甲州鎮撫隊
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著者名:国枝史郎 

だから君も従軍したいだろうがいや……従軍しなくとも、従来(これまで)の君の功績からすれば、矢張り一万石や二万石の大名には確になれるし、私からも推薦して、決して功を没するようなことはしない。
 ……だから今度だけは断念してくれ。……それに、従軍しなくとも、君の名は、鎮撫隊の中へ加えておくのだから」
「いえ、先生、私は体は大丈夫なのです。……いえ、私は、決して、大名になりたいの、恩賞にあずかりたいのというのではありません。……私は、ただ、腕を揮(ふる)ってみたいのです。……ですから何うぞ是非従軍を。……それに今度の相手は、随分手答えのある連中だと思いますので。……それに新選組の人数は尠(すくな)し……そうです、先生、新選組は小人数の筈です。京都にいた頃は二百人以上もありました。それが鳥羽伏見二日の戦で、四十五人となり、江戸へ帰って来た現在では、僅か十九人……」
「いやいや」
 と勇は忙しく手を振った。
「それがの、今度、松本先生のお骨折りで、隊土を募ったところ、二百人も集まって来た。いずれも誠忠な、剣道の達人ばかりだ。……それに、勝(かつ)安房守(あわのかみ)様より下渡(さげわた)された五千両の軍用金で、銃器商大島屋善十郎から、鉄砲、大砲を買取り、鎮撫隊の隊士一同、一人のこらず所持しておる、大丈夫じゃ。……そればかりでなく、駿河守殿は、生粋の佐幕派、それに、城兵も多数居る。……人数にも兵器にも事欠かぬ。……だから君は充分ここで静養して……」
「先生、私の病気など何んでもないのです」
「それが然(そ)うでない。松本先生も仰せられた……」
「良順先生が……」
「そうだ、松本良順先生が仰せられたのだ。沖田だけは、従軍させては不可(いけ)ないと」
「…………」
「松本先生には、君は、一方(ひとかた)ならないお世話になった筈だ」
「現在(ただいま)もお世話になっております」
「柳営の御殿医として、一代の名医であるばかりでなく、豪傑で、大親分の資を備えられた松本先生が、然う仰せられるのだ。君も、これには反対することは出来まい」
「はい」
 総司は黙って俯向(うつむ)いて了った。

   思出の人

 総司は、良順の介抱によって、今日生存(いきながら)えているといってもよいのであった。はじめ総司は、他の新選組の、負傷した隊士と一緒に、横浜の、ドイツ人経営の病院に入れられて、治療させられたのであったが、良順は
「沖田は、怪我ではなくて病気なのだから」
 と云って、浅草今戸の、自分の邸へ連れて来て療治したが
「この病気(肺病)は、こんな空気の悪い、陽のあたらない下町の病室などで療治していたでは治らない」
 と云い、この千駄ヶ谷の植甚の離れへ移し、薬は、自分の所から持たせてやり、時には、良順自身診察に来たりして、親切に手を尽くしているのであった。この良順に
「甲府への従軍は不可(いけな)い」
 と云われては、総司としては、義理としても人情としても、それに反(そむ)くことは出来なかった。
 総司が、従軍を断念したのを見ると、勇は流石(さすが)に気毒そうに云った。
「その代り、わしが君の分まで、この刀で、土州の奴等や薩州の奴等を叩斬るよ」
 と云い、刀屋から、虎徹(こてつ)だと云って買わせられた、その実、宗貞の刀の柄を叩いてみせた。すると総司は却って不安そうに云った。
「しかし先生、これからの戦いは、刀では駄目でございます。火器、飛道具でなければ。……先生は、負傷しておられて、鳥羽、伏見の戦いにお出にならなかったから、お解りにならないことと思いますが、官軍の……いいえ、薩長の奴等の精鋭な大砲や小銃に撃捲(うちまく)られ、募兵は……新選組の私たちは散々な目に……」

 この夜、燈火(ともしび)の下で、総司とお力とは、しめやかに話していた。従軍を断念したからか、総司の態度は却って沈着(おちつ)き、容貌(かお)なども穏やかになっていた。
「妾(わたくし)、あなた様から、お隠匿(かくまい)していただきました晩、あなた様、眠りながら、お千代、たっしゃかえ、たっしゃでいておくれと仰有(おっしゃ)いましたが、お千代様とおっしゃるお方は?」
 と、お力は何気無さそうに訊いた。
「そんな寝言、云いましたかな」
 と総司は俄に赧(あか)い顔をしたが、
「京都にいた頃、懇意にした娘だが……町医者の娘で……」
「ただご懇意に?」
 とお力は、揶揄(やゆ)するような口調でいい、その癖、色気を含んだ眼で、怨ずるように総司を見た。
 総司は当惑したような、狼狽(ろうばい)したような表情をしたが、
「ただ懇意にとは?……勿論……いや、併(しか)し、どう云ったらよいか……どっちみち、私は、これ迄に、一人の女しか知らないので」
 お力は思わず吹出して了った。
「まあまあそのお若さで、一人しか女を。……でもお噂によれば、新選組の方々は、壬生(みぶ)におられた頃は、ずいぶんその方でも……」
「いや、それは、他の諸君は……わけても隊長の近藤殿などは……土方殿などになると、近藤殿以上で。……ただ私だけが、臆病(おくびょう)だったので……」
「これ迄に、二百人もお斬りになったというお噂のある貴郎(あなた)様が臆病……」
「いや、女にかけてはじゃ。人を斬る段になると私は強い!」
 と、総司は、グッと肩を聳(そびや)かした。痩(や)せている肩ではあったが、聳かすと、さすがに殺気が迸(ほとばし)った。
 お力はヒヤリとしたようであったが、
「お千代さんという娘さんが、その一人の女の方なのでしょうね」
「左様」
 と迂闊(うっか)り云ったが、総司は、周章てて
「いや……」
「いや?」
「矢っ張り左様じゃ」
「よっぽど可(よ)い娘さんだったんでございましょうね」
「うん」
 と、ここでも迂闊り正直に云い、又、周章てて取消そうとしたが、自棄のように大胆になり、
「初心(うぶ)で、情が濃(こま)やかで……」
「神様のようで……」
「うん。……いや……それ程でもないが……親切で……」
「そのお方、只今は?」
「切れて了った!」
 こう云った総司の声は、本当に咽(むせ)んでいた。
「切れて……まあ……でも……」
「近藤殿の命(めい)でのう」
「何時(いつ)?」
「江戸への帰途。……紀州沖で……富士山艦で、書面(ふみ)に認(したた)め……」
「左様ならって……」
「うん」
「可哀そうに」
「大丈夫たる者が、一婦人の色香に迷ったでは、将来、大事を誤ると、近藤殿に云われたので」
「お千代様、さぞ泣いたでございましょうねえ。……いずれ、返書(かえし)で、怨言(うらみごと)を……」
「返書(へんしょ)は無い」
「まあ、……何んとも?……それでは、女の方では、あなた様が想っている程には……」
「莫迦(ばか)申せ!」
 と、総司は、眼を怒らせて呶鳴(どな)った。
「お千代はそんな女ではない! お千代は、失望して、恋いこがれて、病気になっているのじゃ!……と、わしは思う。……病気になってのう」
 総司は膝へ眼を落とし、しばらくは顔を上げなかった。部屋の中は静かで、何時の間に舞込んで来たものか、母指(おやゆび)ほどの蛾(が)が行燈の周囲(まわり)を飛巡り、時々紙へあたる音が、音といえば音であった。総司は、まだ顔を上げなかった。お力は、その様子を見守りながら、(何んて初心(うぶ)な、何んて生一本な、それにしても、こんな人に、そう迄想われているお千代という娘は、どんな女であろう?……幸福(しあわせ)な!)と思った。と共に、自分の心の奥へ、嫉妬(ねたましさ)の情の起こるのを、何うすることも出来なかった。

   親友は討ったが

「あのう」
 と、ややあってからお力は、探るような声で云った。
「細木永之丞というお方は、どういうお方なのでございますの?」
「ナニ、細木永之丞□ どうしてそのような名をご存知か」
 と、総司は、さも驚いたように云った。
「矢張りお眠(よ)ったままで『済まん、細木永之丞君、命令だったからじゃ、済まん』と、仰有(おっしゃ)ったじゃアありませんか」
「ふうん」
 と総司は、いよいよ驚いたように、
「さようなこと申しましたかな。ふうん。……いや、心に蟠(わだかまり)となっていることは、つい眠った時などに出るものと見えますのう。……細木永之丞というのは、わしの親友でな、同じ新選組の隊士なのじゃが、故あって、わしが討取った男じゃ」
「まア、どうして?……ご親友の上に、同じ新選組の同士を?」
「近藤殿の命令だったので……」
「近藤様にしてからが、同士の方を……」
「いや、規律に反(そむ)けば、同士であろうと隊士であろうと、斬って捨てねば……細木ばかりでなく、同じ隊士でも、幾人となく斬られたものじゃ。……近藤殿の以前の隊長、芹沢鴨殿でさえ――尤もこれは、何者に殺されたか不明ということにはなっているが、真実(まこと)は、土方殿が、近藤先生の命令によって、壬生の営所で、深夜寝首を掻(か)かれたくらいで。……だがわしは細木を斬るのは厭だったよ。永之丞は可(よ)い男でのう、気象もさっぱりしていたし、美男だったし……尤も夫れだから女に愛されて、その為め再々規律に反き、池田屋斬込みの大事の際にも、とうとう参加しなかった。これが斬られる原因なのだが、その上に彼が溺(おぼ)れていた女が、どうやら敵方――つまり、長州の隠密らしいというので……」
「まあ、隠密?」
「うむ。それで、味方の動静が敵方に筒抜けになっては堪らぬと、近藤殿が涙を呑んで、わしに斬ってくれというのだ。しかし私は『細木を斬ることばかりは出来ません。あれは私の親友ですから。……もし何うしても斬ると仰せられるなら、余人にお申付け下さい』と拒絶(ことわっ)たのじゃ。すると近藤殿は『親友に斬られて死んでこそ、細木も成仏出来るであろうから』と仰せられるのじゃ。そこで私も観念し、一夜、彼を、加茂河原へ連出し、先ず事情を話し『その女と別れろ、別れさえしたら、私が何んとか近藤殿にとりなして……』と云ったところ……」
 ここで総司は眼をしばたたいた。
 お力は唾(つば)を飲んだが、
「何と仰有いました?」
「別れられないと云うのだ」
「…………」
「そこで私(わし)は、では逃げてくれ、逃げて江戸へなり何処へなり行って、姿をかくしてくれと云うと、俺を卑怯者(ひきょうもの)にするのかと云うのだ。……もう為方(しかた)がないから、では此処で腹を切ってくれ、私が介錯(かいしゃく)するからと云うと、それでは、近藤殿から、斬れと云われたお前の役目が立つまいと云うのだ。私は当惑して、では何うしたらよいのかというと、お前と斬合ったでは、私に勝目は無いし、斬合おうとも思わない、私は向うを向いて歩いて行くから、背後(うしろ)から斬ってくれと云い、ズンズン歩いて行くのだ。月の光で、白く見える河原をなア。背後(うしろ)から何んと声をかけても、もう返辞をしないのだ。……そこで私は、……背後から只一刀で……首を!……綺麗に討(う)たれてくれたよ」
 息を詰めて聞いていたお力は(それじゃア永之丞さんは、話合いの上でお討たれなされたのか。……では総司さんを怨(うら)むことはないわねえ)と思いながらも、矢張り涙は流れた。その涙を隠そうとして、窓の方を向いた。すると、その窓へ、小石のあたる音がした。お力はハッとしたようであったが、
「蒸し蒸しするのね」
 と独言のように云い、立って窓際へ行き、窓を開けた。暈(かさ)をかむった月に照らされて、身長(せい)の高い肩幅の広い男が、窓の外に立っていた。
 お力は窃(そ)っと首を振ってみせ、すぐに窓を閉め、元の座へ帰って来た。
 総司は俯向いていた。自分が斬った、不幸な友のことを追想しているらしい。
「沖田様」
 とお力は、総司のそういう様子を見詰めながら、
「妾(わたし)を何う覚召して?」
「何うとは?」
「嫌いだとか、好きだとか?」
「怖い」
「怖い? まあ」
「親切な人とは思うが……何んとなく怖い!……それにわしにはお千代というものがあるのだから……」
「お切れなされたくせに」
「強いられたからじゃ。……心では……」
「心では?」
「女房と思っておる。……それでもうお力殿には今後……」
「来ないように」
「済まぬが……」
「妾は参ります。……貴郎(あなた)様はお嫌いなさいましても、妾は、あなた様が好きでございますから。……それがお力という女の性(しょう)でございます」
(おや?)とお力は聞耳を立てた。
 池へ落ちている滝の音が、その音色を変えたからであった。
(誰かが滝に打たれているようだよ)
 然(そ)う、単調に聞えていた水音が、時々滞って聞えるのであった。
(可笑しいねえ)

   良人(おっと)を慕って

 お力が、総司の為の薬を貰って、浅草今戸の、松本良順の邸(やしき)を出たのは、それから数日後の、午後のことであった。門の外に、八重桜の老木があって、ふっくりとした総(ふさ)のような花を揉付(もみつ)けるようにつけていた。お力がその下まで来た時、
「松本良順先生のお邸はこちらでございましょうか」
 という、女の声が聞えた。見れば、自分の前に、旅姿の娘が立っていた。
「左様で」
 とお力は答えた。
「新選組の方々が、こちらさまに、お居でと承りましたが……」
「はい、近藤様や土方様や、新選組の方々が、最近までこちらで療治をお受けになっておられましたが、先日、皆様打揃って甲府の方へ――甲州鎮撫隊となられて、ご出立なさいました」
「まア、甲府の方へ! それでは、沖田様も! 沖田総司様も□」
 悲痛といってもよいような、然ういう娘の声を聞いて、お力は改めて、相手をつくづくと見た、娘は十八九で、面長の富士額の初々しい顔の持主で、長旅でもつづけて来たのか、甲斐絹(かいき)の脚袢には、塵埃(ほこり)が滲(にじ)んでいた。
「失礼ですが」
 とお力は云った。
「あのう、お前様は?」
「はい、千代と申す者でございますが、京都から沖田様を訪ねて……」
「まあ、お前様がお千代さん……」
「ご存知で?」
「いえ」
 と、あわてて打消したが、お力は(これが、総司さんが、眠った間も忘れないお千代という女なのか。……総司さんは、お千代は、恋患いで寝込んでいるだろうと仰有ったが、寝込んでいるどころか、東海道の長の道中を、清姫より執念深く追って来たよ。……どっちもどっちだねえ)と思うと同時に、ムラムラと嫉妬(しっと)の情が湧いて来た。それで、
「はい、沖田様も新選組の隊士、それも助勤というご身分、近藤様などとご一緒に、甲府へご出発なさいましたとも」
 と云い切ると、お千代を掻遣(かいや)るようにして歩き出した。しかし五六間歩いた時、気になるので、振返って見た。お千代が、放心したような姿で、尚、松本家の門前に佇んでいるのが見えた。(態(ざま)ア見やがれ)と呟きながら、お力は歩き出した。でも矢張り気になるので、又振返って見た。一時に痩せたように見えるお千代が、松本家から離れて、向うへトボトボと歩いて行く姿が見えた。(京都へ帰るなり、甲府へ追って行くなり、勝手にしやがれ。総司さんは妾一人の手で、介抱し通すってことさ)と呟くと、足早に歩き出した。
 浅草から千駄ヶ谷までは遠く、お力が、植甚の家付近へ迄帰って来た時には、夜になっていた。
「お力」
 と呼びながら、身長(せい)の高い肩幅の広い男が、大榎(えのき)の裾(すそ)の、藪(やぶ)の蔭から、ノッソリと現われて来た。その声で解ったと見え、
「嘉十(かじゅう)さんかえ」
 と云ってお力は足を止めた。
「うん。……お力、何を愚図愚図しているのだ」
「あせるもんじゃアないよ」
「ゆっくり過ぎらア」
「それで窓へ石なんか投げたんだね」
「悪いか」
「物には順序ってものがあるよ」
「惚れるにもか」
「何んだって!」
「お前の身分は何なんだい」
「長州の桂小五郎様に頼まれた……」
「隠密だろう」
「あい」
「そこで細木永之丞へ取入った」
「新選組の奴等の様子さぐるためにさ」
「ところが永之丞にオッ惚れやがった」
「莫迦お云い。……彼奴(あいつ)の口から新選組の内情(うちわ)聞いたばかりさ……池田屋の斬込へも、彼奴だけは行かせなかったよ」
「手柄なものか。……彼奴の方でも手前(てめえ)にオッ惚れて、ウダウダしていて、機会を誤ったというだけさ」
「そのため永之丞さん斬られたじゃないか。……新選組の奴等を一人でも減らしたなア妾の手柄さ」
「ところが手前、今度は永之丞を斬った沖田総司を殺すんだと云い出した」
「池田屋で人一倍長州のお武士(さむらい)さんを斬った総司、こいつを討ったら百両の褒美だと……」
「懸賞の金を目宛てにして、総司を討ちにかかったというのかい。体裁のいいことを云うな。そいつア俺の云うことだ。手前は、可愛い永之丞の敵を討とうと、それで総司を討ちにかかったのさ。……そんなことは何うでもいいとして、その手前が何処がよくて惚れたのか、総司に惚れて、討つは愚(おろか)、介抱にかかっているからにゃア、埒(らち)があかねえ。……お力、総司は俺が今夜斬るぜ!」
 と、佐幕方の、目明(めあかし)文吉に対抗させるため、長州藩が利用している目明の、縄手の嘉十郎は云って、植甚の方へ歩きかけた。

   女夜叉の本性

(この男ならやりかねない)
 こう思ったお力は、嘉十郎の袂を掴んだ。
(剣技(わざ)にかけちゃア、新選組一だといわれている沖田さんだけれど、あの病気で衰弱している体で、嘉十郎に斬りかけられては敵(かな)う筈はない。……総司さんを討たれてなるものか!……いっそ妾が此奴(こいつ)を!)
 と、肚(はら)を決め、
「嘉十郎さん、まア待っておくれ、お前が然うまで云うなら妾も決心して、今夜沖田さんの息の音とめるよ。……お前さんにしてからが然うじゃアないか、あの晩、二人でここへ来てさ、通りかかった脱走武士たちへ喧嘩を売りつけ、一人を叩っ斬ったのを見て、妾は植甚の庭へ駆込み、喧嘩の側杖から避けたと云って、沖田さんに隠匿(かくま)われ、そいつを縁に沖田さんへ接近(ちかづ)いたのも、お前と最初からの相談ずく、そこ迄二人で仕組んで来たものを、今になってお前さんに沖田さんを殺され、功を奪われたんじゃア、妾にしては立瀬が無く、お前さんにしたって、後口が悪かろう。……ねえ、沖田さんを仕止めるの、妾に譲っておくれよ。そうして懸賞の金は山分けにしようじゃアないか」
 憎くない婦(おんな)からのこの仕向けであった。四十五歳の、分別のある嘉十郎ではあったが、
「そりゃアお前がその気なら……」
「委せておくれかえ。それじゃア妾は今夜沖田さんを、こんな塩梅(あんばい)に……」
 と、右の手を懐中(ふところ)へ入れ、いつも持っている匕首(あいくち)を抜き
「グッと一突きに!」
 と嘉十郎の脾腹(ひばら)へ突込み……
「わッ」
「殺すのさ!」
 と、嘉十郎を蹴仆(けたお)し、地面をノタウツのを足で抑え、止(とど)めを刺し、
「厭だよ、血だらけになったよ。これじゃア総司さんの側へ行けやアしない」
 と呟いたが、庭へ駆込むと、池の端へ行き、手足を洗出した。途端に滝の中から腕が現われ、グッとお力の腕を掴み、
「矢張りお前も然うだったのか。お力坊、眼が高いなア」
 と、水を分けて、留吉が、姿を現わした。
「只者じゃアねえと思ったが、矢っ張り滝壺の中の小判を狙っていたのかい。俺も然うさ。植甚へ住込んだのも、植甚は大金持、そればかりでなく、徳川様のお歴々にご贔屓(ひいき)を受け、松本良順なんていう御殿医にまで、お引立てを受けていて、然ういう人達の金を預って隠しているという噂(うわさ)、ようしきた、そいつを盗み出してやろうとの目算からだったが、植甚の爺(おやじ)、うまい所へ隠したものよ、滝のかかっている岩組の背後(うしろ)を洞(ほこら)にこしらえ、そこへ隠して置くんだからなア。これじゃア脱走武士が徴発に来ようと、薩長の奴等が江戸へ征込(せめこ)んで来て、焼打ちにかけようと安全だ。……と思っている植甚の鼻をあかせ、俺アこれ迄にちょいちょい此処へ潜込んで、今日までに千両近い小判を揚げたからにゃア、俺の方が上手だろう――と思っているとお前が現われた。偉(えれ)え! 眼が高(たけ)え! 小判の隠場ア此処と眼をつけたんだからなア。…よし来た、そうなりゃアお互い相棒(あいづれ)で行こう。……が相棒になるからにゃア……」
 お力は、(然うだったのかい。滝の背後に金が隠してあるのかい、妾が、体の血粘(ちのり)洗おうと来たのを、そんなように独合点しやがったのかい。……然うと聞いちゃ、まんざら慾の無い妾じゃアなし……ようし、その意(つもり)で。……)
 例の匕首でグッと!
「ウ、ウ、ウ――」
 動かなくなった留吉の体を、池の中へ転がし込んだが、
(人二人殺したからにゃア、いくら何んでも此処にはいられない。行きがけの駄賃に、……云うことを諾(き)かない総司さんを……そうして、矢っ張り懸賞の金にありつこうよ)と、
 離座敷の方へ小走って行き、雨戸を窃(そ)っと開け、座敷へ這入った。総司は、やや健康を恢復(かいふく)し、艶(つや)も出た美貌を行燈に照らし、子供のように無邪気に眠っていた。
 お力は、行燈の灯を吹消した。

   片がついた

 鎮撫隊より一日早く、甲府城まで這入った、板垣退助の率いた東山道軍は、勝沼まで来ていた近藤勇たちの、甲州鎮撫隊を、大砲や小銃で攻撃し、笹子(ささご)峠を越えて逃げる隊土たちを追撃した。三月六日のことである。
 沖田総司を尋ねて、ここまで来たお千代は、峠の道側(みちばた)の、草むらの中に立って、呆然(ぼうぜん)としていた。あちこちから、鉄砲の音や、鬨(とき)の声が聞え、谷や山の斜面や、林の中から、煙硝の煙が立昇ったり、眼前の木立の幹や葉へ、小銃の弾があたったりしていた。そうして、鎮撫隊士が、逃下る姿が見えた。隊士たちは、口々に云っていた。
「敵(かな)わん、飛道具には敵わん!――精鋭の飛道具には」と。――
 一人の隊士が肩に負傷し、よろめきよろめき逃げて来た。お千代は走寄り、取縋(とりすが)るようにして訊いた。
「沖田総司様は、……討死にしましたか?……それとも……」
「ナニ、沖田総司?」
 と、その隊士は、不審そうにお千代を見たが、
「いや、沖田総司なら……」
 しかしその時、流弾が、隊士の胸を貫いた。隊士は斃(たお)れた。お千代は仰天し、走寄って介抱したが、もう絶命(ことき)れていた。
(妾ア何処までも総司様の生死を確める)
 と、お千代は、疲労と不安とで、今にも気絶しそうな心持の中で思った。
(そうして、総司様の前で、総司様から下された、縁切りのお手紙をズタズタに裂いて、妾は云ってあげる「いいえ、妾は、総司様の女房でございます」って)
 そのお千代が、下総流山の、近藤勇たちの屯所の門前へ姿を現わしたのは、四月三日のことであった。近藤勇や土方歳三などが、脱走兵鎮撫の命を受け、幕府から、この地へ派遣されたと聞き、恋人の総司もその中にいるものと思い、訪ねて来たのであった。しばらく門前に躊躇(ちゅうちょ)していると、門内から、二人の供を従え騎馬で、近藤勇が現われた。
「近藤様!」
 と叫んで、お千代は、馬の前へ走出し、
「沖田様は□」
「お千代か!」
 と勇は、さもさも驚いたように云った。
「沖田か、沖田は江戸に居る。千駄ヶ谷の植木屋植甚という者の離座敷で養生いたしておる。……詳しいことも聞きたし、話しもしたいが、わしは是から、越ヶ谷(こしがや)の、官軍の屯所へ呼ばれて出頭するので、ゆっくり話しておれぬ。……わしの帰るまで、屯所内(ここ)で休んでおるがよい。知己(しりあい)の土方が居る」
 と云いすてると、馬を進めた。

 四月十一日、江戸城が開き、官軍が続々ご府内へ入込んで来た頃、沖田総司は、臨終の床に在った。枕元には、植甚や、その家族の者が並んで、静まり返っていた。過ぐる晩、お力がやって来て切りかかったのを防いだ時、大咯血をし、それが基で、総司の病気は頓(とみ)に悪化したのであった。近藤勇が、官軍の手で、越ヶ谷から板橋に送られ、其処(そこ)で斬られたということなども、総司の死を、精神的に早めたのでもあった。不幸なお千代が、やっと植甚の家を探しあてて、訪ねて来たのは、この日であった。植甚の人達は、以前からお千代のことは聞いて知っていた。それと知ると、お千代を直ぐに総司の枕元へ進(つ)れて来た。
「沖田様!」
 とお千代は、もう眼も見えないらしい、総司に取縋り、耳に口を寄せて呼んだ。
「お千代でございます! 京都から訪ねて参った、お前の女房、お千代でございます!」
 その声が心に通ったとみえて、総司の視線がお千代の顔へ止まった。
「お千代!……わしの女房!……然うだ!」
 しかしその顔に俄に憎悪の表情が浮かび、
「おのれ、お力イ――ッ」
 と云った。それが最後の言葉であった。

 翌月の十五日に始まったのが、上野の彰義隊の戦いであった。徳川幕府二百六十年の恩誼(おんぎ)に報いようと、旗本の士が、官軍に抗しての戦いで、順逆の道には背いた行為ではあったが、義理人情から云えば、悲しい理の戦いでもあった。しかし、大勢(たいせい)は予め知れていて、彰義隊の敗れることには疑い無かった。江戸の人々は、一日も早く、世間が平和になるようにと希望(のぞ)みながら、家根へ上ったり、門口に立ったりして、上野の方を眺めていた。長州の兵は、根津と谷中(やなか)から、上野の背面を攻めていた。その戦いぶりを見ようとして、権現様側に集まっていた群集の中に、お力もいた。髪を綺麗に結び、新しい衣裳(いしょう)を着ていた。沖田総司を殺しそこなった晩、これも行きがけの駄賃に、池の沖へ潜込み、盗み出した幾十枚かの小判が、まだ身に付いているらしく、様子が長閑(のどか)そうであった。島原の太夫(たゆう)から宮川町の女郎(おやま)、それから、隠密稼ぎまでしたという、本能そのもののようなこの女は、もう今では、細木永之丞のことも沖田総司のことも念頭に無いらしく、群集の中の若い男へ、万遍なく秋波を送っていた。しかしその時、背後から
「こいつがお力だ」
 という聞覚えのある声がしたので、驚いて振返って見た。植甚が群集の中に立って睨んでいた。
 あッと思った時、一人の娘が、植甚の横手から、自分の方へ走寄って来た。
「沖田さんの敵(かたき)!……妾(わたし)の怨み!」
「お千代!」
 お力は、匕首を、自分の鳩尾(みずおち)へ刺通したお千代の手を両手で握ったが、
「ああ……お前さんに殺されるなら……妾にゃア……怨みは云えないねえ」
 と云い、ガックリとなった。
 上野山内から、伽藍(がらん)の焼落ちる黒煙が見えた。幕府という古い制度の、最後の堡塁(とりで)であった彰義隊の本営が、壊滅される印の黒煙でもあった。
「片がついた」
 と植甚は、お千代を介抱しながら、黒煙を仰ぎ、感慨深そうに云った。
(何も彼も是(これ)で片がついた)




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