十二神貝十郎手柄話
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著者名:国枝史郎 

    ままごと狂女


        一

「うん、あの女があれなんだな」
 大髻(たぶさ)に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。
 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼主殿頭(とのものかみ)の、宏大の下屋敷が立っていた。
「世上で評判の『ままごと女』のようで」
 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。
「つまり狂人(きちがい)なのでありましょうな」
 これも単なる問わず語りのように、こう呟いた人物があった。笈摺(おいずる)を背負った六部であった。と、その側に彳(たたず)んでいた、博徒のような男が云った。「迫害されて成った狂人なのでしょうよ」
「『ね、もう一度ままごとをしようよ』こう云って市中を狂い廻るなんて、おお厭だ、恥ずかしいことね」
 すぐにこう云う者があった。振り袖を着た町娘で、美しさは並々でなかったが、どこかに蓮(はす)っ葉なところがあった。
「それが一人や二人でなく、この頃月に幾人となく、ああいう狂人の出て来るのは、変だと云えば変ですなあ」
 こう云ったのは総髪物々しく、被布(ひふ)を着た一人の易者であった。冷雨(ひさめ)がにわかに降り出したので、そこの仕舞家(しもたや)の軒の下に、五人は雨宿りをしたものと見える。
 今も冷雨は降っていた。その冷雨に濡れながら、髪を乱し衣紋を乱した、若い美しい狂人の娘が、田沼家の前を行ったり来たりしていた。
「ね、もう一度ままごとをしようよ」
 そう喚く声がここまで聞こえた。が、間もなく姿が消えた。裏門の方へでも[#「でも」は底本では「ても」]行ったのであろう。
 パラパラと不意に降って来て、しばらく経つとスッと上がる。これが冷雨(ひさめ)の常である。冷雨が上がった。
「へい皆様、ご免くだすって」
 易者が最初にこう声をかけて、軒下から往来へ出た。
「それじゃ私も」
「では拙者も」
 などと云いながら五人の者は、つづいて軒下から往来へ出た。そういう様子を少し離れた、これも軒下に佇(たたず)んで、雨宿りをしていた三十五、六歳の武士が、狙うようにして見守っていたが、
「またあいつら何かをやり出すな」
 言葉に出して呟いた。それから首を傾げるようにしたが、
「どうもそれにしてもお篠という女が、あのお方の側室(そばめ)にあがって以来、あのお方のやり方が変になられた。……どっちみちお篠に似た女の狂人(きちがい)が、こう輩出したのではやり切れない」
(よし、一つ調べてやろう)
 その日の夕方のことであったが、神田三崎町三丁目の、指物店山大の店へ、ツトはいって来た侍があった。雨宿りをしていた侍である。
「主人はいるかな、ちょっと逢いたいが」
「へい、どなた様でいらっしゃいますか?」
 店にいた小僧が恐る恐る訊いた。
「十二神(オチフルイ)貝十郎と云うものだ」
 主人の嘉助が奥から飛んで来た。
「これはこれは十二神(オチフルイ)の殿様で。……」
「ああ主人か、訊きたいことがある。この頃『ままごと』がよく出るようだが」
「へい」と嘉助は小鬢を掻いた。
「諸方様からご注文でございますので」
「どんな方々から注文があるか、ひとつそれを聞かしてくれ」
「かしこまりましてございます」
 それから主人は名を上げた。松本伊豆守から五個、赤井越前守から三個、松平正允(まさすけ)から二個、伊井中将から一個、浜田侍従から一個。……等々であった。
「なるほど」
 と貝十郎は苦笑いをしたが、
「いずれも立派な方々からだな。……ところで松本伊豆守様からが、一番注文が多いようだが、この頃にご注文があったかな?」
「へい、一月の十五日までに、是非とも一つ納めるようにと、ご用人の三浦作右衛門様から。……」
「一月の十五日、ふうんそうか」
 尚二つ三つ訊ねてから、貝十郎は山大を出た。

        二

(どうにも今は変な時世だ。物を贈るにも流行がある。以前には岩石菖が流行(はや)ったっけ)
 以前に田沼主殿頭が、病床に伏したことがあった。病気見舞いのある大名が、主殿頭の家臣に訊ねた。
「この頃は田沼主殿頭殿には、何をご愛玩でございますかな?」と。
「岩石菖をご愛玩でございます」
 するとそれから二、三日が間に、岩石菖の贈物が、大きい座敷二つを埋めて、田沼家へ到来したそうである。
(ところが今では『ままごと』だ。……われもわれもと『ままごと』を贈る)
 貝十郎は歩きながら、苦笑せざるを得なかった。
(これも仕方がないのだろう、贈賄(わいろ)という風習はな。……長崎奉行が二千両、御目附が一千両と、相場さえ立っているのだからな。……贈った方が得なんだからな。……贈賄をする。役にありつく。今度は自分が収賄をする。贈賄の額よりも十倍も百倍も、多額のものを収賄する。……贈った方が得なんだからな。……それにさ世間のそうした風習に、一人逆らって超然としていると、旧弊というので仲間っ外れにされる。そのあげくに迫害される。そればかりかそのあげくには、あいつばかりがこんな時世に、廉潔を保っているなんて、途方もない売名家だ。逆行して名を売ろうとしているのだ。あいつこそ本当は悪党だと悪党から悪党視されることになる。……だからさ時には岩石菖だの『ままごと』をお贈りした方がよろしい。……もっとも俺には出来ないがな。……出来ない俺には別の処世法がある、踏晦(ふみさら)して遊蕩に耽けることさ。……どれ水茶屋へでも出かけて行こう)
 こうして貝十郎は浅草まで来た。
 江戸一番の盛り場で、四季に人出が多かった。「あづま」という水茶屋があって、そこの前まで歩いて来た時、五十年輩の侍が、暖簾(のれん)を刎ねて出るのが見られた。顔にあばたがあって下品であったが、衣裳や腰の物は高価の物ずくめで、裕福の身分を思わせた。
(おやあれは三浦作右衛門だ)
 貝十郎はニヤリとした。
(松本殿の用人の、ああいう人までが水茶屋女に、興味を持つようになったのかな。……ああでもないと四畳半! その四畳半趣味に飽きると、こうでもないと水茶屋の牀几へ、腰を下ろすようなことになる)
 こんなことを思いながら、貝十郎は見送った。と、その時、「あづま」の門へ、姿を現わした女があった。へへり頤、二重瞼、富士額、豊かな頬、肉厚の高い鼻。……そういう顔をした女であって、肉感的の存在であったが、心はそれと反対なのであろう。全体はかえって精神的であった。
(ここの娘のお品だな、相いも変らず美しいものだ)
 貝十郎はそう思ったが、
(待てよ! ふうん、お品の顔!)
 で、何やら考え込んだ。そういう貝十郎が見ているとも知らず、お品は何んとなく愁わしそうな様子で、暮れて行く空を仰いでいたが、にわかに活々(いきいき)と眼を躍らせた。
 向こうから一人の若侍が、お品に向かって笑いかけながら、足を早めて来たからであった。貝十郎は若侍を見た。それからお品の顔を見た。
(そうか)
 と思いあたったような様子であった。
(新八郎氏がお品に通う! これはありそうなことだわい)
 その若侍とお品とが、もつれるような姿をして、暖簾の奥へ引っ込んだのを見すてて、貝十郎は歩き出した。
 思案に耽っている様子であった。冷雨の降った後である。盛り場も今日は比較的に寂しく、それに夕暮れになっていたので、家々では店を片付け出していた。
 しかし一所(ひとところ)に大公孫樹(いちょう)があって、そこだけには人が集まっていた。居合抜きの香具師(やし)の薬売りで、この盛り場の名物になっている、藤兵衛という皮肉な男が、口上を述べているからであった。
 この藤兵衛には特技があった。彼のお喋舌(しゃべ)りを聞こうとして、集まって来る人達の中に、知名の人や名士がいると、早速その人の名を揚げて、その人の癖や特色を、揶揄(やゆ)したり褒めたりすることであった。
「大変なお方がお立ち寄りになった。これは大和屋文魚様で! 蔵前の札差し、十八大通のお一人! 河東節の名人、文魚本多の創始者、豪勢なお方でございますよ。が、その割に花魁(おいらん)にはもてず、そこでかえって稼業は繁昌、夫婦別れもないという次第! 結構至極ではありますが、私の薬をお飲みになったら、もてないお方ももてようというもの! それ精力が増しますのでな。……これはこれは平賀源内様で、ようこそお立ち寄りくださいました。が、どうして平賀様には、奥様をお貰いなさいませんので。それにさいったい平賀様には、何が本職でございますかな? 本草学者か発明家か、それとも山師か蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……」
 ――などと云うような類であった。
 今も彼は十五、六人の、暇そうな見物に取り巻かれ、気忙(きぜわ)しそうに喋舌っていた。
「近来流行(はや)る『ままごと』の中へ、この売薬を一袋、どうでも入れなければ嘘でござんす! 名に負う蘭人の甲必丹(キャピタン)から、お上へ献上なされようとして、わざわざ長崎の港から、江戸まで持って参った薬で! 人参などは愚かのこと、四目屋の薬など愚かのことで! 利きます利きます非常に利きます! 一粒飲めば胸もとが躍る、二粒飲めばこめかみに汗、三粒飲めばワクワクする。四粒五粒と飲んで行くうちに、悉皆(しっかい)我慢が出来なくなる。さて一袋飲んだとする、この世がかの世か、かの世がこの世か、見境いのないことになり、うっちゃって置けば鼻血が出る。捨てっ放なしにして置けば、……もうこの後は云われない。……やッ」
 とにわかに藤兵衛は云って、一方へ眼を走らせた。それからまたも喋舌り出した。
「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を歩かれても、威厳で人が左右へ除ける! お供はいつもお一人で……おやいけない、行っておしまいなさる!」
「館林様? ふうん、そうか」
 公孫樹(いちょう)の蔭に佇んでいた、十二神(オチフルイ)貝十郎は呟きながら、右手の方へ眼をやった。
 いかさま深い編笠を冠り、黒の衣裳に無紋の羽織、紫の紐で柄を巻いたきゃしゃな大小を穏かに差し、袴なしの着流しで、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の、貴人のように威厳のある武士が三十五、六の大兵の武士を、後に従えて人の群から離れ、町の方へ静かに歩きつつあった。
(こういう俗悪の世になると、ああいう神聖な人物も出る。反動的とでも云うのだろう)
 貝十郎はこう思いながら、雀色になった夕暮れの中に、消え込んで行くその人の姿を、尊いもののように見送ったが、やがて藤兵衛へ近寄って云った。
「これ、薬を一袋くれ」
 買った薬を懐中し、貝十郎は歩き出した。
(お篠という女が側室(そばめ)に上がった。……お篠という女に似た女が、盛んに変な狂人(きちがい)になる。……『ままごと』という変わった道具。……松本伊豆守が頻(しき)りに使う、……お品という娘がお篠に似ている。……松本伊豆守の用人がお品の店へ出入りをする。……一月十五日に『ままごと』が、伊豆守の邸へ届けられる。……新八郎氏がお品の情人(いろ)。……藤兵衛の売っていたこの薬? ……玄伯老にでも訊ねてみよう)
 蘭医杉田玄伯の家へ、貝十郎がはいって行ったのは、初夜を過ごした頃であった。

        三

 こういうことがあってから、幾日か経ったある日のこと、お品の家で、お品と新八郎とが、しめやかな声で話していた。
「お品、私はお前をいとしく思うよ。お前一人だけを。……お前も私をいとしく思ってくれるだろうね。裏切りはしまいね。この私を。……私は女に裏切られた男だ」
 新八郎はこういうように云って、自分の前へつつましく坐り、うなだれているお品の額へ、そのきゃしゃな手をやった。ほつれている髪を上げてやったのである。お品は頷(うなず)くばかりであった。
(妾(わたし)もほんとにこのお方が好きだ。何の妾が裏切ろう。妾は決して裏切りはしない。でも、ある強い外界からの力が、妾を裏切らせようとしている)
 お品にはこれが苦しかった。どう云って返辞をしてよいか? それも解らなかった。頷くばかりで黙っている理由(わけ)はこれであった。
 ふとお品は新八郎へ訊いた。
「お勘定奉行の松本伊豆守様とおっしゃいますお方は、どういうお方なのでございましょう」
「厭な奴らしい」
 新八郎は吐き出すように云った。
「賄賂取りの名人だ。自分でも随分賄賂を使う。田沼侯へ贈賄して、あれまでの位置になった奴だ。……だがそれがどうかしたかな」
「はい。……いいえ」
 と曖昧(あいまい)に云った。そう曖昧に云って置いて、お品は愁然とした。
「そのお方のご用人だとかいうお方が……」
「お前を見初めたとでも云うのかな?」
「でも妾はどうありましょうとも。……」
「…………」
 この日の午後は晴れていて、この家の裏庭に向いている障子へ、木の枝の影などが映っていた。

 その同じ新八郎が、ある夜往来(みち)で声をかけられた。
「お気の毒なお身の上でございますのね。でも、あの娘ごの罪ではございません。さりとて、松本伊豆守様の罪ばかりとも申されません。元兇は他にあります。……×××町を通り、△△町を過ぎ、□□町を行き抜け、○○町まで行き、そこで認めた異形の人数をどこまでもつけていらっしゃいまし。自ずとわかるでございましょう」
 それは女の声であった。
(おや?)
 と新八郎は驚きながら、声の来た方へ眼をやった。お高祖頭巾を冠っている。上身長(うわぜい)があって肥えている。そう云う女が土塀に添って、一人で立っている姿が見えた。
 新八郎は不思議そうに訊いた。
「あなたはどなたでございますか?」
 しかし女は答えなかった。
「お品のことについて云っておられますので?」
「はい。……そうしてもう一人の、お気の毒な女の方についても」
「ああそれではお篠のことについて?」
 すると女は頷いて見せた。
「妾をお信じなさりませ。云う通りに実行なさりませ」
(何んと云う眼だ! 何んと云う声だ!)
 新八郎はそう思った。
 お高祖頭巾の奥の方から、彼を見詰めている彼女の眼が、男のような眼だからであった。声にも著しい特色があった。男の声のように強かった。
(お品のことを知っている。お篠のことを知っている。この女はいったい何者なのであろう?)
(こんな所にこんな晩に、女一人で供も連れず、何んと思って立っているのか?)
(俺に云いかけたこの女の言葉! 親切なのか不親切なのか)
 新八郎は疑惑を感じながら、立ち去ることも出来ず立っていた。

        四

 朧月(おぼろづき)の深夜で、往来(ゆきき)の人はなく、犬の吠え声がずっと遠くの、露路の方から聞こえて来た。お筒持ちの小身の武士達の長屋町なので、道幅なども狭かった。
 新八郎の姓は小糸、年は二十八歳で、身分は旗本の次男であり、独身の部屋住みであった。当時少しずつ流行して来た蘭学に趣味を持ち、苦心して読みにかかっていた。平賀源内か、前野良沢かについて学ぼうか、それとも長崎へ行って、通辞に従い、単語でも覚えようかなどと、そんなことを考えてもいた。
 五百石の旗本の伜(せがれ)なので、随分裕福で、わがままであった。女も好き酒も好き、それに年齢(とし)からも来ているのであろう、猟奇的の性格の持ち主であった。戸ヶ崎熊太郎の門下であって、剣道では上手の域に達してもいた。
 毎年長崎から甲必丹(キャピタン)蘭人が通辞と一緒に江戸へ来て、将軍家に拝謁した。その逗留所を客室と云い、その客室では蘭人が携さえて来た舶来品を並べて諸人に見せた。天気験器(ウェールガラス)、寒暖験器(テルモメートル)、震雷験器(ドンドルガラス)、暗室写真鏡(ドンクルカームル)、等々――そんなものが陳列された。杉田玄伯だの桂川甫周だの、中川淳庵だのがよく見に行った。で、新八郎も見に行った。そうして誰にも負けず好奇心を募(つの)らせた。
 欧羅巴(ヨーロッパ)における拷問器具――姦通をした女に冠せたという、「驢馬仮面」と十字軍の戦士連が出征に際して、その妻妾の貞操を保護するために、その妻妾連の局部へまとわせたという鉄製の「貞操帯」を見た時変な気がした。狂人のような好奇心に猟り立てられたのである。
「こういう種類の品物、まだまだありましょうな?」
 と大通辞の吉雄幸左衛門へ訊いた。
「さよう、沢山あります。そうして江戸へも持って来ました。がそれはご懇望によりある方面の貴顕へ献じました」
 こう幸左衛門は答えた。
(是非見たいものだ)
 新八郎はこう思ったが、誰に献じたのか解らなかったので、その人を尋ねて見ることは出来なかった。しかし彼は訊いて見た。
「どなたへご献上なさいましたので?」
「甲必丹(キャピタン)カランス殿にお訊きなされ」
 こう云って幸左衛門は笑って取り合わなかった。甲必丹には容易に逢うことが出来ず、出来ても言葉が解らず話すことが出来なかったので、新八郎の希望(のぞみ)はとげられそうもなかった。
(惨忍ではあるが何んと誘惑的の器具なのだろう? 是非見たいものだ)
 新八郎はそう思った。
 今もそのことを思いながら歩いているのである。それにしても何故彼はそうした器具に興味を持ったのであろう? 彼の愛人であったお篠という女が彼を裏切って、ある幕府の権臣の妾になったことが原因であった。
(是非あの女に逢って見たい、逢ってああいう器具を使用させて見たい)
 これが希望(のぞみ)なのであった。その女は町医者千賀道有の娘で、随分美しい女であった。二年の間睦(むつ)み合い、相当の武士の養女として、そこから嫁として新八郎のもとへ来ることに話がきまってさえいた。
 ところが不意に女はいなくなった。
 で、新八郎は道有を責めて、女をどこへやったかと訊ねた。
「あるお方の側室(そばめ)に差し上げました。しかし、その方の何方であるかは申し上げられません。また、申し上げたとしても、貴所にはどうもなりますまい。御大老伊井中将直幸様さえ頭の上がらないお方なのですから」
 これが道有の返辞であった。
 女の行った先が、素晴らしい権臣であることだけは間もなく証明された。町医者であった道有が、その後恐ろしいような出世をしたのであるから。すなわち侍医法眼となり、浜町に二千坪の屋敷を持つようになったのであるから。
 お篠がそういうようになって以来、新八郎は楽しまなかった。しかるに間もなく水茶屋の娘でお品という女が、お篠と顔立ちが似ているところから、新八郎の心を引くこととなり、新八郎はお品と睦んだ。がどうだろうそのお品も、二、三日前に松本伊豆守へ、用人の手から引き上げられてしまった。小間使いという名義の下に、どうやら妾にされたようであった。
 お篠は派手な性質で、贅沢することが出来るのだったら、自分から進んで貴顕権門の、妾になるような女であった。
 しかしお品の方はそうではなかった。こまやかなつつましい情緒を持ち、ささやかな欲望に満足し、愛する男を一本気に愛する。――そう云ったような性質の女であった。
 でお篠が自分を見捨てて権門の妾になったという、そういうことを知った時、新八郎は憎悪を感じた。
 しかしお品が同じ身の上になったと、お品の母親によって聞かされた時、新八郎は可哀そうなと思った。が、どっちみち新八郎の心は、慰めのないものとなったのである。
 そういう新八郎の眼の前に、お高祖頭巾を冠った女が、今忽然と現われて、謎めいた言葉をかけたのである。
(この女は何者なのであろう? ……どうして俺の身の上や、お品やお篠の身の上について、見通しのようなことを云うのであろう?)
 疑惑を持たざるを得なかった。
(もう少し突っ込んで訊いて見よう)
 こう新八郎は思い付いて、その女の方へ近寄ろうとした。
 と、その女は歩き出した。
「ご婦人」
 と新八郎は声をかけた。しかしその時にはもうその女は、そこの横手に延びている小広い横丁へはいっていた。
「しばらく」
 と新八郎も横丁へはいった。が、すぐに「おや」と云った。女が四人の男達に、前後を守られていたからである。
(そうか)
 と新八郎はすぐに思った。
(女は一人ではなかったのだ。以前(まえ)から男達があそこにいて、あの女を警護していたのだ)
(いよいよ不思議な女ではある)

        五

 女の一団は歩き出した。
(さてこれからどうしたものだ?)
 このまま自分の家へ帰るか、それとも女の言葉に従い、×××町などを通り過ぎて、○○町まで歩いて行って、そこで逢うことになっている、異形の人数に逢ってみようか? ――新八郎はちょっと迷った。
(いやいやそれよりあの女の素姓と、住居(すまい)とを突き止める[#「突き止める」は底本では「突め止める」]ことにしよう)
 新八郎の好奇心は、女の方へ向かって行った。で、先へ行く女の一団を、新八郎はつけて行った。
(おや)
 としばらく歩いた時に、新八郎は呟いた。×××町へ出ていたからであり、そうして女の一団が、○○町の方へ行くからであった。
(女が俺を案内して○○町まで行くのかもしれない)
 新八郎の好奇心は、このためにかえって倍加された。で、後をつけて行った。
 こうしてとうとう○○町まで来た。するとそこで新八郎は、次々に変わった出来事と、そうして変わった人物とに逢った。
 行く手に宏壮な屋敷があって、甍(いらか)を月光に光らせていたが、その屋敷の門の前まで行くと、例の女の一団が、にわかに揃って足を止め、内の様子を窺うようにした。が、急に引っ返し、その屋敷の横手に出来ている、露路の中へはいってしまった。
(いったいどうしたというのだろう)
 新八郎は不思議に思って、その屋敷の方へ小走ろうとした。しかし彼は足を止めて、あべこべに物の蔭へ隠れた。
 その屋敷の門が開いて、異様の行列が出たからである。二人の侍が最初に出、つづいて四人の侍が出た。その四人の侍が、長方形の箱を担(かつ)いでいる。と、その後から二人の侍が、一挺の厳(いか)めしい駕籠に付き添い、警護するように現われた。
 これだけでは異様とは云えまい。
 しかるにその後から蒔絵を施した、善美を尽くしたお勝手箪笥(だんす)が、これも四人の武士に担がれ、門から外へ出たのである。
 異様な行列と云わざるを得まい。がもし新八郎が近寄って行って、先に出た長方形の箱を見たなら、一層に異様に思ったことであろう。
 その箱が桐で出来ていて、金水引きがかかっていて、巨大な熨斗(のし)が張りつけられてあり、献上という文字が書かれてあるのであるから。
 行列は無言で進んで行った。
 半町あまりも行き過ぎたであろうか、その時露路に隠れていた、例の一団が、往来へ姿を現わして、その行列をつけ出した。
 しかし行列の人達に、目付けられるのを憚るかのように、家々が月光を遮って、陰をなしているそういう陰を選んで、きわめてひそやかにつけて行った。
 新八郎の好奇心は、いよいよたかぶらざるを得なかった。でこれも後をつけた。例の屋敷の前まで行った時、それが松本伊豆守の別邸であることに感付いた。
「ふうん」
 と何がなしに新八郎は呻いた。不安と憎悪と敵愾心(てきがいしん)とが、ひとつになったものを感じたからである。
(駕籠の中に伊豆守はいるのかな? 箱の中には何があるのか? そうしてあの箪笥の中には?)
(こんな深夜にどこへ行くのか?)
 疑惑が疑惑を次々に生んだ。と、その時新八郎は、背後から含み声で声をかけられた。
「小糸氏、お遊びのお帰りかな」
 驚いて新八郎は振り返って見た。三人の武士が背後にいる。

        六

 一人は彼と顔見知りの、十二神(オチフルイ)貝十郎という与力であり、後の二人は知らなかったが、どうやら風俗や態度から見て、貝十郎の輩下にあたる、同心のように思われる。
「や、これは十二神(オチフルイ)氏か」
 新八郎はテレたように云った。声をかけたのは貝十郎であった。
「遊ぶもよろしいが程々になされ」貝十郎は愉快そうに云った。「随分お噂が高うござるぞ。何んにしてもこのような寒い季節に、ブラリブラリとこのような深夜に、お歩きなさるのは考えもので。第一あのような変な物に逢います。『ままごと』や『献上箱』というような物に。……まあ、これもご時世とあればああいうものの跋扈(ばっこ)するのも、仕方ないとは云われましょうがな。全く変なご時世でござる。流行(はやり)唄などにもうたわれております。
『よにあうは、道楽者に驕(おご)り者、転び芸者に山師運上』
『世の中は、諸事ごもっともありがたい、ご前、ご機嫌、さて恐れ入る』
『世の中は、ご無事、ご堅固、致し候、つくばいように拙者その元』
『世にあおう、武芸学門、ご番衆、ただ奉公に律義なる人』……アッハッハッ、変なご時世で。……いや拙者などはその一人で、世にあわぬ者のその一人で、そこで拙者も歌を作ってござる。
『世にあわぬ、与力同心門の犬、権門衆の賄賂番人』……とは云えこれも考えようで、面白いと見れば面白うござる。
『滄浪の水清まばもって吾が纓(えい)を濯(あら)うべく、滄浪の水濁らばもって吾が足を濯(あら)うべし』……融通無碍(むげ)になりさえすれば、物事かえって面白うござる」
(それ始まったぞ、始まったぞ)
 新八郎は苦笑と共に、こう思わざるを得なかった。
(お喋舌り貝十郎が始まったぞ)
 後世までも十二神(オチフルイ)貝十郎は、宝暦から明和安永へかけての名与力として謳(うた)われて、曲淵甲斐守や依田和泉守や牧野大隅守というような、高名の幾人かの町奉行から「部下」として力にされたばかりでなく「賓客」ないしは「友人」として尊敬されたほどであった。それに彼は学者であった、とは云え天保年間の、大塩中斎というような、ああいう厳(いか)めしい陽明学者ではなく、いうところの軟文学者――いうところの俗学者であった。でその方面の友人には、蜀山人だの宿屋飯盛だの、山東京伝だの式亭三馬だのそう云ったような人達があり、また当時の十八大通、大口屋暁翁だの大和屋文魚だの桂川甫周だのというような、そういう人達とも交際があった。
 後世田沼主殿頭が、まことにみじめに失脚した時、それを諷した阿呆陀羅経が作られ、一時人口に膾炙(かいしゃ)したが、それを作ったのが貝十郎であると、当時ひそかに噂された。
 □そもそもわっちが在所は、遠州相良の城にて、七ツ星から、軽薄ばかりで、御側へつん出て、御用をきくやら、老中に成るやら、それから聞きねえ、大名役人役人役替えさせやす。なんのかのとて、いろいろ名をつけ、むしょうに家中の者まで、分限になりやす。あんまりわっちも嬉しまぎれに、とてものついでに、大老なんぞと、これからそろそろむほんと出かけて、出入りの按摩を取り立て、お医者とこしらえ、玉川上水、印旛の新田、吉野の金掘り、む性に上納、御益のおための、なんのかのとて、さまざま名をつけ、おごってみたれば、天の憎しみ、今こそ現われ、てんてこ舞いやら。ヤレまたまたむすこは切られて、孫はくわるる。印旛の水から、関東へ押し出し、新田どころか、五年が間は、皆無になりやす。やれやれ、それから取り立て医者めが、薬が異って、因果とわっちが落度となりやす。御役ははなれて女の老中に、めったに叱られ、これまでいろいろ瞞(だま)して取ったる五万七千、名ばかり名ばかり、七十づらして、こんなつまらぬことこそあるまい。ほんとに今年は、天時つきたる。悲しいことだにほういほうい。
 ――これが彼の作った阿呆陀羅経なのである。辛辣、諷刺、事情通、縦横の文藻、嘲世的態度、とうてい掻(か)い撫(な)での市井人が、いいかげんに作ったものでないことは、おおよそ見当がつくことと思う。殊に一代の名臣ではあったが、その消極的政策と緊縮、節約主義とによって、浮世を暮らしにくく窮屈にした、白河楽翁事(こと)松平越中守を「女の老中」と喝破したあたりは、彼でなければ出来なかったことで、そうしてこういう点から推して、彼がこの時代の反抗児であり、不平児であったということが、充分推察することが出来る。事実彼はそういう人物であった。そのため彼は後年において、幕府の有司から睨まれて、お役ご免になったばかりでなく、かなり身上を迫害された。そこで彼は江戸を去り、京都西山に閑居したが、所司代から圧迫されたので、名古屋へ移って住むことになったが、武士であっては都合が悪いと云うので、とうとう大小をすててしまい、大須観音の盛り場の――今日いうところの門前町へ、袋物の店を出し、商人として世を終った。
(その屋号を『かみ屋』と云い、今日も子孫が残っていて、同じ門前町に営業している)
 彼が与力であった頃の、風俗というのが粋で渋く、次のようなものだったということである。
 額は三分ほど抜き上げ、刷毛先細い本多髷、羽織は長く、紐は黒竹打ち、小袖は無垢(むく)で袖口は細い、ゆきも長く紋は細輪、そうして襦袢は五分長のこと、下着は白糸まじりの黒八丈、中着は新形の小紋類、そうして下駄は黒塗りの足駄、大小は極上の鮫鞘(さめざや)で、柄に少し穢(よご)れめをつける、はな紙は利久であった。こういう風俗で十八大通や、蜀山人などと連れ立って、吉原などへ行ったものらしい。
「饒舌(じょうぜつ)にしてわずらわし」――彼についてこう云われている。
「油坊主」「蝉時雨(せみしぐれ)」――などというような綽名(あだな)さえ、彼にはあったということであるが、しかし彼の饒舌(じょうぜつ)は、もちろん天性にもあったろうけれども職掌からも来ているらしかった。と云うのはノベツに能弁に、不得要領のことや洒落(しゃれ)や皮肉や、警句などを連発している間に、容疑者の態度や顔色や、心理の変化を観察したからで、この饒舌が著しく、職業に役立ったということである。
 貝十郎がそのお喋舌りを、新八郎に向かってやり出したのである。
(それ始まったぞ始まったぞ)と、新八郎が苦笑したのは、当然なことと云わざるを得まい。
「とはいえ今日は一月の十五日、貴殿がここへおいでなされて、あの異様な行列をつけて行かれるのは当然とも云えます。が、拙者は、不思議なので。どうしてああいう行列が、今夜あのように練って行くか、お知りなされたかが、不思議なので。探ってお知りなされたかな? それとも恋の念力から……」
 貝十郎は云いつづけて来たが、その間も新八郎の顔を見たり、新八郎の顔を無視し、行列を眼で追ったりした。
 が、俄然として貝十郎は叫んだ。
「ソレ、方々! おやりなされ!」
 同時に喚く声や叱□する声や、太刀打ちの音が行く手から起こり、新八郎の横手を擦り抜け、二人の同心が矢のように、走って行くのが見てとれた。
「新八郎氏、ついてござれ」
 こう云った時には貝十郎も、行列の方へ走っていた。
 つづいて走り出した新八郎の眼には、朧月の下の往来で、例の女の一団と、例の行列の人数とが、切り合っている姿が見えた。

        七

 新八郎の行きつかない前に、これだけの事件が起こっていた。
 まず女の一団が、にわかに刀を抜き揃え、行列の人数へ切り込むや、お勝手箪笥を担いでいた侍と、献上箱を担いでいた侍とが、お勝手箪笥や献上箱を捨てて、これも刀を抜き揃えて、女の一団と切り結んだ。
 しかし女の一団の、鋭い太刀風に切り立てられ、二、三間後へ退いた。と、見てとった女の一団は、侍達を追おうとはしないで、お勝手箪笥と献上箱とを、六人で担いで側に延びていた、横町の中へ走り込んだ。が、しかし侍達も、うっちゃって置こうとはしなかった。同じ横町へ走り込んだ。そうして取り返した二種の品物を、本通りへ持って来た。
 と、女の一団達は、横町から走り出て来て、侍達へ切ってかかった。こうして乱闘が行われた。
 新八郎は走って行った。しかし新八郎が行きついた時には、行列の人数と女の一団とは、別々の道を辿っていた。新八郎の行きつく少し前に、側の露路から二人の侍が現われ、その中の一人が鋭い声で、例の女の一団に向かい、叱りつけるように声をかけると、女の一団は驚いたように、行列の人数に切ってかかるのを止め、例の横町の方角へ逃げ、行列の人数はそれを幸いに、行列を急がせて先へ進んだからである。
 ところが十二神(オチフルイ)貝十郎であるが、その頃その場へ駈けつけていたが、そう声をかけた侍の姿を見ると、一緒に走っていた二人の同心へ、
「よし! 止めろ! 手を出すな!」
 と叫び、これも例の横町の中へ、同心と一緒に走り込んだ。
 がしかし新八郎が貝十郎の後から、貝十郎の後をつけて行ったなら、
「やあこれはどうしたのだ□ 献上箱と『ままごと』とを、向こうへも担いで行く者がある! ご両所、あれを……」
 とこう云ってから、二人の同心へ小さい声で何やら囁いたことを見聞きしたことであろう。しかし後からつけて行かなかった、小糸新八郎にはそのようなことを、見聞きすることは出来なかった。その後はどうなったか?
 行列の人数がずっと先を、今は安心したものと見えて、ゆっくりした足どりで歩いて行き、その後から二人の侍が行き――その一人は声をかけた侍であり、もう一人はその侍の家来らしかったが――その後から小糸新八郎が、疑惑の解けない心持ちで、歩いて行くという結果になった。
 次から次と起こって来る変わった事件に、新八郎の心は、解けない疑惑に充たされていたが、それよりも眼前を歩いて行く、二人の侍の中の一人――声をかけた侍に引きつけられていた。深編笠、無紋の羽織、袴なしの着流しで、きゃしゃな大小を穏かに差し、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の侍で、貴人のような威厳があった。それは評判の「館林様」であった。
 ところで新八郎はその人の評判を、以前から聞いてはいたけれど、姿を見たことは一度もなかった。で、今、館林様が歩いていても、そうだということは知らなかった。
(一言二言鋭い口調で、叱るように何か云ったかと思うと、争闘をしていた二組の者や、有名な十二神(オチフルイ)氏というような人まで、その言葉に驚いて逃げてしまった。よほど偉大なる人物でなければならない)
 いったいどういう人物なのであろう? この疑問が新八郎をして、その人の後をつけさせることにした。
「殿」とその時家来らしい侍が、館林様へそういうように云った。「お止めにならなかった方がよろしゅうございましたのに」
「いや」と館林様はすぐに云った。「もうあれはあれでよかったのだ」
「ははあさようでございましたか」
「伊豆は第二の人物で、やっつける必要はないのだからな」
「それはさようでございましょうとも」
「元兇の方をかたづけなければ嘘だ」
「それはさようでございましょうとも」

        八

「私のお父上のご生存中は、田沼という男も今日のように、ああも僣上(せんじょう)な真似はしなかった」
「それはさようでございましょうとも。殿のお父上右近将監様は、御老中におわすこと三十八年、その間にご加増をお受け遊ばしたこと、わずか六千石でございました。いかにご忠正でご謙謹で、お身をお守り遊ばすことが、お固すぎるほどお固うございましたことか」
「将軍家(うえさま)が田沼をご寵愛のあまり、度々ご加増遊ばされたが、ある時のご加増に田沼は憚(はばか)り、私のお父上に意見を訊いたそうだ。するとお父上は云われたそうだ。『そなたの秩(ちつ)はまだ五万石以下だ。五万石まではよろしかろう。と云うのは徳廟『吉宗』公様が、秩五万に充たざる者は、積労によって増すべきであると、こう仰せ遊ばされたからだ。……今、将軍家(うえさま)よりの命があって、そなたがご辞退致したとあれば、一つには将軍家へ不恭となり、二つには将軍家の過贈の非を、世間へ知らせることになる。だからご加増は受けるがよろしい』と。……その時田沼は感激して、涙を流したということだ。……それだのに私のお父上が、この世を辞してからというものは、千恣(し)百怠(たい)沙汰の限りの態だ。売官売勲利権漁り、利慾を喰わしては党を作り、威嚇を行っては異党を攻め、自己を非議する識者や学徒の、言説を封じ刊行物を禁じ、美女を蓄わえて己(おのれ)楽しみ、美女を進めて将軍家を眩まし、奢侈(しゃし)と軟弱と贈収賄と、好色の風潮ばかりを瀰漫(びまん)させておる。……老中、若年寄、大目附、内閣は組織されていても、田沼一人に掣肘(せいちゅう)されて、政治の実は行われていない。……こういう時世には私のような男が、一人ぐらい出る必要がある。お父上が老練と家柄と、穏健と徳望とを基にして、老中筆頭という高官にあって、田沼の横暴を抑えたのを、私は年若と無位無官と、過激と権謀術数と、ある意味における暴力とを基とし、表面には立たず裏面にいて田沼の横暴を膺懲(ようちょう)するのだ。……私のような人間も必要だ」
「必要の段ではございません。大いに必要でございます。でありますから世間では、殿様のことをいつとはなしに『館林様』とこのように申して、恐ろしい、神のような、救世主のような、そういう人物に空想し、尊び敬い懐しんでおります。……がしかし殿にはどう遊ばしましますので? これからどこへいらせられますので?」
「もう用事は済んだのだ。……証拠を捉えようと企んだ仕事が、今、成功したのだからな。で家へ帰ってもいいのだ。がしかし私は笑ってやりたい。で、もう少し行くことにしよう」
「あの行列の後をつけて?」
「そう、行列の後をつけて。そうしてその上であの行列が、あそこの門を何も知らずに、得意気にくぐってはいるのを見て、大声で笑ってやりたいのだ」
「殿らしいご趣味でございます」
「趣味といえばどうにも六人男の連中、あくど過ぎて少しく困る」
「根が不頼漢でございますから」
「云い換えると好人物だからさ」
「無頼漢が好人物で?」
「こんな時世に命を惜しまず、感激をもって事を行う! 気の毒なほどの好人物だよ。……仕事を成功させてからも、伊豆守を討って取ろうとして、横町から本通りへ引っ返して来て、再度の切り込みをしたことなどは、好人物の手本だよ」
「仕事と仰せられ、成功と仰せられる、どのような仕事なのでございますか?」
「家へ帰ってから話してあげよう」
(ふうん、あのお方が『館林様』なのか? 館林様のご本体は、では甲斐の国館林の領主、松平右近将監武元卿――従四位下ノ侍従六万千石の主、遠い将軍家のご連枝の一人、三十八年間も執政をなされた、その右近将監武元卿の公達、妾腹のご次男でおわすところから、本家へはいらず無位無官をもって任じ、遊侠の徒と交わられ、本家では鼻つまみだと云われている。松平冬次郎様であられたのか)
 後からつけながら二人の話を、洩れ聞いた小糸新八郎は、そう知って驚かざるを得なかった。
(そういう人物でおわすなら、たった一言二言で、あれだけの争闘をお止めなされた筈だ)
 松平冬次郎の事蹟については、今日相当に知られている。すなわち天明八年の頃、上州武州の百姓が、三千人あまり集まって、五十三ヵ村を鳩合(きゅうごう)して、絹糸改役所という、運上取り立ての悪施政所の、撤廃一揆を起こした事があったが、裏面にあって指揮をした者が、この松平冬次郎であった。明和元年十一月の末に、上州、武州、秩父、熊谷等の、これも百姓数千人が、日光東照宮法会のため、一村について六両二分ずつの、臨時税を課するという誅求(ちゅうきゅう)を怒って、数ヵ月にわたって暴動を起こしたが、この時の蔭の主謀者も、松平冬次郎その人であった。天明七年五月に起こり、関西から関東に波及して、天下の人心を騒がせた、米騒動ぶちこわし事件! その事件の主謀者も、彼であったということである。
 ところで田沼時代には、天変地妖引きつづいて起こった。その一つは本郷の丸山から出て、長さ六里、広さ二里、江戸の大半を焼き払った火事、その二は浅間山の大爆発、その三は東海道、九州、奥羽に、連発した旱(ひでり)や大暴風雨や洪水、数万の人民はそれがために死に饑(う)え苦しみ流離したが、そういう場合に施米をしたり、人心を鼓舞したり富豪を説いたりして、特別の救助をさせた者があったが、彼であったということである。
 で、一種風変わりの社会政策実行者としては、この、松平冬次郎は、日本裏面史の大立て者なのであった。
 そういう松平冬次郎の「館林様」が供の侍を連れて、今歩いて行くのである。以前にも増して小糸新八郎が、興味と尊敬とに誘われて、後をどこまでもつけて行ったのは、当然のことと云わなければなるまい。早春の深夜の朧月が、江戸の家々と往来と、木立と庭園と掘割と、掘割の船とを照らしている。

        九

 ここの往来も月光を受けて、紗のような微光に化粧されている。そうして靄(もや)が立っている。
 ずっと向こうを例の行列が、その月光と靄とを分けて、ずんずん先へ進んで行く。その後から館林様と家来とが、話し合いながら進んで行く。それを新八郎はつけて行った。
 館林様の上品端正な、両の肩が月の光を浴びて、仄(ほの)かに銀のように白っぽくおぼめき、肩の上に山形に載っている、編笠があたかも異様に大きい、一片の花の弁のように見えた。こうして町々を通り抜けた。
 と、行く手に余りにも宏壮な、大名の下屋敷が立っていた。
 そこの裏門まで行った時である。例の行列が開いた扉から、呑まれるように吸い込まれた。で、後は静かとなって、人の姿は見られなかった。しかしその時その門の前で、大きく笑う笑声がした。
 見れば館林様とその家来とが、門の前に立っていた。が、やがて引っ返して来た。そうして木蔭に身を隠していた、新八郎の横手を抜けて、元来た方へ帰って行った。
(稲荷堀の田沼侯の屋敷の前で、館林様には大笑なされた。あのお方の目的はとげられたという訳さ。……何故笑ったか知らないが、笑っただけでも痛快だ)
 新八郎はこう思いながら、木蔭から姿を現わした。
(ところで俺はこれからどうしたものだ?)
 家へ帰るより仕方がなかった。
(いろいろと変わった人間に逢い、いろいろ変わった事件に逢った。無駄な一夜だったとは云われない)
 彼は満足した心持ちで、元来た方へ引っ返そうとした。しかしその時木立の蔭から、こう云う声が聞こえて来たので、引っ返すことは出来なかった。
「中へはいってごらんなされ。さよう、田沼侯のお屋敷の中へ! せめてお屋敷の庭へなりと。……貴殿がおはいりになられるようなら、拙者ご案内をいたすでござろう」
 十二神(オチフルイ)貝十郎の声であった。
「十二神(オチフルイ)氏、そこにおられたのか」新八郎はテレたように云った。「田沼侯のお屋敷へはいれと云われる、何んの必要がありましてかな?」
「『ままごと』の中に何があるか、献上箱の中に何があるか、貴殿お知りになりたくはないので?」尚も木蔭から貝十郎は云った。「貴殿の恋人お品殿が、松本伊豆守に引き上げられた。その松本伊豆守が、献上箱と『ままごと』とを仕立てて、たった今田沼侯の屋敷へはいった。二品は賄賂(まいない)の品物でござる。ところで、世上にはこう云う噂がござる。人形と称して生きた美女を献上箱の中へ入れ、好色の顕門へ納(い)れるという噂が。……」
「それでは今の献上箱の中に。……」
「お品殿がはいっておられようも知れぬ」
「行こう!」
「行かれるか?」
「屋敷の中へはいろう!」
「ご案内しましょう。おいでなされ」
 老中田沼侯の下屋敷の庭へ、外から忍んで入るというようなことは、考えにも及ばない不可能事のように、今日では想像されるけれど、あながちそうでもないのであって、鼠小僧というような賊は、田沼以上の大大名、細川侯の下屋敷の、奥方のおられる寝所へさえ、忍び込んだことさえあるのであった。
 貝十郎は風変わりの、しかも素晴らしい技倆を持った、聡明で敏捷な与力であった。田沼家の案内など、知っているのであろう。新八郎の先に立って、木立を抜けて先へ進んだが、やがて田沼家の横手へ出た。ひときわ木立が繁っていて、その繁みに沿いながら、田沼家の土塀が立っていた。
「この辺最も手薄でござる」
 こう囁(ささや)くと貝十郎は、立ち木の一本へ手をかけて、足で土塀を蹴るようにした。と、彼の姿はもうその時には、土塀の上に立っていた。そうしてその次の瞬間には、土塀から邸内へ飛び下りていた。新八郎も同じようにして、田沼家の邸内へ飛び下りた。

        十

 大名の下屋敷の庭の構造(つくり)などは、大概似たようなものであって、泉水、築山、廻廊、亭(ちん)、植え込み、石灯籠、幾棟かの建物――などというようなありきたりのものを、小堀流とか遠州流とか、そういった流儀に篏めて、縦横に造ったものに過ぎないのである。
 二人の眼の先にあるものは、やはりそういうものであった。
「ともかくも向こうへ行って見ましょう」
 貝十郎は前に立って、植え込みをくぐって先へ進んだ。築山の裾を右へ廻り、泉水にかけてある石橋を渡り、綿のように白く咲いて見える満開の梅の林の横を、右手の方へ潜行した。と、正面に廻廊をもって繋(つな)いだ、主屋(おもや)と独立した建物があった。
「この建物が大変な物なので」貝十郎は指さしながら、なかば憎さげになかば嘲笑うように、
「云って見れば閨房(けいぼう)なので。同時に拷問室でもあれば、ギヤマン室までありますので。田沼侯お気に入りの平賀源内氏が、奇才を働かせて作った室の由で。四方の壁から天井から、ギヤマンの鏡で出来ているそうで。……いったい田沼という仁(じん)は、変態的の人間でしてな、秘密と公然とを一緒にしたものを、万事に好まれるということでござる。秘密であるべき賄賂というようなものを、ソレ公然とお取りになる。公然であるべき政治というようなものを、わけても人事行政などを、私的情誼(じょうぎ)的におやりになる。……色情の方もそれと同じに、秘密にすべきを公然とするということでござる。……ええと、ところで今夜の犠牲者の中には、貴殿の恋人のお品殿が。……」
 にわかに貝十郎は黙ってしまった。殺気と云おうか、剣気と云おうか、そう云ったものを感じたからである。彼は新八郎の顔を見た。先刻から無言で終始していた新八郎は今も無言で、貝十郎の左側に立っていたが、木洩れの月光に胸と顔とを、薄い紙のように白めかしていた。顔の表情の狂気じみていることは! 二倍に見開かれた大きな眼は、その建物を見据えている。小鼻から口の側(わき)へかけて、引かれている皺(しわ)は紐のように太い! 歯を食いしばっている証拠である。
(これはいけない、喋舌りすぎたようだ。どうも挑発しすぎたようだ。何をやり出すかわからないぞ!)
 貝十郎はしまったと思った。
「新八郎氏、向こうへ行きましょう」
 なだめるように声をかけた。新八郎は動かなかった。鍔際(つばぎわ)を握った左の手が、ガタガタ顫(ふる)えているらしい。刀の鐺(こじり)が上下して見える。
「新八郎氏、向こうへ向こうへ」
 再度貝十郎が声をかけた時、飛び石づたいに歩きながら、話して来るらしい二人の侍の、話し声がこっちへ近寄って来た。主屋と離れて別棟があり、諸侍達の詰め所らしかったが、そこから小姓らしい二人の侍の、手に何やら持ちながら、二人の方へ歩いて来た。
「殺生な奴はこの道具でござる。この貞操帯という奴で」こう云いながら一人の侍は、手に持っていた長方形の木箱を、ひょいと頭上へ捧げるようにした。
「女が発狂する筈でござる」
「この驢馬仮面に至っては、いっそう殺生な器具でござる」もう一人の侍がそういうように云って、四角の木箱を胸の辺で揺すった。
「これでは女が発狂する筈で」
「我々の役目も厭な役目で」前の侍がさらに云った。「着けたり冠せたりしなければならない」
「お品という女、美しいそうで」
「が、明日は狂女となって、醜くなってしまいましょうよ」
 云い云い二人の小姓らしい侍は、廻廊の方へ歩いて行った。が、蘇鉄(そてつ)の大株があり、それが月光を遮(さえぎ)っている、そういう地点までやって来た時、突然ワッという声を上げ、一人の侍が地に仆れた。
「これどうなされた? 粗忽(そこつ)千万な」
 後の侍が驚きながら、仆れて動かない同僚の側へ、腰をかがめて立ち止まった。
 と、その侍もウーンと唸って、持っていた四角の木箱を落とすと、両手を宙へ伸ばしたが、そのまま仆れて動かなくなった。と、蘇鉄の株の蔭から、抜き身をひっさげた新八郎が、スルスルと現われて二人の横へ立った。
「小糸氏、お切りなされたので?」
 蘇鉄の蔭から貝十郎が訊いた。
「峯打ちに急所をひっ叩いたまででござる」云い云い新八郎は抜き身を鞘に納め、二つの木箱を地上から拾った。
「これから何んとなされるお気かな?」
 貝十郎が不安そうに訊いた。
「可哀そうなお品を助け出すつもりで」
「ギヤマン室へ忍び込んでかな?」
「場合によっては切り込んで!」

        十一

 この頃三人の男女の者が、主屋(おもや)から廻廊の方へ歩いていた。
「伊豆殿、私(わし)はこう思うので、音物(いんもつ)は政治の活力だとな」こう云ったのは六十年輩の、長身、痩躯(そうく)、童顔をした、威厳もあるが卑しさもあり、貫禄もあるが軽薄さもある、変に矛盾した風貌態度を持った、気味のよくない侍であった。主人田沼主殿頭なのである。「私はな、日々登城して、国家のために苦労いたし、一刻として安き時はござらぬ。ただ退朝して我が家へ帰った時、邸の長廊下を埋めるようにして、諸家から届けられた音物類が、おびただしく積まれてあるのを見て、はじめて心の安きを覚え、働こうという勇気が起こりましてござるよ」
「ごもっとも様に存じます」こう合槌を打ったのは、後からついて来た四十年輩の侍で、眉細く口大きく、頬骨の立った狡猾らしい顔と、頑丈な体とを持っていた。他ならぬ松本伊豆守なのである。「音物(いんもつ)はお贈りする人の心の、誠の現われでございますれば、眺めて快く受けて楽しいよろしきものにございます」
「金銀財宝というものは、人々命にも代えがたいほどに、大切にいたすものではござるが、それらの物を贈ってまでも、ご奉公いたしたいという志は、お上に忠と申すもの、褒むべき儀にございますよ」
「御意(ぎょい)、ごもっともに存じます。志の厚薄は、音物の額と比例いたすよう、考えられましてございます」
「彦根中将殿は寛濶でござって、眼ざましい物を贈ってくだされた。九尺四方もあったであろうか、そういう石の台の上へ、山家の秋景色を作ったもので、去年の中秋観月の夜に、私の所へまで届けられたが、山家の屋根は小判で葺いてあり、窓や戸ぼそや、板壁などは、金銀幣をもって装おってあり、庭上の小石は豆銀であり、青茅数株をあしらった裾に、伏させてあったほうぼうは、活きた慣らした本物でござったよ」
「その際私もささやかな物を、お眼にかけました筈にございます」
「覚えておる、覚えておる」主殿頭は笑いながら、いそがしそうに頷いた。「小さな青竹の籃の中へ、大鱚(おおきす)七ツか八ツを入れ、少し野菜をあしらって、それに青柚子(ゆず)一個を附け、その柚子に小刀を突きさしたものであった」
「その小刀と申しますのが……」
「存じておる、存じておる、柄に後藤の彫刻の、萩や芒をちりばめた、稀代の名作であった筈だ」
 薄縁(うすべり)の敷かれた長廊下には、現在諸家から持ち運ばれた無数の音物が並べられてあった。屏風類、書画類、器類、織物類、太刀類、印籠類、等々の音物であった。そういう音物類を照らしているのは、二人の先に立って歩いている、女の持っている雪洞(ぼんぼり)の火であった。紅裏を取り、表は白綸子(しろりんず)、紅梅、水仙の刺繍(ぬいとり)をした打ち掛けをまとったその下から、緋縮緬(ひぢりめん)に白梅の刺繍をした裏紅絹の上着を着せ[#「着せ」は底本では「記せ」]、浅黄縮緬に雨竜の刺繍の幅広高結びの帯を見せた、眼ざめるばかりに妖艶な、二十歳ばかりの女であって、主殿頭の無二の寵妾、それはお篠の方であった。唇が蜂蜜でも塗ったように、ねばっこく艶々と濡れ光っている。紅で染めた紅い唇であって、淫蕩(いんとう)の異常さを示していた。
「さあ参ろうではございませぬか、妾と同じ顔をした、お品様がお待ちかねでございます」
 お篠の方はこう云ったが、その声には惨忍な響きがあった。

        十二

「お篠、お前には退治られたよ。お前にかかると私(わし)というものは、まるっきり私(わし)でなくなってしまう」
 主殿頭はこう云い云い、廊下をゆるやかに先へ進んだ。
「いいえそうではございません」お篠の方は遮るように云った。「妾(わたくし)と全く同一嗜好(おなじこのみ)を、殿様にはお持ちなされていて、そこへ妾が参りましたので、それがお互いに強くなって、今日に及んだのでございます」
「それにしても伊豆殿へはお礼を云ってよい。次から次とお篠に似た女を、目付けて連れて来てくださるのでな」
「お品と申す今夜の女は、わけてもお篠の方に似ておられます」松本伊豆守は得意そうに云った。「ご満足なさるでございましょう」
「ままごとというこの遊びを、私(わし)に教えてくだされたのも伊豆殿お前様であった筈だ」
「献上箱へ活きた犠牲(にえ)を入れ、殿へ音物としてお送りしましたのも、私が最初かと存ぜられます」
「さようさようお前様だ」
「抽斗(ひきだし)を引く、皿小鉢が出る。戸棚をあける、ご馳走が出る。抽斗を引く、盃が出る。戸棚をあける、酒が出る。……蒔絵を施した美しい、お勝手箪笥のあの『ままごと』! 酒盛りをひらくにすぐ間に合う、あの『ままごと』を妾(わたし)は好きだ! 『ままごと』をひらいてお酒盛りをする! それから献上箱の蓋(ふた)をあける! と、人形のよそおいをした、初心(うぶ)の未通女(おぼこ)の女が出る。引っ張り出して酌をさせる。それから? それから? それから? それから? ……もう『ままごと』も献上箱も、運ばれている筈でございます! 早く行こうではございませんか! 行ってままごとをいたしましょうよ!」
 うわ言のように云いながら、お篠の方は先へ進んだ。やがて三人は主屋(おもや)を抜け、ギヤマン室をつないでいる、長い廻廊へ現われた。やがて三人は見えなくなった。
 ギヤマン室へはいったのである。

        十三

「小糸氏さあさあ遠慮はいらない、ここでゆっくりお品殿と、ままごとをしてお遊びなされ、拙者お相伴いたしましょう」
 ここは神田神保町の、十二神(オチフルイ)貝十郎の邸であった。同じ夜の明け近い一時である。献上箱の蓋があいていたが、その中は空虚になっていた。その代り献上箱の横の方に、そうして小糸新八郎の、端坐している膝の脇に、京人形のよそいをした、お品が青褪めて坐っていた。
 二人の前に貝十郎がいた。
 その貝十郎の傍には、お勝手箪笥の『ままごと』が、抽斗(ひきだし)も戸棚もあけられた姿で、灯火に映えて置かれてあった。そこから取り出された酒や馳走類が、皿や小鉢や徳利に入れられて、三人の前に置かれてあった。
「実は松本伊豆守殿が、今日、一月十五日までに『ままごと』を一個納めるようにと、指物店山大へ命じたということと、お品殿が田沼侯の側室(そばめ)にあたる、お篠の方によく似ていて、そのお品殿が伊豆守によって、引き上げられたということとを、前者は拙者自分で調べ、後者は人伝てに聞きましたので、これは一月の十五日に伊豆守が田沼侯へ音物として、『ままごと』に添えてお品殿を、お贈りするのだと推察し、奪い返すことは出来ないまでも、確かめて見ようとこう思い、今宵伊豆守の邸の傍(ほとり)へ、忍んで様子を窺っていたのでござる。……ところがその果てがあの通りとなり、拙者も悉(ことごと)く胆を潰してござるよ。……それにしてもどうして館林様が、今夜の出来事を同じく察し、似たような『ままごと』と献上箱とを作り、どさくさまぎれに伊豆守のそれと、すり換えたのか合点が行きませぬ。が、合点は行きませんでしたが、もう一組の『ままごと』と献上箱とが、横町を走って行くのを見た時、館林様が策略をもって、伊豆守の『ままごと』と献上箱とを、すり換えて奪って持って行くのだと、そこは拙者も職掌柄で、直覚的に知りましたので、二人の同心に云いつけて、途中からそれらの二品を、拙者の邸へ運ばせるよう、取り計らわせたという次第でござる。……それはそれとして館林様の仕立てた、『ままごと』や献上箱にはどのような物が、入れられてあるのでございましょうか。ちょっと見たいように思われますよ。実はそいつを見たいがために、拙者わざわざ貴殿の後から、田沼侯の邸へ行ったのでござるが、貴殿がほとんど死を決した様で、田沼侯の邸へ無鉄砲至極にも、切り込みをなさろうとなさるので、ようやくここまでお連れした次第。……敵の兵糧で味方が肥える。さあさああいつらの『ままごと』の中の、ご馳走で我々飲食しましょう。……ソレここに……もござる。構うことはない酒に混ぜて召され。その上で……をな、ハッハッハッ、お尽くしなされよ。お品殿はやつれて青褪めておられる。恢復なされ恢復なされ!」

        十四

 この頃京橋の、館林様の邸内の、奥まった部屋で館林様は、女勘助や神道徳次郎や、紫紐丹左衛門や鼠小僧外伝や、火柱夜叉丸や稲葉小僧新助などと、酒宴をしながら話していた。
「やくざな奴らでございますよ。私の手下ながらあの奴らは!」女の姿をした女勘助が、謝るようにそんなように云った。
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