踊る地平線
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著者名:谷譲次 

     4

てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
 闘牛開始だ。
 軍楽隊は一度に闘牛楽(パサ・ドブレ)の調子を高め、旗はいっせいにひらひらし、人は歓呼の声を上げて――この闘牛士入場式の光景!
 はじめは徒歩、それから騎馬の十七、八人の闘牛士だ。見てるうちに私は何となく可笑(おか)しくなった。
 横に長い黒の帽子。
 中世紀の小姓みたいな総金もうるの短衣(チョッキ)。
 赤・青・黄に同じくモウル付き半ずぼん。
 揃いの赤ネクタイ・白靴下。
 肩や腰に紅布(ミウレタ)をかけてるのもある。
 それが威儀を整えて練り込んで来るのだ。
 絢爛(けんらん)。堂々。颯々(さっさつ)。
 が、何という莫迦々々(ばかばか)しい大仰さ。
 ナヴァロのような青年。
 彫刻的な浅黒い相貌。
 金ぴかの全身にダンスする光線。
 贔屓(ひいき)の闘牛士の名を呼ぶ観客の声。
てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
 ――ここにちょっと妙なのは、この闘牛士連がみんなちょん髷を結ってることだ。
 しかも、その蜻蛉(とんぼ)のようなまげの撥先(はねさき)を帽子のうしろから覗かせている。
 Coleta という。
 ちょん髷の西洋人なんて初めて見たが、何となく不気味な感じだ。ちょうど日本のお相撲さんみたいなもので、この、闘牛士に特有の豚尾式結髪(ピッグ・テイル)――COLETA――は、西班牙(スペイン)では甚だ粋(すい)な伊達(だて)風ということになっている。闘牛士を追っかける踊り子(タンギスタ)なんか、あの人の髷っぷりが耐(たま)らなく憎らしいとか何とか――まあ、その間いろいろとろまんすがあるわけだが、じっさい、西班牙(スペイン)における闘牛士の地位は日本の力士に似ていて、みんなそれぞれにパトロンがあり、なかには、名士富豪にくっ付いて廻って酒席に侍したりする幇間(ほうかん)的なのもすくなくない。派出(はで)な稼業だけに交際が大変だ。おまけに大立物(エスパダ)になると、見習弟子だの男衆だのと、いわゆる「大きな部屋」を養っている。そのかわり名誉と収入も莫大なもので、近いためしが、今日の人気闘牛士ベルモント――この人はセヴィラに宏壮な邸宅を構えている。これはあとから私がセヴィラに行って居た時だが、或る日、ホテルの下の往来が急に騒々しいので覗いてみるとちょうどこのベルモントが、散歩か何かの途中街上で、市民に包囲されたところで、男も女も子供もわいわい後をついて歩いて、手を振る、握手を求める、上の窓から花を抛(なげ)る、まるで紐育(ニューヨーク)人が空のリンディを迎えるような熱狂ぶりだった。西班牙(スペイン)国民の大闘牛士に対する崇拝ぶりはこれでもわかる。英雄ベルモントは探険家のような風俗の、もう半白(はんぱく)に近い軍人的(ミリタリイ)な好紳士だ。一日の出場に七千から一万ペセタ――わが約三千円あまり――を取る、だから今では、大した地所持ち株もちだが、最近本人が勇退の意をほのめかしたところ、たちまち国論が沸騰した。牛で儲けた金だから死ぬまで牛と闘えというのだ。これにはさすがのベルモントも往生してるようだが、このファンの声も、言いかえれば、ベルモントなきのちの闘牛を如何(いかが)せんという引止(ひきとめ)運動に過ぎないんだから、老闘牛士も内心莞爾(かんじ)としたことだろう。その他、有名な闘牛士にはガリト、マチャキト、リカルド・トレスなんかの猛者(もさ)がいて、すこし古いところではアントニオ・フュエンテがある。この人はアルメリヤの近くに、「領土」とも謂(い)うべき広大な土地と、古城のような屋敷を持っている。それからこれも今は故人のはずだが、ラファエル・グエラはほんの一季節の闘牛に二百二十五頭の牛を斃(たお)して七万六千ジュロス――十五万円余――を獲たことがあるし、現今でも、何のたれそれと名のある闘牛士なら、年収約二万から二万五千円を下らないのが普通だ――税務所の調べみたいになっちまったが、こんなふうに、名が出ると金になる。女には持てる。学問も教養も要らない。要らないどころか、そんなものは無いほうがいい。第一、人中(ひとなか)で牛が殺せる! と言うんで、貧乏人の子供でちょいと腕っぷしの強いやつは、争って闘牛士を志願する。なかには医学生のぐれたのや、電気技師の勤め口を棒に振って闘牛庭(レドンデル)の砂にまみれてるといった酔狂なのがあったりして、この闘牛士の仲間は、色彩的な西班牙(スペイン)の社会により強烈な色彩を塗っている絵具だ。マドリッドの太陽広場(プラサ・デ・ソル)から左手へ這入った古い狭い横町に、役者――ドン・モラガスをはじめ――だの、この下っぱ闘牛士なんかのぼへみあん連中が勝手な生活をしている一廓があって、夜おそくそこらをうろつくと、方々のキャフェで西班牙酒(モンテリア)をあおってる彼らの影絵(シルエット)がもうろうと揺れ動いている。で、まあ、それほど志望者が多いもんだから、ちゃんと闘牛学校まで出来ていて、未来のベルモントを夢みる青少年の群――なかにはアルゼンチンあたりから留学してるのもある――に、初等闘牛史、怒牛心理学概論、闘牛道徳、闘牛作法、扱牛法大綱なんてのを講義したり実修したりしている。
 さあ、ここでいつまでも闘牛士にかまっちゃいられない。入場式が済むと、直ぐに牛が出て来るから――。
 粛々と前進してきた今日の出場闘牛士は、いま正面ボックスの下に整列している。
 ESPADAのベルモントが、一同を代表して司会者――これはたいがい皇后さまか宰相夫人か、とにかく女性にきまってて、この日は赤十字マドリッド支部長としての市長夫人だった――へ、大芝居に騎士的な一礼をしている。
 何と graceful なその史的洗煉!
 扇をとめて、市長夫人がボックスに立った。何か抛(ほう)った。黒い小さな物が赤い尾を引いて、円庭(リング)の砂を打つ。ベルモント門下の高弟槍馬士(ピカドウル)のひとりが拾う。鍵だ。赤いりぼんが結んである。牛小屋の鍵だ。
 歓声・灼熱・乱舞する日光。
 やあ! 鍵を押し戴いた闘牛士が、観覧席の一方へ手を上げて、胸を叩いて絶叫し出した。
『OH! わが心臓の主よ! 悦(よろこ)びとそうして望みの君よ! わたしはこれからあなたの光栄のためにこの牛を殺して私の勇気と武芸を立証します――!』
 AH! 何というDONキホウテ式科白(せりふ)! 呆れた大見得! 中世的な子供らしさ!
 すると、その方角に当って、人のなかから女が起立した。この闘牛士の妻、もしくは情婦、とにかくこれが彼のいわゆる「心臓の主」なのだ。
 夥(おびただ)しい視線の焦点に、ぼうと上気して倒れそうな彼女が、胸のカアネエションに接吻(キス)して、下の闘牛士へぽんと投げる。
 ふたたび、喝采・動揺・乱舞する日光――羅典(ラテン)的場面の大燃焼だ。
 これを合図に、ベルモントをはじめ重立った闘牛士は、一時溜(たま)りへ引っ込んで行く。
 あとには、最初出来るだけ牛を怒らせる役―― Veronica ――の若手が五人、素手に、おのおの肩や腰の紅布(ミウレタ)を外して拡げながら、あちこちに陣取って、身構えた。
 広い砂のうえに、ほかに人影はない。

     5

 はじめ噴火みたいな底唸(そこうな)りが聞えて来た――と思うと、いきなりリングの一隅から驀出(ばくしゅつ)した「真黒な小山」!
 何て大きな牛だ!
 闘牛場全体に溢れそうじゃないか。
 あ! こっちへ来る。びっくりしてらあ! この日光に、色彩に、音響に。
 まるで疾駆する「黒い丘」だ。
 鈍重の代名詞が、こんなに早く走れようとは私は今まで思いも寄らなかった。
 すでに彼は、早速手ぢかの紅布(ミウレタ)へ向って渾身的攻撃を開始した。
 きらりと角が陽に光った。闘牛士が身を躱(かわ)した。黄砂が立ち昇った。紅片(べにきれ)がひらめいた。
 牛はいま、さかんにその紅いきれへ挑みかかっている。
 そうだ。そう言えば、まだこの「牛(トウロス)」のことを説明しなかったが、ちょっとここで一つ大急ぎで書いておこう。
 闘牛用の牛はTOROSと言って、牛でさえあれば何でもいいというわけには往かない。だから、昨日まで車をひいてた牛だの、そこらで田んぼを耕してた牛なんかを闘牛場へ追いこんで無理に喧嘩を吹っかけるというんではなく、闘牛士に闘牛学校があると同じに、闘牛(トウロス)にもそれ専門の牧場があって、そこでこの特別の牛類を蕃種(はんしゅ)させ、野放しのまま、ひたすらその闘争精神を育成する。野ばなしと教育とは、こうして闘牛の場合にのみ、不思議に、そして必然的に一致するのだ。そのため、父祖伝来猛牛の血を享(う)けている若牛は、山野の寒暑に曝(さら)されて全く原始牛のような生活をしているうちに、すこしも牛という家畜の概念に適合しない、完全な野獣に還元してしまう。今この闘牛牧人(ブリイダア)の苦心を叩くと、単に野放しに育てると言ったところで、そこにはやはり色んなこつがあるようだ。早い話しが、いくら放任主義だからって風邪――例のすぺいん風邪なんてのもあるし――を引かしたり、ほんとの野牛然と痩(や)せっこけたりしちゃあ闘牛として何にもならない。一方滋味佳養をうんと与えて力と肉をつけながら、同時に、人に狎(な)れないように深甚な用意を払い、極度に怒りっぽく、何ものへ向っても直ちに角を逆立ててて突進し、これを粉砕せずんば止まざる底(てい)の充分な野牛だましいを植えつけ、育むのだ。つまり、しじゅう突いたり張ったりしてからかって、怒ることを奨励し、そして怒ったが最後、全身を躍らせて大あばれに暴れる、というように仕込むのが闘牛牧畜の要諦である。事実この目的のためにはあらゆる専門的手段が講じられている。それから、闘牛の資格として最も大事なのは角だ。何しろ、怒牛角を閃(ひらめ)かして馬でも人でも突き刺し、撥(は)ね上げて、その落ちて来るのを待って角に懸けて振り廻す――こう言った、馬血人血淋漓(りんり)たるところが、また闘牛中の大呼物(おおよびもの)――じっさいどんな平凡な闘牛ででも馬の二、三頭やられることは普通だし、悪くすると、リングの砂が闘牛士の生命(いのち)を吸い込む場合もさして珍しくない――のだから、この闘牛(トウロス)の角っぷり、その角度尖鋭に対する関心は大変なものだ。色んな方法で牧者は絶えず牛に、武器としての角の使用法を教え込み、自得させる。かくのごとくすること幾春秋――なんて大仰だが、闘牛(トウロス)は牛齢五歳未満をもって一条件とする。とにかく、すべての方面から観察してこれで宜(よ)しということになって、はじめてマドリッドなりセヴィラなりバルセロナなりの晴れの闘牛場へ引き出されるのだが、その時の牛は、きょうの「牛の略歴」に徴しても解るとおり、また現にいま、私の眼下に黄塵を上げて荒れ狂ってる「黒い小山」を見ても頷首(うなず)けるように、牛骨飽くまで太高く、牛肉肥大、牛皮鉄板のごとく闘志満々、牛眼らんらんとして全くの一大野獣である。この闘牛(トウロス)の値段は、なみ牛のところで一頭三千ペセタ――千円――が通り相場だが、今日のような年一回の赤十字慈善興行なんかに出場する「幸運牛」になると、あらゆる牛格を完全以上に具備していて闘牛(トウロス)中の王者というわけだから、値段も張ってまず七千から一万ペセタ――三千二、三百円――に上る。したがって闘牛養牧場(ガナデリア)―― Ganaderias ――は、西班牙(スペイン)では栄誉と金銭が相伴う最高企業の一つだ。が、立派な闘牛の産地は歴史によって昔からきまっていて、今のところ二個処ある。きょうの闘牛(トウロス)ドン・カルヴァリヨ氏――現在ここであばれてる牛の名――を出したヴェラガ公爵の闘牛場(ガナデリア)と、もう一つセニョオラ・MIURAのガナデリアと、このふたつとも南のアンダルシア地方にある。一たい闘牛士も闘牛(トウロス)も、多くこのアンダルシアから産出して、そうでないと本格でないほどに思われてるんだが、これは、ドン・ホルヘの察するところ、該方面には、人にも牛にも比較的多分にあらびや人の好戦的血統が残留してるためだろう。
 この闘牛(トウロス)をいよいよ最後の運命地、市内の闘牛場へ運び入れるのがまた大変なさわぎだ。どこまでも猛獣という観念を尊重し、巌畳(がんじょう)な檻(おり)へ入れて特別仕立ての貨車で輸送する。停車場から闘牛場まではなおさら、法律によって、檻のまんまでなければ決して運んでならないことに規定されてる。だから、単に積んだ鉄檻の猛牛に送牛人(カベストロ)と称する専門家が附いてえんさえんさと都大路を練ってくところは大した見物(みもの)だ。さあ、これが今度の闘牛(トウロス)の牛だとあって、はじめから切符を諦めてる貧民連中なんか、せめては勇壮なる牛姿の一瞥だけでも持たばやと檻を眼がけて犇(ひし)めくのが常例だが、じっさい町中の人が護送中の牛を途上に擁して、あの牛っ振(ぷ)りなら馬の二、三頭わけなく引き裂くだろう、ことの、これあひょっとすると闘牛士も殺(や)られるかも知れない、なんかと評判とりどり、これを見落しちゃならないというんで、たちまち切符仲買所(レベンタ)へ人が押しかける。要するにこの、御大層な警備で牛を送りこむのも、一に、これほどの猛牛だというところを公示して、一種の誇張的錯覚――なるほど猛牛には相違ないが――を流布させ、それによって人気をあおろうの、ま、謂わば広告手段とも言えよう。いつかマドリッドの大通りで、この闘牛場へ運送中の牛が、とうまるを破って大暴れに角をふるい、死傷者十数名を出したあげく、ようやく職業的闘牛士が宙を飛んで来て、街上でそれこそ真剣に渡り合い、やっと仕止(しと)めたなんかという椿事(ちんじ)もあった――これは余談だが、さて闘牛場では、こうして運んで来た牛を、当日まで野庭(コラレ)と呼ぶ別柵内に囲っておいて市民の自由観覧に任せ、いよいよ開演という四、五時間まえ、つまりその日の正午前後に、リングに隣接した Toriles という暗室へ牛を追いこむ。そして約半日闇黒(くらやみ)に慣らしたのち、やにわに戸をあけて「運命の戦場」へ駆り立てるのだ。このとき、扉(ドア)を排すると同時に、上から釘(くぎ)でひょいと背中を突いてやる。そうすると牛は、びっくり猛(たけ)り立って闇黒(くらやみ)を飛び出し、その飛び出したところに明光と喚声が待ちかまえているので、この俄(にわ)かの光線・色彩・群集・音響に一そう驚愕し、首に養牧者(ブリイダア)の勲章(デヴィサ)を飾ったまま、「黒い小山」のように狂いまわる。

     6

 その眼前に揶揄係(ヴェロニカ)の紅いきれが靡(なび)く。
 興奮(エキサイト)した牛は、まずこれをめがけて全身的に挑み――牛ってやつは紅いものを見ると非常識に憤慨するくせがある――かかっている。
 噴火のような唸り声だ。
 観客はみんな腰を浮かして呶鳴(どな)ってる。
 が、まだこの怒らせ役(ヴェロニカ)が牛をあつかってるあいだは、実を言うとほんとの闘牛ではない。こうして好(い)い加減、牛の憤怒と惑乱が頂天に達した頃を見計らって、前座格のVERONICAが素早く牛を離れると、同時にいよいよ「血の本舞台(リデア)」の第一段へ這入る。
 一口に闘牛(トウロス)と言っても、三つの階梯(スエルテ)から成り立つ。
 1 Picadores
 2 Banderillear
 3 Matadores de Toros
 この順序だが、1のピカドウルは馬に乗って槍(ガロチヤ)を持っている。これは、紅いきれを見せられてすっかり怒った牛の背中へ、深さ約二吋(インチ)の穴を二つあけて、ますます怒らせるのがその任務だ。2はバンデリエイル。徒歩だ。三人出る。バンデリラという短い手銛(てもり)のような物を、正面または横側から牛の背部、首根っこへ近いところへ二本ずつ打ち込む。三人各二本だから合計六本の矢鏃(バンデリラ)を差されて、牛はおいらんの笄(こうがい)みたいな観を呈する。そこへ単身徒歩で登場して牛に直面し、機を見て急所へ短剣(エストケ)の一撃を加えて目出度(めでた)く仕留(しと)めるのが、3のマタドウル・デ・トウロスだ。この留(とど)めをさす役が、闘牛中の花形(エスパダ)なのである。
 槍馬士(ピカドウル)が出て来た。
 日光と槍先と金モウルだ。
 悍馬(かんば)を御して牛の周囲を駈けめぐってる。
 牛は馬を狙って角を下げている。
 ピカドウルの槍が走った――うわあっ! 血だ血だ! ぶくぶくと血が噴き出したよ牛の血が! 黒い血だ。血はみるみる牛の足を伝わって流れて、砂に吸われて、点々と凝って、虎視眈々と一時静止した牛が、悲鳴し、怒号し、哀泣し――が、どうせ殺すための牛だ。そら! また槍(ガロチヤ)が流れたぞ! もう一つ、紅い傷口がひらくだろう――ひっそりと落ちる闘牛場の寂寞――。
 やあっ! 何だいあれあ?
 棒立ちになった馬、ピカドウルの乗馬が急に紅い紐(ひも)を引きずり出したぞ。ぬらぬらと日光を反射してる。
 EH! 何だって? 馬が腹をやられた? 牛の角に触れて?――あ! そうだ、数本の馬の臓物がぶら下って、地に垂れて、砂にまみれて、馬脚に絡んで、馬は、邪魔になるもんだから蹴散らかそうとして懸命に舞踏している!
 それを牛が、すこし離れてじいっと白眼(にら)んでる――何だ、同じ動物仲間のくせに人間に買収されて!――というように。
 総立ちだ。
 足踏みだ。
 大喚声だ。
 傷ついた馬は、騎士を乗せたまま引っ込んで行った。が、直ぐに出て来た。おや! 同じ馬じゃないか。AH! 何という ghastly な! はみ出ていたはらわたを押し込んで、ちょっと腹の皮を縫ってあるだけだ。そのままでまたリングへ追いやる!
 縫目の糸が白く見えている。
 何と徹底した苦痛への無同情!
 馬は、恐怖にいなないて容易に牛に近寄ろうとしない。それへ槍馬士(ビカドウル)が必死に鞭(むち)を加える。
 この深紅の暴虐は、私をして人道的に、そして本能的に眼をおおわせるに充分だ。
 が私ばかりじゃない。私の二、三段下に、さっきから顔を押さえて見ないように努めていた仏蘭西(フランス)人らしい一団は、このとき、耐(たま)り兼ねたようにぞろぞろ立って行く。女はみんな蒼い顔をしてはんけちで眼を隠していた。
 ドン・ホルヘは我慢する。
 女のなかには気絶したのもあった。あちこちで担ぎ出されている。道理で、女伴(おんなづ)れの外国人が闘牛券仲買所(レベンタ)へ切符を買いに行くと、最初から出口へ近い座席を選ぶように忠告される。青くなって退場したり、卒倒したり、はじめての女でおしまいまで見通すのは殆(ほとん)どないからだ。だから、言わないこっちゃない。
 しかし、男でも女でもこういう気の弱いのは初歩の外国人にきまっていて、西班牙(スペイン)人は大満悦だ。牛の血が噴流すればするほど、馬の臓腑が露出すればするほど、女子供まで狂喜して躍り上ってる。反覆による麻痺(まひ)だろうけれど、見ていると根本的に彼らの道義感を疑いたくなる。私は、無意識のうちに牛の肩を持っている自分を発見した。
 一たい闘牛(トウロス)に対しては、西班牙(スペイン)国内にも猛烈な反対運動があって、宗教団体や知識階級の一部はつねに闘牛(トウロス)の改廃を叫んでいるんだが、この「血の魅力」はすぺいん国民の内部にあまりに深く根を下ろしている。羅馬(ローマ)法王なんかいくら騒いだって何にもならない。が、牛か人かどっちかが死ななければならないのが闘牛(トウロス)だとしたら、そして、はじめからリングで殺すつもりで育てた牛である以上、牛の死ぬのはまあ仕方がないとして、馬まで傍杖(そばづえ)を食わして殺すのは非道(ひど)い。こういう議論が起って、最近では、出場の馬へ硬革製の腹当てをさせることにしている。しかし、これも形式的なもので何ら実際に保護の用をなさない。何しろ相手は火のように猛(たけ)り狂ってる野牛だ。馬の逃げ足が一秒でも遅いと、忽(たちま)ち今日のような惨事を惹起することは眼に見えてる。が、この悲惨とか残酷とかいうのも外国人にとってだけで、すぺいん人はここが闘牛の面白いところだと手を叩いて喜んでるから、始末におえない。闘牛(トウロス)のつづくかぎり、馬の犠牲も絶えないだろう。
 なぜ地球上にこういう野蛮な存在を許しておくか? これはじつに西班牙(スペイン)一国内の問題ではない。まさに全人類の牛馬に対する道徳上の重大事である。なんかと度々(たびたび)海のむこうから文句が出るんだけれど、どうしても止(よ)さないものだから、海外の識者もみんな呆れて、諦めて、この頃ではもう黙ってる。おかげで西班牙人(スパニヤアド)は誰憚(はばか)らず牛が殺せるというものだ。
 これは、この闘牛(トウロス)を見てから二、三日してからだったが、例のドン・モラガスが私のところへやって来て、
『どうだったい、こないだの闘牛は?』
 と訊くから、私――というより、私の社交性が、
『うん。なかなか面白かったよ。有難う(グラシアス)。』
 と答えると、彼は、
『ふふん。』
 と鼻の先でせせら笑って、
『生意気いうない。君みてえなげいこく人に闘牛(トウロス)の味が解って耐(たま)るもんか。ほんとに闘牛(トウロス)を見るようになるまでにゃあ、君なんか、そうよなあ、もう十年この西班牙(スペイン)で苦労しなくちゃあ――。』
 私はついむきになって、紅布(ミウレタ)へ挑戦する牛のようにモラガスへ突っかかって行った。
『冗談じゃない。闘牛(トウロス)なんかもう御(ご)めんだよ! 一度でたくさんだ。何だ! 一匹の牛を殺すのにああ何人も掛ったりして! ただ残酷というだけじゃない。あれあ卑怯だ。だから、見てるうちに、僕なんか牛に味方して大いに義憤を感じちゃった。すくなくとも文明的な競技じゃないね。』
 どうだ、ぎゃふんだろうとモラガスの応答を待っていると、案の条かれはにやにやして話題の急転を計った。
『うちの一座にメリイ・カルヴィンという女優がいる。』
『誤魔化(ごまか)しちゃいけない。闘牛はどうしたんだ?』
『だからその闘牛のことだが、君、メリイ・カルヴィンって名をどう思う?』
『どう思うって別に――ただ西班牙(スペイン)名じゃないな。』
『そうだ。アングロ・サクソンの名だね。事実メリイ・カルヴィンは亜米利加(アメリカ)人なんだ。』
『何だ、面白くもないじゃないか。』
『ところが面白い。』ドン・モラガスはひとりで勝手に面白がって、『いいかい。おまけに彼女は紐育(ニューヨーク)の金持のひとり娘なんだ――では、どうしてこの、紐育(ニューヨーク)富豪の令嬢メリイ・カルヴィンが西班牙(スペイン)芝居の下っぱ女優をつとめていなければならないか――ドン・ホルヘ、まあ聞き給え。これには一条の物語がある。』
 なんかと、いやに調子づいたドン・モラガスが、舞台では見られない活々(いきいき)さをもって独特の金切声を張り上げるのを聞いてみると、こうだ。
 HOTEL・RITZ――マドリッド第一のホテル――の数年まえの止宿人名簿を探すと、メリイ・カルヴィンの自署を発見するに相違ない。あめりかのちょいとした家の子女が誰もかれもするように、学校卒業と同時に最後のみがき(ポリッシュ)をかけるべく「大陸をして(ドュイング・ゼ・カンテネント)」いた彼女が、無事にこの西班牙(スペイン)国マドリッド市まで来たとき、それはちょうど季節(テンポラダ)で、血の年中行事が市全体を狂的に引っ掻(か)き廻している最中だった。
 すぺいんへの旅行者は闘牛だけは見逃さない。早速彼女も出かけて行った。そして勿論、正確に気絶したひとりだった。気絶どころか、二、三日食物も咽喉(のど)へ通らないで床に就いたくらいだが、こうして寝ながら、メリイ・カルヴィンは考えたのだ。どうしてああ西班牙(スペイン)人がみんな面白がって見てるのに、自分だけ気絶なんかしたんだろう? こんなはずはない。Something wrong これはきっと解ると自分も好きになるに相違ない。いや、どうしても好きにならなければならない――と、ここに妙な決心を固めて、それから一週間延ばしに旅程を変更しちゃあ毎日曜日に闘牛へ通い出した。が、やっぱり駄目だ。あのピカドウルの槍の先に血が光るのを見ると、彼女は、何と自分を叱っても身ぶるいがして来て、その次ぎもそのつぎも、二度も三度も続けさまに気絶してしまった。そこで彼女は、もの好きな話だが、すっかり残りの予定を破棄してマドリッドに腰を据え、これではならないとわざと砂に近い席へ陣取って、その季節中一つも欠かさずに、修行のように通い詰めた。言うまでもなく紐青(ニューヨーク)からは、なぜそういつまでも西班牙(スペイン)にいるのかと詰問の電報が矢のように飛来した。が、それを無視して闘牛場の石段にすわっているうちに、数度の失心ののち、ようやく刺激に慣れたと言おうか、だんだん全演技を通じて正視出来るようになって、しまいには、どんな光景に直面しても彼女は平気でいられるようになった。西班牙(スペイン)人の闘牛の「見方」が、彼女にも少しずつ判りかけたのだ。こうなると、個々の闘牛士の癖とか、無経験な見物には気のつかない危機とか、紅布(ミウレタ)の捌(さば)き、足の構えの妙味、ちょっとした手銛(バンデリラ)のこつとか、つまり専門的に細かい闘牛眼がメリイ・カルヴィンにも備わって来て、そして、そう気のついた時、彼女はもう押しも押されもしない立派な闘牛ファンになり切っていた。
 その年の季節は終った。が、彼女は亜米利加(アメリカ)へ帰るかわりに、地方巡業に出た闘牛士を追っかけて西班牙(スペイン)じゅうを廻り歩いた。そして翌年のマドリッド闘牛場はまたメリイ・カルヴィンの姿を発見した。あめりかも紐育(ニューヨーク)も生家の富も、この血と砂の誘惑のまえには彼女にとっては無力だった。帰国を促す交渉がとうとう破裂しても、西班牙(スペイン)に闘牛があるあいだ、すぺいんを見捨てることは彼女には不可能だった。麺麭(パン)と入場料を獲(う)るために彼女は女優になった。そしてずうっとこんにちに及んでいる。いまのメリイ・カルヴィンは、闘牛によってのみ生甲斐(いきがい)を感じているといっても、過言ではあるまい。
『さあ――何といったらいいか、この気持はちょっと説明出来ないが――。』
 とモラガスは、役者だけにさも困ったように首をかしげて、
『そうだな。動物に対する人間征服感の満足とでも言おうか。いや、決してそんな安価な感情じゃあないんだが、そうかと言って、君はじめ多くの外国人が考えるような、単純な「血の陶酔」でもない。勿論すぺいん人だって普通の感覚は持ってるし、闘牛以外では、ずいぶん人に譲らない動物愛護者のつもりだが――とにかく、メリイ・カルヴィンの場合なんか、メリイには、リングの牛が、不愉快なほど無神経に、愚鈍に見えてしょうがないそうだ。だから、そんな馬鹿には生きてる権利もない、どんなに虐殺しても構わない――と言ったような、自分でも不思議な、まあ一種の制裁的痛快感に、思わず拍手しちまうといってる。それに、も一つ可笑(おか)しなことは、メリイは、闘牛を見るたびにああ自分があの牛だったらと思ってぞっとするそうだが、この幾分変態的な戦慄(スリルス)も手伝って、一生闘牛場へ呪縛されるのがあのメリイの運命だろう――。』

     7

 槍馬士(ピカドウル)から仕留士(マタドウル)までかかって一頭の牛を斃(たお)す。これが一回。一日の闘牛にこの同じ順序を六ぺんくり返して、つまり六回に六匹の牛を殺すのだ。四時にはじまって、この間二、三時間。一回の闘牛の所要時間は約二十分乃至(ないし)三十分の勘定だ。
 牛の背に二つの穴をあけて、ピカドウルは喝采裡に退場した。
 炎熱に走り廻って汗をかいてるところへ傷口の血が全身に滲(にじ)んで、この時はもう牛は一つの巨大な血塊に見える。
 真赤な丘だ。
 じっと立ち停まって喘(あえ)いでる。
 その影が砂に黒い。
 入りかわりにそこへ、こんどは三人の矢鏃士(バンデリエイル)の登場だ。二本ずつ六本の銛(もり)を打ちこむ役である。
 が、傷ついた牛はいま憤激の頂上に立っている。生命を守る本能にすっかり眼ざめ切っているのだ。その牛へ、ひとりずつ真正面から向って手銛(てもり)を差すのだから、このバンデリエイルの勇敢と機敏と熟練と、そして危険さこそは、闘牛のなかの見どころである。声援と衆望のうちにおのおの牛へ接近して、或る者は牛の鼻さきの砂に跪(ひざ)まずき、または側面から銛をかざして狙っている。牛が静止してる時は決して突けないものだそうで、いま躍動に移ろうとして前肢に力の入った刹那、それがバンデリエイルの機会だ。牛のほうで自分の力で銛さきへ飛び刺さって来る。だからみんな、眼を据えて、牛の肢(あし)の筋肉の微動を注視している。
 ひっそりと落ちる闘牛場の寂寞――。
 鷹揚(おうよう)な牛が洒落(しゃれ)た人間どもにいじめられてる。必ず殺されると決まってることも知らずに、牛はいま、何とかして生きようと最善を尽してるのだ。その努力が、また私をして面(おもて)を外向(そむ)けしめる。ふだんから牛の眼はどこを見てるのか解らないもんだ。この必死の土壇場になっても、「赤い小山」は一たいどこを白眼(にら)んでるのか見当がつかない。青空と砂を同時に見てるようでもあるし、ぼんやり周囲の見物席に見入ってるようでもある。悲しい眼だ。何を考えてるのだろう? 私にはそれがわかる――一体全たいこのすべての騒ぎは何のためなんだろう? 牛は不思議そうに首を捻(ひね)っている。話で判ることなら何とか折合おうじゃないか。そうも言ってる。それに、これだけ集まってる人のなかで、こんなに降参してる俺のために、一人だって謝ってくれる者はないんだろうか――牛の眼がスタンドを見渡した。私はその眼を忘れない。
 急に私は牛のために祈り出した。
 私のこころはいま秘かに奇蹟をこいねがっている。
 何とかしてここで、あの「赤い丘」が装甲戦車のような万能力をもって動き出し、闘牛士は勿論、観覧席へのし上って全見物を片っぱしから押し潰(つぶ)して廻るような超自然事は起らないかしら――?
 牛も、時として復讐することがある。
 闘牛士が角に突かれて絶命するのだ。そしてそれは、このバンデリエイルと次ぎのマタドウル・デ・トウロスに多い。
 眼前の凄惨さを直視するに忍びない私に、影絵のような西班牙(スペイン)のそのまた影絵のような過去の物語がうかび上がる。
 話中話――題をつけよう。
「イダルゴとホウセリト」
 過去といっても、そう古いことじゃない。まだ五、六年まえだが、イダルゴという西班牙(スペイン)有数の女優と、ホウセリトと呼ぶ、これも名高い闘牛士とが、愛し合ってマドリッドに共同生活を営んでたことがある。女は舞台の花、男は血と砂の勇士だ。場処は太陽に接吻されるスペインである。一流同士の華やかな恋愛として、この二人が当時どんなに全市の口の端(は)にのぼったか、そして、たださえ恋巧者な南国人の、しかも女優と闘牛士だ、いかに灼熱的な日夜がふたりのあいだに続いたことか、それは想像に難くない。
 なんかと、莫迦(ばか)に女優ばかり引合いに出すようだけれど、女優と闘牛士なんて、どっちも西班牙(スペイン)の生活に重大な別社会を作ってる人気商売である。相接する機会が多く、じっさい、何だかんだとしじゅう一しょに噂の種を蒔(ま)いて世間の脚下灯(きゃっかとう)に立っているんだから、止(や)むを得ない。
 で、女優イダルゴと彼女の若い闘牛士ホウセリトである。
 このイダルゴはいまだにマドリッドの劇場にかかってるが、Hidalgo というのは Somebody's daughter. つまり「何者かの娘」、「誰か名ある人の息女」という意味で、言いかえれば「貴族の娘」という芸名だ。
 或る夕方だった――それはきっと陸橋に月が懸って、住宅の根の雑草にBO・BOと驢馬(ろば)の鳴く宵だったに相違ない――ちょうどその時、マドリッドのヴィクトリア座は、イダルゴを主役とする「ヴェルサイユの王子」を出し物に大入りをとっていた。ヴェルサイユ宮殿の大奥を仕組んだもので、真暗な舞台前景の向うに女官部屋だけ明るく見せて、そこで多勢の女官が着物を着更(きか)えたりする。するとここに美貌の一王子があってその男禁制の場所へ忍びこむ。この王子を取り巻いて女官達の間に恋の鞘当(さやあて)がはじまる。と言ったような筋で、イダルゴがその美男の王子に扮して大評判だった。
 その日は昼興行(マチネエ)があった。芝居はおわりに近づいて、女官部屋の場だった。満員の観客がじっと舞台に見入っている。そしてイダルゴの出を待っている。王子の扮装を済ましたイダルゴは、傍幕(わきまく)のかげに隠れていつものように登場のきっかけを待っていた。
 が、このとき楽屋にはひそひそ声の大相談が持ち上っていた。いま闘牛士ホウセリト―― Joselits ――が牛に突かれて致命傷を受けたという報(しら)せが這入ったのだ。これを早速イダルゴへ知らせたものかどうかと、みんな声を潜めて議論し合った。芝居が大事だから閉(は)ねるまで隠しておこうという説が多かった。しかし、支配人はイダルゴの気質を飲み込んでいた。あの、感情的なイダルゴのことだから、もしそんなことをしようものなら後のあとまでどんなに恨まれるか知れない。ことにそのためにつむじを曲げて、芝居を蹴飛(けと)ばすようなことがあっちゃあ大痛手だ。そこで、一座の反対を退けた支配人は、しずかに舞台の横へ出て行った。
 イダルゴの出は迫っていた。彼女は、歩行の調子をつけるためにそこらをあるき廻っていた。そこをそっと支配人が肩を叩いた。そして平静にささやいた。
『イダルゴ、ホウセリトが怪我(けが)をしたよ。』
 振り返ったイダルゴは二、三歩よろけた。眼が燃えた。が、黙っていた。ものを言うひまがなかったのだ。ちょうど王子の出である。しいんとして待っている観客が犇々(ひしひし)と感じられる。イダルゴはためらった。イダルゴは胸を張った。そうしたら次ぎの瞬間、彼女は舞台でスポット・ライトを浴びていた。
 闘牛士の怪我――それは直ちに死を意味する場合が多い。イダルゴはもうすべてを知っていたのだ。
 残りのイダルゴの演出は白熱的だった。力強い大声の台詞(せりふ)が劇場中に鳴り響いた。高々と笑う彼女の声が楽屋の人の胸を衝いた。このいつもに倍したイダルゴの舞台に、見物はアンコオルを叫んで果てしがなかった。それにもイダルゴは一々答えて、何度も何度も舞台へ現れて接吻(キス)を投げた。微笑を送った。そして、そのあいだ中イダルゴの全身には、瀕死の恋人を思う涙血が沸々(ふつふつ)と煮え立っていたのである。
 マドリッドに近いトレドのむこうに、Talavera de la Reina という、陶器を産する町がある。
 ホウセリトが角にかかったのは、ここの闘牛場だった。
 芝居が終るまえから、イダルゴの命令で劇場の横町に二台の自動車がエンジンの音を立てていた。それに、外科医と応急手当ての必要品一式が積まれて、イダルゴを待っていた。二台の自動車を揃えたのは、一台パンクした時の用意だった。最後の幕が下りると同時に、イダルゴは楽屋口からその一台へ飛び移った。ヴェルサイユ宮殿の王子として、巻毛の鬘(かつら)をかぶり、金色燦然(こんじきさんぜん)たる着物に白タイツ、装飾靴という扮装のままだった。
 全速力で疾走する自動車の中で、イダルゴはとうとう足踏みをして泣き出した。
 が、遅かった。彼女が自動車から転がり出たとき、タラヴェラ・デ・レイナの闘牛場で、ホウセリトは血と砂にまみれて息を引き取った。
 大通りを驀進していく自動車とそのうえの「ヴェルサイユの王子」――マドリッドの人はいまだにこの南国的な town's talk を熱愛している。
 この「闘牛士ホウセリトの死」に関聯して一つの法律違反問題まで起った。その前年、保守党の首領ダアトが、上院の帰途、一無政府主義青年に暗殺されたという大事件があったが、それがちょうど日曜だったので、知らないでいた人が多かった。と言うのは、西班牙(スペイン)には新聞記者日曜休日法という法律があって、日曜日の夕刊と月曜日の朝刊は出さないことにしている。したがって日曜日にはどんな突発事があっても、翌日の夕方までは一般的に報道されない。事実、このダアト暗殺事件のときも、あくる日まで誰も知らなかった。が、ホウセリトが死んだ日は、闘牛があったくらいだから日曜だったにも係わらず、この法律を無視して堂々と大々的に写真入りの号外を出して、そして堂々と罰金を食った新聞があった。保守党首領という政界大立物の横死には規則によって、沈黙を守っても、一闘牛士の異変を伝えるためには、社として大金を犠牲にしてかまわないのだ。ここに闘牛に対する西班牙(スペイン)民衆の態度が一番よく反映していよう。
 ついでだが、この闘牛で殺した牛はどう処分するかと言うと、皮は革屋へ、肉は肉屋へそれぞれ引き取らせている。が、さんざん血を出して死んだんだから、肉はべらぼうに硬くてほとんど食用に耐えない。したがって、値段も猛烈に安い。だから、闘牛のあったあとは当分、裏街の裏まちまでこの靴の底みたいな「闘牛(トウロス)ステイキ」か何かがあまねく食卓に往きわたろうというわけで、ことによると、今日の牛ドン・カルヴァリヨなんかも、二、三日するとモンテイロ街のペトラの下宿で、皿の上の無邪気(イノセン卜)な、一肉片に変形して私のフォウクの下に横たわるかも知れない。用心しよう。
 やあ! 急に騒がしくなった。
 ベルモントだ!
 ベルモントだ!
 ベルモントが出て来た。
 いつの間にか手銛士(バンデリエイル)と代り合って、いよいよ仕留花形役(マタドウル・デ・トウロス)のベルモントが砂を踏んでいる。
 彼の業(わざ)は素早かった。
 金モウルの手に剣(エストケ)がきらめいたと思ったら、湿った音を立てて「赤い小山」が横に倒れた。
 脱帽したベルモントが、円形スタンドの全方面へまんべんなく挨拶してるのが見える。
 総立ちだ。
 カアネエション・指輪・CAPA・帽子・すてっきなんかが雨のようにリングへ飛ぶ。
 オレイハ!
 オレイハ!
 オレイハ!
 太陽の叫喚。
 人民の声。
 耳(オレイハ)! 耳(オレイハ)! 耳(オレイハ)!
 牛の耳を切り取ってベルモントへ与(や)れという観衆の要求(デマンド)である。
 闘牛士はみんな、この牛の耳を乾(ほし)て貯めてる。これをたくさん持ってるほど名声ある闘牛士だ。ベルモントなんかには、何と素晴らしい牛の耳(オレイハ)の蒐集(コレクション)があることだろう!
 現にいま、切り離したばかりの血だらけの牛の耳を提(さ)げて、彼は群集へ笑いかけている。
 三頭立ての馬が「とうとう死んだ」牛の屍骸(しがい)――マイナス耳――を引きずって走り込む。
 砂けむり。
 牛の耳の乾物(ほしもの)――私は西班牙(スペイン)まで来て、今日はじめて「牛耳(ぎゅうじ)を取る」という意味が解った。




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