名人地獄
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著者名:国枝史郎 

 頼んで置いた甚三が、馬をひいて迎えに来た、それに跨がった甚内がいた。北国街道を北へ向け、桝形の茶屋を出かけたのは、それから間もなくのことであった。
 間もなく追分を出外れた。振り返って見ると燈火(ともしび)が、靄(もや)の奥から幽(かす)かに見えた。
「旦那様」と不意に甚三がいった。「いよいよご出立でございますかな」
「うん」と甚内は冷やかに、「追分宿ともおさらばだ」
「永らくご滞在でございましたな」「意外に永く滞在した」「旦那様と私とは、ご縁が深うございますな」「縁が深い? それはなぜかな?」「宿までご案内致しましたのはこの甚三でございます」「そうであったな。覚えておる」「お送りするのも甚三で」「そういえば縁が深いようだ」「ご縁が深うございます」「ところで甚三われわれの縁は、もっと深くなりそうだな」
「え?」といって振り返った時には、甚内は口を噤(つぐ)んでいた。押して甚三も尋ねようとはしない。カパカパという蹄の音、フーフーという馬の鼻息、二人は無言で進んで行った。
「甚三、追分を唄ってくれ」しばらく経って甚内がいった。
「夜が深うございます」
「構うものか、唄ってくれ」「私の声は甲高で、宿まで響いて参ります」「構うものか、唄ってくれ」「よろしゅうございます、唄いましょう」
 やがて甚三は唄い出した。夜のかんばしい空気を通し、美音朗々たる追分節が、宿の方まで流れて行った。

「甚三の追分が聞こえて来る。はてな、いつもとは唄い振りが異(ちが)う。……うまいものだ、何んともいえぬ。……今夜の節は分けてもよい」
 こういったのは銀之丞であった。
 本陣油屋の下座敷であった。彼は相変らず寝そべっていた。鼓が床の間に置いてあった。
「おい平手、行って見よう」銀之丞は立ち上がった。
「何、行って見よう? どこへ行くのだ?」
 千三屋相手に碁を囲んでいた、平手造酒は振り返った。
「追分を聞きにだ、行って見よう」「今夜に限って酷(ひど)く熱心だな」「いつもと唄い振りが異うからだ」「そいつはおれには解らない」「行って見よう。おれは行くぞ」「何に対しても執着の薄い、貴公としては珍らしいな」「だんだん遠くへ行ってしまう。おいどうする、行くか厭か?」「さあおれはどっちでもいい」「おれは行く。行って聞く。後からこっそりついて行って、堪能するまで聞いてやろう」「全く貴公としては珍らしい。何に対しても興ずることのない、退屈し切ったいつもに似ず、今夜は馬鹿に面白がるではないか」「それがさ、今もいった通り、今夜に限って甚三の歌が、ひどく違って聞こえるからだ」「いつもとどこが違うかな?」「鬱(うっ)していたのが延びている。燃えていたのが澄み切っている。蟠(わだか)まっていたのが晴れている。いつもは余りに悲痛だった。今夜の唄い振りは楽しそうだ。心に喜びがあればこそ、ああいう歌声が出て来るのだろう。めったに一生に二度とは来ない、愉快な境地にいるらしい」「ふうん、そんなに異うかな。どれ一つ聞いて見よう」
 造酒は碁石を膝へ置き、首を垂れて聞き澄ました。次第に遠退き幽(かす)かとはなったが、なお追分は聞こえていた。節の巧緻声の抑揚、音楽としての美妙な点は、武骨な造酒には解らなかった。しかしそれとは関係のない、しかしそれよりもっと大事な、ある気分が感ぜられた。しかも恐ろしい気分であった。造酒はにわかに立ち上がった。
「観世、行こう。すぐに行こう」そういう声はせき立っていた。
「これは驚いた。どうしたのだ?」
「どうもこうもない捨てては置けぬ。行ってあの男を助けてやろう」「ナニ助ける? 誰を助けるのだ?」「あの追分の歌い手をな」「不安なものでも感じたのか?」「陰惨たる殺気、陰惨たる殺気、それが歌声を囲繞(とりま)いている」「それは大変だ。急いで行こう」
 ありあう庭下駄を突っ掛けると、ポンと枝折戸(しおりど)を押し開けた。往来へ出ると一散に、桝形の方へ走って行った。さらにそれから右へ折れ、月明(あき)らかに星稀(まれ)な、北国街道の岨道(そばみち)を、歌声を追って走って行った。

    馬上ながら斬り付けた

 こなた甚三は蹄に合わせ、次々に追分を唄って行った。彼の心は楽しかった。彼の心は晴れ渡っていた。……恋の競争者の富士甚内が、追分を見捨てて立ち去るのであった。お北を見捨てて立ち去るのであった。もうこれからは油屋お北は彼一人の物となろう。これまでは随分苦しかった。人知れず心を悩ましたものだ。相手は立派なお侍(さむらい)、殊に美貌で金もあるらしい。それがお北に凝(こ)っていた。そうしてお北もその侍に、心を奪われていたものだ。宿の人達は噂した。いよいよ甚三は捨てられるなと。誰に訴えることも出来ず、また訴えもしなかったが、心では悲しみもし苦しみもした。訴えられない苦しさは、泣くに泣かれない苦しさであった。泣ける苦痛は泣けばよい。訴えられる苦痛は訴えればよい。人に明かされない苦しさは、苦しさの量を二倍にする。宿の人達にでも洩らそうものなら、その人達はいうだろう、街道筋の馬子風情が、油屋の板頭と契るとは、分(ぶん)に過ぎた身の果報だ。捨てられるのが当然だと。では妹にでも訴えようか、妹お霜は唖(おし)であった。苦楽を分ける弟は、遠く去って土地にいない。神も仏も頼みにならぬ。……富士甚内が追分宿の、本陣油屋へ泊まって以来、甚三の心は一日として、平和の時はなかったのであった。……しかし今は過去となった。苦痛はまさに過ぎ去ろうとしていた。富士甚内がお北と別れ、追分宿を立ち去りつつある。すぐに平和が帰って来よう。これまで通り二人だけの、恋の世界が立ち帰って来よう。……
 甚三は声を張り上げて、次から次と唄うのであった。馬上では甚内が腕拱(こまね)き、じっと唄声に耳を澄まし、機会の来るのを待っていた。
「もうよかろう」と心でいって、四辺(あたり)を窃(ひそ)かに見廻した時には、追分宿は山に隠れ、燈(ともしび)一つ見えなかった。おおかた二里は離れたであろう。左は茫々たる芒原(すすきはら)。右手は谷川を一筋隔て、峨々たる山が聳えていた。甚内は拱いた腕を解くと、静かに柄を握りしめた。知らぬ甚三は唄って行った。今はひとのために唄うのではない。自分の声に自分が惚れ、自分のために唄うのであった。
追分油屋掛け行燈(あんどん)に
浮気ご免と書いちゃない
 甚内はキラリと刀を抜いた。

浅間山さんなぜやけしゃんす
腰に三宿持ちながら

 甚内は刀を振りかぶった。

北山時雨で越後は雨か
あの雨やまなきゃ会われない

 甚内はさっと甚三の、右の肩へ切りつけた。「わっ」と魂消(たまぎ)える声と共に、甚三は右手(めて)へよろめいたが、そのままドタリと転がった時、甚内は馬から飛び下りた。止どめの一刀を刺そうとした。
「まあ待ってくれ、富士甚内! 汝(われ)アおれを殺す気だな!」
「唄の上手が身の不祥、気の毒ながら助けては置けぬ」
「さてはお北も同腹だな!」
「どうとも思え、うぬが勝手だ」
「弟ヤーイ!」と甚三は、致死期(ちしご)の声を振り絞った。「われの言葉、あたったぞヤーイ! おれはお北に殺されるぞヤーイ!」
 よろぼいよろぼい立ち上がるのを、ドンと甚内は蹴り仆した。とその足へしがみ付いた。
 のたうち廻る馬方を、甚内は足で踏み敷いたが、おりから人の足音が、背後(うしろ)の方から聞こえて来たので、ハッとばかりに振り返った。二人の武士が走って来た。「南無三宝!」と仰天し、手負いの馬子を飛び越すと、街道を向こうへ突っ切ろうとした。と、行手から旅姿、菅の小笠に合羽を着、足拵(ごしら)えも厳重の、一見博徒か口入れ稼業、小兵(こひょう)ながら隙のない、一人の旅人が現われたが、笠を傾けこっちを隙(す)かすと、ピタリと止まって手を拡げた。腹背敵を受けたのであった。ギョッとしながらも甚内は、相手が博徒と見定めると、抜いたままの血刀を二、三度宙で振って見せ、
「邪魔ひろぐな!」
 と叱□した。

    この旅人何者であろう?

 博徒風の旅人は、微動をさえもしなかった。依然両手を広げたまま、地から根生(ねば)えた樫の木のように、無言の威嚇を続けていた。脈々と迸(ほとば)しる底力が、甚内の身内へ逼って来た。強敵! と甚内は直覚した。彼は忽然身を翻(ひるが)えすと、この時間近く追い逼って来た、二人の武士の方へ飛びかかって行った。一人の武士はそれと見るとつと傍(かたわ)らへ身をひいたが、もう一人の武士は足をとめ、グイと拳を突き出した。拳一つに全身隠れ、鵜の毛で突いた隙もない。北辰一刀流直正伝拳隠れの真骨法、流祖周作か平手造酒か、二人以外にこれほどの術を、これほどに使う者はない。「あっ」と甚内は身を締めた。この堅陣破ることは出来ぬ。ジリ、ジリ、ジリと後退(あとしざ)り、またもやグルリと身を翻えすと、窮鼠かえって猫を噛む。破れかぶれに旅人眼掛け、富士甚内は躍り掛かって行った。
「馬鹿め!」と訛(なまり)ある上州弁、旅人は初めて一喝したが、まず菅笠を背後(うしろ)へ刎ね、道中差(どうちゅうざし)を引き抜いた。構えは真っ向大上段、足を左右へ踏ん張ったものである。「あっ」とまたもや甚内は、声を上げざるを得なかった。日本に流派は数あるが、足を前後に開かずに、左右へ踏ん張るというような、そんな構えのある筈がない。
 今は進みも引きもならぬ。タラタラと額から汗を落とし、甚内は総身を強(こわ)ばらせた。
「よしこうなれば相討ちだ。相手を斃しておれも死ぬ。卑怯ながら腹を突こう」外れっこのない相手の腹。突嗟に思案した甚内が、下段に刀を構えたまま、体当りの心組み、ドンとばかりに飛び込んだとたん、「ガーッ」という恐ろしい真の気合いが、耳の側で鳴り渡った。武士が背後(うしろ)からかけたのであった。甚内の意気はくじかれたが、同時に活路が発見(みつか)った。張り詰めた気の弛みから機智がピカリと閃めいたのであった。彼は「えい!」と一声叫ぶと、パッと右手(めて)へ身を逸(いっ)したが、そこは芒の原であった。甚三の馬が悠々と、主人の兇事も知らぬ顔に、一心に草を食っていた。その鞍壺へ手を掛けると甚内は翩翻(へんぽん)と飛び乗った。ピッタリ馬背(ばはい)へ身を伏せたのは、手裏剣を恐れたためであって、「やっ」というと馬腹を蹴った。馬は颯(さっ)と走り出した。馬首は追分へ向いていた。月皎々たる芒原、団々たる夜の露、芒を開き露をちらし、見る見る人馬は遠ざかって行った。草に隠れ草を出で、木の間に隠れ木の間を出で、棒となり点とちぢみ、やがて山腹へ隠れたが、なおしばらくはカツカツという、蹄の音が聞こえてきた。しかしそれさえ間もなく消えた。
 余りの早業(はやわざ)に三人の者は、手を拱ねいて見ているばかり、とめも遮(さえぎ)りも出来なかった。苦笑を洩らすばかりであった。
「素早い奴だ、あきれた奴だ」
 博徒姿の旅人は、こうつぶやくとニヤリとしたが、道中差しを鞘へ納めると、その手で菅笠の紐を結んだ。それから二人の武士の方へ、ちょっと小腰を屈(かが)めたが、追分の方へ足を向けた。
「失礼ながらお待ちくだされ」一人の武士が声を掛けた。拳隠れの構えをつけ、甚内を驚かせた武士であった。他ならぬ平手造酒であった。
「何かご用でござんすかえ」旅人は振り返って足を止めた。
「天晴(あっぱ)れ見事なお腕前、それに不思議な構え方、お差し支えなくばご流名を、お明かしなされてはくださるまいか」
「へい」といったが旅人は、迷惑そうに肩を縮め、「とんだところをお眼にかけ、いやはやお恥ずかしゅう存じます。何、私(わっち)の剣術には、流名も何もござんせん。さあ強いてつけましょうなら、『待ったなし流』とでも申しましょうか。アッハハハ自己流でござんす」
「待ったなし流? これは面白い。どなたについて学ばれたな?」
「最初は師匠にもつきましたが、それもほんの半年ほどで、後は出鱈目でございますよ」
「失礼ながらご身分は?」「ご覧の通りの無職渡世で」「お差しつかえなくばお名前を。……われら事は江戸表……」
「おっとおっとそいつあいけねえ」
 造酒が姓名を宣(なの)ろうとするのを、急いで旅人は止めたものである。
「なにいけない? なぜいけないな?」
 造酒は気不味(きまず)い顔をした。
 それと見て取った旅人は、菅笠(すげがさ)の縁へ片手を掛け、詫びるように傾(かし)げたが、また繰り返していうのであった。
「へいへいそいつアいけません。そいつあどうもいけませんなあ」
 造酒はムッツリと立っていた。しかし旅人はビクともせず
「お見受け申せばお二人ながら、どうして立派なお武家様、私(わっち)ふぜいにお宣(なの)りくださるのは、勿体至極(もったいしごく)もございません。それにお宣(なの)りくだされても、私(わっち)の方からは失礼ながら、宣り返すことが出来ませんので、重ね重ね勿体ない話、どうぞ今日はこのままでお別れ致しとう存じます。広いようでも世間は狭く、そのうちどこかで巡り合い、おお、お前かあなた様かと、宣り合う時もございましょう。今は私(わっち)も忙(せわ)しい体、追い込まれているのでございましてな。兇状持ちなのでございますよ。それではご免くださいますよう」
 こういい捨てると旅人は、二人の武士の挨拶も待たず、風のように走って行った。

    鼓賊(こぞく)江戸を横行す

 馬子の甚三の殺されたことは、追分にとっては驚きであった。驚きといえばもう一つ、油屋のお北が同じその夜にあたかも紛失でもしたように、姿を隠してしまったことで、これは酷(ひど)く宿の人達を、失望落胆させたものであった。さて、ところで、紛失(なくな)ったといえば、もう一つ紛失(なくな)った物があった。他ならぬ銀之丞の鼓であった。それと知ると平手造酒は、躍り上がって口惜(くや)しがり、
「千三屋が怪しい千三屋が怪しい!」と、隣室の呉服商を罵ったが、なるほどこれはいかにも怪しく、同じその夜にその千三屋も、どこへ行ったものか行方が知れなかった。
「おい観世、計られたな」
「いいではないか。うっちゃって置けよ」
「あれは名器だ。何がいい!」
「ナーニこれも一つの解脱(げだつ)だ」銀之丞はのんきであった。
「何が解脱だ。惜しいことをした」「捨身成仏(しゃしんじょうぶつ)ということがある。大事な物を捨てた時、そこへ解脱がやって来る」「また談義か、糞(くそ)でも食らえ」「アッハハハ、面白いなあ」「何が面白い、生臭坊主め!」
 造酒は目茶苦茶に昂奮したが、「ああそれにしても一晩の中に、これだけの事件が起ころうとは、何んという不思議なことだろう」
「おい平手、詰まらないことをいうな」銀之丞はニヤリとし、「不思議も何もありゃしないよ。この人の世には不思議はない。あるものは事実ばかりだ」「事実ばかりだ! ばかをいうな! これだけの事件の重畳(じゅうじょう)を、ただの偶然だと見るような奴には、運命も神秘も感ぜられまい」「運命だって? 神秘だって? 馬鹿な、そんなものがあるものか。それは低能児のお題目だ。無知なるがゆえに判(わか)らない。その無知を恥ずかしいとも思わず、判らないところのその物を差して、不思議だ神秘だ宿命だという。馬鹿馬鹿しくて話にもならぬ。……それはそうと実のところ、おれは少々失望したよ」「それ見るがいい、本音を吐いたな」「これだけの事件の衝突(ぶつか)り合いだ。もう少しこのおれを刺戟して、創造的境地へ引き上げてくれても、よかりそうなものだと思うのだがな」「ふん、何んだ、そんなことか。刺戟、昂奮、創造的境地! 何んのことだか解りゃしない」
「おれは駄目だ!」と観世銀之丞は、悄気(しょげ)たみじめな表情をした。「おれの所へ来るとあらゆる物が退屈そのものに化してしまう」「我(わ)がままだからよ。貴公は我がままだ」「おれの心は誰にもわからない。おれは気の毒な人間だ」「そうだとも気の毒な人間だとも」「この地にもあきた。江戸へ行きたい」「おれもあきた。江戸へ帰ろう」
 翌日二人は追分を立ち、中仙道を江戸へ下った。

 この頃不思議な盗賊が、江戸市中を横行した。鼓を利用する賊であった。微妙きわまる鼓の音が、ポン、ポン、ポンと鳴り渡ると、それを耳にした屋敷では、必ず賊に襲われた。どんなに奥深く隠して置いても、きっと財宝を掠められた。大名屋敷、旗本屋敷、そうでなければ大富豪、主として賊はこういう所を襲った。不思議といえば不思議であった。屋敷を廻って鼓が鳴る。それ賊だと警戒する。無数の人が宿直(とのい)をする。しかしやっぱり盗まれてしまう。鼓賊(こぞく)、鼓賊とこう呼んで、江戸の人達は怖(お)じ恐れた。「何のために鼓を鳴らすのだろう? どういう必要があるのだろう?」こう人々は噂し合ったが、真相を知ることは出来なかった。南町奉行筒井和泉守(つついいずみのかみ)、北町奉行榊原主計守(さかきばらかずえのかみ)、二人ながら立派な名奉行であったが、鼓賊にだけは手が出せなかった。跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)に委(まか)すばかりであった。
 この評判を耳にして一人雀躍(こおどり)して喜んだのは、「玻璃窓(はりまど)」の郡上(ぐじょう)平八であった。今年の春の大雪の夜、隅田堤で鼓の音を初めて彼が耳にして以来、実に文字通り寝食を忘れて、その鼓を突き止めようと、追っ駈け廻したものであった。しかるに不幸にも今日まで、行方を知ることが出来なかった。根気のよい彼も最近に至って、多少絶望を感じて来て、手をひこうかとさえ思っていた。その矢先に鼓賊なるものの、輩出したことを聞いたのであった。

    二人の虚無僧(こむそう)の物語

 そこは玻璃窓の平八であった。あの時の鼓とこの鼓賊とが、関係あるものと直覚した。「よしよし今度こそはのがさぬぞ」堅く心に誓いながら、鼓賊の詮議に着手したが、いわゆる今日での科学的捜索それを尊ぶ彼であったから、むやみと蠢動(しゅんどう)するのをやめ、理詰めで行こうと決心した。
「賊と鼓? 賊と鼓? この二つの間には、何らか関係がなくてはならない」まずここから初めたものである。で彼は何より先に、鼓に関する古い文献を、多方面に渡って調べたが、鼓と賊との関係について、記録したものは見つからなかった。そこで今度は方面を変え、鼓造り師や囃(はや)し方や、鼓の名人といわれている、色々の人を訪問し、この問題について尋ねたが、やはり少しも得るところがなかった。
「昔の有名な大盗で鼓を利用したというようなものは、どうも一向聞きませんな」誰の答えもこうであった。
「一人ぐらいはございましょう!」平八が押してたずねても、知らないものは知らないのであった。
「残念ながらこれは駄目だ」平八老人は失望したものの、
「小梅で聞いた鼓の音、何んともいえず美音であったが、いずれ名器に相違あるまい。それを鼓賊が持っているとすると、盗んだものに違いない。よしよしこいつから調べてやろう」
 また訪問をやり出した。鼓造り師、囃し方、鼓の名人といわれる人、各流能楽の家元(いえもと)から、音楽ずきの物持ち長者、骨董商(こっとうしょう)というような所を、根気よく万遍(まんべん)なく経(へ)めぐって「鼓をご紛失ではござらぬかな?」こういって尋ねたものである。
 しかるに麹町(こうじまち)土手三番町、観世宗家の伯父にあたる、同姓信行の屋敷まで来た時、彼の労は酬いられた。嫡子銀之丞が家に伝わる、少納言の鼓を信州追分で、紛失したというのであった。
「まず有難い」と喜んで、その銀之丞へ面会をもとめ、当時の様子をきこうとした。銀之丞は会いは会ったものの、盗難については冷淡であった。はかばかしく模様も語らなかった。
「これとあなたがご覧になって、怪しく思われた人間が、多少はあったでございましょうな?」
「さよう」といったが銀之丞は、例の物うい表情で、
「一人二人はありましたが、罪の疑わしきは咎めずといいます、お話しすることは出来ませんな」
 こうにべもなくいい切ってしまった。どこに取りつくすべもない。これが役付きの与力なら、押してきくことは出来るのであるが、今は役を退(の)いた平八であった。どうすることも出来なかった。「それにしても変った性質だな」こう思って平八は、つくづく相手の顔を見た。さすがは名門の嫡子である、それに一流の芸術家、銀之丞の姿は高朗として、犯しがたく思われた。
「これで三番手も破れたという訳だ」平八老人は観世家を辞し、本所の自宅へ帰りながら、さびしそうに心でつぶやいた。「さてこれからどうしたものだ。……どうにもこうにも手が出ない。これまで通り江戸市中を、あるき廻るより策はない。いや我ながら智慧のない話さ。むしゃくしゃするなあ、浅草へでも行こう」
 で平八は足を返し、浅草の方へ歩いて行った。
 いつも賑やかな浅草はその日もひどく賑わっていた。奥山を廻って観音堂へ出、階段を上(のぼ)って拝(はい)を済まし、戻ろうとしたその時であった、そこに立っていた虚無僧(こむそう)の話が平八の好奇心を引き付けた。
「小さいご本尊に大きい御堂(みどう)、これには不思議はないとしても、この浅草の観音堂と信州長野の善光寺とは、特にそれが著しいな」こういったのは年嵩(としかさ)の方で、どうやら階級も上らしい。「わしは善光寺は不案内だが、そんなに御堂は大きいかな」年下の虚無僧がきき返した。
「観音堂よりはまだ大きい。一周(まわ)りももっとも大きいかな」「それは随分大きなものだな」「そうだ、あれは一昨年だった、わしは深夜ただ一人で、その善光寺の廻廊に立って、尺八を吹いたことがある。なんともいえずいい気持ちだった。まるで音色(ねいろ)が異(ちが)って聞こえた」「ナニ尺八のねいろが異った? ふうむ、それは何故だろうな?」「善光寺本堂の天井に、金塊が釣るしてあるからだ」「ナニ金塊が釣るしてある?」「さよう金塊が釣るしてある。つまり火災に遭(あ)った時など、改めて建立しなければならない。その時の費用にするために、随分昔から黄金(きん)の延棒(のべぼう)が、天井に大切に釣るしてあるのだ」「これは私(わし)には初耳だ」「ところで楽器というものは、分けても笛と鼓とはだな、黄金(おうごん)の気を感じ易い。名器になれば名器になるほど、黄金の気を強く感じ、必ずねいろが変化する。つまり一層微妙になるのだ。で鉱脈(こうみゃく)を探る時など、よく鉱山(かなやま)の山師などは、笛か鼓を持って行って、それを奏して金の有無(うむ)を、うまく中(あ)てるということだよ」
 黙って聞いていた平八は、思わずこの時膝を打った。「やれ有難い、いい事を聞いた。これで事情が大略(あらかた)解った。ははあなるほどそうであったか。鼓賊と呼ばれるその泥棒が、少納言の鼓を奪い取ったのは、その鼓を奏する事によって、目星をつけた家々の、金の有無(ありなし)を知るためだったのか。盗みも進歩したものだな。……よしよしここまで見当がつけば、後はほんの一息だ。きっと間違いなく捕えて見せる」
 踏む足も軽くいそいそと、本所業平(なりひら)町一丁目の、自分の家へ帰って行った。

    千葉道場の田舎者

 北辰一刀流の開祖といえば、千葉周作成政であった。生まれは仙台気仙村、父忠左衛門の時代まで、伊達(だて)家に仕えて禄を食(は)んだが、後忠左衛門江戸へ出で、医をもって業とした。しかし本来豪傑で、北辰無双流の、達人であり、本業の傍ら弟子を取り、剣道教授をしたものであった。その子周作の剣技に至っては、遙かに父にも勝るところから、当時将軍お手直し役、浅利又七郎に懇望され、浅利家の養子となったほどであった。後故あって離縁となり、神田お玉ヶ池に道場を開き、一派を創始して北辰一刀流ととなえ、一生の間取り立てた門弟、三千人と註されていた。水戸藩の剣道指南役でもあり、塾弟子常に二百人に余り、男谷下総守(おたにしもうさのかみ)、斎藤弥九郎、桃井(もものい)春蔵、伊庭(いば)軍兵衛と、名声を競ったものであった。
 ある日、千葉家の玄関先へ、一人の田舎者(いなかもの)がやって来た。着ている衣裳は手織木綿(ておりもめん)、きたないよれよれの帯をしめ冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿いていた。丈(たけ)は小さく痩せぎすで、顔色あかぐろく日に焼けていた。
「ご免くだせえ。ご免くだせえ」さも不器用に案内を乞うた。「ドーレ」といって出て来たのは小袴を着けた取り次ぎの武士。
「ええどちらから参られたな」
「へえ、甲州から参りました」そのいう事が半間(はんま)であった。
「して何んのご用かな?」「お目にかかりてえんでごぜえますよ」「お目にかかりたい? どなたにだな?」「千葉先生にでごぜえますよ」「お目にかかってなんになさる?」「へえ立ち合って戴きたいんで」
 取り次ぎはプッと吹き出したが、「では試合に参ったのか」「へえさようでごぜえます」「千葉道場と知って来たのか」「へえへえさようでごぜえます」「ふうん、そうか。いい度胸だな」「へえ、よい度胸でごぜえます」田舎者は臆面がない。
 取り次ぎの武士は面白くなったかからかうようにいい出した。「で、ご貴殿のご流名は?」「流名なんかありましねえ」「流名がない。それはそれは。してご貴殿のご姓名は?」「姓名の儀は千代千兵衛でがす」「アッハハハ、千代千兵衛殿か。いやこれはよいお名前だ」「どうぞ取り次いでおくんなせえ」「悪いことはいわぬ。帰った方がいい」「へえ、なぜでごぜえますな?」「なぜときくのか。ほかでもない、大先生は謹厳のお方、さようなことはなさらないが、若い血気の門弟衆の中には、悪(わる)ふざけをなさるお方がある。うかうか道場などへ参って見ろ、なぶられたあげく撲(なぐ)られるぞ」「へえ、そいつはおっかないね」「おっかないとも、だから帰れ」「撲られるのは大嫌いだ」「好きな奴があるものか」「だからおいら撲られねえだ。おいらの方から撲ってやるだ」「呆れた奴だ。物もいえぬ」「だから取り次いでおくんなせえまし」「取り次ぐことは罷(まか)りならぬよ」「ではどうしても出来ねえだか」「さようどうしても出来ないな」「ではしかたがねえ、帰るべえ」「その方がいい。安全だ」「その代り世間へいい触らすがいいか」「ナニいい触らす? 何をいい触らすのだ?」「千葉周作だ、北辰一刀流だと、大きな看板は上げているが、その実とんだ贋物(いかさまもの)で、甲州の千代千兵衛に試合を望まれたら、おっかながって逢わなかったと、こういい触らしても文句あるめえな」

    大胆なのか白痴(ばか)なのか?

 これを聞くと取り次ぎの武士は、にわかにその眼を怒らせたが、「いやはやなんと申してよいか、田舎者と思えばこそ、事を分けて訓(さと)してやったに、それが解らぬとは気の毒なもの。よしよしそれほど撲られたいなら、望みにまかせ取り次いでやろう。逃げるなよ、待っておれ」
 こういい捨てて奥へはいったが、やがて笑いながらひっ返して来た。
「大先生はご来客で、そちなどにはお目にかかれぬ。しかし道場にはご舎弟(しゃてい)様はじめ、お歴々の方が控えておられる。望みとあらば通るがよい」「へえ、有難う存じますだ」
 で、田舎者は上がり込んだ。長い廊下を行き尽くすと、別構えの道場であった。カチ、カチ、カチ、というしないの音、鋭い掛け声も聞こえて来た。
「さあはいれ」といいながら、取り次ぎの武士がまずはいると、その後に続いて田舎者は、構えの内へはいっていった。見かすむばかりの大道場、檜(ひのき)づくりの真新しさ、最近に建てかえたものらしい。向かって正面が審判席で、その左側の板壁一面に、撃剣道具がかけつらねてあり、それと向かい合った右側には、門弟衆の記名札が、ズラとばかり並んでいた。審判席にすわっているのは、四十年輩の立派な人物、外ならぬ千葉定吉で、周作に取っては実の弟、文武兼備という点では周作以上といわれた人、この人物であったればこそ、北辰一刀流は繁昌し、千葉道場は栄えたのであった。性来無慾恬淡(てんたん)であったが、その代りちょっと悪戯(いたずら)好きであった。で、田舎者の姿を見るとニヤリと笑ったものである。その左側に控えていたのは、周作の嫡子岐蘇太郎(きそたろう)、また右側に坐っていたのは、同じく次男栄次郎であって、文にかけては岐蘇太郎、武においては栄次郎といわれ、いずれも高名の人物であった。岐蘇太郎の横には平手造酒が坐し、それと並んで坐っているのは、他ならぬ観世銀之丞であった。打ち合っていた門弟達は、田舎者の姿へ眼をつけると、にわかにクスクス笑い出したが、やがてガラガラと竹刀(しない)を引くと、溜(たま)りへ行って道具を脱ぎ、左右の破目板を背後(うしろ)に負い、ズラリと二列に居流れた。
「他流試合希望の者、召し連れましてござります」
 取り次ぎの武士は披露した。
 すると定吉は莞爾(にっこり)としたが「千代千兵衛とやら申したな」
「へえ、千代千兵衛と申しますだ。どうぞハアこれからはお心易く、願(ねげ)えてえものでごぜえます」田舎者はこういうと、一向平気で頭を下げた。胆(きも)が太いのか白痴(ばか)なのか、にわかに判断がつき兼ねた。
「で、流名はないそうだな?」
「へえ、そんなものごぜえません」
「当道場の掟として門弟二、三人差し出すによって、まずそれと立ち合って見い」
「へえ、よろしゅうごぜえます。どうぞ精々(せいぜい)強そうなところをお出しなすってくだせえまし」
「秋田氏(うじ)、お出なさい」
「はっ」というと秋田藤作、不承不承に立ち出でた。相手は阿呆の田舎者である、勝ったところで名誉にならず、負けたらそれこそ面汚(つらよご)しだ。一向栄(はえ)ない試合だと思うと、ムシャクシャせざるを得なかった。そのうっぷんは必然的に、田舎者の上へ洩らされた。「こん畜生め覚えていろ、厭というほどぶん撲ってやるから」で手早く道具を着けると、しないを持って前へ出た。これに反して田舎者は、さも大儀だというように、ノロノロ道具を着けだしたが、恐ろしく長目のしないを握ると、ノッソリとばかり前へ出た。双方向かい合ってしないを合わせた。
 礼儀だから仕方がない、「お手柔らかに」と藤作はいった。
「へえ、よろしゅうごぜえます」これが田舎者の挨拶であった。まるで頼まれでもしたようであった。
「よろしゅうござるとは呆れたな。悪くふざけた田舎者じゃねえか。よし脳天をどやしつけ、きな臭い匂いでも嗅がせてやろう」藤作は益□気を悪くしたが、「ヤッ」というと立ち上がり、一足引くと青眼につけた。と相手の田舎者は、同時にヌッと立ち上がりはしたが、うんともすんともいわばこそ、背後(うしろ)へ一足引くでもなく、ぼやっとして立っていた。位取りばかりは上段であった。

    合点のいかない剣脈である

「へ、生意気(なまいき)な、上段と来たな。今に見ていろひっくり返してやるから」じっと様子を窺った。相手の全身は隙だらけであった。「ざまア見やがれ田舎者め。構えも屁ったくれもありゃしない。全身隙とはこれどうだ。といってこれが機に応じて、ヒラリ構えが変るというような、そんなしゃれた玉ではなし、フフン、こいつ狂人(きちがい)かな。他流試合とは恐れ入る。かまうものかひっ叩いてやれ」
 ツト一足進んだ時、どうしたものか田舎者は、ダラリとしないを下げてしまった。
「もしもしお尋ね致しますだ」こんな事をいい出した。「ちょっくらお尋ね致しますだよ」
「なんだ?」といったが秋田藤作すっかり気勢を削がれてしまった。試合の最中しないを下ろし、ちょっくら待てという型はない。無作法にも事を欠く、うんざりせざるを得なかった。
「何か用か、早くいえ」
「あのお前様(めえさま)の位所(くらいどころ)は、どこらあたりでごぜえますな?」
「剣道における位置の事か?」「へえ、さようでごぜえます」「拙者はな、切り紙だ」「切り紙というとビリッ尻(けつ)だね」「無礼なことをいうものではない」「さあそれじゃやりやしょう」
 そこで二人はまた構えた。千葉道場の切り紙は、他の道場での目録に当たった。もう立派な腕前であった。その藤作が怒りをなし、劇(はげ)しく竹刀(しない)を使い出したので、随分荒い試合となった。「ヤ、ヤ、ヤ、ヤ……ヤ、ヤ、ヤ、ヤ」こう気合を畳み込んで、藤作は前へ押し出して行ったが、相手の田舎者は微動さえしない。同じ場所に立っていた。一歩も進まず一歩も退かない。盤石のような姿勢であった。そうして全身隙だらけであった。しかも上段に振り冠っていた。
 見当のつかない試合ぶりであった。
「胴!」とばかり藤作は、風を切って打ち込んだ。ポーンといういい音がした。
「擦(かす)った!」と田舎者は嘲笑った。審判席からも声が掛からない。で藤作はツト退いた。じっと双方睨み合った。
「小手!」とばかり藤作は、再度相手の急所を取った。
「擦った」と田舎者はまたいった。嘲けるような声であった。審判席からは声が掛からない。
 またも双方睨み合った。
「面!」と一声(せい)藤作が、相手の懐中(ふところ)へ飛び込んだとたん、
「野郎!」という劇しい声がした。その瞬間に藤作は、床の上へ尻餅を突いた。プーンときな臭い匂いがして、眼の前をキラキラと火花が飛び脳天の具合が少し変だ。「ははあ、おれは打たれたんだな」……そうだ! 十二分にどやされたのであった。
「勝負あった」と審判席から、はじめて定吉の声がした。
「参った」といったものの秋田藤作は、どうにも合点がいかなかった。いつ撲られたのかわからなかった。
 審判席では定吉が、眉をしかめて考え込んだ。
「これは普通の田舎者ではない。十分腕のある奴らしい。道場破りに来たのかも知れない。それにしても不思議な剣脈だな。動かざること山の如しだ。それにただの一撃で、相手の死命を制するという、あの素晴らしい意気組は、尋常の者には出来ることではない。……迂濶(うかつ)な相手は出されない。……観世氏、お出なさい」
「はっ」というと観世銀之丞は物臭さそうに立ち上がった。

    観世銀之丞引き退く

 観世銀之丞は能役者であった。それが剣道を学ぶとは、ちょっと不自然に思われるが、そこは変り者の彼のことで、一門の反対を押し切って、千葉道場へは五年前から、門弟としてかよっていた。天才にありがちの熱情は、剣道においても英発(えいはつ)し、今日ではすでに上目録であった。千葉道場での上目録は、他の道場での免許に当たり、どうして堂々たるものであった。もっとも近来憂鬱になり、物事が退屈になってからは、剣道の方も冷淡となり、道場へ来る日も稀(まれ)となったが、今日は珍らしく顔を見せていた。
 道具を着けるとしないを取り、静かに前へ進み出た。で田舎者もうずくまり、しないとしないとを突き合わせた。と田舎者はまたいい出した。
「へえ、ちょっくらおきき致しますだ」「ああ何んでもきくがいい」「お前様の位所(くらいどころ)はえ?」「おれはこれでも上目録だよ」「へえさようでごぜえますかな。千葉道場での上目録は、大したものだと聞いているだ。さっきの野郎とは少し違うな」「これこれ何んだ。口の悪い奴だ」「それじゃおいらもちっとばかり、本気にならずばなるめえよ」「一ついいところを見せてくれ」
「やっ」と銀之丞は立ち上がった。ヌッと田舎者も立ち上がり、例によって例の如く、しないを上段に振り冠ったが、姿勢が何んとなく変であった。「おや」と思って銀之丞は、相手の構えを吟味した。突然彼は、「あっ」といった。それと同時に審判席から、同じく、「あっ」という声がした。声の主は平手造酒だ。二人の驚いたのはもっともであった。千代千兵衛となのる田舎者は、足を前後へ構えずに、左右へウンと踏ん張っていた。銀之丞は考えた。
「ははあ、さてはあいつであったか。北国街道の芒原で、甚三殺しの富士甚内を、不思議な構えでおどしつけた、博徒姿の旅人があったが、ははあさてはこいつであったか。それにしてもいったい何者であろう?」……で、じっと様子を見た。相変らず全身隙だらけであった。胴も取れれば小手も取れた。決して習った剣道ではなかった。それにもかかわらず彼の体からは、不思議な力がほとばしり、こっちの心へ逼って来た。面(おもて)も向けられない殺気ともいえれば、戦闘的の生命力ともいえた。とまれ恐ろしい力であった。
「業(わざ)からいったら問題にもならぬ。おれの方がずっと上だ。しかし打ち合ったらおれが負けよう。ところで平手とはどうだろう? いや平手でも覚束ない、この勝負はおれの負けだ。負ける試合ならやらない方がいい」こう考えて来た銀之丞は、一足足を後へ引いた。そうして「参った」と声をかけた。道具を解くとわるびれもせず、元の席へ引き上げて行った。
「どうした?」と造酒はそれと見ると、気づかわしそうにささやいた。「お前の手にも合わないのか?」
 すると銀之丞は頷(うな)ずいたが、「恐ろしい意気だ。途方もない気合いだ」「追分で逢った博徒のようだが」「うん、そうだ、あいつだよ」「待ったなし流とかいったようだな」「うん、そうそう、そんなことをいったな」「ポンポンガラガラ打ち合わずに、最初の一撃でやっつける、つまりこういう意味らしいな」「うん、どうやらそうらしい」「足を左右に踏ん張ったでは、進みもひきもならないからな。居所攻(いどころぜ)めという奴だな」「そうだ、そいつだ、居所攻めだ。胴を取られても小手を打たれても、擦(かす)った擦ったといって置いて、敵が急(あせ)って飛び込んで来るところを、真っ向から拝み打ち、ただ一撃でやっつけるのだ」「観世、おれとはどうだろう?」「平手、お前となら面白かろう。しかし、あるいは覚束ないかもしれない」
 いわれて造酒は厭な顔をしたが、田舎者の方をジロリと見た。と田舎者は相も変らず、ノッソリとした様子をして、道場の真ん中に立っていた。たいして疲労(つか)れてもいないらしい。審判席では定吉先生が、さも驚いたというように、長い頤髯(ひげ)を扱(しご)いていた。眉の間に皺が寄っていた。神経的の皺であった。
「秋田藤作は駄目としても、観世銀之丞は上目録だ、それが一合も交わさずに、引き退くとは驚いたな。非常な腕前といわなければならない。しかしどうも不思議だな、そんな腕前とは思われない」

    平手造酒と田舎者

 定吉は思案に余ってしまった。「これはおれの眼が曇ったのかもしれない。どうにも太刀筋が解らない。とまれこやつは道場破りだな。このままでは帰されない。もうこうなれば仕方がない。平手造酒を出すばかりだ」
 で彼は厳然といった。「平手氏、お出なさい」
 平手造酒は一礼した。それから悠然と立ち上がった。
 千葉門下三千人、第一番の使い手といえば、この平手造酒であった。師匠周作と立ち合っても、三本のうち一本は取った。次男栄次郎も名人であったが、造酒と立ち合うと互角であった。しかしこれは造酒の方で、多少手加減をするからで、造酒の方が技倆(うで)は上であった。定吉に至ると剣道学者で、故実歴史には通じていたが、剣技はずっと落ちていた。
 由来造酒は尾張国、清洲在の郷士(ごうし)の伜(せがれ)で、放蕩無頼且つ酒豪、手に余ったところから、父が心配して江戸へ出し、伯父の屋敷へ預けたほどであった。しかしそういう時代から、剣技にかけては優秀を極め、ほとんど上手(じょうず)の域にあった。それを見込んだのが周作で、懇々身上を戒めた上己が塾へ入れることにした。爾来研磨(けんま)幾星霜(いくせいそう)、千葉道場の四天王たる、庄司(しょうじ)弁吉、海保(かいほ)半平、井上八郎、塚田幸平、これらの儕輩(せいはい)にぬきんでて、実に今では一人武者であった。すなわち上泉伊勢守(こうずみいせのかみ)における、塚原小太郎という位置であった。もしこの造酒が打ち込まれたなら、もう外には出る者がない。厭でも周作が出なければならない。
 それほどの造酒が定吉の指図(さしず)で、不思議な田舎者と立ち合おうため、己が席から立ったのであった。場内しいんと静まり返り、しわぶき一つする者のないのは、正に当然な事であろう。そのおかし気(げ)な田舎者の態度に、ともすれば笑った門弟達も、今は悉くかたずを呑み、不安の瞳を輝かせていた。
 その息苦しい気分の中で、造酒は悠然と道具を着けた。彼の心には今や一つの、成算が湧いていたのであった。「恐ろしいのは一撃だ。そうだはじめの一撃だ。これさえ避ければこっちのものだ」彼は窃(ひそ)かにこう思った。「あせってはいけないあせってはいけない。こっちはあくまで冷静に、水のように澄み返ってやろう。そうして相手をあせらせてやろう。一ときでも二ときでも、ないしは一日でも待ってやろう。つまり二人の根比(こんくら)べだ。根が尽きて気があせり、構えが崩れた一刹那(せつな)を、一気に勝ちを制してやろう。相手の不思議なあの構えを、突き崩すのが急務である」
 やがて道具を着けおわると、別誂えの太く長く、持ち重(おも)りのするしないを握り、静かに道場の真ん中へ出た。両膝を曲げ肘を張り、ズイとしないを床上へ置いた。それと見ると田舎者も、肘を張り両膝を曲げ、しないの先を食っつけたが、「ちょっくらおたずね致しますだ」例のやつをやり出した。「平手様とおっしゃったようだが、そうすると平手造酒様だかね?」
「さよう、拙者は平手造酒だ」
「へえ、さようでごぜえますか。では皆伝でごぜえますな」「さよう、拙者は皆伝だ」「お前様さえ打ち込んだら、こっちのものでごぜえますな。ほかに出る人はねえわけだね。ヤレ有難い、とうとう漕ぎつけた。それじゃおいらも一生懸命、精一杯のところを出しますべえ」
 二人はしばらくおしだまった。ややあって同時に立ち上がった。造酒はピタリと中段につけ、しないの端から真っ直ぐに、相手の両眼を睨みつけた。例によって田舎者は、二本の足を左右へ踏ん張り、しないを上段に振り冠ったが、これまた柄頭(つかがしら)から相手の眼を、凝然(ぎょうぜん)と見詰めたものである。

    突き出された一本の鉄扇

 木彫りの像でも立てたように、二人はじっと静まっていた。双方無駄な掛け声さえしない。しないの先さえ動かない。息使いさえ聞こえない。
 根気比べだと決心して、さて立ち上がった平手造酒は、水ももらさぬ構えをつけ、相手の様子を窺ったが、さっき銀之丞が感じたようなものを、やはり感ぜざるを得なかった。かつてこれまで経験したことのない、殺気といおうか圧力といおうか、ゾッとするような凄い力が、相手の体全体から、脈々として逼って来た。……「不思議だな」と彼は思った。「何んだろういったいこの力は? いったい何から来るのだろう?」……どうもはっきりわからない。わからないだけに気味が悪い。で、なお造酒は考えた。
「あいつはまるであけっぱなしだ。全身まるで隙だらけだ。それでいてやっぱり打ち込めない。不可解な力が邪魔をするからだ。それに反してこのおれは、あらゆる神経を働かせ、あらゆる万全の策を取り、全力的に構えている。おれの方が歩が悪い。おれの方が早く疲労(つかれ)る。おれの方が根負けする」
 こう思って来て平手造酒は、動揺せざるを得なかった。「あぶない!」と彼はその突嗟(とっさ)、自分の心を緊張(ひきし)めた。「考えてはいけない考えてはいけない。無念無想、一念透徹、やっつけるより仕方がない」
 で彼は自分の構えを、一層益□かたくした。場内寂然(せきぜん)と声もない。
 窓からさし込む陽の光さえ、思いなしか暗く見えた。
 こうして時が過ぎて行った。
 造酒にとってはその「時」が、非常に長く思われた。それが彼には苦痛であった。「打ち込んで行くか、打ち込まれるか、どうかしなければいたたまれない。とてもこのままでは持ち耐(こた)えられない……といって向こうからは打ち込んでは来まい。ではこっちから打ち込まなければならぬ」
 で造酒は構えたまま、ジリッと一足前へ出た。そうしてしばらく持ち耐えた。そうして相手の様子を見た。しかるに相手は動かない。凝然として同じ位置に、同じ姿勢で突ったっていた。これが常道の剣道なら、一方が進めば一方が退き、さらに盛り返し押し返すか、出合い頭を打って来るか、ないしはズルズルと押しに押され、つめに詰められて取りひしがれるか、この三つに帰着するのであるが、そこは変態の剣道であった。一足ジリリと詰め寄せられても、田舎者は微動さえしない。そこでやむを得ず造酒の方で、せっかく詰めたのを後戻りした。一歩後へひいたのであった。でまた二人は位取(くらいど)ったまま、木像のように動かない。しかしやはり造酒にとっては、この「動かない」ということが、どうにも苦しくてならなかった。で一足引いて見た。相手を誘(おび)き出すためであった。しかるに相手は動かない。左右に踏ん張った二本の足が、鉄で造られた雁股(かりまた)のように、巌然(がんぜん)と床から生え上がっていた。前へも進まず後へも退かず、真に徹底した居所攻(いどころぜ)めだ。で、やむを得ず造酒の方で、一端ひいたのを寄り戻した。同じ位置に復したのであった。「もうこれ以上は仕方がない。心気疲労(つか)れて仆れるまで、ここにこうして立っていよう」造酒は捨鉢(すてばち)の決心をした。こうして二人は場の真ん中に、数百人の眼に見守られながら、静まり返って立っていた。
 と気味の悪い幻覚が、造酒の眼に見えて来た。相手が上段に構えている、しないの先へポッツリと、真紅(しんく)のしみが現われたが、それが見る間に流れ出し、しないを伝い鍔(つば)を伝い、柄頭まで伝わった。と思うとタラタラと、床の上へ流れ落ちた。他でもない血潮であった。ハッと思って見直す、とそんなしみなどはどこにもない。「何んだ馬鹿な!」と思う間もなく、またもや同じしないの先へ、ポッツリ真紅のしみが出来、それがタラタラと流れ下った。プンと生臭い匂いがした。とたんにグラグラと眼が廻った。同時に造酒は、「しまった!」と思った。「打たれる! 打たれる! いよいよ打たれる!」
 果然相手の千代千兵衛の眼が面越しに火のように輝いた。と同時に武者顫いがその全身を突き通った。
「今、打たれる! 今、打たれる!」造酒は我知らず眼を閉じた。しかし不思議にも相手のしないが、体のどこへも落ちて来ない。彼はカッと眼を開けた。彼と敵とのその間に、一本の鉄扇が突き出されていた。太い指がガッシリと、鉄扇の柄(え)を握っていた。指に生えている細い毛が、幽かに幽かに顫えていた。造酒は鉄扇の持ち主を見た。

    忽ち崩れた金剛の構え

 中肉中丈(ぜい)で色白く、眉目清秀で四十一、二、頬にも鼻下にも髯のない、一個瀟洒(しょうしゃ)たる人物が、黒紋付きの羽織を着、白縞の袴を裾長に穿き、悠然とそこに立っていた。千葉周作成政であった。
「む」というと平手造酒は、構えを崩して後へ引いた。と、周作は造酒に代り、田舎者千代千兵衛へ立ち向かった。
 田舎者の上段は、なお崩れずに構えられた。それへ向けられた鉄扇は、一見いかにも弱々しく、そうして周作の表情には、鋭さを示す何物もなかった。
 静かであり冷ややかであった。しかるに忽然(こつぜん)その顔へ、何かキラリと閃めいた。その時初めて田舎者の金剛不動の構えが崩れ、両足でピョンと背後(うしろ)へ飛んだ。そうしてそこで持ち耐(こら)えようとした。しかしまたもや周作の顔へ、ある感情が閃めいた。とまた千代千兵衛は後へさがった。そうしてそこで持ち耐えようとした。しかし三度目の感情が、周作の顔へ閃めいた時、千代千兵衛の構えは全く崩れ、タ、タ、タ、タ、タ、タと崩砂(なだれ)のように、広い道場を破目板(はめいた)まで、後ろ向きに押されて行った。そうしてピッタリ破目板へ背中をくっつけてしまったのである。
 追い詰めて行った周作は、この時初めて「カッ」という、凄じい気合いを一つ掛けたが、それと同時に鉄扇を、グイとばかりに手もとへひいた。するとあたかも糸でひかれた、繰(あやつ)り人形がたおれるように、そのひかれた鉄扇に連れ、千代千兵衛のからだはパッタリと、前のめりにたおれたが、起き上がることが出来なかった。全く気絶したのであった。
 周作は穏(おだや)かに微笑したが、審判席へ歩み寄った。舎弟定吉が席を譲った。その席へ悠然と坐った時、道場一杯に充ちていた、不安と鬱気とが一時に、快然と解けるような思いがした。
「平手、平手」と周作は呼んだ。「今の勝負、お前の負けだ」
「私もさよう存じました」造酒は額の汗を拭き、「恐ろしい相手でございます」
「これはな、別に不思議はない。実戦から来た必勝の手だ」
「実戦から来た必勝の手? ははあさようでございますかな」
「というのは外でもない」周作はにこやかに笑ったが、「泰平の世の有難さ、わしの門弟は数多いが、剣(つるぎ)の稲妻、血汐の雨、こういう修羅場を経て来たものは、恐らく一人もあるまいと思う。いやそれはない筈だ。しかるにそこにいる千代千兵衛という男、その男だけは経て来ている。恐らくこやつは博徒であろう。それも名のある博徒であろう。彼らの言葉で出入(でい)りというが、百本二百本の長脇差が、縦横に乱れる喧嘩の場を、潜(くぐ)って来た奴に相違ない。それも一回や二回ではない。幾度となく潜って来た奴だ。それは自然と様子で知れる。そこだ、陸上の水練の、役に立たないというところは! 胴をつけ面を冠り、しないを取っての試合など、例えどんなに上手になっても、一端戦場へ出ようものなら、雑兵ほどの役にも立たぬ。残念ではあるが仕方がない、これは実にやむを得ぬことだ」
 こういって周作は、またにこやかに笑ったが、
「もうそろそろよいだろう。どれ」というと立ち上がり、田舎者の側へ寄って行った。この時までも緊(しっか)りと、しないを握っていた十本の指を、まず順々に解いて行き、やがてすっかり解いてしまうと、上半身を抱き起こした。やっ! という澄み切った気合い、ウーンという呻き声が、田舎者の口から洩れたかと思うと、すぐムックリと起き上がった。別にキョロキョロするでもなく、一渡り四辺(あたり)を見廻したが、周作の姿へ眼を止めると、「参った!」といって手を突いた。
「どうだな気分は? 苦しくはないかな?」
 気の毒そうに周作はきいた。
「へい、お肚(なか)が空きやした」これが田舎者の挨拶であった。
「おお空腹か、そうであろう、誰か湯漬(ゆづ)けを持って来い。……さてその間にきく事がある。もう本名を明かせてもよかろう」

    剣(つるぎ)の神様でございます

「へい、もうこうなりゃ仕方がない、何んでも申し上げてしまいますよ」「産まれはどこだ? これから聞きたい」「へい、上州でございます」「うん、そうして上州はどこだ?」「佐位郡(さいごおり)国定村(くにさだむら)で」
 すると周作は頷(うなず)いたが、「ではお前は忠次であろう?」
「へい、図星でございます。国定忠次でございます」
 これを聞くと道場一杯、押し並んでいた門弟の口から、「ハーッ」というような声が洩れた。これは驚いた声でもあり、感動をした声でもあった。当時国定忠次といえば、関東切っての大侠客、その名は全国に鳴り渡っていて、「国定忠次は鬼より怖い、ニッコリ笑えば人を斬る」と唄にまで唄われていたものである。その忠次だというのであるから、ハーッと驚くのももっともであろう。
「おお、そうか、忠次であったか、わしもおおかたその辺であろうと、実は眼星をつけていたが、いよいよそうだと明かされて見ると、妙に懐かしく思われるな。それはそうとさて忠次、よい構えを見つけたな」
「へい、これは恐れ入ります。ほんの自己流でございまして、お恥ずかしく存じます」
「剣の終局は自己流にある。一派を編み出し一流を開く、すべて自己の発揮だからな。いつその構えは発明したな?」
「島の伊三郎を討ち取りました時から、自得致しましてございます」
「しかし忠次その構えでは、お前も随分切られた筈だが?」
「仰せの通りでございます」こういうと忠次は右腕を捲った。五、六ヵ所の切傷(きず)があった。「かような有様でございます」それから彼は左腕を捲った。七、八ヵ所の切傷(きず)があった。「この通りでございます」それから彼はスッポリと、両方の肌を押し脱いだ。胸にも肩にも左右の胴にも、ほとんど無数の太刀傷があった。「ご覧の如くでございます」それから彼は肌を入れた。
「ううむなるほど、見事なものだな」周作は感心してうなずいた。
「へい、わっちが待ったなし流で、じっと構えておりますと、相手の野郎はいい気になって、ちょくちょく切り込んで参ります。それをわっちは平気の平左で、切らして置くのでございますな。ビクビクもので切って来る太刀が、何んできまることがございましょう。皮を切るか肉にさわるか、とても骨までは達しません。そこがつけ目でございます。そうやって充分引きつけて置いて、いよいよ気合いが充ちた時、それこそ待ったなしでございますな、一撃にぶっ潰すのでございます」忠次はここでニヤリとした。
「お前と立ち合った人間の中、これは恐ろしいと思った者が、一人ぐらいはあったかな?」「へい、一人ございました」「おおそうか、それは誰だな?」「そこにいらっしゃる平手様で」「ナニ平手? ふうん、そうか」「何んと申したらよろしいやら、細い鋭い針のようなものが、遠い所に立っている。とてもそこまでは手が届かない。こんな塩梅(あんばい)に思われました。技芸(わざ)の恐ろしさをその時初めて、感じましてございますよ」「しかし試合はお前の勝ちだ」「それはさようかも知れませぬ。わっちの構えは技芸だけでは、破られるものではございません」
 すると周作は莞爾(にっこり)としたが、「ではなぜおれに破られたな?」
 すると忠次はいずまいを正し、「へい、それは先生には、人間でないからでございますよ」「人間でない? それでは何か?」
「剣(つるぎ)のひじりでございます。剣の神様でございます。先生にじっとつけられました時、これまでかつて感じたことのない、畏敬の心が湧きました。そうして先生のお姿も、また鉄扇もなんにも見えず、ただ先生のお眼ばかりが、二つの鏡を懸けたように、わっちの眼前で皎々(こうこう)と、輝いたものでございます。とたんにわっちの構えが崩れ、あの通りの有様に気絶してしまったのでございます」
 忠次ほどの豪傑も、こういってしまうと額の汗を、改めて拭ったものである。

    国定忠次の置き土産

 上州の侠客国定忠次が、江戸へ姿を現わしたのは、八州の手に追われたからで、上州から信州へ逃げ、その信州の追分で、甚三殺しと関係(かかりあ)い、その後ずっと甲州へ隠れ、さらに急流富士川を下り、東海道へ出現し、江戸は将軍お膝元で、かえって燈台下(もと)暗しというので、大胆にも忍んで来たのであった。千葉道場へやって来たのも、深い魂胆があったからではなく、自分の我無沙羅(がむしゃら)な「待ったなし流」を、見て貰いたいがためであった。
「千葉道場におりさえしたら、八州といえども手を出すまい。忠次ここで遊んで行け」
 千葉周作はこういって勧めた。
「へい、有難う存じます」忠次はひどく喜んで、二十日あまり逗留した。と云っていつまでもおられない、いわゆる忙(せわ)しい体だったので、やがて暇(いとま)を乞うことにした。
「お前達はずんで餞別をやれ」千葉周作がこういったので、門弟達は包み金を出した。それが積もって五十両、それを持って国定忠次は、日光指して旅立って行った。
 さて、これまでは無難であったが、これから先が無難でない。ある日造酒が銀之丞へいった。
「観世、お前はどう思うな?」藪から棒の質問であった。
「どう思うとは何を思うのだ?」銀之丞は変な顔をした。
「国定忠次のあの太刀筋、素晴らしいとは思わぬかな」「うむ、随分素晴らしいものだな」「ところであれは習った技ではない」「それは先生もおっしゃった」「人を斬って鍜えた[#「鍜えた」はママ]技だ」「それも先生はおっしゃった筈だ」「ところが我々はただの一度も、人を斬った経験がない」「幸か不幸か一度もないな」「そこで腕前はありながら、忠次風情にしてやられたのだ」「いやはや態(ざま)の悪い話ではあったぞ」「それというのもこのわれわれが、人を斬っていないからだ」「残念ながら御意(ぎょい)の通りだ」「観世、お前も残念と思うか?」「ナニ、大して残念でもないな」「貴公はそういう人間だ」「アッハハハ、仰せの通り」「張り合いのない手合いだな」「では大いに残念と行くか?」
 すると造酒はニヤリとしたが、
「観世、今夜散歩しよう」
「散歩? よかろう、どこへでも行こう。……が、散歩してどうするのだ?」
 すると造酒はまた笑ったが、
「観世、貴公は知っているかな、当時江戸の三塾なるものを」
「ふざけちゃいけない、ばかな話だ、三児といえども知っているよ。まず第一が千葉道場よ、つづいて斎藤弥九郎塾、それから桃井春蔵塾だ。それがいったいどうしたのだえ?」「その桃井の内弟子ども、吉原を騒がすということだ」「そういう噂は聞いている。無銭遊興をやるそうだな」
「だからこいつらは悪い奴だ」「義理にもいいとはいわれないな」「こんな手合いは叩っ切ってもいい」
 これを聞くと銀之丞は、造酒のいう意味がはじめてわかった。で彼は声をひそめ、
「平手、辻斬りをする気だな」
 すると造酒はうなずいて見せたが、「厭なら遠慮なくいうがいい」
 銀之丞は考え込んだ。「平手、面白い、やっつけようぜ!」
「それじゃ貴公も賛成か」「平手、おれはこう思うのだ。自分が何より大事だとな。おれの根深いふさぎの虫は、容易なことでは癒らない。海外密行か入牢か、そうでなければ人殺し、こんな事でもしなかったら、まず癒る見込みはない。……で、おれは思うのだ、構うものかやっつけろとな。……それも町人や百姓を、金のために殺すのではない。桃井塾の門弟といえば、こっちと同じ剣道家だ。殺したところで罪は浅い。それにうかうかしようものなら、あべこべにこっちがしとめられる。いってみれば真剣勝負だ。構うものかやっつけよう」「いい決心だ。ではやるか」

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