踊る地平線
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:谷譲次 

『あなたは、つい今し方、あんなに自分の不注意を悔いて、密偵を警戒すると誓ったではありませんか。私達は、単純な旅行者なのです。あなたの軽卒によって、馬鹿々々しい悶着への同伴になりたくはないのです。もうすこし、気を付けて戴けないでしょうか。』
『うっかり昂奮していたものですから――。』
 この注意に対して、彼女は、意外に簡単に収縮した風だった。国際裸体婦人同盟員が、はじめて自分の裸体を意識したように、緑色の肉体が、眼に見えて、動揺した。それには、汽車の震動ばかりと思えない、何か内容的なものがあった。
 が、彼女の精神は、印度護謨(インドごむ)で出来ているに相違なかった。それ程の強靭性を実証する言行に、次ぎの瞬間の彼女は、大飛躍していたのだ。
 ルセアニア人に対する彼女の反撥は、もう一度、例の、彼女のお得意の詩句の暗誦によって先駆された。
『Non dir di me, setu di me none sai. Prima pensa perte eppoi drai. 私を知らずに、私のことを言うな。第一にお前自身、それから、いうなら言うことだ――羅馬(ローマ)は、羅馬時代から、さまざまの名文句で混み合っています。』
『あなたは、何か大変な感違いをしているらしい。』
『そうでしょうか。ここはピサですね。』
 ピサの斜塔が、星を撫でて、真夜中の地上に接吻しようと骨を折っていた。
 一時に濃度を増した闇黒が、汽車を押し潰そうと、窓の外に犇(ひし)めいた。
 彼女は、そのなかに隠された小さな声を、懸命に聞き取ろうとしている様子だった。
 やがて、何か重大事に想到したように、彼女の眠が、細くなった。
『し――いっ!』
 と言うのである。
 彼女は、人差指を立てて、口唇(くちびる)へ当てた。その口びるは、指と十字を作って、横に固かった。
 そして、彼女は、敷いていたアストラカンから、徐々に起立した。と同時に、手が伸びて、車扉(ドア)の横にスイッチを探した。
 小さな音を合図に、車室が、今までの緑色の薄明から、完全な暗黒へ転落した。
 私は、私の全神経の騒ぐ音を聞いた。暗いなかに、ほの白い彼女の裸体が、窓の方へ走るのを見た。そこには、若いルセアニアの商人が、彼の嗅ぎ塩(スメリング・ソルト)とともに、平和に暮しているのである。
 私は、同室者として、彼の身の上を案じた。果して、国際裸体婦人同盟員は、ルセアニア人と、出来るだけ同じ空間を満たすべく決心したらしい。彼女は、その「服装」で、若いルセアニア人を、いきなり私の前から隠してしまった。
 ルセアニア人は、死んだルセアニア人のように、彼女の体重に耐(こら)えて、声も立てなければ、身動き一つしないで、牧師のようにきちんと腰かけているのだ。それが私を笑わせた。
『何が、可笑(おか)しいのです。』
 彼女の声だった。そして、それは、直ぐ、この自分の突飛な行動の事後説明に取り掛った。
『これに、すこしも性の意味がないとは、私は言いません。幾分あるようだからです。しかし、本能の処理は、恋愛とは全然別なものです。恋愛は、本能の享楽であり、処理は、どこまで往っても事務だからです。ところが、近代に到って、この本能の処理に、色んな思想や文学や都会生活やの扮飾が加えられて、それは、一見恋愛と同じ外観を備えるようになりました。その結果、この二つは、事実非常に紛らわしいために、現代人は、両方を一緒にしたり、本能の処理を恋愛と思い込んだりしています。つまり、本能の処理が、いつの間にか恋愛に接近するほど、それは、多くの装飾的な外面を持ち出したのです。けれど、二者の運命的な相違は、装飾恋愛の享楽性は、対者を条件とする内容にあるのに反し、本能の処理におけるそれは、要するに附帯物の作り出す一時的錯覚に過ぎないということです。では、一体何が、本能の処理に、これほどたくさんの夾雑物(きょうざつぶつ)を投げ込んで、近代人を惑わしているかと言うと、ここでも、資本主義の天才的狡猾さが、もう一度責められなければなりません。資本主義は、その蓄積した余剰価値の発散をこの方向へ集中して、こうして人の眼を眩惑し、それによって、すこしでも長く自分への人心を繋(つな)ぎ留めて置こうと計っているのです。おきまりの補助的方法が、また一つ、見事に成功したわけです。が、その手を直ちに逆に使って、私達は、この資本主義の奸手段に対抗することが出来ます。それは、その資本主義の煽動に乗じて、資本主義が一番大事な味方にしている道徳(マラリティ)を衝くことです。言い換えれば、与えられたあらゆる機会に、本能の処理を享楽するのです。実際、私達は、どんなにそれを享楽しても構いません。ただ、恋愛の享楽が、恋人の間にだけ許されるのと同じように、本能の処理を享楽するにも、そこには、一つの社会的特権団体があります。それは、地球を押している人達です。時代の進展に意識的に関与して、他のことはどうでもいい、つまり、私たち最左翼の知識群です。が、誤解なさらないで下さい。私は、年中人に誤解され通していますが、今の私は、こうして、僅(わず)かに、本能の処理から来る悪戯感を享楽しているだけのことなのです。ですから、この方がどう思おうと私の知ったことではありませんし、そこに、もう一人の紳士がいらっしゃればこそ、私も、自分を信用して、安心してこの方の膝に腰かけていられる訳です。が、実は、問題はそんな末梢的なこせではないのです。』
『何か、私達の眼に見えない、恐るべき突発事でもあったのでしょうか。それが、あなたに電灯を消さして、席を換えさせたと言ったような――。』
『そうです。私は、大変なことを思い出したのです。まず、あなたは、いま、国外に追放されている反ファシストの連中が、続々伊太利(イタリー)に潜入しつつある事実を、思わなければなりません。彼らは、この三月に行われる総選挙を攪乱(かくらん)して、それを機会に、ベニイ一派に痛手を負わそうと勇み立っているのです。そのために、この数週間、国境の警戒は、あの通り殊に厳重を極めているのですが、ここに、驚くべき一事は、この列車で、あの、ベニイが一番怖がっている、巴里(パリー)の「黄嘴紙(ベッコ・ジャロ)」の論説部員の一人が、アンテ・ファシズム宣伝の目的で、決死の羅馬(ローマ)入りをしようとしていることです。それは、その筋には知れています。だから、この汽車の乗客の半ばは、政府の密偵であると、私は断定するのです。しかし、その勇敢な「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」は、名前も顔も、ちゃんと解っていると言いますから、途中で暗殺されずに、ともかく無事に羅馬へ着くことが出来れば、それだけでも、彼または彼女にとって、それは、非常な成功でしょう。が、いま私は、その冒険者の上に、瞬間の危機が迫っているのを嗅ぎます。こう申し上げれば、なぜ私が、突然コンパアトメントを暗くして、この紳士の膝に保護を求めたかが、お解りでしょう。』
『まさか、あなたが、国際裸体婦人同盟員である一方、その、命知らずな「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」の論説部員なのだと、仰言(おっしゃ)るのではないでしょうね。』
 私の声は、何度か躓(つまず)いた。
 ルセアニア人は、唖のトラピスト僧のように黙り込んだきりなので、私一人が、この、彼女の表明に対して、期待されただけの驚愕を、反応させなければならない立場にあったのだ。
 彼女の裸体が、不安そうに凝結した。
 彼女は、私が、痛いと感じた程の語調で、突っ返した。
『なぜ、そうであってはいけないのでしょう!――ああ! しかし、もう間もなく夜が明けます。私は、もう一度、朝の日光を見ることが出来そうです。そうすると、羅馬(ローマ)! 羅馬! 世界のどこの都会よりも輝かしい朝を持つ羅馬! 私は、一つは、それが忘れられなくて、こうして帰って来たのです。おや! この方は、眠っていますね。私の体温が、彼を眠りに誘ったのです。何という、一志(シリング)の切れかかった瓦斯ストウヴのような可愛い鼾(いびき)! 鼻を突いてやりましょうか。私は、この人の小さな足を、その茶色絹の靴下と一緒に、塩と胡椒(こしょう)だけで食べてしまいたい。』
『彼のために、その衝動を押さえて下さい。彼は、疲れているのです。』
『ベニイも、この頃は、すこし疲れて来ました。可哀そうなベニイ! 神経衰弱だという評判もあります。』
『彼は、家族と別れて住んでいるのですね。』
『そうです。家族は、ロマニア州のフリウリ村に居ます。ベニイの羅馬(ローマ)の邸(やしき)は、ノメンタナ街―― Via Nomentana ――の六六・六八・七〇番で、アルサンドロ街から次ぎの角まで、一区劃(ブロック)を占めている、宏大なものです。ミケランジェロの建築と言われている法王門(ポルタ・ピア)から、両側に、閑静なアパートメントと、乾麺類や薬を売る近処相手の小商店とを持つ、かなり広い並木街が、真直ぐに逃げています。そこの、門(ポルタ)に一番近く立っているアカシア街路樹に、いつか、ベニイを暗殺し損(そこ)ねた同志の弾丸の痕(あと)が、今でもはっきり木肌に残っているはずです。その前から、眠そうな電車に乗ります。すると、一伊仙(チェンテズモ)分だけ行ったところに、あなたは、聖ジュセッペの寺院の円屋根(まるやね)を見るでしょう。そうしたら、電車に別れて、あの辺特有の、今ならば霜解けの非道(ひど)い、鋪装(ペイヴ)してない歩道傍(わき)の土を踏まなければなりません。ベニイの家は、その近くから始まっています。それは、白い、高い石塀の上から、巨大な赤松の林立が、周囲に、森のような影を落していることによって、直ぐに判別されます。正門は、角軒灯と石材との威嚇的効果です。お上品な砂利道と芝生の向うは、神秘そのもののような建物の散在です。そして、勿論、全体の空気には、まるで、王宮のように、そのあちこちに、大きく「禁止」と書かれてあります。邸内には、ヨニック式の礼拝堂があります。円形野外劇場(アンフィセアタア)もあります。埃及角塔(オベリスク)もあります。この邸宅は、トロニア公爵(プリンチペ)の屋敷(パラット)として、羅馬(ローマ)名所の一つなのです。』
『それが、どうして、ベニイ住宅になったのですか。勿論、例の、国際的な猶太(ユダヤ)人の覆面資本団からでも貰った金で、買ったのでしょうね。』
『ところが、そうではないのです。今のトロニア公爵は、この前の駐英大使でしたが、その母親という人が非常なべニイ・ファンで、或る猛烈な感激の瞬間に、このノメンタナ街の家を、土地ぐるみそっくりベニイに贈呈したのでした。で、ベニイは、毎日ここからクイリナアレ庁へ出かけているのですが、その出入は、数度の奇襲に懲りて、じつに厳戒を極めています。毎日、彼の自動車と、往復の通路とをいろいろに取り換えて、眼に付かないように努めています。そして、夜も昼も、塀の外には、私服刑事の一隊が、普通市民の散歩者に混ざって、何気なさそうに逍遥しています。がベニイ自身は、いつも、運命を自分に有利なようにだけ仮定していて、しかも、絶対にそれを信ずる心が強いのです。ですから、どこへでも公衆の場所へ出掛けて行きますし、万一のことがあってはと、みんなが停めるのも肯(き)かずに、旅行は、すべて飛行機と決めています。公用は勿論、土曜から日曜にかけて、ちょっとフリウリ村へ家族に会いに行くにも、ベニイは、飛行大臣として、飛んでいくのです。しかし、彼は、運の好(い)い男で、軽い事故さえも、まだ経験したということを聞きません。暗殺も、今までのところでは、すべて失敗に終りました。一度は、胸の勲章が彼を救ったほどの、狭い逃亡(ナロウ・エスケイプ)でしたけれど。』
『情婦があると言うではありませんか。』
『事実です。マリア・セラファチといって、ちょっと原稿なんかも書く女です。彼女の著したベニイの伝記もあります。が、さあ、同棲しているんですかどうですか――。』
 彼女は、先刻から、ルセアニア人から接吻を盗み続けていた。そして、この時も一つ、濡れた音響と共に、肥ったのを奪(と)った。
 しかし、ルセアニア人は、眠っているのではなかった。彼は、この、不可思議な受難の夜を、羅馬(ローマ)まで甘受して往く覚悟が、もうすっかり出来たとみえて、彼女の肩の上に据(す)わっている彼の眼が、平静に私を凝視していた。そのうえ彼は、出来るだけ二つの身体を揺れさせないように、それを自分の責任として、一人で汽車の震動と争っていた。それらのことが、闇黒にも係わらず、私には、よく見えるのだった。
 暁(あかつき)と羅馬(ローマ)とが、線路の末にあった。
 それを眼当てに、汽車は、一層勇躍した。
 加速度の廻転で灼熱したピストンが、足の下に、熟く感じられた。
『時間通りに、羅馬へ這入りそうですね。』
 彼女が、観察した。
『伊太利(イタリー)の汽車が、時間を守るなんて、私達は、これだけでも、ベニイの功績を認めべきではないでしょうか。それから、第二に、名物の乞食が姿を潜めたこと。』
『みんな、役人や兵隊になったのです。そのうちで、よほど哲学的な連中だけが、ヴェニスへ集まって、停車場の前で日光浴をしています。客がゴンドラへ乗ると、その舟べりを押さえて、銅貨一枚(チェンテズモ)を受け取らないうちは、どんなことがあっても、ゴンドラを岸から離さないのが、彼らの職業です。彼らはまた、その時貰う銅貨の多寡によって、ゴンドラの上の外国人を、自由に呪ったり祝福したりすることも出来ます。彼らは、その一仙(セント)二仙(セント)で、直ぐに紙巻煙草を買うのです。煙草屋では、特に彼らのために、煙草の袋を切って、一本でも、二本でも、分けて売っています。』
 彼女の好物の一つに、格言があるらしいことが、間もなく、私に解った。
『あなたは、伊太利(イタリー)でよく使われる、こういう文句を御存じですか。「銀行が湖水を潰すか、湖水が銀行を潰すか」と言うのです。ベニイが、この出典に、幾らかの関係を持っています。いまベニイのいる、トロニア屋敷(パラット)の先の所有主、トロニア公爵(プリンチペ)の先祖の出世物語なのです。一八〇〇年代の始めでした。その頃まで、まだ、ただの平民の富豪に過ぎなかったトロニア家は、羅馬(ローマ)で銀行を営んでいました。すると、当時、中部伊太利(イタリー)のフシイノ地方に、ラルゴ湖という湖水があったのですが、この湖を、時のトロニア氏が、大金を投げて埋めにかかりました。多分、その湖の大きさだけの領土を持とうとする中世紀らしい発案だったのでしょうが、それは、まるで、金銀で湖水を埋立てしようとするようなものです。夥しい人夫と土砂と支出を負担して、トロニア銀行は、今にも潰れそうになりました。そこで、華やかだったその時代の人々は、手を拍(う)って喜びました。銀行が湖水を潰すか、湖水が銀行を潰すか――つまり、この文句の意味と用途は、危なっかしいことだが、どっちが勝つか、傍観していて、面白い見物だというのです。ところが、この場合は、銀行が勝ちました。とうとう初代トロニア氏が、一八四二年から七〇年まで掛って、その湖を埋めたのです。そして、埋められた湖水の跡は、今では、伊太利で最も豊沃(ほうよく)な農園地の一つとして、知られていますし、埋めたトロニア家には、その時から、この功によって、公爵の位が与えられました。トロニア公爵一世は、ラルゴ湖征服のお祝いを、竣工の年の九月二十日に、いまのベニイの家で催しました。それは、実に盛大極まるものでした。欧羅巴(ヨーロッパ)の近世史上に、第一の宴会として伝えられています。この祭典は、昼夜三日続きました。羅馬(ローマ)市とその近郊が、全精神を挙げて参加しました。最初の日には、法王と、バヴァリアからは、王様の一行が乗り込みました。二日目には、羅馬の市民が、全部招待されました。父母の記念にと言って、新公爵は、オッソラから埃及角塔(オベリスク)を担ぎ込ませました。公爵家の紋章で美々(びび)しく装われた三十三頭の牛が、羅馬の街上に、その尨大な石材を牽(ひ)いて、ノメンタナ街の邸(やしき)へ練り込みました。その家が、いまベニイの私生活と、彼の夢のうらおもてを知悉(ちしつ)しているのです。で、同じことが言えないでしょうか。人は、自分の利器に一番注意すべきです。ベニイがファッシズムを潰すか、ファッシズムがベニイを潰すか――。』
 明け方は、睡眠の満潮時だ。
 彼女の饒舌が、受動的に働いて、いつしか、私の意識をぼやかしたに相違ない。
 私は、二人をその儘(まま)にして、眠ってしまったのだ。それが、何時間だったか、私は知らない。咽喉(のど)が乾いて、身を起したとき、私は、停車している車室のカアテンに日光の波紋を見た。
 そして、外には、羅馬停車場(ローマスタツィオネ)の喧噪な構内が、静止していた。
 が、コンパアトメントは、私だけのものだった。そこには、国際裸体婦人同盟員と彼女のアストラカン外套も、若いルセアニアの商人と彼の嗅ぎ塩(スメリング・ソルト)も、見られなかった。あるのは、ただ、ルセアニア人が残して行った微かな竜涎香(アンバア)の薫りと、一晩中密閉されていた彼女の体臭とが混合して、喫煙室のそれのように、重く揺らいでいる空気だけだった。
 二人は、到着と同時に汽車から走り出て、急いで、ホテルへ向ったのであろう。真面目顔のホテルの番頭(クラアク)は、二人を夫妻として登録して、一室の鍵を渡すだろう。微笑が、寝不足の私を軽くした。
 私は、酸素を要求して、窓を開けた。
 金色(こんじき)の風が、歓声を上げて、突入した。何と、爽やかな羅馬(ローマ)の朝!
 私は、ここで、歴史の真ん中へ降り立つのだ。
 直ぐにナポリ行きへ乗換える人や、朝だちの旅客のために、プラットフォウムには、駅売りの呼び声が縦横に飛び交していた。
あっか・みねらあれ!
あらっち・まんだりいね!
しがれって!
ちょこらって!

     6

 ホテルの私の部屋で、電話の鈴(ベル)が私を驚かしたのは、その日の午後だった。
 電話は、女の声だったので、私は、紳士として、部屋着の襟を合わせた。
 接続線の向端(むこうはし)に、アストラカンの外套がちらついているような気がした。どうして私が、それを感知したのか、また、いかにして彼女が、私のホテルを突き止めたのか、これらは、完全に私の理解の外部にある。とにかく、それは、国際裸体婦人同盟の熱心な会員でもあり、同時にまた、反ファシスト派の巴里(パリー)機関紙「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」の論説部員として、今朝(けさ)死を賭して、この「久遠の街(イタアナル・シティ)」へ潜り込んだのだと信ずるに足る、あの、彼女からの、あわただしい電話だった。
 受話機から、昨夜(ゆうべ)の声がこぼれて、私の足許へ散らばった。
『私は、尾行されています。いま、何よりも男の方の守護が必要なのです。』
 そして、直ぐに私に、国民大街(ヴィア・ナツォナレ)の端(はず)れの、第二回万国自動車展覧会会場(インテルナツォナアレ・アウトモビイレ・サロネ)へ来るように、と言うのだ。
 私は、不思議にも、若いルセアニア人のことなぞは、すっかり忘れていた。そして、敵地にいる彼女から、こうして私に、こんな命令的な呼出しが来るのは、何だか当然至極のことのように思えた。私は、それを早晩来べきものとして、予期していたような気さえした。
 間もなく、羅馬(ローマ)の雑沓が私のタキシの左右に後退していた。
 到るところに、噴水と憲兵が立っていた。彫刻と、大石柱の並立とがあった。史的色調と、民族の新しい厳則(デサイプリン)とが、どこの露路からも、二階の窓からも、晴々しく覗いていた。
 料理店では、食慾がマカロニを吸い込んでいた。それが、私を見て、手を振った。
 英吉利(イギリス)の小都会からの観光団が、案内者の雄弁に引率されて、国民経済省の建物を見上げていた。それを、子供と写真帖(アルバム)売りが、遠巻きにしていた。
 軍楽隊が来た。
 黒装束に、腰の革帯に短刀を一本挟んだきりの、フュウメ決死隊の一人が、軍旗といっしょに、先頭だった。それに続いて、青灰色の軍服の行列が、重い靴で、鋪道を鳴らした。
 私のタキシは、徐行した。運転手は、右腕を真直ぐに伸ばして、前方へ斜め上に突き出す礼をした。これは、昔羅馬(ローマ)武士が、出陣に際して、王と神の前に戦勝を誓った、儀礼の型であり、そして、今は、ムッソリニと彼の仲間が、公式に流行(はや)らせているいわゆる「羅馬挨拶(サルタ・ロマノ)」なのだ。
 私の運転手は、ファシストだった。が、いまこの街上に、何とファシストの多いことよ! 老人の手、青年の手、労働者の手、警官の手、通行人の手。
 青物屋は、野菜の車を停めて手を上げ、その野菜の山の上から、青物屋の伜(せがれ)が手を上げ、軒並みの商店からは、主人と店員が走り出て手を上げ、そして、電車の窓からも自動車の中からも、何本となく手が上がっている。軍旗は、この、手の森林を潜(くぐ)って、消えた。
 これが、現在の伊太利(イタリー)の常用礼式なのだ。官庁ででも倶楽部ででも、劇場ででもホテルででも、家庭ででも、こうして手を上げ合っている人々を、見るであろう。羅馬(ローマ)は、いや、伊太利(イタリー)は、このとおりファシストで一ぱいである。ファシストにあらずんば、人にあらず――。
 正規には、これに、ファシスト式の万歳(エイル)の高唱が加わるのだ。
Eja ! Eja ! Alala !
えや! えや! あらら!
えや! えや! あらら!
 第二回万国自動車展覧会場の入口に、いつもの宣伝用の「服装」をアストラカン外套で隠した、国際裸体婦人同盟員が、私を期待していた。
 ところが、彼女は、先刻(さっき)の電話の声で示したかなりの恐怖と狼狽を、どこかに置き忘れて来ていた。
 私は、第一に、誰が彼女を尾行しているのかと、訊いてみた。
 が、彼女は、もうその問題を、まるで他人事のように考えているのである。
『尾行者は、美少年だったり、落葉だったりします。何者だか解りませんが、ただ私の読心術(テレパセイ)が、しきりに私の尾行されていることを私に警告しています。』
 彼女は、この読心術(テレパセイ)という言葉を、何にでも代用して使うことが、好きらしかった。私は、ルセアニア人のことは、思い出さなかったし、また、どうして彼女が、私のホテルを知ったかという疑点も、別に質(ただ)そうとはしなかった。彼女が、それをも直ぐに、彼女の「読心術(テレパセイ)」の能力で片付けるに相違ないことを、私は承知し過ぎていたから。
 私達は、会場を一巡して、戸外へ出た。
 その間、彼女の眼は、陳列してある各会社の、一九二九年の新春型を、機械的に送迎していただけだった。が、彼女の口は、絶えず言語の洪水を漲(みなぎ)らして、私を溺死させようとした。私は、一体自分は、何のために騎士的感激をもってここへ駈けつけて来たのだろうと、そのことばかり考えていた。
 彼女は、サンパウロ発行の反ファシスト新聞「防禦(ラ・ジフェサ)」について、多くを語った。そして、その主筆である、元の社会党代議士フランチェスコ・フロラに関して、より多くの呼吸を費やした。殊に、一亡命者としてのフロラが、上陸禁止令を無視して、警戒線を突破した当時のことや、その後の彼を覆った官憲の圧迫には、彼女は、特別に、詳細な知識を所有している様子だった。しかし、私は、彼女の身辺に、今までなかった弱々しいものを感じて、それを、汽車の疲れであろうと判断した。そして、宿所へ帰って休むことを、彼女に奨(すす)めてみた。
 すると、彼女は、この私の説を逆証すべく、俄かに努力した。自分は、この通り精力に満ちていると言いたいために、彼女は、歩きながら、針金細工の人形のように手足を張って笑い出した。
 一七六〇年開店(フォンダト)のキャフェ・グレコが、その金文字入りの扉(ドア)で、私達に敬礼した。「車(ワゴン)」と呼ばれている、奥まった細長い部屋に、その家の財産の、古い、汚い一個の卓子(テーブル)があった。卓子は、マアク・トウェイン、ビョルンソン、ゴウゴル、ゲエテ、グノウ、ビゼエと言った詩人(ポエタ)達の、手垢と、楽書(らくがき)と、小刀(ナイフ)の痕とで、有名に装飾されてあった。その上で、彼女は、常食と称して、牛乳に蜂蜜を落して飲み、私は、また、彼女の雑談の続きを食べた。
 配達に来た郵便脚夫を見て、彼女は、私に私語した。
『あの男が、私を尾行しているのです。』と。
 彼女の音盤(レコウド)は、まだまだ切れなかった。
『選挙の準備と、その妨害の秘密戦は、いよいよ白熱化しつつあります。あなたは、この三月の総選挙が、ファシスト政府の新しい選挙法によって行われる、全く特殊のものであることを、知らなければなりません。まず、一千の地方労働組合から、四百人の準候補者を推薦させて、それを、ファシスト最高幹部会の評議にかけます。ファシスト最高幹部は、五十二人から出来ています。羅馬(ローマ)進軍当時の四人の将軍、ファシスト革命直後三年間の大臣と次官、一九二二年以後のファシスト事務総長、国民軍指揮官、学士院長、国防特別裁判所長、総組合長(シンダカト)などです。そこで、この最高幹部会で、取捨選択して、すっかり定員数の候補者を決めてしまって、その全体を、最後に、いっぱん一千万人の投票に問うのです。人々は、午前七時から午後七時までの間に出かけて行って、投票します。投票紙には、然(シイ)・否(ノウ)という二つの実に明白な文字が、印刷してあります。そのどっちかを消して、投票箱へ入れればいいのです。つまり、個々の候補者に投票するのではなくて、既にファシスト最高幹部会で決定した、その全部の顔触れに異存があるかないかを、投票するのです。そして、一体どこに、ファシスト最高幹部会の決議に反対するほどの、好奇な冒険家がいますか?――これは、何という、見事な選挙でしょう! 何という、優れた世紀の冗談でしょう! 何という、天才的な手数の簡略でしょう! あなたは、そうはお考えになりませんか。』
 それきり、私は、彼女に会わないのである。

     7

 羅馬(ローマ)のホテルから廻送して来た、彼女の手紙を、私は、ナポリで見た。
『私は、あなたに報告しなければならない、一つの誤謬を発見しました。それは、いつか申し上げた、私の尾行者に関してです。彼は、確かに、私を尾行していました。けれど、彼の尾行の意思は、決して私が思ったような、政争的な、物騒なものではなかったのです。あなたは、羅馬で、スカラ・サンタという寺院の内部を御覧になったことがあるでしょう。あそこの正面の大理石階段は、十字軍の末期に、エルサレムから持って来たもので、基督(キリスト)が、ピラトの審判を受ける時に上った階段であると伝えられています。ですから、参詣の女は、あの階段だけは、必ず跪(ひざま)ずいて昇らなければならないことになっているのですが、あの、急な二十八段を膝で上るのですから、洋袴(スカア卜)の短い、この頃の若い女などは、随分余計な苦心をしなければなりません。
 以前はよく、男達が、それを下から見上げていて、これという狙いを付けたものです。そして、お寺から、その女を尾行して行って、住処(じゅうしょ)を突き留めます。それからは、毎日女の家を見張っていて、女が外出する度(た)びに、尾行を続けるのです。そして、いつからとなく、そのうちに交際が始まって、やがて、目的を達するかも知れない日を、男は、根気よく待つのです。この習慣は、何もスカラ・サンタの寺院にだけ限られているわけではありません。これは、一つの例で、伊太利(イタリー)では、どこでもやっていることです。結婚も、野合も、この経路から生れるものが、かなりに多いようです。私は、この「服装」でスカラ・サンタへお詣(まい)りしたわけではありませんが、私の尾行者は、どこかで私を見初(みそ)めて、それから、この尾行を始めたものに相違ありません。彼は、私を恋していると言うのです。恋だそうです! 何という馬鹿な男でしょう! あなたは、そうはお考えになりませんか。』
 シシリイ島、ソレント、カプリ島、フロウレンス、ミランと、私は、この「長靴」に、予定以上の日数を持ってしまった。
 そして、ヴェニスで、私は、春の跫音(あしおと)を歓迎した。
 ヴェニスの春は、第一に、温みかけたグラン・キャナルの水が、親切に知らせてくれた。
 私は、長靴の伊太利から、明るい春の煙りが、カラカラ浴場跡の雑草のように、生々(いきいき)と沸き上るのを見た。
 ゴンドラを繋ぐ、理髪屋(とこや)の標柱のような彩色棒の影が、水の上で、伸びたり縮んだり、千切(ちぎ)れたり附着したりして、一日遊んでいた。
 裏町では、毎日、窓から窓へ、夥しい洗濯物の陳列会が開催された。
 泥柳が、岸に堵列して、晴天を祝っていた。
 私は、溜息の橋(ブリッジ・オヴ・サイ)の下に、ゴンドラを流して、ヴェニス市民の全生活を、そこの石垣の根に眺めて暮らした。ヴェニス市民の全生活が、その、赤土(あかつち)沼のような水の表面を、ゆるく旋廻して通り過ぎつつあったのだ。それは、古靴の片っぽ、破れた洋傘(こうもり)、果物の皮、死んだ箒(ほうき)、首のない人形、去年の雑誌、無生物になった仔猫など、すべて、この町の春の支度に用のないものばかりだった。
 こうして、一九二九年の春は、長靴から立ち昇っていた。
 が、このヴェニスのホテルの酒場で、私は、ルセアニアの商人に化けて、密かに這入り込んだ「黄色い嘴(ベッコ・ジャロ)」の若い論説部員が、羅馬(ローマ)へ着くと同時に、逮捕されたことを聞いた。彼は、前夜から同室していた刑事に、徹宵(てっしょう)警戒されていたのだということだった。
 しかし、私は、それ以上、いろいろなことに思い当った。
 第一、その論説部員は、同室の刑事に、徹宵警戒のため抱擁されていたのだ。
 そして、刑事は、外国人のひとりとして、私をも注意視し、私の行動を追うために、車内で問わず語りにベニイのことを饒舌したり、ホテルを嗅ぎ当てたり、自動車会へ呼び出したり、ナポリへ手紙を送ったりしたのではなかったか。
 私の眼に、ヴァンテミイユ羅馬(ローマ)間の国際特急を移動管轄している、ムッソリニ直属の外事課高等刑事の乳房と、彼女の下腹部の黒子(ほくろ)が、瞬間、浮かんだ。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:64 KB

担当:undef