油絵新技法
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:小出楢重 

 学校や研究所は自分達ちの工場と考え、お互が励み合いお互で批評し合い、賞め合い、悪口をいい合い、或は自分を批判し尽して以て満足していたものであった。
 初めて文展が出来た時、私達ちは何も知らずに暮していたが、多少大人びた者共は、ひそかにお互の眼を掠めて作品を持って先生達ちの内見を乞いに伺うものが現れた様だった。左様な所業は何かしら非常な悪徳の一つとさえ見做されていて、敢えて行うものは、夜陰に乗じて、カンヴァスを風呂敷につつみ、そっと先生の門を敲くと云った具合であったらしい。又学生の分在であり乍ら文展に絵を運ぶと云う事は少年が女郎買いすると同じ程度に於て人目を憚ったものである。或は、むしろ、女郎買いの方は憚らなかったとも云えるが、文展出品は内密を主んじる風があった。
 私などは、殊の外恥かしがり屋の故を以てか、浅草や千束町へは毎晩通っていたが、文展へ絵を出す如き行為は決してなすまじきものであると考えていた事は確かである。そして吾々はそれによってある気位いを自分自身で感じていたものだった。先ず鞭声粛(シュク)々時代と云えば云える。東洋的大和魂がまだ吾々の心の片隅に下宿していたと云っていいかも知れない。
 その私達ちの学生時代からたった十幾年経た今日、時代は急速に移って、鞭声粛々とは何んですかと訊ねられる事に立ち到った。今に大和魂と云った位いでは日本でも通じなくなる時代が来ないとも限らない。
 勿論、画学生は数から云って、今とは到底比較にならない少数のものが、本当に苦労して勉強していたものであるが、私達ちの時代よりもっともっと以前にあっては、全くこれは話にならない処の苦労をなめた処の少数にして真面目な研究者があった訳であろう。然し、嫌な奴も存在したであろう。
 目下芸術教育は盛んに普及し、一般的となり大衆的となりつつある。従って、どれが専門の画学生やら、アマツールやらさっぱり判らぬ時代となって来ている。田舎の図画の教師達や図案家、名家の令嬢、妻君、女学生、会社員、あらゆる職を他に持っている人達の余技として、絵画が普及し、隆盛になりつつある様である。
 それは真とに日本文化の為めに結構な事であるが、それだけ一般化され、民衆化され、平凡化されて来た芸術の仕事の上に於ては、従って往時の画家の持っていた処の大和魂とも申すべき画家の気位いが衰弱して行く情けなさは如何ともする事が出来ないのである。そしてただ、一寸、入選さえ毎年つづけていれば、それで校長と親族へ申訳が立つと云う位いの、安価な慾望までが普及しつつあるかの如くである。
 お引立てを蒙る、御愛顧を願う、と云う文句は米屋か仕立屋の広告文で最早や無いのである。芸術家は常に各展覧会に於て特別のお引立てと御愛顧を蒙らなければならないが為めに、年末年始、暑中は勿論、かなりのはがきさえも用意せねばならない時代である。そうしなければ、この文明の世界に絵描きは立っても居ても居られないと云う場合に立ち到っているかの如くである。
 従って近頃位い、各先輩や審査員の家へ絵を持って廻る画学生の多い時代はかつて無いと云っていいかも知れない。
 批評を受けることは必ずしも悪い事では無いが、それが単に絵の批評だけであるならいいが、或はそれ以外の点に目的がある如き頗るややこしい場合がかなりあるのである。
 とに角一度審査員の目に触れさせて置く必要があると云う考えから、無理やりに見せにくると云う事が無いとは断言出来ない事を私達ちは感じる。その証拠に、この絵はよくないから駄目だと考えますと云った筈の絵が矢張り出品されている事も多いのである。
 ひどいのになると、頼み甲斐ある先生のみを撰んで一つの絵を持ち廻っている人達ちさえあるものである。そして、悉く内意を得て置くと名誉にありつき易いと云う考案である。
 それを吾々が何も知らず、うっかりと、時間を捧げて苦しい思いを噛み殺し乍ら正直に何とか批評をさせられる訳である。後に到ってその男が各人の玄関へ立ち現れたと聞くに及んで私達は淫婦にだまされたよりも尚お更らの不愉快を感じる事屡々である。それらの人種を私達は廻しをとる男と呼んでいる。
 全く、近代世相に於ける人の心は単純なる大和魂では片づけられない。今の時代にそんな野暮な事は流行しませんよと云われれば全くそれまでの話である。廻しをとる位の事は全くの普通事だと云えば左様らしくもある。中元御祝儀と暑中見舞と、相変りませず御愛顧を願わなければ全く以て、食って行けない時代であるかも知れない。然し乍ら、左様に苦労してまで描かねばならぬ程、面白い油絵であり且売れる見込みのあるべき油絵ではあるまいと思うのだが。
 私は秋の季節になると近頃よくこんな事を考えさされるのである。

   洋画ではなぜ裸体画をかくか

 私の考えでは、人間はお互い同士の人間の相貌に対してことのほか美しさを感じ、興味を覚え強い執着を持ち、その心を詳らかに理解するものであると思うのです。
 それは何しろわれわれは同類でありますから、私達が犬や馬や虎や牡丹やメロンやコップや花瓶や猫の心を理解し、その形相を認めることが出来るより以上によく認め理解し得るものであると思うのであります。
 よく判り、よく理解出来、その相貌の美しさを詳細に知ることが出来、強く執着するが故にその美を現そうとする心もしたがって強く、その表現も簡単なことではすまされないのです。欲の上に欲が重なり、ああでもないこうでもないところの複雑極まりなき表現欲が積り、何枚でも何枚でも描いてみたくなるのであります。
 要するに同類である人間の構成の美しさを知り、それに執着することは一つにはわれわれの本能の心が助けているのでありましょう。本能が手伝うから花鳥山水に対するよりも今少し深刻であり、むしろどうかすると多少のいやらしさをさえ持つところの深さにおいて執着を感じるのであります。
 したがって裸体、ことに裸女を描く場合、あるいは起こりがちな猥褻感もある程度までは避け難いところのものであります。しかしそれは伴うところの事件であって、主体ではないのです。喰べてみたらと思う者がいやしいのでしょう。またたべたらうまそうにのみ描く画家もいやしいでしょう。
 春信や師宣の春画も立派な裸体群像だと私は考えていますが、猥感を主体としているために人前だけははばかる必要があるのです。
 すなわち西洋画のみに限らずインドの仏像もギリシャの神様もロダン、マイヨール、ルノアールも、南洋の彫刻も師宣や春信も、裸体の美をしつこく表現しています。
 しかしともかく私は自動車や汽車の相貌、花瓶や牡丹やメロンや富士山の相貌より以上のしつこさにおいて裸体ことに裸女の相形に興味を持っています。
 その他に画家の勉強の方法として、これは西洋画に限って裸体を描きます。
 それはデッサンや油絵の習作のためには裸体が、毎日毎日の練習にはもっとも適当であり便利であるためでしょう。それはきわまりなき立体感やその剛軟、微妙な色調とデリケートな凸凹と明暗の調子、そして決してごまかし得ないところの人体の形の構成をことごとく表現し描き出すことは、もっとも困難な仕事とされています。したがって裸体習作の困難は、写実を常に本領とするところの油絵の基礎工事であります。それは画学生の初学から一生涯つきまとうところの基礎工事であり難工事でありましょう。
(「美術新論」昭和四年六月)
   挿絵の雑談

 よほど以前の事だが、宇野浩二(うのこうじ)氏が鍋井(なべい)君を通じて自分の小説の挿絵(さしえ)を描いて見てくれないかという話があった。自分は挿絵を全く試みた事がなかったが挿絵というものには相当の興味を持っていたし、小説家と自分とが知り合って共同出来る場合には殊(こと)に仕事もしやすいので、いつか描いて見てもいいといって置いた事があった。ところで最も困る問題は、私が常に東京にいない事だった。大概の小説が東京を中心として描かれているのだから、私が関西にいては、その日その日の原稿の往復に、どれだけ手数を要するか知れない上に絵を作る上からでも、例えば、誰れでもが知っている銀座のタイガアを道頓堀(どうとんぼり)の美人座でごまかして置く訳には行かない。
 新聞小説なら、原稿が三、四十回分でもすでに出来上ってさえいてくれたら、私がしばらくの間を東京で暮して仕上げてしまえば出来る訳であるが大概の場合、長編の原稿は、その日その日、一回分ずつ画家の方へ廻されてくるのであるから、到底地方に居据(いすわ)っていては出来る仕事ではないのであった。
 そんな事や何かで、ついそのままになっていた処が、突然私は大阪朝日から邦枝完二(くにえだかんじ)氏の「雨中双景」の挿絵を頼まれたので、時代ものは背景の関係も尠(すくな)いし、居据っていながら描けるので、つい引受けて見たのが挿絵を試みた最初だった。次に最近再び邦枝氏の「東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)」を描く事になった。
 それから現在の谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)氏の「蓼(たで)喰(く)う虫」だが、これは谷崎氏が私の家から近いのと、背景が主として阪神地方に限られている点から私は引受けても大丈夫だと考えた。
 挿絵を試みようかという心になった因縁が宇野氏にありながら、そして最近再び話が宇野氏との間に持ち上ったのだが、それだのに氏のものをまだ描く機会がないのも妙な因縁である。
 私自身が小説を読む場合、勿論私は絵かきの事だから私の心に絵かきとしての想像が浮び過ぎるためかも知れないが、どうも挿絵があまり詳細に事件や主人公や風景を説明し過ぎて実感が現れ過ぎていると、私はかえって私の心に現れて来るものを大変邪魔される事が多いので、かえってむしろ挿絵がなければいいと思う事さえある。小説は三面記事ではないのだから、事件や人物をさように詳(つまびら)かに説明する事はいらない事だと思う。それで私は小説によって私自身の心に起った想像の中から絵になる要素をなるべく引出して正直に絵の形に直して皆さんへ伝える事に努力したいと思う。そして挿絵は挿絵として味(あじわ)い、小説は小説として味い得るようにしたいと考えている。要するに挿絵は小説の美しき伴奏であればいいと思う。なお新聞の紙面が、それあるがためにより美しく見え、小説が賑(にぎや)かに見え、小説のある事件が画家の説明によって読者の心を縛らないようにしたいと思っている。
 私の貧しい経験では、時代ものは相当の参考資料さえ整頓(せいとん)すれば絵を作る事は比較的容易であると思うが、現代ものになるとモチーフの万事が実在の誰れでもが知っている処のものであるから相当の写生が必要であり、同時に写生そのものは挿絵ではないので、それを絵に直す処に画家の興味があり、実在が挿絵と変じて現れるまでの段階と手数に、かなりの興味が持てるのである。
 そしてその画稿が紙面に現われた時の感じというものは、また別の趣きを現すものである。下絵の時に気附かなかった欠点が紙面に現れてから目立つ時もある。ちょっとした不満な点を見出(みいだ)すときその日一日私は不愉快である。
 しかしながら挿絵は普通の油絵の如く、一人一枚の所有でなく、一枚が何万枚となり各人が悉(ことごと)く所有し得る事なども、挿絵の明るき近代的な面白さである。
 挿絵は、新聞の紙質や製版の種類についても考える必要があると思う。目下の、日本の新聞紙の紙質では、どうも網目版がうまく鮮明に現れにくい。絵を線描のみでなく淡墨(うすずみ)を以て調子づけたりする事も結構だが、どうも鮮明を欠く嫌いがある。最も朝刊の小説の方では挿絵の画面が三段位いを占領しているから相当がまん出来るが、夕刊の二段ではどうも網目版は見劣りがするし、上方の写真ニュースや広告と混同してしまって引立たない。
 それで、私は主として線のみを用いて凸版を利用し黒と白と線の効果を考えている。
 挿絵としては、詳細な写実を私はあまり好まないが、それは写実がいけないのでなく、下手な写実から起る処の不愉快な実感の現れを私は嫌がるのである。本当の意味の写実は最も必要で、その写実が含まれていない限り、人の想像を豊(ゆたか)にする事は出来ない。大体、従来の日本画風の挿絵家等の作品は共通して実感はあっても写実が足りないので何か頗(すこぶ)る薄弱な存在となってしまっているのを見る。その時に際し石井鶴三(つるぞう)氏のものが大変よく見えたのは、彫刻家であるだけ、デッサンの正確さによって立体感までが現れてよき意味の写実によって絵が生きた事などが原因しているといっていいと私は思う。
 しかしながらまた、よほど以前の浮世絵師の手になる挿絵に私は全く感心する。人物の姿態のうまさ、実感でない処の形の正確さ、そして殊に感服するのは手や足のうまさである。昔の浮世絵師の随分つまらない画家の描いた絵草紙類においても、その画家の充分の努力を私は味(あじわ)い得るのである。そしてかなりの修業を積んでいると見えて、その形に無理がなく、そして最もむつかしい処の手足が最もうまく描きこなされている事である。
 手足のうまさの現れを私は昔の春画において最も味い得るものと思う。あれだけの構図と姿態と手足を描くにはちょっとした器用や間に合せの才能位いでは出来ないと思う。かなりの修業が積まれている。
 挿絵のみならず、油絵や日本画の大作を拝見する時、その手足を見ると、その画家の技量と修業の深浅を知る事が出来るとさえ私は思っている。かく雑然と書いていると長くなるので擱筆(かくひつ)する。

   画室の閑談

     A

 京都、島原(しまばら)に花魁(おいらん)がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁はミュゼーのガラス箱へ収められてしまわなければならぬ。しかし、花魁は亡(ほろ)んでも女は決して亡びないから安心は安心だ。
 芸妓(げいぎ)、日本画、浄るり、新内(しんない)、といった風のものも政府の力で保護しない限り完全に衰微してしまう運命にありそうな気がする。
 油絵という芸術様式も、これから先き、どれ位の年月の間、われわれの世界に存在出来るものかという事々を考えて見る事がある。如何に高等にして上品な芸術であっても人間の本当の要求のなくなったものは何によらず、惜(おし)んで見てもさっさと亡びて行く傾向がある。
 大体、人間が集って、何となく相談の上芸妓を生み出し、人間が相談の上、浄るりを創(つく)り、子供を生み、南画を描き、女給を生み、油絵を発明させたように思われる。油絵が岩石の如く人間発生以前から存在していた訳ではない。
 全く、如何に花魁は女給よりも荘厳であるといっても、我々背広服の男が彼女と共に銀座を散歩する事は困難だ。今やすでに、現代の若者が祇園(ぎおん)の舞妓(まいこ)数名を連れて歩いているのを見てさえ、忠臣蔵の舞台へ会社員が迷い込んだ位の情ない不調和さを私は感じるのである。
 この芸術こそ再び得がたいものであるが故に保存すべきものだと話しが決った時、その芸術は衰微甚(はなは)だしい時であると見ていいと思う。父を一日も永く生かしてやりたいと願う時、父は胃癌(いがん)に罹(かか)っている。
 何々の職人は広い東京にたった一人、京都に一人、平家物語りを語り得るものは名古屋に一人、芸妓は富田(とんだ)屋、花魁は島原、油絵描きはパリに幾人にしてそれでおしまいという事にならぬとは限らない。
 最近、最も景気がよくて盛んな国、アメリカにどんな画家が輩出しているのか、寡聞(かぶん)な私は知らないのである。アメリカでは映画と広告美術があれば事は足(た)っているかも知れない。また従って優美な美術家を今更自分の国から出そうとも考えていない如く見受けられもする。彼らは最早や油絵芸術を骨董品(こっとうひん)と見なしているのかも知れない。そしてアメリカ人は、支那の古美術と古画と浮世絵を以(もっ)て彼らの美術館を飾ると同じ心を以てパリの近代絵画の信用あるものを選んで買い込んでいる。先ず最も新らしい、現代らしい頭のいいやり口だといえばいえる。しかしながら万事金の力で不足を補う処の何だか下等にして憎さげな態度はしゃくにさわるけれども、アメリカという国は急に衰微するとは思えない。
 とにかく、政府や富豪の力で保護しなければ衰えそうな芸術は、何んと霊薬を飲ませて見た処で辛(かろ)うじてこの世に止(とど)め得るに過ぎなくなるにきまっている。従ってその最盛期におけるだけの名人名工はその末世にあっては再び現われるものでない。ところで油絵芸術はまだ末世でもあるまいと私の職業柄いっておかなければ都合が悪いけれども、本当の事は、私にはわからない。

     B

 この間、私が見た芝居では、天王寺屋兵助という盲目の男が五十両の金故(ゆえ)に妻を奪われ、自分は殺され、まだその他にも人死にの惨事が出来上(できあがっ)たようだった。全く人間の生命も金に見積るとセッターや、セファード、テリヤよりも案外安値なものである。
 絵描き貧乏と金言にもある通り、その一生といってもこれは主として私の一生の事だが、それを金に換算すると随分安い方に属していると思う。
 酒は飲めず、遊蕩(ゆうとう)の志は備わっているが体力微弱である私は、先ず幸福に対する費用といえば、すこぶる僅少(きんしょう)で足りる訳である。たとえば散歩の時カフェー代と多少のタクシと活動写真観覧費とレストウランと定食代位のものかと考える。職業柄の材料費というものは案外素人の考えるほどにはかからぬものである。
 またさように資本をこの方面につぎ込んで見た処で、その多量な生産を誰れが待っているという訳のものでは更にない。徒(いたず)らに押入れの狭さを感じるわけである。
 先ず一年のうちに四、五枚の点数がそろえば秋の二科へ出すだけの事である。そして仲間うちの者たちのために、いいとか悪いとか、いわれてしまえば用は足る都合になっている。ほめられたからといって、どう生活がよくなる訳でもなく、悪口されたといって失職するものでもない。
 やがて秋の季節が終りを告げる時、額縁代と運送費を支払えば一年の行事は終る。先ずこれ位の事が辛うじて順調に繰返し得るものは幸福だという事になっている。
 宗右衛門町のあるお茶屋では、一ケ月千円以上の支払あるお客への勘定書(かんじょうがき)には旦那(だんな)の頭へ御の一字をつけ足して何某御旦那様と書く事になっている。その御旦那様の遊興費にくらべても画家の生涯はばかばかしくも安値である。
 一台の機関車、一台の電車、一台のバスキャデラク、飛行機を見てさえも、これは俺(おれ)の一生よりも少し高い、これは絵描き何人分の生活だ、という浅間(あさま)しき事を考えて見たりする。たまたまわれわれの一生よりも安価な品物や、天王寺屋兵助を見るに及んで何となき愛情を私は感じる。
 もしも、人間としての体格が立派で、生活力が猛烈で、人間の味(あじわ)い得るあらゆる幸福は味って置きたいという、そして大和魂(やまとだましい)というものを認め得ない処の近代的にして聡明(そうめい)な絵描きがあったとしたら、絵画の道位その人にとって古ぼけた邪道はないかも知れない。

     C

 私は最近、二科の会場でパリ以来久方(ひさかた)ぶりの東郷青児(とうごうせいじ)君に出会った、私は東郷君の芸術とその風貌(ふうぼう)姿態とがすこぶるよく密着している事を思う。なお特に私は彼自身の風貌に特異な興味を感じている。そしてそれは、最も近代的にして、色の黒い、そして何処(どこ)かに悪の分子を備えている処の色男である事だ。私はあれだけの体躯(たいく)と風貌と悪とハイカラさと、芸術とを持ち合せながら本人の出演を少しも要求しない処の絵画芸術に滞在している事を甚だ惜んで見た。甚だ御世話な事ではあるがと思っていたが。

     D

 私は絵を描く事以外の余興としてはスポーツに関する一切の事、酒と煙草(たばこ)と、麻雀(マージャン)と将棋と、カルタと食物と、あらゆる事に心からの興味が持てない。ところでただ一つ、何故か気にかかるものは活動写真である。それで、映画は散歩のついでに時々眺める事にしている。近来、日本製のものがかなり発達したという話だが、私は以前二、三の日本映画を見て心に恥入ってしまってから、まだ当分のうち決して見ない事にしている。
 しかし、その西洋のものといえども、私の健忘症は見たものを次から次へと忘れて行くが、私はアドルフマンジュという役者を忘れ得ない。私は彼のフィルムは昔からなるべく見落とさぬように心がけている。
 私は彼が「パリの女性」に出て成功した以前、随分古くから至極つまらぬ役において、現われているのをしばしば見た。随分嫌味(いやみ)な奴だと思っていたが、また現れればいいと思うようになり、その嫌味な奴が出て来ないと淋しいという事になって来た、幸いにも彼は出世してくれたので、私は遠慮なく彼の嫌味に接する事が出来る事は私の幸いである。
 も一つ、私は欧洲大戦以前、チャップリン出現以前における、パリパテー会社の喜劇俳優、マックスランデーを非常に好んでいた。私はかなり、むさぼる如く彼のフィルムを眺めたものだった。彼の好みは上品で、フランス人で、色男で、そして女に関する上品な仕事がうまかった。その点マンジュに共通した点がある。
 ところが欧洲の大戦によって彼の姿を見失って、チャップリンの飛廻るものこれに代った。
 その後、ふと私はパリでマックスが復活せる力作を見るを得て、私は心の底から笑いを楽しむ事が出来た。最後に、私は日本で、彼の「三笑士」を見たが、間もなく彼は死んでしまった。多分それは自殺だと記憶する。
 とかく生かしておきたい者は死んで行く。

   構図の話

 構図は絵を作る上においてもっとも重大な仕事である。自然を写すことは絵の第一の仕事ではあるけれども、自然そのものはすこぶる偶然なものであり、すこぶる無頓着に配列されているものである。
 そこでその偶然と無頓着な自然全部を、無選択に一枚の限られた画面へ盛ることは出来ない。そこでその現そうとする画面へ、その自然のどれだけを都合よく切り取り、どんな具合に配置すれば形もよく、見てすこぶる愉快であろうかを考えなくてはならない。そこでまずわれわれは自然に向かうと同時に構図を考えなくてはならないのである。
 ところでその無頓着である自然は、また自然と偶然と無頓着とによって、すでに複雑にして美しい無数の構図をこの地球の上に構成しているといっていいと思う。われわれ画家はその自然が構成する構図のすこぶるよろしき一部分を小さな自分の画面へ切り取って頂戴すればいいのである。その切り取り方と画面への配置の方法が問題である。まず初学者としてはこの方法によって画面の構図を定め、しかる後はただ写実であると思う。
 それ以上初学者が構図ばかりを気にかけ、構図のために構図をするようであってはかえって面白くないと思う。一草一木さえ写す技能なしにいたずらに画面の構図ばかりを気に病んで、勝手気ままに自然を組みかえてみたり樹木をかえたりすることは、人間の顔が気に入らないからといって口を目の上へおきかえる位の間違いを起こすおそれがある。
 これは絵の構図ではないが、人間もまた偶然に出来た自然物ではあるが、その生きるという必要上、種々雑多の諸道具類が実に都合よく完全に備わり、格好よく構成されているようである。それでもわれわれはかなりうるさく、あれは美人だとか、拙い面だとか、可愛いとかヴァレンチーノだとか勝手な批評をするのが常である。これも偶然に出来たところの構図を、いいとか悪いとかいって批評するわけである。
 人間は、神様が作ったといわれている人間の顔でさえ左様に文句を並べて、少しでもいい構図を求めようとするのである。よい構図は人の心を愉快にし、安心、安定を得さしめるものである。
 そんなに人間は、人間の面の批評をするが、まず大体において、人間の構成はよく出来ているものであると私は思う。もし人間をわれわれがはじめて造り出さねばならないものだったら、その組立てについては随分まごつくことだろうと思う。そして案外不便でかつ、可笑しな形のものを作り上げて笑われるかも知れない。
 まずいろいろと文句はいうがその目鼻を移動させることはかなりの危険が伴うからやらない方が安全であると私は思う。そして充分自然を愛し、自然に頼ることが安全だと思う。自然は無頓着であるからしたがって千差万別である。一つとして同じものが作られていない。ところで人間のやる仕事は、何に限らず事を一定したがっていけない。今や人の顔はヴァレンチーノが流行だといえば皆ヴァレンチーノとしてしまうかもしれない。だから人間を作ることを人間に任せておいては同じ型ばかり作りたがる故に危険である。結局一平凡なる無数の顔が製造されて、人間は退屈してしまわなければならない不幸が現れる。
 私はしたがって変化ある面白い構図は、自然をよく観察し自然にしたがってよき選択をするところから生じて来るものであると考える。
 今一枚の風景画を作ろうとする。一○号というカン□スを持ち出す。自然の全体を一○号へ全部残りなく描き込んでしまうことは人間わざでは出来ない。われわれは自然のごく一部分を、この一○号という天地へ切り取って嵌め込まなければならないのである。
 ここで自然の中から、自分が見て愉快であるところの図柄を探し出す必要が起こって来る。すなわち構図で苦労することになるのである。
 例えば富士山と雲と、樹木と人家と岩とが画面の中央において縦の一直線となって重なり合ったとしたら、いかにも図柄が変だと、誰の心にも感じられるのである。こんな場合画家は歩けるだけ歩きまわって、富士山と樹木と雲と人家と岩とが何とか相互によろしき配置を保つように見える場所を探さねばならないのである。
 またあるいは、画面の中央において横の一直線へ山と人家といったものが並列しても可笑しなものである。
 また同じ距離の辺りに、同じ高さの木と家と人と山とが横様に並び空と地面がだだ広く空いているということも不安定である。
 こんな場合、風景の中を選択のために走り廻ることが面倒臭いからといって、いい加減のところへいい加減の木を付け足してみたり、でたらめの人物を描き添えてみたりする人もあるが、これはよほど熟達した人でない限りは大変危険である。人間の顔の道具を勝手に置きかえて化物とするようなものである。私はどこまでも自然の構成そのものからよき構図を発見してカン□スへ入れるということが、一番安全であると思う。
 それではよき構図とはどんなものかというのに、それは一概にもいえないが、大体それは人間の五体が美しい釣合を保っている如くうまい釣合が一つの画面に保たれることがよろしいのである。
 まず人間の五体を見るのに、その顔においては、左右に均しい眼がある。ただ眼が二つ左右にあるだけは喧嘩別れのようでいけないからといって、鼻が両者を結びつけている。それだけでは少し下方が空き過ぎるところから、口をもって締めているのである。両眼の上と鼻の下にはまゆとひげが生じて唐草の役目を勤めている。まったく顔はよき構成である。
 次に胴体である。再び左右のシンメトリーを保つ美しい半球の乳房である。その上にある二つの桃色の点である。それから腹である。もしあの腹に臍という黒点がなかったらどうだろう。あの腹は大きな一つの袋とも見えて随分滑稽なものだろう。その下では線が集まって美しい締りをつけてある。次に両足だ。これがまた中央は垂直線、外側が斜線である。下へ降りる途中があまりに長いからというので膝においてよろしき位のアクサンがある。それから両足となって地上に落着くものである。五本ずつの指ともなる。このよろしき構成はあらゆる絵の構図のよい手本であり、相談相手ともなりはしないだろうかと思う。
 よき構図は左様に人間の五体の釣合の如く、樹木の枝の如く、音律のよき調和の如く、美しい縞柄の如く、画面の上にすこぶるよろしく保たれたところの明暗と物と物と、色と色と、形と形と線と線とのもっとも都合よきリズムの調和であらねばならない。
 したがって右方ばかりへ主要なものが集まり過ぎたり下へものが下がり過ぎたり、右と左に同じものがあって、それを連絡すべき何物もなかったり、上方が重過ぎたり、画面の真中へすべてのものが集まり過ぎたり一方ばかり明る過ぎたり竪にものが並び過ぎたり、また風景としては空が一つも見えなかったりすることはいけない。
 また半分からちぎれたような図柄なども不安である。例えば活動写真の場合でも、どうかすると写真がガタリと半分下へ落ちてしまってつぎ目が幕面へ現れることがある。そんな場合、チャップリンの顔が下に現れ上方から足と靴とが下がっているという構図である。われわれは早く直してもらいたいと思う。われわれは不安でたまらない。
 こんな構図を、初めて絵をかく人はしばしば作ることがある。まさか足を上へ描くことはないが、人物を妙に半端なところから半分画面へはみ出したようにかくことがよくあるものである。

 静物の構図も風景と大差はない。その原理は一つであるが、静物は自然とは違って、その構図はよほど人工的に工夫の出来るものである。すなわち静物は器物、花、果物、椅子、テーブルといったところの財産でいえば動産であるからいかようにも動かすことが出来るのだ。ところでこれはあまりに人間の自由になり過ぎるためにかえって災いを招き、いつも一定して変化あるよき構図が得られないことになったり嫌味なわざとらしい構図が出来上がるものであるから注意せねばならない。われわれはなるべく静物写生のためにわざわざ机を飾ってみたり、ちゃぶ台の上へギターをのせてみたりすることはどうかと思う。それよりも私は自然にとりちらかされた室内の情景に偶然よき構図やモティフを発見する方がよいと思う。構図のために構図を作ることはどうかすると嫌味を起こさしめる。
 写生による風景や静物以外、大きな壁画であるとか、あるいは何百号への大作などする場合、たんに自然の一角を切り取って嵌め込むだけでは絵はまとまらない。
 そこで何人かの群像や風景および草木、花鳥の類をばいかに組み合わせいかに配置するかが大作としては重大な仕事となってくる。しかしこれは初学者にはあまり用事のないことであるが、西洋などでは大作の用意のために、研究中にとくに構図のみの研究のために多くのタブローを画学生は作っている。日本では壁画の需要が殆どない上に建築との関係上、大作が流行しなかった傾きもあり、その上印象派の写生による小味専門というべき絵が永く日本を占領していた関係上、あるいは絵画の技術がまだ自然に向かっての写実を勉強するところの初学の道程に止まっていたために、構図の研究ははなはだ画家の間にも怠られがちであったと思う。画家が多くの材料によって一つの大作をまとめるためにはまず構図は第一の条件であり最後の効果をも与えるものである。(「アトリエ」昭和二年一月)
   真似

 落語家が役者の声色を真似ますが、真似ることそのものがその芸当の目的でありますから、その声色なり様子なりが、真物らしく出来た時にはその芸術の目的は達せられたわけです。
 真似はいつまで経っても真似であって、真物ではありません。真物になっては面白くありません。
 上手な声色を聞いていると、まったくその舞台の光景を思い出してぼんやりとしてしまいます。そしてそれに似させてくれている落語家が大変有難い人のように思われて来ます。その労を謝したい気になります。ついにはその落語家が好きになってしまいます。
 私はよくこんなに真物らしくやれるものならいっそのこと役者になってしまえばどうかと、考えることがありますが、しかしこれは似させるという技術が面白いのであって、真物にうっかり転職してくれては大変です。蓄音機はやはり機械であることが有難いのです。蓄音機が呂昇になりきってしまってはもう何もかも台なしです。
 人間以外のものでも、真似るということに大変興味を持っているものがあります。狐が美人の真似をします、狸が腹鼓みを打ちます、ある種の鳥類は誰でも知っている通りいろいろの声色を使います。その他、猿あるいは人間でも猫八氏などは素晴らしいものです。
 狸などは昔は鼓の真似事をやったものですが、最近は科学文明の影響を受けて彼らの芸当も変化を来たしました。
 私の知人の家の庭に住む狸は昼の間に聞いておいたいろいろの音響をば夜中になってから復習するそうです。オートバイの爆音、自動車の音などはなかなか上手だといいます。
 オートバイの音は騒々しい嫌な音響でありますが、狸がこの音を真似ると、聞き手は何ともいえない雅味を感じるのです。狸の個性の現れだろうと思います。狸自身も真似る興趣というものを本能的に感じているのでしょう。
 人間も猫八はじめ芸術家達などもいろいろの真似をします。真似は昔から芸術には深く悪縁が絡んでいるもので、真似はいけないと排斥しながらもいろいろな形式においてつきまとって来るものです。これからさきも永久に真似はなくならないことでしょう。
 狐なども苦心の結果、素晴らしい美人と化けすました時に、ある種の人間が彼女のために接吻でもしたとすれば、狐は自分の芸術の迫真の技に思わずほほ笑んで満足したことでしょう。
 こんな天才的な狐が一匹現れると、およそ百の若い狐達はその化け方に感動します。そしてその様式について大いに研究したり、見習ったり、あるいは奥義の伝授を受けるために馳せ参じたりしますでしょう。
 すると今度は彼らの化け方にも種々な様式が発見され、創造されて行くことになります。こうなると化け芸術も進歩発達して行くことになります。ついにはヤヤコシクなって、ちょっと一度は整理する必要ぐらいは起こって来ます。何狐は何派に属するとか、何狐は何派の何々イズムであるとかいうことになって来ます。狐の世界においても、黒田重太郎氏の出現を待たなければならないことになります。
 ところが多くの狐達の中には真似ることの本当の興味を忘れてしまって、様式ばかりを眺めて気をもむ連中が多く輩出してくるかもしれません。あんな連中はもう本当の人間の研究がおろそかになってしまったものですから、一流の美人に化けすましたつもりでいましても、本当の人間はとうていだまされません。美人の裾からはチラチラと毛だらけの尻尾がブラ下がっているのです。
 狐も初めは偶然の思い付きで女に化けてみたものが、ついにはその化け方について苦労をしなければならぬことになって来るのです。化ける興味を本職にやりだしたものだから、こうなってくるのは止むを得ません。そのうちにはある様式を守る集団のいくつかが現れ、一方は王子に一方は伏見にという具合に集まります。そして化け展とか何とかいうのを開催して、この道の進歩発達を計るということになります。そしてお互いに奴らの芸術は何だといい合います。狐の世界もまた多事であります。
 これらも皆真似ることの興味がいろいろと変化して、ヤヤコシクなったものだろうと思います。真似ることの興味も善い意味に使われた場合には人を楽しませるものですが、これが悪用されると大変迷惑を与えます。
 お姫様を喰ってしまってそのお姫様に化けすましたりなどすると、霊鏡に照らされて本性を見破られたりします。或いは贋造紙幣を製造したりする男が出来たり、或いはドランの絵を写真版からコピーして展覧会へ持ち出したりします。その他自分を偉く見せるために、支那の及びもつかぬ聖人の真似をしてみたり、若いのに老人の真似をして通がってみたり、そしてひそかに自己の性慾の強きを嘆いてみたりする悲惨なものも出来て来るのです。
 昔の支那の画家の作にはよく何々の筆意に倣うなどと断ってあるのがありますが、あれは大変気もちのよいものであります。日本の油絵なども(油絵に限りませんが)これを一々断り書きをするようにしたら批評家も、一々霊鏡を持ち出す面倒が省けてよろしいのですけれども。
 しかしながら当今は狐の威力の方が強いので、霊鏡はいつも曇りがちで、なお田舎の散髪屋の鏡同様凸凹だらけのものが多いので、あまりあてには決してなりません。
(「アトリエ」大正十三年十二月)
   ピカソ雑感

 ピカソの絵は常に新しいようでまた古い馴染でもある。つい近頃も私は洋行当時の古トランクを開けて、そのナフタリンと西洋の下宿屋にいた時の香気とをなつかしみながら嗅いでいたら、その中からピカソ画集が出て来た。それは大戦直後のベルリンで私が安くいろいろの書物を買った中に交っていたものである。退屈まぎれに眺めてみると、いつもの馴染の絵がいろいろ並んでいる。そしてその制作年代を見ると、一番新しいところで一九二〇年頃であり、古いのは一九一二年代のものさえある。そして現在にいたるまでピカソはまたどれ位の絵を描き、どれだけの変化をしたかを考えると、とてもカメレオン位のなまぬるさでは競争が出来ないかも知れない。
 しかしながらいかに変化してもカメレオンはやはりカメレオンで決して豚にもならず人間にもなり得ないと同じく、ピカソは一貫して常にピカソであるところが面白い。何かギターの半分と四角と三角とが交り合っても、点々が並んでも、斜線が重ねられても、あるいはまた古格によって女の肖像がすっきりと描かれても、あるいは古めかしい彫刻を直ちに絵画にまで変形させてみても、いかに転々してみても常にピカソはピカソとしか見えない。
 極端な浮気性というものを私はピカソにおいて発見する。一年に五人の情人を取りかえることは日本人にとっては相当くたびれる仕事であり、ただそれだけで満足であり、なかなか芸術にまで手がとどかない。何しろ、今の日本はまだまだ他人の精力を借用して生きているために、一人の女房に精魂を吸い取られてヘトヘトである。
 なお私の感心するところはその私のカバンの中の古い画集以後、今日にいたるまでの絵業には老年からくる衰弱とか勉強の連続から来る草臥(くたび)れとか、気力の衰えとか飽き飽きしたとかいう憐れさを見せないことである。大体西洋の大家は死ぬまでくたびれないのはいいことだと思う。
 もし日本人が一生の間のある期間において、ピカソの一〇分の一だけの元気と浮気と無茶苦茶の大胆さを示したとしたら、きっと昂奮して死ぬか、あるいは二、三年のうちに萎びてしまうであろう。
 あるいは年のせいという温気を感じ出して余生を柔順なる紳士と化けて続けるであろう。
 それからピカソの絵についても一つ感じることは、写実の力を素晴らしく備えていることである。あれだけの力をもってすることならばどんな浮気も許されるであろう。とにかくピカソの写実力と、その不老不死の力と、悪魔的浮気根性と不思議な圧力等においてまったくわれわれは多少羨んでもいいと思う。しかしどうもピカソは、まったく東洋には昔から決してなかったものばかりを持っているところの毛唐人中の毛唐である。
(「美術新論」昭和五年一月)
   絵画き[#「絵画き」はママ]の日記

 油絵描きの日常生活というものは、それが順調であればあるほど実に単調きわまるものである。それは第一、生活が貧弱でなっていないからそれ以上何か面白いことがやってみたくとも出来ないことがその主な原因かも知れない。まずその日その日辛うじて無事に絵を描いて暮すことが出来ていれば、実にそれだけで、めでたき限りの順調といわねばならないのである。したがってどうも絵描きの日記などに大そう面白いというものはどうもあまりないようである。
 彼は起きた、モデルが来た、絵を描いた、仕上がった、あるいはてこずった、怒った、椅子を投げた、妻君が弱った、散歩してライスカレーを食べて機嫌がなおった、寝た、月末が来た、困った、何とかした、という位が私の毎日の日記かも知れない。
 こんなことが一生涯続くのかと思うと、あまり面白いものとは思えない、したがって日記などつける気にもなれない。がしかしこの単調な順序が一歩間違うともう絵が一枚も描けなくなるのである。
 例えば妻子家族の病気とか、あるいは恋愛関係、それから起こる喧嘩口論や悲劇やうるさい雑用が引きつづきどしどし起ころうものなら絵描きは休職だ。その代り日記は面白くなるだろう。
 文士などはその点結構だと思う。なるべく複雑でうるさい恋愛関係でも持ち上がってややこしければややこしいだけ多く神経が動き出し、やがては何か書けることともなり稿料ともなるわけかと思う。
 ところで絵描きはこんな場合、神経だけは文士と同じくらい昂ぶるけれども、その神経はかえって絵の邪魔をする神経であって、まったく作画のためには何の役にも立たないものであるから厄介だ。
 ロダンは賢い芸術家だから、人は二つの熱情に仕えることは出来ないといって、なるべく結構な問題が向こうから招待しても平に避けているのである。私の如きうっかり者は招待されるとついその手に乗りたがる傾向があるので大いに用心している次第である。
 それでまず近頃、私は辛うじて絵を描いて暮している。すなわち朝起きてそうして寝たというすこぶる平凡単調な生活を危いながらも大切に守っている。したがって日記として書き記すべき何事もない。
 ところが二、三日前から絵を邪魔する要素であるところの胃病が起こった。胃病が起こると必ず夢を見る。昨夜見た阿呆らしい夢を付録としてちょっと紹介しておく。
 一台の飛行機が西の空から飛んで来た。私は見ていた。それが近所の湯屋の煙突へ衝突したのだ。おやと思う瞬間、両翼はもぎれてしまって魚のような胴体がフワリフワリと中空を泳いでいるのだ。二人の飛行家がその上で狂人の如く駆けまわっているのがよく見えた。私はどうすることかと見ていると二人はパラシュートを持って飛んだのだ。一つは赤で一つは白だった。それが馬鹿に綺麗だった。そして二人とも電線に引っかかったのであった。下で見ていた群集の一人が電線はおかしいぞと叫んだ。しかし私はそれでほっと安心をして朝の九時まで寝てしまった次第である。

   シュールレアリズム

 シュールレアリズム的傾向ある作品に、相当の興味を私は感じますし、またキリコあたりの(もっとも本ものを見ないから大きなこともいえませんが)写真版位で見ても、かなりの不思議な新鮮さを感じることが出来ます。ことに印象派紫派等の作品の伝統を今に支えている風景画など多いわが国では、それらの傾向ある作品に接し、あるいはシュールと声を聞いただけでも退屈せる若いものにとってはうさを晴らさせるに充分な力があります。
 私はどんなイズムに限らずどしどしと歓迎していいと思います。今まで日本へ到来したイズムは皆相当日本の画壇のために役立って来ています。また日本人はそれを応用することにかけては鋭い人種です。
 ただ淋しいことには一度もまだ日本内地でイズムが製造されたり発生したことのないことです。どんなつまらないイズムでもパリで製造されたものは、神様の所業らしく日本へ伝わることです。世界の片田舎に住んでいるのははなはだ淋しいことです。藤田嗣治氏の画業でさえも、もしあの画風を日本内地で製造していたら、あれほどフランス人と日本人を同時に驚かしてみることは出来なかったかも知れません。それは余談ですが、何しろイズムを製造するにはまだ当分フランスパリで作ってみなければ作り甲斐も製造の致し栄えもありません。近頃の日本の広告美術家達は画家達よりもモダンの尖端に立っています。それで、シュールレアリズムなどは、もはや百貨店の店頭にまで応用されているように思えます。さてまた次のイズムの到来をお池の鯉の如く口を開いて待っていることでしょう。

   眼

 妙なもので、絵に熱中している時は文章が書けません。手紙でさえも葉書一枚でさえも書くのが嫌になる。結局絵をかいている間は無言でいたいというのが本当です。ところで手紙がすらすら書けたり、何かつまらない随筆を頼まれたりしてそれが多少興味を持って書くことが出来たりすることが重なってくると、絵を描く仕事が大変うとましいことと思われて来る。そしてパレットの絵具がかたまって幾週間を過ぎてしまうことさえある。
 絵は眼の神経と、感覚から生まれてくる産物です。文学は主として心の働きのみによるもので、眼はただ軍艦の探海燈の如く人間の手の如く、足の如く、ただ普通の便宜上の役目をさえ掌っていればことは足りるのであります。したがって絵の仕事のみ夢中になっていると、視神経は驚くべき敏感さを増してくる。普通人には見えないところの色彩を画家は認め、感じ、線のあらゆる形相を知り、微妙にして微細なる明暗を識別し、同時に形と調子と色彩と線の大調和を感得するようなものでしょう。
 それで私の経験ではあまりお喋りをし続けたり、文章を書いたりしたあとは眼の神経が多少うとくなるのを感じます。したがって絵画を構成する諸要素を発見することの鈍感さ、自然が発散するリズムを認め感じることの鈍さを感じます。
 で、画家は無言でただぼんやりと常に黙って仕事をしていればそれでいいわけです。その方がまず幸福なのですが、私はどうも非常な淋しがり屋であるために絵を描かないその間は、何か喋ってみたく誰かと話をしていたく思うのです。まァ画家の性格としては多少悩み多くて不幸な方かも知れません。

   写生旅行に伴ういろいろの障害

 私はかつて写生旅行をして満足に絵を作って帰ったためしは一度もありません。必ずてこずるか、中途で止すか、あるいは重い荷物を引摺り廻って絵具箱の蓋もあけずに帰って来るかです。それでだんだん写生旅行に出ることが嫌になって、近頃は殆ど出なくなってしまいました。自分の画室で神経を休めて、制作する時のような落着いた調子には、どうも旅さきでは行かないものであります。
 旅が嫌になる原因は随分いろいろあるので一口にはいえませんが、なぜそう落着いた気持ちになれなれないかと申しますと、これは人々によっては案外平気なことで、あるいは一向障害の数に入らないことかも知れませんが、神経やみのものにとっては例えば日本の今の旅行に関する設備等も随分西洋画を描くものにとっては、不便でうるさく出来上がっているようです。日本画は今も昔も筆一本と写生帖とさえあれば用は足りるのですが、西洋画は大きな荷物の七ツ道具を引摺り歩かねばなりません。仕事は全部野外の仕事です。したがって晴曇風雨のことも考えなければなりませんし宿屋の居心地も重大です。宿から出て題材の場所まで通う間の心づかいなどもあります。途中石に躓いても機嫌が悪くなって、一日の仕事に影響します。その位のものですから日本の宿屋の仕組みなどは、かなり気分をいらいらさせます。総体日本の宿屋はホテルでもそうですが、新婚旅行とか、実業家の遊山とか、道楽息子の芸者連れとか、避暑とか、何とかのためには至極便利に出来ていますが、絵描きの仕事のためには不便というよりはむしろ本当に調和が取れないことに出来上がっているのです。
 まず旅館へ到着します。玄関の馬鹿気て大き過ぎた花瓶や松の日の出の金屏風など見ても早や気がおじけます。女中が代る代る出て来て世話を焼きます。これは結構なことですが、後の報酬のことが気にかかります。床の間の前には厳めしい「キョウソク」というて、私らは芝居の殿様が使うもの位に思っていたようなものが置かれてある。紫檀の机や卓上電話が輝いてあることもたまにはあります。
 考えるとわれわれが今運んで来た荷物はまったく調和の取れないものでありまして、その不調和な荷物の中から絵具箱をゴソゴソ取り出しますと女中が何物かという目付きで眺めます。枠という乱暴な仕掛けのものを取り出してトワールを張ります。トワールもフランスの田舎の宿などで見るとなかなかいい味のものですが、日本の宿でこれを見るとまことに粗野な布としか見えません。これを持参の金槌でもってガンガンと釘を打ち出します。なかなか勇気の必要な仕事です。私はいつもこの勇気が出かかってへこんでしまいます。
 不調和は部屋の中だけではありません。宿屋全体から見ても不調和です。まず右隣りの部屋には若い男女が海水着を着けてみたり外してみたりしています。左側の部屋では憎々しい男が四、五名の芸者と寝ながら花札を弄んでいます。その隣その隣と考えるとまったく悲観せずにはいられません。
 総体が遊びであります。画家は仕事です。それでは憤然としてここを立ち去るとしますか、どこへ行っても大同小異です。思い切ってトワールを張って、何かいい場所を探し当てに出てみるとします。かなり神経がゆがんでしまっているので何を見ても一向つまらない風景に見えて来ます。汗だらけになって白いトワールを提げたまま舞いもどります。また大袈裟な玄関が気にかかります。また女中が眺めます、番頭が眺めます、男女の客が眺めます、気持ちは暗くなるばかりです。天候のことも考えます。滞在一週間の予定が翌日から雨と来ます。もう仕事は出来ない上に、心労は増します。私は雨の日の旅館の退屈は思っても堪らないのです。立ってみたり坐ってみたり、寝てみたり起きてみたり、いらいらして来て終いには悲しくなって腹が立って来ます。すると隣近所の人情がますます気にかかり出します。
 もう一刻も猶予がなりません、描きかけの絵はぬれたまま巻きこんでしまって、取り敢えず宿屋から逃げ出します。逃げ出してからでもまだ今支払った茶代は少しケチではなかったか位のいらぬ心配までが出て来ます。
 また汽車に乗ります、走っている間窓からの眺めは素敵です、素敵な場所には汽車も止まらず、人家もなく宿もありません、再び目的地へ着くとそこは相変わらぬ停車場前の情景が展開されます。またかと思うともうたまらなく帰りたくなるのです。すなわち帰りの切符を買い求めてしまうことになるのですが、その時は肩の荷の軽さを覚える次第であります。
 これが外国でありますと随分の気苦労も多いですが、日本のようなこの不調和が少しもありません。宿屋と、風景と、人情と、画家の仕事と、そして食物とが随分うまい具合に調子が合って行くので画家は楽しんで毎日の仕事に夢中になれるのですが、今のような日本の状態ではちょっと望み難いことでありましょう。まだ他に多くの苦情もあるのですがこの位で止めときます。

   因果の種

 誰れでも同じ事かも知れないが、どうも私はどんなにちょっとした絵を仕上げる場合でも、必ずそれ相当の難産をする。
 極く安らかに玉の様な子供を産み落したと云う例は、皆目無いのである。
 その難産を通り越すか越さないかが一番の問題である。越せばとに角絵は生れる。越さない時は死産とか流産とか或は手古摺りとか云うものである。
 難産が習慣となっている私にとっては、偶に軽い陣痛位いで飛び出したりすると、如何にもその作品に自信が持てないのである。情けない事である。
 それでは難産で苦しんだ時の絵は必ず上等で、玉の如き子供であるかと云うに、それが決して左様ではない。ただ妙な関係で絡みついて了って一と思いに殺して了う訳にも行かない処のものが生れたりなどするのである。
 本当のお産だってそうだ。一年間も母親は苦しんだ上、命をかけて生み落した筈の其子は、必ず上等であるとはきまっていない。でも自分達夫婦の分身であり、母親は命をかけた関係上、実は人間よりも狸に近いものであるに拘らず、ふとんや綿で包んで大切にしている。
 それを吾々他人が、一寸綿の中を覗いて見ると、全くの狸であり、昆虫であり、魚である場合が多いのだから悲しむべき事である。
 殊に、不具や低能児を抱いている母親の愛情などは又格別のものであるらしい。
 絵だってその通りで、私は三年間を此作品に捧げたとか私の霊魂を何んとかしたとか、私は神を見たとか云うふれ出しだから、一体どんなものが現れたのかと思って見ると神様が狸であったり、霊魂が狐であったりする場合の方が多いのだ。
 もし、本当の事ばかりを不作法に云う批評家があって、命をかけて抱いているその赤ん坊を一々、おや鯛だね、おや狐でいらっしゃいます。お化けかと思ったと申して歩いたら、全くそれは一日も勤まらない処の仕事であるかも知れない。心ではいもむしだと思っても、そこは女らしいとか、まア可愛いとか、天使の様だとか、何んとか馬鹿気た讃辞でも呈して置かねばならないものなのである。
 処で私自身、全く私は命をかけつつ、そして殆んど無収入で以て、しかも日々難産をつづけ、其奇怪なる昆虫を生み落しつつあるのである。そして人間の情けなさは馬鹿な母親の如く、いもむしや狸にも似た我が子の眼玉へ接吻したりなどする事になる。
 然し、私は、不幸な事にも接吻し乍らも変な顔をしていやがるなと、心の底では思っている。然しその子は何かの因縁とか因果の種とか云うべき怖ろしいものだとあきらめて抱いている次第である。
 処が此の変なものを生み出す為めの難産には随分の体力が必要である。私が一番情けなく思うのはこの体力の不足である。
 殊に油絵と云うものは西洋人の発明にかかる処の仕事だけあって、精力と体力とで固めて行く芸術だと云っていいかと思う位いのものである。神経の方は多少鈍くとも油絵の姿だけは出来上るものだと云って差支えない。
 私は、日本人全体が西洋人程の体力を有っていない事を認めている。それは性慾や食慾に就いて考えても同様である。
 日本人の中でも私などは最も体力の貧しい人である。私が徴兵検査の時、体重が十貫目しかなかった。検査官の一番偉い人が十貫目と云う字と私の顔とを見比べて、どうかお大切になさいと云って、いの一番で解放してくれたものである。
 以来、私は、もう死ぬかと思いつつ、印度洋を越えてフランス迄も出かけて今尚お生きてはいるが、生きている事に大した自信をもっていない私が、難産をつづけ乍ら因果の種を抱こうと云うのであるからこれも亦因果な事である。
 世には病身にして且つ人一倍淫乱だという者がよくあるものだ。私はその淫乱かも知れない。しかも此の行いだけは止めるにも止められない。而して難産であり、病弱である。
 その上、文明がまだ中途半端で混とんとしているので、西洋画家の生活が殆んど成立っていないから、全く生活とは無関係であり、勝手な仕事となって居り、しかも多情多淫であっては、やがては疲れはてて、奇怪なる低能児を抱えたまま行き倒れて了うのではあるまいかと云う事を、私の虫が私に知らせてくれるのである。
 現に行き倒れつつある多くの先輩を見るに及んで情けなく思う。最近、ある新聞の三面で、ある名妓のなれのはてが行き倒れていたと云う記事を読んだが、その時も私はよそ事とは思えず心が重くなった事である。
 これは私の絵に対する態度だか、何んだか一向わからない事を云って了ったが何卒御容赦を願う。

   近代洋画家の生活断片

 日本人は昔から芸術家を尊敬するところの高尚なる気風を持つ国民である。その代りややもすると芸術家は仙人か神様あがりの何者かである如く思われたりもする。めしなどは食わないものの如く、生殖器など持たない清潔な偶像とあがめられる。結構だが近頃はおいおいとそれが迷惑ともなりつつあるようでもある。ことに近代では神様や仙人そのものの価値と人気が低下しつつあるようだからなおさらでもある。
 だいたい芸術家のその作品はいわば自分が楽しんだところの糟みたいなようなものだから、それを売ろうというのは虫が良過ぎるという説をなすものさえたまにはある。まったくのところ芸術家は大金持ちであるか、臓腑なきものであるかであるとすれば、その説もいいけれども舌があり胃腑を持ち、その上に妻子を携え、仕事に愛着を持てば糟だといって捨ててしまうには忍びないだろう。生まれた子供は皆これ楽しんだ糟だからことごとく殺してしまってもいいとはいえない。
 私は経済学者でもなく実業家でもないので、現代日本はどんなに貧乏か、不景気か知らないけれども、あまり景気がいいという評判だけは聞かされていない。その時代に芸術家志望者、油絵制作希望者は素晴らしい勢いで増加しつつあるのは不思議な現象だ。毎年の二科帝展等の出品搬入数を見ても驚くべき数を示している。これだけの胃と生殖器を持てる神様の出現は、一種の不安なしでは眺めていられない気がする。
 すなわち日本画の世界の如くあるいはフランスの如く、画商人というものがあり、鑑賞家への仲介すべき高砂屋があり、高砂屋によって市価が生み出され、完全に商業化された組織があって、しかもなお神様は貧乏を常識としているのだが、それらの組織がなく、完全なる高砂屋なく、愛好家と神様との直接行動であっては、まったくもって神様も努力を要することである。

 ある愛好家は、絵は欲しいと思っても展覧会で名を出して買うことを怖れるという話を聞いたことがあった。それは誰それは油絵の理解者であり、金があると伝わると、八百よろずの神々がその一家へ参集してくるというのだ。
 さて、これが高砂屋の参集ならば片っぱしから謝絶しても失礼ではないが、何しろ皆神経を鋭がらせた、芸術的神様の集まりである。失礼にわたってはならない。なかなか以てやりにくいという。しかしながらケチな愛好家でもある。

 しかし、目下東京に二、三の高砂屋が現れて相当の功績を挙げている様子だと聞くが、まだ画界全般にわたっては、なんらの勢力を持たない小さな存在に過ぎない。この、組織不備の間にあって、つい起こりやすいのはいかさま的高砂屋である。資本なくて善人の神様を油揚げか何かで欺しておき、絵はほしいがどこで何を買ったらよいのか、不案内という愛好家や、少しも油絵などほしいとも思わない金持ちの応接室へ無理矢理に捻じ込むものがあったり、作品を持ち逃げしたりする高砂屋もあるらしい。

 とかく色男には金と力が不足していると古人は嘆じた如く、本当の現代油絵の理解者達にも金不足の階級者がことの外多い。展覧会を一年のうちに何回か眺めておけば、日本現代の油絵からフランス現代にいたるまでことごとく安値に観賞し尽すことが出来る。何も好んでその一枚を家へ持ち帰る必要あらんやといえるだろう。しかしながら時たまそのうちの一枚を買って帰りたいと思って会場を漫歩したとしたら、あの無数にぎっしりと並んだ絵のさてどれがいいのか、悪いのか、われわれの如く毎日絵の世界に暮しているものでもちょっと見当がつきかねるだろうと思う。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:157 KB

担当:undef