踊る地平線
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著者名:谷譲次 

 きょうは滞在許可を受けに、旅券と写真と金を持ってホテルの男に伴(つ)れられて莫斯科庁(モツサヴェイト)へ出頭におよぶ。やたらに速力を出して自動車を飛ばしてゆくと、田舎の中学みたいな建物のまえへ出た。それがモスコウ・ソヴェイトの政庁だった。庭をまわって人事課旅券係といったような別棟へ顔を出す。いかに政府が人のうごきを気にして監視しているかが窺われるほど、ここは不安げな群衆でいっぱいだ。めいめい書類のようなものを持ってうろうろしている。列を作って順番を待つんだが、私は日本人だから――だろうと思うが――特別にさきにやってくれた。第一の机から第二の机、第三第四と引きまわされる。どこの机に控えているのも子供みたいな若い男か女ばかりだ。ばかにつんけん威張っている。女は、べらべらの長着(フロック)をだらしなく引っかけて乳まで見えそうなのが紙巻をくわえながら判をついていたり、女工のようなのが人民を訊問していたり、裏店(うらだな)のおかみ然たるのが願書の不備を指摘して突っ返したり、これがみんなお役人なんだから何とも奇抜な光景である。ウクライナのお百姓が韃靼(だったん)人に、「ちょっくらものを伺いますだが」をやったり、その韃靼人が首を振ってにやにや笑ったり――私のところへも仏蘭西(フランス)語で何か訊(き)きにきたやつがある。首をふってにやにや笑ってやる。
『お前は何のためにモスコウで降りたのか。』
 私の前の女中(ニウラ)のような十八、九の女が威丈高(いたけだか)に声をかける。
『芝居を見に。』
 ホテルの男が代弁する。心得たものだ。これが一ばんいいらしい。
『職業は何か。』
 私がもじもじ困っていると、そばから肥ったお婆さんが口を出した。
『芸術家(アルチスト)?』
 そうだ! 何と便利なことばを思いついてくれたろう!――と私がよろこんでいるうちに、むこうでさっさとそうきめてアルチスト・アルチストと私語(ささや)きあっている。どうも見たところ比較的好意を寄せてるらしいから、だいたい大丈夫だろう――それから例によってさんざん戸籍しらべみたいなことを繰返したあげく、
『署名出来るか。』
 と肥ったお婆さんがおっしゃる。あとで聞くとこれが上役だそうだ。私はまた洗濯婆さんが油を売りに来てるのかと思った。
 やがてのことに別室へ呼び込まれる。カラハンみたいな大男が鼻眼鏡をかけ直して写真と私を見くらべて首実験をする。ラスコウリニコフの部屋のような暗い陰惨な事務室に、硝子(ガラス)ごしに青葉がうつろい、天井に陽の斑(まだら)がおどって、解剖台を思わせる大きな机のうえに、たった一つ、あまりに周囲とかけ離れた物が置いてある。金に宝石をちりばめた高さ一尺ほどの時計だ。革命のときにどこか貴族の家からでも持ち出したものだろう。十時三十二分。ふと見ると正面の壁にレニンの像が飾ってある。
 それからそこに長いこと待たされて、それから何度も同じような質問に返答して、それから、それから、それから――とうとうお前はもう帰れという。滞在をゆるすか許さないか、いずれゆっくり相談のうえで知らせるから――と。
 にちぇうぉ! 仕方がないから帰宿。ぶらぶら町を見物する。
 夜。競売市(プラアガ)へ行く。共産党が宮廷や富豪の邸(やしき)から担ぎ出した貴重品類を、革命十年後のこんにちまだ小出しにしてこうして売っているのだ。個人が頼んで売ってもらうのもある。講演会のように並んで掛けていると、競売係の役人が壇に立って色んな物を次つぎに指さしながら饒舌(しゃべ)り立てる。ほしい人は手をあげて、五哥(カペイカ)、十哥、五十哥(パロビイナ)、一留(ルーブル)、二留三留とたちまちあがってゆく。置物・衣裳・煙草入れ・皿・花瓶・傘・でっさん・敷物・時計、何でもある。五留からは二十五哥上り、十留からは一留あがりである。帝政時代にはつねに宮廷に五万人分の大晩餐用食器が用意してあったそうで、だからこうして毎月曜日の夜、プラアガを開いても種がつきないわけだ。貴族の使った長椅子(デュワン)が十八留で落ちる。何もかも飛ぶように売れていくのを見ていると、露西亜(ロシア)の財政的困窮がうなずけなくなる。ことによると、食べものをたべなくても芝居見物と買物だけはかかさないのかも知れない。にちぇうぉ!
 私たちも競(せ)り抜いて二枚の油絵を買った。グジコフ筆「窓の静物」とガボリュボフの「クレムリン」「雪景」。グジコフは人気のある若い静物画家だが、今日のプラアガを当てこみに一晩で塗りまくったものとみえて、まだ絵の具が乾いていない。粗末なアトリエでおなかのへったグジコフがぱんのために徹夜しているところが表現派の映画面のように心描される。東洋の一旅人がそれを競(せ)りおとしたのだ。なんとぼへみあんな莫斯科(モスコウ)の一夜であることよ!
 第二日の印象。古い器物と家具は露西亜(ロシア)の持つうつくしい幽霊だ。
 第三日。
 小雨。ホテルに閉じこもってやたらにお茶を喫(の)む。新寺院―― again ! ――円屋(ドーム)が遠く霞んで窓から見るモスコーは模糊としている。雨のなか、ホテルの前のバルシャヤ・リュビヤンカの大通りを「赤い守備兵」の一隊がゆく。赤旗が濡れて、人の靴は重い。常備六十万、戦時百万と号す。莫斯科(モスコウ)市史のうえに眠る。「年代記にモスコウの名のはじめて見ゆるは一一四七年にして、一一五六年大公爵ウラジミル・ドルゴルキイ、市の外周に堀と木塁(もくるい)をめぐらし――。」
 第四日。
 朝飯の献立(ザアフトラック)。ズワ・チャイ。アペルシナ。ガリャアチエ・マラコ。ヤイチニツァ・ウェッチイナ。ブウロチキ。マスロ――何だか誰にもわからない。食べたはずの私にも判然しないくらいだから。
 第五日。
 トウェルスカヤ街五九番に革命博物館を見る。社会運動者の奮闘と度々(たびたび)の革命の犠牲を歴史的にみせて、十月革命の成功におわっている。古い刑具と、死体の写真。レイニンの像。呪詛と反感と狂望と歓喜。ゴウルキイの原稿。ゲルツェンの原稿。地下室に監房と蝋人形の囚徒。秘密運動のじっさい。
 この建物は一八一四年に出来たラスモヴスキイ邸宅で、のち英吉利(イギリス)倶楽部になっていたこともある。露西亜(ロシア)革命の博物館だが、ろしあ共産党の歴史博物館でもあり、同時にまたレイニンの個人博物館をも合わせているのだ。
 小劇場はきょう革命劇「一九一七年」を上演している。行きたいが今夜はすでに切符が買ってあるので直(す)ぐまえの大劇場へまわる。出しものはプロコウヒフの作曲「三つの蜜柑への恋(リュボウビ・ク・トリオム・アペルシイナム)」。バレイだ。金ずくめの壮麗な殿堂。座席四千百。左右にもとの貴族席、正面に宮廷席のボックスがある。いまはそこに共産党員とその家族が頬杖をついて、今昔の感あらたなるものがある。日本の故老SK氏なども、近くはニコライ二世が観衆の歓呼に答えたであろう元の玉座から観るのだそうだ。舞台のうえに鎌と鉄槌(てっつい)と麦と星のソヴィエトの大紋章が掲げてある。革命成就と同時に共産党員が押しこんで、旧露西亜の鷲と王冠のしるしを下ろし、かわりにこの労農のマアクをあげたのだという。すばらしい音楽と大道具。割れっ返る声量と衣裳美の夢幻境(ファンタシイ)。幕あいに廊下を歩くと、ここにもいたるところにレイニンの像が飾ってあるのを見る。ハルビンで同じホテルに泊り合わせ、東支倶楽部の舞踊会でも私たちのまえにいた独逸(ドイツ)人の老夫婦が、こんやも私達の前に掛けている。両方で気がついて奇遇をよろこぶ。
 閉(は)ねて出ると、高い劇場の破風(はふ)に、有名な四頭の馬がひく戦車の彫刻が、夜の雲をめざして飛ぼうとしていた。露のおりた石の道を馬車で帰る。霧のなかから浮かび出て霧へ消える建物。ひづめの音。半月。第五日の印象。いまのSSSR、コサックと農民と労働者が美装の史書へしるした大きな黒い手のあとだ。
 第六日。
 終日散歩。古物店をまわり歩く。百貨店モストログの入口で、コウカサスの花売娘がすみれの花束を妻のポケットへ押しこむ。おしこんで置いてあとからお金をねだる。苦笑して一留(ルーブル)を献ずる。
 ダイヤモンド一カロット約三百留。九百留も出せばちょっとしたものがある。ウラルの七宝、ことに銀細工がいい。ロマノフ家の紋のついた皿・洋杯(コップ)・ナイフの類、どこでも安く売っている。
 かえりに路傍に人だかりがしていた。乞食のような男が、生れたばかりの犬の子を売っているのだった。
 第七日。
 昼。トレチヤコフスキイ美術館。
 夜。第二芸術座。
 私の好きな絵はスリコフの「引廻し」とレヒタンの「白樺」、彼女はロコトフ作「見知らぬ人」。
 芸術座ではイフゲニイ・ザミアチンの「蚤(ブロハア)」をやっていた。
 第八日。
 クスタリヌイ博物館と、夜はメイエルホルド座――「証明書(マンダアド)」の今年のシイズンにおける何回目かの上演だ。花道と廻り舞台。木の衝立(ついたて)だけの背景。にせ共産党員の家庭を描いた喜劇で、一枚の額のうらおもてに聖像とマルクスの顔が背中あわせに入れてあったりする。
 第九日。
 トルストイの家――一八八一年から一九〇〇年までの彼の住宅がモヴニチエスキイ通りにある。ツウェトノイ大街のドストイエフスキイ像、農民の家、子供の家、バルチック停車場に近いナポレオンの凱旋門――一八一二―一四年の建造とある。
 夜、カレイトヌイ座にフィヨドル・ゴラトコフの映画「せめんと」を観る。
 第九日の印象。宣伝と革命記念物の洪水。いささか食傷の気味だ。
 第十日。
 猛烈な晴天である。きょうも新寺院の屋根がちかちか光って、モスコウ河に巨大な氷が流れている。電車で郊外雀が丘(ブロビア・ガラ)へ出かける。ここからナポレオンが手をかざしてモスコウの大火を望んだという現場だ。小高い丘の出ばな、真下の野を流れる帯のような数条の川をへだてて、秘都莫斯科(モスコウ)は日光のなかに白っぽくけむっている。色彩的なクレムリンの塔と物見台、二千何百の教会――ナポレオンが踏んだであろう同じ土をふんでいる私に、いつしか過去の夢が取り憑(つ)いていた。私は聞く、寺々の警鐘を。私は見る、合図ののろしと家を飛び出てクレムリンへ逃げこむ蟻(あり)のような十二世紀の市民のむれを。このいいお天気に、またしても韃靼(だったん)人の襲来だ! イワンは石投げの支度にかかり、ナタアシャは小猫を抱いて泣いている。外壁に立って呶号(どごう)する町の英雄、こわごわ露台(バルコニー)から覗いている王女の姿が一つぽっちりと見える――時間こそは何という淋しい魔術であろう。草の葉が風に鳴って、モスコウ行きの自動車が砂をまいて通りすぎた。
 しずかな部落だ。ツルゲネフに出て来そうな道ばたの家で、茹(ゆ)で玉子を食べる。村の人が四、五人、喫煙と「主義の討論」にふけっていた。
 帰途、電車賃の金をよく見ていると、一発見!――哥(カペイカ)の銀貨にきざんである。「全世界の無産者よ、結せよ!」
 第十一日。
 After all ――莫斯科(モスコウ)の心臓は「赤い広場(クラスナヤ・プロシヤチ)」にあるといえよう。歴史と風雨で色のついた大クレムリンの石垣にそって、通行人と異臭のなかをイベリアンの門をくぐろうとすると、左の壁にマルクスの言葉「宗教は国民の亜片(アヘン)なり」が彫ってある。なるほど亜片だけになかなか捨て得ないとみえて、すぐ前の聖なる処女の御堂には蝋燭(ろうそく)の灯が燃え、おまいりの善男善女ひきも切らない。つい先ごろも復活祭の式の最中に各会堂へ共産党員があばれこみ、口笛に合わしてだんすをはじめ礼拝を妨害した事件があったという。広場に立つと、「恐怖のイワン」がカザン征服の記念に、バルマとポストニクのふたりの建築家に命じて一五五四から六〇年にわたってつくらせた、もざいくのお菓子のような聖(セント)バシルの寺院が南のはしに飾り物みたいに建っている。
 そして、その入口にアレキサンダア大王の首斬台が、石も鉄も錆(さび)もそのままに残っているのだ。黒ずんだ円い囲いに苔(こけ)が枯れ、中央の石柱には死刑囚をつないだ鎖がいまだに垂れさがって、段に立って振り返ると、ちょうど頭のうえにクレムリンの時計台、その前面に、大王が出御して死刑見物を享楽したという高楼が、多くを見てきたくせに黙りこくってそびえていた。
 五月一日が近い。まわりの公共建物に何本もの赤布が長くさがって、広場には兵士の列が、メイ・デイの予行をしている。ろしあの持つ文化と誇示と壮麗と野望を支えて、ここから人類へ一つの辻説法を話しかけようとしているのがこの赤色広場だ。世界のあらゆる隅々からあこがれてくる「無産聖地」の参詣者が、みな高く頭を持して逍遥している。
 私と彼女は、そこから広場を突っ切ってレイニン廟へ這入(はい)る。
 小兵営のような、立体的な墓の地下室へおりると、硝子(ガラス)の箱のなかに、死んだレイニンが生きていたときそのままに眼をつぶっていた。コンミュニスト・インタナショナルの旗と一八七一年の巴里(パリー)共産党の戦旗とが西側に飾ってあり、鉄の柵をめぐらした中央の台のうえに、写真で見たとおなじ百姓おやじレイニンがゴッホの自画像のような赤茶けた無精ひげを生やして死んでいるのだ。屍体に特殊の化学作用をほどこして保存してあるのだという。頬や手なぞ水々して、瘠(や)せてはいるが。いまにも欠伸(あくび)といっしょに起き上りそうだ。一列のまま左へゆっくりと棺を一周して見るだけで、銃剣の兵が立っていて停まることは許されない。レイニンの手の青い筋を網膜に浮べながら、私たちはもう一度赤色広場(クラスナヤ・プロシヤチ)のあかるい光線を吸う。
 そうすると、曲馬団の天幕(テント)のような思い思いの建築に沃野(よくや)の風が渡って、遠く聞える夏の進軍喇叭(らっぱ)に子供みたいに勇み立っているモスコウが意識される。二十万の親なし児が鬨(とき)の声をつくって南部オデッサの方面から、或いは貨車の下に掴まり、あるいは国道のほこりにまみれて、今や市内へ雪崩(なだ)れ込もうとしているのだ。町で彼らに帽子をさらわれない要心が大事だ。
 With its rise and fall, 莫斯科(モスコウ)は何かを予言しようとあせっている。

   “Ville de Li□ge”

 ワルソオ・伯林(ベルリン)・ケルン・オスタンド。
 それから数日ののち、私たちはオスタンド・ドウヴァ間のSSヴィユィユ・リエイジュ号の甲板上に、近づく白堊(はくあ)の英吉利(イギリス)の断崖を見守っている自分達を発見した。
 はるばるも来つるものかな――やがて人潮の岸(ヒュウマン・タイド)ろんどんをさして汽車はドウヴァをゆるぎ出るのだ。半球の旅のおわりと、空をこがす広告塔の灯とが私達を待っているであろう。




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