日記
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著者名:知里幸恵 

旭川のやす子さんがとう/\死んだと云ふ。人生の暗い裏通りを無やみやたらに引張り廻され、引摺りまはされた揚句の果は何なのだ! 生を得ればまたおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。
死よ我を迎へよ。彼女はさう願ったのだ。然うして望みどほり彼女は病に死した。何うしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私もとう/\その平静をかきみだしてしまった――だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪はしい状態にあるのだよ――。先生が仰った。おゝアイヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今大きな大きな試練をうけつゝあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて自分の足元をたしかにし、一歩々々重荷を負ふて進んでゆく……私の生活はこれからはじまる。
人を呪っちゃ駄目。人を呪ふのは神を呪ふ所以なのだ。神の定めたまふたすべての事、神のあたへたまふすべての事は、私たちは事毎に感謝してうけいれなければならないのだ。そしてそれは、ほんとうに感謝すべき最も大きなものなのだ。
先生の弟さんが見えた。かげで御兄弟の会話をきいてゐる。何といふなつかしい愛のこもった声なのだらう。お国言葉のせいか、やさしい、ほんとうにやさしい。取交す一言一言に肉親の美しい深い愛情がこもってゐる様にきこえる。赤ちゃんをおんぶして外へ出る。何だか自分が母親になった様な、涙ぐましいほど赤ちゃんがかはゆくて、母らしい気分で赤ちゃんをあやし、赤ちゃんの為に心配する……。子供が欲しい。またしてもこの望みが出てくるのだ。


六月三十日 朝霧


七月一日


夕方奥様のお供をして中央会堂へ行く。一時間ほど待ってやっとはじまった。
無邪気な子供等の映画に心が柔いで平和な気分になる。
ジャンパ(ママ)ルジャンの劇、父様の事が妙に思出されるので涙がこぼれた。
其の家の女、親子の愛の美しさを目のあたりに見せつけられて涙を抑へる事が出来なかった。フ※[#小書き片仮名ヰ、168-6]リップが自分の学識、手腕をのみたのんで、それで愛児を救はうと思ったけれども、それは駄目であった。科学の力よりも母の愛の力が強かった。科学を絶対の大なる力と信じてゐた彼は、科学以外の存在を知る事が出来た。


七月二日 日曜日


坊ちゃんが井戸の中へ落っこちた。おゝ神様よ※[#感嘆符三つ、169-2] 坊っちゃんは死なゝかった。何うしてこれが感謝せずにゐられよう。晩になって今日一日のことをおもひだして見てもたゞゆめのやう。坊っちゃんはたいへんに元気でいらっしゃる。
夕方になって少しおむづかり、先生が晩くハーモニカを買っていらっしゃる。夜半頃まで御両親交々、うなされる坊っちゃんをすかしたりなぐさめていらしった。
おいとしい坊っちゃま。早くなほって下さいませ。神様どうぞお力を!
先生のあの時のお顔色、奥様の叫声、思出しても涙が出る。
神の力、親の愛、私はしみ/″\感ずる。


七月三日


今日も坊ちゃんはお元気、ハーモニカを吹いて。夜お医者へ行って坊っちゃんの傷口を見た。あの井戸から落っこちて、これだけの傷で生命を得たことはほんとうに奇蹟でなければならぬ。飛こんで救って下すった弁当屋の若い人、何といふえらい人であったらう。ガッシリとしまったあの肉づき、活々してゐる人であった。


七月四日 大雨


奥様は気疲れでお床の上に臥せっていらっしゃる。無理もない事。
神様、何卒奥様を恵ませ給へ。


七月五日


一日たのしくすごした。坊ちゃんのおあひて。


七月六日


愈梅雨が霽れたといふ。カラリと晴れて照りつける強烈な日の光にからだは焼かれるやう。
夕方、岡村千秋さんといふ方が見えた。先生が私を紹介して下さる為に探して下すったのださうだけど、ちょうど赤ちゃんと一しょに散歩に出かけてゐたので駄目だった。女学世界に何か書くやうに! と仰ったといふ。何を書いたらいゝのか知ら……。


七月七日


北見のウナラペが□レプ イルプを送ってよこした。何といふかはいらしいウナラペなんだらう。ところで困ったのには、私一人で食べてゐられないことである。坊ちゃんがよろこんで食べて下すった。晩には先生が葛湯しておあがりになった。先生はやはり先生、おえらいことだと思った。
奥様の御機嫌は今夜随分お悪い。何だかお気の毒で、赤ちゃんの叱られているかげでハラ/\した。


七月八日


岡村千秋様にお目にかゝった。私の写真を撮る為にわざ/\お出で下すったのだといふ。びっくりして胸がどき/\、顔が熱くて仕様が無かった。何の為に私の写真を……。
お湯から帰りに雨に遭った。きくさんがかけるので私もかけた。一息にかけたあとが苦しくて苦しくて。
でもあれだけかけてこれだけの苦しみで済むとは、私もずいぶん達者になったと思って嬉しかった。
先生に余市の中里さんの話をきいて嬉しいのか悲しいのか涙が出た。茂さんのお父様だ。さういふ人がゐるならば、まだアイヌの運命は尽きないだらう。


七月九日 日曜日


昨夜の夢はずいぶん変だった。
兼吉さんの家に地下室があって、電燈が点ってゐた。私は富子をおんぶしてゐた。富子だと思ったが、泣声をきくと此方のたぁたんであった。中央に白布をかけた卓子があって、学校にあるやうな籐椅子が沢山あって、私はS子さんと対座してゐた。S子さんだと思ったのは川村サイトさんだった。兵隊さんが三人はいって来た。何処かのアイヌの兵隊さん……。私とサイトさんは大声で何かの議論をした。サイトさんが私にまけた。外へ出た。かんとくさんの家の前は一ぱい雪があって、道は凸凹でずいぶん悪かった。ヤイペカ/\しながら来ると、マデアルさんに出会った。瓦斯(ママ)か何かの縞柄のきれいな袷を着て長い袂の姿優しく蝦茶のメリンスの袴をはいて、靴をはいて、ニッコリ会釈して、あの素直なやさしい黒い瞳を輝かして行過ぎた。私は後見送った。うちにあった赤い表紙の讃美歌を右手に持ってゐた。
中央会堂へ行く。副牧師のおはなし。何だか少しわかった様な気がした。
汝等愛せらるゝ児女のごとく神に效ふべし。
偶像をおがむ者のキリストと神との国をつぐ事を得ざるは汝等知ればなり。
汝等もと暗かりしが今主にありて光れり。以弗所書五・一―二二(ママ)欧州戦争の時、佛蘭西のジョフル元帥が戦傷者の呻吟してる病院を見舞った。すると、何とかの毒とかの為に顔がスッカリ腫れあがって顔の形もなくなった一人の兵士を彼は見た。おゝ、おん身はこの様に顔の形が無くなるまでに佛蘭西の為に苦戦してくれたか。さあ、握手をしよう、と手をのべた時、彼は体をおほふ薄い布の下から手を出した。おゝ其の手は肩の下から切れてゐた。
あゝ右の手が無くなるまでおん身は佛蘭西のために苦闘してくれたか。では左の手で握手を……。元帥の言葉に彼は左の手を出した。がその手は腕の所がプッツリ切れてゐた。
おゝ、おん身は、顔の形を無くし、右の手を失ひ、左の手をきられるまで佛蘭西の為に悪戦苦闘してくれたか。さらば……とジョフル元帥は、彼の醜く腫上って顔といふ形もない彼の一兵士の熱に皮むけた唇に其の唇をつけて強いキッスを与へた。
兵士は泣いた。今までかつて泣いたことのない彼が涙を流した。彼が其の後少し快い時に友人の手をかりて一篇の詩を書連ねた。
我愛は酬ひられたり……と。
人の為、世のために己をすてゝ、あらゆる悪戦苦闘を続けて、ふくれあがり、はれあがり、きれ/″\に身はならうとも、感謝し、喜んでそれを甘受する……それがクリスチャンの生涯だといふ。キリストにならふ所以だといふ。その愛に酬るあついキッスは何?


七月十日


林さんのよっちゃんが遊びに見えた。その人の家庭の話など、奥様がお話しになった。涙ぐましい話。


七月十一日


母様からの手紙。松山さんの話、大尉の話、八重さんの話、すべてにお母様式を遺憾なく発揮してるのが面白く、またかなしい気がする。
葭原キクさんはほんとうに死んでしまったのだ。何卒嘘であってくれるやうに……と思った甲斐もなく。彼の女に就いて思出すことは、容貌の美しかったこと、よく泣く人であったこと、よく笑ふ人であったこと、幼い記憶に残ってるのは先づそんなものである。文字が上手であった。怒った時の表情も目の前に見るやうだ。動作はしとやかな、先づ私たちアイヌのうちにも彼女がゐたことは喜ばしいことである。私を可愛がってくれたった。
その人も今やなし。またしても何故アイヌはかうして少しよい人をみな失ってしまふのかと泣きたくなる。きくさんの娘はみゆきと言った。可愛い子であったが、父なく母なき孤子になってしまったのだ。妙に気にかゝって仕様がない。今は何処にゐるのか知ら。母親に似て、色白の顔の形もとゝのった美しい子だった。さうして、やはり母親に似て利発な子であった。今はもう十歳ぐらゐにもなるであらう。おゝかはいさうに。幼くして母を失ったおん身は、これから何ういふ生活に入るのか。さなきだに涙の多い母を持ったおん身だから涙もろい性質を持って居るのであらうものを、きっと、さびしい/\涙の子におん身はなるであらう。それもよし。泉と湧く涙に身を洗ったならば、おん身は却って、美しい清い魂を得るであらう。何卒さうなって下さい。涙の谷に身を沈めてはいけない。決して沈んでしまってはなりません。


七月十二日 晴、終日涼


奥様が、来年の春までゐて頂戴と仰る。勿体ないこと。
岡村千秋さまが、「私が東京へ出て、黙ってゐれば其の儘アイヌであることを知られずに済むものを、アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば、世間の人に見さげられるやうで、私がそれを好まぬかも知れぬ」と云ふ懸念を持って居られるといふ。さう思っていたゞくのは私には不思議だ。私はアイヌだ。何処までもアイヌだ。何処にシサムのやうなところがある□ たとへ、自分でシサムですと口で言ひ得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間ではないといふ事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知ってゐる。神の試練の鞭を、愛の鞭を受けてゐる。それは感謝すべき事である。
アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私ひとりぽつりと見あげられたって、それが何になる。多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ。
それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるひはそれ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる、それはちっともいとふべきことではない。
ただ、私のつたない故に、アイヌ全体がかうだとみなされて見さげられることは、私にとって忍びない苦痛なのだ。
おゝ、愛する同胞よ、愛するアイヌよ※[#感嘆符三つ、178-5]


七月十三日


私が東京といふ土地に第一歩を運んだのは二月前の今日であった。


七月十四日


直三郎さんがとう/\なくなったといふ。涙も出て来ない。
直三郎さんの死骸、それにとりつく、父母君の悲しい光景。それが目の前を何度も通りすぎる。


七月十六日 日曜日


中央会堂で波多野牧師の「信仰の種類」と題するお説教。ちっともわからなかった。
午後、なほ江さんといふ、先生の弟さんが見えた。安蔵さんの方が静かな、優しい方の様に見えた。此の方はまた、たいそう無邪気な可愛らしい弟さんだと思ふ。
お国言葉まるだしで、太いお声。かげできいてゐると、まるでアイヌの男の話声の様だ。
御兄弟仲むつまじくいらっしゃる事は、次郎さんの時も安蔵さんの時も今の方の時も同じ事なのだ。次郎さんとなほ江さんはよく似ていらっしゃる。先生と安蔵さんの似ていらっしゃるのはまたそれ以上である。


七月十七日


大さはぎしてなほ江さんのお帰り。案じた通り奥様の御気分が勝れぬ。


七月十八日


奥様は歯医者さんへ。
先生は中学校へ。お不在の間になほ江さんが見えた。坊ちゃんが新しいマントをお土産にいたゞいた。
夕方、ザーッと夕立、ほんとうに気持がよかった。
宮下長二といふ青年が私を訪ねて来た。あんまり真面目な人に見えなかった。が、それは私の間違ひかも知れぬ。トメさんと文通してるといふ。
研究するんぢゃなくて、たゞ好奇心からアイヌの歴史をきゝ、生活状態を見、心理状態を観察しやうといふのだ。なんだか私は侮辱をさへ感ずる。しかしいくらものずきでもよく訪ねてくれたと感謝する。


七月十九日


仕事が無くて困ってしまふ。
今日も奥様は歯医者さんへ。
一日お天気。


七月二十一日


賜はことなれども、霊は同じ。


七月二十二日


六月の二十七日に出した手紙の返事がやっと七月の二十二日に手に入った。
鉛筆の走書で書いてあることも、私の聞きたいと思ふことは何も書いてゐない。そして浮ッ調子なやうにもとれる。然し、やはり何処かに愛のひらめきが見えるのは嬉しい事である。


七月二十三日 晴、九十度の暑さ


中央会堂へ。
先生に五円、お小費にと戴いた。嬉しくて堪らない。けれど何もしないで……といふ気持がまだ浮ぶ。たゞ感謝すればいゝのに……。
会堂では副牧師の説教。
我生るに非ず、
キリスト我にありて生るなり。
波多野牧師に御挨拶申した。随分いい方だ。
夜、町田さんなる人が見えた。成程、感謝に満ちた顔して居られる。先生や奥様にほめそやされたには驚いた。悪く言はれるのはいやだけども、よくもないことをほめられる事程困ることはない。
赤ちゃんに少しお熱があった。


七月二十四日 晴


朝から随分暑い。
赤ちゃんの機嫌が悪い。からだのかげんがお悪いのだと思ふ。元気がない。
御機嫌がなほった。
樺太のニマポを見せていたゞいた。何れ程古いかわからぬニマポ、ピカ/\光ってる。私は涙が出た。
ワカルパアチャポの事をうかゞって思はず涙にくれる。ワカルパアチャポ、ワカルパアチャポ……あいぬは滅びるか。神様、何卒……。いゝえ、聖旨のまゝに為させ給へ。
奥様のところへマッサージの人が来た。
孤児院の女の子が『買って下さい。要らないのを買ふのが慈善でせう。奥さん、買って下さい』といふ。まだ十二か一のをさない娘。何といふ、惨めな此のありさまであらう。涙ぐましい気持がする。人生の悲惨はこの孤の少女の額にあらはに見ることが出来る。


七月二十五日


午後から、先生と坊ちゃまのお供をして博覧会見物と出かけた。
目がまはりさうなところ。何れも/\驚嘆の種でないのはなかった。
彼方此方で種々と御馳走になった事。お腹が一ぱいだ。
帰って来て心に残り刻まれてあるのは、南洋土人の歌劇、南洋土人の子供のかはゆかった事。いもやかぼちゃのやすかった事、氷水のおいしかった事、噴水のきれいだった事、池の夜景のよかった事。
絵葉書を一組いたゞいた。くたびれて/\、物言ふ事さへ億劫になってしまった。


七月二十六日


くたびれた割に今朝は早く目をさました。金田一さん、金田一さん、とあはたゞしく門をたゝいた山本の奥さん。
一ぱいの水にやっと息をついて、一言二言語った事。
みいちゃんが死んだ、汽車で自殺した、と。
つひ先達見えたあのみいちゃん。美しくらふたけたあのみいちゃん。人の奥さんと呼ぶにはあまりにいたいけな、二十歳だといふても精々十七ぐらゐにしか見えなかったあのみいちゃん。こんな人が奥さんとはあまりに痛ましい事だ、と私が言ったっけが。
神経衰弱とは何とおそろしい病気であらうぞ。
三時頃おかへりの先生は、それに就いて種々なお話をなすった。奥様の事についても。
夜、先生はお通夜にお出かけ。私は先生の代りみたいに奥様がたと一つ蚊帳に寝た。
子を持つ人の如何に苦労の多いかをつく/″\思ふ。
坊っちゃんと赤ちゃんが、あっちへころ/\、此方へころ/\。のみか蚊か、そらお乳、そらおしめ。それに奥様がちっともおねむりなさらない。びく/\/\/\とちっとも落つかない御様子。何だか私の方が神経衰弱かも知れぬ。
二時半のお乳からはグッスリ寝入った。


七月二十七日


先生も奥様もがっかりしていらっしゃる。みいちゃん/\、一日みいちゃんが頭をはなれない。


七月二十八日


(以下余白)




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