踊る地平線
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著者名:谷譲次 

 が、コンパアトメントは、私だけのものだった。そこには、国際裸体婦人同盟員と彼女のアストラカン外套も、若いルセアニアの商人と彼の嗅ぎ塩(スメリング・ソルト)も、見られなかった。あるのは、ただ、ルセアニア人が残して行った微かな竜涎香(アンバア)の薫りと、一晩中密閉されていた彼女の体臭とが混合して、喫煙室のそれのように、重く揺らいでいる空気だけだった。
 二人は、到着と同時に汽車から走り出て、急いで、ホテルへ向ったのであろう。真面目顔のホテルの番頭(クラアク)は、二人を夫妻として登録して、一室の鍵を渡すだろう。微笑が、寝不足の私を軽くした。
 私は、酸素を要求して、窓を開けた。
 金色(こんじき)の風が、歓声を上げて、突入した。何と、爽やかな羅馬(ローマ)の朝!
 私は、ここで、歴史の真ん中へ降り立つのだ。
 直ぐにナポリ行きへ乗換える人や、朝だちの旅客のために、プラットフォウムには、駅売りの呼び声が縦横に飛び交していた。
あっか・みねらあれ!
あらっち・まんだりいね!
しがれって!
ちょこらって!

     6

 ホテルの私の部屋で、電話の鈴(ベル)が私を驚かしたのは、その日の午後だった。
 電話は、女の声だったので、私は、紳士として、部屋着の襟を合わせた。
 接続線の向端(むこうはし)に、アストラカンの外套がちらついているような気がした。どうして私が、それを感知したのか、また、いかにして彼女が、私のホテルを突き止めたのか、これらは、完全に私の理解の外部にある。とにかく、それは、国際裸体婦人同盟の熱心な会員でもあり、同時にまた、反ファシスト派の巴里(パリー)機関紙「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」の論説部員として、今朝(けさ)死を賭して、この「久遠の街(イタアナル・シティ)」へ潜り込んだのだと信ずるに足る、あの、彼女からの、あわただしい電話だった。
 受話機から、昨夜(ゆうべ)の声がこぼれて、私の足許へ散らばった。
『私は、尾行されています。いま、何よりも男の方の守護が必要なのです。』
 そして、直ぐに私に、国民大街(ヴィア・ナツォナレ)の端(はず)れの、第二回万国自動車展覧会会場(インテルナツォナアレ・アウトモビイレ・サロネ)へ来るように、と言うのだ。
 私は、不思議にも、若いルセアニア人のことなぞは、すっかり忘れていた。そして、敵地にいる彼女から、こうして私に、こんな命令的な呼出しが来るのは、何だか当然至極のことのように思えた。私は、それを早晩来べきものとして、予期していたような気さえした。
 間もなく、羅馬(ローマ)の雑沓が私のタキシの左右に後退していた。
 到るところに、噴水と憲兵が立っていた。彫刻と、大石柱の並立とがあった。史的色調と、民族の新しい厳則(デサイプリン)とが、どこの露路からも、二階の窓からも、晴々しく覗いていた。
 料理店では、食慾がマカロニを吸い込んでいた。それが、私を見て、手を振った。
 英吉利(イギリス)の小都会からの観光団が、案内者の雄弁に引率されて、国民経済省の建物を見上げていた。それを、子供と写真帖(アルバム)売りが、遠巻きにしていた。
 軍楽隊が来た。
 黒装束に、腰の革帯に短刀を一本挟んだきりの、フュウメ決死隊の一人が、軍旗といっしょに、先頭だった。それに続いて、青灰色の軍服の行列が、重い靴で、鋪道を鳴らした。
 私のタキシは、徐行した。運転手は、右腕を真直ぐに伸ばして、前方へ斜め上に突き出す礼をした。これは、昔羅馬(ローマ)武士が、出陣に際して、王と神の前に戦勝を誓った、儀礼の型であり、そして、今は、ムッソリニと彼の仲間が、公式に流行(はや)らせているいわゆる「羅馬挨拶(サルタ・ロマノ)」なのだ。
 私の運転手は、ファシストだった。が、いまこの街上に、何とファシストの多いことよ! 老人の手、青年の手、労働者の手、警官の手、通行人の手。
 青物屋は、野菜の車を停めて手を上げ、その野菜の山の上から、青物屋の伜(せがれ)が手を上げ、軒並みの商店からは、主人と店員が走り出て手を上げ、そして、電車の窓からも自動車の中からも、何本となく手が上がっている。軍旗は、この、手の森林を潜(くぐ)って、消えた。
 これが、現在の伊太利(イタリー)の常用礼式なのだ。官庁ででも倶楽部ででも、劇場ででもホテルででも、家庭ででも、こうして手を上げ合っている人々を、見るであろう。羅馬(ローマ)は、いや、伊太利(イタリー)は、このとおりファシストで一ぱいである。ファシストにあらずんば、人にあらず――。
 正規には、これに、ファシスト式の万歳(エイル)の高唱が加わるのだ。
Eja ! Eja ! Alala !
えや! えや! あらら!
えや! えや! あらら!
 第二回万国自動車展覧会場の入口に、いつもの宣伝用の「服装」をアストラカン外套で隠した、国際裸体婦人同盟員が、私を期待していた。
 ところが、彼女は、先刻(さっき)の電話の声で示したかなりの恐怖と狼狽を、どこかに置き忘れて来ていた。
 私は、第一に、誰が彼女を尾行しているのかと、訊いてみた。
 が、彼女は、もうその問題を、まるで他人事のように考えているのである。
『尾行者は、美少年だったり、落葉だったりします。何者だか解りませんが、ただ私の読心術(テレパセイ)が、しきりに私の尾行されていることを私に警告しています。』
 彼女は、この読心術(テレパセイ)という言葉を、何にでも代用して使うことが、好きらしかった。私は、ルセアニア人のことは、思い出さなかったし、また、どうして彼女が、私のホテルを知ったかという疑点も、別に質(ただ)そうとはしなかった。彼女が、それをも直ぐに、彼女の「読心術(テレパセイ)」の能力で片付けるに相違ないことを、私は承知し過ぎていたから。
 私達は、会場を一巡して、戸外へ出た。
 その間、彼女の眼は、陳列してある各会社の、一九二九年の新春型を、機械的に送迎していただけだった。が、彼女の口は、絶えず言語の洪水を漲(みなぎ)らして、私を溺死させようとした。私は、一体自分は、何のために騎士的感激をもってここへ駈けつけて来たのだろうと、そのことばかり考えていた。
 彼女は、サンパウロ発行の反ファシスト新聞「防禦(ラ・ジフェサ)」について、多くを語った。そして、その主筆である、元の社会党代議士フランチェスコ・フロラに関して、より多くの呼吸を費やした。殊に、一亡命者としてのフロラが、上陸禁止令を無視して、警戒線を突破した当時のことや、その後の彼を覆った官憲の圧迫には、彼女は、特別に、詳細な知識を所有している様子だった。しかし、私は、彼女の身辺に、今までなかった弱々しいものを感じて、それを、汽車の疲れであろうと判断した。そして、宿所へ帰って休むことを、彼女に奨(すす)めてみた。
 すると、彼女は、この私の説を逆証すべく、俄かに努力した。自分は、この通り精力に満ちていると言いたいために、彼女は、歩きながら、針金細工の人形のように手足を張って笑い出した。
 一七六〇年開店(フォンダト)のキャフェ・グレコが、その金文字入りの扉(ドア)で、私達に敬礼した。「車(ワゴン)」と呼ばれている、奥まった細長い部屋に、その家の財産の、古い、汚い一個の卓子(テーブル)があった。卓子は、マアク・トウェイン、ビョルンソン、ゴウゴル、ゲエテ、グノウ、ビゼエと言った詩人(ポエタ)達の、手垢と、楽書(らくがき)と、小刀(ナイフ)の痕とで、有名に装飾されてあった。その上で、彼女は、常食と称して、牛乳に蜂蜜を落して飲み、私は、また、彼女の雑談の続きを食べた。
 配達に来た郵便脚夫を見て、彼女は、私に私語した。
『あの男が、私を尾行しているのです。』と。
 彼女の音盤(レコウド)は、まだまだ切れなかった。
『選挙の準備と、その妨害の秘密戦は、いよいよ白熱化しつつあります。あなたは、この三月の総選挙が、ファシスト政府の新しい選挙法によって行われる、全く特殊のものであることを、知らなければなりません。まず、一千の地方労働組合から、四百人の準候補者を推薦させて、それを、ファシスト最高幹部会の評議にかけます。ファシスト最高幹部は、五十二人から出来ています。羅馬(ローマ)進軍当時の四人の将軍、ファシスト革命直後三年間の大臣と次官、一九二二年以後のファシスト事務総長、国民軍指揮官、学士院長、国防特別裁判所長、総組合長(シンダカト)などです。そこで、この最高幹部会で、取捨選択して、すっかり定員数の候補者を決めてしまって、その全体を、最後に、いっぱん一千万人の投票に問うのです。人々は、午前七時から午後七時までの間に出かけて行って、投票します。投票紙には、然(シイ)・否(ノウ)という二つの実に明白な文字が、印刷してあります。そのどっちかを消して、投票箱へ入れればいいのです。つまり、個々の候補者に投票するのではなくて、既にファシスト最高幹部会で決定した、その全部の顔触れに異存があるかないかを、投票するのです。そして、一体どこに、ファシスト最高幹部会の決議に反対するほどの、好奇な冒険家がいますか?――これは、何という、見事な選挙でしょう! 何という、優れた世紀の冗談でしょう! 何という、天才的な手数の簡略でしょう! あなたは、そうはお考えになりませんか。』
 それきり、私は、彼女に会わないのである。

     7

 羅馬(ローマ)のホテルから廻送して来た、彼女の手紙を、私は、ナポリで見た。
『私は、あなたに報告しなければならない、一つの誤謬を発見しました。それは、いつか申し上げた、私の尾行者に関してです。彼は、確かに、私を尾行していました。けれど、彼の尾行の意思は、決して私が思ったような、政争的な、物騒なものではなかったのです。あなたは、羅馬で、スカラ・サンタという寺院の内部を御覧になったことがあるでしょう。あそこの正面の大理石階段は、十字軍の末期に、エルサレムから持って来たもので、基督(キリスト)が、ピラトの審判を受ける時に上った階段であると伝えられています。ですから、参詣の女は、あの階段だけは、必ず跪(ひざま)ずいて昇らなければならないことになっているのですが、あの、急な二十八段を膝で上るのですから、洋袴(スカア卜)の短い、この頃の若い女などは、随分余計な苦心をしなければなりません。
 以前はよく、男達が、それを下から見上げていて、これという狙いを付けたものです。そして、お寺から、その女を尾行して行って、住処(じゅうしょ)を突き留めます。それからは、毎日女の家を見張っていて、女が外出する度(た)びに、尾行を続けるのです。そして、いつからとなく、そのうちに交際が始まって、やがて、目的を達するかも知れない日を、男は、根気よく待つのです。この習慣は、何もスカラ・サンタの寺院にだけ限られているわけではありません。これは、一つの例で、伊太利(イタリー)では、どこでもやっていることです。結婚も、野合も、この経路から生れるものが、かなりに多いようです。私は、この「服装」でスカラ・サンタへお詣(まい)りしたわけではありませんが、私の尾行者は、どこかで私を見初(みそ)めて、それから、この尾行を始めたものに相違ありません。彼は、私を恋していると言うのです。恋だそうです! 何という馬鹿な男でしょう! あなたは、そうはお考えになりませんか。』
 シシリイ島、ソレント、カプリ島、フロウレンス、ミランと、私は、この「長靴」に、予定以上の日数を持ってしまった。
 そして、ヴェニスで、私は、春の跫音(あしおと)を歓迎した。
 ヴェニスの春は、第一に、温みかけたグラン・キャナルの水が、親切に知らせてくれた。
 私は、長靴の伊太利から、明るい春の煙りが、カラカラ浴場跡の雑草のように、生々(いきいき)と沸き上るのを見た。
 ゴンドラを繋ぐ、理髪屋(とこや)の標柱のような彩色棒の影が、水の上で、伸びたり縮んだり、千切(ちぎ)れたり附着したりして、一日遊んでいた。
 裏町では、毎日、窓から窓へ、夥しい洗濯物の陳列会が開催された。
 泥柳が、岸に堵列して、晴天を祝っていた。
 私は、溜息の橋(ブリッジ・オヴ・サイ)の下に、ゴンドラを流して、ヴェニス市民の全生活を、そこの石垣の根に眺めて暮らした。ヴェニス市民の全生活が、その、赤土(あかつち)沼のような水の表面を、ゆるく旋廻して通り過ぎつつあったのだ。それは、古靴の片っぽ、破れた洋傘(こうもり)、果物の皮、死んだ箒(ほうき)、首のない人形、去年の雑誌、無生物になった仔猫など、すべて、この町の春の支度に用のないものばかりだった。
 こうして、一九二九年の春は、長靴から立ち昇っていた。
 が、このヴェニスのホテルの酒場で、私は、ルセアニアの商人に化けて、密かに這入り込んだ「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」の若い論説部員が、羅馬(ローマ)へ着くと同時に、逮捕されたことを聞いた。彼は、前夜から同室していた刑事に、徹宵(てっしょう)警戒されていたのだということだった。
 しかし、私は、それ以上、いろいろなことに思い当った。
 第一、その論説部員は、同室の刑事に、徹宵警戒のため抱擁されていたのだ。
 そして、刑事は、外国人のひとりとして、私をも注意視し、私の行動を追うために、車内で問わず語りにベニイのことを饒舌したり、ホテルを嗅ぎ当てたり、自動車会へ呼び出したり、ナポリへ手紙を送ったりしたのではなかったか。
 私の眼に、ヴァンテミイユ羅馬(ローマ)間の国際特急を移動管轄している、ムッソリニ直属の外事課高等刑事の乳房と、彼女の下腹部の黒子(ほくろ)が、瞬間、浮かんだ。




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