油絵新技法
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著者名:小出楢重 

 だから安定にして統一ある生活の美しさがあれば、画家は直ちにその生活を描くにきまっていると思う。近頃の戦争文学にしてもがそうである。世界大戦の休止して約十年の後人間はやっと戦争を芸術として味わうだけの安定を得たのである。日本では関東大地震の名画はまだ現れない。
 生活の天地人が定まらない限りややもすると、画家は天国へ志を預けてしまうことさえある。ある時代には画家はことごとく達磨と鶴と、仙人と竹石にのみ安定を発見した時もある。と同時にある時代では極端に生活を芸術の対象とした時代もある。かの浮世絵全盛期ではほとんど仙人も達磨も天からのそのそ降りて来て、ひどい達磨などは美人の裾に感じて立ち上がって踊り出したりしている。まずこれなどは生活の安定を少し通り過ぎた時代だったに違いない。
 さてこの現代の不安不統一をきわめた風俗人情を持てるわが極楽世界では、画家はどれだけ現代生活を芸術へ織り込んでいるかと思ってみるに、どうもむしろ反対にある時代に画家達が現世を逃避して鶴や、仙人、道釈人物、竹石、支那楼閣山水のみ描いて心を慰めたと同じように現代画家は生活から遠ざかって静物、裸体、地球のしわとしての山水、風景を描いているようだ。大体静物はいつの時代でも桃は桃であり、花は花である。風俗習慣を除去した裸像は常に永久にただの人間の肉体そのものであり、風景は地球の凸凹であるわけだから、そこに人工的な不統一や混乱がないので、ちょうど鶴や雲や竹石を描くのと同じ都合である。
 さて私はまた日本画の展覧会を眺めることがあるが、その描かれている世界は何かといえば、春信や春草がその頃を描いた如く、この現在の風景を描いているものはあまりない。主としてそれは過去の日本支那の風俗人物美人であり、天平であり、絵巻物は雨月物語、栄華物語、西遊記であり、肖像は平清盛であり、頼朝である。美人は多く徳川期から招待されたるマネキン嬢である。風景は信貴山縁起、信実の風景であり、大雅堂であり、点景は仙人である。たまたまピアノ弾く現代娘もあるにはあるが、その絵の様式はさても美しく仕上げられたる人形仕立てであり、清元によってカルメンとカチューシャと女給の恋を現さんとて企てたるナンセンスをさえ感じることが出来るのである。
 清元とか浄瑠璃の様式というものはまったく、現代女給や女学生の心理を表すには少々不適当なテンポと表情をそなえている如く、日本絵の様式が現代のあらゆるものたとえばビルディングの前に立てるサラリーマンの肖像を描くには折合いが悪く、強いて試みると不調和から来る笑いを観者に与え勝ちである。なおさらそれを芸術の域にまで将来することは尋常の力わざではない。バスガールと車掌の六曲屏風というものがあったら、さて別荘のどの部屋へ立てたらいいか。これならまだ油絵の様式でさえ描けばまた何とか応用の途はある。要するに結局、時代は如何に変遷しても日本画の展覧会は雲と波と鶴と何々八景と上代美人と仏像である。それでもしも日本画の展覧会を西欧都市で開催でもすると、日本に汽車はあるかと訊くところのタタミ、ハラキリ的西洋人はうっかりと東洋天国を夢想して今に吉祥天女在世の生活にあこがれ、日本人はことごとく南宋的山水の中で童子をしたがえて琴を弾じ、治兵衛は今も天満で紙屋をしているように思ってくれたりするかも知れない。そしてはるばるやって来ると富士山の下で天人がカフェーを開いているし、新開の東京にはフォーブとシュールレアリズムとプロレタリア芸術が喧嘩をしていたりするわけだから、少々ばかり驚くことだろう。
 すなわち彼らは腹立ちのあまり日本はなぜあの古き天国へ還元しないか、油絵なぞ描くのがそもそも誤りだと、さも親切らしき訓戒を与えて去って行くこともある。この訓戒こそは都会人が田舎へ行くと、誰でも一応は申してみたくなる口上である。私が西洋からの帰途上海へ上陸した折、ちょうど支那人の洋画展覧会があったのでのぞいてみた。するとほとんど拙いものはかえって支那的な感じを持っていたが少々出来のいいのは大概日本の帝展風だった。何故帝展と同じものを描くのか、支那にはもっと支那らしい……と例の口上がいってみたくなったが、さて私はこの口上だけは軽々しくいうべきものではないと思った。支那の若い作家はまた彼らの天国を勝手自由に求めているのだから、いらない世話はしない方がいい。
 さて、若き力ある西洋画家が最新の技法を将来して日本の土を踏むや、彼らは大概一年間はどうしようかを考える。その折角の最新芸術様式によって日本の何者を生かそうかと考える時、生きそうな何者も容易に発見出来ないことがある。古い伝統の上にようやくと重なり重なって統一せるパリの都会とその生活の落着きと、美しさの上に立って動く芸術の様式であり、その様式によって直ちに写し出すことの出来る人間生活、日常風景、都会雑景である。例えばモンマルトル辺りの古びた家並と鎧窓の続くパリの横町と、フランス的な横文字の看板の美しい配列に陶酔せるユトリロふうであるとしても、日本現代の都市へ帰朝すれば、八階のビルディングの下に下駄の如き長家が並び、アッパッパ、学名ホームドレス着用の草履をはいた奥様と女中の点景と、仁丹と福助足袋の広告は、画面構成上少々勝手が違い過ぎはしないか。ここに一年や二年は如何にあのアッパッパと仁丹を表現すべきかについて考えた結果、落胆と、失望と、不勉強と、生活難はどしどしと攻めよせてくる。
 といった悩みはざらにある。すなわち東洋回顧を始めて立体と調子と厳格なる写形的技術をもって障子と襖とかたびらの爺さんを描いてみると、釣り鐘で提燈の風情を現す位の牛刀の味を示す。
 すなわち日本画家が現代生活相を怖れる如く西洋画家も現代生活の諸相を避けて、彼らは永久に地球のしわであるところの山水を描き、永久に人間であるところの裸体の安定を描き、常に新鮮なる食慾を放散するところの菜果を描いて画面に統一をつけているように思える。だから展覧会ではどうも現代肖像画のいい作品が少なく風俗画が絶無でありがちである。
 しかしながら油絵は写実を基礎とするが故に、如何に回避しても現代的風景は人物に静物に、風景に必ず織り込まれて来ることは避け難い。東洋画の如くうるさいところは空白として金箔で埋め、動物園の鶴を雲上に飛ばすだけの自由が技法的にも許されてはいないのである。その背景である現代世相を如何に処理するかの見当が合理的に発見された時に、初めて油絵の技術は日本的に成長して行くのではないかとさえ私は思っている。
 もしもマチスとピカソを招待して一カ月ばかり牛込あたりの下宿屋へ美校学生とともに下宿させたとしたら、彼らはあの世界有数の技術と立体感を如何に発揚するか見ものだろうと思う。煙草盆と机と、茶色の壁紙と雨漏り地図と、桃三個並べて、日本における画家の生活をしみじみ考えるであろうかどうか。私はピカソでないので一向見当がつかないが、一度招待して描かせてみたい。案外日本の画家の方が下宿で制作するコツをよく知っていてうまいかも知れない。
 近頃面白いことには絵画材料店に静物用の壷とバック用のインド更紗の安いイミタシオンと、果実を並べる台等を売っていることである。かくしてまでも西洋館の背景を造る必要もなさそうだが、下宿屋の二階ではまったくその人体と静物の背景には困るだろうと思う。これは同情すべきである。今に裸女用マチス型ソファー、バッグ、シーツ、枕、一組何円のセットが現れ帝展風、二科御用静物セット、裸女兼用といったものが安価で売り出されるかも知れない。
 しかしながら日本の現代は必ずしも左様にセットを用いなくとも今や何パーセントの日本人はベッドと洋室とパジャマで寝ている。かえって私は純日本的な日本髷の裸女と背景が一〇〇号の力作で現れたらむしろ嫌らしいと思う。臥裸婦というわけのわからぬ名題によって、船底枕に友禅の掛布団、枕もとに電気スタンド、団扇、蚊やり香、しかしてあまりの暑さに臥裸婦となった光景ははなはだ生活的だから描いてみてもいいわけだが、さてこれはあまりにも日本人の伝統が第何感を刺戟せずにはおかない。あまりにもぴったりするところのものである。
 ところでソファーとか寝台は部屋の装飾であり、人に見せて多少自慢とする傾向あるものである。そこでソファーの上の人体、寝台上の臥裸婦は日本の閨房程の感じを現さないですむところに、背景としての使用に適当しているという点がある。現れていいものが現れているのだから当然であるが、日本の枕は隠しておくべきものが現れるのだからはなはだ恐縮である。
 現れたる水泳着の足をさっぱりと観賞し得るが、隠されたる裾からの一寸の白い足は驚くべきものを放射する。
 とにかく私なども私自身が洋室に起臥している関係から、裸女は必ず西洋的背景を使っているが、それもまた現代日本の生活であり、また画家としては画家の生活でもあるのだと私は考えている。そして要するに裸女の永久の腹と乳と尻とを描けばいいのである。
 とにかく現代の生活は、日本画家にも西洋画家にも描きづらいものであるらしい。したがって風俗画はことに発達しない傾向がある。もし完全にどの日本の一角を切り取っても必ず絵になるという画家があったら、それは充分なる漫画家であらねばならぬ。あるいはブルジョアがタイピストを膝に乗せて往来を行く汗だくの兵隊の行列を眺めている光景を描くかも知れないところの傾向的画家であるかも知れない。私はもし技術さえ確実であるならば、傾向的作家のうちから現代日本の風俗画のいいものが生まれるかも知れないとさえ思うことがある。




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