重右衛門の最後
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著者名:田山花袋 

「駐在所で、仕末が出来(でけ)ねえだら、長野へつゝ走つて、何うかして貰ふが好(え)いし、長野でも何うも出来ねえけりや、仕方が無えから、村の顔役が集(たか)つて、千曲川へでも投込(はふりこ)んで了ふが好(え)いだ」
「本当に左様(さう)でも為(し)て貰はねいぢや……」
 猶(なほ)少し行くと、
「まご/\してると、己(おら)が家(とこ)もつん燃されて了ふかも知んねえだ。本当にまア、何うしたら好い事だか」
「困つた事だ」
 とさも困つたといふやうな調子。
 聞流して又少し歩いた。
「重右衛門がこんな騒動(さわぎ)を打始(ぶつぱじ)めようとは夢にも思ひ懸けなかつたゞ。あれの幼い頃はお互(たげへ)にまだ記憶(おぼ)えて居るだが、そんなに悪い餓鬼(がき)でも無かつたゞが……」
 かう言つたのは年の頃大凡(およそ)六十五六の皺(しわ)くちやの老婆であつた。それに向つて立つて居るのも、これも同じく其年輩らしい老婆の姿で、今しも月の光にさも感に堪へぬといふ顔色(かほつき)を為(し)たが、前の老婆の言葉を受けて、「本当でごすよ。重右衛門は、妾(わし)の遠い親類筋だで、それでかう言ふのではごんせぬが、何アに、あれでも旨(うま)くさへ育てれや、こんな悪党にや為(な)りや仕ないんだす。一体祖父様(ぢゝさま)が悪かつただす。余(あんま)り可愛がり過ぎたもんだで……」
「だから、子供(がき)を育てるのも、容易(ばか)には出来ねえだ」
 と他の老婆は言葉を合せた。
 自分は其前をも行過ぎた。
 すると、路の角に居酒屋らしいものがあつて、其処には洋燈(らんぷ)が明るく点(つ)いて居るが、中(うち)には七八人の村の若者が酒を飲んで、頻(しき)りに大きい声を立(たて)て居る。
 立留つて聞くと、
「重右衛門は火事の中何処に行つて居たツて?」
「奴か、奴ア、直き山県さんの下の家に行つて、火事見舞に来たとか、何とか言つて、酒の馳走になつてけつかつた。あの位図太い奴ア無いだ」
「さういふ時、思ふさま、酒喰(くら)はして、ぐつと遣つて仕舞へば好いんだ」
「本当にそれが一番早道だア、と我(おら)ア、いつでも言ふんだけど、まさか、それも出来ねえと見えて、それを遣つて呉れる人が無えだ」
「忌々(いめ/\)しい奴だなア」
 と其中の一人が叫んだ。
 自分は又歩き出した。路が其処から川の方に曲つて居るので、それについて左に曲り、猶(なほ)半町ほど辿(たど)つて行くと、もう其処は尾谷川の崖(がけ)で、石に激する水声が、今迄種々(いろ/\)な悪声を聞いた自分の耳に、殆(ほとん)ど天上の音楽の如く聞える。月はもう高くなつたので、渓流の半面はその美しい光に明かに輝いて居るが、向ふに偏(かたよ)つた半面には、また容易に其光が到着しさうにも見えぬ。自分は崖に凭(よ)つて、そして今夜の出来事を考へた。友の言葉やら、村の評判やらから綜合(そうがふ)して見ると、この事件の中心に為(な)つて居る重右衛門といふ男は確かに自暴自棄に陥つて居るに相違ないと自分は思つた。けれど何うして渠(かれ)はその自暴自棄の暗い境に陥つたのであらうか。先程の老婆の言ふ所によれば、祖父様が悪いのだ、あまり可愛がり過ぎたから、それで彼様(あん)な風に為つたのだと言ふけれど、単に愛情の過度といふのみで、それで人間が、己(おのれ)の故郷の家屋を焼くといふ程の烈しい暗黒の境(きやう)に陥るであらうか。殊に此村には一種の冒険の思想が満ち渡つて居て、もし単に故郷に容(い)れられぬといふばかりならば、根本の父のやうに、又は塩町の湯屋のやうに、憤(いきどほり)を発して他郷に出て、それで名誉を恢復(くわいふく)した例(ためし)は幾許(いくら)もある。であるのに、それを敢(あへ)て為(し)ようとも為(せ)ず、かうして故郷の人に反抗して居るといふのは、其処に何か理由が無くてはならぬ。その理由は先天的性質か、それとも又境遇から起つた事か。
 種々に空想を逞(たくまし)うしたが、未だ其人をさへ見た事の無い身の、完全にそれを断定することが何うして出来よう。遂(つひ)に思切つて、そして帰宅すべく家路に就いた。路は昼間小僮(せうどう)に案内して貰つて知つて居るから別段甚しく迷ひもせずに、やがて緑樹の欝蒼(こんもり)と生ひ茂つた、月の光の満足にさし透(とほ)らぬ、少しく小暗(をぐら)い阪道へとかゝつて来た。村の方ではまだ騒いで居ると見えて、折々人声は聞えるけれど、此の四辺(あたり)はひつそりと沈まり返つて、木(こ)の葉(は)の戦(そよ)ぐ音すら聞えぬ。自分は月の光の地上に織り出した樹の影を踏みながら、阪の中段に構へられてある一軒の農家の方へと只(たゞ)無意味に近づいて行つた。
 すると、その家の垣根の前に小さな人の影があつて、低頭(うつぶき)になつて頻りに何か為て居るではないか。勿論家の蔭であるから、それと分明(はつきり)とは解らぬが、その影によつて判断すると、それは確かに大人で無いといふ事がよく解る。自分は立留つた。そして樹の蔭に身を潜めて、暫(しば)しその為様(せんやう)を見て居た。
 ぱツとマッチを擦(す)る音!
 同時に
「誰だ!」
 と叫んで自分は走り寄つた。けれどその影の敏捷(びんせふ)なる、とても人間業(にんげんわざ)とは思はれぬばかりに、走寄る自分の袖(そで)の下をすり抜けて、電光(いなづま)の如く傍の森の中に身を没(かく)して了つた。跡には石油を灑(そゝ)いだ材料に火が移つて盛(さかん)に燃え出した。
「火事だ、火事だア」
 と自分は声を限りに叫んだ。

     八

 藤田重右衛門と言ふのは、昔は村でも中々の家柄で祖父の代までは田の十町も所有して、小作人の七八人も遣(つか)つた事のある身分だといふことである。家は丁度(ちやうど)尾谷川に臨んだ一帯の平地にあつて、樫(かし)の疎(まば)らな並樹(なみき)がぐるりと其の周囲を囲んで居る奥に、一棟(むね)の母屋(おもや)、土蔵、物置と、普請(ふしん)も尋常(よのつね)よりは堅く出来て居て、村に何か事のある時には、その祖父といふ人は必ず総代か世話人に選ばれるといふ程の名望家であつた。現に根本三之助の乱暴を働いた頃にも、その村の相談役で、千曲川(ちくまがは)に投込(はふりこ)んで了(しま)へと決議した人の一人であつたといふ。性質の穏かな、言葉数の少ない、慈愛心の深い人で、殊に学問――と謂(い)ふ程でも無いが、御家流(おいへりう)の字が村にも匹敵(ひつてき)するものが無い程上手で、他村への交渉、飯山藩の武士への文通などは皆この人に頼んで書いて貰ふのが殆ど例になつて居たといふ事である。この人は千曲川の対岸の大俣(おほまた)といふ処から、妻を娶(めと)つたが、この妻といふ人も至極好人物で、貧乏者にはよく米を遣つたり、金銭を施したりして、年が老(と)つてからは、寺参りをのみ課業として、全く後生(ごしやう)を願ふといふ念より外に他(ほか)は無かつた。であるのに、僅(わづ)か一代を隔てて、何うしてこんな不幸がその藤田一家を襲つたのであらうか。何うしてその祖父祖母の孫に今の重右衛門のやうな、乱暴無慚(むざん)の人間が出たのであらうか。
 その優しい正しい祖父祖母の問に、仮令(たとへ)女でも好いから、まことの血統を帯びた子といふ者が有つたなら、決してこんな事は無かつたらうとは、村でも心ある者の常に口に言ふ所であるが、不幸にもその祖父祖母の間には一人の子供も無かつたので、藤田の系統(けつとう)を継(つ)がしむる為めに、二人は他の家から養子を為なければならなかつた。今の重右衛門の父と言ふのは、芋沢のさる大尽の次男で、母は村の杉坂正五郎といふものの三女である。何方(どちら)も左程悪い人間と言ふではないが、否、現に今も子息(むすこ)の事を苦にして、村の者に顔を合せるのも恥しいと山の中に隠れて出て来ぬといふやうな寧(むし)ろ正直な人間ではあるが、さりとて、又、祖父祖母のやうな卓(すぐ)れて美しい性質は夫婦とも露ばかりも持つて居らなかつたので、母方の伯父(をぢ)といふ人は人殺をして斬罪(ざんざい)に処せられたといふ悪い歴史を持つて居るのであつた。で、この夫婦養子の間(なか)に間もなく出来たのが、今の重右衛門。子の無い処の孫であるから、祖父祖母の寵愛(ちようあい)は一方(ひとかた)ではなく、一にも孫、二にも孫と畳にも置かぬほどにちやほやして、その寵愛する様は、他所目(よそめ)にも可笑(をか)しい程であつたといふ。処が、この最愛の孫に一つ悲むべきことがある。それは生れながらにして、腸の一部が睾丸(かうぐわん)に下りて居る事で、何うかしてこの大睾丸(おほきんたま)を治(なほ)して遣(や)る方法は無いかと、長野まで態々(わざ/\)出懸けて、いろ/\医者にも掛けて見たけれど、まだ其頃は医術も開けて居らぬ時代の事とて、一時は腸に収まつて居ても、又何かの拍子で忽地(たちまち)元に復して了ふので、いくら可愛想に思つても、何(ど)う為(す)る事も出来なかつた。
 これが又一層不便(ふびん)を増すの料となつて、孫や孫やと、その祖父祖母の寵愛は益(ます/\)太甚(はなはだ)しく、四歳(よつ)五歳(いつゝ)、六歳(むつ)は、夢のやうに掌(たなごころ)の中に過ぎて、段々その性質があらはれて来た。けれど、子供の時分には、只非常に意地の強いといふばかりで、別段これと言つて他の童(わらべ)に異つたところも無かつたといふ事だが、それでも今の老人の中には、重右衛門の子供にも似ぬ、一種茫然(ぼんやり)したやうな、しつかりしたやうな、要領を得ない処があるのを記憶して居て、どうもあの子は昔から変つて居ると思つたと言ふ者もある。が、概して他の童にさしたる相違が無かつたといふのが、一般の評であつた。山県の総領の兄などはその幼い頃の遊び夥伴(なかま)で、よく一所に蜻蛉(とんぼ)を交(つる)ませに行つたり、草を摘みに行つたり、山葡萄(やまぶだう)を採(と)りに行つたり為た事があるといふが、今で、一番記憶に残つて居るのは、鎮守の境内で、鬼事(おにごと)を為る時、重右衛門は睾丸が大いものだから、いつも十分に駆ける事が出来ず、始終中(しよつちゆう)鬼にばかり為(な)つて居たといふ事と、山茱萸(やまぐみ)を採りに三峯に行つた時、その大睾丸を蜂に食はれて、家に帰るまで泣き続けて居たといふ事と、今一つ、よく大睾丸を材料(たね)にして、いろ/\渾名(あざな)を付けたり、悪口を言つたり為(す)るものだから、終(しまひ)にはそれを言ひ始めると、厭(いや)な顔をして、折角(せつかく)楽しげに遊んで居たのも直ぐ止めて帰つて了ふやうになつたといふ事位のものであるさうな。けれど其先天的不具がかれの一生の上に非常に悲劇の材料と為つたのは事実で、人間と生れて、これほど不幸福(ふしあわせ)なものは有るまい。それから愛情の過度、これも確かにかれの今日の境遇に陥つた一つの大なる原因で、大きくなる迄、孫や、孫やとやさしい祖父にちやほやされて、一時村の遊び夥伴(なかま)の中に、重右衛門と名を呼ぶ者はなく、孫や、孫やで通つたなども、かれの悲劇を思ふ人の有力なる材料になるに相違ない。
 月日は流るゝ如く過ぎて、早くも渠(かれ)は十七の若者となつた。其年の春、祖母は老病で死んで了つたが、此年ほど藤田家に取つて運の悪い年は無かつたので、其初夏には、父親が今年こそはと見当を付けて、連年の養蚕(やうさん)の失敗を恢復(くわいふく)しようと、非常に手を拡(ひろ)げて養(か)つた蚕が、気候の具合で、すつかり外(はづ)れて、一時に田地の半分ほども人手に渡して了ふといふ始末。かてて加へて、妻の持病の子宮が再発して、枕も上らず臥(ふ)せつて居ると、父親は又父親で、失敗の自棄(やけ)を医(いや)さん為め、長野の遊廓にありもせぬ金を工面して、五日も六日も流連(ゐつゞけ)して帰らぬので、年を老(と)つた、人の好い七十近い祖父が、独(ひと)りでそれを心配して、孫や孫やと頻(しき)りに重右衛門ばかりを力にして、何うか貴様は、親父(おやぢ)のやうに意気地なしには為つて呉れるな、祖父(ぢいさん)の代の田地(でんち)を何うか元のやうに恢復(くわいふく)して呉れと、殆ど口癖のやうに言つて居た。
 御存じでは御座るまいが、村には若者の遊び場所と言ふやうなものがあつて、(自分は根本行輔の口からこの物語を聞いて居るので)昼間の職業(しごと)を終つて夕飯を済すと、いつも其処に行つて、娘の子の話やら、喧嘩の話やら、賭博(ばくち)の話やら、いろ/\くだらぬ話を為て、傍(かたは)ら物を食つたり、酒を飲んだりする処がある。今では学校が出来て、教育の大切な事が誰の頭脳(あたま)にも入つて来たから、さういふ下らぬ遊を為(す)るものも少く為(な)つたけれど、まだ私等の頃までは、随分それが盛んで、やれ平右衛門の二番娘は容色(きりやう)が好いの、やれ総助の処の末の娘が段々色気が付いて来たのと下らぬ噂を為(する)ばかりならまだ好いが、若者と若者との間にその娘に就いての鞘当(さやあて)が始まる、口論が始まる、喧嘩が始まる、皿が飛ぶ、徳利が破(こは)れるといふ大活劇を演ずることも度々で、それは随分弊(へい)が多かつた。殊に其遊び場所の最も悪い弊と言ふのは、その若者の群の中にも自(おのづ)から勢力の有るものと、無いものとの区別があつて、其勢力のある者が、まだ十六七の若い青年を面白半分に悪いところに誘つて行く、これが第一の弊だと思ふ。
 私なども経験があるが、散々村の遊び場所で騒ぎ散して、さてそれから其処に集つて居る若者の総(すべ)ての懐中を改めて、これなれば沢山(たくさん)となると、もう大分夜が更(ふ)け渡つて居るにも拘(かゝは)らず、其処から三里もある湯田中(ゆだなか)の遊廓へと押懸けて行く。其一群の中には、屹度(きつと)今夜が始めて……といふ初陣(うひぢん)の者が一人は居るので、それを挑(おだ)てたり、それを戯(からか)つたり、散々飜弄(ひやか)しながら歩いて行くのが何よりも楽みに其頃は思つて居た。そして又、村の若者の親なども、これはもう公然止むを得ざる事と黙許して居て、「家の忰(せがれ)もはア、色気が附いて来ただで、近い中に湯田中に遣らずばなるめい、お前方(めいがた)附いて居て、間違の無(ね)いやうに遊ばして呉らつしやれ」とその兄分の若い衆に頼むものさへある。兎(と)に角(かく)、村の若い者で、湯田中に遊びに行かぬ者は一人も無く、又初めての翌朝、兄分の者に昨夜(ゆうべ)の一伍一什(いちぶしじふ)を無理に話させられて、顔を赤く為(し)ないものは一人も無い。
 重右衛門を始めて湯田中に連れて行つたのは、勝五郎といふ其頃有名な兄分で、今では失敗して行衛(ゆくへ)知れずになつて居るが、それがよく重右衛門の初陣の夜の事を得意になつて人に話した。
「重右め、不具(かたは)だもんだで、姫つ子が何うしても承知しねえ、二夜(ばん)、三夜(ばん)、五夜(ばん)ほど続けて行つて、姫つ子を幾人も変へて見たが、何奴(どいつ)も、此奴も厭だアつてぬかして言ふ事を聞かねえだ。朝になつて、あの田中の堤(どて)の上を茫然(ぼんやり)帰つて来ると、重右め、いつも浮かぬ顔をして待つて居る。咋夜(ゆうべ)は何うだつたつて……聞くと、頭ア振つて駄目だアと言ふ。それが余り幾夜も続くので、私も、はア、終(つひ)には気の毒になつて、重右だツて、人間だア。不具に生れたのは、自分(われ)が悪いのぢやねえ。それだのに、その不具の為めに、女を知る事が出来ねえとあつては、これア気の毒だア。一つ肌を抜いで世話をして遣らうと思つて、それから私の知つて居る女郎屋の嚊様(かゝさま)に行つてこれ/\だつて話して遣つただ。すると、流石(さすが)は商売人だで、訳なく承知して呉れて、重右め、其処に行つて泊る事に為つただ。明日の朝、何んな顔をして居るかと思つたら、奴め、莞爾(にこ/\)と笑つて居やがる。背中を一つ喰はせて遣ると、いひ/\/\と笑やがつたが、其笑ひ様つて言つたら、そりや形容(かたち)にも話にも出来ねえだ。本当に、私あ、随分人を湯田中に連れて行つたが、重右の奴ぐらゐ、手数(てかず)の懸(かゝ)つたのは無え」
 と高く笑つて、
「それにしても、考へると、可笑(をかし)くつてなんねえだよ。あの大(でか)い睾丸を拘へてよ、それで姫ツ子を自由に為(し)ようつて言んだから、こいつは中々骨が折れるあ!」
 と言ふのが例だ。
 で、其からといふものは、重右衛門は好く湯田中に出懸けて行つたが、金を費(つか)ふ割に余りちやほやされないので、つねに悒々(おふ/\)として楽しまなかつたといふ事である。
 其中には段々家は失敗に失敗を重ねて、祖父が一人真面目に心配して居るけれど、さてそれを何うする事も出来ず田地は益々人手に渡つて、祖父の死んだ時(それは丁度重右衛門が二十二の時であつた)にはもう田畠(でんばた)合せて一町歩位しか無かつたとの話だ。ことに、その祖父の死ぬ時に一つの悲しい話がある。それは、其頃重右衛門は湯田中に深く陥(はま)つて居る女があつたとかで、家の衰へて行くのにも頓着せず、米を売つた代価とか、蚕(かひこ)を売つた金とかありさへすれば、五両なり十両なりそれを残らず引攫(ひつさら)つて飛出して、四日、五日、その金の有らん限り、流連(ゐつゞけ)して更に家に帰らうとも為なかつた。父親と母親とは重右街門とは始めから仲が悪いので、商売を為るとか言つて、其頃長野へ出て居つたから、家には只死に瀕した祖父一人。その祖父は曾(かつ)て孫を此上なく寵愛(ちようあい)して、凡(およ)そ祖父の孫に対する愛は、遺憾(ゐかん)なく尽して居つたにも拘(かゝは)らず、その死の床には侍(はべ)つて居るものが一人も無いとは!
 二日程前から病に罹(かゝ)つて、老人はその腰の曲つた姿を家の外に顕(あら)はさなかつたが、其三日目の晩に、あまり家の中がしんとして居ると言ふので、隣の者が行つて見ると、老人(としより)行火(あんくわ)に凭(よ)り懸つたまゝ、丸くなつて打伏して居る。
「爺様(ぢいさん)! 何うだね」
 と声を懸けても、返事が無い。
「爺様!」
 と再び呼んでも、猶(なほ)返事を為ようとも為ない。これは不思議だと怪んで、急いで傍に行つて見ると、体がぐたりとして水涕(みづつぱな)を出したまゝ、早既に締(こと)が切れて居る。驚いて、これを村の世話役に報告する、湯田中の重右衛門に使を出す、と、重右衛門は遊廓の二階で、大睾丸を抱へて大騒を遣つて居る最中だつたさうで、祖父(ぢゝ)が死んだといふ悲むべき報知を聞いても、更に涙一つ滴(こぼ)さうでもなく、「死んで了つたものは仕方が無え、明日帰つて、緩(ゆつく)り葬礼(ともれひ)を出して遣るから、もう帰つて呉れても好い」との無情な言草には、使の者も殆(ほとん)ど呆(あき)れ返つたとの事だ。
 兎に角重右衛門は此頃からそろ/\評判が悪くなつたので、その祖父の孫に対する愛を知つて居る人は、他村の者までも、重右衛門の最後の必ず好くないといふ事を私語(さゝや)き合つたのである。
 祖父が死んだので、父親母親は一先(ひとまづ)村へ帰つて、少時(しばらく)其家に住んで居た。が、この親子の間柄(あひだ)といふものは、祖父が余り過度に愛した故(せゐ)でもあらうが、それは驚くばかり冷(ひやゝ)かで、何かと言つては、直(ぢ)き親子で衝突して、撲(なぐ)り合ひを始める。仲裁に入ると、その仲裁に入つた者まで撲り飛ばして、傷を負はせるといふ有様なので、後には誰も相手に為る者が無くなつて了つた。で、この親と子の間に少なからざる活闘が演じられたが、重右衛門は体格が大きく、馬鹿力があつて、其上意地が非常に強く、酒を飲むと、殆ど親子の見さかひも無くなつて了ふものだから、流石(さすが)の親達も終(つひ)には呆れ返つてこんな子息(むすこ)の傍には居られぬ、と一年許(ばかり)して、又長野へ出て行つた。
 これからが重右衛門の罪悪史である。祖父は歿(な)くなる、親は追出す、もう誰一人その我儘(わがまゝ)を抑(と)めるものが無くなつたので、初めの中は自分の家の財産を抵当に、彼方(あつち)此方(こつち)から金を工面して、猶(なほ)その放蕩(はうたう)を続けて居た。けれど重右衛門とて、丸きり意識を失つた馬鹿者でも無いから、満更その自分の一生に就いて思慮を費(つひ)やさぬ事も無いので、時にはいろ/\その将来の事を苦にして、自分の家の没落をも何うかして恢復(くわいふく)したいと思つた事もあつたらしい。其証拠には、それから、大凡(およそ)一年ばかり経つと、丸で人間が変つたかと思はれるやうに、もうふつゝりと女郎買をやめて、小作人まかせに荒れて居た田地を耕し、人の為めに馬を曳(ひ)いて賃金を取り、養蚕(やうさん)の手伝をして日当を稼ぐなど、それは村の人が一時眼を聳(そば)だてる程の勤勉なる労働者と為つた
 其頃である。稍(やゝ)その信用が恢復しようとした頃である。村に世話好の男があつて、重右衛門も此頃では余程身持も修(をさ)まつて来たやうだし、あゝ勤勉に労働する処を見ると、将来にも左程希望が無いとも云へぬ。一つ相応な嫁を周旋して、一層身が堅まるやうに為(し)て遣らうではないかといふ者があつたが、それに賛成する者も随分あつて、彼れかこれかといよ/\相応の嫁を探して遣る事と為つた。
 其候補者には誰が為つたらう。
 その頃、村の尽頭(はづれ)に老婆と一緒に駄菓子の見世(みせ)を出して、子供等を相手に、亀の子焼などを商(あきな)つて、辛うじて其日の生活を立てて行く女があつた。生れは何でも越後(ゑちご)の者だといふ事だが、其処に住んだのは、七八年前の事で、始めはその父親らしい腰の曲つた顔の燻(くすぶ)つた汚(きたな)らしい爺様(ぢいさま)も居つた相だが、それは間もなく死んで、今では母の老婆と二人暮し。村の若い者などが時々遊びに行く事があつても、不器量で、無愛想で、おまけに口が少し訥(ども)ると来て居るから、誰も物好に手を出すものもなく、二十五歳の今日まで、男といふものは猫より外に抱いた事も無かつた。けれど其性質は悪くはない相で、子供などには中々優しくする様子であるから、何うだ、重右衛門、姿色(みめ)よりも心と言ふ譬(たとへ)もある、あれを貰ふ気は無いかと勧めた。
 重右衛門も流石(さすが)に二の足を踏んだに相違ないが、余りに人から執念(しふね)く勧めらるゝので、それでは何うか好いやうにして下され、私等は、ハア、どうせ不具者(かたはもの)でごすでと言つて承知して、それより一月ならざるに、重右衛門の寂(さび)しい家宅(いへ)にはをり/\女の笑ふ声が聞える様になつた。
 村の人はこれで重右衛門の身が堅まつたと思つて喜んだのである。けれどそれは少くとも重右衛門のやうな性格と重右衛門のやうな先天的不備なところがある人間には間違つた皮相な観察であつた。一体重右衛門といふ男は負け嫌ひの、横着の、図々しいところがあつて、そして其上に烈(はげ)しい/\熱情を有(も)つて居る。で、この熱情が旨(うま)く用ひられると、中々大した事業をも為るし、人の眼を驚かす程の偉功をも建てる事が出来るのだけれど、惜しい事には、この男にはこれを行ふ力が欠けて居る。先天的に欠けて居る。この男には「自分は不具者(かたはもの)、自分は普通の人間と肩を並べることが出来ぬ不具もの」といふ考が、小児(こども)の中からその頭脳に浸(し)み込んで居て、何かすぐれた事でも為ようと思ふと、直ぐその悲しむべき考が脳を衝(つ)いて上つて来る。そしてこの不具者といふ消極的思想が言ふべからざる不快の念をその熱情の唯中に、丁度氷でもあるかのやうに、極めて烈しく打込んで行く。この不快の念、これが起るほど、かれには辛(つら)いことはなく、又これが起るほど、かれには忌々(いま/\)しい事はない。何故(なぜ)自分は不具に生れたか、何故自分は他の人と同じ天分を受ける事が出来なかつたか。
 親が憎い、己(おれ)を不具に生み付けた親が憎い。となると、自分の全身には殆(ほとん)ど火焔(くわえん)を帯びた不動尊も啻(たゞ)ならざる、憎悪(ぞうを)、怨恨(ゑんこん)、嫉妬(しつと)などの徹骨の苦々しい情が、寸時もじつとして居られぬほどに簇(むらが)つて来て、口惜(くや)しくつて/\、忌々(いま/\)しくつて/\、出来るものならば、この天地を引裂(ひつさ)いて、この世の中を闇にして、それで、自分も真逆様(まつさかさま)にその暗い深い穴の中に落ちて行つたなら、何(ど)んなに心地が快(い)いだらうといふやうな浅ましい心が起る。
 かういふ時には、譬(たと)へ一銭の銅貨を持つて居らないでも、酒を飲まなければ、何うしても腹の中の虫が承知しない。仕方が無いから、居酒屋に飛んで行つて一杯飲む、二杯飲む。あとは一升、二升。
 重右衛門の為めには、女房が出来たのは余り好い事では無かつたが、もし二人の間に早く子供が生れたなら、或は重右衛門のこの腹の虫を全く医(いや)し得たかも知れぬ。けれど不幸にも一年の間に子をつくることが出来なかつた二人の仲は、次第に殺伐(さつばつ)に為(な)り、乱暴に為り、無遠慮になつて、そして、その場句(あげく)には、泣声、尖声(とがりごゑ)を出しての大立廻。それも度重なつては、犬の喧嘩と振向いて見るものなく、女房の顔には殆ど生傷(なまきず)が絶えぬといふやうな寧(むし)ろ浅ましい境遇に陥つて行つた。
 その結果として、折角身持が治(をさま)り懸けた重右衛門が再び遊廓に足を踏み入れるやうに為り、少しく手を下し始めた荒廃した田地の開墾が全く委棄(ゐき)せられて了つたのも、これも余儀ない次第であらう。
 □(も)し、この危機に処して、一家の女房たるものが、少しく怜悧(れいり)であつたならば、狂瀾(きやうらん)を既に倒るゝに翻(ひるがへ)し、危難を未(いま)だ来らざるに拒(ふせ)ぐは、さして難い事では無いのである。が、天は不幸なるこの重右衛門にこの纔(わづ)かなる恩恵(めぐみ)をすら惜んで与へなかつたので、尋常よりも尚(なほ)数等愚劣なるかれの妻は、この危機に際して、あらう事か、不貞腐(ふてくされ)にも、夫の留守を幸ひに、山に住む猟師(れふし)のあらくれ男と密通した。
 そして、それの露顕した時、
「だつて、その位(くれゐ)は当(あた)り前(めへ)だア。お前さアばか、勝手な真似して、己(うら)ら尤(とが)められる積(せき)はねえだ」
 とほざいた。
 重右衛門は怒つたの、怒らないのツて、
「何だ、この女(あま)!」
 と一喝して、いきなり、その髪を執(と)つて、引摺倒(ひきずりたふ)し、拳(こぶし)の痛くなるほど、滅茶苦茶に撲(なぐ)つた。そして半死半生になつた女房を尻目にかけて、其儘(そのまま)湯田中へと飛んで行つた。そして、酒……酒……酒。
 で、これからと言ふものは、重右衛門は全く身を持崩して了つたので、女郎買を為(す)るばかりではない、悪い山の猟師と墾意に為(な)つて、賭博(ばくち)を打つ、喧嘩を為る、茶屋女を買ふ、瞬(またゝ)く間にその残つて居る田地をも悉(こと/″\)く人手に渡して、猶(なほ)其上に宅地と家屋敷を抵当に、放蕩費(はうたうひ)を借りようとして居るのだが、誰もあんな無法者に金を貸して、抵当として家屋敷を押へた処が、跡で何んな苦情を持出さぬものでもないと、恐毛(おぞけ)振つて相手に為(せ)ぬので、そればかりは猶其後少時(しばし)、かれの所有権ある不動産として残つて居た。
 ある時かういふ奇談がある。
 かれはその三日前ばかりから、湯田中に流連(ゐつゞけ)して、いつもの馴染(なじみ)を買つて居たが、さて帰らうとして、それに払ふべき金が無い。仕方が無いから、苦情やら忌味(いやみ)やらを言はれ/\、三里の山道を妓夫(ぎふ)を引張つて遣つて来て見ると家の道具はもう大方持出して叩き売つて仕舞つたので、これと言つて金目なものは一つも無い。妓夫は怒るし、仕末に困つて、何うしようと思つて居ると、裏の馬小屋で、主人が居ないので、三日間食はずに、腹を減(へら)して居つた、栗毛の三歳が、物音を聞き付けて、一声高く嘶(いなゝ)いた。
「やア、まだ馬が居るア」
 と言つて、平気でそれを曳出(ひきだ)して、飯をも与ヘずに、妓夫に渡した。そして、彼はその馬を売つた残りの金を費(つか)ふべく、再び湯田中へと飛び出して行つたのである。
 其事が誰言ふとなく村の者に伝つて、孫(祖父の口癖に言つた)が馬を引張つて来て、又馬を引張つて行かれたとよと大評判の種となつた。
 それから、三年。かれが到頭(たうとう)家屋敷を抵当に取られて、忌々(いま/\)しさの余(あまり)に、その家に火を放ち、露顕して長野の監獄に捕へらるゝ迄其間の行為は、多くは暗黒と罪悪とばかりで、少しも改善の面影(おもかげ)を顕(あら)はさなかつたが、只(たゞ)一度……只一度次のやうな事があつた。
 それは何でも其家屋の抵当に入つてから後の事だ相だが、ある日かれは金を借ようと思つて、上塩山(かみしほやま)の上尾(あげを)貞七の家を訪(たづ)ねた事があつた。この上尾貞七と謂(い)ふのは、根本三之助などと同じく、一時は非常に逆境に沈淪(ちんりん)して、村には殆ど身を措(お)く事が出来ぬ程に為(な)つた事のある男で、それから憤(いきどほり)を発して、江戸へ出て、廿年の間に、何う世の荒波を泳いだか、一万円近くの資産を作つて帰つて来て、今では上塩山第一の富豪(かねもち)と立てられる身分である。重右衛門が訪ねると、快く面会して、その用向の程を聞き、言ふがまゝに十五円ばかりの金を貸し、さて真面目な声で、貞七が、「実はお前さんの事は、兼ねて噂(うはさ)に聞いて知つて居つたが、生れた村といふものは、まことに狭いもので、とても其処に居ては、思ふやうな事は出来ない。私なども……覚えが有るが、村の人々に一度信用せられぬとなると、もう何んなに藻掻(もが)いても、とても其村では何うする事も出来なくなる。お前さんも随分村では悪い者のやうに言はれるが、何うだね、一奮発する気は無いか」
 重右衛門は黙つて居る。
「私なども……それア、随分酷(ひど)い眼に逢(あ)つた。親には見放される、兄弟には唾(つば)を吐き懸けられる、村の人にはてんから相手にされぬといふ始末で、夜逃の様にして村を出て行つたが、其時の悲しかつた事は今でも忘れない。あの倉沢の先の吹上(ふきあげ)の水の出て居る処があるが、あそこで、石に腰を懸けて、もうこれで村に帰つて来るか何(ど)うだかと思つた時は、情なくなつて涙が出て、いつそこゝで死んで了はうかとすら思つた程であつた。けれど……思返して、何うせ死ぬ位なら、江戸に行つて死ぬのも同じだ、死んだ積りで、量見を入れかへて、働いて見よう……とてく/\と歩き出したが、それが私の運の開け始めで、それでまア、兎(と)に角(かく)今の身分に為つた……」
「私なんざア、駄目でごす…‥」
 と重右衛門は言つたが、其顔はおのづから垂れて、眼からは大きな涙がほろ/\と膝の上に落ちた。
「駄目な事があるものか。私などもお前さんの様に、其時は駄目だと思つた。けれどその駄目が今日のやうな身分になる始となつたぢやがアせんか。何でも人間は気を大きくしなければ好(い)けない」
 答の無いのに再び言葉を続(つ)いで、
「村の奴などは何とでも勝手に言はせて置くが好い。世の中は広いのだから、何も村に居なければならねえと言ふのでもねえ、男と生れたからにや、東京にでも出て一旗挙げて来る様で無けりや、話にも何にも為(な)らねえと言ふ者(もん)だ……」
 重右衛門は殆ど情に堪へないといふ風で潮(うしほ)の如く漲(みなぎ)つて来る涙を辛うじて下唇を咬(か)みつゝ押へて居た。
「本当でごいすよ、私は決して自分に覚えの無(ね)え事を言ふんぢやねえんだから、……本当に一つ奮発さつしやれ、屹度(きつと)それや立身するに極つてるから」
「私は駄目でごす……」と涙の込み上げて来るのを押へて、「私ア、とても貴郎(あんた)の真似は出来ねえでごす。一体、もうこんな体格(からだ)でごいすだで」
「そんな事はあるものか」と貞七は口では言つたが、成程それで十分に奮発する事も出来ないのかと思ふと、一層同情の念が加はつて、愈(いよ/\)慰藉(ゐしや)して遣らずには居られなくなつた。
「本当にそんな事は無い。世の中にはお前さんなどよりも数等利(き)かぬ体で、立派な事業を為た人はいくらもある。盲目(めくら)で学者になつた塙検校(はなはけんげう)と言ふ人も居るし、跛足(びつこ)で大金持に為つた大俣(おほまた)の惣七といふ男もある。お前さんの体位で、そんな弱い事を言つて居ては仕方がない。本当に一つ……遣つて見さつしやる気は無えかね。私ア、東京にも随分知つてる人も居るだて、一生懸命に為る積なら、いくらも世話は為て遣るだが」
「難有(ありがた)い、さう仰(おつしや)つて下さる人は、貴郎ばかり。決して……決して」と重右衛門は言葉を涙につかへさせながら、「決して忘れない、この御厚恩は! けれど私ア、駄目でごす。体格(からだ)さへかうでなければ、今までこんなにして村にまご/\して居るんぢや御座(ごア)せんが……。私は駄目でごす……」
 と又涙をほろ/\と落した。
 これは貞七の後での話だが実際その時は気の毒に為つて、あんな弱い憐れむべき者を村では何故(なぜ)あのやうに虐待するのであらう。元はと言へば気ばかり有つて、体が自由にならぬから、それで彼様(あん)な自暴自棄(やけ)な真似を為(す)るのであるのに……と心から同情を表(へう)さずには居られなかつたといふ事だ。実際、重右衛門だとて、人間だから、今のやうな乱暴を働いても、元はその位のやさしい処があつたかも知れない。けれどその体の先天的不備がその根本の悪の幾分を形造つたと共に、その性質も亦その罪悪の上に大なる影響を与へたに相違ないと、自分は友の話を聞きながら、つくづく心の中に思つた。

       *     *     *

 此後の重右衛門の歴史は只々(たゞ/\)驚くべき罪悪ばかり、抵当に取られた自分の家が残念だとて、火を放(つ)けて、獄に投ぜられ、六年経つて出て来たが、村の人の幾らか好くなつたらうと望を属(しよく)して居たのにも拘(かゝは)らず、相変らず無頼(ぶらい)で、放蕩(はうたう)で後悔を為るどころか一層大胆に悪事を行つて、殆ど傍若無人といふ有様であつた。其翌年、賭博(とばく)現行犯で長野へ引かれ、一年ほどまた臭い飯を食ふ事になつたが、二度目に帰つて来た時は、もう村でも何うする事も出来ない程の悪漢(わるもの)に成り済(すま)して、家も無いものだから今の堤下(どてした)に乞食(こじき)の住むやうな小屋を造つて、其処に気の合つた悪党ばかり寄せ集め、米が無くなると、何処の家にでもお構ひなしに、一升米を貸して呉れ、二升米を貸して呉れと、平気な面(つら)して貰ひに行く。そして、少しでも厭な素振を見せると、それなら考があるから呉れなくても好いと威嚇(おど)すのが習(ならひ)。村方では又火でも放(つ)けられては……と思ふから、仕方なしに、言ふまゝに呉れて遣る。すると好気(いゝき)に為つて、幅(はゞ)で、大風呂敷を携(たづさ)へて貰つて歩くといふ始末。殆ど村でも持余した。それがまだ其中は好かつたが、ある時ふと其感情を損(そこ)ねてからと言ふものは、重右衛門大童(おほわらは)になつて怒つて、「何だ、この重右衛門一人、村で養つて行けぬと謂(い)ふのか。そんな吝(けち)くさい村だら、片端から焼払つて了へ」
 と酔客の如く大声で怒鳴つて歩いた。
 で、今回の放火騒動(ひつけさわぎ)。

     九

 山県の家の全焼したあくる日は、益々警戒に警戒を加へて、重右衛門の行為は勿論(もちろん)、その娘ツ子の一挙一動、何処(どこ)に行つた、彼処(かしこ)に行つたといふ事まで少しも注意を怠らなかつた。否、消防の人数を加へ、夜番の若者を増して、十五分毎には柝木(ひやうしぎ)と忍びとが代る/″\必ず廻つて歩くといふ、これならば何(ど)んな天魔でも容易に手を下す事が出来まいと思はれる許(ばかり)の警戒を加へて居て、それは中々一通の警戒ではないのであつた。であるのに、その厳しい防禦線(ばうぎよせん)の間を何う巧(たくみ)に潜つてか、其夜の十時少し過ぎと云ふに、何か変な臭ひがすると思ふ間もなく、ふす/\と怪しい音がするので、まだ今寝たばかりの雨戸を繰つて見ると、これはそも驚くまじき事か、火の粉(こ)が降るやうに満面に吹き附けて、すぐ下の家屋の窓からは、黒く黄(きいろ)い烟(けむ)と赤い長い火の影とが……
「火事だア、火事だア」
 とこの世も終りと云はぬばかりの絶望の叫喚(さけび)が凄(すさま)じく聞えた。
 自分は慌(あわ)てて、跣足(はだし)で庭に飛び出した。下の家とは僅(わづ)か十間位しか離れて居らぬので、母屋(おもや)では既に大騒を遣つて居る様子で、やれ水を運べの桶(をけ)を持つて来いのと老主人が声を限りに指揮(さしづ)する気勢(けはひ)が分明(はつきり)と手に取るやうに聞える。自分もこの危急の場合に際して、何か手助になる事もと思つて、兎(と)に角(かく)母屋の方に廻つて見たが、元より不知案内の身の、何う為る事も出来ぬので、寧(むし)ろ足手纏(あしてまと)ひに為らぬ方が得策と、其儘(そのまゝ)土蔵の前の明地(あきち)に引返して、只々(たゞ/\)その成行を傍観して居た。
 昨夜と均(ひと)しく、月は水の如く、大空に漂つて、山の影はくつきりと黒く、五六歩前の叢(くさむら)にはまだ虫の鳴く音が我は顔に聞えて居る。その寂(しづ)かな村落にもく/\と黒く黄(きいろ)い烟(けむ)が立昇つて、ばち/\と木材の燃え出す音! 続いて、寺の鐘、半鐘の乱打、人の叫ぶ声、人の走る足音!
 村はやがて鼎(かなへ)の沸(わ)くやうに騒ぎ出した。

     十

 母屋(おもや)の大広間で恐しく鋭い尖声(とがりごゑ)が為たと思ふと、
「何だと……何と吐(ぬ)かした? この藤田重右衛門に……」
 と叫んだ者がある。
 自分の傍に来て居た友は、
「重右衛門が来て居る! 自分で火を点(つ)けて置いて、それで知らん顔で、手伝酒を食(くら)つてるとは図太いにも程がある」
 と言つた。
 火は幸(さいはひ)にも根本の母屋には移らずに下の小い家屋(いへ)一軒で、兎に角首尾よく鎮火したので、手伝ひに来て呉れた村の人々、喞筒(ポンプ)の水にずぶ濡(ぬ)れになつた村の若者、それから遠くから聞き付けて見舞に来て呉れた縁者などを引留めて、村に慣例(しきたり)の手伝酒を振舞つて居るところであるが、その十五畳の大広間には順序次第もなく、荒くれた男がずらりと並んで、親椀で酒を蒙(かぶ)つて居るものもあれば、茶碗でぐび/\遺つて居る者もある。さうかと思ふと、さも/\腹が空(す)いて仕方が無いと言はぬばかりに一生懸命に飯を茶漬にして掻込んで居るもの、胡坐(あぐら)を掻いて烟草(たばこ)をすぱり/\遣つて御座るもの、自分は今少し前、一寸(ちよつと)其席を覗(のぞ)いて見たが、それは/\何とも形容する事の出来ぬばかりの殺風景で、何だか鬼共の集り合つた席では無いかと疑はれるのであつた。いづれも火の母屋(おもや)に移らぬ事を祝しては居るが、連夜の騒動に、夜は大分眠らぬ疲労(つかれ)と、烈しく激昂(げきかう)した一種の殺気とが加はつて、何(ど)の顔を見ても、不穏な落付かぬ凄(すご)い色を帯びて居らぬものは、一人も無かつた。
 それが、自分が覗(のぞ)いてから、大方一時間にもなるのであるから、酒も次第にその一座に廻つたと覚しく、恐ろしく騒ぐ気勢(けはひ)が其次の間に満ち渡つた。
「来てるのかね?」
 と自分は友の言葉を聞いて、すぐ訊(たづ)ねた。
「来てるですとも……奴ア、これが楽みで、この手伝酒を飲むのが半分目的で火をつけるのですア」
 暫くすると、
「何だと、この重右衛門が何うしたと……この重右衛門が……」
 といふ恐ろしく尖(とが)つた叫声が、その次の大広間から聞える。
「先生……また酔つたナ」
 と友は言つた。
 次の間で争ふ声!
「何(なあ)に、貴様が火を放(つ)けると言つたんぢやねえ。貴様が火を放けようと、放けまいと、それにやちやんと、政府(おかみ)といふものがある。貴様も一度は、これで政府(おかみ)の厄介に為つた事が有るぢやねえか」
 かう言つたのは錆(さ)びのある太い声である。
「何だと、……己(おれ)が政府(おかみ)の厄介に為らうが為るまいが、何も奴等(うぬら)の知つた事つちや無(ね)えだ。何が……この村の奴等……(少時(しばし)途絶えて)この藤田重右衛門に手向ひするものは一人もあるめい。かう見えても、この藤田重右衛門は……」
 と腕でも捲(まく)つたらしい。
「何も貴様が豪(えら)くねえと言ひやしねえだア、貴様のやうな豪い奴が、この村に居るから困るつて言ふんだ」
「何が困る……困るのは当り前だ。己がナ、この藤田重右衛門がナ、態々(わざ/\)困るやうにして遣るんだ」
 非常に酔つて居るものと見える。
「酔客(よつぱらひ)を相手にしたつて、仕方が無えから、よさつせい」
 と留める声がする。
 暫時(しばし)沈黙(だんまり)。
「だが、重右衛門ナア、貴様も此村で生れた人間ぢや無えか、それだアに、此様(こんな)に皆々(みんな)に爪弾(つまはじき)されて……悪い事べい為て居て、それで寝覚(ねざめ)が好いだか」
 と言つたのは、前のとは違つた、稍(やゝ)老人らしい口吻(くちぶり)。
「勝手に爪弾(つまはじき)しやアがれ、この重右衛門様はナ、奴等(うぬら)のやうなものに相手に為(さ)れねえでも……ねつから困らねえだア……べら棒め、根本三之助などと威張りやアがつて元ア、賽銭箱(さいせんばこ)から一文二文盗みやがつたぢやねえだか」
「撲(なぐ)つて了(しま)へ」
 と傍(かたはら)から憤怒に堪へぬといふやうな血気の若者の叫喚(さけび)が聞えた。
「撲れ! 撲れ!」
「取占(とつち)めて了へ」
 と彼方(あつち)此方(こつち)から声が懸る。
「何だ、撲(なぐ)れ? と。こいつは面白れえだ。この重右衛門を撲るものがあるなら撲つて見ろ!」
 と言ふと、ばら/\と人が撲(う)ちに蒐(かゝ)つた様な気勢(けはひ)が為たので、自分は友の留めるのをも振り解(ほど)いて、急いで次の間の、少し戸の明いて居る処へ行つて、そつと覗いた。いづれも其方(そつち)にのみ気を取られて居るから、自分の其処に行つたのに誰も気の付く者は無い。自分の眼には先(まづ)烟(けむり)の籠(こも)つた、厭(いや)に蒸熱(むしあつ)い空気を透(とほ)して、薄暗い古風な大洋燈(おほランプ)の下に、一場の凄(すさま)じい光景が幻影(まぼろし)の如く映つたので、中央の柱の傍に座を占めて居る一人の中老漢(ちゆうおやぢ)に、今しも三人の若者が眼を瞋(いか)らし、拳(こぶし)を固めて、勢(いきほひ)猛(まう)に打つて蒐(かゝ)らうとして居るのを、傍の老人が頻(しき)りにこれを遮(さへぎ)つて居るところであつた。この中老漢、身には殆ど断々(きれ/″\)になつた白地の浴衣(ゆかた)を着、髪を蓬(おどろ)のやうに振乱し、恐しい毛臑(けずね)を頓着せずに露(あら)はして居るが、これが則(すなは)ち自分の始めて見た藤田重右衛門で、その眼を瞋(いか)らした赤い顔には、まことに凄じい罪悪と自暴自棄との影が宿つて、其半生の悲惨なる歴史の跡が一々その陰険な皺(しわ)の中に織り込まれて居るやうに思はれる。自分は平生(へいぜい)誰でも顔の中に其人の生涯(しやうがい)が顕(あらは)れて見えると信じて居る一人で、悲惨な歴史の織り込まれた顔を見る程心を動かす事は無いのであるが、自分はこの重右衛門の顔ほど悲惨極まる顔を見た事は無いとすぐ思つた。稍(やゝ)老いた顔の肉は太(いた)く落ちて、鋭い眼の光の中に無限の悲しい影を宿しながら、じつと今打ちに蒐(かゝ)らうとした若者の顔を睨(にら)んだ形状(かたち)は、丸で餓(う)ゑた獣の人に飛蒐(とびかゝ)らうと気構へて居るのと少しも変つた所は無い。
「酔客(よつぱらひ)を相手にしたつて仕方が無えだ! 廃(よ)さつせい、廃さつせい!」
 と老人は若者を抑へた。
「撲(なぐ)るとは、面白(おもしれ)いだ、この藤田重右衛門を撲れるなら、撲つて見ろ、奴等(うぬら)のやうな青二才とは」
 と果して腕を捲(まく)つて、体をくるりと其方へ回した。
「管(かま)はんで置くと、好い気に為(な)るだア。此奴の為めに、村中大騒を遣つて、夜も碌々(ろく/\)寝られねえに、酒を食(くら)はせて、勝手な事を言はせて置くつて言ふ法は無(ね)えだ。駐在所で意気地が無くつて、何うする事も出来ねえけりや、村で成敗(せいばい)するより仕方が無えだ。爺(とつ)さん退(ど)かつせい、放さつせい」と二十一二の体の肥つた、血気の若者は、取られた袂(たもと)を振放つて、いきなり、重右衛門の横面(よこつら)を烈しく撲つた。
「此奴(こいつ)!」
 と言つて、重右衛門は立上つたが、其儘(そのまゝ)その若者に武者振り付いた。若者は何のと金剛力を出したが、流石(さすが)は若者の元気に忽地(たちまち)重右衛門は組伏せられ、火のごとき鉄拳(てつけん)は霰(あられ)とばかりその面上頭上に落下するのであつた。
 見兼ねて、老人が五六人寄つて来て、兎に角この組討は引分けられたが、重右衛門は鉄拳を食ひし身の、いつかなこの仲裁を承知せず、よろ/\と身体(からだ)をよろめかしながら、猶(なほ)其相手に喰つて蒐(かゝ)らうとするので、相手の若者は一先(ひとまづ)其儘次の間へと追遣られた。
「おい、人を撲(なぐ)らせて、相手を引込ませるつて言ふ法は何所(どこ)にあるだ。おい、こら、相手を出せ、出さねえだか」
 と重右衛門は烈しく咆哮(はうかう)した。
 今出すから、まア一先(ひとまづ)坐んなさいと和(なだ)められて、兎に角再び席に就(つ)いたが、前の酒を一息に仰(あふ)つて、
「おい、出さねいだか」
 と又叫んだ。
 相手に為(す)るものが無いので、少時(しばし)頭を低(た)れて黙つて居たが、ふと思出したやうに、
「おい出さんか。根本三之助! 三之助は居ないか」
 と云つて、更に又、
「酒だ! 酒だ! 酒を出せ」
 と大声で怒鳴(どな)つた。
 云ふが儘に、酒が運んで来られたので、今撲(な)ぐられた憤怒(いかり)は殆ど全く忘れたやうに、余念なく酒を湯呑茶椀で仰(あふ)り始めた。かうなつて、構はずに置いては、始末にいけぬと誰も知つて居るので、世話役の一人が立上つて、
「重右衛門! もう沢山(たくさん)だから帰らうではねえか、余り飲んでは体に毒だアで……」
 と其傍に行つた。
「体に毒だと……」首をぐたりとして、「体に毒だアでと、あんでも好いだ。帰るなら奴等(うぬら)帰れ。この藤田重右衛門は、これから、根本三之助と」
 舌ももう廻らぬ様子。
「まア、話ア話で、後で沢山云ふが好いだ。こんなに意気地なく酔つて居ながら、帰らねえとは、余り押が強過ぎるぢやねえだか」
 と世話役は、其儘両手を引張つて、強(し)ひてこの酔漢を立上らせようとした。けれど大磐石(だいばんじやく)の如く腰を据(す)ゑた儘、更に体を動かさうとも為ないので、仕方がなく、傍の二三人に助勢させて、無理遣りに其席から引摺上(ひきずりあ)げた。
「何為(し)やがる」
 と重右衛門は引摺られながら、後の男を蹴らうと為た。が、夥(おびただ)しく酔つて居るので、足の力に緊(しま)りが無く、却(かへ)つて自分が膳や椀の上に地響して□(どう)と倒れた。
「おい、確(しつか)りしろ」
 と世話役は叫んで、倒れたまゝ愈(いよ/\)起きまじとする重右衛門を殆ど五人掛りにて辛くも抱上げ、猶(なほ)ぐづ/\に埋窟(りくつ)を云ひ懸くるにも頓着せずに、Xの字にその大広間をよろめきながら、遂(つひ)に戸外(おもて)へと伴(つ)れ出した。
 一室は俄(には)かに水を打つたやうに静かになつた。今しも其一座の人の頭脳(あたま)には、云ひ合さねど、いづれも同じ念が往来して居るので、あの重右衛門、あの乱暴な重右衛門さへ居なければ、村はとこしへに平和に、財産、家屋も安全であるのに、あの重右衝門が居るばかりで、この村始まつて無いほどの今度の騒動(さわぎ)。
 いつそ……
 と誰も皆思つたと覚しく、一座の人々は皆意味有り気に眼を見合せた。
 あゝこの一瞬!
 自分はこの沈黙の一座の中に明かに恐るべく忌(い)むべく悲しむべき一種の暗潮の極めて急速に走りつゝあるのを感じたのである。
 一座は再び眼を見合せた。
「それ!」
 と大黒柱を後に坐つて居た世話役の一人が、急に顎(あご)で命令したと思ふと、大戸に近く座を占めた四五人の若者が、何事か非常なる事件でも起つたやうに、ばら/\と戸外(おもて)へ一散に飛び出した。

       *     *     *

 二十分後の光景。
 自分は殆(ほとん)ど想像するに堪へぬのである。
 諸君は御存じであらう。自分が始めてこの根本家を尋ねた時、妻君が頻(しき)りに、鋤(すき)、鍬(くは)等を洗つて居た田池(たねけ)――其周囲には河骨(かうほね)、撫子(なでしこ)などが美しくその婉(しを)らしい影を涵(ひた)して居た纔(わづ)か三尺四方に過ぎぬ田池の有つた事を。然るに其田池の前には、今一群の人が黒く影をあつめて居て、その傍には根本家と記した高張提燈(たかはりぢやうちん)が、月が冴々(さえ/″\)しく満面に照り渡つて居るにも拘(かゝ)はらず、極めて朧(おぼろ)げに立てられてあるが、自分はそれと聞いて、驚いて、其傍に駆付(かけつ)けて、その悲惨なる光景を見た時は、果して何んな感に撲(う)たれたであらうか。諸君、其三尺四方の溝(どぶ)のやうな田池の中には、先刻(さつき)大酔して人に扶(たす)けられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪を乱(み)だし、顔を打伏(うつぶ)して、丸で、犬でも死んだやうになつて溺(おぼ)れて居るではないか。
「一体何うしたんです」
 自分は激して訊(たづ)ねた。
「何アに、先生、えら酔殺(よつぱらつ)たもんだで、遂(つ)ひ、陥(はま)り込んだだア」
 と其中の一人が答へた。
「何故(なぜ)揚げて遣らなかつた!」
 と再び自分は問うた。
 誰も答へるものが無い。
 けれどこれは訊ねる必要があるか。と自分は直ぐ思つたので、其儘押黙つて、そつとその憐れな死骸に見入つた。月は明らかに其田池を照して、溺れた人の髪の散乱せるあたりには、微かな漣(さざなみ)が、きら/\と美しく其光に燦(きら)めいて居る。一間と離れた後の草叢(くさむら)には、鈴虫やら、松虫やらが、この良夜に、言ひ知らず楽しげなる好音を奏(かな)でてゐる。人の世にはこんな悲惨な事があるとは、夢にも知らぬらしい山の黒い影!
「あゝ、これが、この重右衛門の最後か」
 と再び思つた自分の胸には、何故か形容せられぬ悲しい同情の涙が鎧(よろひ)に立つ矢の蝟毛(ゐまう)の如く簇々(むら/\)と烈しく強く集つて来た。
 で、自分は猶(なほ)少時(しばし)其池の畔(ほとり)を去らなかつた。

     十一

「人間は完全に自然を発展すれば、必ずその最後は悲劇に終る。則(すなは)ち自然その者は到底(たうてい)現世の義理人情に触着(しよくちやく)せずには終らぬ。さすれば自然その者は、遂にこの世に於(おい)て不自然と化したのか」
 と自分は独語した。
「六千年来の歴史、習慣。これが第二の自然を作るに於て、非常に有力である。社会はこの歴史を有するが為めに、時によく自然を屈服し、よく自然を潤色する。けれど自然は果して六千年の歴史の前に永久(とこしへ)に降伏し終るであらうか」
「或は謂(い)ふかも知れぬ。これ自然の屈伏にあらず、これ自然の改良であると。けれど人間は浅薄なる智と、薄弱なる意とを以て、如何(いか)なるところにまで自然を改良し得たりとするか」
「神あり、理想あり、然れどもこれ皆自然より小なり。主義あり、空想あり、然れども皆自然より大ならず。何を以てかくいふと問ふ者には、自分は箇人(こじん)の先天的解剖をすゝめようと思ふ」
 少時(しばらく)考へて後、
「重右衛門の最期(さいご)もつまりはこれに帰するのではあるまいか。かれは自分の思ふ儘(まゝ)、自分の欲する儘、則ち性能の命令通りに一生を渡つて来た。もしかれが、先天的に自我一方の性質を持つて生れて来ず、又先天的にその不具の体格を持つて生れて来なかつたならば、それこそ好く長い間の人生の歴史と習慣とを守り得て、放恣(はうし)なる自然の発展を人に示さなくつても済むだのであらうが、悲む可(べ)し、かれはこの世に生れながら、この世の歴史習慣と相容るゝ能はざる性格と体とを有(も)つて居た」
「殊に、かれは自然の発展の最も多かるべき筈(はず)にして、しかも歴史習慣を太甚(はなはだ)しく重んずる山中の村――この故郷を離るゝ事が出来ぬ運命を有して居た」
 と思ふと、自分が東京に居て、山中の村の平和を思ひ、山中の境の自然を慕つたその愚かさが分明(はつきり)自分の脳に顕(あら)はれて来て、山は依然として太古、水は依然として不朽、それに対して、人間は僅(わづ)か六千年の短き間にいかにその自然の面影(おもかげ)を失ひつゝあるかをつく/″\嘆ぜずには居られなかつた。
「けれど‥‥‥」
 と少時(しばらく)して、
「けれど重右衛門に対する村人の最後の手段、これとて人間の所謂(いはゆる)不正、不徳、進んでは罪悪と称すべきものの中に加へられぬ心地するは、果して何故であらう。自然……これも村人の心底から露骨にあらはれた自然の発展だからではあるまいか」
 此時ゆくりなく自分の眼前に、その沈黙した意味深い一座の光景が電光(いなづま)の如く顕(あらは)れて消えた。続いて夜の光景、暁の光景、ことに、それと聞いて飛んで来た娘つ子の驚愕(おどろき)。
「爺様(とつさん)、嘸(さ)ぞ無念だつたべい。この仇(かたき)ア、己(おら)ア、屹度(きつと)取つて遣るだアから」
 と怪しげなる声を放つて、其死体に取附いて泣いた一場の悲劇!
 其鋭い声が今も猶耳に聞える。
 午後になつて、漸(やうや)く長野から判事、検事、などが、警察官と一緒に遺つて来て臨検したが、その溺死した田池(たねけ)がいかにも狭く小さいので、いかに酔つたからとて、こんな所で独(ひと)りで溺れるといふ訳は無い。これには何か原因があるであらうと、中々事情が難かしくなつて、其時傍に居た二三人は、事に寄ると長野まで出なければならぬかも知れぬといふ有様。それにも拘らず溺死者の死体は外に怪しい箇処(ところ)も無いので、其儘受取人として名告(なの)つて出たかの娘つ子に下渡(さげわた)された。
 半日水中に浸けてあつたので、顔は水膨(みづぶく)れに気味悪くふくれ、眼は凄(すさま)じく一所を見つめ、鼻洟(はな)は半(なかば)開いた口に垂れ込み、だらりと大いなる睾丸(きんたま)をぶら下げたるその容体(ていたらく)、自分は思はず両手に顔を掩(おほ)つたのであつた。
「それにしても、娘(あま)つ子(つ)はあの死骸を何うしたであらう。村では、あの娘つ子の手に其死骸のある中は、寺には決して葬らせぬと言つて居つたが……」
 かう思つて自分は戸外(おもて)を見た。昨夜の月に似もやらぬ、今日は朝より曇り勝にて、今降り出すか降り出すかと危んで居たが、見ると既に雨になつて、打渡す深緑は悉(こと/″\)く湿(うるほ)ひ、灰色の雲は低く向ひの山の半腹までかゝつて、夏の雨には似つかぬ、しよぼ/\と烟(けぶ)るがごとき糠雨(ぬかあめ)の侘(わび)しさは譬(たと)へやうが無い。
 其処へ根本が不意に入つて来た。
 検死事件で一寸手離されず、彼方此方(あつちこつち)へと駈走つて居たが、漸(やうや)く何うにかなりさうになつたので、一先(ひとまづ)体を休めに帰つて来たとの事であつた。
「何うだね?」
 と聞くと、
「何アに、其様(そんな)に心配した程の事は無えでごす。警官も奴の悪党の事は知つて居るだアで、内々は道理(もつとも)だと承知してるでごすが、其処は職掌で、さう手軽く済ませる訳にも行かぬと見えて、それで彼様(あん)な事を言つたんですア」
「それで死骸は何うしたね」
「重右衛門のかね。あの娘(あま)つ子(つ)が引取つて行つたけれど、村では誰も構ひ手が無し、遠い親類筋のものは少しはあるが、皆な村を憚(はゞか)つて、世話を為(し)ようと言ふものが無えので、娘(あま)つ子(つ)非常に困つて居たといふ事です……。けれど、今途中で聞くと、娘つ子奴、一人で、その死骸を背負(しよ)つて、其小屋の裏山にのぼくつて、小屋の根太(ねだ)やら、扉やらを打破(ぶちこは)して、火葬にしてるといふ事だが……此処から烟(けむ)位見えるかも知れねえ」
 と言つて向ふを見渡した。
 注意されて見ると、成程、三峯の下の小高い丘の深緑の上には、糠雨(ぬかあめ)のおぼつかなき髣髴(はうふつ)の中に、一道の薄い烟が極めて絶え/″\に靡(なび)いて居て、それが東から吹く風に西へ西へと吹寄せられて、忽地(たちまち)雲に交つて了ふ。
「あれが、左様(さう)です」
 と平気で友は教へた。
 それが村で持余された重右衛門の亡骸(なきがら)を焼く烟かと思ふと、自分は無限の悲感に打れて、殆ど涙も零(お)つるばかりに同情を濺(そゝ)がずには居られなかつた。「死はいかなる敵をも和睦(わぼく)させると言ふではないか。であるのに、死んだ後までも猶(なほ)その死骸を葬るのを拒むとは、何たる情ない心であらう。そのあはれなる自然児をして、小屋の扉を破り、小屋の根太(ねだ)を壊して、その夫の死骸を焼く材料を作らせるとは、何たる悲しい何たる情ない事であらう」
 自分の眼の前には、その獣の如き自然児が、涙を揮(ふる)つて、その死骸を焼いて居る光景が分明(はつきり)見える。
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