を本業とする所謂「農村」に止まる限りは、「農村の副業」の問題に結びつかねばならぬ。かくて氏の科学主義工業に関する啓蒙的な小著の名が『農村の工業と副業』となるわけだ。
 だが之は氏の最近の観点なのである。科学主義工業という観点は、全く最近のものであるらしい。なる程従来と雖も理化学研究所の工学的技術学的研究は、科学的であることを以て知られている。この研究所の研究成果の実施機関とも云うべき所謂理研コンツェルンが、他の資本活動に較べて著しく自覚的に科学的であったということも、亦広く知られた事実だ。つまり、強いて云うなら、そこにはすでに、工業が科学的な自覚の下に企画されたという特色を有っていたのだ。之を科学主義工業と呼んで呼べないことはなかったろう。だがそれが特に「科学主義工業」という建前として自覚されたのは、即ちそういう観念が実地に確立されたのは、大河内氏によるのであり、そして特に最近の大河内氏の産業哲学的反省によるのである。
 大河内氏の初めからの観点は、科学主義工業ではなくて、寧ろ「農村工業」ということであった。農村の工業化という問題が、数年前の日本に於て、一つの産業政策上の思想として唱えられ、夫が中小工業政策論と農村問題との結合点として或る程度の希望をつなぎ得たことがあった。これは当時の識者にとって可なり魅力のある着想であるように見えた。一時当局も亦全く問題の解決をこの着想に求めようとするように思われた。尤もその後の成績によって見ると、遂に農村工業化という観念の実地に於ける失敗に帰したことは、かつて当事者が告白した通りであるが、併しこの観点の魅力はそれだけで消えてなくなるものではない。処で当時、農村工業化・農村工業・の観念の最も有力な代表的提唱者が、他ならぬかつての大河内氏であったことは、人の知る通りである。それはまず今から三年程の昔である。その時著わされた大河内氏の著書は『農村工業』という名であった。
『農村工業』時代の氏は、決して科学主義工業家ではない。工業の科学化、或いは寧ろ、工業の最も科学的な精華と云ってもいいかも知れない精密機械とその部分品との製造という、極めて「科学的」(?)な課題から出発しているのであるが、まだ科学主義工業家ではないのである。理研の科学的研究によるパテントは至る処に、理研関係の生産会社によって実施された。そして夫が農村工業の問題を解決するようにも見えた。例えば理研ピストンリング株式会社などがその模範的な一例として、広く社会に紹介された。特に農村の只中に横たわる柏崎工場の例は有名だろう。だが之は、その高度の技術充用にも拘らず、決して科学主義工業にはぞくさない。寧ろ、科学主義工業に対立すべきであった処の、従来の「資本主義工業」の旧観念によって貫かれていたものだ。
「農村工業」(「農村工業化」)の観念は、大河内氏にとっての初めの観念だ。農村に於ける工業の問題、或いは又、工業の農村化・地方化・の問題は、初め「農村工業化」という形で解かれようとした。だがそれの社会問題解決としての実地の総体は、失敗に帰したことをすでに述べたが、氏によるこの観念も亦、破綻せざるを得なかったらしい。世間は嘗て柏崎工場の如きに於ける農村工業化の現実が、如何に模範的に低賃金であったかを問題にしたが、之は大河内氏の「農村工業」の観念にとって恐らく有力な反省の動機ともなったろう。今や氏はかつての「農村工業化」という観念を清算する。之は資本主義工業にしか過ぎなかった。そして之に代わる新しいイデーが、科学主義工業だ。科学主義工業に立つ時、「農村工業」や「農村工業化」や「工業の地方分化」という公式は、「農村の副業としての工業」という公式に変らねばならぬ。
 かくて今や科学主義工業家としての大河内氏は、みずから『農村工業』を批判して云っている――
「農村工業は農村余剰労力を現金化するのがその主なる目的の一つであるとするならば、農村加工工業だけではどうしても其の目的が達せられない。其処に農産物以外のものを加工することが考えられなければならぬ。併し農産物以外のものを加工する工業は、農村と殆んど何等の関係を持たぬものである。農村に於て農家に少しも関係のない仕事が入り込んで来ることは、果して農村の機構や農村の精神に害を与えぬであろうか。……著者も嘗ては農村が工村化するのが、農村のために好いと考えた。併し今日はこれが非常な誤りであったことを、農村工業から得た体験によって自覚し得たのである。」(『農村の工業と副業』五五頁)。
 農村が工村化し、農村らしくなるのがよくない、という論拠であるように見える。して又なぜ農村の工村化が悪いかは、氏にとっては極めて深い「精神的」な根拠があることであるが、それは後に見よう。だが真の欠点は、そこにあるのではなくて、その裏にあるのである。氏は云っている、「工村と迄行かずとも、半農半工の村を造ると云うことは、農村の余剰労力を賃金化しようと云う考えから出る。そうして此の案の裏には、どうせ余っている労力だから、労賃は安くて好い、低賃金だから低コストで生産されると云う考えがひそむのである。」「著者も亦今から三年も前迄は、そう考えていた一人であった。」(五八―九頁)。
 三年前の著『農村工業』をこの著者は引用する。「農村の労銀は大体に於て今日は大都市の三分の一である。而も三倍の労銀を得る大都市の労働者の方が、生活は却って遙かに困難であって、半農半工の農村の方が遥かに恵まれている。」「大都市の大工場を幾つもの小工場に分割して、地方に分散せしめるのは農村工業のもっとも容易なやり方であるが、然しそれではまだ農村の廉価な過剰労力の真の利用にはならない」云々。――こう引用した著者は、この言葉がみずから「慚愧に堪えない」と告白しているのである(六〇頁)。
 つまり「農村工業」時代の大河内氏は、低賃金という利益を以て、その工業政策観念の支柱とした。だから之は資本主義工業の観念に他ならぬというのである。之に反して、科学主義工業は、「高賃金低コスト」を目標とするものでなければならないというのだ。

 かくて氏は過去の工業政策観念を清算して初めて科学主義工業の観念に到着したのである。云うまでもなくこの変化は注目に値いする。一つの大きな前進であり進歩と云わなければならぬ。そしてこの進歩を云わば余儀なくしたものは、農村工業の問題そのものである。だから実際を云うと、前にも述べたように、科学主義工業の観念と農村工業問題との間には、氏の場合にとって、切っても切れない因縁がある。だが、それはとに角として、一体、科学主義工業という一般観念は、原則的にはどういうものであるのか。
 科学主義工業が資本主義工業に対立することはすでにのべた。資本主義工業は科学を資本の偉力の下に屈せしめ、工業を資本の要求によって歪曲し停滞させ非能率化する。科学的研究と発明とを聡明に利用するだけの勇気を有たないから、低コストを欲すればまず第一に低賃金を要求せざるを得ない。それだけではない、事実に於ては低賃金にも拘らず、資本主義工業は正に高コスト以外のものを実現し得ていない。これでは国際競争場裏に立って、日本の工業が太刀打ち出来なくなるのは明らかだ。そこで科学主義工業であるが、之こそ正に低コスト高賃金を産む唯一の工業政策だというのである。
 なぜ資本主義工業が悪くて科学主義工業が良いのであるか。恐らく氏にとっても常識的には、資本主義の如きものの弊害は云うまでもなく良くないものであり、之に反して科学(主に自然科学のことだが)は立派なものである、からに相違ない。だが勿論そんなことは氏によって何かの根拠とされているわけではない。そういう一つの文化人的常識が事実動機になっているにしても、それを合理的論拠とするには、大河内博士はあまりに科学的だ。そこが政治家やファッショ壮士と科学者との異る点であろう。論拠は全く資本主義工業が低賃金高コストであるに反して、科学主義工業の方は逆に高賃金低コストになるからである。事実そうなっているのが現実だからというのである。ではなぜ低賃金高コストが悪くて、高賃金低コストが良いのであるか。併しここでも亦、氏は低賃金よりも高賃金の方が社会的な正義か何かであるからというような、「科学」外の論拠を持ち出してはいない。恐らくそういう現代の社会的通念が有力な動機にはなっているだろうが、併し之を以て合理的な論拠としようとするには、博士はあまりに「自然科学者」であるのだろう。氏の挙げ得る論拠は正に、そうでなければ日本の産業は国際的に太刀打ちが出来ないから、ということであるらしい。
 だがそうなら、寧ろ低賃金と愈々の低コストの方が一層増しではないだろうか。科学主義工業は、単なる高賃金低コストの代りに、低賃金及び益々の低コストの方が益々合理的ではないだろうか。私は博士の社会正義観の如きものを知らないではない。だがそれが合理的な論拠となり得ない限り、最も合理的な科学主義工業は、寧ろ低賃金低コストでなければならない、という理屈に落ちざるを得まい。して見ると、大河内氏式の「科学主義工業」よりも、もっと合理的な科学主義工業が可能なわけだ。いや単に思考の上で可能なだけではない。やがてはいつかこの社会に実現する可能性が大いにあろうというものだ。いつか大河内氏がその制限つきの「科学主義工業」の観念をもう一遍清算しなければならぬ時期が、来ないとも限らない。もし今そこまで観念として徹底しないのだとすると、科学主義工業の低コスト高賃金主義には、多分の社会正義か何かのイデオロギーが含まれていて、それが暗々裏に心理的な作用を(論理的ではない作用を)営んでいるのではないだろうか。そしてこの心理的な作用の主が、どうやって氏の「科学主義」の内に編入されるのか、之は私にとって最も興味のある点でなければならぬ。
 尤も、誰が考えても、低賃金高コストよりも、高賃金低コストの方が、合理的であろう。併しこうした関係の合理性は、つまり産業合理化の場合のような意味に於ける合理性なのであって、一般の抽象的な合理性ではあり得ない。と云うのは一定の政策的な目標に照して決って来る合理性だ。産業合理化はあまり賃金の社会的合理化(高賃金)のことは計算に入れない資本主義的習慣であるようだが、併しそれが科学主義に乗り替えることによって、この新しい産業合理化は高賃金を計算に入れなければならぬようになるというのは、どういうわけだろうか。日本の産業が国際的に太刀打ち出来るようにという目標によって、立派に科学主義的工業の合理性は設定され得る。この合理性に照して、最も合理的なるものは、低コストと同時に又より以上の低賃金ということではあるまいか。そうでないとしたら、もっと何か別な目標に照して合理的である処の合理性が介入しているのでなくてはならぬ。ではそれは「科学」か。併し科学は低コストを必然にしても、低賃金であることを妨げる何物をも含まない。それとも社会に於ける一般的な合理性(正義感とか何等かの理想的精神の如き)にでもよるのであるか。だが大河内氏の科学主義に於ける科学はそういうものの合理性の支柱となれるのだろうか。
 低コストの必然性は、科学主義工業の観念によって、よく理解出来るだろう。それは次に見る。だが科学主義工業による高賃金の必然性は、どうも理解出来ない。そこには科学主義の科学以外のものがある。そしてそれは日本工業の海外発展という目標と必ずしも一致しないような或る社会正義的なものでさえあるようだ。もしこの二つを強いて結びつける観念を見出そうとするならば、どういうものがいいだろうか。勿論この結びつきは、本当は成功しないだろうから、単に観念的な結びつきで結構なのだが、夫は例えばどういうものだろうか。社会的常識によっても想像出来るものは、恐らく農村精神という観念のようなものではないだろうか。――果して大河内氏は、そこへ行くのである。
 だがまず低コストの理論を見よう。ここにこそ「科学」の得意の世界がある。まず工業立地の科学性。原料・運賃・其の他一切のコストのファクターの総和を、最小にするような科学的工業立地である。之に対立する云わば資本主義的立地(?)は、科学的に無知な資本家の陋習と、既成社会の情実による合理化の不徹底とを意味している。次に併し最も重大なのは、工業生産の極度の機械化である。工作機械と測定機械との充分な充用である。それは当然工作機械の専門的分化(万能工作機の回避)が必要である。之によって精度は量的に向上するばかりでなく質的に転化を遂げる。と云うのは、専門的に分化した工作機械に於ては、問題は単に機械そのものの精度に限定されることなく、製作品そのものの精度の問題が正当に登場することが出来るのであって、ここに初めて、工作機械自身の本当の実際的な精度が高められるからだ(「機械工業と生産費」――『科学主義工業』〔一九三七年〕十一月号)。
 さて製品そのものの精度の向上こそは、コストを引き下げる最も科学的な要点である。つまりこのようにして精密工業生産の精度を高めることが、科学主義工業の科学主義工業らしい面目なのである。精度が向上するということは処で、所謂熟練が機械によって取って代わられるということだ。だから、機械が熟練にとって代わるということが、科学主義工業の建前である、とも氏は定義しているのである(熟練の大衆化)。この点、五年も前には夢にも思わなかったことだと氏は云っている。博士の最近の思想であるこの「科学主義工業」にとって、この要点がどんなに重大な個処をなしているかが、ここからも判ると思う。――之によって所謂熟練工の問題も原則的には解消するし、農村に於ける工業の合理的基礎も置かれると氏は説いている。なぜというに、元来、科学的工業立地の上から云って、比較的運賃を食う農村には、価格に較べて出来るだけ運賃の安い製品ほど生産に適しているわけだが、処が恰もそういうものは、精密機械の部分品でなければならぬ。処が今云ったことから、そうした精密工業生産に於ける所謂熟練は、科学主義工業のおかげで機械がとって代るのであるから、この農村に科学主義工業的な施設(精巧で分化した工作機械その他)さえ設けられれば、精密機械の部分品は、熟練の不足な素人農民のための、この上ない工業生産となり得るわけである。
 だが所謂科学主義工業、つまり科学的研究の成果を思う存分充用した工業、がコストを何等かの形で引き下げるということは、要するに常識的に見当のつくことだ。大河内氏に聞くべき点は、それがどういう実際的な内容に於て行なわれ得るかということだ。そこでは博士の機械学者らしい専門的知識(博士の元来の専門は兵機であり又内燃機関である)が、常識に見ごとな解答を与えて呉れる。――だが、常識でも何でも理解出来ないのは、例の高賃金の方だ。なぜ科学主義工業は必然的に高賃金を結果しなければならないのか。賃金の方も低くして、愈々コストを下げるということが、なぜ科学主義工業の精神に矛盾するのか。なぜその代りに資本主義的工業に近いのか。そしてなぜそういう意味での資本主義工業(?)が誤っているのか。それがどう考えて見ても、大河内氏の説明から判断しかねるのである。
 私は今、『農村の工業と副業』に関する前出の私のブック・レヴューの一節を多少補足訂正しながら引用する方がいいように思う。――曰く、ではなぜ科学主義工業によると高賃金となるか。この証明は直接にはどこにも見出されない。唯一の理解の余地は之を農村労働力の能率に結びつけることだろう。つまり労働力の能率がよければ低コストとなるとともに、他の条件が同じならば名目上高賃金の意味を有つだろうからだ。そこで氏曰く「そうして其(工作機械や測定機)の使い方が単調無味であるように製作されてある程精密に加工されるから、農村の子女が最も適当している。」「毎日毎日同じ作業をするということ、而して此の簡単な作業に、飽きることを知らない農村の子女が、農業精神で精密加工するから。」「都会の人には堪え得られないような単調な作業でも、農業上の労苦忍耐の前には、日常茶飯事である。」「日本の農業精神は土に親しみ郷土を愛し奉公の念に満ちている。外国から移し植えられて数十年にもならない日本の現代工業には残念ながらまだこの種の精神的基礎が出来ていない。」「欧米の工業は資本主義、個人主義下の工業であって、日本の農業精神とは相距ること頗る遠い。」「農業精神が失われずして工業が副業として行なわれる」ことが望ましい。「農魂工才で行かなければいけないのである。」等々。
 私のブック・レヴューからの引用はこの位いにしておこう。ここで気のつく第一のことは、恐らく高賃金の唯一の原因であり得るだろうと思われるこの農村労働力の能率は、もはや決して、科学主義工業というものの一般原則には含まれていないということだ。それは専ら日本の特有な条件であり、そして日本の農村の特有な条件であるらしいということだ。科学主義工業はドイツや北ヨーロッパの科学者や技術家の提唱に負う処が多い筈であったのに、その必然的な属性の一半であるべき高賃金という要因が、日本の、而も日本の農村の、特有な事情に基くということは、何としたことだろうか。
 そして第二に気のつく点は、ここに突如として「農業精神」が出現して来ることだ。つまり農民の忍耐力がその唯一の根拠であったということだ。だが農業精神と名づけられる農村労働力の忍耐力は、一体科学主義工業に於ける科学とどんな関係にあるのだろう。だが一方に於て日本産業の海外発展という目標を持ち、他方に於て何等かの意味での社会正義――それはやがて社会的な道徳ともなる――という目標でも持つとすると、この二つのチグハグなものを、観念的に結びつける観念は、全く農業精神というようなものでありそうなのは、蓋し現代の一部人士の常識ではないか。然り、一部人士の常識だ。だが決して科学ではあり得ない。科学主義工業は、高賃金という名目上の属性を必然的ならしめるためには、日本農民のやや憐むべき道徳を援用しなければならぬ。科学ではなくて道徳をだ。
 農村工業が何故特に副業でなければならなかったかも、全くこの日本農民の道徳のおかげであって決して科学主義工業そのものの科学のおかげではない。大河内氏は、農村工業化の非を覚って、科学主義工業による農村副業論に到達した。この非を覚ったことは、資本主義工業から科学主義工業への転向かと思われたのだが、今や必ずしもそうではない。どうも工業的精神から農業精神への転向であるらしいのである。するとつまり、却って科学的なものから道徳的なものへの転向でもあるらしい。実際博士によると、工業的精神は資本主義的で、農業精神は科学主義的であるようにも見える。欧米の工業は資本主義個人主義のもので、日本の農業精神とは相距ること頗る遠いと云っているのである。
 でこう見て来ると、所謂低コスト高賃金の科学主義工業は、一般的な科学主義工業ではなくて、単に日本的な科学主義工業だということになる。すると一般の科学主義工業では、やはり私の云う通り、低コスト低賃金の方が科学主義的により合理的だということになるのである。日本の科学主義工業を離れて一般の科学主義工業など何の意味があるか。吾々は抑々日本人ではないか、と云われるかも知れない、全くその通りである。だが如何に日本的な科学主義工業の観念であっても、科学主義工業である以上は、科学的でなくてはならぬ。大事な処に、農業精神というような、精度を計ることも出来なければ原価計算も出来ないようなものを持って来るのでは、少なくとも日本的科学主義工業ではあり得ないではないだろうか。
 私は博士が「農村工業」から科学主義工業への転化を進歩であると云った。だがもしその進歩が、一種の社会正義的な常識や農業精神による能率への期待というような精神主義の助けによるものであり、丁度科学主義工業が熟練をば機械によって置きかえたように、この正義感や精神主義的理想を理論によって置きかえ得るのではないなら、之は感情と情緒の上での進歩ではあっても、この点に限って理論的には決して進歩でないと云わねばならぬ。大いに革新的であるかも知れないが、進歩的とは云えないようだ。
「大資本の株式会社であると、すぐ資本主義に堕するように思えるが、科学主義工業下の資本は、資本主義下の資本と異り、情実と私利から離れて、唯科学の指示する処に従って合理的に運用せられるに過ぎない、」と云っているが、その「大資本の株式会社」とは一体資本主義の意味に於ける株式会社であるのかどうか。まさか株式会社そのものが科学主義的であるとは云えないだろう。もし株式組織そのものが科学主義に依るべきならば、氏はその方針を科学主義工業の重要な一項としてつけ加えた筈だからだ。科学的な株式募集や科学的な配当法やを決定せねばならぬ。恐らく現行商法を科学主義的に改革しなければならなくなるだろう。して見るとどうも株式会社自身は資本主義的な商法に則った株式会社の謂であろう。資本主義に則った株式会社の資本が、「資本主義下の資本と異る」とはどういう意味か。「情実と私利」を除くことによって、資本主義的資本が他の資本に転化するとは信じられない。勿論資本主義を離れても企画ということは成り立たねばならぬ。だが大河内氏の科学主義工業は、資本主義的でない処の社会的企画を立ち処に確立出来るというのであろうか。
 資本主義に対立するものを科学主義と考える処に、一切の困難と矛盾とがあるのである。資本に対立するものが即ち科学だという観念は、資本主義下に働いている技術家が、最も自然発生的に感得する一つの知恵だろう。技術家は自分の科学が、常に資本家の資本に対立することを意味する。そこで資本対科学と考えたくなる。だが豈計らんや、この資本と科学との対立こそ、資本主義の上での対立だったのだ。私は一般にテクノクラシー的観念の発生を、こういう風にして説明出来ると考える。わが大河内博士の「科学主義工業」的観念も亦、日本的な農本主義によって色揚げされたテクノクラシー的観念の一つではないかと、推察するのだ。
 科学主義という言葉が抑々、妙なものである。本当の科学的精神は科学主義などという言葉に本能的な不純さを感じるだろう。それは科学の専門家に特有な或る制限された観念を象徴している。特に自然科学専門家の、専門家なるが故に制限された科学的精神を象徴する様だ。之は文学主義と好一対の仇名として相応わしいだろう。
 だが私は大河内博士の「科学主義工業」の観念の背景をなす社会的地盤を検討出来なかったのを残念に思う。
(博士は雑誌『科学主義工業』十二月号から、「資本主義工業と科学主義工業」という論文を執筆している。今の処まだ要点に触れる処まで議論が進行していない。だがすでに気になるのは、産業革命を単に科学の発達の功績に帰しようとし勝ちな点の見えることだ。その科学の発達自身が、却って技術的社会的な要求に基いて行なわれたという、より根本的な関係にあまり注意を払わないらしいことだ。科学から第一テーゼを出発させるという意味で、ここでも氏が科学主義的な工学者であることを、吾々は忘れてはならぬ。)
[#改段]


 □ 書評




 1 マルクス主義と社会学
――住谷悦治氏の『プロレタリアの社会学』に就いて――


 元来「社会学」なるものは、近世ブルジョアジーがその市民的生活の自己認識を一般化するために造りだしたところの、ブルジョアジー特有の、一種の告白科学だともいうことが出来る。それは市民生活の理想のための内的闘争と未来への希望とから、始まった。このことは今日に至っても、無論変るはずがない。社会学が今日ありとあらゆる形において、依然一つの歴史乃至社会の哲学として、或いは形式的社会諸関係の本質論として、資本主義社会の保存のために忠誠を誓うことを忘れない。それは歴史哲学としては、ドイツ風の精神哲学(文化社会学・歴史主義・等々)であったりフランス風の社会学主義となって現われたりする。
 この反唯物史観的武器として取り上げられるものは、いうまでもなく史的観念論である。それは又次に、形式社会学としては、歴史的社会における一切の歴史的原理を放逐し、そうしておいて逆に歴史観を指導しようとする。唯物史観は、社会のこの普遍的恒常的な形式に、特殊なしかも偏狭な内容を無批判に□入したものとして、完全に排斥されるか、高々条件つきで市民権を与えられる。武器はこの場合その形式至上主義なのである。
 社会学のこうした武器がどれ程戦闘力を持つか、否どれ程戦闘力を有たないか、は今更問題ではないが、必要なことは、社会学なるものが、一般にいって、いつもこうした反唯物史観的武器の所有者だという点である。――だから、唯物史観を一つの社会学として、仲の好い社会学者達のサロンの食卓につけることは、単に唯物史観にとって馬鹿々々しいばかりではなく、社会学自身にとっても迷惑なことだろう。
 然し社会学が、言葉通り社会の学(社会科学)を意味するならば、そういう言葉をわれわれは何も好き嫌いしなくても好いだろう。
 で唯物史観が一つの社会の学であり、その限り社会学と呼ばれて好いとして、問題は、この社会学と他の社会諸科学(経済学・法律学・政治学・又歴史学・等々)とどう関係するかである。この問題は併し可なり原理的なものから来ている。
 ブハーリンは唯物史観を社会学として規定しながらいっている、それは社会と社会発展法則との一般的理論である、と。それは経済学や政治学という特殊の理論ではなくて一般的理論であり、又それは一般史ではなくて一般的理論である、というのである。――なる程こういう区別が必要であることは誰でも認めなければならない。
 だが問題は、こう区別されたもの同志の連関がどう与えられるかである。社会学を経済学・政治学・史学・等々から区別することこそ、ブルジョア社会学のもっとも戯画的に徹底純化されたもの――形式社会学――の、生命ではなかったか。
 マルクス主義的社会学は、こういう形式社会学との原理的な対立をハッキリさせるためにも、その一般的理論たる所以の一般性の吟味に、意識的でなくてはならぬ。
 ブハーリンは唯物史観が単なる方法には尽きないことを力説している。だが凡そ体系から機械的に区別された単なる方法があり得るだろうか。それが経済学・政治学・法律学・文化理論・歴史学・等々を貫く一貫した方法であればこそ始めて、唯物史観は、体系的理論となることが出来、またならねばならないのである。これを外にしてそれが理論であり得る理由はない。だから唯物史観(マルクス主義社会学)は、他の諸社会科学から単に機械的に区別されない所に、例えば形式社会学などと資格の異った点があるのである。
 さて一体我々は何のためにブハーリンを持ちだしたか。外でもない。住谷悦治氏の『プロレタリアの社会学』を、今いった点について、ブハーリンの『史的唯物論』に比較するためである。ブハーリンの書物の方は相当大きく、これに反して住谷氏の方は小さいから凡そ二つを比較することは無理に見えるかも知れないが、善い意味における内容の通俗性・大衆性・とその総括的性質とからいって、わが国で書かれたものとしては、住谷氏のこの書物を外にしてブハーリンのものに較べるべきものを私はほとんど知らないからである。――そこで氏は、今いった点について、どうブハーリンと異るか。氏もまた少なくとも社会学という概念については完全にブハーリンを採用しているようである。
 氏の書物はブハーリンのものよりも、その視角は遥かに高く、問題を取り上げるにも、より政治的な線に沿うている。この点からだけいっても、プロレタリアのための「入門」として、氏の著書がより有益であることについて注意を喚起しなければならない。
 だが社会学が有つ一般性と他の社会諸科学の有つ特殊性との関係について問題をあまり意識的にしていない点では、ブハーリンと大して隔りがないのではなかろうか。
 もし社会科学への「入門」とか概論とかいう意味において仮に社会学という名を用いるのならば別であるが、そうでないことは氏自身の説明からも知ることが出来る。まことに唯物史観の理論は、自然科学および社会科学の総合を与える発展の理論である。社会学は唯物史観において初めて科学性をかち得たのである。
 無論我々は、住谷氏がその社会学と諸社会科学との弁証法的連関を無視している、というのではない。それどころではなく、事実においてはその豊富な具体的な社会科学的知識内容を唯物史観的方法を以て、見事に弁証法的に貫いている。ただ、今いった一見科学論的な見地からして、社会学と他の諸社会科学との弁証法的連関の問題が吾々の問題として、残されていはしないかというのである。
[#改段]


 2 非常時の経済哲学
       ――高木教授著『生の経済哲学』――


 経済哲学と云えば誰でもまず故左右田博士を思い出す。左右田博士は新カント派特に西南学派の価値哲学から出発して、その独特な極限概念の「論構」(故博士はそういう言葉を好んだ)を使って、経済学の方法論を問題の中心に齎した。吾々は価値哲学というものの科学論上の権限に就いて根本的な疑問を持つし、又その極限概念というものの論理学的効用に対しても大して期待を有つことは出来ない。なぜなら、論理主義を標榜する所謂価値哲学は、心理主義や発生論の名の下に、歴史的観点を排除するからであり、又極限という範疇も形式論理の最後の切札として使われているに過ぎないからである。で、この経済哲学は独創的で強健な首尾一貫性を有つにも拘らず、実際の歴史社会の経済機構とは殆んど無縁でさえあったと云わねばならぬ。その核心が所謂経済学「方法論」の埒外に出ることの出来なかった理由もここから来たのであった。左右田博士自身の経済哲学の核心に相当する部分は断片的に止まっていたが、仮に左右田経済哲学を体系化しても、今述べた点は殆んど変る処はないだろう。東京商大の杉村助教授の細密な思索によっても、左右田経済哲学は依然として左右田経済哲学に外ならない。歴史的社会の存在を敢えて無視はしなくても、歴史的社会の存在を貫く現実的な原理は見つからないのである。その意味に於て之は「生活」「生」に立脚した経済哲学ではないと云って好いだろう。
 京大の石川興二博士はすでに、ディルタイの方法に倣って「精神科学」としての経済学を書いたが、之は明らかに一種の「生の経済哲学」である。ディルタイの愛好者である博士は、アリストテレスとアダム・スミスの学説史上の意義を明らかにしようとするのであるが、ややたどたどしいその文章によって、ディルタイの水際立った方法がどこまで模倣され得たかは疑わしい。
 法政大学教授高木友三郎氏の学位論文「生の経済哲学」は、今云った二つの経済哲学とその立場を夫々異にした注目すべき著述である。左右田経済哲学に対しては、夫が一般に「生」の経済哲学であることによって、それから石川経済哲学(?)に対してはこの「生」がディルタイの生の概念とは全く別なものだという点に於て、夫々に対する区別は明らかになる。ディルタイの歴史哲学的「生」に対して、生物学的「生」がこの経済哲学の原理となるのである。
 高木博士による生の経済学の何よりもの特色は、人間の歴史的社会的生活が、進化論によって、即ち博士に従えば、生存闘争・自然淘汰・によって、説明出来るとする想定の内に横たわる。人間の生活を統制する規範としての法則(規範法則)も全く生存闘争によって淘汰されて吾々にまで残されたものに外ならない。従って之と経験法則とは元来合流出来る筈のもので、経済法則の如きはその一例なのだと博士は考える。経済法則とは経済価値の実現展開の法則のことであり、之によって生はよりよき善に高められ、かくて文化価値そのものの進展に資することが出来るというのである。之が経済現象に於ける進化の謂である。
 処で普通進化論は生物学主義的な有機体説に結び付き勝ちであるが、博士は進化過程の動力を説明するのに、寧ろ弁証法を以てしようとする。細胞の相互抗争による相互作用(もはや単なる因果関係ではない)を介して生物個体が運動し変化するように社会の運動・変化(進化)・も亦弁証法を介して初めて行なわれると考える。
 だが博士による弁証法の哲学的解明は多分に曖昧のように見受けられる。経済現象に於ける弁証法的展開の過程はあまり原則的な線を踏んで跡づけられてはいない。経済現象の弁証法的発展の動力として需要力(之は人口関係に関する)と生産力との相互関係が挙げられており、前者に関しては衝動と欲望との問題が、後者に関しては合理化の問題が取上げられているが、主体にぞくするこの衝動や欲望と、客体的な経済組織におけるこの合理化との連絡は、一寸見当らないように思われる。自然的衝動乃至欲望と社会的合理化過程とが、進化論のアナロジーによって、同じく弁証法的と呼ばれているに過ぎない。だからこの弁証法は、一体有機体説なのかそれとも又本当に弁証法なのかがハッキリしないのである。
 こういう、最後の限定を残した擬似弁証法につきものであるのは、ブハーリン型の均衡理論であるが、博士も亦均衡論者であるように見える。景気変動論に立脚する博士にとっては均衡の破壊が不況であり、均衡の恢復が好況に向かうということであって、資本主義のサイクルは多分一九四六(?)年度までに上昇期に這入るだろう、と博士は予言している。現在の行きつまった帝国主義的独占資本主義は、統制経済・ブロック経済・の計画経済によって、華々しくその強健な均衡を恢復するだろうというのである。この際博士が興味と期待とを最も大にしているものは所謂「日満ブロック」乃至「東亜モンロー主義」であるように見える。ビジネス・サイクルを仮定することは資本主義の均衡が絶対的には破壊されないと仮定することである。
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