読書法
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著者名:戸坂潤 

 尤も、この点になると、デカルトの恐らく極めて意識的に注意を払った方針にも拘らず、必ずしも極端に徹底しているとは云えない。と云うのは、時々、恐らくやむを得ないというような仕方で、この場合では学術上の寧ろ安易なコンヴェンションであるラテン語をば、説明のために括弧に入れているからだ。俗語ではなお不安だと考えられる個所もあるわけである。だが勿論そんなことは、揚げ足取り以外に、今大した苦情にはならないだろう。
 フランス語で書いたのは、この『ディスクール』と、エリザベト女皇のために書かれた『パッション』論だけだ。尤も『メディタチオネス』や『プリンキピア』(いずれもラテン原文)の仏訳語については、デカルト自身責任を取っているが。処が併し『ディスクール』をフランス語で書いたという根本精神は、即ち「古人の書物」によらずに「生来の最も純粋な理性」によって物を考えるという根本態度は、実はもっと広く、デカルトの著述の全体を一貫する或る一つの特色としても現われているのである。
 彼の著述態度或いは身振り(ポーズ)の著しい特色の一つは、広義に於ても狭義に於ても、引用というものを利用することが極めて少ないという事である。リフェレンス又はアリュージョンという形の引用さえ少ない、ということである。デカルトはこうした引用を極度に避けただけでなく、自分の思想の様々な源泉に通じる要素が、先人に負う所のありそうな個所をば、極力抹殺し、マスクをかぶることに努めている、とさえ批評されている。所がA・コワレ(『デカルトとスコラ哲学』)などのいう所によっても、デカルトは決して古人や先輩の書物を読んでいないのではないのだ。ひそかに大いに読んでいる。必要な本が手に這入るまでは脱稿をのばしたとか、聖トマスの『スンマ・テオロギカ』やスアレスの本を携えて旅行に出たとか、という事実も挙がっている。
 ガリレイの裁判事件を聴いて極度に衝撃を受け、自分の著述活動に恐らく必要以上の政治的要心をしたらしいデカルトの性格と、今述べたこの著述態度との間には、恐らく関係があるのだろう。コワレも云っている。「彼は決して引用をやらない、やってもアルキメデスやアリストテレスの名を挙げるだけである。のみならず例えば明らかにアウグスティヌスやアンセルムスの真似だと思われると、自分がまだ読んだことのない先人と偶然な思いもよらぬ一致を見出したと云って、驚き且つ喜んで見せるという子供らしい又少し滑稽じみた芝居を始めるのだ。そして全くの詭弁や甚だ芳しからぬ説明を用いて、自分の説とその先人の説とが相違しているという苦しい区別を探し出すのである」と。
 だが彼のこういう一面の性格に関するらしいことは今問題でない。実は彼こそ最もすぐれたスコラ哲学の悉知者であった。彼の思想の源泉は、ありと凡ゆる処から来ている。恐らくデカルトは、一般にそういう文献学的な(スコラ的・学校的)知識において甚だ豊富な学者であったと推定される。そして特にスコラ哲学的教養に至っては、彼の「近世的」なそして独創的な哲学そのものの、根本的な素養をなすものだと云われている。彼はただそれをあからさまに、それとは示さないように心掛けたわけだが。
 デカルトの本当のオリジナリティーは、この伝承的な教養をそのまま使う代りに、これを分解しすりつぶして、自分自身の観念と言葉とによって、自分自身気のすむように築き上げ直そう、というその極めて懐疑的であると同時に極めて建設的な決心の内にあったと見ねばならぬ。そう見れば云うまでもなく、さっきから述べて来たような引用抹殺のポーズは、決して虚勢や何かではなかったことがわかる。そしてそれが云わば露骨に、見本のように現われたのが、他ならぬ『ディスクール』であったのだ。
 かくて私はデカルトの俗語によるこの哲学著述において、アレキサンドリア的・スコラ的・(それからもっと一般に種々の)文献学主義に対する最も近代的な批判の精神を見るのである。彼は「引用」というもののもち得る科学上の弱点に対する最も鋭い批判者である。学術的僧侶用語に対する最も大胆な挑戦者である(事実僧侶生活と無関係ではなかったに拘らず)。この文献学主義に対する反対態度は、すでにF・ベーコンの「劇場の偶像」の打倒のモットーとしても現われているし、更に溯れば、ルネサンスにおける「書かれた知恵」に対する「自然の知恵」の高唱としても現われている。だからデカルトはこの意味において最も近代的な哲学者であり従って又近世哲学の祖でもある、と云っていいわけだ。
 普通、デカルトの自我問題を以て、近世哲学は始まると考えられている。私は必ずしもこれに同意することが出来ない。近世哲学はF・ベーコンの「唯物論」を以て始まると見るべき世界史的理由があると思うからだ。しかし唯物論の最も重大な批判的要点である「フィロロギー主義反対」(これはすでに唯名論の形から始まる)をば最も自覚的に意識的に企てた人としては、そしてこれを『ディスクール』という実例を以て実演さえして見せた人としては、デカルトを第一位に推さねばならぬ。デカルトのこの歴史的意義は、単に近世的や近代的であるというだけではない、これこそ正に現代的な意義だというべきだろう。
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 □ 「ブック・レヴュー」




 1 森宏一著『近代唯物論』


 唯物論の発展の時代区分は一般の思想史の夫と同じく、ルネサンスを以てすることが出来る。ルネサンス以前の唯物論は主にギリシアのものであり、更には、アラビア哲学に於て見られる。ルネサンス以後は、時期を二つに分けることが出来る。初めの方はルネサンスからフランス唯物論を経て十九世紀の唯物論に至るまで。後の方はマルクス・エンゲルス・以降の弁証法的唯物論。後者は同じく『唯物論全書』の内に這入っている『現代唯物論』に於て永田広志氏が書いている。森氏の本書は之に対して、前者の時期、即ちルネサンス時代(コペルニクス・ティコ=ブラーエ・ケプラー・ガリレイ・ブルーノ)と十七世紀(ベーコン・ホッブズ・ロック)(デカルト・ガッサンディ・ベール・スピノザ)及び十八世紀(コンディヤック・ラ=メトリ・ディドロ・ドルバック・エルヴェシウス)と十九世紀(フォークト・ビュヒナー・モレスコット)を概論したものであり、すでにその主題から云って、日本ではあまり之まで見られなかった処のものである。
 唯物論の歴史的発展の検討は、今日の思想の科学の欠くべからざる一つの課題であるが、唯物論全般に関する歴史的研究は極めて乏しい。日本に於ては『唯物論全書』の内の三冊(本書と前掲『現代唯物論』と松原宏氏『唯物論通史』)が主なものだ。特に唯物弁証法の研究のためにも欠くべからざるものはフランスの唯物論の研究であるが、之が又極端に乏しいのである。この頃大アンシクロペディスト達に就いての多少の研究が発表されているし、又一二の人物やテーマに就いての研究ならば絶無ではないが、まだ唯物論史の体裁をなさぬ。フランス唯物論者のテキストとしては中央公論版・杉捷夫訳『フランス唯物論』が重宝なものだ。森氏の『近代唯物論』の有用な点の一つは、確かに、このフランス唯物論の歴史を極めて手短かに要領よくまとめたことであり、而も之を中心として前後の近代唯物論の諸時期段階を歴史的に又体系的に叙述したことだ。この点まで吾々の切望にも拘らず得られなかった内容を盛ったものが本書である。本書はその存在の意義から見て目立って然るべきものだと思う。
 叙述の方法は唯物論的である。と云うのは唯物論的な思想学説理論の発展を、単にそれ自身の動因に基く発展として見るだけでなく、之を出来る限り時代の根本的諸条件(経済的・政治的・社会的・其の他一般文化上及び思想家生活上の)に照して説明しようと企てられている。云うまでもなくこうすることによって、思想の展開の必要性が合理的に呑みこめるのであり、近代唯物論への移行の必然性を納得出来るのである。大冊子とは云えないから詳しい思想分析も社会事情の分析も不可能なわけだが、要点を指摘しているから今後の研究の要領を指導出来ると信じる。再版の時は誤植を訂正のこと。
 (一九三五年十月・三笠書房版・新四六判・二六一頁・定価八〇銭)
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 2 熊沢復六訳『小説の本質――(ロマンの理論)』


 ソヴェートの『文芸百科辞典』の「ロマン」の項を起草するために行なわれた研究報告と討論(一九三四―五年)を編纂したもので、報告者はルカーチ(最初の二八頁)、討論者の主なるものはシルレル・ヌシノフ・リフシッツ・ペリベルゼフ・等(総数十数名)。報告者ルカーチによると、小説即ちロマンの特色は夫がブルジョア社会の文学ジャンルであるという処に存する。ロマンはエポス(叙事詩――古代英雄詩)に対比させられる。古代ギリシアのエポスは個人と社会とが分裂していない時代の意識を反映するに適した文学ジャンルであって、そこでは、個人が社会から圧迫されて自己の身辺を中心とし散文生活を送らねばならぬというような社会条件はまだ存在しないから、英雄というものが文学的に可能であり、英雄の物語りが詩的表現を取ることが出来る。之がエポスである。然るに、ブルジョアジーの社会に於ては、個人は社会から分裂し、個人はもはや社会を代表する英雄ではあり得なくなる。英雄譚は不可能となる。個人は社会によって圧迫されるからだ。ここにロマンがこの時代の特有な文学ジャンルとなる所以がある。第一はブルジョア社会勃興期のロマン(ラブレエやセルバンテス)、その様式的特徴はリアリスティックな空想性にある。第二はブルジョア社会の初期の蓄積的発展期のロマン。よりリアリスティックとなり、ブルジョアジーの積極性を表現した積極的主人公が現われる。デフォー・フィールディング・スモレットなど。第三はブルジョア社会の矛盾が完全に展開され、併しまだプロレタリアートの自立的進歩の始まらぬ時期のロマン。ブルジョアジー生活の散文性が明白となる。ロマンティシズムが国際的に発生する。この時期の大ロマン作品はこのロマンティシズムへの傾向を克服することに努力する(バルザック)。資本主義の矛盾に就いての認識の増大、その矛盾の雄大な描写は、作品の意志を裏切って、作品のあらゆる積極性を破壊する。第四はロマン形式の崩壊期。プロレタリアートの自立的進出の始まる時期。ブルジョアジーとプロレタリアートとの争闘がテーマとなる。リアリズムの偉大な遺産と伝統とは腐敗に委ねられ、荒廃した主観主義でなければ空疎な客観主義が、ロマンの内容となる。社会は硬化したものとして描かれる。之に対するプロレタリア側からの新しいリアリズムの動きが発生する。かくてロマンの形式の決定的崩壊さえ始まる(プルスト・ジョイス)。
 かくてロマンはブルジョア社会に固有な文学的ジャンルであり、ブルジョアジーの台頭と共に支配的となり、ブルジョアジーの没落と共に崩壊に瀕する。社会主義的リアリズムはこのロマン形式の崩壊を条件として発展せねばならぬ。その時このプロレタリア的文学的世界観と手法とは、ロマンとは異った或るジャンルを必要とするだろう。社会主義社会の特色は、個人と社会との間にギャップの代りに組織があるということだ。そこでは再び英雄的行為が可能だ。して見るとこれは再び(併し全く新しい条件での)エポス的形式に達した時期だろう。ロマンはエポスによって取って代られねばならぬだろう、とルカーチは結論している。
 だがここで新しいエポスと考えられるものが何であるかは必ずしも明らかではない。社会主義的リアリズムに基くロマンがエポス的な契機に富んでいることは著名な事実だが、併し今問題になっているのはエポスというジャンルのことであって単に内容上のモメントのことではないからだ。ここに一点疑問はあるのだが、ルカーチの特色づけは美学的に且つ文芸史的に、極めて的確だろう。無論古代以来ロマンはあったとか、ロマンにも色々の分類が必要だとかいう、歴史上や形式上のトリビアリズムを以てルカーチのテーゼを一応批判することは出来ようが(ペリヴェルゼフの如き)、本質的なことは、事実の羅列ではなくて事物の根本的な特徴づけなのである。ロマンの本質がブルジョア社会の文学ジャンルであるというテーゼが、卓絶した真実であることは、リフシッツやグリーブやシルレルの討論によって解明されている。そしてロマンの要素は今後と雖も止揚されて大いに用いられて行くものと思われている。
 本書が日本に於ける文芸活動(創作・文芸批評・文芸学)にとって根本的な指針となるものとして、多大のセンセーションをまき起こしたことは極めて当然だ。近来の文芸論上の収穫の白眉と云わねばならぬ。と共に参考になることは、ソヴェート・ロシアに於けるこの種の理論的検討が、極めて大衆的内容であるにも拘らず甚だ水準が高いということだ(コム・アカデミー文学部編)。
 (一九三五年・清和書店版・八十銭)
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 3 シュッキング著 金子和訳『文学と趣味』
(L. L. Schucking の『文学的趣味形成の社会学』・一九三一年・の訳――初版は一九一三年の『文学史と趣味史』)


 一言にして云えば文学の社会学である。シュッキングに於ては文学そのものが初めから云わば社会学的な観念の下に理解されている。彼は之を趣味として理解するのである。彼は普通の文化理論で用いられている時代精神なるものをもこの趣味に還元し、そこに文学(及び一般芸術)の内容を見ようともする。この点、このドイツの社会学者はフランス文化の影響の下に立っているようだ(特にブリュンティエールの影響が大きいらしい)。考えて見れば、一体趣味というのは一般に思想が日常生活に端的に現われた断面のようなもので、趣味や風俗を離れて思想の現実の姿は捉え難いとも云うべきであり、今日まで思想や文学に就いて、趣味の問題を真面目に取り上げなかったことは確かに至らない所以だったろう。併しそれはそうでも文学や思想を趣味に帰着させることは、実は文学の社会学化であって、文学の美学乃至芸術学的な観念としては不充分だと云わねばなるまい。
 だが文学の観念それ自体が社会学的に造られているから、文学の諸現象に就いてのシュッキングの着眼点には、到底普通の文学者や評論家や美学者の及ばないものがあるとも云える。例えば今日わが国のブルジョア文壇でも多少話題になっている芸術家の社会的地位とか、芸術と大衆との関係――大衆芸術の問題や批評家としての大衆の意義――とか、文芸家の活動形態や活動施設(協会や図書館其の他)とか、芸術とジャーナリズムとの関係や、ジャーナリズムの文芸上の意義とか、そう云ったものが最もアデケートの形で、と云うことは即ち社会学的にという事だが、取り上げられ、その相当実証的な材料と歴史的な考察とが提供されている。文学の社会性というような問題を考えるについて、一応の出発点として参照を必要とするものだと考える。無論吾々は文芸に限らず一般にイデオロギーの理論に於て、之を単に社会的に分析する段階に止まることは出来ない。之を美学的価値に於て理解すべく社会的分析を行なうことこそ史的唯物論によるイデオロギー論でなければならぬ。その限りシュッキング流の方法は社会学主義でありまだ少しも社会科学的ではない(この点F・シルレル『文芸学の発展と批判』――熊沢復六訳――のシュッキング批判を見よ)。だがシュッキングの特色は、彼が文芸そのものを初めから趣味という社会学的な形態の下に理解していることだ。それだけに彼が夫に就いて行なう社会学的分析は普通の社会学的分析に較べてズット活き活きした内容をもつことが出来る。ここに価値があるのだと思う。なお趣味という観念を文芸学上の一カテゴリーとしていることは、趣味という言葉を出鱈目に使っている日本人にとっては甚だ教訓的だと考える。
 (一九三六年・清和書店版・四六判一七一頁)
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 4 エス・ヴォリフソン著 広尾猛訳『唯物恋愛観』
     (『唯物弁証法的現象学入門』)


 この書物の価値はソヴェートに於ける性関係の諸事情を知ることが出来るということが第一であり、第二は唯物論による恋愛・結婚・婦人・其の他の問題の現代に即した解明を見ることが出来るということである。コロンタイの『新婦人論』(ナウカ社版)と並べることが出来るだろう。尤もコロンタイのに較べて内容はやや見劣りするのであるが。
 併し方法上の問題があると思う。ヴォリフソン教授はミュラー・リアーのゲネオノミー(Geneonomie)(生殖学)なる学術名を採用している。併しこの生殖学なるものはミュラー・リアーの代表的なブルジョア社会学的な比較法と切っても切れない立場を云い表わしてはいないかと思う。そうするとマルクス主義的ゲネオノミーとか唯物論的ゲネオノミーとかいうのも変なものではないかと思う。この方面の唯物論的研究があまり進んでいないから、こういう一時的な代用物も無意味ではないが、とに角本物でないことは忘れてはならぬ。
 それから訳であるが、現象学というのは何かと色々考えて見たが、ヘネオノミーの訳であるらしい。処でヘネオノミーは、ゲネオノミーの発音の仕違いだろうと思う(ロシア語ではHとGとが一つだから)。それにしてもなぜ之を現象学と訳したかは私には判らぬ。一寸気になるので読者への注意までに。
 (一九三四年・ナウカ社版・四六判三二〇頁・部分訳)
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 5 M・N・スミット著 堀江邑一訳『統計学と弁証法』


 スミット女史はソヴェート連邦に於ける統計界の実際家であるという。それだけのことから見ても、この本がソヴェートの建設プランの下に生じた必要に応じて生まれたものであろうことが推定される。事実ソヴェートに於ける実際問題が至る処引き合いに出されているのである。だがそれと共に、マルクス、エンゲルス、レーニン・等の分析的方法及び統計的方法の理論及び運用に就いての論証的・理論的・関心も非常に高い。女史は統計に関係する諸根本概念を理論的・哲学的・に根本から検討してかかる。かくてヘーゲルの「量の弁証法」から統計乃至統計方法及び統計学の規定を導いている。
 第一章「量の弁証法」に於ては、統計の本質をば量の質への転化とその逆という、弁証法の根本的一規定から鮮かに展開している。統計とは一定の質を特色づける一定標式によって、この質をもつ一群の物質の量的規定を発見することであるが、併し同時に、量の一定以上の変化は新しい質をなすと見ることによって初めて、大量集団相互の間の本質的分類が可能になるのである。――量質の関係に就いての弁証法的理解を欠く時は、大量集団は徒らに「全体的」な総体と見なされて、それを「部分的」な総体に分析することを見失う。と同時にこの総体を発展過程の下に捉えて行くことが出来なくなる。かくて農民なら農民の層の内部に於ける本質的な層的差別を無視した「平均的」農民の如き無意味な観念が生じる。農民層の内部に於ける推移変化も之では理解できない。
 このことは処で、統計が何か先天的で数学的なものだという観念論的迷信と関係がある。統計に於てまず第一に大切なのは、統計の対象たる大量集団が仮に社会現象にぞくするならば、それの政治的特質の認識であって、それに就いての単なる数学的遊戯ではない。統計を先天的で数学的と思い込むことは統計の実際的適用を全くの無意味へ導くに過ぎぬ。――この観点は第二章「謂ゆる大数法則について」と第三章「統計学及び弁証法に於ける偶然性の概念」の二章に於て具体化される。
 第二章は、大数法則が含む処の定理や命題が、決して形式的な数学的理論の枠内に尽きるものではなくて、その哲学的意義から検討されねばならぬ所以を説き、先に論理学的に述べた点を統計の基本観念たるこの大数法則に集中して叙述する。第三章は統計の基礎となる処の偶然性・チャンス・及びプロバビリティーに関する諸家の哲学的・数学的・統計学的・諸理論の批判であり、ボレル(「ボーレリ」とあるはボレルであろう)・ミーゼス・ボーレー・ケーンズ・同志ゲッセン・等の最近の所説を、ラプラス・ケトレ・クルノー・等の古典的理論から跡づけて検討している。プロバビリティーに就いての先験(先天)説、チャンス乃至偶然性の背後に横たわる或る神秘的な量の想定、及び夫に常に伴う偶然性に関する主観主義説、等に対する唯物論的な克服が盛られている。
 最初述べた量の弁証法としての統計の観点は、統計なるものの弁証法的理解を提供したが、それは非弁証法的な統計的方法の根本的誤謬を明らかにすると共に、弁証法的な統計的方法と分析方法(之が弁証法の普通の場合だ)との相互的で相対的な役割をも理解せしめる。之が第四章「科学研究における統計的方法と分析方法との相対的役割」である。之は科学の方法論から見ても重大な内容で、分析方法(所謂弁証法と呼ばれている方法)が統計的方法にとって如何に基本的であるか(マルクス『資本論』に於ける模範的な分析方法とレーニン『ロシアに於ける資本主義の発展』に於ける模範的な統計的方法とを見よ)、そして二つの結びつきが何であるか、という根本問題に触れる。
 第五章「経済学と統計学」とは前章の問題を特に社会科学・経済学・に就いて詳論したもので、次の要点を以て結ばれている。曰く、経済生活は何等の「論理的」恒数なるものを知らぬ。経済学者=統計学者の取扱うべきものは正に「経済的」恒数であることを忘れてはならぬ(ガウスの曲線やピアソンの曲線も純然たる数学的要求に従ったもので経済学にとって不充分を極めたものだ)。そして最後に、ソヴェートに見るような組織的経済の建設への推移は、経済統計学に対して全く新しい道を拓くものである、というのである。
 さて以上のように統計・統計的方法・統計学・経済統計学・に就いての、哲学的・論理学的・科学論的・な研究が本書であり、唯物弁証法的観点からした切実な批判が本書である。抽象的なフラーゼがなく実質的で冷静周到な内容のもので、必読の書物ではないかと考える。日本に於ける唯物弁証法は具体的であるなしよりも、寧ろ具体的な実際的なテーマを取り上げていないと思う。量質の弁証法などもそうだ。この点この書物の課題だけでも大いに教える処はないだろうか。それから吾々は確率に就いての数学的著述や統計学に就いてのハンドブック的なものには事欠かないが、統計的方法に就いて検討したものになるとよい本を沢山知ってはいない。統計なるもの自身の理論について書いたものは一層身辺に乏しい。まして之を論理学の広範な観点から根本的に取り扱おうとしたものはなお更である。――とに角本書が提供するものは吾々の理論的野心をかき立てるに足るテーマだと思う。内容の如何に拘らず注目しなければならぬテーマではないだろうか。
(一九三六年・ナウカ社版・四六判二一二頁・定価八〇銭・スミット女史論文集『ソヴェート統計学の理論と実践』の中の第一編)
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 6 庄司登 松原宏 訳編『ファシズムの諸問題』


 一九三五―六年の『モスコー・ニュース』、『レーバー・マンスリー』、『アグラール・プロブレーメ』の各号から取捨選択して訳出したもの。パーム・ダット「ファシズム汎論」、エル・マジャール「ファッショ化の型について」、パウル・ライマン「都市中間層論」、カール・ラデック「ドイツ・ファシズムの経済政策」、エー・ヘルンレ「ドイツ・ファシズムの農業政策」(之は一九三四年のもの)からなり、「ナチスの対中産階級政策」を付録としている。
 ファシズムに関する重要な代表的著作の邦訳は之まで大体三つを数えることが出来るようである。第一はシュナイダー『ファシズム国家論』(中央公論社版・戸野原・佐々・訳)、第二はダット『ファシズム論』(叢文閣版・松原訳)、第三はピアトニツキー『ドイツ・ファシズム論』(叢文閣版・吉田訳)である。他に参考に値いするものとして、今中次麿著『独裁政治学叢書』全四冊をも数えることが公平だと思う。唯物論全書の『ファシズム論』(今中・具島・著)は、『図書評論』七月号(一九三六年)の筆者によると、あまり尊重されていないようであるが、決してそういうものではないと私は思う。なぜならファシズムのイデオロギーの解説とファシズムの法制政治機構の纏った解説としては、あれ程便利な本は手近かにはないだろうからだ。書物の価値は書き方の趣味や慣習だけに立って判断すべきものではなくて、役立つかどうかということからも、リアリスティックに評価されるべきだ。――さてシュナイダーの本はイタリアのファシズムを取扱っているがもう時代が古い。ダットのものはイギリスの事情を詳説しながら国際的に問題を提起した名著である。ピアトニツキーのは眼界がドイツの情勢に限定しているが、実に卓越した教訓に充ちている。だが極めて特殊な形式を持っている日本ファシズムに連関して、吾々が日頃懐いている多数の未解決な問題に対する解決の観点を、この種の叙述の内から導き出すことは、事実あまり容易なことではないだろう。日本ファシズムに関して特に要点をなすものは、ファッショ化の現象であり、「半ファシズム」や「前ファシズム」の現象なのである(そして之に連関して文武官僚や中間層の問題だ)。吾々はかねがねこれ等の基本問題をば、要点を強調するという形に於いて抽象的な定式の下に、理論的に用意して呉れないかと考えている。――処でこういう要求を充たすものが、恰も本書なのである。
 ダットはまず初めに「ファッショ化」と「社会ファシズムの諸問題」とに筆を集中している。ファシズムの所謂「定義」にとってはこの観点は必要欠くことの出来ぬものなのである。之は最近のファシズム現象の分析には大切な要点だ。それと共に、最近のファシズムの分析が要求する課題として、ダットは、第一、ファシズムの経済的基礎の取扱いの深化、第二、ファシズムの大衆的基礎とその階級的デマゴギーとの関係を明晰にすること、第三、ファッショ化過程の多様性のより立ち入った分析、第四、ファシズムと植民地諸国の問題、第五、社会民主主義とファシズムとの関係に関する新しい諸問題、第六、中間層の問題の重大性をより以上認識すること、を挙げている。次に彼は「半ファシズム」、「前ファシズム」、「隠蔽されたファシズム」、等々の過渡的諸段階のカテゴリーを厳正に使用する試みを与えている。それと共に、「各国にとって単一なファッショ化方針などがあるものではない」ことを強調することによって、ファシズムに就いての生きた実際的な観念が読者に与えられるだろう。之は「日本ファシズム」の理解にとって極めて重大な点だ。
 マジャールの論文は世界各国のファッショ化過程についての有益な概括から出発している。云わば世界ファシズム小論と云っていい。次のライマンの論文と共に、ダットの「汎論」に帰するものである。ライマン「都市中間層論」ではファシズムの大衆的基礎とその階級的本質との食い違いから問題が提起される。そして社民とマルクス主義とによる中間層論の比較があり、やがてインテリゲンチャ論に及んでいる。勿論ここではインテリゲンチャなるカテゴリーを中間層の一種などに数えているのではない。中間層外のブルジョア的又はプロレタリア的なインテリゲンチャを想定した上で分析が施されるのだ。「知識階級に関してはそのうちのブルジョア分子は問題外として、注意すべきことは賃金労働に従事している層と、未だに独立の小ブルジョア的生活を営む者(自由労働者)とを区別することである。」(一二七頁)。ラデックの論文はドイツ・ファシズムの経済政策が如何に戦争にその最後のはけ口を求めねばならぬかを明らかにしている。ヘルンレの論文は訳編者の言葉によると、「ドイツ・ファシズムの農業政策を取り扱った論文の少い折柄相当参考になる。」要するにこの書物は、可なりかゆい処へ手の届いたという感じを与えるもので、日本のファシズムを原則的に分析するためには必読の書物だと云わねばならぬ。そう云っただけで「批判」はしないのか? と問われるかも知らぬが、之は実際的に充用する前に「批判」してかからねばならぬ程の不満を呼び起こすものを、含んでいないだろうと思う。出来るだけ有効な示唆を惹き出す方が、この際実際的な読書法だ。
 (一九三六・叢文閣版・四六判一九二頁・定価九〇銭)
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 7 T・E・ヒューム 長谷川鉱平訳『芸術とヒューマニズム』


 ヒューマニズムの声の高い時にこの本を選んで訳したことは、意味のあることだ。なぜなら之は要するにヒューマニズムに対する反対をとなえた本だからである。著者はベルグソンの理解者として知られているものであるが、本書はその遺稿集である。カトリック主義に立ちつつモダーニズムを包括しようという処に、現代に於けるヒューマニズムとの対抗を必然的に結果しなければならぬものがある。恐らくこの本はその代表的なものだろう。主論文は「ヒューマニズムと宗教的態度」であり、之に「現代芸術と、その哲学」、「浪漫主義、と古典主義」、「ベルグソンの芸術論」、「ベルグソンの哲学」、其の他が続く。意義の最も深いのは勿論最初の主論文である。
 ヒュームの方法は隔絶主義又は非連続主義とも云うべきもので、無機的なものと有機的なものとの分離分裂が認められるように、生物界と倫理的宗教的価値界との間にも絶対的な分裂を認めねばならぬ。ヒューマニズム(之は勿論ルネサンス以来のものを指す)は第一の方の分裂を承認するに拘らず第二の方の分裂を承認しようとしない。ヒューマニズムによると人間と神とは同じ系列におかれる。ヒューマニズムは神の人間化であり、又同時に人間の神化である。そうした人間主義乃至擬人化がヒューマニズムだ。文学に於ける浪漫主義・倫理に於ける相対主義・哲学に於けるアイデアリズム(観念論・唯心論・理想主義)・及び宗教に於けるモダーニズムが、このヒューマニズムだという。
 人間と神との間の隔絶、絶対的分離は、原罪の観念による。ヒューマニズムはこの堕罪の論理を知らない。かくして倫理的宗教的な世界への思想の道を失って了っている。之が今日までの文化の特徴であると共に根本弱点で、今日この弱点が文化の進行と一緒に、漸く暴露されて来つつあるという。なぜかというに、ヒューマニズムに対立する文化意識は幾何学的精神であり、完成と厳粛と明確との硬質を有つものである。之によらなければビザンチン芸術も理解出来ないばかりではなく、現代のキュビズムさえが次第に理解出来なくなる。又更に近代的な機械の有つ美にしても、硬質性を欠いたヒューマニズムでは到底処理出来ないものだという。
 ヒューマニズムがこの眼前の崩壊にも拘らず、なお世人の心をつなぎ止めている所以は、ヒューマニズムによると、哲学の基準が満足(又は幸福と云い直してもいいと私は思うが)ということにあるからである。処がこの満足という素朴な基準は容易に打ち破られることが出来る。満足は自覚され心の表面に持ち出され客観化されたものではない。単に人々がそれを通して物を見ている処のものに過ぎない。それ故にこそこれは不可避なカテゴリーのように見えるのだ。併しこのカテゴリーを一旦客観化して見る時、心の表面に持ち出して見せる時、之はその不可避性を失って了って、単なる擬似カテゴリーであったことが暴露される。歴史はそういう暴露を仕事とする。ルネサンス以来の文化の歴史は、ヒューマニズムが立つ満足というカテゴリーが擬似範疇でしかないことを示している、という。
 ヒュームはこの反ヒューマニズムの哲学の基礎を近代カトリック系のドイツ哲学に迄も求めている。マイノンクの対象論やフッセルルの『学としての哲学』にその裏づけを見出す。特に後者を援用して云うには、哲学は学であって決して世界観の如きものであってはならない、と云うのである。なる程世界観なる概念はディルタイによって代表されるようにプロテスタントのものである。従って又哲学は「生の哲学」であってもならないわけだ。生命的なものに於てしか文化や芸術を求めることを知らないのが、ヒューマニズムの大きな制限だというのである。ヒューマニズム的な意味に於ける生命を有たぬものこそ、実在だというのである。生命感や世界観のカテゴリーの拒否と共に、ヒュームは進歩の観念をも拒否する。進歩とは人間と神との間の絶対的間隔をズルズルに埋めて了うためにヒューマニズムが用いる処の擬似範疇だというのである。
 さて以上のように紹介して見ると、この論文がヒューマニズムの特性を可なり鋭く指摘していることが判る。私はルネサンス以来のヒューマニズムとルネサンス以来の唯物論との不可避的な癒着については多大な疑問を持っているので、ヒューマニズムの弱点についてはここから教えられる処が多かった。ヒュームは或る個所で自分のカトリック主義が一見唯物論に近く見えるが、それは固よりそうではないのだ、というような弁解をさえ必要としているが、それ程に、この論文は、ヒューマニズムと唯物論との差異の考察にとって、参考に値いするものを含んでいる。尤もヒューマニズムとみずから名乗るものが必ずしもヒューマニズムとは限らず、又ヒューマニズム反対者が必ずヒューマニストでないとも云えない。ヒューマニズムというカテゴリーを言葉として承認するかしないかで、ヒューマニズム肯定か否定かは判らない。吾々は言葉とレッテルとに迷わされてはならぬ。現にヒュームさえも、今後の文化は矢張り今日までのヒューマニズムを包括してその dry hardness なる文化形態を進めることが出来よう、この点ルネサンス以前のカトリシズムとは異るのだとも云っている。
 だが、それにも拘らず、之は云わば、部分的な進歩性の芽と、之と札つきの反動性との、不思議な結合なのである。現在までのヒューマニズム的常識(唯物論は今はこの常識を批判的に処理しなければならぬと私は考えるのだが)の批判としては極めて鋭い示唆に富んではいるが、ヒューム自身のカトリック的立場は札つきの典型的な反動の公式以外のものではないだろう。人間と神との絶対的隔絶(そういう反ディアレクティックとしての形而上学)やそこに必要なる原罪説(之は宇宙創造論に帰する)、客観性と科学性との名の下に却って人間性と文化的進歩と政治的満足感との無視、こうしたものはもはやカトリック主義には限らない処の今日の反動文化理論一般の様式の一つに他ならない。
 にも拘らずヒューマニズム批判としてこの本が重大な用途を有っているという点を、吾々は注目すべきだ。訳文はまだ少し固い処もあるが信頼すべき筋のものである。
(一九三六年十月・芝書店版・四六判函入三三〇頁・定価一円六〇銭)(Thomas Ernest Hulme; Essays on Humanism and the Philosophy of Art, 1924 Ed. by H. Read の全訳)
[#改段]


 8 勝本清一郎著『日本文学の世界的位置』


 四篇二十四個の論文からなる評論集である。全篇を貫くモティーフは題名が最もよく示している。「僕は欧州へ行って見て、始めて日本の醤油が非常にくさいものであること、日本婦人が揃いも揃って非常に出っ歯であることを発見した。これと同じ位いに現代の日本文学を客観的に展望して見たい」、という言葉を以て最初の論文を始めている。
「海外から見た現代の日本文学」では、日本の短篇が固苦しかったりケレンに堕したりして貧弱であること、短篇の形態にふさわしい素材をうまくものしていないこと、そして日本の長篇がまた単にノヴェルの形態であって決してロマンの態をなしていないこと、かくてどこにも見出されるものが随筆的性質を有ったものであること、を指摘している。著者は一方に於て之を日本のジャーナリズム機構の特性(新聞小説・雑誌文壇・単行本委託販売制度・其の他)に帰しており、之がこの著書の最も光った見解の一つになるのであるが、他方に於てこの随筆的性質の精神的由来をこう説明している、「現代の日本作家の多くは、鎌倉足利時代の禅坊主や徳川時代のサムライと原則的にあまり違わない日常生活を営んで居り、又頭の中にも彼等の如き自然観や道徳観の残りをこびりつかせているので、それが彼等に芸術に対する本格的要求の豊熟をさまたげているのだとなる。禅坊主やサムライの諸観念、心理、趣味は、元来、芸術を瘠せさせる性質のものなのである。」
 さてこの二つの観点が、各篇の文章の殆んど凡てに於て、色々の側面から展開される。上高地に於て山の美を論じるにしても(田部重治氏式な無限・崇高・超俗・等々の礼賛に不満な著者は、物質の力の大きさに山の美を見出す)、日本精神的マンネリズムの打破に力める。日本特有な文学形式として絵巻物形式を取り出して、之を例の随筆的特性や、新聞小説の形式と関係づける。著者によれば日本の新聞小説は必然的に絵巻物形式を選ばねばならぬが、之が決して文学の大きな発達に幸するものではないという(大熊信行氏の絵巻物形式肯定論と対立)。「純粋小説とは?」に於ては横光利一式論理の日本的弱点を指摘する。「日本文学に於けるエロチシズム」に於ては、日本文学の特性がその感覚的な卓越にあることを認めながら、次のような批評を加える、「が、さて感覚が肉体の質量から離れて宙に浮いたものになれば、もう感覚の行き止りである。私としては感覚やエロチシズムを突き抜けるにしても、それによって肉体そのものの世界へ、物質の世界へ、大きな世界認識へ、社会の把握へと出て行く道を選ばねばならぬと考える。この点では我々は鈍感なる西洋作家たちから学ばねばならぬ。」
 以上は第一篇であるが、第二篇は民族文化を世界文化の観点から見る。「芸術の国民的評価と世界的評価」に於ては、三つの評価の拮抗によって両者の高まった一致の可能性を説く。之はヨーロッパで日本文学を見た著者の実感を最もよく云い表わしているだろう。「日本文学翻訳問題」では、日本文化の国粋主義的宣揚としては撞着を免れないが、日本文化の国際主義的強調として重大な意義を見出されている。――第三篇は日本文壇に於ける矛盾を摘発しその対策を考察したものとして、単なる文壇人の企て得ない処だろう。総合雑誌や文学雑誌に対する批判も相当的確である。特に日本に於ける単行本文化の極度の不振を終局に於て取次店経由の委託販売制度の結果であるとし、雑誌発行資本の回収が年四回であるに反して、単行本の夫は実質に於て一年乃至二年を一期とする回転である処に基いて、単行本は雑誌に完全に圧倒される所以を説く。当然なことではあるが、有用な分析だ。評論雑誌の特大号が年四回なのも雑誌資本の年四回の回転率に基くという観察も、仲々警抜である。
 第四篇は言葉の問題を文学者の立場から実際的に分析したもので、第三篇と共に、文壇人に必要な参考材料であるだけではなく、文芸評論の新しい領域に先鞭をつけたものと見做してよい。「ローマ字問題雑感」はヘボン式に対する日本式ローマ字論の優越を証言したもので、一寸才気に充ちたものだ。平生文相の漢字廃止論の批評や、メートル法論議も、文化問題として正常に捉えられている。小学読本の文章法の検討も亦一読に値いする。現代文章に対する考察から始めて「将来の文章について」でこの本を終っている。
 著者はこの評論集によって、独特な地歩を占める文芸評論家であることを示したと云っていいようだ。その第一の特色は日本文学に対する国際的な考察だ。その第二は日本文壇に対するジャーナリズム機構・国際問題・からする理論的な分析だ。そして第三にこの底に見えかくれて流れている唯物論文化の文化意識である。日本ペン・クラブの書記としての著者は、世間からの多少の誤解もあるように私は思っていたのだが、この評論集は勝本清一郎氏の健在を証明するものであり、それだけではなく、氏が今後の評論界に於ける位置の独特さを約束するもののように見える。日本的論理ともいうべきものの強調の雑音が吾々の耳に這入って来る時、本書は啓蒙的な役割を果すことが出来る。
 (一九三六年十月・協和書院版・四六判三五七頁・定価一円五〇銭)
[#改段]


 9 秋沢修二著『世界哲学史』〔西洋篇〕


 本書は「東洋篇」と並ぶべきものであるという。現代日本の哲学界にとって、今の処他に代わるべきもののないような特性を備えた尊重すべき著述である。現在の日本では日本語で書かれた西洋哲学史で纏ったものは非常に少ないのに(波多野博士のもの、桑木博士のもの、以外には著しいものがない)、之は一応纏った体系に基いて概観したものであり、而もあまり小さすぎず又大きすぎもしないもので、ハンドブックとして役立つ性質を充分に備えているのである。だが勿論、重点は之が全巻、唯物論的観点によって貫かれているということにあり、又そこから当然出て来ることであるが、史的唯物論の科学的な歴史叙述方法を具体的に適用して書かれている、という点にある。この二つの点でかけがえのない力作だ。
 即ちギリシアから今日に至るまでの世界哲学(西洋篇という名称を仮に用いるとして)をば、観念論に対する唯物論の闘争として可なり克明に跡づけただけではなく、この闘争の消長を時代の社会構成によって首尾一貫して説明することを試みている。本書の最も価値のある部分は、判然と史的唯物論によっている哲学通史だというこの点に横たわる。そして固よりこの史的唯物論的叙述は、哲学が社会に於ける歴史的所産であると共に、そのためにも亦、元来夫が実在の模写であり、従って論理的所産であるという所以を、誤たずに典拠を示しながら実現して見せている。メーリングの哲学史の方法に対する著者の批判は、この本の内容自身によって、生かされている。だから人々は之によって、この本がもつ哲学史叙述としての水準をほぼ知ることが出来よう。
 第一篇は「哲学史の方法論」であり、ヘーゲルの哲学史方法とメーリングの夫とを批判することによって、「科学としての哲学史」の課題を決定する。第二篇は古代・中世・近代・の三部に分れる(第三篇は多分「東洋篇」になるのだろう)。第一部古代の第一期(ミレトス学派からデモクリトスまで)は古代唯物論の確立を、第二期はソフィストから(プラトン・アリストテレス・を経て)エピクロスまでの観念論と唯物論との闘争を、第三期はギリシア・ローマ・哲学の観念論的堕落を取扱う。この時代区分は一見従来の哲学史の夫とは別ではないが、この区分が見事に唯物論と観念論との間の消長を意味していることを、読者は初めてハッキリと知るだろう。この点今の個処には限らないのである。古代哲学は本書の内でも最も力が這入ったものではないかと思う。特にその社会的背景があまり之まで注目されていない古代の哲学者達と、その哲学との社会的階級的分析は、教える処が多い。例えばデモクリトスの評価やソフィストの再評価や夫とソクラテスとの対比などは、当然なことではあるが事柄を非常に明確にしている。プラトンとアリストテレスとの思想上及び階級上の対比も示唆に富んでいる。奴隷制と古代哲学との一貫した関係は云うまでもないとして。
 第二部中世ではスコラ哲学・アラビア哲学・の思想的・社会的・要約があり、それを通じて封建制の崩壊と共に自然科学の勃興と唯物論の復活とが必然であることを示す。第三部の近代哲学はイギリス唯物論(経験論)・大陸唯物論(合理主義)・主観的観念論及び不可知論・フランス唯物論・ドイツ古典哲学・弁証法的唯物論・ヘーゲル以後の俗流唯物論や観念論諸流派・を取り扱う。本書の近代はその歴史が複雑である割合に叙述の簡単な処が少なくないが、之は或いはそれでいいかも知れない。と云うのは多くの読者は近代哲学に就いては相当の哲学史的常識と社会機構上の分析の多少を持ち合わせているからだ。
 全篇を通じて目立つことは、繰り返して云うが、社会機構の必然的な推移に於ける夫々の位置によって、一切の哲学者と哲学思潮とを特色づけ、それと思想の哲学的推移の必然性とを、注意深く組み合わせたという可なりオリジナルな努力だ。夫々の哲学思想の細かいニュアンスに就いての分析は、この種の概括的な本に求めるべきではない。社会に於ける哲学思想の流れの要所々々をおさえるのに、必要欠くべからざるものが本書だ。
 之はこの本にとっては大きな問題ではないかも知れぬが、著者はフィロロギーが哲学の歴史上演じた役割をどう評価するだろうか。特に近代観念論とフィロロギーとの関係は実に深いだろう(フンボルト・ニーチェ・シュライエルマッハー・ディルタイ・ハイデッガーなどは云うまでもないとしてヘーゲルさえ)。否、プラトン・アリストテレス・でさえ、関係は浅くないようだ。とにかく近代に於いては哲学的フィロロギーは唯物論の最大の敵手の一つのようだ。
 この書物は現代日本に於ける唯物論の発達にとって、一つの有用な踏台を提供するものである。そのオリジナルな功績は注目と尊敬とに値いする。
 (一九三六年・白揚社版・菊判四〇三頁・定価一円五〇銭)
[#改段]


 10 岡邦雄・吉田斂・石原辰郎著『自然弁証法』


 本書はまず二つの著しい特色を有つ。第一は自然弁証法に関する日本に於ける最初の纏った叙述であるという特色だ。本書の内でも触れているように、日本にも自然弁証法に関係した著述は決して少なくないが、基本的な問題から検討してかかった単行本はない(訳は別として)。小冊子ではあるがこの点、記憶されるべき云わば画期的な作品である。第二の特色は、之が三名の著者の真の共同研究になるものであるばかりでなく、同じ問題に就いての三名夫々の意見が読者の前に並べられつつ或る程度まで整理されて行くという、対話或いは寧ろシュンポジションの形を持っている事だ。実際やったディスカッションをそのまま本にしたもので、日本の本としては極めて珍しいものだ。単に珍しいだけが勿論能ではない。この形式が齎す長所は、読者に対して著者の往々不用意な見解を押しつけずにすむという事、そしてどの点に多くの疑問があり、どの点にはもはや大した疑問がないかということが、読者におのずから判るということ、従って読者は一方に於て安心して信頼しつつ読めるとともに、著者達の異論を比較検討しつつ読むので、みずから考え方を練りつつ独自の見解をそこから導き出し得るということ、そうした処にあろう。特に自然弁証法のような多くの問題を蔵しているテーマについては、今の処、こういう書き方の方が、科学的に慎重だとさえ云えるかも知れない。
 前篇「自然弁証法史」と後篇「自然弁証法概論」とからなり、前篇は主としてAと名乗る吉田氏、後者は主としてCと名乗る岡氏が、原案提出者として筆を執り、AとCはBと名乗る石原氏と共に、之を審議するという形になっている。前篇はドイツに於ける自然弁証法の確立(ヘーゲル・フォイエルバハ・マルクス・エンゲルス)(エンゲルスは特に詳細でデューリングの解説にも触れる)、ソヴェートに於けるその発展、日本に於けるその展開、の三章からなり、今までなかった可なり役立つ史的叙述だ。日本に於ける自然弁証法の文献も亦便利なものである。この篇は比較的ディスカッションは少なく、寧ろ普通の叙述体に近い。――最も特色のあるのは後篇で、特にC氏に対するB氏の批判が目立つ。ここでは所謂自然弁証法なるものに含まれる根本問題とトピックとが一通り尽されているが、皆が皆まで終局的な解決の形を取っているとは限らない。最もディスカッションに興味のあるのは例証の問題と「自然弁証法の具体化」の問題とだ。これ等の問題に通ずる大体の傾向から云って、Cは自然弁証法なるものの力点を科学的認識の総合という点におこうとするに反して、Bは之を自然観という点におこうとする。そしてAは之を自然科学概論に近いものと考える傾きがあるようだ。勿論三者とも自然の運動発展の一般法則が自然弁証法だということを認めた上でのことだが。私の意見を□んでよいなら、自然弁証法は、自然が自然認識の方法を含むことによって、より具体的な認識対象となった処の、「世界」というようなものと考える(拙著『科学論』〔本全集第一巻所収〕)。之は多分Bの意見に一等近いだろう。それはさておき、後篇の主役たるC氏の根本傾向には、エンゲルスの弁証法に対する一種のスコラ的批判が存するようだ(一般的なスコラ主義はAになると更に表面化している)。その結果、読者はC氏が自然弁証法を少し儀礼的に、義務的に、取り上げているというような感触を受け取らなくもない。勿論之はC氏の本意ではないのだ。だが自然弁証法の具体化を技術という観点から力説しているのは、C氏の極めて積極的な点である(尤も之だけが具体化の唯一の内容ではないにしても)。
 本書特に後篇はまだ多分に引用に終止する自然弁証法の概説か序論かであって、その限り研究というよりも、可なり権威ある啓蒙と云うべきだろう。すでに『唯物論研究』誌上で批判された一二の個処もあるが、唯物論研究会に於ける自然弁証法検討の成果をよく組織したものとして、尊重すべき文献である。
(一九三五年十月・三笠書房版・第一次『唯物論全書』の内、新四六判二八六頁・定価八〇銭)
[#改段]


 11 安部三郎著『時間意識の心理』


 この著書をブック・レヴューの材料として選んだ理由の一つは、日本に於て時間に関する独立な研究が極度に乏しいという事情である。物理学関係からする研究も乏しいし、心理学関係からするのも乏しい。比較的眼につくのは田辺元博士や高橋里美教授による哲学的研究であるが、之もまだ包括的なものでない。処が時間の問題は哲学的に最も重大な意義を有っている。実在の史的転化の形式が時間であり、又意識そのものの形式が時間である。時間問題は空間問題と並んで、唯物論的に最も重要なテーマなのだ。唯物論的研究を一応ここに集中することさえ必要だと思われる位いだ。
 東北帝大心理学教室で編集しているこの叢書は恐らくどれも尊重されてよい著述的アルバイトだろう。本書も亦そうだ。著者は千葉胤成教授の実験的で且つ内省的な心理学的方法をうけついでいるようである。「対象意識としての時間意識」と「固有意識としての時間体験」との区別に夫はよく現われている。それから時間の哲学的分析に於て功績のある高橋教授の影響も大変よく取入れている。知覚的時間と情意的時間との区別などがそれだ。著者が最も得意とする業績の部分は、「二時程比較判断」を中心とする時間評価の実験的研究であるらしいが、之を包括している哲学的省察力は相当力量があると思われる。
 本書は大体に於いて「時間意識」に関する科学的入門書として必要な観念と知識との整理を与えたものと見てよい。時間概念の分類、固有意識としての時間体験、知覚的時間・時間感覚・時間直観・の問題、時間領域・時間閾・時間評価・過現未(時間のモーディー)、等の問題、睡眠時や変態条件下に於ける時間意識等、が検討されて一応の整頓を与えられている(病態心理学的な時間研究を示唆しているのも教えられる点だ)。この包括的な取り扱い方では、殆んど日本に於ける唯一の著書かも知れない。
 併し著者の眼界は心理学的関心によって可なり制限されているようだ。つまり時間意識を一般的な時間問題解決の尺度にし過ぎてはいないだろうか。著者は哲学的想定として、大体現象学(フッセルルの)の立場に立つと思われるが、そこらから時間というカテゴリーを観念論化して所有するかのような観を呈している。「客観的時間従って物理学的時間は如何なる意味に於ても体験時間でないであろうか。著書は客観的時間も亦一種の体験時間であると思うものである」云々。「人はいつしか吾々の心中の構成物であることを忘れて、それを意識とは独立に存在するものとするに至った。」併しこういう見方によっては実在の歴史転化の形式としての時間は遂に理解出来ないだろう。時間は時間意識だけでは片づかないのである。――巻末に文献がつけてある。文筆的には地味であるが、理論上の必要から正当に注目されるべき書物だ。
(一九三六年九月・『生活と精神の科学』叢書・二十八巻・東宛書房版・菊判二六〇頁・定価二円六〇銭)
[#改段]


 12 ジード著 小松清訳『ソヴェート旅行記』


 あまりに多く論じられた書物であるから、今更特別な紹介を必要としないだろう。この本に於けるジード自身に対する私の感想はすでに「文化的自由主義者としてのジード」という拙文(「読書法日記」中)で述べた。ここではその要点をジードみずからに語らしめよう。括弧内の数字は頁数である。――跋には「訳者の言葉」がある。
「私にとっては私自身よりもソヴェートよりもずっと重大なものがある。それは人類でありその運命でありその文化である」(一三)。「云わばわれわれのユートピアが現実のものとなりつつある国がソヴェートであったのだ」(一七・一八)。処が「これらの住宅の『内部』で私がしみじみと感じたあの異様な物悲しい印象を、どう云い現わしたらいいだろう。それは謂わば完全な非個性化といった感じのものである」(七二)。
「規律の範囲内での批評はどんなにやっても構わない。だが規律の範囲を一歩でものりだした批評は許されないのである」(八〇・八一)。
「いま尚革命的精神によって動かされている人々や、またこれらの連続的な譲歩を妥協とみなす人々が、邪魔物扱いをうけ辱しめられ芟除される」、「革命的精神(より簡単に云うと批判精神)はソヴェートではもはや必要でない、とあからさまに云ってのけた方がいいのではなかろうか」、ああ「順応主義」なる哉(一一二・一一三)。
「したがって現在の情勢に満足の意を表しないものはみなトロツキストと見なされるのである」(一三〇)。「レーニン主義からの逸脱はこれ以上なお必要であるだろうか」(一二五)。
「家族制度――『社会的細胞』としての――や遺産相続制の復活とともに、享楽的な嗜好、私有財産にたいする慾望が、ついに僚友的精神や共有や共同生活の要求を追いこしつつあるように思われる」。「一種の貴族層」(一〇五・一〇六)が出来つつあり、「このプチ・ブルジョア的精神はソヴェートに於て追々拡がってゆきつつあるように思われる」(一一〇)。
「今日のような社会形態に於ては、すべて偉大な作家や芸術家は本質的に反順応主義者である筈だ」(一三六)。だが「最早反対すべき何らかの対象を失ってしまって、ただ流れの儘に流されるだけのことになれば、どうなるだろうか」(一三八)。併ししばらく前にジードは演説している、「ところで今日ソ連邦においてはこの問題ははじめて、すっかり異ったかたちで提出されているのです。即ち、作家は革命家でありながらもはや反対者(オッポーザン)ではない。まったくその反対に、作家は多数者の希望、全国民の希望に応えている」(一七四・一七五)。だが後ではこう思いかえす、「一国の市民が一人残らず同じような思想をもつようになれば、……こうした精神の貧困を前にして何人が『文化』を語る信念をもち得るだろうか」(一三二)。「こうした事も政治的には有用なのかも知れない。がその場合は文化などといったことは口にしないで欲しい」(一四七)。「この『理想的なもの』から『政治的なもの』への移行は、不可抗的に一種の『転落』を伴うものであろうか」(一二八)。
 かくて最初にヒューマニティーや文化からジードによって区別された「ソヴェート」は、ジードの「ユートピア」であった処の「自由」を満足させなかった。「ソヴェート」の「政治」はジードの「文化」を満足させなかった。ジードのアイディアリズムはソヴェートのリアリズムと撞着した。何等かの観念論(理想主義)者が現実の前に戸迷ったという現象は、驚くには値いしない事だし、又喜んだり怒ったりするにも値いしないことだ。初めからそうあるべきものだったのだ。読者は文化的自由主義者としてのジードの誠実を疑うことは出来ない。そしてジードの言葉の意義の重さを知らねばならぬ。併し文化的自由主義者の誠実よりも一層リアルであるとしたならば、どうだろうか。
 (一九三六年・第一書房版・四六判二四六頁・一円二〇銭)
[#改段]


 13 中条百合子著『昼夜随筆』


 随筆という名であるが評論集である。二十七の文章が社会評論・文芸時評・作家論・の三篇に分類されている。巻頭のやや長い論文「若き世代への恋愛論」は書き下しで、あとは大体再録されたものと思う。旧著『冬を越す蕾』から二三採用されたものがある。
 序の言葉、「私は、小説を書いて行く地力の骨組みを強くする意味からも、適当な機会に評論風な仕事に於て自分をもっと鍛錬してゆきたいと希望している」という言葉は、私が以前から作家に対して持っていた或る疑問に答えるものとして、感銘が深い。評論の文筆的な意義をこういう形で理解している作家は少ないのではないかと思っていたからである。
「若き世代への恋愛論」は、近代日本の恋愛観の発達を叙したものだが、最後に云っている。「若き世代は、生活の達人でなければならない。……恋愛や結婚が人間の人格完成のためにある、と云えばそれは一面の誇大であるが、真の愛の情熱は驚くばかりに具体的なものである。必要を鋭くかぎわける。」之はみずから、この社会に於ける愛の矛盾を或る程度解き得た人の言葉である。この幸福な(?)著者は、或る(呵然? とでも云うべき)濃まやかな思いやりでこの階級社会の塵にまみれた愛慾の葛藤を打診している。「新しい一夫一婦」、「夫婦が作家である場合」、「インガ」(「ソヴェート文学に現われた婦人の生活」)、などがそれである。
「暮の街」や「村からの娘」は、大抵の婦人評論家が取り上げる婦人問題の評論であるが、中条氏の場合は、ただの所謂婦人問題をつき抜けている点を買わねばならぬ。――「文学に於ける今日の日本的なもの」は、文学に於ける日本的な動きに対する世間の諸批判の内で、最も根柢もあり切実でもあるのだ。特に明治以来の文学運動の歴史に沿うて述べてある処は威力がある。「『大人の文学』論の現実性」と「『迷いの末』――横光氏の『厨房日記』について」とは、日本的なものをかつぎ回る数名の文士の心情を、辛辣に且つ鮮かに暴露する。――「芸術が必要とする科学」は色彩論から始めて文章道にまで至る異色のある省察で、示唆に富んでいる。
 氏の作家論は、専門の評論家も容易に追随出来ぬ底のものを含んでいる。「トゥルゲーネフの生きかた」は彼の階級的制限を説く点で教える処が多く、ゴーリキーに関する三つの評伝(尤も多少重複しているが)は、伝記として面白い。「ジードとそのソヴェート旅行記」は、ジード批判の一つとして記録される価値がある。「『或る女』についてのノート」は多少資料的検討に基いた好論文である。
 私は作家としての中条百合子に就いては、新しいモラルの実際的な探求者として、作家一般(独り婦人作家に限らず)の内の白眉の一つと考える。
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