生死卍巴
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著者名:国枝史郎 

 尚も勘右衛門は門の内側で、酔ったあまりに思慮を失って、止める者のないのを幸いにして、怒鳴り声をつづけているようであったが、茅野雄には興味がなくなったので、怒鳴り声を聞きすてて歩き出した。
(抜け荷買いをした人間だそうだ。今でこそ三卿のご用達(ようたし)などと、上品に構えてはいるけれど、一つ間違うと兇暴になって何をやり出すかわからないというのが、松倉屋勘右衛門の本性らしい)
 茅野雄は歩きながら思ったりした。
(どれ急いで家(うち)へ帰ろう)
 こうして茅野雄が自宅へ帰って、下男の弥助(やすけ)に迎えられて、自分の部屋へ入った時に、一つの運命が待っていた。
 飛脚が届けたという書面であった。
「夕方お飛脚が参りまして、この書面を置いて参りました」
 これが弥助の言葉であった。
「ほほうどこから来たのであろう? 俺のところへ書面を届けるような、親しい遠方の知人などは、どうにも俺にはなかったはずだが」
 呟きながらも宮川茅野雄は、文箱(ふばこ)をあけて書面を出して、静かに文面へ眼を落とした。
「お懐かしき茅野雄様、妾(わたし)は浪江(なみえ)でござります。あなたのたった一人きりの、従妹(いとこ)の浪江でござります。浪江があなた様へお願いいたします。妾の処(ところ)へおいでくださいましと。妾の一家は五年前に、――あなた様が長崎へおいでになった時に、江戸を立ってこの地へ参りました。飛騨の国の高山城下から、十里ほど離れた山の奥の、丹生川平(にゅうがわだいら)という寂しい土地へ。……父も母も無事でござります。でも性質は変わりました。敵を持つようになりました[#「なりました」は底本では「なりした」]。で只今私達一族は、苦境にあるのでござります。どうぞどうぞおいでくださいまして、私達一族の味方となって、私達をお助けくださりませ。……妾は十八歳になりました。五年前にお別れをいたしました時には、妾は十四歳でございました。ほんとに子供でございました。でも今は娘でござります。……あの頃から妾はあなた様を、懐かしいお方に思っておりました。今も同じでござります。あなた様を懐かしく思っております」
 こういう意味のことが書いてあった。
(そうそう俺には親戚(みより)として、叔父の一族があったっけ。俺が長崎へ行っていた留守に、消えたと云ってもいいほどに、行衛知れずになってしまったので、思い出しさえもしなかったが、無事にこの世にいると聞いては、ちょっとなつかしく思われる。――従妹の浪江は小さい時から、驚くばかりに美しかったが、もっと美しくなっていよう。いかにも二人は仲がよかった。逢って話をしてみたいものだ。……敵を持って苦境にあるという? これがいくらか気にかかるが、行って見たら様子が知れることであろう。……飛騨といえば随分山国だが、そんなことには驚かない。よしよし明日にも出かけることにしよう)
 ――こうして茅野雄は行くことに定(き)めた。が、これを一面から見ると、巫女(みこ)の占った運命の一つが、適中したという事になる。
 では次々に巫女の占いが適中しないとは云われない。
 茅野雄は「何か」を手に入れるであろうか?
 その「何か」とはどんなものであろう?

 その翌日のことであったが、松倉屋勘右衛門の邸の中で一つの事件が起こっていた。
「お前は旦那様に憎まれているねえ」
「はい奥様、そんな様子で、私は心配でなりませぬ」
「妾がお前を贔屓(ひいき)にするからだよ」
「はい奥様、さようでございますとも」
「旦那様はお前を嫉妬(やい)ているのだよ」
「どうやらそのようなご様子に見えます」
「お前の縹緻(きりょう)がよいからだよ」
「奥様ありがとう存じます」
「妾がお前を贔屓にするのも、お前の縹緻がよいからだよ」
「奥様、お礼を申し上げます」
「それにお前は気も利いているよ」
「はい奥様、ありがたいことで」
「それに妾に忠実だよ」
「はいはいさようでござりますとも。私は奥様のお旨とならば、火の中であろうと水の中であろうと、飛び込んで行く意(つもり)でござります」
「そうだよそうだよそういう性質だよ。だから贔屓にしてやるのだよ。でもそれは本当かしら? 妾がどのような無理を云っても、お前は聞いてくれるかしら?」
「聞きます段ではございません。きっと、きっと、きっと聞きます」
「それではお前をためす意で、少し無理なことを云いつけようかしら」
 そこは松倉屋の女房の部屋で豪奢な調度で飾られていた。
 その部屋に坐って話し合っているのは、女房のお菊と気に入りの手代の、二十歳(はたち)になる京助とであった。

お菊と京助

「それではお前を験(ため)すつもりで、少し無理なことを云いつけようかしら」
 こう云いながら立ち上ったのは、松倉屋の女房のお菊であった。濃い眉毛に大きな眼に――その眼はいつも潤(うるお)っていて、男の心をそそるような、艶(なまめ)きと媚びとを持っていた。――高慢らしい高い鼻に、軽薄らしい薄手の唇に――しかしそういう唇は、男の好色心を強く誘(いざな)って、接吻(くちづけ)を願わせるものである。――お菊の顔は美しかった。と云ってどこにも一点として、精神的のところはなくて、徹頭徹尾肉感的であった。
 で、立ち上った立ち姿などにも、そういう肉感的のところがあった。発達した四肢、脂肪づいた体――乳房などは恐ろしく大きいのであろう、帯の上が円々(まるまる)と膨らんでいて、つい手を触れたくなりそうである。女の肉体は肩と頸足(えりあし)と、腰と脛(はぎ)との形によって、艶っぽくもなれば野暮ったくもなる。お菊の肩は低く垂れていて、腕が今にも脱けそうであった。頸足の白さと長さとは雌蕊(しずい)を思わせるものがある。胴から腰への蜒(うね)り具合と来ては、ねばっこくてなだらかでS字形をしていて、爬虫類などの蜒り具合を、ともすると想わせるものがあった、で、どのような真面目な男でも、その腰の形を見せつけられたならば、溜息を吐かざるを得なくなるだろう。
 はたしてキチンと膝を揃えて、敷き物も敷かずにかしこまっていた、手代の京助は悩ましそうに、こっそりと一つ溜息をしたが、周章(あわて)て視線を腰から外(そ)らせた。と、京助は一層に悩ましい、溜息を吐かなければならないことになった。と云うのは立ち上った女房のお菊が、隣の部屋へ行こうとして、サラサラと足を運んだ時に、緋縮緬を纏った滑石(なめいし)のような脛が、裾からこぼれて見えたからである。
「ホー」とそこで溜息をしたが、京助は思わず手を上げた。苦しいほどにも蠱惑(こわく)的の物を、うっかりと見た自分自身の眼を、急いで抑えようとしたのであった。が、中途で心が変わったのか、上げた手で忙(せわ)しくぼんのくぼを撫でた。汗が流れていたからである。
 しかし京助は幸福なのであった。
(何てお美しい奥様なのだろう。私は何よりも美しいものが好きだ。お本店(みせ)へ務(つと)めて荷作りをしたり、物を持ってお顧客(とくい)様へお使いをしたり、番頭さんに睨まれたり、丁稚(でっち)に綽名を付けられたり、お三どんに意地悪くあたられることは、どうにも私の嗜好(このみ)に合わない。お美しい奥様のお傍に仕えて、何くれとなくお世話をして、「京助や、この衣裳はどう?」「よくお似合いでござります」「京助や、この櫛はどう?」「まことにお立派でござります」「京助や、今日の髪はどう?」「お綺麗なお髪(ぐし)にござります」「京助や、下駄をお出し」「はい、揃えましてござります」「京助や、供をしておいで」「お供いたすでござりましょう」――などと何くれとなくお世話をするのが、私には大変好もしい。お蔭で指は細くもなり、滑らかにもなり白くもなった。節立った指などというものはどうにも私の嗜好に合わない)
 その京助という若い手代は、どういう性質の男なのであろう?
 決して悪人でないばかりか、正直で忠実で働き好きで、そうして綺麗好きの若者であった。ただ小心だということと、腕力のないということと、男性よりも女性を好んで、男性に対すると無口になるが、女性に対するとお喋舌(しゃべ)りになって、活き活きとしてくるという、そういう欠点があるばかりであった。
 で、自然と松倉屋の主人の、勘右衛門に対しては不機嫌となるが、勘右衛門の女房のお菊に対すると、よきお小姓となるのであった。
 ところで最近に京助にとって、面白くないことが起こってきた。
 旗本の次男の杉次郎という武士が、女王様のように崇拝(すうはい)をしている、奥様の心をたぶらかして、奥様の心を引っ張り寄せて、愛人としての位置を掴んだかのように、京助に感じられたことであった。
(あの杉次郎という若侍は、どうやら奥様を甘言(かんげん)でまるめて、お金や物品(もの)を持ち出すらしい)
 これが京助には面白くなかった。
(それに奥様のお兄様だとかいう破落戸(ごろつき)のような風儀(ふう)の悪い、弁太とかいう男が出入りをしては、ずっと以前から、奥様の手から、いろいろの無心をしたようだが、この頃では一層に烈しくなったようだ)
 これも京助には面白くなかった。
(どのように奥様にお金があっても、ご自分には財産はないはずだ。旦那様からのお手当でお暮らしなすっておられるはずだ。その旦那様だがこの頃になって、奥様のふしだらに感付かれたものか、昔よりもお手当を減らしたらしい。……で、奥様はご不如意らしい)
 これも京助には心配であった。
 京助は部屋を見廻して見た。
 床の間に香炉が置いてあったが、いつもの香炉とは違うようであった。安物のように思われる。掛けてある掛け物も違うようであった。安物のように思われる。桃山時代の名手によって、描かれたとかいう六枚折りの屏風(びょうぶ)が、いつもは部屋に立てられてあったが、今は姿が見られなかった。異国製だとかいうビードロ細工の、旦那の自慢の燈籠があって、庭裏に向いた高い鴨居から、いつもキラビヤカに下っていたが、今はそれさえ見られなかった。
(そう云えば奥様の髪飾りなども、金目の物から一つ一つ、いつの間にか行衛が知れなくなった)
 部屋の中をジロジロ見廻していた京助の優しい心配らしい眼が、自分の膝の上へ落ちた時に、また京助は溜息を洩らした。
(一体奥様という人は、奥様らしくないお方だ。お妾(めかけ)さんのようなところがある。でもそれは奥様がお悪いのではなくて、旦那様のやり口がお悪いからだ。本宅の方へ奥様を入れて、内所向きのことを一切合財、奥様にお任せしようとはせずに、本宅の方は古くからいる先の奥様の時代からの、年老(としより)の頑固のしみったれの、女中頭に切り盛りさせて、今度の奥様には手もつけさせない。こんな所へ寮を建てて、そこへ奥様を住まわせて、あてがい扶持(ぶち)をくれて飼って置かれる。……だから奥様にしてからが、お心が面白くないはずだ。で、ふしだらをなされたり、無駄使いなどをなされるのだ。……それにしてもこのようにお道具類が、眼に見えてなくなってしまっては、旦那様だとて不思議に思われて、何とか苦情を仰言(おっしゃ)られるだろう。……でも奥様なら大丈夫かもしれない。あのお美しいお顔で笑って、あのお上手な口前で喋舌って、丸めておしまいなさるだろう)
 こう思うと京助は嬉しくなった。
(奥様はお偉い奥様はお偉い。それに旦那様は、疑がいながらも、奥様のお美しさには参っておられる)
 で、京助は安心をして、今度は部屋の中を長閑(のどか)そうに見た。
 と、その京助の眼の前の襖(ふすま)が、向こう側の方からあけられて、さっき隣りの部屋へ入って行ったお菊が、手に小さな包物(つつみ)を持って、忍ぶようにこっちの部屋へ入って来たが、四辺(あたり)に気でも配るように、オドツイた眼で部屋を見廻すと、京助の前にベタリと坐った。
「京助や」と云ったが嗄(しわ)がれた声であった。
「これをね、急いで持って行っておくれ。ここにね」と云うと書面を出した。
「行き先の番地が書いてあるよ。で、すぐさま行っておくれ。途中で誰が何と云おうと、よしんば誰が止めようと、決してこれを渡したり、引っ返して来てはいけないよ。書面をお取り、包物をお取り! 急いで急いで急いでおいで」
「はい奥様」と手代の京助は、書面と包物とを受け取りはしたが、お菊の顔付きに不安なものがあって、その言葉つきにあわただしさがあって、全体に何となく不吉なものを、感じさせるものがあったので、飛び出して行く気にならなかった。
 しかしお菊が怒ったような声で、こう続けさまに云ったので、京助は不安ながらも部屋を出た。
「云うことをお聞き! 行っておいで! お前は妾に云ったじゃアないか、どのような無理でも難題でも聞くと。……何でもありゃアしないのだよ。持って行って返辞を聞くだけだよ。そうそう何かを渡すかもしれない。大切に持って帰っておいで。……妾の云い付けを聞かなかろうものなら、お前は明日(あした)からお払い箱だよ」
 ――お前は明日からお払い箱だよ――この言葉ほど京助にとって、恐ろしい言葉はないのであった。
 で、あわただしく部屋を出た。
 が、すぐに邪魔がはいった。
 門口を出て庭へ出て、門から往来へ駆け出そうとして、束(たば)になって咲いている木芙蓉の花の叢(くさむら)の側(そば)まで走って来た時に、
「京助!」と呼ぶ声が近くで聞こえて、
「これ、どこへいく? 持っている物は何だ!」と、続いて呼ぶ声が聞こえたからである。
 で、京助は声の来た方を見た。
 盆のようにも大きな顔には、鈎(かぎ)のような鼻が盛り上っているし、牛のようにも太い頸筋には静脈が紐のように蜒(うね)っている、半白ではあったがたっぷりとある髪を、太々しく髷に取り上げている、年の格好は六十前後であったが、血色がよくて肥えていて、皮膚に弛みがないところから五十歳ぐらいにしか思われない。松倉屋の主人(あるじ)の勘右衛門であった。勘右衛門がそう云って呼び止めたのであった。
 と、見て取った手代の京助は、不機嫌らしい顔をしたが、不精々々に挨拶をした。
「へい、これは旦那様で。ちょっと出かけて参ります」
 で、手に持った包み物を、胸へ大事そうに抱くようにしたが、云いすてて門の方へ行こうとした。

邪魔がはいる

「お待ち」と勘右衛門は迂散(うさん)くさそうに云った。
「何だ何だ持っている物は?」
 すると京助は首を振るようにしたが、
「さあ何でありましょうやら、とんと私は存じません」
「で、どこへ持って行くのだ」
 いかにも昔は抜け荷買いなどを、お上(かみ)の眼を盗んでやったらしい、鋭い、光の強い、兇暴らしい、不気味な巨眼で食い付くように、勘右衛門は京助が胸へ抱いている小さな包物(つつみ)を見詰めたが、
「ちょっとそいつを見せてくれ」と近寄りながら、手を延ばした。
 が、京助はうべなおうとはしない。後ろへ二三歩さがったかと思うと、
「奥様からのご依頼の品で……持って参らなければなりません。大変お大事の品物のようで。……で、たとえ旦那様でも、奥様のお許しの出ないうちは、お眼にかけることは出来ません」
 奥様の忠実なお小姓として、自ら任じている京助としては、こう云うより他はなかったようであった。
 そうして京助の直感力からすれば、どうやら持っているこの包物は、奥様にとっては秘密な品で、旦那様のお眼にかけることを、欲していないもののように思われた。
(とにかく急いで出かけなければいけない)
 で、京助は駆け出そうとした。
 と、松倉屋勘右衛門であるが、いよいよ迂散くさく思ったものと見えて、京助の行く手へ素早く廻ると、両手を大きく左右へひろげた。
「奥の品物なら俺の品物だ! 見せないということがあるものか! ……どうも大きさがあれに似ている。さあさあ見せろ! 俺へ渡せ! 何だ貴様は手代ではないか! お前にとっては俺は主人だ! 主人の云い付けなら聞かなければなるまい! どうしても見せないと云うのなら、俺が腕ずくで取ってみせる!」
 で、包物を両手で握った。
「旦那様、いけませんいけません!」
 取られてたまるかというように、京助は、包物を益々しっかりと、両手で、胸へ抱きしめたが、
「泥棒! 泥棒!」と声を上げた。
 胆を潰したのは勘右衛門であって、呆れたように眼を見張ったが、すぐに激怒に駆り立てられたらしい。
「泥棒だと□ 馬鹿者め! 何をほざくか! 奥の品物を見ようとするのだ! 奥の品物なら俺の物! 取って見たとて何が泥棒だ! ……ははあいよいよ怪しいわい! そうまでして俺に見せまいとする! そうだてっきりあの品物だ! これよこせ! これ見せろ! ……昨夜(ゆうべ)も昨夜だ、深夜に帰って来て、俺の言葉をごまかしてしまって、あるともないとも品物について、ハッキリした返事をしなかった。……で、今日は昼からやって来たのだ。……と、どうだろう手代をけしかけて、あいつをどこかへ持たせてやろうとする。……もう女房とは思わない! 俺を破滅へ落とし入れる、恐ろしい憎い悪党女(あま)だ! ……この京助めが、手前も手前だ! あくまでも拒むとは途方もない奴だ! よこせ! 馬鹿めが! こうしてやろう!」
 突然パンパンという音がして、すぐに続いて悲鳴が起こった。
 勘右衛門が平手で京助の頬を、二つがところ食らわせて置いて、包物をグイと引ったくったため、京助が悲鳴を上げたのである。
 こうして、松倉屋勘右衛門は、包物を手中には入れたけれど、持ちつづけることは出来なかった。
 いつの間にどこから来たのであろうか、一見して放蕩(ほうとう)で無頼に見える、三十がらみの大男が、勘右衛門の側(そば)に突っ立ったが、顔立ちがお菊とよく似ていて、好男子であることには疑がいがなかった。左の眼の白味に星が入っていて、黒味へかかろうとしているのが、人相をいやらしいものにしている。濃い頬髯を剃ったばかりと見えて、その辺りが緑青(ろくしょう)でも塗ったようであった。
 お菊の兄の弁太なのであった。
 その弁太が右手(めて)を上げたかと思うと、ポンと勘右衛門の小手を打った。
 不意に打たれたことである。勘右衛門が持っていた包物を、取り落としたのは当然と云えよう。
「おい」と弁太が声をかけた。
「おい京助さんそいつを拾って、早く行く所へ行くがいいよ」
 それから勘右衛門へ眼をやったが、ニヤニヤ笑うと揉み手をした。
「妹に話がございましてね、参上したのでございますよ。……旦那、やり口があくどいようで。妹にだって用事はありましょうよ。その、私用という奴がね。……何の包物だか存じませんが、何か妹に思わくがあって、どこかへやろうとしていますようで。――へい、来かかって小耳へ挿んだので。……いくら旦那でもそんなことへまで、干渉なすっちゃアいけませんな。……おい、京助さん、早くお行き! ハッ、ハッ、ハッ、行ってしまったか」
 小気味よさそうに声を上げて笑った。
 勘右衛門が怒ったのは当然と云えよう。さも憎さげに弁太を睨(にら)んだが、
「うむ、お前さんは弁太殿か、妹をいたぶりに参られたと見える。……妹とは云ってもわしの女房だ、そうそういたぶって貰いますまいよ。……が、そんなことはどうでもよい! 何故今わしの邪魔をされた! 返辞をおし! ……と、今になって云ったところで、こいつどうにもなりそうもない! ……京助々々包物をよこせ! ……おや京助め行ってしまったか! ……待て待て待て、遁してたまるか!」
 で、弁太を背後(うしろ)へ見すてて、勘右衛門は門の外へ走り出したが、もうこの頃には手代の京助は、町の通りを足早に、先へ先へと走っていた。
 京助は往来(とおり)を走っている。
(弁太という男は大嫌いだが、今日はにわかに好きになった。俺を助けてくれたのだからな。あの男が加勢してくれなかろうものなら、奥様からの預かり物を、すんでに旦那に取られるところだった。よかったよかった本当によかった。……それにしても一体包物の中には、何が入っているのだろう。奥様は奥様であんなにも真剣に、「途中で誰が何と云おうと、よしんば誰が止めようと、決してこれを渡したり引っ返して来てはいけない」と云われた。先方へ渡せと仰せられた。旦那は旦那で怖い顔をして、是非によこせと云って取ろうとした。大切な物には相違ない。何だか中身が見たくなった。ちょっと包物をひらいて見ようか)
(いや!)とすぐに思い返した。
(それこそ不忠実というものだ。何であろうと彼であろうと、俺に関係はないはずだ。俺の役目は一つだけだ。書面に書かれてある宛名の人へ、包物を直接に手渡して、返事と一緒に下さる物を、奥様へ持って帰ればいいのだ。……おッ、何だ、おかしくもない! まだ届け先を見なかったっけ)
 京助は懐中(ふところ)へ手を差し込んで、仕舞って置いた書面を引き出した。
 根津仏町勘解由店(かげゆだな)、刑部(おさかべ)殿参る――
 こう宛名が記されてある。
「なるほど」と京助は声を洩らしたが、
(ははあそうか、根津なのか。よしよし根津へ行ってやろう。……ところでここはどこなのかしら?)
 で、四辺(あたり)を見廻して見た。
(おやおやここは蝋燭(ろうそく)町らしい)
 夢中で小走って来たがために、神田の区域の蝋燭町という、根津とはまるっきり反対の方へ、京助は来たことに感付いた。
(いけないいけない引っ返してやろう)
 で、きびすをクルリと返すと、根津の方へ歩き出した。
 永い夏の日も暮れかけていて、夕日が町の片側の、駄菓子屋だの荒物屋だの八百屋だのの、店先をカッと明るめていた。妙にひっそりとした往来(まちどおり)であって、歩いている人影もまばらである。赤児の泣き声が聞こえてきたり、犬の吠え声が聞こえてきたりしたが、それさえ貧しげな町の通りを、寂しくするに役立つだけであった。
(ここから根津へ行こうとするには、どう道順を取ったらよかろう? ……雉子(きじ)町へ出て、駿河台へ出て、橋を渡って松住町へ出て、神田神社から湯島神社へ抜けて、それから上野の裾を巡って、根津へ行くのがよさそうだ。どれ)
 と、云うので足を早めた。
 しかし半町とは歩かない中に、京助は仰天して足を止めた。
 怒気に充ちた顔を夕日に赭(あか)らめ、膏汗(あぶらあせ)の額をテラテラ光らせ、見得も外聞もないというように、衣裳の胸や裾を崩して、こちらへ走って来る勘右衛門の姿が、忽然と眼の前へ現われたからであった。
「京助!」と、勘右衛門は呻(うめ)くように云った。

旗本の次男杉次郎

 そう勘右衛門は呻くように云って、やにわに京助へむしゃぶり付くと、京助の持っている包物(つつみ)を、奪い取ろうと手をかけた。
 その勢いは凄じいほどで、京助の持っている包物の価値が、どんなに大きいかということを、証拠立てるに足るものがあった。
 しかし勘右衛門は老年ではあるし脂肪太りに太ってはいるし、その上に走って来たためか、その息使いは波のように荒くて胸の鼓動も高かった。今にも仆れそうな様子なのである。
 そうしてそのようにも苦しいのに、その苦しさを犠牲にして、どうでも包物を取り返そうとして、身もだえをするありさまと来ては、むしろ悲壮なものがあって、そうしていよいよ包物の価値の、偉大であるということを、証拠立てるに足るものがあった。
「よこせよこせ包物をよこせ! いやお願いだ返してくれ。怒りはしない、頼むのだ! どうぞどうぞ返してくれ!」
 ――で、無二無三に引ったくろうとする。
「私こそお願いいたします、どうぞ[#「どうぞ」は底本では「そうぞ」]旦那様お許しなすって! 包物はお渡しいたしません。奥様のお云い付けでございますもの。……持って参らなければなりません! はい、奥様のお云い付けの所へ!」
 京助は京助でこう喚(わめ)きながら、胸に抱いている包物を、どうともして取られまい取られまいとして、勘右衛門と捻じ合いひしめき合うのであった。
 京助としては当然と云えよう。
 こんなように京助には思ったのであるから。――
(こうも旦那が執念深く、奪い返そうとしているからには、小さいけれど包物の中には、素晴らしく大切な値打ちのある物が、入っているに相違ない。そうしてそれは奥様にとっては、一大事な物に相違ない。ひょっとかすると秘密の物かもしれない。もしも旦那に取り返されようものなら、奥様は絶望をして病気になって、京助や京助やとご機嫌よく、私を呼んでくださらないかもしれない。で、どのように頑張っても、旦那に包物は渡されない)
 ――で、喚きを上げながら、勘右衛門と捻じ合いひしめき合うのであった。
 いかにひっそりとした町とは云っても、大家の旦那とも思われる、非常に立派な老人と、大店の手代とも思われる、綺麗なお洒落の若い男とが、衣紋を崩して喚き声を上げて、往来(みち)の中央(まんなか)で人目も恥じないで、一つの包物を取ろう取られまいと、捻じ合いひしめき合っているのであるから、往来(ゆきき)の人達は足を止め、店から小僧や下女や子供や、娘やお神(かみ)さんや主人までが、飛び出して来て眺めやった。
 が、勘右衛門も京助も、そのようなことには感付かないかして、いつまでも捻じ合いひしめき合うのであった。
 その結果はどうなったであろうか?
 二人の争いを見守りながら、二人をグルリと取り巻いている、町の人達の間を分けて、痩せぎすで長身(せたか)くて色が白くて、月代(さかやき)が青くて冴え冴えとしていて、眼に云われぬ愛嬌があって、延びやかに高くて端麗な鼻梁に、一つの黒子(ほくろ)を特色的に付けて、黒絽の単衣(ひとえ)を着流しに着て、白献上の帯をしめて、細身の蝋鞘(ろうざや)の大小を、少しく自堕落に落とし目に差して、小紋の足袋(たび)に雪駄(せった)を突っかけた、歌舞伎役者とでも云いたいような、二十歳(はたち)前後の若い武士が、勘右衛門と京助とへ近寄って来たが、――そして真ん中へヌッと立ったが、
「これは松倉屋のご主人で、京助などという手代風情と、このような道の真ん中などで、何をなされておいでなさる。みっとものうござる、みっとものうござる……。京助々々何ということだ。ご主人様と争うなどと! ……え、そうか、ふうん、なるほど、ご内儀の云い付けでその包物を、どこかへお届けしようというのか。ではサッサと行くがよい。行け行け行け、かまわない。……ハッハッハッ、勘右衛門殿、はしたないではござりませぬか。いかさまお菊殿はあなたにとっては、自由(まま)になるご内儀でござりましょう。が、しかしご内儀のお菊殿から云えば、自分一人だけの勝手の用事も、自らあろうというもので。そこまで掣肘(せいちゅう)をなさるのは、少しく横暴でござりますよ」
 ――と、このように云うことによって、京助を勘右衛門から立ち去らせ、怒って焦燥して執念深く、尚も京助を追いかけようとする、勘右衛門を抑えて動かさなかった。――で、事件は解決された。
 が、この武士は何者なのであろうか?
 旗本の次男の杉次郎なのであった。

 根津仏町勘解由店(かげゆだな)の、一軒の家の階下の部屋で、話し合っている武士があった。
「アラの神は讃(たた)うべきかなさ」
 こう云ったのは老いたる武士であった。
「もっと讃うべきものが厶(ござる)」
 中年の武士が皮肉そうに云った。
「さようさようアラの神よりも、もっと讃うべきものが厶。が、そいつは残念にも、容易に手には入らないようで」
「そこでいよいよ欲しくなります」
「で、貴殿にはここへ出張られて、狙いを付けておられるので」
「さよう、貴所(きしょ)様と同じようにな」
「誰が最初に手に入れるやら。まず愚老でござろうな」
「はてね、少しあぶないもので。某(やつがれ)が勝つでござりましょうよ」
「愚老の方が眼が高い」
「が、某といたしましては、彼の故国を知っております」
「ほほう。亜剌比亜(アラビア)をご存知なので」
「いかにも某存じております」
「ふうむ」と老武士は呻き声を上げたが、すぐに、そいつを引っ込ませると、別のことを云い出した。
「愚老の方が財力がある」
 すぐに中年の武士が答えた。
「健康はいかがで健康はいかがで? 某の方が健康で厶」
「が、愚老には権勢がある」
「某にも権勢はござりますよ」
「どのような種類の権勢やら」
「命知らずの部下がおります」
「浪人であろう。食い詰め者であろう」
「もっともっとあくどい奴らで」
「ほほうさようか、何者かな?」
「放火(つけび)、殺人(ひとごろし)、誘拐(かどわかし)、詐欺――と云ったような荒っぽいことを、日常茶飯事といたしている、極めて善良な正直者たちで」
「なるほど」と老武士は苦笑いをしたが、
「愚老の背後(うしろ)楯は少しく違う。大名衆や旗本衆で」
「大名衆や旗本衆?」
 中年の武士は迂散くさそうに、老年の武士の顔を見たが、
「失礼ながらご老人には、いかようなご身分でありますかな?」
 少し慇懃(いんぎん)にこのように訊ねた。
「よろしかったらご姓名なども、承りたいものでござりますな」
 すると老武士は顎を撫でるようにしたが、
「そう云われる貴殿の素性と姓名とが、愚老には聞きたく思われますよ」
「拙者は醍醐弦四郎と申して、浪人者でござります」
「愚老は雲州の隠居だよ」
「…………」
 醍醐弦四郎は仰天して、改めてつくづくと老武士を見たが、
「それでは松平碩寿翁(せきじゅおう)様で。……が、それにしてはこのような醜悪極まる勘解由店の、刑部(おさかべ)屋敷などへおいでなさるとは、心得ぬ儀にござりますな」
 ――で、碩寿翁の返辞を待った。
 それにしても勘解由店の刑部屋敷とは、どういう性質の屋敷なのであろうか?

勘解由と刑部?

「根津仏町に祈祷者住む、カアバ勘解由と云う。祈祷して曰く、『最も慈悲深き神よ、全智全能の神よ、死後まで祈祷すべし、尚神に願うべきことあり、正直に導けよ、邪道に導くなかれ』また曰く『告白せよ、神は唯一なり、信ぜよ、神は産れず、産ず、神と比較すべきもの何らあることなし』と。――吉利支丹(キリシタン)には非ず。有司放任す。信者数多(あまた)あり、いずれも謙遜」云々。
 古い文献に記してある。
 で、その信者達が住んでいたので、勘解由店と云ったのである。数十軒かたまっていたらしい。
 その一軒に刑部という男が、やはり信者として住んでいたが、カアバ勘解由と親交があり、最も信任されていた。が、刑部には商売があって、単なる信者ではなかったそうである。商売というのは古物商で、特に異国の珍器などを、蒐集していたということである。で、好奇(こうず)の富豪連や、大名などが手を廻して、取り引きをしたということである。
 以上は将軍家光時代、寛永年間のことなのであるが、それから数十年の時が経って、享保十五年になった時には、多少趣が変わっていた。
 すなわち代々勘解由という名をもって、男性ばかりが継いで来た家が、この代になって女性となり、信者が目立って減って来て、その代わりにただの市民達が、勘解由店へ続々移り住み、普通の貧しい部落となったことが、その一つの変化であり、勘解由家の後を継いだ千賀子という女が、勘解由家代々の主人のように、権力を持っていないばかりか、肝心の実家へもろくろく住まず、江戸の市中や地方などへ出て、人相だの家相だの身の上判断だのと、そういったような貧弱な業に、専心たずさわっているところから、家がほとんど没落してしまった。――と云うのも変化の一つといえよう。しかしある人の噂(うわさ)によれば、千賀子の代になってからであるが、二人の非常に有力の信者が、女性である千賀子を裏切って、勘解由家にとって重大な何かを、横領をしてしまったので、それで千賀子は落胆をして、そんな変なものになったのだとも云われ、いやいやそれだから千賀子という女は、奪われた何かを奪い返そうとして、放浪的生活をしているのだと、そんなようにも云われていた。
 ところで一方刑部(おさかべ)家の方には、どういう変化があったかというに、これは勘解由家とは反対に、昔よりも一層に盛んになって、江戸における特殊の古物商として、認められるようになっていた。
 と、こんなように説明して来れば、何か初代の勘解由という男が、偉大な宗祖のように見えるが、大したものではなかったらしい。カアバというこの文字から推察すれば、回教には因縁があったようである。と云うのはカアバというこの文字の意味は、亜剌比亜(アラビア)のメッカ市に存在する、回教の殿堂の名なのであるから。そういえば祈祷の文句にある、神は唯一なりというこの言葉なども、回教の教典(コーラン)の中にある。
 家光将軍の時代といえば、吉利支丹迫害の全盛時代で、吉利支丹信者は迫害したが、その他の宗教に対しては、政策として保護を加えた。で勘解由という人物であるが、長崎あたりにゴロツイていて、何かの拍子に回教の教理の、ほんの一端を知ったところから、江戸へ出て来て布教したのであろう。大して勢力もなかったので、有司もうっちゃって置いたのであろう。
 刑部という男にしてからが、同じ頃に長崎にゴロツイていて、いろいろの国の紅毛人と交わり、異国の安っぽい器具(うつわもの)などを、安い値でたくさん仕入れて来て、これも長崎で知り合いになった、勘解由という男と結托して、大袈裟に宣伝して売っただけなのであろう。
 さてまずそれはそれとして、人間という者は出世をすれば、自分へ箔を付けようとして、勿体(もったい)をつけるものであるが、刑部といえどもそうであった。第一にめったに人に逢わず、第二に諸家様から招かれても、容易なことには出て行かず、物を買ったり売ったりする時にも、お世辞らしいことは云わなかった。しかし一体に古物商には、変人奇人があるものであるから、刑部のそうした勿体ぶった様子は、あるいは加工的の勿体ぶりではなくて、本質的のものなのかもしれない。
 が、とりわけ勿体的であり、また変奇的であるものといえば、刑部の家の構造であろう。いやいや家の構造というより、古道具類を置き並べてある、――現代の言葉で云ったならば――蒐集室の構造であろう。
 しかし、それとても昭和の人間の、科学的の眼から見る時には、別に変奇なものではなかった。窓々に硝子(ガラス)が篏めてあって、採光が巧妙に出来ている。四方の壁には棚があったが、それが無数に仕切られていて、一つ一つの区画の面(おもて)に、同じく硝子が篏め込まれてあり、その中に置かれてある古道具類を、硝子越しに仔細に見ることが出来た。部屋の板敷きには幾個(いくつ)も幾個も、脚高の台が置かれてあったが、その台の上にも硝子を篏めたところの、無数の木箱が置かれてあって、中に入れてある古道具類を、硝子越しに見ることが出来た。
 構造と云ってもこれだけなのであった。
 しかし日本のこの時代においては、硝子というものが尊く珍らしく、容易に入手することが出来ない。その硝子を無数に使っているのである。変にも奇にも見えたことであろう。その上に壁の合間などに、波斯(ペルシャ)織りだの亜剌比亜(アラビア)織りだのの、高価らしい華麗な壁掛けなどが、現代の眼から見る時には、ペンキ画ぐらいしかの値打(かち)しかない――しかし享保の昔にあっては、谷(きわ)めて高雅に思われるところの、油絵の金縁の額などと一緒に、物々しくかけられてあるのであるから、見る人の眼を奪うには足りた。のみならず高い天井などからは、瓔珞(ようらく)を垂らした南京龕(ナンキンずし)などが、これも物々しく下げられてあるので、見る人の眼を奪うには足りた。で、日中であろうものなら、硝子窓から射して来る日光(ひかり)が、蒐集棚の硝子にあたり、蒐集木箱の硝子にあたり、五彩の虹のような光を放ち、それらの奥所(おくど)に置かれてあるところの、古い異国の神像や、耳環や木乃伊(ミイラ)や椰子の実や、土耳古(トルコ)製らしい偃月刀(えんげつとう)や、亜剌比亜人の巻くターバンの片(きれ)や、中身のなくなっている酒の瓶や、刺繍した靴や木彫りの面や、紅、青、紫の宝玉類を、異様に美々しく装飾し、もしそれが夜であろうものなら、南京龕に燈(とも)された火が、やはり硝子や異国の器具類を、これは神秘的に色彩るのであった。
 しかしこれらの部屋の構造も、そこに置かれてある異国の古道具も、今日の眼から見る時には、安物でなければ贋物なのであって、誠に価値のある物といえば、皆無と云ってもよいほどであった。いやもっと率直に云えば、享保年間のその時代においても、少し利口な人間であり、長崎などと往来し、紅毛人などと親しくし、多少商才のある人間であったから、こういう部屋の構造や、こういう異国の古道具などは、造ることも出来れば蒐(あつ)めることも出来、したがって高価に売りつけることも、苦心もせずに出来るのであった。だがもしそれが反対となって、異国の事情を知らない者などが、この部屋へ入って来ようものなら、何から何までが怪奇に見え、高雅に見えることであろう。
 とまれこういう部屋を持った、刑部屋敷という一軒の家(うち)が、その左隣りに没落をして、廃墟めいた姿をさらしている、勘解由千賀子の屋敷を持ち、周囲に貧民の家々を持って、かなり豪奢に立っているのであった。
 ところで当主の刑部という男は、そもそもどんな人物なのであろう。
 年は六十で痩せていて、狡猾尊大な風貌をしていて、道服めいた着物を着ていて、手に払子(ほっす)めいたたたきを持ち、絶えず口の中で何かを呟き、隙のない眼でジロジロ見廻す。――と云ったような人物であった。
 しかし刑部はめったのことには、蒐集室へは現われなかった。いつも奥の部屋にいるのであった。とはいえ見張ってはいるものと見えて、いかがわしい客などが入り込んで来ると、扉をあけてチョロチョロと入って来て、払子を揮って追い出したりした。
 宝石や貴金属の鑑定には、名人だという噂があり、贓品(ぞうひん)などをも秘密に買って、秘密に売るという噂もあった。で、大家の若旦那とか、ないしは富豪の妻妾などが、こっそり金の用途があって、まとまった金の欲しい時には、そうした宝石や貴金属を、ひそかにここへ持ち込んで来て、買い取って貰うということである。と、それとは反対に、掘り出し物の宝玉とか、貴金属などの欲しい者は、これはおおっぴらにここへ来て、蒐集室で探したり、直接刑部にぶつかったりして、手中に入れると噂されてもいた。
 松平碩寿翁と醍醐弦四郎とが、この日蒐集室へ集まって、互いに相手を探るような話を、さっきから曖昧に取りかわせていたのも、宝石かないしは貴金属か、掘り出し物をしようとして、苦心している結果とみなすことが出来る。

曖昧な会話

「それでは松平碩寿翁様で。……が、それにしてはこのような、醜悪極まる勘解由店(かげゆだな)の、刑部(おさかべ)屋敷などへおいでなさるとは、心得ぬ儀にござりますな」
 こう云って醍醐弦四郎は、碩寿翁の返辞をしばらく待った。
 何と碩寿翁は答えるであろうか?
 答えは極めて簡単であった。
「私はな、珍器や古器物が好きだ。世間周知のことではないか、何の勘解由店の刑部屋敷が、醜悪極まる処であろう。すくなくも私(わし)にはよい所だ。ここへ来て探すと珍らしい物が、ヒョッコリヒョッコリと手に入るからの。……それはそうとお手前におかれても、身分ある立派なお武家らしいが、お手前こそ何の用事があって、このような処へ参られたかの? と訊(たず)ねるのが本当ではあるが、ナーニ私は訊ねないよ。ちゃんと解っているからさ。掘り出し物がしたいからであろう。ここへ来るほどの人間は、一人残らず誰も彼もそうさ。アッハッハッ、図星だろうがな。ところでどういう掘り出し物を、お手前は望んでおられるやら? 実はな、私はそいつが聞きたい。が、押しては訊ねない、と云うのは推量がついているからよ。お手前の今の話によって、推量を私はつけたのだ。……亜剌比亜(アラビア)から渡って来た何かであろう。ここで率直に云うことにする。私もな、同じ物を探しているのだ」
 戸外(そと)は夜で暗かったが、部屋の中は燈火で明るかった。一つの卓を前にして、その向こう側へ醍醐弦四郎を置いて、眼光の鋭い巨大な鷲鼻の、老将軍のような碩寿翁が、胡麻塩の頤髯を悠々と撫(ぶ)し、威厳のある声音(こわね)で急所々々を、ピタピタ抑えてまくし立てた様子は、爽快と云ってよいほどであった。
 向かい合っている醍醐弦四郎も、一種剛強の人物らしく、太い眉に釣り上った眼、むっと結んだ厚手の唇、鉄のように張った胸板など、堂々とした風采ではあったが、碩寿翁にかかっては及ぶべくもないのか、たじろいだような格好に、卓から一二歩後ろへ離れた。
 しばらくの間は無言である。
 で、部屋の中は静かであって、南京龕(ナンキンずし)から射して来る光に、蒐集棚の硝子(ガラス)が光り、蒐集箱の硝子が光り、額の金縁が光って見えた。部屋の片隅に等身ほどもある、梵天(ぼんてん)めいた胴の立像があったが、その眼へ篏められてある二つの宝玉が、焔のような深紅(しんく)に輝いていた。紅玉などであろうかもしれない。
(相手が松平の大隠居とあっては、俺に勝ち目があるはずがない。のみならず俺の探している物を、碩寿翁も探しているという、困った敵が現われたものだ)
 碩寿翁と眼と眼とを見合わせながら、弦四郎は思わざるを得なかった。
(さてこれからどうしたものだ)
(何とかバツを合わせて置いて、器用にこの部屋を退散しよう。それにさ俺は何をおいても、伊十郎めに逢わなければならない)
 そこで弦四郎はお辞儀をした。
「これは恐縮に存じます。いや、お言葉にはございますが、何の私めがご前様と同じに、亜剌比亜(アラビア)から渡った何かなどを、探しなどいたしておりましょうぞ。先刻申し上げました話なども、ほんの出鱈目なのでござります。遠い異国の亜剌比亜のことなど、存じておるわけはござりませぬ。……さあこの屋敷へ参りましたのも、偶然からにござります。珍らしい器類を置き並べてあると、江戸で名高うございますので、一度は見ようと存じまして、本日門口(かどぐち)を通りましたので、立ち寄ったまでにございます。……まことに珍器、まことに異品、このように取り揃えてありましょうとは、思いも及ばないでおりましたので、驚かされましてござります。が、私めにとりましては、ご高名の松平碩寿翁様に、このように親しくお目にかかり、このように気安くお話をし、謦咳(けいがい)に接しましたそのことの方が、実は一層に珍らしくも、有難くも想われるのでござります。で、なにとぞこれをご縁に、今後はお引き立てにあずかりたく……ええ私めの素性と申せば……ハッハッハッとんでもない儀で、浪人者の私などに、何の素性などござりますものか。……よしまた素性がありましたところで、お耳に入れて徳もなく、聞かれるあなた様におかれましても、面白くもおかしくもござりますまい。そこで……」と云って来たが醍醐弦四郎は、自分が頓馬(とんま)に思われて来た。
(まるで辻褄が合わないじゃアないか。鼻の頭へ汗を掻いて、俺は一体何を云ってるのだ)
 で、また一つお辞儀をしたが、
「お別れいたすでござります。ご免」と、云うと部屋を飛び出した。
 こうして二人の変な会見は、あっけなく終りを告げたのであったが、しかし碩寿翁にも弦四郎にも、すぐ意外な事件が起こった。
 弦四郎の事件から書くことにしよう。
 刑部屋敷を出た弦四郎が、上野の山下まで来た時であったが、紗(しゃ)を巻いたような月光の中から、
「あの方もご出立でございます。あなたもご出立なさりませ!」
 こういう女の声が聞こえた。
「…………」
 で、弦四郎は声の来た方を見た。
 巫女(みこ)姿の女が弦四郎の横手を辷(すべ)るようにして歩いて行く。
「おお、あれはあの女だ」
 で、弦四郎は見送るようにした。
 月の光をヒラヒラと縫って、髪を垂らして、御幣(ごへい)を持って、脚に一本歯の足駄をはき、胸へ円鏡をかけている。衣裳といえば白衣(びゃくえ)であって、長い袖が風にひるがえり、巨大な蛾などが飛んでいるように見える。容貌なども美しいと見えて、月光にさらされた横顔の形は、鼻が高くて額が秀でて、頤が珠のように円味がかっていた。
「待て!」と、弦四郎は声をかけたが、すぐにスッと走り寄り、巫女の片袖へ手をかけた。
「千賀子殿でござろう、相違ござるまい!」
 だがその巫女は返辞もしないで、取られた片袖を柔かに外し、同じ辷るような歩き方で、根津の方角へ足を運んだ。
 一種いわれぬ威厳があって、遮ろうにも遮ることが出来ない。
 で、弦四郎は立ったままでいたが、千賀子の姿が見えなくなるや嘲るような声をもらした。
「碩寿翁には先手を打たれ、千賀子には謎語(めいご)を浴びせかけられてしまった。今夜は、俺にはめでたくない晩だ。二度あることは三度あるというが、もう一度、今夜中に嚇されるかもしれない」
(それにしてもどういう意味なのであろう? あの方はご出立なさいました、あなたもご出立なさいませとは?)
 しかし間もなく謎語の意味が、醍醐(だいご)弦四郎には解けて来た。
「伊十郎めに早く逢おう」
 こうして足を早ませて、両国の橋詰めまで行った時に、向こうから一人の若い武士が、息をせき切って走って来たが、
「おおこれは醍醐殿で」
「伊十郎氏か、何か起こったか?」
「宮川茅野雄(ちのお)が旅に立ちました」
(ははあこの事を云ったのだな、あの千賀子という女巫女は)
「おおさようか、で、何処(いずこ)へ?」
「まずお聞きなさりませ」
 年は二十八九であろうか、帷子(かたびら)に小袴をつけている。敏捷らしい顔立ちのうちに、一味の殺気の凝(こ)っているのは、善良でない証拠と云えよう。醍醐弦四郎の部下と見えて弦四郎に対しては慇懃(いんぎん)である。
「まずお聞きなさりませ」
 半田伊十郎は話し出した。
「ご貴殿のお指図(さしず)がありましたので、昨夜より私茅野雄めの邸を、警戒いたしましてござります。ところが今朝になりまして、にわかに旅支度をいたしまして、茅野雄には邸を立ちいでましたので、すぐに私事(こと)玄関へかかり、茅野雄の友人と偽わりまして、行く先を詳しく訊ねましたところ、僕(しもべ)らしい老人の申しますことには、飛騨の国は高山城下より、十五里あまり離れましたところの、丹生川平(にゅうがわだいら)という一つの郷(ごう)へ、参りました旨語りましたので、早速お耳に入れたく存じて、お邸へ参上いたしましたところ、ご外出にてご不在とのこと、そこで止むなくお約束の場所の、ここでお待ち受けいたしますうちに、お姿をお見かけいたしましたので、馳(は)せ参った次第にござります」
「そうか」と、それを聞くと醍醐弦四郎は、大きく一つ頷いて見せたが、
「すぐ俺も出立しよう」
「は、ご出立? でどちらへ?」
「云うまでもない、丹生川平へよ」
「茅野雄の後を追いましてな」
「素晴らしい何かを求めてだよ」
「で、我々一党の者は?」
「出立々々、同時に出立!」
「かしこまりましてございます」
 ――で、二人は引っ返したが、この頃松平碩寿翁においては、刑部屋敷の露路の口で、一人の若者と話していた。

兇悪の碩寿翁

(醍醐弦四郎と云ったあの男も、俺と同じ物を探しているらしい。油断のならない人物らしかったが、とんでもない競争者が出て来たものだ)
 碩寿翁はこんなことを思いながら、弦四郎の立ち去ったその後においても、蒐集部屋の中をあちらこちらと、珍奇の器具類を調べながら、しばらくの間はさまよっていた。
(今日はこれぐらいで帰るとしよう)
 で、碩寿翁は蒐集部屋を出たが、出たところに露路があって、それをウネウネと幾廻りかして、往来へ出なければならなかった。
 こうして碩寿翁は露路口まで来た。と、その時一人の男が、誰かに追われてでもいるかのように、息を切らして走って来たが、そこまで来ると足を止めて、キョロキョロ四辺(あたり)を見廻し出した。
「もし」と、碩寿翁を眼に入れたので、その若者は声をかけた。
「ちょっとお訊ねいたしますが、刑部屋敷と申します屋敷は、どこら辺りでござりましょうか?」
「刑部屋敷か、刑部屋敷はここだ。たった今私の出て来たところだ」
 こう云うと碩寿翁は若者を見た。
「おやそうでございましたか。やっと安心いたしました。で、はなはだ失礼ながら、あなた様がお屋敷のご主人で?」
「何か用でもあるというのか?」
「主人の用事でござります。はいはい私のご主人様の。ええ私のご主人様と申すは、松倉屋の奥様にござります。私ことは京助と申して、寵愛の手代にござります。で、奥様が仰せられました。この品物を持って行って、刑部屋敷のご主人に逢って、お手渡しをして参るがよい。一緒に書面もお渡ししな。そうしてご返辞をいただいて参れ。下さるものがあるだろう、それをもいただいて参るがよい。……これが品物にございます。これがお手紙にござります。……品物の中身は存じませぬが、どうやら高価の品物らしく、それが証拠には勘右衛門様が――はい松倉屋のご主人様なので、――品物を取り返そう取り返そうとして、いやはやいやはやとてもしつこく、追っかけて来ましてございます。で、私は一散に逃げて、やっとここまで参りました。ほッ、この汗! この汗はどうだ! 汗をかきましてござります。ほッ、この動悸! この動悸はどうだ! ひどい動悸が打っております。……」
 碩寿翁を屋敷の主人と見あやまり、京助はあたふたこう云いながら、包み物と書面とを前へ出した。
 恐ろしい主人の勘右衛門に、執念深く追いかけられ、弁太や杉次郎に助けられ、ようやく逃げて根津まで来て、あっちこっちをほっつき廻り、ようやく目的の刑部屋敷の、露路の口まで来たのであった。その時風采堂々とした、松平碩寿翁に逢ったのである。顛倒している眼から見れば、刑部屋敷の主人公に、碩寿翁の見えたのは当然と云えよう。
 で、京助は恭しく、包み物と書面とを支え持っていた。
(松倉屋の女房の高価な品物? 勘右衛門が取り返そうと追って来た品物? 刑部屋敷の主人へ渡して、返辞と何かを下さるだろうから、それをいただいて参れという品物。……松倉屋は昔は抜け荷買いだ、異国の珍器なども持っていよう。刑部屋敷の主人といえば、そういう品物を売買する奴だ……松倉屋の女房は贅沢三昧で、むやみと金を使うという。……うむ、解った! それに違いない!)
 碩寿翁には咄嗟に真相が解った。
 俄然碩寿翁の眼の光が、貴人などにはあるまじいほどに、毒々しく惨酷に輝いたが、
「さようか、よろしい、受け取りましょう。返辞もあげよう、物もあげよう。……さあさあこっちへ参るがよい。どれ」と、手を延ばして二品を取ったが、とたんに片手をグッと突き出した。
 呻きの声の聞こえたのは、急所を突かれた手代の京助が、倒れながら呻いたからであろう。
 左右は貧民の家々であって、露路を挟んで立ち並んでいる。月の光が遮られて、露路の中はほとんど闇であった。そういう露路を背後(うしろ)にして、露路口に立っている碩寿翁の姿は、その長い髯に、頑丈な肩に、秀れた上身長(うわぜい)に、老将軍らしい顔に、青白い月光を真っ向に浴びて、茶人とか好奇家(こうずか)とか大名の隠居とか、そういうおおらかの人物とは見えずに、老吸血鬼か殺人狂のように見えた。その足もとに転がっているのは、犠牲にされた京助であって、両手を握って左右へ延ばし、食いしばった口から泡を吹き半眼で空を睨んでいる。
 と、碩寿翁は腰を曲げたが、手を延ばすと京助の襟上をつかみ、露路へズルズルと引っ張り込んだ。
 一つの露路は二つの露路を産み、二つの露路は四つの露路を産み、この一画は細い露路によって、蜘蛛手(くもで)のように織られていたが、それの一つへ投げ込まれたが最後、死人であろうと、怪我人であろうと、犬や猫のように扱われて、死人は下手人も探されず、そのままどこかへ片寄せられ、怪我人は介抱もされないのであった。
 この一画は貧民窟ではあったが、また罪悪の巣でもあり、悪漢(わる)や無頼漢(ごろつき)の根城なのでもあった。
 淫祠邪教の存在地なるものは、表面人助けが行なわれるが、裡面においては惨忍極まる、悪徳が横行するものである。
 とりわけ細い露路の一つへ、死んでしまったのか、気絶をしているのか、されるままになっている京助の体を、ズルズルと引っ張って来た松平碩寿翁は、一軒の家の門口(かどぐち)の前へ、その京助の体を捨て、忍びやかに露路を出ようとした。
 と、その家の窓の辺りから、急に華やかな燈火(ともしび)が射し、高貴な若々しい男の声が、屈託もなさそうに聞こえてきた。
「問題は非常に簡単なのだよ。小慾にあり知足(ちそく)にあるのさ。なるほど、今は生活(くらし)にくい浮世だ。戦い取ろう、搾(しぼ)り取ろうと、誰も彼も逆上してあせっている。だから私は云うのだよ、慾を少なくして、足るを知れと。つまり浮世と逆行するのだ。その逆行が徹底した時に、桃源郷が現じ出してくる。……誰も彼も桃源郷を求めていながら、誰も彼もが桃源郷を断っている」
 するとその声に答えるようにして、あどけない娘の声がした。
「小父(おじ)様ほんとうでございますわね。……でも小父様はどういうお方ですの?」
「私(わし)かね」と男の笑声が云った。
「旅人なのだよ、この人の世の。……お伽噺の語り手なのだよ。伝道者と云ってもよいかも知れない」
「妾(わたし)ちっとも恐くないわ。知らないお方ではございますけど。……フラリと先刻(さっき)いらしった時から、ちっとも恐くはございませんでしたの」
「それはね、お前さんがよい娘(こ)だからよ。……悪人なら私を怖がるはずだ」
「でも小父様はお立派なのね。お顔もお姿もお召し物も。……そうして何て神々(こうごう)しいのでしょう。妾、ひざまずいて拝みたいのよ」
「お前さんの心が立派だからよ。……立派な心は立派な心を好くよ。私こそお前さんにひざまずくべきだよ」
「でも妾貧しいのでございますの。誰も彼も私を馬鹿にしますの」
「一人だけお前さんを認めているものがあるよ」
「まあ小父様、あなたのことですの」
「いやいや私がお仕えしている方だよ」
「どなたでございますの? ねえ小父様?」
「唯一なる神」
「唯一なる神?」
「お聞きお妙(たえ)さん、聞こえるだろうね」
「…………」
「小慾知足とは反対に、飽くことを知らない強慾者が、みすみす没落の穴の方へ、歩いて行く足音が聞こえましょう」
「小父様妾には聞こえませぬが」
「窓をお開け!」と男の声がした。
「姿を見ることが出来ましょう。その気の毒な強慾者の姿が」
 露路の闇に佇んで、聞きすましていた碩寿翁は、一刹那体をひるがえすと、その家の板へへばりついた。
 と、すぐに窓があき、娘の顔が現われたが、家内(いえうち)から射し出る燈火(ともしび)の光を、背景としているがために、顔立ちなどはわからなかった。清らかな白い輪廓ばかりが、ぼんやり見えるばかりであった。
 娘は露路の左右を見たが、
「小父様、何にも見えませぬ」
「さようか」と、家内で男の声が云った。
「では見ない方がよいだろう。……そうだ、なるたけ穢らわしいものは」
「ああ小父様、黒い物が見えます。おおおお死骸でございます。若い方の死骸でございます。露路の真ん中に倒れております」
「助けておいで」と、男の声がした。
「可哀そうな不幸な贄(にえ)なのだよ」
 つづいて「はい」という声が聞こえて、窓から娘の顔が消えた。
 と、戸をあける声がした。
 松平碩寿翁は見付けられなければなるまい。
 いやいや碩寿翁はこの時には、既に露地から走り出していた。すなわち窓から娘の顔が、引っ込むと同時に身を躍らせて、露路から外へ飛び出したのであった。

颯と一揮

(あのお方があんな所におられようとは。……俺はとうとう感付かれてしまった! ……俺に恐ろしいのはあのお方ばかりだ。……俺は邸へは帰られない。俺は体を隠さなければならない。……あのお方があんな所におられようとは。いやいやこれは当然かも知れない。……あのお方はああいうお方なのだから。……不正な所へも現われるし、正しい所へも現われる。貧しい所へも現われれば、富んだところへも現われる。そうして「状態」をひっくり返す)
 露路口で立ち止まった碩寿翁は、こう考えて戦慄したが、そういう恐怖よりもさらに一層の、好奇心が胸へ湧き上った。で、手に持っていた包み物の、包みをグルグルと解きほぐし、現われた蒔絵(まきえ)の箱の蓋(ふた)を、月に向かってパッと取った。と一道の鯖(さば)色の光が、月の光を奪うばかりに、燦然としてほとばしり出たが、ほんの一瞬間に消えてしまった。碩寿翁が箱の蓋を冠(かぶ)せたからである。
「おおこの光に比べては、名誉も身分も、財産も生命(いのち)さえも劣って見える。……あれだ! たしかに! 探していたあれだ!」
 感動が著しかったためなのであろう、碩寿翁はガタガタと顫え出した。
 が、その次の瞬間に、碩寿翁を驚かせたものがあった。一本の腕が背後(うしろ)から延びて、蒔絵の箱を掴んだからである。
 とたんに活然と音がして、白い物が月光に躍り上り、すぐに地に落ちてころがった。
 抜き討ちに切りつけた碩寿翁の太刀に、御幣(ごへい)の柄が真ん中から二つに切られ、その先が躍り上って落ちたのであった。
 露路口に立っている女があった。白の行衣(ぎょうえ)に高足駄をはき、胸に円鏡を光らせてかけ、手に御幣の切られたのを持って、それを頭上で左右に振って、鋭い声で喚いている。
 勘解由(かげゆ)家の当主の千賀子であった。

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