血曼陀羅紙帳武士
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著者名:国枝史郎 

    腰の物拝見

「お武家お待ち」
 という声が聞こえたので、伊東頼母(たのも)は足を止めた。ここは甲州街道の府中から、一里ほど離れた野原で、天保××年三月十六日の月が、朧(おぼ)ろに照らしていた。頼母は、江戸へ行くつもりで、街道筋を辿(たど)って来たのであったが、いつどこで道を間違えたものか、こんなところへ来てしまったのであった。声は林の中から来た。頼母はそっちへ眼をやった。林の中に、白い方形の物が釣ってあった。紙帳(しちょう)らしい。暗い林の中に、仄白く、紙帳が釣ってある様子は、巨大な炭壺の中に、豆腐でも置いたようであった。声は紙帳の中から来たようであった。
 塚原卜伝が武者修行の際、山野に野宿する時、紙帳を釣って寝たということなどを、頼母は聞いていたので、林に紙帳の釣ってあることについては、驚かなかったものの、突然、横柄な声で呼び止められたのには、驚きもし腹も立てた。それで黙っていた。すると、紙帳の裾が揺れ、すぐに一人の武士が、姿を現わした。武士の身長(たけ)が高いので、紙帳を背後(うしろ)にして立った形(すがた)は「中」という字に似ていた。
「お腰の物拝見出来ますまいかな」と、その武士は、頭巾で顔を包んだままで云った。
「黙らっしゃい」と頼母は、とうとう癇癪を破裂させて叫んだ。
「突然呼び止めるさえあるに、腰の物を見せろとは何んだ! 成らぬ!」
「そう仰せられずに、お見せくだされ。相当の物をお差しでござろう」
「黙れ! 無礼な奴、ははア、貴様、追い剥ぎだな。腰の物拝見などと申し、近寄り、懐中物を奪うつもりであろう。ぶった斬るぞ!」
「賊ではござらぬ。ちと必要あって腰の物拝見したいのじゃ。何をお差しかな。まさか天国(あまくに)はお差しではござるまいが」
「ナニ、天国? あッはッはッ、何を申す、馬鹿な。天国や天座(あまのざ)など、伝説中の人物、さような刀鍛冶など、存在したことござらぬ。鍛えた刀など、何んであろうぞ」
 すると武士は、頭巾の中で、錆(さび)のある、少し嗄(しわが)れた声で笑ったが、「貴殿も、天国不存在論者か。馬鹿者の一人か。まアよい、腰の物お見せなされ」と、近寄って来た。
 頼母は、傍若無人といおうか、自信ある行動といおうか、相手の武士が、無造作に、近寄って来る態度に圧せられ、思わず二、三歩退いたが、冠っていた編笠を刎ね退(の)け、刀の柄へ手をかけた。父の敵(かたき)を討つまでは、前髪も取らぬと誓い、それを実行している頼母は、この時二十一歳であったが、前髪を立てていた。当時の若衆形、沢村あやめに似ていると称された美貌は、月光の中で蒼褪めて見えた。
 武士は、頼母の前、一間ばかりの所で立ち止まったが、「まだお若いの。若い貴殿を蜘蛛(くも)の餌食(えじき)にするのも不愍、斬るのは止めといたすが、云い出したからには、腰の物は拝見いたさねばならず……眠らせて!」
「黙れ!」
 鍔音(つばおと)がした!
「はーッ」と頼母は、思わず呼吸(いき)を引いた。武士によって鳴らされた鍔音が、神魂に徹(とお)ったからであった。
 猛然と頭巾が逼って来た。頭巾の主の体が、怒濤のように殺到して来た。そうして次の瞬間には、頼母は、地上へ叩き付けられていた。体当たりを喰らったのである。
 俯向けに地に倒れた頼母は、(俺はここで死ぬのか。死んでは困る。俺は父の敵五味左門を討たなければならないのだから)と思った。
 そういう彼の眼に見えたものは、彼の両刀を調べている武士の姿であった。そうして、その武士の背後の地面から、瘤(こぶ)のように盛り上がっている古塚であった。その古塚は、数本の松と、一基の碑(いしぶみ)とを、頂きに持っていた。そうして……しかし、頼母の意識は朦朧(もうろう)となってしまった。

    参詣(おまいり)に来た娘

 その頼母が、誰かに呼ばれているような気がして、正気づいた時、まず見えたのは、自分の顔へ、近々と寄せている、細い新月のような眉、初々(ういうい)しい半弓形の眼の、若い女の顔であった。円味の勝った頤(おとがい)につづいて、剥(む)き胡桃(くるみ)のような、肌理(きめ)の細かな咽喉が、鹿(か)の子(こ)の半襟から抜け出している様子は、艶(なまめ)かしくもあれば清らかでもあった。
「もし、お武家様、お気づかれましたか」と娘は云った。
 頼母は弱々しく頷いて見せ、そうして、(俺はこの娘に助けられたらしい)と思った。しかしすぐに、紙帳から出て来た武士のことが気にかかった。それで、まだ弛(ゆる)く、自由になりにくい首をやっと廻して、林の方を見た。どんぐりや櫟(くぬぎ)や柏によって形成(かたちづく)られている雑木林には、今は陽があたっていて、初葉さえ附けていない裸体(はだか)の幹や枝が、紫ばんだ樺(かば)色に立ち並んでいたが、紙帳は釣ってなかった。(夜の間に立ち去ったのだな。それにしてもあの武士、何者なのであろう? 突然紙帳の中から出て来て、刀を見せろと云い、見せないといったら、体当たりをくれ、俺を気絶させおった。紙帳を林の中に釣って寝ていたところから察すると、武者修行の者らしいが、着流しで、頭巾を冠っていた様子から推すと、そうでもないらしい)頼母は、頭に残っている疲労の中で、こんなことを考えた。(それにしても、彼と俺との、武技(うで)の相違はどうだったろう)これを思うと頼母は、赧くならざるを得なかった。(大人と子供といおうか。世には恐ろしい奴があればあるものだ)
 この時娘が、
「野中の道了様へお詣りに参りましたところ、あなた様が気絶をしておいでなさいましたので、ご介抱申し上げたのでございます。でも正気づかれて、ほんとうに嬉しゅうございます」
 と云った。細々としていて、優しい、それでいて寂(さび)しみの籠もっている声であった。
 頼母は娘の顔へ眼をやり、
「忝(かたじ)けのうございました。おかげをもちまして、命びろいいたしました」と云ったが、(何んだ俺はまだ寝ているではないか)と気づき、起き上がろうとした。しかし、倒れた時、体をひどく打ったらしく、節々が痛んで、なかなか起き上がれなかった。
「いえいえ、そのままでおいでなさいませ。お寝(よ)ったままで。どうせそのお体では、すぐにご出立は出来ますまい。むさくるしい所ではございますが、妾(わたし)の家で、二、三日ご逗留し、ご養生なさいませ。いえいえご遠慮には及びませぬ。よく妾の家へは、旅のお武家様がお立ち寄りでございます。父が大変喜びますので。でも、家は一里ほど離れておりますので、お徒歩(ひろ)いではお困りでございましょう。乳母(ばあや)がおりますゆえ、町へやり、駕籠をひろわせて参りましょう。……乳母!」と、娘は立ち上がりながら呼んだ。
 五十あまりの、品のよい婦(おんな)が、古塚のような小丘の裾に佇んでいたが、すぐに寄って来た。それへ娘は何やら囁いた。
「はい、お嬢様、かしこまりましてございます」乳母はそう云ったかと思うと、雑木林を巡って歩いて行った。
 娘は、しばらくそれを見送っていたが、やがて屈(かが)むと、地に置いてあった線香の束を取り上げ、「どれ、それでは妾は、ちょっと道了様へ。……」と云い、古塚のような、小丘の方へ歩いて行った。
(あれが道了様なのか)と、頼母は、それでもようやく起き上がった体を、小丘の方へ向け、つくづくと眺めた。それは、高さ二間、周囲(まわり)十間ぐらいの大岩で出来ている塚であったが、その面に、苔だの枯れ草だの枯れ葉だのがまとい付いている上に、土壌(つち)が蔽うているので、早速には、岩とは見えなかった。塚の頂きに立っている碑(いしぶみ)には、南無妙法蓮華経と、髭(ひげ)題目が刻まれていた。碑は、歳月と風雨とに損われて、諸所(ところどころ)欠けている高さ六尺ぐらいの物で、色は黝(くろ)かったが、陽に照らされ、薄光って見えた。その碑の面を、縒(よ)れたり縺(もつ)れたりしながら、蒼白い、漠とした物が立ち昇って行った。娘が供えた線香の煙りであった。煙りの裾、碑の前に、つつましく屈み、合掌しているのが娘で、その姿が、数本の小松に遮(さえぎ)られていたので、かえって趣(おもむ)き深く眺められた。
「絵だ」と、頼母は、娘の赤味の勝った帯などへ眼をやりながら、呟いた。

    古屋敷の古浪人

 乳母(ばあや)が雇って来た駕籠に乗り、頼母が、娘の家へ行ったのは、それから間もなくのことで、娘の家は、府中から一里ほど離れたところにあった。鋲打ちの門や土塀などに囲まれた、それは広大(ひろ)い屋敷であったが、いかにも古く、住人も少ないかして、森閑としていた。頼母は、古びた衝(つい)立ての置いてある玄関から、奥へ通された。
 さて、この日が暮れ、夜が更けた時、屋敷の一間から、話し声が聞こえて来た。
 畳も古く、襖も古く、広いが取り柄の客間に、一基の燭台が置いてあったが、その灯の下で、四人の武士が、酒を飲み飲み、雑談しているのであった。
「我輩は、ここへ逗留して三日になるが、主人(あるじ)薪左衛門殿の姿を見たことがない。気がかりともいえれば不都合ともいえるな」と云ったのは、頬に刀傷のある、三十五、六の、片岡という武士で、片手を枕にして、寝そべっていた。
「不都合とはどういう訳か」と、怪訝(けげん)そうに訊いたのは、それと向かい合って、片膝を立て、盃をチビチビ嘗めていた、山口という三十年輩の武士で、「只で泊めて貰い、朝酒、昼酒、晩酌まで振る舞われて、まだ不平なのか」
「そうではない。縁も由縁(ゆかり)もない我らを、このように歓待してくれながら、主人が顔を出さぬのは不都合……いや、解せぬというのじゃ」
「それは貴公、世間の噂を知らぬからじゃ」
 と云ったのは、膝の前にある皿の肴(さかな)を、なお未練らしくせせっていた、五十五、六の、頬髯を生やした、望月角右衛門という武士で、「世間の噂によれば、薪左衛門殿は、ここ数年来、誰にも逢わぬということじゃ」
 すると、二十五、六の、南京豆のような顔をした、小林紋太郎という武士が、「それは何故でございましょうかな? ご病気なので? それとも……」
「解らぬ」と、角右衛門が云った。「解らぬのじゃ。さよう、病気だとの噂もあれば、いつも不在じゃという噂もある」
「いよいよ変じゃ」と云ったのは、片岡という武士で、「そういう薪左衛門殿が、見ず知らずの浪人でも、訪(たず)ねて行きさえすれば、泊めてくれ、ご馳走をしてくれるとは……」
「よいではないか」と、角右衛門が、抑えるような手つきをし、
「主人がどうあろうと、我らにとっては関(かま)わぬことじゃ。泊めてくれて、ご馳走してくれて、出立の際には草鞋(わらじ)銭までくれる。いやもう行き届いた待遇(もてなし)。それをただ我らは、受けておればよい。我らにとっては大旦那よ。主人の秘密など、剖(あば)かぬこと剖かぬこと」
「そうともそうとも」と合い槌を打ったのは、山口という武士で、「その日その日を食いつなぐだけでも大わらわの我ら、他人の秘密事(ないしょごと)など、どうでもよかよか。いや全くこの頃の世間、世智辛くなったぞ。百姓や町人めら、なかなか我らの威嚇(おどし)や弁口に、乗らぬようになったからのう」
「以前(むかし)はよかった」と感慨深く云ったのは、例の望月角右衛門という武士で、「百姓も町人も、今ほど浪人慣れていず、威嚇などにも乗りやすく、よく金を出してくれたものよ。それに第一、浪人の気組が違っていた。今の田舎稼ぎの浪人など、自分の方からビクビクし、怖々(こわごわ)強請(ゆす)りかけているが、以前(むかし)の浪人とくると、抜き身の槍や薙刀を立て、十人十五人と塊(かた)まって、豪農だの、郷士だのの屋敷へ押しかけて行き、多額の金子(きんす)を、申し受けたものよ」

    義兄弟の噂

 しばらく話が途絶えた。春とはいっても、夜は小寒かった。各自(めいめい)に出されてある火桶に、炭火(ひ)は充分にいけられていたが、広い部屋は、それだけでは暖まらないのであろう。
 と、横手の襖が開いて、老僕がはいって来、新しい酒を置き無言で立ち去った。浪人たちは、ちょっと居住居を直したが、老僕の姿が消えると、また横になったり、胡坐(あぐら)を掻いたりした。一番年の若い武士が、燗徳利を取ると、仲間の盃へ、次々と注いだ。燭台の皿へ、丁字(ちょうじ)が立ったらしく、燈火(ひのひかり)が暗くなった。それを一人が、箸を返して除去(と)った。明るくなった燈に照らされ、床の間に置いてある矢筒の矢羽根が、雪のように白く見えた。
「その時代には、ずば抜けた豪傑もいたものよ」と、角右衛門が、やがて回顧の想いに堪えないかのような声で、しみじみと話し出した。「もっとも、これは噂で聞いただけで、わしは逢ったことはないのだが、来栖(くるす)勘兵衛、有賀(ありが)又兵衛という二人でな、義兄弟であったそうな。この者どもとなると、十人十五人は愚か、三十人五十人と隊を組み、槍、薙刀どころか、火縄に点火した鳥銃をさえ携え、豪農富商屋敷へ、白昼推参し、二日でも三日でも居坐り、千両箱の一つぐらいを、必ず持ち去ったものだそうじゃ。ところが、不思議なことには、この二人、甲州の大尽、鴨屋方に推参し、三戸前の土蔵を破り、甲州小判大判取り雑(ま)ぜ、数万両、他に、刀剣、名画等を幾何(いくばく)ともなく強奪したのを最後に、世の中から姿を消してしまったそうじゃ」
「召し捕られたので?」
「それが解らぬのじゃ」
 この時、庭の方から、轍(わだち)でも軋(きし)るような、キリキリという音が、深夜の静寂(しじま)に皹(ひび)でも入れるかのように聞こえて来た。武士たちは顔を見合わせた。この者どもは、永の浪人で、仕官の道はなく、生活(たつき)の法に困(こう)じたあげく、田舎の百姓や博徒の間を巡り歩き、強請(ゆすり)や、賭場防ぎをして、生活(くらし)をしている輩(やから)であったが、得体の知れない、この深夜の軋り音(ね)には気味が悪いと見え、呼吸(いき)を呑んで、ひっそりとなった。軋り音は、左の方へ、徐々に移って行くようであった。不意に角右衛門が立ち上がった。つづいて三人の武士が立ち上がり、揃って廊下へ出、雨戸を開けた。四人の眼へはいったものは、月夜の庭で、まばらの植え込みと、その彼方(あなた)の土塀とが、人々の眼を遮った。しかし、軋り音の主の姿は見えず、ずっと左手奥に、はみ出して作られてある部屋の向こう側から、音ばかりが聞こえて来た。でも、それも、次第に奥の方へ移って行き、やがて消え、吹いて来た風に、植え込みに雑じって咲いている桜が、一斉に散り、横撲りに、四人の顔へ降りかかった。四人の者は、そっと吐息をし、府中の町が、一里の彼方、打ち開けた田畑の末に、黒く横仆(よこたわ)っているのを、漠然と眺めやった。町外れの丘の一所が、火事かのように赤らんでいる。
「そうそう」と角右衛門が云った。「今日から府中は火祭りだったのう。あの火がそうじゃ」
「向こう七日間は祭礼つづき、町はさぞ賑わうことであろう」――これは片岡という武士であった。
「府中の火祭り賭場は有名、関東の親分衆が、駒箱を乾児(こぶん)衆に担がせ、いくらともなく出張って来、掛け小屋で大きな勝負をやる筈。拙者、明日は早々ここを立って、府中(あそこ)へ参るつもりじゃ」これは山口という武士であった。
「わたくしも明日は府中へ参ります所存。この頃中不漁(しけ)で、生物(なまもの)にもありつかず、やるせのうござれば、親分衆に取り持って貰って……」
 と、紋太郎が云った。生物というのは女のことらしい。

    血蜘蛛の紙帳

 それを聞くと、角右衛門は笑ったが、
「貴殿方は、どの親分のもとへ参らるる気かな。拙者は、松戸の五郎蔵殿のもとへ参るつもりじゃ。関東には鼻を突くほど、立派な親分衆がござるが、五郎蔵殿ほど、我々のような浪人者を、いたわってくださる仁はござらぬ」
「それも、五郎蔵殿が、武士あがりだからでございましょうよ」
 酔った頬を、夜風に嬲(なぶ)られる快さからか、四人の者は、雨戸の間(あい)に、目白のように押し並び、しばらくは雑談に耽ったが、やがて部屋の中へはいった。とたんに、
「やッ、腰の物が見えぬ!」と、角右衛門が、狼狽したように叫んだ。
 皿や小鉢や燗徳利の取り散らされてある座敷に突っ立ったまま、四人は、また顔を見合わせた。わずかな時間(あいだ)に、四人の刀が、四本ながら紛失しているではないか。
「盗まれたのじゃ」
「家の者を呼んで……」
「いやいやそれ前に、一応あたりを調べて……」と、年嵩(かさ)だけに、角右衛門は云い、燭台をひっさげると、次の間へ出た。次の間にも刀はなかった。その次の間へ行った。そこにも刀はなかった。そこを出ると廊下で、鉤の手に曲がっていた。その角にあたる向こう側の襖をあけるや、角右衛門は、
「おお、これは!」と云って、突っ立った。
 続いた三人の武士も、角右衛門の肩ごしに部屋の中を覗いたが、「おお、これは!」と、突っ立った。
 その部屋は十畳ほどの広さであったが、その中央(なかほど)に、紙帳(しちょう)が釣ってあり、燈火(ともしび)が、紙帳の中に引き込まれてあるかして、紙帳は、内側から橙黄色(だいだいいろ)に明るんで見え、一個(ひとつ)の人影が、その面(おもて)に、朦朧(もうろう)と映っていた。総髪で、髷を太く結んでいるらしい。鼻は高いらしい。全身は痩せているらしい。そういう武士が、刀を鑑定(み)ているらしく、刀身が、武士の膝の辺(あた)りから、斜めに眼の辺りへまで差し出されていた。――そういう人影が映っているのであった。それだけでも、四人の武士たちにとっては、意外のことだったのに、紙帳の面(おもて)に、あるいは蜒々(えんえん)と、あるいはベットリと、あるいは斑々と、または飛沫(しぶき)のように、何物か描かれてあった。その色の気味悪さというものは! 黒に似て黒でなく、褐色に似て褐色でなく、人間の血が、月日によって古びた色! それに相違なかった。描かれてある模様は? 少なくも毛筆(ふで)で描かれた物ではなかった。もし空想を許されるなら、何者か紙帳の中で屠腹(とふく)し、腸(はらわた)を掴み出し、投げ付けたのが紙帳へ中(あた)り、それが蜒(うね)り、それが飛び、瞬時にして描出したような模様であった。一所にベットリと、大きく、楕円形に、血痕が附いている。巨大な蜘蛛(くも)の胴体(どう)と見れば見られる。まずあそこへ、腸を叩き付けたのであろう。瞬間に腸が千切れ、四方へ開いた。蜘蛛の胴体から、脚のように、八本の線が延びているのがそれだ。蜘蛛の周囲を巡って、微細(こまか)い血痕が、霧のように飛び散っている。張り渡した蜘蛛の網と見れば見られる。ところどころに、耳ほどの形の血痕が附いている。網にかかって命を取られた、蝶や蝉の屍(なきがら)と見れば見られる。血描きの女郎蜘蛛! これが紙帳に現われている模様であった。では、その蜘蛛を背の辺りに負い、網の中ほどに坐っている紙帳の中の武士は、何んといったらよいだろう? 蜘蛛の網にかかって、命を取られる、不幸な犠牲というべきであろうか? それとも、その反対に、蜘蛛を使い、生物の命を取る、貪婪(どんらん)、残忍の、吸血鬼というべきであろうか? と、紙帳に映っていた武士の姿が崩れた。斜めに映っていた刀の影が消え、やがて鍔音がした。鞘に納めたらしい。横を向いていた武士の顔が、廊下に突っ立っている、四人の浪人の方へ向いた。
「鈍刀(なまくら)じゃ、四本とも悉(ことごと)く鈍刀じゃ。お返し申す」
 四本の刀が、すぐに、紙帳の裾から四人の方へ抛(ほう)り出された。この時まで息を呑み、唾を溜めて、紙帳を見詰めていた四人の浪人は、不覚にも狼狽した声をあげながら、刀へ飛びかかり、ひっ掴み、腰へ差した。その時はじめて怒りが込み上げて来たらしく、
「これ、そこな武士、無礼といおうか、不埓(ふらち)といおうか、無断で我らの腰の物を持ち去るとは何事じゃ! 出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と、角右衛門が怒鳴った。
 すると、それに続いて、南京豆のような顔をした紋太郎が、
「出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と鸚鵡(おうむ)返しのように叫び、「それに何んぞや鈍刀とは! 我らの刀を鈍刀とは!」
「何者じゃ! 名を宣(なの)れ! 身分を明かせ!」
 とさらに角右衛門が怒鳴った。
 すると、紙帳の中の武士は、少し嗄(しわが)れた、錆(さび)のある声で、「拙者の名は、五味左門と申す、浪人じゃ。当家が浪人を厚遇いたすと聞き、昨夜遅く訪ねて参り、一泊いたしたものじゃ。疲労(つか)れていたがゆえに、この部屋へ早く寝た。しかるにさっきから、遠くの部屋から、賑やかな、面白そうな話し声が聞こえて来た。一眠りして、疲労(つかれ)の癒えた拙者、眼が冴えて眠れそうもない。会話(はなし)の仲間へはいり、暇を潰そうと声をしるべに尋ねて行ったところ、広い部屋へ出た。酒肴が出ておる。悪くないなと思ったぞ。が、見れば、四本の刀が投げ出してあり、刀の主らしい四人の者が、廊下に立って、夜景色を見ておる。長閑(のどか)の風景だったぞ。そこでわしの心が変った。貴殿方と話す代りに、貴殿方の腰の物を拝見しようとな。悪気からではない。わしの趣味(このみ)からじゃ。そこでわしは貴殿方の腰の物をひとまとめにして持って参り、今までかかって鑑定いたした。さあ見てくれといわぬばかりに投げ出してあった刀、四本のうち一本ぐらい、筋の通った銘刀(もの)があるかと思ったところ、なかったぞ。フ、フ、フッ、揃いも揃って、関の数打ち物ばかりであったよ」

    蜘蛛の犠牲(にえ)

「チェッ」と舌打ちをしたのは、短気らしい山口という武士で、やにわに刀を抜くと、「他人(ひと)の腰の物を無断で見るさえあるに、悪口するとは何事じゃ。出て来い! 斬ってくれる!」
「斬られに行く酔狂者はない。出て行かぬよ。用があらば、そっちから紙帳の中へはいって参れ。ただし、断わっておくが、紙帳の中へはいったが最後、男なら命を女なら……」
「黙れ!」と、山口という武士は、紙帳に映っている影を目掛け、諸手(もろて)突きに突いた。
 瞬間に、紙帳の中の燈火(ともしび)が消え、紙帳は、経帷子(きょうかたびら)のような色となり、蜘蛛の姿も――内側から描かれていたものと見え、燈火が消えると共に消えてしまった。そうして、突かれた紙帳は、穏(おとな)しく内側へ萎み、裾が、ワングリと開き、鉄漿(おはぐろ)をつけた妖怪の口のような形となり、細い白い手が出た。
「!」
 悲鳴と共に、山口という武士はのけぞり、片足を宙へ上げ、それで紙帳を蹴った。しかし、すぐに、武士は、足から先に、紙帳の中へ引き込まれ、忽ち、断末魔の声が起こり、バーッと、血飛沫(ちしぶき)が、紙帳へかかる音がしたが、やがて、森然(しん)と静まってしまった。角右衛門は、持っていた燭台を抛り出すと、真っ先に逃げ出し、つづいて、紋太郎が逃げ出した。
 しかし片岡という武士は、さすがに、同宿の誼(よし)みある浪人の悲運を、見殺しに出来ないと思ったか、夢中のように、紙帳へ斬り付けた。とたんに、紙帳の裾が翻(ひるがえ)り、内部(うち)から掬(すく)うように斬り上げた刀が、廊下にころがったままで燃えている、燭台の燈に一瞬間輝いた。
「わ、わ、わーッ」と、苦痛の声が、片足を股から斬り取られ、四つ這いになって、廊下を這い廻っている武士の口から迸(ほとばし)った。紙帳の中はひっそりとしていた。

 こういう間も、キリキリという、轍(わだち)でも軋るような音は、屋敷の周囲(まわり)を巡って、中庭の方へ移って行った。
(何んの音だろう?)と、四人の浪人が不審を打ったように、その音に不審を打ったのは、中庭に近い部屋に寝ていた、伊東頼母(たのも)であった。
 頼母は、この屋敷へ来るや、まず朝飯のご馳走になった。給仕をしてくれた娘の口から聞いたことは、この屋敷が、飯塚薪左衛門という郷士の屋敷であることや、娘は、その薪左衛門の一人娘で、栞(しおり)という名だということや、今、この屋敷には、頼母の他に五人の浪人が泊まっているということや、父、薪左衛門は、都合があって、どなたにもお眼にかかれないが、皆様がお泊まりくだされたことを、大変喜んでいるということなどであった。
「どうぞ、幾日でもご逗留くださりませ」と栞は附け加えた。
 頼母は、忝けなく礼を云ったが、こんな不思議な厚遇を受けたことは、復讐の旅へ出て一年になるが、かつて一度もなかったと思った。
 彼は下総(しもうさ)の国、佐倉の郷士、伊東忠右衛門の忰(せがれ)であった。伊東の家柄は、足利時代に、下総、常陸(ひたち)等を領していた、管領千葉家の重臣の遺流(ながれ)だったので、現在(いま)の領主、堀田備中守(ほったびっちゅうのかみ)も粗末に出来ず、客分の扱いをしていた。しかるに、同一(おなじ)家柄の郷士に、五味左衛門という者があり、忠右衛門と不和であった。理由は、二人ながら、国学者で、尊王家であったが、忠右衛門は、本居宣長の流れを汲む者であり、左衛門は、平田篤胤(あつたね)の門下をもって任じている者であり、二人ながら
「大日本は神国なり。天祖始めて基(もと)いを開き、日神長く統を伝え給う。我が国のみこの事あり。異朝にはその類なし。このゆえに神国というなり」という、日本の国体に関する根本思想については、全然同一意見であったが、その他の、学問上の、瑣末の解釈については、意見を異にし、互いに詈言(そしりあ)い、不和となったのであった。もちろん、性格の相違もその因をなしていた。忠右衛門は、穏和で寛宏であったが、左衛門は精悍(せいかん)で狷介(けんかい)であった。

    敵討ちの原因

 ところが、去年の春のことであったが、忠右衛門と左衛門とは、備中守殿によって、観桜の宴に招かれた。その席で二人の者は、国学の話については、遠慮し、大事を取り、云い争わなかったが、刀剣の話になった時、とうとう云い争いをはじめてしまった。忠右衛門が、天国(あまくに)という古代の刀工などは、事実は存在しなかったもので、したがって鍛えた刀などはないと云ったのに対し、左衛門は、いや天国は決して伝説中の人物ではなく、実在した人物であり、その鍛えた刀も残っておる、平家の重宝小烏丸(こがらすまる)などはそれであり、我が家にもかつて一振り保存したことがあったと主張し、激論の果て、左衛門は「水掛け論は無用、この上は貴殿と拙者、この場において試合をし、勝った方の説を、正論と致そう」と、その精悍の気象から暴論を持ち掛けた。忠右衛門は迷惑とは思ったが、引くに引かれず承知をし、試合をしたところ、剣技(うで)は左衛門の方が上ではあったが、長年肺を患(わずら)っていて、寒気を厭(いと)い、紙帳の中で生活しているという身の上で、体力において忠右衛門の敵でなく、忠右衛門のために打ち挫(ひし)がれ、自分から仕掛けた試合に負け、これを悲憤し、自宅へ帰るや、紙帳の中で屠腹(とふく)し、腸を紙帳へ叩き付けて死んだ。しかるに左衛門には、左門という忰があって、「父上を自害させたのは忠右衛門である」と云い、遊学先の江戸から馳せ帰り、一夜、忠右衛門を往来(みち)に要して討ち取り、行衛(ゆくえ)を眩(くら)ました。こうなってみると、伊東家においても、安閑としてはいられなくなり、
「頼母、そち、左門を探し出し、討って取り、父上の妄執を晴らせ」
 ということになり、さてこそ頼母は、復讐の旅へ出たのであったが、困ったことには、彼は討って取るべき、左門という人間を知らなかった。と云うのは、この時代の風習として、家庭(いえ)にいないで、江戸へ出、学問に精進していたからである。そう、頼母も左門も、幼少の頃から江戸に遊学し、頼母は、宣長の門人伴信友の門に入り、国学を修め、左門は、平田塾に入って、同じく国学を究める傍(かたわ)ら、戸ヶ崎熊太郎の道場に通い、神道無念流を学び、二人は互いにその面影を知らないのであった。
 キリキリという、轍の軋るような音を聞き、頼母は、枕から顔を放し、耳を聳(そばだ)てた。
(何んの音だろう?)
 音は、中庭まで来たようであった。
 頼母は、夜具から脱け出し、枕もとの刀を握ると、立ち上がった。彼の眼は、すっかり覚めていた。彼は、朝飯を食べるや、すぐに床を取って貰い、ぐっすりと眠り、疲労(つかれ)を癒(なお)し、今は元気を恢復してもいるのであった。有り明けの燈に、刀の鞘を照らしながら、頼母は部屋を出、廊下を右の方へ歩き、それが、さらに右の方へ曲がっている角の雨戸を、そっと開けて見た。海の底かのように、庭は薄蒼く月光に浸っていた。庭は、まことに広く、荒廃(あ)れていた。庭の一所に、頼母の眼を疑がわせるような、物象(もののかたち)が出来ていた。古塚のような形の、巨大な岩が、碑(いしぶみ)と小松とをその頂きに持って、瘤(こぶ)のように立っているのであった。それはまったく、頼母が、紙帳から出て来た武士によって、気絶させられた地点に――そこに出来ていた、野中の道了様そっくりのものであった。酷似(そっくり)といえば、塚の左手、遙か離れた所に、植え込みが立っていて、それが雑木林に見えるのも、あの場所の景色とそっくりであった。
(紙帳が釣ってはあるまいか?)ゾッとするような気持ちで、頼母は、植え込みを見た。しかし紙帳は釣ってはなかった。あの場所の景色と異(ちが)うところは、あそこでは、塚と林との彼方(むこう)が、広々と展開(ひら)けた野原だったのに、ここでは、土塀が、灰白(はいじろ)く横に延びているだけであった。
(碑には、髭題目が刻(ほ)られてあるに相違ない)こう思って、頼母は、縁から下り、塚の方へ歩いて行き、碑を仰いで見た。碑は、鉛めいた色に仄(ほの)見えていたが、はたして、南無妙法蓮華経という、七字の名号が、鯰(なまず)の髭のような書体で、刻られてあった。(不思議だなあ)と呟きながら、頼母は、少し湿ってはいるが、枯れ草が、氈(かも)のように軟らかく敷かれている地に佇(たたず)み、(道了様の塚を、何んのために、中庭などへ作ったのであろう?)
 急に彼は地へ寝た。

    老幽鬼出現

(こうここへ俺が気絶して仆(たお)れれば、あそこでの出来事を、再現したことになる)
 彼はしばらく寝たままで動かなかった。二十一歳とはいっても、前髪は立てており、それに、氏素姓よく、坊ちゃんとして生長(おいた)って来た頼母は、顔も姿も初々(ういうい)しくて、女の子のようであり、それが、雲一片ない空から、溢れるように降り注いでいる月光に照らされ、寝ている様子は、無類の美貌と相俟(あいま)って、艶(なまめ)かしくさえ見えた。
 と、例の、キリキリという音が、植え込みの方から聞こえて来た。頼母は飛び起きて、音の来る方を睨んだ。昨夜は、雑木林の中から、剣鬼のような男が現われて来たが、今夜は、植え込みの中から、何が現われて来るのだろう? 頼母は、もう刀の柄を握りしめた。おお何んたる奇怪な物象(もののかたち)が現われて来たことであろう! 躄(いざ)り車が、耳の下まで白髪を垂らした老人を乗せ――老人が自分で漕(こ)いで、忽然と、植え込みの前へ、出て来たではないか! やがて、植え込みの陰影(かげ)から脱け、躄り車は、月光の中へ進み出た。月光(ひかり)の中へ出て、いよいよ白く見える老人の白髪は、そこへ雪が積もっているかのようであり、洋犬のように長い顔も、白く紙のようであった。顔の一所(ひとところ)に黒い斑点(しみ)が出来ていた。窪んだ眼窩であった。その奥で、炭火(おき)のように輝いているのは、熱を持った眼であった。老人の体は、これ以上痩せられないというように、痩せていた。枯れ木で人の形を作り、その上へ衣裳を着せたといったら、その姿を、形容することが出来るだろう。左右の手が、二本の棒を持ち、胸と顔との間を、上下に伸縮(のびちぢみ)し、そのつど老人の上半身が、反(そ)ったり屈(かが)んだりした。二本の棒を櫂(かい)にして、地上を、海のように漕いで、躄(いざ)り車を、進ませてくるのであった。長方形の箱の左右に附いている、四つの車は、鈍(のろ)く、月光の波を分け、キリキリという音を立てて、廻っていた。と、車は急に止まり、老人の眼が、頼母へ据えられた。
「おお来たか!」
 咽喉(のど)で押し殺したような声であった。極度の怒りと、恐怖(おそれ)とで、嗄(しわが)れ顫(ふる)えている声でもあった。そう叫んだ老人は、棒を手から放すと、片手を肩の上へ上げ、肩の上へ、背後(うしろ)からはみ出していた刀の柄へかけた。刀を背負(しょ)っていたのである。それが引き抜かれた時、月光が、一時に刀身へ吸い寄せられたかのように、どぎつく光った。刀は青眼に構えられた。
「来たか、来栖勘兵衛! 来るだろうと思っていた! が、この有賀又兵衛、躄者(いざり)にこそなったれ、やみやみとまだ汝(おのれ)には討たれぬぞ! それに俺の周囲(まわり)には、いつも警護の者が附いている。今夜もこの屋敷には、六人の腕利きが宿直(とのい)している筈だ。勘兵衛、これ、汝に逢ったら、云おう云おうと思っていたのだが、野中の道了での斬り合い、俺は今に怨みに思っておるぞ! 事実を誣(し)い、俺に濡れ衣(ぎぬ)を着せたあげく、俺の股へ斬り付け、躄者になる原因を作ったな。おのれ勘兵衛、もう一度野中の道了で立ち合い、雌雄を決しようと、長い長い間、機会の来るのを待っていたのだ! さあここに野中の道了がある、立ち合おう、刀を抜け!」それから屋敷の方を振り返ったが、「栞(しおり)よ、栞よ、勘兵衛が来たぞよ、用心おし、栞よ!」
 と悲痛に叫んだ。
 老人はそう叫びながら、やがて、片手で棒を握り、それで漕いで、躄者車(くるま)を前へ進め、片手で刀を頭上に振りかぶり、頼母の方へ寄せて来た。頼母は、唖然(あぜん)とした。しかし、唖然とした中にも、自分が人違いされているということは解った。それで、刀の柄へ手をかけたまま、背後(うしろ)へジリジリと下がり、
「ご老人、人違いでござる。拙者は来栖勘兵衛などという者ではござらぬ。拙者は、伊東頼母と申し、今朝より、ご当家にご厄介になりおる者でござる」と云い云い、つい刀を抜いてしまった。

    娘の悲哀

 すると、その時、屋敷の雨戸の間に、女の姿が現われ、こっちを見たが、急に、悲鳴のような声を上げると、駈け寄って来、
「お父様、何をなさいます。そのお方は、お父様を警護のため、今日、お家(うち)へお泊まりくださいました、伊東頼母様と仰せになる、旅のお武家様ではございませんか。おお、お父様お父様、正気づかれてくださいまし!」
 と叫び、老人の刀持つ手に取り縋った。栞であった。しかし老人は、
「娘か、用心おし! 来栖勘兵衛が、わしを殺しに来たぞよ! そこに勘兵衛がいる!」
 と叫び、尚、車を進めようと、片手の棒で、地上を漕ごうとするのであった。
「いえいえお父様、あのお方は来栖勘兵衛ではございません。よくご覧なさいまし、お年が違います。勘兵衛より、ずっとお若うございます」
 こう云われて老人は、はじめて気づいたように、つくづくと頼母を見たが、
「なるほどのう、年が違う、前髪立ちじゃ。勘兵衛はわしより一つ年上だった筈じゃ。勘兵衛ではない」
 落胆したように、また、安心したように、老人は、急に首を垂れ、振り上げていた刀を下げると、弱々しく、子供のように、栞へもたれかかった。赤い布のかかった艶々(つやつや)しい髪の下、栞の肩へ、老人の白髪(しらが)頭が載っている。白芙蓉のような栞の顔が、頬が、老人の頬へ附いている。秩父絹に、花模様を染め出した衣裳の袖から、細々と白い栞の手が延びて、老人の肩へかかっているのは、車の上の老人を、抱介(だきかか)えているからであった。いつか老人の手から、刀も棒も放され、刀は、車の前の、枯れ草の上に落ちた。何んと老人は眠っているではないか。刀を構え、この様子を眺めていた頼母は、危険はないと思ったか、刀を鞘に納め、二人の方へ寄って行ったが、
「栞殿、そのご老人は?」と、探るように訊いた。
「父でございます」――栞の声は泣いている。
「ご尊父? では、薪左衛門殿で?」
 栞は黙って頷いた。
「それに致しても、ご尊父には、ご自身を、有賀又兵衛じゃと仰せられたが?」
「父は乱心いたしおるのでございます」
「ははあ」頼母はやっと胸に落ちたような気がした。狂人(きちがい)ででもなければ、深夜に、躄(いざ)り車などに乗り、刀を背負い、現われ出(い)で、自分を来栖勘兵衛などと見誤り、ガムシャラに斬ってなどかかる筈はない。(俺は、狂人を相手にしていたのか)頼母は、鼻白むような思いがしたが、
「ご乱心とはお気の毒な。していつ頃から?」
「五年前の、ちょうど今日、府中の火祭りの日でございましたが、松戸の五郎蔵と申す、博徒の頭(かしら)が参り、父と、密談いたしおりましたが、突然父が、『汝(おのれ)、来栖勘兵衛、執念深くもまだ、この有賀又兵衛を、裏切り者と誣(し)いおるか!』と叫びましたが、その時以来……」
 栞は、片袖を眼にあてて泣いた。
 屋根ばかりに月光を受けて、水のような色を見せ、窓も雨戸も、一様に黒く、廃屋のように見えている屋敷は、不幸な人々を見守るかのように、庭をへだてて立っていた。
(有賀又兵衛、来栖勘兵衛?)と、頼母は、考え込んだ。頼母は、有賀又兵衛、来栖勘兵衛という、伝説的にさえなっている、二人の人物の噂を、亡き父から聞かされていた。
「浪人組の頭での、傑物であった。わしの家などへも、徒党を率(ひき)いてやって来て、金などを無心したものじゃ。五味左衛門の屋敷などへも再三出かけて行って、無心したらしい。又兵衛の方は、わけても人物で、仁義なども心得ており、大義名分などにも明らかで、王道を尊び、覇道を憎む議論などを、堂々と述べて、男らしいところを見せたので、ついわしなど、進んで金を出してやったものじゃ」と、父は語った。
 しかし、その勘兵衛や又兵衛は、亡父(ちち)の話によれば、とうの昔に――二十年も以前(まえ)に、世間から姿を消してしまった筈であった。しかるに、薪左衛門殿が、その有賀又兵衛だという。(何故だろう?)しかし、頼母は、すぐ苦笑した。(相手は狂人(きちがい)なのだ、狂人の云うことなどに、何故も不思議もあるものか)
「栞殿」と、頼母は、塚の方をチラリと見たが、「お訊きいたしたいは、ここに作られてあります古塚、どうやらこれは野中の道了の……」
 云われて栞も、眼にあてていた袖の隙から、塚の方を眺めたが、
「は、はい」
「野中の道了の塚を、お屋敷の庭へ作られるとは、何か仔細が……」

    道了塚の秘密は

 栞の泣き声は高くなり、しばらくは物を云わなかった。肥(ふと)りざかりの、十七の娘にしては、痩せぎすに過ぎる栞の肩は、泣き声につれて、小刻みに顫えるのであった。
「それもこれも……」と、栞は、やがて、途切れ途切れに云った。「父の心を……正体ない父の心を……少しなりとも慰めてやりたさに……才覚しまして……妾(わたくし)が……」
 顔から袖をとり、塚の頂きの碑を眺めた。南無妙法蓮華経という、七字だけが黒く、その周囲の碑の面は、依然、月の光で、鉛色に仄(ほの)めいて見えていた。
「父は」と、栞は、またも途切れ途切れに云った。「妾、物心つきました頃から、一里の道を、毎日のように、野中の道了様まで参りまして、塚の周囲を廻っては、物思いに耽りましたが……乱心しましてからは、それが一層烈しくなり、日に幾度となく……それですのに、父は躄者(いざり)になりましてございます」
 嗚咽(おえつ)の声はまた高くなった。娘は、父親を抱き締めたらしい。白髪の頭が、肩から外れて、栞の胸にもたれている。
「父には以前から、股に刀傷がございましたが、弱り目に祟り目とでも申しましょうか、乱心しますと一緒に、悪化(わる)くなり、とうとう躄者(いざり)に……」
 草に落ちている抜き身は、氷のように光っている。庭のそちこちに咲いている桜は、微風に散っている。
「躄者になりましても、道了様へは行かねばならぬと……そこは正気でない父、子供のように申して諾(き)きませぬ。躄車(くるま)などに乗せてやりましては、世間への見場悪く、……いっそ、道了様を屋敷内へお遷座(うつ)ししたらと……庭師に云い付け、同じ形を作らせましたところ、虚妄(うつろごころ)の父、それを同じ道了様と思い、このように躄車に乗り、朝晩にその周囲(まわり)を廻り……」
 悲しそうに、また栞は、眠りこけている父親を見やるのであった。
 身につまされて聞いていた頼母は、いつか、栞の前へ腰を下ろし、腕を組んだ。
 急に栞は、怒りの声で云った。
「父を脅かす者は、松戸の五郎蔵なのでございます。父は妾(わたくし)に申しました。『五郎蔵が殺しに来る。彼奴(きゃつ)には大勢の乾児(こぶん)があるが、俺(わし)には乾児など一人もない。味方が欲しい、旅のお侍様などが訪ねて参ったら、泊め置け』と。……」
(そうだったのか)と頼母は思った。(不思議に厚遇されると思ったが、さては、いつの間にか俺は、この屋敷の主人の、警護方にされていたのか)しかし事情が事情だったので、怒りも、笑いも出来なかった。
 更けて行く夜は、次第に寒くなって来た。老人をいつまでも捨てておくことは出来なかった。二人は、躄車(くるま)を押して、屋敷の方へ行くことにし、頼母は、まず、草に捨ててある刀を拾い取り、老人の背の鞘へ差してやった。それから躄車を押しにかかった。
「勿体(もったい)のうございます」
 栞が周章(あわ)てて止めた。手が触れ合った。
「あっ」
 栞の声が情熱をもって響いた。
「ああ」
 思春期の処女(おとめ)というものは、男性(おとこ)のわずかな行動によって、衝動を受けるものであり、そうしてその処女が、愛と良識とに恵まれている者であったら、衝動を受けた瞬間、相手の男性の善悪を、直観的に識別(みわ)け、その瞬間に、将来を托すべき良人(おっと)を――恋人を、認識(みとめ)るものである。狂人の、孤独の父親に仕え、化物(ばけもの)屋敷のような廃(すた)れた屋敷に住み、荒らくれた浪人者ばかりに接していた、無垢(むく)純情の栞が、今宵はじめて、名玉のように美しく清い、若い武士と、不幸な一家のことについて語り合ったあげく、偶然手を触れ合ったのであった。その一触が、彼女の魂を、根底から揺り動かし、「叫び」となって、彼女の口から出たのは、無理だとは云えまい。頼母は、栞の叫び声に驚いて、栞を見詰めた。栞の眼に涙が溢れていた。しかしその涙は、さっき、父親や、自分の家の不幸のために泣いた涙とは違い、歓喜と希望と愛情とに充ちた涙であった。栞の頬は夜眼にも著(しる)く赤味注(さ)していた。頼母は、何が栞をそうまで感動させたのか解らなかった。手と手と触れ合ったことなど、彼は、気がつかなかったほどである。それほど彼は無邪気なのであった。しかし、栞の感動が、自分を愛してのそれであるということは直覚された。このことが今度は彼を感動させた。
(この娘がわしを!)
 その娘は、自分にとっては命の恩人と云えた。この娘の介抱がなかったら、自分は今朝死んでいたかもしれない!
(この娘がわしを!)
 頼母の心へ感謝の念が、新たに強く湧き、それと一緒に、愛情がヒタヒタと寄せて来るのを覚えた。
 立ち尽くし、見詰め合っている二人の頭上には、練り絹に包まれたような朧(おぼ)ろの月がかかってい、その下辺(したべ)を、帰雁(かえるかり)の一連(ひとつら)が通っていた。花吹雪が、二人の身を巡った。
「勘兵衛!」と、不意に老人が叫んだ。「天国(あまくに)の剣を奪ったのも汝(おのれ)の筈じゃ! それをこの身に!」
(天国?)と、頼母は、ヒヤリとし、恍惚の境いから醒めた。
(この老人も、天国のことを云う!)
 父、忠右衛門が、横死をとげ、自分が復讐の旅へ出るようになったのも、元はといえば、天国の剣の有無の議論からであった。頼母は、天国の名を聞くごとに、ヒヤリとするのであった。
(紙帳から出て来て、俺に体あたりをくれた武士も、天国のことを云ったが、薪左衛門殿も、天国のことを……)
 頼母は、薪左衛門を見た。薪左衛門は眠っていた。眠ったままの言葉だったのである。

    五郎蔵の賭場

 こういうことがあってから、三日経った。
 ここ、府中の宿は、火祭りで賑わっていた。家々では篝火(かがりび)を焚き、夜になると、その火で松明(たいまつ)を燃やし、諏訪神社の境内を巡(まわ)った。それで火祭りというのであるが、諏訪神社は、宿から十数町離れた丘つづきの森の中にあり、その森の背後の野原には、板囲いの賭場(とば)が、いくらともなく、出来ていて、大きな勝負が争われていた。
 伊東頼母が、この一劃へ現われたのは、夕七ツ――午後四時頃であった。歩いて行く両側は賭場ばかりで、場内(なか)からは景気のよい人声などが聞こえて来た。夕陽を赤く顔へ受けて、賭場へはいって行く者、賭場から出て来る者、いずれも昂奮しているのは、勝負を争う人達だからであろう。総州松戸の五郎蔵持ちと書かれた板囲いを眼に入れると、頼母は、足をとめ、
「これが五郎蔵の賭場か、どれはいってみようかな」
 と呟いた。
 というのは、不幸な飯塚薪左衛門親子を苦しめる、五郎蔵という、博徒の親分の正体を見究(きわ)めようために、やって来た彼だからである。そうして、彼としては、機会を見て、五郎蔵と話し、何故薪左衛門を脅(おど)すのか? 事実、薪左衛門は有賀又兵衛であり、五郎蔵は来栖勘兵衛なのか? 野中の道了塚で、二人は斬り合ったというが、その動機は何か? 野中の道了塚の秘密は何か? 等をも確かめようと思っているのであった。
 それにしても飯塚薪左衛門の屋敷から、この府中までは、わずか一里の道程(みちのり)だのに、なぜ三日も費やして来たのであろう?
 彼は三日前のあの夜、薪左衛門の屋敷で、ああいう事件に逢ったが、それから躄(いざ)り車を押して、栞共々、庭から屋内へ、薪左衛門を運び入れた。屋敷の中は大変であった。五人泊まっていたという浪人のうち、一人は斬り殺されてい、一人は片足を斬られてい、後の三人の姿は消えてなくなっていた。片足を斬られた浪人の語るところによれば、紙帳を釣って、その中にいた五味左門と宣(なの)る武士によって、この騒動が惹(ひ)き起こされたということであった。
 この事を聞くと、頼母は仰天し、娘の栞へ、そのような武士を泊めたかと訊いてみた。すると栞は、「五味左門と宣り、一人のお武家様が、宿を乞いましたので、早速お泊めいたしましたが、お寝(やす)みになる時、紙帳を釣りましたかどうか、その辺のところは存じませぬ」と答えた。それで頼母は、どっちみち、紙帳の中から出て来て、自分を体あたりで気絶させた、武道の達人が、自分の父の仇の、五味左門であるということを知ったが、そんな事件が起こったため、その処置を、栞と一緒に付けることになり、三日を費やし、三日目の今日、ようやく府中へ来たのであった。
「なかなか立派な小屋だな」
 と呟(つぶや)きながら、頼母は、改めて五郎蔵の賭場を眺めた。
 板囲いは、ひときわ大ぶりのもので、入り口には、二人の武士が、襷(たすき)をかけ、刀を引き付け、四斗樽に腰かけていたが、いうまでもなく賭場防ぎで、一人は、望月角右衛門であり、もう一人は、小林紋太郎であった。この二人は、あの夜、薪左衛門の屋敷で、ああいう目に逢い、恐怖のあまり、暇(いとま)も告げず、屋敷を逃げ出し、ここの五郎蔵の寄人(かかりゅうど)になったものらしい。同じ屋敷に泊まったものの、顔を合わせたことがなかったので、頼母は、二人を知らず、そこで目礼もしないで、入り口をくぐった。
 賭場は、今が勝負の最中らしく、明神へ参詣帰りの客や、土地の者が、数十人集まってい、盆を囲繞(とりま)いて、立ったり坐ったりしていた。世話をする中盆が、声を涸(か)らして整理に努めているかと思うと、素裸体(すはだか)に下帯一つ、半紙を二つ折りにしたのを腰に挾んだ壺振りが、鉢巻をして、威勢のよいところを見せていた。正面の褥(しとね)の上にドッカリと坐り、銀造りの長脇差しを引き付け、盆を見ている男があったが、これが五郎蔵で、六十五歳だというのに、五十そこそこにしか見えず、髪など、小鬢へ、少し霜を雑(ま)じえているばかりであった。段鼻の、鷲のような眼の、赧ら顔は、いかにも精力的で、それに、頤(あご)などは、二重にくくれているほど肥えているので、全体がふくよかであり、武士あがりというだけに、品があり、まさに親分らしい貫禄を備えていた。甲州紬茶微塵(つむぎちゃみじん)の衣裳に、紺献上の帯を結んでいるのも、よく似合って見えた。その横に女が坐っていた。以前から五郎蔵が、自分のものにしようと苦心し、それを、柳に風と受け流し、今に五郎蔵の自由にならないところから、博徒仲間(このしゃかい)で、噂の種になっている、お浦という女であった。二業――つまり、料理屋と旅籠(はたご)屋とを兼ねた、武蔵屋というのへ、一、二年前から、流れ寄って来ている、いわゆる茶屋女なのである。年は二十七、八でもあろうか、手入れの届いた、白い、鞣(なめ)し革のような皮膚は、男の情緒(こころ)を悩ますに足り、受け口めいた唇は、女形(おやま)のように濃情(のうじょう)であった。結城の小袖に、小紋縮緬(ちりめん)の下着を重ね、厚板(あついた)の帯を結んでいる。こんな賭場へ来ているのは、五郎蔵が、
「おいお浦、祝儀ははずむから、小屋へ来て、客人の、酒や茶の接待をしてくんな」と頼んだからであるが、その実は、五郎蔵としては、片時もこの女を、自分の側(そば)から放したくないからであった。
(賭場に神棚が祭ってあるのは変だな)
 と、盆の背後、客人の間に雑じって立っていた頼母は、五郎蔵やお浦から眼を外し、五郎蔵の背後、天井に近く設けられてある、白木造りの棚を眺めた。紫の幕が張ってあり、燈明が灯してあった。
(何かの縁起には相違あるまいが)

    ゆすり浪人

 この間にも、五百両胴のチョボ一は、勝負をつづけて行った。胴親、五郎蔵の膝の前に積まれてある、二十五両包みが、封を切られたかと思うと、ザラザラと賭け金が、胴親のもとへ掻き寄せられもした。
 一人ばからしいほど受け目に入っている客人があった。編笠を冠ったままの、みすぼらしい扮装(みなり)の浪人であったが、小判小粒とり雑(ま)ぜ、目紙(めがみ)の三へ張ったところ、それが二回まで受け、五両が百二十五両になった。それだのに賭金(かね)を引こうともせず、依然として三の目へ張り、
「壺!」と怒鳴っているのであった。
 客人たちは囁(ささや)き出した。
「お侍さんだけに度胸があるねえ」
「今度三が出たらどうなると思う」
「胴親が、四倍の、五百両を附けるまでよ」
「元金(もときん)を加えて、六百二十五両になるってわけか」
「それじゃア、五百両胴は潰れるじゃアねえか」
 染八という乾児(こぶん)が中盆をしていたが、途方にくれたように、五郎蔵の顔を見た。と、この時まで、小面憎そうに、勝ち誇っている浪人を、睨(にら)み付けていたお浦が、
「親分」と例の五郎蔵へ囁いた。
「喜代三を引っ込めなさいよ」
 喜代三というのは、壺振りの名であった。
「喜代三にゃア、三が振り切れそうもないじゃアありませんか」
「大丈夫だ」
 五郎蔵の声は自信に充ちていた。
「天国(あまくに)様が附いている」
 それから神棚の方へ頤をしゃくったが、「五郎蔵の賭場、一度の疵(きず)も附いたことのねえのは、天国様が附いているからよ。喜代三、勝負しろ」
(天国様?)
 と、五郎蔵の言葉(ことば)を小耳に挾んで、不審を打ったのは、頼母で、
(それじゃアあの神棚には、天国の剣が祭ってあるのか?)
 改めて神棚を眺めた。燈明の火が明るく輝き、紫の幕が、華やかに栄(は)え、その奥から、真鍮(しんちゅう)の鋲(びょう)を持った祠(ほこら)の、扉(とぼそ)が覗いていた。
(あの祠の中に天国があるのではあるまいか)
 彼がここへ来たもう一つの目的は、五郎蔵が来栖勘兵衛だとして、はたして、天国の剣を持っているかどうか、それを知ることであった。
 頼母はじっと神棚を見詰めた。
 と、
「わーッ」
 という声が聞こえ、
「一(ぴん)だーッ」
「お侍(さむれえ)、やられたのーッ」
 という声が聞こえた。
 頼母は、はっとして、盆の方を見た。
 骰子(さいころ)の目が、一を出して、目紙の上に、ころがっている。
(態(ざま)ア見ろ!)というように、染八が、浪人の前から、百二十五両を掻き集めようとしているのが見えた。
「待て!」
 浪人が刀を抜き、ピタリと目紙の上へ置いた。
「その金、引くことならぬ!」
「何を!」
「賭場荒らしだーッ」
 場内総立ちになった。
 瞬間に浪人は、編笠を刎(は)ね退け、蒼黒い、痩せた、頬骨の高い、五十を過ごした、兇暴の顔を現わし、落ち窪んで、眼隈(めくま)の出来ている眼で、五郎蔵を凝視(みつ)めたが、
「お頭(かしら)ア、いや親分、お久し振りでござんすねえ」と、言葉まで侍らしくなく、渡世人じみた調子で、「いつも全盛で、おめでとうございます」
 五郎蔵は、相手の顔を見、不審(いぶか)しそうに眼をひそめたが、そろりと脇差しを膝へ引き付けると、
「汝(わりゃ)ア?」
「渋江典膳(しぶえてんぜん)で。……お見忘れたア情ねえが、こう痩せ涸れてしまっちゃア、人相だって変る筈で。……それにさ、お別れしてっから、月日の経つこと二十年! ハッハッ、お解りにならねえ方が本当かもしれねえ」
「…………」
「お頭ア、いや親分、あの頃はようござんしたねえ、二十年前は。……来栖勘兵衛、有賀又兵衛といやア、泣く児(こ)も黙る浪人組の頭、あっしゃア、そのお頭の配下だったんですからねえ。……徒党を組んでの、押し借り強請(ゆす)りの薬が利きすぎ、とうとう幕府(おかみ)から、お触れ書きさえ出されましたっけねえ。あっしゃア、暗記(そら)で覚えておりやす。『近年、諸国在々、浪人多く徘徊いたし、槍鉄砲をたずさえ、頭分、師匠分などと唱え、廻り場、持ち場などと号し、めいめい私に持ち場を定め、百姓家へ参り、合力を乞い、少分の合力銭等やり候えば、悪口乱暴いたす趣き、不届き至極、目付け次第搦(から)め捕(と)り、手に余らば、斬り捨て候うも苦しからず、差し押さえの上は、無宿、有宿にかかわらず、死罪その外重科に処すべく候云々』……勘兵衛とも又兵衛とも、姓名の儀は出ておりませんが、勘兵衛、又兵衛を目あてにしてのお触れ書きで。そうしてこのお触れ書きは、今に活(い)きている筈で。……ですから、勘兵衛、又兵衛が、今に生きていて、この辺にウロウロしていると知れたら、忽ち捕り手が繰り出され、捕らえられたら、首が十あったって足りゃアしねえ。……それほどの勢力のあった浪人組も、徒党も、二十年の間に、死んだり、殺されたり、ご処刑受けたりして、今に生きている者、はて、幾人ありますかねえ。……三人だけかもしれねえ。……一人は私で。一人は、ここから一里ほど離れている古屋敷に、躄者(いざり)になって生きている爺さんよ。……もう一人は……」
「お侍さん」と、五郎蔵が云った。「いい度胸ですねえ」
「何んだと」
「あっしゃア、どういうものか、ご浪人が好きで、これまで随分世話を見てあげましたが、ご浪人に因縁つけられたなア今日が初めてで」
「つけるだけの因縁が……」
「いい度胸だ」
「褒められて有難え」
「百二十五両お持ちなすって。……お浦、胴巻でも貸してあげな」
「親分!」と、お浦は歯切りし、「あんな乞食(こじき)浪人に……」
「いいってことよ」それからお浦の耳へ口を寄せたが、
「な! ……」
「なるほどねえ。……渋江さんとやら、それじゃアこれを……」
 お浦の投げた縞の胴巻は、典膳の膝の辺へ落ちた。それへ、金包みを入れた典膳は、ノッシリと立ち上がったが、礼も云わず、客人を掻き分けると、場外(そと)へ出て行った。
 その後を追ったのは、お浦であった。

    典膳の運命は

 この日が夜となり、火祭りの松明が、諏訪神社の周囲を、火龍のように廻り出し、府中の宿が、篝火(かがりび)の光で、昼のように明るく見え出した。
 この頃、頼母は、物思いに沈みながら諏訪神社(みや)と府中(しゅく)とを繋(つな)いでいる畷道(なわて)を、府中の方へ歩いていた。賭場で見聞したことが、彼の心を悩ましているのであった。渋江典膳という浪人が、五郎蔵を脅かした言葉から推すと、いよいよ五郎蔵は来栖勘兵衛であり、飯塚薪左衛門は、有賀又兵衛のように思われてならなかった。そうして、五郎蔵が来栖勘兵衛だとすると、神棚に祭られてあったのは、天国の剣に相違ないように思われた。このことは頼母にとっては、苦痛のことであった。
(天国の剣が、存在するということが確かめられれば、父の説は、誤りということになる。しかるに父は、その誤った説で、五味左衛門と議論したあげく、試合までして、左衛門を打ち挫き、備中守様のご前で恥をかかせた。そのために左衛門は悲憤し、屠腹して死んだのであるから、左衛門を殺したのは、父であると云われても仕方がなく、左衛門の忰左門が、父を討ったのは、敵討ちということになる。その左門を、自分が、父の敵として討つということは、ご法度(はっと)の、「又敵討ち」になろうではあるまいか)
(いっそ、天国を手に入れ、打ち砕き、この世からなくなしてしまったら)
 こんな考えさえ浮かんで来るのであった。
(天国のような名刀が、二本も三本も、現代(こんにち)に残っている筈はない。あの天国さえ打ち砕いてしまったら)
 枯れ草に溜っている露を、足に冷たく感じながら、頼母は、府中の方へ歩いて行った。

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