郷介法師
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:国枝史郎 


 当時、すなわち永禄(えいろく)の頃には、備前の国は三人の大名が各自(おのおの)三方に割居して、互いに勢いを揮っていた。谷津の城には浮田直家(なおいえ)、龍の口城には最所治部(さいしょじぶ)、船山城には須々木豊前(すずきぶぜん)。――そうして勢力は互格であった。
 最所治部の龍の口城へ、ある日一人の若侍が、父だと云う老人を連れて、さも周章(あわただ)しく駈け込んで来た。手足から鮮血(なまち)を流している。
「私事は浮田の家臣岡郷介と申す者、寃罪(むじつのつみ)によりまして、主人のためかくの如きの折檻、あまりと云えば非義非道、ことには重代の主従ではなし、絶縁致すはこの時と存じ、一人の父を引き連れまして、谷津の城を抜け出し、ここまで参りましてござります。承わりますれば最所殿には士を愛する名君との事、願わくば随身仕り、犬馬の労を尽くしたく、そのため参上致しましてござるが、貴意いかがにござりましょうや?」
 これが若侍の口上であった。
「浮田の家来とあるからは、ちょうど幸い扶持して取らせ、其奴(そやつ)の口から敵状を聞こう」
 最所治部はこう云った。で、郷介はその時から最所家の家来となったのである。
 才気縦横の郷介は間もなく治部の寵臣となったが武道は精妙、弁舌は爽か、それに浮田家の内情は裏の裏まで知っていて、治部が尋ねれば声に応じて、城の要害、武具兵糧、兵の強弱、謀将の可否、どんな事でも物語るので、治部は遺憾なく相格を崩し、郷介を寵愛するのであった。
 こうしていつか春も去り、やがて蒸し熱い夏となったが、その夏も去(い)って秋となった。郷介が治部に随身してから六月の月日が経ったのである。
 或日治部は家来を率いて、馬場で馬術の調練をした。
「郷介」と治部は声を掛けた。
「其方(そち)馬術は鍛練かな?」
「は、いささか仕ります」
 岡郷介は微笑して云う。
「では、一鞍せめて見ろ」
「は」と云ったが気乗りせず、
「適当の逸物ござりましょうか?」
「馬か? 馬ならいくらもある」
「私、駻馬を好みます」
「荒馬がよいか。それは面白い。では月山に乗って見ろ」
「失礼ながら月山などは、私の眼から見ますると、弱気の病馬に過ぎません」
「ほほう左様か。玄海はどうだ?」
「やはり弱気に過ぎまする」
「其方随意に選ぶがよい」
「殿のご愛馬将門栗毛を、拝借致しとう存じます」
「何、将門? ううむ将門か?」
 最所治部は眼を顰めた。将門栗毛は治部にとっては生命(いのち)に次いでの秘蔵の名馬で、誰にもこれ迄借したことはない。――随意に選べと云った手前、今さらしかし貸さないとは云えない。
「おおよかろう、将門をせめろ」
 そこで将門は引き出された。丈高く肥え太り、鬣荒く尾筒長く、生月(いけづき)、磨墨(するすみ)、漢の赤兎目(せきとめ)もこれまでであろうと思われるような、威風堂々たる逸物であったが、岡郷介は驚きもせずひらりとばかり跨(またが)るとタッタッタッタッと馬場を廻る。
「見事々々」と最所治部は思わず感嘆して声を掛けたが、途端に郷介一鞭くれると馬場の木柵を飛び越した。
「ワッハハハハ」と哄笑の声が郷介の口から迸(ほとばし)ったが、
「最所殿、治部殿、最所治部め! 大馬鹿殿の迂濶者め、郷介これでお暇申す! 将門栗毛は引出物、拙者この儘頂戴致す。さりとてお礼は申さぬ意(つもり)、口惜しく思わば取り返しめされ! これ迄明かせば浮田家の内情、あれは悉皆出鱈目じゃ。さて拙者はここを立ち退き船山城へ伺候致し須々木豊前殿へ仕官する所存、苦情があらば遠慮なく船山城の方へ申し越されい。永居は惶(おそ)れハイ左様なら!」
 云い捨てクルリと馬の首を東南へ向けて立て直すと、颯(さっ)とばかりに走らせた。人馬諸共一瞬の後には木陰へ隠れて見えなくなった。

 戦国時代の武将達は一芸に秀でた武士と見ると善悪を問わず抱えたものである。で、郷介は何の苦もなく須々木豊前守に抱えられたが、これを怒ったのは最所治部で、治部は直ちに使者を遣わし、岡郷介を取り戻そうとした。しかし須々木家では相手にしない。
「岡郷介と宣(なの)る武士、当城内には決して居らぬ」
 これが須々木家の返事であった。
 治部たる者ますます怒らざるを得ない。
「郷介の父の郷左衛門を船山城の大手へ連れ行き、磔(はりつけ)柱へ付けてしまえ!」
 踴り上り踴り上り最所治部は狂人のように叫んだものである。


 郷介が最所家を逐転[#「逐転」はママ]して以来、父郷左衛門は観念して死の近付くのを待っていた。いよいよその日が遣って来ると、彼は下僕の杢介(もくすけ)というのへ、封じた書面を手渡した。そうして何事か囁いた。それから斎戒[#「斎戒」は底本では「斉戒」]沐浴し、討手の来るのを待ち受けた。討手の大将は椎名(しいな)金之丞と云って、情を知らぬ武士であったが、手向いもしない郷左衛門を高手小手に縛めると磔柱へ縛り付けた。
 磔柱は車に積まれ、船山城の大手口まで、大勢の手で引き込まれた。
「船山城中へ物申す。岡郷介を戻せばよし、飽迄知らぬ存ぜぬとあらば、郷介の父郷左衝門をこの場において鎗玉に上げる」
 椎名金之丞は大音にこう城内へ申し入れたが、城内からの返答は以前(まえ)と替わりがないのであった。
「岡郷介と申す者、当城中には決して居らぬ」
 これが須々木家の返答であった。
「是非に及ばぬ。今はこれ迄」
 金之丞は合図をした。
 たちまち左右から突き出す鎗に郷左衛門は肋を刺されガックリ首を垂れたのである。
 この日郷介は矢倉の窓からじっと様子を眺めていたが、心の中では嘲笑っていた。
「素性も知れぬ乞食爺を俺の実父と思い込み磔刑沙汰とは笑止千万、お陰で計略図に当たり、ますます俺は須々木豊前に信用を得ると云うものだ。そこを目掛けの第二の計略! うまいぞうまいぞ」と北叟笑(ほくそえ)む。

 こういうことがあって以来、最所家と須々木家とは不和になった。そこを狙って岡郷介は、実父の仇と偽わり怒り、最所治部の悪事を数えて須々木豊前へ焚き付ける。とうとう戦端は開かれた。僅か六月ではあったけれど岡郷介は最所家に仕え、城の要害、兵の強弱、武器の利鈍、兵糧の多寡、そういう事迄探り知っていたので、続々名案を考え出す。須々木豊前がそれを用いる。で、須々木方は戦う毎に勝ち、半年余り寄せ合った果、最所治部は戦没し、龍の口城は陥落(おちい)った。
 須々木豊前は大いに喜び、凱旋するや盛宴を張って、部下の将士を慰ったが、功第一と記されたのは他でもない郷介であった。
 歓喜の中にその日は暮れ、やがて夜となりその夜も明けた。たちまち大事件が持ち上った。城の大将須々木豊前が寝所で殺されているではないか。そうして郷介の姿が見えない。

 数日経ったある夜のこと、矢津の城の奥深い部屋で、浮田直家と郷介とは、愉快そうに話していた。
「郷介、お前は恐ろしい奴だ。ただ弁口の才だけで、最所、須々木の二大名を、物の見事に滅ぼしてしまった。俺は一人の兵も傷めず、龍の口城と船山城とをそっくりと手中へ収めることが出来た。張良の知謀もこれ迄であろう」
「殿」と郷介は笑(えま)しげに、
「それも恋からでござります」
「おお左様々々、そうであったな。もう月姫はお前の物だ」
「はい、忝(かたじ)けのう存じます」
「今日は愉快だ。実に愉快だ」
「はい愉快でございます。しかしたった一つだけ。……」
「心がかりの事でもあるか?」
「罪もない乞食(ものごい)の老人を、鎗玉の犠牲にしましたこと、決してよい気持は致しませぬ」
「戦国の常だ。構うものか」
「それは左様でございますとも。しかし、この頃何となく、鎗玉に上げられたあの老人が、私の実の父かのように思われてならないのでございさます[#「ございさます」はママ]」
「アッハハハハ馬鹿なことを申せ。それはお前の心の迷いだ」
「……私は捨児でございましたそうで?」
「うん、そうだ、当歳の頃、光善寺の門前に捨られていたよ」
 やがて郷介はご前を退り自分の邸へ帰って来た。
 と、意外な来客があった。
「おおお前は杢介ではないか?」
「はい」と云って杢介は懐中から書面を取り出した。
「私にとってはご主人様、貴郎(あなた)様にとりましてはお父上様が、磔柱へ付けられる前に、そっと私めに手渡した大事な書面でござります。是非とも貴郎様へ差し上げるようにと、仰せられましてござります」
「どれ」と云って郷介は書面を取って開いて見た。読んで行くうちに彼の顔は次第に血の色を失った。読んでしまうと眼を閉じた。そうして口の中で呟いた。
「案じた通りだ。……俺は親殺しだ。……恐ろしい運命。……坊主になろう。……」


 しかし郷介が実父だと思った郷左衛門という侍は、実父ではなくて養父なのであった。そうして郷介の実父なるものはついに何者だか解(わか)らないのである。
 郷介の養父は九州に名高い、龍造寺家の長臣であったが、養子郷介を貰い受けた時、ある有名な人相見が、親殺しの相があると喝破した。それを恐れて郷介の義父ははるばる備前まで遣って来て、光善寺へ郷介を捨たものである。
 子を捨るような無慈悲な親が、立身出世するはずがない。先ず妻に先立たれ、つづいて主家を浪人した。どこへ行っても志を得ず、乞食(ものごい)とまで零落したが、捨た子のことが気にかかり、はるばる光善寺まで辿って来た時、今度の運命に遭遇したのである。

 郷介の出家を耳にすると、浮田直家は莞爾とした。
「利口な奴だ。命冥加な奴だ。……余りに鋭い彼奴(きゃつ)の知恵、うかうかすると主人の俺が今度は寝首を掻かれようも知れぬ。で、月姫を結婚(めあ)わせて置いて、油断を窺い取って抑え首捻じ切ろうと思っているに、早くも様子を察したと見える。……利口な奴だ。命冥加な奴だ」
 しかし直家のこの考えは一ヶ月経たずに裏切られた。彼の愛女月姫が行方不明になったのである。その盗手は郷介であった。子を捨る親、養父を殺す子、君を殺す家来、家来を計る君、昨日の味方は今日の敵、悲風惨憺たる戦国時代では、なまじ出家などするよりも賊になった方が気が利いていると、更に心機を再転させ、その手始めに恋する女を浮田の奥殿から奪ったのである。爾来彼は月姫共々大盗賊として世を渡ったが、月姫がはかなくなってからは、二人の間に設けた所の照姫というのを囮として、いぜんとして盗賊を働いた。
 そうしていつも磔柱をその威嚇の道具としたが、間違いからとは云いながら、磔柱へ養父を懸けて、敵の手――いやいや自分の手をもって殺したというその事に対し、良心を苦しめていたからで、自己譴責の心持から、絶えず十字架を背負っていたとも云える。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:23 KB

担当:undef