大阪を歩く
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著者名:直木三十五 

 私は、小出君にも、九里丸君にも、私交が無いので、詳しくは云えないが、こうした人達を見る時に、初めて大阪はいい所、いい人の生れる所だな、と思う。そして商人もこういう人達と同じような態度になったなら、もっと儲かるのにと思う。乾新兵衛とか、寺田甚与茂とかという人も一つの金儲けタイプであるが、こんなにかちかちにならない方が、私は金儲けの為にいいと信じているし、大阪には多分の卑俗なユーモアがあるが、何故あれをもっとうまく利用しないかと、いつも考えている。大倉喜八郎が拙い狂句を作ったり、太閤秀吉が、とてつもない事をしたりするあの明るさが、どうして九里丸や、小出君の出た大阪の、その商人に欠けているのか? ユーモアでは、金が儲からんと考えていて、乾、寺田派に、しかめッ面をするのが多いらしいが、私の知っている範囲に於て、外国商人は実にあかるい。朗らかである。洒落と、戯談(じょうだん)と、哄笑(こうしょう)とで、商談をすすめて行く。日本の商人に限って仇敵と、取引しているように、真剣である。
 私は、大阪の洒落についてもっともっと云いたいが、それは次の機会に――本当に、私が、ぶらぶらと、大阪を歩く時に、云う事にしよう。多くの概念ばかりを、私はかいてきたが――実は、私は、もう少し、大望を起したのである。ただ、ぶらぶらと歩いて、見て、書いたって仕方がない。大阪の歴史を――私の故郷の出来事を、諸君の町に嘗ていた人の伝記を――そんな物を、書いたら、何うだろうか、と。私は、歩くだけでなく物を調べてから、歩いてみたくなってきたのである。

  大阪物語へ

 私は、宿から、近いので、よく心斎橋から、道頓堀を歩くが、そして、今まで、書いてきたようにいくらか、歩いては考えるが、戎橋(えびすばし)の本当の名は、何というのか? と、人に聞かれたら、一寸、困るだろうと、思う。
「戎橋は、戎橋や」
 と、云っても、大抵の人には、いいであろうが、この名は、俗称で、本当の名は、別にあるのである。
 千日前には、三勝半七の墓がある。然し、誰も、何処にあるのか知らないであろうし、そして、三勝と半七との、本当の事件も、多くの人は知らないであろう。私はただ、歩いて、現在の事を見、論じるだけでなく、こうした古い事も、調べて歩いてみたくなってきた。
 大阪中の隅から、隅まで――それは、その町内の人が、気にもとめないところに、おもしろい話もあろうし、其話に対する、私流の批判――神武天皇東征の時から、明治まで――こういう事は、私の得手では無いが、毎月五七日、大阪へきて、こつこつと調べ、読む事位は、私の為、大阪の為、私の故郷に対して、勉めてもいい。誰か、外にやっている人があるかも知れぬが、私がしたって、差支えないであろうし――私は、一日、歩いて、こんな望を起したのである。
 大阪の通俗的な歴史――神武天皇の昔は、少し、昔すぎるが、石山に本願寺を起す時分、即ち、史上に「大阪」の文学の現れてくる時分から、明治まで――一町内、一町内について、その町内にあった事件と人物とを書いたなら――そしてそれに現在からみた批評とかを、加えたなら、と。
 多くの保存されている旧蹟もあるが、今の内に、何んとかしておかぬと、廃絶するものもあろうし、名のみ残っていて、跡方もないものもあろうし――そうした物に対して、いくらかの注意がされ、もし、木標でも建てて、一日に一人でも読んで行く人があったなら、それでも、その人は、その町になつかしさを忘れぬであろうと――私は、こんな事を考えて、今日も少し調べたが大仕事であるだけに、きっとおもしろいと思えた。
 徒らに、考証、穿鑿(せんさく)のみをしたくないし、現在の吾々と飽くまで交渉のあるように書いて行って、そして、出来る限り、正確な調査をして、と――大阪には、木崎氏とか、南木氏とか、尊敬すべき郷土研究家が多いが、私は、飽くまで興味本位に――。
 とうとう、私は、大阪を歩かずにしまったが、四日からこそ、本当に、私は、女の同伴者がなくとも、一日中、大阪をぶらぶらするであろう。それを、私は「大阪物語」と名をつける。
 最初に、断った如く「続」というものは、大抵おもしろくないものである。「大阪物語」も、「続」は、おもしろくないが「大阪物語」の間だけは、きっと、愛読してもらえるとおもう。
 私は、これから、多くの参考書と共に、東京へ戻って、三月の下旬から、いよいよ大阪を歩き廻るつもりである。本当に、今度こそは――暖かいから、諸君、散歩の時季ですからね。




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