蒲団
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著者名:田山花袋 

垣の虫の声は露に衰えて、庭の桐(きり)の葉も脆(もろ)くも落ちた。午前の中の一時間、九時より十時までを、ツルゲネーフの小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机に斜(はす)に坐って、「オン、ゼ、イブ」の長い長い物語に耳を傾けた。エレネの感情に烈(はげ)しく意志の強い性格と、その悲しい悲壮なる末路とは如何(いか)にかの女を動かしたか。芳子はエレネの恋物語を自分に引くらべて、その身を小説の中に置いた。恋の運命、恋すべき人に恋する機会がなく、思いも懸けぬ人にその一生を任した運命、実際芳子の当時の心情そのままであった。須磨の浜で、ゆくりなく受取った百合(ゆり)の花の一葉の端書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。
 雨の森、闇の森、月の森に向って、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨(さが)の月、膳所(ぜぜ)に遊んだ時には湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、萩(はぎ)が絵のように咲乱れていた。その二日の遊は実に夢のようであったと思った。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊(こと)にその時の煩悶(はんもん)を考えると、頬(ほお)がおのずから赧(あか)くなった。
 空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆(ほとん)ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽くされぬ二人の情――余りその文通の頻繁(ひんぱん)なのに時雄は芳子の不在を窺(うかが)って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽出(ひきだし)やら文箱(ふばこ)やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。
 恋人のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちていた。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。接吻(せっぷん)の痕(あと)、性慾の痕が何処かに顕(あら)われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
 一カ月は過ぎた。
 ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟(とどろ)かした。平和は一時にして破れた。
 晩餐(ばんさん)後、芳子はその事を問われたのである。
 芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了(しま)ったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭(いや)になって了ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと――」
「文学? 文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか」
「え、そうでしょう……」
「馬鹿な!」
 と時雄は一喝(かつ)した。
「本当に困って了うんですの」
「貴嬢(あなた)はそんなことを勧めたんじゃないか」
「いいえ」と烈しく首を振って、「私はそんなこと……私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達(た)って止めて遣ったんですけれど……もうすっかり独断でそうして了ったんですッて。今更取かえしがつかぬようになって了ったんですッて」
「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれている神津(こうづ)という人があるのですの。その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了いますの」
「馬鹿な!」
 と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったッて、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。それに、田中が此方(こっち)に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳(きび)しく止めて遣んなさい!」
 芳子は愈□(いよいよ)困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行違いになるかも知れませんから」
「行違い? それじゃもう来るのか」
 時雄は眼を□(みは)った。
「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行違いになるからと言ってよこしたんですから」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」
 芳子は点頭(うなず)いた。
「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ」
 平和は再び攪乱(かきみだ)さるることとなった。

        六

 一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。電報を持って、芳子はまごまごしていた。けれど夜ひとり若い女を出して遣る訳に行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。
 翌日は逢って達(た)って諌(いさ)めてどうしても京都に還(かえ)らせるようにすると言って、芳子はその恋人の許(もと)を訪(と)うた。その男は停車場前のつるやという旅館(はたごや)に宿(とま)っているのである。
 時雄が社から帰った時には、まだとても帰るまいと思った芳子が既にその笑顔を玄関にあらわしていた。聞くと田中は既にこうして出て来た以上、どうしても京都には帰らぬとのことだ。で、芳子は殆(ほとん)ど喧嘩(けんか)をするまでに争ったが、矢張断(だん)として可(き)かぬ。先生を頼(たよ)りにして出京したのではあるが、そう聞けば、なるほど御尤(ごもっとも)である。監督上都合の悪いというのもよく解りました。けれど今更帰れませぬから、自分で如何(いか)ようにしても自活の道を求めて目的地に進むより他(ほか)はないとまで言ったそうだ。時雄は不快を感じた。
 時雄は一時は勝手にしろと思った。放っておけとも思った。けれど圏内の一員たるかれにどうして全く風馬牛(ふうばぎゅう)たることを得ようぞ。芳子はその後二三日訪問した形跡もなく、学校の時間には正確に帰って来るが、学校に行くと称して恋人の許に寄りはせぬかと思うと、胸は疑惑と嫉妬(しっと)とに燃えた。
 時雄は懊悩(おうのう)した。その心は日に幾遍となく変った。ある時は全く犠牲になって二人の為めに尽そうと思った。ある時はこの一伍一什(いちぶしじゅう)を国に報じて一挙に破壊して了おうかと思った。けれどこの何(いず)れをも敢(あえ)てすることの出来ぬのが今の心の状態であった。
 細君が、ふと、時雄に耳語(じご)した。
「あなた、二階では、これよ」と針で着物を縫う真似(まね)をして、小声で、「きっと……上げるんでしょう。紺絣(こんがすり)の書生羽織! 白い木綿の長い紐(ひも)も買ってありますよ」
「本当か?」
「え」
 と細君は笑った。
 時雄は笑うどころではなかった。

 芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔を赧(あか)くして言った。「彼処(あすこ)に行くのか」と問うと、「いいえ! 一寸(ちょっと)友達の処に用があって寄って来ますから」
 その夕暮、時雄は思切って、芳子の恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申訳がありまえんのやけれど……」長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中脊(ちゅうぜい)の、少し肥えた、色の白い男が祈祷(きとう)をする時のような眼色をして、さも同情を求めるように言った。
 時雄は熱していた。「然(しか)し、君、解ったら、そうしたら好いじゃありませんか、僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子(でし)です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打明けて許可を乞(こ)うか、二つの中一つを選ばんければならん。君は君の愛する女を君の為めに山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。君は宗教に従事することが今度の事件の為めに厭(いや)になったと謂(い)うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるのですから」
「よう解っております……」
「けれど出来んですか」
「どうも済みませんけど……制服も帽子も売ってしもうたで、今更帰るにも帰れまえんという次第で……」
「それじゃ芳子を国に帰すですか」
 かれは黙っている。
「国に言って遣りましょうか」
 矢張黙っていた。
「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧(むし)ろ関係しない積(つもり)でおます。別段こちらに居りましても、二人の間にはどうという……」
「それは君はそう言うでしょう。けれど、それでは私は監督は出来ん。恋はいつ惑溺(わくでき)するかも解らん」
「私はそないなことは無いつもりですけどナ」
「誓い得るですか」
「静かに、勉強して行かれさえすれァナ、そないなことありませんけどナ」
「だから困るのです」
 こういう会話――要領を得ない会話を繰返して長く相対した。時雄は将来の希望という点、男子の犠牲という点、事件の進行という点からいろいろさまざまに帰国を勧めた。時雄の眼に映じた田中秀夫は、想像したような一箇秀麗な丈夫(じょうふ)でもなく天才肌の人とも見えなかった。麹町(こうじまち)三番町通の安(やす)旅人宿(はたご)、三方壁でしきられた暑い室に初めて相対した時、先(ま)ずかれの身に迫ったのは、基督(キリスト)教に養われた、いやに取澄ました、年に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度であった。京都訛(なまり)の言葉、色の白い顔、やさしいところはいくらかはあるが、多い青年の中からこうした男を特に選んだ芳子の気が知れなかった。殊に時雄が最も厭に感じたのは、天真流露という率直なところが微塵(みじん)もなく、自己の罪悪にも弱点にも種々(いろいろ)の理由を強(し)いてつけて、これを弁解しようとする形式的態度であった。とは言え、実を言えば、時雄の激しい頭脳(あたま)には、これがすぐ直覚的に明かに映ったと云うではなく、座敷の隅(すみ)に置かれた小さい旅鞄(たびかばん)や憐(あわ)れにもしおたれた白地の浴衣(ゆかた)などを見ると、青年空想の昔が思い出されて、こうした恋の為め、煩悶(はんもん)もし、懊悩もしているかと思って、憐憫(れんびん)の情も起らぬではなかった。
 この暑い一室に相対して、趺坐(あぐら)をもかかず、二人は尠(すくな)くとも一時間以上語った。話は遂に要領を得なかった。「先ず今一度考え直して見給え」くらいが最後で、時雄は別れて帰途に就いた。
 何だか馬鹿らしいような気がした。愚なる行為をしたように感じられて、自らその身を嘲笑(ちょうしょう)した。心にもないお世辞をも言い、自分の胸の底の秘密を蔽(おお)う為めには、二人の恋の温情なる保護者となろうとまで言ったことを思い出した。安飜訳(ほんやく)の仕事を周旋して貰(もら)う為め、某氏に紹介の労を執ろうと言ったことをも思い出した。そして自分ながら自分の意気地なく好人物なのを罵(ののし)った。
 時雄は幾度か考えた。寧(むし)ろ国に報知して遣ろうか、と。けれどそれを報知するに、どういう態度を以てしようかというのが大問題であった。二人の恋の関鍵(かぎ)を自ら握っていると信ずるだけそれだけ時雄は責任を重く感じた。その身の不当の嫉妬、不当の恋情の為めに、その愛する女の熱烈なる恋を犠牲にするには忍びぬと共に、自ら言った「温情なる保護者」として、道徳家の如く身を処するにも堪えなかった。また一方にはこの事が国に知れて芳子が父母の為めに伴われて帰国するようになるのを恐れた。
 芳子が時雄の書斎に来て、頭を垂れ、声を低うして、その希望を述べたのはその翌日の夜であった。如何(いか)に説いても男は帰らぬ。さりとて国へ報知すれば、父母の許さぬのは知れたこと、時宜(じぎ)に由(よ)れば忽(たちま)ち迎いに来ぬとも限らぬ。男も折角ああして出て来たことでもあり二人の間も世の中の男女の恋のように浅く思い浅く恋した訳でもないから、決して汚れた行為などはなく、惑溺するようなことは誓って為ない。文学は難(むず)かしい道、小説を書いて一家を成そうとするのは田中のようなものには出来ぬかも知れねど、同じく将来を進むなら、共に好む道に携わりたい。どうか暫(しばら)くこのままにして東京に置いてくれとの頼み。時雄はこの余儀なき頼みをすげなく却(しりぞ)けることは出来なかった。時雄は京都嵯峨(さが)に於(お)ける女の行為にその節操を疑ってはいるが、一方には又その弁解をも信じて、この若い二人の間にはまだそんなことはあるまいと思っていた。自分の青年の経験に照らしてみても、神聖なる霊の恋は成立っても肉の恋は決してそう容易に実行されるものではない。で、時雄は惑溺せぬものならば、暫くこのままにしておいて好いと言って、そして縷々(るる)として霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生との関係、教育ある新しい女の当(まさ)に守るべきことなどに就いて、切実にかつ真摯(しんし)に教訓した。古人が女子の節操を誡(いまし)めたのは社会道徳の制裁よりは、寧(むし)ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く破れるということ、西洋の女子はよくこの間の消息を解しているから、男女交際をして不都合がないということ、日本の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主(おも)なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就いて痛切に語った。
 芳子は低頭(うつむ)いてきいていた。
 時雄は興に乗じて、
「そして一体、どうして生活しようというのです?」
「少しは準備もして来たんでしょう、一月位は好いでしょうけれど……」
「何か旨(うま)い口でもあると好いけれど」と時雄は言った。
「実は先生に御縋(おすが)り申して、誰も知ってるものがないのに出て参りましたのですから、大層失望しましたのですけれど」
「だッて余り突飛だ。一昨日逢ってもそう思ったが、どうもあれでも困るね」
 と時雄は笑った。
「どうか又御心配下さるように……この上御心配かけては申訳がありませんけれど」と芳子は縋るようにして顔を赧(あから)めた。
「心配せん方が好い、どうかなるよ」
 芳子が出て行った後、時雄は急に険(けわ)しい難かしい顔に成った。「自分に……自分に、この恋の世話が出来るだろうか」と独(ひと)りで胸に反問した。「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分等はもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない」こう思うと、言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲った。「妻と子――家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞(せきばく)たらざるを得るか」時雄はじっと洋燈(ランプ)を見た。
 机の上にはモウパッサンの「死よりも強し」が開かれてあった。

 二三日経(た)って後、時雄は例刻に社から帰って火鉢(ひばち)の前に坐ると、細君が小声で、
「今日来てよ」
「誰が」
「二階の……そら芳子さんの好い人」
 細君は笑った。
「そうか……」
「今日一時頃、御免なさいと玄関に来た人があるですから、私が出て見ると、顔の丸い、絣(かすり)の羽織を着た、白縞(しろしま)の袴(はかま)を穿(は)いた書生さんが居るじゃありませんか。また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方(こちら)においでですかと言うじゃありませんか。はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中……。はア、それでその人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな人を、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらも好いのがあるでしょうに。芳子さんは余程物好きね。あれじゃとても望みはありませんよ」
「それでどうした?」
「芳子さんは嬉(うれ)しいんでしょうけど、何だか極(きま)りが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐っている。その前にその人が居て、今まで何か話していたのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、……何だか変ね、……今の若い人はよくああいうことが出来てね、私のその頃には男に見られるのすら恥かしくって恥かしくって為方(しかた)がなかったものですのに……」
「時代が違うからナ」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。それゃうわべが似ているだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ」
「そんなことはどうでも好い。それでどうした?」
「お鶴(下女)が行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子(もちがし)と焼芋(やきいも)を買って来て、御馳走(ごちそう)してよ。……お鶴も笑っていましたよ。お湯をさしに上ると、二人でお旨(い)しそうにおさつを食べているところでしたッて……」
 時雄も笑わざるを得なかった。
 細君は猶(なお)語り続(つ)いだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした」
「そしていつ帰った?」
「もう少し以前(さっき)」
「芳子は居るか」
「いいえ、路(みち)が分からないから、一緒に其処(そこ)まで送って行って来るッて出懸(でか)けて行ったんですよ」
 時雄は顔を曇らせた。
 夕飯を食っていると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚しく、せいせい息を切っている。
「何処(どこ)まで行らしった?」
 と細君が問うと、
「神楽坂(かぐらざか)まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし」を時雄に向って言って、そのままばたばたと二階へ上った。すぐ下りて来るかと思うに、なかなか下りて来ない。「芳子さん、芳子さん」と三度ほど細君が呼ぶと、「はアーい」という長い返事が聞えて、矢張下りて来ない。お鶴が迎いに行って漸(ようや)く二階を下りて来たが、準備した夕飯の膳を他所(よそ)に、柱に近く、斜(はす)に坐った。
「御飯は?」
「もう食べたくないの、腹(おなか)が一杯で」
「余りおさつを召上った故(せい)でしょう」
「あら、まア、酷(ひど)い奥さん。いいわ、奥さん」
 と睨(にら)む真似(まね)をする。
 細君は笑って、
「芳子さん、何だか変ね」
「何故(なぜ)?」と長く引張る。
「何故でも無いわ」
「いいことよ、奥さん」
 と又睨んだ。
 時雄は黙ってこの嬌態(きょうたい)に対していた。胸の騒ぐのは無論である。不快の情はひしと押し寄せて来た。芳子はちらと時雄の顔を覗(うかが)ったが、その不機嫌(ふきげん)なのが一目で解った。で、すぐ態度を改めて、
「先生、今日田中が参りましてね」
「そうだってね」
「お目にかかってお礼を申上げなければならんのですけれども、又改めて上がりますからッて……よろしく申上げて……」
「そうか」
 と言ったが、そのままふいと立って書斎に入って了った。

 その恋人が東京に居ては、仮令(たとい)自分が芳子をその二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります」と公然と断って行くのをどうこう言う訳には行かなかった。またその男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。時雄はいつの間にか、この二人からその恋に対しての「温情の保護者」として認められて了った。
 時雄は常に苛々(いらいら)していた。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆(しょし)からも催促される。金も欲(ほ)しい。けれどどうしても筆を執って文を綴(つづ)るような沈着(おちつ)いた心の状態にはなれなかった。強(し)いて試みてみることがあっても、考が纒(まとま)らない。本を読んでも二頁(ページ)も続けて読む気になれない。二人の恋の温かさを見る度(たび)に、胸を燃(もや)して、罪もない細君に当り散らして酒を飲んだ。晩餐(ばんさん)の菜が気に入らぬと云って、御膳(おぜん)を蹴飛(けとば)した。夜は十二時過に酔って帰って来ることもあった。芳子はこの乱暴な不調子な時雄の行為に尠(すく)なからず心を痛めて、「私がいろいろ御心配を懸けるもんですからね、私が悪いんですよ」と詫(わ)びるように細君に言った。芳子はなるたけ手紙の往復を人に見せぬようにし、訪問も三度に一度は学校を休んでこっそり行くようにした。時雄はそれに気が附いて一層懊悩の度を増した。
 野は秋も暮れて木枯(こがらし)の風が立った。裏の森の銀杏樹(いちょう)も黄葉(もみじ)して夕の空を美しく彩(いろど)った。垣根道には反(そり)かえった落葉ががさがさと転(ころ)がって行く。鵙(もず)の鳴音(なきごえ)がけたたましく聞える。若い二人の恋が愈□(いよいよ)人目に余るようになったのはこの頃であった。時雄は監督上見るに見かねて、芳子を説勧(ときすす)めて、この一伍一什(いちぶしじゅう)を故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄もこの恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。この場合にも時雄は芳子の感謝の情を十分に贏(か)ち得るように勉(つと)めた。時雄は心を欺いて、――悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。
 備中(びっちゅう)の山中から数通の手紙が来た。

        七

 その翌年の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根(とね)河畔(かはん)に出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと――芳子のことが殊(こと)に心配になる。さりとて公務を如何(いかん)ともすることが出来なかった。正月になって二日にちょっと帰京したが、その時は次男が歯を病んで、妻と芳子とが頻(しき)りにそれを介抱していた。妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺(わくでき)の度を加えた様子。大晦日(おおみそか)の晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過したということ、余り頻繁(ひんぱん)に二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。困ったことだと思った。一晩泊って再び利根の河畔に戻った。
 今は五日の夜であった。茫(ぼう)とした空に月が暈(かさ)を帯びて、その光が川の中央にきらきらと金を砕いていた。時雄は机の上に一通の封書を展(ひら)いて、深くその事を考えていた。その手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。
先生、
まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経(た)っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴(こぼ)るるのです。
父母はあの通りです。先生があのように仰(おっ)しゃって下すっても、旧風(むかしふう)の頑固(かたくな)で、私共の心を汲(く)んでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。
田中は未(いま)だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤(ごもっと)もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係(かかわ)らず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当(かんどう)されても為方(しかた)が御座いません。堕落々々と申して、殆(ほとん)ど歯(よわい)せぬばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目(ふまじめ)なもので御座いましょうか。それに、家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。
先生、
私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓(う)えるようなことも御座いますまい。先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。
芳子先生 おんもとへ
 恋の力は遂に二人を深い惑溺(わくでき)の淵(ふち)に沈めたのである。時雄はもうこうしてはおかれぬと思った。時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての態度を考えた。備中の父親に寄せた手紙、その手紙には、極力二人の恋を庇保(ひほ)して、どうしてもこの恋を許して貰(もら)わねばならぬという主旨であった。時雄は父母の到底これを承知せぬことを知っていた。寧(むし)ろ父母の極力反対することを希望していた。父母は果して極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言って来た。二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子の為めに飽(あく)まで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京してこの問題を解決して貰いたいと言い送った。けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底その口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。
 時雄は今、芳子の手紙に対して考えた。
 二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮したいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子の多いのを思った。いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為めに尽力しているのに、その好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。
 時雄は胸の轟(とどろ)きを静める為め、月朧(おぼろ)なる利根川の堤の上を散歩した。月が暈(かさ)を帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄い靄(もや)が懸って、おりおり通る船の艫(ろ)の音がギイと聞える。下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味(あじわ)うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩(ぼんのう)、性慾より起る不満足等が凄(すさま)じい力でその胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧(かて)でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野の如(ごと)き胸に花咲き、錆(さ)び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞(せきばく)荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬(しっと)よりも、熱い熱い涙がかれの頬(ほお)を伝った。
 かれは真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。二人同棲(どうせい)して後の倦怠(けんたい)、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐(あわれ)むべきを思い遣(や)った。自然の最奥(さいおう)に秘める暗黒なる力に対する厭世(えんせい)の情は今彼の胸を簇々(むらむら)として襲った。
 真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今までの自分の行為(おこない)の甚(はなは)だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、
父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此(こ)の問題を真面目に議すべき時節到来せりと存候(ぞんじそうろう)、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之(これあり)候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され度(たく)、幾重にも希望仕(つかまつり)候。
 と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町(にいみまち)横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきって婢(おんな)を呼んで渡した。
 一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町(いなかまち)、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈(たけ)の高い、髯(ひげ)のある主人がそれを読む――運命の力は一刻毎に迫って来た。

        八

 十日に時雄は東京に帰った。
 その翌日、備中から返事があって、二三日の中に父親が出発すると報じて来た。
 芳子も田中も今の際、寧(むし)ろそれを希望しているらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。
 父親が東京に着いて、先(ま)ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、中高帽を冠(かぶ)って、長途の旅行に疲れたという風であった。
 芳子はその日医師へ行っていた。三日程前から風邪(かぜ)を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言っていた。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに入ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ」
「お父さん」
 と芳子もさすがにはっとした。
 そのまま二階に上ったが下りて来ない。
 奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んでみたが返事がない。登って行って見ると、芳子は机の上に打伏(うつぶ)している。
「芳子さん」
 返事が無い。
 傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔を擡(もた)げた。
「奥で呼んでいますよ」
「でもね、奥さん、私はどうして父に逢(あ)われるでしょう」
 泣いているのだ。
「だッて、父様に久し振じゃありませんか。どうせ逢わないわけには行かんのですもの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ」
「だッて、奥さん」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ」
 芳子は遂に父親の前に出た。鬚(ひげ)多く、威厳のある中に何処(どこ)となく優しいところのある懐(なつ)かしい顔を見ると、芳子は涙の漲(みなぎ)るのを禁(とど)め得なかった。旧式な頑固(がんこ)な爺(おやじ)、若いものの心などの解らぬ爺、それでもこの父は優しい父であった。母親は万事に気が附いて、よく面倒を見てくれたけれど、何故か芳子には母よりもこの父の方が好かった。その身の今の窮迫を訴え、泣いてこの恋の真面目なのを訴えたら父親もよもや動かされぬことはあるまいと思った。
「芳子、暫(しばら)くじゃッたのう……体は丈夫かの?」
「お父さま……」芳子は後を言い得なかった。
「今度来ます時に……」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ」
「それは……」
「全速力で進行している中に、凄(すさま)じい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥(おびただ)しく傾斜してだらだらと逆行しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した……」
「それは危険でしたナ」
「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申訳が無かろうと思ったじゃわ」
 芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした」
「え、まア」
 父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図(ふと)、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ」
「母さんも……」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って……」
「兄さんも御達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落附いている」
 かれこれする中に、午飯(ひるめし)の膳が出た。芳子は自分の室に戻った。食事を終って、茶を飲みながら、時雄は前からのその問題を語り続(つ)いだ。
「で、貴方(あなた)はどうしても不賛成?」
「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では……」
「それは、そうですが、人物を御覧の上、将来の約束でも……」
「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうか御察し下すって、私の学費を少くしても好いから、早稲田(わせだ)に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな」
「そんなことは無いでしょうと思うですが……」
「どうも怪しいことがあるです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭(いや)になって文学が好きになったと言うのも可笑(おか)しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい」
「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することも出来ますが」
「それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして……。それにはその者の身分も調べて、此方(こっち)の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になるところでは、秀才だとか仰(おっ)しゃってですが……」
「いや、そう言うわけでも無かったです」
「一体、人物はどういう……」
「それは却(かえ)って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨(すま)の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷(きとう)などを遣(や)らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ」
「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ」と時雄は心の中に合点(がてん)した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局はどうしましょう? 芳子さんを伴(つ)れてお帰りになりますか」
「されば……なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、どうも際立(きわだ)って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです……。で、私は、貴方の仰(おっ)しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処(ここ)一二年、娘は猶(なお)お世話になりたいと存じておりますじゃが……」
「それが好いですな」
 と時雄は言った。
 二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨(さが)の事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立っていて、汚(きたな)い関係は無いであろうと言った。父親はそれを聴いて点頭(うなず)きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい」と言った。
 父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎(いなか)ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容(い)れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことが簇々(むらむら)と胸に浮んだ。
 一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍(そば)に庇髪(ひさしがみ)を俛(た)れて談話を聞いていた。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。その白縞(しろしま)の袴(はかま)を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑(けいべつ)の念と憎悪(ぞうお)の念とをその胸に漲(みなぎ)らしめた。その所有物を奪った憎むべき男という感は、曽(か)つて時雄がその下宿でこの男を見た時の感と甚だよく似ていた。
 田中は袴の襞(ひだ)を正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見ていた。服従という態度よりも反抗という態度が歴々(ありあり)としていた。どうも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。
 談話は真面目(まじめ)にかつ烈しかった。父親はその破廉恥(はれんち)を敢(あえ)て正面から責めはしないが、おりおり苦(にが)い皮肉をその言葉の中に交えた。初めは時雄が口を切ったが、中頃から重(おも)に父親と田中とが語った。父親は県会議員をした人だけあって、言葉の抑揚(よくよう)頓挫(とんざ)が中々巧みであった。演説に慣れた田中も時々沈黙させられた。二人の恋の許可不許可も問題に上ったが、それは今研究すべき題目でないとして却(しりぞ)けられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。
 恋する二人――殊(こと)に男に取っては、この分離は甚だ辛(つら)いらしかった。男は宗教的資格を全く失ったということ、帰るべく家をも国をも持たぬということ、二三月来飄零(ひょうれい)の結果漸(ようや)く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということなぞを楯(たて)として、頻りに帰国の不可能を主張した。
 父親は懇々として説いた。
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合である。愛する女子ならその女子の為めに犠牲になれぬということはあるまいじゃ。京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬというが、其処を言うのじゃ。其処を犠牲になっても好かろうと言うのじゃ」
 田中は黙して下を向いた。容易に諾(だく)しそうにも無い。
 先程から黙って聞いていた時雄は、男が余りに頑固なのに、急に声を励(はげま)して、「君、僕は先程から聞いていたが、あれほどに言うお父さんの言葉が解らんですか。お父さんは、君の罪をも問わず、破廉恥をも問わず、将来もし縁があったら、この恋愛を承諾せぬではない。君もまだ年が若い、芳子さんも今修業最中である。だから二人は今暫くこの恋愛問題を未解決の中(うち)にそのままにしておいて、そしてその行末を見ようと言うのが解らんですか。今の場合、二人はどうしても一緒には置かれぬ。何方(どっち)かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。何故かと謂(い)えば、君は芳子の後を追うて来たのだから」
「よう解っております」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、この恋愛を承諾して下されぬではないと仰(おっ)しゃったが、お父様の先程の御言葉では、まだ満足致されぬような訳でして……」
「どういう意味です」
 と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満だと言うのですじゃろう」と、父親は言葉を入れて、「けれど、これは先程もよく話した筈(はず)じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬじゃ。独立することも出来ぬ修業中の身で、二人一緒にこの世の中に立って行こうと言(い)やるは、どうも不信用じゃ。だから私は今三四年はお互に勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着(まんちゃく)して、芳を他(よそ)に嫁(かたづ)けるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召(おぼしめし)次第、罪の多い人間はその力ある審判(さばき)を待つより他(ほか)に為方(しかた)が無いけえ、私は芳は君に進ずるとまでは言うことは出来ん。今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召に適(かな)っていないと思うけえ。三年経(た)って、神の思召に適うかどうか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ」
「あれほどお父さんが解っていらっしゃる」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為めに待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵(めぐみ)でしょう。人の娘を誘惑するような奴(やつ)には真面目に話をする必要がないといって、このまま芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁けるようなことはすまいと言う。実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか」
 田中は低頭(うつむ)いて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらとその頬(ほお)を伝った。
 一座は水を打ったように静かになった。
 田中は溢(あふ)れ出(い)ずる涙を手の拳(こぶし)で拭(ぬぐ)った。時雄は今ぞ時と、
「どうです、返事を為給(したま)え」
「私などはどうなっても好うおます。田舎に埋れても構わんどす!」
 また涙を拭った。
「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方がない。腹の底を打明けて、互に不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君は達(た)って、田舎に帰るのが厭(いや)だとならば、芳子を国に帰すばかりです」
「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん」
「それでは田舎に埋れてもようおます!」
「いいえ、私が帰ります」と芳子も涙に声を震わして、「私は女……女です……貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋れても構やしません、私が帰ります」
 一座はまた沈黙に落ちた。
 暫くしてから、時雄は調子を改めて、
「それにしても、君はどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什(いちぶしじゅう)を話して、今までの不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志願だから、君も文学家にならんければならんというようなことはない。宗教家として、神学者として、牧師として大(おおい)に立ったなら好いでしょう」
「宗教家にはもうとてもようなりまへん。人に対(むか)って教を説くような豪(えら)い人間ではないでおますで。……それに、残念ですのは、三月の間苦労しまして、実は漸(ようや)くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、……田舎に埋れるには忍びまへんで」
 三人は猶(なお)語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎(かっこ)たる返事を齎(もた)らそうと言って、一先(ひとま)ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今まで室の一隅に照っていた日影もいつか消えて了(しま)った。

 一室は父親と時雄の二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど……」
「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股(また)を潜(くぐ)ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理窟(こりくつ)で、めそめそ泣きおった……」
「どうもそういうところがありますナ」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけえ、何のかのと理窟をつけて、帰るまいとするけえ」
 時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑惑が起った。男の烈(はげ)しい主張と芳子を己(おの)が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑惑を起さしむるの動機となったのである。
「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです」
 時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい」
「今の際、確めておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行(さがゆき)の弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行の後に始めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから」
「まア、其処までせんでも……」
 父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
 運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。
 時雄は呼留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。
 これを聞いた芳子の顔は俄(にわ)かに赧(あか)くなった。さも困ったという風が歴々(ありあり)として顔と態度とに顕(あら)われた。
「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了いましたから」その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
 芳子は顔を俛(た)れた。
「焼いた? そんなことは無いでしょう」
 芳子の顔は愈□(いよいよ)赧(あか)くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
 時雄は立って厠(かわや)に行った。胸は苛々(いらいら)して、頭脳(あたま)は眩惑(げんわく)するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝(つ)いて起った。厠を出ると、其処に――障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生――本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱(しか)るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。

        九

 父親は夕飯の馳走(ちそう)になって旅宿に帰った。時雄のその夜の煩悶(はんもん)は非常であった。欺かれたと思うと、業(ごう)が煮えて為方がない。否、芳子の霊と肉――その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目(まじめ)に尽したかと思うと腹が立つ。その位なら、――あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当らなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。こう思うと、今まで上天の境(きょう)に置いた美しい芳子は、売女(ばいじょ)か何ぞのように思われて、その体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。で、その夜は悶(もだ)え悶えて殆(ほとん)ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。その胸に手を当てて時雄は考えた。いっそこうしてくれようかと思うた。どうせ、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。と、種々(いろいろ)なことが頭脳(あたま)に浮ぶ。芳子がその二階に泊って寝ていた時、もし自分がこっそりその二階に登って行って、遣瀬(やるせ)なき恋を語ったらどうであろう。危座(きざ)して自分を諌(いさ)めるかも知れぬ。声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲(く)んで犠牲になってくれるかも知れぬ。さて犠牲になったとして、翌朝はどうであろう、明かな日光を見ては、さすがに顔を合せるにも忍びぬに相違ない。日長(た)けるまで、朝飯をも食わずに寝ているに相違ない。その時、モウパッサンの「父」という短篇を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、この暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛(さかん)にそれと争った。で、煩悶(はんもん)又煩悶、懊悩(おうのう)また懊悩、寝返を幾度となく打って二時、三時の時計の音をも聞いた。
 芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時は蒼(あお)い顔を為(し)ていた。朝飯をも一椀(わん)で止した。なるたけ時雄の顔に逢うのを避けている様子であった。芳子の煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。午後にちょっと出て来たいと言ったが、社へも行かずに家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。
 芳子は午飯(ひるめし)も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱(いんうつ)な気が一家に充(み)ちた。細君は夫の機嫌(きげん)の悪いのと、芳子の煩悶しているのに胸を痛めて、どうしたことかと思った。昨日の話の模様では、万事円満に収まりそうであったのに……。細君は一椀なりと召上らなくては、お腹が空(す)いて為方(しかた)があるまいと、それを侑(すす)めに二階へ行った。時雄はわびしい薄暮を苦(にが)い顔をして酒を飲んでいた。やがて細君が下りて来た。どうしていたと時雄は聞くと、薄暗い室に洋燈(ランプ)も点(つ)けず、書き懸けた手紙を机に置いて打伏(うつぶ)していたとの話。手紙? 誰に遣(や)る手紙? 時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って、足音高く二階に上った。
「先生、後生(ごしょう)ですから」
 と祈るような声が聞えた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから」
 時雄は二階を下りた。暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈(ランプ)を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。
 時雄は渇したる心を以て読んだ。
先生、
私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫(わ)びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐(あわれ)み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋(すが)り申すより他、私には道が無いので御座います。
芳子先生 おもと
 時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立上った。その激した心には、芳子がこの懺悔(ざんげ)を敢(あえ)てした理由――総(すべ)てを打明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。二階の階梯(はしご)をけたたましく踏鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜――これから直ぐ父様の処に行きましょう、そして一伍一什(いちぶしじゅう)を話して、早速、国に帰るようにした方が好い」
 で、飯を食い了(おわ)るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢(あふ)れたであろうが、しかも時雄の厳(おごそ)かなる命令に背(そむ)くわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一什――父親は特に怒りもしなかった。唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路(みち)は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇(く)しきに呆(あき)るるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。

        十

 田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢(たいせい)の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々(るる)として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例(ならい)として、いかようにしても離れまいとするのである。
 時雄の顔には得意の色が上(のぼ)った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
 田中の顔は俄(にわ)かに変った。羞恥(しゅうち)の念と激昂(げっこう)の情と絶望の悶(もだえ)とがその胸を衝(つ)いた。かれは言うところを知らなかった。
「もう、止むを得んです」と時雄は言葉を続(つ)いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭(いや)です。芳子を父親の監督に移したです」
 男は黙って坐っていた。蒼(あお)いその顔には肉の戦慄(せんりつ)が歴々(ありあり)と見えた。不図(ふと)、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬという態度で、此処(ここ)を出て行った。

 午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈□(いよいよ)今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰(もら)うとして、手廻の物だけ纒(まと)めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸った。
 時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘(わび)しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠(すくな)くとも愉快であった。で、時雄は父親と寧(むし)ろ快活に種々なる物語に耽(ふけ)った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田(ちくでん)、海屋(かいおく)、山茶(さざん)の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自(おのずか)らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。
 田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時(いつ)ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸(ちょっと)でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
 取附く島がない。田中は黙って暫(しば)し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
 昼飯の膳(ぜん)がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊(こと)に注意して酒肴(さけさかな)を揃(そろ)えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。細君が説勧(ときすす)めても来ない。時雄は自身二階に上った。
 東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎(びん)やら、行李(こうり)やら、支那鞄(しなかばん)やらが足の踏(ふ)み度(ど)も無い程に散らばっていて、塵埃(ほこり)の香が夥(おびただ)しく鼻を衝(つ)く中に、芳子は眼を泣腫(なきはら)して荷物の整理を為ていた。三年前、青春の希望湧(わ)くがごとき心を抱(いだ)いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。
「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから」
「先生――」
 と、芳子は泣出した。
 時雄も胸を衝(つ)いた。師としての温情と責任とを尽したかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘(わび)しくなった。光線の暗い一室、行李や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。
 午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅(くりうめ)の被布(ひふ)を着て、白いリボンを髪に□(さ)して、眼を泣腫(なきはら)していた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね」
 と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢(あふ)れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲(みなぎ)り渡ったのである。
 冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先(まっさき)に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。
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