銅銭会事変
著者名:国枝史郎
「ゾッとするわ! 田沼の爺(じじい)!」
「何さ、田沼のその位置へ、俺が坐ろうというやつよ」
「まあ」といって三味線を置いた。
「大して嬉しくもなさそうだな」
「瞞(だま)すと妾狂人(きちがい)になるわ!」
二人はそこで寄り添おうとした。有難い事には野暮天(やぼてん)ではなかった。寄り添う代わりに坐り直した。と、お色がスッと立った。裏の障子を引き開けた。眼の前に隅田が流れていた。行き交う船! 夕焼け水!
「ああ私にはあの水が……」湯のようだと彼女はいおうとした。だがそういわなかった。「ああまるで火のようだわ」こう彼女はいったものである。
間もなく季節は真夏に入ろう。恋だって火のように燃えるだろう。だがその次には秋が来よう。結構ではないか実を結ぶ季節だ。
京師殿とは何者であろう? 結局疑問の人物であった。あの有名な天一坊事件、その張本の山内伊賀介、その後身ではあるまいか? 非常な学者だというところから、特に助命して大岡家に預け、幕府執政の機関とし、捨扶持(すてぶち)をくれていたのかもしれない。伊賀介の元の主人といえば、京師の公卿の九条殿であった。
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