死生
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:幸徳秋水 

 不幸短命にして病死しても、正岡子規君や清沢満之君の如く、餓死しても伯夷や杜少陵の如く、凍死しても深艸少将の如く、溺死しても佐久間艇長の如く、焚死しても快川国師の如く、震死しても藤田東湖の如くならば、不自然の死も却って感嘆すべきではない歟、或は道の為めに、或は職の為めに、或は意気の為めに、或は恋愛の為めに、或は忠孝の為めに、彼等は生死を超脱した、彼等は各々生死且つ省みるに足らざる大なる或者を有して居た、斯くて彼等の或者は満足に且つ幸福に感じて死だ、而して彼等の或者は其生死共に尠からぬ社会的価値を有し得たのである。
 如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断ち□(かぶと)に名香を薫ぜし木村重成も亦た僅かに二十四歳で、戦死した、彼等各自の境遇から、天寿を保ち若くば病気で死ぬることすらも、耻辱なりとして戦死を急いだ、而して倶に幸福満足を感じて死んだ、而して亦た孰れも真に所謂「名誉の戦死」であった。
 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りを克(よ)くし得たであろう歟、其中或は死よりも劣れる不幸の人、若くば醜辱の人を出すことなかったであろう歟、生死孰れが彼等の為めに幸福なりし歟、是れ問題である、兎に角、彼等は一死を分として満足・幸福に感じて屠腹した、其満足・幸福の点に於ては、七十余歳の吉田忠左衛門も十六歳の大石主税も同じであった、其死の社会的価値も亦た寿夭の如何に関する所はないのである。
 人生死処を得ること難し、正行でも重成でも主税でも、短命にして且つ生理的には不自然の死であったが、而も能く其死処を得た者と私は思う、其死や彼等の為めに悲しむよりも寧ろ賀すべき者だと思う。

     四

 左は言え、私は決して長寿を嫌って、無用・無益とするのではない、命あっての物種である、其生涯が満足な幸福な生涯ならば、無論長い程可いのである、且つ大なる人格の光を千載に放ち、偉大なる事業の沢を万人に被らすに至るには、長年月を要することが多いのは言う迄もない。
 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左((ママ))衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこそ、仏日爾(あまね)く広大に輝き渡るのであろう、孔子も五十にして天命を知り、六十にして耳順(した)がい、七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えずと言った、老るに従って益々識高く徳進んだのである。
 斯く非凡の健康と精力とを有して、其寿命を人格の琢磨と事業の完成とに利用し得る人々に在っては、長寿は最も尊貴にして且つ幸福なるは無論である。
 而も前に言えるが如く、斯かる天稟・素質を享け、斯かる境界・運命に遇い得る者は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令(たとえ)偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂苦の境に陥り、自ら楽しまず、世をも益するなく、碌々昏々として日を送る程ならば、却て夭死に如かぬではない歟。
 蓋(けだ)し人が老いて益々壯んなのは寧ろ例外で、或る齢を過ぎれば心身倶に衰えて行くのみである、人々の遺伝の素質や四囲の境遇の異なるに従って、其年齢は一定しないが、兎に角一度健康・精力が旺盛の絶頂に達するの時代がある、換言すれば所謂「働き盛り」の時代がある、故に道徳・智識の如きに至っては、随分高齢に至る迄、進んで已まぬを見るのも多いが、元気・精力を要するの事業に至っては、此の「働き盛り」を過ぎては殆どダメで、如何なる強弩も其末魯縞を穿ち得ず、壮時の麒麟も老いては大抵驢馬となって了うのである。
 力士の如き其最も著しき例である、文学・芸術の如きに至っても、不朽の傑作たる者は其作家が老熟の後よりも却って未だ大に名を成さざる時代の作に多いのである、革命運動の如き、最も熱烈なる信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、殊に少壮の士に待たねばならぬ、古来の革命は常に青年の手に依って成されたのである、維新の革命に参加して最も力ありし人々は、当時皆な二十代より三十代であった、仏国革命の立者たるロベスピエールもダントンもエベールも、斬首台に上った時は孰れも三十五六であったと記憶する。
 而して此働き盛りの時に於て、或は人道の為めに、或は事業の為めに、或は恋愛の為めに、或は意気の為めに、兎に角自己の生命よりも重しと信ずる或物の為めに、力の限り働らきて倒れて後ち已まんことは、先ず死所を得たもので、其の社会・人心に影響・印象する所も決して浅からぬのである。是れ何人に取っても満足すべき時に死せざれば、死に勝さる耻ありと、現に私は、其死所を得ざりし為めに、気の毒な生恥じを晒して居る多くの人々を見るのである。
 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私としては其当時が死すべき時であったかも知れぬ、死処を得ざりしが為めに、今の私は「偉いもんだ」にならないで「馬鹿な奴だ」「悪い奴だ」になって生き恥じを晒して居る、若し此上生きれば更に生恥じが大きくなるばかりかも知れぬ。
 故に短命なる死、不自然なる死ちょうことは、必しも嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を伴う死である、今や私は幸いに此等の条件以外の死を遂ぐべき運命を享け得たのである。
 天寿を全くするのは今の社会に何人も至難である、而して若し満足に、幸福に、且つ出来得べくんば其人の分相応――私は分外のことを期待せぬ――の社会的価値を有して死ぬとせば、病死も、餓死も、凍死も、溺死も、焚死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し嫌忌すべき理由はないのである。
 然らば即ち刑死は如何、其生理的に不自然なるに於て、此等諸種の死と何の異なる所があろう歟、此等諸種の死よりも更に嫌悪し忘弔すべき理由があるであろう歟。

     五

 死刑は最も忌わしく恐るべき者とせられて居る、然し私には単に死の方法としては、病死其他の不自然と甚だ択ぶ所はない、而して其十分な覚悟を為し得ることと、肉体の苦痛を伴わぬこととは他の死に優るとも劣る所はないかと思う。
 左らば世人が其を忌わしく恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう、即ち其恥ずべく忌むべく恐るべきは、刑に死すちょうことにあらずして、死者其人の極悪の質、重罪の行いに在るのではない歟。
 仏国の革命の梟雄マラーを一刀に刺殺して、「予は万人を救わんが為に一人を殺せり」と法廷に揚言せる二十六歳の処女シャロット・ゴルデーは、処刑に臨みて書を其父に寄せ、明日((ママ))に此意を叫んで居る、曰く「死刑台は恥辱にあらず、、恥辱なるは罪悪のみ」と。
 死刑が極悪・重罪の人を目的としたのは固よりである、従って古来多くの恥ずべく忌むべく恐るべき極悪・重罪の人が死刑に処せられたのは事実である、左れど此れと同時に多くの尊むべく敬すべく愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも事実である、而して甚だ尊敬すべき善人ならざるも、亦た甚だ嫌悪すべき悪人にもあらざる多くの小人・凡夫が、誤って時の法律に触れたるが為めに――単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということの為めにすら――死刑に処せられたのも亦た事実である、要するに刑に死する者が必しも常に極悪の人、重罪の人のみでなかったことは事実である。
 石川五右衛門も国定忠治も死刑となった、平井権八も鼠小僧も死刑となった、白木屋お駒も八百屋お七も死刑となった、大久保時三郎も野口男三郎も死刑となった、と同時に一面にはソクラテスもブルノーも死刑となった、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商鞅も韓非も高青邱も呉子胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松正安も死刑となった、刑死の人には実に盗賊あり殺人あり放火あり乱臣賊子あると同時に、賢哲あり忠臣あり学者あり詩人あり愛国者・改革者もあるのである、是れ唯だ目下の私が心に浮み出る儘に其二三を挙げたのである、若し私の手許に東西の歴史と人名辞書とを有らしめたならば、私は古来の刑台が恥辱・罪悪に伴える巨多の事実と共に、更に刑台が光栄・名誉に伴える無数の例証をも挙げ得るであろう。
 西班牙に宗教裁判の設けられたる当時を見よ、無辜の良民にして単に教会の信条に服せずとの嫌疑の為めに焚殺されたる幾十万を算するではない歟。仏国革命の恐怖時代を見よ、政治上の党派を異にすというの故を以て斬罪となれる者、日に幾千人に上れるではない歟、日本幕末の歴史を見よ、安政大獄を始めとして、大小各藩に於て、当路と政見を異にせるが為めに、斬に処し若くば死を賜える者計(かぞ)うるに勝えぬではない歟、露国革命運動に関する記録を見よ、過去四十年間に此運動に参加せる為め、若くば其嫌疑の為めに刑死せる者数万人に及べるではない歟、若し夫れ支那に至っては、冤枉(えんおう)の死刑は、殆ど其五千年の歴史の特色の一とも言って可いのである。
 観(さ)て此に至れば、死刑は固より時の法度に照して之を課せる者多きを占むるは論なきも、何人か能く世界万国有史以来の厳密なる統計を持して、死刑は常に恥辱・罪悪に伴えりと断言し得るであろう歟、否な、死刑の意味せる恥辱・罪悪は、その有せる光栄若くば冤枉よりも多しちょうことすらも、断言し得るであろう歟、是れ実に一個未決の問題であると私は思う。
 故に今の私に恥ずべく忌むべく恐るべき者ありとせば、其は死刑に処せらるちょうことではなくて、私の悪人たり罪人たるに在らねばならぬ、是れ私自身に論ずべき限りでなく、又た論ずるの自由を有たぬ。唯だ死刑ちょうこと、其事は私に取って何でもない。
 謂うに人に死刑に値いする程の犯罪ありや、死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや、古来の死刑は果して刑罰の目的を達するに於て、能く其効果を奏せりやとは、学者の久しく疑う所で、是れ亦た未決の一大問題として存して居る、而も私は茲に死刑の存廃を論ずるのではない、今の私一個としては、其存廃を論ずる程に死刑を重大視して居ない、病死其他の不自然なる死の来たのと、甚だ異なる所はない。
 無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る、生は時としては大なる幸福ともなり、又た時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない、然し死が何の事大であろう、人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではない歟。死の事大ちょうことは、太古より知恵ある人が建てた一種の案山子である、地獄・極楽の簑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである、漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之を看れば何でもないのである。
 私は必しも強いて死を急ぐ者ではない、生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、左りとて又た苟くも生を貪らんとする心もない、病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時一たび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。
 今や即ち其時である、是れ私の運命である、以下少しく私の運命観を語りたいと思う。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:19 KB

担当:undef