甲州鎮撫隊
◇ピンチです!◇
■暇つぶし何某■

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著者名:国枝史郎 

だから君も従軍したいだろうがいや……従軍しなくとも、従来(これまで)の君の功績からすれば、矢張り一万石や二万石の大名には確になれるし、私からも推薦して、決して功を没するようなことはしない。
 ……だから今度だけは断念してくれ。……それに、従軍しなくとも、君の名は、鎮撫隊の中へ加えておくのだから」
「いえ、先生、私は体は大丈夫なのです。……いえ、私は、決して、大名になりたいの、恩賞にあずかりたいのというのではありません。……私は、ただ、腕を揮(ふる)ってみたいのです。……ですから何うぞ是非従軍を。……それに今度の相手は、随分手答えのある連中だと思いますので。……それに新選組の人数は尠(すくな)し……そうです、先生、新選組は小人数の筈です。京都にいた頃は二百人以上もありました。それが鳥羽伏見二日の戦で、四十五人となり、江戸へ帰って来た現在では、僅か十九人……」
「いやいや」
 と勇は忙しく手を振った。
「それがの、今度、松本先生のお骨折りで、隊土を募ったところ、二百人も集まって来た。いずれも誠忠な、剣道の達人ばかりだ。……それに、勝(かつ)安房守(あわのかみ)様より下渡(さげわた)された五千両の軍用金で、銃器商大島屋善十郎から、鉄砲、大砲を買取り、鎮撫隊の隊士一同、一人のこらず所持しておる、大丈夫じゃ。……そればかりでなく、駿河守殿は、生粋の佐幕派、それに、城兵も多数居る。……人数にも兵器にも事欠かぬ。……だから君は充分ここで静養して……」
「先生、私の病気など何んでもないのです」
「それが然(そ)うでない。松本先生も仰せられた……」
「良順先生が……」
「そうだ、松本良順先生が仰せられたのだ。沖田だけは、従軍させては不可(いけ)ないと」
「…………」
「松本先生には、君は、一方(ひとかた)ならないお世話になった筈だ」
「現在(ただいま)もお世話になっております」
「柳営の御殿医として、一代の名医であるばかりでなく、豪傑で、大親分の資を備えられた松本先生が、然う仰せられるのだ。君も、これには反対することは出来まい」
「はい」
 総司は黙って俯向(うつむ)いて了った。

   思出の人

 総司は、良順の介抱によって、今日生存(いきながら)えているといってもよいのであった。はじめ総司は、他の新選組の、負傷した隊士と一緒に、横浜の、ドイツ人経営の病院に入れられて、治療させられたのであったが、良順は
「沖田は、怪我ではなくて病気なのだから」
 と云って、浅草今戸の、自分の邸へ連れて来て療治したが
「この病気(肺病)は、こんな空気の悪い、陽のあたらない下町の病室などで療治していたでは治らない」
 と云い、この千駄ヶ谷の植甚の離れへ移し、薬は、自分の所から持たせてやり、時には、良順自身診察に来たりして、親切に手を尽くしているのであった。この良順に
「甲府への従軍は不可(いけな)い」
 と云われては、総司としては、義理としても人情としても、それに反(そむ)くことは出来なかった。
 総司が、従軍を断念したのを見ると、勇は流石(さすが)に気毒そうに云った。
「その代り、わしが君の分まで、この刀で、土州の奴等や薩州の奴等を叩斬るよ」
 と云い、刀屋から、虎徹(こてつ)だと云って買わせられた、その実、宗貞の刀の柄を叩いてみせた。すると総司は却って不安そうに云った。
「しかし先生、これからの戦いは、刀では駄目でございます。火器、飛道具でなければ。……先生は、負傷しておられて、鳥羽、伏見の戦いにお出にならなかったから、お解りにならないことと思いますが、官軍の……いいえ、薩長の奴等の精鋭な大砲や小銃に撃捲(うちまく)られ、募兵は……新選組の私たちは散々な目に……」

 この夜、燈火(ともしび)の下で、総司とお力とは、しめやかに話していた。従軍を断念したからか、総司の態度は却って沈着(おちつ)き、容貌(かお)なども穏やかになっていた。
「妾(わたくし)、あなた様から、お隠匿(かくまい)していただきました晩、あなた様、眠りながら、お千代、たっしゃかえ、たっしゃでいておくれと仰有(おっしゃ)いましたが、お千代様とおっしゃるお方は?」
 と、お力は何気無さそうに訊いた。
「そんな寝言、云いましたかな」
 と総司は俄に赧(あか)い顔をしたが、
「京都にいた頃、懇意にした娘だが……町医者の娘で……」
「ただご懇意に?」
 とお力は、揶揄(やゆ)するような口調でいい、その癖、色気を含んだ眼で、怨ずるように総司を見た。
 総司は当惑したような、狼狽(ろうばい)したような表情をしたが、
「ただ懇意にとは?……勿論……いや、併(しか)し、どう云ったらよいか……どっちみち、私は、これ迄に、一人の女しか知らないので」
 お力は思わず吹出して了った。
「まあまあそのお若さで、一人しか女を。……でもお噂によれば、新選組の方々は、壬生(みぶ)におられた頃は、ずいぶんその方でも……」
「いや、それは、他の諸君は……わけても隊長の近藤殿などは……土方殿などになると、近藤殿以上で。……ただ私だけが、臆病(おくびょう)だったので……」
「これ迄に、二百人もお斬りになったというお噂のある貴郎(あなた)様が臆病……」
「いや、女にかけてはじゃ。人を斬る段になると私は強い!」
 と、総司は、グッと肩を聳(そびや)かした。痩(や)せている肩ではあったが、聳かすと、さすがに殺気が迸(ほとばし)った。
 お力はヒヤリとしたようであったが、
「お千代さんという娘さんが、その一人の女の方なのでしょうね」
「左様」
 と迂闊(うっか)り云ったが、総司は、周章てて
「いや……」
「いや?」
「矢っ張り左様じゃ」
「よっぽど可(よ)い娘さんだったんでございましょうね」
「うん」
 と、ここでも迂闊り正直に云い、又、周章てて取消そうとしたが、自棄のように大胆になり、
「初心(うぶ)で、情が濃(こま)やかで……」
「神様のようで……」
「うん。……いや……それ程でもないが……親切で……」
「そのお方、只今は?」
「切れて了った!」
 こう云った総司の声は、本当に咽(むせ)んでいた。
「切れて……まあ……でも……」
「近藤殿の命(めい)でのう」
「何時(いつ)?」
「江戸への帰途。……紀州沖で……富士山艦で、書面(ふみ)に認(したた)め……」
「左様ならって……」
「うん」
「可哀そうに」
「大丈夫たる者が、一婦人の色香に迷ったでは、将来、大事を誤ると、近藤殿に云われたので」
「お千代様、さぞ泣いたでございましょうねえ。……いずれ、返書(かえし)で、怨言(うらみごと)を……」
「返書(へんしょ)は無い」
「まあ、……何んとも?……それでは、女の方では、あなた様が想っている程には……」
「莫迦(ばか)申せ!」
 と、総司は、眼を怒らせて呶鳴(どな)った。
「お千代はそんな女ではない! お千代は、失望して、恋いこがれて、病気になっているのじゃ!……と、わしは思う。……病気になってのう」
 総司は膝へ眼を落とし、しばらくは顔を上げなかった。部屋の中は静かで、何時の間に舞込んで来たものか、母指(おやゆび)ほどの蛾(が)が行燈の周囲(まわり)を飛巡り、時々紙へあたる音が、音といえば音であった。総司は、まだ顔を上げなかった。お力は、その様子を見守りながら、(何んて初心(うぶ)な、何んて生一本な、それにしても、こんな人に、そう迄想われているお千代という娘は、どんな女であろう?……幸福(しあわせ)な!)と思った。と共に、自分の心の奥へ、嫉妬(ねたましさ)の情の起こるのを、何うすることも出来なかった。

   親友は討ったが

「あのう」
 と、ややあってからお力は、探るような声で云った。
「細木永之丞というお方は、どういうお方なのでございますの?」
「ナニ、細木永之丞□ どうしてそのような名をご存知か」
 と、総司は、さも驚いたように云った。
「矢張りお眠(よ)ったままで『済まん、細木永之丞君、命令だったからじゃ、済まん』と、仰有(おっしゃ)ったじゃアありませんか」
「ふうん」
 と総司は、いよいよ驚いたように、
「さようなこと申しましたかな。ふうん。……いや、心に蟠(わだかまり)となっていることは、つい眠った時などに出るものと見えますのう。……細木永之丞というのは、わしの親友でな、同じ新選組の隊士なのじゃが、故あって、わしが討取った男じゃ」
「まア、どうして?……ご親友の上に、同じ新選組の同士を?」
「近藤殿の命令だったので……」
「近藤様にしてからが、同士の方を……」
「いや、規律に反(そむ)けば、同士であろうと隊士であろうと、斬って捨てねば……細木ばかりでなく、同じ隊士でも、幾人となく斬られたものじゃ。……近藤殿の以前の隊長、芹沢鴨殿でさえ――尤もこれは、何者に殺されたか不明ということにはなっているが、真実(まこと)は、土方殿が、近藤先生の命令によって、壬生の営所で、深夜寝首を掻(か)かれたくらいで。……だがわしは細木を斬るのは厭だったよ。永之丞は可(よ)い男でのう、気象もさっぱりしていたし、美男だったし……尤も夫れだから女に愛されて、その為め再々規律に反き、池田屋斬込みの大事の際にも、とうとう参加しなかった。これが斬られる原因なのだが、その上に彼が溺(おぼ)れていた女が、どうやら敵方――つまり、長州の隠密らしいというので……」
「まあ、隠密?」
「うむ。それで、味方の動静が敵方に筒抜けになっては堪らぬと、近藤殿が涙を呑んで、わしに斬ってくれというのだ。しかし私は『細木を斬ることばかりは出来ません。あれは私の親友ですから。……もし何うしても斬ると仰せられるなら、余人にお申付け下さい』と拒絶(ことわっ)たのじゃ。すると近藤殿は『親友に斬られて死んでこそ、細木も成仏出来るであろうから』と仰せられるのじゃ。そこで私も観念し、一夜、彼を、加茂河原へ連出し、先ず事情を話し『その女と別れろ、別れさえしたら、私が何んとか近藤殿にとりなして……』と云ったところ……」
 ここで総司は眼をしばたたいた。
 お力は唾(つば)を飲んだが、
「何と仰有いました?」
「別れられないと云うのだ」
「…………」
「そこで私(わし)は、では逃げてくれ、逃げて江戸へなり何処へなり行って、姿をかくしてくれと云うと、俺を卑怯者(ひきょうもの)にするのかと云うのだ。……もう為方(しかた)がないから、では此処で腹を切ってくれ、私が介錯(かいしゃく)するからと云うと、それでは、近藤殿から、斬れと云われたお前の役目が立つまいと云うのだ。
是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

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