踊る地平線
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著者名:谷譲次 

『ああ! わたしの愛するヴァレイ氏夫妻よ!――註に曰く。私たちを谷(ヴァレイ)と呼んでくれ。そのほうがお前に覚えよくていいから。この家(うち)へ来たとき、私たちはむこうの便宜をはかって、つとにお婆さんにこう言い渡してあるのだ。だからお婆さんにとって私はヴァレイ氏であり、したがって彼女はヴァレイ夫人である――そこで、もう一度ヴァレイ氏夫妻よ! わたし――というのはつまりお婆さんじしんだが――は、つねにヴァレイ夫人に忠告して来ました。いかに資本金が出来ようとも、人間、下宿屋だけは始めなさんな、と。おお! その世話のやけること、その気をつかうこと!――しかし、ものにはすべて例外があります。まかないつき下宿も、すっかり日本人だけで充満させることが出来れば、ああ! かえってヴァレイ夫人にも奨(すす)めたいくらい――日本人! 何てまあお金払いのいい、思いやりの深い、あちこち届く国民でしょう? 五十年まえまでは野蛮国だったんですって? 信じられません! いいえ、信じられません! ほんとに家(うち)じゅうに日本人がいたらわたしはどんなに幸福でしょう! じっさい日本の方は理想的な下宿人で――。』
 と、これを要するに、この広告の主の日本紳士を何とかして下宿人として捕獲しなければならないから、早速私に推薦状(レコメンデイション)を一本書けというのである。これには私も困り入ってしまった。じぶんが嫌(いや)で今にも出ようとしているところを、人に、しかも同胞のひとりに、紹介推薦するということは、論理にも合わなければ、気も咎める。しかし、部屋があいて閉口しているベントレイ夫人は、この下宿人払底(ふってい)の世の中に日本人だろうが何だろうがそんなことを言ってはいられないし、それに事実、日本人は文句はいわず――じつは言いたくても、一つはその引っこみ思案と、多くは不充分な発表能力とで大がいのことにはただにやにや笑って黙っているのだが――と、なにしろお金の受授がきちんとしているのとで、ここは何とあってもその「若き日本紳士」を生けどりにしたくてたまらない。出来るだけの愛嬌笑いを顔に、そのくせ命令的に両手を腰に厳然と私のまえに直立していて動かないのだ。おまけに言いぐさがいい。
『あなた方は満足しているからこそ私の家(うち)に居るんでしょう? してみれば、じぶんが満足なら当然人に、ことに必要に迫られている同国人に、その満足をしらせて幾分でも分けてやりたいとは思いませんか。』
 どうも呆れたものだ――むこう側からヴァレイ夫人が早口にいう。
『書いてやったらいいじゃありませんか。何でもいいから。』
 私はベントレイ老夫人に直面して、
『しかし、僕は日本人だから英語じゃ書けない。日本語でいいなら大いにこの家を褒(ほ)めて書こう。』
 するとお婆さんが微笑した。日本語でさしつかえないというのだ。
 これで助かった私は、そこで、ペンを執ってすらすらとこういう一文を草したのである。
「宿の主婦があなたの広告を見て、推薦状を書けといってききません。仕方がないのでこうして書き出しましたが、これは決して推薦状ではありません。私も近日移ろうと思っているくらいですから――どっかにいい家はないでしょうか。」
 そして、こんな手紙に名前は書けないから、と言ってこのままでは署名がないじゃないかとお婆さんが承知しないにきまっているから、おしまいの下のほうへ「早々敬具」とくっつけて、これが私の日本名だと指したら、お婆さんはますますにこにこして、おなじ国の人からこんな立派な推薦状が行くんだから、その日本人はきっと来るにきまっている、と、もう一部屋ふさがったようにほくほくもので引き取って行った。
 すこし罪だね――私たちはそう言って笑い合っただけで、このことはそのまますぐ忘れてしまった。もっとも時どきは話題にのぼって、
『どうでしょう、あの日本人の人、お部屋を見にくるでしょうか。』
『なあに、ああ言ってやったんですもの、来るもんか。』
 などと、そのたびに、お婆さんに対しては意地がわるすぎるが、一つの復讐をした気になって、私たちはすくなからず溜飲を下げていた。が、お婆さんは、広告に出ていた「日本青年紳士」のアドレスへ私の推薦状を同封した一書を即日正確に飛ばしたものに相違ない。
 それから二、三日した夕方だった。ベントレイ婆さんが顔色を変えて私たちの部屋の戸をあけて、広告主の日本人が来たから、出てきてこんどはひとつ大いに口で推薦してくれという。何しにまたやって来たんだろう?――といささか憤(いきどお)しく感じながら、ヴァレイ夫人を先に立てて、私が別室へ行ってみると、這入った拍子に、ひとりの色の黒い小さな青年が、ぴょこりと椅子を立っておじぎをした。それが小野さんだった。
『やあ! どうですな、このうちの待遇は? お手紙で見るとあんまり感心しないようですが――。』
 ちょっと挨拶がすむと、小野さんはもうじろじろそこらを見まわしている。ベントレイ婆さんは心配そうに小野さんの視線を追いながら、しきりに表情で私に推薦をうながす。が、その哀願を完全に無視して、こうなれば私も日本語だ。
『失礼な手紙をさし上げましたが、どうもこのお婆さんが書け書けといってきかないもんですから――駄目ですよ、こんな家(うち)。なっちゃあいないんです。』
『そうですか。この婆さんはまた無理なことを言いそうなやつですね。白紙やるから文と読め、ですか。はははは、が、白紙じゃあまた承知しますまいしね。それでもこいつ喜んでたでしょう? てんで何が書いてあるか解らないんだから。』
 ここに到ってか、てんで何を言い合ってるんだかわからないもんだから、お婆さんは一そういらいらしてくる。それでも、社交性のために表面は上品にかまえてにこにこしていなければならないのが、私にとってはなお面白い。
 さんざん日本語でベントレイお婆さんとお婆さんのいわゆる「わたしの家」とをこき下ろしたのち、いずれどこかこの近くに移るつもりだから、また会うこともあるだろうと言って小野さんはさっさと帰っていった。帰りがけに小野さんがベントレイ夫人に言っていた。
『この方――つまりかくいうヴァレイ氏――はお前が「今まで聞いていたとおり」言葉をつくしてお前のところをすすめてくれるけれど、残念でたまらないのは、お前の家に電話のない一事だ。私は、仕事のうえから電話のない家に住むわけにはいかない、私のビジネスがそれを必要とするから。この点、よく諒解あらんことを望む。では、さよなら。』
 ベントレイお婆さんは一言もなかった。
『おおいえす・ぐっどばい!』
 なんかと小野さんのうしろ姿にひどく口惜(くや)しそうだった。
 私たちのあいだに当分小野さんの噂がつづいた。小野さんは、若いながらも神戸の一輸出会社の倫敦(ロンドン)支店の支配人だった。そう名刺にも書いてあるし、あの短時間の会話に、小野さんはこんなことを話して行った。
『私が日本を出て来るとき、重役のひとりがこういう言葉をはなむけしてくれました。日本人たることを光栄とすべし――というんです。簡単ですが、海外ではこれ以上のモットウはありませんね。私はそのときただぼんやり聞いていましたが、今から思うと、その重役はなかなかどうして豪(えら)いですよ。日本人に生れたことを心から光栄とし感謝する。私はすべてこの意気でやっています。』
 そういう時の小野さんにはいかにも若い日本人らしい「色の黒い逞(たくま)しさ」が見られた。私たちは何となく頼母(たのも)しい気がして、この「毛唐ずれ」のした小野さんと、彼の、機智に富んだベントレイ夫人への断り文句などを毎日のように話しあっていた。
 そうして間もなく、根気よく散歩に出てさがしているうちに、とうとう私たちもこれならという家を見つけて、さっそく引っこして行った。パレス街の近辺で、ベントレイお婆さんのところからみると一段高級なプライヴェイト・ホテルだった。
 移った日、私たちが夕食に階下(した)の食堂におりていくと、はじめてなので案内してくれた主婦のチャンバアス夫人が、食堂の入口で私たちをふりかえった。
『このなかに一つの驚きがあなた方を待っていますよ。日本の紳士が一人泊っておいでなのです。』
 戸があくと、いぎりす人ばかりの、広くもない食堂の隅に、いかさま日本人たることを光栄としているらしいひとつの黄いろい顔が、若いくせにおちつき払って、今やその口へ大きな肉片(にくきれ)を押し込み終ったところだった。
『やっ! こりゃどうも――。』
 とナプキンを使いながら立ち上るのを見る、とそれが小野さんだった。
『とうとう脱出なさいましたね。いや、結構々々。え? 私ですか? 二、三日まえにここへ来ました。』
『待遇はどうです?』
『駄目です、こんな家。なっちゃいません。近いうちにまたどこかへ移るつもりです。何しろ、ここの婆さんと来たら慾張りで気が利かなくて――。』
 そうして、そばに虔(つつ)ましやかにほほえんでいるチャンバアス夫人をかえりみて、小野さんはひどく紳士的口調の英語に取りかえた。
『ヴァレイ氏夫妻よ! あなた方はいま、英吉利(イギリス)におけるあなた方じしんのお宅へ帰ってきていることをはっきりと意識していいのです。それほど高くあなた方がここを評価(アプリシエイト)しても、それはしごくあたり前というべきです。なぜならば、このチャンバアス夫人は驚くほど親切な、おお! 何とまあ感嘆にあたいする婦人であるでしょう!』
 すわりながら小野さんは日本語でつけたした。
『ひでえ婆(ばば)あでさあ、因業な――いやはや、どっかいい家はないでしょうかえ。』
 五日ばかりして、小野さんのところへ小野さんが自分で打った電報が配達された。これはこうしちゃいられない――小野さんはチャンバアス夫人へそう言って、ひどくあわてて荷物といっしょに出て行った。どうも手ぎわのいいことである。
 小野さんは自動車を有(も)っている。だからそれへ蓄音機とタイプライタアと鞄五個と尺八と、小野さん自身とを積載して、小野さんは絶えずロンドンじゅうを泊りあるいているのだ。
 このとおり、小野さんはしじゅう下宿をさがしている。
 いまもどこかで新しい下宿を物色していることだろうが、小野さんの場合、それは単なる下宿探しというべく、あまりに多分の内的要求がうかがわれる気がする。無意識のうちに、小野さんはホウムをもとめているのだ。その衝動がつねに小野さんをうごかすに相違ない。
 ひろいロンドンに一人ぽっちの、小野さんは若々しい日本青年だ。
 小野さんは下宿を探している。
 自分では気がつかないながら、小野さんはどこかにて「待遇のいい永久の下宿」をもとめているのだ。

   G・B・S

 ジョウジ・バアナアド・ショウは、樹間(このま)の白い小砂利道を踏んで私たちのまえまでくると、そこで立ちどまって、ポケットからはんけちを掴み出してちんと鼻をかんだ。
 碁盤縞(ごばんじま)のノウフォウク・ドレスに、無帽。長い赤い顔の上下に髪と鬚(ひげ)が際立って白い。互いちがいに脚を絡ませるような歩き方、笑っている眼、太い含み声だ。
『仕事がありますので、ながくはお話し出来ません。ほんの五分、いや三分――さかんに時計を見るかも知れませんが、どうか気をわるくなさらないように。決してもうお帰り下さいというつもりで時計を出すのではありません。帰るのは私のほうです。時間が切れれば、勝手に廻れ右をして家のなかへ這入るばかりですから――さあ、何からお話しましょう――。』
 こう言ってショウは、ちょっと首を傾(かし)げて考えこむふうをした。
 観衆――それとも聴衆といおうか、とにかくみんな固唾(かたず)を呑んでいる。さきに言うのを忘れたが、俄雨(にわかあめ)に降られて私たちの逃げこんだ常設館ニュウ・ギャラリイのスクリインに、ショウの「物を云う映画(テレヴィジョン)」がうつっているのだ。
 私たちは知らずに飛び込んだのだが、このショウの「話す実写」はじつにライフ・ライクで、倫敦(ロンドン)じゅう大評判だった。そのためこのとおりの満員である。
 翌日。
 これに刺激されて、私と彼女はホワイト・ホオル四番にタキシを駆った。ホワイト・ホウル四番館は、倫敦市におけるショウの文筆事務所のある、最高級の宏壮なアパアトメントだ。
 ところが、G・B・Sはすでに、遠く南フランスに最近新築した別荘へ避暑に去ったあとだった。




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