踊る地平線
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著者名:谷譲次 

   SAYONARA

 がたん!
 ――という一つの運命的な衝動を私たちの神経につたえて、午後九時十五分東京駅発下関行急行は、欧亜連絡の国際列車だけに、ちょいと気取った威厳と荘重のうちにその車輪の廻転を開始した。
 多くの出発と別離がそうであるように、じつに劇的な瞬間が私たちのうえに落ちる。
 まず、車窓のそとに折り重なる人の顔が一つひとつ大きな口に変って、それら無数の巨大な口腔が、おどろくべき集団的訓練のもとにここに一大音響を発した。あああ――あい! というのだ。ばんざああい!
 では、大きな声で『さよなら!』
 さよなら!
 そしてまた『ばんざあい!』
 この爆発する音波の怒濤。燃焼する感激。立ちのぼる昂奮と人の顔・顔・顔。そして夜のプラットフォームに漂う光線の屈折――それらの総合による場面的効果は、ながい長い行程をまえに控えている私達の心臓をいささか民族的な感傷に甘えさせずにはおかない。が、そんな機会はなかった。交通機関はつねに無慈悲にまで個人の感情に没交渉である。彼女が贈られた花束を振り、私が、この刹那(せつな)の印象をながく記憶しようと努力しているうちに、汽車はじぶんの任務にだけ忠実に、well ――急行だから早い。さっさと出てしまった。私たちは車室へ帰る。
 皿のうえの魚のように、彼女はいつまでも花束とともに黙りこくって動かない。何が彼女の脳髄を侵蝕しているのか、私にはよくわかる。東京と東京の持つすべて、日本と日本のもつすべてから時間的にも地理的にも完全に離れようとするいま、私達は急に白っぽい不安に捉われ出したのだ。それはふたりのすこしも予期しなかった、そして、それだけまた自然すぎる、漠然たる憂鬱だった。
 しかし、この「去るに臨みて」の万感こもごもは、ぼうっと赤い東京の夜ぞらとともにすぐ消えて、かわりに私は、そこに世界地図の上を這(は)いまわる二足の靴を想像する。それは、倫敦(ロンドン)チャアリング・クロスの敷石もアルジェリアの砂漠も、シャンゼリゼエの歩道も同じ軽さで叩くだろうしベルゲンの土も附けばアラビヤの砂も浴びるだろう。私達の旅のすがただ。詩人の墓も撫(な)でてみたいし、帝王の裾にも接吻したい。西班牙(スペイン)の駅夫と喧嘩することもあろうし、ルウマニアの巡査に小突かれる日もあろう。モンテ・カアロでは夜どおし張るつもりだ。ムッソリニと握手する。一夕(いっせき)独逸(ドイツ)廃帝と快諾して思い出ばなしを聞く。ナポレオンの死の床も見たいし、ツタカメン王の使用した安全剃刀(かみそり)もぜひ拝観しよう。それから、それから、ETC・ETC――出来るだけ多くの大それた欲望を持つことが、旅行者にあたえられた権利であり、義務なのだ。
 気がついてみると私は、汽車の進行に合わしてこころ一ぱい叫んでいた。
 がたん・がたん!
 がたん・がたん!
 歓呼のこ――えに送られて
 歓呼のこ――えに送られて
 何とそれが調子よくピストンのひびきに乗ったことよ! ことによると私は早くも無意識のうちに、自然現象のように自由で無頼な放浪者を気取っていたのかも知れない。
 寝台へ這い上る。
 同時に、さまざまな断片が私のこころへ這いあがる。
 ホテルから東京駅へのタキシのなかから一瞥(いちべつ)した最後の東京。雨が降っていた。窓を打ってななめに走る水。丸ビルを撫で上げる自動車の頭灯(ヘットライト)。
「東京――モスコウ」と朱線のはいった黄色い切符を示したとき、ちょっと儀式張って、善きほほえみとともに鋏(はさみ)を入れてくれた改札係の顔。若きかれのうえに祝福あれ!
 とにかくこれが当分のお別れであろう日本の春の夜を、汽車はいま狂女のように驀進(ばくしん)している。下関へ、ハルビンへ、莫斯科(モスコウ)へ、伯林(ベルリン)へ、やがてロンドンへ。
 朝は、私たち同行二人の巡礼をすっかり国際的な漂泊人のこころもちのなかに発見するであろう。
 汽車という汽車のなかで、その夜の九時十五分東京駅発下関行急行――私がそれに何らの必要もなしにほとんど先天的な約束をさえ見出しかけていると、彼女も眠れないとみえて、下の寝台で寝返りを打つのが聞えた。
『どうしたい、まだ降ってるかい?』
『え?』
『雨さ。』
『いいえ。』
『どのへんだろう此処(ここ)――。』
『さあ――静岡あたりでしょう、きっと。』

   黒と白だけの風景画

「下関」
 むらさき色の闇黒(あんこく)。警戒線。星くず。
 無表情な顔をならべて関釜(かんぷ)連絡T丸の船艙へ流れこむ朝鮮人の白衣(びゃくえ)の列。
「釜山」
 あさ露に濡れる波止場の板。
 赤い円(まる)い禿山。
 飴(あめ)と煙草―― e.g. 朝鮮専売局の発売にかかるカイダ・マコウ・ピジョンなど・など・など。
 停車場への雑沓。
 バナナを頬張りながら口論している色の黒い八字ひげと、金ぶちの色眼鏡。
 内地人の薬売り――新植民地情景。
「京城まで」
 土塀と白壁。赤土。黒豚。
 小川。犬。へんぽんたる洗濯物。
 教神――水晶洞所見。
 滝頭山(ろうとうざん)神社のお祭り。
 勿禁院洞(もっきんいんどう)と読める。
 皇恩浩蕩(こうとう)とも書いてある。
 長いきせると荷馬車。
 褐色の連続を点綴(てんてつ)する立看板の林――大学眼薬、福助足袋(たび)、稲こき親玉号、なになに石鹸、仁丹、自転車ソクリョク号、つちやたび、風邪には新薬ノムトナオル散、ふたたび稲こきおやだま号、ナイス印万年筆、スメル香油、何とか歯みがき、& whatnot。
「京城」
 降りて行った亜米利加(アメリカ)の女伝導師と、彼女の靴下のやぶれ。
 午後七時四十分。
「安東まで」
 低い丘。雑木林。
 金泉で雨。
 黙々として黒く濡れている貨車。
 停車場の棚に金雀枝(えにしだ)がいっぱい咲いていた――三浪津(さんろうしん)の駅。
 秋風嶺(しゅうふうれい)でも雨。
 見たことのあるような気のする転轍手(てんてつしゅ)の顔。
 鉄道官舎のまえに立っていた日本の女。
 唐傘(からかさ)。雑草。石炭。枕木。
 日の丸。
 小学校。
「安東」
 税関。鉄橋。驟雨。日光。
「奉天まで」
 ゆるいカアキイ色の起伏。
 展望車に絵葉書がおいてある。唐獅子の画に註して曰(いわ)く。「現今民国有識階級ニ於(おい)テハ華国ハ眠レル獅子ナリト言ヒナサレ覚醒又ハ警世ノ意アリテ尤(もっと)モ喜バル」と。
 なになに聯隊奮戦の地。
 連山関(れんざんかん)の郵局。
「赤い夕陽」
 ほんとに真赤な、大きな、火事のような入り日だ。
「奉天」
 のりかえ。
「長春」
 のりかえ。
 支那馬車のむれ。
 客桟(かくざん)で人を呼ぶ声。深夜。
 やすい煙草――大愛国香烟、長寿牌大号、中国出産中俄煙(ちゅうがえん)公司。
 南京豆の皮を吹く砂まじりの風。
 水菓子屋の灯(あか)り。
 午前十二時十分発。
「哈爾賓(ハルビン)まで」
 万国寝台車の一夜。巴里(パリー)に本社のあるワゴンリイのくるまだ。まるで宮殿のよう――と彼女が讃嘆したとおりに、飴いろに金ぴかの装飾が光っている。
 中華民国のかたではありませんか、と呼びかけられて、下関で高等係の人からかなり長い質疑応答をやらせられた私達――断っておくが、私はながい外套にへんなぐあいに帽子を潰(つぶ)してかぶり、彼女は断髪にしかと花束を抱えていた――も、長春では、旅券をしらべに車室へ来た支那の官憲が、一眼(ひとめ)で日本人と白眼(にら)んだためにそのままに済んだ。――のはいいが、故国の役人には支那人に間違われ、支那人にはすぐに日本人と看破される。やはり、旅だ。
「ハルビン」
 灰色にくすぶる新市街の停車場。
 殺到する支那の赤帽。手荷物略奪戦。
 りゃん・りゃん・りゃん!
 まあやあ・ほいほい!
 てんが・れんが・れん!
 For God's sake, wait ! ――この一種物語的なひびきを持つ都会の名は、私たち日本人にただちに公爵伊藤の死を聯想させる。
 で、これが映画なら、さしずめここでカット・バックというところだ。すなわち、画面全体が見るみるぼやけて、そこに過去の話中話が煙りのように浮かび出る――こんなふうに。
 最初スクリンいっぱいに、疾走中の汽車の車輪を大きく見せて、つぎに字幕(タイトル)。
「明治四十二年十月二十六日午前八時、元勲伊藤公の坐乗せる特別列車は、長春より一路哈爾賓(ハルビン)をさして急ぎつつあった。」
 食堂車内の景。
 伊藤公が、金の飾りのついた洋杖(ステッキ)をかたわらに、何か書いた紙片を満鉄総裁中村是公(なかむらぜこう)氏、宮内大臣秘書官森泰二郎氏に示している。漢詩人森槐南(もりかいなん)が微吟する。
 十月二十五日発奉天赴(ほうてんにおもむく)長春汽車中作
万里平原南満洲(ばんりのへいげんみなみまんしゅう)  風光潤遠一天秋(ふうこうじゅんえんいってんのあき)
当年戦跡留余憤(とうねんのせんせきよふんをとどむ)  更使行人牽暗愁(こうしこうじんあんしゅうをひく)
「日露の親和がこの汽車中にはじまり、汽車の前進するがごとくますます進展せんことを望む。」公はこう言って露西亜(ロシア)側の接待役を見まわしながら、しきりにつづける。「余は露西亜人を愛す(ヤ・リュブリュウ・ルウスキフ)。」
 この「日露の親和がうんぬん」のことばは、公の死後、非常な好意をもって露人のあいだに喧伝された有名な言辞だ。
 ふたたびタイトル。
「そうして午前九時――。」
 と、これから暗殺の場面へ移るのだが、まあ止(よ)そう。
 それよりも同車の満鉄のG氏が、私の肘(ひじ)を掴(つか)まえて大声に話している。
『列氏零下五度、こまかい雪が降っていましてね、猛烈に寒い朝でしたよ。ピストルの音ですか。いいえ、日本人の一般出迎者はずっと左の端のほうにいたので、何も聞えませんでした。いえ、聞いた人もありましたが、支那人が歓迎の意味で爆竹を打ちあげたのだと思ったそうです。すると伊藤公が撃(や)られたというんでしょう、さあ大変、みんな滅茶苦茶に飛び出して行って、わいわいごった返しです。露助の兵隊なんか大きな刀(やつ)を振り廻してやたらに、ヤポウネツ・ヤポンツァ! って呶鳴(どな)る――。』
『ちょ、ちょっと待って下さい。』私はあわてる。『その、それは何です――ヤポ・ヤポってのは?』
『日本人が日本人を(ヤポウネツ・ヤポンツァ)! というんですね。で、わあっと押し出したのはいいが、線路へ落ちるやら兵隊に蹴(け)られるやら――そのうちにぎゃっ! というもの凄い声が聞えましたが、それは人混みのなかで露助の兵隊が安重根(あんじゅうこん)を捕まえたときに、先生夢中で頸部(くび)を締めつけたもんだから、安(あん)のやつ苦しがって悲鳴をあげたんです。私も一生懸命でしたよ。爪立(つまだ)ちして伊藤公の担(かつ)がれて行くのを見ていました――。』
 汽車を降りた私たちは、二十年前に公の狙撃された現場に立った。その地点は、一・二等待合室食堂へ向って、左から二番目と三番目の窓の中間、ちょうど鉄の支柱前方線路寄りの個処だ。が、いくら見廻しても、どこの停車場のプラットフォウムにもある、煤烟(ばいえん)と風雨によごれたこんくりいと平面の一部に過ぎない。いや、平面と呼ぶべくそれはあまりにでこぼこして、汽車を迎えるために撒(ま)かれた小さな水たまりが、藁屑(わらくず)と露西亜(ロシア)女の唾と、蒼穹(そうきゅう)を去来する白雲(はくうん)の一片とをうかべているだけだった。
 G氏の案内で構内食堂の隅に腰を下ろす。ここはその朝、外套に運動帽子といういでたちでレスナヤ街二十八号の友人金成白(きんせいはく)――レスナヤ28は、いま、見たところ何の変哲もない荒れ果てた一住宅だ――の家を出た安重根が、近づく汽車の音に胸を押さえながら、ぽけっとのブロウニング式七連発を握りしめたという椅子である。殺した人も殺された人も、もうすっかり話しがついて、どこかしずかなところでこうして私達のようにお茶を喫(の)んでいるような気がしてならない。
 ハルビン――不思議が不思議でない町。
 OH・YES! HARBIN。いろんな別称で呼ばれるわけだ。
 あらゆる人種と美しい罪の市場。
 海のない「上海(シャンハイ)」。
 そうして、極東の小巴里(パリー)。
 さればこそ、どんな冒険にでも勇敢(ゲイム)であるべく、彼女の口紅は思いきり濃くなり、やけに意気っぽく帽子を曲げる。AHA!

   夕陽に十字を切る

 火酒(ウォッカ)のように澄み切った空気のなかを、うそ寒い日光が白くそそいで、しっとりと去年からの塵埃(ほこり)をかぶった建物と、骨の高い裸(はだ)かのどろ柳と、呪文のようなポスタアを貼った広告塔と、塑像のように動かない街角の支那巡査、ぬかるみのまま固化した裏通り、zig zag につづく木柵、剃刀みたいにひやりと頬に接吻して行く松花江(しょうかこう)の風、そよぐ白楊(はくよう)と巻きあがる馬糞の粉と、猶太(ユダヤ)女の買物袋と帝政時代の侍従長のひげと。
 過去と未来が奇(きく)しく交響する、哈爾賓(ハルビン)はいつもたそがれの街だ。
 そこでは、朝も昼も真夜中も、すべてが夕ぐれの持つ色とにおいで塗りつぶされて、その歴史もその市民も、坂も空地も商業街も電柱も石ころも、それらの発散する捨鉢(すてばち)な幻怪味と蟲惑(こわく)も、音楽も服装も食物も、みんな落日(おちび)を浴びて長い影を引いている。言わば、小さな暴君に飽(あ)かれて顧みられない玩具。Or ――発狂した悪魔詩人が、きまって毎夜の夢にさまよう家並(やな)み、それがこのハルビンである。
 ホテルの三階の部屋から私は下の往来を見おろしていた。女学生らしい赤い帽子の露西亜(ロシア)少女が、青い林檎(りんご)をかじりながら手を上げて、泥だらけの乗合自動車を停める。兵卒みたいな腕力家の車掌が荷物のように彼女を摘(つま)みあげて行った。蒙古人の皮鞋匠(ひあいしょう)が石だたみに道具を並べて、眼のまえの通行人の足をぼんやり眺めている。靴直しだ。支那人が鶏を抱いてくる。盗んできたものに相違ない。かれは、三歩ごとにうしろを振り返っては急いでいるから。
 向側は露西亜人の食料品店とみえて、ほこりにまみれた缶詰と青物がほんのすこしばかり飾窓(ショーウインドー)に散らばって、家の横に貼った黄色い紙が、あやうく飛びそうに土けむりにはためいている。阿弥陀仏、念々不忘、福徳無量と印刷してある。極楽寺とかいう近ごろ出来た支那寺の伝導標語であろう。楽隊がきた。羅馬(ローマ)字を裏から見るような露西亜語のびらを自動車の腹へ掛けて、三人の楽手が、それでもみずからの貧しい旋律に十分陶酔して疾駆し去った。漢字の旗が板みたいに空(くう)に流れて立っていた。電影子園(でんえいしえん)というのは常設館のことだろう。「哀憐公子」と映画の題が大きく書いてあった。
 風がひどい。町ぜんたいを引っ掻(か)き廻す気流の渦だ。市街の果ての平原に煙幕のような蒙古風が巻き立ったかと思うと、視界はもう人類最後の審判の日のように、赤く暗く霞(かす)んで、色の附いた空気があらゆる隙間から、室内へ、机の上へ、寝台へ、そして私たちの鼻口へ、おそらくは肺の底へまで音を立てて侵入してくるのだ。そのために椅子の背も人の肩も、十哩(マイル)むこうの土砂の粉末を載せて真白である。咽喉(のど)が乾く。冬以来雨というものがないという。
 が、一たびこの大規模な、そして色彩的な風が屋根を包んで過ぎると、あとには、火酒(ウォッカ)のように澄みきった大気のなかをうすら寒い日光が白くそそいで、哈爾賓(ハルビン)はやはり根気のいい植物のように、じいっと何かを待って展開している。
 グランド・ホテル――格蘭得火太立(グランド・ホテル)旅館という物々しい支那語の看板をかかげたホテルに、私たちは宿をとっているのだ。三階の自室の窓に立つと、大陸の気層は魔術的だ、けさ着いた停車場(ワグザル)の建物をすぐ眼のまえに見せて、鬱金(うこん)木綿の筒っぽのどてらのようなものに尨大な毛の帽子を載(いただ)いた支那人の御者が、車輪から車体から座席、馬にいたるまで土とほこりに汚れきった一頭立ての軽馬車を雑然とかためて、高粱(こうりゃん)の鞭(むち)を鳴らして何か大声に罵りあいながら客待ちしているのが、遠く噪(さわ)がしいだけにうつろに眺められる。ホテルの玄関の両側には、満洲人の果物売りが朝早くからずらりと歩道に荷をおろして、商売に関係なく暗くなるまで居眠りしている。たまに上海蜜柑(みかん)の一つも売れようものなら、われながら不審げにきょとんとするが、すぐに忘れてまた眠り出す。そうして襟(えり)へしみる夕風に急に驚いたように籠を片づけて、何人も何人も薄あかりのなかを連れ立って帰って行くのだ。
 おちぶれた貴族が、猥雑な現在の生活においても、なおかつ過ぎ去った豪奢と栄誉を忘れ得ずに、いつか再び同じ日のまわってくることを固く信じてその望みにのみ生きている――といったものの哀れ(パセティック)なこころは、ハルビンとハルビンらしいすべての姿に胸を打って感じられる。この格蘭得火太立(グランド・ホテル)旅館がそうだ。その入口にはセゾンの終った歌劇の広告が老プリマドンナの白粉(おしろい)みたいに剥(は)げかかっていても、ちりめん紙を巻いたごむの木の鉢のかげには、確(たしか)に玄関番(ドアマン)の制服が金ぼたんを光らせているし、安物の絨毯(じゅうたん)は旅行者の踵(かかと)に踏みやぶられようとも、その大広間は赤の一色で装飾され、ジョニイ・ウォカアの広告油絵と、東支鉄道の灰皿と、大阪製の巨大な花瓶とを宝物のごとくに安置し、一九二四年度の加奈陀(カナダ)太平洋会社汽船案内と近着の巴里(パリー)雑誌ラ・ヴィ・パリジャンヌとが、隣り合わせにきちんと揃えてあり、食堂は、肥満せる猶太(ユダヤ)系独逸(ドイツ)人ウンテルベルゲル氏が経営して自ら給仕長として立ち、いっぽんの生胡瓜(オグレツ)に大洋(タイヤン)の一円五十銭をとり、定食(アベイト)には、卓上電灯を半暗にして不可思議な舞踏交響楽がはじまり、帳場(デスク)の露西亜番頭(ロシアクラアク)はたくさんの支那語とすこしの英語とすこしの独逸語と少しの仏蘭西(フランス)語と、それにすこしの日本語とを話し、浅黄色のわんぴいすを着て頭髪を角刈りにした不柔順な支那ボウイの一隊と、慈善病院の看護婦みたいな不潔な露西亜(ロシア)女中の大軍とを擁し――以下略――とさえ言えば、いかに「哈爾賓(ハルビン)」な、あまりにハルビンな火太立(ホテル)であるかが充分以上に描出されたことになろう。
 窓硝子(ガラス)をとおしてまだぼんやりと前の通りを見下ろしていた私は、吹きまくる蒙古風といっしょに奇妙な呼び声が揺れ上ってくるのに気がついた。声は、黄色く暮れてゆく街上をだんだん近づいて来る。
ちいやらまた
たんぐうろえ
 また暫(しば)らく間をおいて、
ちやらまた
たんぐろえ
 私は上半身を乗り出して真下の歩道を覗(のぞ)いた。巌畳(がんじょう)な支那の中年男が、酸漿(ほおずき)のしぼんだようなものを何本となく藁束(わらたば)に刺したのを肩へ担いで、欠伸(あくび)みたいに大きくゆっくり口を開けるたんびに、円い太い声が、心もち震(ふる)えて長閑(のどか)に吐き出されるのだ。
あああう――あ!
ちい――やらまた
たあ――んぐろえ
 山□子(さんざし)という木の実である。それを乾して赤く着色したのを、子供の駄菓子として売り歩いているのだが、七、八つ刺した串が一本大洋(タイヤン)の一銭とかで、終日砂ほこりにさらされて真っ白になっているのを、売れても売れなくても一向平気に、彼は呶鳴(どな)ることそれ自身に生甲斐(いきがい)を感じているらしく、私の眼下でもう一度「ちいやらまた」を叫んだのちぶらりと通りすぎていった。山□子の実は甘酸(あまず)っぱい味がして、左程(さほど)まずくもないそうだけれど、その埃(ほこり)だらけなのに怖毛(おじけ)をふるって、私達はとうとう手が出なかった。この山□子売りはハルビン街上風景の一主要人物である。黄塵(こうじん)万丈の風に乗って、泣くようなその売り声が町の角々から漂ってくるとき、人は「哈爾賓(ハルビン)らしさ」の核心に触れる。
 三十分おきにどっちかの発議で、私たちはお茶を飲んでいる。露西亜茶(チャイ)だ。気候のせいかみんなよくこの茶(チャイ)をのむ。個人の家ばかりかどこの事務所でも、時間をきめて洋杯(コップ)になみなみと注(つ)いだのへレモンと砂糖を添えて持ってくるが、身体(からだ)が要求するのだろう、さして美味(おい)しくもないのに、咽喉(のど)がひりひりして飲まずにはいられない。が、お茶だけでも仕様がないから、勇を鼓して階下の食堂へ降りてみると、いたずらに広い卓子(テーブル)のあいだに給仕人の襯衣(シャツ)の胸が白くちらほら光って、運命開拓者のあめりか人が赤い耳輪の売春婦と酒を飲んでいるきり、オウケストラのウォルツが寒々しくあふれている。そのうちに、中年の露西亜(ロシア)婦人が子供を伴(つ)れて這入(はい)ってきた。東京にいるT露西亜大使の夫人だそうだ。それはいいが、ここはハルビンでも料理のいいほうだというけれど、その食物の猛悪なのには降参せざるを得ない。第一に、ボリシチとか号するスウプに類したものには油が玉のように浮んで、二きれの偉大な肉が煩悶の極唸(うな)り声を上げている。つぎなるザクシカというのは、早く言えば、若くして悶死した魚の腐肉だ。そのほかガグリシチにしろペテロシュカにしろギザルシカにしろ凡(すべ)て大同小異である。やたらに量が多いばかりでとても口にする気になれない。もっともカトレイタだのビフシュテイキなんかと称して西欧めいたのもあるにはあるが、ガグリシチやペテロシュカの惨状を一見しただけで、他を試みる必要のないほど料理人の腕はわかる。で、色電灯と散乱する音譜とウンテルベルゲル氏の職業用微笑にいくらかの大洋(タイヤン)を献じたのち、私達は空腹と連れ立って食堂をあとにした。ただビイフシュトロウゲンという奇怪な一皿と、ブルンビアなるアイスクリイムに厚化粧をほどこしたようなデザアトだけは、いささか人類の食に適することをウンテルベルゲル氏の名誉のためにつけ足しておこう。
 ホテルを出た私たちをタキシのむれと宵闇が待ちかまえていた。そのタキシを駆ってその宵闇のなかを東支倶楽部へいそぐ。トルトウスカヤ女史のひきいる露西亜(ロシア)舞踊団の公演を見ようというのだ。
 倶楽部の演芸場にも「世が世ならば」の群集があふれて、赤を呪う白の人々と、支那政府の眼をくぐって白の動きを見守る赤の密偵と、赤系と白系が縒(よ)りまざってまるで理髪屋の標柱のような哈爾賓(ハルビン)の社会相が、ここにそのままの縮図を見せているのだった。何というもの淋しい「過去と未来を同時に呼吸する群」であろう! いまだにニコライ・ロマノフの写真を飾って上帝に十字を切る一団、北東の秘密活動本部をここへおく第三国際の宣伝員、すべての主義と世の動きとをよそに在りし日を夢みる階級――それらの露西亜人とその家族たちが、しばらく政治と闘争と謀策を中止して一夜の受楽のためにこうして集(あつま)っているのだ。これでも大きな社交的出来事(ソシアル・オケイジョン)のひとつとみえて、タキシイドの男と粗末なデコルテがあちこちに見受けられるが、無理にも場合を作って明るい宵を持とうとする彼等の努力に、泪(なみだ)ぐましい泣笑いがひそんでいる。じっさいこの町に住む露西亜人は、片っぱしから「槍(やり)は錆(さ)びても」の心意気なのだ。だから、莫大な体躯といかめしい鬚(ひげ)と灰色の眼とをもつ格蘭得火太立(グランド・ホテル)旅館の老小使(ポウタア)ミシェルは、むかし国境防備軍団の旅団長として皇帝と同じ食卓で茶を喫(の)んだ記憶を秘蔵し、ボルシチの料理人は革命当時にバイカル湖を泳いで逃げた大銀行家のなれの果てだし、路傍に燐寸(マッチ)を売る老婆という老婆は、すべて王女かもしくは宮廷の侍女であったに相違ない。こうして大山鉱業者は街角に靴をみがき、大将軍は貨物自動車を運転し、大僧正が倉庫の番人をつとめているわけで、陸軍中将の御者、大公爵の番頭、帝室歌劇団花形の売子、すべて由緒ある亡命者をもってハルビンは充満している。これらの白い波に、いま欧亜主義(ユウロパシフィック)なる一つの反動思想、ソヴィエト制度をピイタア大帝以前の露西亜(ロシア)本来のものとして肯定して、一ぽう共産党現政府を乗っ取ろうとする運動が、全世界にちらばる白系露人と呼応して起りつつあると聞くが、そうかと思うと、じぶんは今まで白のように言われていたけれど、じつは立派な赤なのだと新聞に公開状を発した作家もあったりして、この哈爾賓(ハルビン)を中心に、赤がどの程度に白を侵すか、いかにして白よく赤を制するか、それは将来にかかる面白い見ものであろう。とともに、その間にあって活躍する両派密偵のかけひきに、幾多の小説的興味が含まれていることはいうまでもあるまい。
 舞台ではトルトウスカヤ舞踏団の公演がはじまっている。五つ六つから二十歳(はたち)ぐらいの三十人ほどの女にまじって、二、三人の男も見える。みな裸体に近い簡単な服装で、おどりは筋肉的な基本的旋律運動だ。最初は教授の実際を示すためとあって、スタンカによる実習、セレゲイナにおける実習、ビオメカニカ、ピラミッドなどエクロバティックなものが多い。そのほかプログラムに眼をとおすとマズルカというクラシック、韃靼(だったん)踊り、善と悪との争い、東、猶太(ユダヤ)風、気まぐれ、グロテスク、さすらい――郷土的なものと象徴的なものとを、程よく集めてある。私は彼女とともに観衆のなかにすわって、かろうじて音楽と舞踊によってしばらく故国と自分たちとの問題や労苦から避難しようとしている周囲の人々をかなしいと思った。
 休憩時にクルアシビイリという元露西亜(ロシア)軍隊の将校で、日露戦争に旅順で奮戦して負傷した老人に会った。かれの勇名は乃木大将の耳にもはいって、敵ながらも天晴(あっぱれ)とあって将軍から感状をはじめ色々の物を贈られたのを、彼はいまだに大切に保存しているという。あまりいい生活もしていないようで、片腕が肩からない身体(からだ)に、すべての勲章や金モウルの飾りを剥(は)ぎ取った色の褪(あ)せた黒の軍服を着ていた、が、どこかに三軍を叱咤(しった)した面影が残って、その棒のような身長のうえから何ごとをも諦め切ったほほえみがおだやかにあふれている。このクルアシビイリと話しながら、私はそこらの隅から冷たい赤派の眼が窺(うかが)っているような気がしてならなかった。
 つぎの日、並木のまばらな田舎路をドライヴして馬家溝(ばかこう)に横川(よこかわ)、沖(おき)ほか四烈士の墓を見た。荒原の真ん中に高い記念碑が建っている。屍体を発掘したのは碑へ向って右横、すこし背後(うしろ)へまわった小高い地点で、日本から横川氏の弟が来たとき、ハルビンにいた日本人医師が多分このへんに埋めてあるはずだとそこを掘ったところが、はたして二つの死骸がかなり綺麗に扱われて葬ってあったのを発見したのだそうだ。射殺されたのは碑のうらで、当時はここに露軍の砲塁があったという。私は、両氏が眼隠しを拒絶して弾丸の前に立ったであろうあたりを見まわした。満目蕭条(しょうじょう)たる平野に雑草の花が揺れて、雲の往来(ゆきき)が早い。陽が照ったり影ったりして、枯木のような粗林のむこうに土民の家が傾き、赤土に烏(からす)が下りていた。
 すべては時間が適当に処理するものだ。当年碧血(へきけつ)のあと、いまはただ野の草がさざなみのように風に倒れて、遠く浦塩(ウラジオ)へ通ずる鉄路の果てが一線を引いて消える地平に、玩具(おもちゃ)のような汽車が黒煙を吐いている。
 かえりにその線路を横切る。踏切に札が立っている。「小心火車」とある。火車とは汽車のこと。さしずめこれは「汽車に注意すべし」ぐらいのところであろう。支那で汽車というと自動車の意味で、さてこそほうぼうに「福特(フォウド)汽車」なる広告の出ているわけだ。福特(フォウド)は例のフォウドである。世界中どこへ行っても、いかなる形でか亜米利加(アメリカ)がついてまわるのは疾(と)うに覚悟のまえだが、この美国汽車福特(フォウド)号にはちとおどろかされる。
 支那町傅家甸(フウジャテン)の新世界で、川鮑魚湯(せんぽうぎょとう)だの葱焼海参(そうしょうかいざん)だのと呼号する偉そうできたない食を喫したのち、私たちは不可解な腕車(わんしゃ)をつらねて、喧騒と臭気と極彩色と殷賑(いんしん)と音響のなかを大通りキタイスカヤ街へ出た。途中、笛と跫音(あしおと)と泣き女のいとも哀しい支那の葬式にあう。失業者の苦力(クーリー)が棺をかつぐあとから家族らしい一行がうなだれて、長い列が休みやすみ泥棒市場のかどを曲っていった。泥棒市場は、その名の示すとおり、善良な市民が金を払ってじぶんの盗まれた品物を買戻す市場だ。もっとも、どうせ盗んだものだから誰が何を買ってもさしつかえない。ひどく徹底した国民的施設である。
 キタイスカヤには黒い建物とでこぼこの歩道と貧しい商店とが、それでもさすがにメイン・ストリイトの格式をもってつづいて、安価な原色を身につけた女たちが花屋のまえにとまり、いろいろな種族がベンチに顔を並べ、横町の郵便局には代書屋に人が群れさわぎ、地下室の窓からは真白い女の顔が覗き、秋林(チュウリン)ウォルガバイガルなどの百貨店に日本の商品が散見し、喫茶店の卓子(テーブル)では松花江(スンガリイ)の氷の解けたうわさがはずみ、アントニオ・モレノ主演「侠勇男子」の絵看板と跳舞大会のびらとがホテル近代(モデルン)の入口を色どり、しつこい乞食の児(こ)に夕方の風が吹き、いっぱいの曹達水(ソデリヤ・ワダ)に日露支全極東の味がこもり、肥った淫売婦がいま掴(つか)まえた男の肘(ひじ)をとって口笛を鳴らし、その口笛に応じて十七台の小馬車が勇ましく先を争い、新めいせん日本服のハルビンお何が向う側の露西亜(ロシア)学生に秋波を送り、暗い入口に人のささやきがうごめき、お洒落(しゃれ)な旅行者の捨てた煙草に六本の手が伸び、同じ男と女に何度も会い、めりんす二〇三高地の輸出向日本芸者がしゃなりと自動車から左褄(ひだりづま)を取り、露西亜人のよっぱらいが支那の巡警に管をまき、それらのうえにぼやけた灯(あか)りと北満の夜霧がひろがり、この貧しい都市にも、まずしいなりに感じと動きと流露(フィリング・ムウヴィング・パッション)とを追う散歩者の行進曲が奏でられているのを知る。が、スピイドのない享楽の狩猟、PEPを欠く狂噪、CHICの見られない街路進歩(プロムナアド)、何という神さまに忘れられた砂漠がハルビンであろう!
 いま哈爾賓(ハルビン)の市中をあめりか人らしい夫婦が自動車を乗りまわして、いたるところで車上から銀貨銅貨を現実に撒き散らして歩いている。何かの功徳かそれとも単なるものずきかも知れないが、「見知らぬ紳士(ニエイズベストヌイ・ゴスポジン)」として新聞も騒ぎ、みんなそのはなしで持ちきりだ。不幸にして私たちは問題の自動車を見かけなかったけれど、見知らぬ紳士のこころもちはよくわかるように思えてならない。誰だってこのみすぼらしい市民が努力して生活を楽しもうと心がけている窮状を見ては、あり余るものならば財布を空(から)にばらまきたい衝動に襲われるであろう。とにかく、こんな中世紀的な物語も物語でなく実在し得るのがハルビンだ。なぜなら、それはつねに振り返っている町だから。そして同時に、絶えず爪立ちして何か――何であるかは哈爾賓(ハルビン)じしんも知らない――を待ち望んでいる都会だから。
 泣き顔に塗った白粉(おしろい)。死んだ伯父が愛用した古いふるい動かない銀時計。そんな言葉がよく当てはまるほど、私はハルビンを地球上にユニイクな市街だと思う。その光りと影、その廃頽(はいたい)と暗示、私は哈爾賓の持つ蕪雑(ぶざつ)な詩趣を愛する。
 そこでは、この夜更けにも夕ぐれの色とにおいが隈(くま)なく往きわたって、いまこうしてキタイスカヤ街をまがろうとしている私と彼女に、眼のまえの「飯店(めしや)」の裏口に貼った紙がはっきりと読めるのだ。
閑人免進悪狗咬人(かんじんすすむなかれあくいぬひとをかむ)
君子自重面欄莫怪(くんしじちょうめんらんあやしむなかれ)
 はじめの一行は「無用の者入るべからず」。
 あとの君子自重は、其角(きかく)の「このところ小便無用花の山」に似て、後者の風流を狙って俗なるに比し、ずっと道学的に洒脱である。私が感心して立ちどまっていると、文字どおりに悪狗(あくいぬ)らしいのが、これもたそがれのかげを引いて長く吠(ほ)えた。
 日露戦争の癈兵(はいへい)らしい老人がふたり、ひとりは手風琴を、他はヴァイオリンを鳴らして路傍に物乞いしている。跛足と盲らだ。「無眼之人」と大きく書いたボウル紙を首から下げていた。
 ウチャストコワヤ街の方角から、深夜の紅塵にまじって支那少年の叫びがけたたましく流れてくる。
ちで・ちで!
 夕刊売りだ。
ちで――い!
ちで――い!

   VIA・さいべりあ

 アフガニスタンという国――とにかく国だろうと思うんだが――の王様が、何かの用で――たぶん鬚でも剃(そ)りに――莫斯科(モスコウ)からワルソウのほうへ出かけているために、その宮内大臣、侍従、料理部員等の一大混成旅行団の乗用として、いい車はみんな欧露方面へとられてしまった。万国寝台会社がこういう。どうもへんな話だが、アフガニスタンにしろズズアイランドにしろ、仮にも王さまの御用とあらば致し方ない。で、不平たらたら汽車賃の払戻しを受けて、一等客が全部二等車へ押しこめられ、いよいよ長途シベリアの旅へ上る。このいよいよこそはじつに世にも大変な「いよいよ」であった。もっとも、あふがにすたん国王のおかげで七日間の不便と受難を余儀なくされたのは私たちばかりじゃない。おなじ車だけでも日本人が九人、独逸(ドイツ)人の男女が各ひとり、あめりかのお婆さん、チェッコ・スロベキヤの青年、支那の紳士――これだけがモスコウへ着くまで一致団結して外敵露西亜(ロシア)人へ当ることに申し合わせる。何しろ、人も怖れる西比利亜(シベリア)の荒野を共産党の汽車で横断しようというのだから、その騒ぎたるや正(まさ)に福島少佐の騎馬旅行以上だ。ことに本邦人は、知るも知らぬもお低頭(じぎ)しあって、
『や! どちらまで?』
『伯林(ベルリン)まで参ります。あなたは?』
『ちょっと巴里(パリー)へ。いや、どうも――。』、
『いや、どうも。』
 名刺が飛ぶ。
『こういう者でございます。どうぞ宜(よろ)しく。』
『は。わたくしこそ。』
 なんかと、そこはお互いににっぽん人だ。こうなると黄色い顔がばかに頼母(たのも)しい。これだけ揃ってれば、なあに矢でも鉄砲でも持ってこいっ! さあ、やってくれ! というので、わあっ! とばかりシベリアさして威勢よく押し出した――とまあ思いたまえ。
 運命をともにする同車の日本人諸彦(しょげん)――車室順。
 A氏。日本橋の帽子問屋さん。汽車が走ってるあいだは花と将棋。停まるが早いか駅々から故国にほんへ懐しい便りを投ずる。口ぐせ「馬鹿にしてやがら、露助の汽車なんて。」
 M氏。銀座の洋物店M屋の若旦那。Aさんと同伴で商売発展の準備にチェッコのプラアグへ行く途中。鞄(かばん)から色んなものが出る。山本山(やまもとやま)の玉露・栄太郎の甘納豆・藤村(ふじむら)の羊羹(ようかん)・玉木屋(たまきや)の佃煮(つくだに)・薬種一式・遊び道具各種。到れりつくせりだ。「お前、西洋へ行くなら盲唖学校へはいって、あのそれ手真似、あいつを覚えときゃよかった。あれなら、どこい行っても国際語だから、なあんて友達のやつひでえことを言いますよ。あははははは。」ところが御曹子。外国語がぺらぺらである。
 O教授。K大学法学部の若い先生。しきりに沿線各駅で子供の絵本を買いあつめる。おせっかいなのが「坊ちゃんですか、お嬢さんですか。」教授、猛烈な近眼をぽかんとさせて「え? じょ、冗談じゃありません。まだひとりです。」道理で洋袴(ズボン)のお尻に穴があいている。
 W選手。J新聞社世界早廻り競争の西まわり選手だ。大きな日の丸を胸へつけて、車内随一の元気である。莫斯科(モスコウ)から伯林(ベルリン)へ飛行機で飛ぶべく、毎日その返電を待っている。一同いっしょになってやきもきしているが、まだ来ない。勝っても負けても、好漢Wはその独特のスポウティな微笑を忘れないだろう。
 Y氏。K造船所の飛行機技師長。口角泡をとばして列強航空力の優劣を討議し、つねに正確に悲憤慷慨(こうがい)におわる。独逸(ドイツ)へ行かれるのだそうだが、いろいろ専門の機微に入った使命があるらしい。一日、お願いして私と彼女に飛行機の講義をしていただく。絶えず葉巻を口にして「それあ着々遣(や)ってますよ日本でも。えらいもんです。」
 S氏。Y氏の同行者。停車中、雪の降る野天のプラットフォウムを外套なしで歩くのは、全乗客中このSさんだけだ。みな驚いている。
 O先生。H高師教授。いつも彼女をつかまえて婦人問題を論ずる。その他の場合には忍耐ぶかい傾聴者。ベルリンへ。
 ほかに亜米利加(アメリカ)のお婆さんは世界いたるところに散らばっている「あめりかのお婆さん」の型。独逸(ドイツ)の女は、見たところ宣教師らしい。チェッコの男は支那の靴を常用し、もうひとりいる独逸人はゴルフ洋袴(ズボン)に身を固め、支那人T博士は各国語をあやつり一車中の代弁をつとめる。それに私たち夫婦。
 これから九人の日本人がおなじ車に陣取ってひょうびょうたる西比利亜(シベリア)を疾走するのだから、そのア・ラ・ミカドなこと宛然(さながら)移動日本倶楽部の観がある。めいめい社会への接触点を異にしているために、ふだんは滅多に顔があわず、会っても社交的儀礼に終始するであろう人々が、ここに各人生の一頁を持ち寄って心おきなくおたがいの生活と人間を呈示しあって行く。旅なればこそだが、こうして旅行中に逢っては離れる「人の顔」ほど断面的にそして端的に印象を色どるものはあるまい。それは私にとっては、忘れ得ない感傷の泡沫でさえありうるのだ。
 さて、新刊西比利亜(シベリア)旅行案内。
 第一章、地理的概念。
 満洲里(マンチュリー)――夜中のせいかいやに真暗な町だなんにも見えない。思うにこれも夜中のせいだろう。それでも国境駅だけあって薄ぼんやりした電灯に非常に重大な気分が漂っている。税関検査。案ずるより生むがやすい。
 マツェフスカヤ――町も私も眠っていた。
 カリムスカヤ――オノン河の鉄橋。
 チタ――人口八万。停車場と銀行と学校と博物館とホテルあり。臭い群集。
 ウェルフネウジンスク――一度で言えたら豪(えら)い。セレンガ河の岸。ブリヤアト・モンゴウル・ソヴィエトの首府。東洋と西洋の奇妙なカクテルがぷんぷん香(にお)っている。
 スリュジャンカ――小駅。バイカル湖風景車窓に展開し出す。
 バイカル――四十六の隧道(とんねる)。水色美とハヒルスという魚を自慢にしている。アンガラ河。
 イルクウツク――砂金。ヤクウツクとかへ行く道だそうだが、そんなことはどうでもいい。とにかく学校と銀行と市場と博物館とホテル。OH! それに劇場がある! やはり、皮くさい男と女と子供。
 クラスノヤルスク――エニセイ河。豚の毛の集散地。人もかなり住んでる。
 アウチンスク――白樺にかこまれた町。
 タイガ――これも白樺にかこまれた町。
 ノウォシビルスク――満洲里(マンチュリー)から五日目。オビ河。シベリア革命委員会。駅の売店で果物だけは買うべからず。オレンジ一個七十哥(カペイカ)して、よほどの好運児のみが食べられるのに当る。
 バルナウル――羊皮外套(バルナウルカ)。
 セミパラチンスク――イルトゥイシ河沿岸。キルギス人多し。金に光る回々(フイフイ)教寺院の月章。砂ぶかい大通り。駱駝(らくだ)のむれ。三角の毛皮帽をかぶったキルギス族遊牧の民。カザクスタン共和国の、クリイム。
 オムスク――むかしシベリア政庁のあったところ。車や家のこわれたのがあちこちに見える、革命のあとだ。空は秋の色をしている。
 チュウメン――トウラ河。チュウメン絨毯。土、日ごとに黒くなり、人、日ごとに白くなり、このあたりよりようやく欧露に入る。
 スウェルドロフスク――もとのエカテリンブルグだ。ニコライ二世はじめロマノフ一家が殺された町である。宝石アレキサンドリアを売っている。皇帝の泪(なみだ)が凝り固まっているようで、淋しい石だ。ウラルの風。
 ペルミ――黒い低い街。
 ヴィヤットカ――おなじく黒く低い街。白樺細工の巻煙草箱一留(ルーブル)五十哥(カペイカ)より。みんな買う。私も買う。
 ブイ――またもや黒い低い街。
 モスコウ――長い鉄路の果て。七日目に「北の停車場(ヤロスラヴ・ワグザル)」へ着く。THANK・GOD!
 第二章。シベリア鉄道旅行準備。
 ソヴィエト・ビザ――旅券の裏書である。一週間領事館へ日参し、たくさんの写真とたくさんの金とを献上しなければならない。のみならず、何のために西比利亜(シベリア)を通過するか、宗教は―― if any 何を信ずるか、たべ物はなにが好きか、朝は大体何時に起きるか、習慣としてお茶をのむか飲まないか、もし喫(の)めば食前か食後か等々すべての個人的告白を強要される。この一〇〇一の試問と難関をぱすした英雄にのみ西伯利亜(シベリア)経由の特権が附与されるのだ。
 必要品――まず何よりもさきに勇気、決断、機敏、沈着。入国ならば持物に制限がある。男には帽子一個――一見して帽子の定義に適合する品にかぎる――下着三枚、つけ代えのぼたん五個、靴下留巾(はば)一吋(インチ)半以内のもの一つ、眼鏡――眼科医の診断書ならびに領事館の翻訳証明を要す――一個。女は、髪ピン十二本、靴下、絹二足、木綿三足、飲料に適せざる香水一本、着更え二つ、宝石――贋(にせ)とほんものとを問わず――三個。但し結婚指輪は唯一つを既婚婦人にのみ許す。その他男女共通に、眼、耳、手、足を各(おのおの)二つ、鼻、口を一個ずつ特に旅行中の便宜のために黙認している。しかし、これが単なる通過(トランジト)ならばよほど寛大だ。が、そのかわり忘れてならない物品を列挙すれば、第一に決死の覚悟と大国民の襟度(きんど)。つぎに、優(まさ)に十日間は支えるに足る食糧。すなわち、ありとあらゆる缶詰、野菜、ぱんの類、および台所道具一切。とは言え、瓦斯(ガス)ストウブは必要あるまい。天幕(テント)夜具等も汽車のうごく限りなくて済むだろう。ただモスコウまで何日、あるいは何十日かかるか、それはひとえに時の運とそうして汽車の感情(テンパラメント)によるのだから、復活祭(パスハ)に乗込んでXマスの前夜に着くかも知れない。のみならず食堂車というのも名ばかりで、兵隊みたいな給仕のほか、政府の規則によりあまり多くの食品は積まないことにしているし、これも政府の規則によりときどき勝手に列車を離れるし、同じく政府の規則で、莫斯科(モスコウ)に近づくにつれてだんだん皿とフォウクだけになってしまうし――とにかく欧羅巴(ヨーロッパ)へ行きつくまで何とかして露命をつなぎ、せめては餓死しない算段を上分別とする。身ごしらえ――喧嘩乃至(ないし)は火事見舞の支度がいい。金銭――については両替、出入国、相場に関して流言蜚語(ひご)真に区々まちまち、よろしく上手に立ちまわること肝要、とだけいっておこう。何せ相手は露西亜(ロシア)だ。朝と晩でもう法律が変っているんだから仕方がない。
 第三章。車内「これだけは心得おくべし」。
 停車時間を見るには時計よりも暦のほうが便利なこと。
 そうかと思うと気まぐれに直(す)ぐ出るから、合図の鐘が鳴ったから逸早く駈け込むこと。
 つねににこにこして、殊に露西亜人のボーイには必要以上の好意を示すこと。
 神仏どっちでもいいから、絶えず安着を祈ること。
 知っていていい露西亜語。
 こは何なりや――シト・エト・タコエ?
 こはいずくの停車場なりや――カカヤ・エト・スタンツィオ?
 ハム――ウェッチイナ。
 バタ――マスロ。
 幾金なりや――スコリコ?
 自余は手まねと表情。悪口には母国語使用のこと。
 以上、新刊しべりあ旅行案内終り。
 念のための格言。
 かんなん汝を玉にす。

   湖・白樺・雪・雪・雪

 車掌は白髪の老人だったが、何をいっても皆まで聞かずに否(ニヤット)の一言で片づけるのには大いに困った。そのうえアフガニスタン王のために四人乗りの車室しか取れなかったので、途中の駅から入り代り立ちかわり色んな人物が割り込んでくる。これにも弱らせられたが、このほうはどうやら片ことで会話をまじえて、すこしでも彼らの見方や考えているところに触れる機会を持ち、かえって感謝すべきだったかも知れない。はじめは私たちふたりでのうのうしていたのだったが、満洲里(マンチュリー)を出て間もなく、たぶんマツェフスカヤからだったと思うが、真夜中の二時ごろ、臭気ふんぷんたる二人の露西亜(ロシア)兵士が押しこんで来て、長靴をはいた土足のまんま寝台へ這いあがられたのはびっくりした。彼女などはびくびくもので一晩じゅうまんじりともしなかった。あとで聞くと、このふたりは初め隣室の女ばかりの部屋へ這入(はい)ろうとしたのだそうだ。もちろん女達が悲鳴を揚げて抵抗したので、私たちの部屋へ来たものらしい。気はよさそうだが、なにぶん無智で不潔で鼻もちがならない。が、この連中はまだいい。一つ置いてむこうの車室は韃靼(だったん)人の一行が占領している。兎のような赤い眼をした六尺あまりのおやじとその家族である。みんな円い赤ぐろい顔をして、女は頭髪(かみ)にへんな棒をさし、大きな金いろの耳輪を鳴らし、石ころをつないだような頸飾(くびかざ)りをしていた。着物は男女共用らしく、どっちも皮と木綿とけばけばしい色彩とから出来ている。しじゅう眼を見張って私たち、ことに彼女を研究していた。ウェルフネウジンスクでぞろぞろ降りて行く。
 私たちの車室の顔もしじゅう変る。つぎに乗りこんで来たのは村のお医者と鉄道技師、それから今度は将校がふたり、一人は「サヨナラ」「コニチワ」「トキョウ」の三日本語を解し、さかんに振りまわす。うるさい。ペトロフ・イワン・イワノウィチ――偽名にきまってる――と名乗り、国家的秘密機関ゲイ・ペイ・ウの一員だといってジェルジンスキイの肖像のはいった勲章を帯びていた。ブウルジョワと叫んで右手を低く下げ、プロレテリヤと歓呼して左手を高くあげる。そればかり繰り返していた。かと思うと、トキョウ・ブウルジョワとつづけて顔をしかめ、ラシヤ・プロレテリヤと言ってにこにこするのもある。莫斯科(モスコウ)まで同車したのは二十一、二の若い共産党員だった。オムスクの会議に列席した帰りだという。明けても暮れても新聞ばかり読んでいた。トロツキイの失脚なんかについていろいろ話してくれたようだが、何しろ手まね足真似ばかりなのでよくわからない。しゃべっているうちに自分で昂奮して赤くなるほどの美少年だった。彼女の買った白樺の小箱のうらへ露語で何か書いてくれる。モスコウのアドレスも貰ったが、とうとう訪問する機会がなかった。
 食堂にはオムレツのほか空気がある。停車駅で老婆や娘の売っている鶏は油がわるくてむっとする。単調とあんにゅいの一週間を救うには、車外に進展する沿道の風物以外何ものもないのだ。
 哈爾賓(ハルビン)を夜出た明け方、さわやかな朝日を浴びて悠歩する駱駝とブリヤアト人の小屋を見た。博克図(はくこくず)から有名な興安嶺(こうあんれい)にかかり、土と植物が漸時系統を異にしつつあるのを感じる。それからはただ夕陽と白樺(ビリオザ)と残雪の世界である。丸太小屋に撥(は)ねつるべの井戸、杉(サスナ)も多い。クルツクンナアヤの停車場に、労農政府の政策を絵解きにした宣伝びらがかかっていたのを、後部の車にいるレニングラアド大学教授リュウ・ツシゴウル氏が説明してくれる。カマラの駅には汽車と乗客を見物する土民が異様な服装で群れさわいでいた。カリイスカヤのゴブノビンスクだの、へんな名の村々町々を通過する。汽車はときどき立ちどまって、水と燃料の薪を積みこみ、そうして思い出したようにまた遠い残光をさして揺(ゆる)ぎ出すのだ。ある朝「バイカル!」の声にあわてて窓かけを排すると、浪を打ったまま氷結したバイカルが、敷布のように白く陽にかがやいて私たちのまえにあった。それは湖というよりも海だった。ところどころに魚を釣る穴があいて、橇(そり)のあとが無数に光っている。バイカルは一日汽車の窓にあった。タタルスカヤで粉雪ふる。派手な頭巾をかぶった頬の赤い姉妹が手を引いて汽車を見送っていた。ポクレブスカヤから土がめっきり黒くなって、欧羅巴(ヨーロッパ)の近いのを知る。スウェルドロフスクでは、廃帝ニコライが聞いたであろう寺院の鐘をきいた。夕やけで停車場も家の屋根も人の顔も真赤だった。ヴィヤトカでまた雪。莫斯科(モスコウ)へ着く朝、スポウリエの寒駅で、はじめて常盤樹(ときわぎ)でない緑の色を見る。
 野と丘と白樺の林と斑雪(まだらゆき)の長尺フィルムだった。
 家。炊事のけむり。白樺。そこここに人。
 吸口のながい巻煙草――十四哥(カペイカ)。
 白樺・白樺・白樺。
 夕陽が汽車を追って走る。

   赤い日記

 疲弊。無智。不潔。不備。文盲。陽気。善良。貧乏。狡猾。野心。術数。議論。思潮。芸術。音楽。政策。叡智。隠謀。創業。経営。
 これらの抽象名詞――露西亜(ロシア)人は国民性としてあらゆる抽象名詞を愛する――が、ごく少量の国際的反省のもとにこんとんとして沸騰している町、モスコウはいま何かを生み出そうとして、全人類史上の一大試練(エクスペリメント)に耐えようとしているのだ。だからシベリアの汽車で会ったと同じ「若い性格」の兵士と労働者と学生をもって充満し、まずしい現実のうえにうつくしい理論が輝き、すべての矛盾は赤色の宣伝びらで貼り隠され、「われらは無産者のために何を思い何をなしつつあるか」が多く叫ばれてすくなく行われ、都会と農村、工業と農業のあいだに救うべからざる不具の谷が横たわり、物々交換がその「新経済政策」であり、「教育」はみんな階級戦士の養成であり、無産独裁がいつしか共産党独裁となり、これがこんどはスタアリン独裁と自然化し、「共産党員にあらずんば人にあらず」であり、新選組ゲイ・ペイ・ウは人ふるれば人を斬り馬触るれば馬を斬り、あたらしい皮ぶくろに原始的な英雄政治が盛られ、民は知らされずして凭(もた)らせられ、イワンは破れ靴とからの胃の腑で劇と文学を論じ、よごれた毛糸の襟巻をしたナタアシャが朝風を蹴って東洋美術の講義を聴きに大学へいそぎ、イワンの父親は辻馬車(イズボシク)のうえで青空へ向って欠伸(あくび)をし、ナタアシャの母はそっと聖像をとり出して狂的な接吻を盗み、物資欠乏の背の重い「友達(タワリシチ)」たちが、うなだれるかわりに理想を白眼(にらん)で昂々然と鋪道を闊歩し、男も女も子供も犬も街上に書物を抱え、私有財産を認めない掏摸(すり)がその本を狙って尾行をつづけ、お寺の金色塔に赤旗がはためき、レニンの尊像に空腹が十字を切り、それらを包んでプリズムのように遠近のはっきりする空気、曲りくねった道路、前のめりの古い建築物と、電車にぶら下がる親なし児(ベスプリゾウルヌイ)の大群――莫斯科(モスコウ)は近代のチベットである。
 その悩みと望みと、クレムリン宮殿の外壁と劇場広場(テアトラリヌイ・プロシヤト)の鳩とに、資本家のない国はあたらしいダイナモのような力と、生硬と、自己期待と、宗教的感激とをもって沈黙のうちに運転している。
 この、地球赤化を使命とする第三インタナショナルのお膝もと、世界じゅうの謎と恐怖の城下に、一九二八年の初夏、ふたりの極東の巡礼が靴の紐をむすび直した。
 つぎは彼らの莫斯科(モスコウ)日記である。
 第一日。
 新しい寺院(フラム・スパシイチラ)の屋根が、灰色の家の海の上へ、陽を受けてぴかぴか光って、線路にそって大都会の場末らしいごみごみした景色が展開し出した。と思ったらモスコウだった。ばかに好(い)いお天気で、ばかに寒い。波蘭(ポウランド)国境へ直行の人はここで乗りかえてきょうの午後アレキサンダア停車場から出発するんだが、私たちは、さいわい今この莫斯科(モスコウ)「北部停車場」のプラットフォウムに現実に立っているという好機を利用し、急にしばらく滞在することに決して改札口を飛び出す。また出直して外部から露西亜(ロシア)入りをするには、じつにうるさい――そのいかにうるさいかは神さまが御存じだ――数々の手続きと極くすこしの可能性しかないというので、にわかに旅程を一変して「赤い都」の何日かを持つべく、保護色のために私たちもせいぜい赤い顔をして赤い群集に混(まじ)り、赤い――じつは黒い――石だたみを踏んで最初の赤い空気を呼吸したのだ。mind you 私たちは現世紀を吹きまくる赤色颱風(たいふう)の中心にいるのだ。気のせいか提げている鞄まで赤くなりつつある。その重みでよろけながら、停車場の石段のうえで私は心中に絶叫した――ははあ! これが莫斯科(モスコウ)か!
“So this is Moscow, the city of hidden hopes and treasured secrecy !”
 そうすると驚いたことには、社会意識にめざめた馬車屋が社会意識にめざめた馬を駆って、たちまち私たちを包囲してしまう。
 イズポシク・ダ?
 クダア?
 ルウブリヤア・カペイカ!
 いろいろに聞える声が雨のように降る。ほんとに赤くなってそのすべてを辞退した私達は、「役人」の赤帽に「役人」の運転手を呼んでもらって政府直営の自動車(プロカアト)に避難し、政府直営の商店が並んでいるあいだを政府直営の――まあ、とにかく市中へ出た。自動車(プロカアト)がうごき出しても馬車屋が馬車を下りて追跡してくる。まけるから乗れというのだ。にちぇうぉ!
 何という高い空、なんという中世紀じみた市街、なんという緩慢な雑沓、そしてすべてが何という「無産さ」であろう! 多くの外国人を知らない住民たちが、どこへ行っても私達を見てささやきあっている。ことによるとアフガニスタンの王様がまた来たのかと思ったのかも知れない。移転した旅行局(デルウトラ)のあとをあちこち捜し歩いて、とうとうバルシャヤ・モスコウフスカヤ旅館の隣りに発見する。寝台券の取消しだ。両替は国定相場で一円が九十三哥(カペイカ)。ずいぶん虫のいい率である。が、これもにちぇうぉ!
 ホテルはバルシャヤ・リュビヤンカ街のセレクト。労農政府の法律に準拠して戸を排すると、労農政府の法律に準拠して番人(ドア・マン)が案内し、労農政府の法律に準拠して哀訴嘆願の末ひとつの部屋を貰う。すべてが労農政府の法律に準拠して動くのだ。もし法律が足らなければいくらでも拵(こしら)える。こしらえると言ったって法律や組合は金がかからないからどんどん産業的に多量製産している。このホテルだって全露移動人民宿泊便宜組合莫斯科(モスコウ)支部第何区所属で、略称セレクトフスカヤとか何とかいう実はお役所の一種に相違あるまい。無産の料理を与えられて、無産のお湯へはいり、無産の寝台に寝る。どうせいままで「略取」されて来たと信ずる「階級」の仕事だから、今度はさかんに「略取」する。無産の室代(へやだい)八留(ルーブル)。無産の牛酪(バタ)一片(きれ)――厚さ二分弱一寸四方――五十哥(カペイカ)――牛乳――とよりも些(いさ)さか牛乳に似た冷水――が一合日本の二十四銭。チョコレイト――わが国において金五十銭ぐらいのもの――が約八円。女の靴最低四十留(ルウブル)より。
 第一日の印象。そ□ぃえと・ろしあに多すぎる物、議論。すくな過ぎるもの、麺麭(パン)。
 第二日。モスコウのあけ方は眼を射るように美しい。新寺院――これはどこからでも見える――をはじめ寺々の尖塔が金に銀に青に光って、金と銀と青を溶かした陽線が室内の大鏡に反映する。そうすると平凡な国の平凡な朝ぼらけと同じに鶏と赤ん坊が泣いて、巷の騒音が油然(ゆうぜん)と唸り出すのだ。広場へでると煙草と果物の露店が並んでいる。巻煙草はべらぼうに吸口が長い。露西亜(ロシア)人は冬外套(シュウバ)の襟を立てるのでそのために特にこう出来てるんだそうだが、私の考えでは、これは例の過激派鬚(ひげ)を焼かない用心だと思う。そのほか靴墨やら野菜やらぼたんやら皮帯なんかも大道で売ってる。これらの店は儲けがほそいのでこうして個人にも許しているのだ。大通りの商店――その多くは空っぽであり、ほとんど一軒おきにあき家だが――はみんな言うまでもなく国営で、売子も番頭もここではお役人である。だから歯みがき一つ買うにも、まず政府へ願書を差し立て、何が故に歯磨きに興味を感ずるか、年齢(とし)は幾つか、既婚か未婚か既婚ならば妻もしくは夫の人物・性行・嗜好の一般、家族は何人か――各写真一葉添附のこと――共産党政府に異心なきことの証明。それに生年月日と署名、そして、もちろんほかに七人の保証人を必要とする。髪を刈るにも芝居を見るにもこの手続きを踏まなければならない――なに、ただそれほどぎごちない感じのする「労働者の天地」だといいたいだけだ。と言ったところで、個人経営の商店もあるにはある。が、許可を得るのが難しいうえに税が高く、第一その筋を商売がたきに廻してやって往けるわけがない。だから微々として振わず片っぱしからつぶれちまう。ちょうど私有財産もまんざら認めないではない、六十万留(ルーブル)までは立派にゆるしているんだが、四十万の相続税を取るといったように――。

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