出家とその弟子
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著者名:倉田百三 

私たちが自分は悪かったと悔いている時の心持ちの中にはどこかに地獄ならぬ感じが含まれていないでしょうか。こうしてこんな炉を囲んでしみじみと話している。前には争うたものも今は互いに許し合っている。なんだか涙ぐまれるようなここちがする。どこかに極楽が無ければならぬような気がするではありませんか。左衛門 私もそのような気もするのです。けれどそのような心持ちはじきに乱されてしまいます。一つの出来事に当たればすぐに変わります。そして私の心の中には依然として、憎みや怒りが勝ちを占めます。そして地獄を証(あかし)するような感情ばかり満ちます。親鸞 私もそのとおりです。それが人間の心の実相です。人間の心は刺激によって変じます。私たちの心は風の前の木の葉のごとくに散りやすいものです。左衛門 それにこの世の成り立ちが、私たちに悪を強(し)います。私は善(よ)い人間として、世渡りしようと努めました。しかしそのために世間の人から傷つけられました。それでとても渡世のできない事を知りました。死ぬるか乞食(こじき)になるかしなくてはなりません。しかし私は死にともないのです。女房や子供がかわいいのです。またいやなやつの門に哀れみを乞(こ)うて立つのはたまりません。私は悪人になるよりほかに道がありません。けれどそれがまたいやなのです。私の心はいつも責められます。親鸞 あなたの苦しみはすべての人間の持たねばならぬ苦しみです。ただ偽善者だけがその苦しみを持たないだけです。善(よ)くなろうとする願いをいだいて、自分の心を正直に見るに耐える人間はあなたのように苦しむのがほんとうです。私はあなたの苦しみを尊いと思います。私は九歳の年に出家してから、比叡山(ひえいざん)や奈良(なら)で数十年の長い間自分を善くしょうとして修業いたしました。自分の心から呪(のろ)いを去り切ってしまおうとして、どんなに苦しんだ事でしょう。けれど私のその願いはかないませんでした。私の生命の中にそれを許さぬ運命のあることを知りました。私は絶望いたしました。私は信じます。人間は善くなり切る事はできません。絶対に他の生命を損じない事はできません。そのようなものとしてつくられているのです。左衛門 あなたのような出家からそのような言葉を聞くのは初めてです。では人は皆悪人ですか。あなたもですか。親鸞 私は極重悪人です。運命に会えば会うだけ私の悪の根深さがわかります。善の相(すがた)の心の眼(め)にひらけて行くだけ、前には気のつかなかった悪が見えるようになります。左衛門 あなたは地獄はあるとおっしゃいましたね。親鸞 あると信じます。左衛門 (まじめな表情をする)ではあなたは地獄に堕(お)ちなくてはならないのでありませんか。親鸞 このままなら地獄に堕ちます。それを無理とは思いません。左衛門 あなたはこわくはないのですか。親鸞 こわくないどころではありません。私はその恐怖に昼も夜もふるえていました。私は昔から地獄のある事を疑いませんでした。私はまだ童子であったころに友だちと遊んで、よく「目蓮尊者(もくれんそんじゃ)の母親は心が邪険で火の車」という歌をうたいました。私はその歌が恐ろしくてなりませんでした。そのころから私はこの恐怖を持っていたのです。いかにすれば地獄から免れる事ができるか。私は考えもだえました。それは罪をつくらなければよい。善根を積めばよいと教えられました。私はそのとおりをしようと努めました。それからというもの、私は艱難辛苦(かんなんしんく)して修業しました。それはずいぶん苦しみましたよ。雪の降る夜、比叡山(ひえいざん)から、三里半ある六角堂まで百夜も夜参りをして帰り帰りした事もありました。しかし一つの善根を積めば、十の悪業(あくごう)がふえて来ました。ちょうど、賽(さい)の河原(かわら)に、童子が石を積んでも積んでも鬼が来て覆(くつがえ)すようなものでした。私の心の内にはびこる悪は、私に地獄のある事をますます明らかに証(あかし)しました。そして私はその悪からのがれる希望を失いました。私は所詮(しょせん)地獄行きと決定(けつじょう)しました。左衛門 私はこわくなります。あなたのお話を聞いていると、地獄が無いなどとは思われなくなります。魂の底の鋭い、根深い力が私に迫ってまいります。私は地獄はないかもしれないと、運命に甘えておりました。きょうもせがれに地獄極楽はほんとうにあるのかときかれて私はうそだ、つくり話だと言いましたけれど、自信はありませんでした。地獄だけはあるかもしれないと冗談を言って笑いましたけれどほんとにそうかもしれないという気がして変に不安な気がしました。あなたに会って話していると、私は甘える心を失います。魂の深い知恵が呼びさまされます。そして地獄の恐ろしさが身に迫ります。お兼 ゆうべの夢の話と言い、私はなんだか気味の悪いここちがするわ。左衛門 (外をあらしの音が過ぎる)その地獄から免れる道はありませぬか。親鸞 善(よ)くならなくては極楽に行けないのならもう望みはありません。しかし私は悪くても、別な法則で極楽参りがさせていただけると信じているのです。それは愛です。赦(ゆる)しです。善、悪をこえて働く力です。この世界はその力でささえられているのです。その力は、善悪の区別より深くてしかも善悪を生むものです。これまでの出家は善行で極楽参りができると教えました。私はもはやそれを信じません。それなら私は地獄です。しかし仏様は私たちを悪いままで助けてくださいます。罪をゆるしてくださいます。それが仏様の愛です。私はそれを信じています。それを信じなくては生きられません。左衛門 (目を輝かす)殺生(せっしょう)をしても、姦淫(かんいん)をしても。親鸞 たとい十悪五逆の罪人でも。良寛 御慈悲に二つはございませぬ。慈円 他力(たりき)の信心と申して、お師匠様のお開きなされた救いの道でございます。左衛門 (まっさおな、緊張した顔をして沈黙。やがて異常の感動のために、調子のはずれた、物の言い方をする)私は変な気がします。私は急に不思議な、大きな鐘の声を聞いたような気がします。その声は私の魂の底までさえ渡って響きました。私の長く待っていたものがついに来たような親しい、しっくりとした気持ちがします。私はありがたい気がします。私はすぐにその救いが信じられます。そのはずです。それはうそではありません。ほんとうでなければなりません。私は気がつきました。前から知っていたように、私のものになりました。まったく私の所有になりました。ありがたい、泣きたいような気がして来ました。親鸞 それはほんとうです。私は吉水(よしみず)で法然聖人(ほうねんしょうにん)に会った時、即座にその救いが腹にはいりました。あなたの今の感じのとおりです。さながら忘れていたものを思い出したようでした。まるで単純な事です。だれでもこの自分に近い、平易な真理がわからないのが不思議でした。私たちの魂の真実を御覧なさい。私たちは愛します。そしてゆるします。他人の悪をゆるします。その時私たちの心は最も平和です。私たちは悪い事ばかりします。憎みかつ呪(のろ)います。しかしさまざまの汚れた心の働きの中でも私たちは愛を知っています。そしてゆるします。その時の感謝と涙とを皆知っています。私たちの救いの原理も同じ単純な法則です。魂の底からその単純なものがよみがえって来るのです。そして信仰となるのです。慈円 あなたは長い間正直に苦しみなさいました。自分の心を直視なさいました。あなたの心の歩みは他力(たりき)の信仰を受け取る充分な用意ができていたのです。良寛 前のものからあとのものに移る必然性がある時には、たやすいほどな確かさがまるで水の低きに流れるようにして得られるものでございますね。親鸞 あなたの信心は堅固なものだと存じます。左衛門 私は今夜はうれしい気がします。この幾年私の心を去っていた平和が返って来たようなここちがいたします。(涙ぐむ)お兼 ほんとにそうですわ。もうずいぶん長い間あなたが潤うた、和らかな心でいらしたことはありませんわ。親鸞 あなたは自分を悪に慣らそうとつとめているとおっしゃいましたね。左衛門 私は生まれつき気が弱くていけないのです。それでは渡世に困るから、もっと悪人にならねばならぬと思ったのでした。お兼 それで猟を始めたり、鶏をつぶしたり、百姓(ひゃくしょう)とけんかしたりするのでございますよ。親鸞 私はあなたの心持ちに同情します。しかしそれは無理な事です。あなたは「業(ごう)」ということを考えたことはありませぬか。人間は悪くなろうと努めたとて、それで悪くなれるものではありません。また業に催されればどのような罪でも犯します。あなたは無理をしないで素直にあなたの心のほんとうの願いに従いなされませ。あなたの性格が善良なのだからしかたがありません。左衛門 では善(よ)くなろう、と努めるのも無理ですか。親鸞 善くなろうとする願いが心にわいて来るなら無理ではありません。素直にというのは自分の魂の本然(ほんねん)の願いに従う事です。人間の魂は善を慕うのが自然です。しかし宿業(しゅくごう)の力に妨げられて、その願いを満たす事ができないのです。私たちは罰せられているのです。私たちは悪を除き去る事はできません。救いは悪を持ちながら摂取されるのです。しかし私は善くなろうとする願いはどこまでも失いません。その願いがかなわぬのは地上のさだめです。私はその願いが念仏によって成仏(じょうぶつ)する時に、満足するものと信じています。私は死ぬるまでこの願いを持ち続けるつもりです。左衛門 渡世ができなくなりはいたしますまいか。親鸞 できないほうがほんとうなのです。善良な人は貧乏になるのが当然です。あなたは自然に貧しくなるなら、しかたがないから貧しくおなりなさい。人間はどのようにしてでも暮らされるものです。お経の中には韋駄天(いだてん)が三界を駆け回って、仏の子の衣食をあつめて供養すると書いてあります。お釈迦(しゃか)様も托鉢(たくはつ)なさいました。私も御覧のとおり行脚(あんぎゃ)いたしています。でもきょうまで生きて来ました。私のせがれもなんとかして暮らしています。お兼 あなたにはお子様がお有りなさるのですか。親鸞 はい。京に残してあります。六つの年に別れてからまだ会わずにいるのです。お兼 まあ。そして奥様は?親鸞 京を立つ時に別れましたが、私が越後(えちご)にいる時に死にましてな。お兼 御臨終にもお会いなさらないで。慈円 お師匠様は道のために、お上(かみ)のおとがめをこうむって御流罪(ごるざい)におなりあそばしたのでございます。奥様のおかくれあそばしたのは、その御勘気中で京へお帰りあそばす事はできなかったのです。まだ二十六のお若死にでございました。良寛 玉日様と申してお美しいかたでございました。それから後の御苦労と申すものは、一通りではございません。なにしろ公家(くげ)の御子息――親鸞 それはもう言うてくれるな。お兼 (涙ぐみ)さだめしお子様に会いたい事でございましょうねえ。親鸞 はい。時々気になりましてな。お兼 ごもっともでございます。親鸞 (松若に)お幾つにおなりなさる。松若 (顔を赤くする)十一。親鸞 よいお子じゃの。(頭をなでる)左衛門 少しからだが弱いので困ります。親鸞 ほんに少し顔色が悪いね。一同しばらく沈黙。
親鸞 良寛、ちょっと私の笈(おい)を見てくれ。最前杖(つえ)があたった時に変な音がしたのだが、もしかすると……良寛 (笈をひらいて見る)おゝ阿弥陀(あみだ)様のお像がこわれています。(小さな阿弥陀如来(あみだにょらい)の像を取り出す)慈円 左のお手が欠けましたな。左衛門 (青ざめる)私に見せてください。(小さな仏像をつくづく見入る。やがて涙をはらはらこぼす)親鸞 左衛門殿どうなされた。一同左衛門を見る。
左衛門 私はたまりません。この小さく刻まれたお顔の尊いことを御覧なさいませ。私はこのお像を杖(つえ)で打ちこわしたのです。この美しい左のお手を。指まで一本一本美しく彫ってあるこのお手を。私の魂の荒々しさが今さらのように感じられます。私は悪い事をいたしました。私の業(ごう)の深さが恐ろしくなります。私は親鸞様を打ちました。お弟子(でし)たちをののしりました。そして仏像を片輪にしました。私は、私は……(泣く)親鸞 左衛門殿、お泣きなさるな。さほどに罪深きあなたをもそのまま許してくださるのが仏様のお慈悲です。この仏像はかたみにあなたにさしあげます。これを見てはあなたの業の深いことを思ってください。そしてその深重(じんじゅう)な罪の子をゆるしてくださる仏様を信じてください。そしてあなたの隣人をその心で愛してください。(間)もうほど無く夜も明けましょう。私はお暇(いとま)いたします。あすの旅路を急ぎます。良寛、慈円、したくをなさい。(親鸞立ちあがる)左衛門 (親鸞の衣の袖(そで)を握る)どうぞお待ちください。私は出家いたします。これからあなたのお供をいたします。どこまでも連れて行ってください。親鸞 (感動する)あなたのお心はわかります。私は涙がこぼれます。けれどあなたは思いとどまってください。浄土門の信心は在家のままの信心です。商人は商人、猟師は猟師のままの信心です。だから私も妻も持てば肉も食うのです。私は僧ではありません。在家のままで心は出家なのです。形に捕われてはいけません。心が大切なのです。左衛門 でもあなたとこのままお別れするのはつろうございます。いつまた会われるのかわかりません。お兼 せめて四、五日なりとお泊まりあそばして。親鸞 会うものはどうせ別れなくてはならないのです。それがこの世のさだめです。恋しくおぼしめさば南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を唱えてください。私はその中に住んでいます。左衛門 ではどうあってもお立ちなされますか。親鸞 縁あらばまたお日にかかれる時もございましょう。お兼 これからどちらに向けておいでなされます。親鸞 どこと定まったあてはありません。親鸞、慈円、良寛身じたくをして外に出る。夜はしらしらと明けかけている。左衛門、お兼は門口に立つ。松若も母に手を引かれて立って見送る。
親鸞 私はこのようにしてたくさんな人々と別れました。私の心の中には忘れ得ぬ人々のおもかげがあります。きょうからあなたがたをもその中に加えます。私はあなたがたを忘れません。別れていてもあなたがたのために祈ります。左衛門 私もあなたを一生忘れません。あなたのために祈ります。お兼 おからだを大切になさってくださいまし。(涙ぐむ)慈円 夜も明けはじめました。良寛 雪もやんだようでございます。親鸞 ではさようなら。左衛門 さようなら。お兼 さようなら。(松若に)おい、さようならをおし。松若 おじさん、さようなら。親鸞 (松若を衣の袖(そで)で抱く)さようなら。大きく偉くおなりなさいよ。慈円 さようなら。良寛 さようなら。親鸞、慈円、良寛、退場。左衛門、お兼、松若、涙ぐみつつ見送る。
――幕――[#改ページ]

    第二幕

場所 西(にし)の洞院(とういん)御坊。
本堂の裏手にあたる僧の控え間。高殿になっていて京の町を望む。すぐ下に通路あり。通行人あり。
人物 親鸞(しんらん)            七十五歳
   松若(まつわか)改め唯円(ゆいえん)        二十五歳
   僧三人
   同行衆(どうぎょうしゅう) 六人
   内儀
   女中
   丁稚(でっち) 二人         十二、三歳
時  第一幕より十五年後
   秋の午後

僧三人語りいる。
僧一 まだお勤めまでにはしばらく暇がありますね。僧二 おっつけ始まりましょう。もう本堂は参詣人でいっぱいでございます。僧三 今さらながら当流の御繁盛はたいしたものでございますね。僧一 本堂にははいり切れないで廊下にこぼれている者もたくさんございます。なにしろきょうはあれほど帰依(きえ)の厚かった法然聖人(ほうねんしょうにん)様の御法会(ごほうえ)でございますもの。僧二 そのはずでもありましょうよ。御存命中は黒谷(くろだに)の生き仏様とあがめられていらっしゃいましたからね。土佐(とさ)へ御流罪(ごるざい)の時などは、七条から鳥羽(とば)までお輿(こし)の通るお道筋には、老若男女(ろうにゃくなんにょ)が垣(かき)をつくって皆泣いてお見送りいたしたほどでございました。僧三 私はあの時鳥羽の南門までお供をいたしました。それからは川舟でした。長くなった白髪(しらが)に梨打烏帽子(なしうちえぼし)をかぶり、水色の直垂(ひたたれ)を召した聖人様がお輿から出て、舟にお乗りなされた時のおいとしいお姿は、まだ私の目の前にあるようでございます。僧一 もうおかくれあそばしてから二十三年になりますかね。月日のたつのは早いものですね。私たちの年寄ったのも無理はありませんな。僧二 法然聖人様と申し、お師匠様と申し、ずいぶん御難儀なされたものでございますね。きょうの御繁盛もそのおかげでございますね。僧三 浄土門今日の御威勢を法然様が御覧なされたら、さぞお満足あそばすでしょうにね。僧二 お師匠様もだいぶお年を召しましたね。僧一 今度の御不例は大事ありますまいか。僧二 いいえ、ほんのお風を召したばかりでございます。僧三 御老体ゆえお大切になされなくてはなりません。僧一 唯円殿がだいじにお仕えなさるゆえ安心でございます。僧二 唯円殿はお若いのによく万事気がつきますからね。僧三 ああしておとなしい気の優しい人ですからね。僧一 お師匠様はまた唯円殿をことのほかお寵愛(ちょうあい)なさいますようですね。僧二 おそばの御用事は皆唯円殿に仰せつけられます。唯円 (登場。廊下伝いに本堂のほうに行く。僧のほうに会釈する)御免あそばせ。僧三 唯円殿。唯円 はい。(立ち止まる)僧一 急ぎの御用でございますか。唯円 いいえ。別に。ちょっと本堂まで行ってみようと存じまして。僧二 ではちょっとここにお寄りなされませ。伺いたい事もございます。僧三 お勤めの始まるまでお茶でも入れて話しましょう。唯円、僧のそばに行きてすわる。僧三お茶をついで唯円にすすめる。
僧一 お師匠様の御模様はいかがでございます。唯円 ただ今はお寝(やす)みでございます。僧二 気づかいな御容体では無いのでしょうね。唯円 はい、もうほとんどよろしいのでございます。きょうも大切な法然(ほうねん)様の御命日ゆえ起きてお勤めするとおっしゃったのを私が無理に御用心あそばすようにお止め申したのでございます。もう起きて庭などお散歩あそばすほどでございます。僧三 それがよろしゅうございます。おからだにさわってはなりません。僧一 私などとは違い大切なおからだでございますからね。僧二 誠に念仏宗の柱石でいらっしゃいます。僧三 法然聖人(ほうねんしょうにん)御入滅後法敵多き浄土門を一身に引き受けて今日の御繁盛をきたしましたのは、まったくお師匠様のお徳でございます。僧一 万一いまお師匠様の身に一大事がありでもしたら、当流はまるで暗やみのごとくになりましょう。僧二 我々初め数知れぬお弟子衆(でししゅう)は善知識を失うて、途方に暮れる事でございましょう。僧三 頼(たよ)りに思う御子息善鸞(ぜんらん)様はあのようなふうでございますしね。僧一 当流の法統を継ぐべき身でありながら、父上におそむきあそばすとは浅ましい事でございます。僧二 お師匠様とは打って変わって荒々しい御性質でございます。僧三 不肖の子とでも申すのでございましょうか。唯円 早く父上の御勘気が解けてくれればよいと思います。僧一 いやあのようなお身持ちでは御勘気の解けぬが当然と思います。あのようなお子がお世継ぎとあっては当流の名にもかかわります。僧二 普教のさわりにもなろうと思われます。僧三 たださえ世間では当流の安心(あんじん)は万善を廃するとて非難いたしておるおりでございます。唯円 善鸞様は善(よ)いかたでございます。あなたがたの思っていられるようなかたではありません。私は善鸞様としばらく話してすぐに好きになりました。どのような事をなされたかは存じませぬが私はあのかたを悪いかたとは思われません。僧一 唯円殿のお言葉ですが、善鸞(ぜんらん)様は放蕩(ほうとう)にて素行(そこう)の修まらぬ上に、浄土門の信心に御反対でございます。僧二 放蕩をなさるのなら浄土門の信心でなくては出離の道はありますまいにね。僧三 では悪くても救われるから悪い事もしてやれというのではないのですね。僧一 私もそうであろうと思いました。しかしほんとうはそうではなさそうです。それで私も合点が行かぬのでございます。僧二 それではお師匠様の御立腹も無理はございませんね。唯円 お師匠様は善鸞様の事を陰ではどれほど気にしていらっしゃるか知れませんよ。僧三 しかし今のままではとても御勘気の解ける見込みはありませんね。なにしろ稲田(いなだ)の時からの長い御勘当でございますからね。唯円 善鸞様は今度稲田から御上洛(ごじょうらく)あそばすそうでございますが。僧一 とても御面会はかないますまい。唯円 どうぞ御面会がかないますようにあなたがたのおとりなしのほどをお願い申します。僧二 そのような事はめったにできません。お師匠様のおしかりを受けます。僧三 善鸞様のお心が改まらなくてはかえっておためにもなりますまい。唯円 私は悲しい気がいたします。一同ちょっと沈黙。
僧一 きょうの法話はどなたがなさるのでございますか。僧二 私がいたすはずになっています。僧三 どのような事についてお話しなさるおつもりですか。僧二 法悦(ほうえつ)という事について話そうと考えています。仏の救いを信ずるものの感ずる喜びですな、経にいわゆる踴躍歓喜(ゆやくかんぎ)の情ですな。富もいらぬ、名誉もほしくない、私にはそれよりも楽しい法の悦(よろこ)びがあります。その悦びがあればこそこの年まで墨染めの衣を着て貧しく暮らして来たのですからね。僧一 そうですとも。私は他人の綺羅(きら)をうらやむ気はありません。私は心に目に見えぬ錦(にしき)を着ていると信じていますから。僧二 私はきょう話そうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならば、たとい皆さんは無量の富を積んでいようとも、私は貧しい人であると断言いたしますと。(肩をそびやかす)僧三 それは思い切った、強い宣言ですな。僧二 若いむすこや娘たち――私は言おうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならばたとい皆様は楽しい恋に酔おうとも、私は哀れむべき人々であると断言いたします。僧三 若い人々は耳をそばだてるでしょうね。僧二 私からなんでも奪ってください――私は言おうと思います。富でも名誉でも恋でも。ただしかしこの法の悦びだけは残してください。それを奪われることは私にとっては死も同じ事です。僧一 ちょうど私の言いたい事をあなたは言ってくださるようにいい気持ちがします。僧三 私も同じ心です。その悦(よろこ)びがなくては私たちは実にみじめですからね。僧ほどつまらないものはありませんからね。私もその悦びで生きているのです。僧二 私はその悦びは私たちの救われている証拠であると言おうと思います。私たちはこの濁(けが)れた娑婆(しゃば)の世界には望みを置かない。安養の浄土に希望をいだいている。私たちは病気をしても死を恐れることはない。死は私たちにとって失でなくて得である。安養の国に往(ゆ)いて生きるのだからである。このような意味の事を話そうと思うのです。僧三 それは皆ほんとうです。私たち信者の何人も経験する実感です。僧一 昔からの開山たちが、一生涯(いっしょうがい)貧しくしかも悠々(ゆうゆう)として富めるがごとき風があったのは、昔心の中にこの踴躍歓喜(ゆやくかんぎ)の情があったからであると思います。僧二 唯円殿、あなたは何を考え込んでいられますか。僧三 たいそう沈んでいらっしゃいますね。僧一 顔色もすぐれませんね。お気分でも悪いのではありませぬか。唯円 いいえ、ただなんとなく気が重たいのでございます。僧三 そのように気のめいる時には仏前にすわって念仏を唱えてごらんなさい。明るい、さえざえした心になります。唯円 さようでございますか。僧一 大きな声を出してお経を読むとようございます。僧二 一つは信心の足りないせいかもしれません。気を悪くなさいますな。私は年寄りだから言うのですからね。だが仏様のお慈悲をいただいていればいつも心がうれしいはずですからね。いつも希望が満ちていなくてはなりません。また仏様の兆載永劫(ちょうさいようごう)の御苦労を思えば、感謝の念と衆生(しゅじょう)を哀れむ愛とが常に胸にあふれていなくてはなりませんからな。法悦(ほうえつ)のないのは信心の獲得(ぎゃくとく)できていない証(あかし)だと思います。気を悪くなさいますな。いや若い時はだれでもそんなものですよ。僧一 おやお勤めの始まる鐘がなっています。僧二 本堂のほうへ参らなくてばなりません。僧三 ではごいっしょに参りましょう。唯円殿は?唯円 私はお師匠様のお給仕をいたしますので。三人の僧退場。唯円しばらく沈黙。やがて茶器を片付け、立ちあがり、廊下にいで、柱に身をよせかけ、ぼんやりして下の道路を見ている。商家の内儀と女中と下の道路の端に登場。
内儀 きょうはたくさんなお参りだね。女中 いいお天気でございますからね。内儀 ずいぶんほこりが立ちますね。(眉(まゆ)をひそむ)女中 お髷(ぐし)が白くなりましたよ。内儀 そうかえ。(手巾(てぬぐい)を出して髷(まげ)を払う)少し急いで歩いたものだから、汗がじっとりしたよ。(額や首をふく)女中 ほんに少し暑すぎるくらいですね。内儀 線香に、米袋に、お花、皆ありますね。女中 皆ちゃんとそろっています。内儀 おやお勤めの鐘がなってるよ。女中 ちょうどよいところへ参りました。内儀 早く本堂のほうに行きましょう。(道路の向こうの端に退場)親鸞 (登場。唯円の後ろに立つ)唯円、唯円。唯円 (振り向く。親鸞を見て顔を赤くする)親鸞 そんなところで何をしている。唯円 ぼんやり町を通る人を見ていました。親鸞 きょうはよいお天気じゃの。唯円 秋にしては暑いくらいでございます。親鸞 たくさんな参詣人じゃの。唯円 はい。ここから見ているといろいろな人が下を通ります。丁稚(でっち)二人登場。角帯をしめ、前だれをあて、白足袋(しろたび)をはいている。印のはいったつづらを載せた車を一人がひき、一人が押している。
丁稚一 もっとゆっくり行こうよ。丁稚二 でもおそくなるとまたしかられるよ。丁稚一 私はくたびれたよ。丁稚二 またゆうべのように居眠りするとやられるよ。丁稚一 でも眠くてねむくてしょうがなかったのだよ。丁稚二 ずいぶん暑いね。(手で汗をふく)丁稚一 そんなに草履(ぞうり)をパタパタさせな。丁稚二 たくさんな人だね。丁稚一 皆お寺参りだよ。丁稚二 見せ物の看板でも見て行こうか。丁稚一 (ちょっと誘惑を感じたらしく立ち止まる)でもおそくなるとしかられるから早く行こうよ。(退場)親鸞 世のさまざまな相(すがた)が見られるな。私は昔から通行人を見ているとさびしい気がしてな。唯円 私もさっきからそのような気がしていたのです。親鸞 ここでしばらくやすんで行こうか。唯円 それがよろしゅうございます。(座ぶとんを持って来て敷く)きょうはよく晴れて比叡山(ひえいざん)があのようにはっきりと見えます。親鸞 (すわる)あの山には今もたくさんな修行者がいるのだがな。唯円 あなたも昔あの山に長くいらしたのですね。親鸞 九つの時に初めて登山して、二十九の時に法然(ほうねん)様に会うまではたいていあの山で修行したのです。唯円 そのころの事が思われましょうね。親鸞 あのころの事は忘れられないね、若々しい精進(しょうじん)と憧憬(あこがれ)との間にまじめに一すじに煩悶(はんもん)したのだからな。森なかで静かに考えたり漁(あさ)るように経書を読んだりしたよ。また夕がたなど暮れて行く京の町をながめてあくがれるような寂しい思いもしたのだよ。唯円 では私の年にはあの山にいらしたのですね。どのような気持ちで暮らしていられましたか。親鸞 お前の年には私は不安な気持ちが次第に切迫して来た。苦しい時代だった。お経を読んでも読んでも私の心にしっくりとしないのだからな。それに私はその不安を心に収めて、まるで孤独で暮らさねばならなかった。唯円 同じ年輩の若い修行者がたくさん近くにいられたのではないのですか。親鸞 何百というほどいたよ。恐ろしい荒行をする猛勇な人や、夜の目も惜しんで研究する人や、また仙人(せんにん)のように清く身を保つ人やさまざまな人がいた。私もその人々のするような事をおくれずにした。ずいぶん思い切った行もした。しかし私の心のなかにはその人々には話されぬようなさびしさがあった。人生の愛とかなしみとに対するあくがれがあった。話せば取り合われないか、あるいは軽蔑(けいべつ)されるかだから、私はその心持ちをひとりで胸の内に守っていた。そのさびしさは私の心の内でだんだんとひとには知れずに育って行った。私がいよいよ山を下る前ごろにはそのさびしさで破産しそうな気がしたくらいだったよ。唯円 お師匠様。私はこのごろなんだかさびしい気がしてならないのです。時々ぼんやりいたします。きょうもここに立って通る人を見ていたらひとりでに涙が出て来ました。親鸞 (唯円の顔を見る)そうだろう。(間)お前は感じやすいからな。唯円 何も別にこれと言って原因はないのです。しかしさびしいような、悲しいような気がするのです。時々は泣けるだけ泣きたいような気がするのです。永蓮(ようれん)殿はからだが弱いせいだろうと言われます。私もそうだろうかとも思うのです。けれどもそうばかりでもないように思われます。私は自分の心が自分でわかりません。私はさびしくてもいいのでしょうか。親鸞 さびしいのがほんとうだよ。さびしい時にはさびしがるよりしかたはないのだ。唯円 今にさびしくなくなりましょうか。親鸞 どうだかね。もっとさびしくなるかもしれないね。今はぼんやりさびしいのが、後には飢えるようにさびしくなるかもしれない。唯円 あなたはさびしくはありませんか。親鸞 私もさびしいのだよ。私は一生涯(いっしょうがい)さびしいのだろうと思っている。もっとも今の私のさびしさはお前のさびしさとは違うがね。唯円 どのように違いますか。親鸞 (あわれむように唯円を見る)お前のさびしさは対象によって癒(いや)されるさびしさだが、私のさびしさはもう何物でも癒されないさびしさだ。人間の運命としてのさびしさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくてはわからない事だ。お前の今のさびしさはだんだん形が定まって、中心に集中して来るよ。そのさびしさをしのいでからほんとうのさびしさが来るのだ。今の私のようなさびしさが。しかしこのような事は話したのではわかるものではない。お前が自ら知って行くよ。唯円 では私はどうすればいいのでしょうか。親鸞 さびしい時はさびしがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心でまじめにやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ。何が自分の心のほんとうの願いかということも、すぐにはわかるものではない。さまざまな迷いを自分でつくり出すからな。しかしまじめでさえあれば、それを見いだす知恵が次第にみがき出されるものだ。唯円 あなたのおっしゃる事はよくわかりません。しかし私はまじめに生きる気です。親鸞 うむ。お前には素直な一向(ひとむき)な善(よ)い素質がある。私はお前を愛している。その素質を大切にしなくてはならない。運命にまっすぐに向かえ。知恵は運命だけがみがき出すのだ。今はお前は年のわりに幼いようだけれど、先では大きくなれるよ。唯円 さっき私は知応(ちおう)殿にしかられましてな。親鸞 なんと言って。唯円 私がさびしいのは信心が足りないからだと言うて。仏様の救いを信ずるものは法悦(ほうえつ)がなければならぬ。その法悦は救われている証拠だ。踴躍歓喜(ゆやくかんぎ)の情が胸に満ちていればさびしい事はない。さびしいのは救われていない証拠だとおっしゃいました。親鸞 ふむ。(考えている)両人しばらく沈黙。本堂より、鐘の音読経の合唱かすかに聞こえて来る。
唯円 お師匠様、あの(顔を赤くする)恋とはどのようなものでございましょうか。親鸞 (まじめに)苦しいものだよ。唯円 恋は罪の一つでございましょうか。親鸞 罪にからまったものだ。この世では罪をつくらずに恋をすることはできないのだ。唯円 では恋をしてはいけませんね。親鸞 いけなくてもだれも一生に一度は恋をするものだ。人間の一生の旅の途中にある関所のようなものだよ。その関所を越えると新しい光景が目の前にひらけるのだ。この関所の越え方のいかんで多くの人の生涯(しょうがい)はきまると言ってもいいくらいだ。唯円 そのように重大なものですか。親鸞 二つとない大切な生活材料だ。まじめにこの関所にぶつかれば人間は運命を知る。愛を知る。すべての知恵の芽が一時に目ざめる。魂はものの深い本質を見る事ができるようになる。いたずらな、浮いた心でこの関所に向かえば、人は盲目になり、ぐうたらになる。その関所の向こうの涼しい国をあくがれる力がなくなって、関所のこちらで精力がつきてへとへとになってしまうのだ。唯円 では恋と信心は一致するものでございましょうか。親鸞 恋は信心に入る通路だよ。人間の純な一すじな願いをつき詰めて行けば、皆宗教的意識にはいり込むのだ。恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。人生のかなしみがわかるのだ。地上の運命に触れるのだ。そこから信心は近いのだ。唯円 では私は恋をしてもよろしいのですか。親鸞 (ほほえむ)お前の問い方は愛らしいな。私はよいとも悪いとも言わない。恋をすればするでよい。ただまじめに一すじにやれ。唯円 あなたも恋をなさいましたか。親鸞 うむ。(間)私が比叡山(ひえいざん)で一生懸命修行しているころであった。慈鎮和尚(じちんかしょう)様の御名代(ごみょうだい)で宮中に参内(さんだい)して天皇の御前で和歌を詠(よ)ませられた。その時の題が恋というのだよ。ところがあまた公家(くげ)たちの歌よみの中で私のがいちばんすぐれているとて天皇のお気に召したのだよ。そして御褒美(ごほうび)をばいただいた。私は恐縮してさがろうとした。すると公家(くげ)の中の一人がかような歌をよむからにはお前は恋をしたのに相違ない。恋をした者でなくてはわからぬ気持ちだ。どうだ恋をした事があるだろうときくのだ。唯円 あなたはなんとお答えあそばしましたか。親鸞 そのような覚えはありませんと言った。するとその公家がそのようにうそを言ってもだめだ。出家の身で恋をするとはけしからんと言うのだ。ほかの公家たちがクスクス笑っているのが聞こえた。唯円 まじめに言ったのではないのですか。親鸞 からかって笑い草にしたのだよ。私は威厳を傷つけられて御所を退出した。どんなに恥ずかしい気がしたろう。それから比叡山(ひえいざん)に帰る道すがら、私はまじめに考えてみずにはいられなかった。私はほんとうに恋を知らないのであろうか。私はそうとは言えなかった。ではなぜ恋をしましたと言えなかったのか? なぜうそをついたのか。出家は恋をしてはいけない事になっているからだ。私はいやな気がした。私は自分らの生活の虚偽を今さらのように憎悪した。そして山上の修行が一つの型になっているのがたまらなく偽善のように感じられた。その時から私は山を下る気を起こしだした。もっとうそをつかずに暮らす方(ほう)はないか。恋をしても救われる道はないかと考えずにはいられなかった。唯円 およそ悪の中でも偽善ほど悪いものは無いのですね。あなたはいつか偽善者は人殺しよりも仏に遠いとおっしゃいましたね。親鸞 そのとおりだ。百の悪業(あくごう)に催されて自分の罪を感じている悪人よりも、小善根を積んでおのれの悪を認めぬ偽善者のほうが仏の愛にはもれているのだ。仏様は悪いと知って私たちを助けてくださるのだ。悪人のための救いなのだからな。唯円 善(よ)いものでなくては助からぬという聖道(しょうどう)の教えとはなんという相違でございましょう。親鸞 他人はともあれ、私のようなものはそれでは助かる見込みはつかないのだ。私は今でも忘れ得ぬが、六角堂に夜参りして山へ帰る道で一人の女に出会ってね。寒空(さむぞら)に月が凍りつくように光っている夜だったよ。私を山へ連れて登ってくれというのだ。私は比叡山(ひえいざん)は女人禁制(にょにんきんぜい)で女は連れて登るわけに行かないと断わったのだ。すると私の衣の袖(そで)にすがって泣くのだ。私も修行して助けられたいからぜひ山へ連れて行って出家にしてくれと一生懸命に哀願するのだ。いくら言っても聞き入れないのだ。はては女は助からなくてもよいのですかと恨むのだ。私は実に困った。山の上では女は罪深くして三世の諸仏も見捨てたもうということになっているのだ。しかたがないから私はそのとおりを言ってあきらめさせようとした。すると女は見る見るまっさおな顔をした。やがて胸をたたいて仏を呪(のろ)う言葉を続発した。それから一目散に走って逃げてしまった。唯円 まあかわいそうな事をなさいましたね。親鸞 でも山の上へは連れて行けなかったのだ。あらしで森ははげしく鳴っている。私は女の呪いが胸の底にこたえて夢中で山の上まで帰った。その夜はまんじりともしなかった。それからというものは私は女も救われなくてはうそだという気が心から去らなくなった。私は毎夜毎夜六角堂に通(かよ)って観音様に祈った。夢中で泣いて祈った。私は死んでもよいと思った。私はそのころからものの見方がだいぶ変わって来だした。山上の生活をきらう心は極度に達した。私は六角堂から帰りによく三条の橋の欄干にもたれて往来の人々をながめた。むつかしそうな顔をした武士や、胸算用に余念の無さそうな商人や、娘を連れた老人などが通った。あるいは口笛を吹きながら廓(くるわ)へ通うらしい若者も通った。私はどんなに親しくその人たちをながめたろう。皆許されねばならないような気がした。世の相(すがた)をあるがままに保っておくほうがよいという気がした。「このままで、このままで」と私は心の中に叫んだ。「みんな助かっているのでは無かろうか」と。山へ帰っても、もはや、そこは私の住み家ではない気がした。唯円 その時法然聖人(ほうねんしょうにん)にお会いなされたのですね。親鸞 まったく観音様のおひきあわせだよ。私は法然様の前で泣けて泣けてしかたがなかったよ。唯円 (涙ぐむ)あなたのお心は私にもよくわかります。両人しばらく沈黙。僧一、僧三登場。
僧一 お師匠様はここにいられましたか。親鸞 唯円と日向(ひなた)で話していました。僧三 御気分はいかがでございますか。親鸞 もうほとんどよいのだよ。ありがとう。僧一 それはうれしゅうございます。大切にあそばしてください。親鸞 お前たちもここでお話しなさい。本堂のほうはどうだった。唯円、座ぶとんを持ちきたり、両人にすすめ、茶をつぐ。
僧三 いっぱいの参詣人でございます。お勤めが済みまして、今は知応(ちおう)殿の説教最中でございます。僧一 知応(ちおう)殿の熱心な説教には皆感動したようでございました。僧三 権威のある、強い説教でした。皆かしこまって聴聞(ちょうもん)いたしていました。僧一 きょうの説教はことに上できでございました。親鸞 やはり法悦(ほうえつ)という題でしたのだな。僧三 御存じでいらっしゃいますか。親鸞 知応が私に話した事もあるし、さっき唯円からちょっと聞いた。僧一 宗教的歓喜というものがいかに富や名誉など、地上の楽よりもすぐれて尊いかを高潮してお話しなされました。僧三 恋よりも楽しいとさえおっしゃいました。唯円 死の恐怖もなく孤独のさびしさもなく、浮き世への誘惑も無いとおっしゃいました。僧一 法悦は救いの証拠であると言われました。僧三 私たち出家しているものの、特別に恵まれた境遇である事を、あの説教を聞いて私は今さらのごとくに感じました。唯円 私はあれを聞いて不安な気がいたします。私はこのごろはさびしい気がいつもいたします。ぼんやりしてお経を読んでも心が躍(おど)らない時があります。私は病身で先月も少し熱が高かったので死ぬのではないかとこわくてたまりませんでした。今死んでは惜しくてなりません。私はなんだかあくがれるような、浮き世をなつかしむような気が催して来ます。知応様のように強い証(あかし)を立てる事ができません、法悦が救いの証拠とすれば私は救われていないのでしょうか。私はこのようでも仏様が助けてくださる事だけは疑わないのですけれど……僧一 からだの弱いせいだろうと私は思います。僧三 やはり信心が若いからではありますまいか。唯円 お師匠様、いったいどうなのでございましょう。教えてください。私は不安でたまりません。私は助かっていますか。いませんか。親鸞 助かっています。心配する事はありません。実は私も唯円と同じ心持ちで暮らしています。病気の時は死を恐れ、煩悩(ぼんのう)には絶えず催され、時々はさびしくてたまらなくなる事もあります。踴躍歓喜(ゆやくかんぎ)の情は、どうもおろそかになりがちでな。時に燃えるような法悦三昧(ほうえつざんまい)に入る事もあるが、その高潮はやがて灰のように散りやすくてな。私は始終苦しんでいます。僧一 (驚きて親鸞を見る)あなたがですか。親鸞 私はなぜこうなのだろうといつも自分を責めています。よくよく私は業(ごう)が深いのだ。私の老年になってこうなのだから、若い唯円が苦しむのも無理はない。しかし私は決して救いは疑わぬのだ。仏かねて知ろしめして煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)と仰せられた。そのいたし方のない罪人の私らをこのまま助けてくださるのだ。僧三 では知応(ちおう)殿のお考えは間違いでございますか。親鸞 いや間違いではない。人によって業の深浅があるのだ。法悦の相続できる人は恵まれた人だ。私はそのような人を祝福する。ある人は煩悩が少なく、ある人は煩悩が強くて苦しむのだ。ただ法悦を救いの証(あかし)とするのが浅い。知応にも話そうと思っているがよくお聞きなさい。救いには一切の証はありませんぞ。その証を求めるのはこちらのはからいで一種の自力(じりき)です。救いは仏様の願いで成就している。私らは自分の機にかかわらずただ信じればよいのです。業の最も浅い人と深い人とはまるで相違したこの世の渡りようをします。しかしどちらも助かっているのです。唯円 私はありがたい気がいたします。もったいないほどでございます。僧一 私はそこに気がつきませんでした。法悦(ほうえつ)があっても、なくても、私らの心のありさまの変化にはかかわりなしに救いは確立しているのでございますね。親鸞 それでなくては運命にこぼたれぬ確かな救いと言われません。私らの心のありさまは運命で動かされるのだからな。僧三 やはり自らの功で助けられようとする自力根性(じりきこんじょう)が残っているのですね。すべてのものを仏様に返し奉る事は容易ではございませんね。親鸞 何もかもお任せする素直な心になりたいものだな。唯円 聞けば聞くだけ深い教えでございます。親鸞 みんな助かっているのじゃ。ただそれに気がつかぬのじゃ。僧二 (登場)皆様ここにいられましたか。今やっと説教が済みました。(興奮している)親鸞 御苦労様でした。しばらくここでお休みなさい。僧二 お師匠様にお願いであります。ただ今私が説教を終わりますと、講座のそばに五、六名の同行(どうぎょう)が出て参りまして、親鸞様にぜひお目にかかりたいから会われるようにとりなしてくれと頼みました。親鸞 何か特別な用向きでもあるのですか。僧二 往生(おうじょう)の一大事について承りたき筋あって、はるばる遠方から尋ねて参ったと申します。皆熱心面(おもて)にあふれていました。親鸞 往生(おうじょう)の次第ならばもはや幾度も聴聞(ちょうもん)しているはずだがな。まことに単純な事で私は別に話し加える事もありませんがな。僧二 私もさよう申し聞かせました。ことに少し御不例ゆえまた日をかえていらしたらどうかと申しました。しかし皆はるばる参ったものゆえ、ぜひ親鸞様にお目にかからせてくれと泣かぬばかりに頼みます。あまり熱心でございますから、私も不便(ふびん)になりまして、御病気のあなたを煩(わずら)わすのは恐れ入りますが、一応お尋ね申す事にいたしました。親鸞 それはおやすい事です。私に会いたいのならいつでもお目にかかります。ただ私はむつかしい事は知らぬとその事だけ伝えておいてください。ではここへすぐ通してください。僧二 ありがとうございます。さぞ皆が喜ぶ事でございましょう。(退場)僧一 遠方から参ったものと見えますな。僧三 熱心な同行衆(どうぎょうしゅう)でございますね。唯円 お師匠様に会いたさにはるばる京にたずねて来たのですね。私は殊勝な気がいたします。親鸞 (黙って考えている)僧二 (同行衆六名を案内して登場)親鸞 (同行衆の躊躇(ちゅうちょ)しているのを見て)さあ、こちらにおいでなさい。遠慮なさるな。唯円、席をととのえる。同行衆皆座に着く。
親鸞 私が親鸞です。(弟子をさして)この人たちはいつも私のそばにいる同行です。同行一 あなたが親鸞様でございましたか。(涙ぐみ親鸞をじっと見る)同行二 私はうれしゅうございます。一生に一度はお目にかかりたいと祈っていました。同行三 逢坂(おうさか)の関(せき)を越えてここは京と聞いたとき私は涙がこぼれました。同行四 ほんになかなかの思いではございませんでしたね。同行五 長い間の願いがかない、このような本望(ほんもう)なことはございません。同行六 私はさっき本堂で断わられるのではないかと気が気でありませんでした。親鸞 (感動する)よくこそたずねて来てくださいました。私もうれしく思います。どちらからお越しなされました。同行一 私どもは常陸(ひたち)の国から参りましたので。同行四 私らは越後(えちご)の者でございます。親鸞 まああなたがたはそのように遠くからいらしたのですか。同行二 ずいぶん長い旅をいたしました。親鸞 そうでしょうともね。常陸も越後も私には思い出の深い国でございます。同行四 私の国ではほうぼうであなたの事を同行(どうぎょう)が集まってはおうわさ申しております。同行一 あなたのおのこしなされた御感化は私の国にもくまなく行き渡っております。同行三 まだお目にかからぬあなた様をどんなにお慕い申した事でございましょう。親鸞 私もなつかしい気がいたします。あのあたりを行脚(あんぎゃ)したころの事が思い出されます。同行五 あのころとはいろいろ変わっていますよ。親鸞 なにしろもう二十年の昔になりますからね。同行六 雪だけは相変わらずたくさん積もります。親鸞 雪にうずもれた越後(えちご)の山脈の景色は一生忘れる事はできません。同行四 も一度いらしてくださる気はございませんか。親鸞 御縁がありましたらな。だがおそらく二度と行くことはありますまい。もう年をとりましたでな。同行一 お幾つにおなりなされますか。親鸞 七十五になります。同行二 さっきちょっと承りましたら、あなたは御病気でいらっしゃいますそうで。親鸞 はい少し風をひきましてな。もうほとんどよいのです。同行二 どうぞお大切になされてくださいませ。同行三 皆の者がいかほどおたより申しているか知れないのですから。親鸞 はいようおっしゃってくださいます。(間。唯円をさし)この人は常陸(ひたち)から来ているのです。唯円 私は常陸の大門村在(だいもんむらざい)の生まれでございます。同行一 同じお国と聞けばなつかしゅうございます。もう長らく京にいられるのでございますか。唯円 国を出てから十年になります。国には父が残っていますので恋しゅうございます。親鸞 十五年前に私が常陸の国を行脚(あんぎゃ)したおりに、雪に降りこめられてこの人の家に一夜の宿をお世話になったのです。それが縁となって、今ではこうして朝夕いっしょに暮らすようになりました。同行二 因縁(いんねん)と申すものは不思議なものでございますな。僧一 袖(そで)の振り合いも他生(たしょう)の縁とか申します。僧二 こうして皆様と半日をいっしょに温(あたた)かく話すのでも、縁なくば許される事ではありませんね。僧三 一つの逢瀬(おうせ)でも、一つの別れでもなかなかつくろうとしてつくれるものではありませんね。人の世のかなしさ、うれしさは深い宿世(すくせ)の約束事でございます。唯円 私は縁という事を考えると涙ぐまれるここちがします。この世で敵(かたき)どうしに生まれて傷つけ合っているものでも、縁という事に気がつけば互いに許す気になるだろうと思います。「ああ私たちはなんという悪縁なのでしょう」こう言って涙をこぼして二人は手を握る事はできないものでしょうか。親鸞 互いに気に入らぬ夫婦でも縁あらば一生別れる事はできないのだ。墓場にはいった時は何もかもわかるだろう。そして別れずに一生添い遂げた事を互いに喜ぶだろう。唯円 愛してよかった。許してよかった。あの時に呪(のろ)わないでしあわせだった、と思うでしょうよね。僧三 人は皆仲よく暮らすことですね。一同しんみり沈黙。
同行一 (ひざをすすめる)実は私たちが十余か国の境を越えてはるばる京へ参りましたのは往生(おうじょう)の一義が心にかかるからでございます。私たちはぜひとも今度の後生(ごしょう)の一大事が助けていただきたいのでございます。皆に代わって私が一向(ひとむき)にお願い申します。何とぞ往生の道をお教えくださいませ。親鸞 さほどに懸命に道を求めなさるのは実に殊勝に存じます。私はいつも世の人が信心を軽(かろ)い事に思うのを不快に感じています。信心は一大事じゃ。真剣勝負じゃ。地獄と極楽との追分(おいわけ)じゃ。人間がいちばんまじめに対せねばならぬ事だでな。だが、あなたがたは国のお寺では聴聞(ちょうもん)なされませぬかの。同行二 毎度聴聞いたしています。親鸞 どのように聴聞していられます。同行三 阿弥陀(あみだ)様に、何とぞ今度の後生(ごしょう)を助けたまわれとひとすじにお願い申せばいかなる悪人も必ず助けてくださると、こう承っていますので。親鸞 そのとおりです。それでよろしい。同行四 そこまではたびたび聞いてよく承知いたしています。それから先を詳しく教えていただきたいので。親鸞 それを聞いて何になさるのじゃ。同行五 極楽参りがいたしたいので。親鸞 極楽参りはお国で聴聞なされてよく御承知のとおりの念仏で確かにできるのです。同行六 でもなんだか不安な気がしまして。親鸞 安心なさい。それだけで充分です。同行一 あなたの御安心(ごあんじん)が承りたいので。親鸞 私の安心もただその念仏だけです。同行二 でもあまり曲(きょく)がなさ過ぎます。親鸞 その単純なのが当流の面目です。単純なものでなくては真理ではありません。また万人の心に触れる事はできません。同行三 ではございましょうが、あなたは長い間比叡山(ひえいざん)や奈良(なら)で御研学あそばしたのでございましょう。私たち無学な者にはわからぬかは存じませぬが、御教養の一部をお漏らしなされてくださいませ。同行四 それを承りにはるばる参ったのでございます。同行五 国のみやげにいたします。親鸞 (まじめな表情になる)いやそのさまざまの学問は極楽参りの邪魔にこそなれ助けにはなりません。信心と学問とは別事です。たとい八万の法蔵を究(きわ)めたとて、極楽の門が開けるわけではありません。念仏だけが正定(しょうじょう)の業(ごう)です。もしおのおのがたが親鸞はむつかしき経釈(きょうしゃく)をもわきまえ、あるいは往生(おうじょう)の別の子細をも存じおるべしと心憎くおぼしめして、はるばる尋ねていらしたのならば、まことにお気の毒に思います。私は何もむつかしい事は存じませぬのでな。その儀ならば南都北嶺(ほくれい)にゆゆしき学者たちがおられます。そこに行ってお聞きなされませ。同行一 御謙遜(ごけんそん)なるお言葉に痛み入ります。なおさらゆかしく存じます。同行二 北嶺一の俊才と聞こえたるあなた様、なんのおろそかがございましょう。親鸞 北嶺南都で積んだ学問では出離の道は得られなかったのです。私は学問を捨てたのです。そして念仏申して助かるべしと善(よ)き師の仰せを承って、信ずるほかには別の子細はないのです。同行三 それは真証でござりますか。一同不審の顔つきをしている。
親鸞 何しに虚言を申しましょう。思わせぶりだとおぼしめしなさるな。およそ真理は単純なものです。救いの手続きとして、外から見れば念仏ほど簡単なものはありませぬ。ただの六字だでな。だが内からその心持ちに分け入れば、限りもなく深く複雑なものです。おそらくあなたがたが一生かかってもその底に達する事はありますまい。人生の愛と運命と悲哀と――あなたがたの一生涯(いっしょうがい)かかって体験なさる内容を一つの簡単な形に煮詰めて盛り込んであるのです。人生の歩みの道すがら、振りかえるごとにこの六字の深さが見えて行くのです。(だんだん熱心になる)それを知恵が増すと申すのじゃ。経書の教義を究(きわ)めるのとは別事です。知識がふえても心の眼(め)は明るくならぬでな。もしめいめいがたが親鸞に相談なさるなら、御熟知の唱名(しょうみょう)でよろしいと申しましょう。経釈(きょうしゃく)の聞きぼこりはもってのほかの事じゃ。それよりもめいめいに念仏の心持ちを味わう事を心がけなさるがよい。人を愛しなさい。許しなさい。悲しみを耐え忍びなさい。業(ごう)の催しに苦しみなさい。運命を直視なさい。その時人生のさまざまの事象を見る目がぬれて来ます。仏様のお慈悲がありがたく心にしむようになります。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)がしっくりと心にはまります。それがほんとうの学問と申すものじゃ。同行五 おそれ入りました。鈍(どん)な私たちにもよく腹に入りました。極楽へ参らせていただくためには、ただ念仏すればよいのでございますな。ただそれだけでよいのでございますな。同行六 鋭い刀で切ったように心がはっきりとして参りました。同行一 ただ一つ私にお聞かせください。その念仏して浄土に生まれるというのは何か証拠があるのですか。親鸞 信心には証拠はありません。証拠を求むるなら信じているのではありません。(一気に強く)弥陀(みだ)の本願まことにおわしまさば、釈尊(しゃくそん)の教説虚言ではありますまい。釈尊の教説虚言ならずば、善導(ぜんどう)の御釈偽りでございますまい。善導の御釈偽りならずば法然聖人(ほうねんしょうにん)の御勧化(ごかんげ)よも空言(そらごと)ではありますまい。(間)いやたとい法然聖人にだまされて地獄に堕(お)ちようとも私は恨みる気はありません。私は弥陀(みだ)の本願がないならば、どうせ地獄のほかに行く所は無い身です。どうせ助からぬ罪人ですもの。そうです。私の心を著しく表現するなら、念仏はほんとうに極楽に生まるる種なのか。それとも地獄に堕ちる因なのか、私はまったく知らぬと言ってもよい。私は何もかもお任せするものじゃ。私の希望、いのち、私そのものを仏様に預けるのじゃ。どこへなとつれて行ってくださるでしょうよ。一同しばらく沈黙。
同行一 私は恥ずかしい気がいたします。私の心の浅ましさ、証拠が無くては信じないとはなんという卑しい事でございましょう。同行二 私の心の自力(じりき)が日にさらされるように露(あら)われて参りました。同行三 さまざまの塀(かき)を作って仏のお慈悲を拒んでいたのに気がつきました。同行四 まだまだ任せ切っていないのでした。同行五 心の内の甘えるもの、媚(こ)びるものがくずれて行くような気がします。同行六 (涙ぐむ)思えばたのもしい仏のおん誓いでございます。親鸞 さかしらな物の言い方をいたして気になります。必ずともにむつかしい事を知ろうとなさいますな。素直な子供のような心で仏様におすがりあそばせ。あまり話が理に落ちました。少しよもやまの話でもいたしましょう。もう名所の御見物はなされましたか。同行一 まだどこも見ませんので。同行二 京に着くとすぐここにお参りいたしましたのです。親鸞 祇園(ぎおん)、清水(きよみず)、知恩院(ちおんいん)、嵐山(あらしやま)の紅葉ももう色づきはじめましょう。なんなら案内をさせてあげますよ。同行一 はいありがとうございます。この時夕方の鐘が鳴る。
唯円 お師匠様。夕ざれて、涼しくなって参りました。もうお居間でお休みあそばしませぬとおからだにさわりますよ。同行四 どうぞお休みなされてくださいまし。同行五 私たちはもうお暇(いとま)申します。親鸞 いや、今夜は私の寺にお泊まりください。これから私の居間でお茶でも入れて、ゆっくりとお話しいたしましょう。(弟子たちに)お前たちもいっしょにいらっしゃい。唯円、御案内申しあげておくれ。親鸞先に立ちて退場。皆々立ちあがる。
唯円 さあ、どうぞこちらにお越しなされませ。――幕――[#改ページ]

    第三幕

      第一場

三条木屋町。松(まつ)の家(や)の一室(鴨川(かもがわ)に臨んでいる)
人物 善鸞(ぜんらん)(親鸞(しんらん)の息)      三十二歳
   唯円(ゆいえん)
   浅香(あさか)(遊女)        二十六歳
   かえで(遊女)       十六歳
   遊女三人
   仲居二人
   太鼓持ち
時  秋の日ぐれ

遊女三人欄干にもたれて語りいる。
遊女一 冷たい風が吹いて気持ちのいいこと。遊女二 顔が燃えてしょうがないわ。(頬(ほお)に手をあてる)遊女三 私は遊び疲れてしまいました。遊女一 この四、五日は飲みつづけ、歌いつづけですものね。遊女二 私は善鸞様に盛りつぶされ、酔いくたびれて逃げて来ました。遊女三 善鸞様はいくらでもむちゃにおあがりなさるのですもの。とてもかないませんわ。そのくせおいしそうでもないのね。遊女一 飲むほど青いお顔色におなりなさるのね。遊女二 ばかにはしゃいでいらっしゃるかと思えば、急に泣きだしたりしてほんとうに変なかたですわね。私はお酒によって泣く人はいやだわ。遊女三 ほんとうに私は時々気味が悪くなってよ。このあいだも私がお酒のお相手をしていたら、妙に沈んでいらしたが、私の顔をじっと見て、私はお前がかわゆいかわゆいと言って私をお抱きなさるのよ。それが色気なしなのよ。遊女一 気が狂うのではないかと思うと、一方ではまたしっかりしたところがあるしね。遊女二 私は始め少し足りないのではないかと思ったのよ。ところがどうして、鋭すぎるくらいしっかりしているのよ。めったな事は言われませんよ。遊女三 なにしろ好いたらしい人ではありませんね。
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