十二神貝十郎手柄話
◇ピンチです!◇
■暇つぶし何某■

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著者名:国枝史郎 

    ままごと狂女


        一

「うん、あの女があれなんだな」
 大髻(たぶさ)に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。
 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼主殿頭(とのものかみ)の、宏大の下屋敷が立っていた。
「世上で評判の『ままごと女』のようで」
 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。
「つまり狂人(きちがい)なのでありましょうな」
 これも単なる問わず語りのように、こう呟いた人物があった。笈摺(おいずる)を背負った六部であった。と、その側に彳(たたず)んでいた、博徒のような男が云った。「迫害されて成った狂人なのでしょうよ」
「『ね、もう一度ままごとをしようよ』こう云って市中を狂い廻るなんて、おお厭だ、恥ずかしいことね」
 すぐにこう云う者があった。振り袖を着た町娘で、美しさは並々でなかったが、どこかに蓮(はす)っ葉なところがあった。
「それが一人や二人でなく、この頃月に幾人となく、ああいう狂人の出て来るのは、変だと云えば変ですなあ」
 こう云ったのは総髪物々しく、被布(ひふ)を着た一人の易者であった。冷雨(ひさめ)がにわかに降り出したので、そこの仕舞家(しもたや)の軒の下に、五人は雨宿りをしたものと見える。
 今も冷雨は降っていた。その冷雨に濡れながら、髪を乱し衣紋を乱した、若い美しい狂人の娘が、田沼家の前を行ったり来たりしていた。
「ね、もう一度ままごとをしようよ」
 そう喚く声がここまで聞こえた。が、間もなく姿が消えた。裏門の方へでも[#「でも」は底本では「ても」]行ったのであろう。
 パラパラと不意に降って来て、しばらく経つとスッと上がる。これが冷雨(ひさめ)の常である。冷雨が上がった。
「へい皆様、ご免くだすって」
 易者が最初にこう声をかけて、軒下から往来へ出た。
「それじゃ私も」
「では拙者も」
 などと云いながら五人の者は、つづいて軒下から往来へ出た。そういう様子を少し離れた、これも軒下に佇(たたず)んで、雨宿りをしていた三十五、六歳の武士が、狙うようにして見守っていたが、
「またあいつら何かをやり出すな」
 言葉に出して呟いた。それから首を傾げるようにしたが、
「どうもそれにしてもお篠という女が、あのお方の側室(そばめ)にあがって以来、あのお方のやり方が変になられた。……どっちみちお篠に似た女の狂人(きちがい)が、こう輩出したのではやり切れない」
(よし、一つ調べてやろう)
 その日の夕方のことであったが、神田三崎町三丁目の、指物店山大の店へ、ツトはいって来た侍があった。雨宿りをしていた侍である。
「主人はいるかな、ちょっと逢いたいが」
「へい、どなた様でいらっしゃいますか?」
 店にいた小僧が恐る恐る訊いた。
「十二神(オチフルイ)貝十郎と云うものだ」
 主人の嘉助が奥から飛んで来た。
「これはこれは十二神(オチフルイ)の殿様で。……」
「ああ主人か、訊きたいことがある。この頃『ままごと』がよく出るようだが」
「へい」と嘉助は小鬢を掻いた。
「諸方様からご注文でございますので」
「どんな方々から注文があるか、ひとつそれを聞かしてくれ」
「かしこまりましてございます」
 それから主人は名を上げた。松本伊豆守から五個、赤井越前守から三個、松平正允(まさすけ)から二個、伊井中将から一個、浜田侍従から一個。……等々であった。
「なるほど」
 と貝十郎は苦笑いをしたが、
「いずれも立派な方々からだな。……ところで松本伊豆守様からが、一番注文が多いようだが、この頃にご注文があったかな?」
「へい、一月の十五日までに、是非とも一つ納めるようにと、ご用人の三浦作右衛門様から。……」
「一月の十五日、ふうんそうか」
 尚二つ三つ訊ねてから、貝十郎は山大を出た。

        二

(どうにも今は変な時世だ。物を贈るにも流行がある。以前には岩石菖が流行(はや)ったっけ)
 以前に田沼主殿頭が、病床に伏したことがあった。病気見舞いのある大名が、主殿頭の家臣に訊ねた。
「この頃は田沼主殿頭殿には、何をご愛玩でございますかな?」と。
「岩石菖をご愛玩でございます」
 するとそれから二、三日が間に、岩石菖の贈物が、大きい座敷二つを埋めて、田沼家へ到来したそうである。
(ところが今では『ままごと』だ。……われもわれもと『ままごと』を贈る)
 貝十郎は歩きながら、苦笑せざるを得なかった。
(これも仕方がないのだろう、贈賄(わいろ)という風習はな。……長崎奉行が二千両、御目附が一千両と、相場さえ立っているのだからな。……贈った方が得なんだからな。……贈賄をする。役にありつく。今度は自分が収賄をする。贈賄の額よりも十倍も百倍も、多額のものを収賄する。……贈った方が得なんだからな。……それにさ世間のそうした風習に、一人逆らって超然としていると、旧弊というので仲間っ外れにされる。そのあげくに迫害される。そればかりかそのあげくには、あいつばかりがこんな時世に、廉潔を保っているなんて、途方もない売名家だ。逆行して名を売ろうとしているのだ。あいつこそ本当は悪党だと悪党から悪党視されることになる。……だからさ時には岩石菖だの『ままごと』をお贈りした方がよろしい。……もっとも俺には出来ないがな。……出来ない俺には別の処世法がある、踏晦(ふみさら)して遊蕩に耽けることさ。……どれ水茶屋へでも出かけて行こう)
 こうして貝十郎は浅草まで来た。
 江戸一番の盛り場で、四季に人出が多かった。「あづま」という水茶屋があって、そこの前まで歩いて来た時、五十年輩の侍が、暖簾(のれん)を刎ねて出るのが見られた。顔にあばたがあって下品であったが、衣裳や腰の物は高価の物ずくめで、裕福の身分を思わせた。
(おやあれは三浦作右衛門だ)
 貝十郎はニヤリとした。
(松本殿の用人の、ああいう人までが水茶屋女に、興味を持つようになったのかな。……ああでもないと四畳半! その四畳半趣味に飽きると、こうでもないと水茶屋の牀几へ、腰を下ろすようなことになる)
 こんなことを思いながら、貝十郎は見送った。と、その時、「あづま」の門へ、姿を現わした女があった。へへり頤、二重瞼、富士額、豊かな頬、肉厚の高い鼻。……そういう顔をした女であって、肉感的の存在であったが、心はそれと反対なのであろう。全体はかえって精神的であった。
(ここの娘のお品だな、相いも変らず美しいものだ)
 貝十郎はそう思ったが、
(待てよ! ふうん、お品の顔!)
 で、何やら考え込んだ。そういう貝十郎が見ているとも知らず、お品は何んとなく愁わしそうな様子で、暮れて行く空を仰いでいたが、にわかに活々(いきいき)と眼を躍らせた。
 向こうから一人の若侍が、お品に向かって笑いかけながら、足を早めて来たからであった。貝十郎は若侍を見た。それからお品の顔を見た。
(そうか)
 と思いあたったような様子であった。
(新八郎氏がお品に通う! これはありそうなことだわい)
 その若侍とお品とが、もつれるような姿をして、暖簾の奥へ引っ込んだのを見すてて、貝十郎は歩き出した。
 思案に耽っている様子であった。冷雨の降った後である。盛り場も今日は比較的に寂しく、それに夕暮れになっていたので、家々では店を片付け出していた。
 しかし一所(ひとところ)に大公孫樹(いちょう)があって、そこだけには人が集まっていた。居合抜きの香具師(やし)の薬売りで、この盛り場の名物になっている、藤兵衛という皮肉な男が、口上を述べているからであった。
 この藤兵衛には特技があった。彼のお喋舌(しゃべ)りを聞こうとして、集まって来る人達の中に、知名の人や名士がいると、早速その人の名を揚げて、その人の癖や特色を、揶揄(やゆ)したり褒めたりすることであった。
「大変なお方がお立ち寄りになった。これは大和屋文魚様で! 蔵前の札差し、十八大通のお一人! 河東節の名人、文魚本多の創始者、豪勢なお方でございますよ。が、その割に花魁(おいらん)にはもてず、そこでかえって稼業は繁昌、夫婦別れもないという次第! 結構至極ではありますが、私の薬をお飲みになったら、もてないお方ももてようというもの! それ精力が増しますのでな。……これはこれは平賀源内様で、ようこそお立ち寄りくださいました。が、どうして平賀様には、奥様をお貰いなさいませんので。それにさいったい平賀様には、何が本職でございますかな? 本草学者か発明家か、それとも山師か蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……」
 ――などと云うような類であった。
 今も彼は十五、六人の、暇そうな見物に取り巻かれ、気忙(きぜわ)しそうに喋舌っていた。
「近来流行(はや)る『ままごと』の中へ、この売薬を一袋、どうでも入れなければ嘘でござんす! 名に負う蘭人の甲必丹(キャピタン)から、お上へ献上なされようとして、わざわざ長崎の港から、江戸まで持って参った薬で! 人参などは愚かのこと、四目屋の薬など愚かのことで! 利きます利きます非常に利きます! 一粒飲めば胸もとが躍る、二粒飲めばこめかみに汗、三粒飲めばワクワクする。四粒五粒と飲んで行くうちに、悉皆(しっかい)我慢が出来なくなる。さて一袋飲んだとする、この世がかの世か、かの世がこの世か、見境いのないことになり、うっちゃって置けば鼻血が出る。捨てっ放なしにして置けば、……もうこの後は云われない。……やッ」
 とにわかに藤兵衛は云って、一方へ眼を走らせた。それからまたも喋舌り出した。
「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を歩かれても、威厳で人が左右へ除ける! お供はいつもお一人で……おやいけない、行っておしまいなさる!」
「館林様? ふうん、そうか」
 公孫樹(いちょう)の蔭に佇んでいた、十二神(オチフルイ)貝十郎は呟きながら、右手の方へ眼をやった。
 いかさま深い編笠を冠り、黒の衣裳に無紋の羽織、紫の紐で柄を巻いたきゃしゃな大小を穏かに差し、袴なしの着流しで、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の、貴人のように威厳のある武士が三十五、六の大兵の武士を、後に従えて人の群から離れ、町の方へ静かに歩きつつあった。
(こういう俗悪の世になると、ああいう神聖な人物も出る。反動的とでも云うのだろう)
 貝十郎はこう思いながら、雀色になった夕暮れの中に、消え込んで行くその人の姿を、尊いもののように見送ったが、やがて藤兵衛へ近寄って云った。

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