銅銭会事変
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著者名:国枝史郎 

「一昨日の晩、盗み取られた」
「へえ」といったが弓之助は二の句を継ぐことが出来なかった。

 時の将軍家は家治(いはえる)であった。九代将軍家重の長子で、この事件の起こった時には、その年齢五十歳、普通の日本の歴史からいえば、暗愚の将となっている。しかしそうばかりでもなかったらしい。ただ余りに女性的で権臣を取って抑えることが出来ず、権臣のいうままになっていたらしい。少しも下情(かじょう)に通じなかった。権臣がそれを遮(さえぎ)るからであった。で彼は日本の国は、泰平のものと思っていた。彼は性、画を好んだ。そこで権臣は絵師を進め、彼をしてそれにばかり没頭せしめた。
 しかるに最近事件が起こった。近習山村彦太郎が、三河風土記を講読した。すると家治は慨嘆した。「俺は今までこんないい本が、世間にあろうとは思わなかった。もっと彦太郎読んでくれ」
 そこで彦太郎は陸続(りくぞく)と読んだ。それを怒ったのが権臣であった。すなわち田沼主殿頭であった。すぐ彦太郎を退けてしまった。
 しかし将軍家はそれ以来大分心が変わったらしい。やや田沼を疎(うと)むようになった。そうして下情に通じようとした。田沼はそれを遮ろうとした。しかし将軍は子供ではなかった。一旦覚えた智恵の味を忘れることは出来なかった。で将軍家と田沼との間が、どうも円滑に行かなくなった。五日ほど以前(まえ)のことであった。田沼は将軍家をそそのかし、上野へ微行で花見に行った、その帰り路のことであった。本郷の通りへ差しかかった。忽ち小柄が飛んで来た。が、幸い駕籠へ中(あた)った。小柄には毒が塗ってあった。そうして柄には彫刻(ほり)があった。銅銭会と彫られてあった。
 こうして一昨日の夜となった。その夜将軍家は近習も連れず、一人後苑(こうえん)を彷徨(さまよ)っていた。と、一人の非常な美人が、突然前へ現われた。見たことのない美人であった。大奥の女でないことは、その女の風俗で知れた。町娘風の振り袖姿、髪は島田に取り上げていた。
 女は先に立って歩いて行った。将軍家は後を追った。近習の一人がそれを見付け、すぐ後を追っかけた。御天主台と大奥との間、そこまで行くと二人の姿が――すなわち将軍家と女とが、掻き消すように消えてしまった、爾来消息がないのであった。


    弓之助感慨に耽る

 甲斐守はこう語った。
 弓之助は奇異の思いがした。
「これは陰謀でございますな。狐狸の所業(しわざ)ではありませんな。怪しいのはその女で、何者かの傀儡(かいらい)ではございますまいか?」
「うん俺もそう思う。振り袖姿のその女は、銅銭会の会員だろう」
「申すまでもありません。しかし私は銅銭会より、銅銭会をあやつっているある大きな人物が……」
「これ」と甲斐守は手で抑えた。「お前、田沼殿を疑がっているね」
「勢いそうなるではございませんか」
「が、ここに不思議なことには、今度の事件では田沼殿は、心の底から周章(あわ)てていられる」
「さては芝居がお上手と見える」
「いやおれの奉行眼から見ても、殿の周章(あわ)て方は本物だ。そこがおれには腑に落ちないのだ。……さて、よい物が手に入った。銅銭会縁起録、早速これから御殿へまいり、老中方にお眼に掛けよう」
 叔父の家を出た弓之助は、寂然(しん)と更けた深夜の江戸を屋敷の方へ帰って行った。考えざるを得なかった。
「田沼の所業に相違ない。将軍家に疎(うと)んぜられた。そこで将軍家をおびき出し、幽囚したか殺したか、どうかしたに相違ない。悪い奴だ、不忠者め! その上俺の情婦(おんな)を取り、うまいことをしやがった。
 公(おおやけ)の讐(あだ)、私の敵(あだ)、どうかしてとっちめてやりたいものだ。だが、どうにも証拠がない。是非とも証拠を握らなければならない。銅銭会とは何物だろう? 支那の結社だということだが、どういう性質の結社だろう? だがそいつは縁起録を見たら、容易に知ることが出来るかもしれない。明日もう一度叔父貴を訪ね、縁起録の内容を知らせて貰おう。とまれ田沼めと銅銭会とは、関係があるに相違ない。あるともあるとも大ありだ。銅銭会員を利用して、将軍家誘殺を試みたのだ。無理に将軍家を花見に誘い、毒塗り小柄で討ち取ろうとした。ところがそいつが失敗(しくじ)ったので、会員中の美人を利用し、大奥の庭へ入りこませ好色の将軍家を誘い出したのだ。容易なことでは大奥などへは、地下(じげ)の女ははいれないが、そこは田沼がついている。忍び込ませたに相違ない。だがしかし不思議だなあ。突然消えたというのだから」
 彼はブラブラ歩いて行った。
「田沼にいかに権勢があっても、深夜城門を開くことは、どんなことがあっても出来るものではない。だが城門を開かなかったら、城から外へ出ることは出来ない。それだのに突然消えたという。どうもこいつがわからないなあ」
 弓之助には不思議であった。
「もしかすると将軍家には、千代田城内のどの部屋かに、隠されているのではあるまいかな? お城には部屋が沢山ある。秘密の部屋だってあるだろう。どこかに隠されてはいないかな?」
 神田を過ぎて下谷へ出た。朧月(おぼろづき)が空にかかっていた。四辺(あたり)が白絹でも張ったように、微妙な色に暈(ぼ)かされていた。
「山村彦太郎が将軍家へ、風土記を講読したというが、結講な試みをしたものだ。そのため将軍家の眩まされた眼が、少しでも明いたということは、非常な成功といわなければならない。もっとも今度の大事件の、そもそもの発端というものは、その三河風土記の講読にあることは争われないが、決してそれを責めることは出来ない、聞けば山村彦太郎は、賢人松平越中守様に、私淑しているということだが、ひょっとかすると越中守様の、何んとはなしの指金(さしがね)によりて、そんなことをしたのではあるまいかな」


    弓之助の社会観

 弓之助は上野へ差しかかった。
「越中守はお偉い方だ。ああいう方が廟堂に立ち、政治をとってくだされたなら、日本の国も救われるのだが、そういう事も出来ないかして、いまだに枢機(すうき)に列せられない。現代政治のとり方は、庚申堂(こうしんどう)に建ててある、三猿の石碑(いしふみ)そっくりだ。見ざる聞かざるいわざるだ。将軍家よ見てはいけない。人民どもよ見てはいけない。将軍家よ聞いてはいけない。人民どもよ聞いてはいけない。将軍家よいってはいけない。人民どもよいってはいけない。一口にいえば上をも下をも木偶坊(でくのぼう)に仕立てようとしているのだがこいつは非常に危険だ。聞かせまいとすれば聞きたがる。いわせまいとすればいいたがる。見せまいとすれば見たがるものだ。圧迫するということは、いつの場合でもよくはない。圧迫、圧迫、さて圧迫! その次に起こるものは爆発だ。この爆発は恐ろしい。一切の物を破壊しようとする。いっそうそれより処士横議、自由に見させ自由にいわせ、自由に聞かせた方がいいではないか。遙かにその方が安全だ。琉(は)け口を作ってやるのだからな。……ところでここはどこだろう?」
 そこは浅草馬道であった。
「お色め、今頃どうしているだろう? まだ妾(めかけ)にはゆくまいな。ちょっと様子を見たいものだ。別れた、女の様子を見る。未練と人はいうだろう。だが幸い人気(ひとけ)がない。おりから深夜で月ばかりだ。月に見られたって恥ずかしいものか。しかも春の朧月、被衣(かつぎ)を、冠っておいでなさる」
 観音堂の方へ歩いて行った。昼は賑やかな境内も、人影一つ見えなかった。家々の戸は閉ざされていた。屋根が水でも浴びたように、銀鼠色に光っていた。巨大な公孫樹(いちょう)が立っていた。その根もとに茶店があった。すなわちお色の住居(いえ)であった。犬が門を守っていた。と尾を振って走って来た。よく見慣れている弓之助だからで、懐しそうにじゃれついた。「おおよしよし」と頭を撫でた。「犬の方がよっぽど人間らしい。さて何かやりたいが、小判をやってもし方がねえ。その他には何んにもないお気の毒だがくれることは出来ねえ。……お色め、今ごろいい気持ちで、グッスリ眠っているだろう。そう思うといい気持ちはしねえ。間もなく田沼の皺くちゃ爺に、乳房を自由にされるんだろう。こいつは一層いい気持ちがしねえ。だがひょっとするとおれの事を案じて眼覚めているかもしれねえ。こいつはちょっといい気持ちだ。まずなるたけならいい方へ考えた方がよさそうだ。少なくも気休めにはなるからな」
 観音堂の裏手へ廻った。花川戸の方へ歩いて行った。どこもかしこも寝静まっていた。家々がまるで廃墟のように見えた。隅田に添って両国の方へ歩いた。一方は大河一方は家並、その家並が一所切れてこんもりとした森があった。社(やしろ)でも祀ってあるらしい。
「どれ、神様でも拝むとするか」森の中へはいって行った。はたして社が祀ってあった。その拝殿へ腰を掛けた。一つ大きく呼吸(いき)づいた。もう一度大きく呼吸づこうとした。中途で彼は止めてしまった。
「実際現代は息苦しい。重い石が冠さっている。勇気のある者は憤怒(いきどおり)をもって、その重い石を刎ね退けるがいい。勇気のある者は笑ってはいけない! 肉体的にいう時は、笑ったとたんに筋が弛む。精神的にいう時は、笑ったとたんに心が弛む。弛むということは油断ということだ。その油断に付け込んで飛び込んで来るのが、妥協性だ。妥協、うやむや、去勢、萎縮、そこで小粋な姿(なり)をして、天下は泰平でございます。浮世は結構でございます。皆さん愉快にやりましょう。粋(おつ)でげすな。大通でげすな。なあァんて事になってしまう。そうやって謳(うた)っているうちに、それよこせやれよこせ、洗いざらい持って行かれる。ヘッヘッヘッヘッヘッこれはこれは、いつの間に貧乏になったんだろう? などと驚いても追っ付かない。だから決して笑ってはいけない。いつもうんと怒っているがいい。……だがこいつは勇士の態度だ。利口者には別の道がある。行儀作法を覚えることよ。お辞儀を上手にすることよ。お太鼓をうまく叩くことよ。お手拍子喝采を習うことよ。それで権勢家に取り入るのよ。そうして重用されるのよ。さてそれからジワジワと、自分の考えは権勢家に伝え、その権勢家の力を藉(か)りて、もって実行に現わすのよ」
 また感慨に耽り出した。


    舁ぎ込まれた一丁の駕籠

 と、その時一丁の駕籠が、森の中へ担ぎ込まれた。
「こんな深夜にこんな所へ、担ぎ込まれるとは不思議千万、何か様子があるらしい」弓之助は社の背後(うしろ)へ隠れた。
「おお先棒もうよかろう」「おっと合点、さあ下ろせ」
 駕舁きはトンと駕籠を下ろした。それから額の汗を拭いた。それからヒソヒソと囁(ささや)き合った。
「おい姐(ねえ)さん、用があるんだ、ちょっくら駕籠から出ておくんなせえ」後棒の方がこういった。
「あい」と可愛らしい声がした。「もう着いたのでございますか」中から垂れが上げられた。「おやここは森の中、駕舁きさん、厭ですねえ。気味が悪いじゃあありませんか。どうぞ冗談なさらずに着ける所へ着けておくんなさい」言葉の調子が町娘らしい。
「まあ姐さん、急(せき)なさんな。着ける所は眼の先だ。がその前にご相談、厭でも諾(き)いて貰わなけりゃあならねえ」こういったのは先棒であった。「おお後棒、もうよかろう。お前からじっくりいい聞かせてやんねえ」両膝を立ててうずくまり、腰の辺(あた)りを探ったのは、煙管(きせる)でも取り出そうとするのだろう。
 先棒は及び腰をして覗き込んだ。
「のう姐さん、もうおおかた、見当は着いているだろう。いかにも俺(おい)らは駕舁きだ。が、問屋場に腰掛けていて、いちいちお客様のお出でを待って、飛び出すような玉じゃあねえ。もうちっとばかり荒っぽい方だ。俺(おい)らは石地蔵の六といい、仲間は土鼠(もぐら)の源太といって、大した悪事もやらねえが、コソコソ泥棒、掻っ払い、誘拐(かどわか)しぐらいはやろうってものさ、さてそこでお前さんだが、品川から駕籠に乗んなすった時おりから深夜(よふけ)、女身一人、出歩こうとは大胆だが情夫(おとこ)にあいたいの一心から、家を抜け出して来たんだな、こう目星を付けたってものさ。で、先棒がいう事には、何も男の所まで、担いで行くにゃああたるめえ、大の男が二人まで、ここに揃っているのだからな。なるほど縹緻(きりょう)は悪かろう、肌だって荒いに違(ちげ)えねえ。いうまでもなく情夫(おとこ)の方が、やんわりと当るに違えねえ。だがそいつあ勘弁して貰い、厭でもあろうが俺(おい)ら二人を、亭主に持ってはくれまいか、ちょっくら相談ぶって見ようてな。もっとも厭だといったところでおいそれと、聞く俺らじゃあねえ。よくねえ奴らに魅入られたと、こう思って器用に往生しねえ」
「おおおお六やどうしたものだ。そう強面(こわもて)に嚇(おど)すものじゃねえ。相手は娘だジワジワとやんな」先棒の源太はかがんだまま、駕籠の中を覗き込んだ。
「ナアーニ姐さん心配しなさんな。外見はちょっと恐(こわ)らしいが、これも案外親切ものでね。お前さんさえ諾(うん)といったらそれこそ二人で可愛がって、堪能させるのは受け合いだ。が二人とも飽きっぽいんで、さんざっぱら可愛がったそのあげくには、千住(こつ)か、品川か、新宿で、稼いで貰わなけりゃあならねえかも知れねえ。だがマアそいつは後のことだ。差し詰めここで決めてえのは、素直に俺らの女房になるか、それとも強情に首を振るか、二つに一つだ。返辞をしねえ」
 駕籠の中からは返辞がなかった。どうやら顫えてでもいるらしい。と、ようやく声がした。
「まあそれじゃああなた方は、悪いお方でござんしたか」


    振り袖姿に島田髷

「さあね、大して善人じゃあねえ。だがこいつもご時世のためだ。こんな事でもしなかったら、酒も飲めず、魚(とと)も食えず、美婦(たぼ)も自由(まま)にゃあ出来ねえってものよ。恨むなら田沼様を恨むがいい」
「厭だと妾(わたし)が首を振ったら?」「二人で手籠めにするばかりさ」「もしも妾が声を立てたら?」「猿轡(さるぐつわ)をはめちまう。だがもし下手にジタバタすると、喉笛に手先がかかるかもしれねえ。そうなったらお陀仏だ」「それじゃあ妾は殺されるの?」「可哀そうだがその辺だ」「死んじゃあ随分つまらないわね」「あたりめえだあ、何をいやがる」
 女の声はここで途絶えた。
「それじゃあ妾はどんなことをしても、遁(の)がれることは出来ないんだね。仕方がないから自由(まま)になろうよ」
「へえ、そうかい、こいつあ偉い。ひどく判りのいい姐(ねえ)さんだ」
「だがねえ」と女の声がした。「見ればあなた方はお二人さん、妾の体はただ一つ、二人の亭主を持つなんて、いくら何んでも恥ずかしいよ。どうぞ二人で籤(くじ)でも引いて、勝った方へ、体をまかせようじゃないか」
「なるほどなあ、こいつあ理だ。六ヤイ手前どう思う」
「そうよなあ」と気のない声で「俺(おい)らがきっと勝つのなら、籤を引いてもよいけれどな」
「そいつあこっちでいうことだ。おいどうする引くか厭か?」「どうも仕方がねえ引くとしよう。せっかく姐さんのいうことだ。逆らっちゃあ悪かろう」「よしそれじゃあ松葉籤(まつばくじ)だ。長い松葉を引いた方が姐さんの花婿とこう決めよう」
 源太は頭上へ手を延ばし、松の枝から葉を抜いた。
「さあ出来た。引いたり引いたり」「で、どちらが長いんだい?」「冗談いうな、あたぼうめ、そいつを教えてなるものか。ふふん、そうよなあ、こっちかも知れねえ」「へん、その手に乗るものか。こいつだ、こいつに違えねえ」
 六蔵は松葉をヒョイと抜いた。
「あっ、いけねえ、短けえや!」
「だからよ、いわねえ事じゃねえ、こっちを引けといったんだ」
 源太は駕籠へ飛びかかった。「おお姐さん、婿は決まった」駕籠へ腕を差し込んだ。「恥ずかしがるにゃあ及ばねえ、ニッコリ笑って出て来ねえ」
 グイと引いた手に連れて、若い娘がヨロヨロと出た。頭上を蔽うた森の木の梢をもれて、月が射した。板高く結った島田髷、それに懸けられた金奴(きんやっこ)、頸細く肩低く、腰の辺りは煙っていた。紅色(べにいろ)勝った振り袖が、ばったりと地へ垂れそうであった。
「可愛いねえ、お前さんかえ、源さんや。花婿や」キリキリと腕を首へ巻いた。「さあ行こうよ、お宿へね」源太をグイと引き付けた。
「痛え痛え恐ろしい力だ。まあ待ってくれ、呼吸(いき)が詰まる」源太は手足をバタバタさせた。
「意気地(いくじ)がないねえ、どうしたんだよ。やわい[#「どうしたんだよ。やわい」は底本では「どうしたんだよ。やわい]じゃあないかえ、お前さんの体は。ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、手頼(たよ)りないねえ」源太の首へ巻いた手を、グーッと胸へ引き寄せた。
「む――」と源太は唸ったが、ビリビリと手足を痙攣(けいれん)させた。と、グンニャリと首を垂れた。
 手を放し、足を上げ、ポンと娘は源太を蹴った。一団の火焔の燃え立ったのは、脛に纏った緋の蹴出(けだ)しだ。
「化物(ばけもの)だあァ!」と叫ぶ声がした。石地蔵の六が叫んだのであった。
 息杖を握ると飛び込んで来た。と、娘は入り身になり、六蔵の右腕をひっ掴んだ。と、カラリと息杖が落ちた。「ワ――ッ」と六蔵は悲鳴を上げた。とたんにドンと地響きがした。六蔵の体が地の上へ潰された蟇(がま)のようにヘタバった。寂然(しん)と後は静かであった。常夜燈の灯がまばたいた。ギー、ギーと櫓を漕ぐ音が、河の方から聞こえて来た。


    怪しの家怪しの人々

 クルリと娘は拝殿へ向いた。ポンポンと二つ柏手(かしわで)を打った。それからしとやかに褄(つま)を取った。と、境内を出て行った。
 社の蔭に身を隠し、様子を見ていた弓之助は、胆を潰さざるを、得なかった。
「素晴らしい女もあるものだ。どういう素性の女だろう? ……待てよ、島田に大振り袖! ……ううむ、何んだか思いあたるなあ。一番後を尾行(つけ)て見よう」
 数間を隔てて後を追った。浅草河岸を花川戸の方へ、引っ返さざるを得なかった。女はズンズン歩いて行った。月の光を避けるように、家の軒下を伝って歩いた。遠くで犬が吠えていた。人の子一人通らなかった。隅田川から仄白(ほのしろ)い物が、一団ムラムラと飛び上がった。が、すぐ水面へ消えてしまった。それは鴎(かもめ)の群れらしかった。女は急に立ち止まった。そこに一軒の屋敷があった。グルリと黒塀が取りまいていた。一本の八重桜の老木が、門の内側から塀越しに、往来の方へ差し出ていた。満開の花は綿のように白く団々と塊(かた)まっていた。女は前後を見廻した。つと弓之助は家蔭に隠れた。女は門の潜り戸へ、ピッタリ身体をくっ付けた。それから指先で戸を叩いた。と、中から声がした。
「おい誰だ。名を宣(なの)れ」
「俺だよ、俺だよ、勘助だよ」
「うむそうか、女勘助か」
 ギ――と潜り戸があけられた。女の姿は吸い込まれた。八重桜の花がポタポタと散った。
 弓之助は思わず首を傾(かし)げた。「何んとかいったっけな、女勘助? ……では有名な賊ではないか」
 その時往来の反対(むこう)の方から、一つの人影が近付いて来た。月光が肩にこぼれていた。浪士風の大男であった。大髻(おおたぶさ)に黒紋付き、袴無しの着流しであった。しずしずこっちへ近寄って来た。例の家の前まで来た。と、潜り戸へ体を寄せた。それから指でトントンと叩いた。
「何人でござるな、お宣(なの)りくだされ」すぐに中から声がした。
「紫紐(むらさきひも)丹左衛門」
 すると潜り戸がギーと開いた。浪士の姿は中へ消えた。同時に潜り戸が閉ざされた。
 とまた一つの人影が、ポッツリ月光に浮き出した。博徒風の小男であった。心持ち前へ首を傾げ、足先を見ながら歩いて来た。急に人影は立ち止まった。例の屋敷の門前であった。ツと人影は潜り戸へ寄った。同じことが繰り返された。指先で潜り戸をトントンと打った。
「誰だ誰だ、名をいいねえ」
「新助だよ、早く開けろ」
「稲葉の兄貴か、はいりねえ」
 潜り戸が開き人影が消え、ふたたび潜り戸がとざされた。
 その後はしばらく静かであった。
 またもその時足音がした。足駄と草鞋(わらじ)との音であった。忽ち二つの人影が、弓之助の前へ現われた。その一人は旅僧であった。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、阿弥陀笠(あみだがさ)、ずんぐりと肥えた大坊主であった。もう一人の方は六部であった。負蔓(おいずる)を背中にしょっていた。白の行衣を纏っていた。一本歯の足駄を穿いていた。弓之助の前を通り過ぎ、例の屋敷の門前まで行った。ちょっと二人は囁き合った。ツと旅僧が潜り戸へ寄った。指でトントンと戸を打った。すぐに中から声がした。
「かかる深夜に何人でござるな?」
「鼠小僧外伝だよ」
 つづいて六部が忍ぶようにいった。
「俺は火柱夜叉丸(ひばしらやしゃまる)だ」
 例によって潜り戸が、ギ――と開いた。二人の姿は吸い込まれた。ゴトンと鈍い音がした。どうやら閂(かんぬき)を下ろしたらしい。サラサラサラサラと風が渡った。ポタポタと八重桜の花が落ちた。そのほかには音もなかった。


    ガラガラと飛び出した四筋の鎖

 闇に佇んだ弓之助は、考え込まざるを得なかった。「女勘助、紫紐丹左衛門、稲葉小僧新助、火柱夜叉丸、それからもう一人鼠小僧外伝、これへ神道徳次郎を入れれば、江戸市中から東海道、京大坂まで名に響いた、いわゆる天明の六人男だ。ううむ偉い者が集まったぞ。ははあそれではこの屋敷は、彼奴(きゃつ)ら盗賊の集会所だな。いやよいことを嗅ぎ付けた。叔父へ早速知らせてやろう。一網打尽、根断やしにしてやれ」
 スルスルと彼は家蔭を出た。
「いやいや待て待て、考え物だ。これから叔父貴の屋敷へ行き、事情を語っているうちには、夜が明けて朝になる。せっかくの獲物が逃げようもしれぬ。逃がしてしまってはもったいない。ちょっとこいつは困ったなあ」彼ははたと当惑した。
「気にかかるのは女勘助だ。島田髷に大振り袖、美人の装いをしていたが、大奥の後苑へ現われて、上様を誘拐したという、その女も島田髷、振り袖姿だということである。……関係(つながり)があるのではあるまいかな? ……いよいよ此奴(こやつ)は逃がせねえ。うむそうだ踏み込んでやろう。有名(なうて)の悪漢(わるもの)であろうとも、たかの知れた盗賊だ。掛かって来たら切って捨て、女勘助一人だけでも、是非とも手擒(てどり)にしてやろう」
 彼は剣道には自信があった。それに彼は冒険児であった。胸に出来ている塊(かたまり)を、吐き出したいという願いもあった。どぎった事をやってみたい。こういう望みも持っていた。
 彼は潜り戸へ身を寄せた。それから彼らの真似をして、指でトントンと戸を打った。中は森閑と静かであった。人のいるような気勢もなかった。彼は塀へ手を掛けた。ヒラリと上へ飛び上がった。腹這いになって窺(うかが)った。眼の下に小広い前庭(にわ)があり、植え込みが飛び飛びに出来ていた。その奥の方に主屋があった。どこにも人影は見えなかった。で弓之助は飛び下りた。植え込みの蔭へ身を隠し、さらに様子を窺った。やはりさらに人気(ひとけ)はなかった。玄関の方へ寄って行った。戸の合わせ目へ耳をあて、家内の様子を窺った。無住の寺のように寂しかった。試みに片戸を引いてみた。意外にも、スルリと横へ開いた。「これは」と弓之助は吃驚(びっくり)した。「いやこれはありそうなことだ。泥棒の巣窟(すみか)へ泥棒が忍び込む気遣いはないからな、それで用心しないのだろう」彼は中へはいって行った。玄関の間は六畳らしく燈火(ともしび)がないので暗かった。隣室と仕切った襖があった。その襖へ体を付けた。それからソロソロと引き開けた。その部屋もやはり暗かった。十畳あまりの部屋らしかった。隣室と仕切った襖があった。その襖をソロソロと開けた。燈火(ともしび)がなくて暗かった。全体が手広い屋敷らしかった。しかも人影は皆無であった。どの部屋にも燈火がなかった。一つの部屋の障子を開けた。そこに一筋の廻廊があった。その突きあたりに別軒(べつむね)[#ルビの「べつむね」は底本では「べねむね」]があった。離れ座敷に相違ない。廻廊伝いにそっちへ行った。雨戸がピッタリ締まっていた。その雨戸をそっと開けた。仄明(ほのあか)るい十畳の部屋があった。隣り部屋から漏れる燈が部屋を明るくしているのであった。弓之助はその部屋へはいった。隣り部屋の様子を窺った。やはり誰もいないらしい。思い切って襖を開けた。はたして人はいなかった。机が一脚置いてあった。そうしてその上に紙があった。紙には文字が記されてあった。

川大丁首(せんだいていしゅ)

 こう書いてあった。
「はてな、どういう意味だろう?」
 で、弓之助は首を傾げた。突然ガチャンと音がした。部屋の片隅の柱の中から、鎖が一筋弧を描き弓之助の方へ飛んで来た。右手を上げて打ち払った。キリキリと手首へまきついた。「しまった!」と呻いたそのとたん、反対側の部屋の隅、そこの柱の中央から、またもや鎖が飛び出して来た。キリキリと左手へまきついた。またもや鎖の音がした。もう一本の柱から、同じように鎖が飛び出して来た。それが弓之助の胴をまいた。ともう一本の柱から、またもや鎖が飛び出して来た。それが弓之助の足をまいた。四筋の鎖にまき縮(すく)められ、弓之助はバッタリ畳へ仆れた。身動きすることさえ出来なかった。
 だが屋敷内は静かであった。咳(しわぶき)一つ聞こえなかった。行燈(あんどん)の燈(ひ)は光の輪を、天井へボンヤリ投げていた。どうやら風が出たらしい、裏庭で木の揺れる音がした。……いつまで経っても静かであった。人の出て来る気勢もなかった。
「どうもこいつは驚いたなあ」心が静まるに従って、弓之助の心は自嘲的になった。「人間を相手に切り合うなら、こんな不覚は取らないのだが、鎖を相手じゃあ仕方がない。……これは何んという戦法だろう? とにかくうまいことを考えついたものだ。敵ながらも感心感心。……といって感心していると、どんな酷(ひど)い目に合うかもしれない。さてこれからどうしたものだ。どうかして鎖を解きたいものだ」
 彼は体を蜒(うね)らせた。鎖が肉へ食い込んだ。


    恋文を書く銀杏茶屋のお色

「痛え痛え、おお痛え。滅多に体は動かせねえ。莫迦にしていらあ、何んということだ。仕方がねえから穏(おとな)しくしていよう。……だがそれにしても泥棒どもは、どこに何をしているのだろう? 姿を見せないとは皮肉じゃあないか。ひどく薄っ気味が悪いなあ。これじゃあどうも喧嘩にもならねえ。……考えたって仕方がねえ。もがくとかえってひどい目を見る。おちついて待つより仕方がねえ、うんそうだ、こんな時には、何かで心を紛らせるがいい。紙に書かれた『川大丁首』よしこの意味を解いてやろう」そこで彼は考え出した。だがどうにもわからなかった。「こんな熟字ってあるものじゃねえ。川は川だし大は大さ。丁は丁だし首は首だ。音で読めば川大丁首(せんだいていしゅ)。川大にして丁(わかもの)の首? こう読んだって始まらねえ。……こいつ恐らく隠語なんだろう」
 依然屋敷は静かであった。

 銀杏茶屋のお色は奥の部屋で、袖垣をして恋文(ふみ)を書いていた。まだ春の日は午前であった。店の客も少なかった。部屋の中は明るかった。春陽が丸窓へ射していた。小鳥の影が二三度映った。彼女は大分ご機嫌であった。顔の紐が解けていた。頬にこっぽりした笑靨(えくぼ)が出来うっかり指で突こうものなら指先が嵌(は)まり込んで抜けそうもなかった。彼女はひどく嬉しいのであった。千代田城中に大事件が起こり、田沼主殿頭が狼狽し、お色を妾(めかけ)にすることなど、とても出来まいということを――もちろんハッキリといったのではないが、とにかくそういう意味のことを、田沼の家の用人から、今朝方知らせがあったからであったのみならず、養母に渡したところの、手附けの金は手附け流れ、返すに及ばぬということであった。で、養母もご機嫌であった。そこでお色はこの事情を、恋しい男の弓之助へ告げ、今日いつもの半太夫茶屋で、逢おうと巧(たく)んでいるのであった。
「恋しい恋しい」という文字や「嬉しい嬉しい」という文字も、目茶目茶に恋文(ふみ)へ書き込んだ。
「あらあらかしく、お色より、恋しい恋しい弓様へ」こう結んで筆を置いた。封筒へ入れて封じ目をし、さも大事そうに懐中(ふところ)へ入れた。それから他行(よそゆ)きの衣裳を着、それから店へ出て行った。
「ちょっとお母さん出て来てよ」
「さあさあどこへなといらっしゃい」長火鉢の前へ片膝を立て、お誂え通りの長煙管、莨(たばこ)を喫(ふ)かしていた養母のお兼(かね)は、黒い歯茎で笑ってみせた。「おやおや大変おめかしだね。ふふん、さてはあの人と……」
「いらざるお世話、よござんすよ」
「観音様へ参詣しお賽銭ぐらいは上げるだろうね」
「おや、そいつは本当だね」
 いい捨ててお色は戸外へ出た。プーッと春風が鬢を吹いた。で彼女は鬢を押さえた。プーッと春風が裾を吹いた。今度は前を抑えなければならない。「風さえ妾(わたし)を嬲(なぶ)っているよ」彼女はそこでニッコリとした。鳩がポッポと啼いていた。彼女の周囲へ集まって来た。
「厭だねえこの鳩は、邪魔じゃないか歩くのにさ」
 御堂の前で掌を合わせた。帯の間から銭入れを抜き、賽銭箱へお宝を投げた。
「どうも有難う、観音様。みんなあなたのご利益よ」
 で彼女は歩いて行った。
「何て今日はいい日なんだろう。みんな妾(わたし)に笑いかけているよ。何だか知らないが有難うよ」
 往来の人が囁(ささや)き合った。
「あれが評判のお色だよ」「どうでえどうでえ綺麗だなあ」「今日は取りわけ美しいぜ」
「はいはい皆さん有難うよ」彼女は笑って口の中でいった。
「でもね、皆さんお生憎(あいにく)さまよ、見せる人はほかにあるんですよ」


    逢ってくれない弓之助

 走り使いの喜介の家は、二丁目の露路の奥にあった。お色は煤けた格子戸を開けた。
「ちょいと喜介どん、頼まれて頂戴」
 菊石面(あばたづら)の四十男、喜介がヒョイと顔を出した。「へいへいこれはお色さん」
「これをね」とお色は恋文(ふみ)を出した。「いつもの方の所へね。……これが駕籠賃、これが使い賃、これが向こうのお屋敷の、若党さんへの心付け」
「これはこれはいつもながら。……お気の付くことでございます。……そこで益□ご繁昌」
「冗(むだ)をいわずと早くおいでな」
 喜介は門を飛び出した。お色は両国を渡って行った。「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」……「海」を「河」に置き代えよう。「春の河終日のたりのたり哉」まさに隅田がそうであった。おりから水は上げ潮で河幅一杯に満々と、妊婦の腹のように膨れていた。荷足、帆船、櫂小船(かいこぶね)、水の面(おもて)にちらばっていた。両岸の家並が水に映り、そこだけ影がついていた。
「いい景色、嬉しいわね」お色は恍惚(うっとり)と河を見た。「まるでお湯のように見えるじゃあないの」――嬉しい時には何も彼も、水さえ湯のように見えるものであった。「おや都鳥が浮いているよ。可愛いわねえ、有難うよ」またお色は礼をいった。嬉しい時には有難く、有難い時には礼をいう。これは大変自然であった。そこでお色は橋を越した。まだ広小路は午前(おひるまえ)のことであんまり人が出ていなかった。それがまたお色には嬉しかった。芝居、見世物の小屋掛けからは、稽古囃しが聞こえて来た。
 横へ外(そ)れると半太夫茶屋で、ヒラリと渋染めの暖簾(のれん)を潜った。
「おやお色さん、早々と」女将(おかみ)が驚いて顔を長くした。眉を落とした中年増(ちゅうどしま)唇から真っ白い歯を見せた。
「さあお通り。……後からだろうね?」
 ヒョイと母指(おやゆび)を出して見せた。
「私今日は嬉しいのよ」お色はトンと店へ上がった。
「そうだろうね。嬉しそうだよ」
「うんとご馳走を食べるよ」
「家(うち)の肴で間に合うかしら」
「そうして今日は三味線をひくわ」
「一の糸でも切るがいいよ。身受けされるっていうじゃあないか」
「その身受けが助かったのよ」
 いつもの部屋へ通って行った。ちんまりと坐って考え込んだ。
「私あの人を嘗(な)め殺してやるわ」
 恐ろしいことを考え出した。
「逢い戻り! いいわねえ」――いいことばかりが考えられた。「初めてあの人と逢うようだわ」自分で自分の胸を抱いた。ちょうどあの人に抱かれたように。「だが何んだか心配だわ」今度は少し心配になった。「あの人何んておっしゃるだろう」これはちょっと問題であった。「のっけに私はこういうわ。もういいのよ。済んだのよ。お妾(めかけ)に行かなくってもいいのだわ」するとあの人おっしゃるかも知れない。「お色、大変気の毒だが、おれには他に情婦(おんな)が出来たよ」……厭だわねえ、困っちまうわ。彼女は本当に困ったように部屋の中をウロウロ見た。「おやこの部屋は四畳半だわ」毎々通る部屋だのに、彼女は初めて気が附いたらしい。「ああでもないと四畳半! いいわねえ。嬉しいわ」嬉しい方へ考えることにした。
「でも随分待たせるわねえ」
 まだ十分しか待たないのに。
 床に海棠(かいどう)がいけてあった。春山の半折(はんせつ)が懸かっていた。残鶯(ざんおう)の啼音(なきね)が聞こえて来た。次の部屋で足音がした。
「いらっしゃったか、やっとのこと」彼女は急いで居住居を直した。だが足音は引っ返した。
「莫迦にしているよ。人違いだわ」彼女はだんだん不機嫌になった。
 長いこと待たなければならなかった。女中が茶を淹(い)れて持って来た。
 でもとうとうやって来た。弓之助でなくて喜介であった。
「どうもお色さんいけません。昨日お出かけになったまま、今日まだお帰りにならないそうで」
 喜介の報告(しらせ)はこうであった。お色は一時に気抜けした。じっと首をうな垂れた。


    両国橋の乞食の群

 女将(おかみ)が声を掛けたのに、ろくろく返事をしようともせず、お色はフラリと茶屋を出た。同じ道を帰って行った。
「案じた通りだ、出来たんだわ、ええそうよ、ほかに女が」まず彼女はこう思った。「そういうものだわ。男というものは」別れ話を持ち出したのが、彼女自身だということを、彼女はここで忘れていた。
「何んだか眼の前が真っ暗になったわ」両国橋へ差しかかった。橋の欄干へ身をもたせた。「河なものかまるで溜(ため)だわ……!」隅田川の風景も、もう彼女には他人であった。「きっと河は深いんだろうねえ」ゾッとするようなことを考えた。「身を投げたらどうだろう?」死んでからのことが考えられた。「あの人泣いてくれるかしら?」決して泣くまいと決めてしまった。「では随分つまらないわねえ」手頼(たよ)りなくてならなかった。
「ドボーンと妾(わたし)が身を投げたら、誰か助けてくれるかしら。そうよ今は昼だから。助けてくれたその人が、あの方だったらいいのにねえ」
 ダラリと袖を欄干へ垂らし、ぼんやり河面(かわも)を眺めやった。やはり都鳥が浮かんでいた。やはり舟がとおっていた。皆々他人であった。急に眼頭(めがしら)がむず痒(がゆ)くなった。眼尻がにわかに熱を持って来た。ボッと両の眼が霞んで来た。瞳へ紗(しゃ)でも張られたようであった。家々の形がひん曲がって見えた。見える物がみんな遠く見えた。そうしてみんな[#「そうしてみんな」は底本では「そうしてみんな」]濡れて見えた。
 涙を透して見る時は、すべてそんなように見えるものであった。
 体の筋でも抜かれたように、グンニャリとした歩き方で、お色は橋を向こうへ越した。すぐ人波に渦(ま)き込まれた。
 お色の倚(よ)っていた欄干から、二間ほど離れた一所(ひとところ)に、五、六人の乞食(こじき)が集(たか)っていた。往来の人の袖に縋り、憐愍(あわれみ)を乞う輩(やから)であった。
 一個(ひとつ)の手ごろの四角い石と、十個の小さい円石とで、一人の乞食が変なことをしていた。
 やや離れた欄干に倚り、それを見ている老武士があった。編笠で顔を隠しているので何者であるかは解らなかった。
 乞食は角石を右手へ置いた。それから小石を三個だけ、その左手へタラタラと並べた。
 老武士が口の中で呟いた。
「銅銭会茶椀陣、その変格の石礫陣(せきれきじん)。……うむ、今のは争闘陣だ」
 乞食はバラバラと石を崩した。角石をまたも右手へ置き、その左手へ二つの小石を、少し斜めにピッタリと据えた。それから指で二の字を描いた。
 と、老武士は口の中でいった。「雙龍(そうりゅう)玉を争うの陣だ」
 すると塊(かた)まっていた数人の乞食の、その一人が手を延ばし、ツと一つの小石を取った。それを唇へ持って行った。それから以前(もと)の場所へ置いた。他の乞食が同じことをした。次々に小石を取り上げた。それを唇へ持って行った。それから以前(まえ)の場所へ置いた。「茶を喫するという意味なのだ」老武士は口の中で呟いた。「雙龍玉を争うにより、その争闘に加わるよう。よろしいといって承知した意味だ。ふむ、何かやると見える」
 乞食は手早く石を崩した。小石ばかりを三個並べた。その後へ二つ円を描いた。
「ははあ同勢三百人か」口の中で老武士はいった。
 乞食はまたも石を崩した。角石を取って右手へ置いた。一個の小石を左手へ置いた。その左手へ四個の小石を、四角形に置き並べた。そうして四角形の石の周囲へ、指で四角の線を引いた。
 と、老武士は呟いた。「これ患難相扶陣(そうふじん)だ。今度の争闘は患難だによって、相扶(あいたす)けよという意味だ」
 乞食はまたも石を崩した。それから再び石を並べた。三個の小石を左手に並べ、三個の小石を右手へ並べた。中央へ二個の小石を置いた。
「これすなわち梅花陣だ」


    周易の名家加藤左伝次

 乞食は左右の手を延ばし、左右六個の石を取った。
「ははあ、花だけ残したな」
 急に乞食は二個の小石へ、さらに一個の石を加えた。その左右に三個ずつ六個の小石を置き並べた。
「これはほかならぬ河川陣(かせんじん)だ」
 乞食はまたもや石を崩した。十個の小石を一列に並べた。その中央へ角石を置いた。
「これはほかならぬ閂陣。戸という文字を暗示したものだ。三つを合わせると花川戸。ははあこれは地名だな」
 乞食はまたも石を崩した。小石を五個一列に並べた。そうして指で「刻」の字を書いた。
「うん、これは五更(こう)という意味だ」老武士は口の中で呟いた。
 乞食の石芸はこれで終った。人の往来が劇(はげ)しくなった。乞食達は袖へ縋り出した。いつの間にか皆見えなくなった。
 老武士は悠然と欄干を離れた。橋の袂に駕籠屋がいた。
「駕籠屋」と老武士はさし招いた。「数寄屋橋(すきやばし)までやってくれ。うむ、行く先は北町奉行所」
 すぐに駕籠は走り出した。

 お色は俯向いて歩いていた。顔を上げると屋敷があった。門に看板が上がっていた。地泰天(じたいてん)の卦面(けめん)を上部に描き、周易活断、績善堂、加藤左伝次と記されてあった。
 当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢左内、加藤左伝次は左内の高弟、師に譲らずと称されていた。左内の専門は人相であったが、左伝次の専門は易断であった。百発百中と称されていた。
 お色は思わず足を止めた。
「あのお方のお心持ち、ちょっと占って貰おうかしら?」
 で門内へはいっていった。すぐ溜り場へ通された。五、六人の人が待っていた。一人一人奥へ呼び込まれた。嬉しそうな顔、悲しそうな顔、いろいろの顔をして戻って来た。やがてお色の番が来た。お色は奥の部屋へ行った。部屋の正面に床の間があった。脇床の違い棚に積まれてあるのは、帙入(ちつにゅう)の古書や巻軸であった。白熊の毛皮が敷いてあった。その上に端然と坐っているのは、三十四、五の人物であった。総髪の裾が両肩の上に、ゆるやかに波を打っていた。その顔色は陶器のようで、ひどく冷たくて蒼白かった。眼の形は鮠(はや)のようであった。眼尻が長く切れていた。耳髱(みみたぶ)へまで届きそうであった。その左の目の瞳に近く、ポッツリ星がはいっていた。それが変に気味悪かった。黒塗りの見台が置いてあった。算木(さんぎ)、筮竹(ぜいちく)が載せてあった。その人物が左伝次であった。茶無地の被布を纏っていた。
 お色は何がなしにゾッとした。凄気が逼るような気持ちがした。遠く離れて膝を突いた。それからうやうやしく辞儀をした。
 と、左伝次は頤(あご)をしゃくった。
「恋だな、お娘ご中(あた)ったろう?」
「えっ」とお色は度胆を抜かれた。
「もっとお進み、見てあげよう」左伝次の声は乾いていた。枯れ葉が風に鳴るようであった。やはり変に不気味であった。「年は幾歳(いくつ)だ、男の年は?」
「は、はい、年は二十三で」
「妻はあるかな、その男には?」
「いえ、奥様はございません」
「ナニ、奥様? うむそうか。相当家柄の侍だな?」
「旗本衆のご次男様で」つい釣り込まれていってしまった。
「で、何を見るのかな?」
「はい、そのお方のお心持ちが……」赭くなっていい淀んだ。
「変わったか変わらないか見るのであろう?」
「は、はい、さようでございます」
「よし」というと筮竹を握った。「よいか、見る人と見られる人との精神が合盟一致した時、易というものは的中する。で、お前さんも一生懸命におなり」
 お色は形を改めた。
「ヤ――ッ」と鋭い掛け声が、左伝次の口から迸(ほとばし)り出た。「ヤーッ、ヤーッ、ヤーッ、ヤーッ」ドン底へしみるような声であった。左伝次の額からは汗が流れた。ザラザラザラザラと筮竹が鳴った。
 お色は心が恍惚(うっとり)となった。これまでも易は見て貰ったが、こんな凄(すさま)じい立てかたは、一度も経験したことがなかった。「さすがは名題の加藤先生。ああこの易はきっと中る」お色は突嗟に信じてしまった。
 左伝次は筮竹を額へあてた。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチ。力をこめて刎(は)ね上げた。と、算木へ手を掛けた。カタカタと算木が返された。ホーッと一つ呼吸(いき)をすると、ザラザラと筮竹を筒の中へ入れた。それから算木を睨み付けた。
 お色は思わず呼吸を呑んだ。


    死中ただ一活路

「おお、お娘ご、これはいけない」気の毒そうに左伝次はいった。
「あのそれではそのお方の、お心持ちが変わったので?」お色はブルブルと顫(ふる)え出した。
「いや心は変わっていない。……もっと大変なことがある」
「え、そうして大変とは?」
「死地にはいっておられるのだ」
「まあ」と叫ぶとフラフラと立ったが、すぐベッタリと坐ってしまった。
「では、お命があぶないので?」
「うむ」と左伝次は顔を曇らせ、「しかもそれが冤罪(えんざい)でな」
「どこにおられるのでございましょう?」
「さあ、そこまでは解らない」左伝次はお色を刺すように見た。「だがただ一つ道がある。そうだその人を救う道がな」
「どうぞお聞かせくださいまし」お色はズルズルと膝を進めた。「先生お願いでございます」
「医は肉体の病(やまい)を癒(なお)し、易は精神の病を癒す。いわばどっちも仁術だ。わしの力で出来るだけの事は骨を折ってしてあげよう。その人を救う唯一の道とは、その人と一番親しい人がさらに他の人に正直に事情を話して救いを乞う時、事情を話されたその人が、事件を解決して救うというのだ。易の面(おもて)に現われている。詳しく分解して話してもよいが専門の言葉で説明しても、お前さんには解るまい。ところでその人と親しい人とは、今の場合お前さんだ。さらに他の人とは誰のことか。これはどうやらわしらしい。そこでお前さんが正直に今度の事情をわしに話したら、あるいはこのわしがその人を、救い出すことが出来るかも知れない。もちろん確実(たしか)とはいわれないがな」
「はい有難う存じます。それではお話しいたします。どうぞお聞きくださいまし。あの妾(わたし)は浅草の、銀杏(いちょう)茶屋のお色でございます」
 ――それから田沼に懇望され、その妾(めかけ)になろうとしたこと、可愛い恋人と切れたこと、妾(めかけ)になることが止めになったこと、今日呼び出しを掛けたところ、恋人が昨日屋敷を出たきり、今に帰って来ないこと――一切合切打ち明けた。
 左伝次は黙って聞いていたが、その顔には曖昧な、混乱したものが現われた。
「その人の名は何んというな?」やがて左伝次はこう訊いた。
「白旗弓之助様と申します」
「うむ、お旗本で白旗か……。小左衛門殿のご縁辺かな?」
「そのお方のご次男様で」
「では確か北お町奉行、曲淵様とはご親戚のはずだが」
「はい叔父甥の仲だそうで」
 左伝次はじっと考え込んだ。「昨日から行方が不明なのだな?」
「はいさようでございます」
 ここで左伝次はまた考えた。
「弓之助殿のご様子は? つまり容貌風采だな」
「色白の細面(ほそおもて)、中肉中身長(ちゅうぜい)でございます」
「うむ、そうして腰の物は?」
「あの細身の蝋鞘の大小……」
「うむ、そうしてご定紋は?」
「はい丸に蔦(つた)の葉で」
 すると左伝次はヒョイと立った。
「お色殿ちょっとこっちへおいで」
 障子を開けると縁へ出た。
 午後の陽が中庭にあたっていた。
 お色は相手の気勢に引かれ、立ってその後へ従った。
 縁は廻廊をなしていた。その外れに離れ座敷があった。不思議なことには、昼だというのに、雨戸がピッタリ閉まっていた。離れ座敷の前までゆくと、左伝次は入り口の戸を開けた。最初の部屋は暗かった。間(あい)の襖をサラリと開けた。
 その部屋には燈火(ともしび)があった。行燈(あんどん)がボッと点っていた。


    途方もねえ目違いさ

 一人の武士が四筋の鎖で、がんじ搦(がら)みに搦(から)められていた。畳の上に転がっていた。それを五人の異形の男女が、真ん中にして囲繞(とりま)いていた。一人は僧侶一人は六部、一人は遊び人、一人は武士もう一人は振り袖の娘であった。娘は胡坐(あぐら)を掻いていた。そうして弓の折れを持っていた。
 左伝次とお色の姿を見ると彼らは一斉に顔を上げた。
 と、左伝次はお色へいった。
「お色殿、この方かね」搦められた武士を指さした。
 ヒョイとその武士が顔を上げた。お色はやにわに、縋(すが)り付いた。
「弓様! 弓様! お色でございます!」ひとしきり部屋の中は静かであった。白旗弓之助はお色を見た。
「お色ではないか、どうして来た」驚いたような声であった。
「神道の兄貴、どうしたんだい?」
 ややあって娘が――女勘助が、変な顔をして声を掛けた。
 すると左伝次は苦笑いをした。
「飛んだ人違いだ。偉いことをやった。おいおい早く鎖を解きねえ」
 鼠小僧外伝が、ガラガラと鎖を解き放した。と鎖は柱の中へ、手繰(たぐ)られたように飛び込んで行った。
「おい貴様達、謝まってしまえ。詳しい話はそれからだ」易学の大家加藤左伝次、本名神道徳次郎はピタリと畳へ端坐した。それから両手を膝の前へ突いた。
「いや、白旗弓之助様、とんだ粗忽(そこつ)を致しました。まずお許しくださいますよう」恐縮し切って辞儀をした。
「おいおい貴様達このお方はな、お旗本白旗小左衛門様の、ご次男にあたられる弓之助様だ、曲淵様の甥ごだよ」
「へえ」と五人は後へいざった。
「銅銭会員じゃあなかったのか?」火柱夜叉丸が眼を丸くした。
「うん、途方もねえ目違いさ」
「だが、それにしてはなんのために、昨夜(ゆうべ)ここへ忍んだんだろう?」女勘助が疑がわしそうにいった。
「そうだ、そいつがわからねえ」稲葉小僧新助がいった。
「おれはどうでもこのお侍は、銅銭会員だと思うがな」鼠小僧外伝がいった。「そうでなかったら責められないうちにそいつを弁解するはずだが」紫紐丹左衛門は腕を組んだ。
「本当にそうだ、そいつが解らねえ。そいつをハッキリいってさえくれたらおれたち殴るんじゃあなかったのに」弓の折れを指先で廻しながら、女勘助は眼を光らせた。
「いや、いずれその事については、白旗様からいい訳があろう。とにかくおれの見たところでは、銅銭会員じゃあなさそうだ」神道徳次郎はいい切った。
「さて白旗弓之助様、昨夜はどういう覚し召しで、ここへお忍びなされましたな?」
「それよりおれには聞きたいことがある。部屋の四隅の柱から、四本の鎖が飛び出して来たが、あれはなんという兵法だな?」これが弓之助の言葉であった。
 六人の者は眼を見合わせた。
「おい兄貴迂散(うさん)だぜ」女勘助が怒るようにいった。「肝腎のいい訳をしねえじゃあねえか」
「待て待て」と徳次郎は叱るように。
「宝山流の振り杖から、私が考案致しました。捕り方の一手でございますよ」
「あれにはおれも降参したよ」弓之助は妙な苦笑いをした。「人間が斬ってかかったのなら、大して引けも取らないが、どうもね、鎖じゃあ相手にならねえ。……そこでもう一つ訊くことがある。紙に書かれた『川大丁首』いったいこいつはどういう意味だ?」
「それがおわかりになりませんので?」徳次郎は、いくらか探るように訊いた。


    銅銭会縁起録内容

「随分考えたが解らなかった」弓之助はまたも苦笑をし、「そこにおいでの女勘助殿に、痛しめられている間中、その事ばかりを考えていたが、無学のおれには解らなかったよ」女勘助をジロリと見た。
 女勘助は横を向き、プッと口をとがらせた。
「それで初めてあなた様が、銅銭会員でないことが、ハッキリ証拠立てられました」徳次郎は一つ頷いたが、
「あれは隠語でございます。銅銭会の隠語なので。「順天行道」と申しますそうで。天に順(したが)って道を行なう。こういう意味だそうでございます。つまり彼らの標語なので。「関開路現(かんをひらきみちをあらわす)」こんな標語もございます。そうしてこれを隠語で記せば「並井足玉(へいせいそくぎょく)」となりますそうで」
「ははあなるほど、そうであったか。扁を取ったり旁(つくり)を取ったり、色々にして造った字だな。いかさまこれでは解らないはずだ」
「さてそこで白旗様、どうして昨夜はこの屋敷へ、忍び込まれたのでございますかな?」
 するとクルリと弓之助は、女勘助の方へ体を向けた。
「おい勘助、偉いことをやったな。森の中でよ、社の森で」
「えっ」と勘助は胸を反(そ)らせた。「へえ、お前さんご存知で?」
「あんまり見事な業(わざ)だったので、後からこっそり尾行(つけ)て来た奴さ」
「あっ、さようでございましたか」女勘助は手を拍った。「そこでこの屋敷へ忍び込んだので?」
「そうさ天明の六人男、そいつがみんな揃ったとあっては、ちょっと様子も見たいからな」「ああこれで胸に落ちた」こう紫紐丹左衛門がいった。

 北町奉行所の役宅であった。
 その一室に坐っているのは、奉行曲淵甲斐守であった。銅銭会縁起録が開かれたまま、膝の上に乗っていた。
「往昔(おうせき)福建省福州府、浦田(ほだ)県九連山山中に、少林寺と称する大寺あり。堂塔伽藍(がらん)樹間に聳え、人をして崇敬せしむるものあり。達尊爺々(たつそんやや)の創建せるも技一千数百年の星霜を経。僧侶数百の武に長じ、軍略剣法方術に達す。
 康□(こうき)帝の治世に西蔵(チベット)叛す。官軍ことごとく撃退さる。由(よ)って皇帝諸国に令し、賊滅するものを求めしむ。少林寺の豪僧百二十八人、招に応じて難に赴(おもむ)く。国境に至りて大いに戦い、敵国をして降を乞わしむ。皇帝喜び賞を与え僧を少林寺に帰さんとす。隆文耀(りゅうもんよう)、張近秋(ちょうきんしゅう)、二人の大官皇帝に讒(ざん)し、少林寺の僧を殺さしむ。
 兵を発して少林寺を焼く、蔡徳忠(さいとくちゅう)、方大洪(ほうたいこう)、馬超興(ばちょうこう)、胡徳帝(ことくてい)、李式開(りしきかい)の五人の僧、兵燹(へいせん)をのがれて諸国を流浪し同志を語らい復讐に努む。すなわち清朝を仆さんとするなり。この結社を三合会また一名銅銭会と称す」
 これがきわめて簡単な、銅銭会の縁起であって、今日に至るまでの紆余曲折が詳しく書物(ほん)には記されてあった。
「公所(大結社)」のことや「会員」のことや「入会式」のことや「誓詞」のことや「諸律法」のことや「十禁」の事や「十刑」の事や「会員証」のことや「造字(つくりじ)」のことや「隠語」のことや「符牒」のことや「事業」の事や「海外における活動」のことについても、かなり詳しく記されてあった。
 しかし、将軍家紛失に関しての、暗示らしいものは記されてなかった。
 とまれ非常な大結社で、支那の政治にも戦争にも、また外交の方面にも、偉大な潜勢力を持っていることが、記録によって窺(うかが)われた。のみならず印度(インド)や南洋にある、百万近くの支那人のうち、過半以上は会員として、働いていることも記されてあった。
 それと同時に会員のうちには、不良分子も潜在していて、悪いことをしているということも、支那人以外にも会員があって、気脈を通じているということも、相当詳しく記されてあった。


    京師殿と甲斐守

「恐らく今度の事件なるものは、日本における会員の、不良分子の所業(しわざ)であろうが、どういう径路で将軍家をどうして奪ったかわからない。どこに将軍家を隠しているか、それとも無慚に弑(しい)したか、これでは一向見当が付かない。……一人でもよいから銅銭会員をどうともして至急捕えたいものだ」
 甲斐守は沈吟した。
 その時近習がはいって来た。
「京師殿と仰せられるご老人が、お目にかかりたいと申しまして……」
「何、京師殿、それはそれは。叮嚀(ていねい)にここへお通し申せ」
 近習と引き違いにはいって来たのは、両国橋にいた老人であった。
「おおこれは京師殿」
「甲斐守殿、いつもご健勝で」
 二人は叮嚀に会釈した。
「さて」と京師殿は話し出した。「銅銭会の会員ども、今夜騒動を始めますぞ」
「何?」と甲斐守は膝を進めた。「銅銭会の会員がな? してどこで? どんな騒動を?」
「今夜五更花川戸に集まり、ある家を襲うということでござる。同勢おおかた三百人」
 両国橋での出来事を、かいつまんで京師殿は物語った。
「銅銭会員にご用ござらば、即刻大至急にご手配なされ、一網打尽になさるがよかろう」
「よい事をお聞かせくだされた。至急手配を致しましょう」
「何か柳営に大事件が、勃発したようでございますな」
「さよう、非常な大事件でござる。実は一昨夜上様が……」
「いやいや」と京師殿は手を振った。
「愚老は浮世を捨てた身分、直接柳営に関することは、どうぞお聞かせくださらぬよう」
「いかさまこれはごもっともでござる」
 そこで甲斐守は沈黙した。
 間もなく京師殿は飄然と去った。
 さてその夜のことであった。
 花川戸一帯を修羅場とし、奇怪な捕り物が行われた。
 歴史の表には記されてないが、柳営秘録には相当詳しく記されてあるに相違ない、この捕り物があったがため幕府の政治が一変し、奢侈(しゃし)下剋上(げこくじょう)[#ルビの「げこくじょう」は底本では「げこくじやう」]の風習が、勤倹質素尚武となり、幕府瓦壊の運命を、その後も長く持ちこたえたのであった。
 この捕り物での特徴は、捕られる方でも、捕る方でも、一言も言葉を掛け合わなかったことで、八百人あまりの大人数が、長い間格闘をしながらも、花川戸一帯の人達は、ほとんど知らずにおわってしまった。しかも内容の重大な点では、慶安年間由井正雪が、一味と計って徳川の社稷(しゃしょく)に、大鉄槌を下そうとした、それにも増したものであった。捕り方の人数六百人! この一事だけでも捕り物の、いかに大袈裟なものであり、いかに大事件であったかが、想像されるではあるまいか。一口にいえば銅銭会員と幕府の捕り方との格闘なのであった。
 その夜はどんよりと曇っていた。月もなければ星もなかった。家々では悉く戸を閉ざし、大江戸一円静まり返り燈火(ともしび)一つ見えなかった。
 と、闇から生まれたように、浅草花川戸の一所(ひとところ)に、十人の人影が現われた。一人の人間を真ん中に包み丸く塊(かた)まって進んで来た。一軒の屋敷の前まで来た。黒板塀がかかっていた。門がピッタリ閉ざされていた。屋根の上に仄々(ほのぼの)と、綿のようなものが集まっていたがどうやら八重桜の花らしい。
 その前で彼らは立ち止まった。
 とまた十人の一団が一人の人間を真ん中に包み、闇の中から産まれ出た。それが屋敷へ近付いて来た。先に現われた一団と後から現われた一団とは、屋敷の門前で一緒になった。互いに何か囁き合った。わけのわからない言葉であった。


    慶安以来の大捕り物

「背(うしろ)に幾多(いくた)の宝玉ありや?」
「一百八」
「途上虎あり、いかにして来たれる?」
「我すでに地神に請えり、全国通過を許されたり」
「汝橋を過ぎたるや否や?」
「我過ぎたり矣(い)」
「いずれの橋ぞ?」
「二板(はん)の橋」
「これすなわち二板橋、何ゆえに二板の橋というや?」
「明末(みんまつ)に清(しん)これを毀(こぼ)ち、なおいまだ修せられず」
「何んの木の橋ぞ?」
「否々これ樹板にあらず、左は黄銅、右は鉄板」

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