名人地獄
是非お友達にも!
★暇つぶし何某★

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著者名:国枝史郎 

    消えた提灯(ちょうちん)、女の悲鳴

「……雪の夜半(よわ)、雪の夜半……どうも上(かみ)の句が出ないわい」
 寮のあるじはつぶやいた。今、パッチリ好(よ)い石を置いて、ちょっと余裕が出来たのであった。
「まずゆっくりお考えなされ。そこで愚老は雪一見」
 立ち上がったあるじは障子を開けて、縁の方へ出て行った。
「降ったる雪かな、降りも降ったり、ざっと三寸は積もったかな。……今年の最後の雪でもあろうか、これからだんだん暖かくなろうよ」
「しかし随分寒うござるな」
 侍客はこういって、じっと盤面を睨んでいたが、「きちがい雪の寒いことわ」
「……雪の夜半、雪の夜半……」あるじは雪景色を眺めていた。
「よい上の句が出ないと見える」
「よい打ち手がめつからぬと見える」
 二人は哄然(こうぜん)と笑い合った。
「これからだんだん暖かくなろう」あるじはまたも呟(つぶや)いた。
「しかし今日は寒うござるな」侍客がまぜっかえす。
「さよう。しかし余寒でござるよ」
「余寒で一句出来ませんかな」「さようさ、何かでっち上げましょうかな。下萠(したもえ)、雪解(ゆきげ)、春浅し、残る鴨などはよい季題だ」「そろそろうぐいすの啼き合わせ会も、根岸あたりで催されましょう」
「盆石(ぼんせき)、香会(こうかい)、いや忙しいぞ」「しゃくやくの根分けもせずばならず」「喘息(ぜんそく)の手当もせずばならず」「アッハハハ、これはぶち壊しだ。もっともそういえば、しもやけあかぎれの、予防もせずばなりますまいよ」
「いよいよもって下(さ)がりましたな。下がったついでに食い物の詮議だ。ぼらにかれいにあさりなどが、そろそろしゅんにはいりましたな。鳩飯(はとめし)などは最もおつで」「ところが私(わし)は野菜党でな、うどにくわいにうぐいすなときたら、それこそ何よりの好物でござるよ。さわらびときたら眼がありませんな」「さといも。八ツ頭(がしら)はいかがでござる」「いやはや芋類はいけませんな」「万両、まんさく、水仙花、梅に椿に寒紅梅か、春先の花はようござるな」「そのうち桜が咲き出します」「世間が陽気になりますて」――「そこで泥棒と火事が流行(はや)る」
「その泥棒で思い出した。噂に高い鼠小僧(ねずみこぞう)、つかまりそうもありませんかな?」ふと主人(あるじ)はこんな事をいった。
「つかまりそうもありませんな」
「彼は一個の義賊というので、お上(かみ)の方でもお目零(めこぼ)しをなされ、つかまえないのではありますまいかな?」
「さようなことはありますまい」客の声には自信があった。「とらえられぬは素早いからでござるよ」
「ははあさようでございますかな。いやほかならぬあなたのお言葉だ。それに違いはございますまい」
「わしはな」と客は物うそうに、「五年以前あの賊のために、ひどく煮え湯を呑ませられましてな。……いまだに怨みは忘れられませんて」
「おやおやそんな事がございましたかな。五年前の郡上様(ぐじょうさま)といえば、名与力として謳(うた)われたものだ。その貴郎(ひと)の手に余ったといえば、いよいよもって偉い奴でござるな。……おや、堤(つつみ)を駕籠(かご)が行くそうな。提灯の火が飛んで行く」
「水神(すいじん)あたりのお客でしょうよ。この大雪に駕籠を走らせ、水神あたりへしけ込むとは、若くなければ出来ない道楽だ」
「お互い年を取りましたな。私(わし)はもうこれ五十七だ」
「私(わし)は三つ下の五十四でござる」
「あっ」と突然寮のあるじ一閑斎(かんさい)は声を上げた。「提灯が! 提灯が! バッサリと!」
 その時墨堤(ぼくてい)の方角から、女の悲鳴が聞こえて来た。
「ははあ何か出ましたな」
 ――与力の職を長男に譲り、今は隠居の身分ながら、根岸肥前守(ひぜんのかみ)、岩瀬加賀守(かがのかみ)、荒尾但馬守(たじまのかみ)、筒井和泉守(いずみのかみ)、四代の町奉行に歴仕して、綽名(あだな)を「玻璃窓(はりまど)」と呼ばれたところの、郡上平八は呟いたが、急にニヤリと片笑いをすると、
「やれ助かった」と手を延ばし、パチリと黒石(くろ)を置いたものである。「まずこれで脈はある」
「それはわからぬ」とどなったのは、縁の上の一閑斎で、「刃(やいば)の稲妻、消えた提灯、ヒーッという女の悲鳴、殺されたに相違ない!」
「いや私(わし)は碁(ご)の事だ」
「ナニ碁?」と、いかにもあきれたように、「人が殺されたのだ! 人が殺されたのだ! 行って見ましょう。さあさあ早く!」
「いや、それなら大丈夫」平八老人は悠々と、「提灯の消えたのは私にも見えた。が、私にはお前様のいう、刃の稲妻は見えなかった」
「フ、フ、フ、フ、実はそのな。……」
「お前様にも見えなかった筈だ」
「さよう、実は、おまけでござるよ」
「芝居気の抜けぬ爺様だ。刃の稲妻の見えるには、いささか距離が遠過ぎる」
「……が、あの悲鳴は? 消えた提灯は?」
「それがさ、変に間延びしている」
「殺人(ひとごろし)ではないのかえ?」
「ナーニ誰も殺されはしない」

    登場人物はまさしく五人

 しかし主人は不安そうに、「確かかな? 大丈夫かな?」
「三十の歳(とし)から五十まで、寛政七年から文政元年まで、ざっと数えて二十年間、私(わし)はこの道では苦労しています」
「が、そのお偉い『玻璃窓』の旦那も、鼠小僧にかかってはね」
「あれは別だ」と厭な顔をして「鼠小僧は私の苦手だ」
 おりから同じ方角から、鼓(つづみ)の音が聞こえて来た。ポンポン、ポンポン、ポンポンと、堤に添って遠隔(とおざか)って行った。
 すいかけた煙管(きせる)を膝へ取り、平八老人は耳を澄ましたが、次第にその顔が顰(ひそ)んで来た。
 梅はおおかた散りつくし、彼岸の入りは三日前、早い桜は咲こうというのに、季節違いの大雪が降り、江戸はもちろん武蔵(むさし)一円、経帷子(きょうかたびら)に包まれたように、真っ白になって眠っていたが、ここ小梅の里の辺(あた)りは、家もまばらに耕地ひらけ、雪景色にはもってこいであった。その地上の雪に響いて、鼓の音は冴え返るのであった。
「よく抜ける鼓だなあ」思わず平八は感嘆したが、「これは容易には忘れられぬわい。ああ本当にいい音(ね)だなあ。……しかし待てよ? あの打ち方は? これは野暮だ! 滅茶苦茶だ! それにも拘らずよい音だなあ」
 ついと平八は立ち上がった。それからのそりと縁へ出た。
「さて、ご老体、出かけましょうかな」
「ナニ出かける? はてどこへ?」一閑斎は怪訝(けげん)そうであった。
「刃の稲妻……」と故意(わざ)と皮肉に、「消えた提灯、女の悲鳴、雪に響き渡る小鼓とあっては、こいつうっちゃっては置けませんからな」「ははあそれではお調べか?」「玻璃窓の平八お出張(でば)りござる」「鼠小僧がおりましょうぞ」「ううん」とこれには平八老人も、悲鳴を上げざるを得なかった。「八蔵八蔵!」と一閑斎は、下男部屋の方へ声をかけた。「急いで提灯へ火を入れて来い。そうしてお前も従(つ)いておいで。――それでは旦那出かけましょうかな。フ、フ、フ、フ、玻璃窓の旦那」
 そこで皮肉な二老人は、庭の上へ下り立った。下男の提灯が先に立ち、続いて平八と一閑斎、裏木戸を押すと外へ出た。と広々とした一面の耕地で、隅田堤(すみだづつみ)が長々と、雪を冠(かぶ)って横仆(よこたわ)っていた。雪を踏み踏みその方角へ、三人の者は辿(たど)って行った。
 堤へ上(のぼ)って見廻したが、なるほど死骸らしいものはない。血汐一滴零(こぼ)れていない。ただ無数の足跡ばかりが、雪に印されているばかりであった。「提灯を」と平八はいった。「……で、あらかじめ申して置きます。こればかりが手がかりでござる、足跡を消してくださるなよ」
 八蔵から受け取った、提灯をズイと地面へさしつけると、彼は足跡を調べ出した。もう暢気(のんき)な隠居ではない。元(もと)の名与力郡上平八で、シャンと姿勢もきまって来れば、提灯の光をまともに浴びて、キラキラ輝く眼の中にも、燃えるような活気が充ちていた。一文字に結んだ唇の端(はし)には、強い意志さえ窺(うかが)われた。昔取った杵柄(きねづか)とでもいおうか、調べ方は手堅くて早く、屈(かが)んだかと思うと背伸びをした。膝を突いたかと思うと手を延ばし、何か黒い物をひろい上げた。つと立ち木の幹を撫(な)でたり、なお降りしきる雪空を、じっとしばらく見上げたりした。堤の端を遠廻りにあるき、決して内側へは足を入れない。やがて立ち上がると雪を払ったが、片手で提灯の弓を握り、片手を懐中(ふところ)で暖めると、しばらく佇(たたず)んで考えていた。提灯の光の届く範囲(かぎり)の、茫と明るい輪の中へ、しきりに降り込む粉雪が、縞を作って乱れるのを、鋭いその眼で見詰(みつ)めてはいるが、それは観察しているのではなく、無心に眺めているのであった。
「疑惑」と「意外」のこの二つが、彼の顔に現われていた。
「登場人物は締めて五人だ」彼は静かにやがていった。「二人は駕籠舁(かごか)き、一人は武辺者、そうして一人は若い女……」

    「玻璃窓」平八の科学的探偵

「そうして残ったもう一人は?」一閑斎が側(そば)から聞いた。
「その一人が私(わし)の苦手だ」
「ええお前様の苦手とは?」
「……どうも、こいつは驚いたなあ。……」平八はなおも考え込んだ。
「それじゃもしや鼠小僧が?」
「なに。……いやいや。……まずさよう。……が、一層こういった方がいい。鼠小僧に相違ないと、かつて私(わし)が目星をつけ、あべこべに煮(に)え湯(ゆ)を呑ませられた、ある人間の足跡が、ここにはっきりついているとな。――とにかく順を追って話して見よう。第一番にこの足跡だ。わらじの先から裸指(はだかゆび)が、五本ニョッキリ出ていたと見えて、その指跡がついている。この雪降りに素足(すあし)にわらじ、百姓でなければ人足だ。それがずっと両国の方から、二つずつ四つ規則正しい、隔たりを持ってついている。先に立った足跡は、つま先よりもかがとの方が、深く雪へ踏ん込んでいる。これはかがとへ力を入れた証拠だ。背後(うしろ)の足跡はこれと反対に、つま先が深く雪へはいっている。これはつま先へ力を入れた証拠だ。ところで駕籠舁(かごか)きという者は、先棒担(さきぼうかつ)ぎはきっと反(そ)る。反って中心を取ろうとする。自然かがとへ力がはいる。しかるに後棒(あとぼう)はこれと反対に、前へ前へと身を屈(かが)める。そうやって先棒を押しやろうとする、だからつま先へ力がはいる。でこの四つの足跡は、駕籠舁きの足跡に相違ない。ところで駕籠舁きのその足跡は、ここまでやって来て消えている。
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◇暇つぶし何某◇

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