蒲団
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:田山花袋 

        十

 田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢(たいせい)の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々(るる)として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例(ならい)として、いかようにしても離れまいとするのである。
 時雄の顔には得意の色が上(のぼ)った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ」
 田中の顔は俄(にわ)かに変った。羞恥(しゅうち)の念と激昂(げっこう)の情と絶望の悶(もだえ)とがその胸を衝(つ)いた。かれは言うところを知らなかった。
「もう、止むを得んです」と時雄は言葉を続(つ)いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭(いや)です。芳子を父親の監督に移したです」
 男は黙って坐っていた。蒼(あお)いその顔には肉の戦慄(せんりつ)が歴々(ありあり)と見えた。不図(ふと)、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬという態度で、此処(ここ)を出て行った。

 午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈□(いよいよ)今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰(もら)うとして、手廻の物だけ纒(まと)めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸った。
 時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘(わび)しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠(すくな)くとも愉快であった。で、時雄は父親と寧(むし)ろ快活に種々なる物語に耽(ふけ)った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田(ちくでん)、海屋(かいおく)、山茶(さざん)の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自(おのずか)らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。
 田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時(いつ)ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸(ちょっと)でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
 取附く島がない。田中は黙って暫(しば)し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
 昼飯の膳(ぜん)がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊(こと)に注意して酒肴(さけさかな)を揃(そろ)えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。細君が説勧(ときすす)めても来ない。時雄は自身二階に上った。
 東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎(びん)やら、行李(こうり)やら、支那鞄(しなかばん)やらが足の踏(ふ)み度(ど)も無い程に散らばっていて、塵埃(ほこり)の香が夥(おびただ)しく鼻を衝(つ)く中に、芳子は眼を泣腫(なきはら)して荷物の整理を為ていた。三年前、青春の希望湧(わ)くがごとき心を抱(いだ)いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。
「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから」
「先生――」
 と、芳子は泣出した。
 時雄も胸を衝(つ)いた。師としての温情と責任とを尽したかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘(わび)しくなった。光線の暗い一室、行李や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。
 午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅(くりうめ)の被布(ひふ)を着て、白いリボンを髪に□(さ)して、眼を泣腫(なきはら)していた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね」
 と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢(あふ)れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲(みなぎ)り渡ったのである。
 冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先(まっさき)に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残(なごり)を惜んでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄(にわ)かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被(かぶ)った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振返った。
 車が麹町(こうじまち)の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴(つ)れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧(やかま)しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。
 京橋の旅館に着いて、荷物を纒(まと)め、会計を済ました。この家は三年前、芳子が始めて父に伴れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。三人はその時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互に避けて面(おもて)にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。
 混雑また混雑、群衆また群衆、行く人送る人の心は皆空(そら)になって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀(かなしみ)と喜悦(よろこび)と好奇心とが停車場の到る処に巴渦(うず)を巻いていた。一刻毎に集り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃(けんまこくげき)の光景となった。時雄は二階の壺屋(つぼや)からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
 この群集の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。
 ベルが鳴った。群集はぞろぞろと改札口に集った。一刻も早く乗込もうとする心が燃えて、焦立(いらだ)って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛(かろ)うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。
 後からも続々と旅客が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。呉(くれ)あたりに帰るらしい軍人の佐官もあった。大阪言葉を露骨に、蝶々(ちょうちょう)と雑話に耽(ふ)ける女連もあった。父親は白い毛布を長く敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が車内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。父親は窓際に来て、幾度も厚意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱(しょく)した。時雄は茶色の中折帽、七子(ななこ)の三紋(みつもん)の羽織という扮装(いでたち)で、窓際に立尽していた。
 発車の時間は刻々に迫った。時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁(えにし)があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶(はんもん)をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。「何故、もう少し早く生れなかったでしょう、私も奥様時分に生れていれば面白かったでしょうに……」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅(しゅうと)と呼ぶような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇(く)しき力を持っている。処女でないということが――一度節操を破ったということが、却(かえ)って年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかも知れぬ。運命、人生――曽(かつ)て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上(のぼ)った。露西亜(ロシア)の卓(すぐ)れた作家の描いた人生の意味が今更のように胸を撲(う)った。
 時雄の後に、一群の見送人が居た。その蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一箇の古い中折帽を冠った男が立っていた。芳子はこれを認めて胸を轟(とどろ)かした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽(ふけ)って立尽した時雄は、その後にその男が居るのを夢にも知らなかった。
 車掌は発車の笛を吹いた。
 汽車は動き出した。

        十一

 さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信(おとず)れた。子供を持てあまして喧(やかま)しく叱(しか)る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
 生活は三年前の旧(むかし)の轍(わだち)にかえったのである。
 五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐(なつ)かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文(そうろうぶん)で、
「昨夜恙(つつが)なく帰宅致し候儘(まま)御安心被下度(くだされたく)、此(こ)の度(たび)はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之(これなく)、幾重にも御詫(おわび)申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫(おわび)も致し度候いしが、兎角(とかく)は胸迫りて最後の会合すら辞(いな)み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸(ガラスど)の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶(なお)まざまざと御姿見るのに候、山北辺より雪降り候うて、湛井(たたい)よりの山道十五里、悲しきことのみ思い出(い)で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいずれ御礼の文奉り度存居(ぞんじおり)候えども今日は町の市日(いちび)にて手引き難く、乍失礼(しつれいながら)私より宜敷(よろしく)御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱(お)き申候」と書いてあった。
 時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣(や)った。別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微(かす)かに残ったその人の面影(おもかげ)を偲(しの)ぼうと思ったのである。武蔵野(むさしの)の寒い風の盛(さかん)に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄(すさま)じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎(びん)、紅皿(べにざら)、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗(ひきだし)を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂(にお)いを嗅(か)いだ。暫(しばら)くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡(から)げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団(ふとん)――萌黄唐草(もえぎからくさ)の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟(えり)の天鵞絨(びろうど)の際立(きわだ)って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅(か)いだ。
 性慾と悲哀と絶望とが忽(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
 薄暗い一室、戸外には風が吹暴(ふきあ)れていた。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:102 KB

担当:undef